「あの! 皆に提案があるんですが、今度のお休みに皆でピクニックに行きませんか?」
夕飯時、命蓮寺の食卓。
本堂の片付けを終えて仲間達よりも遅く食卓にやってきた星が、ニコニコ笑いながら皆にそう言った。
「突然どうしたんですか、ご主人様? 急にピクニックだなんて。尤も、妙なことを言い出すのは今に始まったことではありませんが」
「実はですね、今日参拝に来た女の子が、ご両親に連れていってもらったお花見のことをうれしそうに話してくれたんです。だから、私達も皆で行ったら楽しいかなあって思ったんですよ」
「ふふ、星らしい。でも、面白そうね。私は行きたいなあ、聖輦船の添乗員も休めそうだし。ねえ、村紗?」
「そうだけど、週に一回船を出さないとどうも調子が悪いんだよね……」
「私も皆で行くのはやだなー。なんかこう、皆でお出かけみたいで恥ずかしいじゃん?」
村紗とぬえがあまり乗り気でないのを見て、ナズーリンは顔をしかめた。
普段小言を散々言ってはいても、ナズーリンにとって星はやはり大切な主人である。その彼女があんなにうれしそうに提案をしてきたのだから、ナズーリンとしても星の願いを叶えてあげたいと思っていた。
二人の言葉で少々濁ってしまった空気をなんとかいい方向へと変えようと思い、彼女は未だ星の提案に反応を示していなかった白蓮に話を振ってみることにした。
「ところで、白蓮はどう思う?」
「……すばらしい」
「えっ?」
「ああ、素敵だわ、皆でお出かけだなんて! 是非行きましょう!」
「そ、そうですよね! 皆でどこかに行くことなんてなかったですし、とってもいい機会ですよね!」
白蓮の言葉を聞いて、星はどこか安心したように微笑んでいた。
なにかと人に気を遣う性格の彼女だから、村紗とぬえが乗り気でなかったのを気にしていたようだ。
その村紗は、白蓮の発言を受けて星の提案をもう一度考え直しているようだったが、暫くして何かを思いついたように口を開いた。
「うーん……あ、そうだ! ピクニックする場所まで、聖輦船に乗っていけないかな?」
「ああ、いいですね! “くるーじんぐ”ってやつですか?」
「いや、それはちょっと違うと思いますよご主人様」
「ちょ、ちょっと! ねえ、ムラサも行く気になっちゃったの?」
「だって聖に星、一輪、ナズーリンが賛成してるのよ? 我侭言ってるわけにもいかないでしょうが」
「うう……」
盟友の(尤も、彼女が勝手にそう思い込んでいただけだが)村紗にそう言われて、ぬえは口を閉じざるを得なかった。
彼女は、ただ単純に命蓮寺の仲間とどこかに出かけるのが嫌いなのだ。仲間のことは気に入っているし、一緒にいるのもどちらかというと好きだ。
けれど、一緒にいるところを誰かに見られた場合、それを目撃した者はきっと「仲のいい家族だ」といったものに近い感想を抱くことだろう。そういうのがくすぐったくて仕方のない彼女は、寺の誰かと出かけることを以前から極力避けていた。
しかしながら、この状況では意地を張っていても仕方が無いことであるという事は彼女にも分かっている。
幸い船で行くなら人目につきにくいだろうし、偶にはこういうのもいいか、と諦めの溜息をつきながら、ぬえは再び口を開いた。
「しょうがないなー……わかったよ、行けばいいんでしょ」
「素直じゃないわねえ」
「ふふ、でもよかったです。皆で出かけるなんて滅多にありませんからね」
「そうですね。ところでご主人様、早く食べないとご飯冷めますよ」
「あ、そうでした! では改めて、いただきます」
手を合わせる星を見て、ナズーリンは思わず笑みを零した。
やれやれ、最初はどうなる事かと思ったが、うまく事が運んでよかった。決め手になってくれた白蓮には感謝しなければ。
そんなことを考えながら、ナズーリンは味噌汁をすすった。
* * *
それから数日後、ついに休日がやってきた。
その日は天気にも恵まれ、境内には朝から温かい春の日差しが降り注いでいる。いつもは遊覧船の準備や休日しか来られない参拝客の相手で慌しい命蓮寺だが、この日ばかりは静寂に包まれていた。
そんな穏やかな雰囲気の中、準備が早く終わった白蓮と一輪は境内の木陰でのんびり話をしていた。
「うふふ、晴れてよかったわね」
「そうね、姐さん。うーん、気持いい天気」
「そういえば、今日は雲山の姿が見えないようだけど、何かあったの?」
「それがね、今日は男前入道コンペっていうのがあるらしくて、雲山もそこにいってるのよ」
「男前? どんなコンペなんでしょうね……」
「私もすごく気になったからついていきたかったんだけど、生憎ピクニックと日が重なっちゃったし、それに雲山がついてくるなって言うの。よくわからないけど、女子禁制なんだそうよ」
「はあ、女人結界なのですか。それはさぞや厳格な大会なのでしょうね」
「気になるなあ……あら?」
声が聞こえた気がして一輪が上を見上げると、いつもの傘を振り回しながら元気な化け傘が降りてくるところだった。
「うらめしやー!」
「こんにちは、小傘ちゃん。今日もいい驚かせっぷりね」
「こんにちは、白蓮に一輪。二人が今頃ここにいるなんて珍しいね、何かあったの?」
「今日は皆でピクニックに行くのよ。といっても、目的地までは船で行くんだけどね」
「ピクニック!? いいなー……」
「もちろん、小傘ちゃんも一緒にいらっしゃい」
「いいの!? ありがとう、白蓮!!」
そう言ってふらりとやってきた小傘がはしゃいでいると、本堂から重箱を抱えた星とナズーリンが出てきた。
「お待たせしましたー」
「まったく、ご主人様が包みを用意し忘れたりするからですよ。重箱だけじゃ持っていけないでしょうに」
「ナ、ナズーリンだって卵焼きにてこずってたじゃないですか」
「あ、あれはその、あのー……」
「えっ、もしかして二人でお弁当作ってくれてたの!? すっかり忘れてたわ、ありがとう二人とも」
「言ってくれれば手伝ったのに。ごめんなさいね、気がつかなくて」
「いえ、気になさらないでください、聖。皆でピクニックに行くと思うとワクワクして夕べあまりよく寝られなかったんですが、その時お弁当のことに気づいたんです」
「そして私が台所で張り切っているご主人様を見つけ、手伝っていたというわけさ」
うれしそうに微笑んでいる主を横目で見て、ナズーリンはまた笑みを零していた。
星が単純に皆と出かけることを喜んでいたわけではないことに、ナズーリンは気づいていた。
かつて白蓮が封印された時、毘沙門天の代理であった星は人間の手を免れた。そのことが、いつも彼女を苦しめていた。責任感の強い彼女は、信仰を守るためとはいえ当時仲間達のために何もしてやれなかった自分を未だに責めていたのだ。
その彼女につかず離れず、いつも彼女を見守ってきたナズーリンだから、星の喜びは出かけるという行為自体にではなく、かつて仲間達と過ごした日々が戻ってきてくれたことに対してのものであると気づいていたのだった。
皆が封印されてから、星は殆ど笑顔を見せなかった。いつもどこか寂しそうで、苦しそうで、辛そうだった。そんな彼女が、今こんなにうれしそうに笑っているのだ。その笑顔を見ると、ずっと支えてきたナズーリンも感慨深いのだろう、普段の引き締めた表情を崩し、つい微笑んでしまうようだった。
それから暫く五人が外で待っていると、少し上の方から村紗の声が聞こえてきた。
「おーい、準備オッケーだよー!」
皆が見上げると、いつの間にか寺は聖輦船へと変形していたらしく、妙に重厚な船底が五人を迎えた。その更に上の甲板で、整備を終えた村紗とそれを手伝わされたぬえが手を振っているのが見える。
「はーい! じゃあ、行きましょう!」
「うふふ、張り切ってるわね」
「ええ、なんたってクルージングでピクニックですから!」
「ですから、どこかおかしいですよご主人様」
「うん、おかしいわね」
「あ、もしかしてそれってボケ? それじゃあ驚けないよー」
「脅かすのは君のほうだろ? 君こそボケてるんじゃないかい?」
「なんと! わちきが天然さんと申すか!?」
「天然? 確かに小傘ちゃんは誕生に人の手が加わったわけではありませんから、天然といえば天然なんでしょうけど……なんだか変じゃないですか?」
「ご主人様、この場合の天然というのは今のご主人様みたいな人を指しているんですよ」
「えっ? ええと、毘沙門天の代理で、虎で、ええと……ああ、ウキウキしてて、あとは……」
「……もういいです」
ナズーリンが色々諦めたところで、五人は甲板に着いた。彼らを迎えた村紗とぬえは、神妙な面持ちで思索している星と呆れた様子の四人を見て不思議そうに顔を見合わせる。
「何があったのかは……まあいいや。それより、もう出航できるんだけど、目的地を決めてなかったよね?」
「あ、そうでしたね」
「あのさ、私掃除しながら思ったんだけど、もう桜って散っちゃってるよね? 葉桜どころの話じゃないよね?」
「そういえばそうね。まあピクニックって話だったし、あんまり意識しなかったけど」
「それで、どこに行く? まあ、私は中止にしてもいいんだけどさ」
「またそんなこと言って」
村紗に小突かれるぬえを見ながら、星達は思い思いに候補を探っていた。
ぬえを除いて、基本的には皆ピクニックに行きたいとは思っていた。けれど、実際にどこに行きたいのかということは皆まったく考えていなかったようで、中々発言は出ない。
そんな中、星が思い出したように声を上げた。
「あっ! 妖怪の山なんてどうですか?」
「でも、あそこは確か山の外の人達に厳しいんでしょ? 侵入者だーって言われて大変なことにならない?」
「多分大丈夫だと思います。ちょっと前に取材に来た天狗……文さんでしたか。彼女の話によると、山の上にある神社の神様が聖に会いたがっているらしいんです。春の山は綺麗でしょうし、神様にご挨拶するついでにチラッと見せてもらうくらいなら平気じゃないかと思うんですが」
「私に会いたいと? 信仰に関するお話でもなさりたいのかしら?」
「どうかな。私が里で聞いた噂によれば、あそこの神様は相当すっ呆けた方らしい。そんな真面目な話ではないんじゃないかな」
「うん、あそこにいる早苗も変な奴だし、神様もきっと変な奴だよ」
「まあとにかく、じゃあ目的地は妖怪の山でいいね? 途中で変更は出来ないよ?」
「ええ、行ってみましょう!」
「春の山か。楽しみね」
「よーし、それじゃあ出発! 錨を揚げろー!!」
村紗の掛け声とともに聖輦船は空に浮き上がり、妖怪の山へと向かってゆっくりと動き出した。ちなみに錨を揚げたのは当然のことながらキャプテン・ムラサ自身である。何故自分でやるのに「揚げろ」と命令したのか、などと聞いてはいけない。
船にいるからだろうか、いつもより上機嫌な様子の船長は錨をくるくると回すといつもの保管場所へと放り投げた。挙動が普段より粗いのは海の女補正である。
パンパンと手を払いながら、若干威勢のいい口調で彼女の変貌ぶりに少々置いていかれた感のある仲間達に声をかける。
「よっし、これで航路は万全ね。どうする、急いでいく? それとも景色を見ながらゆっくり進む?」
「ああ村紗、実は私達お弁当を用意してきたんです。もしかすると山の景色はお弁当を広げてゆっくり見ている余裕がないかもしれませんし、今食べてしまったほうがいいかなと思ったのですが」
「いいと思うわ。皆朝御飯食べてないからお腹空いてるし」
「そうね。空からの眺めもいいし、甲板でお弁当広げるのもなんだか楽しそうね」
「私も賛成! ムラサがこき使うもんだからもう疲れちゃってさー」
「あんな忙しい時に絡んでくるからよ。それじゃあ、ゆっくり進みながらお弁当にしましょうか」
村紗がそう言うと、元々ゆっくり進んでいた聖輦船は更にゆったりとした速度に変わり、止まらない程度の超低速へと切り替わった。
それを受けて、星とナズーリンが持ってきていたシートを甲板に広げ、そこに重箱を並べる。
「うわあ、おいしそう! ねえねえ、早く食べようよ」
「子供かあんたは。まあ、私もお腹へったけどさ」
「うふふ、そうね。それじゃあ皆で……」
いただきます!!
春のある休日。穏やかなそよ風の吹く空を、謎の船が進む。
その甲板は、春のそれよりも温かい雰囲気に包まれていた。
「あら、この唐揚げおいしいわね」
「この前里のお肉屋さんのご主人に教わったんです。揚げる温度を工夫したんですが、うまくいったみたいでよかったです」
「このおにぎりもおいしいよ!」
「ああ、その米はこの辺りじゃ一番の質らしいからね。よく探し物の依頼に来る米屋の店主が言うのだから間違いないだろう」
「二人とも仕事柄か人間と仲いいね。私なんか里に知り合いなんていないわ」
「あんた、よく子供達と遊んでるじゃない」
「あれは遊んでやってるのよ」
「へえ、その割にはいつも楽しそうだけど?」
「べ、別に楽しくなんかないよ! あいつらが遊んでってうるさいから……あ、卵焼きもーらいっと」
「あ、その卵焼きどうでした?」
「……うん、形は歪だったけどおいしかったよ。でもなんで聞いたの?」
「いえ、特に意味はありませんよ。ね、ナズーリン?」
「な、なんで私に振るんですか」
「そういえば、この卵焼きはナズちゃんが作ってくれたんでしょう? 私も味見してみましょう」
「ああ、それで星も気になったってわけね」
「別にそんな事を気になさらなくてもいいのに……」
「いえ、そういうわけにはいきません。だって、皆にナズーリンの卵焼きが褒められたら私もうれしいですから」
「ご主人様……」
それぞれが思い思いに楽しい時間を過ごす間、聖輦船は進み続けた。野を越え山を越え、ついに船は妖怪の山の近くにやってきた。
仲間達と話しながら弁当を食べていた星は、山の景色を見て思わず声を上げていた。
「あっ! 山が見えてきましたよ! なんだかすごく綺麗です!」
「あら、ほんとね。桜は流石に散っているけど、いかにも春の山って感じで素敵だわ」
「うん、春の匂いね。やっぱり春はいいなあ」
「ストップ! ストーップ!!」
皆が美しい深緑に溜息を吐いていると、不意に下の方から叫び声が聞こえた。全員が船の縁から下を覗こうとした直後、船首の前方に人影が現れた。
突如現れたその烏天狗は構えていたカメラで挨拶代わりに一枚写真を撮ると、困ったような表情を浮かべて船首の上にふわりと降り立った。
「いやはや、今回の侵入者は随分と派手な入り方ですねえ」
「あら、こんにちは文さん」
「ああ、どうも白蓮さん。今日はどうしたんですか? 皆さんお揃いでこんな目立つ方法でやって来ちゃうだなんて」
「実は、今日は山の神様にご挨拶に来たんです。聖だけで伺うのも寂しいし、どうせなら皆でお出かけして、ついでに山の景色を見せてもらおうと思ったので」
「はあ、そういうわけですか。いや、でもなあ……」
星の言い分を聞き、文は頭をますます悩ませた。
彼女の言葉で、命蓮寺の者達に悪意はまったく無いことはわかった。しかし、この山には部外者を入れてはならないという掟がある。彼女達の気持は分かるが、流石に部外者を見逃すわけにはいかない。それに、もし文が彼女達を見逃したとしても、このまま進めばいずれ哨戒天狗に発見されてしまうだろう。彼らの中には過激な者もいるから、そういう輩に見つかっては大事になりかねない。山に属する者として、自分はやはり彼女達を追い返さなければならない。文の頭で初めに出された結論がこれだ。
しかしながら、彼女の頭の中には別の考えが同時に浮かんでいた。
人間の里近くの寺と山の神社が交流を育んでいるという事実は、記事として魅力的ではないだろうか。もし上手く周りを操って命蓮寺の面々を神社まで連れて行ければ、この記事を独占して書くことが出来る。結果として山のルールを破ってしまうことにはなるが、この記事は彼女にとって掟の遵守と天秤にかけるほどに十分魅力的だった。
警備の薄いところをうまく誘導するか、それともやはりこのまま引き返すか。
二つの案に結論を出せず、文は唸り声を上げる。そんな彼女を見て、星はがっかりしたような表情で言った。
「やはり、どんな理由でも山に入るのはいけないことでしたか。すみません文さん、すぐに引き返します」
「えっ!? ご主人様、あなたはそれでいいんですか?」
「……私、皆でお出かけするのをとっても楽しみにしていました。でも、そのせいで山の皆さんに迷惑をかけてしまうのでしたら、やはり私達が諦めなければいけないでしょう」
「星……」
「大丈夫ですよ、聖。ここに来るまで皆で楽しく過ごせましたし、私はもう十分満足ですから」
そう言いながら皆に見せた星の笑顔はどこか寂しげだった。そんな彼女を見て、ぬえは唇を噛み締めていた。
ぬえにとって、この展開は願ってもないものであったはずだ。山の関係者に咎められれば、いくら理由があってもこれ以上入っていくわけにはいかない。結果として皆のお出かけは中止になるのだから、彼女にとってこの事態は喜ばしいもののはずだった。
けれども、星の顔を見た彼女の心にはそういう気持とは真逆の感情が生まれていた。
なんとか、星の気持を汲んでやりたい。
彼女の普段の様子や村紗から聞いた話から、星がどれだけ仲間を想っていたか、またそれ故にどれだけこのピクニックを楽しみにしていたのかをぬえは知っている。彼女に特別恩義があるわけではないが、仲間の心からの願いを無視して自分勝手になれるほどぬえは薄情ではなかった。
覚悟を決めて、ぬえは声を張った。まるでこのデッキに漂い始めた悲しげな空気をかき消さんとするように。
「ねえ! あの……どうしても、この先に行っちゃ駄目なの?」
「えっ? ええと、まあその……」
突然の発言に言い淀む文に対し、ぬえは更に続ける。
「もし少しでも可能性があるなら、なんとか山に行かせてもらえないかな? あ、いや、別に私が行きたいわけじゃないんだけど……ほら、星がすっごく楽しみにしてたからさ、がっかりしちゃうだろうなあって思って、その……」
続く言葉が思いつかなかったのか、ぬえはそれ以上何も言わなかった。
しかし、彼女の想いは文を動かすのに十分だった。小さく溜息を吐いた後、やれやれといった仕草で彼女は言った。
「はあ、仕方ないですね。いいでしょう、私が案内します。連中の警備が薄いところは心得ていますから、静かについてきてくれれば神社までの安全は保障できますよ」
「本当ですか!? 村紗、文さんについていく事って出来ますか?」
「細かいルート指定はやってみたことないんだけど、まあやってみるわ」
「頼んだよ、キャプテン」
ナズーリンの言葉に頷き、村紗は船室へと入っていった。それを見送った後、少し不安そうな表情を浮かべて一輪が文に訊ねた。
「ねえ、あなたはいいの? 山の妖怪が掟を破っちゃまずいんじゃないの?」
「ああ、バレなければ問題ありませんよ。ルールを破るのは流石に気が咎めますが、悪いことをするために破るわけではありませんから平気でしょう。万一バレても、山の神様の依頼だったという事にしておけば責められないでしょうし」
「そう、それならいいんだけど」
「まあとにかく、なんとかなってよかったですねご主人様」
「ええ! ぬえにはお礼をしないといけませんね。ありがとう、ぬえ」
「別にそんな、お礼なんていいよ。星のために言ったわけじゃないし」
「あらあら、相変わらずぬえちゃんは素直じゃないわねえ」
「ふむふむ、ぬえさんはツンデレ……っと」
「ちが、おい天狗!」
「つんでれ? なあにそれ?」
「ツンデレというのはですね」
「や、やめろってば!」
文とぬえがじゃれ始めた頃、再び賑やかになったデッキに村紗が戻ってきた。彼女は勢いよく扉を開けるとうれしそうに皆に言った。
「できた! 微調整できそうだよ!」
「やった!! それじゃあ文さん、村紗、よろしくお願いします!」
「ええ、任せて星!」
「さあて、私も独占記事のため頑張りますよ!」
「ああ、そういう裏があったわけか」
ナズーリンの皮肉めいた口調にニヤリと笑顔を返し、文は船首の前に立つ。彼女の指示の下、聖輦船は再び山の頂上へと動き出した。
* * *
その日の午後のこと。買い物を終えた東風谷早苗は、神社への道のりを歩いていた。
山の頂上に移ってきて以来、早苗は山の風景を眺めるのが好きになっていた。以前は四季の移り変わりなどあまり気にかけてはいなかった彼女だが、色彩豊かなこの山に住むようになってからはそれぞれの季節を楽しむようになっていたのだ。
この日も、神社の石段を昇りつつ緑を眺め、花の香りを楽しんでいた早苗だが、そういう日常は中々続くものではない。
ふと空を見上げた早苗の目に飛び込んできたのは、境内に着陸しようとする、どこか見覚えのある船の姿だった。
普通の人間ならば、少しくらいは驚くべき光景であったことだろう。しかし、この幻想郷における日常は大概こういうものである。早苗がついさっきまで楽しんでいたのも日常なら、こういう妙な出来事がいきなり起こるのも日常なのだ。幻想郷でのそんな生活に慣れてしまった彼女は、特に驚きもせずそのまま境内へと向かった。
それにしても、こういった方法で会いに来る客も珍しい。あの寺の住人は皆変わり者のようだったから納得も出来るが、よく天狗達に見つからずにここまで来られたものだ。
そんなことを考えながら、早苗は既に着陸していた船へと向かっていく。ちょうど彼女が船の傍まで来ると、デッキから寺の変わり者達が降りてくるところだった。
「あら、こんにちは早苗さん」
「ええ、どうも。しかし随分突然で無茶な訪問ですね」
「ああ、すみません。以前こちらの神様が聖に会いたいというのを伺ったので、皆で行ったらどうかと私が提案したんです」
「ああ、そういえばお二人がそう仰ってましたね。でも、こんな目立つ方法でいらっしゃらなくてもよかったかなとは思いますが。あ、私は大好きなんですけどね、こういう壮大な登場の仕方って。でも天狗の皆さんに見つかると面倒でしょう?」
「それなら心配ない。文がここまで誘導してくれたからね。御二柱によろしく、だそうだ」
「なるほど。あっ、立ち話も何ですし、とりあえず皆さん中へどうぞ」
そう言うと早苗は命蓮寺の面々を本殿へと促した。彼女達と進みながら、早苗はおそらく居間でだらけているであろう二柱のことを考えていた。
いくら親しみやすい神々とはいえ、それなりに威厳は必要だ。居間で座布団を枕に寝ていたり、或いは煎餅片手に訳のわからないテーマで論争を繰り広げる二柱の姿は、威厳とは程遠い。できれば客人にそんな姿を見せないで欲しいなと思いつつ、早苗は本殿に向かい、二柱がいるであろう居間の襖を開けた。
そこで彼女達が見たのは、ある意味尊敬の念を抱くほどにだらしなく寝転がっている二柱の姿だった。
床に転がった酒瓶は一本や二本ではない。二柱だけで呑んだとは到底思えないほどの量の酒瓶に、一同はただ感心するしかなかった。
おそらく、早苗が出かけた後に二柱で呑み始めたのだろう。そうだとしても、普通ならこの短時間で呑める量ではない。これも神の成せる業なのだろうか。
皆が複雑な表情を浮かべている中、顔を真っ赤にして早苗は近くに寝ていた諏訪子を揺さぶり出した。
「お、お恥ずかしいところをお見せしてすみません! ほら、起きてください諏訪子様! お客様ですよ!」
「んん……お客さん? 早苗、何を言って……お客さん!? うおぅっ!?」
早苗の言葉で我に返った諏訪子は飛び起き、彼女の後ろで半ば呆れ顔をしている客人に気づいて思わず後ずさりした。流石の神様も恥じらいの気持は克服できないようで、その挙動から気が動転しているのが見て取れる。
「お、お客さんなら早く起こしてよ、もう。ほら神奈子、あんたもそろそろ起きな!」
「う……あ……? 寝ちゃったのか。我ながら衰えたもんだねえ」
「馬鹿なこと言ってないでシャキッとしなよ! お客さんもいるんだよ?」
「そうですよ、しっかりなさってください!」
「なんだい早苗まで、客なんて……うおっと!? な、なんでここに……?」
「ええと、お初にお目にかかります、神奈子様。私、人里近くの寺で修行をしております、聖白蓮と申します」
「あ、ああ、これはどうも」
白蓮の丁寧な挨拶は、寝起きの神奈子の酔いを醒ますのにちょうどよかった。体勢を整え胡坐を組んだその姿は先程までだらしなく寝転がっていたものからは想像もつかないような、えもいわれぬ威厳に包まれたものであった。
「さて……白蓮、挨拶が遅れて申し訳ない。私は八坂神奈子。この神社で神様やってる者さ」
「まあほんとは私の神社だから、実務はこの私、洩矢諏訪子がやってるわけだけどね」
「成程。御二柱が協力なさっているのですね」
「協力……かなあ?」
「まあ、馴れ合い? それはそうと、白蓮は何か用事があって来てくれたのかい? 妖怪の山頂上なんて普通なら来られない場所だし」
「ええ、実は御二柱が私に会いたがっていると天狗の文さんに伺いまして。それで、どうせなら皆で行ってみようかということで聖輦船に乗って伺わせていただいたのです」
「そうだった! そういえば、前の宴会で文にそんなこと言ったっけ。あんな些細な事を覚えているなんてあいつもマメだねえ」
「そうだったのですか。それでしたら、やはり私一人で伺ったほうがよかったでしょうか?突然伺って迷惑をおかけしてしまったようですし……」
白蓮が少し残念そうな表情を浮かべると、後ろでやり取りを見ていた星達も同様に眉をひそめた。
しかしながら、そのせいで場の空気が停滞することはなかった。急に表情に影が差した命蓮寺の面々を見た二柱が、心配するかと思いきやいきなり笑い出したのだ。
「あはははっ! そう暗い顔しなさんなって!!」
「そうそう、私達も会いたかったんだからさ、そんな些細な事は気にしなくていいんだよ」
「そう、なのですか?」
「ああ、そもそも私が宴会の時に言ったのは『新しく建立した寺の尼さんと呑んでみたい』ってことだけだったのさ。それより、以前聞いた話じゃ白蓮達が乗ってきた船は遊覧船をやってるんだろ? どうかな、暇な時にここに乗客を連れてくるってのは」
「え、ええ、いいわよね、村紗?」
「ええ、問題ありませんけど」
「そうか、そりゃよかった! 人間の里にも守矢神社に参拝したいっていう人が少なくないって話は聞いていたから助かったよ。すまないね、白蓮」
「いえ、そんな」
白蓮はつい言葉を詰まらせた。それは二柱に圧倒されたからでも、言葉が見つからなかったわけでもない。ただ、今まで経験したことのない守矢式の信仰の形に感心せざるを得なかったのだ。
これまで彼女は、こういった形の信仰を見たことがなかった。信仰には威厳や畏怖が必要であり、信仰の対象は信仰する者に歩み寄ってはならないのだと彼女は考えていた。
けれども、この神様達はそうではなかった。親しみやすく、同じ目線で話せる彼女達に捧げられる信仰は、どちらかというと尊敬やある種の友情に似ている。神道と仏門、互いに道は違えど学ぶことは大いにある。
小傘が言っていたようにどこか変ではあるけれど、やはり神様は只者ではなかった。そう考えて、白蓮は溜息を漏らした。
「神奈子様、諏訪子様、御二柱にお会いできて、私本当によかったです。御二柱の信仰への姿勢、とても勉強になりました」
「そうかい、それはよかった。……っと、もう夕方か」
白蓮達がやってきた時には暖かな日差しを届けてくれた太陽も、今はすっかり暮れてしまっている。どうやら、いつの間にか大分時間が経ってしまっていたようだ。
「今夜は泊まっていくといいよ。本殿は広いし、皆で泊まれるからさ」
「えっ!? で、でも、悪いですよ。ねえ、聖?」
「ええ、でもせっかく御二柱がこう仰っているわけだし、ご厚意に甘えてはどうかしら?」
「皆でお泊り!? やった、楽しそう!」
「はあ、ピクニックが旅行になっちゃったね」
「嫌そうね、ほんとは皆でいるの嫌いじゃないくせに」
「嫌いじゃないけど、好きじゃないもん」
「まあいいじゃないか、偶には命蓮寺以外で寝るのも悪くないだろう。なあ、一輪?」
「うん、そうなんだけど……なんか忘れてる気がするのよね……」
「そんなの気にしない気にしない! さあ、今宵は珍しい客人と宴会だ!」
「それもいいですけど、ちゃんとお二人とも片付け手伝ってくださいね。自分で飲んだ酒瓶くらい自分で片付けてください」
「はーい……」
肩を落とした二柱を見て、早苗は微笑みながら台所へ向かった。三人のそんな姿を見て、星はうれしそうに笑みを零す。
神様は不思議な人達だったけれど、本質は何も自分達と何も変わりはない。仲が良くて、いつも互いに思い合っていて。妙なところはあるけれど、三人を包む温かさはまるで家族のようで心地良い。
ピクニックは出来なかったけど、三人と会えてよかった。
そんな事を考えている星に、ナズーリンがいつもより若干明るい声で話しかける。
「よかったですね、ご主人様」
「ど、どうして私が落ち込んでないと気づいたんですか? ピクニックには行けなかったのに」
「今のご主人様の顔を見れば、誰だって分かりますよ。落ち込んでいる者は、そんなにうれしそうに笑いませんから」
「……ふふ、さすがですね、ナズーリン」
「あなたの従者なんですから、このくらい当然ですよ」
「いよう、仲がよさそうだねえお二人さん!!」
「ちょ、諏訪子様、茶化さないでください!」
「いいよそんな堅苦しい呼び方しないで~」
「では諏訪子さん、私達はですね」
「あーはいはい、その続きは呑みながらゆっくり聞かせてもらうよ。今早苗が夕飯を作ってくれてるから、とりあえず宴会はその後だね」
そう言って諏訪子は居間を出ていった。彼女の言葉を聞いた星は、若干赤くなりながらも台所へ向かった。おそらく、早苗を手伝いに行ったのだろう。
こんな時も皆のために動こうとするのは流石だが、慣れない環境では無理に張り切りすぎた気持が空回りしていつ失敗するとも限らない。
やれやれ、また手伝いに行かないとまずいか。諏訪子は私達のことを妙に誤解しているようだから、ご主人様を手伝う私を見たらまた何か絡んでくるかもしれない。
まったく、今日は朝から晩までご主人様に振り回されっぱなしになりそうだ。まあ、それも嫌いではないから問題ないが。
そんなことを思いながら、ナズーリンは主の後を追うことにした。
それに続くように、神奈子達も台所へ向かう。
今日は思いもよらない客のおかげで楽しい夜になりそうだ。文の言葉を真面目に受け止め、ついでに妙なことを考え付いてくれた星とやらには感謝しなければならないな。
なんにせよ、いい酒が呑めそうでよかった。そう考えて、神奈子は笑みを零した。
いつもは山の妖怪で騒がしいこの守矢神社だが、今宵は命蓮寺の愉快な仲間達で賑わいそうだ。
その日の夜。命蓮寺の境内に、トロフィーを抱えた人影が一つ。
その人影はどこか寂しそうに空を見上げ、寺があった場所に佇んでいた。
コンペで優勝しちゃったし、儂もまだまだ捨てたもんじゃあないのう。普段寺では影の薄い儂じゃが、このトロフィーを見れば皆の儂を見る目も変わるじゃろう。ああでも、急に注目されるのも困るな。儂、恥ずかしがり屋さんじゃし。
そんな事を考えながら家路に就いた雲山を待っていたのは、非情な現実だった。寺に戻った彼は、境内に寺が見当たらないのに気がついた。一輪から出かける話は聞いていたから、きっとすぐ帰ってくるだろうと思った彼は特に驚くこともなく仲間達の帰りを待った。
けれども、辺りが暗くなり月が出る頃になっても、聖輦船はいっこうに帰ってくる気配がない。
一輪の気配を追えば彼女の場所まではなんとか辿り着けるのだが、この時の雲山にはその能力を発揮するどころか、それを落ち着いて現状を分析することも出来なかった。
もう帰ってこないなんてことはないとは思うが、それにしても遅すぎる。こんなにも遅いと、儂だってそういうネガティヴな発想にも至ってしまうというもんじゃ。
もうキャラが薄いなんて嘆かないし調子に乗らないから、お願いだから皆帰ってきて。こんなに寂しいと思ったのは、いつ以来じゃろうか。
ああ、皆……一輪……儂、寂しい……
悲しみに包まれ、誰もいない境内で一人眠ることを強いられた雲山の存在に一輪が気づくのは、それから数時間後。宴会で酔っ払った小傘が早苗に果敢に挑み、死闘の末ついに新技の「必殺・雲山バスター」を決めた時のことであった。
お話はとっても面白かったです。
うwんwざwんw
と思っていたらただのオチだったでござる。
雲山、恥ずかしがりやは最初からコンペなんかに出ねえからww
今すぐ俺が遊びにいくから待ってろ! な!(´;ω;)
ナズーリンの星に対する思いやりも微笑ましいです
しかし雲山がいないのになんで雲山バスターが生まれるんだww
平和なピクニックだったのに最後の雲山にすべてを持っていかれました
とてもよかったです