正直な話、こんな事はいつもの事、毎度毎度の事なのである。
あの馬鹿に連絡がつかない。そんなのは、別段珍しい話でもないのだ。
私の隣にいつでも居る彼女。彼女はケイタイという素敵で便利な文明の利器を、自分の自由を拘束する鬱陶しくて喧しい音の出る首輪か何かと捉えている節がある。
「ケイタイ? ああ、計算機とカメラの付いた便利な時計よね。あとアラームも。
……ついでにメールも送れたかしら」
こちらから電話をかけてもまず間違い無く出る事は無い。って言うか呼び出し音一回で即留守電に入る。端から出る気が全く無いっていうのが見え見え。
メールも即で返事が来るのはまるで期待できない。二十四時間以内に返って来たらそれで御の字。大概は次の日、学校で直接顔を会わせて。
「昨晩のメールの御用事なぁに」
ときたもんだ。あの黒山羊さんは。最近じゃケイタイの充電池が弱くなったとか何とかで、更に連絡不精に磨きがかかっている。だったらさっさと電池取り替えなさいよ。
そんな彼女は現在、私の隣には居ない。従姉妹のお姉さんの結婚式とか何とかでこの大型連休の間、東京の実家に戻っている。
こちらからは毎日一回ずつ、電話とメールを送っている。勿論返事は無い。そりゃもう言う迄も無く。
「って言うかあんたは私の親か嫁かってぇの」
毎日二回、几帳面にブルブル震えるケイタイを前に、呆れた顔でそんな事を言っている彼女の顔が容易に想像できる。ああ、何て腹立たしい事なのかしら。
そうね。別に私はあいつの親でも嫁でも何でもない。毎日連絡を寄越されて鬱陶しいってのも判らなくはない。
でもね。
現在我がサークルは一つの案件を抱えているのであり、家庭の事情で仕方ないとは言え、それを途中で放る形で彼女は京都を離れているのだ。
勿論その案件、発端となったのは彼女の方。面白そうな場所があるから調べてみましょうっていつも通り、こっちの都合も聞かず引っ張り回して、変な物を手に入れて、それについて調べてみようって矢先に。
だからこっちとしても仕方なく、正直言ってしまえば面倒だってところを、それでもわざわざ、今抱えている調べ物についての話を、せめて一日に一回だけでも、と、そう思って連絡していると言うのに。
こちらの事情は一向に気にせず振り回す癖をして、こちらから用向きを言おうとするとあっち向いてどっかへ行ってしまう。
にゃろう。彼女、男だったら徹底的に女の子に嫌われるタイプね。マイペースって言葉を褒め言葉の類と勘違いしてるんじゃないかしら。酷く自分勝手。
とまぁそんなこんなで、彼女と連絡が付かない、それはもう別にどうでも良い。今更もう。気にしない。諦めてる。よくある事なんだから。
よくある事、なんだから。
『――死亡したのは乗用車を運転していた横浜市の二十五歳会社員、宇佐美蓮子さん――』
蓮子に連絡が付かない。そんなのは、よくある事なんだ。
“Uを探して/長いお別れ”
世の中、そうそう難しい話なんて存在しない。小説やドラマ、漫画なんかを除けば。
今回のこれも、ネットで偶々目にした、この地方で起きた交通事故についての小さなニュースも、何て事は無い、本当に簡単な話。
同姓同名の、別人。
って言うか同姓同名ですらないわね。苗字が一文字。あの馬鹿は美しい、なんて字が似合う人間なんかじゃあないし。年齢も違う。職業も違う。私達はまだ、花も恥らう可憐な女子大生。
ああもう。すっごい判り易い話。捻ったオチも何も無し。
一応、学校の事務にも確認はしたし。でも、うちの学生が事故に遭ったなんて連絡は入ってないって。
マスコミに名前年齢職業が流れてるって時点で、なのに未だ学校に連絡が無い。今の世の中でそんな事態、まず滅多にありはしない。
そうだ。判ってる。大した事じゃない。
あ、ううん。事故に遭った宇佐美さんには、本当、可哀想だし、かけられる言葉も無いのだけれど。
でもとりあえず、今、この私が、何も、何もあれこれ変な想像をしたり、焦ったり、苛立ったり、そういう事をしなければならない様な話ではないのよ。
ないんだ、から。
「――っと、ハーンさん?」
大丈夫。私は大丈夫。何も恐れてない。何も揺らいでなんかいない。
「ねぇ、ねぇってば」
大丈夫だから。大丈夫。絶対、絶対に大丈夫だから。
「ちょっとってば! ハーンさんっ!!」
「ってはひっ!?」
突然耳元で大きな声。思わず飛び出す裏返った私の声。恥ずかしい、コントの登場人物でもあるまいし。しかもすっごいベタ。
「ちょっと、大丈夫? ハーンさん、何だか顔色悪いけど」
心配そうにこちらの顔を覗きこんでくる女の子。
別に友達と言う訳ではないし、知り合いと言うにもちょっと微妙。学年が同じで取っている科目が幾つか重なっていて、それでたまに顔を合わせるっていう程度。
私の事を愛称でもファーストネームでもなく律儀にハーンさんって呼んでくる。そんな程度の仲。
「ありがとう。ごめんなさい。ちょっとね、ちょっと考え事を」
そんな彼女が何故、大型連休真っ最中の大学構内のカフェテリアなんかで、こうして私と二人きり、面と面を合わせて話をしているのかと言えば。
「兎に角、気にしないで。話を続けて。
えっと、何だったかしら。真っ黒い格好をした」
「うん。女の子の」
相談をされているのです。彼女の周囲で起きた怪奇事件についての。
ああもう。何て言うのかなぁ。いつから私はこう、テレビや小説に出てくる探偵みたいな事になってしまったんだか。
これも全部あのお調子者な相棒のせい。
世の不思議を探す。異界への扉を探す。って言うかもう、とにかく不思議で奇妙で面白いものを手当たり次第探し回っては首を突っ込む。それが我等秘封倶楽部の活動内容。
で、そんな活動をするにあたって、情報っていうものは非常に大事。
どこそこで不思議な物体を見かけた。奇っ怪な噂を聞いた。誰かが消えた。或いは増えた。
そんな話を信憑性の高低関係無しにとにかく集めるだけ集めて、それらに一つ一つ体当たりをしていけば、その内に本物へと出会えるって寸法。下手な鉄砲何とやら。
って蓮子が言っていた。
まあ兎に角そんな訳で、私達は大学の掲示板に情報提供を呼びかけるポスターを貼っているのだけど。
怪奇・異変の類を見たら聞いたら食べたらすぐに秘封倶楽部まで! そんな感じで。
ちなみにポスターには彼女と、それから私の写真が貼られている。もちろん無断で。恥ずかしいからって何度も引っぺがしてやったけど何度も貼り直されるので、もう諦めましたよ。ええ。
お蔭でこうして、殆ど面識も無い彼女にもしっかりと捕まってしまうことができましたとさ。ああもうっ。連休中一人ではする事も無いからって学校うろついてたりなんかしなきゃ良かった。
「でも本当、こういう時にさ、うちの学校に秘封倶楽部みたいなサークルがあるって心強いなあ」
柔らかい笑顔を浮かべてコーヒーカップに入っているスプーンを回す情報提供者の彼女。
改め、依頼人の少女。
ええ、そうね。人様に喜んでもらえる、頼りにしてもらえるっていうそれ自体は確かに、私としても悪い気はしないのだけれども。
いつからウチ、怪奇事件の解決をする探偵サークルになったのかしら。
いやまあ確かにあのポスター、不審人物に注意を呼びかける警察のポスターとか不審船の通報を呼びかける海上保安庁の看板とか、その手の物と似た感じに見えなくもない文面ではあるけれど。
しかもうちの相棒、そういう、情報提供じゃなくて依頼のつもりで来た人達に対しても、大歓迎で話を聞いて、で、即首を突っ込み始めからなあ。
あとついでに彼女の格好、帽子だのブラックケープだのと、妙にレトロチックな探偵のイメージに合うものがあるし。
て言うか年頃の女の子としてあの真っ黒はアリなのかしら。シックと言えば聞こえは良いけど、正直あれじゃ殆ど喪服。下手すれば不審者。特に夜中では。
ま、それは兎も角。
実を言えば、別に良いとは思っていたりもする。私としても。こうやって話を聞くのは。
大抵の場合、こういった類の話って、突き詰めていけば単なる見間違いだったていうオチが殆ど。
でもその単なる見間違いのせいで、人間っていうのは結構簡単に余計な不安に駆られてしまったりするもの。
そんな人に対して、こうして話を聞いてあげて、何かしら適当な、それでいて一応は理の通る答を返して安心させてあげる。それ自体は一種のカウンセリングというか、決して悪い話ではない。
そう。
変な勘違いのせいで持たなくても良い不安に取り付かれて、それで無駄に気を削るなんてそんなの、本当、馬鹿馬鹿しいったらありゃしないんだから。
「で、申し訳ないのだけど、もう一度最初から話、お願いできるかしら」
「あ、うん、ハーンさん。
まぁ、大した事ないって言えば、確かに、大した事でもない話なのかも知れないんだけど」
何処か少し気恥ずかしそうな顔でそんな前置きをして、それから小さく一息を吸い、彼女は話し始めた。
「こないだ……休み入った次の日の事なんだけど。
連休明けに在る学生会議用の報告書、うちのクラブって私が担当なんだけどすっかり忘れちゃっててさ。
んで、あの日クラブ終わった後に書いてたのよ。一人で。私のボケが原因なんだから皆を付き合わせちゃっても悪いし。
兎も角それで遅くなっちゃって。で、もう外も完全に暗くなっちゃってて、急いで帰ろうとしてた時にね」
そこで彼女は一旦、言葉を切る。
浮かんでくる微妙な表情。不快、恐怖、或いは勘違いの可能性を考慮しての戸惑いや恥じらいかしら。
よくは判らないけれど、兎に角プラスの感情ではない。そんな顔。
「見ちゃったの。真っ黒い格好をした女の子」
そこまで言って彼女は、ううん違う、そう慌てて両手を振った。
「多分。
多分、女の子。だって、本当に全身黒くて、周りも真っ暗だったし」
彼女が見たその黒い何か。
それは果たして人であったのか。それすら彼女は判らないと言う。人でなければ獣か、ロボか、化け物か。
何も判らないと言う。全身が黒くあやふやで、全身の大まかな形、四肢があるかどうか、そんな事ですら確認できず。
言えるのは唯一つ。
黒い何か。
で、その何かを彼女は何故、女の子だ、そう判断できたたのかと言えば。
「話しかけられたの。それに」
暗く人気の無くなった大学構内。帰り道を急ぐ少女の視界の端、街灯の明かりを避ける様にして佇んでいた黒い何か。
つい気になって足を止めてしまった彼女に、それは突然に話しかけてきた、と言う。
「向こうへ行きたい、って」
その声が彼女には女性、それも、まだ歳若い少女のものだと感じられたのだそうだ。
「でまぁ、その時点では何と言うか、特に何も感じなかったと言うか、いや誰貴女そんなこと急に訊かれましてもー、って感じだったんだけど」
質問の意図がさっぱり掴めず只ぼうっと突っ立っていた彼女。その目の前で黒い何かは、音も無く動きも無く、まるで煙か何かの様して闇の中へ掻き消えてしまったと言う。
「そこ迄きてやっとね、うわちょっとこれ、見ちゃいけないものを見ちゃったんじゃないかって、ぞわぞわーって背中に来ちゃって」
「で、うちに相談に来たと」
「あ、ううん。最初はね、とりあえずクラブの友達とか先輩に相談したの」
「そうなんだ?」
「ほらさ、秘封倶楽部って何かちょっと、胡散臭い……じゃなくて、信用しづらい、ぃ、でもなく……。
ああ、そのええと、ほら」
「ああ、うん。気にしないで」
その辺についてはこっちも自覚、あるから。たった二人で禁止された結界暴きをやってる不良霊能者サークル。そりゃ胡散臭い。誰だってそう思う。私だってそう思う。
思わないのはうちの相棒くらいのものだわ。
「あ、ううぅ。
御免なさいっ、ハーンさん!」
「いや本当、気にしないで。それよりも話、続けて?」
「あ、うん。
それで、皆や先輩にも話を聞いたんだけど、そうしたら」
どうもその黒い何か、見かけたのはこの依頼人の少女だけではなかったそうなのだ。
皆単なる見間違いに違いない、変に話をして怖がりと思われるのも面白くない、そんな理由で口にしなかっただけで、彼女以外にも数人、その黒い何かを見かけ、そうして話しかけられた者が居たという。
「これはどうも只の勘違いじゃぁなさそうだって、そんな感じになって。
でねでね、皆して他のクラブとか、ゼミ一緒の子とか、とにかく色んな人に聞き込みをしてみたんだけど」
結果、黒い何かとの遭遇者は彼女のクラブに限らず、その数こそ多くはないけれども学内のあちらこちらに。
最初の目撃は連休の初日。時間は決まって暗くなってから。場所は大学構内及びその周辺。
ここ迄くれば最早、個人的な見間違いだとかそんなレベルではありえない。その黒い何かは確実に存在するのだ。
「で、こうなったらもう私ら普通の人間じゃどうしようもなさそうだっていうんで、まぁ、話を広げ始めたのは私だし、んじゃあ目撃者達の代表って事で」
「うちに依頼に来た、と」
「そう。そうなの」
成る程ね。って言うか普通の人間じゃあどうしようもないって、そんな事件を持って来られる私達ってば一体何だと思われてるのかしら。
ま、良いけど。確かに私も蓮子も普通ではないし。
「それじゃあ、まぁ。
その黒いのの話、もう少し詳しく聞かせてもらえるかしら」
言われて彼女は、困った様な顔をして視線を泳がせ返事を濁らせる。
「いや、その、もう少しって言われても。さっき話した通りと言いますか」
「それは貴女が遭遇した際の話でしょう?
他にも何人か目撃者が居たって言うのなら、その人達の話も」
「ううん、それがね」
こちらの言葉を切って彼女が首を振った。
「皆ね、殆ど同じ」
人気の無い暗くなった場所で、ふいと視界に入る黒い何か。問いかけてくる少女の声。答えようにも答えられずにそのまま暫く経てば、後は何をするでもなく煙の様に消え失せる。
「貴女は誰、とか、逆にそういう事を訊いてみた人も居たみたいだったんだけど」
問いの答ではないから、という事なのだろうか。黒いそれは何の反応も示さずに、結局はすぐ消えてしまったという。
「ねえ。これって一体、何なのかしら。妖怪? それとも普通に不審人物?」
と、言われましてもねぇ。
縋る目付きの彼女を前に、私は内心で溜め息をつく。
いやだって、ねぇ。それ、全く何にも判らないし。お手上げ。うん、本当、何?
妖怪って言えば妖怪って気もする。
よく見えなかったり、どろんと消えたり。京都は歴史ある都だから、ちょっとした妖怪の一匹や二匹、居たところで別に不思議ではないって感じもするし。
でも、確証が無い。
不審人物、つまりは普通に人間って言われれば、それもそうかな、とは思う。
煙の様に云々なんて話、暗い場所で黒い格好しているのであれば、闇に紛れて見失ったところで何も不思議ではない気もしなくもないし。
まぁその辺、複数の目撃者全員の目の前で消えた、って言うのがちょっとネックになるかな、とも思うけど。全員が全員、同じ様な見失い方をするものなのか、って。
でもそれにしたって。
変な黒いの見ませんでしたか。
ああ、私も見たよ。
それ、煙みたいに消えちゃいましたよね。
そうだったかなあ。ああ、でも言われてみれば確かにそうだったかも、うん、そう言えばきっとそうだった。
聞き込み時の会話に於けるイメージの伝染って言ってしまえばそれ迄って気もするし。
「ねぇ、私達、ちゃんと答えられなかったせいで呪われちゃったりとかしてないかなぁ?」
いやだからねぇ。そう言われても。
呪われているかも知れないし、呪われていないかも知れない。
さっぱり判らない。判断材料が少なすぎる。
とは言えこういう場合、何でも良いからこう、それなりに理屈の通った答を出してあげないと。
でないとその黒いのの正体如何に関わらず、呪いの有無に関わらず、彼女達このまま要らない不安を抱え続ける事になってしまう。
で、もしそれが原因で体調崩したりでもしたら。
それが呪いのせいだって事になって話はどんどん無意味にややこしくなりかねない。
さて、どう答えたものかしら。
それは妖怪です。でも単なる変人、て言うか変妖なので害は無いでしょう。
……いや、これは駄目ね。オカルトにある程度理解の有る子でないと、妖怪を見たっていうだけで精神負担になりそうだし。
それは人間です。ただの変人です。気にせず元気に明日を生きましょう。
……うん。これね。これでいきましょう。
と言っても。
全身真っ黒ずくめで、向こうへ行きたい、なんて訳の判らない事を言い出す変人なんて、それ一体どんな変人だかちょっと想像が。
「……蓮子」
……何て事。ものっ凄い身近に、条件ぴったりの変人が。
「え? 何? それって宇佐見さんなの?」
「えっ!? いやあのそのちょっと」
やだちょっと! 今の、声が漏れてた? 聞かれちゃってた? それを答と勘違いされた?
「ああでも、うん、そう言われれば確かに宇佐見さんかも」
って何でそこで納得が入るかなっ。確か貴女のさっき言ってた候補では、人間の場合だと不審人物なんでしょ!?
「宇佐見さんって確かに、ポスターの写真だと帽子から外套からスカートまで真っ黒い格好してるし」
いや、少しは白も混ざってるけれど。
「それに彼女ってあれでしょ。噂で聞いた程度だけど、ほら、結界暴きをしてるとか何とか」
ああ。噂程度とは言えその辺の話、オカルト系じゃない子達にも伝わってしまってるのねぇ。常日頃からの行いが悪いから、見知らぬ人間からも抵抗無く不審人物扱い。
これはどうも、言い訳もしづらいというか。
まぁ、良いわ。ここは一つ、正体は蓮子って事で適当に流しますか。
とは言え、あんまり自信無いけれど。アドリブで巧い嘘話を作りながら話を進めるとか、そういうの苦手だからなぁ。
蓮子は得意そうだけど。こういう、口八丁で巧く人を丸め込むの。
「あれ、でも。
あれが宇佐見さんだって言うならさ、何であんな暗い所で、ちゃんと姿も見せないで」
ほら来た。至極当然のツッコミ。さて、どう答えたものかしら。
「結界暴きって、一応は禁止されてるでしょう? だからね、あんまり大っぴらに聞き込みも出来ないの」
「え。でも掲示板に堂々とポスターを」
「あれはね、蓮子からすれば一応ちゃんとカムフラージュしてるつもりなの。結界暴きの情報提供を求めているのではなく、怪奇事件についての相談を受け付けているだけですよーって。文面だけ見れば結界暴きなんて一言も書いてないし。
尤もバレバレなんだけどね。彼女、馬鹿だから気付いてないけど」
あれ。意外と結構、すらすら言葉が出てくる。
「それにしたってさ、あんな誰とも判らない感じで話しかけてこなくても。結界暴きの事は隠しつつ、普通に話をしてくれば」
「ああ、実はね」
ちょっと不思議。私、こんなに嘘をつける子だったんだ。
「彼女今、用があって実家に帰ってるんだけどね」
「え。じゃあ居ないんだ、京都に」
成る程。道理で。
小さな声で、そんな言葉が聞こえてきた。妙に何かを得心した様な表情を見せる彼女。
「成る程って、何が」
「あっ。
ううんっ、ううん!」
特に大した意味も無しに軽く聞き返したつもりが、何故だかいやに大慌てで、ちょっと顔を紅くさえしながらぶんぶんと手を振られる。
ええと、そこまでオーバーな反応をされる様な話の流れだったかしら。今のって。
「いやほらね。ハーンさんと宇佐見さんってさ、いっつも一緒にいるじゃない?
なのにさ、今こう、ハーンさん一人だけだし、もしかしてちわ」
そこでぴたりと止まる。しまった、なんて顔になって慌てて両手で口を塞ぐ。
って言うか、ちわ?
「いやじゃなくてね、じゃなくてねっ。
私は別にそういう風とか思ってないよ?」
いや、そういう風ってどんな風?
「あ、そういう風って言うのは、別れた……っじゃなくて、一緒じゃない理由の事についてとかじゃなくて、そもそも二人の関係について私は別に変なこと思ってないとかそういう事でっ」
こっちからは何も訊いてもいないっていうのに、しどろもどろになって何かの言い訳をする依頼者の少女。
うん、何て言うかこう、お蔭で彼女が私達をどう見てるか、とってもよく判った気がする。勘弁して頂戴。
「ほんとほんと、私は別に何とも思ってないよ?
ただほらさあ、結構周りの子とかはね、たまに噂してるって言うか、ハーンさん達いっつも二人一緒だし、いや、別にそれ位は珍しくもないけど、でもよく夜中に一緒に出かけたりするらしいし、ハーンさんって外国の人だし、もしかしたらって、そういう」
「ああ! ああ、ごめんなさいっ」
わざとらしく大声をあげて話を切る。でないとこの子、いつ迄だってこのまま喋ってそうなんだもの。
「話、続けても良いかしら」
参ったなあ。私達ってそういう風に見られてたりするんだ? しかも今のこの子の口振りからすると、彼女以外にも同じ様な事を考えてる人間が居そうな訳で。
まあ確かに、いっつも一緒の女の子二人って、それ位ならよくある話、普通に仲の良い友達だけど、それが深夜に人気の無い所へ、しかもちょくちょくと出かけている、とくれば、どうにも少々怪しい感じがしてしまうのも仕方が無いのかもしれないわね。
ああもう。これも全部蓮子のせいだわ。
「あ。ちなみに基本宇佐見さんがリードする方なんだけどそれで振り回されてばっかりのハーンさんが偶に爆発したりしてその時は結構かなり凄い」
「話っ!」
「っうぃ」
「続けさせて頂いても宜しいかしら」
何その設定。そんなものまで出来上がってるの? しかもそれが複数人の間で噂になってたりしてる訳?
ほんともう、勘弁して欲しいわ。これも全部あの馬鹿のせい。帰って来たら徹底的に絞ってやる。精神的にも物理的にも!
……って。
物理的って何よ、物理的って。何だか凄い嫌な絵が浮かんできた。
目の前で自分を題材にした変な話をされて、それに添った方向に思考が逸れたのかしら。
結構、人の話に影響受け易いのかなあ、私。
っと、それは兎も角。
どこまで話したのだったかしら。ええと、確か。
「そう。それで、蓮子は東京に帰ってる。だけど」
だけど。
だけど。何だろう。
蓮子は居ない。京都に居ない。私の傍に居ない。それは事実。
そんな事実に対して、だけどって、逆接を繋げて、否定して?
そうして私は何を言う?
「ううん」
私は首を振った。振っていた。何かを否定した。
「きっと」
きっと、って言った。私。
それは推定? それとも願望?
目の前の少女を安心させる為の適当な作り話の中で、何を私は言おうとしてるの?
「多分、ね。
予定が早まってもう帰ってきてるのよ。こっちに」
「多分って。ハーンさんはまだ会ってないの」
「ほら彼女、ご存知の通り変人だから。きっと私を驚かせようと思ってるのよ」
いやいや、それは流石にちょっと強引過ぎるでしょう。思わず内心、自分で自分にツッコミを入れてしまう。
でも。
「実はね、彼女が東京に戻る直前に一件、不思議な話の調査に取りかかってて、で、彼女はそれを途中で放る形で実家に戻ったのだけど」
強引だと判っているのに言葉が止まらない。何でだろう。
相談に来た少女を、根拠の無いまるで無意味な不安に取り付かれた少女を、何でも良いからとにかく安心させてあげたい。だから?
「蓮子ってばきっとね、予定外に早く帰って来れたものだから、これはチャンスって感じで、未だ東京に居るふりをしつつ一人で密かに調査を進めて。
それで見事解決したらひょいと姿を見せて、実はとっくに京都に帰って来ててしかも調査も終了してたのです参ったかーメリー、って、そう言って私を驚かせるつもりなのよ。きっと」
「えー。でもそれって何ていうか、かなりのその、ちょっと、面白い人と言いますか。ええと」
「良いわよ、はっきり変人って言っても。
ま、付き合いの長い私だから言えるのかもだけど、彼女本当、そういう下らない事をするのが大好きな変人だから」
そう。蓮子はそういう奴だから。
きっと、そうなんだ。
「実際ね、彼女が実家に帰ってからこっち、私何回か連絡してるんだけど、一回も返事が無いし」
「それって。
下手な受け答えをすると帰って来てるのがバレかねないから、いっそ完全にダンマリ決め込んじゃってるって事?」
「大当たり。貴女も判ってきたじゃない。蓮子の事」
「いやあ、あはは」
そう言って頭に手を当てて笑う彼女。
良かった。どうにか無理矢理にだけど、話、通せたみたい。さっき迄の不安な様子は見えなくなったし。
良かった。安心した。
安心した彼女を見て、私もとても、とても安心した。
「ああでも、宇佐見さんてば全く、困った人よねぇ」
彼女は安心してくれた、それは、彼女が納得してくれたという事。今の話を。
「私、結構本気で怖かったんだから」
今の話は私が適当に作った話。でもそれに対して彼女は納得してくれた。蓮子の事なんて噂程度にしか知らない彼女が。それもアリだって。
つまり、今の私の話にはそれだけの信憑性があるっていう事。実際にあってもおかしく無い話だっていう事。
と言うより、きっと、本当に、今の話が真相に違いないんだ。
だから私は安心できる。安心して良いのよ。変な事ばかりを考えて、無駄に胸を乱す必要なんて無い。馬鹿馬鹿しい。
「幽霊にでも会っちゃったのかと思って」
無いんだから。何も、何も怖い事なんて。
◆
「にしてもアレ、結局何だったのかしら」
本日の活動を無事に終え人気の少ない深夜の道を二人歩く。隣では今一つ満足の言っていない顔でぶつくさ言っている相棒の姿。
「結界、だったのには間違いないのよねぇ。メリー」
確かに。
結界には違いなかった。けれどもとても小さくて、そして。
「なのに何で、何処にも繋がってなかったのよー」
私達の大学からさほど遠くない所に在る、何処ぞの有名教授と同じ名を付けた大きな公園。車道を跨ぐ大きな鳥居がチャームポイント。
その公園の片隅で、私が小さな結界を見つけたのは昨日。でもって早速今日には調査開始。そして終了。
相棒の行動力の高さには本当、呆れると言いますか驚くと言いますか。彼女、連休は初日から実家へ戻るって言ってなかったかしら。
明日がその初日なのだけど。て言うか正確にはもう、今日。
「まぁどっちみち、繋がってたとしてもあの大きさじゃ通れたかどうか微妙だけど」
結界を見つけたのは単なる偶然だった。
公園には図書館や美術館、更には動物園なんかも在って、昼間ならばいつ来ても市民観光客ないまぜの大賑わい。学校からも、自転車なら余裕、歩きでも時間をかければ何とかなる距離なので、私と相棒もよくやって来る。
そうして昨日、ふとそれが目に留まったのだ。運動場の片隅、注意して見なければ見逃してしまいそうな小さな結界が。
ううん。実際、何度も見逃していたのでしょうね。それが偶々昨日、目に付いたというだけの話で。世の中そんなもの。ドラマチックな理由なんて滅多に転がってはいない。
ちなみに実を言うともう一つ、公園の周辺で結界は見つけていたりはするのだけれど。
そちらの方は相棒には伏せておいた。正直、ちょっと面倒な事になりそうな気がしたから。
「まぁ一応戦利品が在ったには在ったんだし、それで我慢するかぁ」
私の手の中にある戦利品とやらに目を移して、隠しもせずに大きな溜め息をつく彼女。
結界のあった場所は、相棒の調べた所によると古墳時代の墳墓跡だった所だそうだ。で、そこに眠っていた埋葬品は既に掘り起こされ市内の別の場所に移されているという。
そうした話だけでもう、この場所に対する神秘性なんかが大分に薄れてしまっている気もする。幽霊の正体見たり枯れ尾花。その枯れ尾花も撤去済み。何だかなぁ。
とは言え、結界が在ったのは事実。
尤もその結界は本当に小さくて、子供一人なら何とか入れそう、と、その程度。しかも私が手で触っただけで、あっさりと開いてしまった。別に何をしたという訳でもないのに。
それだけ弱いという事なのか、はたまた余りに古く、既にその効を維持し続けるだけの力も残っていなかったのか。
そうしてその開いた先が特に何処へと繋がるという訳でもなく。
言うなれば地面に無造作に掘った小さな穴へ、ただ単純に蓋をするかの如く結界がかけられていたというだけ。
どうもその事が、異界を見る事を望む相棒のお気には召さなかったらしい。
それでも、本当に何にも無かった訳でもない。たった一つ見つかった物。それが今、私の手の中にあるコレ。
「羽、なのかしら」
小さく呟いて相棒の反応を待ってみる。
「羽、でしょうね。どう見ても」
そう。どう見ても羽だった。それが結界を解いた穴の中に。
という事はつまり、あの結界はこの羽を封印する為の物だったのだろうか。この羽は、それほど重要な意味を持っているのだろうか。
「古墳時代の遺跡に在ったって事は……貝塚みたいなものかしら。鳥を食べて、そのゴミを捨てたって感じで」
「そんな物に一々結界で封はしないでしょうに」
私の冗談を前に両手使って肩竦め、オーバーアクションで呆れを表現する相棒。
そうしてから少し得意げな顔で自分の推理を披露する。
「ま、埋まってた状況からして何かしらの呪術的な意味はあるんだろうし。だとしたら取りあえず考えられるのは装飾品ね」
「見事に根拠の無い推論よね、それ」
「冠か。はたまた、ううむ、矢羽、とか」
こちらの話も聞かずに、一人ああだこうだと首を捻る。けれども、判断材料が少なすぎるので何とも言えない。正確には、何とでも言えるけど断言は出来ない。
そんな事より寧ろ、私が気になるのは。
「何でこれ、封印されていたのかしら」
何かを封印するという行為は、その何かが表に在っては不味い事情があるからこそ行われるものなのだろう。
だとしたら、もしかしたら。
「私達、出してはいけないものを出してしまったのかも」
そんな私の言葉を聞いて相棒は小さく笑った。どうも彼女には、今の言葉も冗談に聞こえたらしい。
「いやでもさぁ。その羽にそんな、とんでもない力だとか何だとか、別に感じないわよ?」
そんな事を言いながら彼女は笑う。
「ちょっとそれ、楽観的も過ぎるんじゃないかしら」
ほんのちょっとの苛立ちの色を含んだ私の声。
力を感じない、と、彼女はそう言うが。
私達は単なる学生。修行を積んだ陰陽師でも神職でも僧職でもない。確かに二人とも異能は持っているしオカルトサークルとしての活動もしているけれど、それも単なる学生レベルの話。
言うなれば、ちょっと特殊な素質を持っているだけの、只の素人。
この羽が特殊な力を持っているかどうか。それが危険なものなのかどうか。その判別すら付けられる理由が無い。
それに例え、この羽自体が只の飾りか何かだとしたって。
「さっきの所、単に私達が気付かなかったってだけで実は怖ろしい何かが潜んでいて、それが私達のせいで出てきちゃったとか。そんな事があったりして。
この羽は、その怪物を封印した時の矢に付いていた、とか」
冗談めかして言ってみる。実際、今の話に何の根拠も無い。適当な作り話。
でも、それを完全に否定できる材料もまた、無い。
はっきりしている事は二つだけ。
一つは、あの場所には確かに結界がしてあったという事。
もう一つは、私達はそれほど大した力を持っている訳ではないと言う事。
万が一危険な何かが潜んでいてもそれに気付ける自信は無いし、それと戦う事も出来やしない。
「ああ。言われてみれば確かに、そうかもね」
「え」
一瞬何を言われたのか判らず、何に同意をされたのか判らず、間の抜けた声を出して固まってしまった。
「私らが不用意にやった事が、何かとんでもない面倒事の引き金になってしまった可能性も無きにしもあらず、か」
意外だった。お蔭で言われた事の意味を理解しても尚、私は巧く言葉を返せないでいた。
だって相棒の性格からして私の話、絶対に笑い飛ばされるだけかと思っていたのに。
「だったら今度からはちょっと、自重しましょうか? 結界暴き」
これまた意外。何だろう、彼女、何か変な物でも拾って食べたのかしら。
でもまぁ、こっちとしてはありがたい話。
正直、私はあちこちの結界にちょっかいを出す今の活動に少々乗り気ではなかったりもする。
結界というのは、触れてはいけない場所だからこそ施してあるもの。それを暴くという事は、危険な何かと遭遇する事に繋がってしまうかも知れないのだから。
あと単純に、一人で重い墓石を動かす羽目になるとか、そういうのが気に入らないし。何かいっつも私だけが損を見てると言うか。
「んじゃあ、やめよっか。秘封倶楽部」
……ちょっと。何それ、いきなり。私の心の中を読んだかの様な、でも実際は全然読めてないその言葉。
「別に、私はそこ迄」
「いやいや、中途半端は良くないでしょ。だからここはきっぱりと」
ちょっと待ってよ。
そりゃ確かに私、今の活動に少々の不満はあるけれど、それはあくまで少々と言うか、あくまで今の活動内容についてだけの事と言うか。
彼女と一緒に何処かへ行って、何かをして、そういう事それ自体が嫌な訳では無いのだし。
ただ何をするにしても、もう少し慎重にした方が良いって言うだけであって。その、ええと。
ああ、駄目だ! 予想外の返答に、頭の中が、胸の中がざらついて、ぐちゃぐちゃになって、巧く言葉が出せない!
「って言うかさ、メリー」
いや、でも。そう、落ち着け、落ち着くのよ、私。
何もこれ、もう二人は絶交だとか、別にそんな話を切り出された訳でも何でもないじゃないの。何を早とちりをしてるのよ。
ただ秘封倶楽部を、今の様な無茶な活動をやめようって言ってるだけでっ。
「ホラー物の映画や何かだとさ、こういう、それ迄散々馬鹿やってきた連中が今更ながらに行いを改めましょーとか何とか、そういう流れは」
そうよ。別にお別れしようって話じゃぁないのだから。何も焦ったり怖がったりする必要も無い。
これからだって私は、このちょっとお馬鹿でお調子者で、でもまぁ、一緒に居れば結構楽しい、そんな相棒といつ迄も。
「手遅れってのがお決まりのオチよねえ」
何かを嘲るかの様に奇妙に弾んだ声。それが私の耳に届いた瞬間。
「え?」
見えなくなった。彼女の姿が。
「何? え、えっ、え?」
何が何だか判らない。黒い雲の様なもの。彼女の姿が黒一色に染められていく。腕も足も顔も何もかも。
もはや彼女が誰だか判らない。それが何だかすら判らない。
「さようなら」
いきなり過ぎる。話の流れがまるで掴めない。
ちょっと。嘘でしょ。ふざけないでよ。何これ、待ってよっ!
◆
「蓮子っ!」
◆
「冗談、じゃないわよ……」
何て言うベタ。テレビなんかじゃ良く見るけれど、現実に自分がやってしまったのなんて初めて。大声上げて夢から飛び起きるなんて。恥ずかしい。恥ずかしすぎて、正直笑える。
……ううん、笑えない。いくらなんでも、余りにもベタ過ぎて。
誰よ今の。今の筋書き考えたの。どうせお先見え見えのベタな展開にするのなら、せめて呆れて笑えるくらいにしてちょうだい。
って言うか。
うん。判ってるけど。自分の夢なんだから、その筋書きの出所が何処か、だなんて。そんなの、当然。
「本当、笑えないわよ」
ベッドから身を起す。丁度視界に入る鏡台。そこに映る私の顔。
思わず目をそらした。その余りに酷い姿に。
馬鹿らしい。こんな不細工を見せなきゃいけない理由なんて、何一つ無いっていうのに。
「馬鹿」
送信履歴ばかりが溜まっていく一方のケイタイを握りしめ、私は独り呟いた。
ちくしょう。私のキャラじゃないよ、こんなの。
◆
「そう言えば昨日会ったよ、宇佐見さん」
何の不思議も躊躇いも感じさせる事も無く、ただ日常の一コマを何の気も無く他愛の無い会話のタネとして載せるように、あっけからんと彼女は言った。
俄かには信じられなかった。だって、彼女が帰って来るのは今日の夕方、そう聞いていたのだし。
ううん。それ以前に。
「またやってた。密かに不思議調査」
大型大型と、始まる前には随分と長大なイメージばかり膨らんでいた連休も、気付けばあっと言う間に最終日。
休み中も開いている学校の図書館で、特に何をするでもなく只ぼうっと本を眺めていた私の所に、件の依頼者の少女が親しげに声をかけてきた。たまたま私を目にして、先日のお礼ついでにちょっと面白い話を、という事だった。
それが今の話。全身黒づくめの格好をして、暗くなった夜の大学、独り境界の場所を聞いて回る少女の話。
宇佐見蓮子の話。
「ハーンさんはまだ会ってないんでしょ」
きっとまだバレてないつもりなんだねぇ、本人としては。そう言って彼女は悪戯っぽく笑った。
「ねぇ、それ」
そんな彼女に、私はどうしても訊ねずにはいられなかった。
「本当に、蓮子だったの」
「ふぇ?」
彼女は不思議そうな顔をして言葉を詰まらせた。
当然、でしょうね。
謎の黒いのの正体が蓮子。そう言ったのは私だ。何だか強引だけど、一応の筋は通っているっぽい理屈を付けて。
そうして彼女は昨日、実際に蓮子と会った。以前と同じ様な状況で、以前と同じ様な事を訊かれて。
それを私に報告してみれば、何故だか怖い顔で、本当に蓮子だったか、そんな事を質問されてるんだから。
そう。きっと今、私、凄く怖い顔してる。
「間違い無いって。ほら、掲示板のポスターに宇佐見さんも写真載ってるじゃない。
こないだ話をした後にさ、なら今度黒いのと会った時は確認してやろうって、そう思ってしっかり写真の顔を覚えたんだし。
間違い無いって」
そうして彼女は更に畳み掛けてくる。見たのは自分だけじゃない、と。
先日の相談の後、私から聞いた話を彼女はクラブの友人や先輩、その他聞き込み調査に協力してくれた人間に話して回った。そうして話を聞かされた者の内、また数名が暗くなった構内及びその周辺、そこで黒い何かに出会ったと言う。
その数名には、以前にも黒い何かに遭遇した者、今回が初めての者、どちらも居たのだけれども、皆がそれを蓮子だ、と、そう口を揃えて言うのだそうだ。
「結局さ、本当、単に格好とか外が暗いとか、そういうのが理由で変に見えちゃってただけなのよね。
改めてさ、あれは宇佐見さんなんだって、そう思って意識して見てみれば、何て事も無い、普通に本当に宇佐見さんだったという」
世の中不思議なんて無いものね。そう言って彼女は笑う。
けれども。
信じられない。あんな適当に作った、強引に作った嘘の話が、たまたま、偶然にも、当たっていて? 本当に? 蓮子が帰って来ていた?
そもそも蓮子が東京に戻ったのは連休の初日。依頼人の少女が最初に黒いのを目撃したのは二日目。
ううん。それは、彼女が最初に目撃した日だ。先日の話を思い出す。確か、確認できた一番最初の目撃情報は連休初日。
そりゃヒロシゲを使えば普通に日帰りは可能だけれども、連休中は実家に居ると言った蓮子が、本当に私の言った通りにこっちに戻って来ている?
いくらなんでも都合の良すぎる話。そんなに何でもかんでも偶々で、偶然で、話が進められて堪るもんですか。
「ねぇ、何を話したの。何て言ってたの、あいつは」
兎に角、何でも良いから情報が欲しかった。何が真実か、何が虚構か。それを判断する為の材料が。
「何って、前と同じ。向こうへ行きたいって。それだけ言って、答えられないとさっさとどっか行っちゃう。
私さ、何やってんの宇佐見さんって、そう言ったのにさ。返事も無し。もうバレバレなのにねぇ」
困った人だ。そう言って笑う彼女の中では既に、これは蓮子の仕業という事で確定しているようだった。目新しい話は何も無い。
そう。蓮子の姿を確認できたという、その一つだけを除けば、以前とは何も変わらないその話。
なら私は、そこから判断するしかないんだ。私にとっての本当を。彼女の、今を。
「て言うかハーンさん。私、最初は結構本気で吃驚させられたんだし、その事ちょっと宇佐見さんに言ってやりたいんだけどさ。
連絡、やっぱまだつかない?」
「……そうね。つかない」
彼女は今、何処に居るのか。彼女は今、どうなっているのか。
「今日の夕方には京都に帰って来て、とりあえず学校にも顔出すって言ってたから。
掲示板のポスターにね、境界が見つかりましたって、すぐに体育館裏に来て下さいって、そういう風に書いておいたらどうかしら。
もし彼女がそれを見たら確実に釣れるから。後は皆して袋叩きにでもしてあげれば良いんじゃなくて」
抑揚の無い冷たい声。出してる私自身さえ、何て嫌らしい声なんだろうって、そう思う。
「なるほどハーンさん、あったま良い!
って、別にフクロにする気は無いけどもさっ」
そんな私の声に邪気も無く相槌を打つ彼女。胸が痛む。でも御免なさい。今の私にはこれが精一杯。
「体育館裏っていうのはアレだけど。うちの部室に来てくれ、でも別にオッケーよね」
「ええ。良いんじゃないかしら」
そんな事を言いながら、でも私は思う。
多分、蓮子は貴方達の所には来ないって。
根拠なんて何も無いけど、でも多分。きっと。
「それじゃ、失礼」
一ページも呼んでいない、題名すらもまともに見ていない本を書棚に戻し、軽く一礼をして場を離れようとする。
「あれ。ハーンさん、何処行くの? ハーンさんもさ、色々言ってやりたい事あるでしょ? だから私達と一緒に」
「ごめんなさい。私これからちょっと……そうね、図書館に用が」
「図書館って、此処じゃ」
「ああ。神社、かも。あるいは美術館とか、動物園とか」
そこ迄を聞いて、ああ、と彼女は手を打った。
「府立の方か」
正解。でも半分ほど。そもそも今日、あそこの図書館はお休みだし。
正確に言えば、私が目指すのはあの公園。図書館でも神社でも美術館でも動物園でもない。
そして、あの小さな結界の在った所でもない。
私が目指すのは。
「じゃあね、ハーンさん。あ、宇佐見さんが私らの所に来たらさ、ハーンさんは府立行ってるって伝えとくね」
「ええ、有難うございます」
残念だけど、それは無理だと思うわ。
だって、蓮子が来るのは、多分。
きっと。
……絶対。
◆
神亀の遷都が行われて以降、京都の夜は随分と冥くなった。昔を知っている大人の人は皆そう言う。
京都は、と言うかこの国は、緩やかに人口の減少を迎えている。人が少なくなれば、人の生み出す明かりもまた、少なくなっていく。
鉄筋コンクリートの高層ビルみたいなレトロチックな建造物は僅かになり、自家用車だなんて前時代的な交通手段を見る事も殆ど無い。
だから今の京都は昔に比べ、人の手の届かない、眼の届かない、そんな静かな闇が増えたのだと言う。
まるで私達の言う昔よりも更に昔、まだこの国に人じゃないもの達が溢れていた頃の夜みたいに。
……私は、まあ、遷都自体が生まれる前の話だし、その辺の感覚は良く判らないのだけれど。
一体何時間が経った事やら。ケイタイ持ってるから時計なんて付けてないし。そのケイタイの電源も切ってあるし。外が真っ暗になって、人の数が少なくなって。それで大体の時刻が推測できる程度。
まぁ、公園内、ちょっと探せば街頭時計くらい幾らでも在るのでしょうけど、正直時間なんて興味無いし。
て言うか本音、見たくないのよ。時計。
時計を見てしまうと、この私が、四月も過ぎたって言うのに嫌がらせみたいに寒いこの空の下、一体何時間……そう、何分じゃあないわよ、何時間。昼過ぎからずっと、日が沈んで外が完全に暗くなって人気が無くなるこんな時間まで! どれだけ馬っ鹿みたいにあいつを待っているのかって、それがはっきりと判ってしまうから。
何だかそれ、とても気に喰わない。何だか凄く、負けた気分になる。
ケイタイの電源を切っているのも同じ理由。
あ、あともう一つ。着信音が鳴る度に何度も何度もあの馬鹿を期待してしまって、そして何度も何度も裏切られていた、ここ数日間の情け無い自分を思い出したくないから。
でもね、そんな日々とはこれでもうさようなら。今日はしっかり決着、つけてやる。
まぁ決着って言ってみたところで、それが何に対しての決着か自分でもさっぱり判らないのだけど。
兎に角つけてやるんだから。絶対。
今、私の手の中に在るのは、あの日手に入れた小さな羽根。立っているのは、公園内に在る勧業会館の近く。二十世紀末に建てられた、結構歴史の在る建物。
色々なイベントをやっていて普段はとても賑やかな所だけど、そういう所って逆に、こうして人の居ない夜中になってから近付くと、そのいつもの姿との差異のせいもあるんでしょうね、とても、本当にとても気味が悪い。夜の学校が特段に怖いのと同じ理由、かしら。
普段は活気に溢れている。動いている。生きている。
それが今はこうして静かに、動かなくなってしまっている。そんな空気が感じられてしまって。
それにしても。
本当に誰も居ない。人っ子一人見えやしない。
これが昔の京都なら、幾ら夜になったとは言えここまで誰も居なくなる、なんて事もなかったのでしょうね。
でも、今の京都の夜は冥い。必要も無く外を出歩く人間は殆ど居ない。
極一部の変人を除けば。
あーあ。
これだけ長い時間、誰とも話もせずに独りで居ると、普段なら外に向けられる筈の思考が全部、自分の頭の中でぐるぐる回り始めて、どうでも良い事ばかり考え始めてしまう。
蓮子と連絡がつかないのはいつもの事。まぁ、今は独り実家に戻ってる状況なんだから、いつもとは違うんだから、だったらこういう時くらいはちゃんと連絡取れるようにしておけって、そう思わなくもないけど。
あの馬鹿にその辺の細かい配慮なんて無理だろうし。
そんな中、偶々事故が起きた。連休初日の夕方、東京のすぐ近くの横浜で。
それを偶々、私が目にした。横浜って結構大きい町だけど、それでも京都からは遠い地方都市。そこで起きた交通事故。こっちでは大きく扱われもしない。そんな事件を、偶々目にした。
そして偶々その犠牲者が、私の知り合いと一字違いの同姓同名だった。
全部偶々。偶然。別にそこに、何の不思議も無い。
京都からは遠い街での話だけど、大したニュースにもならないかも知れないけれど、でも今の社会なら新聞なりテレビなりネットなり、何かしら何処かしらでちらと目にする事があっても不思議じゃない。
そうしてそこに、自分の知っている人間に似た名前が在れば、その話が他の雑多なニュースに埋もれること無く目に付いてしまうのも、人の認識機能の問題からして当然。
全部当然の事。確かに変な偶然が重なりはしたけど、落ち着いて一つ一つ見れば変な話でもない。
……でも、本当に?
確かに蓮子は普段は京都に居るけれど、でも間違いなく東京の出身。そして実際、数日前に東京へ帰った。
東京と横浜はすぐ近く。あいつがちょっと出かけたとしても、そこに何の不思議も無い。
で、そんな横浜で、あいつが居てもおかしくない横浜で、たった一文字が違うだけの女性が死亡した。
そんな偶然、本当に起こるの?
そりゃ、宇佐美っていう苗字は珍しくはないと思う。でも、蓮子って名前は?
しかもそれが二つ合わさっているのよ?
一文字違いなんてそんなの、誤字って言われればそれまで。実際、宇佐見より宇佐美の方が一般的なのだから。
彼女が免許を持ってるかどうかは知らない。とりあえず、こっちで車に乗っているのは見た事ない。今のご時世、そもそも乗る必要が殆ど無いし。
でも大学生なのだから、別に持っていたところで問題も無い。おかしくはない。
車は流石に持っていないだろうけど、実家に戻れば親が持っているかも知れない。或いは、親戚のお姉さんから借りるとか。
そう、そうよ。
結婚式の最中とか、ううん、前後でも、とにかく花嫁さんが動けない時に、何かしらどうしても車を使わなくちゃいけない用事ができて、どうせ特にやる事もないからって彼女がその用を引き受けて、お姉さんの車を借りて。
そうして普段、京都に居る時は車なんて乗らないし、それでまともな運転ができる筈も無いし。そうして。
そう、それで、車の中にお姉さんの荷物とかあって、そうしたら年齢や職業がお姉さんのと混じってしまったって不思議は。
ううん! それは流石に不自然。無理がある。
でも。
それが絶対に無いって言い切れる材料はあるの? 彼女が居てもおかしくない場所で一字違いの別人が事故に遭う、そんな偶然が起きる可能性と比べて、それはそんなにあり得ない様な話なの?
只でさえ自動車の少なくなった今の日本。歴史の資料集で見る昔の交通事故数なんて何かの捏造とすら思えてしまう今の世の中。
そんな中で起きた交通事故。数少ない交通事故。その数少ない中で、更に偶然が重なって似た名前の別人が犠牲者になるって、そんな偶然の起きる確率。それはそんなに高いと言えるの?
判らない。判断材料が少なすぎる。
どうとでも考えられるけれど、それを確かにする決め手が無い。
結局、私の思考は無意味にループを繰り返す。
ああ。蓮子と普段からちゃんと連絡が付きさえすれば、こんな無駄に悩まなくても良いというのに。
思わずケイタイの電源を入れてメールの確認をしたくなる。
でもやらない。どうせ入ってなんかいないんだから。また無意味に落胆を味わうだけ。私には判る。だって、今迄ずっとそうだったんだから。
ああ、もう駄目。こんな長い時間独りで思考を回していると、どうしようもなく心が衰弱してしまう。この寒空の下にずっと居るせいで、身体も辛い。
そうして心身の消耗は、どうしても思考の向きをマイナスの方向に傾かせてしまう。
マイナスに傾いた思考は、より一層精神を削っていく。
そんな悪循環が、けれども。
◆
『む、こう、へ』
◆
本当に下らない、正に無駄としか言い様の無い自分そのものの消費行為。そんな馬鹿げた行いが、やっと。
◆
『いき、たい、の』
◆
終わる時が来たようだった。
◆
「随分、遅かったじゃない」
背後から聞こえた声の主に向けて、ゆっくりと私は振り向く。
「ま、遅刻はいつも通りの事なんだけどね。貴方の場合」
出来るだけ平静を装う。彼女の前で揺れている私を見せるのは、何だかどうにも癪だから。
「ね、蓮子」
そうして私の視線の先、そこに在るのは紛れも無く、宇佐見蓮子の姿だった。
年頃の女の子なのに色気も無ければ可憐さも無い、そのままお葬式に行っても通してもらえそうな位の黒い格好。
姿形は紛れも無い。いつものあいつ。宇佐見蓮子。
でも。
「むこう、へ」
いつもとはまるで違う。
こちらの言葉に何を返す風でもなく、抑揚も無く同じ事を繰り返す。虚ろな視線。生気の感じられない目。
ああ。そっか。やっぱり。
こいつは、もう。
「こないだ、ね?」
手にした羽を視線の高さに上げながら、努めて明るい声を出してみる。
蓮子の視線が羽に刺さる。それは一瞬、少し歪んだようにも見えた。
「これを拾った時には黙っていたのだけれど」
黙っていた理由は簡単。だってそれは余りにもはっきりとしていたから。
理屈に出来る根拠は何も無い。ただ、そう感じただけ。境界を見るこの私の眼には、そう映ったと言うだけの話。
でも確信できてしまったんだ。
ここは通れる。通れてしまう。あちら側へ、ここではない何処かへ行けてしまえるって。
「ここからなら行けるわよ。向こうへ」
夜の闇の中に手をかざす。何も無い空間。少なくとも、普通の人の目にはそう写る筈のそこに触れてみる。
ううん、触れるって言うのはおかしいのかもしれない。そこには形としてあるものは何も無いのだから。
でも私にはそうとしか表現できない。
「今、開けてあげるから」
そこに在るのは確かな路。路はあれど、今その口は閉じている。
私以外の誰もそれを開けられはしないだろう。でも、私なら開けられる。簡単に。
これもまた、根拠の無い確信。
だってこれはきっと、只の扉に過ぎない。鍵の一つだってかかってなんかいやしない。
ただ、人々にはその手にするべき取っ手が見えない。だから開けたくても開けようが無い。
でも私には見える。だから簡単に開けてしまえる。それだけ。
そんな、とても単純なイメージ。そのイメージにそって手を動かす。
「はい。おまたせ」
そうして開く。何の障害も無く、誰の盛り上がる事も無く、極めて静かに、あっさりと。
ああ、これ。映画やら何やらだったらきっと、ご大層な演出が入るのでしょうね。そんな場面。お金と手間を存分につぎ込んだCGでも使って、視覚的にとっても栄える、とっても幻想的な光景が繰り広げられるのに違いないわ。私が監督でもそうするし。
でも現実はこんなもの。
光一つ発しない。音の一つも無い。開けた私の体に異変が起きたりもしない。
空間の歪みが僅かに強くなった。それ位の変化ならあったかも知れない。でもその程度、夜の闇の中ではっきりと区別の付くものでもない。そもそも、私以外の目には歪みそのものが写らないのだろうし。
そうした開いた向こう側への入り口。こことは別の世界に繋がる路。そこへ向かって。
「ちょっと」
躊躇いも無く一言発する事も無く無造作に歩を進めようとする彼女。思わずこちらの口から声が漏れた。
「ちょっとは、待ちなさいよ」
言われた通りにぴたりと蓮子の動きが止まる。まるで機械か何かの様。
「私に対して、さ」
彼女の前では出来るだけ平静を見せたかった。感情の揺れを見せたくはなかった。
貴方がどうなっても、どうなっていても、私としては別にどーでもいーんですけどね。そんな風の態度を見せ付けてやりたかった。
でないと私、彼女に負けた気になるから。
でも駄目だった。顔が引きつる。声に苛立ちが出てきてしまっている。
この私の目の前に立って、面と向かって顔を合わせて、それなのに口にしたのは向こうの世界への路の事だけ。
そうして開けてあげれば、後はもう、はい用無しですよって言わんばかりのこの態度。私はホテルのドアボーイか何かなのかしら。こいつにとって。
「何かしら言う事、有るんじゃないの」
もしかしたら蓮子は、それが出来る状態ではないのかも知れない。常から深く思うことの唯一つのみを、ようやっと誰かに伝えられる。それで精一杯。
そんな状態なのかも知れない。そうは思う。
そうは思うのだけれど、でもどうしても我慢できない。何か許せない。それは単なる私のエゴなのかも知れないけど。
「ね、あるでしょ? 言うべき事」
何を言ってほしい? 私は、何を。
『ありがとう』
……それは違う。欲しいのはそれじゃない。そんな当たり前の社交辞令なんか、そもそも彼女に求める気も起きない。
『今迄迷惑かけてごめんね』
……それも違う。て言うか、今この場面で、もしそんな事を言い出したら、多分私許せない。顔面一発、はたいてやるに違いない。そうしてその後に、きっと私。
違う。違うのよ。
彼女が、蓮子が、私に向かって言うべきなのは。私が、メリーが、彼女の口から聞きたいのは。
「あな、たも」
変わらずの抑揚の無い声だった。
「いっしょ、に」
長い間一緒に居た相棒に対してさ、本当、すっごく無愛想な声。
「くる、の」
それと一緒、差し延べられる小さな手。
その小さな手に目を落として、少しの間、何の返事もせずに無言で見詰め続けて。
それから私はゆっくりと視線を上げた。
「蓮、子」
そこに見えていたのは、さっきまでの冷たい無表情なんかじゃなかった
いつもの、いつもの彼女の笑顔だった。
自信満々で、人の言う事聞かなくて、いっつも強引で。
そうしてとても楽しそうで。
そんないつもの蓮子だった。
それは単に、私にはそう見えたっていうだけの話なのかも知れない。
他人は己の心を写す鏡。別に彼女に何の変化があったわけでもなく、彼女の姿を見る私の心が変わっただけ。
それだけの事なのかも知れない。
でも、それで良いんだと思った。
私の心が、彼女をいつもの蓮子だと見る事が出来た。それは、今の彼女の言葉を聞いたから。
多分。
おそらく。
きっと。
それが私の望んでいたものだったから。
長いお別れになんて、させやしない。
「行きましょう、一緒に」
言いながら、頬を伝う温かいものを感じる。
そうして私は彼女の手を。
◆
「この京都(まち)には、涙は似合わないわねっ」
◆
ピタリと手が止まった。ついでに頬を伝う温かい何かも。
いや、て言うか何? 何今のもの凄く場違いにテンポの良い声は?
今のこんな場面で、こんな事を言い出せる空気読めない奴なんて、私知らない。たった一人を除いて。
「人が居ないのを良い事にツレに無断で手ぇ出して」
誰かが来る。夜の京都を、靴音も高らかに、まるで空気の読めない五月蝿い声で喚きながら。
「勝手に何処かへ連れ去ろうとしてぇ」
黒い帽子で目元を隠し、でもその声にはまるで怒気を隠す風でもなく。
「そのうえ涙まで流させるたぁ、一体どういう了見よっこのコンコンチキめぇっ!」
何かもう、チャキチャキなんて今時死語を越えて保護すべき古典になってる言葉が、そのまま当てはまってしまいそうなそのノリ。
って言うか貴方の方だからっ。この京都(まち)に似合ってないのは貴方のそのノリの方だから!?
「さあ、お前の罪を数えなさいっ」
片手で頭上の帽子に手を当て、もう一方の手で私が話していたそれに向けて指を差す。その姿は。
「……やめて頂戴。恥ずかしいから」
紛れも無く宇佐見蓮子だった。どうしようもなく宇佐見蓮子だった。勘弁して欲しい位に宇佐見蓮子だった。
って言うか普段よりも更にノリが恥ずかしい事になってる気もするけれどっ!
「久し振りの再会だってのに随分ひどい言い様じゃないの。相棒」
鍔の下から覗くその悪戯っぽい視線。
いや、暗いしはっきり見えている訳でもないのだけれど、でも容易に想像が付く。付いてしまう。だって余りにいつも通り。
『あな、たも』
私と蓮子、二人の間に声が入った。
『く、るの』
今、こうして相棒を目の前に聞いていればはっきりとわかる。姿は兎も角、この声は蓮子のものではない。
「……っと、先ずはこいつね」
言って相棒が声の主を睨み付けた。遅れて私もソレに眼を遣る。
改めて目にしたソレは、もはや宇佐見蓮子でも何者でもなかった。人かどうかそれすらも判らない。
夜の闇の中にあって、それでも尚、黒いと思える何か。
色が黒いと言っても、何も黒ずくめの格好をしている訳ではない。
そもそも、何が何だか判らない。何かが在るのは確かに判るのに、それが何なのかが全く判別できない正体不明。紙の上に描かれた絵に向かって墨汁をぶちまけた様に何も判らない。故に黒。
『あな、たたち、も』
そう。それは、私に依頼をしてきた子達が見たと言う、『黒い何か』そのもの。
『くる、の』
黒い何かが、そんな言葉を発しながらゆっくりと私たちに近付いてきた。
うん。まぁ。
深夜の人気の無い公園。レトロチックな建物裏でこの状況。普通に考えればとてもベタに思える位の怪談ノリなのだけれど。
「てやんでぃバーローめぃこん畜生!」
隣に居る彼女のせいでまるでそんな風に感じられない。見事に雰囲気ぶち壊し。
って言うか本当、何そのノリは? 実家に帰ったせいで地が出てきたの?
いや確かに私もさ、彼女の実家が東京だって聞いた時、それじゃあ地元ではべらんめぇ口調で喋ってたのかしらって、そう期待したりもしてたわよ。て言うか、正直今でもしてるわよ。
でも今のここは、夜の京都なんだけどなぁ。
「一人で勝手に」
そう言って拳をグーの形に握る蓮子。
……ってちょっと!? こんな得体の知れない何かに貴方まさかいきなり!?
「極楽にイキなさいなーッ!」
いっちゃったー!? 正体不明の怪物に対して女の子が真正面から拳骨で! これってもう確実にあれよね? 日曜朝にやってる子供向け番組の影響よね? 間違い無い。極楽とか言ったし! そういうの小さい頃から見て育ってるからこんな風になっちゃうんだわ、この国の子は!
「文字通りの無鉄砲!」
ってしまった! ついノリに引き寄せられて巧い事を!?
ってそーじゃなく!
「ちょっと大丈夫!?」
慌てて駆け寄る。うちの相棒は確かに特殊な能力持ち。でもそれはケイタイの一部機能の代わりになるとかその程度の代物。
ケイタイで怪物を倒せる訳が無い。ケイタイで何かに変身したら倒せるかもしれないけどっ。
とにかく逃げなきゃ! こんな怪物相手に、私達じゃどうする事だって。
と、思っていたところが。
「……あれ?」
思わず間の抜けた声が漏れてしまった。
自分より強い相手に下手な抵抗をすれば、無駄に激昂させて却って事態を悪化させる。
普通ならそう、だと思うのだけれども。
「あれぇ?」
相棒も同じ様に気の抜けた声を出す。どうも彼女にとってもこれ、予想外の事態の様だった。
蓮子に殴り飛ばされた怪物。黒い何か。
その半身が、抉り取られるようにして消えていた。
「え? 何? もしかして私、自分でも気付いてなかった更なる霊能力に目覚めちゃったとか何とか」
「じゃあなくって、これは」
相棒の言葉を遮る。って言うか流石にそれは漫画の読み過ぎ。都合良すぎ。
そんな不思議な話じゃない。もっと単純。
殴られた拍子に接触したのだろう。黒い何かの半身が、私の開いた結界の中に飲み込まれていた。
ともあれ、これはチャンス。
「逃げるわよ、蓮子っ」
「え? この状況で何で?」
「何で? じゃあないわよ!」
疑問形を口にしたいのはこっちの方よ。何でこの状況でそんな本気で不思議そうな顔が出来るかなあ!?
怪物が結界に嵌ってくれたのは単なる偶然。吹っ飛んだ先が偶々っていう話。運が良かっただけ。狙って出来る芸当じゃない。
「あいつの身体半分が結界に引っかかってる内にさっさと逃げるのっ」
「えー? でもあいつ、私のパンチ一発で簡単に吹っ飛ぶ位だし」
「油断してただけに決まってるでしょう!? 二度も三度も通じやしないわよっ」
「決まってるって、根拠も無しの断言なんてそれ、大学生にもなってちょっと感心できなくないかしら」
「事態は常に最悪を基本想定として行動するのは人間、って言うか動物として基本の話っ」
「そう言われれば確かにそうかも知れないか。
でも逃げるのはなー。このチャンスに結界を閉じて封印とかそういう方のが話的に盛り上がるんじゃない?」
「今この場面で盛り上げる必要なんてまるで無いでしょ!? あとそれに怖いし! 近付きたくないし! 弱ってる怪物にトドメさすつもりで近付いたらいきなり! なんてのはこういう場合のお約束でしょうっ」
「お約束の打破を常に考えてなきゃ人類に進歩なんて永遠に訪れはしないと思うの。
と言う訳で行け! 結界師メリー!」
「人類の明日より今目の前にある危機! って言うか勝手に人に変なジョブをふるな! そんなに言うなら貴方がどうにかしなさいよ」
「えー? 嫌よ、怖いし」
『あ、り』
私と相棒、二人の口がぴたりと止まる。間に割って入ったその声のせい。
しまった。私も人のこと言えない。怪物前にして下らない口論をしても、それはギャグシーンって事で時間事態の経過にカウントされないなんて間違った意味でのご都合主義、それこそ許されるのはお話の中だけだっていうのに!
『ありが、とう』
「はい?」
私と相棒、二人の声がぴたりと重なる。予想外のその言葉のせい。
『これ、で』
確かに言われた。今。お礼を。
どういう事? 殴られて感謝? もしかしてそういう趣味の人? 人じゃないけれど。
何も言えずに固まっている私達の目の前で、黒い何かの身体は少しずつ結界の中に呑みこまれていく。
「ちょ、待っ」
予想外の出来事に巧く口も回らない。それでも咄嗟にケイタイを取り出す。電源を入れる。
何が起きてるのかよく判らない。でもこれは、この正体不明の何かは、もう間も無く消えてしまう。それだけは判った。
その前にせめて一枚、写真を……!
『やっと』
慌ててケイタイを弄る私の前でそいつは極めてあっさりと、別に派手な音やら爆発を伴ったりもせず、静かに結界の中へと呑まれて消えてしまった。
ううん。と言うより、自ら入っていったんだ。
「……そう言えば、そうよね」
冷静になって考えてみれば。
あの黒い何かはそもそも、向こう側の世界に行く、それを目的としていた。
私に同行の意を訊いたのは、その、何と言いますか、私がまあ、ちょっとした勘違いの様なものをしてアレに言葉を求めたせいなのであって。うん。さっきはちょっと私、冷静じゃなかったかも、だし。
兎に角、同行を言い出したのはそもそもアレの意思ではない。だから、こちらから拒絶の反応を示されれば、アレとしてはもう、だったら別に良いけどー、てな感じでさっさと本来の目的を達してしまえば良い訳で。
「人間、冷静さが一番大事よねぇ」
思わず溜め息が漏れた。そうよね。ホラー物とかで事態が無駄に悪化する原因って大概がパニックになったせいなんだし。
本当、人間にとって冷静になるっていうのはとても大事な事なんだと痛感したわ。
そうして冷静になって考えてみれば。
「ん? 何よメリー。じろじろと」
こいつは、この宇佐見蓮子は、本当に本物なのだろうか。
確かに私はさっき、彼女を本物の、いつもの蓮子だって認識した。
でもそれは、あの黒いのに対してだってそう。勿論、雰囲気や喋り方に対して違和感を持ちはしたけれども、それに対しては自分の中で勝手に理屈付けをしてしまって、兎に角さっきのあの時点では、私は確かにアレを蓮子と認識してしまっていたんだ。
それと同じ間違いを今もまた犯している。そうではないと言い切れる根拠、果たしてあるのかしら?
確かめてみないと。
「ねえ、蓮子」
「何よ」
「好きな小説家は」
「レイモンド・チャンドラー」
「その中で好きな登場人物は」
「マーロウ」
「1973年の映画で演じたのは」
「エリオット・グールド」
「ここまで訊いてアレなんだけれども」
「何よ」
「そう言えば私、貴方の小説の趣味なんて全く知らないわ」
「にゃろう」
ごめんさい。何となくイメージで。つい適当に。
◆
「でさあ、メリー」
疲れを感じさせる相棒の声。引きつったその顔。
と言うよりも、わざわざ意識して引きつった顔を作って見せているわね、この感じ。すっごいオーバーな表情だもの。
こっちを見ろ。空気を読め。人の話を聞け。何で私がこんな事。
そんな事が言いたいのだろう。それが判るから私は。
「あ、すいません。キャラメルマフィンと苺チョコパイお願いします」
「無視するなー!」
満面の笑顔で店員さんにオーダーをお願いする。
「お一つずつで宜しいですか」
「はい、お願いします」
日曜の午後、この忙しい時間帯。それでも愛想の良い笑顔で応えてくれる彼女。
うん、流石に市内でも結構に有名なお店ってだけの事はあるわ。とっても気持ちの良い。はじめて来たけれど、うん、お気に入りに追加。
「て言うか何その両手にスイーツっ。そんなバカバカ食べてたらキュートなボディは手に入らないわよ? そしたらトキメク彼も手に入らなくなるわよ!?」
「この国では昔から言うでしょ。別腹。あとトキメク何とかについては別に興味も無いし」
「何色気の無いこと言ってるのっ。チョコパフェとかイケメンとかマジで夢中になれる年頃でしょうが、私達!」
「いや、この歳でイケメンに対してマジとか口にできちゃうの、ちょっと辛くない? そういうのは遅くても中学生までと言うか。
あ、でもチョコパフェは好き。すみませーん、追加お願いしまーす」
「……もう身も心もスイーツに溶けてしまえば良いわ」
「ああ、それもいいわね」
「貴方その内、スイーツ職人誘拐自宅監禁理由はお菓子好きだからとかそういう笑えるけど笑えない馬鹿事件起して新聞に載ったりしないでよ。
そうなっても私、他人の振りするから」
一気に話して少し疲れたのか、コップ一杯のお冷を飲んで溜め息をつく蓮子。
それを見て私も、ストローを口に自分の手元にあるグラスを空にする。ドロリ濃厚、甘い液体が喉の奥に染み渡る。ああ、幸せ。
「って言うかさあ、メリーが今ね、飲んでるそれ。ファミレスのドリンクバーにあるココアみたいにもう何杯も飲んでるけどさあ」
それがどうしたのかしら。欲しいなら自分も注文すれば良いのに。
「普通に一杯、六百円位するんだけどね。そのチョコレートドリンク」
そりゃそうよね。別にここ、スイーツバイキングでもないし。
て言うか結構高いお店。贈答用の果物盛り合わせなんかを扱っているお店の二階。カフェと言うよりパーラー。あまり、私達みたいな学生身分が来る様な所でもない。実際周りを見ても、もっと年上の女の人たちばかり。
ま、高いしね。でもそれに充分見合った味だから私は大満足。
でも蓮子の方は、さっきから一人でお冷の繰り返し注文ばかり。もうかれこれ三十分以上はお店に居るって言うのに。嫌なお客。
「さっき注文したパフェとかさ、その他諸々含めてさ、もう結構なお値段になるのだけど」
言われる私の前には高く積み上げられた無数のお皿……なんて事はないけれど。漫画じゃあるまいし。
店員さんがちゃんと、空になった物はすぐに下げてくれるから。
「それが何で全部、私の奢りな訳よ!?」
両腕振り回しのオーバーアクション。大声も伴って不満を表現する相棒。
静かに出来ないものかしら。周りのお客さんに迷惑じゃない。
「っつか人の奢りなら普通はもっと遠慮するもんでしょうが常識的に考えてっ。
なのにどうして、今日もこうして、チョコ食べまくる! くるう? 狂うっ!?」
「良いじゃないの。
親戚の集まり。それも祝い事。そこにわざわざやって来た普段は遠方に住んでる学生の女の子。
これだけの条件が揃えば叔父さん叔母さんお祖父ちゃんお婆ちゃんから可愛がられまくり。お小遣いも大量。
違うのかしら」
「そうだけどね。そうだけどもさっ」
「だったら大丈夫でしょ」
「いや小遣いっても実際は往復交通費込みで渡されてるからそんなでもないと言うか確かに払うには払い切れるかもだけどそういう問題じゃないと言うかっ。
だからね、何で私が」
「あ、このザッハトルテ美味しそう。これも追加でお願いしまーす」
「……あぁのねえぇっ!
いいっ加減にしないと、台東区より広い私の心もここらが我慢の」
「ケイタイよ」
声も動きもそこで一時停止。凍りつく表情。暫くして目をそらす。そうして大分にトーンを落とした声でぶつくさと。
「いやだからさあ、それはほら、言ったでしょ?
ケイタイの電池がさ、もうずっと弱くなってたけどそれがもう完全に駄目になって、完全に充電しても通話一回持たないくらいで」
「だったらさっさと交換すれば良かったじゃない」
「いやまぁ面倒だったから。計算機能とかアラームは普通に使えたしぃ……。
じゃなくてね、ちゃんとね、実家帰ってすぐさ、向こうでショップには行ったのよ。まぁ良い機会かなって感じで。
でもね、でもねっ」
「機種が古すぎてメーカーに電池の替えが無かった、だっけ」
「そうそう!
んで機種変更が必要になったけど、そこまで色々面倒する位だったら京都に戻ってからやった方が良いかなーって。
だからね、東京に居る間、メリーに連絡付かなかったのは仕方の無い事だったのよぅ」
まぁ確かに。そういう事なら。
なんて言うもんですか。
「それは、貴方の、ケイタイで、電話が、出来ない理由よね。
メールの受信は出来ていたんでしょう? それに一通返信する位は出来たんじゃなくて」
「や、その、メール一回も心許ない位だったと言うかぁ」
「充電すれば良いじゃない。て言うか電源刺して使えば良いじゃない」
「いや、充電アダプタこっちに忘れてて」
「だったら人の借りれば。て言うか、実家なら実家の電話を使えば」
「えー? いやさぁ、普段会わない実家の家族の前でねぇ、学校の友達と電話で喋るのとかちょっと恥ずかしくない?」
「子機くらいはあるでしょう。それを部屋に持ち込めば」
「……あ」
やれやれね。結局の所、電話が使えないない、何て言うのは下っ手糞な言い訳に過ぎないわけで。代替手段なら幾らでもあるわよ、今の世の中。
「面倒だった、なんでしょ。とどのつまりは。いつも通りに」
「ああ、ええと」
「正直にっ!」
「いやハイっ!
……っていや、まぁ、そうなんだけどぉ。
別に良いじゃない? ほらね、私に連絡が付かない、それいつも通りな訳なんだし。それこそメリーが今言った様に」
両手を合わせて小さく首を傾け、似合わない可愛らしいつもりポーズで、だから良いじゃない、そう言ってウインクしながら舌を見せる蓮子。
ああそうね。うん。なに変なキャラ作ってるのかしら。腹立たしい。噛め。噛んでしまえ。
確かにね。連絡が付かないのはいつもの事。でもね、今回は周りの状況がいつもと違っていた。それなのにいつもの話だなんて、そんな理屈が通じてなるものですか。
「メール、読んだんでしょ」
「ああ、うん」
「横浜で起きた事故の事、知ってたんでしょ」
「まあ。て言うか親戚の皆の間でも話題になったしねぇ。こいつぁ奇妙な偶然だって」
そう。私は彼女のこういう所が我慢できない。
そういった事故があって、ちょっと、ちょっとだけど心配になって連絡してきた友人に、それでも面倒だから別に良いや、そう考えて返事もせずに放置しておくその根性が!
「いやね。でもね。ほらさ?
苗字が一文字違うし、年齢や職業に至っては完全に違うし、どう考えても別人じゃない」
うん、それは判ってた。
「しかもさ、そこ迄の情報がマスコミに流れる位の状況になったら、確実に学校の方にも連絡が行くし」
うん、それも判ってる。だから事務に確認もしたわ。
「状況色々鑑みれば私じゃないって事は確実。誰にだって判る。それなのに一々私じゃないですよーって連絡入れる必要も無くない?
京都戻って顔合わせてから直に話せば良いって言うか」
だからね、だからそういう根性が気に入らないのよ。配慮の無さが我慢できないっ。
確かに私も思ったわよ。ほぼ間違い無いと思ったわよ。別人って。
「誰かを思う時その人からメール来る! 以心伝心ってマジ普通にあるじゃん!
ってそういう夢見ること言ってしまえる歳でもないでしょ、私ら。だからさ、別にそんな、数日くらい連絡とれなくたって別にねえ、何をどうこう言う程でもないと思うわけよ。実際」
間違い無く別人だとは思った。
でもね。絶対の確証がある訳じゃない。もしかしたら何かの間違いがあってしまったのかも知れない。
それを確かめようと連絡したのに返事をしない。
「なのにさあ、それくらいの事でここまで怒らなくっても。
週一で堪忍袋の緒がブチ切れたりしてる中学生でもあるまいし。私達はもう大学生よ? もっと大人になって然るべきじゃあないのかしら」
こっちがどれだけ心配してたか、まるで判ってないし判ろうともしない!
「だからね、メリー。
ほら、何か言ってよ」
何か言って、って。
判った、もう良いわ。そんな言葉でも期待してるのかしら。
て言うか期待してる。私の顔を覗きこんでる彼女の眼。何て言うか、とてもキラキラしているわ。邪気が全く感じられない。
ああ、もう。仕方が無い。
「すみませーん。このケーキプレートセットに載ってる五種類、セットじゃなくて全部単品でお願いします」
「どんな嫌がらせよ、それ!?」
嫌がらせ、ねえ。
そうね、嫌がらせかもね。そうかも知れない。でもね。
「無精者の誰かさんのせいでここ数日で削られまくった心と身体、こうして糖分を大量摂取しないとやっていけないの。
判る? 脳の疲労回復には糖分の摂取が一番」
「うぐう」
セットを単品で頼んだのは完全に嫌がらせだけれども。
「て言うかさあ、そんなにあれこれ言うくらいだったらメリー、貴方も東京に来れば良かったじゃない。ヒロシゲ使えば一時間もかからないんだし」
「東京へはすぐに行けても、貴方の家が判らない」
「何よ。前に一回、一緒に行ったじゃない」
「そう、一緒にね。つまり一人じゃ判らない。土地勘も無いし、一回じゃ道も覚えきれない」
「だったらさ、学校の事務にでも言ってウチの住所を聞いて、あとは地図を見ながらでも」
「今のご時世、学生の、それも実家の住所を事務が簡単に漏洩する訳ないでしょう」
「そんなのほら、メリーだって同じ学校の人間なんだし、私とは友達なんだって説明すれば」
「小中学校ならまだしも、大学じゃ同じ学校の人間だからって別の学生の個人情報は漏らさない。私と蓮子が友人だって言っても、そんなの事務の人は知らないし、こっちも証明書がある訳でもない」
それでももしかしたら、やろうと思えばやれたのかも知れない。
事務の人に駄目もとで聞いたら、教えてくれる可能性だってゼロではなかったかもしれない。でも私は訊ねなかった。
それ以外にも彼女の家を知る方法、私にはちょっと思い付かないけれど、でも何かしらあったかもしれない。地図と睨めっこしていれば、或いは実際に東京に行ってみれば、そう言えば、っていう感じで道も思い出したかもしれない。
でも私は行かなかった。
多分それは勝ち負けっていう感情。馬鹿みたいだけど。
メールで、電話で、どれだけ離れていたって簡単に連絡が付く今の世の中。
それなのに、そんな簡単な事さえしてこない蓮子に対して、私の方からわざわざ、あれこれの手間をかけて色々な手を打って出向く。それが、ちょっと許せない。負けた気になる。
ま、そんなこんなで変に意地張った結果、無駄に思考の迷路に嵌りこんで挙句、危うくあの黒いのと道連れになるところだったのだけれど。
本当、馬っ鹿じゃなかろうか。私は。
「まぁ、この話は一旦置いておいて」
そうやって切り出した私に向けて、何か期待した目を向けてくる蓮子。
ああ、これはあれね。もう勘弁してくれる訳ですね! そんな風に期待してる眼だわ。
「置いておくだけ」
はっきり釘を刺しておく。途端、しゅんとなる相棒。本当、彼女ってば判り易い。犬か何かみたい。
ま、正直私としても連絡云々の話はあまり続けたくないし。だってもう、自分で話しててイライラしてくる。
人の気持ちを考えられない彼女と、そんな彼女にまるで依存してしまってる風にも見えかねない自分、その両方に対して。
ああもう。私ってばこんなキャラだったかしら。
「でもさぁ。
メリーがピンチのここぞ! って時にはバッチリで助けに現れたんだしぃ。
それでチャラって事でも」
まだ何か言ってる。
ああ。でもそう言えば。それちょっと、気になっていたのだけれど。
「本当にぴったりのタイミングで出てきたわよね」
「ちょっと格好良かったでしょう。惚れた?」
「本当に。
ぴったりの。
タイミングで。
出て来たわよねえ」
「……いや、まあ」
「これがテレビや何かだったら、ちょっとベタ過ぎよね。捻りが無い。そう、脚本を書いた人に言ってあげたい」
「その、ほらねぇ」
「脚本を書いた人に言ってあげたい」
お待たせしました。小声でそんな言葉が聞こえた。店員のお姉さんがさっき頼んだマフィンとパイを持ってきていた。
さっきまでと違って随分と小さな声。視線も合わさないし。そうしてそそくさと立ち去る。何でかしら。
「いやあのね? 別にその、そんな色々あれこれ捻った結果ではなくて、その」
こちらのプレッシャーに屈したか、しどろもどろで言い訳を始める彼女。
そんなのは只の偶然だ! って、そんな感じで乗り切れない、乗り切ろうとしないのは、まぁ美点だとして感心はするけれども。
「こっちに戻ったのは夕方前だったしさぁ。とりあえずちょっとね、まずは学校に顔を出してみたの。
そしたらポスターに結界が見つかった、なんて書いてあって、慌てて呼び出し場所に言ったら、何かまるで面識も無い子達に囲まれてあれこれ文句言われて」
あの子、本当にポスターに書き込みしたんだ。で、こいつ、本当にソレに釣られたんだ。
「話を聞いててもまるで理解できない。秘密の調査が何だとか。
で、そんな変な事を言い出したのは誰よって聞いてみれば、メリーがそう言ってたって。
これはちょっと、メリーに文句の一つも言ってやりたいなって、そうしたら集まってた子の一人が」
『そう言えばハーンさん、府立の図書館に行くって言ってたけど……何だか凄く、怒ってる、って言うか、何だろう。思い詰めた様な感じで』
やだ。私あの時、なるたけ平静は装っていたつもりだったんだけど。そっか、あの子がそんな事を。
ううむ、今冷静になってから思い出すと、ちょっと、て言うか結構かなり恥ずかしい。
「それで何か少し心配になってさぁ。メールしたけど返事が無い。ケイタイは電池がアレだからわざわざ公衆電話からかけてみたけど繋がらない」
……ああ、そう言えばその頃、電源切っていたっけ。
「いよいよちょっとおかしいぞってなって。
すぐに図書館に行ってみたけど見事にお休み。取りあえず周りをグルグル回ってみたけど見つからない」
まぁ、図書館っていうのは適当に言っただけで、実際は勧業会館の裏辺りに居たし。
「あの羽があった小さな結界の所かもって、そこにも行ったけどハズレ。
もうこうなったらって、とにかく公園内を隅から隅まで駆けずり回って、で、気が付けば人気も無くなってもう真っ暗」
ええと、何だろう。何だか話を聞いていたら少し罪悪感が湧いてきた、かも。
私はこの数日、ずっと宇佐見蓮子を探していた。
そうして彼女も、結構ちゃんと私の事、探してくれていたんだ。
それなのにケイタイの電源切ってたり、変な情報を残したりで混乱させちゃって。
「あの、蓮子?」
「んでこれはもう流石に公園には居ないかなぁって、そう思って帰ろうとしたその矢先」
「何て言うか、その、私もちょっと」
「……見つけちゃったの。変な黒いのが徘徊してるのを。
おお、これは何か面白そうな匂いがって、そう思ってそいつを尾ける事にしてみたのよ」
……ええと。話が何か逸れてきた気が。
「そいつが何者かっていうはね、もう本当真っ黒で正体不明のUNKNOWNって感じで判らない。そしてそれ故に面白そう。
でねそいつ、どうも足取りがハッキリしないと言うか、何かを探してる感じというか。ずっとふらふらしててね。
いつまで経っても中々事態が進展しない。何も起きない。かと言ってこちらから下手にちょっかい出して逃げられたら勿体無い。
そんなこんなでずうっと黙って後を追ってたら、ついに」
「私に、辿り着いた?」
「ビンゴ!」
何故か嬉しそうに親指を立てる。
ああ、うん。その。
彼女のこの正直さ、やっぱり美点でも何でもないって気がしてきた。
「すぐに顔出そうかなあ、とも思ったんだけど、それより暫くは隠れて様子見てた方が面白そうかなって」
つまりはアレだ。彼女の中での優先順位は私よりも面白いもの。そういう訳か。
私はこの数日、ずっと宇佐見蓮子を探していた。でも彼女が探していたのはUNKNOWNと、そういう事か。
「でさ、暫く見ているとさ、何かメリーがアレの事を私だとか言い出して、しかも一緒に向こうへ行くとかそんな流れになって、そうこうしてる内に段々とそいつの姿がハッキリと」
「すみませーん。メニューブックに載ってるやつ、とりあえず全部一つずつ」
「ってぅおいっ!?
嘘ですジョークです! 今のは気にしないで下さいっ!」
大慌てで店員さんに向かって手と首をぶんぶん振る蓮子。店員さんの方も流石に本気にはしなかったのだろう。何も言わずに苦笑を返している。
……私は結構、本気だったんだけど。
「メニュー全部って、そんなの現実で言う人間はじめて見たわよ」
「なら良かったじゃない。面白いものが見れて」
好きなんでしょう、面白いもの。
「て言うかさあ、今話してて思い出したんだけど。
何かメリーばっかり一方的に怒ってるけどさ、私もちょっと、ううん、結構、あれは腹立たしいものがあったわ。うん」
腹立たしい、と。
今、この場で、彼女が、どういう理論展開を踏んで、どんな風に場の空気を読んだらそんな言葉が出せるのだろう。腹立たしいって。
ムッとくる、と言うのを通り越して普通に興味すら湧いてくるわ。
「何であんな化け物を私と見間違うかなあ。しかもメリーだけじゃなくて他の子らまで」
一体人の事を何だと思っているのか。そう言って腕を組みながら頬を膨らます。
その様子、冗談や言い逃れの為の強引な話題転換とかそういうのではなく、結構真面目に嫌悪の感情が表に出ている。
でもそれ、何かおかしくないかしら。だって、あれ。
「見た目は間違いなく蓮子そのものだったじゃない」
正体は確かに人間ではなかったけれども、少なくとも見た目は。
それこそ私だけにそう見えたと言うのなら、それはその、まあ色々変な考え事をしていたせいで目が曇ったとか、そういう事も言えるかもだけど、そういった事情の無い他の子達の眼にもあれは宇佐見蓮子として映っていた。それは紛れも無い事実。
「だからっ。そこが腹立たしいってのよっ」
鼻息荒く大声を出す相棒。何事かと周囲の視線が集中する。年頃の女の子がまあ、何とも恥ずかしい事。野蛮。
「あんなねえ、ゲロ以下のにおいがプンプンすると言うか、吐き気をもよおす『邪悪』と言うかっ。
あんっなおぞましい謎物体をよくもまあ、この愛くるしい少女の姿と見誤る事ができたものだって」
「愛くるしい少女はそんな言葉は使わないと思う。しかもここ飲食店。これだから東女は。
まあでも、貴方も結構、嫌な思いはしてるっていうのは判ったわ」
「何よ、あづまをんなって。ま、判ってくれたんなら良いけど」
「毎日鏡を見る度にそんなだと大変よねえ」
「……おい」
抗議の意思を見せている心算なのか、口をへの字に結んで鼻の穴も大きく、真っ赤な色したしかめっ面。なんて不細工。確かにおぞましい謎物体。自覚あるのねえ。
と、冗談はさておき。
ここまでの態度をとっているの見ていると、どうもこれ、彼女の眼にはあの正体不明が宇佐見蓮子として映ってはいなかった。それは間違いない様に思える。
まあ相手は正体不明の人外。擬態能力の一つや二つ持っていても不思議でないという気もするけれど、それにしたってあの時、蓮子と私、二人が同時に同じものを見ていたというのに。それなのに二人の眼に全く違っていたものが映っていたという事、なのかしら。判らない。
「結局あれは」
「何だったのかしらねえ」
呟いた私の言葉を受けながら、幾分か落ち着いた表情になった相棒が脱力した様に背もたれへ身体を預ける。
「蓮子は何だったと思う」
「って、訊かれてもねえ」
「あら情け無い。レイモンド・チャンドラーを読んでいてマーロウが好きだって言っていたくせに」
「いやあれはその、何となくノリで言っただけというか、実はそれほど読んでなかったりもすると言うか……。
んまぁ取りあえず、テリー・レノックスじゃあないって事だけは間違い無いと思う」
普段の無駄に自信満々な態度は何処へやら。視線を逸らして小さくこぼす。 何? よく聞こえない。
「テルィ? 照井? 日本の苗字? 私には良く判らないけど。
て言うか照井レックスって何? 略してTレックス? 訳した場合は照井竜? 誰それ。蓮子の知り合い?」
「いや知らないわよ。ほんと誰よそれ。て言うか無理して日本名にしないでよ。レックスは竜じゃないし。それ以前にレックスじゃなくってレノックスだし」
「テルイリュウじゃなければフタバスズキリュウ? スズキさん? 蓮子の知り合い?」
「知らないわよ!
……あ、いや、鈴木ってのは何人か知り合いには居るけれど、その中に胴体よりも首の方が長いなんて奴は一人だって一匹だって居やしないわよっ!
ってか何でそんな恐竜にこだわるかなぁ!?」
「あら。首長竜は恐竜じゃないわよ。大学生にもなってそんな事も」
「ともかくっ! 爬虫類から離れなさいって、爬虫類からはっ」
あらまあ、顔を真っ赤にして。普段は人をからかう様な言動が多い癖をして、いざ自分が受け手に回ると意外と脆い。人生の基本姿勢が攻めの人間に共通する弱点よね、これって。
可愛らしい。
と、冗談はさて置き・その二。
「爬虫類っていうのは、多分、本当」
「はい?」
こちらの零した小さな言葉に、わざわざ耳に手を当てた大げさな態度で顔を近づけてくる相棒。
でもその行動に、私はすぐには応えられない。別に意地悪と言う訳でもなく。
いや、本音を言えば半分は意地悪だけど。
でも残り半分は単純な話。自信が無い。根拠が無い。
「多分」
「いやだから、聞こえないってばー」
最後の最後、あの正体不明が境界の向こうに消えるその瞬間。多分、蓮子には見えていなかったと思う。
そして多分、今これを見ても何も見えやしないだろう。テーブルの下、隠す様に取り出したケイタイの画面に目を落とす。
私のこの目は境界を見る。境界のその先も、僅かに覗ける。だからアレが向こう側に消えるその瞬間を切り取ったこの写真、もうほぼ全身が結界の向こうに隠れたこの写真から、それでもアレの姿をどうにか見ることが出来た。
とは言え、それ程はっきりと見えている訳でもない。正直それほど自信は無い。でも多分。
あれは、人間並みに大きな。
「蛇」
蛇。
傾げた首に奇妙な表情。何を言ってるの、それ。口にせずとも露骨に判る態度を見せてくれる彼女。
ああもう。だから言いたくなかったんだ。蛇。
「いや、て言うかさ。何で蛇よ、蛇。同じ爬虫類だったらせめてトロオドンとか二足歩行のにして欲しいっての。私と見間違えたって言うんなら、せめて」
まあ、それは確かに。
私や、それから学校でアレを見かけた子らは、あの正体不明を蓮子として認識した。
蓮子は人間。変人だけど、人間の一種には変わらない。当然その形は人型。二足歩行。両手も勿論付いている。
けれども蛇にはそれが無い。足が無い。
「それとも何よ。メリーはさ、今回の件に関しては奴の正体をあれこれ探る様な真似は無粋って言いたいのかしら」
無作法に頬杖つきながら言い捨てられたその言葉。一瞬その意味が理解できなかったけれども。
ああ、成る程。
「そうね。
この京都(まち)にはミステリアスという言葉がよく似合う。美しい謎は謎のまま、それも悪くないかもね」
正体が足の生えた蛇だなんてオチ、確かに余計な話だわ。納得。日本語の流れとしてとても綺麗。
「いや、正体は知りたいけどね。私は」
……にゃろう。せっかく人が綺麗に話を纏めに入ったっていうのに、またもう、だらだらと。日本人なら日本語を大切になさいよ。
「ま、とりあえず。悪い奴ではなかったって言うのは確かかな」
……? ええと。彼女、今なんて。
「何よメリー。鳩が豆喰ったみたいな顔して」
いやそれは普通だ。普通の顔だ。
じゃなくて。
「悪い奴じゃ、ないの?」
「何よ。メリーはあいつを悪い奴だと思ってるの」
「いや、そうじゃないけれど」
私だって同意見。アレを悪意ある何かだったとは思ってない。
アレと出会ったのは私達だけじゃない。学校の他の学生達もそう。複数回遭遇したって子も居る。もしアレに人間をどうこうする意図が有ったのであれば、一人や二人、犠牲者が出ていたっておかしくはない。ううん、出て当然。
けれども実際にはそんな話は無い。私達を含めてアレに遭遇した人間全員、全く何もされてはいない。ただ、道を訊かれただけ。
て言うかむしろ、何かをしてしまったのはこっちの方だ。うちの相棒が思い切りグーで。
でもそれに対して不平一つ言わず、それどころか感謝の言葉さえ。普通に良い人だ。人じゃないけれど。
いや、でも。
「貴方、さっき吐き気がどうとか邪悪がこうとか言ってなかったかしら」
「うん。言った」
あっさりと首肯されてしまった。そこまで酷い事を言っておきながら、それでも彼女はアレを悪い奴とは言わない。
「何て言うかもう、読心術か何かでも使って私の嫌いな物を端から端まで徹底的に調べつくした上で、北は北極南は南極、西はマリアナ海溝東もマリアナ海溝、世界中駆けずり回ってそれを一つ残らず掻き集めて、さあどうだっ、てな感じで親指ドンブリに突っ込んだ豪華海鮮丼みたいにてんこ盛りにしてくれたって感じの、最低最悪な外観だったわね。
見た目だけで言うなら、何の議論を挟む余地も無く嫌い。その一言で終了」
「だったら」
「見た目だけで言うなら、ね」
そう言って蓮子は笑う。それとこれとは別、と。
「そりゃあの見た目は本当、勘弁してほしいって位だし、実際あの場では敵だと思ったけど。
今になって冷静になればアレは一切悪さはしてないんだし。見た目だって、何も私に嫌がらせしようとわざわざあんな格好した訳でもないでしょうしね」
そうか。彼女は物事を、その外面にのみ囚われる事なく、その内なる本質を見ようという心意気を持つ立派な。
……なんて、綺麗にまとめてなんてあげるもんですか。彼女の場合は、単に。
「何か言葉ぎこちなかったし、力もあんまり強くなさそうだったし。霊の類か妖怪か、はたまた。
ううむ。興味は尽きないわねー」
多少の嫌悪感をうっちゃってでも面白そうなものは面白い。そんな、単なる好奇心。
そうして今回の事件の発端も、多分その好奇心のせい。何て傍迷惑な。
「やっぱりあの、公園に在った小さい結界の中に封じられてたのかしら。
学内に現れたのは、一緒に封印されてた羽の臭いか何かにでもつられて?
それとも、結界を開いたメリーを見て、その力なら向こう側へ行く扉も開いてもらえると思って探していた?
或いはその両方?」
何ともまあ。目をキラキラさせちゃって。活き活きと。見事に夢見る乙女。見てる内容がまるで乙女チックじゃないけれど。
「あーあ。折角の未知との遭遇だってのに、今考えると本当勿体無い事しちゃったわねえ。
もっと色々話したりとかすれば良かった。なのに、あんなあっさりと」
確かに。怪異を探して歩き回る我等秘封倶楽部としては、あれは余りにもあっさりとした別れだったかも知れない。残ったのはケイタイの画像一つ。それだって、私以外には何も見えないだろうし、私にだってはっきりは見えない。
そうしてきっと、もう、異界に行ってしまったアレとこの世界に留まっている私達が、再び出会う事も無いのでしょうね。
それでも私は思う。この長いお別れは、決してネガティブな意味合いを持つものではないって。
ここからは全て私の推測。何の根拠も無い。でも、思うのよ。
あの正体不明はきっと、この世界の者ではないのだろう。何らかの理由でこちらに留められてしまっただけで。
だからアレは、帰る事を望んだんだ。本来自分が在るべき場所へ。一緒に居たい者達の所へ。
そうして願いは叶った。アレは向こう側へ帰った。ありがとうの言葉を残して。
だから私は思う。色々とおかしな事件だったけど、これはちゃんと、ハッピーエンドを迎えられたんだ、って。
「って言うかメリー! 未知との遭遇で今ちょっと思いついたんだけどっ」
……んまぁ。完全完璧にハッピーとはいかないのだけれども。私のお腹の方は。
「霊や妖怪だって、そんな狭い視点に囚われていてはあいつの正体には迫れないんじゃあないかって」
おさまってない。まだ別に、全然、おさまってないんだけどね。私のお腹は。
なのにこいつときたらもう。その辺すっかり全部忘れましたー、みたいなノリで、まぁ嬉々とした顔で、自分の興味有る話ばっかりで。
本当、腹立たしい。彼女のこういう態度。
それと、そんなものに一々目くじら立ててる自分自身も。
これじゃあまるで、私が蓮子に依存してしまってるみたいじゃあないか。そんなキャラじゃないでしょ、私は。
「それで思うのよ。奴は人間に擬態した。これってさ、宇宙人なんかでよくある話じゃない? 宇宙人」
「ああ、遊星から来たアンノウンとか、隕石に付着してやって来た虫とか、そういう」
「そういう」
「今時宇宙人、ねぇ。平行世界の住人とか隙間から出てくる妖怪とかならまだしも」
「今だからこそよ。レトロスペクティブに。或いは膜宇宙の外からやって来た」
「何で話が一気に膜宇宙外まで飛ぶのよ。
……ってそう言えば貴方、『ひも』が好きなんだっけ」
「ああうん。微妙にその、『ひも』の発音に毒を感じる」
「物事を兎角マクロに広げたがるのは、物理系の悪い癖よね」
「何言ってんの。マクロだけじゃないわよ。ミクロとマクロの両儀が超統一物理の基本。今時素粒子無視して宇宙が語れるものか。
ってかそれ以前に心理の人間にあれこれ言われたくもないけどね。何よ、相対性精神学って。真実は主観の中にあるとか個人の認識一つで世界がどうたらとか云々」
「あら。物理だってとっくの昔に実体の観測は通過して哲学の世界に突入したんじゃなくて?
……でも。
うん。個人の認識、か」
個人の認識、ねえ。
個人の、認識。
「認、識」
ふと引っかかった。その言葉。認識。
そう言えば、あの正体不明。あれは学内目撃された当初、正に正体不明の何かとして認識されていた。とりあえず声からして女の子ではある様子。判っているのは只それだけ。
それが蓮子になったのは、蓮子として認識されたのは、さていつだったか。
「もしかしたら」
依頼人の彼女から話を聞かされて、それに対して適当に、正体は蓮子だと言って。
それからだ。あれが蓮子になったのは。あれの正体が蓮子。その話が皆に伝えられてから。
「もしかしたらって。何か判ったの、メリー」
あの夜。私はアレを蓮子だと思っていた。実際、蓮子に見えていた。
でもその後、本物の蓮子が現れて、彼女こそが本当に本物だと思って、そうしたら急にアレは、黒い何かにしか見えなくなってしまった。
蓮子だと思っていた。でも、蓮子は、本物の彼女は別に居た。だからあれは蓮子ではないって判った。そして同時に正体不明の何かとなった。私の認識に於いて。
「ちょっと、メリーってばあ」
蓮子に至っては最初からアレを宇佐見蓮子だとは認識していなかった。当然よね。彼女は宇佐見蓮子なんだから、自分以外の宇佐見蓮子が存在しているだなんて思いもしないだろうし。
だから彼女には最初、アレが何だか判らなかった。アレを何だとも見る事が出来なかった。ただの正体不明な何か。
でもそれが、私とアレの会話を聞いている内に、やがて。
「メリーってぶあはあっ!」
「ってうわひやあぅ!?」
突然に顔! 目の前息がかかる位の距離に顔! あとこっちの顔に冷たい感触!?
信じられないちょっと!? 唾、今思いっきり唾っ!
「貴方ねえっ! 年頃の女の子としてもうちょっと」
と、そこで言葉を切った。
気が付いた。周りの視線。かなり痛い。しまった、蓮子の大声に対してこっち迄つい。
ああ、周りの人達、思ってるんだろうな。痴話喧嘩なら余所でやれって。
痴話じゃないのに。痴話じゃないのにぃ!
「ともかく」
声を小さくして軽く咳払い。そのまま無言で睨み付ける。
察しろ。偶には空気を読んでこっちの言いたい事を察して頂戴。
「だってぇ。メリーが無視するからぁ……」
察してくれた様だった。途端に小さくなるその気勢。まるで叱られた子犬の様。
……って、彼女ってこんなキャラだったかしら。
私にしても蓮子にしても、何だか今回の事件では本来のキャラと大分ずれてる様な気が。
いや、あの依頼人の子の話とかを鑑みるに、もしかしたら周りからは、そんなもんだとずっと認識されていたのかも知れないけれど。
……そう。認識。
もしかしたら。もしかしたらの話、だけれども。
あの正体不明。アレは、こちらの認識に応じて姿を変えていたのではないのだろうか。
正体不明と思えば正体の判らない何かに。宇佐見蓮子と思えば宇佐見蓮子に。
見てる人間がアレを何と捉えたか。それに応じて姿を変えていた。
だとすれば綺麗に得心がいく。
で、もしそうだとするならば。
「何よメリー。また黙り込んで」
いじけた様子でぶつくさやっている相棒の顔を黙ったままで見詰めてみる。今の私の考え、彼女に説明してあげる心算は無い。
何せ『客観的に見て明確な事実が存在する』だなんて前時代的な考えを未だに信仰してる様な子だから。
認識一つで存在が変化するなんて言ったって一笑に付されるのがオチ。腹立たしい。
まぁ、それは兎も角。
彼女はアレを見つけたその時点では、正体の判らない何かとして認識した。だからその通りに見えた。
けれどもその姿はやがて、彼女にとってとても嫌なものに変わっていったと言う。
それはいつ? どのタイミングで? 彼女のさっき話していた内容を思い出してみる。
『何かメリーがアレの事を私だとか言い出して、しかも一緒に向こうへ行くとかそんな流れになって、そうこうしてる内に段々とそいつの姿がはっきりと』
……ああ。
もう。
何って言うか。
「貴方ってすっごい我侭なのね」
隠しもしない大きな溜め息と共に、そんな言葉を投げ付けてやった。
「ちょ!? 人の顔じろじろ見てると思ったら、何いきなりっ」
あ、少し涙目になってる。ちょっと胸がスッとしたかも。
ただまあ、それは、へこんだ蓮子を見れたからと言うよりも。
「すみませーん。この、ジャンボパフェって言うの一つ」
久しく止まっていたオーダーの再開。途端、苦虫を噛み潰した様になる相棒の顔。涙目のままで。
……何だろう。ゾクゾクするなあ、これ。
「また高いの頼んでー! ってかこんなの一人じゃ食べ切れないでしょっ」
財布を開いて文句を言い出す蓮子に、だったら、と、私は言ってやった。
「貴方も一緒に食べれば良いじゃない」
「……人にこんだけ散財させといてよく言うわ。こんな状況じゃ食べても美味しくない」
よく言うのはお互い様。事の発端はそっちなんだから。
ま、でも。
「出してあげるわよ。半分は」
ぴくりと動く相棒の肩。信用はしてない、でも期待はしたい。そんな心の透けて見える視線を上目遣いで投げてくる。
「本気で?」
「本気で。勿論今迄の全オーダー分含めの話で」
そう私が言うが速いか。
「追加でジェラート盛り合わせとティラミスとマカロンとミルクセーキ!」
大手を振ってオーダーを叫ぶ。店員さんももう、何か色々諦めた笑顔みたいな表情で、その場を動かず復唱もせずに淡々と端末を操作してる。
ごめんなさい。この子、本当にデリカシーの無い子で。
「別に奢りじゃぁないのだけど」
「半額と全負担じゃ話は全く別っ。さあさあ、こっからは巻き返すわよおっ」
何を巻き返すんだ。何かの競争をしていたのか、私達は。
ま、良いけどね。
「でもさぁメリー。何で急に」
「さあね」
言ってやるもんですか。腹立たしい。ここで言ってしまえば私、もう完全に彼女に負けたって事になっちゃう。
いや、勝ち負けの話ではないのだけども。ないのだろうけども、ねぇ。
「ほんと、甘いわ」
まだ半分ちょっと残っていたチョコレートドリンクを一気に飲み干し、目の前の誰かさんからは視線を逸らしつつ小さくこぼす。
「そりゃまあ、しょっぱかったり辛かったりはしないでしょうね。カラスミでもあるまいし」
って言うかそんなのが理由なのか。無神経な顔して抜けた事をのたまう阿呆。
何故そこでカラスミか。イカスミとでも言いたいのだろうか。何処の世の中に花の女子大生相手にグラスに氷入れてイカスミ出すパーラーが在るものか。んでもって何でそんな理由で私が貴方を許さなきゃならないのか。想像しただけで喉がべとべとした感じになってくる。
あとカラスミもイカスミも別に辛くはないわ。貴方の頭に在る赤くて細長いそれ、多分明太子。確かに魚卵ではあるけど。高くて食べたこと無いんでしょうね、カラスミ。
「お待たせしました。ごゆっくり、どうぞ」
他のオーダーに先んじて運ばれて来たミルクセーキ。ごゆっくり、に微妙なアクセントを感じる給仕さんの声。
その声に隠す様にして呟く。
「我が侭と言うか、自己中と言うか、独占欲が強いと言うか」
強いて言ってやるならば、これが理由。
「あによー。人をケチんぼみたいに」
しっかり聞こえていた。
むくれ顔の相棒は、だったら、なんて事を言って、グラスに浸かったストローの口をこちらに向けてきた。
「あげるわよ。半分」
ほれ見ろ、こんな太っ腹な私の何処がケチんぼだ。そんな事を言いたげな、何だかやけに得意そうな相棒の笑顔。
見てるともう、何かを言い返す気もしなくなって、無言のままで向けられたストローの先に口をつけた。
真っ黒いチョコレートにならば僅かに存在する苦味、それすらも無い只ひたすらに柔らかくてふわふわした甘さの黄色。
本当に、呆れてしまう位に甘い。
まあ、でも。
女の子の身体は甘い物で出来てるって、何だかそんな感じのフレーズを何処かで耳にした事がある。だから、この黄色は間違っていない。
間違ってるのは目の前のこいつの方。こいつの身体はきっと、もんじゃで出来ている。んでもってもんじゃはオカズでメインはざる蕎麦。盛り蕎麦でも良いかも知れない。ざる蕎麦と盛り蕎麦の区別付かないけど。
何にせよ、女の子の大好きとはまるで違ったものがギュッと詰まってるに違いない。ある意味ごっちゃ。ある意味シンプル。
そこに無理して乙女チックさを出そうと、一生懸命考えた末に持って来た装飾品が何故だかブラックチョコレート。しかもスーパーで一枚百円もせずに売ってる様な板のやつを、何の手も加えずにそのまんま。そんな感じ。
それで良いのか宇佐見蓮子。もんじゃにお蕎麦にブラックチョコ。それで良いのか女の子。
「何よメリー。また人の事じろじろと」
……まぁ、この広い世の中に少なくとも一人、それでも良いと思えてしまう物好きが、確かに存在してしまってはいるんだけどね。
どんな変人だ、そいつは。どんだけ悪趣味なんだ、その子は。顔見て指差して笑ってやりたい。貴方、本当に馬鹿ねぇって。
半分が空になったグラス。黄色の上の半分の透明。そこに映る誰かさんの顔。
指差して私は心の中で笑ってやったんだ。
本当に、馬鹿ねぇ。
指差された誰かさんの顔も笑っていた。
結構、嬉しそうに。
あなたが書く秘封倶楽部はとても良いです
蓮子にとってメリーをあれしてこうしてあんなこと言う奴はバケモノなんですねかわいい
秘封世界と幻想郷とのこういう微妙な関わり合い方はとても素敵です
秘封倶楽部はまだまだ続くようです
そして宇佐美蓮子さんのご冥福をお祈り申し上げます
・・・うちの学科に宇佐美って奴いるな、ちょっと安否確認してくる!
てゆーかプロでしょーねこの文章力は・・・妬ましい・・・
宇佐美蓮子さんにはご冥福をお祈りします。
ふーむ、見間違いって良くあって怖い・・・昔遊園地に行った時とか、それで迷子になって大泣きしたなー。
後、からすみは甘く無かったかな?
自分の中で黒いのが蓮子だと納得していたつもりだっただけに驚いた
まさにぬえに騙されてた気分
すらすら頭に入る文章で、時間を忘れて読みふけりました。
予想を裏切られた秘封ものでした。バッド回避は秘封作品だと珍しい。
サークルの友人が皆地方なので、その癖返信を結構サボるので、メリーの気持ちが痛いほど分かります。
素晴らしい作品ありがとうございました。
Sなメリーはありだな…。
面白かったです。
現実にいながら幻想を追うこの二人が大好きです。
一本取られました。
いい話でした。
お互いピンチを乗り越えるたび強く近くなる秘封を思い浮かべてしまった。
貪るように読んでしまいました。楽しい時間をありがとう。
ってな感じですね!
蓮子が登場した時は正直、ホッとしましたね。 実に面白かった。
それが悔しかったですww
秘封倶楽部ものは好きなんで読んでて楽しかったです。
メリーの語り口が軽快だったけど蓮子のセリフ回しはその上を行っていた。
よかった、ハッピーエンドで。
というか、蓮子の口調が色々と頼もしすぎた。
毒のあるメリーの口調もよかったです。
黒い何かが正体不明のタネの成れの果てだったのは最後まで気づかなかったなあ。
本当に蓮子が死んでしまったものだと思っていたから、ええ一緒にいきましょうのところでメリーの同じ気分で泣きそうになってましたw
秘封倶楽部とタネ&ぬえの長いお別れのお話、面白かったです!
メリーが語り役ですごく共感出来たから、今度は蓮子が語り役をしているあなたの作品も読んでみたいですw
謎探してあっちこっちをフラフラ、適当なおしゃべりをあーでもないこーでもないとグダグダ。
それが秘封倶楽部ですよね。幻想郷とのリンクもあってとても楽しく読めました。
秘封倶楽部らしい。
主観が間違っているというお話はかなりヒヤヒヤしますね。お話にがっつり引き込まれました。
すっかり引き込まれていました。きっとそのパーラーには生暖かく微笑む俺がいる。
2組の再開に祝福を。
そして宇佐美さんの冥福をお祈りします。
面白かったです
この物語が秘封の二人と、そして作者様の新たなビギンズナイトになりますように!
後書きは読み飛ばさせて頂きました。
意味の分からない所が結構有りましたが、メタネタ何でしょうかね。
キャラが主役なのかストーリーが主役なのかネタが主役なのか絞って欲しかった。
無駄の多い気がします。
あの羽は種がついていた依代だったんですね。
アンノウンの綴りがでた瞬間に、正体不明の種だと確信しました。あとがきの会話も結構筋が通ってました。
素晴らしい作品でした。
こういう秘封、面白いですね。