Coolier - 新生・東方創想話

2010/04/22 16:35:43
最終更新
サイズ
6.44KB
ページ数
1
閲覧数
881
評価数
7/25
POINT
1360
Rate
10.65

分類タグ


 昔あるところに、桶屋を営む夫婦があった。近所でも評判のおしどり夫婦で、小さな諍いすら起きたためしが無い。夫は腕利きの職人で、天下に並ぶ者無き腕前との呼び声高く、妻も傍らにあってよくこれを支え、店は大いに栄えた。
 
 さてある年の春、二人に念願の子が出来た。透き通るような白い肌と、澄みきった瞳を持った、玉のような女子である。長年の願掛けが遂に実ったとて、二人の喜び様も並で無く、その後数週もの間、祝いの宴会を開く有様であった。
 
 寵愛を受けて、娘はすくすくと育つ。八つの誕生祝いの際、父は娘に桶を贈った。華奢な娘の体がすっぽり入る、大きな桶である。当代屈指の名匠が、持ち得る限りの技術と、溢れんばかりの愛情でもって作り上げた、それはそれは見事な一品であった。
 
 一目見て、娘は桶を大いに気に入った。朝起きてはこれを磨き、家族で風呂に入る時も、一人桶風呂に入るといった執心ぶりである。父も母も少々心配したが、当の本人の喜びようを見ると、二人とも顔の綻びを禁じ得ない。店には笑顔が溢れた。

 
 それから数年経ったある日、桶屋に口やかましい一人の男が訪れた。この男、主人とは二十年来の知己だったのだが、何かにつけ自分より勝る主人への嫉妬の情、かねてから並大抵の物でない。此度もきゃつが桶屋として成功したと聞いて、ふつふつと面白くない感情を生じ、難癖つけて困らせてやろうと、遥々やって来たものである。
 
 経験豊富な主人にとっては、このような幼稚の弁を論破する事など容易い。理路整然と追い込まれ、たちまち男は返答に窮した。顔を真っ赤にして押し黙り、ふと店の中に目をやると、主人の妻と思われる美しい女と、娘と見られる色白の可愛らしい少女が、憐れむような目つきでこちらを見ている。少なくとも、男の目にはそう映った。瞬間、積年の感情は爆発し、刀を抜いたと思うと、一閃、主人の右腕を斬り落として、そのまま逃げ去ってしまった。

 治療の甲斐あって一命は取りとめたが、利き腕を失った今、もはや木を切る事すらままならない。既にあった桶が売れてしまうと、店はたちまち困窮した。暮らしは苦しくなる一方、それでも主人は左腕一本で、何とか嘗ての腕を取り戻さんと奮闘していたが、ある日娘が父に向かって、涙を浮かべてこう言った。――おとうさん、もうお止めになってください。ここに、おとうさんが以前作ってくれた桶があります。これを売れば、しばらくは食べていけるだけのお金が入る筈だわ。今はしっかり休んで、これ以上体を壊さないことを第一としてください、と。
 
 それを聞いた父は、一瞬胸を打たれた様子だったが、すぐに娘を叱りつけてこう言った。――おれは桶職人だ。桶職人は、桶を使ってくれる客の為に働かねばならぬ。いちど他人の物となった桶を売るなど、もってのほかだ。ましてや、愛するお前の為に作った桶を、どうして売る事など出来ようか。言い終わると、片腕で娘をひっしと抱きすくめ、男泣きに泣いた。娘も泣き、傍らにあった母もはらはらと涙を流した。

 しかし、娘の不安は現実の物となった。父は間もなく、斬り口から熱を発して、懸命の治療も此度は届かず、三日三晩苦しみ抜いた末に、とうとう、妻の肩に寄りかかるようにして息絶えた。
 
 二人は悲しみに暮れた。わけても、人生の伴侶と頼む者を失った、母の悲嘆は尋常なものでない。娘のためにと奮起して、涙をこらえて懸命に働いていたが、みるみるうちに痩せ細る。すると夫の死から二ヶ月も経たないある日、帰ったと思うとばったり倒れて、そのまま眠るように息を引き取ってしまった。あとには娘と、あの大きな桶だけが残された。
 
 
 たった数ヶ月の間に、続けて両親を失った、娘の悲しみはいかばかりか。間もなく、母方の伯母が孤児を引き取りに来た。見れば、もともと白い肌はさらに蒼ざめて、まるで死体のよう。頬はこけ目は虚ろ、涙も枯れ果てた様子である。それでも、細い両腕で大きな桶を抱えるように持って、これだけは決して離そうとしなかった。伯母は哀れんで、遠く離れた自分の村に連れて行き、そこで面倒を見てやることにした。
 
 村で、娘は幽霊のようだった。言うことは実によく聞くが、他のこととなると、誰が何を話し掛けようとも、機械的な生返事しかよこさない。伯母は何とか元気づけようと、色々な場所へ遊びに連れていったが、どこへ行く時も桶を持ち歩き、磨いてばかりいる。家でもやはり桶を磨いたり、時には一日中、桶の中でじっと座っていたりした。桶が、不安定な心の唯一の支えとなっているようであった。伯母はますます哀れに思ったが、村人達は大いに怪しんで、
「あの娘は、少々気がおかしいんじゃあ無いか」
「さもあらん。聞けば、いっぺんに両親を失った孤児だそうだ」
などと噂しあった。村の子供達も気味悪がって、陰で桶女と呼んで近づこうともしなかった。

 
 さてここに、村の子供達の中でも大将格と言うべき暴れん坊がいた。ある日悪戯の帰りに村でぶらぶらしていると、向こうから大事そうに桶を抱えた、真っ白な肌の少女が歩いてくる。皆が怖れる桶女、何程のことやあらんと、早速ちょっかいをかけたが、娘はぷいとして目もくれない。暴れん坊はカッとなって、
「何だ。こんな桶」
と叫ぶと、無理矢理桶をひったくろうとした。
 
 ここに至って、娘は初めて感情を表に出した。たちまち真っ青になって、
「お願い、お願い。やめてください」
と、泣き叫んで懇願する。これは暴れん坊の少年の、幼少期特有の残酷な心を刺激した。少年は娘を蹴り飛ばし、桶を手にするや否や、それを地面に何度も叩きつけて、ばらばらに壊してしまった。そうして、意気揚々と、肩をいからせて帰っていった。

 娘は泣いた。ただの切れ端と成り果てた桶の残骸をかき集めて、訳のわからぬ事を叫びながらむせび泣くその姿は、確かに狂人のそれに相違なかった。ひとしきり泣いたあと、娘は切れ端を抱けるだけ胸に抱いて、ふらふらと枯れ井戸のそばへ近づくと、呪いの言葉を呟きながら、殆ど発作的に身を投げた。

 伯母は、使いに出した娘が何時まで経っても帰ってこないので、不審に思っていたが、報せを聞いて大いに驚き、また悲しんで、枯れ井戸に駆けつけた。なんとか遺体を引き上げようとしたが、底の方で何か引っ掛かって、どうしても上がらない。周りの人々は皆気味悪がり、手伝おうともしなかった。とうとう伯母も諦め、井戸に死装束と六文銭を投げ入れると、口には大きな石を置いて、丁重に弔ってやった。

 
 それから数日して、伯母は、その石が何時の間にか無くなっている事に気がついた。大いに訝しんだが、彼女以外には誰も、気にも留めなかった。

 数日後、あの暴れん坊の少年が、体中の肉という肉を食い尽くされた屍体となって見つかった。さらにそれから数ヶ月後には、村から遥かに離れたある土地で、桶屋の主人の右腕を斬り落としたあの男も、同じような屍となって、路上に打ち棄てられていた。








* * *








 キスメは目を覚ました。夢を見ていたようだが、内容はどうも思い出せなかった。よくある事だ。キスメは小さく欠伸をすると、布巾を取り出し、中から桶を磨き始めた。
 桶を磨くことは、染み付いた本能とも言うべきものだったが、このひとときこそが、キスメにとって何よりも大切な時間だった。磨いた桶が応えるかのようにきらりと輝くのを見ると、キスメは何とも言えない、満ち足りた感覚を胸に覚えるのである。

 ところが不意に、キスメの瞳から涙がこぼれた。キスメは手の動きを止めない。これも又、よくある事だ。だが何度泣いても、一体何がそうさせるのか、キスメにはまるでわからなかった。大粒の涙は、とめど無く溢れ出た。茫然と泣きながら、キスメは桶を磨き続けた。

 
 桶を磨き終わり、涙を拭いて、キスメはふと、空腹を感じた。血肉を求めて、キスメは闇の中へと、怪しく光りながら飛び立って行った。
キスメちゃんちゅっちゅ

拙作を読んで頂き、本当に有難うございましたキスメちゃんちゅっちゅ
ゆず胡椒
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.820簡易評価
1.50名前が無い程度の能力削除
なんだか物足りない感じ
もっと膨らませられるんじゃないかな
2.80喚く削除
私だってキスメちゃんとちゅっちゅしたいですッ……!
3.70椿削除
私もキスメちゃんとちゅっちゅしたいです。
4.60名前が無い程度の能力削除
巷説百物語

『桶女』

御行、仕奉る。
12.100名前が無い程度の能力削除
ダブルスポイラーのスペルも加味しての色づけですね
怪談的でよかったです
17.100名前が無い程度の能力削除
可哀想な子だったんだねキスメ……
強く生きてくれ。
20.80ずわいがに削除
邪心野心は闇に咲き 残るは巷の怪しい噂
人間が妖怪になるってのぁこういうことなのよね