春が来た。
それは、熊が冬眠からのそりと目覚めて、レティさんが寝床に入る恵みの季節。そして、春の恵みである山菜が美味しい季節。
「あー、美味しいー!」
そんな春の恵みに、幻想郷三年生になろうかという東風谷早苗が舌鼓を打つ。
「……よく食べるわね」
そんな早苗をジト目で見つめているのは、幻想郷免許皆伝である博麗霊夢。ここ博麗神社の一室で、早苗は霊夢に春の恵みを御馳走になっているのである。
「つくしやタラの芽天ぷら、美味しいですねぇ。外の世界にいた頃は、こんなに美味しい山菜の天ぷらなんて食べた事なかったですよ」
天ぷらは、採れたての揚げたて。
早苗は笑みを浮かべながら、盛られた天ぷらをどんどん平らげていく。
サクサクの山菜の天ぷらは大根おろしをたっぷりと入れた天つゆに漬けると良い感じに染みて、それをご飯の上に乗せてから一気にかき込むと、まるでプチ天丼といった風情だ。
甘辛い天つゆに極上の山菜の天ぷら、それに白いご飯のコンボは、まさに最強である。
「天ぷらは良いけど、ごはんのお代わり出来ないからね。私の分もあるんだから」
「わはっへまふよ」
「食べてから喋れ」
霊夢に突っ込まれて、早苗は何度も頷きながら飲み込む。
そして、お茶を一口啜ると「なんでしたら、奇跡を起こしてお米を降らせましょうか?」と提案した。
すると霊夢は、
「単にうちのお釜が小さいだけで、二人前ギリギリしか炊けないだけよ。別に、人のスペカで米を炊くほど貧しくないわ」
と、反論する。
「そうなんですか? 割と霊夢さんの所は生活が厳しそうってイメージがありました」
「失敬ね」
ムスっとした顔で霊夢はぼやく。
それに対し、早苗は軽い調子ですみませんと謝った。
そんな早苗に対して霊夢は、ならば許す、と冗談めかして言う。
思わぬ霊夢の冗談に、早苗は破顔する。
その後、二人は競うように山菜の天ぷらとご飯を平らげた。茶碗には、米は一粒も残っていない。
お茶を飲んで、ほっと一息。
「……そもそも春は、お米さえ買えれば、おかずには困らないしね。というか、おかずなんてそこら中にあるし」
霊夢が何気なく呟く。
それは、天ぷらにした山菜の事を言っているのだろう。
博麗神社は山に近い。これらの山々が霊夢に、山菜という春の恵みを与えてくれるのである。
「んー、山菜ですか。私も色々と見ているんですけど、採集するのが結構難しいですよね」
「そう?」
「そうですよ。私も都会育ちってわけじゃないですけど。それでも幻想郷に来るまで山菜採りなんて、経験が無いわけですからね。せいぜい子どもの頃に土筆やよもぎを採ったくらいですか。なので、私の場合は図鑑片手に山菜を探すわけですから、大変ですよ」
「ふーん。それじゃ、教えてあげようか?」
「え、本当ですか。嘘は嫌ですよ」
「いや、別に減るもんじゃないし……早苗にしても、山菜を採るとしたら妖怪の山でしょ? だったら縄張りは被らないしね」
そう言うと霊夢は、少しだけ物騒な目付きになった。
「な、縄張りって、山菜採りに縄張りがあるんですか?」
「ある」
霊夢は断言する。
「山菜採りする場合はね、それなりに群生をしている所でとるのよ。山菜に限らず植物ってのは、特定の条件下で生長するわけだからね。例えばセリなら湿地や流れの遅い川辺に群生したりとか、山菜に限らず大抵の植物は効率の良い採集場所が出来るの。そのポイントは、それぞれの山菜採りの秘密になるんだけど。それが他人に見つかったり、被ったりしたら大変よ。他の人が山菜を根こそぎにした痕を呆然と眺める気持ち……あれこそ、まさに人生の敗者そのもの。そうなった時は、食い荒らされた極上の採集場所を後にして、一つ二つランクが落ちたポイントに移動して、どうにか採集をするのよ。最も、一ヶ所やられていれば、他も全滅している事が多いけどね。そんな時は、本当に終わったって感じね。散々探し回った挙句、手に入れたのは一束のノビルとか。もう、何だったんだ今日は、って感じよ」
「大変ですねー」
霊夢の言葉に早苗は、ほうっと溜息を吐いた。
まさか、気軽に食べていた山菜にそんなドラマがあったなんて、これからは山菜を食べる時は心して食べたほうが良いだろう。
「まあ、早苗が山菜を取る場合は妖怪の山あたりになりそうだから、この点は心配いらないけどね」
そう言って、霊夢は早苗の肩を叩いた。
守矢神社の本殿には、真の祭神である洩矢諏訪子の住居がある。
そんな本殿の中央には、昭和の雰囲気を醸し出す一台のちゃぶ台があった。
そんなちゃぶ台の上で、洩矢諏訪子は爪切り片手にガンプラを組み立てている。
それは『1/100 アッガイ』だった。
洩矢諏訪子は、それを爪切りを使って黙々と組んでいた。
「…………ふむ」
接着剤を丁寧に塗りながら、諏訪子は唸る。
ガンプラとは、機動戦士ガンダムに登場する架空の兵器をプラスチックの模型とした玩具の事だ。
特に、初代ガンプラブームが起きた頃には、鬼のようにガンプラが製造され、人々は争って人気モビルスーツをゲットしようと模型屋に並んだという。それは修羅の国といってもいい有様であったらしい。
人気に火がついたばかりのガンプラは、大変な人気を誇り、他の人気の無いプラモデルと抱き合わせでなければ買えない始末。なんともおおらかな話である。
そんな時代から少し下り、人々が並ばなくてもガンプラを買えるようになった頃、ガンプラは地味に余っていた。後発のロボットアニメ、続編であるZガンダムやZZ、そして逆襲のシャアとプラモ自体は大盛況だったが、この時期は初代のガンプラが、そこまで売れる時代ではなかった。
特にSDガンダムブームやBB戦士にガン消しなどとぶつかったのは致命的だったのかもしれない。
リアルな模型はおもちゃ屋の隅にひっそりと積まれ、店の外にあるガチャポンに子どもが集まる、現代はMGだのHGUSだのと華やかなりしガンプラにも、そんな時代があったのである。
そんなおもちゃ屋に積まれた模型の中には『アッガイ』の姿もあった。当時、スレたガノタ(ガンダムオタクの略)は少数派で、水陸両用モビルスーツは、ガンダムやミリオタ上がりに人気だったザクに比べれば明らかに人気薄。地味なプラモや他の水陸両用MSにジュアッグ、それにイデオンの敵役のプラモと共に、おもちゃ屋の棚に積まれていたのだった。
諏訪子が組み立てているアッガイも、そうして玩具屋の隅で売れ残った挙句に忘れられ、幻想入りしてしまったプラモだろう。
そんな忘れられていたアッガイを諏訪子は、丁寧に組み立てていく。
それは、まるで供養のために仏像を彫る僧侶のようだった。
接着剤の匂いが辺りを支配し、パチンパチンという爪切りの音が、神社の本殿に響く。そんなしんみりした中で、アッガイは組み立てられていった。
「そーいや、お前は今じゃ外の世界で萌えMSとして人気があるみたいだけど、ペズン計画のMSは変わらずに人気ないよなぁ。ガッシャとか」
寂しげに諏訪子は言う。
基本的に水中用MSを好み、ボトムズのATではダイビングビートルをこよなく愛する水中偏愛主義な諏訪子だが、水中用ではないとはいえ、ガッシャの一見水中用なデザインは嫌いではない。
だから、あのプラモ化がされていない幸が薄いMSが気になってしまうのだ。そもそもガンダムが打ち切られていなければ、ペズン計画のMSにも日の目が当たっただろうに。
だが、ア・バオア・クーの時点で打ち切られたからこそ、ガンダムは伝説になれたとも言える。
そう考えればペズン計画は、ファーストのあだ花なのだろうか。
「……まあ、紫から聞いたところによると、最近のガンダムは、水中部自体が無いらしいけど」
爪切りのやすりで切断部を削りながら、諏訪子はぼやく。そうしているうちに、アッガイは完成した。
「さーて、何処に飾ろうかな?」
接着剤の匂いがする素組みのアッガイを手に、諏訪子が立ち上がる。
すると、唐突に本殿の扉が開け放たれた。
「ただいま戻りました!」
それは、東風谷早苗だった。
隣りには、博麗霊夢も居る。
「お、お帰り」
諏訪子が、面を喰らいながらも挨拶をする。
しかし、早苗は帰ってきて早々、慌ただしく家に入ると、奥に行ってしまった。
「早苗ー、ビニールは綺麗なのを用意するのよ?」
「分かっていますよ。軍手はいりますか?」
「まあ、あれば良いけど、特にはいらないわ」
「鎌は?」
「いらない」
「分かりました。それじゃ、ビニール袋だけなんですね?」
「そうよ」
そんなやりとりの後、早苗は戻ってきた。
「それでは、諏訪子様。また行ってまいります! 晩御飯は作り置きしてあるシチューを温めて食べて下さいね!」
早苗は取っておいたビニール袋をしこたま持つと、そのまま霊夢を引きつれて行ってしまった。
「……いってらー」
諏訪子は、アッガイを持ったまま呆然と手を振って、早苗と霊夢を見送ったのだった。
山菜と一口に言っても色々とある。
山なら山うどにタラの芽、タケノコ、ふきのとう。渓流近くならセリ、ミツバを初めとして様々な山菜が楽しめる。
「妖怪の山は、そういう点では良い場所ね。水場の近くは狙い目だから」
そう言いながら、霊夢は妖怪の山を流れる渓流の上を飛ぶ。
空から妖怪の山を俯瞰すると、下を流れる川辺で河童が山菜を採っているのが見える。
「先客がいますね。挨拶をして一緒に採らせて貰いますか?」
早苗が霊夢に尋ねる。
しかし、霊夢は答えずに沢で山菜を摘んでいる河童を凝視し「……あれは、山わさびね。それもあまり数は多くなさそうだし、一緒に採るのは難しそうだわ」と呟く。
「だったら、弾幕ごっこを挑んで『ここで山菜を採る権利をかけて勝負!』とか?」
「んー、そもそもあの河童が良いのは採っちゃってるし、残りは細っこいのしかないわ。そんなのを採っても腹の足しにもならないし、そうした小さいのまで根こそぎにしちゃ、もうあそこで山わさびは採れなくなるからね。他を探しましょ。適度に残す、これが山菜採りのルールよ」
そう言って、霊夢は川を下る。
岩場と緑の連なる渓谷を、紅白と緑は適当に飛んでいく。
「あ、あそこに胡瓜が群生してますよ!」
「いや、あれは河童の胡瓜畑でしょ」
そんな会話を交わしていると、次第に山の麓まで来た。もう少し行けば、霧の湖に入るだろう。
山の渓流という感じから、ごく普通の河原を備えた河川に変わっている。渓流に比べれば緑は減っているものの、河原の近くは緑が濃い。川辺には食べられそうにも無い背の高い草が、そこらじゅうに生えていた。
「霊夢さん。この辺だと山菜は取れないんじゃないですか?」
実際、この辺で採れるのはつくしやヨモギがせいぜいだろう。そんな雑草だらけな川の様子に早苗がぼやく。
「んー。そうでもないわよ」
しかし、霊夢はさして気にせずキョロキョロと辺りを見回してから、河原の中州に降りる。
続いて早苗も降りて周りを見渡してみれば、その中州にはチラホラと黄色い花が咲いていた。
「……これは、菜の花?」
「外れ」
「え、でもこれって菜の花じゃないんですか?」
戸惑う早苗に霊夢は、ノンノンと指を振る。
水辺から生えた背の低い草に小さな黄色い花が幾つも咲いていた。それは、東風谷早苗が知る限り、菜の花以外の何物でもないように見える。
「葉っぱ葉っぱ。葉を見てみなさい」
「……葉っぱですか」
早苗は、黄色い花を咲かす草の葉を見る。緑のギザギザした葉っぱ、特に妙な所は無い。
「分からない?」
「はい」
降参だと早苗は手を上げた。
すると、霊夢は辺りを見回すと、何やら黄色い花の草をちょんと手慣れた手つきで一本摘んで、早苗に見せる。
「菜の花はこっちよ」
「へ?」
早苗は間の抜けた様な声を出す。
見比べてみると、霊夢が『菜の花』だと言った黄色い花の葉っぱはギザギザしていない。
「……ええと、そっちが菜の花だとすると、こっちは?」
「カラシナ。ちなみに今日のターゲットね」
【芥子菜】
古くに伝来したアブラナ科の植物で、アリルイソチオシアネートの配糖体を持つ辛い野菜だ。
また、アブラナ科は雑種が発生しやすく、なんだか良く分からない品種がポンポン出来る事でも知られている。
そうしたもので、特に特徴が無いものはすべて【菜の花】と大雑把に呼ばれる事が多い。ここで霊夢が【菜の花】と言っているものも、キチンとしたアブラナではなく、なにかのアブラナ科の植物と芥子菜が交配して、アリルイソチオシアネートの配糖体を失ったアブラナ科の植物である。
また、件の芥子菜も真っ当なカラシナではなく、アリルイソチオシアネートの配糖体を有している雑種だろう。
アブラナ科は、生態自体が実に適当である。
「このカラシナを大量に採って、塩漬けにするのよ。そうすれば、当分ご飯のオカズには困らないわ」
「それは素晴らしい!」
しかし、飯のタネを見つけた巫女と風祝にとっては、そんな事はどうでも良い。
食えるか食えないか、重要な事はそれだけだ。
「カラシナの茎を持って、簡単に折れるところで摘むの。根っこから抜いちゃ駄目よ。で、摘んだカラシナはビニール袋に入れて、次のカラシナを摘む。こうして、下の部分を残せば、このカラシナはまた伸びるわ。そうすれば、再びカラシナが楽しめるってわけよ」
「わかりました!」
「それじゃ、私は向こうで摘んでるから」
「行ってらっしゃい!」
ハイテンションで早苗は見送った。
ようやっと、山菜摘みが出来るのだ。テンションが上がらないわけは無い。
「……あれ、でも、カラシナって山菜じゃないような」
早苗は、首を捻りながらカラシナを摘んだ。
それからしばらく。
早苗の持っているビニール袋は、カラシナでいっぱいになっていた。
「霊夢さん。驚くだろうなー」
思わず零れそうになる笑みを堪えながら、早苗は霊夢を探して中州を歩く。
ここの中州は割と大きく、しかもカラシナや菜の花以外にも様々な雑草が茂っているので、視界が悪い。
「んー、さっきまでは向こうで赤いリボンを見たんだけど……」
そうして、早苗が周囲を見回した瞬間にそれは現れた。
霊夢の持っている白いビニール袋は、カラシナでパンパンに膨れ上がっていた。しかも、カラシナはパンパンに膨れあがったビニール袋に収まりきらず、縁からはみ出している有様である。
そんなカラシナの入った袋を紅白の巫女は両手に二つずつ、口に一つと合計五つも持っていた。
「ふはへ、ほへふはいほ?」
「も、持ちます。その口に咥えたのを持ちますから!」
早苗は慌てて霊夢に駆け寄った。
「ありがと」
「限度ってモノがあるでしょ! 採り過ぎですよ!」
「いやー、カラシナの漬物って美味しいのよ」
口で持っていたカラシナを早苗に渡して、霊夢は面目ないと頭をかく。
それを見て、早苗は溜息を吐いた。
とにかく、二人は十分に摘んだので帰ろうという話になり、飛んで帰る準備をする。
だが、霊夢は明らかに採り過ぎた。
飛ぶだけで一苦労だし、ビニール紐が手に食い込んでえらく痛い。
「じ、神社までは遠い……」
「何をやっているんですか」
「早苗にも、必ず分かる時が来るわ。あの漬物の美味しさを知れば」
休み休み飛んで行っても、帰るまでに時間がかかり過ぎる。
そう考えた二人は、霧の湖に呑気に浮かんでいる紅魔館に目を付けた。
霧の湖には小島があり、そこには紅魔館という館がある。そこには吸血鬼の姉妹が棲んでいて、そこで絶対的な統治をしているのだという。
時刻は黄昏時、吸血鬼の天敵たる太陽は沈み、彼女達夜族の時間がやってきた。
夕闇が世界を支配した時、紅魔館当主であるレミリア・スカーレットは、天蓋付きのベッドで目を覚ます。
「お早うございます。お嬢様」
レミリアが身を起こした瞬間に、部屋の隅で控えていた十六夜咲夜が一礼をした。彼女は、レミリアが目覚める前から気配一つさせずに、ずっとそばに控えていたのだ。
「うむ」
「今宵の朝餉はどのようにしますか?」
「……苺のシャルロット」
「畏まりました。ただちに」
一礼をすると咲夜は合図をする。するとドアが開き、妖精メイド達が紅茶や銀の蓋がかぶせられたトレイを乗せた配膳車を運んできた。
配膳車をベッドの横に付け、咲夜はトレイの蓋を開ける。
そこにはレミリアの帽子を模した苺のシャルロットが鎮座していた。
スポンジケーキの中に咲夜特製ホイップクリームと苺とババロアを詰め、スポンジの縁にホイップクリームで帽子のフリルを表現したシャルロット。それを咲夜は大胆に切り分けて、ベッドにいるレミリア・スカーレットに渡す。
レミリアは、つまらなそうな顔で苺のシャルロットを一口、二口と口に運んだ。
「美味しいわ」
「ありがとうございます」
主人からの賛辞を受け、咲夜はうやうやしく頭を下げる。
「紅茶を」
「はい」
レミリアが手を上げた時には、咲夜は紅茶を差し出していた。普段のレミリア・スカーレットは英国伝統のミルクをたっぷりと入れたミルクティーを飲む。
しかし、目覚めたばかりの時は、意識を覚醒させるためにストレートティーを好むのである。
シャルロットをフォークで突きながら、紅茶をストレートで啜る。
それを繰り返して、皿の上のシャルロットが半分になった頃、レミリアは「ごちそうさま」と言って、返す。
それを咲夜は恭しく受け取るのだった。
夜着を脱ぎ、正装に着替えてレミリア・スカーレットは紅魔館のロビィに出る。
そこには、紅魔館すべての妖精メイド、そして使用人達が集まり、レミリア・スカーレットに頭を垂れていた。
封建制とは、少数のサディストと大多数のマゾヒストによって構成される。紅魔館という完成された世界は、レミリア・スカーレットという血を吸う専制君主によって、完璧に統治されているのだ。
「レミリアー! ちょっと台所かしてー!」
そんな完成された世界に博麗霊夢はカラシナを両手に抱えながら、乱入してきた。
「ちょ、ちょっと霊夢!」
紅の国の君主が騒いでいるが、カラシナを漬物にするという目的を持った巫女には、そのカリスマは通用しない。
「どーも、すいません。それで霊夢さん、台所はどっちですか?」
「ああ、それはこっちよ。あ、咲夜ー、カラシナの漬物を作るから手伝ってー」
「ふむ。分け前は?」
「ちょ、ちょっと、咲夜! 何を勝手に……」
「んー、一割でどう?」
「冗談じゃないわね。こっちは夕飯時に台所を貸して、たったの一割程度しか貰えないの?」
「そうはいっても、見てくださいこのカラシナの量を! これの一割って相当な量ですよ?」
「おーい、あんたら―、私を無視して、なにを勝手に交渉しているんだよー」
「二割。それぐらい貰わないとこっちも割が合わないわ。だいたい、漬物を漬ける容器を貸すって結構な損失よ? こっちはこっちで色々と漬ける物があったんだから」
「ぬう、仕方がないわね。二割承諾……この交渉上手め」
「ふふ、ありがと……美鈴! 漬物樽を大二つ、小一つ、台所に持ってきて!」
「あ、分かりましたー」
そして、霊夢と早苗は咲夜を引きつれて、台所に消えていった。
ぽつんと残されたレミリア・スカーレットは「あー、もう私を無視するなよー」と、叫んで台所に特攻した。
鍋に火がかけられている。
それは、インスタントラーメンを煮るのに適した、実に平凡な鍋だった。
「……なんでこんな鍋しかないの?」
鍋の前で腑に落ちないという顔をした霊夢がポツリと呟いた。
「パチュリー様が『鍋が足りない』と仰って、目ぼしい鍋を台所から持ち出したのよ」
「なにやってるの、あのモヤシ」
「さあ? なんか第一物質(プリマ・マテリア)がどうとか言ってたわ」
湯通し班が親交を温めている脇で、早苗とレミリアはカラシナを適当な量に束ねていた。
カラシナの漬物を作るに際し、まず湯通しを行う。
この時、カラシナをバラバラに入れては鍋で拡散をして面倒だし、漬物樽に漬ける時も、漬けた後で食べやすい大きさに切る時も束ねていた方が、都合が良い。だから、カラシナを適当なタコ紐で束ねるのだ。
「……なんで私が」
丁寧にカラシナを束ねながらレミリアがぼやく。
長さの揃わない物や短すぎる物は、ちょうどいい長さのカラシナで包み込んでから、バラけないように結ぶ。
「あら、上手いじゃない」
「ええ、流石はお嬢様。堂に入ってますわ」
「そ、そう?」
豚もおだてれば木に登るし、吸血鬼だって漬物作りを手伝う。
レミリアは張り切って、カラシナを束ね始めた。
束ねたカラシナは大雑把に洗う。そのようにしてカラシナを縛って綺麗にして、ようやく湯通しする準備が整うのである。
「しかし、酷い量ですね」
早苗がぼやいた。
二人が採ってきたカラシナは、ビニール袋で六袋分。幾ら束ねても終わりが見えない。
「それでも、やるしかないの」
霊夢が決意の表情で、レミリアの束ねたカラシナを湯通しする。
「そうね。既に退路は無い」
咲夜は、霊夢から受け取ったカラシナを水の入った桶に入れ、一気に冷やして水を切る。
二人とも、その表情は真剣そのものだ。
つまりは、それだけカラシナの漬物が美味いのだろう。
「カラシナの漬物があれば、それだけでご飯が食べられるわ」
「それに、お茶受けにも最適ですし……」
そして、二人は顔を見合わせるとニタリと笑う。
(あの瀟洒な咲夜さんが、ここまで……ッ)
早苗は、思わず喉を鳴らした。
この袋に詰められてぐしゃぐしゃになったカラシナに、それほどのポテンシャルが秘められているというのだろうか。
そんな事を考えながら、早苗は作業に戻る。
それは、実に地道な作業だった。
カラシナをより分ける。
同じ長さで整える。
縛る。
湯通しする。
水で冷やす。
水を切る。
ざるの上に積んでいく。
それをひたすらエンドレス。
「そろそろ半分ってところね」
そう霊夢が呟いた瞬間、
「うがーー!!」
レミリア・スカーレットがついに切れた。
「あああ! なんで紅魔館当主である私が、こんな葉っぱを丁寧に束ねないといけないのよ!」
そもそもレミリアは、成り行きで手伝っているのだ。むしろ、よくここまで持ったと言えるだろう。
やってられるか、と猛るレミリアを見て、霊夢は「仕方がないな」という目で見る。
「それじゃ、仕事を変える?」
「……仕事を変えるって、どういう事よ」
「実際、私達も少し辛くなってきたからね。交代をしてもらえるなら、ありがたいわ」
「それって、私達が湯通しと水切りをするって事ですか?」
「そうよ」
早苗の質問に霊夢は頷いて、早苗に菜箸を渡す。
「え、ええと、霊夢さんがやってた通りで良いんですか?」
「そう、お湯で軽く湯がいて、サッと出してレミリアの持つザルに渡す。レミリアは受け取ったカラシナをタライの水に付けて冷やしてから、十分に絞って、別のザルに積む。以上よ」
「ふん、簡単じゃないの。こっちで菜っ葉を縛ってるよりは良いかもね」
そうして、早苗とレミリアは鍋とタライの前に立った。
つまり二人は、イソチオシアン酸アリルの水溶液が揮発している前に立ったのである。
凄惨な絶叫が紅魔館に響き渡った。
「目がぁ……目があああ!!」
レミリア・スカーレットが目を押さえて苦しむ。
「目と鼻がツーンとしますうう!」
東風谷早苗も同じように目を押さえてもがき苦しんだ。
カラシナの辛み成分であるアリルイソチオシアネートことイソチオシアン酸アリルは、カラシナ以外ではワサビやカラシや大根の辛みである。
なので、唐辛子のような舌に来る辛さではなく、目や鼻に来る辛さなのだ。とても目に染みる。
「あー、大丈夫?」
「だ、大丈夫じゃないです! 何ですかこれは!」
「ええと、水を代えてあげれば良かったかしら」
咲夜が、困ったように呟いた。
「み、水を代えてあげればじゃないわよ! そもそも咲夜と霊夢は、どうして平然としていたわけ!?」
「それは、まあ」
「慣れですね」
二人は、日頃から台所仕事をしているもの……おっかさんの強さを霊夢と咲夜の中に見た。
早苗も幻想郷に来てからは家事全般を担当しているが、流石にこの二人を前にすると分が悪い。貴族然とした生活をしているレミリアなどは、そもそも太刀打ちの仕様がない。
かくして、吸血鬼と現人神は項垂れるが、それで仕事をしなくて良いわけではない。
四人のカラシナを漬ける旅路は続く。
水を代えて、湯通し水切り。
早苗とレミリアの二人は涙目になりながらも、どうにか作業を続ける。
「はい、レミリアさん」
「おおっと、もうちょっと丁寧に置いてよ。火傷するじゃない」
「そこは吸血鬼の反射神経で上手く調節を……」
「まったく」
我が儘ながら面倒見の良いお嬢様と、常識人の振りをしたゴーウィングマイウェイな現代っ子は意外と相性が良いらしい。
霊夢と咲夜の主婦コンビには敵わないが、二人は順調にカラシナの束を湯通ししていく。
「……うう、目が痛い」
「我慢しなさい、それぐらい」
「そうは言っても、私の所はカラシナを茹でている所為で、辛み成分がダダ漏れなんですよ」
「だったら、私の方も水切りするから冷却用の水に辛み成分が残って目が染みるわ」
そんな無駄口を叩いている湯切り班を尻目に、ベテラン組はカラシナをすべて束ね終えて、詰めの作業に入っている。
美鈴が用意した漬物用の樽に、湯切りしたカラシナを漬けるのである。
「それじゃ、塩を頼んだわよ」
霊夢が咲夜にひと声かけると、平らになるように水切りされたカラシナを樽に敷き詰めていく。そうして樽の底にカラシナが並べられると、咲夜が適当に塩を振りかけた。
「特に茎の部分は念入りにね?」
「分かってるわ」
最初の一段目に塩を振ったら、次は二段目だ。再び霊夢が平らになるようにカラシナを並べ、それが並べ終わると咲夜が塩を振る。
後は、その繰り返し。
「とりあえず、ウチはこの樽で良いわ」
紅美鈴が用意した樽は三樽。そのうち、少し小さめな樽を咲夜は指した。
「……でかくない?」
「二割でしょ。だったら、こんなもんよ」
「……私らのちょうど半分になるわけよね? この樽は私達の樽の3分の2ぐらいあるんじゃないの?」
「目分量で因縁つけないで欲しいわね」
「いーや、これ大きいわよ」
「まったく器が小さい巫女ね」
「意地汚いメイドよりはマシじゃない?」
険悪な空気になりながらも、霊夢と咲夜の手は止まらない。
樽は順調にカラシナで埋まっていく。
「はあ、湯通し完了」
「こっちはおわりましたー」
レミリアと早苗が同時に声を上げた。
「おーけー、それじゃ、二人はそっちの小さな樽にカラシナを敷き詰めて行ってね。だいたい3分の2ぐらいに」
「あ、お嬢様。満タンで良いですからね」
霊夢の咲夜の指示を受けてレミリアと早苗は、とりあえずカラシナを詰めてみることにした。
量に関しては適当で。
「それじゃ、行くわよ」
レミリアが音頭を取って、カラシナを平らに敷き詰めていく。
「……うう、また目が辛い」
早苗が呻いた。
水切りをしたカラシナは、未だに激しい辛み成分を放っていたのだった。
その後、蓋の上に漬けもの石を上に置き、ようやくカラシナの塩漬けは完成した。
「まー、後は明後日にでもなれば漬かるわね」
「早いですねー」
霊夢の言葉に早苗が声を上げる
紅魔館で使用人用の賄い飯を御馳走になりながら、霊夢と早苗と咲夜はカラシナの漬物に関して話をしている。
さっきまで成り行きで手伝っていたレミリア・スカーレットは、ここにはいない。
身体に染み込んだカラシナの臭いをとるといってシャワーを浴びに行ったからだ。
「ただ、あの辛みを味わいたいなら、明日にでも食べても良いかもね。その前にアクだけは取った方が良いけど」
「辛く無くなっちゃうんですか?」
「ええ、カラシナの漬物はカラシナの辛みが抜けるのよ。辛い大根おろしを放っておくと辛みが抜けるでしょ? あれと同じ」
「なるほど」
霊夢と早苗に出された夕餉は洋風の食事であったのだけども、なぜかメインディッシュの端に場違いな梅干しが乗っかっている。
「これ、あんたが漬けたの?」
「ええ、あまり評判が良くないけどね。食べてみて」
肩をすくめる咲夜をちらりと見て、霊夢と早苗は咲夜が漬けた梅干しを食べる。
「んんーーーーーーッッ」
口を米の字にして早苗が声にならない叫びを上げた。
それは、とてつもなくしょっぱい梅干しだったのだ。
最近の流行である梅の旨味とか梅酢の甘みとかそんなモノは微塵も無い。ただひたすらに酸っぱくてしょっぱい、昔ながらの梅干しだ。
「良い感じね。ご飯が欲しくなるわ」
口をすぼめながら、霊夢が唸る。どうやら気に入ったらしい。
「あら、気に入ったんなら一瓶いる? これはお嬢様の好みじゃないし、美鈴や妖精メイド達も苦手らしいから、困っていたのよね」
「なら、貰って帰ろうかしら」
そんな梅干しで友情を温める二人とは裏腹に、早苗は梅干しの酸っぱさにもがき苦しんでいるのだった。
そして、三日。
早苗は、守矢神社の台所脇に置かれた漬物樽から、茶色になったカラシナを一束取り出す。
それを固く絞って水を出すと、タコ糸を取ってみじん切りにして、また絞って残った僅かな水分も絞り出す。
こうして、刻まれたカラシナの漬物を、底の深い瀬戸物に入れて早苗はほぐした。
これにてカラシナの漬物は完成である。
早苗は、完成したカラシナの塩漬けが入った瀬戸物を見て満足そうに頷くと、それを持って本殿に向かった。
守矢神社の本殿には一台のちゃぶ台がある。
それは、高度成長期に日本を支え続けた古典的ちゃぶ台であり、そこの上には底の深い瀬戸物が置かれていた。
脇には、木製の入れモノに入った七味。醤油入れに入った醤油、そして東の国が世界に誇る究極の調味料、味の素がある。
八坂神奈子は、そんなちゃぶ台の前に座って、瀬戸物の中を覗く。
そこには、刻まれたカラシナの漬物が入っている。
神奈子はそこに七味を振り、続いて味の素を軽く振り、最後に醤油を回すようにかけた。
続いて神奈子は箸を取ると、それでカラシナをかき混ぜる。
「神奈子様、どうぞ」
そこに早苗が、おひつから盛ったばかりのご飯を差し出した。
神奈子は、それを手に取ると七味と味の素と醤油で味付けをしたカラシナをたっぷりとかける。
そして、神奈子はそれを口に運んだ。
「う……」
神奈子は、そう言って目を閉じる。
カラシナの塩漬けを出した早苗は、上手く漬からなかったのかと、心配そうに神奈子を見た。
「う、うーまーいーぞおおおおおおおお!!!!」
次の瞬間、本殿の屋根を突き破ってオンバシラが飛んできて、八坂神奈子の背中に装着される。そして、神奈子は目と口から神気を放出させながら、当たり構わず弾幕を撒き散らすと、唐突に巨大化して本殿の屋根を突き破った。
「カラシナと七味と醤油に味の素が織りなすハーモニー! それが白いご飯にほどよく合って、これならご飯を何杯でも食べられるじゃないかあああ!!」
そんな絶叫をしながら、神奈子はオンバシラから弾幕を撒き散らし、妖怪の山より幻想郷全土をなぎ払った。
これによって、幻想郷は焼き尽くされ、その火は七日の間、消えなかったという。
これが、後に語り継がれる『火の七日間』である。
了
それは、熊が冬眠からのそりと目覚めて、レティさんが寝床に入る恵みの季節。そして、春の恵みである山菜が美味しい季節。
「あー、美味しいー!」
そんな春の恵みに、幻想郷三年生になろうかという東風谷早苗が舌鼓を打つ。
「……よく食べるわね」
そんな早苗をジト目で見つめているのは、幻想郷免許皆伝である博麗霊夢。ここ博麗神社の一室で、早苗は霊夢に春の恵みを御馳走になっているのである。
「つくしやタラの芽天ぷら、美味しいですねぇ。外の世界にいた頃は、こんなに美味しい山菜の天ぷらなんて食べた事なかったですよ」
天ぷらは、採れたての揚げたて。
早苗は笑みを浮かべながら、盛られた天ぷらをどんどん平らげていく。
サクサクの山菜の天ぷらは大根おろしをたっぷりと入れた天つゆに漬けると良い感じに染みて、それをご飯の上に乗せてから一気にかき込むと、まるでプチ天丼といった風情だ。
甘辛い天つゆに極上の山菜の天ぷら、それに白いご飯のコンボは、まさに最強である。
「天ぷらは良いけど、ごはんのお代わり出来ないからね。私の分もあるんだから」
「わはっへまふよ」
「食べてから喋れ」
霊夢に突っ込まれて、早苗は何度も頷きながら飲み込む。
そして、お茶を一口啜ると「なんでしたら、奇跡を起こしてお米を降らせましょうか?」と提案した。
すると霊夢は、
「単にうちのお釜が小さいだけで、二人前ギリギリしか炊けないだけよ。別に、人のスペカで米を炊くほど貧しくないわ」
と、反論する。
「そうなんですか? 割と霊夢さんの所は生活が厳しそうってイメージがありました」
「失敬ね」
ムスっとした顔で霊夢はぼやく。
それに対し、早苗は軽い調子ですみませんと謝った。
そんな早苗に対して霊夢は、ならば許す、と冗談めかして言う。
思わぬ霊夢の冗談に、早苗は破顔する。
その後、二人は競うように山菜の天ぷらとご飯を平らげた。茶碗には、米は一粒も残っていない。
お茶を飲んで、ほっと一息。
「……そもそも春は、お米さえ買えれば、おかずには困らないしね。というか、おかずなんてそこら中にあるし」
霊夢が何気なく呟く。
それは、天ぷらにした山菜の事を言っているのだろう。
博麗神社は山に近い。これらの山々が霊夢に、山菜という春の恵みを与えてくれるのである。
「んー、山菜ですか。私も色々と見ているんですけど、採集するのが結構難しいですよね」
「そう?」
「そうですよ。私も都会育ちってわけじゃないですけど。それでも幻想郷に来るまで山菜採りなんて、経験が無いわけですからね。せいぜい子どもの頃に土筆やよもぎを採ったくらいですか。なので、私の場合は図鑑片手に山菜を探すわけですから、大変ですよ」
「ふーん。それじゃ、教えてあげようか?」
「え、本当ですか。嘘は嫌ですよ」
「いや、別に減るもんじゃないし……早苗にしても、山菜を採るとしたら妖怪の山でしょ? だったら縄張りは被らないしね」
そう言うと霊夢は、少しだけ物騒な目付きになった。
「な、縄張りって、山菜採りに縄張りがあるんですか?」
「ある」
霊夢は断言する。
「山菜採りする場合はね、それなりに群生をしている所でとるのよ。山菜に限らず植物ってのは、特定の条件下で生長するわけだからね。例えばセリなら湿地や流れの遅い川辺に群生したりとか、山菜に限らず大抵の植物は効率の良い採集場所が出来るの。そのポイントは、それぞれの山菜採りの秘密になるんだけど。それが他人に見つかったり、被ったりしたら大変よ。他の人が山菜を根こそぎにした痕を呆然と眺める気持ち……あれこそ、まさに人生の敗者そのもの。そうなった時は、食い荒らされた極上の採集場所を後にして、一つ二つランクが落ちたポイントに移動して、どうにか採集をするのよ。最も、一ヶ所やられていれば、他も全滅している事が多いけどね。そんな時は、本当に終わったって感じね。散々探し回った挙句、手に入れたのは一束のノビルとか。もう、何だったんだ今日は、って感じよ」
「大変ですねー」
霊夢の言葉に早苗は、ほうっと溜息を吐いた。
まさか、気軽に食べていた山菜にそんなドラマがあったなんて、これからは山菜を食べる時は心して食べたほうが良いだろう。
「まあ、早苗が山菜を取る場合は妖怪の山あたりになりそうだから、この点は心配いらないけどね」
そう言って、霊夢は早苗の肩を叩いた。
守矢神社の本殿には、真の祭神である洩矢諏訪子の住居がある。
そんな本殿の中央には、昭和の雰囲気を醸し出す一台のちゃぶ台があった。
そんなちゃぶ台の上で、洩矢諏訪子は爪切り片手にガンプラを組み立てている。
それは『1/100 アッガイ』だった。
洩矢諏訪子は、それを爪切りを使って黙々と組んでいた。
「…………ふむ」
接着剤を丁寧に塗りながら、諏訪子は唸る。
ガンプラとは、機動戦士ガンダムに登場する架空の兵器をプラスチックの模型とした玩具の事だ。
特に、初代ガンプラブームが起きた頃には、鬼のようにガンプラが製造され、人々は争って人気モビルスーツをゲットしようと模型屋に並んだという。それは修羅の国といってもいい有様であったらしい。
人気に火がついたばかりのガンプラは、大変な人気を誇り、他の人気の無いプラモデルと抱き合わせでなければ買えない始末。なんともおおらかな話である。
そんな時代から少し下り、人々が並ばなくてもガンプラを買えるようになった頃、ガンプラは地味に余っていた。後発のロボットアニメ、続編であるZガンダムやZZ、そして逆襲のシャアとプラモ自体は大盛況だったが、この時期は初代のガンプラが、そこまで売れる時代ではなかった。
特にSDガンダムブームやBB戦士にガン消しなどとぶつかったのは致命的だったのかもしれない。
リアルな模型はおもちゃ屋の隅にひっそりと積まれ、店の外にあるガチャポンに子どもが集まる、現代はMGだのHGUSだのと華やかなりしガンプラにも、そんな時代があったのである。
そんなおもちゃ屋に積まれた模型の中には『アッガイ』の姿もあった。当時、スレたガノタ(ガンダムオタクの略)は少数派で、水陸両用モビルスーツは、ガンダムやミリオタ上がりに人気だったザクに比べれば明らかに人気薄。地味なプラモや他の水陸両用MSにジュアッグ、それにイデオンの敵役のプラモと共に、おもちゃ屋の棚に積まれていたのだった。
諏訪子が組み立てているアッガイも、そうして玩具屋の隅で売れ残った挙句に忘れられ、幻想入りしてしまったプラモだろう。
そんな忘れられていたアッガイを諏訪子は、丁寧に組み立てていく。
それは、まるで供養のために仏像を彫る僧侶のようだった。
接着剤の匂いが辺りを支配し、パチンパチンという爪切りの音が、神社の本殿に響く。そんなしんみりした中で、アッガイは組み立てられていった。
「そーいや、お前は今じゃ外の世界で萌えMSとして人気があるみたいだけど、ペズン計画のMSは変わらずに人気ないよなぁ。ガッシャとか」
寂しげに諏訪子は言う。
基本的に水中用MSを好み、ボトムズのATではダイビングビートルをこよなく愛する水中偏愛主義な諏訪子だが、水中用ではないとはいえ、ガッシャの一見水中用なデザインは嫌いではない。
だから、あのプラモ化がされていない幸が薄いMSが気になってしまうのだ。そもそもガンダムが打ち切られていなければ、ペズン計画のMSにも日の目が当たっただろうに。
だが、ア・バオア・クーの時点で打ち切られたからこそ、ガンダムは伝説になれたとも言える。
そう考えればペズン計画は、ファーストのあだ花なのだろうか。
「……まあ、紫から聞いたところによると、最近のガンダムは、水中部自体が無いらしいけど」
爪切りのやすりで切断部を削りながら、諏訪子はぼやく。そうしているうちに、アッガイは完成した。
「さーて、何処に飾ろうかな?」
接着剤の匂いがする素組みのアッガイを手に、諏訪子が立ち上がる。
すると、唐突に本殿の扉が開け放たれた。
「ただいま戻りました!」
それは、東風谷早苗だった。
隣りには、博麗霊夢も居る。
「お、お帰り」
諏訪子が、面を喰らいながらも挨拶をする。
しかし、早苗は帰ってきて早々、慌ただしく家に入ると、奥に行ってしまった。
「早苗ー、ビニールは綺麗なのを用意するのよ?」
「分かっていますよ。軍手はいりますか?」
「まあ、あれば良いけど、特にはいらないわ」
「鎌は?」
「いらない」
「分かりました。それじゃ、ビニール袋だけなんですね?」
「そうよ」
そんなやりとりの後、早苗は戻ってきた。
「それでは、諏訪子様。また行ってまいります! 晩御飯は作り置きしてあるシチューを温めて食べて下さいね!」
早苗は取っておいたビニール袋をしこたま持つと、そのまま霊夢を引きつれて行ってしまった。
「……いってらー」
諏訪子は、アッガイを持ったまま呆然と手を振って、早苗と霊夢を見送ったのだった。
山菜と一口に言っても色々とある。
山なら山うどにタラの芽、タケノコ、ふきのとう。渓流近くならセリ、ミツバを初めとして様々な山菜が楽しめる。
「妖怪の山は、そういう点では良い場所ね。水場の近くは狙い目だから」
そう言いながら、霊夢は妖怪の山を流れる渓流の上を飛ぶ。
空から妖怪の山を俯瞰すると、下を流れる川辺で河童が山菜を採っているのが見える。
「先客がいますね。挨拶をして一緒に採らせて貰いますか?」
早苗が霊夢に尋ねる。
しかし、霊夢は答えずに沢で山菜を摘んでいる河童を凝視し「……あれは、山わさびね。それもあまり数は多くなさそうだし、一緒に採るのは難しそうだわ」と呟く。
「だったら、弾幕ごっこを挑んで『ここで山菜を採る権利をかけて勝負!』とか?」
「んー、そもそもあの河童が良いのは採っちゃってるし、残りは細っこいのしかないわ。そんなのを採っても腹の足しにもならないし、そうした小さいのまで根こそぎにしちゃ、もうあそこで山わさびは採れなくなるからね。他を探しましょ。適度に残す、これが山菜採りのルールよ」
そう言って、霊夢は川を下る。
岩場と緑の連なる渓谷を、紅白と緑は適当に飛んでいく。
「あ、あそこに胡瓜が群生してますよ!」
「いや、あれは河童の胡瓜畑でしょ」
そんな会話を交わしていると、次第に山の麓まで来た。もう少し行けば、霧の湖に入るだろう。
山の渓流という感じから、ごく普通の河原を備えた河川に変わっている。渓流に比べれば緑は減っているものの、河原の近くは緑が濃い。川辺には食べられそうにも無い背の高い草が、そこらじゅうに生えていた。
「霊夢さん。この辺だと山菜は取れないんじゃないですか?」
実際、この辺で採れるのはつくしやヨモギがせいぜいだろう。そんな雑草だらけな川の様子に早苗がぼやく。
「んー。そうでもないわよ」
しかし、霊夢はさして気にせずキョロキョロと辺りを見回してから、河原の中州に降りる。
続いて早苗も降りて周りを見渡してみれば、その中州にはチラホラと黄色い花が咲いていた。
「……これは、菜の花?」
「外れ」
「え、でもこれって菜の花じゃないんですか?」
戸惑う早苗に霊夢は、ノンノンと指を振る。
水辺から生えた背の低い草に小さな黄色い花が幾つも咲いていた。それは、東風谷早苗が知る限り、菜の花以外の何物でもないように見える。
「葉っぱ葉っぱ。葉を見てみなさい」
「……葉っぱですか」
早苗は、黄色い花を咲かす草の葉を見る。緑のギザギザした葉っぱ、特に妙な所は無い。
「分からない?」
「はい」
降参だと早苗は手を上げた。
すると、霊夢は辺りを見回すと、何やら黄色い花の草をちょんと手慣れた手つきで一本摘んで、早苗に見せる。
「菜の花はこっちよ」
「へ?」
早苗は間の抜けた様な声を出す。
見比べてみると、霊夢が『菜の花』だと言った黄色い花の葉っぱはギザギザしていない。
「……ええと、そっちが菜の花だとすると、こっちは?」
「カラシナ。ちなみに今日のターゲットね」
【芥子菜】
古くに伝来したアブラナ科の植物で、アリルイソチオシアネートの配糖体を持つ辛い野菜だ。
また、アブラナ科は雑種が発生しやすく、なんだか良く分からない品種がポンポン出来る事でも知られている。
そうしたもので、特に特徴が無いものはすべて【菜の花】と大雑把に呼ばれる事が多い。ここで霊夢が【菜の花】と言っているものも、キチンとしたアブラナではなく、なにかのアブラナ科の植物と芥子菜が交配して、アリルイソチオシアネートの配糖体を失ったアブラナ科の植物である。
また、件の芥子菜も真っ当なカラシナではなく、アリルイソチオシアネートの配糖体を有している雑種だろう。
アブラナ科は、生態自体が実に適当である。
「このカラシナを大量に採って、塩漬けにするのよ。そうすれば、当分ご飯のオカズには困らないわ」
「それは素晴らしい!」
しかし、飯のタネを見つけた巫女と風祝にとっては、そんな事はどうでも良い。
食えるか食えないか、重要な事はそれだけだ。
「カラシナの茎を持って、簡単に折れるところで摘むの。根っこから抜いちゃ駄目よ。で、摘んだカラシナはビニール袋に入れて、次のカラシナを摘む。こうして、下の部分を残せば、このカラシナはまた伸びるわ。そうすれば、再びカラシナが楽しめるってわけよ」
「わかりました!」
「それじゃ、私は向こうで摘んでるから」
「行ってらっしゃい!」
ハイテンションで早苗は見送った。
ようやっと、山菜摘みが出来るのだ。テンションが上がらないわけは無い。
「……あれ、でも、カラシナって山菜じゃないような」
早苗は、首を捻りながらカラシナを摘んだ。
それからしばらく。
早苗の持っているビニール袋は、カラシナでいっぱいになっていた。
「霊夢さん。驚くだろうなー」
思わず零れそうになる笑みを堪えながら、早苗は霊夢を探して中州を歩く。
ここの中州は割と大きく、しかもカラシナや菜の花以外にも様々な雑草が茂っているので、視界が悪い。
「んー、さっきまでは向こうで赤いリボンを見たんだけど……」
そうして、早苗が周囲を見回した瞬間にそれは現れた。
霊夢の持っている白いビニール袋は、カラシナでパンパンに膨れ上がっていた。しかも、カラシナはパンパンに膨れあがったビニール袋に収まりきらず、縁からはみ出している有様である。
そんなカラシナの入った袋を紅白の巫女は両手に二つずつ、口に一つと合計五つも持っていた。
「ふはへ、ほへふはいほ?」
「も、持ちます。その口に咥えたのを持ちますから!」
早苗は慌てて霊夢に駆け寄った。
「ありがと」
「限度ってモノがあるでしょ! 採り過ぎですよ!」
「いやー、カラシナの漬物って美味しいのよ」
口で持っていたカラシナを早苗に渡して、霊夢は面目ないと頭をかく。
それを見て、早苗は溜息を吐いた。
とにかく、二人は十分に摘んだので帰ろうという話になり、飛んで帰る準備をする。
だが、霊夢は明らかに採り過ぎた。
飛ぶだけで一苦労だし、ビニール紐が手に食い込んでえらく痛い。
「じ、神社までは遠い……」
「何をやっているんですか」
「早苗にも、必ず分かる時が来るわ。あの漬物の美味しさを知れば」
休み休み飛んで行っても、帰るまでに時間がかかり過ぎる。
そう考えた二人は、霧の湖に呑気に浮かんでいる紅魔館に目を付けた。
霧の湖には小島があり、そこには紅魔館という館がある。そこには吸血鬼の姉妹が棲んでいて、そこで絶対的な統治をしているのだという。
時刻は黄昏時、吸血鬼の天敵たる太陽は沈み、彼女達夜族の時間がやってきた。
夕闇が世界を支配した時、紅魔館当主であるレミリア・スカーレットは、天蓋付きのベッドで目を覚ます。
「お早うございます。お嬢様」
レミリアが身を起こした瞬間に、部屋の隅で控えていた十六夜咲夜が一礼をした。彼女は、レミリアが目覚める前から気配一つさせずに、ずっとそばに控えていたのだ。
「うむ」
「今宵の朝餉はどのようにしますか?」
「……苺のシャルロット」
「畏まりました。ただちに」
一礼をすると咲夜は合図をする。するとドアが開き、妖精メイド達が紅茶や銀の蓋がかぶせられたトレイを乗せた配膳車を運んできた。
配膳車をベッドの横に付け、咲夜はトレイの蓋を開ける。
そこにはレミリアの帽子を模した苺のシャルロットが鎮座していた。
スポンジケーキの中に咲夜特製ホイップクリームと苺とババロアを詰め、スポンジの縁にホイップクリームで帽子のフリルを表現したシャルロット。それを咲夜は大胆に切り分けて、ベッドにいるレミリア・スカーレットに渡す。
レミリアは、つまらなそうな顔で苺のシャルロットを一口、二口と口に運んだ。
「美味しいわ」
「ありがとうございます」
主人からの賛辞を受け、咲夜はうやうやしく頭を下げる。
「紅茶を」
「はい」
レミリアが手を上げた時には、咲夜は紅茶を差し出していた。普段のレミリア・スカーレットは英国伝統のミルクをたっぷりと入れたミルクティーを飲む。
しかし、目覚めたばかりの時は、意識を覚醒させるためにストレートティーを好むのである。
シャルロットをフォークで突きながら、紅茶をストレートで啜る。
それを繰り返して、皿の上のシャルロットが半分になった頃、レミリアは「ごちそうさま」と言って、返す。
それを咲夜は恭しく受け取るのだった。
夜着を脱ぎ、正装に着替えてレミリア・スカーレットは紅魔館のロビィに出る。
そこには、紅魔館すべての妖精メイド、そして使用人達が集まり、レミリア・スカーレットに頭を垂れていた。
封建制とは、少数のサディストと大多数のマゾヒストによって構成される。紅魔館という完成された世界は、レミリア・スカーレットという血を吸う専制君主によって、完璧に統治されているのだ。
「レミリアー! ちょっと台所かしてー!」
そんな完成された世界に博麗霊夢はカラシナを両手に抱えながら、乱入してきた。
「ちょ、ちょっと霊夢!」
紅の国の君主が騒いでいるが、カラシナを漬物にするという目的を持った巫女には、そのカリスマは通用しない。
「どーも、すいません。それで霊夢さん、台所はどっちですか?」
「ああ、それはこっちよ。あ、咲夜ー、カラシナの漬物を作るから手伝ってー」
「ふむ。分け前は?」
「ちょ、ちょっと、咲夜! 何を勝手に……」
「んー、一割でどう?」
「冗談じゃないわね。こっちは夕飯時に台所を貸して、たったの一割程度しか貰えないの?」
「そうはいっても、見てくださいこのカラシナの量を! これの一割って相当な量ですよ?」
「おーい、あんたら―、私を無視して、なにを勝手に交渉しているんだよー」
「二割。それぐらい貰わないとこっちも割が合わないわ。だいたい、漬物を漬ける容器を貸すって結構な損失よ? こっちはこっちで色々と漬ける物があったんだから」
「ぬう、仕方がないわね。二割承諾……この交渉上手め」
「ふふ、ありがと……美鈴! 漬物樽を大二つ、小一つ、台所に持ってきて!」
「あ、分かりましたー」
そして、霊夢と早苗は咲夜を引きつれて、台所に消えていった。
ぽつんと残されたレミリア・スカーレットは「あー、もう私を無視するなよー」と、叫んで台所に特攻した。
鍋に火がかけられている。
それは、インスタントラーメンを煮るのに適した、実に平凡な鍋だった。
「……なんでこんな鍋しかないの?」
鍋の前で腑に落ちないという顔をした霊夢がポツリと呟いた。
「パチュリー様が『鍋が足りない』と仰って、目ぼしい鍋を台所から持ち出したのよ」
「なにやってるの、あのモヤシ」
「さあ? なんか第一物質(プリマ・マテリア)がどうとか言ってたわ」
湯通し班が親交を温めている脇で、早苗とレミリアはカラシナを適当な量に束ねていた。
カラシナの漬物を作るに際し、まず湯通しを行う。
この時、カラシナをバラバラに入れては鍋で拡散をして面倒だし、漬物樽に漬ける時も、漬けた後で食べやすい大きさに切る時も束ねていた方が、都合が良い。だから、カラシナを適当なタコ紐で束ねるのだ。
「……なんで私が」
丁寧にカラシナを束ねながらレミリアがぼやく。
長さの揃わない物や短すぎる物は、ちょうどいい長さのカラシナで包み込んでから、バラけないように結ぶ。
「あら、上手いじゃない」
「ええ、流石はお嬢様。堂に入ってますわ」
「そ、そう?」
豚もおだてれば木に登るし、吸血鬼だって漬物作りを手伝う。
レミリアは張り切って、カラシナを束ね始めた。
束ねたカラシナは大雑把に洗う。そのようにしてカラシナを縛って綺麗にして、ようやく湯通しする準備が整うのである。
「しかし、酷い量ですね」
早苗がぼやいた。
二人が採ってきたカラシナは、ビニール袋で六袋分。幾ら束ねても終わりが見えない。
「それでも、やるしかないの」
霊夢が決意の表情で、レミリアの束ねたカラシナを湯通しする。
「そうね。既に退路は無い」
咲夜は、霊夢から受け取ったカラシナを水の入った桶に入れ、一気に冷やして水を切る。
二人とも、その表情は真剣そのものだ。
つまりは、それだけカラシナの漬物が美味いのだろう。
「カラシナの漬物があれば、それだけでご飯が食べられるわ」
「それに、お茶受けにも最適ですし……」
そして、二人は顔を見合わせるとニタリと笑う。
(あの瀟洒な咲夜さんが、ここまで……ッ)
早苗は、思わず喉を鳴らした。
この袋に詰められてぐしゃぐしゃになったカラシナに、それほどのポテンシャルが秘められているというのだろうか。
そんな事を考えながら、早苗は作業に戻る。
それは、実に地道な作業だった。
カラシナをより分ける。
同じ長さで整える。
縛る。
湯通しする。
水で冷やす。
水を切る。
ざるの上に積んでいく。
それをひたすらエンドレス。
「そろそろ半分ってところね」
そう霊夢が呟いた瞬間、
「うがーー!!」
レミリア・スカーレットがついに切れた。
「あああ! なんで紅魔館当主である私が、こんな葉っぱを丁寧に束ねないといけないのよ!」
そもそもレミリアは、成り行きで手伝っているのだ。むしろ、よくここまで持ったと言えるだろう。
やってられるか、と猛るレミリアを見て、霊夢は「仕方がないな」という目で見る。
「それじゃ、仕事を変える?」
「……仕事を変えるって、どういう事よ」
「実際、私達も少し辛くなってきたからね。交代をしてもらえるなら、ありがたいわ」
「それって、私達が湯通しと水切りをするって事ですか?」
「そうよ」
早苗の質問に霊夢は頷いて、早苗に菜箸を渡す。
「え、ええと、霊夢さんがやってた通りで良いんですか?」
「そう、お湯で軽く湯がいて、サッと出してレミリアの持つザルに渡す。レミリアは受け取ったカラシナをタライの水に付けて冷やしてから、十分に絞って、別のザルに積む。以上よ」
「ふん、簡単じゃないの。こっちで菜っ葉を縛ってるよりは良いかもね」
そうして、早苗とレミリアは鍋とタライの前に立った。
つまり二人は、イソチオシアン酸アリルの水溶液が揮発している前に立ったのである。
凄惨な絶叫が紅魔館に響き渡った。
「目がぁ……目があああ!!」
レミリア・スカーレットが目を押さえて苦しむ。
「目と鼻がツーンとしますうう!」
東風谷早苗も同じように目を押さえてもがき苦しんだ。
カラシナの辛み成分であるアリルイソチオシアネートことイソチオシアン酸アリルは、カラシナ以外ではワサビやカラシや大根の辛みである。
なので、唐辛子のような舌に来る辛さではなく、目や鼻に来る辛さなのだ。とても目に染みる。
「あー、大丈夫?」
「だ、大丈夫じゃないです! 何ですかこれは!」
「ええと、水を代えてあげれば良かったかしら」
咲夜が、困ったように呟いた。
「み、水を代えてあげればじゃないわよ! そもそも咲夜と霊夢は、どうして平然としていたわけ!?」
「それは、まあ」
「慣れですね」
二人は、日頃から台所仕事をしているもの……おっかさんの強さを霊夢と咲夜の中に見た。
早苗も幻想郷に来てからは家事全般を担当しているが、流石にこの二人を前にすると分が悪い。貴族然とした生活をしているレミリアなどは、そもそも太刀打ちの仕様がない。
かくして、吸血鬼と現人神は項垂れるが、それで仕事をしなくて良いわけではない。
四人のカラシナを漬ける旅路は続く。
水を代えて、湯通し水切り。
早苗とレミリアの二人は涙目になりながらも、どうにか作業を続ける。
「はい、レミリアさん」
「おおっと、もうちょっと丁寧に置いてよ。火傷するじゃない」
「そこは吸血鬼の反射神経で上手く調節を……」
「まったく」
我が儘ながら面倒見の良いお嬢様と、常識人の振りをしたゴーウィングマイウェイな現代っ子は意外と相性が良いらしい。
霊夢と咲夜の主婦コンビには敵わないが、二人は順調にカラシナの束を湯通ししていく。
「……うう、目が痛い」
「我慢しなさい、それぐらい」
「そうは言っても、私の所はカラシナを茹でている所為で、辛み成分がダダ漏れなんですよ」
「だったら、私の方も水切りするから冷却用の水に辛み成分が残って目が染みるわ」
そんな無駄口を叩いている湯切り班を尻目に、ベテラン組はカラシナをすべて束ね終えて、詰めの作業に入っている。
美鈴が用意した漬物用の樽に、湯切りしたカラシナを漬けるのである。
「それじゃ、塩を頼んだわよ」
霊夢が咲夜にひと声かけると、平らになるように水切りされたカラシナを樽に敷き詰めていく。そうして樽の底にカラシナが並べられると、咲夜が適当に塩を振りかけた。
「特に茎の部分は念入りにね?」
「分かってるわ」
最初の一段目に塩を振ったら、次は二段目だ。再び霊夢が平らになるようにカラシナを並べ、それが並べ終わると咲夜が塩を振る。
後は、その繰り返し。
「とりあえず、ウチはこの樽で良いわ」
紅美鈴が用意した樽は三樽。そのうち、少し小さめな樽を咲夜は指した。
「……でかくない?」
「二割でしょ。だったら、こんなもんよ」
「……私らのちょうど半分になるわけよね? この樽は私達の樽の3分の2ぐらいあるんじゃないの?」
「目分量で因縁つけないで欲しいわね」
「いーや、これ大きいわよ」
「まったく器が小さい巫女ね」
「意地汚いメイドよりはマシじゃない?」
険悪な空気になりながらも、霊夢と咲夜の手は止まらない。
樽は順調にカラシナで埋まっていく。
「はあ、湯通し完了」
「こっちはおわりましたー」
レミリアと早苗が同時に声を上げた。
「おーけー、それじゃ、二人はそっちの小さな樽にカラシナを敷き詰めて行ってね。だいたい3分の2ぐらいに」
「あ、お嬢様。満タンで良いですからね」
霊夢の咲夜の指示を受けてレミリアと早苗は、とりあえずカラシナを詰めてみることにした。
量に関しては適当で。
「それじゃ、行くわよ」
レミリアが音頭を取って、カラシナを平らに敷き詰めていく。
「……うう、また目が辛い」
早苗が呻いた。
水切りをしたカラシナは、未だに激しい辛み成分を放っていたのだった。
その後、蓋の上に漬けもの石を上に置き、ようやくカラシナの塩漬けは完成した。
「まー、後は明後日にでもなれば漬かるわね」
「早いですねー」
霊夢の言葉に早苗が声を上げる
紅魔館で使用人用の賄い飯を御馳走になりながら、霊夢と早苗と咲夜はカラシナの漬物に関して話をしている。
さっきまで成り行きで手伝っていたレミリア・スカーレットは、ここにはいない。
身体に染み込んだカラシナの臭いをとるといってシャワーを浴びに行ったからだ。
「ただ、あの辛みを味わいたいなら、明日にでも食べても良いかもね。その前にアクだけは取った方が良いけど」
「辛く無くなっちゃうんですか?」
「ええ、カラシナの漬物はカラシナの辛みが抜けるのよ。辛い大根おろしを放っておくと辛みが抜けるでしょ? あれと同じ」
「なるほど」
霊夢と早苗に出された夕餉は洋風の食事であったのだけども、なぜかメインディッシュの端に場違いな梅干しが乗っかっている。
「これ、あんたが漬けたの?」
「ええ、あまり評判が良くないけどね。食べてみて」
肩をすくめる咲夜をちらりと見て、霊夢と早苗は咲夜が漬けた梅干しを食べる。
「んんーーーーーーッッ」
口を米の字にして早苗が声にならない叫びを上げた。
それは、とてつもなくしょっぱい梅干しだったのだ。
最近の流行である梅の旨味とか梅酢の甘みとかそんなモノは微塵も無い。ただひたすらに酸っぱくてしょっぱい、昔ながらの梅干しだ。
「良い感じね。ご飯が欲しくなるわ」
口をすぼめながら、霊夢が唸る。どうやら気に入ったらしい。
「あら、気に入ったんなら一瓶いる? これはお嬢様の好みじゃないし、美鈴や妖精メイド達も苦手らしいから、困っていたのよね」
「なら、貰って帰ろうかしら」
そんな梅干しで友情を温める二人とは裏腹に、早苗は梅干しの酸っぱさにもがき苦しんでいるのだった。
そして、三日。
早苗は、守矢神社の台所脇に置かれた漬物樽から、茶色になったカラシナを一束取り出す。
それを固く絞って水を出すと、タコ糸を取ってみじん切りにして、また絞って残った僅かな水分も絞り出す。
こうして、刻まれたカラシナの漬物を、底の深い瀬戸物に入れて早苗はほぐした。
これにてカラシナの漬物は完成である。
早苗は、完成したカラシナの塩漬けが入った瀬戸物を見て満足そうに頷くと、それを持って本殿に向かった。
守矢神社の本殿には一台のちゃぶ台がある。
それは、高度成長期に日本を支え続けた古典的ちゃぶ台であり、そこの上には底の深い瀬戸物が置かれていた。
脇には、木製の入れモノに入った七味。醤油入れに入った醤油、そして東の国が世界に誇る究極の調味料、味の素がある。
八坂神奈子は、そんなちゃぶ台の前に座って、瀬戸物の中を覗く。
そこには、刻まれたカラシナの漬物が入っている。
神奈子はそこに七味を振り、続いて味の素を軽く振り、最後に醤油を回すようにかけた。
続いて神奈子は箸を取ると、それでカラシナをかき混ぜる。
「神奈子様、どうぞ」
そこに早苗が、おひつから盛ったばかりのご飯を差し出した。
神奈子は、それを手に取ると七味と味の素と醤油で味付けをしたカラシナをたっぷりとかける。
そして、神奈子はそれを口に運んだ。
「う……」
神奈子は、そう言って目を閉じる。
カラシナの塩漬けを出した早苗は、上手く漬からなかったのかと、心配そうに神奈子を見た。
「う、うーまーいーぞおおおおおおおお!!!!」
次の瞬間、本殿の屋根を突き破ってオンバシラが飛んできて、八坂神奈子の背中に装着される。そして、神奈子は目と口から神気を放出させながら、当たり構わず弾幕を撒き散らすと、唐突に巨大化して本殿の屋根を突き破った。
「カラシナと七味と醤油に味の素が織りなすハーモニー! それが白いご飯にほどよく合って、これならご飯を何杯でも食べられるじゃないかあああ!!」
そんな絶叫をしながら、神奈子はオンバシラから弾幕を撒き散らし、妖怪の山より幻想郷全土をなぎ払った。
これによって、幻想郷は焼き尽くされ、その火は七日の間、消えなかったという。
これが、後に語り継がれる『火の七日間』である。
了
懐かしすぎるよ、世代がバレるよwww
あの当時、真っ赤なアフロの主人公をカッコイイと思いながら見ていた自分がどれだけイタい子だったか思い出してしまったw
全く、つけものったらさいきょうね!
しかしこのノリ、嫌いじゃあない
ガンプラトリビアとか
カラシナの漬け物レシピとか
1作品にどんだけ詰め込んでるんだwww
それはともかく、山菜ってあんまり食べたことないけどうまそうですよね。
三月精で魔理沙と霊夢が食べてたタラの芽の天ぷらとか。しかし山菜採りや漬物作りの描写、最後のオチは良かったのですが
こんなにも腹が減る作品を書くのはいただけません。なのでこの点数で。
>咲夜さんの梅干し
マジ食いてぇんだけど
しかしおなかすいた
何せよ楽しませていただきました
それはともかく、採取・調理の描写がとても上手く、読んでいてお腹が空いてくる作品でした。
昔ながらの只管しょっぱい梅干し・・・じいちゃん( ;ω;)
素晴らしかったですw
諏訪湖のサツキマスでマス寿司とかお願いします!!
食ってみたい
ならともかく、
最後のところは違うなあ
山菜をビニール袋に入れてたのに、もの凄い違和感
早苗が来たばかりの頃なら彼女は使いそうですが、三年目なんですよね?
霊夢も、なぜ何も言わない?
他の袋や籠は?
丈夫さはもとより、持ったり背負ったりの運び易さ
何より、入れれる量
分からん
あと、今主流の甘い梅干が嫌いな自分は
咲夜さんの漬けた梅干がとても食べたいです。
為になるお話ですね、主にガンプラ的な意味で
違和感無く読めるレベルを通り越して説明文を読まされている気分になってくる。
特にそれが顕著なのはアッガイの項目で、話に何の関わりも無いのに
延々ガンダムの説明がされている。
これがもし友人だったら「ガノタうぜぇw」とか言って途中で遮られるレベル。
後はまあビニール袋にカラシナとかパンパンになるまで入れると普通に破れますよ。
幻想卿にあるのかどうかわからないそんなの使うより布の袋を使わせた方がよっぽど自然かと。
からし菜の成分やガンダムのくだりなんてスラプスティックギャグの見本みたいです
オチが少し弱かったので-10点という事で
山菜ハンターの名前をほしいままにしている私もカラシナは食べたことありません
なるほど今度食べてみます
こういった話を書くときは下調べをしっかりとしたほうがいいよ。
カラシナがカテジナに見えてしまったじゃないか(おかしいですよ!)
さて、作者は速やかに続編を書く作業に移ってもらおうか。