※作品集109『村さとお花見』の続きです。
なので注意事項もそちらと一緒です。
旧都の建築物は大きさも様式もバラバラで、統一感がないためどの建物も際立った個性を持っている。
しかしここだけは、大きさだけなら一番の存在感を持つ。
ステンドグラスが自慢の、旧灼熱地獄に通じるその屋敷の名は、地霊殿。
今、私はそこへ第一歩を踏み入れようとして。
「ぶぶ漬けの用意はできていませんが」
押し返された。
「勘弁して下さい」
「知りません」
やはり、随分待たせたせいなのか。
さとりの態度はつれない。
「そういう、夢を見たんですよ」
「……で? 早朝から私のところに押し入って何の用?」
「一輪もつれない……」
「アンタねえ……いつまで逃げてるつもりよ」
今までに起こったことをザッとまとめてみよう。
みんなでお花見に行った。
さとりと久しぶりに再会したと思ったら、告白っぽいことされたのが二週間前のこと。
でも、私の気持ちは固まっていない、というか固まらない気がする。
「あれ? 状況絶望的じゃない?」
対策会議ということで居間に集まった命蓮寺メンバー全員が、気が抜けたように右肩をガクンと下げた。
立っていたらずっこけていたかもしれない。
「自分で言わないでよ!」
テーブルをたたきながらのぬえの苦言に、聖が苦笑しつつも続く。
「さとりちゃんとの思い出とかはないのかしら?」
あるには、ある。
ただ。
「地底を脱出しようとして何度も捕まったり、説教されたり……初めて出会った時はトラウマを全力でえぐられましたね」
「ろくな思い出がないね……」
「少しくらい楽しかったこと思い出してあげなさいよ……」
意味を知ってから改めて、ぬえと一輪の視線を受けると、案外恥ずかしくなるもので、自分があまりにも不甲斐なく思える。
そして間違いなく、このままさとりのところへ行けば、傷つけてしまうのは、確実。
不甲斐ないというか、ロクデナシだ。
「八方ふさがりとはこのことですね」
「む?」
「村紗は完全に包囲されてるということです」
「おー」
ナズーリンに余計なこと言うなバカ虎。
完全に下に見られてしまうじゃないか。
「……そうでもないかもしれないわ」
感心した様子のナズーリンを微笑ましそうに見ていた聖が、手を軽く叩いた。
流石は聖、何か名案でも思いつかれたのか。
「村紗、さとりちゃんとお茶してきなさいな」
名案は、特攻命令に近かった。
「ひ、聖?」
「これだけ長い間考えても答えが出ないなら、いっそのことゆっくりお話ししてみればいいのよ!」
そう、恋とは理屈じゃないの!
聖、いつまでも少女の心を忘れないのはすばらしいことです。
ですが。
「今会っても、何を話せばいいのかわかりません……」
「うわ、ヘタレだ」
「ヘタレね」
自覚はしているけれど、ひどい言われようだ。
「村紗もヘタレなのですか?」
仲間を見つけたような調子で喜ばないでほしい。
しかも悔しいことに聖との関係が深いところまで進んでいる星の方が、一枚上手だ。
「まあまあ、一輪も、ぬえちゃんも責めないであげてね。 誰でも図星は嫌なものよ」
素晴らしい慈愛と、毒。
喜べばいいのか、泣けばいいのかわからないでいる私に、聖は笑いかけてくれる。
まるで、仕方ない子ねぇ、と言わんばかりの母親の顔だった。
「そうね、もしも行きづらいのなら、ナズちゃんを連れていきなさい」
「う?」
「ナズをですか……それは妙案かもしれませんね」
「でしょう?」
勝手に私を置いて親子の会話に入らないでほしい。
「ナズが適度に空気を和ませつつ」
「村紗がさとりちゃんとお話する」
「「名付けて、子はかすがい作戦!」」
「おー!」
星と聖が合唱しながら、ナズーリンを万歳させている図は、なんというか我ながら見ていられない光景だった。
千年の憧れは冷めないけれど、なんか、なんか……っ!
「拙僧、目が……目が痒いです」
「そのまま潰してみる? ……なんにせよ、水蜜が早めに答えを出してくれればいいんだけどねー」
「そうなんだけど……」
ぬえも簡単に言ってくれるのだけども、なんだろう。
色々問題はあるのだけれども、その中心にさらに大きなものがあるような気がする。
「これ以上私が近づくのを、拒まれているような、そんな気がするんですよねー……」
「それくらい空気は読めるのにどうして今まで気付かなかったのかしら」
一輪の一言に、再び私が撃沈するのに二秒はかからなかったはずだ。
「うーん……」
「ほん!」
「ああ、うん、えほんですねー」
ナズーリン、いやもう面倒くさいのでナズと呼ぶ。
ナズの声に、現実に引きずり戻された。
本日、檀家訪問に出かけた星と聖の代わりに、私はナズの面倒を見ている。
昔、まだ人間だった頃は孤児を育てていたこともあるので、育児は慣れっこだったりもする。
たまたま集まった孤児の中で、私が一番お姉さんだっただけなのだけれども。
唯一の働き手だった私がいなくなってから、あの子たちはどうなったのだろうか。
幸せに生きて、死んだはずだと願って、私は絵本の表紙と、現在に目を戻した。
「えーと、なになに。 わすれんぼうなおひめさま?」
「ひめ!」
表紙には、ドレスを着たお姫様が描かれていた。
当然、子ども向けにデフォルメされているため美しい、というよりは可愛い感じだ。
ただ、ドレスの色が妙な色合いなのは、いただけない。
「誰よこれ書いたの……」
え・こあくま
ぶん・ぱちゅりー
かんしゅう・れみりあ
こうまぶんこ
「えー、あそここんなこともしてるわけ……?」
幻想郷でも有数の大金持ちも、それなりに努力をしているということなのか。
絵本で監修ってどういうことなんだろう。
つまりあの吸血鬼の悪魔的な趣味が多分に入っているのか。
「ナズが悪い子になってしまうのかな……」
「ん?」
「ううん、なんでもないですよ……。 じゃあ、『わすれんぼうなおひめさま』」
少なくない不安を抱きながら、表紙を開く。
「ひめ!」
むかしむかし、おおきなくにの、おおきなおしろにおひめさまがいました。
とてもやさしくてかわいい、くにのにんきものでした。
とおいくにからやってきた、つよくてかっこいいおうじさまがこいびとです。
でも、おひめさまのおかあさん、じょおうさまはそれをよくおもいませんでした。
「ああ、なんて汚らわしい……ってこんな台詞絵本に載せるなぁ!?」
「んー?」
「まだ、ナズはわかんなくていいの!」
「んー?」
「あー、と。 なんと妬ましいの! パルパル! しかもよその国の男に嫁ぐだなんて!」
じょおうさまは、おひめさまをおしろのふかいふかいところにとじこめてしまいました。
おひめさまは、まいにちないてくらします。
『ああ、どうして、だしてくれないの?』
おひさまも、おはなさんにもあえません。
くにのひとびとにも、いとしのおうじさまにもあえません。
『ないていたらみんながしんぱいしてしまうわ』
おひめさまはわらってすごすことにしました。
でも、おひめさまのなみだはぽろり、ぽろりととまりません。
どうしようかと、おひめさまはかんがえました。
まいにちまいにち、ないてくらして、ようやくなみだをとめるほうほうをみつけました。
『そうだわ、わすれてしまえばいいのよ』
おひめさまは、おひさまをわすれました。
こうしてもえているあかりのほのおがおひさまです。
『おひさま、ごきげんよう。 きょうもきれいですね』
おひめさまは、おはなをわすれました。
おひめさまがねているべっどが、おはなばたけです。
『おはなさん、きょうもいいかおりね』
おひめさまは、たくさんのことをわすれていきました。
そうしてようやく、おひめさまはわらいました。
まいにちたのしいきぶんです。
『おひめさまをかえせ!』
そうしているうちに、とおいくにのおうじさまがおこってへいたいをつれてきました。
そしてじょおうさまをつかまえて、ききました。
『おひめさまはどこにいる?』
おうじさまがおしろのいちばんふかいところにたどりつくと、そこにはわらっているおひめさまがいました。
『ああ、おひめさま。 ようやくあえましたね。 さあ、けっこんしましょう』
『あら? どちらさまですか?』
おうじさまは、おひめさまがじょうだんをいっているのだとおもいました。
『とおいくにのおうじです。 おぼえているでしょう?』
『ごめんなさい、わすれてしまいましたわ』
おうじさまは、かなしみました。
くにのひとびともかなしみました。
おひめさまは、おうじさまのこともわすれてしまっていました。
でも、おひさまやおはなのように、おうじさまやくにのひとびとのかわりになるものは……。
「……なかったのでした……ここで終わり!?」
絵本にしては少々暗すぎるし、重すぎる。
退廃的にも程があるだろう。
裏表紙には、作者の名前の他にこう綴ってあった。
「"げかんへ続く"……って一話で完結しましょうよ……」
子どもの記憶力をどれだけ宛てにしているのだろう。
しかし、ナズにとっては満足な内容だったようで。
「パカパカ!」
「あー、そうねパカパカですねー」
むしろ続きよりも王子様が乗ってきた白馬の方に興味があるようだった。
これは、また膝が限界を超えるまでお馬さんごっこをやらされる前兆なのだろうか。
星曰く私が一番上手らしいが、勘弁してほしい。
まさか育児経験がこんなところで自分を苦しめるだなんて思いもしなかった。
「えーと、下巻ありましたっけねー」
膝の酷使から逃げるために絵本の世界に逃げることにする。
「げ?」
「下巻。 託児部屋の絵本は人里からの寄付だから、多分あるはずだけど……」
阿求さんから命蓮寺建立のお祝いとして譲ってもらったものだ。
"こうまぶんこ"シリーズの既刊セット、という豪勢なもので聖が何度も頭を下げていたのが印象的だった。
膝の上からナズをゆっくりと降ろしてやる。
「とりあえず、ナズ、絵本を戻しに行きましょうか」
託児部屋に行こうとして立ち上がると、ナズが掌を向けてきた。
「て!」
「了解」
ナズの小さな手を包んで、しっかりと握ってやる。
昔はこのために年下の子たちが喧嘩していたのを思い出して、さみしくなってしまう。
「むぅ」
「あ、ごめんね。 ちょっと強かったかな……」
つい、力を籠めてしまったようだ。
なんとなく、あの子たちと重ねて、手放したくなくなってしまった。
力を緩めようとして、握り返す力が増したのを感じ取った。
「ナズ?」
「ん」
もしかして、私の不安が伝わったのだろうか。
こちらを見るナズの目は、とても優しかった。
ああ、もうこの子は。
「かわいいなぁ、こんちくしょう!」
「む!?」
なんだか星や聖の気持ちがよくわかった気がして、ナズを全力で抱きしめた。
また少々力が入りすぎたかと不安になったが。
「んふぅ……」
どうやら満足げにしているので、大丈夫なようだ。
「あら、親バカって伝染病だったのね……」
「あ」
来客の呆れた声に、我に返った。
客、八意永琳を連れてきた一輪は、妙に悟ったような顔をしていた。
「多分、私もその内こうなるかも……」
「興味深いわね。 解剖させてくれるかしら」
「「お断りさせてもらいます」」
天才のギラついた目にただならぬものを感じて、同時に否定した。
「あら、つれない」
今日はみんなつれない。
「水蜜、とりあえずこれをそこの戸棚にしまってちょうだい」
「了解しました……しかし、あなた自らここにくるのは珍しいですね」
いつもならこうして薬の訪問販売に来るのは、妙な耳のうさぎだったはずだ。
所定の位置に一輪&大ナズーリンが愛用していた胃薬を置いて、永琳に問いかける。
「気分転換ですか?」
「それもあるけれど、後は……」
そう言って永琳がこちらを見た。
「解剖……」
「じゃないわよ。 ただ白蓮さんからあなたのカウンセリングを頼まれただけ」
相談。
というとまさか、さとりとの。
「伊達に長生きはしてないから、安心しなさい?」
そう言うなり、永琳は私の襟首を掴んで。
「さて、居間でいいかしらね」
「え、あ、いやあのナズに下巻を読んであげないと……」
「ひめ!」
「ナズ、水蜜とおやつにしましょうか」
「む?」
「永琳さんにクッキーもらったのよ?」
「ん……」
あ、こら。
「物でつるなんてひどい……」
「あなたが言うか……せっかく姐さんがお願いしてくれたんだから、今日こそ解決しちゃいなさいよ」
「そうそう。 恋も病気なんだから早めの解決が一番よ!」
「クッキー!」
みんな勝手だぁ……。
そうしてカウンセリングという名の尋問は、三十分にも及んだ。
「なるほどねぇ」
「うう……汚された気分」
「失礼ね」
貞操を奪われたかのように号泣する。
結局、洗いざらい吐かされてしまった。
何かウソをついたり、黙秘しようとすると。
『ナズーリン』
『ん!』
一輪にクッキーで雇われた史上最強の仕事人が睨んでくるのだ。
むしろ、心情的にはナズもさとりの味方なのだろうか。
「恋する気持ちがわからない、ねえ……」
問題は、もう一つあった。
私自身が恋愛感情を忘れてしまっていた。
「誇らしいことに、聖一筋でしたから!」
「でも、それが裏目に出たと」
「ですね……」
私にとっては胸を張れることなのだけれど、どうして世の中はうまく回ってくれないのか。
聖に告白したのも、バカ虎から引き離すため。
聖に恋愛感情なんて、恐れ多くて持てるはずもなかったから。
「しかも生前の恋愛経験もなかった……そのまま千年一人の人間を尊敬し続ければ忘れるものも忘れるわね」
そう言いながら、永琳は手元の本に目を向けていた。
本の題名は、わすれんぼうなおひめさま。
「ただ、無知だからって何もかもいいってわけじゃない。 このままだとあなた、"おうじさま"になってしまうかもね」
「忘れられてしまう、と?」
物覚えがいい彼女に限ってそんなことが有り得るのだろうか。
「……何か勘違いしてるみたいだけれど、知識的に忘れる、ということではなく、認識的に忘れるってこと」
「お、おお?」
「む?」
ナズも私も、ちんぷんかんぷんだ。
頭がいい人は使う言語も違うのだろうか。
「ああ、なるほど……」
一輪だけはなんとなくわかったようで、噛み砕いて説明してくれた。
「つまり、水蜜への好意をないものにしちゃうってことですね」
「そういうこと。 捨てられるって言ってもいいかしら?」
「むしろさとりさんに水蜜はもったいないし、その方が……」
本当に勝手に言ってくれる。
でも、私にもわかった。
つまりさとりに、なかったことにしてくれと言われるかもしれない、と……。
「むぅ」
「むぅ?」
何か釈然としない私が漏らした声を、ナズが真似をしていた。
「ちょっとは焦りたくなったかしらね?」
「少し、ですけどね……」
「それでもあなたにとっては大きな一歩じゃないかしらね」
永琳は薄く笑って、回診の時にいつも持っているらしいカバンの中から包みを取り出した。
「これ、さとりさんのところへ行くときにでも持っていきなさい。 彼女、お茶菓子は自分で全部作るらしいから、新鮮に思ってくれるかもしれないわよ?」
「中身は、クッキーですか?」
「そ、今あなたたちが食べたものと一緒よ。 味もあなたたちのお墨付きってこと」
確かに、おいしかった。
これでお茶にでも誘ったら喜んでくれるかな。
「ま、答えをどっちにするにしろ、ちゃんと応えてあげなさい。 それが礼儀ってものよ、キャプテン・ムラサ?」
竹林の天才薬師は帰り際、そう言い残していった。
そして私は今、ここ、地霊殿の正門前にいる。
相談に乗ってくれた聖、永琳。
出発の際には叱咤激励してくれた一輪とぬえ。
ずっと優しい目で見守ってくれた雲山。
多くないであろう聖とのデート経験を話してくれやがった星。
「む?」
結局ついてきてくれたナズーリン。
色々な人に支えられて、私は。
「ぶぶ漬けはまだできていませんが」
「遅くなってすいませんでしたー!」
追い返されそうになって、土下座している。
「別に、あなたには最初から期待していませんでしたから」
「で、でもその僅かな期待に応えさせていただきたいんです」
"おうじさま"になるのだけは、勘弁したい。
「えーと、ほら!」
「む!」
「あら?」
クッキーの箱ごと、ナズーリンをさとりの目の前に差し出した。
「お茶、しませんか?」
「クッキー!」
結局答えは出てないけれど、私なりに頑張ってみたいと思う。
水蜜が今一番必要とする物は侠気である。
下巻にて描かれるさとり様の狂喜を以って、この物語は大団円を迎える。
てな感じはいかがでしょうか?
コメントしなかったのを今になって後悔しているので、フリーレスですが感想を書くことにします
しかと読ませていただきました。とても面白かったです
船長、自分の針路を自分で……「げ」ではもっとビシっと決めてくれるんでしょうか
どこへ進むにしても、「わすれんぼうなおひめさま」が「わすれられたおうじさま」にならないことを祈っています