その日も朝から暑かった。日差しは照りつけ幻想郷の草木を満遍なく白い光が焼いている。
「今日も暑いわねえ」
幻想郷の外れにある博霊神社の巫女―博霊 霊夢は境内の掃除をサボりながら縁側でお茶を冷ましていた。
「はあ・・・。こんなに暑くちゃ何にもやる気が起きないわねえ」
普段から何もしていない癖にというツッコミも今日は無く、せみの音共に日が落ちるのを待つことが最近の日課になっている。プ~ン、霊夢の耳に聞きなれた雑音が聞こえてきたのはそんな怠けた一日を過ごそうかと思っていた矢先のことだった。
「・・・・ああんもう!!何であたしばかり刺しにくるかなあ!!もっと血の気が多いやつなら他にもいるでしょうに!!」
霊夢は蚊に刺されやすかった。それはもう異常なくらいに。魔理沙と一緒にいるときでも魔理沙は刺される事無く霊夢ばかり刺される。魔理沙曰く「お前一人いれば蚊取り線香はいらないな」らしい。ただでさえ暑くてイライラしているときにこの羽音を聞いているだけでイライラが募る。
「その蟲を殺したらいけない」
霊夢に声がかかったのは元々あって無いも同然の堪忍袋の緒が全力で吹っ切れ符を取り出したときだった。霊夢が目を向けると(いいところを邪魔されたので目つきが悪いのはご愛嬌)そこには銀髪で緑の眼をした青年が立っていた。くわえタバコを揺らして行商人なのか背には大きな箱を背負っている。幻想郷には珍しく黒いシャツにズボンという外と同じような服装だった。
「その蟲を殺したらいけない」
青年は紫煙をはきながらさっきと同じ台詞を繰り返した。聞き捨てなら無いこの青年は蚊に刺され易い自分の苦しみことをまったく理解していないと霊夢は思った。初対面の人にそんな事情を理解しろというほうが無理であるがそんなことには気がつかない。そして青年の次の言葉にはもっと聞き捨てなら無かった。
「殺したらあんたの運気が下がるぞ」
「どういうことよ」
「そのまんまの意味さ」
といって青年は手を伸ばしさっきから霊夢の周りを飛んでいた蚊を一掴みで掴んだ。それから霊夢を手を振って傍に近づけた後、掌の中を霊夢に見えるように手を差し出した。
「よくみて見ろこいつはただの蚊じゃない」
青年に言われるようにみて見ると確かにただの蚊とは少し異なっているようだ。足の数が百足みたいに多くてお腹がかなり長く、三日月型の模様がたくさん見える。それに心なしか透けているように見える。
「なにこれ?新種?」
霊夢の素朴かつ無頓着な質問に青年は苦笑をもらしながら答えた。
「これはそこら辺にいる昆虫類や爬虫類とは違う。もちろん新種でもない」
「じゃあなんなのよ」
青年の勿体つけたような言い方と暑さに苛立ちながら霊夢はその先を促した。
「これは蟲ってやつだ」
夏の照りつける日差しが二人を白く染めていた。
その後青年の詳しい話を聞くために霊夢は縁側で座るように青年に伝えた。青年は礼を述べてから背中の箱を縁側に下ろして、自分もその傍に座った。
「でさっきの話の続きなんだけど」
霊夢がお茶を渡しながら青年に訊いた。
「さっきも言ったとおりあれは蟲というやつで別の生き物だ」
さっきの蚊は今青年の持っていたビンの中に入っている。
「蟲ってのは簡単に言えば動植物の大元、生命の原生体(いのちそのもの)みたいなやつでな。見えるやつと見えないやつがいる。生きているようで死んでいる、死んでいるようで生きている。不思議なものだ」
「それじゃ答えになってないわよ。それって妖怪と違うの?」
「違う。蟲は俺たちや妖怪とも違う俺たちの“命”の別の形だ。まあ魂みたいなもんだと思ってくれてかまわん」
「ふーん。でこの蟲を殺すとどうして私の運気が下がるのかしら」
「それはなこの蟲があんたの不幸を食べるからさ」
「不幸をたべる?」
霊夢は改めてその蟲をまじまじと見たがとてもそんなことが出来そうにない。この青年の冗談だろうか。霊夢はこの青年が信用できるのかどうかすら怪しくなってきた。そういえば何処となく霖之助に似ている気がする。この青年に弾幕を張ろうかと思い立ったとき青年は話を続けた。
「この蚊はな。座敷蚊といって人の不幸を食べる蟲なんだ。座敷童ってのがいるだろ?それが蚊に代わっただけだ。ただ座敷童と違うのは幸運を呼び寄せるのではなく、宿主の不幸を食べることで結果として宿主は幸運になるという蟲さ」
霊夢は青年の話を聞き終えた後ふと疑問に思ったことを口にした。
「その話が本当だとして、つまりあたしは他の人よりツイてるってことになるのかしら」
そう言って勝ち誇ったような霊夢に青年は一言
「いやむしろツイてないと言ったほうが正しい」
「は?」
眼を見開く霊夢に青年は説明した。
「さっきも言ったとおりこの蟲は宿主の不幸を食う。だが基本的に人間の不幸なんてそんなに多くは無い。だからこいつは宿主を頻繁に変える蟲であまり大きく育たないはずなんだがあんたのは規格外に大きい、つまりそれだけこの蟲の餌―不幸が多いわけだ。だから今この蟲がいなくなればあんたは自分の不幸に耐えられなくなる」
「・・・・」
開いた口が塞がらないとはこのことだろうか。暫く呆然とする霊夢に青年は止めの一言を投げかけた。
「あんたよっぽど厄介ごとを招く体質らしいな」
霊夢の頭の中で数々の心当たりが走馬灯のように駆け巡っていった。
「でそんなことを知っているあなたは何者なの?」
ようやく復活した霊夢が最初に口にしたのは今更ながらの質問だった。
「ああそういや自己紹介がまだだったな」
青年は紫煙を吐きながら呟いた。緑の眼が霊夢を捉える。一瞬霊夢はその緑の深さに心を奪われた。
「俺の名はギンコ。蟲師をやっている。そちらは?」
「・・・あっ、博霊・・・霊夢・・・この神社の巫女をやってるわ」
「へえあんた巫女だったのか。どうりで紅い服を着ているわけだ」
ギンコの的のずれた言葉に霊夢は苦笑した。
「それは関係ないと思うけど・・・。それより蟲師ってなんなの?」
「まあ簡単に言うと蟲と人間との橋渡しだ」
「橋渡し?」
「ああ、蟲は何処でもいるし、あんたのみたいにいい奴ばかりではないからな。時には人間に悪影響を及ぼしてくるものも結構いる。そいつらと人間との仲介をするのが俺たち蟲師の役目さ」
「俺たち?ってことは蟲師は他にもいるの?」
「まあな、何人いるか知らんが俺以外にいることは確かだ。そいつらも同じように旅をしているんだろうな」
「どうして判るの?」
「蟲の見える人間は多くいるが蟲師になる者の多くは蟲を集める体質を持っている」
「蟲が集まると何か問題でもあるの?」
「蟲が集まるとそこでの命が乱れる。生態系が崩れるみたいにな。だから一箇所には留まれないから旅をしている」
「・・・・そうなんだ」
それから二人してお茶をすすった。
「さてそろそろ行くかな」
立ち上がりながらギンコはつぶやいた。
「あれ?ギンコさん何処か当てはあるの?」
「まあな。あっそうだ霊夢、香霖堂って知ってるか?」
霊夢はしばし固まった。まさかギンコからあの男の名を聞くことになろうとは思ってもみなかったらだ。
幻想郷の巫女は幻想的な青年に出会った。この出会いが何を意味するのか、何も意味を成さないのか。幻想郷の夏は動き出した。
単行本買おうかなぁ……