それは、神がもたらす恵みのごとく、されど万物全てに等しく平等に。
そう、狂おしいほどに、余りに無慈悲にそれは平等なのである・・・
詩集、悠久幻想詩 無垢なる混沌より抜粋
第一幕:平等な恵み
~開幕~
どの世界にも等しく朝はやってくる。
冥界も魔界も、もちろん幻想郷にも平等にそのときは来る。
朝日があがってまもなく幻想卿にある小さな人里に住む、人にして人に在らざる彼女の一日は始まる。
「うーん・・・」
ひとつ大きな欠伸をしつつ、ゆっくり頭と身体を覚醒させてゆく。
横の布団にはまだ寝息を立てている「汝」がいる。
「・・ふふ」
不思議だ、少女はそう思う。
私の半分は幻想郷の全ての歴史を知り、この世のあらゆる知識を識る幻獣ハクタク。
半分とはいえ化け物の自分をこうさせてくれる「汝」の存在、「汝」に対するこの感情。
それだけが自分の知りえない、唯一の知識だ。
しかし知りえない事が不快ではない、むしろ心地良い。
全てを識る妖怪である筈の自分が知らないことを黙認できる。
この事実を受け入れている自分はハクタクとして失格なのかもしれないなと思う。
しかしもう半分、人としての自分がそれを受け入れ、許容し、高揚する。
「汝」の寝顔を見て心穏やかになる自分を感じながら、私「上白沢 慧音」の1日は始まる・・・
~前之巻~
ぐつぐつぐつ・・・
仕事柄か「汝」は少し普通の人より朝が早い。
その為、私はさらに早く起きて朝食の用意をする。
私の作る飯は美味いな。そういって「汝」は毎回食事をしてくれる。
知識の中に食事を作る知識もある。どの国の料理のレシピももちろん知っている。
私はハクタク。知らぬ知識は無い妖怪なのだ。
だが、知識があるからと言って美味い食事が作れるわけでは無い事がやってみて始めてわかった。
もちろん食えないような物を作るわけではない、しかしながら失敗とはいかに知識があっても付き纏うものなのだ。
絶妙な珍味と化した食事も少なくない。「汝」はそんな食事でも美味いと笑顔で答えてくれる。
そんな「汝」に応えたく始めたこの朝食作りだが、なるほどやってみると楽しいものである。
私の作った食事を食べて笑う「汝」。その笑顔を見た後に摂る食事は、一人で食べるよりも何倍も美味い。
何故だかはわからない。だが心地良い。不思議だ・・・
小皿に味噌汁を少し取って味をみる。
「うん、味噌汁はこれで良い、他の物もできてるし・・・後は・・・」
火を止めて、私は寝所に向かう。
寝所にはまだ寝息を立てる「汝」があいも変わらず幸せそうな寝顔で布団に包まっている。
「ふぅ、しかたないな」
「汝」が仕事に出かけるのにあまり時間に余裕があるとはいえない。
しかし急いで起こす時間でもない、そんな微妙な時間
「おい、そろそろ起きろ。遅れるぞ」
私は布団越しに「汝」を揺すりながら声をかける。だが「汝」がこの程度で起きる筈がない。
幾度と無く経験した最早朝の行事となっている行為の一つだ。
私はすぅっと息を吸い込み、掛け布団に手をかけた。
そしてそれを一気に剥ぎ取りながら半ば叫び声に近いほどの大声で「汝」に呼びかける。
「さっさと起きんか与太郎が!味噌汁が冷める!」
がばぁ!っと布団を剥ぎ取り腰に手をあて覗き込むように「汝」を見つめる。
全く毎朝同じ事をしているのに、決まって同じきょとんと、それでいてびっくりした一言でいうと間抜けな顔で私を見る「汝」。
「~~~~~~~」
「あぁ、おはよう。まったく毎朝毎朝・・・」
寝起きの「汝」決して整ってるとは言えない顔だが、その朝の挨拶の声に不思議と頬が緩む。
「早く顔を洗って食卓に来い、朝食はもうできている」
私の性格だろうか、不機嫌な声の割りに心は高揚している。
だが表には出さない。少なくとも自分では出していないつもりらしいのだが「汝」には不機嫌でないのが伝わるらしい。
何故「汝」にはばれるのだろうか?
「汝」が寝所を出て行くのを見届け、私は居間で食事の準備を進める。
飯を茶碗によそい、焼き魚に大根おろしを盛り、食卓に並べる。
そうしてるうちに「汝」がいつもの席に着くのを見て、味噌汁の鍋を持ってくる。
「今味噌汁を注ぐので先に食べていろ、時間もあまり無い」
私は「汝」の椀に味噌汁を注ぎ、手渡す。
食事の時間はいつも静かだ。朝の雀の鳴声、かちゃかちゃという食器の音、茶碗を食卓に置く音
「~~~~~~~~~~」
「ふむ、そうか」
「~~~~~~~」
「ふふ・・そうだな」
ゆっくりとした時間が流れる。食事をとりながらふと「汝」を見る。
短い会話をしながら一生懸命に食べる「汝」。
その一挙一動を観察したい衝動に駆られる。
意思に反して私は黙々と食事をこなす。何故こんな些細なことを我慢するのか。
否、我慢ではない。したくともできないのだ。
何故?それはわからない。しようとすると頬が火照り俯いてしまう。
依然酷く火照った時に、風邪かと心配された。「汝」に心配をかけるのは酷く心が痛んだ。
しかし意識すればするほど火照ってしまうので最近はそういった欲求を我慢する事にした。
我ながらなんと矛盾した感情だろう。
やがて「汝」は食事を終え、台所に行こうとする・・・
まずいっ!
「ど、どうしたっ?!茶ならここにあるぞ!」
私の感は当たっていたようだ。「汝」がびっくりしながらも茶の入った湯飲みを私から受け取りそれを飲み干し、出勤の支度を始める
思いのほか声が大きくなってしまったが「汝」は特に気にしたそぶりも無かった。
私は「汝」の鞄を用意し玄関まで送り出す。
「忘れ物はないか?ハンカチは?ちり紙は?」
「汝」は子ども扱いするな優しく笑う。
「ふふ、それもそうだな。では頑張って来い」
そしてふと重要な事を伝えてないことに気がつく。
「あー・・昼食なのだが・・今朝は起きるのが遅くてな、間に合わなかったのだ。
それで今から作って昼食時までには持っていくので、心配せずに待っていてくれ」
ちくっっと良心が痛む。くだらない嘘。ほんの些細な事なのに何故こんなに胸が痛むのか。
「汝」に嘘を付くというのが小さな棘になり、心にちくりと刺さる。
「~~~~~~~」
「うぅ・・たまにはそう言う事もある。そう苛めるな」
「~~~~~~」
「あぁ、気をつけてな。いってらっしゃい」
手を振り出て行った「汝」の背中を見つめ、ふぅ・・とため息を一つ。
寝所で「汝」の布団をたたみ、心に刺さった棘の原因を考える。
「・・・ふぅ、馬鹿馬鹿しい」
そう、本当に小さな小さな嘘である。もし露呈しても責められることなど絶対に無い。
自分が同じ嘘をつかれていたら、それが露呈したとしたら、その事で相手が心を痛めていたと知ったら。
笑うだろうな。漠然とそう思う。
しかし欺いてしまった事実は、心に刺さった棘はそんな事を思っても抜けないようだ。
何故?もっと深い理由があるんでは無いのか?
私は暗くなる気持ちを止めて、自分のためにも、そして「汝」の為にもその棘の原因をかたづける為に台所に向かった。
~中之巻~
「痛っ・・・」
何度目だろうか。包丁を置き、指を口に含む。
身が入ってない証拠なのだろう、ちゃんとやっているつもりではあるのだが。
先ほどの玄関でのやり取りが思い出される。
~あー・・昼食なのだが・・今日朝起きるのが遅くてな、間に合わなかったのだ。
くだらない、実にくだらない。正直に言っても「汝」は咎めたりしないだろう。
切った箇所に絆創膏を巻き、また包丁を持ち直す。
頭ではわかっているのに、全然言えない。今朝の朝食のとき「汝」の素振りを観察したくともできないのと同じ感情だった。
「ふぅ・・・」
何度目のため息だろうか。それでも黙々と作業はこなして行く。
他に気を取られていても、手を動かせばいずれは終わる事である。
程なくして弁当は完成し、私は自分で作ったお手製の巾着に弁当を詰める。
時間を確認するがまだ昼食には早い時間だ。
ふと外を確認するとかなりの快晴である。ここ最近雪が多かったのでこんなに気持ちのいい青い空を見るのは久しぶりかもしれない。
「よし、布団でも干すか」
昼食前の腹ごなしにはちょうどいいだろう。
そう思い、畳むだけでしまっていなかった布団を縁側にもって行き物干し竿に次々に掛けてゆく。
最初は冷たい風に身震いもしたが、なかなかの重労働である。
なにせ今は冬なので厚手の布団だ、はっきり言って重い。何回も往復するうちに額に汗が滲むほどだ。
なのに何故だろう、全く苦にならない。それどころかすごく楽しい。無意識に鼻唄など歌ってみる。
全てを干し終わるころには肩で息をする程疲れていた。
妖怪と言っても女の腕力なので無理も無い。
一休みと茶をすすり、時計を見上げるといい時間だった。
今の今まで寝巻きだったので、さっと着替える。
一番お気に入りのワンピースに寒いので厚手の黒いストッキングを履く。
さらに毛糸のマフラーと手袋をつける。身につけながら妹紅に感謝する。
寒さから身を守るただの防寒具では無い。
妹紅が私の為に編んでくれた、人の温かみがする大事な宝物だった。
玄関で靴を履き一歩外へでる。一休みして落ち着いたせいか、先ほどより風が冷たく感じる。
手には「汝」のお弁当の入った巾着を持ち、首には親友の暖かみを感じる。
不思議とさっきよりも風は冷たいのに、とても暖かかった。
「よぉし、行くとするか」
そして歩き出す私の顔は他の人から見ればどう写ったのであろう?
心は今日の快晴のように晴々と、そして暖かい気持ちで一杯だった。
しかしそんないい気分もそう長くは続かない。
家が見えなくなって程なくして、ふと心がちくんっと痛んだ。
はっきり言って今日のお弁当は力作だ。指の絆創膏の数がそれを物語っていた。
「汝」は一体どんな顔をするだろう?喜んでくれるだろうか?
こんなにも力を入れて作ったお弁当を・・・
ドウシテ、コンナニモ、チカラヲイレテ、ツクッタノカ
気がついてしまった。思い出してしまった。
真っ白な和紙に一滴の墨汁がしみを広げるように、快晴だった心に雲が差す。
傍から見ても元気に浮かれて歩いていた歩幅が、止まりはしないものの勢いを失っていく。
そうだ・・・私は嘘をついてるんだった・・・。
罪滅ぼしのつもりで、無意識のうちに頑張っていたのかと自覚する。
そんな物が喜んでもらえるのだろうか?いつもの笑顔で受け取ってくれるのだろうか?
黙っていればわからないさ。そんな些細な嘘、咎められないさ。
いろんな都合のいい思考が渦巻く。
心に差していた雲が、より深く、より暗く立ち込める。やがて心に不安の嵐が渦巻く。
嵐はやがて心に後悔という雷を打ち込む。
何故、私は、嘘をついたの?
どうして、しょうじきに、いえなかったの?
ジブンナラ、ワライトバスト、ジブンデイッテイタ、コンナクダラナイウソヲ、ドウシテ?
それでも歩みは止まらない。朝、お弁当を持って行くと約束した。
目には薄く涙が溜る。
大事な約束。「汝」との約束。
嘘までついて、約束をも破ったら嫌われてしまう。
嫌われる・・・?
ビクンッ!と全身が跳ねる。歩みが止まる。
溜っていた涙が一筋だけ流れる。
その一筋で知った。自分がどうすればいいか。
何故かはわからない。それが最良だとも思えない。
「全部話して・・・謝ろう」
声に出して、考えを形にする。自分と約束を交わす。
言わなければばれないだろう。ほぼ確実に、99%。
でも、もし1%が当たってしまったら?
ここで歩みを止めて、約束を守れなかったら?
最良の選択なんて私にはわからない。
でも、全部正直に話して謝れば「汝」は許してくれる。
確信があった。何故かはわからない。わからないのに確実。
全てを知る獣たる私が、何たる矛盾だろう。
しかしその確信が「嫌われてしまうという最悪の結果」を回避する。
嫌われる事が、この世の終わりにも思えた。
そう思った理由はやはり解らない。理解できない。
しかし感情がそう訴えてくる。
流れた一筋の涙が雫になって落ちた。
それが土に吸い込まれて無くなった時、心の中の嵐は去っていた。
涙を拭ったその顔は、家をでて間もない時の、期待に満ち溢れた笑顔だった。
~後之巻~
私は待ち合わせの場所である「汝」の勤め先の近くの広場に到着した。
時間的にはそろそろ昼食時である。
広場には数人の子供達が今の今まではしゃいで遊び、時刻もあり母達に昼食の為呼ばれて帰っていく。
そんな光景が広がっていた。
馴染みのベンチに腰をかける。まだ遊んでいる子供達。母と手を繋ぎ帰路につく親子。
なんとも微笑ましい。
この身は半獣なれど、私は人間が大好きだ。
人はとても暖かい。この暖かさは人間の特権だと私は思う。
暖かい日差しを遮る物は何もない。雲ひとつ無い快晴が広がっていた。
風は冷たい冬の風なのに。微笑ましい光景を眺めてるせいか?はたまた初春の暖かい日差しのせいか?
心身ともにぽかぽかと心地良い温もりが包む。
程なくして最後の子供達が母に連れられて帰路につくと同時に、広場の入り口に待ち人が現れた。
「汝」は私の姿を見ると、小走りに駆け寄ってくる。
トクンッ
鼓動が一つ高鳴った。
頬が紅潮するのがわかる。
やがて私の目の前まで来た「汝」は私の横に腰をかける。
「~~~~~~~~」
「い、いや。私も今来たところだ。気にするな」
そう言うと屈託の無い笑顔を私に向けてくれる。
ちくん
抜けた筈の心の棘はまだ潜んでいたらしい。その笑顔を見て罪悪感が膨れ上がる。
私は嘘を付いている・・・
告げなければ、本当の事を・・・
謝罪しなければ、嘘をついた事を・・・
私の心は早くしろとそれを掻き立てる。自分もそれを解っている。
しかし言葉は出ない。口は喉の奥からどんどん乾いていく。
何を今更迷う必要があるのだ。自分と誓った筈では無いのか?
最良の選択では無い。だが最大の過ちを犯さない為に・・・
「~~~~~~~~?」
はっ
我に返る。
どんな顔をしていたのだろうか?私を見て「汝」が不安そうに声をかけてくる。
「なんでもない、大丈夫だ。それよりも腹が減っただろ?今日の弁当は自信作だ。」
巾着から箸と弁当箱を取り出し膝の上置く。
そして弁当の蓋を開けると中を覗き込んだ「汝」が驚いたような、びっくりしたような顔を見せる。
俵型のおにぎり、小さい出汁巻卵、鶏の唐揚、肉団子の照焼、そして赤いたこのような物体。
それらが所狭しと、ぎっしり弁当箱に詰まっていた。
「~~~~~~~~~~!」
「・・自信作だと言っただろうに。恥ずかしいから世辞など言うな」
もう一つ、更に一つと鼓動が高くなる。頬から耳へ、更に熱が伝わる。
なんだ、病にでも冒されているのか・・・?
この感情がなんだか自分には解らない。ならば妹紅という親友もいるし聞けばいいのだが。
口に出すことがすごく恥ずかしいと思う。何故だかすごく躊躇われる。
何故なのか?
疑問が生まれ、それの答えを探す為にさらに疑問が生じて行く。
疑問にぶつかる度に鼓動は跳ね、頬が熱くなる。
病魔かと思えるような症状なのに決定的にそれと違うところがある。
この感覚は決して嫌な物ではないのだ。それどころか心のどこかでこうなる事を望んでいる自分もいる。
この感情がなんなのか?自分はそれを知ることができるのか?知る日は来るのだろうか?
私は幾度と無くこんな疑問を自分にぶつけて来た。「汝」に出会ってからずっとだ。
自分から生まれる答えはいつも決まっていた。
知る必要はない。解る時が来るまで解らなくてもいい。
何故なら今、この瞬間が、解らない事が。とても心地良いのだ。
ふと、気がつく。
これは「汝」の為に私が作ったお弁当。
なのに何で自分の膝の上で私が蓋を開いて、私が箸を持ってるのだろうか。
考え事と激しい鼓動で、気が動転してたのだろうか?
ふと「汝」の顔を見る。
弁当の中を覗き、ひたすらに感嘆の声を上げる「汝」を見て、考えるよりも体が動いてしまった。
私は手に取った箸で弁当の中から、今日一番の自信作を摘みあげる。
滑って落としてはいけないのでそっと左手を添えて「汝」と向き合う。
「・・・あーん」
顔から火が出そうなほど頬の温度が上がった気がした。
表情だけは平静を装う。
恥ずかしそうな、でもとても嬉しそうな笑顔で「汝」は口を開ける。
そこに本日最高の自信作「たこさんウィンナー」をそっと舌の上に置いて箸を引く。
「汝」がそれを頬張り、目を閉じて味わっている。
私はそのままの姿勢で硬直していた。
傍から見ればかなり間抜けな格好で私はその目が開くのを待っていた。
味付けは大丈夫だろうか・・・何の形かわかってくれただろうか・・・
時間にして数秒。しかし私にはとても長い時間待っていた気がした。
やがて「汝」は目を開けて、私の左手を取り、心配そうな顔を作って私を見た。
「~~~~~~~~~」
「っ!・・そんな、たいした事は無い。少し切っただけだ」
思わず目を逸らして私は顔を伏せる。今の顔は見られたくない・・・!
頬が緩むのがわかる、表情を保ってられないほど、みっともなくにやけてしまうほど、私は喜んでいる。
そんな顔を隠すように私は俯き、マフラーに深く顔を埋めて呟く
「あっ・・後は自分で食べられるだろう」
最後など普通の人間なら聞き取れないほどの小さい声だった。
そして弁当箱と箸を「汝」に押し付けて、私は膝を抱えて額を膝に押し付ける。
髪の間からちらりと「汝」を盗み見る。
とても美味しそうに、とても幸せそうに次々と弁当の中身をたいらげていく。
だめだ、頬の緩みが止められない。何故こんなに幸福を感じているのか。
欺いていることを、まだ伝えてもいないのに、何を喜んでいるのか。
ちくり
心が痛む。
隣では見なくてもわかる程の暖かい気持ちが舞っている。
そんなに喜んでくれている。その喜びが伝わってくるかの様に私も喜んでいる。
偽りではないのか?
心に影が差す。
真実を告げ無い方が幸せではないのか?
心が闇に包まれる。
駄目だ、そんなのは絶対に駄目だ。
私は自分との約束も守れないのか?
ばれたからどうだと言うのだ?嘘が露呈した歴史(じじつ)を喰えば良いだけではないのか?
醜い妖怪(じぶん)が現れる瞬間だった。
私は妖怪だ。人間には無い力がある。知識と歴史の幻獣ハクタクの能力。
歴史を喰う能力。
私は人間ではない。人として生きる必要など無い。喰ってしまえば良いのだ。
違う・・・違う、違う違う違う違う違う違う違う違
う違う違う違う違う違う違う違う違うちがうちがうち
がうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうち
がうちがうチガウチガウチガウチガウチガウチガウチ
ガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウ!
妖怪の本性たる自分を必死に押し殺す。
本能すら押し殺してまで保たねばいけない、守らなければいけない。
この気持ちは何なのだろうか?まだ解らない。
しかし解りかけている、自分の全てをかけてでも、「汝」との歴史(じかん)を喰らっていいはずが無い。
暗く、闇く、醜い自分を必死に押さえつける。
必死さの余り涙が流れる、体が震える、嗚咽が漏れる。
それでも耐える、負けることは死を意味する位の覚悟で本能に抗う。
ぽん・・・
暗い本能(もの)が、一瞬で無くなる温もりが頭に広がる。
何かなんて考えるまでも無かった。
「汝」は私の頭をそっと撫でながら何も言わずに優しい、とても優しい目で私を見てくれた。
その目はとても私のことを心配している。
その目は心配していると判ると強がる私を知っている。
だからその目はとても優しく、とても暖かく私を見つめている。
「汝」の手はとても優しく、とても暖かく私を撫でる。
何があっても大丈夫、どこへも行ったりしないよ。
大丈夫だから、何も怖がらないで?
心にそんな言葉が染み込んで行くのが判る。
頭を撫でる手が、優しく見つめる目が、口を使わずして言葉を伝える。
否、言葉なんかではない。それは意識。それは気持ち。
今の私の顔はきっと人前に出れないほどくしゃくしゃだろう。
だから私は「汝」にお願いをした。
-しばらく後ろを向いてて-
呟くように、擦れるような声で口に出したかもしれない。
蝶が羽ばたく音よりも小さな声、でも確信があった。
きっと届いてる、絶対に届いてる。
外れようも無い確信。「汝」はぽんぽんと頭を優しく叩きしっかりと頷いた。
そして私に背を向け立ち上がり、大きく深呼吸をする。
私は「汝」の背中にしがみつき、額を押し付けて泣いた。
「うぅ・・ひっく・・・うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん」
堰を切ったように泣きじゃくった。恥など無い。
「汝」は私を拒絶したりしない。
今日の嘘だけじゃない。私の全てを語っても、「汝」はそばに居てくれる。
嬉しかった。
先ほどの冷たい、本能(じぶん)と戦って傷を負って流れる冷たい涙では無い。
この世界に誕生して、初めて知ったとてもとても暖かい涙だった。
「慧音」
ふっと名前を呼ばれる。
嗚咽は止まらないものの、流れる涙は落ち着いて、声の主を見る。
肩越しに「汝」がこちらを振り返っている。
目と目が合う・・・
とても、とても優しい目が私を見つめている
「~~~~~~~」
「えっ・・・・?」
止まっていた涙が再び溢れ出す
やっと、やっと解った。
いや、知っていたけど知ることを恐れていたのだ。
知ってしまえば後に戻れなくなる。それをすでに知っていた。
だから知らないと、思い込んでいた。
妖怪である自分に、知る権利はないと思っていた。
そんな感情を持っていいと思わなかった。
だが今「汝」ははっきりと言ってくれた。嘘ではない。偽りではない。
私はしっかりと「汝」を抱きしめる。
今まではできなかった、したくても妖怪である自分を抑えていた。
だがもう必要ない。氷に閉ざされた壁は「汝」が溶かしてくれた。
もうこの想いを、阻む壁は何も無かった。
きつく、とてもきつく「汝」を抱きしめて私も応える。
「私も・・・」
~閉幕~
世界は全ての物に平等である。
冬は全ての物を凍てつかせ、絶望を与え、全てを奪おうとする。
春は厳しい冬を耐え切った物に対して平等に恵みを与える。
世界は全ての者に平等である。
仮令、人間だろうとも、妖怪だろうとも、人形だろうとも、他の者を愛する権利を持っている。
叶わない愛も確かに存在する。報われない愛だって多数在る。
しかし逆も叱り。
仮令自分が何者だろうとも、世界は全ての者に平等である。
妖怪だからと言って愛が叶わぬ道理は無いのである。
世界は平等である。
時には全ての物に破壊を与える。
時には残酷にも、かの者を奪う。
不死の存在なれど、世界の公平さには敵わない。
故に世界は平等なのだ。
それは、神がもたらす恵みのごとく、されど万物全てに等しく平等に。
そう、狂おしいほどに、余りに無慈悲にそれは平等なのである・・・
某日、悠久幻想詩 題:無垢なる混沌 藤原妹紅―
カタリ、と筆を置く。
「そう、世界は等しく平等なのよ・・・悲しいほどにね・・・」
広場の片隅で本を閉じ呟く。
彼女の視線は「汝」の背中で泣く慧音を捕らえていた。
とても深い、深すぎるほどの悲しみの目で・・・。
To be continued.....................................................................
そう、狂おしいほどに、余りに無慈悲にそれは平等なのである・・・
詩集、悠久幻想詩 無垢なる混沌より抜粋
第一幕:平等な恵み
~開幕~
どの世界にも等しく朝はやってくる。
冥界も魔界も、もちろん幻想郷にも平等にそのときは来る。
朝日があがってまもなく幻想卿にある小さな人里に住む、人にして人に在らざる彼女の一日は始まる。
「うーん・・・」
ひとつ大きな欠伸をしつつ、ゆっくり頭と身体を覚醒させてゆく。
横の布団にはまだ寝息を立てている「汝」がいる。
「・・ふふ」
不思議だ、少女はそう思う。
私の半分は幻想郷の全ての歴史を知り、この世のあらゆる知識を識る幻獣ハクタク。
半分とはいえ化け物の自分をこうさせてくれる「汝」の存在、「汝」に対するこの感情。
それだけが自分の知りえない、唯一の知識だ。
しかし知りえない事が不快ではない、むしろ心地良い。
全てを識る妖怪である筈の自分が知らないことを黙認できる。
この事実を受け入れている自分はハクタクとして失格なのかもしれないなと思う。
しかしもう半分、人としての自分がそれを受け入れ、許容し、高揚する。
「汝」の寝顔を見て心穏やかになる自分を感じながら、私「上白沢 慧音」の1日は始まる・・・
~前之巻~
ぐつぐつぐつ・・・
仕事柄か「汝」は少し普通の人より朝が早い。
その為、私はさらに早く起きて朝食の用意をする。
私の作る飯は美味いな。そういって「汝」は毎回食事をしてくれる。
知識の中に食事を作る知識もある。どの国の料理のレシピももちろん知っている。
私はハクタク。知らぬ知識は無い妖怪なのだ。
だが、知識があるからと言って美味い食事が作れるわけでは無い事がやってみて始めてわかった。
もちろん食えないような物を作るわけではない、しかしながら失敗とはいかに知識があっても付き纏うものなのだ。
絶妙な珍味と化した食事も少なくない。「汝」はそんな食事でも美味いと笑顔で答えてくれる。
そんな「汝」に応えたく始めたこの朝食作りだが、なるほどやってみると楽しいものである。
私の作った食事を食べて笑う「汝」。その笑顔を見た後に摂る食事は、一人で食べるよりも何倍も美味い。
何故だかはわからない。だが心地良い。不思議だ・・・
小皿に味噌汁を少し取って味をみる。
「うん、味噌汁はこれで良い、他の物もできてるし・・・後は・・・」
火を止めて、私は寝所に向かう。
寝所にはまだ寝息を立てる「汝」があいも変わらず幸せそうな寝顔で布団に包まっている。
「ふぅ、しかたないな」
「汝」が仕事に出かけるのにあまり時間に余裕があるとはいえない。
しかし急いで起こす時間でもない、そんな微妙な時間
「おい、そろそろ起きろ。遅れるぞ」
私は布団越しに「汝」を揺すりながら声をかける。だが「汝」がこの程度で起きる筈がない。
幾度と無く経験した最早朝の行事となっている行為の一つだ。
私はすぅっと息を吸い込み、掛け布団に手をかけた。
そしてそれを一気に剥ぎ取りながら半ば叫び声に近いほどの大声で「汝」に呼びかける。
「さっさと起きんか与太郎が!味噌汁が冷める!」
がばぁ!っと布団を剥ぎ取り腰に手をあて覗き込むように「汝」を見つめる。
全く毎朝同じ事をしているのに、決まって同じきょとんと、それでいてびっくりした一言でいうと間抜けな顔で私を見る「汝」。
「~~~~~~~」
「あぁ、おはよう。まったく毎朝毎朝・・・」
寝起きの「汝」決して整ってるとは言えない顔だが、その朝の挨拶の声に不思議と頬が緩む。
「早く顔を洗って食卓に来い、朝食はもうできている」
私の性格だろうか、不機嫌な声の割りに心は高揚している。
だが表には出さない。少なくとも自分では出していないつもりらしいのだが「汝」には不機嫌でないのが伝わるらしい。
何故「汝」にはばれるのだろうか?
「汝」が寝所を出て行くのを見届け、私は居間で食事の準備を進める。
飯を茶碗によそい、焼き魚に大根おろしを盛り、食卓に並べる。
そうしてるうちに「汝」がいつもの席に着くのを見て、味噌汁の鍋を持ってくる。
「今味噌汁を注ぐので先に食べていろ、時間もあまり無い」
私は「汝」の椀に味噌汁を注ぎ、手渡す。
食事の時間はいつも静かだ。朝の雀の鳴声、かちゃかちゃという食器の音、茶碗を食卓に置く音
「~~~~~~~~~~」
「ふむ、そうか」
「~~~~~~~」
「ふふ・・そうだな」
ゆっくりとした時間が流れる。食事をとりながらふと「汝」を見る。
短い会話をしながら一生懸命に食べる「汝」。
その一挙一動を観察したい衝動に駆られる。
意思に反して私は黙々と食事をこなす。何故こんな些細なことを我慢するのか。
否、我慢ではない。したくともできないのだ。
何故?それはわからない。しようとすると頬が火照り俯いてしまう。
依然酷く火照った時に、風邪かと心配された。「汝」に心配をかけるのは酷く心が痛んだ。
しかし意識すればするほど火照ってしまうので最近はそういった欲求を我慢する事にした。
我ながらなんと矛盾した感情だろう。
やがて「汝」は食事を終え、台所に行こうとする・・・
まずいっ!
「ど、どうしたっ?!茶ならここにあるぞ!」
私の感は当たっていたようだ。「汝」がびっくりしながらも茶の入った湯飲みを私から受け取りそれを飲み干し、出勤の支度を始める
思いのほか声が大きくなってしまったが「汝」は特に気にしたそぶりも無かった。
私は「汝」の鞄を用意し玄関まで送り出す。
「忘れ物はないか?ハンカチは?ちり紙は?」
「汝」は子ども扱いするな優しく笑う。
「ふふ、それもそうだな。では頑張って来い」
そしてふと重要な事を伝えてないことに気がつく。
「あー・・昼食なのだが・・今朝は起きるのが遅くてな、間に合わなかったのだ。
それで今から作って昼食時までには持っていくので、心配せずに待っていてくれ」
ちくっっと良心が痛む。くだらない嘘。ほんの些細な事なのに何故こんなに胸が痛むのか。
「汝」に嘘を付くというのが小さな棘になり、心にちくりと刺さる。
「~~~~~~~」
「うぅ・・たまにはそう言う事もある。そう苛めるな」
「~~~~~~」
「あぁ、気をつけてな。いってらっしゃい」
手を振り出て行った「汝」の背中を見つめ、ふぅ・・とため息を一つ。
寝所で「汝」の布団をたたみ、心に刺さった棘の原因を考える。
「・・・ふぅ、馬鹿馬鹿しい」
そう、本当に小さな小さな嘘である。もし露呈しても責められることなど絶対に無い。
自分が同じ嘘をつかれていたら、それが露呈したとしたら、その事で相手が心を痛めていたと知ったら。
笑うだろうな。漠然とそう思う。
しかし欺いてしまった事実は、心に刺さった棘はそんな事を思っても抜けないようだ。
何故?もっと深い理由があるんでは無いのか?
私は暗くなる気持ちを止めて、自分のためにも、そして「汝」の為にもその棘の原因をかたづける為に台所に向かった。
~中之巻~
「痛っ・・・」
何度目だろうか。包丁を置き、指を口に含む。
身が入ってない証拠なのだろう、ちゃんとやっているつもりではあるのだが。
先ほどの玄関でのやり取りが思い出される。
~あー・・昼食なのだが・・今日朝起きるのが遅くてな、間に合わなかったのだ。
くだらない、実にくだらない。正直に言っても「汝」は咎めたりしないだろう。
切った箇所に絆創膏を巻き、また包丁を持ち直す。
頭ではわかっているのに、全然言えない。今朝の朝食のとき「汝」の素振りを観察したくともできないのと同じ感情だった。
「ふぅ・・・」
何度目のため息だろうか。それでも黙々と作業はこなして行く。
他に気を取られていても、手を動かせばいずれは終わる事である。
程なくして弁当は完成し、私は自分で作ったお手製の巾着に弁当を詰める。
時間を確認するがまだ昼食には早い時間だ。
ふと外を確認するとかなりの快晴である。ここ最近雪が多かったのでこんなに気持ちのいい青い空を見るのは久しぶりかもしれない。
「よし、布団でも干すか」
昼食前の腹ごなしにはちょうどいいだろう。
そう思い、畳むだけでしまっていなかった布団を縁側にもって行き物干し竿に次々に掛けてゆく。
最初は冷たい風に身震いもしたが、なかなかの重労働である。
なにせ今は冬なので厚手の布団だ、はっきり言って重い。何回も往復するうちに額に汗が滲むほどだ。
なのに何故だろう、全く苦にならない。それどころかすごく楽しい。無意識に鼻唄など歌ってみる。
全てを干し終わるころには肩で息をする程疲れていた。
妖怪と言っても女の腕力なので無理も無い。
一休みと茶をすすり、時計を見上げるといい時間だった。
今の今まで寝巻きだったので、さっと着替える。
一番お気に入りのワンピースに寒いので厚手の黒いストッキングを履く。
さらに毛糸のマフラーと手袋をつける。身につけながら妹紅に感謝する。
寒さから身を守るただの防寒具では無い。
妹紅が私の為に編んでくれた、人の温かみがする大事な宝物だった。
玄関で靴を履き一歩外へでる。一休みして落ち着いたせいか、先ほどより風が冷たく感じる。
手には「汝」のお弁当の入った巾着を持ち、首には親友の暖かみを感じる。
不思議とさっきよりも風は冷たいのに、とても暖かかった。
「よぉし、行くとするか」
そして歩き出す私の顔は他の人から見ればどう写ったのであろう?
心は今日の快晴のように晴々と、そして暖かい気持ちで一杯だった。
しかしそんないい気分もそう長くは続かない。
家が見えなくなって程なくして、ふと心がちくんっと痛んだ。
はっきり言って今日のお弁当は力作だ。指の絆創膏の数がそれを物語っていた。
「汝」は一体どんな顔をするだろう?喜んでくれるだろうか?
こんなにも力を入れて作ったお弁当を・・・
ドウシテ、コンナニモ、チカラヲイレテ、ツクッタノカ
気がついてしまった。思い出してしまった。
真っ白な和紙に一滴の墨汁がしみを広げるように、快晴だった心に雲が差す。
傍から見ても元気に浮かれて歩いていた歩幅が、止まりはしないものの勢いを失っていく。
そうだ・・・私は嘘をついてるんだった・・・。
罪滅ぼしのつもりで、無意識のうちに頑張っていたのかと自覚する。
そんな物が喜んでもらえるのだろうか?いつもの笑顔で受け取ってくれるのだろうか?
黙っていればわからないさ。そんな些細な嘘、咎められないさ。
いろんな都合のいい思考が渦巻く。
心に差していた雲が、より深く、より暗く立ち込める。やがて心に不安の嵐が渦巻く。
嵐はやがて心に後悔という雷を打ち込む。
何故、私は、嘘をついたの?
どうして、しょうじきに、いえなかったの?
ジブンナラ、ワライトバスト、ジブンデイッテイタ、コンナクダラナイウソヲ、ドウシテ?
それでも歩みは止まらない。朝、お弁当を持って行くと約束した。
目には薄く涙が溜る。
大事な約束。「汝」との約束。
嘘までついて、約束をも破ったら嫌われてしまう。
嫌われる・・・?
ビクンッ!と全身が跳ねる。歩みが止まる。
溜っていた涙が一筋だけ流れる。
その一筋で知った。自分がどうすればいいか。
何故かはわからない。それが最良だとも思えない。
「全部話して・・・謝ろう」
声に出して、考えを形にする。自分と約束を交わす。
言わなければばれないだろう。ほぼ確実に、99%。
でも、もし1%が当たってしまったら?
ここで歩みを止めて、約束を守れなかったら?
最良の選択なんて私にはわからない。
でも、全部正直に話して謝れば「汝」は許してくれる。
確信があった。何故かはわからない。わからないのに確実。
全てを知る獣たる私が、何たる矛盾だろう。
しかしその確信が「嫌われてしまうという最悪の結果」を回避する。
嫌われる事が、この世の終わりにも思えた。
そう思った理由はやはり解らない。理解できない。
しかし感情がそう訴えてくる。
流れた一筋の涙が雫になって落ちた。
それが土に吸い込まれて無くなった時、心の中の嵐は去っていた。
涙を拭ったその顔は、家をでて間もない時の、期待に満ち溢れた笑顔だった。
~後之巻~
私は待ち合わせの場所である「汝」の勤め先の近くの広場に到着した。
時間的にはそろそろ昼食時である。
広場には数人の子供達が今の今まではしゃいで遊び、時刻もあり母達に昼食の為呼ばれて帰っていく。
そんな光景が広がっていた。
馴染みのベンチに腰をかける。まだ遊んでいる子供達。母と手を繋ぎ帰路につく親子。
なんとも微笑ましい。
この身は半獣なれど、私は人間が大好きだ。
人はとても暖かい。この暖かさは人間の特権だと私は思う。
暖かい日差しを遮る物は何もない。雲ひとつ無い快晴が広がっていた。
風は冷たい冬の風なのに。微笑ましい光景を眺めてるせいか?はたまた初春の暖かい日差しのせいか?
心身ともにぽかぽかと心地良い温もりが包む。
程なくして最後の子供達が母に連れられて帰路につくと同時に、広場の入り口に待ち人が現れた。
「汝」は私の姿を見ると、小走りに駆け寄ってくる。
トクンッ
鼓動が一つ高鳴った。
頬が紅潮するのがわかる。
やがて私の目の前まで来た「汝」は私の横に腰をかける。
「~~~~~~~~」
「い、いや。私も今来たところだ。気にするな」
そう言うと屈託の無い笑顔を私に向けてくれる。
ちくん
抜けた筈の心の棘はまだ潜んでいたらしい。その笑顔を見て罪悪感が膨れ上がる。
私は嘘を付いている・・・
告げなければ、本当の事を・・・
謝罪しなければ、嘘をついた事を・・・
私の心は早くしろとそれを掻き立てる。自分もそれを解っている。
しかし言葉は出ない。口は喉の奥からどんどん乾いていく。
何を今更迷う必要があるのだ。自分と誓った筈では無いのか?
最良の選択では無い。だが最大の過ちを犯さない為に・・・
「~~~~~~~~?」
はっ
我に返る。
どんな顔をしていたのだろうか?私を見て「汝」が不安そうに声をかけてくる。
「なんでもない、大丈夫だ。それよりも腹が減っただろ?今日の弁当は自信作だ。」
巾着から箸と弁当箱を取り出し膝の上置く。
そして弁当の蓋を開けると中を覗き込んだ「汝」が驚いたような、びっくりしたような顔を見せる。
俵型のおにぎり、小さい出汁巻卵、鶏の唐揚、肉団子の照焼、そして赤いたこのような物体。
それらが所狭しと、ぎっしり弁当箱に詰まっていた。
「~~~~~~~~~~!」
「・・自信作だと言っただろうに。恥ずかしいから世辞など言うな」
もう一つ、更に一つと鼓動が高くなる。頬から耳へ、更に熱が伝わる。
なんだ、病にでも冒されているのか・・・?
この感情がなんだか自分には解らない。ならば妹紅という親友もいるし聞けばいいのだが。
口に出すことがすごく恥ずかしいと思う。何故だかすごく躊躇われる。
何故なのか?
疑問が生まれ、それの答えを探す為にさらに疑問が生じて行く。
疑問にぶつかる度に鼓動は跳ね、頬が熱くなる。
病魔かと思えるような症状なのに決定的にそれと違うところがある。
この感覚は決して嫌な物ではないのだ。それどころか心のどこかでこうなる事を望んでいる自分もいる。
この感情がなんなのか?自分はそれを知ることができるのか?知る日は来るのだろうか?
私は幾度と無くこんな疑問を自分にぶつけて来た。「汝」に出会ってからずっとだ。
自分から生まれる答えはいつも決まっていた。
知る必要はない。解る時が来るまで解らなくてもいい。
何故なら今、この瞬間が、解らない事が。とても心地良いのだ。
ふと、気がつく。
これは「汝」の為に私が作ったお弁当。
なのに何で自分の膝の上で私が蓋を開いて、私が箸を持ってるのだろうか。
考え事と激しい鼓動で、気が動転してたのだろうか?
ふと「汝」の顔を見る。
弁当の中を覗き、ひたすらに感嘆の声を上げる「汝」を見て、考えるよりも体が動いてしまった。
私は手に取った箸で弁当の中から、今日一番の自信作を摘みあげる。
滑って落としてはいけないのでそっと左手を添えて「汝」と向き合う。
「・・・あーん」
顔から火が出そうなほど頬の温度が上がった気がした。
表情だけは平静を装う。
恥ずかしそうな、でもとても嬉しそうな笑顔で「汝」は口を開ける。
そこに本日最高の自信作「たこさんウィンナー」をそっと舌の上に置いて箸を引く。
「汝」がそれを頬張り、目を閉じて味わっている。
私はそのままの姿勢で硬直していた。
傍から見ればかなり間抜けな格好で私はその目が開くのを待っていた。
味付けは大丈夫だろうか・・・何の形かわかってくれただろうか・・・
時間にして数秒。しかし私にはとても長い時間待っていた気がした。
やがて「汝」は目を開けて、私の左手を取り、心配そうな顔を作って私を見た。
「~~~~~~~~~」
「っ!・・そんな、たいした事は無い。少し切っただけだ」
思わず目を逸らして私は顔を伏せる。今の顔は見られたくない・・・!
頬が緩むのがわかる、表情を保ってられないほど、みっともなくにやけてしまうほど、私は喜んでいる。
そんな顔を隠すように私は俯き、マフラーに深く顔を埋めて呟く
「あっ・・後は自分で食べられるだろう」
最後など普通の人間なら聞き取れないほどの小さい声だった。
そして弁当箱と箸を「汝」に押し付けて、私は膝を抱えて額を膝に押し付ける。
髪の間からちらりと「汝」を盗み見る。
とても美味しそうに、とても幸せそうに次々と弁当の中身をたいらげていく。
だめだ、頬の緩みが止められない。何故こんなに幸福を感じているのか。
欺いていることを、まだ伝えてもいないのに、何を喜んでいるのか。
ちくり
心が痛む。
隣では見なくてもわかる程の暖かい気持ちが舞っている。
そんなに喜んでくれている。その喜びが伝わってくるかの様に私も喜んでいる。
偽りではないのか?
心に影が差す。
真実を告げ無い方が幸せではないのか?
心が闇に包まれる。
駄目だ、そんなのは絶対に駄目だ。
私は自分との約束も守れないのか?
ばれたからどうだと言うのだ?嘘が露呈した歴史(じじつ)を喰えば良いだけではないのか?
醜い妖怪(じぶん)が現れる瞬間だった。
私は妖怪だ。人間には無い力がある。知識と歴史の幻獣ハクタクの能力。
歴史を喰う能力。
私は人間ではない。人として生きる必要など無い。喰ってしまえば良いのだ。
違う・・・違う、違う違う違う違う違う違う違う違
う違う違う違う違う違う違う違う違うちがうちがうち
がうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうち
がうちがうチガウチガウチガウチガウチガウチガウチ
ガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウ!
妖怪の本性たる自分を必死に押し殺す。
本能すら押し殺してまで保たねばいけない、守らなければいけない。
この気持ちは何なのだろうか?まだ解らない。
しかし解りかけている、自分の全てをかけてでも、「汝」との歴史(じかん)を喰らっていいはずが無い。
暗く、闇く、醜い自分を必死に押さえつける。
必死さの余り涙が流れる、体が震える、嗚咽が漏れる。
それでも耐える、負けることは死を意味する位の覚悟で本能に抗う。
ぽん・・・
暗い本能(もの)が、一瞬で無くなる温もりが頭に広がる。
何かなんて考えるまでも無かった。
「汝」は私の頭をそっと撫でながら何も言わずに優しい、とても優しい目で私を見てくれた。
その目はとても私のことを心配している。
その目は心配していると判ると強がる私を知っている。
だからその目はとても優しく、とても暖かく私を見つめている。
「汝」の手はとても優しく、とても暖かく私を撫でる。
何があっても大丈夫、どこへも行ったりしないよ。
大丈夫だから、何も怖がらないで?
心にそんな言葉が染み込んで行くのが判る。
頭を撫でる手が、優しく見つめる目が、口を使わずして言葉を伝える。
否、言葉なんかではない。それは意識。それは気持ち。
今の私の顔はきっと人前に出れないほどくしゃくしゃだろう。
だから私は「汝」にお願いをした。
-しばらく後ろを向いてて-
呟くように、擦れるような声で口に出したかもしれない。
蝶が羽ばたく音よりも小さな声、でも確信があった。
きっと届いてる、絶対に届いてる。
外れようも無い確信。「汝」はぽんぽんと頭を優しく叩きしっかりと頷いた。
そして私に背を向け立ち上がり、大きく深呼吸をする。
私は「汝」の背中にしがみつき、額を押し付けて泣いた。
「うぅ・・ひっく・・・うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん」
堰を切ったように泣きじゃくった。恥など無い。
「汝」は私を拒絶したりしない。
今日の嘘だけじゃない。私の全てを語っても、「汝」はそばに居てくれる。
嬉しかった。
先ほどの冷たい、本能(じぶん)と戦って傷を負って流れる冷たい涙では無い。
この世界に誕生して、初めて知ったとてもとても暖かい涙だった。
「慧音」
ふっと名前を呼ばれる。
嗚咽は止まらないものの、流れる涙は落ち着いて、声の主を見る。
肩越しに「汝」がこちらを振り返っている。
目と目が合う・・・
とても、とても優しい目が私を見つめている
「~~~~~~~」
「えっ・・・・?」
止まっていた涙が再び溢れ出す
やっと、やっと解った。
いや、知っていたけど知ることを恐れていたのだ。
知ってしまえば後に戻れなくなる。それをすでに知っていた。
だから知らないと、思い込んでいた。
妖怪である自分に、知る権利はないと思っていた。
そんな感情を持っていいと思わなかった。
だが今「汝」ははっきりと言ってくれた。嘘ではない。偽りではない。
私はしっかりと「汝」を抱きしめる。
今まではできなかった、したくても妖怪である自分を抑えていた。
だがもう必要ない。氷に閉ざされた壁は「汝」が溶かしてくれた。
もうこの想いを、阻む壁は何も無かった。
きつく、とてもきつく「汝」を抱きしめて私も応える。
「私も・・・」
~閉幕~
世界は全ての物に平等である。
冬は全ての物を凍てつかせ、絶望を与え、全てを奪おうとする。
春は厳しい冬を耐え切った物に対して平等に恵みを与える。
世界は全ての者に平等である。
仮令、人間だろうとも、妖怪だろうとも、人形だろうとも、他の者を愛する権利を持っている。
叶わない愛も確かに存在する。報われない愛だって多数在る。
しかし逆も叱り。
仮令自分が何者だろうとも、世界は全ての者に平等である。
妖怪だからと言って愛が叶わぬ道理は無いのである。
世界は平等である。
時には全ての物に破壊を与える。
時には残酷にも、かの者を奪う。
不死の存在なれど、世界の公平さには敵わない。
故に世界は平等なのだ。
それは、神がもたらす恵みのごとく、されど万物全てに等しく平等に。
そう、狂おしいほどに、余りに無慈悲にそれは平等なのである・・・
某日、悠久幻想詩 題:無垢なる混沌 藤原妹紅―
カタリ、と筆を置く。
「そう、世界は等しく平等なのよ・・・悲しいほどにね・・・」
広場の片隅で本を閉じ呟く。
彼女の視線は「汝」の背中で泣く慧音を捕らえていた。
とても深い、深すぎるほどの悲しみの目で・・・。
To be continued.....................................................................
ということで、今後の展開にも期待が持てます
内容や展開も好きですし、がんばって欲しいです。