―――これは、私達が幻想郷にやって来る前、英国に住んでいた時の話だ。
「レミィって、本当に酔狂よね」
ある日の昼下がりのこと。パチェが館の廊下で、私の隣を歩きながらそう言った。
私が注文した茶葉を取りに、これから外出することを伝えたからだ。私は丸めたボロを小脇に抱えていた。
「仕方ないじゃない。他に人手はないの」
「でも何でこんな快晴の日に行くの。人通りも多いだろうし」
「なら大雨の日の方が良かったかしら? 」
「そうことじゃないの……」
「じゃあ、どういうこと」
「はあ……別にいいわ。なんでも無い」
「……そう。いつも心配させて悪いわね」
パチェが私の身を案じていることは、私も感じてはいる。
故に謝ったのだが、パチェは肩を竦めるだけだった。当然の反応だ。ただ謝るだけで、結局私は出掛けるのだから。
出掛けるのは、今の生活が退屈だから。
最初はただ退屈を紛らわす為だった。
しかし人間社会に慣れてしまってからは、今の退屈を満たすモノを探す為に、私は出掛けている。
故に出掛けることで、私は有意な生活を送れると私は思うのだ。
パチェは出掛ける理由を知っていないから、私を心配するのだろう。
だが、パチェには言いたくない。相談したら、自分の都合でまたパチェを巻き込み、苦労を強いてしまうだろう。私だって成長しているから、これは自分の問題だと言う意識を持っている。故に、長年共にいたパチェを、もうこれ以上自分勝手に振り回したくないのだった
私達はホールに出た。私は自身の翼を小さく畳む。そして、正体を隠す為にボロを頭から被り、全身を覆い隠した。
私は玄関の扉を押し開ける。春の匂いがホールに流れ込み、外の眩しさに私は目を細めた。
「じゃあ、行って来るわね」
「えぇ」
かくして私は、ロンドンにやって来た。
街の喧騒と、人ごみの中を潜り抜けて私は目的の茶屋を目指す。裏路地に入ってからも暫く歩き、やがて私は目的地である行き付けの茶屋に辿り着いた。
ドアを開けて、私は店内に入る。ドアに吊るされた鈴が、店主以外に誰も居ない店内で、虚しく音を鳴らした。
「注文した茶葉、取りに来たのだけど」
私が言うと、カウンターに立つ店主が笑みを浮かべた。
素性も明かさない上に、格好も不審な客の私だが、毎回高級な茶葉を買うから、正体を咎められたことはなかった。
「お待ちしておりました。冷茶をご用意させますので、少々お待ちを……」
店主は、そう言うと店の奥へ消える。私は近くの椅子に腰掛けた。
暫くすると、奥の扉が開いて一人の少女が紅茶を手にやって来た。
少女は東洋人だった。背丈は私より少しだけ高く、身体に纏っている服は薄汚れている。腰まで届く黒髪は繊細で、肌は白かった。
……店主が雇ったのだろうか?
英国のこんな店に東洋人がいる物珍しさから、私は少女をまじまじと見つめた。少女は私の前で立ち止まり、黙って私を見つめた。緊張している訳でもないのに、何故何も言わないのだろう。
「…………」
「茶を頂戴」
すると、少女は私に紅茶を満たしたカップを突き付けた。中の紅茶が勢いよく跳ね、私のボロの上に飛び散った。
―――刹那、私は少女の手にあったカップを叩き割る。そのまま少女の喉元に爪を突き付けて、睨み据えた。
遅れて、紅茶が破片と共に床の上に広がった。
「……いい度胸ね。非礼を詫びるなら今のうちよ? 」
脅しのつもりだったが、私を捉える少女の瞳は、揺らぐことは無かった。
私は笑いを漏らした。この私を怖れないだなんて、少女の癖に度胸が据わってる。それが実に面白く、私は少女を気に入ったのだ。私は、突き付けた爪を少女の喉元から離した。
「貴女の名前は? 」
「…………」
「……そう。無いのね」
店主が、包装された箱を小脇に抱えてやって来た。そして床に広がる紅茶とカップの破片を見て、少女に片付けを命じた。
私は少女がここにいる理由を、店主に尋ねることにした。
「お待たせいたしました」
「ねえ、どうしてこの店に東洋人がいるの? 」
「こいつですか? こいつは元々浮浪児でして。恐らく元は清国で英国人に人身売買されたか、拾われてやって来れたんでしょうねぇ。阿片のせいで、あっちには捨て子が溢れてるそうですし。まあ……ここでも捨てられてしまいましたが」
「ああ、拾ったのね」
「えぇ……東洋人にしては別嬪だと思い、つい。でもまあ、東洋人ですし。餓え死するよりは好き勝手使ってやった方が、まだマシでしょう」
「好き勝手に使ってやるだけマシ」その言葉が店主の本心であるのなら、少女は奴隷のような人生を送って行くことになるのだろう。少女が哀れだった。
だがパチェが私が出掛ける度に心配しているのを想うと、少女を救い出す事はパチェに対する裏切りに思えて、今少女に出来ることは何も無いのだと思うしかなかった。故に歯痒かった。
代金と引き換えに茶葉を受け取ると、私は少女へ振り返った。少女も立ち尽くしたまま、私を見ていた。
「…………」
「また会えるといいわね。それまでに、もっと礼儀と言うモノを覚えてくれると、尚嬉しいわ」
最後に私は、期待を込めて少女にそう告げた。
私の館はロンドン郊外にある。パチェによって対策がしてあって、私が訪問を許した者だけが館を見付けることが出来た。
私は日傘を差して、正門の内側で届いた葉書を読んでいた。葉書はロシアに住んでいた頃、雇っていた使用人からのものだった。私の口元が緩む。昔、ロシアに住んでいた頃のことを思い出し、懐かしくなったのだ。
彼女は、今どうしているのだろう。
今となっては、葉書以外に触れ合う機会は無かった。私は、もうかの地に戻ることは出来ないのだから……。
背後で正門が開かれる音がした。
振り返ると、そこには茶屋で出会った少女がいた。前よりも髪や衣服が汚れているのが目に付く。
私の中に、少女との再会を望む気持ちがあったことで、パチェの術が少女を拒まなかったのだろう。故に大して驚きはしなかった。
「あら、三日ぶりね」
「…………」
少女は、三日前と同じ調子で私に封書を差し出す。当然、行き付けの茶屋の封書だった。私はやんわりと封書を受け取り、開封して中の手紙を読んだ。
手紙には新しい茶葉を入荷した知らせが書いてあった。
「貴女は私の姿を見て驚かないの? 」
「…………」
「……まあ、他言しなければ別に良いのだけど。貴女を消したくないものね。そうそう三日前買った茶葉、悪く無かったわよ。まろやかで。パチェは相変わらず何も言わなかったけど、フランは気に入ったみたい」
「…………」
少女への語り掛けが独り言のようでも、私は気にならなかった。お気に入りの相手が来たことで、私は些か上機嫌だった。
少女が帰ろうとした。
「待ちなさい」
私は少女を呼び止める。
この前の歯痒さもある。せめて少女の身体の汚れ位は、落としてやりたかった。
「浴槽は自由に使っていいから、身体の汚れを落として行きなさい。服も好きなのを着て良いわ」
「…………」
少女はコクリと頷いた。私の言葉は分かっているようだった。
「身体は自分で洗えるわよね」
初めて少女とやり取りが出来た。私は嬉しくて、そう言いながら少女へ微笑んだ。
私は中庭のテラスで少女を待つ間、暇つぶしに新聞を広げて読んでいた。
そして、最後のページに差し掛かった時だった。
「……そこにいるのは、誰? 」
私は問い掛けた。新聞の向こう側に、妖力を感じたのだ。
私は困惑した。この私が、相手に接近されるまでその存在に気が付かなかったのだ……。しかも相手はあのパチェの術を掻い潜って来たと言うのか? 信じられない。
……だが、もしそうなら相手は腕利きの妖怪かも知れない。聖職者の可能性だってある。
私は、その姿を確認する為に、視界から新聞を降ろして行く。相手によっては、先手を打つつもりだった。
そして、私は新聞から手を離した。
「―――驚かせないで頂戴……」
だが、そこに立っていたのは少女だった。身体の汚れを綺麗に落とし、ちゃんと服を着替えている。途端に少女から妖力は消えた。いや、単に感じ無くなっただけかも知れない。
私は、足元の新聞を拾い上げる。いずれにせよ、この子から妖力を感じたのが不思議で、当たり前のように一つの疑問が浮かんだ。
少女は、本当に人間なのだろうか?
「ねえ、貴女は何者なの? 」
「…………」
少女は答えなかった。それがただの寡黙では無いことを私は知っている。故に答えは強制してはいなかった。
遠くで、忌々しい教会の鐘が鳴る。鐘の音は、間もなく日が沈むことを告げていた。
「……そうね。もう日が沈む。今は止めておきましょう。もう帰りなさい」
少女は頷くと、私に背を向けて走り出した。
……決めた。
今夜私は、少女の元へ行く。
少女を、私の『従者』にする為だ。
細々とした生活でも、少女が居ればきっと有意な生活を送れる気がするのだ。確信はある。少女は、この私を気に入りなのだから。
さらには、妖怪である可能性が、少女を従者に欲する気持ちへ、私を駆り立てた。珍しいモノを見付けた、と。
随分と利己的だと思った。責任に拘っていたのに、今となっては、少女を店主から奪うことに躊躇いは感じなかったのだ。
私は笑う。
けれど、ようやく望みが叶いそうだ。しかもあの少女のお陰で。その事実に私は喜び、少女に焦がれていた。
店主は、店の倉庫で茶葉のチェックをしていた。客足が僅かでも、品質管理を怠らないのは、流石は茶商人と言ったところだろう。
だが皮肉にも、客足の僅かな原因は、その店主自身の我儘な性格にあるのだった。
一通りチェックを終え、店主がホールに出た時、少女が帰って来た。
少女の姿を見て、店主は驚いた。あのみすぼらしかった少女が、身体の汚れを全て落とし、新しい服に着替えていたのだ。
少女は、先程まで常連客の元に使いに出ていた。故に、その客が少女を綺麗にしたのだろう、と店主は推察した。三日前に見た様子から、その客が少女を気に入っていることに、店主は勘づいていた。
「あの客は、よっぽどお前を気に入っているみたいだな」
「……………」
「……渡さないけどな。俺が不便だしよ。おい、今からカウンターを磨いて来い 」
「……………」
「……もう一度言う。カウンターを磨いてこい」
少女は尚も無言だった。
拾って貰った分際で、自分に少女が心を開かないことに、いい加減、店主は我慢ならなかった。自分の少女に対する今までの接し方など、店主は顧みなかった。
店主は、怒りに任せて少女を蹴り付けた。少女の身体が床に倒れる。
「東洋人の癖に! オレに拾われなきゃ、今頃飢え死にしてたってのに、何様のつもりだ?! 」
倒れた少女の腹や胸を、店主は何度も蹴り上げる。暴力は暫くの間続いた。
だが、少女は悲鳴を上げるどころか、全く痛がる様子を見せなかった。そのうち店主は蹴り上げるのを止めると、息急き切るまま少女を見た。
店主は、少女が不気味で仕方無かったのだ。少女は感情を一切露わにしないばかりか、苦痛にすら反応しないのを知ったのだから。少女が捨てられた理由が、店主には分かる気がした。
「……もういい。さっさと消えろ! 」
少女は起き上がろうとはしない。ついに店主は、傍にあった鞭を手に取り、少女へと振り返った。
……だが、既にそこに少女はいなかった。
店主は辺りを見渡してから思った。
(この鞭を見て、流石に怖れをなしたのか……? ……そうだ。きっとそうに違いない! お陰で清々したぜ。……さて、今はとにかく俺の夕食を作らなければ。全く手間を喰わせやがって。腹が減って仕方ないじゃないか。しかし、途方も無く腹が減ると、どんな飯でも上手く感じるのは不思議だな……)
そして、店主がホールから出ようとすると、その扉の前に少女がいた。
―――その長い髪は、綺麗な紅に染まっていた。
「お前、何でいる……。しかも髪の色が……」
少女が自身の拳を、店主の腹部へ打ち込む。
鈍い衝撃の後、少女の拳は皮膚と肉を裂き、鮮血と肉を辺りに飛び散らせながら、店主の腹の中に深く抉り込まれていった。
痛みのあまり、店主は自分の挙げた叫び声すら、耳には入らなかった。
さらに店主の身体の中からゴリゴリと、少女は何かを捩じり取る。するとその手は、店主の腹の中から薄紅色の臓物達を引き摺り出し始めた。
少女の手が腹から引き抜かれ、床に広がる血の上に、引き摺りだされた臓物や肉が落ちる。
少女は、無表情で床に膝を着く。そして床に落ちた臓物の一つを手に取ると――………
「……ば、ばけ…も、のぉ……」
最後に血泡を吐き、店主の意識はそこで途切れた。
その日の晩は偶然にも、紅い満月が夜空に浮かぶ、紅魔の夜だった。
私は茶屋へ侵入して、静かな店内を探した。そして、ホールで少女を見付けた。暗闇の中、少女は天蓋窓に映る紅月を見上げていた。
紅い月明りのスポットライトが、暗闇の中で少女を照らし出している。少女は全てが紅に染まっていた。
しかし、少女の美しい紅髪だけは、本物の紅だった。
「鍵、開けっ放しだったわよ。貴女の主人はどうしたの? 」
少女は答えない。とは言え、血生臭さを嗅ぎ付けたら、答えを大体察することが出来た。
私は、近くにあったランタンに火を灯し、明かりを少女に向ける。案の定、少女の辺りは血の海だった。少女が紅いのは、月明りではなく返り血を浴びたからだった。
だが変だ。店主が居ないのだ。……ならばあの血の泉はなんなのだろう。ランタンの明かりを受けて、ギラギラと光る泉の水面を私は見渡した。そして無数の肉片が浮かんでいるのを見付ける。
私は理解した。
「あぁ、食べてしまったのね。きっと、満足な食事を貰えなかったから、飢えてたんでしょ?」
「……………」
……目の前の光景を目の当たりにして、私は少女の正体を知った。
少女は妖怪であり、私と同じ紅魔だったのだ。
「安心しなさい。貴女が責められる謂れは無いわ。……だって、貴女は妖怪だから。飢えたら人を食べるのは当たり前よね 」
そう言って、私は微笑んだ。
それに少女を従者にする上で、店主が死んだことは都合が良かった。私が店主を殺す手間が省けたのだから。
だから、この微笑みは少女を手に入れられる嬉しさから来るものだった。
「私は気になってるのよ……。ここに来る前、貴女はどうして捨てられたのだろうって。貴女は、人とは暮らせないんじゃないかしら」
私には分かりもしない。
いずれにせよ、私に仕えることが最良の選択であることを今の光景と、捨てられた事実が証明していた。
「……………」
私は少女へ……いや、姿を変えた紅魔へ歩み寄って行く。
「―――だから、私に仕えなさい。同じ紅魔同士、仲良くしましょ? 」
私は少女の前で立ち止まり、手を差し伸べた。
「………………」
「大丈夫よ。きっと貴女にとって、最良の選択に違いないから。私は貴女を飢えさせない。惨めな暮らしもさせないわ。だから―――…………」
―――ぐしゃり。
差し伸べた右腕の先から、何かが潰れる音がした。
何かしら? 私は右腕を顔の前にかざそうとした。
けれど、右腕が無くて、代わりに少女が見えた。さらに少女の右手が、私の前に伸ばされたまま静止していた。それを見て、私の腕が少女に吹き飛ばされたのだと気が付いた。
私は微笑む。
「……そうね、遊びましょう。少しは楽しませて頂戴ね」
気分が高揚した。……私に歯向かう少女の実力を、この目で確かめてみようではないか。
私は微笑んだまま翼を広げ、床を蹴った。少女の身体も前へ動く。
少女に迫ると、自身の腕を横薙ぎに払う。少女は前屈みになりそれを回避する。私は腕を引きもどし、その勢いで少女へ後ろ蹴りを叩き込む。少女は左手でそれを受け流し、私に真っ直ぐ拳を突き出した。私は身体を横に捻り、突き出された拳を回避する。
だが触れてもいないのに、服の一部が破れた。見れば、少女の拳は青い霞のようなモノを纏っている。恐らく、腕を失ったのもあの霞のせいであろう。
私は後ろに飛びずさる。
しかし少女は私の動きに食い付き、反撃を封じた。
私は続けて飛びずさりながら、明かりを灯したランタンに手を掛け、追撃する少女へ投擲する。少女は素早く反応し、霞を纏ったその手がランタンを弾いた。
ランタンが壊れて、明かりが消える。
だが少女がランタンを弾いた隙に、私は少女へ迫るとその身体を蹴った。少女の身体が背後へ吹っ飛ぶ。
「これで右腕の分はおあいこ、かしら? 」
既に、私の右腕は生えて元通りになっていたが。
明かりが消えたことで、ホールの中は闇に落ちていた。
だが私の目は暗闇の中でも、少女の姿がハッキリと見えている。一方で少女に私の姿は見えていないようだった。先程から少女は辺りを見渡していたのだ。無理も無い。眩しい月明りをずっと見ていて、すぐに暗闇に目が慣れる筈が無いだろう。
やがて少女は見渡すのを止めると、不動まま目を閉じた。拳から、青い霞は消えていた。
的確に状況を分析できる分、少女は賢い。
だが少女の行動の意味が、私には分からなかった。唯でさえ視覚は奪われているのに、目を閉じては尚更何も見えなくなるだけだろう。
だが少女の行動は、今の状況を打破できることを私に期待させた。理解は出来なくても、無為であるようには感じなかったのだ。どうせ、闇に目が慣れるのを待っている余裕は少女には無い。
私は飛び上がり、少女へ飛び寄った。
―――その時、突如として少女が、私に向かって拳を突き出した。拳は、予想外にも私を狙って放たれており、私は思わず少女を避けて飛んだ。
しかし少女は、着地した私へ間髪いれず接近して来る。
少女の思わぬ行動に私は驚き、反応が遅れた。その隙に、少女は私の顔面と腹部へ拳を正確に打ち込む。さらに少女は、よろめいた私の身体へ、回し蹴りを叩き込んだ。私の身体は横に吹っ飛び、無様に床に倒れた。
暗闇の中で私の存在を明細に察知するとは思いもよらなかった……。私の気配でも察知したのだろうか……?
少女は妖力と闘志に満ちた瞳で私を見据えると、構えた。
そうに違いない。少女は妖怪だ。能力の一つ位あっても、変な話ではないのだ。
少女は私の期待を裏切らなかった。故に満足の行く結果だ。手を抜いていても、この私に対して、一矢報いるどころか力を見せ付けたのだ。
……やられたままでは私も気が納まらないけどね。
「ちょっと痛かったじゃない……。ああ、でも楽しかったわ。フランとは違った感じよ、貴女。きっとフランも気に入るわ」
私は起き上がると、服の汚れを払う。
少女は突進して、私に殴りかかる。私は飛びずさることで、全ての拳を回避した。次に少女は私を蹴り上げようとした。その足を私は受け止め、右手で足を掴んだ。
「技は未熟だけど、素質はある」
「………」
「ふふっ……♪ これからが楽しみね♪ 」
そのまま、少女の身体を片手で振り回す。私は遠心力を利用し、さらには力を込めて少女を放り投げ、その身を壁に叩き付けた。
少女の身体で次々と壁が砕け、少女は外へ飛び出した。
「少し力の加減が過ぎたかしら」
私は、砕けた壁へ歩み寄り、全ての穴を潜って外へ出た。少女は路面で倒れている。生きてはいるものの、傷だらけだった。
「頑丈ね」
少女は起き上がらない。その目は夜空に浮かぶ丸い紅月を見上げていたのだ。
私は少女の身体に覆い被さり、その目を見詰めて問う。
「……月見を邪魔されて、嫌だった? 」
「………………」
すると、私を見て少女は頷いた。
「………………」
「………………」
「……ぷっ……ふふふっ……」
私は思わず吹き出した。そして遂には堪え切れず、声を上げて笑ってしまった。戦った理由が以外にユニークで、可笑しかったのだ。
となると、少女は私の手を払ったのは(もぎれたけど)、私が少女の月見を邪魔したことが腹立たしかったからなのか。そりゃ悪い事をした。
―――本当に、この少女が欲しかった。出会ってから今まで、私を退屈させないのだ。
私が少女の正体に気付くよりも先に、私が吸血鬼であることを、同じ紅魔として少女は見抜いていたのかも知れない。
少女は、私にその正体を察知させるヒントを晒し、心を私に開いたのだから。
「―――貴女に名前をあげましょう。貴女の名前は、紅美鈴。今夜は月が紅いし、貴女の髪も紅い。だから「紅」。美鈴は……貴女が清国生まれかも知れないからよ。それに
貴女は、可愛いもの。ああ、私ほどじゃないけれど。……どう? 貴女に相応しい名前だと思わない? 」
「…………」
少女は頷いた。
……少女は私の与えた名を受け入れた!!
私は嬉しさのあまり、思わずその身体を抱き締めてしまいそうになったけれど、少女の髪を撫でることで、私は何とか抑えた。
「感謝しなさい。吸血鬼の従者だなんて、最高の名誉よ? 」
「……………」
その時、遠くから人間達の声が聞こえた。
「あら、聞き付けられてしまったようね」
結局、厄介事を引き起こしてしまった。とは言え、逃げれば済む話なのだけれど。厄介事は覚悟の上でやって来たのだ。今更慌てる必要も無い。
私は身を起こす。
「………………」
「行きましょう。立てる? ……美鈴」
私は美鈴に手を差し伸べ、美鈴はその手を払うことなく取った。
そして私達は走り出す。美鈴が、自分の居た茶屋を振り返ることはない。私だけを見ていた。
やがて、私と美鈴は夜の闇に溶ける。
丸い月が紅い、紅魔の夜だった。
満月が紅い夜、私パチュリーノーレッジはレミィの部屋の前にいた。ネックレスの収められた、透明のケースを手に持って。ネックレスは、私がレミィに頼まれたから作った。ネックレスの中心部には、私が魔法で合成した大粒のルビーが飾られている。
七つの属性を操る私にとって、宝石を合成して作り出すことは不可能ではない。
魔法の使い方としては邪道だけれど……。それでも断らなかったのは、合成に対する興味故か、それともレミィに対する思い遣りかのどちらかだ。
私は扉をノックする。
「レミィ。ちょっと良い? 」
レミィの返事は無い。故に私は、それ以上返事を待つことなく、部屋の中へと入った。
中にレミィの姿はない。館の中に、レミィの姿が無いからここに来たのに……。一体何処へ?
……もしかして、出掛けてしまったのだろうか。
確信は無いけれど、そんな気がした。こんなにも月が紅い夜なのだから。
レミィが人間や聖職者に見付からないか心配だった。レミィだって、分かっている筈だ。教会や、人間達から逃れ続けた私達に、もう移り住める場所はないことくらい。
何故わざわざ見付かる危険を冒してまで、レミィは出掛けるのだろう。
私には、皆目見当が付かなかった。
(……理由があるはずなのよね……。けど、どうして教えてくれないのかしら)
私は、ベッドに腰を降ろすと身を横たえた。
ペンダントを作る為に、徹夜したから眠い。
けれど、レミィに自分の手からネックレスを渡したいと思った。どんな顔をするのか、見てみたい。ああ、私がネックレス作りを断らないのは、ただレミィに対して私が甘いだけなのだ。
……でも、何で大切な親友に対して、私はここまで甘くなってしまうのだろう?
暫くの後、ガチャリとドアが開く音がした。眠りに落ちかけていた私の意識は、その些細な音で還った。
「あら、ここに居たの。只今帰ったわ」
瞼を開ける。
ベッドの前にレミィが立っていて、苦笑いしながら私を見ていた。
――――見慣れぬ一人の少女を、傍に付き従えて。
腰まで届く、綺麗な紅髪が印象的だった。
少女を見た時、レミィが出掛けていたのは間違いないと私は確信した。
「……夜這いでもするの? 」
「いいかもね」
「あら。本当に? 」
「さあね。それで……この子は? 」
「私の従者よ。気に入ってね、従者として欲しくなったの。妖怪よ。名前は紅美鈴。私が名付けた。丁度貴女に紹介しようと思ってたのよ」
「何処で出会ったのよ」
「行き付けの茶屋で」
何の悪びれも無くレミィは言う。こっちは心配していると言うのに……。私は少し腹立たしさを覚えた。
「……レミィ。この際だから聞くわ。私は、ただレミィの身を案じて、心配していたのではないの。聖職者達に存在を知られてはならないからよ。分かってるんでしょ? 英国以外に行くところは無いって。なのに……どうして出掛けるの? 」
すると、途端にレミィは真剣な表情になった。
「退屈を紛らわしたかったから、私は出掛けてたのよ。細々としていても良いから有意な生活を送りたかったの。結局は、飽きてしまったけど」
突然のレミィの真面目な態度に、私は面喰った。そして気が付いた。
「……私の心配を悟ってたの? 」
「ええ」
「今夜出掛けた理由は? 」
「―――この子が居れば、私は退屈しない。そう思ったから、従者にする為に出掛けたのよ」
「……そう……」
私は納得行かなかった。
満足出来ないのなら、どうして私に相談してくれなかったのだ?
レミィの為なら、私は出来る限りのことをするのに。それが親友である私の役割の一つだし、いつもそうして来た。
「ええ。これからは今の生活も受け入れられるようになる筈よ。だからお願い。分かって」
「……」
―――レミィの満たす為に、私は役不足だったのだろうか。
……私など、レミィにとってはその程度の存在でしかなかったのでは。
考えたくはない。
けど……親友なのに、私はレミィの不満に気が付けなかった。その事実が、脳内に浮かぶ不安を自然に裏付けてしまう。
少女へ視線を移す。
だが同時に、少女が妬ましかった。
レミィが、私よりも少女を頼ったのだ。私の存在を霞ませる程に、あの少女はレミィを惹き付けたのだ……!
そうか……分かった。
―――……私は、レミィのことを好きなのだ。
だから私はレミィに甘くて、少女に嫉妬している。
でも、レミィの気持ちが分からなかった。
「……ねえ、分からないわ」
「え……? 」
「分からないのよ。私は……レミィにとって何であるのかが……」
「親友よ……だから」
「なら、どうして頼ってくれなかったのよ!! 」
レミィを信じていた。共に過ごした時間の中で、私は確信していた。
レミィとなら、私は生きて行けると。
けれど今はその確信がない。だから、私はレミィを疑い、恐れていた。
……レミィと過ごして来て、今の私をレミィは必要としているのだろうか、と。
「……馬鹿ね」
「…………」
「パチェを、これ以上振り回したくなかったからよ」
レミィが言う。
「今まで、私達は人間達から逃げて来た。……恥ずかしいけど、私自身の行動が原因であった時もあるわね。それでも今私がここにいるのは、パチェのお陰よ。私の運命を受け止めて、私に答えてくれたから。……でも、私はそれを止めようと思ったの」
レミィが歩み寄る。
一歩前に歩めば、身体がぶつかるところにまでレミィは来た。
……ああ、レミィ。
レミィは、どうしてこんなにも無垢な気持ちを私に向けているの?
レミィなら、望めば全てが叶うのに、どうしてこの私を選んだの? 教会に追われ、人間の影にまで怯えていたこんな日蔭の魔女に。
レミィが私を抱き寄せる。
そして、耳元で囁いた。
「――――これからも一緒にいたいから。私はパチェを純粋に親友として求め、愛しているの」
「……レミィ」
もう良いかなと思った。
レミィにとって私は欠かせない存在なのだと。レミィだって、変わるのだと。
そのことに気が付くことが出来たのだから。
私にとっても、レミィは無くてはならない存在だ。だから、私は恐れたのだろう。……我ながら、何て不器用なことだ。全て私の思い違いだった。
私は、レミィの手にペンダントを差し出した。
「私もレミィのこと、好きよ」
「親友として? 」
「多分、レミィの『好き』と同じよ」
レミィは、ふと笑うとやがて沈黙した。私は何となく沈黙の意味を悟り、頬が赤くなる。
レミィは私から離れると、首の後ろでペンダントを付けた。中心の真紅のルビーは、月明りを受けると艶やかに光った。
「……似合ってる? 」
「……え、えぇ、すごく。レミィにルビーは似合うわね」
「ふふっ。と言うか、私には何でも似合うわ。……ありがと、パチェ」
レミィは、そう言って微笑んだ。レミィが喜んでいるのを見ると嬉しくて、私も微笑んだ。
「ねえ、パチェは私のこと信じてくれる? 」
「えぇ。どうしたの」
「……私も、パチェみたいに『夜這い』をしようと思って」
「……え? 」
「パチェに知って貰おうと思うの。私がどれ程パチェを求め、愛しているかって。……もちろん親友としてよ? 体力の無いパチェがそんなに厳しくならないようにするから」
「………………」
レミィの言いたい事を理解して、私は途端に顔が熱くなった。
「……冗談よね? 」
「まさか。私はパチェのことが好きなのよ。冗談で、パチェを抱きたいなんて、言う筈が無いわ」
「だからってどうして急に……」
すると、私にレミィが再び歩み寄った。
「……言葉だけでは足りない気がするの。愛していることを伝えるには、直接触れ合うことが一番だって言うじゃない? パチェの好きは、私の好きと同じらしいし」
「――――ッ?! 」
レミィは、困惑する私をベッドに押し倒す。レミィは自分の手を私の手と重ねることで、私の動きを封じた。
そういうことか……。私の「好き」の意味がレミィの背中を押したのか……!
レミィは私に覆い被さったまま、真っ赤な瞳で私を見つめた。
――――魅入ってしまう。
私は、レミィの瞳から目を顔を背ける。信じてはいるけど、強引なレミィのやり方に抵抗を感じている。当然だ。互いに心の準備と言うモノがある。お互いの為に、レミィを何とかしなければ……。私は部屋を見渡す。すると、私達を不思議そうに見ている美鈴を見付けた。……居てくれて助かった、とは言えそうになかった。
「……ねえ……待ってレミィ……」
「何……? 」
「……美鈴がいるのよ……」
さらに顔が熱くなったが、耐えて私はレミィに告げる。
その言葉で、レミィは思い出したらしい。慌てて美鈴に振り返った。
「…………どうかしてたわ。月が紅いからかしら……」
「……そうね。……きっとそうよ」
「……美鈴に自室とメイド服を手配して来る。その間に決めて。……逃げ出すか、それとも私に身を委ねるか」
レミィは、そう言って起き上がり、美鈴を従え部屋から出て行く。
どちらを取るかは、考えるまでもない。
私は知っている。レミィが私を好んで抱くのだと言うことを。私もレミィを愛していることは事実。故に、レミィに抱かれることに羞恥は感じても、嫌悪は無いのだ。
何より……レミィとならいいかな、と思えた。
私はベッドに腰掛けた。
「永い夜になりそう……」
だから、今宵も眠れそうにない。
―――紅魔達の夜は、まだまだ続く。
「レミィって、本当に酔狂よね」
ある日の昼下がりのこと。パチェが館の廊下で、私の隣を歩きながらそう言った。
私が注文した茶葉を取りに、これから外出することを伝えたからだ。私は丸めたボロを小脇に抱えていた。
「仕方ないじゃない。他に人手はないの」
「でも何でこんな快晴の日に行くの。人通りも多いだろうし」
「なら大雨の日の方が良かったかしら? 」
「そうことじゃないの……」
「じゃあ、どういうこと」
「はあ……別にいいわ。なんでも無い」
「……そう。いつも心配させて悪いわね」
パチェが私の身を案じていることは、私も感じてはいる。
故に謝ったのだが、パチェは肩を竦めるだけだった。当然の反応だ。ただ謝るだけで、結局私は出掛けるのだから。
出掛けるのは、今の生活が退屈だから。
最初はただ退屈を紛らわす為だった。
しかし人間社会に慣れてしまってからは、今の退屈を満たすモノを探す為に、私は出掛けている。
故に出掛けることで、私は有意な生活を送れると私は思うのだ。
パチェは出掛ける理由を知っていないから、私を心配するのだろう。
だが、パチェには言いたくない。相談したら、自分の都合でまたパチェを巻き込み、苦労を強いてしまうだろう。私だって成長しているから、これは自分の問題だと言う意識を持っている。故に、長年共にいたパチェを、もうこれ以上自分勝手に振り回したくないのだった
私達はホールに出た。私は自身の翼を小さく畳む。そして、正体を隠す為にボロを頭から被り、全身を覆い隠した。
私は玄関の扉を押し開ける。春の匂いがホールに流れ込み、外の眩しさに私は目を細めた。
「じゃあ、行って来るわね」
「えぇ」
かくして私は、ロンドンにやって来た。
街の喧騒と、人ごみの中を潜り抜けて私は目的の茶屋を目指す。裏路地に入ってからも暫く歩き、やがて私は目的地である行き付けの茶屋に辿り着いた。
ドアを開けて、私は店内に入る。ドアに吊るされた鈴が、店主以外に誰も居ない店内で、虚しく音を鳴らした。
「注文した茶葉、取りに来たのだけど」
私が言うと、カウンターに立つ店主が笑みを浮かべた。
素性も明かさない上に、格好も不審な客の私だが、毎回高級な茶葉を買うから、正体を咎められたことはなかった。
「お待ちしておりました。冷茶をご用意させますので、少々お待ちを……」
店主は、そう言うと店の奥へ消える。私は近くの椅子に腰掛けた。
暫くすると、奥の扉が開いて一人の少女が紅茶を手にやって来た。
少女は東洋人だった。背丈は私より少しだけ高く、身体に纏っている服は薄汚れている。腰まで届く黒髪は繊細で、肌は白かった。
……店主が雇ったのだろうか?
英国のこんな店に東洋人がいる物珍しさから、私は少女をまじまじと見つめた。少女は私の前で立ち止まり、黙って私を見つめた。緊張している訳でもないのに、何故何も言わないのだろう。
「…………」
「茶を頂戴」
すると、少女は私に紅茶を満たしたカップを突き付けた。中の紅茶が勢いよく跳ね、私のボロの上に飛び散った。
―――刹那、私は少女の手にあったカップを叩き割る。そのまま少女の喉元に爪を突き付けて、睨み据えた。
遅れて、紅茶が破片と共に床の上に広がった。
「……いい度胸ね。非礼を詫びるなら今のうちよ? 」
脅しのつもりだったが、私を捉える少女の瞳は、揺らぐことは無かった。
私は笑いを漏らした。この私を怖れないだなんて、少女の癖に度胸が据わってる。それが実に面白く、私は少女を気に入ったのだ。私は、突き付けた爪を少女の喉元から離した。
「貴女の名前は? 」
「…………」
「……そう。無いのね」
店主が、包装された箱を小脇に抱えてやって来た。そして床に広がる紅茶とカップの破片を見て、少女に片付けを命じた。
私は少女がここにいる理由を、店主に尋ねることにした。
「お待たせいたしました」
「ねえ、どうしてこの店に東洋人がいるの? 」
「こいつですか? こいつは元々浮浪児でして。恐らく元は清国で英国人に人身売買されたか、拾われてやって来れたんでしょうねぇ。阿片のせいで、あっちには捨て子が溢れてるそうですし。まあ……ここでも捨てられてしまいましたが」
「ああ、拾ったのね」
「えぇ……東洋人にしては別嬪だと思い、つい。でもまあ、東洋人ですし。餓え死するよりは好き勝手使ってやった方が、まだマシでしょう」
「好き勝手に使ってやるだけマシ」その言葉が店主の本心であるのなら、少女は奴隷のような人生を送って行くことになるのだろう。少女が哀れだった。
だがパチェが私が出掛ける度に心配しているのを想うと、少女を救い出す事はパチェに対する裏切りに思えて、今少女に出来ることは何も無いのだと思うしかなかった。故に歯痒かった。
代金と引き換えに茶葉を受け取ると、私は少女へ振り返った。少女も立ち尽くしたまま、私を見ていた。
「…………」
「また会えるといいわね。それまでに、もっと礼儀と言うモノを覚えてくれると、尚嬉しいわ」
最後に私は、期待を込めて少女にそう告げた。
私の館はロンドン郊外にある。パチェによって対策がしてあって、私が訪問を許した者だけが館を見付けることが出来た。
私は日傘を差して、正門の内側で届いた葉書を読んでいた。葉書はロシアに住んでいた頃、雇っていた使用人からのものだった。私の口元が緩む。昔、ロシアに住んでいた頃のことを思い出し、懐かしくなったのだ。
彼女は、今どうしているのだろう。
今となっては、葉書以外に触れ合う機会は無かった。私は、もうかの地に戻ることは出来ないのだから……。
背後で正門が開かれる音がした。
振り返ると、そこには茶屋で出会った少女がいた。前よりも髪や衣服が汚れているのが目に付く。
私の中に、少女との再会を望む気持ちがあったことで、パチェの術が少女を拒まなかったのだろう。故に大して驚きはしなかった。
「あら、三日ぶりね」
「…………」
少女は、三日前と同じ調子で私に封書を差し出す。当然、行き付けの茶屋の封書だった。私はやんわりと封書を受け取り、開封して中の手紙を読んだ。
手紙には新しい茶葉を入荷した知らせが書いてあった。
「貴女は私の姿を見て驚かないの? 」
「…………」
「……まあ、他言しなければ別に良いのだけど。貴女を消したくないものね。そうそう三日前買った茶葉、悪く無かったわよ。まろやかで。パチェは相変わらず何も言わなかったけど、フランは気に入ったみたい」
「…………」
少女への語り掛けが独り言のようでも、私は気にならなかった。お気に入りの相手が来たことで、私は些か上機嫌だった。
少女が帰ろうとした。
「待ちなさい」
私は少女を呼び止める。
この前の歯痒さもある。せめて少女の身体の汚れ位は、落としてやりたかった。
「浴槽は自由に使っていいから、身体の汚れを落として行きなさい。服も好きなのを着て良いわ」
「…………」
少女はコクリと頷いた。私の言葉は分かっているようだった。
「身体は自分で洗えるわよね」
初めて少女とやり取りが出来た。私は嬉しくて、そう言いながら少女へ微笑んだ。
私は中庭のテラスで少女を待つ間、暇つぶしに新聞を広げて読んでいた。
そして、最後のページに差し掛かった時だった。
「……そこにいるのは、誰? 」
私は問い掛けた。新聞の向こう側に、妖力を感じたのだ。
私は困惑した。この私が、相手に接近されるまでその存在に気が付かなかったのだ……。しかも相手はあのパチェの術を掻い潜って来たと言うのか? 信じられない。
……だが、もしそうなら相手は腕利きの妖怪かも知れない。聖職者の可能性だってある。
私は、その姿を確認する為に、視界から新聞を降ろして行く。相手によっては、先手を打つつもりだった。
そして、私は新聞から手を離した。
「―――驚かせないで頂戴……」
だが、そこに立っていたのは少女だった。身体の汚れを綺麗に落とし、ちゃんと服を着替えている。途端に少女から妖力は消えた。いや、単に感じ無くなっただけかも知れない。
私は、足元の新聞を拾い上げる。いずれにせよ、この子から妖力を感じたのが不思議で、当たり前のように一つの疑問が浮かんだ。
少女は、本当に人間なのだろうか?
「ねえ、貴女は何者なの? 」
「…………」
少女は答えなかった。それがただの寡黙では無いことを私は知っている。故に答えは強制してはいなかった。
遠くで、忌々しい教会の鐘が鳴る。鐘の音は、間もなく日が沈むことを告げていた。
「……そうね。もう日が沈む。今は止めておきましょう。もう帰りなさい」
少女は頷くと、私に背を向けて走り出した。
……決めた。
今夜私は、少女の元へ行く。
少女を、私の『従者』にする為だ。
細々とした生活でも、少女が居ればきっと有意な生活を送れる気がするのだ。確信はある。少女は、この私を気に入りなのだから。
さらには、妖怪である可能性が、少女を従者に欲する気持ちへ、私を駆り立てた。珍しいモノを見付けた、と。
随分と利己的だと思った。責任に拘っていたのに、今となっては、少女を店主から奪うことに躊躇いは感じなかったのだ。
私は笑う。
けれど、ようやく望みが叶いそうだ。しかもあの少女のお陰で。その事実に私は喜び、少女に焦がれていた。
店主は、店の倉庫で茶葉のチェックをしていた。客足が僅かでも、品質管理を怠らないのは、流石は茶商人と言ったところだろう。
だが皮肉にも、客足の僅かな原因は、その店主自身の我儘な性格にあるのだった。
一通りチェックを終え、店主がホールに出た時、少女が帰って来た。
少女の姿を見て、店主は驚いた。あのみすぼらしかった少女が、身体の汚れを全て落とし、新しい服に着替えていたのだ。
少女は、先程まで常連客の元に使いに出ていた。故に、その客が少女を綺麗にしたのだろう、と店主は推察した。三日前に見た様子から、その客が少女を気に入っていることに、店主は勘づいていた。
「あの客は、よっぽどお前を気に入っているみたいだな」
「……………」
「……渡さないけどな。俺が不便だしよ。おい、今からカウンターを磨いて来い 」
「……………」
「……もう一度言う。カウンターを磨いてこい」
少女は尚も無言だった。
拾って貰った分際で、自分に少女が心を開かないことに、いい加減、店主は我慢ならなかった。自分の少女に対する今までの接し方など、店主は顧みなかった。
店主は、怒りに任せて少女を蹴り付けた。少女の身体が床に倒れる。
「東洋人の癖に! オレに拾われなきゃ、今頃飢え死にしてたってのに、何様のつもりだ?! 」
倒れた少女の腹や胸を、店主は何度も蹴り上げる。暴力は暫くの間続いた。
だが、少女は悲鳴を上げるどころか、全く痛がる様子を見せなかった。そのうち店主は蹴り上げるのを止めると、息急き切るまま少女を見た。
店主は、少女が不気味で仕方無かったのだ。少女は感情を一切露わにしないばかりか、苦痛にすら反応しないのを知ったのだから。少女が捨てられた理由が、店主には分かる気がした。
「……もういい。さっさと消えろ! 」
少女は起き上がろうとはしない。ついに店主は、傍にあった鞭を手に取り、少女へと振り返った。
……だが、既にそこに少女はいなかった。
店主は辺りを見渡してから思った。
(この鞭を見て、流石に怖れをなしたのか……? ……そうだ。きっとそうに違いない! お陰で清々したぜ。……さて、今はとにかく俺の夕食を作らなければ。全く手間を喰わせやがって。腹が減って仕方ないじゃないか。しかし、途方も無く腹が減ると、どんな飯でも上手く感じるのは不思議だな……)
そして、店主がホールから出ようとすると、その扉の前に少女がいた。
―――その長い髪は、綺麗な紅に染まっていた。
「お前、何でいる……。しかも髪の色が……」
少女が自身の拳を、店主の腹部へ打ち込む。
鈍い衝撃の後、少女の拳は皮膚と肉を裂き、鮮血と肉を辺りに飛び散らせながら、店主の腹の中に深く抉り込まれていった。
痛みのあまり、店主は自分の挙げた叫び声すら、耳には入らなかった。
さらに店主の身体の中からゴリゴリと、少女は何かを捩じり取る。するとその手は、店主の腹の中から薄紅色の臓物達を引き摺り出し始めた。
少女の手が腹から引き抜かれ、床に広がる血の上に、引き摺りだされた臓物や肉が落ちる。
少女は、無表情で床に膝を着く。そして床に落ちた臓物の一つを手に取ると――………
「……ば、ばけ…も、のぉ……」
最後に血泡を吐き、店主の意識はそこで途切れた。
その日の晩は偶然にも、紅い満月が夜空に浮かぶ、紅魔の夜だった。
私は茶屋へ侵入して、静かな店内を探した。そして、ホールで少女を見付けた。暗闇の中、少女は天蓋窓に映る紅月を見上げていた。
紅い月明りのスポットライトが、暗闇の中で少女を照らし出している。少女は全てが紅に染まっていた。
しかし、少女の美しい紅髪だけは、本物の紅だった。
「鍵、開けっ放しだったわよ。貴女の主人はどうしたの? 」
少女は答えない。とは言え、血生臭さを嗅ぎ付けたら、答えを大体察することが出来た。
私は、近くにあったランタンに火を灯し、明かりを少女に向ける。案の定、少女の辺りは血の海だった。少女が紅いのは、月明りではなく返り血を浴びたからだった。
だが変だ。店主が居ないのだ。……ならばあの血の泉はなんなのだろう。ランタンの明かりを受けて、ギラギラと光る泉の水面を私は見渡した。そして無数の肉片が浮かんでいるのを見付ける。
私は理解した。
「あぁ、食べてしまったのね。きっと、満足な食事を貰えなかったから、飢えてたんでしょ?」
「……………」
……目の前の光景を目の当たりにして、私は少女の正体を知った。
少女は妖怪であり、私と同じ紅魔だったのだ。
「安心しなさい。貴女が責められる謂れは無いわ。……だって、貴女は妖怪だから。飢えたら人を食べるのは当たり前よね 」
そう言って、私は微笑んだ。
それに少女を従者にする上で、店主が死んだことは都合が良かった。私が店主を殺す手間が省けたのだから。
だから、この微笑みは少女を手に入れられる嬉しさから来るものだった。
「私は気になってるのよ……。ここに来る前、貴女はどうして捨てられたのだろうって。貴女は、人とは暮らせないんじゃないかしら」
私には分かりもしない。
いずれにせよ、私に仕えることが最良の選択であることを今の光景と、捨てられた事実が証明していた。
「……………」
私は少女へ……いや、姿を変えた紅魔へ歩み寄って行く。
「―――だから、私に仕えなさい。同じ紅魔同士、仲良くしましょ? 」
私は少女の前で立ち止まり、手を差し伸べた。
「………………」
「大丈夫よ。きっと貴女にとって、最良の選択に違いないから。私は貴女を飢えさせない。惨めな暮らしもさせないわ。だから―――…………」
―――ぐしゃり。
差し伸べた右腕の先から、何かが潰れる音がした。
何かしら? 私は右腕を顔の前にかざそうとした。
けれど、右腕が無くて、代わりに少女が見えた。さらに少女の右手が、私の前に伸ばされたまま静止していた。それを見て、私の腕が少女に吹き飛ばされたのだと気が付いた。
私は微笑む。
「……そうね、遊びましょう。少しは楽しませて頂戴ね」
気分が高揚した。……私に歯向かう少女の実力を、この目で確かめてみようではないか。
私は微笑んだまま翼を広げ、床を蹴った。少女の身体も前へ動く。
少女に迫ると、自身の腕を横薙ぎに払う。少女は前屈みになりそれを回避する。私は腕を引きもどし、その勢いで少女へ後ろ蹴りを叩き込む。少女は左手でそれを受け流し、私に真っ直ぐ拳を突き出した。私は身体を横に捻り、突き出された拳を回避する。
だが触れてもいないのに、服の一部が破れた。見れば、少女の拳は青い霞のようなモノを纏っている。恐らく、腕を失ったのもあの霞のせいであろう。
私は後ろに飛びずさる。
しかし少女は私の動きに食い付き、反撃を封じた。
私は続けて飛びずさりながら、明かりを灯したランタンに手を掛け、追撃する少女へ投擲する。少女は素早く反応し、霞を纏ったその手がランタンを弾いた。
ランタンが壊れて、明かりが消える。
だが少女がランタンを弾いた隙に、私は少女へ迫るとその身体を蹴った。少女の身体が背後へ吹っ飛ぶ。
「これで右腕の分はおあいこ、かしら? 」
既に、私の右腕は生えて元通りになっていたが。
明かりが消えたことで、ホールの中は闇に落ちていた。
だが私の目は暗闇の中でも、少女の姿がハッキリと見えている。一方で少女に私の姿は見えていないようだった。先程から少女は辺りを見渡していたのだ。無理も無い。眩しい月明りをずっと見ていて、すぐに暗闇に目が慣れる筈が無いだろう。
やがて少女は見渡すのを止めると、不動まま目を閉じた。拳から、青い霞は消えていた。
的確に状況を分析できる分、少女は賢い。
だが少女の行動の意味が、私には分からなかった。唯でさえ視覚は奪われているのに、目を閉じては尚更何も見えなくなるだけだろう。
だが少女の行動は、今の状況を打破できることを私に期待させた。理解は出来なくても、無為であるようには感じなかったのだ。どうせ、闇に目が慣れるのを待っている余裕は少女には無い。
私は飛び上がり、少女へ飛び寄った。
―――その時、突如として少女が、私に向かって拳を突き出した。拳は、予想外にも私を狙って放たれており、私は思わず少女を避けて飛んだ。
しかし少女は、着地した私へ間髪いれず接近して来る。
少女の思わぬ行動に私は驚き、反応が遅れた。その隙に、少女は私の顔面と腹部へ拳を正確に打ち込む。さらに少女は、よろめいた私の身体へ、回し蹴りを叩き込んだ。私の身体は横に吹っ飛び、無様に床に倒れた。
暗闇の中で私の存在を明細に察知するとは思いもよらなかった……。私の気配でも察知したのだろうか……?
少女は妖力と闘志に満ちた瞳で私を見据えると、構えた。
そうに違いない。少女は妖怪だ。能力の一つ位あっても、変な話ではないのだ。
少女は私の期待を裏切らなかった。故に満足の行く結果だ。手を抜いていても、この私に対して、一矢報いるどころか力を見せ付けたのだ。
……やられたままでは私も気が納まらないけどね。
「ちょっと痛かったじゃない……。ああ、でも楽しかったわ。フランとは違った感じよ、貴女。きっとフランも気に入るわ」
私は起き上がると、服の汚れを払う。
少女は突進して、私に殴りかかる。私は飛びずさることで、全ての拳を回避した。次に少女は私を蹴り上げようとした。その足を私は受け止め、右手で足を掴んだ。
「技は未熟だけど、素質はある」
「………」
「ふふっ……♪ これからが楽しみね♪ 」
そのまま、少女の身体を片手で振り回す。私は遠心力を利用し、さらには力を込めて少女を放り投げ、その身を壁に叩き付けた。
少女の身体で次々と壁が砕け、少女は外へ飛び出した。
「少し力の加減が過ぎたかしら」
私は、砕けた壁へ歩み寄り、全ての穴を潜って外へ出た。少女は路面で倒れている。生きてはいるものの、傷だらけだった。
「頑丈ね」
少女は起き上がらない。その目は夜空に浮かぶ丸い紅月を見上げていたのだ。
私は少女の身体に覆い被さり、その目を見詰めて問う。
「……月見を邪魔されて、嫌だった? 」
「………………」
すると、私を見て少女は頷いた。
「………………」
「………………」
「……ぷっ……ふふふっ……」
私は思わず吹き出した。そして遂には堪え切れず、声を上げて笑ってしまった。戦った理由が以外にユニークで、可笑しかったのだ。
となると、少女は私の手を払ったのは(もぎれたけど)、私が少女の月見を邪魔したことが腹立たしかったからなのか。そりゃ悪い事をした。
―――本当に、この少女が欲しかった。出会ってから今まで、私を退屈させないのだ。
私が少女の正体に気付くよりも先に、私が吸血鬼であることを、同じ紅魔として少女は見抜いていたのかも知れない。
少女は、私にその正体を察知させるヒントを晒し、心を私に開いたのだから。
「―――貴女に名前をあげましょう。貴女の名前は、紅美鈴。今夜は月が紅いし、貴女の髪も紅い。だから「紅」。美鈴は……貴女が清国生まれかも知れないからよ。それに
貴女は、可愛いもの。ああ、私ほどじゃないけれど。……どう? 貴女に相応しい名前だと思わない? 」
「…………」
少女は頷いた。
……少女は私の与えた名を受け入れた!!
私は嬉しさのあまり、思わずその身体を抱き締めてしまいそうになったけれど、少女の髪を撫でることで、私は何とか抑えた。
「感謝しなさい。吸血鬼の従者だなんて、最高の名誉よ? 」
「……………」
その時、遠くから人間達の声が聞こえた。
「あら、聞き付けられてしまったようね」
結局、厄介事を引き起こしてしまった。とは言え、逃げれば済む話なのだけれど。厄介事は覚悟の上でやって来たのだ。今更慌てる必要も無い。
私は身を起こす。
「………………」
「行きましょう。立てる? ……美鈴」
私は美鈴に手を差し伸べ、美鈴はその手を払うことなく取った。
そして私達は走り出す。美鈴が、自分の居た茶屋を振り返ることはない。私だけを見ていた。
やがて、私と美鈴は夜の闇に溶ける。
丸い月が紅い、紅魔の夜だった。
満月が紅い夜、私パチュリーノーレッジはレミィの部屋の前にいた。ネックレスの収められた、透明のケースを手に持って。ネックレスは、私がレミィに頼まれたから作った。ネックレスの中心部には、私が魔法で合成した大粒のルビーが飾られている。
七つの属性を操る私にとって、宝石を合成して作り出すことは不可能ではない。
魔法の使い方としては邪道だけれど……。それでも断らなかったのは、合成に対する興味故か、それともレミィに対する思い遣りかのどちらかだ。
私は扉をノックする。
「レミィ。ちょっと良い? 」
レミィの返事は無い。故に私は、それ以上返事を待つことなく、部屋の中へと入った。
中にレミィの姿はない。館の中に、レミィの姿が無いからここに来たのに……。一体何処へ?
……もしかして、出掛けてしまったのだろうか。
確信は無いけれど、そんな気がした。こんなにも月が紅い夜なのだから。
レミィが人間や聖職者に見付からないか心配だった。レミィだって、分かっている筈だ。教会や、人間達から逃れ続けた私達に、もう移り住める場所はないことくらい。
何故わざわざ見付かる危険を冒してまで、レミィは出掛けるのだろう。
私には、皆目見当が付かなかった。
(……理由があるはずなのよね……。けど、どうして教えてくれないのかしら)
私は、ベッドに腰を降ろすと身を横たえた。
ペンダントを作る為に、徹夜したから眠い。
けれど、レミィに自分の手からネックレスを渡したいと思った。どんな顔をするのか、見てみたい。ああ、私がネックレス作りを断らないのは、ただレミィに対して私が甘いだけなのだ。
……でも、何で大切な親友に対して、私はここまで甘くなってしまうのだろう?
暫くの後、ガチャリとドアが開く音がした。眠りに落ちかけていた私の意識は、その些細な音で還った。
「あら、ここに居たの。只今帰ったわ」
瞼を開ける。
ベッドの前にレミィが立っていて、苦笑いしながら私を見ていた。
――――見慣れぬ一人の少女を、傍に付き従えて。
腰まで届く、綺麗な紅髪が印象的だった。
少女を見た時、レミィが出掛けていたのは間違いないと私は確信した。
「……夜這いでもするの? 」
「いいかもね」
「あら。本当に? 」
「さあね。それで……この子は? 」
「私の従者よ。気に入ってね、従者として欲しくなったの。妖怪よ。名前は紅美鈴。私が名付けた。丁度貴女に紹介しようと思ってたのよ」
「何処で出会ったのよ」
「行き付けの茶屋で」
何の悪びれも無くレミィは言う。こっちは心配していると言うのに……。私は少し腹立たしさを覚えた。
「……レミィ。この際だから聞くわ。私は、ただレミィの身を案じて、心配していたのではないの。聖職者達に存在を知られてはならないからよ。分かってるんでしょ? 英国以外に行くところは無いって。なのに……どうして出掛けるの? 」
すると、途端にレミィは真剣な表情になった。
「退屈を紛らわしたかったから、私は出掛けてたのよ。細々としていても良いから有意な生活を送りたかったの。結局は、飽きてしまったけど」
突然のレミィの真面目な態度に、私は面喰った。そして気が付いた。
「……私の心配を悟ってたの? 」
「ええ」
「今夜出掛けた理由は? 」
「―――この子が居れば、私は退屈しない。そう思ったから、従者にする為に出掛けたのよ」
「……そう……」
私は納得行かなかった。
満足出来ないのなら、どうして私に相談してくれなかったのだ?
レミィの為なら、私は出来る限りのことをするのに。それが親友である私の役割の一つだし、いつもそうして来た。
「ええ。これからは今の生活も受け入れられるようになる筈よ。だからお願い。分かって」
「……」
―――レミィの満たす為に、私は役不足だったのだろうか。
……私など、レミィにとってはその程度の存在でしかなかったのでは。
考えたくはない。
けど……親友なのに、私はレミィの不満に気が付けなかった。その事実が、脳内に浮かぶ不安を自然に裏付けてしまう。
少女へ視線を移す。
だが同時に、少女が妬ましかった。
レミィが、私よりも少女を頼ったのだ。私の存在を霞ませる程に、あの少女はレミィを惹き付けたのだ……!
そうか……分かった。
―――……私は、レミィのことを好きなのだ。
だから私はレミィに甘くて、少女に嫉妬している。
でも、レミィの気持ちが分からなかった。
「……ねえ、分からないわ」
「え……? 」
「分からないのよ。私は……レミィにとって何であるのかが……」
「親友よ……だから」
「なら、どうして頼ってくれなかったのよ!! 」
レミィを信じていた。共に過ごした時間の中で、私は確信していた。
レミィとなら、私は生きて行けると。
けれど今はその確信がない。だから、私はレミィを疑い、恐れていた。
……レミィと過ごして来て、今の私をレミィは必要としているのだろうか、と。
「……馬鹿ね」
「…………」
「パチェを、これ以上振り回したくなかったからよ」
レミィが言う。
「今まで、私達は人間達から逃げて来た。……恥ずかしいけど、私自身の行動が原因であった時もあるわね。それでも今私がここにいるのは、パチェのお陰よ。私の運命を受け止めて、私に答えてくれたから。……でも、私はそれを止めようと思ったの」
レミィが歩み寄る。
一歩前に歩めば、身体がぶつかるところにまでレミィは来た。
……ああ、レミィ。
レミィは、どうしてこんなにも無垢な気持ちを私に向けているの?
レミィなら、望めば全てが叶うのに、どうしてこの私を選んだの? 教会に追われ、人間の影にまで怯えていたこんな日蔭の魔女に。
レミィが私を抱き寄せる。
そして、耳元で囁いた。
「――――これからも一緒にいたいから。私はパチェを純粋に親友として求め、愛しているの」
「……レミィ」
もう良いかなと思った。
レミィにとって私は欠かせない存在なのだと。レミィだって、変わるのだと。
そのことに気が付くことが出来たのだから。
私にとっても、レミィは無くてはならない存在だ。だから、私は恐れたのだろう。……我ながら、何て不器用なことだ。全て私の思い違いだった。
私は、レミィの手にペンダントを差し出した。
「私もレミィのこと、好きよ」
「親友として? 」
「多分、レミィの『好き』と同じよ」
レミィは、ふと笑うとやがて沈黙した。私は何となく沈黙の意味を悟り、頬が赤くなる。
レミィは私から離れると、首の後ろでペンダントを付けた。中心の真紅のルビーは、月明りを受けると艶やかに光った。
「……似合ってる? 」
「……え、えぇ、すごく。レミィにルビーは似合うわね」
「ふふっ。と言うか、私には何でも似合うわ。……ありがと、パチェ」
レミィは、そう言って微笑んだ。レミィが喜んでいるのを見ると嬉しくて、私も微笑んだ。
「ねえ、パチェは私のこと信じてくれる? 」
「えぇ。どうしたの」
「……私も、パチェみたいに『夜這い』をしようと思って」
「……え? 」
「パチェに知って貰おうと思うの。私がどれ程パチェを求め、愛しているかって。……もちろん親友としてよ? 体力の無いパチェがそんなに厳しくならないようにするから」
「………………」
レミィの言いたい事を理解して、私は途端に顔が熱くなった。
「……冗談よね? 」
「まさか。私はパチェのことが好きなのよ。冗談で、パチェを抱きたいなんて、言う筈が無いわ」
「だからってどうして急に……」
すると、私にレミィが再び歩み寄った。
「……言葉だけでは足りない気がするの。愛していることを伝えるには、直接触れ合うことが一番だって言うじゃない? パチェの好きは、私の好きと同じらしいし」
「――――ッ?! 」
レミィは、困惑する私をベッドに押し倒す。レミィは自分の手を私の手と重ねることで、私の動きを封じた。
そういうことか……。私の「好き」の意味がレミィの背中を押したのか……!
レミィは私に覆い被さったまま、真っ赤な瞳で私を見つめた。
――――魅入ってしまう。
私は、レミィの瞳から目を顔を背ける。信じてはいるけど、強引なレミィのやり方に抵抗を感じている。当然だ。互いに心の準備と言うモノがある。お互いの為に、レミィを何とかしなければ……。私は部屋を見渡す。すると、私達を不思議そうに見ている美鈴を見付けた。……居てくれて助かった、とは言えそうになかった。
「……ねえ……待ってレミィ……」
「何……? 」
「……美鈴がいるのよ……」
さらに顔が熱くなったが、耐えて私はレミィに告げる。
その言葉で、レミィは思い出したらしい。慌てて美鈴に振り返った。
「…………どうかしてたわ。月が紅いからかしら……」
「……そうね。……きっとそうよ」
「……美鈴に自室とメイド服を手配して来る。その間に決めて。……逃げ出すか、それとも私に身を委ねるか」
レミィは、そう言って起き上がり、美鈴を従え部屋から出て行く。
どちらを取るかは、考えるまでもない。
私は知っている。レミィが私を好んで抱くのだと言うことを。私もレミィを愛していることは事実。故に、レミィに抱かれることに羞恥は感じても、嫌悪は無いのだ。
何より……レミィとならいいかな、と思えた。
私はベッドに腰掛けた。
「永い夜になりそう……」
だから、今宵も眠れそうにない。
―――紅魔達の夜は、まだまだ続く。
おぜうは各地を転々として、それぞれ従者を見つけてたのか。カリスマは従者に困らない、ってことかな?ww
それにしても美鈴がまっさらですな。こっからどういう経緯を経て、今みたいになっていったのかも気になりますねぇ。ところで黒髪が次の瞬間、紅に染まってるってめちゃカッコいいですね。