予期せぬ客人というものは、本当に予想すらしない機会に姿を見せるもの。
身構える相手の都合なんてお構いなしに、様々な隙間から入り込んでくる。
それを私が実感したのは、障子から淡く差し込む朝の日差しに瞼を刺激され。
雀たちの歌声を聞いて、おぼろげに天井を見つめていた時だった。
布団のぬくもりに心を奪われながらも、誘惑を払いのけ布団を押し上げたら。
「にぅっ!?」
何か鳴いた。
と、同時に何故か軽くなる。
朝の憂鬱な気分で布団を重く感じていたと思ったら、そうではなく。猫のようなものが、お腹あたりに乗っていたらしい。
まったく、なんと無礼な野良猫だろうか。
人の家に上がりこんで、堂々と暖かい布団の上を占拠するなどとは。
しかし、上半身を起こしたせいで横に転がされ、不恰好に畳の上へと移動した野良猫の姿を見て、少し気が晴れた。
「痛い……何するの、霊夢!」
どうやら野良猫は人語を話すようで、打ちつけた側頭部を擦りながら不満そうにこちらを睨んでくる。これはもしかすると、夢の続きか何かだろうか。そういえば昔見た絵本にも、こんな場面があった。
もしかすると、その懐かしい本の内容が何かのきっかけで思い返されているのかもしれない。
「……まったく、私が来てやったというのにいつまで寝てるのかしら」
やはり猫だ。
このふてぶてしさは猫に違いない。
若干猫としては珍しい青い色の癖毛を生やしていたり、薄桃色の服に身を包んでいたり、さらには背中から真っ黒の羽が生えていたりするが、どこをどう見ても猫だ。本当なら、喉を撫でてやったり、鼻をつんっと突付いたりして遊んであげてもいいのだが、前日の宴会のせいでどうしても体を動かす気になれない。そもそもまだ朝は肌寒い日が多くて、一度起きると決心しても、下半身を布団に入れたままだと、『あったかいぞぉ、布団はいいぞぉ』という誘惑がどんどん大きくなってきて。
「おやすみ……」
「寝るな!」
猫が何か叫びながら、布団を揺らしてくる。
猫とは思えないほどの力でぐいぐいと揺らしてくる。
今にも布団ごと剥ぎ取りそうな強引な猫の攻勢であったが、逆にそれがゆりかごみたいで気持ちいい。
自然と高い声が漏れて、意識がどんどん遠くなっていく。
春眠暁を覚えずと言ったが、まさに今、その偉大な言葉の意味を噛み締めることができようとは。猫も運動ができて一石二鳥。
しかし、気まぐれな猫は飽きやすく。
畳の上をとんとんっと軽く踏み鳴らし、日の光を避けるように移動。そして顔の前に回り込むと、顔の前でぺたんっと座り込む。ばんばんっと畳を叩いているから、何か不満でもあるのかもしれない。
「この私が、日の光をなんとか日傘で防御して、命を賭けて遊びに来てやったっていうのに、なんて無礼な。まず深々と頭を下げて、畳に額を擦り付けて。『お客様、すぐにお茶をお持ちいたします』っていうのが礼儀っても――」
「うるさい、黙れ野良猫」
「誰が猫か! この羽と紅の瞳、そしてこの高貴な――」
「あん?」
「……う、うぅぅぅ」
私の誠意を込めたお願いと、天使のような微笑が効果を発揮し。
野良猫は喉を低く鳴らしながらすごすごと部屋の隅に移動して。
ぱたんっと横になる。
体を横にしたまま膝を抱えて。
本当に丸くなって、まるで猫のよう。
って、猫だった。
うん、猫。
猫なら……仕方ないね。
「ほら、そこじゃ寒いでしょ?」
その背中があまりにも寂しそうだったから。
泣き出してしまいそうなくらい、悲しそうに見えたから。
猫に意地悪するのをやめた、
布団を軽く広げて、手招きするようにばさばさっと、端を揺らす。
すると、声に反応してこっちを見ていた猫が。
ふんっと鼻を鳴らして。
「いまさら? もう遅いわよ。私の機嫌を取ろうとしても無駄なこと。絶対に許してあげるものか」
と、言いながら。
しっかり布団に入ってくるのは機嫌が直ったとは言わないのだろうか。
実に言語というものは難しいものである。
「この程度の広さの布団で私が満足するとでも? 紅魔館のベッドなんて、何倍もあるしふかふかだし、なんと味気のない」
そう言いながら。
しっかり抱きついてくるのはどういうことだろうか。
味気ないから抱き付くのを許せという意味なのだろうか。
それとも抱き枕の変わりになれと。
本当に、遠慮というものを知らないから困る。
こちらとしては、体温が特に高くもない吸血鬼っぽい野良猫に抱きつかれて、寒い思いをしているというのに。
その羽が布団からはみ出て、ちょうど良い寒さの隙間風を運んでくるというのに。
それを我慢してあげているのにこの我侭な猫は何を偉そうに鳴くのか。
「こんな安っぽい布団で夜を過ごすなんて、私じゃ無理ね。仮眠すらとれほうもらぃわぁぁぁ~~~ぅ」
じゃあ、なんで眠そうに鳴くのだろう、この猫は。
こっそりと胸元にあたるその顔を覗いてみると、もう、いつ瞼が閉じてもいいくらい。まつ毛を小刻みに揺らして、必死に眠気と戦っているように思えた。
夜行性のこの猫が、今起きていて眠くないはずがないのに。
何故そんなに無理をするのか。
「……霊夢?」
「ん?」
「このまま私が寝ずに一時間耐えられたら、血を吸うから」
無理して起きているついでに、猫が無茶を言ってきた。
誰が好き好んで血を吸わせるというのだろう。
しかも猫の反則的な能力の使い方によっては、敗北確実に思えてくるし。
まあ、普通の人間なら、ね。
まず条件は飲まないでしょうけど。
「別に良いわよ。でも、ちゃんと一時間耐えられたらね」
私の力は、束縛されないこと。
例え野良猫の力が強くても、私が受け入れないと判断した力には効果を発揮することはできない。
だから面倒な約束を取り付けた。
それしか道がないから。
猫がどれだけ頑張れるか眺めているのも面白いだろう。
「おーい、わかったー?」
ちゃんと答えてやったのに返事がない。
開始の合図くらいしたらどうかと、また私が布団の中を覗いてみたら。
すー、すーって。安らかな寝息が聞こえ始め、その吐息が無遠慮に私の胸を撫でて来る。
もちろん、サラシ越しで。
「開始前から敗北ってどういうことよ……」
文句の一つくらい言ってやろうと、私が布団を大きく開いたら。
暖かさの残る敷き布団の上で、猫が安心しきった顔で私の肌襦袢を掴んでいて。そのあまりに無防備な顔を見ていたら。
可笑しくなってきた。
もう外はすっかり日が昇っていて。
障子を開き、掛け布団をとっただけでその命は危険に晒されるというのに。
この猫はすっかり信じきって眠っている。
絶対自分はそんな目には合わないと、盲信しているようだ。
「……どうせ、誰か来るだろうし。たまに朝食ぐらい作ってもらおうかしら」
私は、そんな可愛らしい猫を布団でくるみ。
今しばらく、まどろみの時間を味わった。
◇ ◇ ◇
野生の動物に甘い顔をしてはいけない。
絶対につけ上がったり、調子にのるから。
そんなことを誰かに言われた気がしたが、確かに間違いないようだ。
それからほとんど毎日、猫は私のところに来るようになった。
しかもわざわざ、自分が眠たい時間にやってきて。
布団に潜り込んで。
「一時間、眠らずに耐えられたら、噛むから」
とか言うのだ。
で、直後に熟睡。
眠気と温もりのダブルパンチであっさりと撃沈する。
それでも敗北するとわかっていて、何度も挑戦してくるものだから、困ったものである。
一度メイド長にも交渉してみたが。
「お嬢様の望むとおりにするのがよろしいかと」
放任主義のようである。
これは困った。
ならば、親友の本の虫に何か良い案はないかと聞いてみるが。
「いっそのこと血、吸われちゃえば?」
「そうです、私と一緒に使い魔っぽくなりましょうよ」
なにそれこわい。
妙な勧誘をされた。
これは困った。
いやいや、いままで聞く相手を間違っていたんだろう。やはり一番最初は身内の意見を尊重するべきと、引きこもりがちな少女のところへ足を運ぶと。
「じゃあ、私と遊ぶ?」
何の解決にもならない答えです。
本当にありがとうございました。
無駄に弾幕勝負をさせられて、疲労だけがたまってしまう。
精神疲労だけじゃなく、肉体的に疲れたら、また朝起きれないかもしれない。
これは困った。
こうなったら最後の手段。
気を使える門番の素敵な野良猫スルーテクニックを教えてもらうしか。
「…………すー」
寝てます。
熟睡です。
そういえば入るときも寝てたしね。
すっかり忘れてた。
しかたないので、おでこを指でつついて『怒られるわよ』とだけ言い残し、その場を後にした。
そしてその夜。
なんだかいつもの猫が不満そうに。
「何よ! 私が来たら困るっていうの! 迷惑なら直接いいなさいよ!」
って、言ってきたから。
仕方なく正直に答えてあげた。
「一緒に居たいなら夜来なさいよ。少しぐらい夜更かししてあげるから」
「え?」
「その方があなたも楽しめるでしょう?」
そうやって提案したら。
なんだか急に黙って、抱きついてきた。
困った500歳児の猫である。
そして、その日から……
「来たわよ! 霊夢」
「うわぁ……」
パジャマ常備の猫が、夕方から遊びにくるようになったのは言うまでもない。
まあ、異変起こすよりはこうしてる方が安心できるからいいのかもしれないけど。
それに私も。
こんな関係、嫌いじゃない。
嫌いじゃないけど。
とりあえず。
「やっぱり、明日から朝で」
「えぇぇぇぇぇっ!?」
◇ ◇ ◇
そんな奇妙な生活を続けて。
どれくらい経っただろうか。
どれだけ時が経っても、野良猫は布団に入って。
「一時間耐えられたら、噛む」
を繰り返して告げてくる。
どうせ無理だろう、と。
布団の暖かさと、眠気に負けて。
一瞬のうちに眠りにつくのだろう。
ずっと、猫が勝つことなんてありえない。
そう思っていたのに。
ある凍えるような寒い日。
空気がキラキラと輝くような、冬の日に。
猫は、見事に一時間耐えて見せた。
布団の誘惑に負けず。
耐え切った。
きっと、いつもより『布団の中が寒かった』から。
睡魔に耐え切れたのかもしれない。
だから私の静止を待つことなく。
猫は私の首筋に噛み付いた。
夢中で、噛み付いた。
何をそんなに必死になっているのか。
傍目で見ていて笑えるくらい。
喉を詰まらせて咳き込みながら、猫は噛み付き続けた。
「咲夜は間に合ったんだ……成功したんだっ!」
一瞬だけ、口を離すときは何故かメイド長の名前を呼び。
声を漏らし、涙を零し。
ただひたすらに噛み付き、啜る。
でも、少しわからないことがあるのよね。
私がそうやって、血を吸われているのを。
しわしわの肌の私が、寝転んだまま。
無抵抗で血を吸われているのを。
何故、ここにいる『私』が。
天井から見下ろしているんだろう。
しかし何十年と通い続けてたのかレミリア…
咲夜さんの間に合った、成功したってのはどういうことだろう…?
霊夢が死ぬ前に1時間耐えることができた、ってことだろうか。
くっ、このレミちゃんの優しい束縛なら、霊夢も縛られてあげても
いいんじゃないかと、ちょっとだけ思っちゃったりなんかしたりして。ちょんちょん
作者様、後書きで……
なんてシリアスな意味を付加してくれたんだ、あなたは。
間に合ったのは、猫の心の有りどころを作る時間だったんだろうか。
いいお話でした。
今回は、俺の負けです、もって行ってください
ある意味、すごく愛されているからこそ
起きて欲しかったり起きて欲しくなかったり
叙述ネタをやるなら最後ははっきりさせて欲しいというのが個人的感想です。
短い話でしたが綺麗にまとまっていてSSとして楽しめました。こういうのは好きです。
ほのぼのだと思ってニヤニヤして読み進めていたら
やられた。
一本取られました。文句なしの100点です。
これは最初から既に老年になってからの話だったのでしょうか。
だから紅魔館で出会った咲夜は既に……
これは100点つけざるを得ない
咲夜は死ぬ前に吸血鬼にさせられたけど今回は成功するかどうかって話ですね。
レミリアお嬢様…
でも霊夢はきっといい人生をおくったんだろう事を考えるとどっちでもOKじゃね?とか考える気楽な俺がおる
ほのぼので終わりと思いきや、
しんみりとした最後が印象に残った作品でした。
そして吸血鬼になった咲夜さんは納得したのだろうか?とか考えてしまった…寿命ネタほど悲しい物はないですね。
切ないなあ。
色々と含みのある表現が多くて想像が掻き立てられました。
面白いお話でした。
その時すでに霊夢は..ってことですよね