幻想郷は今日も吹雪に見舞われていた。
冬であれば別に珍しくも無い光景であるが、既に5月。
今年は明らかに異常である。
マヨヒガの夜。
八雲家の一室にて談笑する少女の姿があった。
外に吹き荒ぶ雪の音を肴に、ささやかな酒宴を開いていた鬼と妖狐である。
「今年はどうしたんだろうな?寒くてかなわん」
「その割りに、ちっとも寒そうに見えないんだけど?」
「ああ、狐は寒さに強いからな、今のは一般論だよ」
「そうだね。熱燗がおいしいよねぇ…あぁ、染渡るなあ……」
恍惚の表情で瓢箪を傾けるのは鬼の少女。
その容姿は本当に幼く、とても酒を嗜むようには見えない。
しかしここは幻想郷、見た目と歳はあまり関係無かったりする。
「萃香…それ結構稀少なんだよ。味わってくれ…」
「な~にいってんのよ藍ってばぁ。ちゃんと味わってるよぉ。さすが大吟醸・水道水!!コクが違うわぁ…」
「そうかい……」
安酒と同じ飲み方をしているのだから説得力など無い。
ため息をつく姿が妙に似合っているのは藍と呼ばれた妖狐。
こちらは少女というより女性といったほうがふさわしい。
「…紫様と飲もうと思ってたんだがなぁ」
「私に見つかったのが運の尽き!でも紫ったらまだ寝てるんだ……」
「ああ、あれは冬眠だからな。暖かくならんと目覚めない……」
二人の声がやや沈む。
萃香は本来紫と飲みに来たのだ。
酒豪の彼女に最後まで付き合えるのは紫しかいない。
「しかし春なんて集めて何しようって言うんだろうね?冥界の連中」
「…冥界?」
「あれ?気付いてなかったの?今あそこに幻想郷中の春が集ってるんだよ」
「へぇ…幽々子殿がねぇ…」
初耳である。
「じゃあ、白玉楼では桜が満開だろうな。あそこの桜はみごとだから…」
「へぇ…花見酒もいいなぁ」
うっとりとする萃香は見た目相応の幼さがあった。
その様子が微笑ましく、藍は目を細める。
「そうか、萃香は行ったことないんだったか」
「うん、ないない。どんな所なの?」
「そうだな…見渡す限り桜があるよ。もちろん、それだけじゃないけどね」
「うんうん」
「屋敷に至る階段の桜並木は絶品でなぁ。そこを通ると、いかにも『春が来た』って気分になるもんだ……」
「へぇー」
「だけど、そこには一本だけ咲かない桜があってな……」
「あって?」
「あって……それで……」
藍の顔から急速に和やかさが減少する。
不思議そうな表情で首をかしげる萃香。
「まさか……」
「どしたの?」
「…萃香、少し留守番頼めるか?」
「は?」
「頼む。なんだか嫌な予感がするんだ、外れてればいいんだが…」
「紫のお守りぃ…?なんだってそんな…」
「酒蔵好きにしていいぞ」
「まかせて!!」
手のひらを返す萃香に苦笑する藍。
「じゃあ、出かけてくるから」
「いまから!?吹雪いてるんだよ!?」
「言ったろ。狐は寒さに強いんだよ」
「……なにも一分一秒を争う訳じゃないでしょうに」
呆れる萃香。
だが藍は厳しい表情と声でつぶやく。
「……半分半秒を争うことになるやも知れんよ…」
* * *
藍は雪の舞う中、目的地に急ぐ。
目指す先は博麗神社。
その途中、ようやく風は収まっていた。
(霊夢はまだ起きてるか?…まあ、寝てたら起こすだけのことなんだが)
博麗の巫女・霊夢と、藍が直接出会ったのは最近のことである。
四月の初め、幻想郷と現世を別つ『博麗大結界』の点検の最中、同じことをしていた両者がばったり会ったのが最初だった。
人間と妖怪の会合。
そのときはあわや殺し合いとなりかけた。
しかし藍が人を食べないことと結界の穴を見回っていたことを話して事なきを得ていた。
霊夢が藍の言い分を鵜呑みにしたとも思えなかったが。
(私の考えすぎなら、それに越したことはないんだが…)
ようやく神社が見えてくる。
雪はいつの間にか小降りになっていた。
藍は玄関先で雪を落とすと戸を叩く。
「夜分申し訳ない。霊夢、いるか?」
しばし待つと中で音がする。
どうやらまだ起きているようだ。
中から玄関が開けられる。
「はーい。どちら様?」
「遅くに済まない。私は「ああ、あんたか……なんなの?これから寝るとこなんだけど」
「……」
「なによ?」
「いや、正直覚えていてくれるとは思わなんだ…」
「そりゃあね…」
霊夢が出会った中で、藍は最強の妖怪だった。
あくまで妖怪の中でであるが、自分の知る悪魔や魔界人などと比べても見劣りしない。
藍は外界に今だ語り継がれるような金毛白面の九尾である。
そんな妖怪と対面して忘れるはずが無い。
「まぁ、いいわ。とりあえず上がって、そこ閉めて頂戴。寒いから」
「ああ、すまない。上がらせてもらう」
霊夢は藍を居間へ通すと、掘り炬燵の炭に火を入れる。
「お茶は無いわよ」
「結構だ。こんな時間に来て悪かった」
「まったくね…」
そういいつつも、意外そうな表情をする霊夢。
いつも神社に押し入っては、無茶なことを言ってくる連中が多いため、このような反応は珍しかった。
「それで、何の用なわけ?」
「ああ……単刀直入に言おう。春を取り戻したい。力を貸して欲しい」
「春?」
「そうだ。今はもう5月だが、未だに幻想郷は冬のまま。この異常を解決したい」
「取り戻すって…誰か盗んでたの?というか春なんて集められる物なの?」
藍がうなずく。
確かに異常気象である。
霊夢も何らかの人為に拠るものだろうとは思っていた。
「春は今、冥界の白玉楼に集められている。そしてやったのは、亡霊の姫・西行寺幽々子殿だ…」
「へぇ、そんな処があったのね…だからこんなに寒いのかぁ」
「そう。まぁ、彼女がやったという証拠は無いが、あそこで起こったことに彼女が関与してないはずは無い」
「迷惑な話ね……」
心底嫌そうにつぶやく霊夢。
どうやら寒いのは苦手らしい。
そのわりに、寒そうな薄着だが。
「でもそこまで分かってるんなら、さっさとやればいいじゃない」
「出来るものならそうするがな……」
「?」
「行っても返り討ちになる公算が高い」
「…あんたが?」
「ああ…。亡霊の姫は相当な実力だし、しかも庭師の魂魄妖夢が護衛している、こっちもかなり厄介だ」
「バランスがいいのね?」
「話が早くて助かる」
冥界の主従は前衛・後衛の役割がはっきりしている。
その二人と同時に戦い、連携などされようものなら藍の手に余る。
「それで、同時攻略したいのね……」
「その通り。幸い、一対一ならなんとかなると思う。まあ、それさえ保障は出来かねるがな」
「……」
霊夢は腕を組んで考え込む。
相当厄介な話ではある。
しかし霊夢自身、そろそろ何とかしなければとは考えている。
今回は既に犯人も所在も割れた。
しかも今なら強力な相手に対して協力者ができる。
これは渡りに船といえる。
「まあ、いいわ。それで、相手はどんな力を使うの?」
「庭師の従者は、主に剣術を使う。得物は楼観剣という長刀と、白楼剣という短刀だ」
「二刀流?」
「…とは限らん。二刀同時に使う技もあるようだがな」
妖夢は未だ未熟であるものの、それを知っており補うことに余念が無い。
最後に藍が会ったのは紫が冬眠に入る前なので、どれだけの成長を遂げているか予測がつかない。
「そう…で主は?」
「幽々子殿は死を操る能力を持っている」
「死を…?」
「ああ…人であろうと妖怪であろうと、区別なく死に誘う」
「勝てるの?そんなのに……」
「幽々子殿の方は、その能力の媒体となる蝶に触れなければ何とかなると思うんだが…」
「曖昧ねぇ…」
「すまないな。正直、あの方の力は底が知れん」
幽々子の力は、藍には測りかねた。
どうも苦手意識があるのかもしれない。
「だけど、そっちのお嬢さんの方が私と相性がよさそうね……」
「そうだな…相手は亡霊。私の妖術より、お前の霊術の方が効果的だろう」
「庭師の方は大丈夫なの?近接戦闘になるんでしょ?」
「ああ、そちらは任せてくれ。遅れは取らないつもりだ」
お互いの相手が決まると、その場で襲撃の算段を整える。
2対2となっても、コンビのキャリアは相手が上。
しかもこちらはお互いの闘い方を知らない。
何とか分断して二正面の状況を作らなくてはならない。
「……とこんな所だ」
「うまくいくかしら?」
「……おそらくな。妖夢の性格からして出て来るだろう」
「判ったわ。その辺は任せる」
「よし……では、行くか」
「これから?」
「ああ、少々遠いんだ。今から出ないと、着くのは明日の夜になる」
「はぁ…これから寝ようとしてたんだけど…」
博麗神社から人間と妖怪の二人組みが飛び立つ。
目指す先は冥界・白玉楼。
そこは亡霊達が住まい、自らの転生を待つ死者の国である。
* * *
「ちょっと聞いていいかしら?」
「ん?」
白玉楼への道中、霊夢が問う。
「あんたは、なんで春を取り戻そうなんて思ったの?」
「…いろいろと不便じゃないか」
「そうだけど、だったらとっくに何とかしようとするでしょ?」
「ああ」
「それに、紅い霧の時だってあんたは動いてない。なら、今回はどうして?」
藍は霊夢の方を見ながら自問する。
(話しても良いものか……)
しばし逡巡したものの、藍は事情を話すことにする。
これからの闘いにおいて、迷いが出ても困る。
霊夢はいざ闘う時は開き直れるが、藍はそんなことは知らない。
「……少し長くなるが、いいか?」
「…?ええ」
―――その昔、幻想郷には一人の歌聖が居た。歌聖は自然を愛し死ぬまで旅してまわったという。
自分の死期を悟ると、己の願い通り最も見事な桜の木の下で永遠の眠りについた。
―――それ以来その桜はますます見事に咲き誇り、多くの人を魅了し、多くの人が永遠の眠りについた。
そうした死の魅力を持つ桜は、いつしか妖力を持つようになっていた。
「物騒な桜ねぇ…」
「まったくだ。そしてその桜を見守っていたのが西行寺家だった」
「なんで西行寺はその桜の傍にいて平気だったの?」
「もともと、あそこは異能者の家系だったからそれ故だと思う。何らかの耐性があったんだろう」
「ネクロマンサーの家系だったの?」
「そうかもしれないな。事実、生前の幽々子殿は死霊を操ることを得手としていた」
それは最初からなのか、それとも西行妖の影響を受け続けたための変異かは判らないが。
「生前、彼女は孤独な人でね…その力ゆえに友達もできず、両親からすら畏怖されていた」
「どうして?もともと異能の家系なんでしょ?」
「それにしても強すぎたんだ。彼女の理解者と言えば、西行寺の先代庭師・魂魄妖忌と、私の主の紫様くらいのものだったよ…」
霊夢はやや意外そうに藍を見返す。
これほどの妖怪が誰かに仕えているというのは信じがたかった。
「三人でいるときは、それは幸せそうだった……」
「あんたはどうしたの?」
「……一線は退いて付き合ってたな」
藍は苦笑する。
当時の藍は幽々子に対し、虚心でいられなかった。
紫の式となって、初めて自分以外に主が心を砕いた相手に釈然としないものがあったのだ。
藍は紫を取られるのではと考え、当時は深刻に悩んでいた。
「しかし、そんな日も長くは続かなかった……あるとき、幽々子殿は西行妖に魅入られた」
「魅入られる?」
「西行妖は幽々子殿と徐々に同調していったようなんだ。いつの間にか、彼女の力は死霊から死そのものを操るように変貌していった」
「……」
「そして、彼女の力が完全に変わると西行妖は幽々子殿を乗っ取った」
「でも、話だと彼女は相当な力を持ってたのよね?いくら何でも本人に気付かれずに乗っ取るなんて…」
「……幽々子殿は『西行寺など無ければ』『こんな力などいらない』、とよく泣いておられた……」
「……自分から受け入れたのね……」
「ああ…そして願いは叶えられた……最悪の形でな……」
幽々子はやり直しを望んでいた。
しかし決して今ある全てを滅ぼしてまで望んでいたわけではなかった。
「幸い…なのか判らんが、彼女の支配は一時的なものだった」
「幸いじゃないの?」
「ああ…彼女が魅入られた、ほんの数分の間に西行寺は滅んだんだ……」
「は?…」
「文字道理、全滅だ。彼女は屋敷にいた者全てを死に誘った……」
藍の記憶にある屋敷の者の死に顔は皆穏やかだった。
それはある意味、理想の死に方なのかもしれない。
「その場に居合わせて生き残ったのは、妖忌殿だけだった……」
「……」
「幽々子殿は自分の所業に耐えられなかった…彼女は自分と西行妖の同調を逆用してこれを封印したんだ……」
「それって、まさか…」
「そう。彼女は自害し、その亡骸をもって封印の媒介とした」
「……」
「封印なら、他にも手はあったかも知れん。だが、彼女は死にたかったんだろうな……」
藍の顔が苦渋に歪む。
幽々子の死は、あの時の当事者達に深い傷を残している。
「そして、今は冥界において亡霊となり、彼女は第二の生を謳歌しているんだ……昔の記憶を全てなくしてな」
「つまり、そのお嬢さんは生前自分が封印したモノを復活させようとしてるのね?幻想郷中の春を集めて」
「ああ。幽々子殿がこんなことをする理由は他に思いつかん」
「彼女は亡骸で西行妖を封印してるのよね?ならそんなものの封印を解いたりしたら、今の自分の存在が危うくならない?」
「ああ。だけど彼女は西行妖と自分の関係を知らない」
「なるほどね…」
霊夢は納得したように頷きかけて、ふと気付く。
藍は最初の質問に答えていない。
「ひょっとして、あんたは彼女の自殺を止めたいわけ?」
「そのとおり」
「春が目当てじゃないの?」
「春にしたい理由もあるけどね。だけど主目的はそっちだ」
「……わりとおせっかいなのね。好きにさせてやればいいのに」
霊夢の言葉に、藍はほろ苦い表情で答える。
「長く生きてるとね……どうしても捨ててしまいたい過去や、置き去りにしてしまったものが増えて来るんだよ……」
「?」
「ならばこそ、未来の原因である今を大切にして、後悔しないようにするべきだと思わないか?」
「あんたにとっては、自分のためにやってるつもりなのね……」
「そうだよ」
「他人のために行動してて、どうして自分のためになるの?」
「私の好きな人や、その友人が幸せなら、私も幸せになれるじゃないか」
霊夢は言葉がない。
藍の言っていることの意味がよく判らなかった。
他人の幸せが自分の幸せになるなど、自分と他人しかいない世界で生きる霊夢には理解できない。
あるいは、理解したくないのかもしれない。
「よく判らないわ…」
「そうか、判らないか…」
寂しそうに霊夢を見やる藍は、彼女の世界をほんの少しだけ理解する。
「年寄りの老婆心から言わせてもらうとな……」
「……」
「お前の歩んでいる道の先は空っぽだよ」
「……そう」
それきり、二人は黙り込む。
程なくして、幻想郷と冥界の境にある結界が見えてくる。
「そろそろ着くぞ。」
「そのようね」
「着いたら手はず通り、相手を分断して私が妖夢を……」
「そして私がお嬢さんね」
「ああ。お前の勝敗が、そのまま私たちの勝敗になる。任せたぞ」
「ま、なるようになるでしょ」
気のない霊夢の態度だが、なぜか頼もしかった。
二人は結界を越える。
そこは下界の寒さが夢のような暖かさ。
桜が咲き乱れ、一面に広がる冥界はまさに春の国だった。
* * *
白玉楼にて、魂魄妖夢は馴染みの妖気を感じ取った。
(藍殿か?)
妖夢は庭の剪定を中断すると、出迎えるために正門前の白玉楼階段を降りる。
旧知の友人であり、主の友人の従者である藍を見下ろして迎えるようなことはしない。
妖夢は常に藍が来たときは下まで出向いていた。
(しかし何の用だろう……まあ、本人に伺えば済むことか)
妖夢は藍の目的を測れない。
まさか相手が喧嘩を売りに来たとは思わない。
これで妖夢は階段の上下という地の利を失う。
(……いた、一人じゃない?……)
藍の姿を見つけた妖夢はいぶかしむ。
しかも藍と共にいたのは主人の紫では無く、初めて見る顔だった。
その娘は紅白のおめでたそうな服を着て、やる気のなさそうな表情で立っていた。
「わざわざ出迎えありがとう妖夢。久しぶりだな」
「とんでもない、こちらこそ」
となりの少女のことは気になるが、妖夢は藍の挨拶に応じた。
「それで、今日はいかがなさいました?申し訳ありませんが、今たて込んでおりまして……」
「ああ、忙しい所すまないな。すぐに済む用事だから」
「そうですか」
安堵する妖夢。
彼女はこれから主の命で春を集めに行かねばならない。
もう少しで、幽々子の望みを叶えることが出来た。
「こちらのお嬢さんが、幽々子殿との面会を望んでいる。取り次いでもらいたい」
「失礼ですが、どのような用件でしょうか……?」
「あら、いちいち言わないとわかんない?あんたたちの奪った春を返して欲しいのよ」
とたんに妖夢の顔が曇る。
相手はどういうわけか藍の紹介である。
しかしそれは出来ない相談だった。
「それでしたら、お取次ぎするわけにはまいりません…お引取りを……」
「あら、あんたは主人に用事があって来た客を、自分の判断で追い返すの?」
「……お嬢様にそんなことを言いに行けば、どうなっても知りませんよ……」
「あんたの知ったことじゃないわ」
静かな恫喝にも応じない。
妖夢は一瞬苦い顔をしたが、すぐに無表情になる。
「お引取り願えないなら、実力で排除します……」
「最初っからそういえばいいのに」
二人の間に険悪な空気が張り詰める。
妖夢が腰の楼観剣を抜こうとした。
「妖夢。今ここで闘うなら、私はこっちに着くぞ」
「藍殿!?」
「もともと、私たちの利害は一致している。春がこないのは困るんだ」
妖夢は一瞬躊躇するが、それでも退けない。
「そうですか……しかし、それでもここを通すわけには行きません」
「……春なんて集めて、何をする気だ?」
「……西行妖を満開にすることを、幽々子様は望んでいらっしゃいます」
(やはりそうか……)
藍は内心、舌打ちしていた。
どうやら最悪に近い状況らしい。
まだ咲ききっていないらしいのは幸いだが。
「……話し合いに応じるつもりは無いんだな?」
「はい」
藍の最後通告に対して頷く妖夢。
その顔に迷いは無い。
「そうか……では、いくぞ!!」
藍の声と同時に霊夢が走る。
それを見た妖夢は、今度こそ楼観剣を抜く。
しかし二人が間合いに入るよりも早く、横合いから藍が放った蒼赤を編みこんだレーザーが、妖夢に向かって迸る。
「……」
すさまじい破壊力だが、狙いは甘い。
妖夢は動かず、藍の放ったレーザーはかすりもせずに脇へ抜ける。
しかし……
「散…」
「っ!?」
藍がつぶやくと、編みこまれたレーザーは無数にほどけ、中で纏められていた妖弾と共に妖夢に向けて殺到する!
妖夢が気付いたときには既に遅かった。
藍の目的は妖夢の足を止めること。
霊夢の目的はその隙に幽々子のもとへ向かうこと。
「クッ!!」
妖夢が拡散レーザーと妖弾の複合攻撃を捌ききったとき、既に霊夢は背後の白玉楼階段を上っていた。
「……」
「……」
妖夢は追えない。
その眼前にて、己が妖気でその九尾をなびかせる妖孤が静かに佇んでいた……
* * *
白玉楼にて、二人の従者が対峙する。
「なぁ妖夢よ…どうして幽々子殿をお止めしなかった?」
「……」
「こんなことが正しいと思っているわけでもないだろう?」
妖夢は幽々子の生前の出来事を知らない。
だが、そのことが無くても今回の事件はやりすぎであった。
「幽々子様が望まれたのです。私には、それで十分…」
「ただ唯々諾々と付き従うなら、それは木偶と変わらん。彼女が間違ったなら、それはお前が止めてやるべきじゃないか?」
「私は幽々子様の従者です…」
懐かしい感じがする。
不屈の信念に揺るがぬ意思。
そんなところばかりが似ている。
間違いなく、彼女は妖忌の孫だった。
しかしあくまで頑なな妖夢に藍はため息をつく。
「…家族でしょ…」
「え?」
「貴女は、幽々子殿の家族でしょう……」
「っ……」
藍の言葉に、妖夢は唇を噛み締める。
「そうなることが出来たのは、師匠…魂魄妖忌のみです……」
「!?」
藍は妖夢の言葉に絶句する。
(何を……勘違いしてるんだこの娘は!?)
そうなることが出来なかったから、妖忌は姿を消したというのに……
(妖忌殿は二君に仕えることが出来なかった……彼の主は、生前の幽々子殿だけだった)
妖忌は幽々子の生前の出来事や西行妖の真相を妖夢に話さなかった。
それは現在の幽々子に妖夢が仕えるには不要だから。
自分が今の幽々子の傍にいられないからこそ、妖夢に託したのだ。
確証は無い。
しかし藍はそう考えている。
そして藍も妖夢に話そうとは思っていない。
「……なら、結局幽々子殿は独りじゃないか……」
「……」
「貴女は、幽々子殿が嫌いなの…?」
「馬鹿な!!」
あまりの言葉に激昂する妖夢。
自身の未熟はあっても、幽々子に対する想いを疑われるなど心外だった。
「そのようなことはありません!例え私が幽々子様の従者でなかったとしても、幽々子様をお慕いしています!!」
それは妖夢の原点であり、覆しようの無い真実だった。
その宣言に、藍は優しげな微笑が浮かべる。
「そうか……なら、私などが口を出すことではないな」
「……」
そして、藍は微笑と共に表情を消す。
「だが、どちらにせよ春は返して貰う。私もそろそろ、紫様の声を聞きたいからな……」
「……」
藍は小太刀を取り出すと、左腰に挿す。
「始めようか。お互いに譲れぬものがある。なら、こんな方法しかあるまい」
「そうですね…。では、行きます!!」
藍が小太刀に手をかけた瞬間、妖夢が疾る。
踏み込みの速度では妖夢に分がある。
最大速度の加速から、勢いをまったく殺さぬ横薙ぎ。
―――二百由旬の一閃!
妖夢の剣を、しかし藍は真っ向から迎え撃つ。
金属同士が激突する高い音が響いた。
「っ!」
「く!」
双方の手に伝わる堅い衝撃。
妖夢は内心、舌打ちする。
妖夢の剣は一薙ぎで幽霊10匹分を殺傷する妖刀。
藍の小太刀がどういう由来の物かは知らないが、ただの業物であれば切り飛ばすことが出来るはずだった。
しかし藍の小太刀も、主人の隙間で見つけた逸品の漂流物を自分の血で研いだ妖刀。
妖夢の剣腕をもってしても容易に折れるものではない。
二刀はがっちりとかみ合ったまま動かない。
「はっ!」
藍は一気に妖夢を押し返そうと試みる。
しかし妖夢は逆らわずに剣を引く。
支えを失った藍は前のめりに体制を崩す。
「獲った!」
妖夢は無防備な藍に止めを刺そうと楼観剣を翻す!
だが藍は倒れこむ勢いを利用して、そのまま前宙の要領で飛び込むと妖夢の肩に踵を落とした。
「ぐっ…」
攻撃態勢の妖夢は零距離からの浴びせ蹴りを回避しえない。
妖夢は身体を捻って直撃は避ける。
衝撃から妖夢がよろめいた隙に、藍の小太刀が水平に走る。
楼観剣の間合いには近すぎる。
妖夢は白楼剣を抜いて防御し……そのまま身体ごと弾き飛ばされた。
間髪入れずに距離を詰めた藍は逆風に切り上げる。
妖夢は楼観剣を全力で打ち下ろして尚競り負ける。
「な!?」
右手を真上に跳ね上げられた妖夢に向かって藍の右薙ぎ。
妖夢は白楼剣で小太刀を遮りつつ左に飛び、そのまま地面を転がりながら距離を開ける。
藍は追わない。
短時間だが翻弄され続けた妖夢は、既に息があがっていた……
―――
それはなんという破壊力だろうか?
妖夢が白楼剣を手放さなかったのは奇跡に近い。
(馬鹿な…なんなんだあの威力は!?)
先程の鍔迫り合いは確かに互角だった。
ならばこの威力の差はなんなのか?
(……どういうモノかは判らない。だけど、あれが藍殿の技なんだ……長引けば不利!)
守ったら負ける。
妖夢はそう読み、攻め手のみを考える。
白楼剣を納めるとその場に落とす。
そして楼観剣を両手持ちに構えなおした……
(私の最高の技で……勝負!!)
―――
藍は特定の技というものを考えたことが無い。
ただ、自分の身体を上手く使って効率よく力を伝えることだけを考えている。
その修練の過程で、体軸と重心さえ一致していれば、どんな状況でも破壊力を求めることが出来ることに気付いた。
(その発想の中で、もっとも強かった攻撃が理想的な身体の使い方と言える……)
そのための手段に藍は円運動を利用する。
腕力、体重移動、大地の反力、遠心力、それらを総べるボディバランスが藍の最大の武器だった。
藍の斬撃は全てが必殺技なのだ。
(私にとって技はその結果に過ぎない)
藍は妖夢が短剣を捨て、長剣を構えるのを見た。
(来る……か)
藍は小太刀に狐火を纏わせ、居合に構えた……
* * *
「……一つだけ、伺ってもいいですか……」
「……なんだい?」
「藍殿は、師匠と闘ったんですか?」
「ああ…」
「そうですか……」
妖夢はゆっくりと息をつく。
次の一撃が最後であり、その後は無い。
「結果は聞かないのか?」
「はい。どちらが勝とうと、私のすることは変わりません」
「それは?」
「貴方たちを超えるんです」
その言葉に、藍は一瞬目を細める。
「出来ると思うか?」
「やります」
「…そうか」
妖夢は目の前の藍を、そしてその先にある者を真っ直ぐに見つめていた。
藍はそんな妖夢の前に立ちはだかる。
「お前なら、いつか届くと思うよ……」
「……」
「だけど……楽はさせんよ、妖夢」
「…はい!」
それきり二人の間に静寂が満ちる。
やがて……
「「勝負!!」」
二人は同時に地を蹴った!
得物の長さから先手は妖夢!
―――未来永劫斬!!
迎え撃つは藍の居合!
お互いの渾身の一撃がぶつかり合う!
その刹那……
―――バキッ!
藍の手の中から異音が響く。
「!?」
突然襲った痛みに、一瞬藍の握力が緩む。
―――ザッ!
妖夢の楼観剣は藍の小太刀を弾き、その身体を捕らえた。
返り血が、妖夢の頬を紅く染めた。
「私の…勝ちです」
「いや、負けだよ」
藍が呟いた時、白玉楼の桜が一斉に舞い散った。
それはあまりにも美しく、幻想的な光景だった。
しばし、妖夢は呆然とその様に見入っていた。
「私の勝ちだ。春は確かに返して貰った」
「……」
妖夢は藍に刺さった楼観剣を静かに抜く。
それは藍の左手を半ばまで切り裂き、鎖骨を粉砕して止まっていた。
藍がとっさに左手を挟んでカバーしたこと、その服の下に苦無などの武器を仕込んでいたこと。
そのどちらが欠けても、藍の命は無かっただろう。
「…彼女、何者なんですか?」
「聞いたことくらいあるだろう?あれが博麗の巫女だ」
「……」
幻想郷の調停者。
彼女なら、亡霊の姫をも凌駕しうるかもしれない。
「……なにしてるんだ?」
「え?」
「こんな所でぼうっとしてる場合じゃないだろ?」
「ですが……」
藍の服は今も血が滲んで広がっている。
決して軽い傷ではない。
しかし、藍は妖夢に背を向ける。
「妖夢、願いが叶っても幸せになれない人はいる……」
「……」
「そんな人の幸せを望むなら、待ってるだけじゃだめなんだよ」
「……」
藍の背後で、妖夢が一礼した気配があった。
それから妖夢は屋敷へいたる階段を駆け上る。
藍は妖夢の気配が完全に消えると、最後に自分を裏切った相棒を拾い上げる。
「……お前、本当に、あの刀と相性が悪いんだな……」
そういって苦笑する。
藍の小太刀は、激突の衝撃に耐え切れず柄が破損していた。
そして飛び出した留め具が藍の手を切り裂き、その威力と速度を鈍らせていた……
「それとも、私が奴等と相性が悪いのかな…?」
突如、藍はよろめいて膝をつく。
かつて、妖忌に敗れた時と同じように……
(いや、単に妖夢が強かっただけか……)
藍は不器用で純粋な友のことを思う。
(……お前は、私たちのようにはなるなよ……)
―――妖忌は生前の幽々子への忠義から今の幽々子に背を向けた
紫は今の幽々子を受け入れる為にかつての幽々子を葬った―――
(そして私はどちらも出来ずに、こんな所で迷ってる……)
ひどく疲れていた。
そういえば昨日から寝ていない。
「紫様、起こさないとな……」
藍は静かに立ち上がった。
* * *
ふと、藍は背後に気配を感じた。
「その様子だと負けたみたいね。大丈夫なの?」
「たいした事はない。致命傷は避けたしな……」
声を掛ける霊夢。
藍は振り返って息を呑む。
彼女は藍以上にボロボロだった。
「…お前こそ平気なのか?」
「……あんたと一緒よ」
(つまり心底痛いのか…)
藍は苦笑する。
霊夢も存外、意地っ張りのようだ。
「何でそんなことになったんだ?」
「……蝶は避けたのよ…そしたらレーザーに張り飛ばされたの……」
不本意そうに呟く霊夢。
藍は苦い顔をする。
「悪かったな…こんなことにつき合わせて」
「いいわ。もともと何とかしようとは思ってたんだし」
いつもと変わらぬ様子、しかし霊夢の顔には微笑があった。
つられて、藍も笑顔を見せる。
「……帰るか」
「そうね」
冥界を出ると、それぞれの住処へ向かう。
花見の宴において再開を約して二人は別れた。
(帰ったらひと寝入りしよう…)
そんなことを考えているうちに、無事マヨヒガへ辿り着く。
迷わないと着けないので無事ではないが。
(あ、橙になんて言い訳しようか……)
血が足りない。
藍は重い身体を引きずって家路を辿る。
そのとき、異変は起きた。
「!?」
世界が切り取られた……そうとしかいえない。
今は日中、しかし藍の数歩先の世界は既に夜。
藍は自然と顔がほころんだ。
こんなことが出来る者は一人しかいない。
「紫様……」
隙間から紫のドレスを纏った女性が現われる。
「おはよう、藍。久しぶり…なのかしら?」
紫が表情を曇らせる。
目の前の藍は、その血で紅く染まっている。
「……事情は萃香から聞いているわ。苦労を掛けたわね……」
「いえ、貴女が眠っている間のことは私の責任です」
「そう……」
昼と夜の境界で、八雲の主従が向かい合う。
それは実に半年ぶりのことだった。
「それで、どうなの?」
「はい、西行妖の復活は阻止しました。幽々子殿も「違うわ」…は?」
「貴女は大丈夫なの?」
紫の言葉に、藍はようやく自分の姿を思い出す。
「これは…醜態をお見せしました。ですが、かすり傷です」
「やめて……」
突然、紫は藍を抱き寄せる。
「その口癖はやめなさい。貴女はどんな傷でもかすり傷にしてしまうじゃない……」
「紫様……」
藍は何もいえない。
それは事実なのだから。
「怖かったわ……」
「紫様?」
「貴女と幽々子のどちらかを失うかもしれない」
「……」
「また、置いていかれるかもしれない…そう思うと怖くて堪らなかった……」
小さな震えが、藍に伝わっていた。
藍は静かに抱き返す。
しばしの間、静寂があたりを支配する。
藍は紫が落ち着くのを待って語りかけた。
「紫様」
「なに?」
「今度、皆で花見に行きましょう」
藍の提案に、紫は頷く。
そしてにっこり微笑んだ。
「そうね…貴女の怪我が治ったらね」
「……治してくれないんですか?」
「当然でしょう?私にこれだけ心配掛けておいて…当面は絶対安静よ」
「もしかして…怒ってます?」
「まさか?」
紫の表情は変わらない。
しかしそのプレッシャーは加速度的に増していく。
「橙への言い訳も自分で考えなさい。私はフォローしないからそのつもりでね」
「!?」
「橙ったら、ジト目に涙を浮かべて貴女に張り付くんでしょうね」
「……」
藍はその光景を思い浮かべる。
それは手を触れることさえ出来そうなほどリアルな予想だった。
藍は笑いをかみ殺すのに苦労した。
「そうですね。たっぷり叱られてくる事にします」
「ええ。ぜひそうなさい」
「それで、許してくれますか?」
「…後でお酒の補充やっときなさい」
「はい」
二人は離れる。
そして紫は藍へと手を差し伸べた。
「さあ、帰りましょう。藍」
藍は紫の手を取る。
「はい、紫様」
二人の姿が昼夜の境に消えた。
―――静寂があたりを満たし遅い春の風が吹き抜ける
桜吹雪を引き連れて……
【了】
小気味よい展開が読みやすかったです
文章もすっきりとしていて読みやすかったです。GJでした。
普通このテのものは、書き手の癖や主張がどうしても垣間見て嫌味を感じるものなのに素直に感銘しました。
こういった文体で表現できるヒトを目標にしたいものです。
特に最後の紫のところだな。いい終わり方だった