「パチェは白雪姫だね」
用事を済ませがてら遊びに来た図書館で。私は簡易ベッドで眠るパチェのそばに控える小悪魔に話しかけた。
「レミリア様、どうしてそのようにお思いになられるのですか?」
曖昧に微笑みながら、小悪魔は首をかしげる。
下位とはいえど、悪魔であることには変わりないはずなのに。こうも分かりやすく困惑の表情を見せるなど、悪魔にあるまじき行為だと思う。
でも、パチェの使い魔としては申し分ないし、私自身は素直な方が好きなので許してあげる。
「だって、いつ来てもパチェは毒リンゴを食べてるじゃない」
伝承と、パチェについての知識を持つ者ならきっと私の言いたいことが分かるはず。現に、目の前の小悪魔もぽん、と手を叩いた。
そう、パチェは読書が大好きだ。それは、「本」が好きとも言うことができる。「本」というのは過去の知恵の集合体。
いわば、知恵の果実―すなわちリンゴだ。
「なるほど。で、ですが、別にパチュリー様は毒になるようなものはお読みになってはいませんよ? 危険な魔導書にはちゃんと……」
「分かってるけど」
あわあわと主のフォローをしようとする小悪魔の言葉に割り込んで。ベッドに腰掛けた私はそっとパチェの頬に触れる。
いつもは温かい、と感じるはずのパチェの体温が、今日は熱く感じた。
「今日みたいに、倒れてしまうのなら。どんなに美味しいリンゴでも、それは結局毒リンゴでしょう?」
彼女の生きがいに口を出したくはないけれど。体調を崩して苦しむ姿を見るのも辛い。
パチェは夜の王に憎まれ口を叩くくらいが丁度いいのだ。
「そうですね…私ももっと気をつけておきます」
私の言葉に、小悪魔は顔を曇らせてうつむいた。うん、やっぱり悪魔らしくない。
「ええ。大変でしょうけど、頼んだわよ」
私もこんなことを言っている時点でお互い様なんだけれど。
「なんだか滑稽よね。悪魔が二人、魔女の心配なんて」
苦笑しながら軽くぼやいてみせれば小悪魔も同じく微笑んで、
「パチュリー様は白雪姫ですからね。小人たちを心配させるのはお手のものなのでしょう」
と、返してきた。
なるほど、そりゃあパチェは忠告を聞いてくれないわけだ。ついつい、都合のよい想像をしてみたくなる。
たとえば、小人の言うことを素直に受け入れて実行してくれる白雪姫とか。一人くらい、そんな白雪姫がいたっていいはずだ。それがうちのなら、なお嬉しい。
「…いや、なんか違う」
「どうなさいましたか?」
浮かんだ想像にものすごい寒気を感じた。小悪魔が心配そうに顔を覗き込んでくるが、手を振ってごまかす。
「あのパチェがしおらしく忠告を聞き入れ、体調が悪くなったら自発的に休む」なんて考えるべきじゃなかった。ありえない。
「サボり死神が真面目に仕事する」とか「八雲紫が胡散臭くない」くらいにありえない。
「悪いわね、大丈夫よ。それじゃあ、そろそろ小人その一は外に出るとしましょうか」
おどけて言いながらパチェを起こさないようにそっとベッドから立ち上がる。ベッドの大きさがあまりにもパチェにぴったりなことに気がついて、もしかして七番目の小人のベッドだったのかしらなんて思った。悪魔がなんてメルヘンな考え方をするのだと笑いたければ笑えばいい。
こんなことを考える自分も、甘っちょろくなってしまった自分も、私は嫌いではないのだ。
「あ、そうそう。ちょっと耳を貸して」
「はい、なんでしょうか」
パチェは眠っているから聞こえているはずはないけれど、念には念を。
「ああ、もうその時期でしたか」
「そうそう。それで、今思いついたことがあるのだけれど」
小悪魔に、そっと、内緒話。
「なるほど、面白そうです」
「でしょう? じゃ、パチェをよろしくね。小人その二」
「お任せください、小人その一様」
ゆっくりお休みなさい、可愛い私の白雪姫。
◆◆◆◆◆
「どうぞ、パチュリー様」
「ありがとう」
頼んだ本を持ってきてくれた小悪魔をねぎらって、私は視線を今まで読んでいた本から持ってきてもらった本の山に移した。
昨日倒れてからどんなことがあったのかは知らないが、目覚めたら無性にメルヘンが読みたくなったのだ。
「選択肢が多いと、それから手を出そうか迷うわよね……」
時間は腐るほどあるのだから、どれから手を出してもよいのだけれど、山の中から最初の一冊を選び出す行為というのはやはり特別だ。
例えるなら、新雪に踏み出す最初の一歩だろうか。
「パチュリー様、これなんてどうで…ギャー! 痛い、角は痛いです!」
時にはこんな風に台無しになってしまうこともあるけれど。腹が立ったので差し出された本で小悪魔に攻撃を仕掛けた。
やけに気合の入った装丁の本のタイトルは、「白雪姫」。
「あら、ナイスタイミング」
本を選び出す行為を新雪への一歩に例えた瞬間にこの本を手渡されるなんて、なかなか面白い偶然だ。
「でしょう? パチュリー様は白雪姫が似合うと思いまして」
私の言葉をどう解釈したのか、小悪魔は悪戯っぽい笑みをこちらに向けてくる。
なんだろう、何か悔しい。
でも、この笑顔も、これでお終い。
「悪いわね、白雪姫は好きになれないの」
この言葉が、小悪魔の表情を驚きへと塗り替えていった。
「ど、どうしてですか?」
「ああ、別に白雪姫だけが苦手なんじゃないのよ」
だって―ねえ? 白雪姫はつまるところ「美しいだけが取り柄の自分の娘に倒される魔女の話」ではないか。
メルヘンは好きだけれど、やっぱり魔女が倒される話は全般的に好きにはなれない。
「こあー…」
からかうネタを失ったとばかりに頭の羽を力なく動かし、しょげかえってしまう小悪魔。
よく分からないが、私の勝ちでいいのだろうか。
「パチュリー!」
図書館に元気な声が響き渡る。
妹様だ。普段はきちんと声を抑えてくれるのに、今日は遠慮がない。
声に不機嫌さが見当たらないことから察するに、何かいいことでもあったのだろうか。
「どうしたの妹様?」
「こんにちは、パチュリー様」
小悪魔とともに妹様を迎えれば、そこには妹様だけではなく、美鈴の姿もあった。
ああ、美鈴が妹様についていたのなら、妹様のご機嫌がいいのも納得できる。なんといっても、美鈴は妹様の一番のお気に入りなのだから。
「うん、あのね。お姉様がパチュリーにこれを渡してくれって」
にこにこと笑いながら妹様が何かを差し出してきた。白くて、薄い―
「手紙?」
レミィは一体何を考えているのだろう。用があるのなら普通に来てくれればいいのだし、実際いつもそうしているのに。
まあ、悪魔の気まぐれと受け取っておこう。
そう思わねば、やっていられない。
「あってるけど、違うよ。ね、美鈴」
「はい。それは招待状なんです」
「招待状?」
「はい、パーティーの招待状です」
「そうそう、パーティーパーティー」
「……はぁ」
信じられない気持ちで封を開いて中を見れば、確かにそれは正式な招待状。日付は明日になっている。
いつも突然やってきて私の都合なんてお構いなく引っ張っていくのに。
「レミィは何を考えているのかしら」
ため息をついて助けを求めるように周りを見渡しても、妹様も美鈴もにやにやするだけで。…小悪魔、お前もか。すすだらけの兵隊の兄弟分め。
「それはその時のお楽しみだよ。じゃあ、またね、パチュリー」
「失礼いたします、パチュリー様」
「え、ええ」
まだ困惑から抜け出せない私をほったらかして、妹様と美鈴は図書館を出ていってしまう。もしもここに石臼があれば留めることができるのに。
かすかに聞こえてきた「美鈴! 今日はこいしが遊びに来るの! いっぱい遊んでね」というはしゃいだ声に一瞬だけ微笑んで。
私はもう一度、大きなため息をついた。
「失礼いたします、パチュリー様」
「あら、咲夜」
妹様と美鈴の不可解な訪問から、私がメルヘンの山の中腹に辿り着く位の時間がたった頃。
今度は咲夜がやってきた。その手の中にあるのはティーセットではなく、メイクセットに白い服。
「お嬢様のご命令です。パーティーの前におめかし、いたしましょう?」
言葉とともに、時間が止まる。
気がつけば、目の前に鏡が置かれていた。そこに映るのは、もちろん私の姿。
「……よね?」
自信が持てずにおずおずと右手をあげれば、鏡の中の少女も手をあげる。良かった、この鏡はここにはいない誰かを映し出す、お妃の魔法の鏡ではないらしい。
「お綺麗ですわ、パチュリー様」
私の顔を覗き込み、咲夜は満足げに腕を組んだ。まったく―
「よくも、百年魔女にここまでの魔法をかけたこと」
甘い香りのする香水に、絶妙な量の白粉。アイシャドウに、紅い口紅。そして、少し裾の短いドレス。 自分で言うのもなんだけど、なんだか、とても艶っぽい。
図書館の魔女が、魔法によって。一人の娘に変えられた。
この魔法は、呪い? それとも祝福?
「ご謙遜を。パチュリー様が元々お美しいのです」
「まったく、口の上手な猫だこと。履いているのはやっぱり長靴なのかしら」
「いえいえ、王をたばかることなどいたしません。何故なら今の私は」
「私は?」
主のために姫君をかどわかす、忠実なヨハネスですので。
言うが早いか、咲夜は私をまるで荷物のように持ちあげて運び始めた。向かう先は私の城、図書館の外。
「ちょっと待ちなさい。私はパーティーに出るなんて一言も…小悪魔も見てないで助けなさいよ…」
「人々が姫の誘拐に気がついたときには、もうヨハネスは国から遠く離れておりました。もうどうしようもありません」
しれっとして言い放つと、小悪魔はあろうことか咲夜の手助けをし始める。
「どうしようもあるじゃない」
せめてもの抵抗に本を一冊つかんだけれど、すぐに奪われてしまった。いつのまにか、私がいるのはもう廊下。
「咲夜さま、“ラプンツェル”は“ノヂシャ”の意ですよね?」
「そうらしいわね」
「じゃあ、パチュリー様は“紫も…ギャー!」
余計なことを言う小悪魔にお仕置きのロイヤルフレア。さっきから咲夜の味方をしているのは不問にしているから、見た目ほどの威力はないはずだ。
ほら、もうどこぞの呪われた王子のようにケロケロして…いや、けろりとしている。文句を言ってくる彼女に言い返していると、
「着きましたわ、パチュリー様」
マイペースな咲夜の声。同時に、床へと足がつく。
「あら、ここ?」
「そうです」
連れてこられたのは食堂の前。普段パーティーに使う大食堂ではなく、私的な食事をする小食堂だ。
私にまで招待状を送ってきたのだから、さぞ大々的なパーティーをするのだろうと思ったのに。
何もかもが、普段と違う。ひどく落ち着かない。
もしかして、私はおとぎの国にいるのだろうか。引っ張った頬は、痛い。
「どうぞ、お入りください」
さっき時を止めたときにポケットに入れてきたのだろうか、レミィからの招待状を差し出して恭しく頭を下げる咲夜に促されるままに、落ち着かないまま扉に手を伸ばす。
扉の向こうは王の間か、怪物の玉座か。
◆◆◆◆◆
「パチュリー!」
どちらでもなかった。
扉を開けた瞬間に、妹様がものすごい勢いで飛びついてきた。十分に手加減をしてくれているのは分かっているけど、それでも私には衝撃を受け止めきれない。
「…………!!」
よろめいた身体を、誰かが後ろから支えてくれた。耳元に響く、その誰かさんの笑い声。
「大丈夫?」
―レミィ。いろいろ聞きたいことはあるけれど、まずは。
「ありがと」
お礼を言わねば、始まらない。
「どういたしまして。今日のヒロインにいきなりすっ転ばれるなんて嫌だしね」
「ん? ヒロインってどういうことよ。事態が飲み込めないのだけれど」
振り返って、レミィと向かい合う。自信に満ち溢れた笑みをたたえる夜の王。
さあ、全部説明していただけるかしら?
「だって、百四年前の今日、あなたがうちに迷いこんだんだもの。出会いの日を祝うのは当然でしょう? ねぇ、白雪姫」
それに、百四は十三の倍数だから、いつもより趣向をこらさないと。いつもパチェは忘れてるから、事前に記念日だって知らせてるけど、こういうふうにするのは初めてよね?
どう? 驚いた?
そんなことを、夜の王は優しい声で言うのだ。なんて、なんて甘いのだろう。
魔女と悪魔は、こんな甘いことをするような関係ではないはずなのに。
だけれど、私たちは。私とレミィは。ずっと―そうしてきた。
私たちだけではない。小悪魔も、美鈴も、幼かった頃の咲夜も、現在の咲夜も。昔の妹様も、今の妹様も。
ずっと、そうしてきた。そうしてきて、くれた。
視界がかすむ。鼻の奥がツンとする。これも、十三年ごとに繰り返される恒例行事。
百年魔女の、うれし泣き。
「よしよし、いい子ね。私の可愛い白雪姫」
ぽんぽん、と。まるで幼い子供をあやすようにレミィに背中を叩かれた。周りの皆も微笑んでいる。
恥ずかしくて、つい、憎まれ口を叩いてしまう。
「あのね、さっきも言おうと思っていたんだけど。私の事、白雪姫って言うのやめてくれない? あまり好きじゃないの」
「なんで?」
「だってあいつ、綺麗なだけの女の子じゃない。なのに魔女殺しなんて許せないわ」
少しだけ唇を尖らせて主張すれば、レミィは声をあげて笑い始めた。
「あは、あはははは!」
「…何よ」
笑ってないで、言いたいことがあるのなら早く言ってくれればいいのに。なんだか逆に怖いじゃないの。
「なーるほど、パチェは白雪姫の正体を知らないのね」
手を叩きながら、レミィは笑い続ける。憎まれ口を叩いたのはこちらだけれど、あまりにレミィが笑うからむっとして。
頬を膨らませて抗議の意思を表すと、右側をレミィに、左側を妹様と美鈴につつかれた。
「…むきゅー」
「ねえ、パチェ? 白雪姫は魔女なのよ?」
「…………?」
思いがけない言葉に首をかしげる私に向けて、レミィは話し続ける。
「“美しい”だけで、狩人があんなに都合よく同情してくれる? 小人たちが愛してくれる?」
「あ」美鈴が手を叩いた。
「それに、魔女であるお妃が人と獣の内臓の区別がつかないなんてことが起こりえる?」
「それもそうですね」響く、咲夜の声。
揺らぐ私に、とどめとばかりに最後の一言。
「道徳的に歪められる前の話だと、お妃は白雪姫の“実の母親”じゃなかったかしら?」
「…………!!」
そうだ、そうだった。彼女は、白雪姫は。あのお妃の、“実の娘”だ。
それなら、そう、白雪姫は。白雪姫は。
―生まれながらの、魔女なのだ。
「魅了と、幻覚の魔法が得意みたいね。七歳でここまでの力があるなんて、恐ろしい子」
得意なジャンルは違うけど。彼女はまるで、パチェみたい。
歌うように囁いて、レミィはまた笑った。
「でもね?」
なあに、レミィ? 声には出さない。何も言わずとも、きっとレミィには分かっている。
「私も皆も、白雪姫の魔法には、かかっていないの。自分の意思で、パチェが大好き」
澄んだ瞳に、覗きこまれた。目を離せない、離さない。
「だから、パチェは、王子様になんて渡さない。ねえ、そうよね、小人たち?」
「はい!!」
「うん!! 当たり前だよ!!」
「もちろんですわ」
「王子様は門前払いですね」
レミィのウィンクに、一斉に皆が応えた。
ああ、また視界がかすんでくる。これでは折角の咲夜のメイクが台無しだ。
「ありがとう」
どうにか、言葉を紡いで。笑顔の皆に微笑み返す。
壁にかかった鏡の中には、泣き笑いの私と、白雪姫が映っていた。
―ねえ、白雪姫。皆がいれば、たまにはあなたと踊るのも、悪くないかもしれないわ。
用事を済ませがてら遊びに来た図書館で。私は簡易ベッドで眠るパチェのそばに控える小悪魔に話しかけた。
「レミリア様、どうしてそのようにお思いになられるのですか?」
曖昧に微笑みながら、小悪魔は首をかしげる。
下位とはいえど、悪魔であることには変わりないはずなのに。こうも分かりやすく困惑の表情を見せるなど、悪魔にあるまじき行為だと思う。
でも、パチェの使い魔としては申し分ないし、私自身は素直な方が好きなので許してあげる。
「だって、いつ来てもパチェは毒リンゴを食べてるじゃない」
伝承と、パチェについての知識を持つ者ならきっと私の言いたいことが分かるはず。現に、目の前の小悪魔もぽん、と手を叩いた。
そう、パチェは読書が大好きだ。それは、「本」が好きとも言うことができる。「本」というのは過去の知恵の集合体。
いわば、知恵の果実―すなわちリンゴだ。
「なるほど。で、ですが、別にパチュリー様は毒になるようなものはお読みになってはいませんよ? 危険な魔導書にはちゃんと……」
「分かってるけど」
あわあわと主のフォローをしようとする小悪魔の言葉に割り込んで。ベッドに腰掛けた私はそっとパチェの頬に触れる。
いつもは温かい、と感じるはずのパチェの体温が、今日は熱く感じた。
「今日みたいに、倒れてしまうのなら。どんなに美味しいリンゴでも、それは結局毒リンゴでしょう?」
彼女の生きがいに口を出したくはないけれど。体調を崩して苦しむ姿を見るのも辛い。
パチェは夜の王に憎まれ口を叩くくらいが丁度いいのだ。
「そうですね…私ももっと気をつけておきます」
私の言葉に、小悪魔は顔を曇らせてうつむいた。うん、やっぱり悪魔らしくない。
「ええ。大変でしょうけど、頼んだわよ」
私もこんなことを言っている時点でお互い様なんだけれど。
「なんだか滑稽よね。悪魔が二人、魔女の心配なんて」
苦笑しながら軽くぼやいてみせれば小悪魔も同じく微笑んで、
「パチュリー様は白雪姫ですからね。小人たちを心配させるのはお手のものなのでしょう」
と、返してきた。
なるほど、そりゃあパチェは忠告を聞いてくれないわけだ。ついつい、都合のよい想像をしてみたくなる。
たとえば、小人の言うことを素直に受け入れて実行してくれる白雪姫とか。一人くらい、そんな白雪姫がいたっていいはずだ。それがうちのなら、なお嬉しい。
「…いや、なんか違う」
「どうなさいましたか?」
浮かんだ想像にものすごい寒気を感じた。小悪魔が心配そうに顔を覗き込んでくるが、手を振ってごまかす。
「あのパチェがしおらしく忠告を聞き入れ、体調が悪くなったら自発的に休む」なんて考えるべきじゃなかった。ありえない。
「サボり死神が真面目に仕事する」とか「八雲紫が胡散臭くない」くらいにありえない。
「悪いわね、大丈夫よ。それじゃあ、そろそろ小人その一は外に出るとしましょうか」
おどけて言いながらパチェを起こさないようにそっとベッドから立ち上がる。ベッドの大きさがあまりにもパチェにぴったりなことに気がついて、もしかして七番目の小人のベッドだったのかしらなんて思った。悪魔がなんてメルヘンな考え方をするのだと笑いたければ笑えばいい。
こんなことを考える自分も、甘っちょろくなってしまった自分も、私は嫌いではないのだ。
「あ、そうそう。ちょっと耳を貸して」
「はい、なんでしょうか」
パチェは眠っているから聞こえているはずはないけれど、念には念を。
「ああ、もうその時期でしたか」
「そうそう。それで、今思いついたことがあるのだけれど」
小悪魔に、そっと、内緒話。
「なるほど、面白そうです」
「でしょう? じゃ、パチェをよろしくね。小人その二」
「お任せください、小人その一様」
ゆっくりお休みなさい、可愛い私の白雪姫。
◆◆◆◆◆
「どうぞ、パチュリー様」
「ありがとう」
頼んだ本を持ってきてくれた小悪魔をねぎらって、私は視線を今まで読んでいた本から持ってきてもらった本の山に移した。
昨日倒れてからどんなことがあったのかは知らないが、目覚めたら無性にメルヘンが読みたくなったのだ。
「選択肢が多いと、それから手を出そうか迷うわよね……」
時間は腐るほどあるのだから、どれから手を出してもよいのだけれど、山の中から最初の一冊を選び出す行為というのはやはり特別だ。
例えるなら、新雪に踏み出す最初の一歩だろうか。
「パチュリー様、これなんてどうで…ギャー! 痛い、角は痛いです!」
時にはこんな風に台無しになってしまうこともあるけれど。腹が立ったので差し出された本で小悪魔に攻撃を仕掛けた。
やけに気合の入った装丁の本のタイトルは、「白雪姫」。
「あら、ナイスタイミング」
本を選び出す行為を新雪への一歩に例えた瞬間にこの本を手渡されるなんて、なかなか面白い偶然だ。
「でしょう? パチュリー様は白雪姫が似合うと思いまして」
私の言葉をどう解釈したのか、小悪魔は悪戯っぽい笑みをこちらに向けてくる。
なんだろう、何か悔しい。
でも、この笑顔も、これでお終い。
「悪いわね、白雪姫は好きになれないの」
この言葉が、小悪魔の表情を驚きへと塗り替えていった。
「ど、どうしてですか?」
「ああ、別に白雪姫だけが苦手なんじゃないのよ」
だって―ねえ? 白雪姫はつまるところ「美しいだけが取り柄の自分の娘に倒される魔女の話」ではないか。
メルヘンは好きだけれど、やっぱり魔女が倒される話は全般的に好きにはなれない。
「こあー…」
からかうネタを失ったとばかりに頭の羽を力なく動かし、しょげかえってしまう小悪魔。
よく分からないが、私の勝ちでいいのだろうか。
「パチュリー!」
図書館に元気な声が響き渡る。
妹様だ。普段はきちんと声を抑えてくれるのに、今日は遠慮がない。
声に不機嫌さが見当たらないことから察するに、何かいいことでもあったのだろうか。
「どうしたの妹様?」
「こんにちは、パチュリー様」
小悪魔とともに妹様を迎えれば、そこには妹様だけではなく、美鈴の姿もあった。
ああ、美鈴が妹様についていたのなら、妹様のご機嫌がいいのも納得できる。なんといっても、美鈴は妹様の一番のお気に入りなのだから。
「うん、あのね。お姉様がパチュリーにこれを渡してくれって」
にこにこと笑いながら妹様が何かを差し出してきた。白くて、薄い―
「手紙?」
レミィは一体何を考えているのだろう。用があるのなら普通に来てくれればいいのだし、実際いつもそうしているのに。
まあ、悪魔の気まぐれと受け取っておこう。
そう思わねば、やっていられない。
「あってるけど、違うよ。ね、美鈴」
「はい。それは招待状なんです」
「招待状?」
「はい、パーティーの招待状です」
「そうそう、パーティーパーティー」
「……はぁ」
信じられない気持ちで封を開いて中を見れば、確かにそれは正式な招待状。日付は明日になっている。
いつも突然やってきて私の都合なんてお構いなく引っ張っていくのに。
「レミィは何を考えているのかしら」
ため息をついて助けを求めるように周りを見渡しても、妹様も美鈴もにやにやするだけで。…小悪魔、お前もか。すすだらけの兵隊の兄弟分め。
「それはその時のお楽しみだよ。じゃあ、またね、パチュリー」
「失礼いたします、パチュリー様」
「え、ええ」
まだ困惑から抜け出せない私をほったらかして、妹様と美鈴は図書館を出ていってしまう。もしもここに石臼があれば留めることができるのに。
かすかに聞こえてきた「美鈴! 今日はこいしが遊びに来るの! いっぱい遊んでね」というはしゃいだ声に一瞬だけ微笑んで。
私はもう一度、大きなため息をついた。
「失礼いたします、パチュリー様」
「あら、咲夜」
妹様と美鈴の不可解な訪問から、私がメルヘンの山の中腹に辿り着く位の時間がたった頃。
今度は咲夜がやってきた。その手の中にあるのはティーセットではなく、メイクセットに白い服。
「お嬢様のご命令です。パーティーの前におめかし、いたしましょう?」
言葉とともに、時間が止まる。
気がつけば、目の前に鏡が置かれていた。そこに映るのは、もちろん私の姿。
「……よね?」
自信が持てずにおずおずと右手をあげれば、鏡の中の少女も手をあげる。良かった、この鏡はここにはいない誰かを映し出す、お妃の魔法の鏡ではないらしい。
「お綺麗ですわ、パチュリー様」
私の顔を覗き込み、咲夜は満足げに腕を組んだ。まったく―
「よくも、百年魔女にここまでの魔法をかけたこと」
甘い香りのする香水に、絶妙な量の白粉。アイシャドウに、紅い口紅。そして、少し裾の短いドレス。 自分で言うのもなんだけど、なんだか、とても艶っぽい。
図書館の魔女が、魔法によって。一人の娘に変えられた。
この魔法は、呪い? それとも祝福?
「ご謙遜を。パチュリー様が元々お美しいのです」
「まったく、口の上手な猫だこと。履いているのはやっぱり長靴なのかしら」
「いえいえ、王をたばかることなどいたしません。何故なら今の私は」
「私は?」
主のために姫君をかどわかす、忠実なヨハネスですので。
言うが早いか、咲夜は私をまるで荷物のように持ちあげて運び始めた。向かう先は私の城、図書館の外。
「ちょっと待ちなさい。私はパーティーに出るなんて一言も…小悪魔も見てないで助けなさいよ…」
「人々が姫の誘拐に気がついたときには、もうヨハネスは国から遠く離れておりました。もうどうしようもありません」
しれっとして言い放つと、小悪魔はあろうことか咲夜の手助けをし始める。
「どうしようもあるじゃない」
せめてもの抵抗に本を一冊つかんだけれど、すぐに奪われてしまった。いつのまにか、私がいるのはもう廊下。
「咲夜さま、“ラプンツェル”は“ノヂシャ”の意ですよね?」
「そうらしいわね」
「じゃあ、パチュリー様は“紫も…ギャー!」
余計なことを言う小悪魔にお仕置きのロイヤルフレア。さっきから咲夜の味方をしているのは不問にしているから、見た目ほどの威力はないはずだ。
ほら、もうどこぞの呪われた王子のようにケロケロして…いや、けろりとしている。文句を言ってくる彼女に言い返していると、
「着きましたわ、パチュリー様」
マイペースな咲夜の声。同時に、床へと足がつく。
「あら、ここ?」
「そうです」
連れてこられたのは食堂の前。普段パーティーに使う大食堂ではなく、私的な食事をする小食堂だ。
私にまで招待状を送ってきたのだから、さぞ大々的なパーティーをするのだろうと思ったのに。
何もかもが、普段と違う。ひどく落ち着かない。
もしかして、私はおとぎの国にいるのだろうか。引っ張った頬は、痛い。
「どうぞ、お入りください」
さっき時を止めたときにポケットに入れてきたのだろうか、レミィからの招待状を差し出して恭しく頭を下げる咲夜に促されるままに、落ち着かないまま扉に手を伸ばす。
扉の向こうは王の間か、怪物の玉座か。
◆◆◆◆◆
「パチュリー!」
どちらでもなかった。
扉を開けた瞬間に、妹様がものすごい勢いで飛びついてきた。十分に手加減をしてくれているのは分かっているけど、それでも私には衝撃を受け止めきれない。
「…………!!」
よろめいた身体を、誰かが後ろから支えてくれた。耳元に響く、その誰かさんの笑い声。
「大丈夫?」
―レミィ。いろいろ聞きたいことはあるけれど、まずは。
「ありがと」
お礼を言わねば、始まらない。
「どういたしまして。今日のヒロインにいきなりすっ転ばれるなんて嫌だしね」
「ん? ヒロインってどういうことよ。事態が飲み込めないのだけれど」
振り返って、レミィと向かい合う。自信に満ち溢れた笑みをたたえる夜の王。
さあ、全部説明していただけるかしら?
「だって、百四年前の今日、あなたがうちに迷いこんだんだもの。出会いの日を祝うのは当然でしょう? ねぇ、白雪姫」
それに、百四は十三の倍数だから、いつもより趣向をこらさないと。いつもパチェは忘れてるから、事前に記念日だって知らせてるけど、こういうふうにするのは初めてよね?
どう? 驚いた?
そんなことを、夜の王は優しい声で言うのだ。なんて、なんて甘いのだろう。
魔女と悪魔は、こんな甘いことをするような関係ではないはずなのに。
だけれど、私たちは。私とレミィは。ずっと―そうしてきた。
私たちだけではない。小悪魔も、美鈴も、幼かった頃の咲夜も、現在の咲夜も。昔の妹様も、今の妹様も。
ずっと、そうしてきた。そうしてきて、くれた。
視界がかすむ。鼻の奥がツンとする。これも、十三年ごとに繰り返される恒例行事。
百年魔女の、うれし泣き。
「よしよし、いい子ね。私の可愛い白雪姫」
ぽんぽん、と。まるで幼い子供をあやすようにレミィに背中を叩かれた。周りの皆も微笑んでいる。
恥ずかしくて、つい、憎まれ口を叩いてしまう。
「あのね、さっきも言おうと思っていたんだけど。私の事、白雪姫って言うのやめてくれない? あまり好きじゃないの」
「なんで?」
「だってあいつ、綺麗なだけの女の子じゃない。なのに魔女殺しなんて許せないわ」
少しだけ唇を尖らせて主張すれば、レミィは声をあげて笑い始めた。
「あは、あはははは!」
「…何よ」
笑ってないで、言いたいことがあるのなら早く言ってくれればいいのに。なんだか逆に怖いじゃないの。
「なーるほど、パチェは白雪姫の正体を知らないのね」
手を叩きながら、レミィは笑い続ける。憎まれ口を叩いたのはこちらだけれど、あまりにレミィが笑うからむっとして。
頬を膨らませて抗議の意思を表すと、右側をレミィに、左側を妹様と美鈴につつかれた。
「…むきゅー」
「ねえ、パチェ? 白雪姫は魔女なのよ?」
「…………?」
思いがけない言葉に首をかしげる私に向けて、レミィは話し続ける。
「“美しい”だけで、狩人があんなに都合よく同情してくれる? 小人たちが愛してくれる?」
「あ」美鈴が手を叩いた。
「それに、魔女であるお妃が人と獣の内臓の区別がつかないなんてことが起こりえる?」
「それもそうですね」響く、咲夜の声。
揺らぐ私に、とどめとばかりに最後の一言。
「道徳的に歪められる前の話だと、お妃は白雪姫の“実の母親”じゃなかったかしら?」
「…………!!」
そうだ、そうだった。彼女は、白雪姫は。あのお妃の、“実の娘”だ。
それなら、そう、白雪姫は。白雪姫は。
―生まれながらの、魔女なのだ。
「魅了と、幻覚の魔法が得意みたいね。七歳でここまでの力があるなんて、恐ろしい子」
得意なジャンルは違うけど。彼女はまるで、パチェみたい。
歌うように囁いて、レミィはまた笑った。
「でもね?」
なあに、レミィ? 声には出さない。何も言わずとも、きっとレミィには分かっている。
「私も皆も、白雪姫の魔法には、かかっていないの。自分の意思で、パチェが大好き」
澄んだ瞳に、覗きこまれた。目を離せない、離さない。
「だから、パチェは、王子様になんて渡さない。ねえ、そうよね、小人たち?」
「はい!!」
「うん!! 当たり前だよ!!」
「もちろんですわ」
「王子様は門前払いですね」
レミィのウィンクに、一斉に皆が応えた。
ああ、また視界がかすんでくる。これでは折角の咲夜のメイクが台無しだ。
「ありがとう」
どうにか、言葉を紡いで。笑顔の皆に微笑み返す。
壁にかかった鏡の中には、泣き笑いの私と、白雪姫が映っていた。
―ねえ、白雪姫。皆がいれば、たまにはあなたと踊るのも、悪くないかもしれないわ。
レミリアとパチュリーの関係が好きです。
よし、ちょっと志願してくる
さて、小人採用試験に向けて履歴書出してくるw
みんな小人志願なのか? 本当にそれで良いのだな?
なら俺が王子様決定で構わんな?
十三年目ごとのお祝いに思わず涙ぐんでしまうパチュリーが可愛いですねー。
‥‥で、すみません。
小人採用枠の内、一つは私がすでに頂きましたので♪
おもしろかったです。
暖かい紅魔館を堪能しました。
ナイス!b
いやはや、それにしても白雪姫をそんな風に使うとは。ていうか普通に驚きました。こういう解釈の仕方が出来るから二次創作は面白いですねぇ。東方にしても童話にしてもね。
素敵なお話でした。
紅魔館の家族愛が素晴らしい。
白雪姫のお話をこう使われるとは、いやはや感服いたしました。