その小屋は、まるで森の中に咲く一輪の花のようであった。
陽の光が枝葉に遮られて日中でも薄暗い森の中に、ぽつりと在る白い小屋。その扉は鍵も掛けられておらずに、一人の妖怪の進入を易々と許す。
興味本位で小屋を訪れたその妖怪は、扉を開けて驚く。――彼女の視界は、部屋一杯に広がる花々で埋め尽くされた。
六畳ほどの部屋は、花瓶や鉢に植えられた色とりどりの花が天井に届かんばかりに飾られていた。そして、その花に埋もれるように小さなベッドが一つ、部屋の中心に置かれていた。
ベッドの上には年頃の麗しい少女が横たわっている。その雪のように白い肌を、同じくらい白い布団が覆っていた。
少女は扉の開かれた音に呼応して、その細い首を侵入してきた妖怪へと向ける。
「あら、お母様かお父様か…どちらかと思えば、新しいお客さんね」
どうも、彼女はこの花だらけの部屋に勝手に人が上がり込んでくる事に抵抗がないようだ。それどころか、見知らぬ来訪者に対して嬉しそうに笑顔を向ける。
「お客さん、お花を持ってきていないのね?という事は、私の事を知っているわけではないのかしら?」
少女の問いに妖怪は、花に囲い込まれて身動きすらとれない状態でニッコリと笑って答える。
「初めまして。私は風見幽香、妖怪よ。森の中を散歩していたら、変な建物があるから入ってきちゃったの」
妖怪・幽香の答えに少女は驚いたように、それでいて嬉しそうに目を見開くとベッドに横たわったままに声をあげる。
「幽香さん?私は、ユカっていうの!少し似たお名前ね。妖怪の方を見るのって、私初めてよ」
「そう、ユカ。よろしくね」
少女・ユカは幽香の頭から足元までを興味深げに観察すると「うーん」と唸って、幽香に不満気な顔を見せた。
「ねぇ、幽香さん。貴方は妖怪だっていうのに、私たち人間とあまり変わらない格好をしているのね?」
「そうね、私はあまり人間と変わらない形をしているわね。ご希望に添えなくて、ごめんなさいね」
幽香はにこやかな笑顔のままに軽く頭を下げる。それを見てユカは「ううん」と首を横に振った。彼女の艶やかで黒く、絹糸のように細い髪の毛がその動きにつられて、さらさらと横に揺れる。
「別に幽香さんの姿形に不満があったわけではないの。ただ、私の方がよっぽど妖怪みたいな身体をしているな、って思っただけ」
ユカは悲しそうに呟くと、まるで白樺みたいに白くて細い腕を、震わせながら持ち上げる。そして、その手で自分の足を隠していた布団をめくりあげる。
そこに露になったものを目にして幽香はハッと口に手をあてた。
「あ、ごめんなさい。気持ち悪かったでしょう?いきなり見せるなんて、私も不躾でしたわ」
ユカが見せた彼女の足は、まるで――木乃伊のようであった。
足の筋肉は無くなってしまい、皮が骨にべったりと張り付いているよう。そして、その皮は古い木のソレの様に乾燥して、茶色に変色していた。
だが、なにより幽香を驚かせたのは“その足が生きている”事であった。
足としての機能は、筋力が無くなっている為に失われている。だから、彼女はこのベッドの上で一人の時を過ごしているのだ。
――だが、その皮の下では血管の中を血液が通っており、肉も腐る事なく今ある形を保っている。
そんな様相はユカの太ももの付け根あたりまで進行しており、恐らくはこのまま上半身へと彼女の身体を蝕んでいくのだろう。
「何かの病気、なのかしら?それで、貴方はこの小屋に隔離された訳?」
幽香は口にあてた手をパッと離すと、先程と変わらない笑顔のままにユカにその容態を尋ねる。ユカは、再び布団で脚部を覆い隠すと「ふぅ」とため息をついて幽香に顔を向けた。
「原因は不明だそうなの。一年程前に、突然足が痛み出したら“こう”なり始めたのです。お父様やお母様は色んな病院やお医者様を探してくれたけれど、結局は私を治す事は出来なかったのです」
ユカはそこまで話すと、一旦口を閉じて右手を空へと伸ばす。そして、ベッドの一番近いところに伸びてきていた雛罌粟の花へと、そっと手を触れた。
「もしかしたら人様に感染る病気かもしれないから、私はこの小屋に入れられたのです。私がお花をとっても好きだって皆が知っていたから、皆がお見舞いにくる時はお花を一つ持ってくるのです。そして、其れを置いて帰っていくのです」
花びらを撫ぜるように愛でたユカの瞳は、深い憂いに満ちていた。
幽香はユカを哀れな人間だと思いつつも、これもまた一人の生の運命なのだな。と彼女の朽ちゆく身体を一瞥した。
そしてふと、自分が何も持たずに病人の所へやって来たという事実に気づく。そして自分が部屋に入ってきた時、花を持ってきていない事に言及した彼女の言葉を思い出す。
「そう、お花を持ってこなくて悪かったわね。今度来るときには、何か持ってきてあげるわ」
「あら、そうですか。でもお話して下さっただけでも、嬉しかったですわ」
少女は久しぶりに人と話して疲れたのか、息を少々乱しながら幽香に笑いかける。
それを見て、なんと脆い生き物なのかと幽香は憐憫の眼差しでユカを見据えた。
「それじゃあ、ご機嫌よう」
「ええ、また来てくださいまし」
幽香は花の香りを身体に纏わせながら、白い小屋を出た。
◇ ◇ ◇ ◇
「あら、こんにちは。また来て下さるなんて、嬉しいですわ」
「こんにちはユカ。でも、残念なお知らせがあるわ」
なんとなしに散歩をしていた幽香は、再びこの白い小屋へと足を運んでいた。だが、その顔は少々浮かない様子であった。
「あらあら、残念なお知らせとは何かしら?」
そういうユカに、幽香は両手を広げて見せて「これよ」と申し訳なさそうに言った。
何もない両手を見せられて、ぽかんと口を開けたユカに対して幽香は「ふぅ」とため息をついた。
「何か花を持ってこようとしたのだけれど、生憎と私には雑草と花の区別もつかないのよ。それだけ、自分以外の生命に興味がないって事」
「あらまあ、そんな事。私は幽香さんが遊びに来てくれただけで、とっても嬉しいですよ」
ユカはくすくすと笑って幽香の“手ぶら”での訪問を全く気にしていない事を伝えた。
「でも、それじゃあ悪いわ。何か、私に出来る事はないかしら?」
「そうねえ、じゃあ…このお花たちを元気にしてあげられないかしら?この小屋には太陽の光があまり入ってこないから、この子たちも元気がないの」
ユカの頼みに幽香は周りの花々を見て「なるほど」と呟いた。
確かに部屋中を埋め尽くす大量の花々は、その一つ一つを良く見れば萎れかけていたり、傷んでいたりと元気ではない。
だが、その頼みも幽香には叶えてあげる事は難しかった。自分は花に元気を与える方法など知りはしない。――誰か殺して欲しい人でも言ってくれれば、簡単に叶えてあげられるのに。――でも、このまま「出来ません」というのも癪であった。
「難しいわね。でも、ちょっとやってみるわ」
「まあ、本当?嬉しいわ」
幽香は手近にあった花瓶に挿された赤いチュウリップの花へと手をかざす。
彼女は並の妖怪よりも、遥かに強大な力を持っていた。そして、その力は戦い以外に使ったことはない。幽香はただ、その強大な力をぶつけて敵を屠るのみであった。
だが、恐らくは。幽香の考えでは自分の力を花々に注ぎこんでやれば、彼らは元気を取り戻すはずである。
彼女はチュウリップの茎を右手の親指、人差し指、中指で“きゅっ”と握ると自分の内に秘めた力を花へと注ぎ込んだ。
ぼぼん
真っ赤なチュウリップの花は、ちょうど人間の頭をひねり潰した時と同じように爆発してしまった。その時の鮮血が散るのと良く似た風に、赤い花びらが部屋中に散乱する。
「あ…ああ…ごめんなさいね。力が強すぎたみたい。大事な花を、殺してしまったわ」
「まあ…チュウリップが……。いいえ気にしないで。幽香さんが、私の為にやってくれた事だもの」
幽香の力は、チュウリップのような“か弱い”植物には強すぎる栄養であった。哀れにもチュウリップは力をもらいすぎて爆発してしまったのだ。
「本当にごめんなさいね。今度、来る時までには花に与える力の調整をしておくわ」
「あら、本当にまた来てくれるの?楽しみに待っていますわ」
幽香は扉を開いて白い小屋の外へ出る。森に漂う自然の香りを鼻腔に目一杯吸い込むと、彼女は大きく伸びをした。
――彼女は胸になにやらモヤモヤとしたものを抱えていた。
以前に会った時よりも、少女の顔色は悪くなっている。
布団に隠れて見えなかったが、恐らくは木乃伊化の症状も進んでいる事だろう。
「いっその事、足を吹き飛ばしてあげた方が、あの子の為かしらね」
一体どうやって足だけを吹き飛ばそうかと考えた自分自身に向けて、「そこまでお世話してあげる義理はないわ」と自戒をすると、幽香は森を再び散歩しはじめた。
でも、ふと足を止めて目の前にそびえ立つ大木に手をあててみた。
「どのくらいの力なら、植物の栄養になるのかしらね」
力の細かい調整など、存在して此の方やった事がない幽香にとって、この疑問の答えは全く想像出来ない。
「このくらいかしらねえ」
大木の大きさなどを考えて、幽香は自分のおおよその目測で力を大木へ送り込んだ。
どっがぁぁぁぁん
幽香の全身に木くずが当たり、辺り一面が粉塵に包まれた。
哀れな大木は、その場で全身を膨張・爆発させると木くずにも成れないほど木っ端微塵になってしまった。
「やれやれ、練習が必要ね」
幽香は髪の毛についた木くずを手で払うと、鼻歌交じりに森の中を歩いて往った。
◇ ◇ ◇ ◇
がちゃり。
扉が開かれると、少女はパァッと顔を明るくして客人へと顔を向ける。
そこには、日傘を差した幽香の姿があった。その妖怪の顔はいつになく上機嫌であった。
「あら、幽香さん。お部屋の中まで傘を差して、如何なさったの?」
「ああこれ、木くずが髪の毛につかないから便利なのよ。ついつい、閉じるのを忘れていたわ」
幽香は傘をパチリと閉じると、すぐ脇にあった花瓶から一輪草を一つ摘まんでユカの目の前に差し出した。
「まあ、可哀想に。このお花、萎んでいるわ」
「さて、この萎んでいる花を貴方への贈り物にしてあげましょう」
そういうと幽香は、指先から微弱な力を一輪草に送り込んだ。
ぽっ、と萎びていた花が元気にその花びらを開いた。そして、それを見てユカの顔もぽっと元気になる。
「まぁ、なんて素晴らしいのでしょう。幽香さん、ありがとうございます」
「まだまだ、これで満足してもらっては困るわ。これを見なさいな」
幽香は一輪草をユカの手に握らせると、舞を踊るようにくるりとその場で身体を回した。
その指先が部屋の花に触れる度に、花たちは元気になっていく。
元気になっていくだけではない。終いには花たちは、生きているかのように踊り始めたのである。
部屋の中は花の甘い香りで満たされて、真っ白な部屋の中は白紙のカンバスに色がついたように明るく彩られた。
「あら、まあ。なんて事でしょう。お花さんたちが楽しそうに踊るなんて」
「どうかしら?これが私から貴方へのお見舞いよ」
花たちが茎をくねくねと動かし、花びらで笑顔を作る度に、ユカの顔はほんのり紅潮していって笑顔になっていった。
「こんなに素敵な贈り物をありがとう。本当に嬉しくて、本当に楽しいですわ」
「お気に召したようで、良かったわ。それじゃあ、他に何かして欲しい事はないかしら?」
花に元気を与えられた事で、幽香はすっかり得意になっていた。もう、花に関する事であれば自分の力でなんでも出来るのではないかと思い始めていた。
そんな幽香に対して、ユカは「うーん」と顎に手をあてて暫く何かを考えると、やがて一つの思い出を想起する。それは彼女が元気だった頃に家族と旅行先で見た、目の覚めるような黄色い景色だった。
「もっと頼んでもいいのかしら?それならば、幽香さん。私は向日葵の花が咲くのを見たいわ。私はお花の中で向日葵が一番好きなの」
「ひ、ひまわり?いいわ、それじゃあ今度来る時には、向日葵を咲かせてあげましょう」
幽香は内心焦った。向日葵とはどういう花なのだ?
彼女は知らなかった。
向日葵がこの辺りには存在しない事を、そして夏にしか咲かない花だという事を。
「それでは、御機嫌よう。お大事にね」
「さようなら、幽香さん。また来てね、待っていますわ」
幽香は外に出て扉を閉めると、同時に向日葵を探すために空へと飛び立った。
◇ ◇ ◇ ◇
幽香は諦めた。
向日葵というモノが一体どういった花なのか、皆目見当がつかないのである。
だから一旦、ユカに向日葵がどういう花なのかを教えてもらってから、そのモノの調達を行おうという事にした。
森の中の白い小屋。ここに幽香が来るのは、もはや散歩のついででは無くなっていた。
死にゆく弱い人間は、いつしか幽香の唯一の友達になっていたのだ。
がちゃり、と開けた扉の向こう。変わらずに咲き誇る花たち、そして小さなベッド。
だけれども、今回は一つ違った事がある。
「何者?お前たち」
幽香は笑顔のままに、尋ねた。
ユカの頭上に浮遊する、彼女を見守るように見つめる二人の少女に向けて。
「あら、妖怪に見つかったわ夢月」
「姉さんが、もたもたしているから…」
金髪の少女二人は、顔立ちもそっくりでまるで見分けがつかない。
だが、夢月と呼ばれた方は何故か西洋の給仕が着る服を身に纏っており、なんとか二人の見分けがつくようになっていた。
「で、何者?って聞いているのだけれど」
幽香は一歩前に歩み出ると、ベッドの上で静かに眠るユカに向け手を伸ばす。それを見て、夢月が牽制するように幽香とユカの間へと身体を入れた。
「どうも、初めまして。私は夢月、こちらが姉の幻月です」
「そう、私は風見幽香。貴方たち、勝手に人の家に上がるのは良くないわ。今すぐに出ていきなさい」
幽香は笑顔を崩さずに幻月と夢月に言い放った。だが、二人は楽しそうに声を上げて笑い、幽香の言葉に聞く耳を持たなかった。
「私と夢月は貴方がこの小屋に最初に訪れた時、既にこの子に目をつけていたのよ。だから、あんたも勝手に人の家に入り込んだ奴だって事は知ってるのよ」
「姉さん、今はそこに反論するべき時じゃないでしょ。…風見幽香、せっかくのご馳走を見つけたところで悪いのだけれど、この少女は私たちが頂くわ。だから貴方は今すぐに出て行ってちょうだい。そして、二度とコレに近づかない事」
夢月の言葉に幽香は初めて不機嫌そうに眉を顰める。そして、二人の少女に対して挑戦的な瞳を向けた。
「あら?私は木乃伊なんか食べる趣味は無いわよ?貴方たちみたいな悪魔にはお似合いかもしれないけど」
幻月と夢月は顔を見合わせるとニヤッと笑って、幽香に嫌味たっぷりに笑顔を振りまいた。
「仕方ないから説明してあげる。この少女は生まれついて、身体が木乃伊になっていく病気なの。それはあんたも知ってるかもしれない。でもそれが意味する事があんたには分からないみたいね」
「木乃伊になっても、この少女の身体は生き続ける。それは即身仏なんてチャチなもんじゃないわ。それこそ、一つの“世界”に影響を与えうる聖遺物みたいなもんよ」
「だから、私たちは自分の世界…“夢幻世界“に木乃伊化したこの少女を連れて行く」
「そして、それを夢幻世界の安定の為に私たちが使わせてもらうの。今の夢幻世界は、その存在が極めて不安定なのよ。だから世界の軸となる強力な存在が必要…この生ける木乃伊みたいな“存在”がね」
二人の少女の説明を聞いて、幽香は「ふーん」と興味がなさそうに呟くと、その両の手に己の禍々しい力を込め始めた。
「…って、なんでいきなり戦う気満々なわけ?」
幻月の言葉に、幽香は飛びっ切りの笑顔で答える。
「気にくわないから」
◇ ◇ ◇ ◇
少女が目覚めると、自分の周りは花で囲まれていた。
いや、自分が白い小屋に住むようになってからは、ずっと花に囲まれて暮らしていた。
だが、今は正しく花に囲まれているのだ。
まるで、花で造られた雪室の中にいるようであった。
その“花室”の中にあって、少女は自分の身体が何かの暖かさに包まれているのを感じた。
「幽香さん?」
少女は最近に知り合った友達の名を呼ぶ。だが、その問いに答える笑顔の彼女はどこにもいない。
ただ、一輪の薊が応えるように彼女の指に絡まった。「安心なさい」と語りかけるように。
◇ ◇ ◇ ◇
血の海に倒れた幽香を前にして、幻月と夢月は疲弊していた。
まさか自分たち二人に対して、暴力的な“力”だけで匹敵する妖怪が、この俗世に存在しようとは。
自分たちは二人がかりで、しかも幽香はユカを守る為に自分の力で花室を創造し、維持していたという絶対的な有利。
その条件下でも幽香は姉妹に善戦し、しかし力尽きて倒れた。
幽香は肩を上下にして荒い息を吐きながら、顔を上げてベッドを覆った花室へと視線を送る。
「ふぅ、なんとか倒したけど…こんな所で腐らせておくには惜しい奴ね」
「まあ、木乃伊が居ればこんな奴も要らないけど」
幻月と夢月は、なんとか身体を起こそうとしている幽香を無視して花室を破壊した。
幽香の力を失った花室は、ただの花を固めた造形品である。
姉妹の力を受けた花々は華麗に部屋中へと散って、その中に眠るユカの姿を姉妹へと晒した。
――そして、中から出てきたユカの姿を見て姉妹は驚愕する。
「…!?どういう事…?」
「嘘でしょう……」
二人の驚き様も無理はない。花室から出てきたユカの両足は、先程までの木乃伊が如く茶色く乾いたものではなく、乙女の持つ瑞々しい白い脚部へと生まれ変わっていたからだ。
「あ、貴方たち…の…相手をしている間…」
幽香は血にまみれた顔貌を柔らかな笑顔で包んで、悪魔の姉妹へと語りかける。
「ユカの治療をさせてもらったわ。…あの子は、病気でも生まれつきでもなんでもない…無意識に自ら“植物”になろうとしていただけのよ…。まあ、元々そういった才能があったんでしょうけど…この年頃の人間の女には霊的な能力が備わっている事が多いのよね。彼女は花を愛するあまりに、自らも植物になろうとしてしまったのでしょうね」
淡々と説明する幽香とは対照的に、今まで笑顔を崩さなかった姉妹の表情が険しいものへと変わっていく。尋常ならざる殺気が白い部屋中を満たし始めた。幽香は続ける。
「植物を元気にさせる方法なら、偶然にもここ最近で身につけたばっかりでね。同じ要領でやってみたら、元に戻ってくれたみたい。……まさか、治療に力を割いていなかったら、貴方ら如き悪魔に私が負けると思って?」
幽香は最後に吐き捨てるように言うと、口中に溜まった血を地面へと吐き捨てた。
その頃にはもう、二人の姉妹は“悪魔”に相応しい怒りの形相になっていた。
「減らず口を…!よくも私たちの長年の夢を…壊してくれたわね」
「この娘を救えて満足だった?それじゃあ今から私たちの手で二人とも殺したげるわ」
「待って!」
幻月が右手を振り上げた瞬間、幽香の鋭い声が其れを止めた。
二人の姉妹は怒り心頭に来ていたものの、幽香の声に耳を傾ける程度には冷静で冷徹だった。
「何?命乞いなんてしないでよね。晩節を汚すわよ」「私たち、それなりにあんたの事は認めたんだから」
「まさか…!私はここで死ぬなんて思っちゃいないわよ。むしろ、貴方たちにも嬉しい報せ。…ここで夢幻世界とやらを救う為の存在を、ただ失って終わりにするのは貴方たちにとっても損じゃない?」
「…当たり前じゃない。あんたが、それをぶち壊してくれたんだから」「生きたままの木乃伊でもない、ただの餓鬼はいらないわよ」
「ふふ、なら…ユカの代わりに私がその存在になってあげてもいいわ。…私も、この子と同じような存在であったモノだから。代役は努められると思うけれど」
幽香はそう言うと、懐かしむように、それでいて憐れむように自らの手を天にかざした。
幻月と夢月は、幽香の言葉を聞いて納得したような疑っているような、まだ半信半疑の目で彼女を見る。
確かに一介の妖怪にしては自分たちに対抗しうる力を持っているなど、不自然な強さであった。それがユカと同じような境遇で、なんらかの変遷で妖怪になった者だとしたら納得がいく。
だが、そのような力を持つ妖怪だったとしても、幽香が姉妹の思い通りの役割を果たせるかどうかは疑問であった。
「それで?あんたを夢幻世界に連れて行って、どうなるのよ?」「あんたみたいな漂泊の狂犬、世界の安定なんかに従事するように思えないわよ」
「私は、貴方たち姉妹に絶対服従を誓うわ。――全力かどうかに関係なく、私は貴方たちに力で負けた。だから、力に基づいた“契約”をすれば“悪魔“の貴方たちも安心でしょ?それで、私を使って夢幻世界を安定させればいい」
悪魔たちが“契約”という儀式に弱いという事を知っていた幽香は、上手く姉妹たちを丸め込んだ。彼女らは顔を見合わせて小声で何かを話し合うと、互いに頷いて幽香に向き直った。
「分かったわ。ユカが使い物にならなくなった以上、多少は不満でもあんたをこき使って夢幻世界の安定に努めるしかないわね。…それで、契約の期間はいつまでなの?私たちはあんたが死ぬまで、でもいいけど」
“契約”には“期間”が必要である。“代償”と“内容”は“力に負けた事”と“絶対服従”であるが、期間を決めなければ契約は成立しない。それも互いに納得のいくモノでなければ。
「“死ぬまで”は私がいいわけないでしょ。期間は、そうね…。力によって交わされた契約なんだから、力で終わるのが相応しいわ。貴方たちが、今後…力によって負けた時。その時までの契約にしましょう」
幽香の言葉に、姉妹は鼻で笑って頷いた。絶対服従を契約した幽香は、もう姉妹に牙を向ける事はない。そうなれば、自分たちを脅かす存在などは滅多にいるものではない。
「面白いわね。私たちが力で負ける事があるとでも?じゃあ、その時までは私たちの配下になってもらうわよ、風見幽香」
「ええ、幻月様、夢月様」
こうして幽香は、“風見“の名を姉妹に預けて夢幻世界の住人として暮らす事となった。普通の人間となった少女を白い小屋に一人残して…
◇ ◇ ◇ ◇
その女性は夢に見る。その昔、自分を救ってくれた妖怪の事を。
何も告げずに姿を消した。彼女は今、何をしているのだろうか。
彼女が姿を消した後。目覚めた自分が、それまで命を蝕んできた病気から嘘のように回復していた事の関係は。
その女性は夢に見る。子供の自分に笑顔で話しかけてくれた妖怪の事を。
優しい気持ちを自分に注いでくれた妖怪の事を。
夢の最後は、いつも一緒。彼女が向日葵の一面に広がる丘の上から、自分に向けて微笑む姿。
野口幽香 (1866~1950)
日本の教育者・社会事業者。日本で最初の保育所を設立した者としても知られる。本名は「ゆか」
なお氏が大病などを患った記録はなく、終生活動的に日本の幼児教育等の為に活躍した。
設定もさることながら話の組み立てが秀逸です
オリキャラ……と言っていいのかわかりませんが、ユカもすんなりと受け入れらる絶妙な書き方
さらに緊迫した戦闘展開も含むといった素晴らしい作品でした
文章も読みやすく作者様の底知れない実力を感じます
いや、本当に素晴らしい。100点じゃたりないぞ
これからの作者様の作品も楽しみにさせていただきます
ありがとうございました
重い展開かと思いましたがハッピーエンドでホッとしました。
これは良い。
夢幻世界に行くことになる流れは少し強引な気がしました。
優しいゆうかりんはマジ素敵。
3.ktrさん
いやはや、そこまで言って頂けると嬉しいです。書いた甲斐がありました。
こちらもktrさんのご期待に添えるような作品を書こうと楽しみにさせていただきます。ありがとうございます。
8.とらねこさん
そうですね。幽香の花の能力は戦いに使わないし趣味みたいなモノじゃないですか。
そこからこういう話が浮かんできました。私もハッピーエンドが好きなので、割とハッピーエンドになりますね。
9.名前が無い程度の能力さん
そうですね、旧作→(契約終了)西方→(ユカもう死んでるんだけど)花。みたいな妄想をして頂ければ。
皆でつなごう妄想の輪。
12.名前が無い程度の能力さん
幽香って何かに執着する性格に見えないんですよね。だから能力も趣味程度に流れで身につけたと。
少々、伏線不足でしたね。よく展開が飛ぶ悪癖があるので直していこうと思います。ありがとうございました。
この作品単体としても面白い展開でした。これといった能力を定めていない幽香は新鮮でしたねぇ。