ここは夜ともなれば妖かしの跋扈する竹林。しかし全くもってこの場に相応しくない可憐な二人の少女が、その妖怪どもすら怯ませるほどの火花を散らせていた。
「遊びに来たわ、妹紅」
一人は蓬莱山輝夜。艶やかな黒髪を湛えた、いにしえの美姫。
「朝も早から暇なことね、輝夜」
もう一人は藤原妹紅。蒼く輝くような髪の、復讐に生きる徒花。
「その通りよ。あなたでも殺して暇をつぶさないと退屈で死んじゃうわ、死なないけどね」
輝夜はくすくすと邪気無く笑う。
これがこの女の怖いところだ、と妹紅は考えていた。虫も殺さないような顔をして、時に途轍もなく残酷なことをやらかす。にっこり笑って人を斬るとはこのことだろう。
とはいえ主に残酷な目に遭うのは妹紅である。単に自分に対する悪意が凄まじいだけかも知れないが、表情とやっていることが乖離しているやつはみんな邪悪だということにしていた。
そうなるとあの永遠亭は邪悪の巣窟である。つまり結局、輝夜は徹底的に邪悪だと結論付いた。本人が邪悪なら付き合っているやつも邪悪、ああ邪悪。
「だったら暇つぶしに今度は殺されなさいよ。私が丁寧に火葬にしてやるわ、よく飛ぶようにね」
邪悪に立ち向かうには、気合い負けしてはならない。まずは気迫だ。
「あらあら、最近負けが込んでるのにそんなこと言っていいのかしらね。なら私は土葬にしてあげるわ、良く養分になるように」
またもや邪気のない満面の笑みを浮かべる。
「減らず口もそこまでよ」
そう言って妹紅は戦いに向け精神を煉る。もとよりこの身は不死以外にとるべきところなどはない。相手はその不死の呪いをこの身に与えた大本である。
そしてその恐るべき概念に相応しい、純粋に莫大な力を有する。
それに打ち克つ貯めに寄る辺となるのは、ただ身を尽くし、全力を尽くす精神のみ。
輝夜はいつもながらのその覚悟の表情に、喜ぶかのように眼を細める。
「それじゃあ始めましょうか」
不死の炎と不退転の覚悟。
五つの難題と永遠と須臾の力。
先陣を切ったのは妹紅が繰り出した呪符であった。雲霞の如く空間を占める、呪力で編まれた怨敵調伏の符。それは輝夜を滅ぼそうと、先を争うかのように殺到する。
しかし輝夜は平然としていた。わずかな隙間を縫い、当たるものは打ち払いさほど苦労することもなくその弾幕を抜けきると、お返しとばかりに純粋な力の雨を降り注がせる。
しかし妹紅もまた、焦りを見せることはなかった。弾の間隙を抜け、邪魔なものは炎で焼き払う。
ともに繰り出した弾幕は、木っ端妖怪など這々の体で逃げ出すほどのもの。だがそれも二人にとっては挨拶程度の価値しかないのか。
「ふん。鈍っているなんていうことは無いようね?」
永年の敵の手応えに妹紅は思わず笑みを漏らした。
輝夜の言を認めるのは癪であったが人には永すぎる年月を過ごすのに、楽しい殺し合いでもしていなくては無聊も治まらないというものだ。
「当然じゃない。まああなたは最初、人参みたいな炎しか生み出せなかったけどね」
その様子を思い出したのか、くすくすと輝夜は微笑む。
妹紅は本来常人であり、術士でもなんでもなかったのだ。その常人が術を扱えるようになるまでは血の滲むような努力があったはずだが、永琳という規格外が身近にいる輝夜にとっては冗談かと思ってしまうのも無理はなかった。
「せっ、千年も前のことを持ち出して笑うな! そう言うあんただって、一発ぶちかます度にぶっ倒れてた癖に!」
妹紅はお返しとばかりに輝夜の恥ずかしい過去を罵る。
実際に妹紅を吹き飛ばしたのはいいが、そのまま倒れて次の日永琳に発見されるまで竹林にマグロが二つ転がっていることもあった。力は強くとも、制御が行き届いているとは限らないのである。
「あっ、あれは有り余る才能を使い切れなかっただけよ! あなたみたいな風前の灯火と一緒にしないでよね!」
さすがに恥ずかしい思い出だったのか、輝夜は顔を赤くして反論する。
「風前の灯火かどうか、その足りない頭に刻み直してやるわ!」
「まあ火を噴くしか能のないあなたが、千年経って未だに灯火のままだったら可哀想すぎて泣けちゃうわね」
そう言われて妹紅は懐から二本のナイフを取り出す。
「火を噴くしか能がないのかどうか、とくと見るが良いわ!」
そう言って妹紅は二本のナイフを輝夜に向けて投げつける。
しかし素早く投げつけられたとは言っても、たかが二本。
「これがあなたの火を噴く以外の能?」
そうつまらなそうに言われながら避けられるのが関の山である。
千年もの間に磨かれた殺し合いに持ち込むほどのモノではない、そう輝夜は思い僅かに失望した。ならばさっさと目を覚まさせて楽しい殺し合いに引き戻すべく、輝夜は弾を放つ用意をする。
がその刹那、輝夜を背後から何かが襲った。何とか身をよじって回避したそれは、先ほど投げつけられた取るに足らないはずの刃。さらに思い出したかのように、もう一条の刃が輝夜めがけて殺到していた。
そのナイフを避けようとする輝夜であったが、その迂闊を一瞬悔やんだ。相手にすべきはナイフなどではなく、それを投げつけた当人であることを僅かに失念していたのだ。
死角から迫ったナイフに輝夜が気を取られた隙を、妹紅は見逃さなかった。呪を込めた弾は今度こそ輝夜を捉えた。
「どうよ、この呪は。三方からの攻撃に耐えられるか!」
妹紅の一撃は輝夜を捉えたが、まだ致命にはほど遠い。この機を逃すまいと妹紅はさらに攻撃の手を強める。
「確かに馬鹿にしたことは間違いだったわね。訂正するわ」
そう言って輝夜は心底、嬉しそうに笑う。この期に及んでも、まだ楽しむ余裕があるというのだろうか。あまりにも見えやすい真っ正面からの妹紅の攻撃と、対照的に死角から迫るナイフが輝夜を穿とうとしているというのに。
「でも私の力の前では無粋よ」
そう言って輝夜は笑みを消し、軽く腕を振りかざす。
ただそれだけで、ナイフと弾の雨は雲散霧消していた。いや、ナイフの名残だけは注意深く観察すれば見つかっただろう。ただし風化し朽ち果てた錆の粉と、先ほどまで鋭い刃として存在していたものを結びつけることが出来ればの話だが。
「嘘でしょ……」
己の術があまりにもあっさり破られたことに、妹紅は愕然とした。まさかこの女は千年もの間、手加減をしていたとでもいうのだろうか。
「一応言っておいてあげるけど。別に出し惜しみをしていたんじゃないわよ?」
つまらなそうにそう曰う輝夜に、妹紅は訝しげな顔を向ける。
「どういうことよ?」
「あなたの炎は曲がりなりにも不死の永遠。須臾へと打ち消したところで、ただの炎に立ち戻るだけよ。つまり火を噴くしか能のないあなたは、それだけで私の力を無効化していたって言う事よ」
それは妹紅にとって意外であり、複雑な事実だった。ただ炎を使うだけではいけないと思いほかの術にも着手していたが、それがそもそも無駄でありただ炎を使っている方がマシであるとは。
「そんな事わざわざ教えるなんて、敵に塩でも送ったつもり?」
己の愚かさと相手のふざけた態度に妹紅は歯噛みする。
「ふふ、敵だなんて。あなたがつまらないガラクタに堕ちないよう、おもちゃの手入れをしてあげてるだけじゃない」
「嘗めるな! 私の不死鳥の灼熱を思い出させてやるわ!」
妹紅は己を鼓舞せんと、高らかに宣言する。同時にその身からは、不死鳥を象る業火が舞い上がる。その炎はまるで、術者のその身を燃料として燃え上がるかのようであった。
否。
その炎はまさに術者を焼き尽くしながら燃える、捨て身の炎。その不死を活かし、己の限界をも超えた全力を行使する。それこそが藤原妹紅の真骨頂。
己を贄に業火を具現し、また炎の中より蘇る。不死鳥の炎を操るのが妹紅ではなく、妹紅こそが不死鳥であるのだ。
「それでいいわ、妹紅。つまらない術なら、ほかのやつにでも使ってやればいいの。私を焼く尽くしたいのならば、ただその炎を磨き上げるが良いわ!」
輝夜は五つの神宝の一つを掲げた。その名は仏の御石。決して砕けぬという意志を秘めた稀代の贋作。天才八意永琳が生み出した、姫を守護する鉄壁の盾。
しかし炎から身を守るのならば、なぜ火鼠の衣を用いないのか。それは耐火に特化した神宝であり、炎に対するのならば仏の御石を凌駕するはずであるというのに。
「燃え尽きろ! 輝夜ぁ!」
妹紅の身を焼き尽くしながら、ついに不死鳥が輝夜に向かい解き放たれた。獲物を焼き、喰らい尽さんと不死の鳳凰は輝夜に襲いかかる。
轟。
輝夜に喰らいつく不死鳥をその目で確認すると同時に、妹紅は己が生み出した炎の中で燃え尽きた。しかし妹紅をも焼き尽くした炎は、さらに輝きを増し不死鳥を象る。
不死鳥は甲高く鳴き、そして爆ぜる。その炎の中から現れたのは無傷の妹紅だった。炎の中に消え、そして炎の中より孵る。まさに不死鳥の姿だった。
「どうよ!」
輝夜に襲いかかった不死鳥は、未だ勢いをゆるめず燃えさかっている。対象を焼き、焦がし、燃やし尽くすまで不死の炎は消えはしない。今放った不死鳥は最近でも抜群の出来だ。如何に仏の御石が遮ったところで無事では済むまい。
「ふふふ。……あはははははは」
燃えさかる劫火の中から笑い声が響く。
不死の炎をまるで衣を脱ぎ去るようにして取り払い、輝夜が姿を現した。僅かに煤けたところなどはあっても、不死の炎を受けながらもその身は髪の毛一本傷ついては居なかった。
「さすがね、妹紅。いい炎だったわ」
普通ならば馬鹿にされたと感じるはずの言葉にこもるのは、嫌みを感じさせない手放しの賞賛。そして喜悦。だが妹紅には、そんなものを感じる余裕はなかった。己の唯一にして必殺の力が打ち破られたのだから。
しかしそれでも妹紅の心は折れはしない。まだ足りないのならば、さらに炎をかき集め燃え上がればいいのだ。もとより死ぬことのない身。限界など遙か昔に超えている。
ならば限界の限界を超え、さらに立ち塞がる壁を焼き尽くし、その遙か向こうまで行き着いてやればいい。
先の炎を超えてさらに深紅の炎は燃え盛る。不死鳥は生まれ死に、また生まれるたびに力を増す。
「今度こそ! 輝夜ぁ!」
「ついに念願の石焼きビビンバを手に入れたわ~」
……
「はぁ?」
あまりにも意味不明な言葉に、高まっていた炎がどこかに消え去った。
「石焼きビビンバって何よ?」
妹紅は惚けたように聞き返してしまう。決死の覚悟をもって戦っていたのだから無理もないだろう。
「石焼きビビンバを知らないの? 石焼きビビンバっていうのはね、石の器にご飯と具を……」
「石焼きビビンバが何か、っていうのを聞いてるんじゃ無いっつーの!」
あまりの意見のすれ違いに殺し合いの最中であったことも忘れて、妹紅は輝夜にくってかかる。当たり前だが妹紅は、断じて石焼きビビンバについての解説を求めたのではない。
「何で石焼きビビンバの話が出てくるのかって聞いてんのよ!」
「これよこれ~」
輝夜は手に抱えていた仏の御石を妹紅に傾けて見せた。なるほど仏の御石の中には具とご飯が詰まっており、焦げ目の香ばしさとジューシーな臭いを発していた。
「……ちょっとまさか。仏の御石で石焼きビビンバ作るためにここまで来たの?」
「そうよ?」
輝夜はなぜ当たり前のことを聞くのかという顔をした。
妹紅はふるふると震え出す。おそらく色々なものを堪えているに違いない。
「どうしたの? おなか空いた? 食べたいなら半分、分けてあげてもいいわよ」
「ふっざけんなーーーーーーーーーーーーーッ!」
寛大にも半分こしてもいいと言ってきた輝夜に、妹紅はフジヤマをヴォルケイノさせる。まあ当然だろうが。
だがあまりにも頭に血が上っているせいか輝夜を直接狙った弾ばかりで、ちょこちょこ避ける輝夜に掠りもしていない。それがまた妹紅をいらだたせ、さらに攻撃が単調になる悪循環。
「も~。早く家に帰ってご飯にしたいのに」
先ほど石焼きビビンバを永遠にして鮮度を保ったから問題ないのだが、やはり出来たら早く食べたいというのが人情と言うもの。そんな事のために永遠と須臾を操るな、と突っ込みが入りそうだが。
「しょうがないわね~。えい」
輝夜は懐をゴソゴソと探って、取り出したものを投げつける。それは妹紅に軽い音を立てて当たるとそのあたりに転がった。
「何よこれ……。っ! ゲホッゲホッ、ハックション!」
輝夜が投げつけたものから吹き出す煙に、咳、くしゃみ、涙ついでにかゆみに鼻水が止まらない。
「薬の八意新製品、催涙弾『空気の価値は』らしいわよ」
「グフッゲホッ、なんだそりゃー!」
ぺらりと薬の説明書きを取り出して、輝夜は律儀に読み上げる。
「唐辛子等の刺激物を中心に、種族的アレルギー誘発物質なども配合! 人妖生死を問わない効き目はすでに保証済みです。特定の対象をしていただいた場合はオーダーメイドも可能です。だって、良く効きそうねー」
「むきー! 馬鹿にしてー! ゲホックション!」
「石焼きビビンバのお礼置いていくから。じゃ、また殺し合いましょ」
お礼とやらを置いて輝夜はすたすたと去っていった。
「今回はずいぶんとこっぴどくやられたみたいだな、妹紅」
畳にぐったりと突っ伏す妹紅に笑い混じりで声をかけたのは、銀と青が混じり合った髪の少女。凛とした雰囲気を持つその少女、名を上白沢慧音という。
彼女たちの「遊び」を邪魔しないように影に控えていたようだ。彼女たちの殺し合いを見るようになって、もう永い。最初の頃は凄惨な応酬に戦慄したものだが、今やよほどのことでもない限りはあわてる事もない。
「はぁ。石焼きビビンバはないでしょ、石焼きビビンバは」
妹紅はため息混じりにぼやく。あの宇宙人は時々意味不明な行動を取ることがあったが、今回は飛び抜けて訳が分からなかった。石焼きビビンバなら普通に作れよ、と言いたい。
そしてもう一つ。
「それはともかく、今回の輝夜はずいぶんと強かったじゃないか。妹紅の炎が完全に防がれるなんて、最近は滅多になかったぞ? それに術のキレだけではなく、態度にも余裕があるように見えたしな」
少しまじめな顔をして慧音が言った、まさにそのことが気になっていた。
今日の輝夜には余裕があった。力に自信があったから余裕があったのか、それとも余裕が力を引き出したのか。どちらなのかは判然としなかったが、今日の殺し合いは間違いなく自分の負けとしか言いようがない。
「余裕かあ、オトコでも出来たのかしらね?」
何となく思いつき程度に妹紅は呟いてみる。
「何でそうなるんだ……。と言いたいところだが、まあ無いことではないのかも知れないな」
男女問わず連れ合いを持つことによって、良かれ悪かれ人柄が変化することはままある。まして輝夜はかつて断るのに苦労するほど、男性に言い寄られていたと聞く。
ならば恋人を得て落ち着くようになっても、さほど不思議なことでもないのだろうと慧音は思う。
「へっ。あんな性悪に惚れるなんてどんな間抜けかしらね。って父上も含まれるじゃない……」
言ってみてからそのことに気付き、妹紅は苦虫を噛み潰したような顔をする。
まあ自分のような不義の子を作ったり等を鑑みると、あまり女を見る目はなかったのかも知れない。当時の風潮ならば、身分の高い人間が複数の異性と関係を持つことは珍しくもなかったのだが。
父上もどうせなら後腐れのない相手に手を出せば良かったものをと思いつつも、結局はあの不甲斐ない父が好きだったのだろうと妹紅は考える。さすがに未だに父が掻かされた恥を根に持っているわけでもないが、不死に慣れるまでの数百年の間はそれがなければ保たなかったかも知れないとも思う。
本来は人間など、たったの百年を生きるかどうかの存在だ。その儚い存在が本当に不死に慣れるまでは、ずいぶんと苦しんだものだった。不死に慣れずに泣き叫んだ日々。不死に慣れようと感情をすり減らした日々。
いや、まだ慣れてきたばかりなのかも知れない。せいぜいが、ようやく生きているのが楽しくなってきた頃合いか。化け物ばかりが彷徨くこの幻想郷で不死に拘る必要など無いことは頭では判っているのだが、未だにこんな所に隠れ住むままだ。
「まあ、別に恋人が出来たと決まったわけでもないだろう。気になるんだったらそのうち聞いてみればいいじゃないか、直接行ってな」
そう慧音は提案してみる。妹紅はごろりと仰向けになりながら、
「あ~。そう言えば、こっちから殴り込みかけに行ったことは最近なかったわね。極悪薬師だの腹黒兎だの雇われ刺客だのは、よく押しかけてきたのに」
そう答えた。考えてみれば千年以上もいがみ合ってるのに、こちらから仕掛けたことはあまりなかった。
「くくく……。いいわねそれ。いずれカチコミかけてやるわ」
どうしようも無いほど目つきを悪化させて、妹紅は笑う。いろいろと妄想しているのか、なかなか不気味である。
「……まあほどほどにな。ところでそれはどうしたんだ?」
そう言って慧音が目をやったのは、テーブルの上に乗った奇妙な物体。人の拳ほどもある蛹のようなものである。
「ああ、それ? 輝夜がさっき置いていったのよ。ビビンバの礼とか言ってたけど……。って考えてみたら罠の可能性があるじゃない!」
妹紅は弾かれたように起きあがって叫ぶ。
「今頃気付くなよ……。でもまあ本当に礼のようじゃないか」
慧音は蛹のようなものを、手にとってしげしげと見つめる。
「そうなの? てっきり化け物でも孵化するんじゃないか、って今思ってたところなんだけど」
「それもあながち外れてはいないな。これは獣魔の卵のようだ。まあ使い魔の一種といったところか」
それを聞いて妹紅は首をかしげ、
「獣魔? 初めて聞いたわね、そんなの」
と疑問を口にした。最近不死の炎以外にもそこそこに術は学んでいたが、獣魔などというのはとんと聞いたことがなかった。
「当然だな。この手の術はほとんど妖怪の類しか使わない。発動が容易なのはいいんだが、人間が使うと精気を吸われすぎて大概は死ぬ。安全に使うことも出来るが、そうすると結局はほかの術と手間の差がない。むしろいたずらに危険なだけですらあるんだ」
慧音の言うところ結局、妖怪用の術であるということだろう。それでは妹紅が学んだ範囲にないのも当然のことだった。
「なるほど、人間には使えない妖怪用の術ね。あいつ流の皮肉かねぇ、これは?」
妹紅は自嘲するように嘯く。いちいち使うたびに死の危険を冒すような術は人間に向かない。だがその人間が死なない人間だったら。尽くしきれないほどの命を持っている化け物だったら。
今更さらに人間離れしたところで、どうだというのだ。そんなものとうの昔にどこかにおいてきている。
「お前は人間だよ、妹紅。お前が人間だと思う限りはな」
慧音の言葉がその思考を止めるように響く。こんなお節介者が近くにいるのに、いまだ詮無いことに悩むことがあるのは昔の悪癖だろうか。
「そうだったわね。人間らしくお腹が空いたなあ、そろそろ」
妹紅は上目遣いに慧音を見て、だいぶ直接的に食事をねだる。話題を変えたくもあったが、本当に空腹を感じてもいた。さすがに輝夜の石焼きビビンバに食欲をそそられた、とは口に出さないが。
「それじゃあ食事にしようか。今日は里で初物をもらったんだ。どうやら今年は、おかしな気候だった割には不作でもないようで良かったよ」
人里の平穏を本当に嬉しそうに慧音は語る。よほど人間が好きなのだろうが、いっそ人間以上に人間らしいくらいだ。人間みたいな者と、人間なのか疑わしい者。ずいぶんとおかしな二人が付き合いを持っているものだ。
一人でないのはとてもいい。生きているのが素晴らしく感じられる。
もちろんおいしい食事もだ。
永遠亭に爆音が鳴り響く。桃色の小さな影と、赤と青の二色に染まった影が、目にも留まらない速さで広い廊下を駆け抜けていく。
床を、壁を、戸を、天井を足場に、跳ねながら逃走する黒髪白耳の妖怪兎は因幡てゐ。
高速で飛行しながら、最短のコースでそれを追う銀髪の少女は八意永琳。
てゐ曰く「ちょっとしたお茶目」とやらから始まった追走劇であったが、いつの間にやらその様相は変化を遂げていた。
永琳が手を振りかざすと辺りの空気はたちまちのうちに毒に犯され、生者を抹殺する死の領域を生み出す。それに対してゐはすぐさま周りの空気に妖気をとけ込ませ、その毒を霧散させる。お返しとばかりにてゐが火炎の妖術を放てば、永琳の耐火の術がそれを遮る。
追いつ追われつしている間に気が乗ってきたのか、永遠亭丸ごとを戦場とした一大決戦と化していたのである。
てゐが壁を叩くと一体いつから仕掛けてあったのか、廊下の壁から竹の槍が降り注ぐ。てゐは追われながらも永琳を誘導し、望ましい場所へとおびき寄せていたのだ。
竹槍といってもご丁寧に妖力を通し、貫通力を高めた凶悪な品だ。ただの鉄辺りならば紙のように貫く。
しかしその死の雨が降り注ぐ範囲には、既に永琳は居なかった。まるで判っていたかのように飛行ルートを変えていた。
「迂闊ね、てゐ。その罠は四百年ほど前に使ったものでしょう。初見で通じなかったモノが、今更通じるとでも思ったのかしら?」
嘲笑いながら永琳はてゐを冷たく見据える。まさに既に知っていたのだ。四百年の歳月をもってしても記憶は鈍らず、また初見ですら致命的な罠を避けて見せたというのだ。やはり八意永琳はただ者ではない。
「いやいや、これは失敬だったあねえ。久々にこんなに楽しいのに、鈍ってたりされたら笑えないからさぁ」
普段は天使のように見せている笑いを引っ込め、てゐは本来のふてぶてしさをまとって笑う。初見で得たてゐの印象に騙されない者はまず居ない。特に必要はなくても常に騙せる機会を作っておく、それが因幡てゐの詐欺師スタイルである。
「私を試したというのね、てゐ?」
馬鹿にされたと感じた様子もなく、永琳は目を細めて笑う。まるでこれから来る刺激を待ちかねて身を震わせているかのようだ。
「でも私はわざわざあなたの確認をする必要はないわね。そのねじ曲がった性根が今更霧散するなんて、妄想の領域だものねえ?」
永琳はどこからともなく弦のない弓を取り出し、握りしめる。
てゐは合わせるように手に力を込めると、その爪を禍々しいかぎ爪へと変化させる。
そこにどたどたと、慌ただしい足音が聞こえる。走り寄ってきたのは薄紫の髪をしたブレザーを着てスカートを履いた少女。少ししおれた長い耳が特徴の月兎、鈴仙・優曇華院・イナバである。
師が我を失って暴れる姿に精神的外傷を負っていたが、何とか気を取り直して追いかけてきたようだ。
「ちょっと二人とも! 師匠まで! なんで無茶苦茶暴れてるんですか!」
鈴仙はあわてた様子で二人を止めにかかる。つい先日に人妖二人組が大暴れしたばかりだというのに、それもかくやというほどの大騒ぎをよりにもよって身内がしているのか。鈴仙があわてるのも無理はない。
それにしてもこの永遠亭も頑丈なものである、と鈴仙は思った。
月を隠した騒ぎにおいてこちらはともかく、人妖二人はろくでもない術をバカスカ撃っていたようだったが既に無傷となっている。そもそも普通ならば吹き飛んでいないのが謎なくらいであった。
鈴仙は知らないことだがこの永遠亭の歴史はかなり古く、既に一つの妖怪と言っても過言ではない。強い害意に対しては抵抗もするし、少しの被害ならいつの間にか修復もするのだ。
とは言え自意識があるにせよ無いにせよ、また破壊されるのは御免被りたいところだろう。
しかし止めようとする鈴仙に二人は視線も返さず、
「下がっていなさいウドンゲ。お前が首を突っ込むことではないわ」
「すっこんでな、小娘。邪魔したら皮剥ぐよ」
とけんもほろろに言う。てゐに至っては普段と口調が全く違う。
「ちょっ、こっ、こむっ!? ってなによそれ、てゐ! 師匠も変ですよ!」
必死に言う鈴仙だったが、どちらも今度は聞いてすらいないようだ。
そろそろ自分も逃げた方がいいのではないか、と思うほど一触即発の雰囲気である。皆が爆音等に驚いて逃げているため、巻き込まれそうなものがいないのが幸いだろう。
と思った鈴仙だったが、数羽のイナバがまだ残っているのに気付いた。鈴仙がそのイナバ達に駆け寄ると呆れたことに、逃げないどころか観戦気分丸出しで対峙する二人を見ている。
「……ちょっと。あんた達ねえ、さすがに逃げないと危ないでしょ」
よく見るとそのイナバ達は先ほどまで鈴仙、が、遊ばれていた連中だった。いたずらを仕掛けること、てゐのごとき連中である。
気がいい連中だが、油断していると足下をすくってくるのだ。そして鈴仙はよく油断し、彼女らは虎視眈々と足下を掬う用意をしている。てゐとどちらがましかと問われれば、どちらも碌でもないと鈴仙は答えるだろう。決して嫌っているわけではないのだが。
「何言ってるのさ、鈴仙」
「永琳が暴れるなんて、ずいぶん久しぶりなのに」
「かぶりつきで見ない方があり得ないよねぇ」
どうやら本気で状況を楽しんでいるらしい。その心臓に生えているであろう剛毛を、少し分けて欲しいと鈴仙は思った。
「って前に師匠が暴れたりし……」
尋ねようとしたところで、永琳とてゐの方から凄まじい気配が発せられる。
「あのときの決着付けさせてもらうわ」
「古いこと持ち出すわねえ。あんたの勝ちにしてあげたって言うのにさ」
「今度こそ本気で完膚無きまで潰してやるわ、妖怪兎」
「久々にすべての健康制限解除よ、ブッ潰れな月人」
いったい何のことについて話しているのか鈴仙には判らなかったが、二人が本気であることは最早疑いようもない。
「いにしえの月の力を前に戦くが良いわ」
そう宣言した永琳から、月光を凝縮したような蒼いオーラが吹き上がる。輝きを纏っているというのに、それは熱を持たず周りを冷たく照らす。
「古代の化け兎の力を見せてやるわ」
そう宣言したてゐからは強い妖気が、いやまるで神々しいような気配が満ち始める。妖気であるはずのモノは、辺りを清めるかのように広がる。
二人の気配に鈴仙は生唾を飲み込む。みるみるうちに二人の気配が膨れあがる。
「月光『ブルーツ波』!」
「兎神『ミッシングイナバパワー』!」
二人はそのまま膨れあがって巨大化した。因みに服は破れていないので、悪しからず。
巨大化した二人を見て鈴仙はコケた。観戦していたイナバ達は鈴仙の様子を見て笑い転げた。
「なんじゃそりゃ~~~~~~~~~!」
絶叫を上げて突っ込みを入れる。さっきまでの緊張した雰囲気は何だったというのだろう。もしかしたら永遠亭の住人が総出で自分をからかっているのか、という被害妄想にまで広がった。しかも符名が、何かのパクリのような気がしてならない。
「何が不満なのかしら、ウドンゲ。相手が小さく見えるということは、私が勝つという事よ?」
「そうそう。百人乗っても平気なんだからさ」
口々の巨大化の正当性を説く二人。どちらも巨大化したら無意味だと思うが。
「……ああ、もう。……いいから決着でも何でも付けて下さいよ」
鈴仙は投げやりに答えてふて腐れた。もう色々とどうでも良くなっていた。その言葉を早々に後悔することになったが。
「では」
「早速」
最初にあったものが冗談に思えるほどの爆音がまき散らされた。巨大化したまま高速で飛び回るだけで暴風が発生し、肉弾戦を行うと何とも生々しい轟音が響く。その上巨大化しただけではなかったのか、発する弾幕も類を見ないほど破壊力が大きい。
「うわっと!」
明らかに鈴仙のことはすでに頭の中から消えている様子の二人から、物騒な流れ弾が飛来する。
危うく巻き込まれそうになった鈴仙が逃げ込んだ安全圏には、既にさっきの物見遊山なイナバ達がいた。馬鹿馬鹿しい行動をする癖に、危険な雰囲気には聡いらしい。
「お疲れ鈴仙」
「あ~あ、巻き込まれずかあ……」
「わたしの勝ちね~、人参一個ゲット!」
その上鈴仙が巻き込まれるかどうか、賭をしていたらしい。色々と突っ込みたかったがもうそんな気力もなく、鈴仙はぐったりと床に伏す。
「ああ、もう。今日は厄日だわ……」
床の冷たさが気持ちいい。なにもかも忘れてぐったりしていたい、と鈴仙は思う。
「鈴仙って大抵の日が厄日じゃないの?」
「よく落とし穴に落ちてるしね」
「引っかかる予想のオッズ低いもんね」
好き勝手に言う性悪兎達に鈴仙は怒りに身を震わせて身を起こし、
「あ、ん、た、達、が、原因でしょうが~~~~!!」
と怒りの声を上げた。満足にぐったりもさせてくれないようである。
永遠亭の住人の多くに遊ばれる鈴仙だったが、このイナバ達とてゐによる被害が一番大きい。そのくせ何もしない時は意外と気配りをしてくれるので、あまり本気で怒る事も出来ないというジレンマ。
イナバ達も、「きゃ~」だの「わ~」だの「怒った~」といっておびえる様子など皆無だった。
鈴仙とイナバ達を余所に、永琳とてゐの戦闘は白熱していた。どちらも巨大化してしまって意味はないだろうに、そのままの大きさで縦横無尽に暴れ回る。どちらもそこまで頭が回っていないのかも知れないが。
「てゐーーーーーーーーーーーーーッ!!」
「永琳ーーーーーーーーーーーーーッ!!」
二人の叫び声とともに、ひときわ莫大な力が集まる。まだ放たれていないと言うのに、その存在だけで圧力を感じるほどのモノだ。永夜の日の戦闘に耐え、この戦闘に今の今まで耐えていた永遠亭だったが、流石にこれはマズい気がして鈴仙が止めに掛かろうとした。
その時、
「こら、二人とも。なにやってるの?」
と声がした。ヒートアップしていた二人はその声を耳にすると、集めた力を霧散させ元の大きさに戻り声の方に目をやる。
「「ひ、姫……」」
声をかけた人物を惚けた顔で見て、全く同じ反応をする二人。
朝から出かけていた輝夜が、ちょうど帰ってきたところだったのだ。なぜか懐に、仏の御石を大事そうに抱えている。
「久しぶりにしゃぐのは良いけど、ちょっとこれはやり過ぎじゃない?」
板が割れた廊下や穴の開いた襖を見回しながら、輝夜は特に怒ってもいない様子で二人に言う。ちょっとしたいたずらをたしなめる程度の様子である。
あまりちょっとしていない惨状だったが、輝夜にとってはそんな印象なのだろう。
「申し訳ありません、姫」
「……あーその。……ゴメン」
恥じ入って詫びる永琳と、ばつの悪そうな顔で謝るてゐ。
どうやら危機が去ったらしいことに鈴仙は胸をなで下ろす。永遠亭に腕があれば、きっと一緒に胸をなで下ろしたことだろう。
「二人とも壊れたところを直してね。それと一ヶ月料理当番で」
「はい……」
「あ~い……」
永琳が素直に承諾するのは当然のことだが、てゐまでも素直に受け入れたのは鈴仙には少し意外だった。やはり姫だけあって、てゐも流石に言うことを聞くのだろうか。
「それとイナバはトイレ掃除も一ヶ月ね」
「うぇえ!? わたしだけ!?」
輝夜がばつを追加してきたことに、てゐは不満の声を上げた。
概ねてゐが関わることはてゐが原因となるので、てゐの方の罰が重いのは常のことである。今回の騒ぎの原因を鈴仙は知らなかったが、永琳を怒らせたてゐが悪いことは想像に難くない。
「……私にも黙ってたでしょ?」
「うっ! それはその……」
少し頬を膨らませて言う輝夜に、てゐがたじろぐ。どうやらてゐには心当たりがあるようである。鈴仙はさもありなんと思った。
「本当に大丈夫か心配だったんでしょう?」
表情をゆるめて輝夜がそう言うと、
「う~、ま~、その~」
と何とも居心地悪そうにしつつ、てゐは顔を赤らめた。
その様子を見て輝夜と永琳は顔を見合わせると、クスリと笑った。もうすでに先ほどやり合っていたことについて、永琳は気にしていない様子だ。
「だからこれは隠し事をしていた分の罰よ。そういうのは無しにして、家族なんだしね」
輝夜は優しくそう言い、
「まったく、言ってくれれば相談に乗ったのに。その程度の信用もなかったのかしら、てゐ?」
永琳は少し意地悪そうに言う。二人に言われて、てゐは恥ずかしがったり返答に困ったりでしどろもどろである。
「あ~、もう。本当に悪かったってば~」
このようなてゐは初めて見るので、鈴仙にはとても奇妙な印象だった。
永遠亭に住むようになってもう数十年になるが、それでもまだここには鈴仙の知らない側面があるということだろう。
鈴仙・優曇華院・イナバの朝は、師である八意永琳の部屋を訪れることから始まる。無論その前に身だしなみを整えたりするのだが、そのような基本的行動を除けば師への用聞きから始まるということだ。
鈴仙が永琳の部屋の近くまで来ると、その襖が開いて誰かが出てきた。
「あれ、鈴仙? なんでここに?」
出てきたのはてゐである。
「なんでって……、朝はいつも師匠の所に行くのよ。むしろあんたが出てきた理由の方を聞きたいわよ」
鈴仙には永琳の部屋から朝早くに、てゐが出てくる理由は思い当たらなかった。
「ぅえっ、あっ、ああっ! そうそうっ、料理の仕込みのついでにお茶を一杯ね」
「ああ。そう言えば二人とも、まだ当番だったわね」
しばらく料理当番が回ってこないメンバーが増えて喜ぶ者が多かったが、冷静になって考えるとてゐが必ず当番に含まれるためご飯に何かされるのではと脅えも広がっていた。
実際は同時に永琳も必ず含まれているためか、それともてゐが意外にもまじめにやったのか、何事もなく二人の罰期間は順調に進み残すところあと僅かである。
「うんっ、そうっ、そうだったのっ。それじゃあわたし、今日は出かけるからっ。ごゆっくり~」
そう言って会話を切り上げると、てゐはぱたぱたと忙しなく去っていった。
「変なの……」
ずいぶん忙しそうにしていたが、余程遠くにでも出かけるのだろうか。てゐの妙な態度をいぶかしげに思いつつも、鈴仙は永琳の部屋の前に立ち中に向かって声をかける。
「師匠、おはようございます。入ってもかまいませんか?」
「開いてるから入ってちょうだい」
中から少しくぐもった声が返ってくる。永琳は人を迎える時は誰であれ、自ら戸を開けることが多い。となるとおそらく何かの作業の最中なのだろうと思い、鈴仙は何か手伝うべく部屋に入る。
部屋の中は薬入れや実験器具が多数残っていたが、作業自体はすでに終わっている様子だった。永琳は結果を纏めている最中らしく、メモや手帳を手際よく纏めていた。
傍らには抽出器具で出した茶が二つあり、一つのビーカーはすでに空だった。おそらくてゐが飲んでいたものだろう。
「ずいぶんと早いですね」
永琳は何か思いつくと実験であれなんであれ、時間を問わず試すことがままある。それでも、こんな早朝から始めることは珍しいことだった。
「朝の仕込みのついでにね、てゐに手伝って貰ったのよ。どうせ朝早いんだからって言って、お茶を出してやってね」
永琳の意外な言葉に鈴仙は驚く。
「てゐって師匠を手伝ったりとか出来るんですか?」
ここのイナバのリーダーなのだから新参者なはずはなく、それなりにつき合いはあるはずだと思ってはいたが、永琳の手伝いをすることがあるというのは初耳だった。
それになんというかあのいい加減な妖怪兎に、実験を手伝う姿を重ねるのはいかにも難しい。
「結構器用なのよ、あいつ。それに健康マニアでしょう? なにせ今日どこに出かけるのか聞いたら、紅魔館の門番に気孔を教えて貰いに行くとか言ってたし。まあそれだけあって幻想郷に自生している薬草や鉱物なんかにはかなり詳しいわよ」
「ああ、なるほど」
ずいぶんと急いでいるとは思ったが、はるばる紅魔館まで行くとは。永琳の手伝いをしていたことを言わなかった理由は疑問のままだったが。
永琳の扱う薬とは一般的な意味の薬に縛られるモノではないが、一般的な意味の薬も内包しているのは間違いない。
むしろ永遠亭の住人の健康をあずかる場合に於いては、範囲の広い意味の薬よりも一般の薬に当てはまるモノを用いることが多い。
「ここの生態系に関することならば、私よりむしろてゐに聞いた方が良いかも知れないわね」
永琳はこの地の知識に関しては、自分よりてゐに軍配が上がると考えているようだ。
「へ~。師匠は結構てゐのことを信頼してるんですね」
鈴仙が意外な人間関係に感心して言うと、永琳は珍しく頬に朱を散らす。
「あ、あくまでそのことはね。あいつったら人を騙すのを生き甲斐みたいにして。もうちょっと落ち着けばいいのに、全く」
少しどもりながら憤慨する永琳に、鈴仙は失礼とは思いながらもかわいいと思ってしまった。
この間の騒ぎでも思い出しているのだろうか。それてもあんなやりとりが他にもあったのだろうか。
「師匠もてゐに困ってたんですか」
少し笑いを含めて鈴仙は言った。鈴仙もまさか師とてゐの印象で共感してしまうとは、思っても見なかった。
「本当に困った奴なのよ」
そう言って永琳も笑う。それでもやはり嫌がってはいないようである。あれだけ色々しでかしているくせに嫌われないとは、得なやつだと鈴仙は思う。
「今日は結果のまとめで多分終わるわね。悪いけど今日はフリーということにさせてちょうだい」
「分かりました。それでは何かあったら言ってください」
そう言って一礼して、鈴仙は部屋から出ると食堂へと向かった。
「おはよー鈴仙」
朝食を摂っていると鈴仙は数人のイナバから声をかけられた。永遠亭の純和風的外見に反して、今朝はトーストとサラダ中心である。
「ああ、おはよう」
声をかけてきたのは、よく鈴仙と話すグループのイナバ達だった。
妖怪兎の割にまじめなせいで鈴仙と似たような立場、つまりよくからかわれるイナバ達である。人呼んで永遠亭の精神的ヒエラルキー最下位グループ。
若くまじめで未熟なために常にいじられる側に回るが、成長すればツッコミに回るタイプだとも言われる。
因みに永遠亭には役割分担はあっても階級的制度が皆無であるため、このヒエラルキーが実質の順位である。年を経るごとに性格が擦れて、だいたい上位に変化していく。良く言えばフランク、実際はカオスである。
「今日も元気だ、ご飯が旨い♪」
「そう言えば、あの二人の罰シフト中のご飯!」
「評判良いよねえ~」
イナバ達はがつがつと美味しそうにほおばるが、実際は良くかんで飲み込んでいる。ここ永遠亭ではその辺のことがやけに徹底されているらしい。やはり健康マニアのせいだろうか。
「そう言えば確かに美味しいわね。師匠はやっぱり料理も上手いのかしら?」
鈴仙も味わいながら疑問を口にする。医食同源のような話もしていたことがあったし、下手くそとも思えない。
「永琳が上手いのは納得なんだけどね~」
「シフトに入ってた娘の話だとね……」
「なんかてゐも手慣れてた、って話しなのよー」
鈴仙はなにやら今日は、てゐの意外な面をよく聞く日だと思った。永琳とのつき合いも結構あるようだったし、ここに居て長いのだろうか。
「てゐってここのリーダーやって長いのかな? 少なくとも私が来てからは、ずっとそうだけど」
「わたしらも鈴仙と同じよね」
「わたしたち下っ端だもんね」
「百年ちょっとしか生きてないもんねえ」
このイナバ達は妖怪に成り切る前に、別の所で暮らしていたらしい。妖化しかけで群れに見放されていた頃に拾われて、ほんの数十年前に妖怪に成り切った、つまり化けるようになったばかりらしい。それからこっちに移ったというのだから、だいたい鈴仙がここに居着いた頃と同じである。
因みに下っ端というのは精神的ヒエラルキーの方ではなく、まだ妖怪としてはひ弱であるということだ。まあこの面子は精神的ヒエラルキーの下層でもあったが。鈴仙の場合は力は強いのだが、性格の面でそういう扱いを受ける。
「みんなも知らないのね。師匠に聞けば分かるだろうけど、今日は忙しそうだったし」
分からないとなると気になり出す。誰に聞くべきか鈴仙が考えているとイナバの一人が、
「お姉たちに聞いてみたら? わたしらよりは確実に年上だし」
と提案してきた。他のイナバ達もなるほどと頷く。
朝食を終えて、鈴仙はさきほど言われた年上のイナバの所へ向かっていた。
何せここにいるのはみな化け兎な訳で、必ずしも見た目と年齢が比例するわけではないのだ。
そもそも今話題に上っているてゐからして、さっきのイナバ達と同じくらいの年頃の外見をしている。はっきり言って外見年齢は全く当てにならない。
さっきのイナバ達の言う年上のイナバ達は見た目を変えていないか、年齢を増す形で変化しているからしい。ただもっと年上のイナバもいたはずなのだが、いつの間にか見かけなくなったらしい。
少し歩いて鈴仙は件のイナバ達がいる、大部屋の辺りに着く。
兎は寂しいと死んでしまうと言われるが、その真偽はともかくとしてどうやら妖怪兎にも孤独は良い作用を与えないらしい。
一部のイナバは個室を持っているが、だからといって部屋にこもるわけでもなくて所持品が多く自分用の部屋を持っているだけ、というような理由ばかりである。
因みにてゐも個室持ちであり、前に鈴仙が入った時は健康に関する書き付け・書物、健康器具等で埋まっていた。
こんな所で寝るのかと聞いたら、倉庫で寝る趣味があるのかと聞き返された。聞くとどこかに潜り込んで寝るそうで、鈴仙の所にも来たことがあった。
「ちょといいかしら? 聞きたいことがあってきたんだけど」
そう声をかけると、襖が開いて耳がぴょこんと出てくる。
出てきたイナバはだいたい鈴仙と同じくらいの外見年齢で、中にいた数人の兎も鈴仙を見て寄ってくる。
「あら、鈴仙じゃない。なに、聞きたい事って?」
鈴仙がここまで来た経緯を話すと、イナバ達はなにやらまとまって悩み始める。
「あ、あれ? もしかしてなんか悪いこと聞いちゃったの?」
難しい顔をするイナバ達を見て鈴仙は不安になった。
「あー。いやあ何て言うか、ねえ?」
「わたしたちも、てゐがリーダーなのしか見たことが無くてね……」
「これでも一番長いのは、千年くらいここにいるんだけどね」
「それって師匠達が来た頃からって事!?」
イナバ達はそろって沈痛な顔で頷く。
千年以上生きてるくせに、てゐはアレな感じなのかと鈴仙は目眩がした。もうちょっと、威厳だとかをどうにか出来ないものかと思った。
「そのころから居た別の人たちもいるんだけどね……」
「言わない方が良いんじゃないの?」
「なんでああなっちゃったんだかねえ……」
「聞くわ! もう毒食わば皿までよ!」
やけくそ気味に叫ぶ鈴仙にイナバ達は顔を見合わせると、
「その……。落とし穴掘ったりする、バカっぽい連中いるでしょ」
「あの人達わたしらの先輩なのよ……」
「なんでお姉たちああなったんだか……」
言ってる端からうなだれ始めた。鈴仙は自分が罠に掛かるか否かを賭の対象にするバカたちや、師にに本気で追い回されるほどろくでもないことをするドアホを思い浮かべた。一方まだ五百年ほどしか生きていないという、紅魔館の主が放つ威圧感を思い浮かべてみた。凄まじいギャップに頭がくらくらする。
「……ねえ、もしかして地上の兎って年を経るとああなるの?」
「言わないで、お願い……」
がっくりとして自分たちの行く末を案じるイナバ達に、鈴仙は言いようのないむなしさを感じた。この件はきっともう追うべきではないのだ。
「……その。お大事に~」
鈴仙は虚しさを抱えるイナバ達を残し、逃げるように部屋を去った。イナバ達に幸あれ、と祈るべき相手も判然としないままに祈りつつ。
紅魔館の門番・紅美鈴の一日は、己の守護する門前で気を錬ることから始まる。
彼女の持つ気を使う能力は、たとえば人間の魔法使いが知識を漁って得る技術による力とは異なり生得の能力である。妖怪の、つまり生粋の魔女・魔法使いが呼吸するように魔法を使うが如く、妖怪・紅美鈴は意識する必要もなく呼吸するように気を錬る。
ならば疎かにして良いのではないかと思われがちだが、実のところは逆である。はじめから使うことが出来るからこそ、失った時に取り戻す方法が分からない。故に一部の妖怪たちは己の力があることを確認するかのように力を振るい、あるものは己の根元さえも辿って解き明かしもする。
だから美鈴は毎朝、愚直に、飽きることもなく気を錬る。己の力が、己の存在が消えていないことを確認するかの如く、美しい紅髪をなびかせて舞うように気を錬る。
ただし今日はいつもよりも時刻が遅く、また普段はないものが側にあった。
美鈴の後を追うようにして動作を真似る桃色の服を着た幼い少女、妖怪兎・因幡てゐがそこにいた。その動きに美鈴のような年月を重ねた流麗さはないものの、てゐの動作は美鈴から見ても見てもなんとか様になっていた。
「結構飲み込みが良いじゃない、てゐ。これなら基本的なところは近いうちにマスター出来そうね」
「えへへ、ありがとうございます。体を動かすのは得意なですよ~」
美鈴のほめ言葉に、てゐは頬を赤くして照れる。
「それじゃあ次は、っと」
続けようとして美鈴は少し右によろめく。てゐはなにもないところで尻餅をついていた。
「大丈夫?」
少し心配そうに言ってくる美鈴にてゐは、
「あ、大丈夫です。でも疲れてるみたいなのでこれで。美鈴も忙しい中ありがとうございましたー!」
そう言い終わるや否や、素早く立ち上がると逃げるように走り去っていった。疲れていると言ったのはどこに行ったのだろうか。
「チッ。逃がしたか」
「おはようございます。今日はずいぶんと朝更かしですね、お嬢様」
美鈴は振り返りながら、遠く後ろの方で舌打ちをした人物に挨拶をした。彼女の遙か後方の日陰に浮かんでいるのは紅魔館が主にして紅い悪魔、レミリア・スカーレットである。
まだ五百年ほどしか生きておらず外見も永遠に幼き月の二つ名の通りであったが、この化け物だらけの幻想郷に於いても指折りの実力者である。
「美鈴。門番だったら面白そうな奴は、私に引き渡してくれないとダメじゃない」
言うと同時にレミリアは、かなりあったはずの距離を無にして美鈴の前に立つ。その手には昼の吸血鬼の必需品、日傘がいつの間にか差されていた。
「門番の仕事は主人の暇つぶしにもならない、勘違いバカを通さないことだと思ってましたよ」
どちらも常識的には門番の仕事として正しくないが、ここ幻想郷に於いて常識ごときが大きな顔を出来るわけもない。押し通された答えの方が正解である。
「私がそうだと言ったら門番の仕事はそうなの」
「そうは言っても彼女ちゃんとアポ取ってましたし、黒白よりは余程まともな訪問者ですよ」
「まったく咲夜ったら。あんな面白そうな感じがする奴を、なんでスルーしたのかしら。来ると分かってれば派手な歓迎をしたのに」
一体どういう派手な歓迎をするつもりなのか、人のよくない顔をして笑う。
因みになぜ紅魔館のメイド長がてゐの訪問を小事として扱ったかと言えば、アポイントメントの記入に永遠亭の中ボスAと書いてあった上に目的が健康法だったからである。
「いくら面白そうな感じがしたからって……」
レミリアが居る方とは逆に向かいながら美鈴は、
「私ごと刺さるようにナイフなんか投げないで下さいよ」
そう言って地面に突き刺さったナイフを抜いた。
美鈴が先ほどかすかによろめいたのは、このナイフを避けるためだったのだろう。
「部下の抜き打ち能力テストも兼ねたのよ、今決めたけど。さっきのってやっぱり避けたのかしら?」
あっさり美鈴の抗議は却下されたが、言われた美鈴も気にしていない様子である。
「かなり自然に尻餅着いてましたけどねえ。よっぽど嘘を吐き慣れてるんでしょう。むしろ嘘じゃないところがほとんど見当たらなかったような」
てゐは尻餅をついたフリをして避けたと言うことだろう。
「それにしてもお前も酷いわね、美鈴。もしあの兎が避けられなかったら串刺しよ? 客人の危機を救ってやる気概はなかったのかしら?」
悪戯っぽく笑って、レミリアは全く思ってもいないことを口にする。
「そんなことしたらお嬢様は邪魔をするな、って後で怒るに決まってるじゃないですか」
「もちろんそうするに決まってるわ。ところであの兎、どの程度かしら?」
またも美鈴の抗議をスルーしつつ、レミリアは少しまじめな顔をして美鈴に聞く。気を操る美鈴の、実力を読む精度はかなり高いのである。
「古狸って感じですねえ、兎だけど。まあ本気を出させるまでが大変そうですけど、期待はずれって事はないと思いますよ」
「ふーん。なかなか良いわね」
にやりと笑って舌なめずりをするレミリアだったが、少し不満げな顔になって、
「もう。なんでここにはこそこそしてる奴が多いのかしら」
と文句を付けた。
それを聞いて美鈴は少しあきれた顔をした。あまりにも答えが明白だったからだ。
「そりゃあ、みんなお嬢様みたいな悪魔に喧嘩を売られたくはないですから。歯ごたえがありそうなら喜んで遊びに行くでしょう?」
「当然じゃない!」
レミリアは胸を張って肯定する。
やはり幻想郷の妖怪が騒動好きの悪魔を恐れて、こそこそするのも無理はないことだろう。
「あーもー! なにあのロリ吸血鬼! 普通いきなりナイフ投げつける!?」
てゐは水面を蹴って湖上を疾走しながら、自分の外見をさておいて悪態を吐いていた。健康にいいと思って気孔を習いに行って、健康に悪そうな悪魔に目を付けられた気がした。
「植物のように平穏に生きたいっていうのに、まったく。しばらく紅魔館には寄りつけないじゃない」
平穏に生きたいのならまず他人を騙して遊んだりすることを慎むべきだろうが、てゐはそちらを控える気が全くないらしい。
精神や外見を幼く保っているのも健康に良いからだと言っているが、実際は年寄り扱いされたくないだけだったりもする。永琳などによく年のくせに落ち着かないと言われるが、そもそも落ち着いた性格になる気がないのだから年季による威厳など現れようはずもないのだ。
湖を抜けようとしていると、周りの水面が凍り始める。氷精の悪戯かと思い冷気の飛んできた方を見ると、全体的に青いのと緑色っぽい妖精が遠くからこちらを見ている。てゐの良く聞こえる耳には、
「私に黙ってこの湖を抜けようったって、そうは行かないわ! つーこーりょーおいてけ~!」
「チルノちゃんいきなり、そんなことしちゃダメよ!」
などと叫いてるのが聞こえた。
そちらの方を向いて鼻で笑ってやると、なかなか目が良いのか青い方が顔を真っ赤にして怒るのが見えた。
悪戯は成功させてこそ、である。てゐは「未熟者め」などと思いつつ、風に化けて二人の方に吹き付ける。妖精たちは突然の強風に吹き飛ばされて、
「「あーれー」」
などという声をドップラー効果付きで残しつつ最後は水音で決めてくれた。
草などに擬態するのは妖怪でないただの動物でもする。その変化ともなれば本当に草木や石にも化け、年を経れば雨風や炎などの自然現象にも化けるものだ。そこまでなれば土地神にでも成ったりする者もいるが、てゐにはそんな退屈そうなことをする気は毛頭ない。
植物のように平穏に生きるだとかは大嘘も良いところである。
てゐが永遠亭がある竹林まで着いて歩いていると、ここには珍しい二つの人影があるのに気付いた。せっかくなのできちんと挨拶してやろうと思い、傍らの垂れ下がったロープを引く。
すると二人がいた辺りの地面が陥没し、その上どこからか竹槍がそこに降り注いだ。しかしその二人は素早く落とし穴を回避し竹槍の雨を避けきると、油断無く背を合わせて構えを取った。
二人の動きに感心しながらてゐは、
「こんにちは! 妹紅さん、慧音さん。お久しぶわっとぅ」
そう言う途中で、二人の少女の片割れの藤原妹紅にナイフを投げつけられて口上を止めた。
「あんたね! いきなり罠にかけるな! 今更ぶりっこすんな!」
妹紅は猛り狂って取りあえずのツッコミどころ全てにツッコミを入れる。
「本当に相変わらずだな、お前は……」
もう一人の少女、上白沢慧音は疲れたような顔で額を押さえて呆れ返っていた。
「もしかしたらまた騙されてくれるかも知れないじゃないの」
「自分の首を飛ばしたことある奴に今更油断しないわよ、馬鹿」
てゐが輝夜の刺客として妹紅の前に現れた時に、その外見とおびえた態度に騙されていきなり首をすっ飛ばされたことがあったのだ。あまりの引っかかりっぷりに腹を抱えて笑っていたてゐをリザレクションして焼却処分にしようとしたが、妹紅の住む竹林を縦横無尽に逃げ回られて気力を使い果たしたあげくぶっ倒れた苦い記憶である。
因みにその時てゐは妹紅に、永琳開発の油性顔料で髭を描いてから帰った。その後さらにぶっちぎれて暴れたそうである。
「ところで今日は何の用? 弾幕ごっこ? 喧嘩? 殺し合い?」
目を輝かせながらてゐは騒動に期待する。どれも似たように見えるが微妙に違うらしい。
「あ~、その、何て言うか……」
「今日はそう言うのは無しで、酒でも飲もうと思ってきたんだ」
言いにくそうにする妹紅に、慧音は助け船を出すようにしてそう言った。言われてみれば二人はなにやら荷物を持っているが、想像もしなかった答えにいつもは驚かす側に回るてゐが目を丸くする。
二人はその反応を見て「してやった」という顔をして笑った。
「あっはは。そりゃいいや、姫もきっと面白がるよ。他の連中もきっと喜ぶわ」
こういう事ならたまには驚かされる方に回るのも悪くないと、てゐは思った。
珍客を迎えて永遠亭は急遽、宴会を催すことになった。
酒にも酔えない蓬莱人たち三人とそれにつき合う半獣は静かに酒を飲んでいたが、それも最初だけで途中から珍しい客に興味津々だったイナバ達の騒ぎに巻き込まれていた。言うまでもないが鈴仙ははじめから遊ばれっぱなしである。
幸いな事に懸念されていた輝夜と妹紅の間も特に騒ぎは起きていない。
てゐは一人、涼しくなってきた夜風を浴びる。酔い覚ましと称して会場を出てきたが、結構な酒量にもかかわらずてゐは特に酔ってはいなかった。こっそりと抜け出した者が居たので追いかけてみただけである。
「永琳、入るよ?」
返事も待たずに戸を開けて、中に入るてゐ。
中はすでに片づけられており、朝の作業の跡はない。てっきり朝の作業の結果を纏めていると思っていたが、そうではなかったようだ。書き物をしている人物はいたがそれは永琳ではなく、客として来たもう一人の知識人の方だったからだ。
「慧音ったら永琳の下働きにでも転向? 鈴仙が嫉妬するよ」
「違う。永琳殿に歴史書の編纂を手伝って貰っているんだ」
「その割に永琳は立ってるだけじゃない」
てゐの言うとおりに永琳は何かを書くでもなく、慧音の横に立っている。それに知識と歴史の半獣たる慧音に、わざわざ書にする理由があるとも思えなかったが。
「口伝を纏めているのだそうよ。私は語りべという事ね」
てゐは永琳の言葉に納得しかけるが、永琳がかかわった歴史と言われてもいまいち思い当たらなかった。
いったい何の歴史書なのかと尋ねると、慧音は編纂中の書の表紙を見せる。
「竹取物語ぃ~? それって歴史書じゃなくて……。ってああ、そう言えばそうかあ」
なるほど目の前にいる永琳は、かぐや姫を連れに来た月の使者の一人である。それならば歴史書というのも頷ける。
「私は月の使者の最後の生き残りなのだしね。面白そうな試みにちょっと協力してみたのよ」
永琳は少し皮肉げに笑う。何しろその月の使者を皆殺しにしたのは、当の自分なのだから。今更後悔するわけでもないが、決して良い思い出でもない。
「私の能力があれば歴史上の事実を知るのは容易いが、人の想いなどまで分かるわけではないんだ。いわばこれはわたしのハクタクとしての身とは関係ない、人間・上白沢慧音としての趣味だな」
あえて主観に満ちた、本来歴史書としてあるべきではないモノを書き上げるつもりだという。竹取物語以外にも、いくつか永い時をかけて纏めているらしい。
「幻想郷は直接話を聞くには都合が良いんだ。外では実在しないと思いこまれている者もいるし、それどころか冥界との境すら薄いからな。上手くすれば死者から話を聞くことも出来る」
「あなたも聞かせてやったらどうかしら? 稲羽の素兎のくだりでもね。それも鋭意制作中らしいわよ」
慧音の言葉を受けて、からかうようにして永琳は言う。
「ゲ、ばれてたのそれ? 古い連中には口止めしておいたんだけどなあ……。もしかして慧音に聞いた?」
「あなたより年かさのイナバを一度も見たことがなければ、いい加減にそう思うわよ。しかも因幡じゃねえ。と言ってもまあ、あなたがそこまで長生きしていると思う奴は少ないでしょうけど」
「若気の至りだらけで、あまり聞かせたくないようなことばっかなんだけどねえ」
てゐは昔を懐かしむように遠い目をする。昔の思い出は全体的には良くないものの集まりだったが、それでも今は懐かしく思えるのは今が幸せだからかとてゐは思う。
「出来れば聞かせて貰いたいな。関係者数人には話を聞けたんだが、当の稲羽の素兎殿には聞けていなくてな」
わざわざ「殿」などと、笑いながら付けて言ってきた慧音にてゐは苦い顔をする。
「話ぐらいしてやるから殿は付けないでよ。あと関係者とやらの話は聞かせて」
「ああ、わかった」
てゐがまだ因幡てゐではなかった頃。人妖の境すら曖昧だった頃。彼女はずっと一人だった。
「遊びに来たわ、妹紅」
一人は蓬莱山輝夜。艶やかな黒髪を湛えた、いにしえの美姫。
「朝も早から暇なことね、輝夜」
もう一人は藤原妹紅。蒼く輝くような髪の、復讐に生きる徒花。
「その通りよ。あなたでも殺して暇をつぶさないと退屈で死んじゃうわ、死なないけどね」
輝夜はくすくすと邪気無く笑う。
これがこの女の怖いところだ、と妹紅は考えていた。虫も殺さないような顔をして、時に途轍もなく残酷なことをやらかす。にっこり笑って人を斬るとはこのことだろう。
とはいえ主に残酷な目に遭うのは妹紅である。単に自分に対する悪意が凄まじいだけかも知れないが、表情とやっていることが乖離しているやつはみんな邪悪だということにしていた。
そうなるとあの永遠亭は邪悪の巣窟である。つまり結局、輝夜は徹底的に邪悪だと結論付いた。本人が邪悪なら付き合っているやつも邪悪、ああ邪悪。
「だったら暇つぶしに今度は殺されなさいよ。私が丁寧に火葬にしてやるわ、よく飛ぶようにね」
邪悪に立ち向かうには、気合い負けしてはならない。まずは気迫だ。
「あらあら、最近負けが込んでるのにそんなこと言っていいのかしらね。なら私は土葬にしてあげるわ、良く養分になるように」
またもや邪気のない満面の笑みを浮かべる。
「減らず口もそこまでよ」
そう言って妹紅は戦いに向け精神を煉る。もとよりこの身は不死以外にとるべきところなどはない。相手はその不死の呪いをこの身に与えた大本である。
そしてその恐るべき概念に相応しい、純粋に莫大な力を有する。
それに打ち克つ貯めに寄る辺となるのは、ただ身を尽くし、全力を尽くす精神のみ。
輝夜はいつもながらのその覚悟の表情に、喜ぶかのように眼を細める。
「それじゃあ始めましょうか」
不死の炎と不退転の覚悟。
五つの難題と永遠と須臾の力。
先陣を切ったのは妹紅が繰り出した呪符であった。雲霞の如く空間を占める、呪力で編まれた怨敵調伏の符。それは輝夜を滅ぼそうと、先を争うかのように殺到する。
しかし輝夜は平然としていた。わずかな隙間を縫い、当たるものは打ち払いさほど苦労することもなくその弾幕を抜けきると、お返しとばかりに純粋な力の雨を降り注がせる。
しかし妹紅もまた、焦りを見せることはなかった。弾の間隙を抜け、邪魔なものは炎で焼き払う。
ともに繰り出した弾幕は、木っ端妖怪など這々の体で逃げ出すほどのもの。だがそれも二人にとっては挨拶程度の価値しかないのか。
「ふん。鈍っているなんていうことは無いようね?」
永年の敵の手応えに妹紅は思わず笑みを漏らした。
輝夜の言を認めるのは癪であったが人には永すぎる年月を過ごすのに、楽しい殺し合いでもしていなくては無聊も治まらないというものだ。
「当然じゃない。まああなたは最初、人参みたいな炎しか生み出せなかったけどね」
その様子を思い出したのか、くすくすと輝夜は微笑む。
妹紅は本来常人であり、術士でもなんでもなかったのだ。その常人が術を扱えるようになるまでは血の滲むような努力があったはずだが、永琳という規格外が身近にいる輝夜にとっては冗談かと思ってしまうのも無理はなかった。
「せっ、千年も前のことを持ち出して笑うな! そう言うあんただって、一発ぶちかます度にぶっ倒れてた癖に!」
妹紅はお返しとばかりに輝夜の恥ずかしい過去を罵る。
実際に妹紅を吹き飛ばしたのはいいが、そのまま倒れて次の日永琳に発見されるまで竹林にマグロが二つ転がっていることもあった。力は強くとも、制御が行き届いているとは限らないのである。
「あっ、あれは有り余る才能を使い切れなかっただけよ! あなたみたいな風前の灯火と一緒にしないでよね!」
さすがに恥ずかしい思い出だったのか、輝夜は顔を赤くして反論する。
「風前の灯火かどうか、その足りない頭に刻み直してやるわ!」
「まあ火を噴くしか能のないあなたが、千年経って未だに灯火のままだったら可哀想すぎて泣けちゃうわね」
そう言われて妹紅は懐から二本のナイフを取り出す。
「火を噴くしか能がないのかどうか、とくと見るが良いわ!」
そう言って妹紅は二本のナイフを輝夜に向けて投げつける。
しかし素早く投げつけられたとは言っても、たかが二本。
「これがあなたの火を噴く以外の能?」
そうつまらなそうに言われながら避けられるのが関の山である。
千年もの間に磨かれた殺し合いに持ち込むほどのモノではない、そう輝夜は思い僅かに失望した。ならばさっさと目を覚まさせて楽しい殺し合いに引き戻すべく、輝夜は弾を放つ用意をする。
がその刹那、輝夜を背後から何かが襲った。何とか身をよじって回避したそれは、先ほど投げつけられた取るに足らないはずの刃。さらに思い出したかのように、もう一条の刃が輝夜めがけて殺到していた。
そのナイフを避けようとする輝夜であったが、その迂闊を一瞬悔やんだ。相手にすべきはナイフなどではなく、それを投げつけた当人であることを僅かに失念していたのだ。
死角から迫ったナイフに輝夜が気を取られた隙を、妹紅は見逃さなかった。呪を込めた弾は今度こそ輝夜を捉えた。
「どうよ、この呪は。三方からの攻撃に耐えられるか!」
妹紅の一撃は輝夜を捉えたが、まだ致命にはほど遠い。この機を逃すまいと妹紅はさらに攻撃の手を強める。
「確かに馬鹿にしたことは間違いだったわね。訂正するわ」
そう言って輝夜は心底、嬉しそうに笑う。この期に及んでも、まだ楽しむ余裕があるというのだろうか。あまりにも見えやすい真っ正面からの妹紅の攻撃と、対照的に死角から迫るナイフが輝夜を穿とうとしているというのに。
「でも私の力の前では無粋よ」
そう言って輝夜は笑みを消し、軽く腕を振りかざす。
ただそれだけで、ナイフと弾の雨は雲散霧消していた。いや、ナイフの名残だけは注意深く観察すれば見つかっただろう。ただし風化し朽ち果てた錆の粉と、先ほどまで鋭い刃として存在していたものを結びつけることが出来ればの話だが。
「嘘でしょ……」
己の術があまりにもあっさり破られたことに、妹紅は愕然とした。まさかこの女は千年もの間、手加減をしていたとでもいうのだろうか。
「一応言っておいてあげるけど。別に出し惜しみをしていたんじゃないわよ?」
つまらなそうにそう曰う輝夜に、妹紅は訝しげな顔を向ける。
「どういうことよ?」
「あなたの炎は曲がりなりにも不死の永遠。須臾へと打ち消したところで、ただの炎に立ち戻るだけよ。つまり火を噴くしか能のないあなたは、それだけで私の力を無効化していたって言う事よ」
それは妹紅にとって意外であり、複雑な事実だった。ただ炎を使うだけではいけないと思いほかの術にも着手していたが、それがそもそも無駄でありただ炎を使っている方がマシであるとは。
「そんな事わざわざ教えるなんて、敵に塩でも送ったつもり?」
己の愚かさと相手のふざけた態度に妹紅は歯噛みする。
「ふふ、敵だなんて。あなたがつまらないガラクタに堕ちないよう、おもちゃの手入れをしてあげてるだけじゃない」
「嘗めるな! 私の不死鳥の灼熱を思い出させてやるわ!」
妹紅は己を鼓舞せんと、高らかに宣言する。同時にその身からは、不死鳥を象る業火が舞い上がる。その炎はまるで、術者のその身を燃料として燃え上がるかのようであった。
否。
その炎はまさに術者を焼き尽くしながら燃える、捨て身の炎。その不死を活かし、己の限界をも超えた全力を行使する。それこそが藤原妹紅の真骨頂。
己を贄に業火を具現し、また炎の中より蘇る。不死鳥の炎を操るのが妹紅ではなく、妹紅こそが不死鳥であるのだ。
「それでいいわ、妹紅。つまらない術なら、ほかのやつにでも使ってやればいいの。私を焼く尽くしたいのならば、ただその炎を磨き上げるが良いわ!」
輝夜は五つの神宝の一つを掲げた。その名は仏の御石。決して砕けぬという意志を秘めた稀代の贋作。天才八意永琳が生み出した、姫を守護する鉄壁の盾。
しかし炎から身を守るのならば、なぜ火鼠の衣を用いないのか。それは耐火に特化した神宝であり、炎に対するのならば仏の御石を凌駕するはずであるというのに。
「燃え尽きろ! 輝夜ぁ!」
妹紅の身を焼き尽くしながら、ついに不死鳥が輝夜に向かい解き放たれた。獲物を焼き、喰らい尽さんと不死の鳳凰は輝夜に襲いかかる。
轟。
輝夜に喰らいつく不死鳥をその目で確認すると同時に、妹紅は己が生み出した炎の中で燃え尽きた。しかし妹紅をも焼き尽くした炎は、さらに輝きを増し不死鳥を象る。
不死鳥は甲高く鳴き、そして爆ぜる。その炎の中から現れたのは無傷の妹紅だった。炎の中に消え、そして炎の中より孵る。まさに不死鳥の姿だった。
「どうよ!」
輝夜に襲いかかった不死鳥は、未だ勢いをゆるめず燃えさかっている。対象を焼き、焦がし、燃やし尽くすまで不死の炎は消えはしない。今放った不死鳥は最近でも抜群の出来だ。如何に仏の御石が遮ったところで無事では済むまい。
「ふふふ。……あはははははは」
燃えさかる劫火の中から笑い声が響く。
不死の炎をまるで衣を脱ぎ去るようにして取り払い、輝夜が姿を現した。僅かに煤けたところなどはあっても、不死の炎を受けながらもその身は髪の毛一本傷ついては居なかった。
「さすがね、妹紅。いい炎だったわ」
普通ならば馬鹿にされたと感じるはずの言葉にこもるのは、嫌みを感じさせない手放しの賞賛。そして喜悦。だが妹紅には、そんなものを感じる余裕はなかった。己の唯一にして必殺の力が打ち破られたのだから。
しかしそれでも妹紅の心は折れはしない。まだ足りないのならば、さらに炎をかき集め燃え上がればいいのだ。もとより死ぬことのない身。限界など遙か昔に超えている。
ならば限界の限界を超え、さらに立ち塞がる壁を焼き尽くし、その遙か向こうまで行き着いてやればいい。
先の炎を超えてさらに深紅の炎は燃え盛る。不死鳥は生まれ死に、また生まれるたびに力を増す。
「今度こそ! 輝夜ぁ!」
「ついに念願の石焼きビビンバを手に入れたわ~」
……
「はぁ?」
あまりにも意味不明な言葉に、高まっていた炎がどこかに消え去った。
「石焼きビビンバって何よ?」
妹紅は惚けたように聞き返してしまう。決死の覚悟をもって戦っていたのだから無理もないだろう。
「石焼きビビンバを知らないの? 石焼きビビンバっていうのはね、石の器にご飯と具を……」
「石焼きビビンバが何か、っていうのを聞いてるんじゃ無いっつーの!」
あまりの意見のすれ違いに殺し合いの最中であったことも忘れて、妹紅は輝夜にくってかかる。当たり前だが妹紅は、断じて石焼きビビンバについての解説を求めたのではない。
「何で石焼きビビンバの話が出てくるのかって聞いてんのよ!」
「これよこれ~」
輝夜は手に抱えていた仏の御石を妹紅に傾けて見せた。なるほど仏の御石の中には具とご飯が詰まっており、焦げ目の香ばしさとジューシーな臭いを発していた。
「……ちょっとまさか。仏の御石で石焼きビビンバ作るためにここまで来たの?」
「そうよ?」
輝夜はなぜ当たり前のことを聞くのかという顔をした。
妹紅はふるふると震え出す。おそらく色々なものを堪えているに違いない。
「どうしたの? おなか空いた? 食べたいなら半分、分けてあげてもいいわよ」
「ふっざけんなーーーーーーーーーーーーーッ!」
寛大にも半分こしてもいいと言ってきた輝夜に、妹紅はフジヤマをヴォルケイノさせる。まあ当然だろうが。
だがあまりにも頭に血が上っているせいか輝夜を直接狙った弾ばかりで、ちょこちょこ避ける輝夜に掠りもしていない。それがまた妹紅をいらだたせ、さらに攻撃が単調になる悪循環。
「も~。早く家に帰ってご飯にしたいのに」
先ほど石焼きビビンバを永遠にして鮮度を保ったから問題ないのだが、やはり出来たら早く食べたいというのが人情と言うもの。そんな事のために永遠と須臾を操るな、と突っ込みが入りそうだが。
「しょうがないわね~。えい」
輝夜は懐をゴソゴソと探って、取り出したものを投げつける。それは妹紅に軽い音を立てて当たるとそのあたりに転がった。
「何よこれ……。っ! ゲホッゲホッ、ハックション!」
輝夜が投げつけたものから吹き出す煙に、咳、くしゃみ、涙ついでにかゆみに鼻水が止まらない。
「薬の八意新製品、催涙弾『空気の価値は』らしいわよ」
「グフッゲホッ、なんだそりゃー!」
ぺらりと薬の説明書きを取り出して、輝夜は律儀に読み上げる。
「唐辛子等の刺激物を中心に、種族的アレルギー誘発物質なども配合! 人妖生死を問わない効き目はすでに保証済みです。特定の対象をしていただいた場合はオーダーメイドも可能です。だって、良く効きそうねー」
「むきー! 馬鹿にしてー! ゲホックション!」
「石焼きビビンバのお礼置いていくから。じゃ、また殺し合いましょ」
お礼とやらを置いて輝夜はすたすたと去っていった。
「今回はずいぶんとこっぴどくやられたみたいだな、妹紅」
畳にぐったりと突っ伏す妹紅に笑い混じりで声をかけたのは、銀と青が混じり合った髪の少女。凛とした雰囲気を持つその少女、名を上白沢慧音という。
彼女たちの「遊び」を邪魔しないように影に控えていたようだ。彼女たちの殺し合いを見るようになって、もう永い。最初の頃は凄惨な応酬に戦慄したものだが、今やよほどのことでもない限りはあわてる事もない。
「はぁ。石焼きビビンバはないでしょ、石焼きビビンバは」
妹紅はため息混じりにぼやく。あの宇宙人は時々意味不明な行動を取ることがあったが、今回は飛び抜けて訳が分からなかった。石焼きビビンバなら普通に作れよ、と言いたい。
そしてもう一つ。
「それはともかく、今回の輝夜はずいぶんと強かったじゃないか。妹紅の炎が完全に防がれるなんて、最近は滅多になかったぞ? それに術のキレだけではなく、態度にも余裕があるように見えたしな」
少しまじめな顔をして慧音が言った、まさにそのことが気になっていた。
今日の輝夜には余裕があった。力に自信があったから余裕があったのか、それとも余裕が力を引き出したのか。どちらなのかは判然としなかったが、今日の殺し合いは間違いなく自分の負けとしか言いようがない。
「余裕かあ、オトコでも出来たのかしらね?」
何となく思いつき程度に妹紅は呟いてみる。
「何でそうなるんだ……。と言いたいところだが、まあ無いことではないのかも知れないな」
男女問わず連れ合いを持つことによって、良かれ悪かれ人柄が変化することはままある。まして輝夜はかつて断るのに苦労するほど、男性に言い寄られていたと聞く。
ならば恋人を得て落ち着くようになっても、さほど不思議なことでもないのだろうと慧音は思う。
「へっ。あんな性悪に惚れるなんてどんな間抜けかしらね。って父上も含まれるじゃない……」
言ってみてからそのことに気付き、妹紅は苦虫を噛み潰したような顔をする。
まあ自分のような不義の子を作ったり等を鑑みると、あまり女を見る目はなかったのかも知れない。当時の風潮ならば、身分の高い人間が複数の異性と関係を持つことは珍しくもなかったのだが。
父上もどうせなら後腐れのない相手に手を出せば良かったものをと思いつつも、結局はあの不甲斐ない父が好きだったのだろうと妹紅は考える。さすがに未だに父が掻かされた恥を根に持っているわけでもないが、不死に慣れるまでの数百年の間はそれがなければ保たなかったかも知れないとも思う。
本来は人間など、たったの百年を生きるかどうかの存在だ。その儚い存在が本当に不死に慣れるまでは、ずいぶんと苦しんだものだった。不死に慣れずに泣き叫んだ日々。不死に慣れようと感情をすり減らした日々。
いや、まだ慣れてきたばかりなのかも知れない。せいぜいが、ようやく生きているのが楽しくなってきた頃合いか。化け物ばかりが彷徨くこの幻想郷で不死に拘る必要など無いことは頭では判っているのだが、未だにこんな所に隠れ住むままだ。
「まあ、別に恋人が出来たと決まったわけでもないだろう。気になるんだったらそのうち聞いてみればいいじゃないか、直接行ってな」
そう慧音は提案してみる。妹紅はごろりと仰向けになりながら、
「あ~。そう言えば、こっちから殴り込みかけに行ったことは最近なかったわね。極悪薬師だの腹黒兎だの雇われ刺客だのは、よく押しかけてきたのに」
そう答えた。考えてみれば千年以上もいがみ合ってるのに、こちらから仕掛けたことはあまりなかった。
「くくく……。いいわねそれ。いずれカチコミかけてやるわ」
どうしようも無いほど目つきを悪化させて、妹紅は笑う。いろいろと妄想しているのか、なかなか不気味である。
「……まあほどほどにな。ところでそれはどうしたんだ?」
そう言って慧音が目をやったのは、テーブルの上に乗った奇妙な物体。人の拳ほどもある蛹のようなものである。
「ああ、それ? 輝夜がさっき置いていったのよ。ビビンバの礼とか言ってたけど……。って考えてみたら罠の可能性があるじゃない!」
妹紅は弾かれたように起きあがって叫ぶ。
「今頃気付くなよ……。でもまあ本当に礼のようじゃないか」
慧音は蛹のようなものを、手にとってしげしげと見つめる。
「そうなの? てっきり化け物でも孵化するんじゃないか、って今思ってたところなんだけど」
「それもあながち外れてはいないな。これは獣魔の卵のようだ。まあ使い魔の一種といったところか」
それを聞いて妹紅は首をかしげ、
「獣魔? 初めて聞いたわね、そんなの」
と疑問を口にした。最近不死の炎以外にもそこそこに術は学んでいたが、獣魔などというのはとんと聞いたことがなかった。
「当然だな。この手の術はほとんど妖怪の類しか使わない。発動が容易なのはいいんだが、人間が使うと精気を吸われすぎて大概は死ぬ。安全に使うことも出来るが、そうすると結局はほかの術と手間の差がない。むしろいたずらに危険なだけですらあるんだ」
慧音の言うところ結局、妖怪用の術であるということだろう。それでは妹紅が学んだ範囲にないのも当然のことだった。
「なるほど、人間には使えない妖怪用の術ね。あいつ流の皮肉かねぇ、これは?」
妹紅は自嘲するように嘯く。いちいち使うたびに死の危険を冒すような術は人間に向かない。だがその人間が死なない人間だったら。尽くしきれないほどの命を持っている化け物だったら。
今更さらに人間離れしたところで、どうだというのだ。そんなものとうの昔にどこかにおいてきている。
「お前は人間だよ、妹紅。お前が人間だと思う限りはな」
慧音の言葉がその思考を止めるように響く。こんなお節介者が近くにいるのに、いまだ詮無いことに悩むことがあるのは昔の悪癖だろうか。
「そうだったわね。人間らしくお腹が空いたなあ、そろそろ」
妹紅は上目遣いに慧音を見て、だいぶ直接的に食事をねだる。話題を変えたくもあったが、本当に空腹を感じてもいた。さすがに輝夜の石焼きビビンバに食欲をそそられた、とは口に出さないが。
「それじゃあ食事にしようか。今日は里で初物をもらったんだ。どうやら今年は、おかしな気候だった割には不作でもないようで良かったよ」
人里の平穏を本当に嬉しそうに慧音は語る。よほど人間が好きなのだろうが、いっそ人間以上に人間らしいくらいだ。人間みたいな者と、人間なのか疑わしい者。ずいぶんとおかしな二人が付き合いを持っているものだ。
一人でないのはとてもいい。生きているのが素晴らしく感じられる。
もちろんおいしい食事もだ。
永遠亭に爆音が鳴り響く。桃色の小さな影と、赤と青の二色に染まった影が、目にも留まらない速さで広い廊下を駆け抜けていく。
床を、壁を、戸を、天井を足場に、跳ねながら逃走する黒髪白耳の妖怪兎は因幡てゐ。
高速で飛行しながら、最短のコースでそれを追う銀髪の少女は八意永琳。
てゐ曰く「ちょっとしたお茶目」とやらから始まった追走劇であったが、いつの間にやらその様相は変化を遂げていた。
永琳が手を振りかざすと辺りの空気はたちまちのうちに毒に犯され、生者を抹殺する死の領域を生み出す。それに対してゐはすぐさま周りの空気に妖気をとけ込ませ、その毒を霧散させる。お返しとばかりにてゐが火炎の妖術を放てば、永琳の耐火の術がそれを遮る。
追いつ追われつしている間に気が乗ってきたのか、永遠亭丸ごとを戦場とした一大決戦と化していたのである。
てゐが壁を叩くと一体いつから仕掛けてあったのか、廊下の壁から竹の槍が降り注ぐ。てゐは追われながらも永琳を誘導し、望ましい場所へとおびき寄せていたのだ。
竹槍といってもご丁寧に妖力を通し、貫通力を高めた凶悪な品だ。ただの鉄辺りならば紙のように貫く。
しかしその死の雨が降り注ぐ範囲には、既に永琳は居なかった。まるで判っていたかのように飛行ルートを変えていた。
「迂闊ね、てゐ。その罠は四百年ほど前に使ったものでしょう。初見で通じなかったモノが、今更通じるとでも思ったのかしら?」
嘲笑いながら永琳はてゐを冷たく見据える。まさに既に知っていたのだ。四百年の歳月をもってしても記憶は鈍らず、また初見ですら致命的な罠を避けて見せたというのだ。やはり八意永琳はただ者ではない。
「いやいや、これは失敬だったあねえ。久々にこんなに楽しいのに、鈍ってたりされたら笑えないからさぁ」
普段は天使のように見せている笑いを引っ込め、てゐは本来のふてぶてしさをまとって笑う。初見で得たてゐの印象に騙されない者はまず居ない。特に必要はなくても常に騙せる機会を作っておく、それが因幡てゐの詐欺師スタイルである。
「私を試したというのね、てゐ?」
馬鹿にされたと感じた様子もなく、永琳は目を細めて笑う。まるでこれから来る刺激を待ちかねて身を震わせているかのようだ。
「でも私はわざわざあなたの確認をする必要はないわね。そのねじ曲がった性根が今更霧散するなんて、妄想の領域だものねえ?」
永琳はどこからともなく弦のない弓を取り出し、握りしめる。
てゐは合わせるように手に力を込めると、その爪を禍々しいかぎ爪へと変化させる。
そこにどたどたと、慌ただしい足音が聞こえる。走り寄ってきたのは薄紫の髪をしたブレザーを着てスカートを履いた少女。少ししおれた長い耳が特徴の月兎、鈴仙・優曇華院・イナバである。
師が我を失って暴れる姿に精神的外傷を負っていたが、何とか気を取り直して追いかけてきたようだ。
「ちょっと二人とも! 師匠まで! なんで無茶苦茶暴れてるんですか!」
鈴仙はあわてた様子で二人を止めにかかる。つい先日に人妖二人組が大暴れしたばかりだというのに、それもかくやというほどの大騒ぎをよりにもよって身内がしているのか。鈴仙があわてるのも無理はない。
それにしてもこの永遠亭も頑丈なものである、と鈴仙は思った。
月を隠した騒ぎにおいてこちらはともかく、人妖二人はろくでもない術をバカスカ撃っていたようだったが既に無傷となっている。そもそも普通ならば吹き飛んでいないのが謎なくらいであった。
鈴仙は知らないことだがこの永遠亭の歴史はかなり古く、既に一つの妖怪と言っても過言ではない。強い害意に対しては抵抗もするし、少しの被害ならいつの間にか修復もするのだ。
とは言え自意識があるにせよ無いにせよ、また破壊されるのは御免被りたいところだろう。
しかし止めようとする鈴仙に二人は視線も返さず、
「下がっていなさいウドンゲ。お前が首を突っ込むことではないわ」
「すっこんでな、小娘。邪魔したら皮剥ぐよ」
とけんもほろろに言う。てゐに至っては普段と口調が全く違う。
「ちょっ、こっ、こむっ!? ってなによそれ、てゐ! 師匠も変ですよ!」
必死に言う鈴仙だったが、どちらも今度は聞いてすらいないようだ。
そろそろ自分も逃げた方がいいのではないか、と思うほど一触即発の雰囲気である。皆が爆音等に驚いて逃げているため、巻き込まれそうなものがいないのが幸いだろう。
と思った鈴仙だったが、数羽のイナバがまだ残っているのに気付いた。鈴仙がそのイナバ達に駆け寄ると呆れたことに、逃げないどころか観戦気分丸出しで対峙する二人を見ている。
「……ちょっと。あんた達ねえ、さすがに逃げないと危ないでしょ」
よく見るとそのイナバ達は先ほどまで鈴仙、が、遊ばれていた連中だった。いたずらを仕掛けること、てゐのごとき連中である。
気がいい連中だが、油断していると足下をすくってくるのだ。そして鈴仙はよく油断し、彼女らは虎視眈々と足下を掬う用意をしている。てゐとどちらがましかと問われれば、どちらも碌でもないと鈴仙は答えるだろう。決して嫌っているわけではないのだが。
「何言ってるのさ、鈴仙」
「永琳が暴れるなんて、ずいぶん久しぶりなのに」
「かぶりつきで見ない方があり得ないよねぇ」
どうやら本気で状況を楽しんでいるらしい。その心臓に生えているであろう剛毛を、少し分けて欲しいと鈴仙は思った。
「って前に師匠が暴れたりし……」
尋ねようとしたところで、永琳とてゐの方から凄まじい気配が発せられる。
「あのときの決着付けさせてもらうわ」
「古いこと持ち出すわねえ。あんたの勝ちにしてあげたって言うのにさ」
「今度こそ本気で完膚無きまで潰してやるわ、妖怪兎」
「久々にすべての健康制限解除よ、ブッ潰れな月人」
いったい何のことについて話しているのか鈴仙には判らなかったが、二人が本気であることは最早疑いようもない。
「いにしえの月の力を前に戦くが良いわ」
そう宣言した永琳から、月光を凝縮したような蒼いオーラが吹き上がる。輝きを纏っているというのに、それは熱を持たず周りを冷たく照らす。
「古代の化け兎の力を見せてやるわ」
そう宣言したてゐからは強い妖気が、いやまるで神々しいような気配が満ち始める。妖気であるはずのモノは、辺りを清めるかのように広がる。
二人の気配に鈴仙は生唾を飲み込む。みるみるうちに二人の気配が膨れあがる。
「月光『ブルーツ波』!」
「兎神『ミッシングイナバパワー』!」
二人はそのまま膨れあがって巨大化した。因みに服は破れていないので、悪しからず。
巨大化した二人を見て鈴仙はコケた。観戦していたイナバ達は鈴仙の様子を見て笑い転げた。
「なんじゃそりゃ~~~~~~~~~!」
絶叫を上げて突っ込みを入れる。さっきまでの緊張した雰囲気は何だったというのだろう。もしかしたら永遠亭の住人が総出で自分をからかっているのか、という被害妄想にまで広がった。しかも符名が、何かのパクリのような気がしてならない。
「何が不満なのかしら、ウドンゲ。相手が小さく見えるということは、私が勝つという事よ?」
「そうそう。百人乗っても平気なんだからさ」
口々の巨大化の正当性を説く二人。どちらも巨大化したら無意味だと思うが。
「……ああ、もう。……いいから決着でも何でも付けて下さいよ」
鈴仙は投げやりに答えてふて腐れた。もう色々とどうでも良くなっていた。その言葉を早々に後悔することになったが。
「では」
「早速」
最初にあったものが冗談に思えるほどの爆音がまき散らされた。巨大化したまま高速で飛び回るだけで暴風が発生し、肉弾戦を行うと何とも生々しい轟音が響く。その上巨大化しただけではなかったのか、発する弾幕も類を見ないほど破壊力が大きい。
「うわっと!」
明らかに鈴仙のことはすでに頭の中から消えている様子の二人から、物騒な流れ弾が飛来する。
危うく巻き込まれそうになった鈴仙が逃げ込んだ安全圏には、既にさっきの物見遊山なイナバ達がいた。馬鹿馬鹿しい行動をする癖に、危険な雰囲気には聡いらしい。
「お疲れ鈴仙」
「あ~あ、巻き込まれずかあ……」
「わたしの勝ちね~、人参一個ゲット!」
その上鈴仙が巻き込まれるかどうか、賭をしていたらしい。色々と突っ込みたかったがもうそんな気力もなく、鈴仙はぐったりと床に伏す。
「ああ、もう。今日は厄日だわ……」
床の冷たさが気持ちいい。なにもかも忘れてぐったりしていたい、と鈴仙は思う。
「鈴仙って大抵の日が厄日じゃないの?」
「よく落とし穴に落ちてるしね」
「引っかかる予想のオッズ低いもんね」
好き勝手に言う性悪兎達に鈴仙は怒りに身を震わせて身を起こし、
「あ、ん、た、達、が、原因でしょうが~~~~!!」
と怒りの声を上げた。満足にぐったりもさせてくれないようである。
永遠亭の住人の多くに遊ばれる鈴仙だったが、このイナバ達とてゐによる被害が一番大きい。そのくせ何もしない時は意外と気配りをしてくれるので、あまり本気で怒る事も出来ないというジレンマ。
イナバ達も、「きゃ~」だの「わ~」だの「怒った~」といっておびえる様子など皆無だった。
鈴仙とイナバ達を余所に、永琳とてゐの戦闘は白熱していた。どちらも巨大化してしまって意味はないだろうに、そのままの大きさで縦横無尽に暴れ回る。どちらもそこまで頭が回っていないのかも知れないが。
「てゐーーーーーーーーーーーーーッ!!」
「永琳ーーーーーーーーーーーーーッ!!」
二人の叫び声とともに、ひときわ莫大な力が集まる。まだ放たれていないと言うのに、その存在だけで圧力を感じるほどのモノだ。永夜の日の戦闘に耐え、この戦闘に今の今まで耐えていた永遠亭だったが、流石にこれはマズい気がして鈴仙が止めに掛かろうとした。
その時、
「こら、二人とも。なにやってるの?」
と声がした。ヒートアップしていた二人はその声を耳にすると、集めた力を霧散させ元の大きさに戻り声の方に目をやる。
「「ひ、姫……」」
声をかけた人物を惚けた顔で見て、全く同じ反応をする二人。
朝から出かけていた輝夜が、ちょうど帰ってきたところだったのだ。なぜか懐に、仏の御石を大事そうに抱えている。
「久しぶりにしゃぐのは良いけど、ちょっとこれはやり過ぎじゃない?」
板が割れた廊下や穴の開いた襖を見回しながら、輝夜は特に怒ってもいない様子で二人に言う。ちょっとしたいたずらをたしなめる程度の様子である。
あまりちょっとしていない惨状だったが、輝夜にとってはそんな印象なのだろう。
「申し訳ありません、姫」
「……あーその。……ゴメン」
恥じ入って詫びる永琳と、ばつの悪そうな顔で謝るてゐ。
どうやら危機が去ったらしいことに鈴仙は胸をなで下ろす。永遠亭に腕があれば、きっと一緒に胸をなで下ろしたことだろう。
「二人とも壊れたところを直してね。それと一ヶ月料理当番で」
「はい……」
「あ~い……」
永琳が素直に承諾するのは当然のことだが、てゐまでも素直に受け入れたのは鈴仙には少し意外だった。やはり姫だけあって、てゐも流石に言うことを聞くのだろうか。
「それとイナバはトイレ掃除も一ヶ月ね」
「うぇえ!? わたしだけ!?」
輝夜がばつを追加してきたことに、てゐは不満の声を上げた。
概ねてゐが関わることはてゐが原因となるので、てゐの方の罰が重いのは常のことである。今回の騒ぎの原因を鈴仙は知らなかったが、永琳を怒らせたてゐが悪いことは想像に難くない。
「……私にも黙ってたでしょ?」
「うっ! それはその……」
少し頬を膨らませて言う輝夜に、てゐがたじろぐ。どうやらてゐには心当たりがあるようである。鈴仙はさもありなんと思った。
「本当に大丈夫か心配だったんでしょう?」
表情をゆるめて輝夜がそう言うと、
「う~、ま~、その~」
と何とも居心地悪そうにしつつ、てゐは顔を赤らめた。
その様子を見て輝夜と永琳は顔を見合わせると、クスリと笑った。もうすでに先ほどやり合っていたことについて、永琳は気にしていない様子だ。
「だからこれは隠し事をしていた分の罰よ。そういうのは無しにして、家族なんだしね」
輝夜は優しくそう言い、
「まったく、言ってくれれば相談に乗ったのに。その程度の信用もなかったのかしら、てゐ?」
永琳は少し意地悪そうに言う。二人に言われて、てゐは恥ずかしがったり返答に困ったりでしどろもどろである。
「あ~、もう。本当に悪かったってば~」
このようなてゐは初めて見るので、鈴仙にはとても奇妙な印象だった。
永遠亭に住むようになってもう数十年になるが、それでもまだここには鈴仙の知らない側面があるということだろう。
鈴仙・優曇華院・イナバの朝は、師である八意永琳の部屋を訪れることから始まる。無論その前に身だしなみを整えたりするのだが、そのような基本的行動を除けば師への用聞きから始まるということだ。
鈴仙が永琳の部屋の近くまで来ると、その襖が開いて誰かが出てきた。
「あれ、鈴仙? なんでここに?」
出てきたのはてゐである。
「なんでって……、朝はいつも師匠の所に行くのよ。むしろあんたが出てきた理由の方を聞きたいわよ」
鈴仙には永琳の部屋から朝早くに、てゐが出てくる理由は思い当たらなかった。
「ぅえっ、あっ、ああっ! そうそうっ、料理の仕込みのついでにお茶を一杯ね」
「ああ。そう言えば二人とも、まだ当番だったわね」
しばらく料理当番が回ってこないメンバーが増えて喜ぶ者が多かったが、冷静になって考えるとてゐが必ず当番に含まれるためご飯に何かされるのではと脅えも広がっていた。
実際は同時に永琳も必ず含まれているためか、それともてゐが意外にもまじめにやったのか、何事もなく二人の罰期間は順調に進み残すところあと僅かである。
「うんっ、そうっ、そうだったのっ。それじゃあわたし、今日は出かけるからっ。ごゆっくり~」
そう言って会話を切り上げると、てゐはぱたぱたと忙しなく去っていった。
「変なの……」
ずいぶん忙しそうにしていたが、余程遠くにでも出かけるのだろうか。てゐの妙な態度をいぶかしげに思いつつも、鈴仙は永琳の部屋の前に立ち中に向かって声をかける。
「師匠、おはようございます。入ってもかまいませんか?」
「開いてるから入ってちょうだい」
中から少しくぐもった声が返ってくる。永琳は人を迎える時は誰であれ、自ら戸を開けることが多い。となるとおそらく何かの作業の最中なのだろうと思い、鈴仙は何か手伝うべく部屋に入る。
部屋の中は薬入れや実験器具が多数残っていたが、作業自体はすでに終わっている様子だった。永琳は結果を纏めている最中らしく、メモや手帳を手際よく纏めていた。
傍らには抽出器具で出した茶が二つあり、一つのビーカーはすでに空だった。おそらくてゐが飲んでいたものだろう。
「ずいぶんと早いですね」
永琳は何か思いつくと実験であれなんであれ、時間を問わず試すことがままある。それでも、こんな早朝から始めることは珍しいことだった。
「朝の仕込みのついでにね、てゐに手伝って貰ったのよ。どうせ朝早いんだからって言って、お茶を出してやってね」
永琳の意外な言葉に鈴仙は驚く。
「てゐって師匠を手伝ったりとか出来るんですか?」
ここのイナバのリーダーなのだから新参者なはずはなく、それなりにつき合いはあるはずだと思ってはいたが、永琳の手伝いをすることがあるというのは初耳だった。
それになんというかあのいい加減な妖怪兎に、実験を手伝う姿を重ねるのはいかにも難しい。
「結構器用なのよ、あいつ。それに健康マニアでしょう? なにせ今日どこに出かけるのか聞いたら、紅魔館の門番に気孔を教えて貰いに行くとか言ってたし。まあそれだけあって幻想郷に自生している薬草や鉱物なんかにはかなり詳しいわよ」
「ああ、なるほど」
ずいぶんと急いでいるとは思ったが、はるばる紅魔館まで行くとは。永琳の手伝いをしていたことを言わなかった理由は疑問のままだったが。
永琳の扱う薬とは一般的な意味の薬に縛られるモノではないが、一般的な意味の薬も内包しているのは間違いない。
むしろ永遠亭の住人の健康をあずかる場合に於いては、範囲の広い意味の薬よりも一般の薬に当てはまるモノを用いることが多い。
「ここの生態系に関することならば、私よりむしろてゐに聞いた方が良いかも知れないわね」
永琳はこの地の知識に関しては、自分よりてゐに軍配が上がると考えているようだ。
「へ~。師匠は結構てゐのことを信頼してるんですね」
鈴仙が意外な人間関係に感心して言うと、永琳は珍しく頬に朱を散らす。
「あ、あくまでそのことはね。あいつったら人を騙すのを生き甲斐みたいにして。もうちょっと落ち着けばいいのに、全く」
少しどもりながら憤慨する永琳に、鈴仙は失礼とは思いながらもかわいいと思ってしまった。
この間の騒ぎでも思い出しているのだろうか。それてもあんなやりとりが他にもあったのだろうか。
「師匠もてゐに困ってたんですか」
少し笑いを含めて鈴仙は言った。鈴仙もまさか師とてゐの印象で共感してしまうとは、思っても見なかった。
「本当に困った奴なのよ」
そう言って永琳も笑う。それでもやはり嫌がってはいないようである。あれだけ色々しでかしているくせに嫌われないとは、得なやつだと鈴仙は思う。
「今日は結果のまとめで多分終わるわね。悪いけど今日はフリーということにさせてちょうだい」
「分かりました。それでは何かあったら言ってください」
そう言って一礼して、鈴仙は部屋から出ると食堂へと向かった。
「おはよー鈴仙」
朝食を摂っていると鈴仙は数人のイナバから声をかけられた。永遠亭の純和風的外見に反して、今朝はトーストとサラダ中心である。
「ああ、おはよう」
声をかけてきたのは、よく鈴仙と話すグループのイナバ達だった。
妖怪兎の割にまじめなせいで鈴仙と似たような立場、つまりよくからかわれるイナバ達である。人呼んで永遠亭の精神的ヒエラルキー最下位グループ。
若くまじめで未熟なために常にいじられる側に回るが、成長すればツッコミに回るタイプだとも言われる。
因みに永遠亭には役割分担はあっても階級的制度が皆無であるため、このヒエラルキーが実質の順位である。年を経るごとに性格が擦れて、だいたい上位に変化していく。良く言えばフランク、実際はカオスである。
「今日も元気だ、ご飯が旨い♪」
「そう言えば、あの二人の罰シフト中のご飯!」
「評判良いよねえ~」
イナバ達はがつがつと美味しそうにほおばるが、実際は良くかんで飲み込んでいる。ここ永遠亭ではその辺のことがやけに徹底されているらしい。やはり健康マニアのせいだろうか。
「そう言えば確かに美味しいわね。師匠はやっぱり料理も上手いのかしら?」
鈴仙も味わいながら疑問を口にする。医食同源のような話もしていたことがあったし、下手くそとも思えない。
「永琳が上手いのは納得なんだけどね~」
「シフトに入ってた娘の話だとね……」
「なんかてゐも手慣れてた、って話しなのよー」
鈴仙はなにやら今日は、てゐの意外な面をよく聞く日だと思った。永琳とのつき合いも結構あるようだったし、ここに居て長いのだろうか。
「てゐってここのリーダーやって長いのかな? 少なくとも私が来てからは、ずっとそうだけど」
「わたしらも鈴仙と同じよね」
「わたしたち下っ端だもんね」
「百年ちょっとしか生きてないもんねえ」
このイナバ達は妖怪に成り切る前に、別の所で暮らしていたらしい。妖化しかけで群れに見放されていた頃に拾われて、ほんの数十年前に妖怪に成り切った、つまり化けるようになったばかりらしい。それからこっちに移ったというのだから、だいたい鈴仙がここに居着いた頃と同じである。
因みに下っ端というのは精神的ヒエラルキーの方ではなく、まだ妖怪としてはひ弱であるということだ。まあこの面子は精神的ヒエラルキーの下層でもあったが。鈴仙の場合は力は強いのだが、性格の面でそういう扱いを受ける。
「みんなも知らないのね。師匠に聞けば分かるだろうけど、今日は忙しそうだったし」
分からないとなると気になり出す。誰に聞くべきか鈴仙が考えているとイナバの一人が、
「お姉たちに聞いてみたら? わたしらよりは確実に年上だし」
と提案してきた。他のイナバ達もなるほどと頷く。
朝食を終えて、鈴仙はさきほど言われた年上のイナバの所へ向かっていた。
何せここにいるのはみな化け兎な訳で、必ずしも見た目と年齢が比例するわけではないのだ。
そもそも今話題に上っているてゐからして、さっきのイナバ達と同じくらいの年頃の外見をしている。はっきり言って外見年齢は全く当てにならない。
さっきのイナバ達の言う年上のイナバ達は見た目を変えていないか、年齢を増す形で変化しているからしい。ただもっと年上のイナバもいたはずなのだが、いつの間にか見かけなくなったらしい。
少し歩いて鈴仙は件のイナバ達がいる、大部屋の辺りに着く。
兎は寂しいと死んでしまうと言われるが、その真偽はともかくとしてどうやら妖怪兎にも孤独は良い作用を与えないらしい。
一部のイナバは個室を持っているが、だからといって部屋にこもるわけでもなくて所持品が多く自分用の部屋を持っているだけ、というような理由ばかりである。
因みにてゐも個室持ちであり、前に鈴仙が入った時は健康に関する書き付け・書物、健康器具等で埋まっていた。
こんな所で寝るのかと聞いたら、倉庫で寝る趣味があるのかと聞き返された。聞くとどこかに潜り込んで寝るそうで、鈴仙の所にも来たことがあった。
「ちょといいかしら? 聞きたいことがあってきたんだけど」
そう声をかけると、襖が開いて耳がぴょこんと出てくる。
出てきたイナバはだいたい鈴仙と同じくらいの外見年齢で、中にいた数人の兎も鈴仙を見て寄ってくる。
「あら、鈴仙じゃない。なに、聞きたい事って?」
鈴仙がここまで来た経緯を話すと、イナバ達はなにやらまとまって悩み始める。
「あ、あれ? もしかしてなんか悪いこと聞いちゃったの?」
難しい顔をするイナバ達を見て鈴仙は不安になった。
「あー。いやあ何て言うか、ねえ?」
「わたしたちも、てゐがリーダーなのしか見たことが無くてね……」
「これでも一番長いのは、千年くらいここにいるんだけどね」
「それって師匠達が来た頃からって事!?」
イナバ達はそろって沈痛な顔で頷く。
千年以上生きてるくせに、てゐはアレな感じなのかと鈴仙は目眩がした。もうちょっと、威厳だとかをどうにか出来ないものかと思った。
「そのころから居た別の人たちもいるんだけどね……」
「言わない方が良いんじゃないの?」
「なんでああなっちゃったんだかねえ……」
「聞くわ! もう毒食わば皿までよ!」
やけくそ気味に叫ぶ鈴仙にイナバ達は顔を見合わせると、
「その……。落とし穴掘ったりする、バカっぽい連中いるでしょ」
「あの人達わたしらの先輩なのよ……」
「なんでお姉たちああなったんだか……」
言ってる端からうなだれ始めた。鈴仙は自分が罠に掛かるか否かを賭の対象にするバカたちや、師にに本気で追い回されるほどろくでもないことをするドアホを思い浮かべた。一方まだ五百年ほどしか生きていないという、紅魔館の主が放つ威圧感を思い浮かべてみた。凄まじいギャップに頭がくらくらする。
「……ねえ、もしかして地上の兎って年を経るとああなるの?」
「言わないで、お願い……」
がっくりとして自分たちの行く末を案じるイナバ達に、鈴仙は言いようのないむなしさを感じた。この件はきっともう追うべきではないのだ。
「……その。お大事に~」
鈴仙は虚しさを抱えるイナバ達を残し、逃げるように部屋を去った。イナバ達に幸あれ、と祈るべき相手も判然としないままに祈りつつ。
紅魔館の門番・紅美鈴の一日は、己の守護する門前で気を錬ることから始まる。
彼女の持つ気を使う能力は、たとえば人間の魔法使いが知識を漁って得る技術による力とは異なり生得の能力である。妖怪の、つまり生粋の魔女・魔法使いが呼吸するように魔法を使うが如く、妖怪・紅美鈴は意識する必要もなく呼吸するように気を錬る。
ならば疎かにして良いのではないかと思われがちだが、実のところは逆である。はじめから使うことが出来るからこそ、失った時に取り戻す方法が分からない。故に一部の妖怪たちは己の力があることを確認するかのように力を振るい、あるものは己の根元さえも辿って解き明かしもする。
だから美鈴は毎朝、愚直に、飽きることもなく気を錬る。己の力が、己の存在が消えていないことを確認するかの如く、美しい紅髪をなびかせて舞うように気を錬る。
ただし今日はいつもよりも時刻が遅く、また普段はないものが側にあった。
美鈴の後を追うようにして動作を真似る桃色の服を着た幼い少女、妖怪兎・因幡てゐがそこにいた。その動きに美鈴のような年月を重ねた流麗さはないものの、てゐの動作は美鈴から見ても見てもなんとか様になっていた。
「結構飲み込みが良いじゃない、てゐ。これなら基本的なところは近いうちにマスター出来そうね」
「えへへ、ありがとうございます。体を動かすのは得意なですよ~」
美鈴のほめ言葉に、てゐは頬を赤くして照れる。
「それじゃあ次は、っと」
続けようとして美鈴は少し右によろめく。てゐはなにもないところで尻餅をついていた。
「大丈夫?」
少し心配そうに言ってくる美鈴にてゐは、
「あ、大丈夫です。でも疲れてるみたいなのでこれで。美鈴も忙しい中ありがとうございましたー!」
そう言い終わるや否や、素早く立ち上がると逃げるように走り去っていった。疲れていると言ったのはどこに行ったのだろうか。
「チッ。逃がしたか」
「おはようございます。今日はずいぶんと朝更かしですね、お嬢様」
美鈴は振り返りながら、遠く後ろの方で舌打ちをした人物に挨拶をした。彼女の遙か後方の日陰に浮かんでいるのは紅魔館が主にして紅い悪魔、レミリア・スカーレットである。
まだ五百年ほどしか生きておらず外見も永遠に幼き月の二つ名の通りであったが、この化け物だらけの幻想郷に於いても指折りの実力者である。
「美鈴。門番だったら面白そうな奴は、私に引き渡してくれないとダメじゃない」
言うと同時にレミリアは、かなりあったはずの距離を無にして美鈴の前に立つ。その手には昼の吸血鬼の必需品、日傘がいつの間にか差されていた。
「門番の仕事は主人の暇つぶしにもならない、勘違いバカを通さないことだと思ってましたよ」
どちらも常識的には門番の仕事として正しくないが、ここ幻想郷に於いて常識ごときが大きな顔を出来るわけもない。押し通された答えの方が正解である。
「私がそうだと言ったら門番の仕事はそうなの」
「そうは言っても彼女ちゃんとアポ取ってましたし、黒白よりは余程まともな訪問者ですよ」
「まったく咲夜ったら。あんな面白そうな感じがする奴を、なんでスルーしたのかしら。来ると分かってれば派手な歓迎をしたのに」
一体どういう派手な歓迎をするつもりなのか、人のよくない顔をして笑う。
因みになぜ紅魔館のメイド長がてゐの訪問を小事として扱ったかと言えば、アポイントメントの記入に永遠亭の中ボスAと書いてあった上に目的が健康法だったからである。
「いくら面白そうな感じがしたからって……」
レミリアが居る方とは逆に向かいながら美鈴は、
「私ごと刺さるようにナイフなんか投げないで下さいよ」
そう言って地面に突き刺さったナイフを抜いた。
美鈴が先ほどかすかによろめいたのは、このナイフを避けるためだったのだろう。
「部下の抜き打ち能力テストも兼ねたのよ、今決めたけど。さっきのってやっぱり避けたのかしら?」
あっさり美鈴の抗議は却下されたが、言われた美鈴も気にしていない様子である。
「かなり自然に尻餅着いてましたけどねえ。よっぽど嘘を吐き慣れてるんでしょう。むしろ嘘じゃないところがほとんど見当たらなかったような」
てゐは尻餅をついたフリをして避けたと言うことだろう。
「それにしてもお前も酷いわね、美鈴。もしあの兎が避けられなかったら串刺しよ? 客人の危機を救ってやる気概はなかったのかしら?」
悪戯っぽく笑って、レミリアは全く思ってもいないことを口にする。
「そんなことしたらお嬢様は邪魔をするな、って後で怒るに決まってるじゃないですか」
「もちろんそうするに決まってるわ。ところであの兎、どの程度かしら?」
またも美鈴の抗議をスルーしつつ、レミリアは少しまじめな顔をして美鈴に聞く。気を操る美鈴の、実力を読む精度はかなり高いのである。
「古狸って感じですねえ、兎だけど。まあ本気を出させるまでが大変そうですけど、期待はずれって事はないと思いますよ」
「ふーん。なかなか良いわね」
にやりと笑って舌なめずりをするレミリアだったが、少し不満げな顔になって、
「もう。なんでここにはこそこそしてる奴が多いのかしら」
と文句を付けた。
それを聞いて美鈴は少しあきれた顔をした。あまりにも答えが明白だったからだ。
「そりゃあ、みんなお嬢様みたいな悪魔に喧嘩を売られたくはないですから。歯ごたえがありそうなら喜んで遊びに行くでしょう?」
「当然じゃない!」
レミリアは胸を張って肯定する。
やはり幻想郷の妖怪が騒動好きの悪魔を恐れて、こそこそするのも無理はないことだろう。
「あーもー! なにあのロリ吸血鬼! 普通いきなりナイフ投げつける!?」
てゐは水面を蹴って湖上を疾走しながら、自分の外見をさておいて悪態を吐いていた。健康にいいと思って気孔を習いに行って、健康に悪そうな悪魔に目を付けられた気がした。
「植物のように平穏に生きたいっていうのに、まったく。しばらく紅魔館には寄りつけないじゃない」
平穏に生きたいのならまず他人を騙して遊んだりすることを慎むべきだろうが、てゐはそちらを控える気が全くないらしい。
精神や外見を幼く保っているのも健康に良いからだと言っているが、実際は年寄り扱いされたくないだけだったりもする。永琳などによく年のくせに落ち着かないと言われるが、そもそも落ち着いた性格になる気がないのだから年季による威厳など現れようはずもないのだ。
湖を抜けようとしていると、周りの水面が凍り始める。氷精の悪戯かと思い冷気の飛んできた方を見ると、全体的に青いのと緑色っぽい妖精が遠くからこちらを見ている。てゐの良く聞こえる耳には、
「私に黙ってこの湖を抜けようったって、そうは行かないわ! つーこーりょーおいてけ~!」
「チルノちゃんいきなり、そんなことしちゃダメよ!」
などと叫いてるのが聞こえた。
そちらの方を向いて鼻で笑ってやると、なかなか目が良いのか青い方が顔を真っ赤にして怒るのが見えた。
悪戯は成功させてこそ、である。てゐは「未熟者め」などと思いつつ、風に化けて二人の方に吹き付ける。妖精たちは突然の強風に吹き飛ばされて、
「「あーれー」」
などという声をドップラー効果付きで残しつつ最後は水音で決めてくれた。
草などに擬態するのは妖怪でないただの動物でもする。その変化ともなれば本当に草木や石にも化け、年を経れば雨風や炎などの自然現象にも化けるものだ。そこまでなれば土地神にでも成ったりする者もいるが、てゐにはそんな退屈そうなことをする気は毛頭ない。
植物のように平穏に生きるだとかは大嘘も良いところである。
てゐが永遠亭がある竹林まで着いて歩いていると、ここには珍しい二つの人影があるのに気付いた。せっかくなのできちんと挨拶してやろうと思い、傍らの垂れ下がったロープを引く。
すると二人がいた辺りの地面が陥没し、その上どこからか竹槍がそこに降り注いだ。しかしその二人は素早く落とし穴を回避し竹槍の雨を避けきると、油断無く背を合わせて構えを取った。
二人の動きに感心しながらてゐは、
「こんにちは! 妹紅さん、慧音さん。お久しぶわっとぅ」
そう言う途中で、二人の少女の片割れの藤原妹紅にナイフを投げつけられて口上を止めた。
「あんたね! いきなり罠にかけるな! 今更ぶりっこすんな!」
妹紅は猛り狂って取りあえずのツッコミどころ全てにツッコミを入れる。
「本当に相変わらずだな、お前は……」
もう一人の少女、上白沢慧音は疲れたような顔で額を押さえて呆れ返っていた。
「もしかしたらまた騙されてくれるかも知れないじゃないの」
「自分の首を飛ばしたことある奴に今更油断しないわよ、馬鹿」
てゐが輝夜の刺客として妹紅の前に現れた時に、その外見とおびえた態度に騙されていきなり首をすっ飛ばされたことがあったのだ。あまりの引っかかりっぷりに腹を抱えて笑っていたてゐをリザレクションして焼却処分にしようとしたが、妹紅の住む竹林を縦横無尽に逃げ回られて気力を使い果たしたあげくぶっ倒れた苦い記憶である。
因みにその時てゐは妹紅に、永琳開発の油性顔料で髭を描いてから帰った。その後さらにぶっちぎれて暴れたそうである。
「ところで今日は何の用? 弾幕ごっこ? 喧嘩? 殺し合い?」
目を輝かせながらてゐは騒動に期待する。どれも似たように見えるが微妙に違うらしい。
「あ~、その、何て言うか……」
「今日はそう言うのは無しで、酒でも飲もうと思ってきたんだ」
言いにくそうにする妹紅に、慧音は助け船を出すようにしてそう言った。言われてみれば二人はなにやら荷物を持っているが、想像もしなかった答えにいつもは驚かす側に回るてゐが目を丸くする。
二人はその反応を見て「してやった」という顔をして笑った。
「あっはは。そりゃいいや、姫もきっと面白がるよ。他の連中もきっと喜ぶわ」
こういう事ならたまには驚かされる方に回るのも悪くないと、てゐは思った。
珍客を迎えて永遠亭は急遽、宴会を催すことになった。
酒にも酔えない蓬莱人たち三人とそれにつき合う半獣は静かに酒を飲んでいたが、それも最初だけで途中から珍しい客に興味津々だったイナバ達の騒ぎに巻き込まれていた。言うまでもないが鈴仙ははじめから遊ばれっぱなしである。
幸いな事に懸念されていた輝夜と妹紅の間も特に騒ぎは起きていない。
てゐは一人、涼しくなってきた夜風を浴びる。酔い覚ましと称して会場を出てきたが、結構な酒量にもかかわらずてゐは特に酔ってはいなかった。こっそりと抜け出した者が居たので追いかけてみただけである。
「永琳、入るよ?」
返事も待たずに戸を開けて、中に入るてゐ。
中はすでに片づけられており、朝の作業の跡はない。てっきり朝の作業の結果を纏めていると思っていたが、そうではなかったようだ。書き物をしている人物はいたがそれは永琳ではなく、客として来たもう一人の知識人の方だったからだ。
「慧音ったら永琳の下働きにでも転向? 鈴仙が嫉妬するよ」
「違う。永琳殿に歴史書の編纂を手伝って貰っているんだ」
「その割に永琳は立ってるだけじゃない」
てゐの言うとおりに永琳は何かを書くでもなく、慧音の横に立っている。それに知識と歴史の半獣たる慧音に、わざわざ書にする理由があるとも思えなかったが。
「口伝を纏めているのだそうよ。私は語りべという事ね」
てゐは永琳の言葉に納得しかけるが、永琳がかかわった歴史と言われてもいまいち思い当たらなかった。
いったい何の歴史書なのかと尋ねると、慧音は編纂中の書の表紙を見せる。
「竹取物語ぃ~? それって歴史書じゃなくて……。ってああ、そう言えばそうかあ」
なるほど目の前にいる永琳は、かぐや姫を連れに来た月の使者の一人である。それならば歴史書というのも頷ける。
「私は月の使者の最後の生き残りなのだしね。面白そうな試みにちょっと協力してみたのよ」
永琳は少し皮肉げに笑う。何しろその月の使者を皆殺しにしたのは、当の自分なのだから。今更後悔するわけでもないが、決して良い思い出でもない。
「私の能力があれば歴史上の事実を知るのは容易いが、人の想いなどまで分かるわけではないんだ。いわばこれはわたしのハクタクとしての身とは関係ない、人間・上白沢慧音としての趣味だな」
あえて主観に満ちた、本来歴史書としてあるべきではないモノを書き上げるつもりだという。竹取物語以外にも、いくつか永い時をかけて纏めているらしい。
「幻想郷は直接話を聞くには都合が良いんだ。外では実在しないと思いこまれている者もいるし、それどころか冥界との境すら薄いからな。上手くすれば死者から話を聞くことも出来る」
「あなたも聞かせてやったらどうかしら? 稲羽の素兎のくだりでもね。それも鋭意制作中らしいわよ」
慧音の言葉を受けて、からかうようにして永琳は言う。
「ゲ、ばれてたのそれ? 古い連中には口止めしておいたんだけどなあ……。もしかして慧音に聞いた?」
「あなたより年かさのイナバを一度も見たことがなければ、いい加減にそう思うわよ。しかも因幡じゃねえ。と言ってもまあ、あなたがそこまで長生きしていると思う奴は少ないでしょうけど」
「若気の至りだらけで、あまり聞かせたくないようなことばっかなんだけどねえ」
てゐは昔を懐かしむように遠い目をする。昔の思い出は全体的には良くないものの集まりだったが、それでも今は懐かしく思えるのは今が幸せだからかとてゐは思う。
「出来れば聞かせて貰いたいな。関係者数人には話を聞けたんだが、当の稲羽の素兎殿には聞けていなくてな」
わざわざ「殿」などと、笑いながら付けて言ってきた慧音にてゐは苦い顔をする。
「話ぐらいしてやるから殿は付けないでよ。あと関係者とやらの話は聞かせて」
「ああ、わかった」
てゐがまだ因幡てゐではなかった頃。人妖の境すら曖昧だった頃。彼女はずっと一人だった。
師匠はサ○ヤ人だったのか・・・。
ってことは尻尾がある?尻尾付きの師匠も萌(アポロ13
目の前でエーリンが大猿になったら、「ば、化け物ー!」と言い残して引っ越すな多分。
つまり、ミッシングパワーで巨大化したてゐは「かつて在った力」で巨大化したのだ。
そう、てゐは稲羽の素兎だった頃はあれくらいの大きさだったのだよ!(AA略
>「ついに念願の石焼きビビンバを手に入れたわ~」
>「ついに念願の石焼きビビンバを手に入れたわ~」
笑い殺す気ですかww