「なんか、最近たるんでいる気がする」
妹紅は朝食を食べながらふとそう思った。
なんだろうか、特に思い当たることはないのだが、生活の中に必要不可欠な何かが欠けているような気がする。
味噌汁を啜りながらここ数日のことを思い返す。
とは言っても特に決まった仕事があるわけでなく、頭に浮かぶ出来事はごく僅かである。
生活に必要な食材集めや家事全般、そういった事を除けば私がやる事は迷いの竹林で迷った人々を案内することぐらいだ。
しかし、それを欠かした覚えも無く。特に生活習慣が乱れているようなことも無い。
それでも頭にこびりついて消えない、この違和感は何だろうか。
食べ終わった食器を片付けながら考えを巡らせるが、矢張り思い当たる節も無い。
何か、忘れていることがあるのだろうか。
――あら妹紅、体は若いのに健忘症なんて、器用な真似をするわねぇ。
そんな嫌みったらしい声が聞こえたような気がした。
「……まあ、確かに輝夜ならそんな風に言いかねないな――って、あれ?」
そういえば、最後に輝夜と殺し合いをしたのはいつだったか。
永遠亭がその存在を現して以来、永琳の薬を求めて竹林を訪れる人々は後が絶えない。
しかし、普通の人間が迷いの竹林を無事に抜けられるはずもなく、そこで迷った人々を永遠亭へと送り届けるのも、今では妹紅の仕事の一環である。
そんなわけで、輝夜やその他の永遠亭の住人達に顔を合わせる機会は以前よりも確実に増えている。
だがしかし――、
「……殺し合い、してたっけ?」
輝夜には確かに会っている。
先週も会ったし、今週も既に会っている。
だが――殺し合いはどうだったか。
「いやいやいや、そんな筈は……」
そう一人呟きながら、思い返す。
まず、先週はどうだったか。
確か先週は、病気の子供を抱えた男を永遠亭に送り届けたはずだった。
その時に、輝夜にも会っている。
これは間違いない。会話の内容までしっかりと記憶している。
「あら、ちょうどいいところに来たわね。永琳がお礼にもらった珍しいお菓子をみんなで食べようと思っていた所なのだけど、一緒にどう?」
「へえ、お菓子か。暫く甘いものは食べてなかったんだよなぁ」
「なら、ちょうどいいじゃない。ちょっと上がっていきなさいよ」
「それじゃあ、ちょっとお邪魔させてもらうよ」
クッキーというお菓子はさくさくして甘くて、とても美味しかった。
それはもう、無くなるまでおかわりを要求してしまうほどに。
「……あ、あれ?」
今週はどうだっただろうか。
今週は、夫が病気で倒れたという女を永遠亭に送り届けていた。
やっぱりこの時にも輝夜に会った筈である。
その時の会話だって、今でもはっきり思い出せる。
「あら、妹紅じゃないの。また患者さん?」
「そんなところだよ。……ところで輝夜、その腕に抱えているのは何?」
「ああ、これはね。この前の例月祭でイナバ達が作ったお団子よ。ちょっと張り切りすぎちゃったみたいで、随分余ってね。困っているのよ。良かったらちょっと食べていかない?」
「団子かぁ。そういうことなら頂いていこうかな」
三色の団子はお茶によく合い、とても美味しかった。
「……こ、これは」
そこまで思い返し、愕然とする。
確かに輝夜とは会っている。会っているが――、
「全然、殺し合いしてないじゃないかー!?」
それどころか、仲良さげに会話を交わしていた。
あまつさえ、餌付けまでされていた。
「な、なんてことだ……」
これは一大事である。
まさかこんな重要なことを忘れていたとは――。
「くそっ!」
妹紅は洗い終わった食器を仕舞い込むと、大急ぎで家を飛び出した。
勿論、久々に輝夜と殺し合いをするために――。
◇◇◇
「ええと、それでなんの話だったかしら」
私は膝の上で眠そうにしているてゐの耳を撫でながら、目の前で殺気立っている妹紅に尋ねた。
「だから! 殺し合いだよ、殺し合いっ!」
今日だけで軽く二桁は聞いたであろう、妹紅の叫び。
それを剣呑な視線と共に受けながら、尚も耳を撫で続ける。
てゐに限らず、イナバ達の耳は撫でるととても気持ちいい。
だって、ふわふわのもこもこなのだ。
人間らしい耳を持ちながら、それでも失われない兎の耳は、撫でられるために存在しているとしか私には思えない。
「殺し合い、ねぇ……」
そう呟きながら、ふわふわのもこもこを撫で続ける。
膝の上で、てゐがくすぐったそうにみじろぎをした。
そんな動作がまた可愛い。
可愛さと実年齢の間に因果関係は存在しないのだ。ついでに性格とも。
「……最近、随分とご無沙汰じゃないか」
「そーねぇ……」
確かに妹紅の言う通り、ここ暫くの間それまで定期的に行っていた殺し合いをまったくしていない。
「……なんでなんだ?」
真剣な眼差しで妹紅が問う。
そこにふざけた様子は微塵も無く、その瞳は私に本気で答えることを要求していた。
こうなっては、私も言うしかないだろう。
私の本当の気持ちを――。
「あのね、妹紅――」
「あぁ……」
妹紅はただ静かに私の言葉を待っている。
耳に届くのはてゐが手元にあったクッキーを齧る音だけだ。
ちなみに、このクッキーは私のお手製である。
紅魔館のメイドから薬のお礼にと先日貰い、私は初めてクッキー食したのだが、これが大変美味であった。
さくさくのあまあまだった。
もう一度食べたいと願った私は、永琳に無理を言ってオーブンを用意させ、自ら作ることにしたのだ。
貰ったものは食べればお終いだが、自分で作るなら食べたくなった時にはまた作ればいい。
家事全般については基本的に触らせてもらえない私だが、これは趣味の範疇だと言って押し通した。
しかし、料理などしたこともない私にとってこれは非常に困難なことであった。
それでも私はそれを乗り越え、漸く到達したのだ。
さくさくのあまあまに。
私の非凡なる芸術的才能が発揮されてしまったせいか、手元にあるクッキーは若干前衛的な形状をしている。
それが問題といえば問題だが、これはあくまで練習用。
今日の午後に予定されているお茶会には完璧なものを用意できるだろう。
「――私ね、飽きたのよ。殺し合いに」
「はぃ?」
唖然とする妹紅を無視して私は続ける。
「いわゆるアレよ、そう、マンネリってやつね」
「な……っ」
かりかりとクッキーを齧る音だけが部屋に響く。
「なんで、急にそんなことを言うんだ?」
「だって、仕方ないじゃない? あのね、私たちが殺し合いを始めてどれくらい経つと思う? 三百年よ、三百年」
そう、三百年。
私の生きた時間を考えれば、それはほんの一部に過ぎない。
けれど、そうは言っても三百年は矢張り長い。
これだけの時間続けていれば、どんなことでも飽きがくる。
「流石にもうお腹一杯、っていうか……。うん、仕方ないのよ。ねー、てゐー?」
「仕方ないねー」
てゐと二人で頷き合う。
しかし、妹紅はそれが気に入らないらしく、肩をわなわなと震わせている。
「何を勝手な事を言ってるんだ! 私が一体どんな気持ちで――」
「ていっ」
「もがっ」
あんまり声がうるさかったので、思わず妹紅の口にクッキーを突っ込んでしまった。
もぐもぐと、クッキーを咀嚼する音が辺りに響いた。
「いきなりなにすんだっ!?」
漸くクッキーを飲み込んだ妹紅が非難の声を上げる。
「……口に合わなかった?」
「え、いや、さっくりしていて美味しかったけど……ふん、そういうことか。また食べ物でつる気だな?」
よし、味に問題はないようだ。
私にデレ期は無いのポーズを決めながら妹紅が続ける。
「そうはいかないぞ! 私はっ、今日こそお前を殺しに――」
「えいっ」
「ふごっ」
再び突っ込む。
「……もぐもぐ……だからっ! 私は復讐を――」
「てりゃっ」
「もごっ」
突っ込む。
「いやだから、あのな――」
「とうっ」
「ふぐっ」
もういっちょ。
「ちょ、やめ――」
「そぉい!」
「ぐふぉっ」
ええい、全部もってけ!
「ちょっふぉ、まっふぇ……」
リスのように頬を膨らませた妹紅が必死の形相で制止をかける。
それと同時に私も手を止める。というか既に弾(クッキー)は尽きているので止めざるを得ないのだけど。
妹紅はばきばきと派手な音を立てながらすごい勢いでクッキーを噛み砕いている。
作り手としては、もうちょっと味わって食べて欲しいなぁと思う。
そういえば、材料はまだあっただろうか。足りるかどうかちょっと不安だ。
そんなことをぼんやり考えていると、くいくいと袖が引っ張られる。
視線を落とすと、膝上に乗ったてゐが袖を引っ張りながら妹紅を指差している。
「なに? 妹紅がどうかしたの?」
「あれ、なんか様子がおかしいんだけど」
「……あら」
見れば、顔を真っ青にそめてばたばたと苦しそうにもがいている。
どうやらクッキーが喉に詰まったらしい。
「はい、どうぞ」
そう言って、自分用に用意していたお茶を差し出す。
すると妹紅は虎をも殺さんばかりの勢いでそれを掴み、ごくごくと一気に飲み干した。
「ぷはーっ。死ぬかと思った……」
「クッキーを喉に詰まらせて死亡というのも、なかなか斬新で面白いわねー」
「どこも面白くないよ!」
がああああああ、と妹紅が吼える。
「ともかく! 輝夜、今日こそはお前を殺す!」
これは困った。
正直な所、今日はあまり気分は乗らないのだが、妹紅は既に臨戦態勢。
今にも襲い掛からんばかりである。
「まあまあ、ちょっと落ち着きなさいよ。ほら、てゐもいるし、ね?」
「ええい、知るか! 大体なんでてゐがそんなところでゴロゴロしているんだよ! そんなキャラじゃないだろ!?」
私の膝の上をそんなところ呼ばわりとは、まったく失礼な話である。
「なんか、昨日夜更しし過ぎちゃって寝不足みたい」
「ねむー」
当の本人はまったりと膝の上でゴロゴロしている。
「ああもう! いいから表に出ろ!」
そう言いながらも決して手を出してこない辺り、いい奴だなぁと思う。
しかし、これはどうしたものだろうか。
考えをめぐらせていると、一つの妙案が思いつく。
「……わかったわ、勝負をしましょう」
「ふん、ようやくその気になったか」
「ただし!」
「むっ?」
「今回は殺し合いではなく、別の方法で勝負をするわ。そうね――私が出す『難題』を破れたならあんたの勝ち、っていうのはどうかしら?」
「ふざけるなっ! 私はお前に復讐するためにきたんだぞ。そんな遊びに付き合ってられるかっ」
流石にこのままでは乗ってこない。
しかし、それは想定内のこと。
私は、前もって用意していた台詞を静かに告げる。
「……あら、不満なのかしら? 私の出した『難題』に敗れた父の復讐だというのなら、私の『難題』を打ち破る事こそが、本当の意味での復讐になると思うのだけど」
「む、むむっ……?」
困惑した表情で考え込む。
よし、もう一押しだろう。
「……まあ、自信が無いって言うなら、私はいつもの殺し合いでも構わないわ」
余裕たっぷりにそう言ってみる。
十分に間を置いてから妹紅の様子を窺うと――。
「それは……私には無理だと言っているのか? はっ、冗談はやめてくれ!」
燃え盛っていた。
ああ、やはり素直とは美徳である。
「じゃあ、その方法で異存ないわね?」
「もちろんだ!」
「では――私が今から言う二つの物を持ってきてもらうわ」
なんでもこい、とでも言わんばかりに妹紅は胸を張って待ち構えている。
さて、足りないものはなんだろう。
確か基本的にはまだ残って――ああ、そうだ。
「まず一つ目は――砂糖よ」
「は?」
何を言っているのかわからない、といった表情で妹紅が問い返す。
「ええと、今なんて?」
「砂糖、よ」
私は平然と、再び同じ言葉を口にする。
妹紅は暫くの間、呆然としながら目をぱちくりとさせていたが、やがて我に返ると、
「おまえ、ふざけてるだろうっ!?」
今日一番の大声でそう叫んだ。
耳の奥がじんじんする。
「ああもう、あんまり大声出さないで頂戴。ほら、てゐが……」
膝の上から射殺さんばかりの視線を妹紅へと飛ばしている。
まるで餌を与えられていない獰猛な肉食獣のようだ。兎なのに。
寝不足というものは、斯くも人の心を尖らせるものなのである。
「あ、ごめん……って、そうじゃなくてだな」
とか言いつつも小声で話す妹紅。実に素直だ。
「難題がそんなのでいいのか? もっと、こう、色々あるだろ?」
「甘いわねー、妹紅。砂糖だってこの幻想郷では十分に貴重品よ? それに、探すのに年単位で時間がかかるような物を指定したら、勝負がつかないじゃないの」
「いや、それにしたってさ……」
尚も妹紅が不満を漏らす。
……流石にこれは無理があっただろうか。
「……まあ、確かに簡単な物ではあるわね。――そこで、これについては時間制限を設けるわ。そうね、2時間ってところでどうかしら?」
そう言って、妹紅の反応を待つ。
暫くの間はうんうんと悩んでいたが、最終的に、
「……わかった。それでいいよ」
と、渋面を作ってそう言った。
繰り返しになるがもう一度言っておこう。素直さは美徳である。
「よろしい。もう二つ目については一つ目の物を持ってきたら伝えるわ」
「いいだろう。……それじゃ、早速開始だ! 必ず勝つ!」
そう言い残して妹紅は部屋を飛び出していった。
「いってらっしゃーい」
そう言いながらひらひらと手を振る。
さあ、今の内に準備をしておかなくては。
◇◇◇
「あれ、姫様何をしていらっしゃるんですか?」
がちゃがちゃと調理器具の準備をしていると、不意に声が掛けられた。
振り返れば、目に入るのはぴょこんと存在を主張しつつもへにょった白い耳。
この自信なさげでありつつも静かに自己主張をする耳を見るたびに、持ち主である鈴仙の性格をよく表しているなあと思う。
「うん、ちょっと午後の準備をねー」
「準備って……またクッキーを焼くんですか?」
「えぇ、そうよ」
そんな当たり前の事を当たり前のように答える。
それは当たり前のようにスルーされ――
「駄目ですよっ! そんなの私がやりますからっ」
――なかった。
「えぇー、なんでよぅ」
「姫様は姫様なんですから、そういうことは私達に任せておけばいいんですっ」
なんて、人差し指を立てながら言いなすった。
『私達』などと言っているが、これは本当は『私』が正しいのではないかと思う。
なにしろ、炊事洗濯に始まる家事全般。それに加えて永琳の助手からてゐにからかわれる役目まで、実質その全てを鈴仙が一人でこなしているのだから。
なかなかに高性能なペットである。一家に一台うどんげいん。
紅魔館のメイド長も一人で殆どの仕事をこなしていると言うが、あちらは時間を止めている。
流石に紅魔館程ではないにしろ、永遠亭も結構な広さを誇っている。鈴仙は一人でどうやって掃除をしているのだろう。
「ちゃんと永琳に許可は貰っているわよ? ただの趣味よ、趣味」
「そ、そうは言ってもですねっ」
尚も食い下がる。
元軍人だけあって、意外と上下関係には厳しいのだ。
攻める方向性を変えるべきか。
「……ねぇ、鈴仙」
「……なんですか?」
「クッキー、美味しくなかった?」
「いえ、すっごく美味しかったです」
「ありがとう。……でね、その美味しかったクッキーをもう一回食べたいって思わない?」
「思いますが、姫様が作るのは駄目です。私がやります」
「むー……」
普段は押しが弱いくせに、こういう時は無駄にしっかりしている。
だがしかし、私とてここで引き下がるわけにはいかないのだ。
私自身がやらなければ意味は無い。
「こうなっては仕方ないわね……」
そう言ってじりじりと鈴仙ににじり寄っていく。
警戒の色を浮かべる鈴仙だが、流石に逃げるような真似はしない。
だが――
「――その油断が命取りっ!」
一気に距離をつめると、鈴仙の背中に手を回してがっしりと抱きしめる。
もがく鈴仙を左手でしっかりと固めながら、ゆっくりと右手を頭へと伸ばしていき――
なでり。
――頭から生えたウサ耳を根元から撫で上げる。
「ふわっ」
途端に鈴仙の抵抗が止まる。
耳の根元、何を隠そうこれこそが鈴仙最大の弱点である。
撫でるたびに鈴仙の体から力が抜けていく。既にへろへろだ。
鈴仙とて軍人である前に一匹のペットである。
主人に撫でられれば、それに逆らうことなど出来はしない。
「ね、鈴仙。クッキー作ってもいいでしょ?」
「だ、駄目ですっ」
「てい」
なでりなでり。
「はうっ」
さらさらと絹のように滑らかな感触が手のひらを滑っていく。
てゐのもこふわには及ばないが、鈴仙のさらさらもなかなか気持ちがいい。
調子に乗った私は、赴くままにウサ耳を撫で回した。
さわさわ。
「ひ、姫様っ、わかりましたから、もうやめてくださいっ」
「……本当?」
「は、はぃっ」
「ならよろしい」
最後にひと撫でして手を止める。
手に残った感触がちょっと名残惜しい。
「うぅー……、あんまり危ないことはしないでくださいよ?」
「はいはい、わかってるわよ」
そう言って、再び準備に戻る。
「あ、そういえば、結局材料は大丈夫だったんですか?」
「あー、あれね」
足りない材料を買出しに行かせるつもりだったのをすっかり忘れていた。
「あれは、他の人にお願いしたから大丈夫よ。……そろそろ届く頃合なんじゃないかしら」
「そうなんですか? それじゃ、私は先にお茶会の準備をしておきますね」
「うん、お願いねー」
「はいっ」
鈴仙が、廊下の奥へと消えていく。
それから少しの間を置いて、鈴仙と入れ替わるように激しい音が振動と共に近づいてきた。
一時間と10分少々。予想していたよりも若干早めといったところか。
「輝夜っ! ちゃんともって来たぞ!」
音と共に、紙袋を抱えた妹紅が現れる。
「おー、早かったわねー」
「ふん、このくらい朝飯前だ」
そう言って、誇らしげに袋をかざす。
袋を受け取って、早速中身の確認だ。
「……ふむ、問題なさそうね」
砂糖と思ったら実は塩でした、なんてことは流石にないようだ。
ちょっと期待していたのに残念だ。
「それで、次は何なんだ?」
「えっ?」
「いやだから、次の難題だよ。勝負の」
「あー、あれね」
すっかり忘れていた。
これはまずい、まったく何も考えていない。
しかし、これから時間を稼ぐためにも、何かそれなりの難易度の物を出す必要がある。
予定の時間までに持ってくることが出来ず、かつこの近くで手に入る物。
そんな都合のいい物があるわけ――いや、あった。
「よし、アレにしましょう」
「ああ、なんでもこいっ」
一つ目の難題を無事に終えたことで勢いづいたのか、自信たっぷりに妹紅が言う。
さて、次の『難題』を聞いても、その自信を保っていられるかどうか。
「次に持ってくるものは――『永琳の永遠亭観察日記<HARD>』よっ!」
「……なにそれ」
ぽかんとした表情で妹紅が尋ねる。
「読んで字の如し。永琳がつけている写真付きの日記よ」
「それって大したことないんじゃ……。そもそも<HARD>って何だ?」
「内容がHARDらしいわよ」
「内容!?」
「えぇ、EASYとNORMALは普通のアルバムみたいなものよ。これは普通に見せてもらえるわ」
「で、HARDは?」
「永琳が長い時間を掛けて集めた、鈴仙のあられもない姿が――」
「それ以上言わなくていいっ!」
妹紅からストップがかかってしまった。
まあ、実際のところ私も見たことが無いので、詳しい内容は知らないのだが。
ちなみに、情報元はてゐである。
私ですらなかなか踏み込めない永琳の部屋に容易く忍び込む辺り、あの悪戯兎も只者ではない。
「あら、そう。それじゃ、これでいいかしら?」
「ああもう、なんでもいいや……。兎も角、それを持ってくれば私の勝ちでいいんだな?」
「えぇ、勿論。でも――そんなに簡単にいくかしら?」
にんまり笑ってそう呟く。
「……どういう意味だ?」
「以前、その日記の内容を知って憤慨した鈴仙がこっそり処分しようと永琳の部屋に忍び込んだのだけどね」
「まあ、そりゃ怒るだろうね……」
「結局、目的の物は手に入らず。逆に一週間意識を失う程の重症で帰ってきたわ」
「……」
「さて、あなたはそれを手に入れることができるかしら?」
「……ふん、やってやるさ!」
「ちなみに、今度は……ええと、今からだと……三時間ってところかしら」
「わかった。三時間以内だな!」
そうして妹紅は鈴仙が消えた方向とは反対側へと進んでいった。
「いってらっしゃーい」
そう言いながらひらひらと手を振る。
さあ、早速作りますか。
◇◇◇
「やあ、こんにちは」
読んでいた本をぱたんと閉じて、声の持ち主へと顔を向ける。
「……なんだ、慧音じゃない」
「おいおい、自分で呼んでおいて『なんだ』とはひどいんじゃないか?」
「それもそうね」
座っていた椅子から立ち上がり、ゆっくりと頭を下げる。
「永遠亭へようこそ。本日はお忙しい中――」
「なんだかそれはそれで気持ち悪いな」
「……私にどうしろと」
せめて最後まで言わせて欲しい。
「はっはっは、冗談だ。ウドンゲに聞いたらこっちだと言うから先に挨拶をと思ったのだが――まだ準備中かな?」
「もう大体終わっているわ。今は冷やしているところよ」
「そうか。そういえば妹紅なんだが、家には寄ったのだが生憎と留守だったよ」
「ああ、それなら大丈夫。もう来てるわ」
「ん、そうだったか。それで妹紅は今――」
慧音が言いかけると同時に、激しい爆発音が轟いた。
「……今、あっちの方で永琳と遊んでるわ」
「……まあ、程々に頼むよ」
そう言って苦々しく笑う。
まあ、あいつなら問題はないだろう。……鈴仙なら全治一ヶ月だが。
「しかし、なんだか申し訳ないな。手ぶらで来てしまって」
「別に気にしなくていいわ。こっちは下心ありだもの」
「下心?」
怪訝そうにこちらを見返す。
「えぇ、だってあなたがいれば、あいつもそうそう暴れたりはしないでしょう?」
「ふふっ、なるほど確かにその通りだ」
そうして軽快に笑う。
「しかし、例の殺し合いもせずにクッキー作りとはな」
「たまには、ね。盆栽だけを見る生活に飽きただけよ」
「……お前も随分と変わったものだなぁ」
「ただの気まぐれよ。直に元通りだわ」
そう、いつも通りのただの気まぐれ。
三百年もやりあっていれば、そんなことも、たまにはある。
今日が終わればまた殺し殺される日々へと戻るだろう。
「それでも、さ。これまではその気まぐれだって起きなかったんだろう?」
しかし、彼女の言うこともまたその通り。
これまでは、わざわざあいつをここへ呼ぶ様なことはしなかった。
永遠とは変わらないこと。永遠の中に歴史は無く、そこに変化などはありえない。
そして、不老不死と永遠とは同義ではないのだ。私たちは絶えず変わり続けている。
「私としては、このまま落ち着いてくれると嬉しいのだが」
「あら、説教のネタが減って困るんじゃない?」
「私だって好きで言っている訳じゃない、仕方が無く言っているんだ。言わないで済むならそれに越したことは無いよ。それに、殺し合いの事以外にも言うべきことは沢山あるからな。人里との交流、服装のこと、仕事のこと……それこそ山積みだよ」
「それは難儀ねぇ」
「まったくだよ」
困ったように、肩をすくめる。
そんな様子を見ていると、つい笑ってしまう。
だって慧音はそんな事を言いながら、少しも嫌そうではないのだから。
まるでやんちゃな教え子の事を思い返すように、暖かく、柔らかな表情で語る。
もしかしたら本当にそんな風に思っているのかもしれない。――あるいは、私のことさえも。
「さて、私は先に行って待たせてもらおうかな」
「えぇ、そうして頂戴。私も妹紅が戻ってきたら直ぐに行くわ」
そうして、慧音は爆音轟く方向とは反対側の廊下へと消えていった。
それから間もなくして、その爆発音がぴたりと止まった。
一転して、静寂が辺りに広がる。
それからさらに数分後、とぼとぼと弱々しい足取りで妹紅が戻ってきた。
「で、どうだった?」
見れば何となく想像は付くが、念のために聞いてみる。
「駄目、だった……」
「なるほど。それじゃあ今日は――私の勝ちね」
「くぅ」
悔しそうに妹紅が呻く。
三時間前の勇姿はどこへやら、肩を落として覇気も無く、がっくりとうなだれている。
しかし、そのまま終わる妹紅ではない。
千年もの長きに渡って、未だ衰えることの無いその復讐心は伊達ではないのだ。
「……ふん、次は必ず勝つ!」
そう言って顔を上げる姿はまさに不死鳥。
天に向かって伸び続ける不尽の煙の如く、尽きること無い強い意思を感じさせる。
そんな様子を見届けて、さりげなく、それとなく、ナチュラルに、今思いついたかのように口を開く。
「あ、そうだ」
「なによ?」
慎重に、言葉を紡ぐ。
「今からお茶会するけど――来る?」
「あのねぇ、私が行くわけないでしょ」
想定内想定内。
慌てずに、秘密兵器を投下する。
「慧音が来てるけど」
「っ!? いや、でも……」
しかし、敵のガードは硬かった。
迷わず追撃を開始する。
「クッキーもあるわよー」
「むっ!? ……ふん、食べ物なんかにつられるものか」
本日二度目の私にデレ期は無いのポーズ。
めげることなく追加攻撃。
準備していたクッキーを、妹紅の口へと放り込む。
「てい」
「ふごっ」
「……どう?」
「……おいしい」
さもありなん。
お茶会のために準備したそれは、前衛的な格好でもなく、バターの香りを漂わせ、さっくりさくさくのあまあまなのだ。
これに抗えるはずもなく、
「もっと食べてく?」
「……うん、食べてく」
ぽつんと妹紅はそう言った。
そんな妹紅を促して、戻ってきた時とは反対側の廊下へと歩かせる。
先を行くその背中を眺めながら、私は小さく拳を握り、
「よしっ!」
こっそりとそう呟いた。
さあ、お茶会を始めよう。
妹紅は朝食を食べながらふとそう思った。
なんだろうか、特に思い当たることはないのだが、生活の中に必要不可欠な何かが欠けているような気がする。
味噌汁を啜りながらここ数日のことを思い返す。
とは言っても特に決まった仕事があるわけでなく、頭に浮かぶ出来事はごく僅かである。
生活に必要な食材集めや家事全般、そういった事を除けば私がやる事は迷いの竹林で迷った人々を案内することぐらいだ。
しかし、それを欠かした覚えも無く。特に生活習慣が乱れているようなことも無い。
それでも頭にこびりついて消えない、この違和感は何だろうか。
食べ終わった食器を片付けながら考えを巡らせるが、矢張り思い当たる節も無い。
何か、忘れていることがあるのだろうか。
――あら妹紅、体は若いのに健忘症なんて、器用な真似をするわねぇ。
そんな嫌みったらしい声が聞こえたような気がした。
「……まあ、確かに輝夜ならそんな風に言いかねないな――って、あれ?」
そういえば、最後に輝夜と殺し合いをしたのはいつだったか。
永遠亭がその存在を現して以来、永琳の薬を求めて竹林を訪れる人々は後が絶えない。
しかし、普通の人間が迷いの竹林を無事に抜けられるはずもなく、そこで迷った人々を永遠亭へと送り届けるのも、今では妹紅の仕事の一環である。
そんなわけで、輝夜やその他の永遠亭の住人達に顔を合わせる機会は以前よりも確実に増えている。
だがしかし――、
「……殺し合い、してたっけ?」
輝夜には確かに会っている。
先週も会ったし、今週も既に会っている。
だが――殺し合いはどうだったか。
「いやいやいや、そんな筈は……」
そう一人呟きながら、思い返す。
まず、先週はどうだったか。
確か先週は、病気の子供を抱えた男を永遠亭に送り届けたはずだった。
その時に、輝夜にも会っている。
これは間違いない。会話の内容までしっかりと記憶している。
「あら、ちょうどいいところに来たわね。永琳がお礼にもらった珍しいお菓子をみんなで食べようと思っていた所なのだけど、一緒にどう?」
「へえ、お菓子か。暫く甘いものは食べてなかったんだよなぁ」
「なら、ちょうどいいじゃない。ちょっと上がっていきなさいよ」
「それじゃあ、ちょっとお邪魔させてもらうよ」
クッキーというお菓子はさくさくして甘くて、とても美味しかった。
それはもう、無くなるまでおかわりを要求してしまうほどに。
「……あ、あれ?」
今週はどうだっただろうか。
今週は、夫が病気で倒れたという女を永遠亭に送り届けていた。
やっぱりこの時にも輝夜に会った筈である。
その時の会話だって、今でもはっきり思い出せる。
「あら、妹紅じゃないの。また患者さん?」
「そんなところだよ。……ところで輝夜、その腕に抱えているのは何?」
「ああ、これはね。この前の例月祭でイナバ達が作ったお団子よ。ちょっと張り切りすぎちゃったみたいで、随分余ってね。困っているのよ。良かったらちょっと食べていかない?」
「団子かぁ。そういうことなら頂いていこうかな」
三色の団子はお茶によく合い、とても美味しかった。
「……こ、これは」
そこまで思い返し、愕然とする。
確かに輝夜とは会っている。会っているが――、
「全然、殺し合いしてないじゃないかー!?」
それどころか、仲良さげに会話を交わしていた。
あまつさえ、餌付けまでされていた。
「な、なんてことだ……」
これは一大事である。
まさかこんな重要なことを忘れていたとは――。
「くそっ!」
妹紅は洗い終わった食器を仕舞い込むと、大急ぎで家を飛び出した。
勿論、久々に輝夜と殺し合いをするために――。
◇◇◇
「ええと、それでなんの話だったかしら」
私は膝の上で眠そうにしているてゐの耳を撫でながら、目の前で殺気立っている妹紅に尋ねた。
「だから! 殺し合いだよ、殺し合いっ!」
今日だけで軽く二桁は聞いたであろう、妹紅の叫び。
それを剣呑な視線と共に受けながら、尚も耳を撫で続ける。
てゐに限らず、イナバ達の耳は撫でるととても気持ちいい。
だって、ふわふわのもこもこなのだ。
人間らしい耳を持ちながら、それでも失われない兎の耳は、撫でられるために存在しているとしか私には思えない。
「殺し合い、ねぇ……」
そう呟きながら、ふわふわのもこもこを撫で続ける。
膝の上で、てゐがくすぐったそうにみじろぎをした。
そんな動作がまた可愛い。
可愛さと実年齢の間に因果関係は存在しないのだ。ついでに性格とも。
「……最近、随分とご無沙汰じゃないか」
「そーねぇ……」
確かに妹紅の言う通り、ここ暫くの間それまで定期的に行っていた殺し合いをまったくしていない。
「……なんでなんだ?」
真剣な眼差しで妹紅が問う。
そこにふざけた様子は微塵も無く、その瞳は私に本気で答えることを要求していた。
こうなっては、私も言うしかないだろう。
私の本当の気持ちを――。
「あのね、妹紅――」
「あぁ……」
妹紅はただ静かに私の言葉を待っている。
耳に届くのはてゐが手元にあったクッキーを齧る音だけだ。
ちなみに、このクッキーは私のお手製である。
紅魔館のメイドから薬のお礼にと先日貰い、私は初めてクッキー食したのだが、これが大変美味であった。
さくさくのあまあまだった。
もう一度食べたいと願った私は、永琳に無理を言ってオーブンを用意させ、自ら作ることにしたのだ。
貰ったものは食べればお終いだが、自分で作るなら食べたくなった時にはまた作ればいい。
家事全般については基本的に触らせてもらえない私だが、これは趣味の範疇だと言って押し通した。
しかし、料理などしたこともない私にとってこれは非常に困難なことであった。
それでも私はそれを乗り越え、漸く到達したのだ。
さくさくのあまあまに。
私の非凡なる芸術的才能が発揮されてしまったせいか、手元にあるクッキーは若干前衛的な形状をしている。
それが問題といえば問題だが、これはあくまで練習用。
今日の午後に予定されているお茶会には完璧なものを用意できるだろう。
「――私ね、飽きたのよ。殺し合いに」
「はぃ?」
唖然とする妹紅を無視して私は続ける。
「いわゆるアレよ、そう、マンネリってやつね」
「な……っ」
かりかりとクッキーを齧る音だけが部屋に響く。
「なんで、急にそんなことを言うんだ?」
「だって、仕方ないじゃない? あのね、私たちが殺し合いを始めてどれくらい経つと思う? 三百年よ、三百年」
そう、三百年。
私の生きた時間を考えれば、それはほんの一部に過ぎない。
けれど、そうは言っても三百年は矢張り長い。
これだけの時間続けていれば、どんなことでも飽きがくる。
「流石にもうお腹一杯、っていうか……。うん、仕方ないのよ。ねー、てゐー?」
「仕方ないねー」
てゐと二人で頷き合う。
しかし、妹紅はそれが気に入らないらしく、肩をわなわなと震わせている。
「何を勝手な事を言ってるんだ! 私が一体どんな気持ちで――」
「ていっ」
「もがっ」
あんまり声がうるさかったので、思わず妹紅の口にクッキーを突っ込んでしまった。
もぐもぐと、クッキーを咀嚼する音が辺りに響いた。
「いきなりなにすんだっ!?」
漸くクッキーを飲み込んだ妹紅が非難の声を上げる。
「……口に合わなかった?」
「え、いや、さっくりしていて美味しかったけど……ふん、そういうことか。また食べ物でつる気だな?」
よし、味に問題はないようだ。
私にデレ期は無いのポーズを決めながら妹紅が続ける。
「そうはいかないぞ! 私はっ、今日こそお前を殺しに――」
「えいっ」
「ふごっ」
再び突っ込む。
「……もぐもぐ……だからっ! 私は復讐を――」
「てりゃっ」
「もごっ」
突っ込む。
「いやだから、あのな――」
「とうっ」
「ふぐっ」
もういっちょ。
「ちょ、やめ――」
「そぉい!」
「ぐふぉっ」
ええい、全部もってけ!
「ちょっふぉ、まっふぇ……」
リスのように頬を膨らませた妹紅が必死の形相で制止をかける。
それと同時に私も手を止める。というか既に弾(クッキー)は尽きているので止めざるを得ないのだけど。
妹紅はばきばきと派手な音を立てながらすごい勢いでクッキーを噛み砕いている。
作り手としては、もうちょっと味わって食べて欲しいなぁと思う。
そういえば、材料はまだあっただろうか。足りるかどうかちょっと不安だ。
そんなことをぼんやり考えていると、くいくいと袖が引っ張られる。
視線を落とすと、膝上に乗ったてゐが袖を引っ張りながら妹紅を指差している。
「なに? 妹紅がどうかしたの?」
「あれ、なんか様子がおかしいんだけど」
「……あら」
見れば、顔を真っ青にそめてばたばたと苦しそうにもがいている。
どうやらクッキーが喉に詰まったらしい。
「はい、どうぞ」
そう言って、自分用に用意していたお茶を差し出す。
すると妹紅は虎をも殺さんばかりの勢いでそれを掴み、ごくごくと一気に飲み干した。
「ぷはーっ。死ぬかと思った……」
「クッキーを喉に詰まらせて死亡というのも、なかなか斬新で面白いわねー」
「どこも面白くないよ!」
がああああああ、と妹紅が吼える。
「ともかく! 輝夜、今日こそはお前を殺す!」
これは困った。
正直な所、今日はあまり気分は乗らないのだが、妹紅は既に臨戦態勢。
今にも襲い掛からんばかりである。
「まあまあ、ちょっと落ち着きなさいよ。ほら、てゐもいるし、ね?」
「ええい、知るか! 大体なんでてゐがそんなところでゴロゴロしているんだよ! そんなキャラじゃないだろ!?」
私の膝の上をそんなところ呼ばわりとは、まったく失礼な話である。
「なんか、昨日夜更しし過ぎちゃって寝不足みたい」
「ねむー」
当の本人はまったりと膝の上でゴロゴロしている。
「ああもう! いいから表に出ろ!」
そう言いながらも決して手を出してこない辺り、いい奴だなぁと思う。
しかし、これはどうしたものだろうか。
考えをめぐらせていると、一つの妙案が思いつく。
「……わかったわ、勝負をしましょう」
「ふん、ようやくその気になったか」
「ただし!」
「むっ?」
「今回は殺し合いではなく、別の方法で勝負をするわ。そうね――私が出す『難題』を破れたならあんたの勝ち、っていうのはどうかしら?」
「ふざけるなっ! 私はお前に復讐するためにきたんだぞ。そんな遊びに付き合ってられるかっ」
流石にこのままでは乗ってこない。
しかし、それは想定内のこと。
私は、前もって用意していた台詞を静かに告げる。
「……あら、不満なのかしら? 私の出した『難題』に敗れた父の復讐だというのなら、私の『難題』を打ち破る事こそが、本当の意味での復讐になると思うのだけど」
「む、むむっ……?」
困惑した表情で考え込む。
よし、もう一押しだろう。
「……まあ、自信が無いって言うなら、私はいつもの殺し合いでも構わないわ」
余裕たっぷりにそう言ってみる。
十分に間を置いてから妹紅の様子を窺うと――。
「それは……私には無理だと言っているのか? はっ、冗談はやめてくれ!」
燃え盛っていた。
ああ、やはり素直とは美徳である。
「じゃあ、その方法で異存ないわね?」
「もちろんだ!」
「では――私が今から言う二つの物を持ってきてもらうわ」
なんでもこい、とでも言わんばかりに妹紅は胸を張って待ち構えている。
さて、足りないものはなんだろう。
確か基本的にはまだ残って――ああ、そうだ。
「まず一つ目は――砂糖よ」
「は?」
何を言っているのかわからない、といった表情で妹紅が問い返す。
「ええと、今なんて?」
「砂糖、よ」
私は平然と、再び同じ言葉を口にする。
妹紅は暫くの間、呆然としながら目をぱちくりとさせていたが、やがて我に返ると、
「おまえ、ふざけてるだろうっ!?」
今日一番の大声でそう叫んだ。
耳の奥がじんじんする。
「ああもう、あんまり大声出さないで頂戴。ほら、てゐが……」
膝の上から射殺さんばかりの視線を妹紅へと飛ばしている。
まるで餌を与えられていない獰猛な肉食獣のようだ。兎なのに。
寝不足というものは、斯くも人の心を尖らせるものなのである。
「あ、ごめん……って、そうじゃなくてだな」
とか言いつつも小声で話す妹紅。実に素直だ。
「難題がそんなのでいいのか? もっと、こう、色々あるだろ?」
「甘いわねー、妹紅。砂糖だってこの幻想郷では十分に貴重品よ? それに、探すのに年単位で時間がかかるような物を指定したら、勝負がつかないじゃないの」
「いや、それにしたってさ……」
尚も妹紅が不満を漏らす。
……流石にこれは無理があっただろうか。
「……まあ、確かに簡単な物ではあるわね。――そこで、これについては時間制限を設けるわ。そうね、2時間ってところでどうかしら?」
そう言って、妹紅の反応を待つ。
暫くの間はうんうんと悩んでいたが、最終的に、
「……わかった。それでいいよ」
と、渋面を作ってそう言った。
繰り返しになるがもう一度言っておこう。素直さは美徳である。
「よろしい。もう二つ目については一つ目の物を持ってきたら伝えるわ」
「いいだろう。……それじゃ、早速開始だ! 必ず勝つ!」
そう言い残して妹紅は部屋を飛び出していった。
「いってらっしゃーい」
そう言いながらひらひらと手を振る。
さあ、今の内に準備をしておかなくては。
◇◇◇
「あれ、姫様何をしていらっしゃるんですか?」
がちゃがちゃと調理器具の準備をしていると、不意に声が掛けられた。
振り返れば、目に入るのはぴょこんと存在を主張しつつもへにょった白い耳。
この自信なさげでありつつも静かに自己主張をする耳を見るたびに、持ち主である鈴仙の性格をよく表しているなあと思う。
「うん、ちょっと午後の準備をねー」
「準備って……またクッキーを焼くんですか?」
「えぇ、そうよ」
そんな当たり前の事を当たり前のように答える。
それは当たり前のようにスルーされ――
「駄目ですよっ! そんなの私がやりますからっ」
――なかった。
「えぇー、なんでよぅ」
「姫様は姫様なんですから、そういうことは私達に任せておけばいいんですっ」
なんて、人差し指を立てながら言いなすった。
『私達』などと言っているが、これは本当は『私』が正しいのではないかと思う。
なにしろ、炊事洗濯に始まる家事全般。それに加えて永琳の助手からてゐにからかわれる役目まで、実質その全てを鈴仙が一人でこなしているのだから。
なかなかに高性能なペットである。一家に一台うどんげいん。
紅魔館のメイド長も一人で殆どの仕事をこなしていると言うが、あちらは時間を止めている。
流石に紅魔館程ではないにしろ、永遠亭も結構な広さを誇っている。鈴仙は一人でどうやって掃除をしているのだろう。
「ちゃんと永琳に許可は貰っているわよ? ただの趣味よ、趣味」
「そ、そうは言ってもですねっ」
尚も食い下がる。
元軍人だけあって、意外と上下関係には厳しいのだ。
攻める方向性を変えるべきか。
「……ねぇ、鈴仙」
「……なんですか?」
「クッキー、美味しくなかった?」
「いえ、すっごく美味しかったです」
「ありがとう。……でね、その美味しかったクッキーをもう一回食べたいって思わない?」
「思いますが、姫様が作るのは駄目です。私がやります」
「むー……」
普段は押しが弱いくせに、こういう時は無駄にしっかりしている。
だがしかし、私とてここで引き下がるわけにはいかないのだ。
私自身がやらなければ意味は無い。
「こうなっては仕方ないわね……」
そう言ってじりじりと鈴仙ににじり寄っていく。
警戒の色を浮かべる鈴仙だが、流石に逃げるような真似はしない。
だが――
「――その油断が命取りっ!」
一気に距離をつめると、鈴仙の背中に手を回してがっしりと抱きしめる。
もがく鈴仙を左手でしっかりと固めながら、ゆっくりと右手を頭へと伸ばしていき――
なでり。
――頭から生えたウサ耳を根元から撫で上げる。
「ふわっ」
途端に鈴仙の抵抗が止まる。
耳の根元、何を隠そうこれこそが鈴仙最大の弱点である。
撫でるたびに鈴仙の体から力が抜けていく。既にへろへろだ。
鈴仙とて軍人である前に一匹のペットである。
主人に撫でられれば、それに逆らうことなど出来はしない。
「ね、鈴仙。クッキー作ってもいいでしょ?」
「だ、駄目ですっ」
「てい」
なでりなでり。
「はうっ」
さらさらと絹のように滑らかな感触が手のひらを滑っていく。
てゐのもこふわには及ばないが、鈴仙のさらさらもなかなか気持ちがいい。
調子に乗った私は、赴くままにウサ耳を撫で回した。
さわさわ。
「ひ、姫様っ、わかりましたから、もうやめてくださいっ」
「……本当?」
「は、はぃっ」
「ならよろしい」
最後にひと撫でして手を止める。
手に残った感触がちょっと名残惜しい。
「うぅー……、あんまり危ないことはしないでくださいよ?」
「はいはい、わかってるわよ」
そう言って、再び準備に戻る。
「あ、そういえば、結局材料は大丈夫だったんですか?」
「あー、あれね」
足りない材料を買出しに行かせるつもりだったのをすっかり忘れていた。
「あれは、他の人にお願いしたから大丈夫よ。……そろそろ届く頃合なんじゃないかしら」
「そうなんですか? それじゃ、私は先にお茶会の準備をしておきますね」
「うん、お願いねー」
「はいっ」
鈴仙が、廊下の奥へと消えていく。
それから少しの間を置いて、鈴仙と入れ替わるように激しい音が振動と共に近づいてきた。
一時間と10分少々。予想していたよりも若干早めといったところか。
「輝夜っ! ちゃんともって来たぞ!」
音と共に、紙袋を抱えた妹紅が現れる。
「おー、早かったわねー」
「ふん、このくらい朝飯前だ」
そう言って、誇らしげに袋をかざす。
袋を受け取って、早速中身の確認だ。
「……ふむ、問題なさそうね」
砂糖と思ったら実は塩でした、なんてことは流石にないようだ。
ちょっと期待していたのに残念だ。
「それで、次は何なんだ?」
「えっ?」
「いやだから、次の難題だよ。勝負の」
「あー、あれね」
すっかり忘れていた。
これはまずい、まったく何も考えていない。
しかし、これから時間を稼ぐためにも、何かそれなりの難易度の物を出す必要がある。
予定の時間までに持ってくることが出来ず、かつこの近くで手に入る物。
そんな都合のいい物があるわけ――いや、あった。
「よし、アレにしましょう」
「ああ、なんでもこいっ」
一つ目の難題を無事に終えたことで勢いづいたのか、自信たっぷりに妹紅が言う。
さて、次の『難題』を聞いても、その自信を保っていられるかどうか。
「次に持ってくるものは――『永琳の永遠亭観察日記<HARD>』よっ!」
「……なにそれ」
ぽかんとした表情で妹紅が尋ねる。
「読んで字の如し。永琳がつけている写真付きの日記よ」
「それって大したことないんじゃ……。そもそも<HARD>って何だ?」
「内容がHARDらしいわよ」
「内容!?」
「えぇ、EASYとNORMALは普通のアルバムみたいなものよ。これは普通に見せてもらえるわ」
「で、HARDは?」
「永琳が長い時間を掛けて集めた、鈴仙のあられもない姿が――」
「それ以上言わなくていいっ!」
妹紅からストップがかかってしまった。
まあ、実際のところ私も見たことが無いので、詳しい内容は知らないのだが。
ちなみに、情報元はてゐである。
私ですらなかなか踏み込めない永琳の部屋に容易く忍び込む辺り、あの悪戯兎も只者ではない。
「あら、そう。それじゃ、これでいいかしら?」
「ああもう、なんでもいいや……。兎も角、それを持ってくれば私の勝ちでいいんだな?」
「えぇ、勿論。でも――そんなに簡単にいくかしら?」
にんまり笑ってそう呟く。
「……どういう意味だ?」
「以前、その日記の内容を知って憤慨した鈴仙がこっそり処分しようと永琳の部屋に忍び込んだのだけどね」
「まあ、そりゃ怒るだろうね……」
「結局、目的の物は手に入らず。逆に一週間意識を失う程の重症で帰ってきたわ」
「……」
「さて、あなたはそれを手に入れることができるかしら?」
「……ふん、やってやるさ!」
「ちなみに、今度は……ええと、今からだと……三時間ってところかしら」
「わかった。三時間以内だな!」
そうして妹紅は鈴仙が消えた方向とは反対側へと進んでいった。
「いってらっしゃーい」
そう言いながらひらひらと手を振る。
さあ、早速作りますか。
◇◇◇
「やあ、こんにちは」
読んでいた本をぱたんと閉じて、声の持ち主へと顔を向ける。
「……なんだ、慧音じゃない」
「おいおい、自分で呼んでおいて『なんだ』とはひどいんじゃないか?」
「それもそうね」
座っていた椅子から立ち上がり、ゆっくりと頭を下げる。
「永遠亭へようこそ。本日はお忙しい中――」
「なんだかそれはそれで気持ち悪いな」
「……私にどうしろと」
せめて最後まで言わせて欲しい。
「はっはっは、冗談だ。ウドンゲに聞いたらこっちだと言うから先に挨拶をと思ったのだが――まだ準備中かな?」
「もう大体終わっているわ。今は冷やしているところよ」
「そうか。そういえば妹紅なんだが、家には寄ったのだが生憎と留守だったよ」
「ああ、それなら大丈夫。もう来てるわ」
「ん、そうだったか。それで妹紅は今――」
慧音が言いかけると同時に、激しい爆発音が轟いた。
「……今、あっちの方で永琳と遊んでるわ」
「……まあ、程々に頼むよ」
そう言って苦々しく笑う。
まあ、あいつなら問題はないだろう。……鈴仙なら全治一ヶ月だが。
「しかし、なんだか申し訳ないな。手ぶらで来てしまって」
「別に気にしなくていいわ。こっちは下心ありだもの」
「下心?」
怪訝そうにこちらを見返す。
「えぇ、だってあなたがいれば、あいつもそうそう暴れたりはしないでしょう?」
「ふふっ、なるほど確かにその通りだ」
そうして軽快に笑う。
「しかし、例の殺し合いもせずにクッキー作りとはな」
「たまには、ね。盆栽だけを見る生活に飽きただけよ」
「……お前も随分と変わったものだなぁ」
「ただの気まぐれよ。直に元通りだわ」
そう、いつも通りのただの気まぐれ。
三百年もやりあっていれば、そんなことも、たまにはある。
今日が終わればまた殺し殺される日々へと戻るだろう。
「それでも、さ。これまではその気まぐれだって起きなかったんだろう?」
しかし、彼女の言うこともまたその通り。
これまでは、わざわざあいつをここへ呼ぶ様なことはしなかった。
永遠とは変わらないこと。永遠の中に歴史は無く、そこに変化などはありえない。
そして、不老不死と永遠とは同義ではないのだ。私たちは絶えず変わり続けている。
「私としては、このまま落ち着いてくれると嬉しいのだが」
「あら、説教のネタが減って困るんじゃない?」
「私だって好きで言っている訳じゃない、仕方が無く言っているんだ。言わないで済むならそれに越したことは無いよ。それに、殺し合いの事以外にも言うべきことは沢山あるからな。人里との交流、服装のこと、仕事のこと……それこそ山積みだよ」
「それは難儀ねぇ」
「まったくだよ」
困ったように、肩をすくめる。
そんな様子を見ていると、つい笑ってしまう。
だって慧音はそんな事を言いながら、少しも嫌そうではないのだから。
まるでやんちゃな教え子の事を思い返すように、暖かく、柔らかな表情で語る。
もしかしたら本当にそんな風に思っているのかもしれない。――あるいは、私のことさえも。
「さて、私は先に行って待たせてもらおうかな」
「えぇ、そうして頂戴。私も妹紅が戻ってきたら直ぐに行くわ」
そうして、慧音は爆音轟く方向とは反対側の廊下へと消えていった。
それから間もなくして、その爆発音がぴたりと止まった。
一転して、静寂が辺りに広がる。
それからさらに数分後、とぼとぼと弱々しい足取りで妹紅が戻ってきた。
「で、どうだった?」
見れば何となく想像は付くが、念のために聞いてみる。
「駄目、だった……」
「なるほど。それじゃあ今日は――私の勝ちね」
「くぅ」
悔しそうに妹紅が呻く。
三時間前の勇姿はどこへやら、肩を落として覇気も無く、がっくりとうなだれている。
しかし、そのまま終わる妹紅ではない。
千年もの長きに渡って、未だ衰えることの無いその復讐心は伊達ではないのだ。
「……ふん、次は必ず勝つ!」
そう言って顔を上げる姿はまさに不死鳥。
天に向かって伸び続ける不尽の煙の如く、尽きること無い強い意思を感じさせる。
そんな様子を見届けて、さりげなく、それとなく、ナチュラルに、今思いついたかのように口を開く。
「あ、そうだ」
「なによ?」
慎重に、言葉を紡ぐ。
「今からお茶会するけど――来る?」
「あのねぇ、私が行くわけないでしょ」
想定内想定内。
慌てずに、秘密兵器を投下する。
「慧音が来てるけど」
「っ!? いや、でも……」
しかし、敵のガードは硬かった。
迷わず追撃を開始する。
「クッキーもあるわよー」
「むっ!? ……ふん、食べ物なんかにつられるものか」
本日二度目の私にデレ期は無いのポーズ。
めげることなく追加攻撃。
準備していたクッキーを、妹紅の口へと放り込む。
「てい」
「ふごっ」
「……どう?」
「……おいしい」
さもありなん。
お茶会のために準備したそれは、前衛的な格好でもなく、バターの香りを漂わせ、さっくりさくさくのあまあまなのだ。
これに抗えるはずもなく、
「もっと食べてく?」
「……うん、食べてく」
ぽつんと妹紅はそう言った。
そんな妹紅を促して、戻ってきた時とは反対側の廊下へと歩かせる。
先を行くその背中を眺めながら、私は小さく拳を握り、
「よしっ!」
こっそりとそう呟いた。
さあ、お茶会を始めよう。
ほのぼのしていてとっても良かったです!!
みんな、かわいいよ!
さっくさくのあまあまだよ!!
おねむなてゐが可愛すぎて生きるのがつらい。
それはそうと姫様の作ったクッキーほしいです
もう姫様に毎日クッキー食べさせてもらいなよ!!
もしかしたらLunaticは姫様のいろいろな死にっぷりを記録した病んでる日記なのかもしれん。