【霧雨 魔理沙】
とてもにこやかな笑顔。
普段は不敵に笑うさとりが精一杯の笑顔を向けている。
逆に不気味だ。
そう――思った。
魔理沙がそのように感じたのは、おそらくは魔女としての勘というよりは、人間としての恐れの感情に近いだろう。
本能的な恐怖。
食べられちゃう側として、当然に感じる生物学的にひきおこされる感情だ。
ただ、どうしてそういう感情が引き起こされたのかまではわからなかった。
さとりはあくまで物腰柔らかく、いきなりとって食おうというような雰囲気ではなかったからだ。
言ってみれば、さとりは合理的な妖怪だ。心を読むということは理性的な行動に制限されるということであり、あくまで行動には脈絡が要求される。
すなわち、脈絡の無い行動をとれないというのがさとりの弱点である。あまり深く考えたことはないが、魔理沙もなんとなくだが理解している。こいしがまったくの脈絡のない行動しか取らないように、さとりは脈絡のある行動しか取れないのである。脈絡は文脈と言い換えてもいい。
ああ……、そうか。
魔理沙はなんとなく得心がいった。
さとりが笑っているということ自体が、そもそも脈絡がないはずなのだ――
だから不気味に感じるに違いない。
「私が笑うのがそんなに変ですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだが……。珍しいというかさ。見慣れないからちょっと驚いただけだ。ていうか、私はこいしに呼ばれたんだがな」
「実を言うと、こいしを通じて私があなたをお呼びしたのですよ」
「へ? なんで」
「こいしと普段から仲良くしていただいているお礼をしたいと思いまして」
「ふうん。もらえるもんならなんでももらっておくぜ」
「ではこちらにどうぞ」
さとりは魔理沙を手招いた。
まずはお風呂。地霊殿の中にある巨大なカルデラ型の温泉である。底はとてつもなく深いようだが、板張りで溺れない程度の深さに調節しているようだ。
逆に天井はとてつもなく高く。数十メートルはありそうだった。むき出しの岩肌もなかなか風情があっていい。
「どうです。地下の温泉もなかなかのものでしょう?」
「ああ、そうだな」
「では、お背中を流しましょう」
「え、べ、別にいいよ」
「恥ずかしがらずとも結構ですよ。そもそも私の前では、裸身ならぬ裸心を常時晒しているようなものです。いまさら背中を流すぐらいで恥ずかしがるというのもおかしな話でしょう」
「ふうむ。そういわれるとなんだかそんな気もしてきたぜ」
よっこらせ、と腰掛ける魔理沙。
さとりは、てぬぐいに石鹸をこすりつけて、まっしろいふわふわのかたまりをつくっていく。その泡を魔理沙の白いすべらかな肌にそっとのせた。
てぬぐいの質量をほとんど感じない。ふわふわの泡自体で洗っていく感じだ。
肩甲骨のあたりをなぞるように洗っている。なんだかぞわぞわしてしまう。
「ずいぶん丁寧だな」
「まあ性格ですよ。それにですね。私のような心を読める妖怪に背中を流してもらえると最高なはずですよ。なにしろ気持ちの良いところが丸わかりですからね」
「そ、そうだな……」
「少しえっちなことを考えましたね」
「う、うるさい。今のは不可抗力だろう」
「ま、そうです。そのように誘導しました」
さとりは黙りこみ、再び背中を洗い始める。さとりの親指がすっと魔理沙のうなじあたりに伸びた。
「ひゃ」
「マッサージですよ。さとりのマッサージはとてつもなく貴重でして、古の時代にはどこぞの王様も求められたとか。理由は先ほどと同じです」
絶妙すぎるタッチとはこのことを言うのだろうか。
強すぎず、弱すぎず、重点的にして欲しいところを、すぐさま感知してそのようにしてくれる。
首の凝っているところをぐりぐり。
背中の筋肉をぐりぐり。
頭も骨の隙間のなかに細い指がもぐりこんでいく感じだ。ぐりぐり。
あまりに気持ちよくて、座るのも面倒になってしまう。
「なるほどなるほど……では、こちらにねそべってください」
もはや抵抗する気力などない。
まるでこのことを見越していたかのように、ビニールでできた簡易なベッドが用意されていた。
そのうえに魔理沙は身を横たえた。
さとりは、オペを開始する前のように両手を軽く上にあげ、それから魔理沙の弱いところを重点的に攻めていく。
あまりの気持ちよさに魔理沙が寝入ってしまうのにさほど時間はかからなかった。
ガチャン。
「な、なんだなんだ?」
突然放たれた強烈な光に魔理沙は目をつむった。
天井のあたりには巨大な射光機が幾重も吊るされており、魔理沙が座っている椅子に向かって光線を延ばしている。
そこはホールのような場所だった。なにもないだだっぴろい空間に、ぽつんと椅子だけが存在している。
よかった。服は着ているようだ。しかし誰が着せたのかは言うまでもないだろう。想像すると結構恥ずかしい。
怒りと恥ずかしさで、魔理沙の顔が赤くなり、光線をものともせず前方を鋭く見据えた。
光線の背後には見慣れたシルエット。
さとりの姿が見えた。
「お目覚めですか。魔理沙さん」
「目覚めたけど、なんの冗談だぜ」
「べつにたいしたことじゃないのですがね……」
さとりはゆらゆらと揺れるようにして、魔理沙のすぐそばまで来ている。
そして見せる笑顔は――冒頭のそれと酷似している。
しかし、今回はすぐに邪悪な笑顔にとって変わられた。
「魔理沙さん。ご存知ですか」
「何をだ……」
「覚り妖怪の食事方法ですよ」
「いや、よくわからんが心を読むってことだろ?」
「まあ半分ぐらいは正解ですね。覚り妖怪は人間の心を読んで、その余剰の感情を食べるんですよ」
「それで、もしかして私を食べるってことか」
「そうです。察しがよくて助かります」
「黙って食わせると思ってるのか」
「ですから、おもてなししたんですよ」
「私の心はあんなマッサージ程度と釣りあわないんだがな」
「食べられる側に配慮なんて必要ないでしょう。本来ならおもてなしなんていらないんですよ。ただあなたが少しでも心安き状況で食べられてくれるのなら、それに越したことはないというだけのことです」
「抵抗するぜ」
「どうぞご勝手に。弱肉強食の世界においては、弱いから食べられるという事実があるだけです。あなたもその必然を引き受けて、妖怪の住まう地底に来たのでしょう」
「こいしに呼ばれただけだって言っただろ。だまし討ちはいいのかよ」
「私は誠実を矜持とする鬼とは違いますし、過程がどうとか、後味が悪いとか、そんな厠のナズーリンのペンデュラムにも劣るような考え方なんぞ不要なのです」
「……」
「さすがに意味が不明でしたか。ともかく……、魔理沙さん。私はお食事ができればそれでいいのですよ」
さとりと会話している間にも、魔理沙は懐を探り、武器がないかを確認している。
さすがに八卦炉はなかった。
魔理沙のこめかみあたりに汗がつたう。万事休す。もちろんただの弾幕でなんとか逃避を図るという方法も考えられたが、さきほどのマッサージのせいか。妙に体がふわふわしている。こんな状況では、まともに空を飛べるのかも疑わしい。
なにか方法はないか。
とりあえず――時間を稼ぐしかない。
「しかしな、さとり」
「ん?」さとりは瞬間的に読み取る。「ああ、なるほど地底が封じられているときも食事をしていたはずだから、べつに人間じゃなくてもいいはずじゃないか、と言いたいわけですね」
さとりは先回りして答えた。
魔理沙はうなずく。
「確かにそのとおりなのですが……、だからこそ思い出してしまったんですよ。妖怪としての本分というんですかね……」
ゾクリ。
魔理沙の筋肉が急激にこわばった。
その瞬間、さとりは恍惚の表情になる。
「あなたの『心』……とても少女らしい快活さとファンシーさを有していますね。ふわふわでカワイイ『心』です。ほおずり……してもいいですか? 『ほおずり』すると、とても落ち着くんです」
「いやどうやって……」
さとりは魔理沙の言葉に反応せず、勝手に続けた。
「女の子にはお姫様になりたい願望ってありますよね。一見すると傍若無人に見えて本当は誰よりも女の子らしい『心』。あなたの『心』を初めて見たときに、なんていうか……その……下品なんですがね……フフ…………ムラムラでぬえぬえになってしまいましてね……」
「だーッ! 気持ち悪いぞ。おまえ」
「さすがに気持ち悪いと言われたら、覚り妖怪でも傷つきますよ。こいしにはそういう言葉は投げかけないでくださいね。私は――まあ、いいんですよ。あなたの真意がわかりますからね。恐怖してしまったんですね。わかります」
「じゃあ食事したってことだろ。もういいだろ」
「魔理沙さん。あなたは誤解しているようですね。べつに恐怖じゃなくてもいいのですよ。余剰の感情とは――いろいろとあるでしょう。私が食べたいのはスイーツのように甘くて、そして時折酸っぱいような、そんな、お菓子のような感情なのです」
想起――『マリアリ』。
「ねえ。魔理沙。魔理沙は私のこと好き?」
「何を言うんだ。いきなり」
「好きか嫌いか聞いてるだけじゃない」
「別に嫌いじゃなく……なくも、ないない」
「どっちなのよ」
「手を出せよ。アリス……」
「ん?」
「ちゅ」
「ま……、魔理沙、いきなり何よ」
「えーっとな。これぐらいはできる程度には好き……かな」
「足りない」
「え?」
「こんなんじゃ足りないわ」
「ええ!?」
「キスしなさいよ」
「したじゃんか」
「所定の場所にキスしなさいよ」
「ほっぺたとか?」
「誤魔化さないで。わかってるくせに。嫌なの?」
「べ、べつに嫌じゃないけどさ。少し恥ずかしいじゃんか。人形たちにも見られてるし……」
「人形は私にとっては家族みたいなもの。一心同体なの。だから、あなたがどうしたいかよ」
「本当にアリスはわがままなお姫様だな」
「魔界の王女って言ってたのはあなたでしょ」
「でもな。アリス」
「なによ」
「私だって女の子なんだぜ。こう見えて……」
「ん? 言われなくても、魔理沙は女の子だけど……」
「だからな。えっと、なんというか……その……」
「もじもじしてるなんて魔理沙らしくもないわね」
「どちらかと言えばなんだが……キスしたいんじゃなくて、キスされたいかな、なんて」
「それって……してもいいってこと?」
「そう、だけど」
「じゃあ。するから……どこにされようとも文句は言わないでよね」
「……ん」
「目ぐらいつむってよ」
「優しくだぜ」
「もう。お子様ね。あなたには軽く触れ合うだけのキスがお似合いよ」
「ちゅ」
「ちゅ」
「――というふうに、上海人形と蓬莱人形が『マリアリごっこ』をしている現場を、ふたりで仲良く目撃してしまったとき」
「うわああああああああああああああああああああああああああ!」
魔理沙の精神ダメージは9999を越えた。カンストだ。
もはや恥ずかしいというレベルを超えている。
あまーいマリアリ。これももちろん現実に起こった出来事である。しかし事はそれだけで終わらない。そのとき人形たちに見せていたのがいけなかったのか。ある日、魔理沙とアリスがふたりで仲良くきのこ狩りにでかけていき、アリスの家で食事でもしようということになって帰ってみると、まったく同じ台詞と行動をリピートしている上海人形と蓬莱人形の姿があったのだった。
自分の恥ずかしい姿を客観的に見せつけられるという、思わず悶絶してしまいそうな恥ずかしさである。死ねた。
魔理沙はその場で昇天した。
「ごちそうさまでした」
さとりは合掌する。
【博麗 霊夢】
たいしたことではないと思った。
さとりから招かれるようなことをしたような覚えはないが、地底でペットが引き起こした事件の責任は飼い主にあるのだという。
こいしから伝えられた霊夢は少し怪訝に思いながらも、地底に向かった。
勘の鋭いところのある霊夢であるが、具体的な危機が迫っていることまでは予知できなかったのである。
「いらっしゃい。霊夢」
「お邪魔するわよ」
さとりは今度は笑いを抑えていた。どうやら魔理沙のときに少し学んだらしい。食事するときに媚態を見せてしまうのは淑女としてはしたないということもあったが、もちろん大部分は、捕食の対象に不穏な空気を感知されないためである。
「このたびは、お空がとんだことをしてしまいまして、ご迷惑をおかけしました」
「べつにたいした迷惑でもないわよ」
霊夢は面倒くさそうに返事をする。
本当にどうでもいいと思っているのだ。
「今日は地底の珍しい料理でもいかがでしょうか……」
「悪いわね。でも人間でも食べられるの?」
「もちろんですよ。案外、地底でも天候が制御されておりまして、いろいろな作物がみのっています。いまではお空の人工太陽の力もありますから、地上よりも便利かもしれませんよ」
「ふうん」
霊夢の前に差し出されたのは見たこともない食事だった。
もちろん毒なんて入っているはずもない。ただひたすらにおいしいのである。普段、図らずも節制の効いた生活を送っている霊夢にとっては、それはもう舌がとろけるくらいにおいしいと感じてしまう。もちろんそんな霊夢の味好みを事前にリサーチしていたことも大きいだろう。
あの一瞬の邂逅で――
地底での最初のなれそめのころから、さとりの遠大な計画は始まっていたのである。
「おいしいわねぇ……でもこれだけ食べると、さすがになんだか眠くなってきたわ」
「では少し横になってはいかがですか。幸いにもそこにソファがありますし、掛け布団もほらこのとおり」
「気がきくわね」
「まあ覚りですから」
ころん、と横になる霊夢。
牛になるかもしれない、などと少しは思いはしたものの、満腹後の酩酊にも似た睡魔にはさすがの博麗の巫女も敵わないらしい。
「それではおやすみなさい」
「うん……」
ガチャン。
前置きの音。
霊夢が目覚めると例によって魔理沙と同じく、巨大なホールの真ん中にある椅子の上で寝かされていた。
椅子がすこし硬いせいか、体の節々が痛い。
混乱はしていない。妙に頭は冴えている。おそらくこうなることをなんとなく予測していたからだろう。
「ようやくお目覚めですか」
「あん? なにどうしたの」
「いえ、たいしたことじゃありませんよ。ぜんぜんまったく……たいしたことじゃないのです」
「あんた私を食べようとでも思ってるの?」
「さすが霊夢さん。一瞬で想像の淵を埋めてしまいましたか。はっきりいって私にもトレースできない思考ですよ。無意識というものは本当に厄介ですね」
「だったらわかってるでしょう。たとえ何をしようと、私という存在を縛ることはできないわ。本気になればここから出て行くことなんて簡単よ。それとも弾幕ごっこでもするつもり?」
「いいえ。私はですね。いわば少しだけ分配して欲しいと思っているだけですよ。人間の心はたとえ喰らってしまったところで別にその人物が死ぬわけではないですしね」
「そりゃそうだけど。妖怪に黙って喰われたとあったら、巫女の名折れだわ」
「足掻いてもいいのですよ」
「は?」
「足掻いて、もがいて、それでもどうしようもない絶望もまた――私にとってはおいしいご馳走ですからね」
「あんたそんなことして閻魔様に怒られないの?」
「だって、妖怪が人間を喰らうのは宿命ですから」
「そのとおりね。でも、人間が妖怪を退治するのも、また宿命なのよ!」
霊夢がその場から飛翔し、懐から札を――
ない!
その場で逆噴射の要領でたたらを踏む霊夢。
「魔理沙さんの場合は武器の確認ぐらいはしていましたよ」
「魔理沙も毒牙にかけたのね」
「ええ。あの方の『心』は本当においしかったですよ。そうですね。喩えるなら、ストロベリーオンザショートケーキのような味でした。少しイチゴのようにすっぱくて、そして甘さに溺れるような感覚ですか……フフ……ムラムラでぬえぬえです」
「意味不明なのよあんた」
空間に穴をうがち、霊夢はひとまず逃走しようとする。
しかし、その前にさとりの『想起』が発動した。緑色とピンク色で構成された気持ちの悪いモヤのなかにとりこまれていく。
空を飛ぼうとしても、モヤの拡大のほうがはやい。もはやここから逃げ切ることは困難だ。だが霊夢は慌てなかった。自己の動きを最小限にすることで弾幕を避けるように、さとりの捕食行為も最小限の動きで見切るつもりだ。それに、霊夢は『想起』に対してもある程度の抵抗力がある。したがって、霊夢の主体的な行動は、たとえさとりの作り出した『想起』の世界においても阻害されることはない。
想起――『みんなのことが大好きな楽園の素敵な巫女さん』
気がつくと霊夢は普段見慣れた博麗神社の縁側にいた。
「これは――さとりの術ね。たいしたことないわ。すぐに破ってみせるからね。あんた覚悟しなさいよ」
霊夢は空中に向かって叫び声をあげる。そのまま――立ち上がろうとした。
しかし出来なかった。
「なにこれ? 体が思うように動かないわね……」
無駄だと思いますよ。
だって、あなたは今、私の作りだした精神世界に取り込まれているのです。いわば、私は地の文です。地の文に逆らえるキャラクターがいますか?
「うるさいわね。言っとくけど、私の行動を勝手に書き換えるのは許さないわよ」
逆らってみますか?
霊夢さんあなたは振り返ります。さあ――そうしてください。
「いやよ!」
霊夢は――振りかえった。
と思ったら、そうしなかった!
すごい意思力ですね。いや、これこそが空を飛ぶ能力の真髄でしょうか。霊夢さんの主体的行動を捻じ曲げることはできないようです。
しかし、そうだとしても、想起の力は止まりませんよ。
霊夢がそのまま縁側に座っていると、空の向こう側からなにやら黒い影が見えた。射命丸文だった。
「いつも清く正しい文々。新聞の射命丸文です」
「そんなの言われなくてもわかってるわよ。不正と捏造の新聞でしょうが」
「むむ。そんなふうに嫌わないでくださいよう」
「てか。あんたも幻影なんだっけ。適当にあしらったほうがいいかしらね」
「幻影? 何を言っているんです」
文は霊夢が何を言っているのかわからないとばかりに首をかしげた。
そのまま下駄を脱がずに、霊夢の隣に座る。
「ところで聞きましたか?」
「あん?」
「間欠泉から幽霊が湧き出でてるんですよ。際限なく」
「……」
霊夢には心当たりがあった。このシチュエーションは紛れもない。地底に向かうことになった成り行きを想起している。
思わず、ゴクリと唾を飲みこむ霊夢。――もちろんこの行為には、私はなんら作為を加えていません。
次にどうなるのか、霊夢さんはわかっているのでしょう。
「うるさいわね……」
打開策が見つからない以上、霊夢はその場を動かない。最小限度の動きで避けるというのが霊夢の対処法だからだ。
次に現れたのは、博麗神社に住み着いている伊吹萃香だった。
「んー。霊夢ぅ。どうしたんだぁ?」
どことなく眠たそうで、おそらくは起きたばかりなのだろう。目をゴシゴシとこすって、それから霊夢の背中にのっぺりと乗っかった。
「重い……」
「そんなことよりも萃香さん」と文が口を開いた。
「ん? どうしたん」
「大変ですよ。事件ですよ。間欠泉から幽霊が湧き出してるんですよ」
「ふぅん」
「まるで地獄の釜が開いたかのようでして」
「地獄……ね」
「おや何か知ってらっしゃる?」
「いやちょっと旧友がいるだけさ。もしかすると地底の封印が解けたってことになるのかな」
「地底……あの忌み嫌われた妖怪たちを封印したとされる世界ですか」
霊夢は黙ったままだ。
いまからどのように話が推移しているかわかっているので、わざわざ口を開くまでもない。それよりも無言を貫くことで、過去の想起との食い違いを引き起こそうと狙っているかのようでもある。もちろん――無駄である。想起は曖昧な部分を無かったことにして、あるがままに進んでいく。
ピクチュという音とともに、空間が裂け、そこから現れたのは八雲紫であった。
「結局こうなるわけね」
霊夢は溜息をついた。
「あら皆様お集まりのようね。ごきげんよう」
「こんにちわ。清く正しい射命丸です」
「おー」
「はぁ……」
「浮かない顔ね。霊夢」
「どうせ今からいっしょに地底に行くやつを決めろっていうんでしょ」
「あら、話が早いわ。そうよ。いわゆるオプションパーツとして誰の力を借りるかって問題ですけれど」
「知ってるわよ。もう誰でもいいわよ」
「そんなこと言わないでくださいよ。もちろん私に決まっていますよね」
さも当然というふうに口を開いたのは文である。霊夢はこれ以上なく面倒くさそうに文の顔を見る。見た目、文はキラキラと純真そうに瞳を輝かせて自分のことを猛烈にアピールしていた。確かに文は強い。おそらくオプションパーツとして借り受けるという話であれば、紫よりも強いかもしれない。
「霊夢ぅ。私は連れてってくれないのか」
萃香も同じように懇願の眼差しだった。
小柄な体を摺り寄せて、必死で小動物らしさをアピールしている。もちろん秘めたる力は最強クラス。ただの酒乱ではないのである。
「ああ……もう、なんでこんな茶番に私がつき合わされなくちゃいけないのよ」
「茶番ですって、聞き捨てならないわね」
紫が扇子で口元を覆っていた。目が笑っていない。ちょっとだけたじろいでしまう。べつにそれは紫が怖いからではない。紫に怒られてしまうのが嫌なだけなのだ。なぜなら霊夢にとって、紫は母親の匂いを感じる数少ない女性だから。
「ちょ、さらっと嘘を混ぜないでよ。さとり!」
嘘じゃないのである。
「嘘よ。嘘よ」
「そんなことより霊夢さん。私ですよね? 選ばれるべきは私ですよね」
霊夢は無言のままだった。
それは悩んでいたからだ。文のことが好きだけど、他のふたりのことも好きだから。誰に決めていいのかわからないのである。
誰かを選ぶということは、誰かを選ばないということ。
選択することの残酷さ。
霊夢の細身の肩には、抱えきれないほどの重責がのしかかっている。
「ああああ。んもーう!」
霊夢は絶叫した。それは上記のような少女らしい心の悩みゆえである。私は誰が好きなのかしら。悩乱する心。定まらない心。
うるんだ瞳で、三者を見つめる。
「霊夢。悩んでいるんだったら私にしなさいな」
紫が助け舟をだした。
「よく考えてもごらんなさい。私と霊夢はあの永い夜のときにいっしょに戦った仲でしょう。いわばパートナーとしての経験値は他のふたりよりも上よ」
「そ、そうね。確かにそうだわ……わかった。あなたに決める。こんなふざけた茶番を続けるぐらいならあなたに決めたほうがマシよ」
口ではそんなふうに言う霊夢だったが、もちろん心の中は違った。
紫に決めたふうを装ったのは、紫が述べたように一応の理由があるからだ。だが、心の問題はまた別。誰を連れて行きたいか。霊夢が誰のことを一番好きなのかという話とは別問題である。
「てか。それ話が違うでしょ。文の捏造記事よりひどいわ」
「え、私ですか? やっぱり霊夢さんは私のことが一番好きなんですね」
「話が違ってきてるし。地底に誰を連れて行くかってだけの話でしょ」
「ええ、もちろん。私も霊夢さんのこと好きですよ」
文は霊夢の真正面から笑顔を見せる。いつものように計算高い笑顔ではなく、真の笑顔。
見るものの心を奪う笑顔だった。霊夢は顔を紅くして、それから何も言えなくなってしまう。これは捏造ではないですからね。ほら、真っ赤じゃないですか。熟れたハバネロみたいに真っ赤です。お疑いなら鏡でも用意しましょうか。
「うるさい! もうさとりの幻影たちといっしょにいれないわ。私は自分の部屋に帰るわよ!」
霊夢はその場ですっと立ち上がり――座り、立ち上がり、座り、立ち上がり、もういい加減あきらめてくださいよ霊夢さん。
霊夢がもにゃもにゃとなにやら呟く。
まずいですね。神言の一種のようです。これではさすがに抗いようがありません。いいでしょう。ならば――
さんにんは当然のことながら、突然怒りだしてしまった情緒不安定な霊夢の後を追った。
おそらく感情の所在がつかめないせいだろうと思われた。
「霊夢も案外少女らしいところがあるのね。私のことが一番好きなのに、ふたりのことを想って口に出せないようね」
「違いますよ。霊夢さんは私のことが一番好きなんですって」
「霊夢といっしょに暮らしてるのは私だぞ? 居候最強説を知らないのか」
部屋の中で霊夢は御札を探していた。
想起の世界だとはいえ、御札の効力はそこにのせられた文言にある。まして霊夢の心象世界であるというのなら、御札は真なるものとほとんど同一の効力を発するだろうという算段だ。
なるほど一理ありますね。
しかし、その前に決着をつけてしまいましょう。
ここらではっきりさせておきますが、霊夢さん、あなたは先ほどのやり取りがまるっきりの捏造、嘘であり、虚偽であるかのように振舞っていましたが、実際はそうではないのですよね。もちろん現実での出来事はある程度は淡白なまま進んでいったようですが、あなたの心象世界としては、その悩みは現実問題として存在したのです。
誰よりも公平であろうとして、誰よりも平等であろうとするあなたは、誰を連れていくかというときに、きっとあることを想ったはずなんですよ。
その想いを言葉にしてしまえばいいのです。
「いやよ! いやよ!」
フフ……わかりました。続けましょう。
第二ラウンドです。
「霊夢。何を迷ってるの。ほら、ふたりにきちんと断りをいれなさいな。私を連れていくって言うだけのことよ。大丈夫。そんなことでふたりはあなたのことを嫌ったりしないし絶対大丈夫」
紫は霊夢の体を優しく抱きしめた。
霊夢は体を震わせている。紫の母親のような愛情に、むしろ混乱は増していき、誰かを切り捨てることの過酷さを味わっているのだ。
「怖気が走ってんのよー!」
「霊夢。私はべつに誰を選んでもかまわないぞ。もちろんいっしょに行くってんなら地獄でもどこへでもついていくさ。だって霊夢と私は友達だからな」
萃香はそう言って、霊夢の手を握った。
「友達だからな」
「大事なことなので二度言ってるぅ!」
「まどろっこしいですね。抱きつくとか手を握るとか。好きならきっちりキスしちゃえばいいんですよ。ねぇ霊夢さん」
「文。あなた、ちょ、やめなさい。いま、紫に抱きしめられてて、萃香に手は握られてて、逃げられないから逃げられないから。ほら、ふたりともいいの。私がキスされちゃうのよ。離しなさいよ」
「しかたないわね。じゃあ私も霊夢にキスしちゃうわ」
紫は冷静に切り返す。疑問の表情になったのは萃香のほうだ。
「キスってなんだ?」
「接吻のことよ。遅れてるわね」
「おう。接吻かぁ。いいぞ。友達どうしでも接吻くらいするからな」
「しないでしょ。普通!」
脈絡と文脈さえあれば、現実の原理どおりでなくてもよい。それが想起の世界なのである。
「わかったわ。わかったわよ。言うわよ。さとり!」
何をです。
「私がどう想ったのか。ほんのチョットだけ。チラって想ったことを……言うから」
ではどうぞ。
紫たちはいつのまにやら霊夢から距離をとり、礼儀正しく整列している。
霊夢は体を震わしながらようやく薄紅色の唇を開く――
「みんなのこと好きって想ったわよ。特別ってよくわからないけど、しいていうなら……」
「みんな特別」
消え入りそうな声で。0.01デシベルくらいの声で、霊夢はその言葉を口にした。
ふぅ。もう食べきれないってくらい満腹です。
想起の世界を解除し、さとりは霊夢を解放した。
立ち上がる気力も失い、霊夢はその場に膝をついた。そのままぺったんこ座りになってしまう。
「さとりに食べられちゃった……」
「まあそういうこともありますよ。さすがにあなたにとってアウェーだったことも大きいですかね」
いつもは揺らぐこともない霊夢もさすがにショックを隠し切れないようである。
さとりは霊夢を見下ろしながら、優しげな声を出した。
「好きなだけここにいてよいですよ。精神的に回復するまで温泉に入って療養していくとよいでしょう。博麗の巫女がいつまでも腑抜けのままでも困りますしね」
「……のに」
「ん? なんです」
「さとりのことも……嫌いじゃなかったのに」
涙で震える声だった。
薄皮一枚剥けば、霊夢もただの女の子。
生まれながらの気質が、いつもののほほんとした雰囲気をかもしだしているが、ほんの少し崩れればこんなにも弱いのだ。
そのあまりにも愛らしい様子に、超然とした性格のさとりも、顔を下に向けて紅くした。
しいてあげればペットを抱っこしたくなるような気持ち。
「さすがに反則ですよ。霊夢さん……」
果たして食べられたのはどちらだったのか。
そういったわけで――
今回も博麗の巫女は完全に敗北したわけではなく、ギリギリのところで引き分けに持ちこむことに成功したのである。
博麗の巫女としてただで負けるわけにはいきませんよね。
「ピクチュと登場する紫様サイコーッ」! それだけよ……それだけが満足感よ!
>さすがに八卦路はなかった。→八卦炉
>普段、計らずも節制の効いた→図らずも
>普段見慣れた博例神社の→博麗神社の、ですよー
さとりの能力欲すぃw
まるきゅーさんの作品大好きれしゅうう!
いや、まさか最後にそうくるなんて!
卑怯くやしいでも面白いです!
甘い!!美味しい!!最高だ!
もうこのままあの世に逝ってしまいそうだ…
もう 心残りは 無い
チーム霊夢+さとり、ご馳走様です。
それでいい