「みょー……ぉおん」
二百由旬を誇る御庭は朝日に陰る。幽世の風が庭の中心で坐する少女を撫で、一日の始まりを告げようと渦を巻く。
少女はゆるりと立ち上がった。纏いつくようにほの光る人魂が少女を巡り、背負う一刀と佩く一刀を淡く照らす。洗練され切った動作で半身に身を置き、両の手を二振りの柄に当て、叫びとも呼吸ともつかぬ声を発しながら、
「けあぁ!」
一閃が無数に放たれた。全てが空を切り、巻き起こった僅かな風が少女の影を揺らす。一拍置いて一閃、今度は半拍置いて一閃、さらに四半拍置いて一閃、さらに短く、速く、連続した一閃はまるで数珠の繋がり、霞のように無数の一閃が少女の周囲を断つ。しかしながら少女は両手を柄に当てたまま動いてはいない。今また二刀は鞘に収められたまま剣閃だけが閃き、断たれた空気が渦をなした。
――剣術である。
幽鬼、餓鬼、餓王……獄界、獄炎、獄神。けんけんけんけんけん……剣。人呼んで、剣術を使う程度の能力。魂魄流。
一つ頷くと、少女は構えを解いた。朝日はすでに昇り、今日も何時も通りの一日を予感させる。手を翳して朝日を見やり、ついでその首をめぐらした。
ざんばら――と。
白玉楼、二百由旬に繁る草木の枝葉が、期を同じくして切り落ちた。
めぐらしたその先には、幻想郷へと続く結界の綻び。
西行寺家付き庭師、魂魄妖夢は毛玉でも見るような目でそこを睨み、反転して館へと歩き出した。
* * *
「ゆゆこさまーゆゆこさまー朝ですよ朝ですよー」
「んーあーうーあなたが本物のよーむならこれが出来るはずだわー……貧弱メイドのものまね」
「ロードローラーだッッ!……っていい加減音速が遅すぎるネタのうえに私犬に喰われるのかよ」
「んっはあその反応はまさしくよーむヨオム妖夢ね……なによまだ朝じゃない。一体誰が朝に起きると決めたの……貴女は鶏?」
「剣士と言うのは、たいがい早起きなものです。そもそも、鶏鳴で起きない、と言うのが間違っています。不健康です。寝惚けてないで顔を洗ってきてください」
「……あら、朝?」
「寝惚けてないで顔を洗ってきてください」
西行寺の幽霊嬢はもそもそと布団から這い出る。妖夢はそれを放っておいて食堂に向かい、昨晩行われた宴会の残り物で作った朝食をさっさと済ました。幽霊は娯楽以外で食事をしないが、棺桶に片足しか突っ込んでいない妖夢は腹も減るし眠くもなる。逆に言うと片足は突っ込んでいるので経を読まれれば成仏もするし線香をあげられれば無条件で喜ぶ。冥界では踏んだり蹴ったり亡霊などと不名誉極まりない綽名を貰っており、本人はそれを認めたがらなかったが、事実なので嫌々それを受け止めていた。無視すればいいものを、律儀に受け止める辺りにこの少女の生真面目さが表れている。
まぁ、半霊半人なのはいいのだ――と食器を片付けながら考える。師匠であり今は隠遁している老剣客がどうであったか知らないが、輪廻六道を巡る転生が己を冥界へ導いたのなら、それに逆らう道理は無い。なにより今の主君は食い意地が張っている上にヘリウムのような性格だが仕えがいがある。ありていに言って、今の生活が好きだ。かなうことならこのままずっとこうしていたい。
「さて……幽々子さま、折り入ってお願いがあります」
「何かしら妖夢……? ああ、そういえばご飯は? なんで私のご飯が無いのかしら、朝ご飯」
「……は。残念ですが具材の補充ままならず……」
「ああ――いやいや。あなたは実にバカね妖夢。妖夢バカね実にあなたは。無ければ、探す。貴女はこんな単純な真理もわからないのかしら……ゆゆこショック」
食材が無くなったのは昨今の宴会続きが原因であり、さらに言うならそれを半ば以上腹に収めたのは当の本人である、と言いたい所を右眉を跳ね上るだけで我慢し、いや、そもそも私はこんな事を言いたいわけではないのだ、一つ断って置く事がある、それを先に言うべきだ、と思い主に向かって口を開こうとし、
「ゆーゆこ」
優雅に手の甲を口元に当てながら、
「ショーック」
さぁ……と妖夢の胸裏を清風が吹きぬけた。
――活目しませい二代魂魄、二刀剣士が妖夢よ、おのれは主君の命をなんと心得るのか。主君が館のものを喰ろうて何が悪き事がある。転じて汝、己の至らぬ所をまさか、まさか主君が悪しなど、畏れ多くもも思うておったのか。恥ずべし。二度恥ずべし。更にそのようなつまらぬ些事に主君を煩わせた事、また愧ずべし。主君の望みを十全に叶えてこそ真の従者と心得よ!
「……ははぁ! 私、まさに清水のひとしずくを見極めた心持にございます! 不肖妖夢、湧き上がる感動の念を抑えつつ、魂魄の家名に懸けて疾風の如く参りましょう!」
深々と一礼した剣士はまさに一陣の風となり、米を買い、山々より採取し、清流より釣り上げ、再び風と共に帰り着いた。その間、一刻にも満たない。音速の魔法使いに勝るとも劣らぬそれはしばらく冥界の語り草になった。
「幽々子様、お待たせして誠に申し訳ありません! 魂魄妖夢ただいま御朝食をお持ちしました!」
「そんなことはどうでもいいからちょっとお出かけしましょう――ちょっと、ふすま破っちゃ駄目よ。頭から突っ込むなんて面妖ねぇ」
うふふふ、笑いながらゆらゆらと玄関へ向かうお嬢の声に、意地悪なものを見つけたのは気のせいであろう――と、うつ伏せで倒れ伏す妖夢は思った。
運んできた朝食が、いつの間にかきれいに無くなっていたということだけは付け加えておく。
* * *
薬缶の湯を取りに行って戻ってきたら、取って置きの最後の一本、出したばかりの水羊羹が跡形も無くなっていた。
博麗霊夢は目の前が白光に包まれる幻覚を見、崩れ落ちそうになる身体をどうにか踏み止まらせ、悲鳴を上げるのを渾身の気合でこらえた。
「くけえええええええ!! 許さないわよこのゴキブリ鯨幕が! 結界拘束してじわじわとなぶり殺しにしてくれる!」
変わりに奇声と罵声を上げる。しかし両手は薬缶で塞がっていたので、現実にそうなることは無かった。
答えたのは魔法使いである。とんがり帽子は床の上に放置されているものの、炬燵の天板に顎をつけて緩んだ雰囲気をかもし出しているあたり、幻想郷的魔法使いの年間賞を授与されそうな勢いだ。対抗馬は魔法と人形だけが友達の種族魔法使いと、本の濁流に飲み込まれながら喘息と戦う病弱魔女ッ子の二名くらいか。
霧雨魔理沙、人呼んで普通の魔法使い――やる気無し。
「霊夢さんよー、しょうがないぜ。ひとえに自分の分を取り置いてなかったのが悪いんだ。悔しかったら今後は二本出してくるんだな」
「残してあったじゃないのよ、あんた用に」
「あー?」
湯を急須に直接注ぎ、薬缶を火鉢に置く。朝方の急な冷え込みは過ぎたものの、正月もまだ記憶に新しい今の時期では暖房を惜しむ事など出来はしない。寒波に弱い魔法使いがここしばらく博麗神社に寝泊りしているのもそういった理由で、彼女の家には完全武装に近い暖房がしかれていたのだが、最近その中枢を担いだした床暖房が冬の中ごろから不調になり、このままでは凍死してしまうと本気で慄然、絶望、そこから一抹の希望を見出し、まさに飛んで腐れ縁の巫女に泣きついたのである。
「外に積み上げてたでしょ、雪」
「達磨があっても腹は膨れないぜ? せいぜい餓鬼の腹と背中がくっつく程度だ」
「魔法使いなんだから、雪から満漢全席作りなさい」
「中国かハクタクでも連れて来いよ。それに奇跡は神職の仕事だろ」
「先立つものが無いと神様もストライキよ」
「じゃ、ツケといてくれ」
「あんたにゃ白湯がお似合いだ」
言って薬缶をもう一度持ち上げ、博麗神社常備の霧雨専用湯呑に熱湯を注ぐ。自分用には急須から少し熱い程度の緑茶を注いだ。渋い顔をする魔理沙に、溜飲を下げる。思わず表情に出たのか、魔理沙の顔が一層しかめられた。
藤籠に盛り上げた蜜柑を一つ取り、皮ごと割った。魔理沙もそれに習い、ヘタの方から剥く。
「甘ったるい。私、ちょっと酸っぱい方が好みだ」
「私、だだ甘が好きなの。そういえば妖夢が青蜜柑好きだったわね」
「ほらみろ。私の思ったとおりだ」
「蒙古斑?」
「青方偏移。スピードスター、タイムアタック」
「犬じゃあるまいし。変なこと言ってると、影が立つわよ」
「私は別に? ……い、いや、まて、そいつは最悪、絶望、終焉だ」
「その心は?」
「みょんが来たら、幽々子も来る。あいつが来たら、喰いもんが全部無くなる。春先まで持たない。私、飢死に。ああ、霊夢、やっぱりお前が頼りだ。嫁がせてくれ」
阿呆、もしくは、馬鹿か、と心の中で思うだけに留まらず、声に出しながら、蜜柑を口に放り込んだ。
「ま、食料が無くなったら、紅魔館でも行きましょ。フランとパチェが、あんたをてぐすね引いて待ってるわよ、多分」
「うーむ、運動過多で死んじまいそうだ。でも、あそこは人肉しかないんじゃないか?」
「あー確かに。じゃあ永遠亭」
「いやだ。遠い。凍死する。それに、餅で窒息するぜ、絶対。しばらくあれを見るのは勘弁願いたいな。フムン、意外と狭いぞ、幻想郷」
「狭くしてるのは、あんたが変温動物だからよ」
「どっちにしろ、今の状態が続けば、平和にリリーを迎えられるって訳だ。何事もありませんように、ぱんぱん」
「拝むんなら私のほうに向かってやんなさい。ここ、神様なんて祭ってないんだから」
「お前を拝んだら碌でもないことになりそうだ。経験則。でもまぁ、下手な鉄砲、散弾銃かな」
ぱんぱん。拍手を打った。
たのもーう。呼び声が境内から聞こえた。
「……ほらみろ。この御神体、天邪鬼だ」
「わ、私のせいじゃ無いわよ。魔理沙の、そう、信仰心が足りなかったのよ」
「魔法使いに何を求めてるんだよ、博麗神社ってのは」
「先立つものじゃないかなぁ」
境内で何やらひそひそと声が聞こえるが、二人は腰を上げようともせず蜜柑に手を伸ばした。霊夢は、知り合いなら勝手に入ってくるだろう、入ってこない知り合いなら、それはそれで動かなくて済む、帰れと思い、魔理沙はもっと単純に、何が起きようとも霊夢に対応を任せて、自分は一寸も動く気が無かった。
果たして縁側に面した障子が立て付けの悪さを示すようにがらがらと開けられ、訪問客と冷気を迎え入れた。
「さむい、さむいわ。なにか暖かいもの頂戴。こんにちわ」
「挨拶を最初にしてください幽々子様。あ、すまない、呼んでも出てこないから、勝手にお邪魔したぞ」
訪問客は白玉楼から出かけた幽霊一人半と人間半分であった。幽々子の用事とは、何時ものように大した事ではなく、今晩の宴会は幻想郷のどこかでやろう、やっぱり神社よねぇ宴会といったら、今から行って準備しましょう、あいや、たまにはわたしも手伝うわ、だってあそこお神酒があるでしょお神酒、とまぁ、こういう流れで、妖夢としては邪魔の極みであった。
幽々子はいそいそと炬燵に潜り込みつつ抜く手も見せずに蜜柑を二個ほど確保し、妖夢は霊夢の顔をうかがい、寒いからはよはいれ、と言う目線に礼をして炬燵にするりと滑り込んだ。正座である。
魔理沙は非常に嫌そうな顔を崩さず、二つ目の蜜柑を取った。
「最悪だ。嫌な予想ばっかり当たりやがる。霊夢、お前、なんとかしろ」
「ううーん甘いわねぇこの蜜柑。美味しい美味しい。ねぇ霊夢、これ誰から貰ったの?」
「しらない。慧音が里からおすそ分けされたのを、食べきれないと思って貰って来た。今行ってもくれるんじゃないかなぁ」
「このやろ、今のどっちに対する返事だよ。それとこの蜜柑は私が里で買った奴だ。慧音のは食い尽くしただろってこら、ひょいひょいと三つも四つも食ってるんじゃねぇー」
一言二言話す間に、幽々子の目の前には綺麗に剥かれた皮が何重にも重なっていた。手癖が悪いなどと言うものではない。もはや芸術的ですらある。霊夢は、何しに来たんだこいつ、と思うのではなく、本気でうちの食料食いつぶしにきやがった、と思った。事実は違うが、結果は恐らく同じだろう。霊夢はその姿に王者の貫禄を感じた。フードクイーン。私の口は宇宙直結。
「むごい言い草ね。妖夢、何とか言ってやりなさい。もぐもぐ」
「はあ」
腰の脇差だけを畳に置いてかっちりと正座をし、ため息のように返事をする。半身である人魂は、尻尾を炬燵に、頭を少しだけ外に出して膝の上に。安定が悪い気がするので抱くようにしていた。ちらりと主君を見やり、どうしようか、と人魂を捻った後、さっさと用事を済ませてしまおう、と結論した。
「いや、蜜柑のことはいいんだ。実は折り入ってお願いがあって」
「それ、私に? それとも魔理沙に?」
「そこな白黒が此処にいるとは思わなかった。実は今夜開く宴会の場所を探していて」
「いやだいやだいやだ、却下、霊夢、不許可だ。何だってこのくそ寒い時期に、それも私の住処でやろうとするんだ。ふざけんな吹ッ飛ばすぞ吹き飛べ」
「それ、どっちに向かって言ってるのよ。あんたの家はあっち。此処は私の家。冬で、あんたが本気で死ぬ、って言うから泊めてんのよ。やるんだったら外でやりなさい」
「それ、どっちに向かって言ってるんだ? というか蜜柑じゃなくて顔を見ながら話してくれ。全然わからない」
そう、二人と一霊はひたすら蜜柑を剥くのに没頭して、顔を伏せたままであった。これではまともな会話など出来はしない。妖夢は、幻想郷の連中の会話がちんぷんかんぷんなのは、面と向かって話してない、つまり、人の話を聞いてないからでは無いのか、否定できないのが嫌だなぁ、と思った。
「いやいや妖夢……」
べりべり、しゃりしゃり、ひょいぱく。
「……」
ひょいひょいひょい。ぱくぱくぱく。
「……」
むしゃむしゃむしゃごくん。
「……というわけなのよ。やっぱり妖夢って抜けてるわねぇずずずず」
「んあ!? ちょっと幽々子、私のお茶飲まないでよ。なに普通に自分の手元に置いてるのよ」ひったくるように取り返し、ずずずず。
実に難解な返事だと妖夢は思った。蜜柑を剥いで食べる一連の動作が何を表しているのだろうか? そして最後に飲んだあのお茶の意図は。そこまで考えて、単に遊ばれただけだと理解した。しまったまた引っかかった。思わず人魂が身悶える。
「ぷっふー! 妖夢は見ていて飽きないわねぇ。あーおもしろ。ひーおかし。今、世界は妖夢を中心に笑いの坩堝ね。我が付き人ながら実に末恐ろしい」
「霊夢、はやくこいつ摘み出せ。碌でもねぇ。縁起が悪い。寿命が縮む。白髪が増える。水虫が酷くなる」
「宴会やるんでしょ? 明日にならなきゃ帰らないんじゃないの」
「あらやってもいいの?」
「弾幕って止めるんだったら弾幕るわよ。魔理沙が」
「あ、それいいわね。妖夢がんばって」
「ああ?」
「はあ」
「馬鹿、はあ、じゃねぇ、そこは否定しろ。なし崩し的にやらなきゃいけなくなるのが判らんのかこの馬鹿」
「あ、魔理沙、従者に馬鹿って言ったら、それは主人にそういったのと同じなのよ。んもう、私の障子の心が砕けちゃいそう。きーくやしい、妖夢なんとか言ってやって」
「貴様ぁ表に出ろ! 綺麗さっぱり真っ二つの粉微塵に叩っ斬ってやる!」
「うわ、馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが本物の馬鹿だ。霊夢、お前が相手しろよ。私、相手したくないし動きたくない」
「いいじゃないのちょうど良い。あんまり喰っちゃ寝してると、お腹周りが酷い事になるわよ。あんた自分の二の腕がどうなってるか自覚してる?」
あわてて触ってみる。ヤバめな感触が伝わってきた。思わず腰周りに手をのばしかけ、強烈な危機感を感じて止めた。
「なんてこった……世界の危機がこんなにも身近だったとは。お、お前はどうなんだよ。私と同じぐらい寝てただろ」
「……魔理沙。あんた、忘れてるようだから言ってあげるわ」
哀れむように一口お茶を啜り、急須から継ぎ足し、
「陰陽玉って便利よね」
――博麗神社の中でも秘宝中の秘宝、陰陽玉。その最大の効果は、持ち主が甘いものを喰っても太らない。
「卑怯だ!」
「何とでも言いなさい。それが無くても境内の雪は一体誰が除去してると思ってるの。誰が朝昼晩の飯を作ると思ってるの。何が、卑怯だ、よ」
「そこはほれ、親しき仲にも礼儀ありとか、朋あり遠方より来たる、とか」
「残念だけど気持ちで脂肪は燃えないのよね……ああ無常。あー世知辛い」
ここぞとばかりに言い募る。魔理沙はこれまでに無く真面目な顔で黙りこくった。恐らく、少女としての誇りと、生理的欲求を天秤にかけているのだろう。霊夢はにやける顔を隠そうとし、失敗した。ふふふ全部私に押し付けられると思ったらそうは問屋が流星群、せいぜい苦労しろ、この極潰し、とまで思ったかどうかは、誰も知らない。
一方の妖夢は、私の一身ならばともかく幽々子様を侮辱するとは不届き千万、この楼観剣で主君に代わって真っ二つ、あいや、成敗してくれる、と怒り心頭で今にも飛び出かからんと前屈みになっていた。馬鹿だなぁと霊夢は思ったが、幽々子がにやにや魔理沙を見ながら蜜柑を食べているのを見て、まぁ面白いからいいか、とにかく神社を壊すなよ、と何個目かの蜜柑を取りながら思った。
よし、と重々しく呟いて、魔理沙が決意を込めた顔を上げる。どうやら乙女の危機が勝利したらしい。さすが、恋の魔法使い、せいぜい痛い目見ろ。
「――オーケイ、いいだろう。その宴会かけた一騎打ち、せっかくだから乗ってやるよ。お前とは一度遊んでみたかったんだ」
よく言うわ小太り、と霊夢は呟いた。炬燵の中で足を蹴られた。痛い何すんだこいつ。
「私はこれでも、音速速い魔法使いで通ってるんだ。咲夜の話じゃ大層ななまくら剣術らしいが、果たしてその血気で私が斬れるかな?」
魔理沙は挑発するように蜜柑を一房放り投げた。いまだ燻っている炬燵への想いをどうにかして振り切ろうとしているのだろう。妖夢はそれを中空で摘む。その動きは実に自然で、魔理沙はもとより他の二人にすら妖夢がいつ蜜柑を摘んだのか判らなかった。
何時の間にか妖夢の表情は無くなっていた。長年に渡って静寂を朋にした水面のように、しかしながら天地を転覆させる業火のように。魔理沙は首筋がちりちりと焦げるような圧力に震え、その事実に戦慄した。
「――音速か。なるほど恐ろしい。私の剣技は未熟千万、未だにお嬢様の稽古すらままならぬ始末。それどころか庭師としても半人前、確かに完結する紅魔の狗めには、一歩も二歩も遅れを取ろう。
しかし一つだけ、ただ一つだけ言っておこう、魔法使い」
「なんだい、庭師」
そこから先に起こった事を、霊夢は、まばたきをしたせいで見逃した。
――たたたんッ!
魔理沙たちの視界から、魂魄妖夢が消えた。彼女が摘んでいた蜜柑の一房が支えを忘却してふわりと浮く。
外へ続く障子と襖が小気味よい音を立てて開け放たれ、身を切るような冬の空気が波のように進入する。果たしてそれはただの寒波なのか。
そして、その向こう――綺羅々々と光を反射して輝く銀の境内に。
「我が二刀、楼観剣と白楼剣に。
斬れぬものなど――ほとんど無い」
ぽとり、と、蜜柑が炬燵に落ちた。
帽子を掴み、深く被りこむ。
「――前口上が長すぎるな。スマァトさってもんがないぜ」
霧雨魔理沙は男前に笑う。魂魄妖夢の一連の動きはあまりに自然で、それは触れなば斬るなどと言う生温いものではなく、動かば斬り、死なば又斬る、と言う、まさに半霊の剣術、半人の心構え。そしてこの剣士は、間違いなくそのようにするだろう。まさに魂魄流。魔理沙は部屋に流れ込んできたのがただの冷気では無く、魂魄妖夢から流れ出た抜き身の剣気であると悟った。
ならばそれごと消し飛ばせば良い。それは最速にして最光、流星のたたかいかた。
魔法使いはそのようにして戦ってきた。今までもそうしてきたし、これからもそうするだろう。故に、今此処でそれを違える事は無い。戦歌が耳の奥で響きだす。
スマァトに、と呟き、立ち上がった。そして、軽く跳躍する。
「行」
瞬時に足下に呼んだ空飛ぶ箒に波乗りのように立ち、
「く」
スカートからきききんと射出された宝玉一組が隊列を組、
「ぜ!」
僅か三語のみを戦いの狼煙とし、轟音を立てて飛ぶ。魂魄妖夢へ、真っ直ぐに。これぞ霧雨流スマァト。妖夢はちゃきりと鍔音を鳴らしながら二振りの剣柄を握り、
「かッッッ!!」
それだけで魍魎を消し飛ばさんばかりの一喝を放ち、抜かずの一閃を放った。無数の一閃は虚空を超え刹那を走り魔法使いを断ち切らんと人型と人魂の二方向から迫り、それを二筋の閃光が『貫通』する。
「ッあ?!」と剣士が隙を生み、
「っは!」と魔法使いが飛び込んだ。
イリュージョンレーザーと言う、それは煌きの槍。魔理沙の両脇に追随する二つの宝玉より放たれるそれはさらに回転するように振り回され、襲い掛かる全ての一閃を打ち落とす。地をなぞった光線に、銀の粉雪が舞う。
接敵は一瞬。妖夢は突進してくる魔理沙を避けるため右足を軸に背後を見せつつ円を描く。それに対して魔理沙は、膨れ上がる推進力を積み上げられた雪の塊に向かって開放することで答えた。妖夢が腰に佩いた白楼剣の柄を握りなおす。鍔鳴り。
再度の爆発。霊夢がひいひい言いながら積み上げた雪塊に推進力を叩き付けた箒は強力な運動エネルギーを獲得し高速飛翔。その速さは妖夢の一閃を僅かに凌駕し、虚空に放たれた剣が荒れ狂う暴風を切り裂く。それは舞い上がる雪のために魔理沙の姿を見失う失態となった。粉雪が魔法使いの通り道を舞い踊る。
妖夢はおかっぱを振り乱し、「おのれ!」と叫んで踏み込み一歩、石畳を割る快音を響かせて初速を取り、掻き消えるように魔理沙を追った。
蜜柑の一房が天板に落ち、幽々子の口へと消えるまでの、刹那の間の事である。
「あの二人……蜜柑を何だと思っているのかしら。帰ったらお灸をすえてあげなきゃ」
幽々子はちらりとだけ開け放たれた障子を見、逃げるようにより一層炬燵に沈み込みながら蜜柑一個を丸呑みにした。何故逃げるようになのかと言えば、対面の霊夢が少しばかり恐ろしかったためである。無残な境内から吹き込んでくる冷風がありもしない骨にしみる。でもこの冷気はちょっと熱い気もするしそもそも対面から吹いてくる気がするわ何故かしら。
霊夢の手の中で、蜜柑がぐしゃりと握砕された。ああ勿体無いなぁ。
* * *
――ついて来れるか?
木々の間を一陣の風と成って駆け抜けながら、妖夢は歯軋りをした。
迂闊であった。一手で勝負を決したつもりになり、二の太刀が致命的に遅れた。魔法使いが予想外も甚だしい迎撃の手段を迷うことなく取ったからだが、そんなものは言い訳にもならない。戦いに臨んで二手三手先を予測するのは剣士として当然、またそもそも迎撃なぞ不可能なほどの一閃を放てばよいし、それ以前に残心を怠るなど言語道断の極地。ありとあらゆる意味で己の失態。
自然と数ヶ月前を反芻していた。西行妖を満開にさせるために集めていた春。取り返しに来た三人の人間。桜吹雪の石階段で立ちはだかる自分を、完璧な仕草で挑発してきた悪魔の従者。十六夜咲夜。
――この楼観剣に、斬れないものなど殆ど無い!
――殆ど無い? それは斬れないと言うのよ、こと刃物に関しては。
全くもってその通り。稀代の業物二振りを以ってして、銀でしかない無限のナイフを断ち切れなかった。
――何故だ。
膝を突き息も絶え絶えに問うた。二振りの刀は主の敗北を知ってなお妖艶と光をこぼす。襤褸になったエプロンドレスを一動作で整え、紅い首巻を颯爽と巻きなおしながら、従者は言った。
――貴方のそれは、剣士ではなく刀使いね。
――私が楼観剣に使われているというのか。
――剣術に使われているのよ。
結局それで従者は流麗に去り、西行妖はまたも咲くこと無く、自分は悔しさの一心で修練を重ね、春を迎え夏を過ぎ秋を送った。従者に負わされた苦渋を拭うため、鋭く、重く、何より速く。逃げ場を与えぬ広域の斬幕は逃げる事を許さぬ超高密の一閃、刀身を鞘から抜かずに意気だけで斬るという業を習得するに至った。是、名付けて六道怪奇。
――だが、それでは。
魔法使いを斬る事は叶わなかった。それどころか、曲がりなりにも必殺の意気を込めてのそれを撃ち落された。
斬る事も出来ぬ。落とす事も出来ぬ。それでは何の剣術なのか。
自分は十六夜咲夜との一戦から、まるでなにも学んでいないのではないのか。
――ついて来れるか?
すれ違いざまに囁かれた台詞が耳に残る。それはまるで、己の未熟を見通されたかのような錯覚を覚えさせる。
「――おのれ!」
おのれ、おのれ、おのれ……。深まる呪詛は魄へ、地に帰依する悪徳の肉、妖夢を形作る四肢一魂へ沈殿する。縦横無尽で変幻自在、質実剛健の四肢が呪いに縛られていく。それを妖夢は忌々しく思い、その呪念がまた魄を肥え太らせ、それがまた悪意を呼ぶ。陰気の奈落循環へと巻き込まれた事に妖夢は気付いていたが、それをどうにかする事は不可能であった。ただ思うが侭に白楼剣を抜き、半身に預ける。人魂も慣れたもの、絶妙な加減で白楼剣を構えた。
しゃらあーん……と、長い長い鞘走りの音が響いた。余人には抜く事すら不可能な長刀、楼観剣が、不可思議な事に一息で両の手に収まっていた。気合とともに、剣を八双、そこからさらに高く振り上げる。
――ついて来れるか?
「言うまでも無い……二百由旬の彼方へ置き去りにしてくれる!」
一声、修羅の形相を見せながらよりいっそうの踏み込みで銀雪を掻き乱し、疾風一足で魔法使いを間合いに捕えた。
――目にもの見せてくれる!
「人符ッ!」
* * *
「馬鹿正直な奴だぜ」
魔理沙は波乗りの体勢からすとんと落ちる。スカートを直しながら跨り、両手でしっかりと柄を握りこんだ。足が柄の根元を挟み込む。
「咲夜から聞いてはいたが……なるほど、あの性悪メイドを追い込んだだけのことはあるな」
頬から唇に落ちてきた血玉を舐める。妖夢の一閃は、確かに魔理沙には届いていた。幸か不幸か、それがただかすり傷程度を作ったというだけで。もしこれがそっ首を飛ばす一閃であったなら。
――怖気が来る。まるで白刃の上を綱渡ってるみたいだ。
思わず笑みが浮かんだ。霧雨魔理沙の中心で、小さな炎がぽつりと灯る。やがてそれは轟々と燃え盛り、魔理沙の全身を巡りだす。それこそ魔法使いを動かす原動力、超新星の火種、恋の蛍火。たった一瞬の『殴り合い』で、魔理沙は妖夢を強者と認めた。
――ついて来れるか?
振り返るまでも無い。あの剣士は間違いなく追いついてくる。負けるなどとは一分も思っていないが、そんな事とは無関係に魂魄妖夢は追いつくだろう。それを疑うほど、普通の魔法使いは落ちぶれていなかった。現に、先ほどから背後の剣気が膨れ上がって止まらない。
ならば手加減などする必要も無い。霧雨魔理沙の全力が、魂魄妖夢を吹き飛ばすだけ。
音速の魔法使いはすぐさま行動を開始する。どこぞの巫女のようにトロトロしては居られない。先手必勝風火の如く。
「……ッハ! それじゃあ行くぞ、冥界庭師!
まずはコイツで――とどめだぜ!」
大気機動によって百八十度を反転。背に激突する空気の壁を物ともせず、両手を外し空を臨む。
ちゃきりと懐から取り出したるは、星の描かれた一枚のカード。属性は流星、情念は恋。魔力を込めたそれは、スペルカードと呼ばれる夜空の切り札。
霧雨魔理沙の真骨頂――ほろ苦い恋の集大成。宙に浮かんだカードに向かって右手で保持する万能導具・ミニ八卦炉を翳し、自身の魔力を全力で注ぐ。魔理沙から八卦炉へ、八卦炉からスペルカードへ。加速的に膨張し白熱する黄金の輝きが己の真価を開放する。それは激流、それは光輝、その名は恋符、
「マスタースパーク!」
「現・世・斬んッ!」
名状しがたい激音が、幻想郷を駆け抜ける。月すら穿つ光の濁流は修羅相を以って斬らんと肉薄する剣士を襲う。剣士は引かぬ。引けぬ。超神速で踏み込むこの絶技、一度放てば斬るまで止まらぬ。なればこそ、この程度の木漏れ日に臆せるものか。斬れぬ事無し、斬ってみせる!
唐竹から振り下ろした楼観剣が光の瀑布と激突する。斬! と快音、瀑布は花開くように剣士を避けて空へ大地へ飛散する。修羅の気迫が光を襲う。剣士は駆ける。魔法使いへと斬り駆ける。
斬れるか!?
――そう思った。思ってしまった。それに気付いた時にはもう遅かった。
瀑布が――星の光輝が輝きを増した。反応できる程度では無かった。一瞬で目の前が真っ白に染まり、幾度と無く鍛錬を続けた肉体そのものが反射的に剣の軌道を逸らして射線から飛びずさった。
瀑布が剣士を掠めてゆく。
遠雷のような轟音が去った後、剣士は目前に現れた光景に絶句した。大地は蒸気を噴出しながら溶解し山は瀑布の通ったとおりに抉れ空はあまりのエネルギー量に帯電し太陽の日差しは熱によって歪んで見えた。鼻を突く濃密な悪臭が剣士を襲う。何の匂いか剣士には判らぬが地上を揺り篭にした者にとってそれは相容れるべくも無い匂いであると直感が告げた。
あまりに規模が巨大であるが故に、己が何に向かって斬りかかったのか、剣士は正確に把握する事が出来なかった。これが。
音速? 星? 普通? 恋?
一体誰がそのように称したのか。確かにこれは星の力。音速で駆ける流星の仕業。それを行うのが普通の魔法で、その向かう先が恋と言うならば。
その顕れを、なんと称するのか。なぜ私はその名を忘却していたのか。
「――おい。おいおい。おいおいおいおいおい。何て顔しやがるんだ」
胡乱な空に、陽炎のように魔法使いが現れる。未だ蜃気楼の揺らめく世界で、たった一つの確実な存在。魔法使い。魔法使い? 否。
「そんな腑抜けた顔じゃ、私の魔砲は斬れないぜ――」
魔砲。
魔砲使い、霧雨魔理沙――
「そぅら!」
魔理沙が右手を一振り、さすれば煌きとともに無数の魔弾が顕現する。水晶殻の質量弾。自前の魔力で推進するそれの名は、魔理沙が曰くスターダストミサイル。轟然と輝きながら、未だ動かない剣士へ向けて疾駆する。眉を顰め、臼歯を噛み締めながら、剣閃のような動きで剣士は回避する。沈黙していた宝玉が思い出したかのようにレーザーを放ち出し、剣士の動きを予測し魔弾と連携しながら連続照射。しかし剣士はさらにその予測を上回る動きで移動する。突き詰めれば直線方向でしかない魔撃に対して、剣士の行う横方向への超高速なランダム機動は最大効果の良策。
だが、剣士の身体には秒を追うごとに傷が付く。避けられないのではなく避け切れていない。魔理沙はその無様さに方眉を上げた。神業のような動きをしながら、剣士の心は散々に乱れていた。
――現世斬までも。
剣士が修める幾つかの技の中で、最もこの身に染み付いた現世斬。その威力は己が誰よりも理解している。あの常軌を逸した魔砲であろうと、決して劣る技ではない。いや、剣士にとって現世斬とは自らが修める技の基点であり、ならばあの一太刀に斬れぬものなど何も無い。ならば何故、現世斬は敗北したのか。
わからない。苛立ちよりも無力感が先にたつ。強くなった筈だ。今日と言う日まで鍛錬を怠った事は無いし、魍魎どもを相手どってもちょっとしたものだと自負している。あの十六夜咲夜だって相当に追い詰めていたはず。そう、追い詰めていた。追い詰めて――
――ああ。
愕然とした。私は。
私は、自分よりも強い相手に、勝ったことが無い。
戦いの最中、僅かに一瞬、剣士の意識が漂白された。精神も肉体も自らの使命を放棄し、剣士はただの少女になる。
ただの少女、魂魄妖夢の剥き身の姿が、幻想郷に晒された。
――魔弾と魔光が襲い掛かる。
* * *
「……あー?」
霧雨魔理沙は、事態の展開に遅れ気味だった。まるで霊夢みたいだ、くそ、見っとも無い、と思い、首をかしげる。
自分でも捕えられないほどの、しかし無様過ぎる回避を行っていた剣士が、いきなり糸の切れた人形のように全身を投げ出し――今まで以上の速さで、襲い掛かるミサイルとレーザーを切り払ったのだ。いや、速いのではない、と魔理沙は思い直した。決して速いわけではない。ただ途轍もなく鋭いのだ。二種の属性を異にする魔撃をまるで意に介さず、流れ落ちる清流のように閃く雷光のように斬り捨てた。その自然過ぎる動きは美しさすら感じさせる。
悪手か、と思った。調子の悪いように見せて、こちらの動揺を誘ったのだろうか。しかし、あの剣士にそんな小賢しい事は出来はしまい。
――そもそも。なぜあの剣士はああも無様な様子だったのだろうか。初めに感じた剣気はまさに真剣であったが、それ以降は斑のある殺意と気分の悪くなるような瘴気しか感じられなかった。それも今ではまるで嵐の前の凪のように不気味に静けさを保っている。
「なんだってんだ、くそ……おいこら!」
声に魔力を通して拡大させながら、叫ぶ。妖夢はいっそ白痴のように茫洋とした表情で、ゆるりと振り仰いだ。
総毛だった。
妖夢はふらりとそこに立っているだけなのに、本当に彼女が存在するのか魔理沙には判らなかった。否。居るか居ないかという基準ならば、疑問の対象は妖夢ではなく、自分だ。この場を支配しているのは魂魄妖夢という一人の少女だった。魔理沙は今、妖夢の中に居る。
――結界……剣界。
――畜生、修羅……人界、人世、人神。けんけんけんけんけん……剣。是即ち、剣の異界。
「ぐぬ……!」
妖夢が――剣士が、気を取り直した。瞬間、妖夢の世界は霧散する。魔理沙は詰まっていた息を吐き出し、流れ落ちる冷や汗を拭った。
――こいつは。
「わ、私は……」
「どうしたってんだ……お前、いつもこんなのなのか」
「ち――違う」
剣士は自らの失態の連続が信じられなかった。まるで自分自身が粉々に砕けてしまったようだ。
魔法使いを斬らねば成らない。しかし今の私では斬る事などできはしまい。
――何故。
「私は――私は何なのだ」
「あ?」
思わず間の抜けた声を出してしまった。訳がわからん、と呟く。戦いの最中でそのような問いを発した事に対してであり、またそれほど観念的な話をする奴も初めてだった。馬鹿馬鹿しさすら感じる。己は何なのか、など。本気で言っているのだろうか。
迷っているのだろうか?
魔理沙は首を振ってその考えを忘れた。どうも少しばかり気合を入れてやらねばならぬだろう。
「……自分が何か、なんて。そんなナンセンスに、耳は貸してやれねぇな」
しゃきん、左手を振るう。取り出したるスペルカード、描かれた属性は銀河。篭る情念は魔。
「知りたきゃ自分に聞いてみろ! 魔符――」
――己に聞け。
剣士は魔法使いの言葉を受け入れた。何故なら、それが唯一剣士に出来る事だから。
――私は何なのだ。
「――スターダストレヴァリエ!
流れる星とジルバだ踊れ!」
スペルカード発動。魔理沙の周囲に星の子供が顕現する。たっぷり三秒の時間が過ぎれば、魔法使いの周囲は星の揺り篭へ変貌する。
魔理沙が、ぱちりと指を鳴らした。
つつつつ……と星たちが流れ出す。緩やかに、けれども着々と速度を増し、ついには空を乱す流れ星となる。さらに星が引く尾はこれもまた細やかな流星となる。星ぼしは互いを無視するように、しかし整然と流れ落ちる。空を埋め尽くす魔力の星は地上を流れる流星雨。その落ちる先には、剣士が立つ。
――悪意はいつの間にか消えていた。一瞬の忘却は、己の性根ですら漂白したらしい。けれども、剣士の体は覚えていた。あの一瞬、まさに己が達人の境地に居た事を。
構える事も無く。気負う事も無く。ただ流れる流水のように自然に。色即是空にして空即是色、無為ながら森羅万象、太極陰陽相反せず天人地三界を和合す。これぞ人呼んで――……
楼観剣を構えた。深く、沈みこまんばかりに息をして、飛来する流星たちを回避する。一つを避けても二つが来る。二つを避ければ四つが来る。四つを避ければ八つが来る。一つにあたるのならそれは全てに打ち抜かれるのと同義であり、ならば幾千の星が襲い掛かるのは時間の問題。
くぅ、と息を吐き、剣を振るった。ざんざんざんと星屑たちが落ちていく。斬り切りと舞うように、剣士は流星雨を駆け上る。
――違う。これこそが、剣術に使われているという事。避けるのも、落とすのも、私ではない。楼観剣であり、白楼剣であり、さらには己に染み付いた剣術が、魂魄妖夢を動かしているのだ。それでは――まさしく、剣術使いだ。
私は何だ。
剣士であり――庭師でもあるのだ。
庭師とは庭を守り庭を管理し庭をより美しくするものだ。その極地は己と庭が一体であるということ。庭師が己ならば剣士にもそれが言えるのでは無いか。
剣に使われるのではない。技に使われるのでもない。ましてや己の意気に使われるなぞ愚の骨頂。
しょせん私は未熟者である。庭師としても剣士としても未熟である。であるならば、なぜ剣を、技を、己を信じようとしないのか。信じる事が出来ぬのであれば、それはもはや何者でもない。
私は、
誰だ。
――魂魄妖夢。二刀魂魄が二代目、妖夢である。
「――そうか」
ひゅう――と楼観剣が振るわれた。同時に身体がすぅ――と動き、魂魄妖夢は星を斬った。
我、魂魄妖夢也――その事を忘れていた。なるほどそれでは星も斬れぬ道理。
再び妖夢は楼観剣を鞘に収めた。そして気合一閃、六道怪奇を放つ。
濁流のごとく流れ降る星がざんざんざんと斬り落とされる。しかしそれは落としているだけだ。斬っている訳ではない。斬る、とは、落とす事ではない。唯斬るのだ。それに前も後も無く、可も不可も無い。
刀も技も自身も、斬ると言う事だけに成る。同時にそれは、斬るべきものと同じになると言う事。魂魄妖夢という全てが、斬る。それこそ剣士。それこそ庭師。
森羅万象と心技体を一つにし、斬る。それが魂魄妖夢の在り方ではないのか。
そうなのだろう。
魂魄は天地を、妖はあやかしき世界を、夢は夢幻の狭間を。妖夢の立つ場は世界となる。
妖夢の世界が顕れる。
六道怪奇を収め、足捌きを止めた。流星たちが星の息吹とともに妖夢を押し潰さんと雪崩うち――その全てが避けていった。妖夢は微動だにしていない。魔理沙の表情が驚愕に引き攣る。
――全てを斬るならば、全てになればよい。妖夢はその境地に至った。
「――霧雨魔理沙!」
刮目し、大喝した。声は刃となり、星星――星の正体である金色の魔陣を須らく斬る。魔理沙はとっさにスペルカードを眼前に引き戻し、カードが真っ二つとなるのを目撃した。
スペルカードは魔力の器。その硬度は物理的にも理論的にも概念的にも破壊は不可能、ましてや気合だけで斬るなぞ。
――この野郎、化けの皮剥がれやがった。
「音速速いと――たしか、そう言っていたな」
「――さて、何のことやら。……空耳だろ」
「なにそれはまことか」
「真に受けるなよ」
箒から両手を放し、後ろ手についた。重心の移動に合わせて箒の先端が上がる。馬鹿正直な奴で喜ばしい事だ、と魔理沙は思う。自分を狙うならばむしろ箒を狙えばよかったのだ。箒で空飛ぶ魔法使いは、箒に跨る魔法使いになったろうに。それをしなかったのは、地上であろうと空中であろうと足捌き一つで疾走する己を基準にしたからなのか、はたまた箒への攻撃なぞ卑怯だと思ったからなのか。考えるまでも無く後者だ。
幻想郷では貴重な性格。浮遊する巫女ののらりくらりとした行動に慣らされている身としては、いっそ清々しささえ覚える。
妖夢は、そ、そうか、と恥かしげに言い、
「ならば、
――その二つ名、今日限りで返上してもらう」
魔理沙の視界が陰った。急激な光度変化に瞳孔が追いつかず、その影が人の姿をしていると視界が告げたのは一秒も経ってからだった。しかし魔理沙の感覚はすでにそれが何であるか理解している。
魔理沙の突いた手から根元へ向かって蒼白い光芒が伸びる。植物のように脈動しながら、光芒は穂先の一本一本へ集う。
箒の舳先に立つ妖夢は、周囲の気流が一点を中心に収束しだすのを見て取った。風の流れは線を描き、円を描き、角を描きながら集い来る。妖夢には及びも付かぬ事であるが、それは大気圏における航空定理及び飛翔体制御魔術を基盤とした魔理沙独自の三重三次元三立魔方陣、偽装魔術式名トリニティ・エンジン。だが、魔理沙はもっと単純で愛着のある名称をつけていた。その名をブレイジングスター2と言う。
「いいともよ。ただし私はもっと速くなるぜ」
「ではそれを超えよう。音速を超え、世界を超え、冥界の先、涅槃の向こうへ」
「言うじゃねぇか職業庭師。そいじゃ、鼻歌交じりに行ってみるか」
「歌も酒精も籠も無いが――それはそれで、味がある」
「話が速くて嬉しいぜ。
サイクラノーシュは完全無視。ユゴスを掠めてセラエノへ――」
魔法使いは不敵に笑い、限界以上に背を反らした。バランスの崩壊によりくるりと魔理沙と箒は地上を向く。
「瞬く星が誘ってる――往くぜ剣士よついて来い!」
圧縮に圧縮を重ね、エーテル力学の限界量すら超えようとしていた大気が開放の咆哮を上げた。箒の整流効果により天に向けて放たれた黄金色の推進炎は、逆さに流れる星のよう。
「臨むところだ――最早、我が一閃に迷いは無い!」
一声、妖夢は空と言う大地に踏み込みながら、蜃気楼のように魔理沙を追う。垂直降下によって位置エネルギーを運動エネルギーへと変換した魔理沙は、銀色に輝く森林に追随する衝撃波をたたき付けて直角度の方向転換、地表すれすれを最大加速で飛翔する。同時、大地と言う高反発体によって一層の踏み込みを行った妖夢が、残影を見せながら魔法使いの隣に並んだ。魔理沙は箒に伏せた体勢で獰猛に笑う。
「星よ」「星よ」「乙女の願い」「一つの願いは」「ぶっちぎれ!」
魔法使いの詠唱が巻き起こす気流の流れによって共振効果を発起し五節を紡ぐ。両脇で整流効果を維持していた宝玉の他に、もう一組の宝玉がスカートの中から射出される。乱れる大気を物ともせず、宝玉は妖夢へ飛ぶ。
「――戯れか、魔砲使い! ならばこの白楼剣受けてみよ!」
言うと同時、人魂が飛ぶ。白楼剣を絶妙に構え、不規則機動を行いながら飛来する宝玉の一方に接近。綿毛のような魂捌きで斬りかかる。
「星よ「星よ「乙女の願い「二つの願いは「ぶっ飛ばせ!」
語尾に次の節を重ねる二段目の軽省略詠唱に宝玉が反応。玉と言う殻を破り内部に圧縮されていた魔弾が解凍され、一瞬でその姿を取り戻す。その内約はマジックミサイル壱百四拾。その内の半数は至近距離の人魂を目指し、残り半数は人型を目指す。
「戯れだぜ、しかしこの魔弾を唯の弾幕と舐めるなよ!? 一弾各位に寄代一つ、霧雨特製完全自律機動マジックミサイル群だ! 避けれるもんなら避けてみろ!」
その言葉通り、百四拾の魔弾は独自の秩序を以って蛇のように機動する。離れていた妖夢の人型はともかく、人魂のほうに避ける術は無い。六道怪奇でもって幾数か斬り捨てても、残りの全てが隙を付いて直撃しようとする。が、それは一つの要因に阻まれた。魔弾と人魂を豪速で近づいてきた樹木が阻んだのだ。否、近づくのは樹ではなく此方。妖夢と魔理沙の突然の乱入に驚いて道を開けていた森の樹木たちが、平静を取り戻して元の位置に戻りだしたのだ。包囲を逃れた人魂は六道怪奇をおこしながら木々の合間を縫って後退。魔弾も数を減らしながらも一群となって追尾する。それは正に魚群。魔弾の海獣が人魂の餌を追い掛けている図である。海獣はぱっとその群体を二つに分離させ、一方を上空へ飛ばした。森と言う海中を、魔弾は跳ねる。その狙いは二方向からの捕捉。人魂はそれを察知し、唯でさえ低かった高度を更に下げる。地表を掠めるように飛翔すれば、積もる雪が舞い上がり、即席の煙幕と成る。無論人魂に実体など無い。舞い上がらせているのは確固とした実体を持つ白楼剣だ。剣霊一体となって人魂は飛ぶ。しかし魔弾は端から視界だけで追尾していない。妖夢それ自体を多角的に確認している魔弾は視界から霊体反応に追尾基準を切り替え、殺到した。海獣の顎が閉じられるように地空の二派が再び合流する。人魂はその物量に押しつぶされたのか姿形も見えず――いや、すでにその姿は魔弾の遥か先を飛翔していた。雪の煙幕は囮。本命は剣霊一体から主従逆転による属性変化。人魂を纏った白楼剣の属性は霊魂から玉鋼へ変位し魔弾の知覚を欺いた。更に剣へと主体を移行した事により高位の存在基盤が低位へと移ることになり、溢れた余剰霊力が剣に速度を与える。再び主従逆転。属性変化により周囲に死気を発生させながら人魂は白楼剣を構えなおす。目標未だ健在也を状況整理により悟った魔弾は即座に追跡を再開。固まっていては逃げられる事を学習した魔弾は群ではなく夫々が散開して人魂を追う。しかし度重なる剣閃によって減少した現在数では確実に仕留める事は出来ないと判断、頭数を補充するべく人型へ向かっていったもう一群六十機に支援を要請。返答は否定。人魂よりも間合いの広い人型を相手取っていた魔弾群は三度のアタックによってその数を半数までに減少させていた。しかもその攻撃の間に一機たりとも人型へは到達していない。不利と判断した魔弾群は人型と人魂双方の追跡撃破を断念、魔弾二群を統合してからの全力攻撃を決定。人魂人型合流のリスクを侵してまでの決定であるが、魔理沙の性格を反芻したからなのか一見無謀な選択を迷わず行う。即座に人型を相手取っていた魔弾が後退、人魂を追尾していた魔弾に合流する。その総数は八十余。更に魔弾の一部が結合し、倍以上に巨大な魔弾に変化する。内部に爆裂性の魔力を格納するそれは斬られても確実にダメージを与える事の出来るマジックナパーム。巨大魔弾十機を後方に配置し六十機の魔弾は隊列を組む。再び四肢一魂となった妖夢は感覚のみでその動きを察知し、眉を顰めた。間を置くことなく魔弾は攻撃を開始。全体としては渦を描きながら、個々としては蛇のように撹乱機動を行いながら妖夢の右後方よりアタック。
――天上、天界、天神。
「秘剣・広有射怪鳥事――」
だだだんと踏み鳴らし、ちゃりんと鍔音、ふらりと滑る。音は歌い動きは舞。巻き起こるは剣の神楽。音色に鍔鳴りを乗せ、舞に足捌きを宛がい、妖夢と言う剣は一閃を舞う。舞は一閃、一閃は舞。変則機動を行いながらアトランダムにしかし効果的に襲い来る魔弾群を巻き込んで、妖夢の世界は剣を刻む。四肢一魂は舞になる。主従逆転。否、それは同一化と言うべきか。魔弾群は妖夢の反応を消失するも、あえて目標再認を行わず、目標の位置を予想して進路を修正。瞬間を無駄にせず一気呵成に襲う。しかし、妖夢にとって魔弾なぞ最初から隙の塊である。
怪鳥の如き風切り音が、魔弾群を貫いた。
「ほう――!」
驚きの声は妖夢から上がる。魔弾七〇機の内極少数、『一緒に舞った』魔弾が居る。それ以外は徐々に速度を落とし、やがて正中線からぱかりと斬れた。残ったのは――マジックナパーム、全機。
「雅を解すか、流石は魔砲使いの僕」
しからば。
「――汝らの主も巻き込んでやろう!」
木々を避け、雪を巻き上げ、妖夢は地を疾る。一拍もおかず、その身は魔理沙の真横に表れた。
「広有射怪鳥事? なんだ、刀振り回すだけじゃなかったんだな、お前」
「幽々子様より頂戴いたした舞だ。――剣は舞に通じる。その逆も然り」
「ノリの良い奴は、私、好きなんだ」
「ならば付き合え――貴様の魔砲か、私の剣か」
「あいつらはまだ死んじゃいねぇな。なるほど、一人は寂しいか」
「もとより半人」
つれねぇなぁ――と言い、魔理沙は地に沈み込むように舳先を下げ、次いで弾道弾のように上昇した。妖夢は――ぴたりと張り付いて離れない。剣と箒は空を往く。それを追う様に、マジックナパームが轟音を立てて森を抜ける。そのまま妖夢を直撃距離に捕捉せんと多段階噴射。マジックナパームは爆裂弾、爆発すればその周囲は壊滅的な被害を被る。もしこのまま行けば魔理沙に被害が及ぶのは必然。しかし魔弾は躊躇しない。魔弾群の目標は妖夢の撃破。魔理沙を巻き込んではいけないと言う制限は無い。ナパーム十機は二人を覆い囲むように展開し、完全同期を以って爆発した。中心で圧縮されたエネルギーが核融合級のエネルギーを生み出し、ナパーム十機の爆破力を更に上まる熱量を発する。
太陽が中空に突然現れたような、それほどの光がその一帯を圧した。
妖夢は――ひた駆ける。
魔理沙は――飛翔する。
お互いが反対方向に飛ぶ。ナパームの核爆発が起こる前に二人は離脱する。
だが――核爆発の手は、それよりも速い。魔理沙は知識よりそれを知っており、妖夢は気配によりそれを知った。
「――ク、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ!」
魔理沙は大口を開けて笑う。それは――熱量の手から逃れられないと判った、残念の笑いなのか。
否、挑戦に対する、笑い。魔理沙にはもとより――妖夢しか見えていない。
「――この状況で勝負をかけるか、半人半妖!
こいつは素敵な挑戦だ! 受けなきゃ魔法使いが廃るってモンだぜ!」
――その通り。
「このまま競馬をしていてもらちが明かぬ」
ならば、
「今この刹那で決めるまで」
――六道。
「魂魄二刀が必殺剣!」
妖夢は鏡を通るかのように反転する。その先には核の光――いや、魔砲使いの砲塔。
霧雨魔理沙の、魔砲を斬る。三千世界の剣の異界。
「グルジエフ」「グルトシエ」「ハサートゥ」「ハサトーリェ」「ヤ」「ハラ」「ロンリリネリス」「ロンリリネ」「ビヤーク」「バイヤーク」「レイ」
「星よ」「星よ」「集え」「集え」「魔界の心臓」「汝は流星」「汝は光輝」「乙女が願うは」「恋の星!」
魔理沙は詠う。空を超え、宇宙を越え、銀河の中心、暗黒の向こう。宇宙の揺り篭、暗黒の子ら。
取り出したるは、星の描かれたスペルカード。描かれた属性は流星。篭る情念は恋。
その枚数は――実に、五枚。
五芒を描いて中空に留まり、光を零して回転すれば、それは一枚の魔陣になる。これぞ魔砲の最終兵器。魔砲の射手は、砲身基点のミニ八卦炉を両手で確実に保持した。
大気機動により箒ごと反転。宝玉の整流効果により圧力は無い。アフターバーナーの点火によって真っ白い光を吐き出しながら加速しだす。その先は熱の光――いや、一振りの剣。
――人符人鬼一念無量!
――開け星界の大門!
「未・来」
「ファァァァイナルゥ」
抜剣。
放射。
「永・劫・斬んッッ!!!」
「マスタァァスパァァークッ!!!」
――その轟音に音は無い。その光輝に光は無い。それにあるのは、魔砲という形態。星の極光は小太陽を丸呑みにしながらなお足りぬと、たった一つの敵を倒すために迸る。
――斬れるか、斬れないかではなく。
――斬るか、斬らぬか、だ。
楼観剣が光を映し、妖夢は無我の境地で振り下ろした。
――例え星が相手であろうと。
極光がいともあっさりと妖夢を包み込んだ。手応えの無さにすぎる結末に、しかし魔理沙は必死の形相を崩さない。
――斬るのみ。
何故なら魔理沙には見えていたから。
銀河を翔る極光の中心から、真っ直ぐに疾走する妖夢の姿を。
――私の魔砲を――
「――遡るだと」
その光景は、魔理沙にすら予想も付かぬ。小惑星程度ならば塵も残さず消滅させる事が可能なファイナルマスタースパークを、切り裂きながら遡るなど。
その、
その光景の、なんと小気味よいことか。
魔理沙は、何度目か知らぬ笑いを浮かべた。それは――例えるならば、英雄のように。
勇壮に笑う。
「舐・め・る・なぁ――――――!!!」
跨る箒に喝を飛ばす。
「気合入れろ、ブレイジングスター! ――野郎あの剣士の顔面に、ゲンコぶち込んでやるぜ!」
ブレイジングスター――魔理沙が生涯の伴侶と嘯く箒が、魔理沙が千年に一度の発明と豪語するエンジンシステムが、彼女の呼び声に呼応する。
ブレイジングスター1、森羅結界展開。
ブレイジングスター2、第一第二第三最終安全弁開放。
二つのブレイジングスターが目を覚まし、現れるは――第三のブレイジングスター。
真 ・ ブ レ イ ジ ン グ ス タ ー
「 彗 星 !!!」
推進炎が誇大化する。ファイナルマスタースパークに迫らんばかりの推進炎が少女を飛ばす。森羅結界が鎧を生む。惑星を貫く超硬の壁は言うなれば必殺の手甲。ファイナルマスタースパークを追い風に、霧雨魔理沙は空を貫く。光速を超えるために編み出されたその技は、相対的に時間を削り、魔理沙が延長する世界でねめつけるは、一陣の風のように極光を往く少女。魂魄妖夢。
「それが」
如何した。
妖夢は駆ける。極光を斬り、道を斬り、敗北を斬り、勝利すら斬り、唯斬り駆ける。
魔理沙をも――斬る。
綺羅々々と、白楼剣が極光を受けて煌く。極光は白楼剣の刀身を通り、人魂を通り、人型を通り、楼観剣に達する。星の気力が妖夢を巡る。
――魔砲新星反射斬。とでも、名付けるか。
魔理沙と妖夢が激突する。
妖夢が――斬った。
魔理沙は――避けない。
妖夢に斬れないものは、無い。真一文字に魔理沙を斬り、
魔理沙の拳が、
妖夢を撃つ。
世界に音が戻る。
熱も魔砲も言葉通りに斬った妖夢は決まりきったかのように地面を削りながら降り立つ。
魔理沙は飛び続ける。
拳は振りぬかれていた。
ぐらり、と、顔面を殴り抜かれた妖夢の人型が揺れ――雪の中に、倒れ付した。
* * *
「さあさあ張った張った、早くしないと尻玉抜くわよー」
「半! わたし半!」
「じゃあ丁で」
「私も丁かな」
「ぬぬぬ……! は、半で!」
「はいはいよござんすか? ……あーっと四-五の丁!」
「えええーまたー? なんで当たらないのよもう! もう! もう! ぐすっ」
「ぐわあーくそうなぜだ何故当たらない! ま、まさか、私の目は狂っているのかぁー」
「「うわぁーい嬉しいなぁ」」
博麗神社は、基本的に来客が耐えない。神社自体が霊験あらたかだからという訳ではなく、住み込み巫女の来るもの拒まずな気風が人妖問わず人気だからである。しかし巫女自体は決して愛想が良いわけでも無く、それどころか割と投げ遣りな性格故、巫女を苦手とする人妖も少なくない。彼女自身の本質もあり、しかし暇な時は話し相手を欲するのは人妖変わりなく、結局博麗霊夢の元には暇を持て余したり何がしか用事があったりする者たちが集まってくる事になる。
今現在、博麗神社の炬燵には、主を他にして四匹が潜り込んでいた。
一人は朝方やって来てからずっと居座る西行寺幽々子である。彼女は魔理沙と妖夢が飛び出して行った後、怒涛の勢いで蜜柑を平らげた。最後の一個を口の中に入れた後、厳かに霊夢に殴られた痕であるたんこぶが目に付く。
二人目は化け猫である。マヨヒガと言う幻想郷にありながら幻想郷にないという摩訶不思議な場所に住む大妖怪の式の式であり、その実態はやはり唯の化け猫である。名を橙と言い、彼女は使いの途中だ。なぜ博麗神社に居るかと言えば、使いの先が神社であったと言うだけで、その内容は橙にも霊夢にも良く判らないものだった。おそらく橙が使いの内容を忘れたのだろう。霊夢は自分のせいではないので放って置いた。
三人目はアリス・マーガトロイドと言う人形遣いである。彼女は霊夢の髪の毛を欲して慣れない雪道をえっちらおっちら歩いてきた。用件を聞いた後、霊夢は嫌よとだけ言い、その時のあまりにも哀れなアリスの表情を見て仕方なく一本だけ渡した。その時の彼女の表情は、なんとも味のある、思わず頬を突付きたくなるような顔であった。抱えた人形――珍しく唯の人形であった――を弄るさまが実にいじらしい。魔理沙ならばげらげらと品の無い笑いを上げたところだろう。
四人目は月兎である。鈴仙・優曇華院・イナバと言う長たらしい名の彼女は、そういえば何をしに来たのだろう、まあいいか。
その少女たちは――博打をしていた。さいころを転がして丁か半かを当てるものだが、ルールを知っているものが幽々子と霊夢だけであり、胴元の幽々子は橙と鈴仙の外した時の反応があまりに面白過ぎて、最早サイコロに目を向けず、ひたすら二人の悶える様を鑑賞して喜んでいた。霊夢もアリスも、これはこれで面白いなぁ、と思いながらぼけっとしていた。
「ただいまー」
「……あ、魔理沙。ただいまは玄関から来るときに使うのよ。境内の恨みとともにくたばれ」
「ぎゃあああああ馬鹿お前何しやがるちょっまっいやいや股が! 股が! ぎゃあああ」
やれやれと縁側から帰還した魔理沙に、霊夢は鬼の形相で淑やかに迎え、存分に汚された境内の仇をとった。何をしたかは、可愛らしい、乙女の秘密、である。
十分間、秘密は続いた。その間炬燵に入った四匹は、いささか恥かしげにその様子を見ていた。ただしその顔から血の気は引いている。これもやはり、乙女の秘密、である。
「あー満足。はいおかえり。どうだった?」
「さ、さいあく……うう、なんて奴だ。推定無罪って言葉をしらないのか、お前」
「知らないわねぇ」
「――妖夢?」
呟いたのは亡霊だ。
「ん……ほら。二人乗りはしんどいぜ」
言って、魔理沙は脇に抱えていた妖夢をおろした。落としたと言う方が正しいか。どすんという穏やかではない音と共に、気絶していた妖夢は目を覚ます。
「……ぬ」
「よお、お前軽いな。ゆゆこに食われてんじゃないのか?」
「失礼ね。貴女、私を食の権化にしたいの? ひ、酷い。ゆゆこショック」
「それで」
霊夢は再び問う。他の三人は一応話には聞いていたので、黙っていた。
「ああ――それは」
「――私の負けだ」
座り込んでいた妖夢が、ぽつりと呟いた。呟き、今度は身を正し、
「申し訳ありません、幽々子様。――敗北しました」
深々と頭を下げた。霊夢は無愛想な顔でそれを聞き、アリスと鈴仙は神妙な振りをして聞いた。橙は忙しそうに妖夢と幽々子を交互に見た。
魔理沙は――妙な顔をしていた。
「――そう」
とだけ幽々子は言って、それじゃあ宴会場所はどうしましょう、とあまり困った風ではなく言った。
「――宴会場所、あの、ちょといいか」
言ったのは、月兎だ。
「そういえばあんた何しに来たの」
「言ってなかったか? 今晩は良い感じの満月だから、輝夜様が皆で月見酒でも空けながら歌会でもしようかと言ってな。せっかくだから、暇そうにしている連中も連れてこようという話になって」
「それでなんでうちに来るのよ」
「暇だろ」
「暇だけど」
「暇な奴らしか来ないだろ」
「来ないけど」
まあつまりは、宴会のお誘いなのだ。わざわざ神社でやらなくても良い。しかも、主催は永遠亭なので、こっちは手土産程度を持っていけば好きなだけ飲める。歌など詠めずとも、適当に話を合わせておけば気にすまい。
幽々子は利休と茶を飲み交わしたかの如く厳かな表情を作り、
「――素晴らしいわ。行く行く私行く。速く行った方がいいかしら。いいわよね、うん。さあこうしちゃ居られないわ、ずんずん行くわよ。ほら妖夢何時まで畳と愛し合ってるのぺしぺし」
何処からともなく取り出した扇で、妖夢の頭を叩く。ぺしぺしぺし。
「――ってあいたたた、や、止めて下さいゆゆこ様行きます行きます」
声をかける暇も有らばこそ、亡霊と半人半妖はいそいそと竹林に向けて飛び出していった。なんともまあ、地に足の着かぬ亡霊である。
「――歌会は夜からなんだが……まあ、良いか。私の用件はそれだけ。暇なら来てくれ」
「暇なら行くわ」
「暇で霊夢が行くなら行くわ」
「暇じゃなくても行くぜ」
「え、えーとね、橙はね、藍さまと紫さまに行きたいなぁー」
「さよか。それじゃ、一足その辺を回ってくるよ」
そう言って鈴仙は立ち上がった。寒そうね生足、と霊夢達は言い、生足言うなと鈴仙は返した。
「それじゃ、お邪魔した。……ああそうだ。橙、今度は私のほうが先に当てるからな」
「絶対無理だよ」
「言い切るんじゃない傷付くだろうが……では」
とんと兎のように跳ねて、鈴仙は飛んでいった。本当に用件はそれだけだったらしい。
まずい事に彼女の服装は下から見ると幾分か恥じらいが足らず、思わず魔理沙はしゃがんで覗き込んでしまった。それが礼儀というものである。つまり、そんな彼女の行為をカメムシでも見るかのように見る三人は、全く礼儀がなっておらず、嘆かわしい事だ、反省しろ、と魔理沙はざっくらばんに言った。殴られた。何でだよおい。
「……行くの? 霊夢」
暫くして、アリスが問うた。一々霊夢に聞いているところがいじらしいが、それは霊夢がどうだからでは無く、決して言いはしないが一人で行くのが心細いからである。そもそも神社まで一人で来るといういうのがアリスにしては偉業なのだ。何時も連れて歩いている上海人形だか蓬莱人形だかを今日に限って連れてきていないのは、呪的な何か、あるいははじめてのおつかい的なそれだろうか。
「暇だったらって言ったじゃない」
「行くのね……よし、じゃあ準備してこなきゃ」
「なんのじゅんびー?」
「色々よ。都会派少女は洒落者だと相場は決まってるの」
「そーなのかー」
「ちょっと橙あんたそれどこで覚えたの――いやいいわ言わなくて」
「良いのかよ霊夢、こいつはあれだ、情操教育が悪いぜ」
「私のせいじゃないわ。これで一匹頭の柔らかい式が育っても、それはそれ、悲しきすれ違いによって起きた不幸にして必然の結果なのよ。聖者が十字架に磔になってしまった事実は覆しようがないわ……」
「なんという女だ……私は今、世界の悪意の前に居る」
「ところで橙」
アリスは妙に良い笑顔を猫又に向けた。今までの会話から良く判らないながらも馬鹿にされていると感じていた橙は、
「なによつーん」
そっぽを向いた。アリスの眉毛が急速降下する。そもそもアリスは橙に何も言ってないため、とんだとばっちりである。好き勝手言っていた二人は、片方は無愛想な顔をより顰めて、もう片方は喉も裂けよばかりにげらげらと笑っていた。アリスの表情がツボだったらしい。
橙はアリスの落ち込み具合にかなり動揺し、両手をぶんぶんと振り回しながら、
「す、すこしならお話聞いてあげる! すこしだけ!」
とかなり譲歩した。アリスは見るからに嬉しそうになり、しかしむずむずと綻びそうになる口元を押さえようとしている。魔理沙は窒息寸前だ。
お話は霊夢と魔理沙には予想通りの内容で、もうすぐ帰らないと主人が心配するだろう、丁度良い事に私は途中まで道が一緒だから付いていってあげる、ああそうだあなたお人形欲しくない? 私の館まで来てくれたら一体だけあげるわよ、と、つまりは一人じゃ寂しいので一緒に帰らないかという話だった。婉曲に見えてあからさまな誘いに、純粋というか考えの足りない化け猫はひょっこり機嫌を直して嬉しそうにお人形欲しい一緒に帰るーとはしゃいでいた。魔理沙は笑いすぎて咽ている。霊夢はその背中を力いっぱいぶん殴った。
「うんうん。それじゃあ、しょうがないけど……しょうがないけど! 一緒に帰りましょ」
「うん! 白黒紅白ばいばいー!」
化け猫は元気よく犬のように飛び出る。ぐるぐるとその辺りを跳ね周って、はやくいくよー、とアリスに言った。
「結局あの子は何しに来たのかしら……」
「少なくとも、霊夢がにっこり笑顔で万々歳な用事じゃなかったでしょうね」
アリスは炬燵から抜け出し、お人形のような空色のスカートを整えて、それじゃあまた今晩、と言ってえっちらおっちらと雪の積もりだした境内を去っていった。その周りを犬のように猫又が纏わり付く。後ろから見ても嬉しそうだった。二人とも。
「私、アリスってあれで居て子守の才能が有るんじゃないかと思う」
「なんだか寝かしつける対象に振り回されそうだけどね」
「お前は完全放置をしそうだなぁ」
「あんたは高い高いで雲の上まで飛ばすでしょ」
「私はそこまで優しくないぜ?」
「へえ。――外道」
「お前の脳内設定ではいま私が何をした。結界張って人払いするよりかはまともなんだろうな」
「人払いじゃないわ。単なる結界よ」
「ま、お前がそこまで気にする話でも無かろうに。私と妖夢の弾幕ごっこなんて」
「――お茶、飲む?」
言って霊夢は蒸気を噴出している薬缶を手に取り、急須に入れて魔理沙の湯飲みに注いだ。湯飲みの数は朝から変わっていない。霊夢はどうやら台所に行く事すら放棄して、回し飲みさせていたらしい。自分のではなく、魔理沙ので、と言うのがポイントである。やはりこの女は邪悪だ。
しばらく出涸らしを啜る音が響いた。はしたない事この上ないが、どうせ見ているのは勝って知ったる腐れ縁、もはや恥じらいも感じないらしい。
暫くどころか、一刻近くもぼんやりとした時間が流れた。
* * *
「――幽々子様」
ふよふよと目の前を飛ぶ主君の背中に、遠慮がちに声をかける。えらくダッシュで出て行ったと思ったら、今度はえらくのったりと飛ぶ。このままでは竹林に着く前に日が沈むのではないか。
――お怒りになられているのか、失望されているのか。
それも致し方あるまいと、妖夢は思う。春の事もあわせれば、二度にわたって主君の期待に応えられなかったのだ。全く以って――従者失格である。
「妖夢」
ふらふらと飛ぶ幽々子が振り向きもせずに声をかける。
「――はい」
「そんなに畏まらないで頂戴。別に勝った負けたはどうでもいいから。宴会できるんだから、結果オォライよ。久しぶりに歌合だって出来るし」
妖夢はちいとも雅を解さないからねぇ――と呟いた。妖夢にはわびさびとか風流とかがからきし理解できない。物心付いた時から剣を振るっていた記憶しかないし、そもそもたった数行の中に月や花のなんやらを篭めるのはいかにも妖夢の気質に合わない。師匠もそうであったようだから、きっと剣士と言うものはたいがいそうなのであろうと妖夢は思っていた。
幽々子は少しだけ言葉を止めて、ぼんやりと浮かんだ。妖夢に位置から幽々子の表情は判別できない。
ふう、と息をついて、亡霊は言う。
「でもね……貴女、さっきの弾幕ごっこで、剣の奥義をなんと感じた?」
――奇怪な事を問われる。私が太極合一の境地に至ったことを、感じ取られているのか。
「――斬るか、斬らぬか。で、ございますれば」
悟った事を、そのまま伝えた。主君に秘する事なぞ不敬だし、もとより隠すべき事でもない。
「――そう」
言うと幽々子はくるりと振り返り、
妖夢の頬を叩いた。
「―――」
突然の事に妖夢は反応できない。さほど力を入れて叩かれたわけではなく、むしろぺちりといった可愛げのある軽いものであった。いや、そんなことよりも――
――幽々子様に殴られた。
「な――何を」
呆然と呟く。
幽々子は――寂しそうな顔をしていた。
「――人界は人々が住まう場所。地界は餓鬼の住まう場所。天界は仏の住まう場所。六道は人の巡りを指し、世界はその姿を整える。――それは冥界や亡霊にとっても同じ」
「……」
言い募る主君の本意を妖夢は汲み取れない。いまだ呆然とするそんな従者に、幽々子はいっそう寂しそうな表情を深めた。
「全てになるということは――全てを斬る事だと。すなわちそれは『既に斬っている』のよ。
世界を斬ったならば、森羅万象を斬ったと言うならば。
――どうして私を斬っておらぬと言えるの?」
――言えまい。
どの口が言えるのか。この口か。一切を斬ると感じた己のこの口がか。
この口が言うのか。
主君を、幽々子様を斬ったと。
「わ、私は――そのような」
「剣は手段よ」
一言で妖夢の言葉を斬り捨てた。
「しょせん剣とは戦いの道具。それを操る技も、それを統べる肉体も。いかに達人の境地に立とうと、いかに奥義を修得しようとも、殴って倒した方が勝ちのそれと本質は変わらないわ。
そんな、児戯にも劣るようなものが、三千大世界と合一するなど。おこがましいにも程がある。
――恥を知りなさい、魂魄妖夢!」
妖夢は己の全てが突き崩される音を聞いた。剣しか知らず剣を伴侶とし剣と共にあった彼女は――剣こそ己となっていた。それを真っ向から否定されたのである。
誰でもない――己の全てを剣と共に捧げる、主君に。
――剣は、無意味なのか。ならば、剣である私は、無意味なのか。
消えてしまいそうだった。いや、事実もう魂魄妖夢は消えていた。そう、――私なぞ、初めから居ないのだ。私は私の全てに否定されたのだ。
幽々子は前を向き、止めていた足を進めた。ふらふらと飛ぶ主を、妖夢は呆と眺めた。
――もはやこれまで。魂魄の務めを果たせなんだのは心残りだが、私はここで、
「何をぼんやりとしているの妖夢。そんなだから皆に抜けているとか言われちゃうのよぺしぺし」
「あいた」
ふよふよと進んでいた幽々子が、付いてこない妖夢の元にふらふらと近づいて扇でしばいた。骨のところで叩かれたので割と痛い。しかも間抜けな音とは裏腹に随分力がこもっている。
ぺしぺしぺしぺし「んもう、まったく」ぺしぺしぺしぺし。
「あいたたたたたいやゆゆこさまマジ痛い止めて止めて」
「だめよこれくらいしないと妖夢のうっかり癖は直らないわ」ぺぺぺしぺしぺぺぺしぺし。
「音頭なんかとらなくていいですからいやほんともう十分ですってへこむへこむ頭がへこむむむむ」
五分近く続いた。その間に幽々子は良い音をする頭に味を占めたのか、袖からもう一つ扇を取り出して16ビートを刻みだした。唯でさえ低い背がこれ以上縮んではたまらぬしかもこの音頭はまさか水戸黄門か。なんで知ってるんだ。
「うーっかーりはーちべーぇーずんずんどこどこずんどこどこ」
歌まで作りだした。
妖夢はなんとか幽々子の手首を掴み、じたばたするその両手の持ち主をしばこうとして思いとどまった。いかんいかん。
「なにすんですか貴女は。死んでも生きてても痛いものは痛いんですよッ」
「何を言っているの。貴女が間の抜けた顔で鼻水たらしてたから、主として赤面する思いで起こしてあげたんじゃないの。ああもう、私の爆発する愛を受け止めてくれないなんて、ゆゆこ・大・ショック」
よよよと嘘泣きした。妖夢はいい加減学習すれば良いものを、今回も真に受けてフォローしていた。
「っていや違う。こうじゃなくてですね、根本から違うのですよ」
「何が?」
「何がって、幽々子様、さっき仰ったじゃありませんか!」
妖夢は真剣に言った。幽々子は右から左に流したが、バレた。
「んもう、面倒くさい事ばっかり覚えているのね……」
「面倒だとか、そういう問題ではありません」
糞真面目に迫る妖夢を扇で遠ざけながら、幽々子はおっとりとした笑みを浮かべた。なんだか妖夢には久しく見ていない顔に思えた。
「――剣士は無用と。貴女はそう仰られたのではございませんか?!」
「貴女の肩書きは剣士だけではないでしょう」
さらりと幽々子は言った。極自然に――事実、自然な事を。
妖夢の表情が、憑き物が落ちたようにぽかんとなった。
「ほらまた呆けてるぺしぃーん」
兎の首を折るような生々しい音が響く。
「ひでブッ……ってあああんた人の剣の鞘でフルスイングとは血も涙も無いですね!?」
「何を言っているの、これが、そう、いわゆるLOVE表現じゃない」
えるおーぶいいーって何だとか呟いている妖夢が可笑しくて、幽々子は
「うふふふ」
と笑った。そうしてくるくると蓮のようにその場で回り、
「――さあ、お間抜けな顔をしてないで、しゃんとなさい。一人で往くには少しばかり遠い距離、旅は道連れ世は情け。行きはよいよい、帰りはこわい――」
こわいながらも――と口ずさみながら、今度こそ竹林へふよふよと飛び始めた。
――剣士であると言う事に拘るのなら、彼女の言葉は笑止の一言。剣が無意味であると言うなら、学であろうと、舞であろうと、歌であろうと、須らく無意味。現世幽世ひとまとめ、胡蝶の夢でしかないものに、そもそも意味なぞあるはずもない。あるか、ないか、二者択一。ならば――剣を極めれば、胡蝶は己自身になると、言えるのだ。
――だがしかし。
それは最早、剣士ではない。求道するのが剣士ならば、極みに至ったものは剣士ではない。その極みを何と呼ぶのか、八百万か、仏か、妖夢には解らない。解る筈もない。極みに至ったものに名は要らず、主観を客観とするそれは己自身すら無用とする。
だが、魂魄二刀とは、そうなることを目的としているのではない。初代・魂魄妖忌はそもそも流浪の剣客。放浪の旅路の途中にあった彼に、剣の奥義なぞ必要ない。そんな彼が弟子に受け継がせようとしているのは、極論すれば剣ではない。
――お嬢を。
巌の如き様相で、しかし柳のように掴み所の無い師匠の声が、記憶の置くから妖夢に語りかけた。
――お嬢を御助けせよ。
それは、物心付いた時に聞かされ、そしてふらりと白玉楼より居なくなる前の晩、二刀を授けられた時に聞かされた言葉。
――あのお方は雲だ。近くにありながら決して届かぬ高みより我等を見下ろし、風の如く去り往くお方だ。
西行寺幽々子は、不幸な娘だった。そして、自らの逝く先を選べる娘だった。だからこそ音に聞く大妖怪でさえ助力を申し出、冥界で老桜とともに死に続けることができたのだ。それは、なんともしなやかに剛く、そして危険な事であった。
――雲は人を気にせぬ。高みにある雲は地を這う人の機微を解さぬ。そもそも人と雲は決して交わる事のないのが道理。ならば人を知らず雲を知らずで結構であろう。
――だが、人が雲になったのなら。
――人は人のまま高みより見下ろす事になるのか。否。人は人を捨て雲になるのだ。雲は無形であれば、人がその姿を保てぬのも道理。
人で無くなるということ。それは恐らく、不幸ではない。人という器に囚われぬのならば、寧ろ人なぞ止めてしまえばよい。しかし。
――雲は、全てをまつろわせる。人も妖も鬼も、一切が一つとなり、また全てになる。雲に境界は無いのだ。これは――八雲殿とて、弄れぬ。
――それで良いとなさるのなら、何も申し上げる事は無い。だが、お嬢にはそれが本当に良いのか判断できん。
不幸であったがゆえに、と妖忌は続け、妖夢はその時、自分の師が、爺が、初めて人の股から生まれた者であると感じた。
それは――期待であろうか。
――ならば御教えすれば良い。世の幸福を過ごし、悠々自適を過ごし、そして堪能した後、雲と境界を無くすと言うのであれば、その時は生涯一の笑みで見送るが良い。
――故に。
――故に、妖夢よ、御助けせよ。お嬢が幸福に過ごせるよう、雲となるか否か選ぶ事の出来るよう、その半人半妖を粉として、お嬢を御助けせよ。
それが。それこそが。
――魂魄の唯一の務めであるならば。
「それが、魂魄二刀の」
剣士も要らぬ。庭師も要らぬ。妖夢は魂魄なれば、その本懐とは西行寺幽々子と供にあると言う、それだけで良いのだ。
――そして、まぁ、お嬢の友であるがよい。これは魂魄としてではなく、爺としての頼みじゃの。
「私の」
見れば、ふらふらと飛ぶ後姿は空の蒼さに溶け込んで、そのままふらふらと風のままに何処かへ行ってしまいそうな雰囲気がする。銀雪は大地を覆い、地面一体が輝く雲のようだった。
――では達者でな。縁が重なればまた会うこともあろうて。
――はい、師匠。その時まで、おさらばです。
かつての魂魄二刀は巌の如き様相を破顔させ、記憶の中に去っていった。
「――幽々子様!」
妖夢も、笑った。幽々子が思わず笑みを返すような、そんな笑顔だった。
「――そっちは方向が違います!」
* * *
妙に人妖密度の高かった博麗神社が再び霊夢と魔理沙の二人になってから、一刻半が流れた。その間霊夢は昼飯の冷や飯と鯖漬けと菜っ葉を用意し、魔理沙は寝っ転がってスペルカードを弄り、食事の用意は一切しなかった。そのため鯖漬けが一匹しか配給さず、講義をすると菜っ葉まで引っ込められてしまい、しぶしぶ、不本意ながら、謝罪をした。しかし誠意が足りない、ごめんなさいで牛鍋を出してみろと高圧的な態度で返され、ふざけんなこの冷血山椒魚巫女うるさい黙れ鳥頭ゴキんだとお、と、炬燵の上では口論、炬燵の下では高度な足技戦が、淑やかに繰り広げられた。結局隙を突いた魔理沙の箸が霊夢の鯖漬けをペリカンのように確保、丸呑みしてしまい、少しだけ怒った霊夢が大結界を怒気で震わせながら炬燵の中で魔理沙の両足を捉え、足と足の間に自分の足を差し入れ、振動を与えながら全力で引っ張るという、大げさに言っても、はしたない程度のスキンシップが行われた。
昼食も過ぎ、蜜柑は幽々子に完食されたので干し芋を引っ張り出してきた二人は、朝から取り替えていない出涸らしの三杯目に取り掛かった。
「あー」
と鼻から噴出すように霊夢は言い、顰め面をさらに顰め、
「で、どうだったの」
「ああ? ああ。んあ」
魔理沙は適当に答えたが、暫くして思い直したのか喰いかけていた干し芋を火鉢の網に置いた。単に硬過ぎたからである。
「ありゃあ、控えめに言って相打ちだな」
魔理沙は少し考えるようにして言う。霊夢はぴくりと眉を上げ、視線で続きを促した。
「――妖夢が最後に使った技、技って言うのかな。私のファイナルマスタースパークを鯉みたいに遡って来やがった。鮭かっつーの。ありゃあ多分、敵が放出したエネルギーをそのまんま自分に溜めて加速と斬撃に使うっつー技なんだろうけど。ありゃあいけねぇ」
「いけないの?」
「いけないね。特に特化型の魔法使い、事に私にとってはカモだなカモ。相手のエネルギーを反射するって言えば格好が良いが、それは結局相手の最大耐性と真っ向からぶつかり合うってことなんだ。だいたい得意な技ってのは、自分には耐性があるだろ? お前で言うなら呪いとか」
「私は霊気、しかも神聖な奴よ。呪いってアンタ主観で言ってんじゃないわよ」
「無視して続けるが、奴さんはその辺が判ってなかったな。吸血鬼やら不死人やらはどうかしらんが、魔法使いは大概属性耐性がある。これがパチェなら日月火水木金土の七曜根源元素、アリスなら人形遣いとしての超ウルトラ精細な魔力制御法」
「ちょっと待ってよ。それって種類が違わない?」
「違うよ。違うけどいいんだ。言っただろ反射するって。あいつにとってエネルギーなら何でもいいのさ。魔力妖気霊気に陰気陽気神通力、気合気迫死気生気。しまいにゃ龍脈やら自然現象まで跳ね返しちまうだろうよ。だからもう、気配とかそんなのでいい。そう言うのを反射する……唯反射するんじゃ駄目だな、吸い取って循環させてから反射するのか。そういう割と非常識な技だ。私が言うのもなんだが。
私の場合で選択肢に上がるのは星と恋と魔力だな。今回跳ね返されたのはファイナルマスタースパークだから、全部っつーか魔砲そのものか」
言って魔理沙は茶を啜る。面倒くさげに話しだした割にはえらく口が回る。喋りながら考えをまとめているようだった。
霊夢は不機嫌そうな顔でじっと聞く。
「……私の魔砲は、自慢だが反射しますよハイそうですかと行く代物じゃあない。霊夢、古今東西のあらゆる中で最も単純で効果的なものは何かわかるか?」
「美人」
「そう、力、パワー、威力だ」
「流すんかい」
「気持ちよく喋ってんだ邪魔するな。出力二十三億六千万ギガワット超、マスタースパーク五発分の魔力を共振効果で五乗にまで伸ばした素敵で本気な魔理沙さんの最終兵器ファイナルマスタースパーク。月に撃てば月が割れるぜこいつはよ。そんなべらぼうふざけた魔砲を、あの剣士はあっさり真っ二つに割ってくれやがったどころか、身体に巡らせて見事綺麗に反射してくれやがった。こいつは――ちょっとばかり、ありえねぇ」
「なんでよ。月が割れるだのめがわっとだのよく判らないけど、斬って反射させるぐらいならできるんじゃないの? 剣士なら」
「出来る出来ない技術の問題じゃなくて、不可能なんだよ。最初の条件からして無理なんだ。
いいか? さっきも言ったように、この世界は力がメインだ。理論論理伝承輪廻とか言うのは力があって初めて成立するもんなんだよ。なんでって、ロジックじゃ腹は膨れねぇし星はうごかねぇ。それと一緒だ。現界ありき。少なくとも私の立つ場ではそういう原理に基づいてるんだから深く突っ込むな。そんでまあ話を移すが、私ら一人一人にが持つエネルギーには当然限界量がある。これはお前にだってわかるだろ」
「まあね」
「自分の限界以上のエネルギーを持ちたいなら、簡単なこった、別のものに移しときゃ良い。妖怪やら吸血鬼やらはこの限界量がアホみたいに多いから貯蓄っつー目的では作らないが、だいたい因り代とかそんなのにエネルギーを注入して持ち歩く。ちょと弄れば使い魔とかにもなってこりゃ便利だ。逆に言えば、だ。限界以上のエネルギーを持った場合、急いで因り代にエネルギーを流すか、体外に放出するかしなきゃならない。そうでもしなくちゃ内部のエネルギーが破裂する。
さて、話を戻す。妖夢が行ったエネルギーの反射による攻撃、あれは普通に見れば、割に合わないが筋の通った、だけどアホ臭い攻撃だ。ぶっちゃけていうと私もなんでアイツがあんな技つかったのか理解に困るぐらいだ。ま、普通の奴なら一発だろうけど。普通って結構難しいんだよな。
奴の反射攻撃が私にとって致命的ってのは、ほんと単純な話だ。どんなに限界量が高かろうが因り代を用意しようが、私の魔砲を受けたら一瞬でトぶ」
「トぶの」
「トぶね。そもそも私でさえ冗談で作った魔砲だぜ。地面に向けて撃ったら五十億年前に逆戻りなモン何に使うんだよ。使うとしてもずっと先だ。そんなの喰らったら剣士も亡霊も妖怪も神も悪魔も関係ねぇ、皆仲良くエーテル核だ」
「でも妖夢は生きてるじゃない。つかそんなの撃つなよ」
「その場のノリだ。大丈夫仰角は付けといたから多分地面には影響ない。あっても文句言いにくる奴は蒸発してる。……いや、来るな。多分だれも蒸発してねぇ」
「なんでよ。二転三転しないでよ」
「アイツは魔砲を斬ったんだ。だったら斬られた魔砲はどうなる。反射されたんだ。じゃあ被害なんて出るわけない、全部私のところに帰ってきたんだからな。
さて問題はやはり妖夢がどうやって魔砲を受け止めたかだが……」
ふうむ――とここで魔理沙は考え込んだ。実のところこの答えが見つからないために今の今まで喋り続けていた、つまり、今までのは単なる暇つぶし、無駄話、なのである。しかし霊夢は寧ろ当然のような自然の風袋で居る。
「――耐性の話はどうなったの?」
「ん? ああ――今回に限って言うなら、あんまり関係ないな。耐性が有ろうが無かろうが殆ど変わらん。せいぜい分子が電離するかとか塩素基盤が残るかどうかとかの違いだろ。これが普通のマスタースパークなら、そうだな、私なら頭部と脊髄と心臓が残る程度か」
「つまり話の枕だったわけか」
「いいや、霊夢。言葉のキャッチボールの基本は、相互理解から、だぜ」
「魔理沙、貴女にはいろはの国語辞書が必要なようね」
「お前には優しさと慈しみと慎みが必要だな」
「ふん。ま、あんたの良くわかんない話はあっちにおいといて」
「置くなよ非道え」
「非道くないわよ」
「まあいい。そんでちょっと聞きたいんだが、お前博麗大結界の強度がどれくらいかわかるか?」
「――結界の? 押しても引いても割れない程度じゃない?」
「押して引いて割れたらそら愉快だな。そうだな、具体的に言うなら、マスタースパーク何発分ぐらいなら耐えられる?」
「それはまた、具体的な話ね。結界を越えるつもり?」
「必要と有らば私は止まらないぜ」
「ふうん。たぶん何発撃っても無駄よ。あの結界は誰にも解けない」
「お前以外じゃ、だろ、霊夢。空を飛ぶ巫女。解く必要なんてないさ。ぶっこわしゃいいんだ。
フムン、やっぱそうかな」
「何よ」
「妖夢さ。あいつは結界に繋がったんだ」
「博麗大結界? 馬鹿馬鹿しい」
「馬鹿馬鹿しいな。事実はもっと馬鹿馬鹿しい。あいつは自分の中にもう一つの幻想郷を創り出したんだ」
「――沼矛なんか持ってたかしら、あの子。世界創造ですって? 天高原から苦情が来るわよ」
「魂魄妖夢の剣の異界、世界の根元を自らの内に創り出す訳だ。そんなもんビッグ・バンだって飲み込んじまうぜ。けれどそれは当然なんだな。半人半妖で魂魄なんて名だったら、世界の一つは創り出せる」
「それで――剣術を使う程度の能力。呆れるほどの馬鹿馬鹿しさね。誰よあんなの生んだの」
「知るか。そう言う訳で奴はファイナルマスタースパークを返す事が出来たわけだが、そこは天下の魔理沙さん。抜かりはないぜ」
魔理沙はひょいと片手を上げる。微風を起こしながらしゅるりと箒がその手に収まり、よしよしと魔理沙は箒を撫でる。
「――私の切り札中の切り札、何時かの為に編み続けてきた非弾幕必殺技。そいつで馬鹿正直に突っ込んでくる妖夢の顔面に拳骨ぶちこんでやった。ま、最後はスマァトで気合のある方が勝つという美談でした、ちゃんちゃん」
「なにが、ちゃんちゃん、よ。よくもまあそんな状態の妖夢に斬られなかったわね」
「斬られたさ」
「斬られたの?」
「斬られた。全く以って完全無欠な一閃だった。私は――半分斬られた」
「――半分?」
「半分さ。きれいさっぱり、半分斬られた」
と言って、魔理沙は箒を両手で縦に持ち、
「ほうら」
唐竹に真っ二つとなった箒を見せた。
「……流し素麺が出来そうね」
霊夢は唖然として、なんとかそれだけを紡ぎ出した。
それほどまでに、美しく斬られていた。
「――竹じゃないんだけどな。見ろよ、あんまりに綺麗過ぎて――『斬られた事に気付いていない』」
再びぴたりと付けた。あまりに見事な切れ味に、箒の繊維は全く乱れていない。繊維だけではない、と魔理沙は続けた。魔術的にも、まるでそれが自然であるかのように斬られている。
「――妖夢の世界に取り込まれちまった。暫く乗る分には問題無いだろうが、それでも気分良いもんじゃないわな」
「そりゃそうだ」
霊夢は知っている。魔理沙がその箒をどれほど愛していたのか、どれほど頼りにしていたのか。聞きはしないが恐らく生まれた時から共にあったのだろう。だったらそれはもう、自分自身だ。彼女は半身を斬られたのだ。
――これほどの屈辱があるだろうか。
違う、と霊夢は思い直した。彼女は屈辱をただ屈辱として捕えない。新たなる目標として邁進し出す。まるでそれが己の生きる道とばかりに。
霊夢には解らぬ感情だった。けれどもそれは当然の事だと、彼女自身は判っていた。霊夢には霊夢のことしか解らない。
今も――魔理沙の心情を思いはするが、共感する事は出来ない。
けれども、魔理沙は気にすまい。だから、霊夢も気にしない。
「そうさ。お前はお前以外の何にもなれない。博麗神社の不思議な巫女、お前が今本当に考えている事は――大結界を斬る事が出来る奴が現れたことだ」
霊夢の心情を見抜いたかのように、魔理沙は箒の点検をしながら呟いた。
その通りだと霊夢は思い、干し芋を飲み込んだ。
「お前がお前であるために、博麗大結界は保たれなくちゃならない。それが巫女としての務め、だろ」
「そうね。だけどそれがどうしたの」
「はん。結論を聴きたいかい?」
にやりと魔理沙は笑い、箒を置いた。そうして湯飲みを捧げるように持ち、瞑目する。
世は並べて事もなし。
「――いい加減に茶葉代えろ。これはもう出涸らしでもなんでもない、ただの湯だ」
そういって急須を投げつけた。
* * *
――その後、度重なる宴会に不信感を抱いた各々が、余計な気を利かして幻想郷を駆けずり回ったり、博麗霊夢が久しく気合を入れたり、と、比較的穏やかな日々が続いた。
博麗大結界が消滅する、遥か昔の出来事だった。
二百由旬を誇る御庭は朝日に陰る。幽世の風が庭の中心で坐する少女を撫で、一日の始まりを告げようと渦を巻く。
少女はゆるりと立ち上がった。纏いつくようにほの光る人魂が少女を巡り、背負う一刀と佩く一刀を淡く照らす。洗練され切った動作で半身に身を置き、両の手を二振りの柄に当て、叫びとも呼吸ともつかぬ声を発しながら、
「けあぁ!」
一閃が無数に放たれた。全てが空を切り、巻き起こった僅かな風が少女の影を揺らす。一拍置いて一閃、今度は半拍置いて一閃、さらに四半拍置いて一閃、さらに短く、速く、連続した一閃はまるで数珠の繋がり、霞のように無数の一閃が少女の周囲を断つ。しかしながら少女は両手を柄に当てたまま動いてはいない。今また二刀は鞘に収められたまま剣閃だけが閃き、断たれた空気が渦をなした。
――剣術である。
幽鬼、餓鬼、餓王……獄界、獄炎、獄神。けんけんけんけんけん……剣。人呼んで、剣術を使う程度の能力。魂魄流。
一つ頷くと、少女は構えを解いた。朝日はすでに昇り、今日も何時も通りの一日を予感させる。手を翳して朝日を見やり、ついでその首をめぐらした。
ざんばら――と。
白玉楼、二百由旬に繁る草木の枝葉が、期を同じくして切り落ちた。
めぐらしたその先には、幻想郷へと続く結界の綻び。
西行寺家付き庭師、魂魄妖夢は毛玉でも見るような目でそこを睨み、反転して館へと歩き出した。
* * *
「ゆゆこさまーゆゆこさまー朝ですよ朝ですよー」
「んーあーうーあなたが本物のよーむならこれが出来るはずだわー……貧弱メイドのものまね」
「ロードローラーだッッ!……っていい加減音速が遅すぎるネタのうえに私犬に喰われるのかよ」
「んっはあその反応はまさしくよーむヨオム妖夢ね……なによまだ朝じゃない。一体誰が朝に起きると決めたの……貴女は鶏?」
「剣士と言うのは、たいがい早起きなものです。そもそも、鶏鳴で起きない、と言うのが間違っています。不健康です。寝惚けてないで顔を洗ってきてください」
「……あら、朝?」
「寝惚けてないで顔を洗ってきてください」
西行寺の幽霊嬢はもそもそと布団から這い出る。妖夢はそれを放っておいて食堂に向かい、昨晩行われた宴会の残り物で作った朝食をさっさと済ました。幽霊は娯楽以外で食事をしないが、棺桶に片足しか突っ込んでいない妖夢は腹も減るし眠くもなる。逆に言うと片足は突っ込んでいるので経を読まれれば成仏もするし線香をあげられれば無条件で喜ぶ。冥界では踏んだり蹴ったり亡霊などと不名誉極まりない綽名を貰っており、本人はそれを認めたがらなかったが、事実なので嫌々それを受け止めていた。無視すればいいものを、律儀に受け止める辺りにこの少女の生真面目さが表れている。
まぁ、半霊半人なのはいいのだ――と食器を片付けながら考える。師匠であり今は隠遁している老剣客がどうであったか知らないが、輪廻六道を巡る転生が己を冥界へ導いたのなら、それに逆らう道理は無い。なにより今の主君は食い意地が張っている上にヘリウムのような性格だが仕えがいがある。ありていに言って、今の生活が好きだ。かなうことならこのままずっとこうしていたい。
「さて……幽々子さま、折り入ってお願いがあります」
「何かしら妖夢……? ああ、そういえばご飯は? なんで私のご飯が無いのかしら、朝ご飯」
「……は。残念ですが具材の補充ままならず……」
「ああ――いやいや。あなたは実にバカね妖夢。妖夢バカね実にあなたは。無ければ、探す。貴女はこんな単純な真理もわからないのかしら……ゆゆこショック」
食材が無くなったのは昨今の宴会続きが原因であり、さらに言うならそれを半ば以上腹に収めたのは当の本人である、と言いたい所を右眉を跳ね上るだけで我慢し、いや、そもそも私はこんな事を言いたいわけではないのだ、一つ断って置く事がある、それを先に言うべきだ、と思い主に向かって口を開こうとし、
「ゆーゆこ」
優雅に手の甲を口元に当てながら、
「ショーック」
さぁ……と妖夢の胸裏を清風が吹きぬけた。
――活目しませい二代魂魄、二刀剣士が妖夢よ、おのれは主君の命をなんと心得るのか。主君が館のものを喰ろうて何が悪き事がある。転じて汝、己の至らぬ所をまさか、まさか主君が悪しなど、畏れ多くもも思うておったのか。恥ずべし。二度恥ずべし。更にそのようなつまらぬ些事に主君を煩わせた事、また愧ずべし。主君の望みを十全に叶えてこそ真の従者と心得よ!
「……ははぁ! 私、まさに清水のひとしずくを見極めた心持にございます! 不肖妖夢、湧き上がる感動の念を抑えつつ、魂魄の家名に懸けて疾風の如く参りましょう!」
深々と一礼した剣士はまさに一陣の風となり、米を買い、山々より採取し、清流より釣り上げ、再び風と共に帰り着いた。その間、一刻にも満たない。音速の魔法使いに勝るとも劣らぬそれはしばらく冥界の語り草になった。
「幽々子様、お待たせして誠に申し訳ありません! 魂魄妖夢ただいま御朝食をお持ちしました!」
「そんなことはどうでもいいからちょっとお出かけしましょう――ちょっと、ふすま破っちゃ駄目よ。頭から突っ込むなんて面妖ねぇ」
うふふふ、笑いながらゆらゆらと玄関へ向かうお嬢の声に、意地悪なものを見つけたのは気のせいであろう――と、うつ伏せで倒れ伏す妖夢は思った。
運んできた朝食が、いつの間にかきれいに無くなっていたということだけは付け加えておく。
* * *
薬缶の湯を取りに行って戻ってきたら、取って置きの最後の一本、出したばかりの水羊羹が跡形も無くなっていた。
博麗霊夢は目の前が白光に包まれる幻覚を見、崩れ落ちそうになる身体をどうにか踏み止まらせ、悲鳴を上げるのを渾身の気合でこらえた。
「くけえええええええ!! 許さないわよこのゴキブリ鯨幕が! 結界拘束してじわじわとなぶり殺しにしてくれる!」
変わりに奇声と罵声を上げる。しかし両手は薬缶で塞がっていたので、現実にそうなることは無かった。
答えたのは魔法使いである。とんがり帽子は床の上に放置されているものの、炬燵の天板に顎をつけて緩んだ雰囲気をかもし出しているあたり、幻想郷的魔法使いの年間賞を授与されそうな勢いだ。対抗馬は魔法と人形だけが友達の種族魔法使いと、本の濁流に飲み込まれながら喘息と戦う病弱魔女ッ子の二名くらいか。
霧雨魔理沙、人呼んで普通の魔法使い――やる気無し。
「霊夢さんよー、しょうがないぜ。ひとえに自分の分を取り置いてなかったのが悪いんだ。悔しかったら今後は二本出してくるんだな」
「残してあったじゃないのよ、あんた用に」
「あー?」
湯を急須に直接注ぎ、薬缶を火鉢に置く。朝方の急な冷え込みは過ぎたものの、正月もまだ記憶に新しい今の時期では暖房を惜しむ事など出来はしない。寒波に弱い魔法使いがここしばらく博麗神社に寝泊りしているのもそういった理由で、彼女の家には完全武装に近い暖房がしかれていたのだが、最近その中枢を担いだした床暖房が冬の中ごろから不調になり、このままでは凍死してしまうと本気で慄然、絶望、そこから一抹の希望を見出し、まさに飛んで腐れ縁の巫女に泣きついたのである。
「外に積み上げてたでしょ、雪」
「達磨があっても腹は膨れないぜ? せいぜい餓鬼の腹と背中がくっつく程度だ」
「魔法使いなんだから、雪から満漢全席作りなさい」
「中国かハクタクでも連れて来いよ。それに奇跡は神職の仕事だろ」
「先立つものが無いと神様もストライキよ」
「じゃ、ツケといてくれ」
「あんたにゃ白湯がお似合いだ」
言って薬缶をもう一度持ち上げ、博麗神社常備の霧雨専用湯呑に熱湯を注ぐ。自分用には急須から少し熱い程度の緑茶を注いだ。渋い顔をする魔理沙に、溜飲を下げる。思わず表情に出たのか、魔理沙の顔が一層しかめられた。
藤籠に盛り上げた蜜柑を一つ取り、皮ごと割った。魔理沙もそれに習い、ヘタの方から剥く。
「甘ったるい。私、ちょっと酸っぱい方が好みだ」
「私、だだ甘が好きなの。そういえば妖夢が青蜜柑好きだったわね」
「ほらみろ。私の思ったとおりだ」
「蒙古斑?」
「青方偏移。スピードスター、タイムアタック」
「犬じゃあるまいし。変なこと言ってると、影が立つわよ」
「私は別に? ……い、いや、まて、そいつは最悪、絶望、終焉だ」
「その心は?」
「みょんが来たら、幽々子も来る。あいつが来たら、喰いもんが全部無くなる。春先まで持たない。私、飢死に。ああ、霊夢、やっぱりお前が頼りだ。嫁がせてくれ」
阿呆、もしくは、馬鹿か、と心の中で思うだけに留まらず、声に出しながら、蜜柑を口に放り込んだ。
「ま、食料が無くなったら、紅魔館でも行きましょ。フランとパチェが、あんたをてぐすね引いて待ってるわよ、多分」
「うーむ、運動過多で死んじまいそうだ。でも、あそこは人肉しかないんじゃないか?」
「あー確かに。じゃあ永遠亭」
「いやだ。遠い。凍死する。それに、餅で窒息するぜ、絶対。しばらくあれを見るのは勘弁願いたいな。フムン、意外と狭いぞ、幻想郷」
「狭くしてるのは、あんたが変温動物だからよ」
「どっちにしろ、今の状態が続けば、平和にリリーを迎えられるって訳だ。何事もありませんように、ぱんぱん」
「拝むんなら私のほうに向かってやんなさい。ここ、神様なんて祭ってないんだから」
「お前を拝んだら碌でもないことになりそうだ。経験則。でもまぁ、下手な鉄砲、散弾銃かな」
ぱんぱん。拍手を打った。
たのもーう。呼び声が境内から聞こえた。
「……ほらみろ。この御神体、天邪鬼だ」
「わ、私のせいじゃ無いわよ。魔理沙の、そう、信仰心が足りなかったのよ」
「魔法使いに何を求めてるんだよ、博麗神社ってのは」
「先立つものじゃないかなぁ」
境内で何やらひそひそと声が聞こえるが、二人は腰を上げようともせず蜜柑に手を伸ばした。霊夢は、知り合いなら勝手に入ってくるだろう、入ってこない知り合いなら、それはそれで動かなくて済む、帰れと思い、魔理沙はもっと単純に、何が起きようとも霊夢に対応を任せて、自分は一寸も動く気が無かった。
果たして縁側に面した障子が立て付けの悪さを示すようにがらがらと開けられ、訪問客と冷気を迎え入れた。
「さむい、さむいわ。なにか暖かいもの頂戴。こんにちわ」
「挨拶を最初にしてください幽々子様。あ、すまない、呼んでも出てこないから、勝手にお邪魔したぞ」
訪問客は白玉楼から出かけた幽霊一人半と人間半分であった。幽々子の用事とは、何時ものように大した事ではなく、今晩の宴会は幻想郷のどこかでやろう、やっぱり神社よねぇ宴会といったら、今から行って準備しましょう、あいや、たまにはわたしも手伝うわ、だってあそこお神酒があるでしょお神酒、とまぁ、こういう流れで、妖夢としては邪魔の極みであった。
幽々子はいそいそと炬燵に潜り込みつつ抜く手も見せずに蜜柑を二個ほど確保し、妖夢は霊夢の顔をうかがい、寒いからはよはいれ、と言う目線に礼をして炬燵にするりと滑り込んだ。正座である。
魔理沙は非常に嫌そうな顔を崩さず、二つ目の蜜柑を取った。
「最悪だ。嫌な予想ばっかり当たりやがる。霊夢、お前、なんとかしろ」
「ううーん甘いわねぇこの蜜柑。美味しい美味しい。ねぇ霊夢、これ誰から貰ったの?」
「しらない。慧音が里からおすそ分けされたのを、食べきれないと思って貰って来た。今行ってもくれるんじゃないかなぁ」
「このやろ、今のどっちに対する返事だよ。それとこの蜜柑は私が里で買った奴だ。慧音のは食い尽くしただろってこら、ひょいひょいと三つも四つも食ってるんじゃねぇー」
一言二言話す間に、幽々子の目の前には綺麗に剥かれた皮が何重にも重なっていた。手癖が悪いなどと言うものではない。もはや芸術的ですらある。霊夢は、何しに来たんだこいつ、と思うのではなく、本気でうちの食料食いつぶしにきやがった、と思った。事実は違うが、結果は恐らく同じだろう。霊夢はその姿に王者の貫禄を感じた。フードクイーン。私の口は宇宙直結。
「むごい言い草ね。妖夢、何とか言ってやりなさい。もぐもぐ」
「はあ」
腰の脇差だけを畳に置いてかっちりと正座をし、ため息のように返事をする。半身である人魂は、尻尾を炬燵に、頭を少しだけ外に出して膝の上に。安定が悪い気がするので抱くようにしていた。ちらりと主君を見やり、どうしようか、と人魂を捻った後、さっさと用事を済ませてしまおう、と結論した。
「いや、蜜柑のことはいいんだ。実は折り入ってお願いがあって」
「それ、私に? それとも魔理沙に?」
「そこな白黒が此処にいるとは思わなかった。実は今夜開く宴会の場所を探していて」
「いやだいやだいやだ、却下、霊夢、不許可だ。何だってこのくそ寒い時期に、それも私の住処でやろうとするんだ。ふざけんな吹ッ飛ばすぞ吹き飛べ」
「それ、どっちに向かって言ってるのよ。あんたの家はあっち。此処は私の家。冬で、あんたが本気で死ぬ、って言うから泊めてんのよ。やるんだったら外でやりなさい」
「それ、どっちに向かって言ってるんだ? というか蜜柑じゃなくて顔を見ながら話してくれ。全然わからない」
そう、二人と一霊はひたすら蜜柑を剥くのに没頭して、顔を伏せたままであった。これではまともな会話など出来はしない。妖夢は、幻想郷の連中の会話がちんぷんかんぷんなのは、面と向かって話してない、つまり、人の話を聞いてないからでは無いのか、否定できないのが嫌だなぁ、と思った。
「いやいや妖夢……」
べりべり、しゃりしゃり、ひょいぱく。
「……」
ひょいひょいひょい。ぱくぱくぱく。
「……」
むしゃむしゃむしゃごくん。
「……というわけなのよ。やっぱり妖夢って抜けてるわねぇずずずず」
「んあ!? ちょっと幽々子、私のお茶飲まないでよ。なに普通に自分の手元に置いてるのよ」ひったくるように取り返し、ずずずず。
実に難解な返事だと妖夢は思った。蜜柑を剥いで食べる一連の動作が何を表しているのだろうか? そして最後に飲んだあのお茶の意図は。そこまで考えて、単に遊ばれただけだと理解した。しまったまた引っかかった。思わず人魂が身悶える。
「ぷっふー! 妖夢は見ていて飽きないわねぇ。あーおもしろ。ひーおかし。今、世界は妖夢を中心に笑いの坩堝ね。我が付き人ながら実に末恐ろしい」
「霊夢、はやくこいつ摘み出せ。碌でもねぇ。縁起が悪い。寿命が縮む。白髪が増える。水虫が酷くなる」
「宴会やるんでしょ? 明日にならなきゃ帰らないんじゃないの」
「あらやってもいいの?」
「弾幕って止めるんだったら弾幕るわよ。魔理沙が」
「あ、それいいわね。妖夢がんばって」
「ああ?」
「はあ」
「馬鹿、はあ、じゃねぇ、そこは否定しろ。なし崩し的にやらなきゃいけなくなるのが判らんのかこの馬鹿」
「あ、魔理沙、従者に馬鹿って言ったら、それは主人にそういったのと同じなのよ。んもう、私の障子の心が砕けちゃいそう。きーくやしい、妖夢なんとか言ってやって」
「貴様ぁ表に出ろ! 綺麗さっぱり真っ二つの粉微塵に叩っ斬ってやる!」
「うわ、馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが本物の馬鹿だ。霊夢、お前が相手しろよ。私、相手したくないし動きたくない」
「いいじゃないのちょうど良い。あんまり喰っちゃ寝してると、お腹周りが酷い事になるわよ。あんた自分の二の腕がどうなってるか自覚してる?」
あわてて触ってみる。ヤバめな感触が伝わってきた。思わず腰周りに手をのばしかけ、強烈な危機感を感じて止めた。
「なんてこった……世界の危機がこんなにも身近だったとは。お、お前はどうなんだよ。私と同じぐらい寝てただろ」
「……魔理沙。あんた、忘れてるようだから言ってあげるわ」
哀れむように一口お茶を啜り、急須から継ぎ足し、
「陰陽玉って便利よね」
――博麗神社の中でも秘宝中の秘宝、陰陽玉。その最大の効果は、持ち主が甘いものを喰っても太らない。
「卑怯だ!」
「何とでも言いなさい。それが無くても境内の雪は一体誰が除去してると思ってるの。誰が朝昼晩の飯を作ると思ってるの。何が、卑怯だ、よ」
「そこはほれ、親しき仲にも礼儀ありとか、朋あり遠方より来たる、とか」
「残念だけど気持ちで脂肪は燃えないのよね……ああ無常。あー世知辛い」
ここぞとばかりに言い募る。魔理沙はこれまでに無く真面目な顔で黙りこくった。恐らく、少女としての誇りと、生理的欲求を天秤にかけているのだろう。霊夢はにやける顔を隠そうとし、失敗した。ふふふ全部私に押し付けられると思ったらそうは問屋が流星群、せいぜい苦労しろ、この極潰し、とまで思ったかどうかは、誰も知らない。
一方の妖夢は、私の一身ならばともかく幽々子様を侮辱するとは不届き千万、この楼観剣で主君に代わって真っ二つ、あいや、成敗してくれる、と怒り心頭で今にも飛び出かからんと前屈みになっていた。馬鹿だなぁと霊夢は思ったが、幽々子がにやにや魔理沙を見ながら蜜柑を食べているのを見て、まぁ面白いからいいか、とにかく神社を壊すなよ、と何個目かの蜜柑を取りながら思った。
よし、と重々しく呟いて、魔理沙が決意を込めた顔を上げる。どうやら乙女の危機が勝利したらしい。さすが、恋の魔法使い、せいぜい痛い目見ろ。
「――オーケイ、いいだろう。その宴会かけた一騎打ち、せっかくだから乗ってやるよ。お前とは一度遊んでみたかったんだ」
よく言うわ小太り、と霊夢は呟いた。炬燵の中で足を蹴られた。痛い何すんだこいつ。
「私はこれでも、音速速い魔法使いで通ってるんだ。咲夜の話じゃ大層ななまくら剣術らしいが、果たしてその血気で私が斬れるかな?」
魔理沙は挑発するように蜜柑を一房放り投げた。いまだ燻っている炬燵への想いをどうにかして振り切ろうとしているのだろう。妖夢はそれを中空で摘む。その動きは実に自然で、魔理沙はもとより他の二人にすら妖夢がいつ蜜柑を摘んだのか判らなかった。
何時の間にか妖夢の表情は無くなっていた。長年に渡って静寂を朋にした水面のように、しかしながら天地を転覆させる業火のように。魔理沙は首筋がちりちりと焦げるような圧力に震え、その事実に戦慄した。
「――音速か。なるほど恐ろしい。私の剣技は未熟千万、未だにお嬢様の稽古すらままならぬ始末。それどころか庭師としても半人前、確かに完結する紅魔の狗めには、一歩も二歩も遅れを取ろう。
しかし一つだけ、ただ一つだけ言っておこう、魔法使い」
「なんだい、庭師」
そこから先に起こった事を、霊夢は、まばたきをしたせいで見逃した。
――たたたんッ!
魔理沙たちの視界から、魂魄妖夢が消えた。彼女が摘んでいた蜜柑の一房が支えを忘却してふわりと浮く。
外へ続く障子と襖が小気味よい音を立てて開け放たれ、身を切るような冬の空気が波のように進入する。果たしてそれはただの寒波なのか。
そして、その向こう――綺羅々々と光を反射して輝く銀の境内に。
「我が二刀、楼観剣と白楼剣に。
斬れぬものなど――ほとんど無い」
ぽとり、と、蜜柑が炬燵に落ちた。
帽子を掴み、深く被りこむ。
「――前口上が長すぎるな。スマァトさってもんがないぜ」
霧雨魔理沙は男前に笑う。魂魄妖夢の一連の動きはあまりに自然で、それは触れなば斬るなどと言う生温いものではなく、動かば斬り、死なば又斬る、と言う、まさに半霊の剣術、半人の心構え。そしてこの剣士は、間違いなくそのようにするだろう。まさに魂魄流。魔理沙は部屋に流れ込んできたのがただの冷気では無く、魂魄妖夢から流れ出た抜き身の剣気であると悟った。
ならばそれごと消し飛ばせば良い。それは最速にして最光、流星のたたかいかた。
魔法使いはそのようにして戦ってきた。今までもそうしてきたし、これからもそうするだろう。故に、今此処でそれを違える事は無い。戦歌が耳の奥で響きだす。
スマァトに、と呟き、立ち上がった。そして、軽く跳躍する。
「行」
瞬時に足下に呼んだ空飛ぶ箒に波乗りのように立ち、
「く」
スカートからきききんと射出された宝玉一組が隊列を組、
「ぜ!」
僅か三語のみを戦いの狼煙とし、轟音を立てて飛ぶ。魂魄妖夢へ、真っ直ぐに。これぞ霧雨流スマァト。妖夢はちゃきりと鍔音を鳴らしながら二振りの剣柄を握り、
「かッッッ!!」
それだけで魍魎を消し飛ばさんばかりの一喝を放ち、抜かずの一閃を放った。無数の一閃は虚空を超え刹那を走り魔法使いを断ち切らんと人型と人魂の二方向から迫り、それを二筋の閃光が『貫通』する。
「ッあ?!」と剣士が隙を生み、
「っは!」と魔法使いが飛び込んだ。
イリュージョンレーザーと言う、それは煌きの槍。魔理沙の両脇に追随する二つの宝玉より放たれるそれはさらに回転するように振り回され、襲い掛かる全ての一閃を打ち落とす。地をなぞった光線に、銀の粉雪が舞う。
接敵は一瞬。妖夢は突進してくる魔理沙を避けるため右足を軸に背後を見せつつ円を描く。それに対して魔理沙は、膨れ上がる推進力を積み上げられた雪の塊に向かって開放することで答えた。妖夢が腰に佩いた白楼剣の柄を握りなおす。鍔鳴り。
再度の爆発。霊夢がひいひい言いながら積み上げた雪塊に推進力を叩き付けた箒は強力な運動エネルギーを獲得し高速飛翔。その速さは妖夢の一閃を僅かに凌駕し、虚空に放たれた剣が荒れ狂う暴風を切り裂く。それは舞い上がる雪のために魔理沙の姿を見失う失態となった。粉雪が魔法使いの通り道を舞い踊る。
妖夢はおかっぱを振り乱し、「おのれ!」と叫んで踏み込み一歩、石畳を割る快音を響かせて初速を取り、掻き消えるように魔理沙を追った。
蜜柑の一房が天板に落ち、幽々子の口へと消えるまでの、刹那の間の事である。
「あの二人……蜜柑を何だと思っているのかしら。帰ったらお灸をすえてあげなきゃ」
幽々子はちらりとだけ開け放たれた障子を見、逃げるようにより一層炬燵に沈み込みながら蜜柑一個を丸呑みにした。何故逃げるようになのかと言えば、対面の霊夢が少しばかり恐ろしかったためである。無残な境内から吹き込んでくる冷風がありもしない骨にしみる。でもこの冷気はちょっと熱い気もするしそもそも対面から吹いてくる気がするわ何故かしら。
霊夢の手の中で、蜜柑がぐしゃりと握砕された。ああ勿体無いなぁ。
* * *
――ついて来れるか?
木々の間を一陣の風と成って駆け抜けながら、妖夢は歯軋りをした。
迂闊であった。一手で勝負を決したつもりになり、二の太刀が致命的に遅れた。魔法使いが予想外も甚だしい迎撃の手段を迷うことなく取ったからだが、そんなものは言い訳にもならない。戦いに臨んで二手三手先を予測するのは剣士として当然、またそもそも迎撃なぞ不可能なほどの一閃を放てばよいし、それ以前に残心を怠るなど言語道断の極地。ありとあらゆる意味で己の失態。
自然と数ヶ月前を反芻していた。西行妖を満開にさせるために集めていた春。取り返しに来た三人の人間。桜吹雪の石階段で立ちはだかる自分を、完璧な仕草で挑発してきた悪魔の従者。十六夜咲夜。
――この楼観剣に、斬れないものなど殆ど無い!
――殆ど無い? それは斬れないと言うのよ、こと刃物に関しては。
全くもってその通り。稀代の業物二振りを以ってして、銀でしかない無限のナイフを断ち切れなかった。
――何故だ。
膝を突き息も絶え絶えに問うた。二振りの刀は主の敗北を知ってなお妖艶と光をこぼす。襤褸になったエプロンドレスを一動作で整え、紅い首巻を颯爽と巻きなおしながら、従者は言った。
――貴方のそれは、剣士ではなく刀使いね。
――私が楼観剣に使われているというのか。
――剣術に使われているのよ。
結局それで従者は流麗に去り、西行妖はまたも咲くこと無く、自分は悔しさの一心で修練を重ね、春を迎え夏を過ぎ秋を送った。従者に負わされた苦渋を拭うため、鋭く、重く、何より速く。逃げ場を与えぬ広域の斬幕は逃げる事を許さぬ超高密の一閃、刀身を鞘から抜かずに意気だけで斬るという業を習得するに至った。是、名付けて六道怪奇。
――だが、それでは。
魔法使いを斬る事は叶わなかった。それどころか、曲がりなりにも必殺の意気を込めてのそれを撃ち落された。
斬る事も出来ぬ。落とす事も出来ぬ。それでは何の剣術なのか。
自分は十六夜咲夜との一戦から、まるでなにも学んでいないのではないのか。
――ついて来れるか?
すれ違いざまに囁かれた台詞が耳に残る。それはまるで、己の未熟を見通されたかのような錯覚を覚えさせる。
「――おのれ!」
おのれ、おのれ、おのれ……。深まる呪詛は魄へ、地に帰依する悪徳の肉、妖夢を形作る四肢一魂へ沈殿する。縦横無尽で変幻自在、質実剛健の四肢が呪いに縛られていく。それを妖夢は忌々しく思い、その呪念がまた魄を肥え太らせ、それがまた悪意を呼ぶ。陰気の奈落循環へと巻き込まれた事に妖夢は気付いていたが、それをどうにかする事は不可能であった。ただ思うが侭に白楼剣を抜き、半身に預ける。人魂も慣れたもの、絶妙な加減で白楼剣を構えた。
しゃらあーん……と、長い長い鞘走りの音が響いた。余人には抜く事すら不可能な長刀、楼観剣が、不可思議な事に一息で両の手に収まっていた。気合とともに、剣を八双、そこからさらに高く振り上げる。
――ついて来れるか?
「言うまでも無い……二百由旬の彼方へ置き去りにしてくれる!」
一声、修羅の形相を見せながらよりいっそうの踏み込みで銀雪を掻き乱し、疾風一足で魔法使いを間合いに捕えた。
――目にもの見せてくれる!
「人符ッ!」
* * *
「馬鹿正直な奴だぜ」
魔理沙は波乗りの体勢からすとんと落ちる。スカートを直しながら跨り、両手でしっかりと柄を握りこんだ。足が柄の根元を挟み込む。
「咲夜から聞いてはいたが……なるほど、あの性悪メイドを追い込んだだけのことはあるな」
頬から唇に落ちてきた血玉を舐める。妖夢の一閃は、確かに魔理沙には届いていた。幸か不幸か、それがただかすり傷程度を作ったというだけで。もしこれがそっ首を飛ばす一閃であったなら。
――怖気が来る。まるで白刃の上を綱渡ってるみたいだ。
思わず笑みが浮かんだ。霧雨魔理沙の中心で、小さな炎がぽつりと灯る。やがてそれは轟々と燃え盛り、魔理沙の全身を巡りだす。それこそ魔法使いを動かす原動力、超新星の火種、恋の蛍火。たった一瞬の『殴り合い』で、魔理沙は妖夢を強者と認めた。
――ついて来れるか?
振り返るまでも無い。あの剣士は間違いなく追いついてくる。負けるなどとは一分も思っていないが、そんな事とは無関係に魂魄妖夢は追いつくだろう。それを疑うほど、普通の魔法使いは落ちぶれていなかった。現に、先ほどから背後の剣気が膨れ上がって止まらない。
ならば手加減などする必要も無い。霧雨魔理沙の全力が、魂魄妖夢を吹き飛ばすだけ。
音速の魔法使いはすぐさま行動を開始する。どこぞの巫女のようにトロトロしては居られない。先手必勝風火の如く。
「……ッハ! それじゃあ行くぞ、冥界庭師!
まずはコイツで――とどめだぜ!」
大気機動によって百八十度を反転。背に激突する空気の壁を物ともせず、両手を外し空を臨む。
ちゃきりと懐から取り出したるは、星の描かれた一枚のカード。属性は流星、情念は恋。魔力を込めたそれは、スペルカードと呼ばれる夜空の切り札。
霧雨魔理沙の真骨頂――ほろ苦い恋の集大成。宙に浮かんだカードに向かって右手で保持する万能導具・ミニ八卦炉を翳し、自身の魔力を全力で注ぐ。魔理沙から八卦炉へ、八卦炉からスペルカードへ。加速的に膨張し白熱する黄金の輝きが己の真価を開放する。それは激流、それは光輝、その名は恋符、
「マスタースパーク!」
「現・世・斬んッ!」
名状しがたい激音が、幻想郷を駆け抜ける。月すら穿つ光の濁流は修羅相を以って斬らんと肉薄する剣士を襲う。剣士は引かぬ。引けぬ。超神速で踏み込むこの絶技、一度放てば斬るまで止まらぬ。なればこそ、この程度の木漏れ日に臆せるものか。斬れぬ事無し、斬ってみせる!
唐竹から振り下ろした楼観剣が光の瀑布と激突する。斬! と快音、瀑布は花開くように剣士を避けて空へ大地へ飛散する。修羅の気迫が光を襲う。剣士は駆ける。魔法使いへと斬り駆ける。
斬れるか!?
――そう思った。思ってしまった。それに気付いた時にはもう遅かった。
瀑布が――星の光輝が輝きを増した。反応できる程度では無かった。一瞬で目の前が真っ白に染まり、幾度と無く鍛錬を続けた肉体そのものが反射的に剣の軌道を逸らして射線から飛びずさった。
瀑布が剣士を掠めてゆく。
遠雷のような轟音が去った後、剣士は目前に現れた光景に絶句した。大地は蒸気を噴出しながら溶解し山は瀑布の通ったとおりに抉れ空はあまりのエネルギー量に帯電し太陽の日差しは熱によって歪んで見えた。鼻を突く濃密な悪臭が剣士を襲う。何の匂いか剣士には判らぬが地上を揺り篭にした者にとってそれは相容れるべくも無い匂いであると直感が告げた。
あまりに規模が巨大であるが故に、己が何に向かって斬りかかったのか、剣士は正確に把握する事が出来なかった。これが。
音速? 星? 普通? 恋?
一体誰がそのように称したのか。確かにこれは星の力。音速で駆ける流星の仕業。それを行うのが普通の魔法で、その向かう先が恋と言うならば。
その顕れを、なんと称するのか。なぜ私はその名を忘却していたのか。
「――おい。おいおい。おいおいおいおいおい。何て顔しやがるんだ」
胡乱な空に、陽炎のように魔法使いが現れる。未だ蜃気楼の揺らめく世界で、たった一つの確実な存在。魔法使い。魔法使い? 否。
「そんな腑抜けた顔じゃ、私の魔砲は斬れないぜ――」
魔砲。
魔砲使い、霧雨魔理沙――
「そぅら!」
魔理沙が右手を一振り、さすれば煌きとともに無数の魔弾が顕現する。水晶殻の質量弾。自前の魔力で推進するそれの名は、魔理沙が曰くスターダストミサイル。轟然と輝きながら、未だ動かない剣士へ向けて疾駆する。眉を顰め、臼歯を噛み締めながら、剣閃のような動きで剣士は回避する。沈黙していた宝玉が思い出したかのようにレーザーを放ち出し、剣士の動きを予測し魔弾と連携しながら連続照射。しかし剣士はさらにその予測を上回る動きで移動する。突き詰めれば直線方向でしかない魔撃に対して、剣士の行う横方向への超高速なランダム機動は最大効果の良策。
だが、剣士の身体には秒を追うごとに傷が付く。避けられないのではなく避け切れていない。魔理沙はその無様さに方眉を上げた。神業のような動きをしながら、剣士の心は散々に乱れていた。
――現世斬までも。
剣士が修める幾つかの技の中で、最もこの身に染み付いた現世斬。その威力は己が誰よりも理解している。あの常軌を逸した魔砲であろうと、決して劣る技ではない。いや、剣士にとって現世斬とは自らが修める技の基点であり、ならばあの一太刀に斬れぬものなど何も無い。ならば何故、現世斬は敗北したのか。
わからない。苛立ちよりも無力感が先にたつ。強くなった筈だ。今日と言う日まで鍛錬を怠った事は無いし、魍魎どもを相手どってもちょっとしたものだと自負している。あの十六夜咲夜だって相当に追い詰めていたはず。そう、追い詰めていた。追い詰めて――
――ああ。
愕然とした。私は。
私は、自分よりも強い相手に、勝ったことが無い。
戦いの最中、僅かに一瞬、剣士の意識が漂白された。精神も肉体も自らの使命を放棄し、剣士はただの少女になる。
ただの少女、魂魄妖夢の剥き身の姿が、幻想郷に晒された。
――魔弾と魔光が襲い掛かる。
* * *
「……あー?」
霧雨魔理沙は、事態の展開に遅れ気味だった。まるで霊夢みたいだ、くそ、見っとも無い、と思い、首をかしげる。
自分でも捕えられないほどの、しかし無様過ぎる回避を行っていた剣士が、いきなり糸の切れた人形のように全身を投げ出し――今まで以上の速さで、襲い掛かるミサイルとレーザーを切り払ったのだ。いや、速いのではない、と魔理沙は思い直した。決して速いわけではない。ただ途轍もなく鋭いのだ。二種の属性を異にする魔撃をまるで意に介さず、流れ落ちる清流のように閃く雷光のように斬り捨てた。その自然過ぎる動きは美しさすら感じさせる。
悪手か、と思った。調子の悪いように見せて、こちらの動揺を誘ったのだろうか。しかし、あの剣士にそんな小賢しい事は出来はしまい。
――そもそも。なぜあの剣士はああも無様な様子だったのだろうか。初めに感じた剣気はまさに真剣であったが、それ以降は斑のある殺意と気分の悪くなるような瘴気しか感じられなかった。それも今ではまるで嵐の前の凪のように不気味に静けさを保っている。
「なんだってんだ、くそ……おいこら!」
声に魔力を通して拡大させながら、叫ぶ。妖夢はいっそ白痴のように茫洋とした表情で、ゆるりと振り仰いだ。
総毛だった。
妖夢はふらりとそこに立っているだけなのに、本当に彼女が存在するのか魔理沙には判らなかった。否。居るか居ないかという基準ならば、疑問の対象は妖夢ではなく、自分だ。この場を支配しているのは魂魄妖夢という一人の少女だった。魔理沙は今、妖夢の中に居る。
――結界……剣界。
――畜生、修羅……人界、人世、人神。けんけんけんけんけん……剣。是即ち、剣の異界。
「ぐぬ……!」
妖夢が――剣士が、気を取り直した。瞬間、妖夢の世界は霧散する。魔理沙は詰まっていた息を吐き出し、流れ落ちる冷や汗を拭った。
――こいつは。
「わ、私は……」
「どうしたってんだ……お前、いつもこんなのなのか」
「ち――違う」
剣士は自らの失態の連続が信じられなかった。まるで自分自身が粉々に砕けてしまったようだ。
魔法使いを斬らねば成らない。しかし今の私では斬る事などできはしまい。
――何故。
「私は――私は何なのだ」
「あ?」
思わず間の抜けた声を出してしまった。訳がわからん、と呟く。戦いの最中でそのような問いを発した事に対してであり、またそれほど観念的な話をする奴も初めてだった。馬鹿馬鹿しさすら感じる。己は何なのか、など。本気で言っているのだろうか。
迷っているのだろうか?
魔理沙は首を振ってその考えを忘れた。どうも少しばかり気合を入れてやらねばならぬだろう。
「……自分が何か、なんて。そんなナンセンスに、耳は貸してやれねぇな」
しゃきん、左手を振るう。取り出したるスペルカード、描かれた属性は銀河。篭る情念は魔。
「知りたきゃ自分に聞いてみろ! 魔符――」
――己に聞け。
剣士は魔法使いの言葉を受け入れた。何故なら、それが唯一剣士に出来る事だから。
――私は何なのだ。
「――スターダストレヴァリエ!
流れる星とジルバだ踊れ!」
スペルカード発動。魔理沙の周囲に星の子供が顕現する。たっぷり三秒の時間が過ぎれば、魔法使いの周囲は星の揺り篭へ変貌する。
魔理沙が、ぱちりと指を鳴らした。
つつつつ……と星たちが流れ出す。緩やかに、けれども着々と速度を増し、ついには空を乱す流れ星となる。さらに星が引く尾はこれもまた細やかな流星となる。星ぼしは互いを無視するように、しかし整然と流れ落ちる。空を埋め尽くす魔力の星は地上を流れる流星雨。その落ちる先には、剣士が立つ。
――悪意はいつの間にか消えていた。一瞬の忘却は、己の性根ですら漂白したらしい。けれども、剣士の体は覚えていた。あの一瞬、まさに己が達人の境地に居た事を。
構える事も無く。気負う事も無く。ただ流れる流水のように自然に。色即是空にして空即是色、無為ながら森羅万象、太極陰陽相反せず天人地三界を和合す。これぞ人呼んで――……
楼観剣を構えた。深く、沈みこまんばかりに息をして、飛来する流星たちを回避する。一つを避けても二つが来る。二つを避ければ四つが来る。四つを避ければ八つが来る。一つにあたるのならそれは全てに打ち抜かれるのと同義であり、ならば幾千の星が襲い掛かるのは時間の問題。
くぅ、と息を吐き、剣を振るった。ざんざんざんと星屑たちが落ちていく。斬り切りと舞うように、剣士は流星雨を駆け上る。
――違う。これこそが、剣術に使われているという事。避けるのも、落とすのも、私ではない。楼観剣であり、白楼剣であり、さらには己に染み付いた剣術が、魂魄妖夢を動かしているのだ。それでは――まさしく、剣術使いだ。
私は何だ。
剣士であり――庭師でもあるのだ。
庭師とは庭を守り庭を管理し庭をより美しくするものだ。その極地は己と庭が一体であるということ。庭師が己ならば剣士にもそれが言えるのでは無いか。
剣に使われるのではない。技に使われるのでもない。ましてや己の意気に使われるなぞ愚の骨頂。
しょせん私は未熟者である。庭師としても剣士としても未熟である。であるならば、なぜ剣を、技を、己を信じようとしないのか。信じる事が出来ぬのであれば、それはもはや何者でもない。
私は、
誰だ。
――魂魄妖夢。二刀魂魄が二代目、妖夢である。
「――そうか」
ひゅう――と楼観剣が振るわれた。同時に身体がすぅ――と動き、魂魄妖夢は星を斬った。
我、魂魄妖夢也――その事を忘れていた。なるほどそれでは星も斬れぬ道理。
再び妖夢は楼観剣を鞘に収めた。そして気合一閃、六道怪奇を放つ。
濁流のごとく流れ降る星がざんざんざんと斬り落とされる。しかしそれは落としているだけだ。斬っている訳ではない。斬る、とは、落とす事ではない。唯斬るのだ。それに前も後も無く、可も不可も無い。
刀も技も自身も、斬ると言う事だけに成る。同時にそれは、斬るべきものと同じになると言う事。魂魄妖夢という全てが、斬る。それこそ剣士。それこそ庭師。
森羅万象と心技体を一つにし、斬る。それが魂魄妖夢の在り方ではないのか。
そうなのだろう。
魂魄は天地を、妖はあやかしき世界を、夢は夢幻の狭間を。妖夢の立つ場は世界となる。
妖夢の世界が顕れる。
六道怪奇を収め、足捌きを止めた。流星たちが星の息吹とともに妖夢を押し潰さんと雪崩うち――その全てが避けていった。妖夢は微動だにしていない。魔理沙の表情が驚愕に引き攣る。
――全てを斬るならば、全てになればよい。妖夢はその境地に至った。
「――霧雨魔理沙!」
刮目し、大喝した。声は刃となり、星星――星の正体である金色の魔陣を須らく斬る。魔理沙はとっさにスペルカードを眼前に引き戻し、カードが真っ二つとなるのを目撃した。
スペルカードは魔力の器。その硬度は物理的にも理論的にも概念的にも破壊は不可能、ましてや気合だけで斬るなぞ。
――この野郎、化けの皮剥がれやがった。
「音速速いと――たしか、そう言っていたな」
「――さて、何のことやら。……空耳だろ」
「なにそれはまことか」
「真に受けるなよ」
箒から両手を放し、後ろ手についた。重心の移動に合わせて箒の先端が上がる。馬鹿正直な奴で喜ばしい事だ、と魔理沙は思う。自分を狙うならばむしろ箒を狙えばよかったのだ。箒で空飛ぶ魔法使いは、箒に跨る魔法使いになったろうに。それをしなかったのは、地上であろうと空中であろうと足捌き一つで疾走する己を基準にしたからなのか、はたまた箒への攻撃なぞ卑怯だと思ったからなのか。考えるまでも無く後者だ。
幻想郷では貴重な性格。浮遊する巫女ののらりくらりとした行動に慣らされている身としては、いっそ清々しささえ覚える。
妖夢は、そ、そうか、と恥かしげに言い、
「ならば、
――その二つ名、今日限りで返上してもらう」
魔理沙の視界が陰った。急激な光度変化に瞳孔が追いつかず、その影が人の姿をしていると視界が告げたのは一秒も経ってからだった。しかし魔理沙の感覚はすでにそれが何であるか理解している。
魔理沙の突いた手から根元へ向かって蒼白い光芒が伸びる。植物のように脈動しながら、光芒は穂先の一本一本へ集う。
箒の舳先に立つ妖夢は、周囲の気流が一点を中心に収束しだすのを見て取った。風の流れは線を描き、円を描き、角を描きながら集い来る。妖夢には及びも付かぬ事であるが、それは大気圏における航空定理及び飛翔体制御魔術を基盤とした魔理沙独自の三重三次元三立魔方陣、偽装魔術式名トリニティ・エンジン。だが、魔理沙はもっと単純で愛着のある名称をつけていた。その名をブレイジングスター2と言う。
「いいともよ。ただし私はもっと速くなるぜ」
「ではそれを超えよう。音速を超え、世界を超え、冥界の先、涅槃の向こうへ」
「言うじゃねぇか職業庭師。そいじゃ、鼻歌交じりに行ってみるか」
「歌も酒精も籠も無いが――それはそれで、味がある」
「話が速くて嬉しいぜ。
サイクラノーシュは完全無視。ユゴスを掠めてセラエノへ――」
魔法使いは不敵に笑い、限界以上に背を反らした。バランスの崩壊によりくるりと魔理沙と箒は地上を向く。
「瞬く星が誘ってる――往くぜ剣士よついて来い!」
圧縮に圧縮を重ね、エーテル力学の限界量すら超えようとしていた大気が開放の咆哮を上げた。箒の整流効果により天に向けて放たれた黄金色の推進炎は、逆さに流れる星のよう。
「臨むところだ――最早、我が一閃に迷いは無い!」
一声、妖夢は空と言う大地に踏み込みながら、蜃気楼のように魔理沙を追う。垂直降下によって位置エネルギーを運動エネルギーへと変換した魔理沙は、銀色に輝く森林に追随する衝撃波をたたき付けて直角度の方向転換、地表すれすれを最大加速で飛翔する。同時、大地と言う高反発体によって一層の踏み込みを行った妖夢が、残影を見せながら魔法使いの隣に並んだ。魔理沙は箒に伏せた体勢で獰猛に笑う。
「星よ」「星よ」「乙女の願い」「一つの願いは」「ぶっちぎれ!」
魔法使いの詠唱が巻き起こす気流の流れによって共振効果を発起し五節を紡ぐ。両脇で整流効果を維持していた宝玉の他に、もう一組の宝玉がスカートの中から射出される。乱れる大気を物ともせず、宝玉は妖夢へ飛ぶ。
「――戯れか、魔砲使い! ならばこの白楼剣受けてみよ!」
言うと同時、人魂が飛ぶ。白楼剣を絶妙に構え、不規則機動を行いながら飛来する宝玉の一方に接近。綿毛のような魂捌きで斬りかかる。
「星よ「星よ「乙女の願い「二つの願いは「ぶっ飛ばせ!」
語尾に次の節を重ねる二段目の軽省略詠唱に宝玉が反応。玉と言う殻を破り内部に圧縮されていた魔弾が解凍され、一瞬でその姿を取り戻す。その内約はマジックミサイル壱百四拾。その内の半数は至近距離の人魂を目指し、残り半数は人型を目指す。
「戯れだぜ、しかしこの魔弾を唯の弾幕と舐めるなよ!? 一弾各位に寄代一つ、霧雨特製完全自律機動マジックミサイル群だ! 避けれるもんなら避けてみろ!」
その言葉通り、百四拾の魔弾は独自の秩序を以って蛇のように機動する。離れていた妖夢の人型はともかく、人魂のほうに避ける術は無い。六道怪奇でもって幾数か斬り捨てても、残りの全てが隙を付いて直撃しようとする。が、それは一つの要因に阻まれた。魔弾と人魂を豪速で近づいてきた樹木が阻んだのだ。否、近づくのは樹ではなく此方。妖夢と魔理沙の突然の乱入に驚いて道を開けていた森の樹木たちが、平静を取り戻して元の位置に戻りだしたのだ。包囲を逃れた人魂は六道怪奇をおこしながら木々の合間を縫って後退。魔弾も数を減らしながらも一群となって追尾する。それは正に魚群。魔弾の海獣が人魂の餌を追い掛けている図である。海獣はぱっとその群体を二つに分離させ、一方を上空へ飛ばした。森と言う海中を、魔弾は跳ねる。その狙いは二方向からの捕捉。人魂はそれを察知し、唯でさえ低かった高度を更に下げる。地表を掠めるように飛翔すれば、積もる雪が舞い上がり、即席の煙幕と成る。無論人魂に実体など無い。舞い上がらせているのは確固とした実体を持つ白楼剣だ。剣霊一体となって人魂は飛ぶ。しかし魔弾は端から視界だけで追尾していない。妖夢それ自体を多角的に確認している魔弾は視界から霊体反応に追尾基準を切り替え、殺到した。海獣の顎が閉じられるように地空の二派が再び合流する。人魂はその物量に押しつぶされたのか姿形も見えず――いや、すでにその姿は魔弾の遥か先を飛翔していた。雪の煙幕は囮。本命は剣霊一体から主従逆転による属性変化。人魂を纏った白楼剣の属性は霊魂から玉鋼へ変位し魔弾の知覚を欺いた。更に剣へと主体を移行した事により高位の存在基盤が低位へと移ることになり、溢れた余剰霊力が剣に速度を与える。再び主従逆転。属性変化により周囲に死気を発生させながら人魂は白楼剣を構えなおす。目標未だ健在也を状況整理により悟った魔弾は即座に追跡を再開。固まっていては逃げられる事を学習した魔弾は群ではなく夫々が散開して人魂を追う。しかし度重なる剣閃によって減少した現在数では確実に仕留める事は出来ないと判断、頭数を補充するべく人型へ向かっていったもう一群六十機に支援を要請。返答は否定。人魂よりも間合いの広い人型を相手取っていた魔弾群は三度のアタックによってその数を半数までに減少させていた。しかもその攻撃の間に一機たりとも人型へは到達していない。不利と判断した魔弾群は人型と人魂双方の追跡撃破を断念、魔弾二群を統合してからの全力攻撃を決定。人魂人型合流のリスクを侵してまでの決定であるが、魔理沙の性格を反芻したからなのか一見無謀な選択を迷わず行う。即座に人型を相手取っていた魔弾が後退、人魂を追尾していた魔弾に合流する。その総数は八十余。更に魔弾の一部が結合し、倍以上に巨大な魔弾に変化する。内部に爆裂性の魔力を格納するそれは斬られても確実にダメージを与える事の出来るマジックナパーム。巨大魔弾十機を後方に配置し六十機の魔弾は隊列を組む。再び四肢一魂となった妖夢は感覚のみでその動きを察知し、眉を顰めた。間を置くことなく魔弾は攻撃を開始。全体としては渦を描きながら、個々としては蛇のように撹乱機動を行いながら妖夢の右後方よりアタック。
――天上、天界、天神。
「秘剣・広有射怪鳥事――」
だだだんと踏み鳴らし、ちゃりんと鍔音、ふらりと滑る。音は歌い動きは舞。巻き起こるは剣の神楽。音色に鍔鳴りを乗せ、舞に足捌きを宛がい、妖夢と言う剣は一閃を舞う。舞は一閃、一閃は舞。変則機動を行いながらアトランダムにしかし効果的に襲い来る魔弾群を巻き込んで、妖夢の世界は剣を刻む。四肢一魂は舞になる。主従逆転。否、それは同一化と言うべきか。魔弾群は妖夢の反応を消失するも、あえて目標再認を行わず、目標の位置を予想して進路を修正。瞬間を無駄にせず一気呵成に襲う。しかし、妖夢にとって魔弾なぞ最初から隙の塊である。
怪鳥の如き風切り音が、魔弾群を貫いた。
「ほう――!」
驚きの声は妖夢から上がる。魔弾七〇機の内極少数、『一緒に舞った』魔弾が居る。それ以外は徐々に速度を落とし、やがて正中線からぱかりと斬れた。残ったのは――マジックナパーム、全機。
「雅を解すか、流石は魔砲使いの僕」
しからば。
「――汝らの主も巻き込んでやろう!」
木々を避け、雪を巻き上げ、妖夢は地を疾る。一拍もおかず、その身は魔理沙の真横に表れた。
「広有射怪鳥事? なんだ、刀振り回すだけじゃなかったんだな、お前」
「幽々子様より頂戴いたした舞だ。――剣は舞に通じる。その逆も然り」
「ノリの良い奴は、私、好きなんだ」
「ならば付き合え――貴様の魔砲か、私の剣か」
「あいつらはまだ死んじゃいねぇな。なるほど、一人は寂しいか」
「もとより半人」
つれねぇなぁ――と言い、魔理沙は地に沈み込むように舳先を下げ、次いで弾道弾のように上昇した。妖夢は――ぴたりと張り付いて離れない。剣と箒は空を往く。それを追う様に、マジックナパームが轟音を立てて森を抜ける。そのまま妖夢を直撃距離に捕捉せんと多段階噴射。マジックナパームは爆裂弾、爆発すればその周囲は壊滅的な被害を被る。もしこのまま行けば魔理沙に被害が及ぶのは必然。しかし魔弾は躊躇しない。魔弾群の目標は妖夢の撃破。魔理沙を巻き込んではいけないと言う制限は無い。ナパーム十機は二人を覆い囲むように展開し、完全同期を以って爆発した。中心で圧縮されたエネルギーが核融合級のエネルギーを生み出し、ナパーム十機の爆破力を更に上まる熱量を発する。
太陽が中空に突然現れたような、それほどの光がその一帯を圧した。
妖夢は――ひた駆ける。
魔理沙は――飛翔する。
お互いが反対方向に飛ぶ。ナパームの核爆発が起こる前に二人は離脱する。
だが――核爆発の手は、それよりも速い。魔理沙は知識よりそれを知っており、妖夢は気配によりそれを知った。
「――ク、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ!」
魔理沙は大口を開けて笑う。それは――熱量の手から逃れられないと判った、残念の笑いなのか。
否、挑戦に対する、笑い。魔理沙にはもとより――妖夢しか見えていない。
「――この状況で勝負をかけるか、半人半妖!
こいつは素敵な挑戦だ! 受けなきゃ魔法使いが廃るってモンだぜ!」
――その通り。
「このまま競馬をしていてもらちが明かぬ」
ならば、
「今この刹那で決めるまで」
――六道。
「魂魄二刀が必殺剣!」
妖夢は鏡を通るかのように反転する。その先には核の光――いや、魔砲使いの砲塔。
霧雨魔理沙の、魔砲を斬る。三千世界の剣の異界。
「グルジエフ」「グルトシエ」「ハサートゥ」「ハサトーリェ」「ヤ」「ハラ」「ロンリリネリス」「ロンリリネ」「ビヤーク」「バイヤーク」「レイ」
「星よ」「星よ」「集え」「集え」「魔界の心臓」「汝は流星」「汝は光輝」「乙女が願うは」「恋の星!」
魔理沙は詠う。空を超え、宇宙を越え、銀河の中心、暗黒の向こう。宇宙の揺り篭、暗黒の子ら。
取り出したるは、星の描かれたスペルカード。描かれた属性は流星。篭る情念は恋。
その枚数は――実に、五枚。
五芒を描いて中空に留まり、光を零して回転すれば、それは一枚の魔陣になる。これぞ魔砲の最終兵器。魔砲の射手は、砲身基点のミニ八卦炉を両手で確実に保持した。
大気機動により箒ごと反転。宝玉の整流効果により圧力は無い。アフターバーナーの点火によって真っ白い光を吐き出しながら加速しだす。その先は熱の光――いや、一振りの剣。
――人符人鬼一念無量!
――開け星界の大門!
「未・来」
「ファァァァイナルゥ」
抜剣。
放射。
「永・劫・斬んッッ!!!」
「マスタァァスパァァークッ!!!」
――その轟音に音は無い。その光輝に光は無い。それにあるのは、魔砲という形態。星の極光は小太陽を丸呑みにしながらなお足りぬと、たった一つの敵を倒すために迸る。
――斬れるか、斬れないかではなく。
――斬るか、斬らぬか、だ。
楼観剣が光を映し、妖夢は無我の境地で振り下ろした。
――例え星が相手であろうと。
極光がいともあっさりと妖夢を包み込んだ。手応えの無さにすぎる結末に、しかし魔理沙は必死の形相を崩さない。
――斬るのみ。
何故なら魔理沙には見えていたから。
銀河を翔る極光の中心から、真っ直ぐに疾走する妖夢の姿を。
――私の魔砲を――
「――遡るだと」
その光景は、魔理沙にすら予想も付かぬ。小惑星程度ならば塵も残さず消滅させる事が可能なファイナルマスタースパークを、切り裂きながら遡るなど。
その、
その光景の、なんと小気味よいことか。
魔理沙は、何度目か知らぬ笑いを浮かべた。それは――例えるならば、英雄のように。
勇壮に笑う。
「舐・め・る・なぁ――――――!!!」
跨る箒に喝を飛ばす。
「気合入れろ、ブレイジングスター! ――野郎あの剣士の顔面に、ゲンコぶち込んでやるぜ!」
ブレイジングスター――魔理沙が生涯の伴侶と嘯く箒が、魔理沙が千年に一度の発明と豪語するエンジンシステムが、彼女の呼び声に呼応する。
ブレイジングスター1、森羅結界展開。
ブレイジングスター2、第一第二第三最終安全弁開放。
二つのブレイジングスターが目を覚まし、現れるは――第三のブレイジングスター。
真 ・ ブ レ イ ジ ン グ ス タ ー
「 彗 星 !!!」
推進炎が誇大化する。ファイナルマスタースパークに迫らんばかりの推進炎が少女を飛ばす。森羅結界が鎧を生む。惑星を貫く超硬の壁は言うなれば必殺の手甲。ファイナルマスタースパークを追い風に、霧雨魔理沙は空を貫く。光速を超えるために編み出されたその技は、相対的に時間を削り、魔理沙が延長する世界でねめつけるは、一陣の風のように極光を往く少女。魂魄妖夢。
「それが」
如何した。
妖夢は駆ける。極光を斬り、道を斬り、敗北を斬り、勝利すら斬り、唯斬り駆ける。
魔理沙をも――斬る。
綺羅々々と、白楼剣が極光を受けて煌く。極光は白楼剣の刀身を通り、人魂を通り、人型を通り、楼観剣に達する。星の気力が妖夢を巡る。
――魔砲新星反射斬。とでも、名付けるか。
魔理沙と妖夢が激突する。
妖夢が――斬った。
魔理沙は――避けない。
妖夢に斬れないものは、無い。真一文字に魔理沙を斬り、
魔理沙の拳が、
妖夢を撃つ。
世界に音が戻る。
熱も魔砲も言葉通りに斬った妖夢は決まりきったかのように地面を削りながら降り立つ。
魔理沙は飛び続ける。
拳は振りぬかれていた。
ぐらり、と、顔面を殴り抜かれた妖夢の人型が揺れ――雪の中に、倒れ付した。
* * *
「さあさあ張った張った、早くしないと尻玉抜くわよー」
「半! わたし半!」
「じゃあ丁で」
「私も丁かな」
「ぬぬぬ……! は、半で!」
「はいはいよござんすか? ……あーっと四-五の丁!」
「えええーまたー? なんで当たらないのよもう! もう! もう! ぐすっ」
「ぐわあーくそうなぜだ何故当たらない! ま、まさか、私の目は狂っているのかぁー」
「「うわぁーい嬉しいなぁ」」
博麗神社は、基本的に来客が耐えない。神社自体が霊験あらたかだからという訳ではなく、住み込み巫女の来るもの拒まずな気風が人妖問わず人気だからである。しかし巫女自体は決して愛想が良いわけでも無く、それどころか割と投げ遣りな性格故、巫女を苦手とする人妖も少なくない。彼女自身の本質もあり、しかし暇な時は話し相手を欲するのは人妖変わりなく、結局博麗霊夢の元には暇を持て余したり何がしか用事があったりする者たちが集まってくる事になる。
今現在、博麗神社の炬燵には、主を他にして四匹が潜り込んでいた。
一人は朝方やって来てからずっと居座る西行寺幽々子である。彼女は魔理沙と妖夢が飛び出して行った後、怒涛の勢いで蜜柑を平らげた。最後の一個を口の中に入れた後、厳かに霊夢に殴られた痕であるたんこぶが目に付く。
二人目は化け猫である。マヨヒガと言う幻想郷にありながら幻想郷にないという摩訶不思議な場所に住む大妖怪の式の式であり、その実態はやはり唯の化け猫である。名を橙と言い、彼女は使いの途中だ。なぜ博麗神社に居るかと言えば、使いの先が神社であったと言うだけで、その内容は橙にも霊夢にも良く判らないものだった。おそらく橙が使いの内容を忘れたのだろう。霊夢は自分のせいではないので放って置いた。
三人目はアリス・マーガトロイドと言う人形遣いである。彼女は霊夢の髪の毛を欲して慣れない雪道をえっちらおっちら歩いてきた。用件を聞いた後、霊夢は嫌よとだけ言い、その時のあまりにも哀れなアリスの表情を見て仕方なく一本だけ渡した。その時の彼女の表情は、なんとも味のある、思わず頬を突付きたくなるような顔であった。抱えた人形――珍しく唯の人形であった――を弄るさまが実にいじらしい。魔理沙ならばげらげらと品の無い笑いを上げたところだろう。
四人目は月兎である。鈴仙・優曇華院・イナバと言う長たらしい名の彼女は、そういえば何をしに来たのだろう、まあいいか。
その少女たちは――博打をしていた。さいころを転がして丁か半かを当てるものだが、ルールを知っているものが幽々子と霊夢だけであり、胴元の幽々子は橙と鈴仙の外した時の反応があまりに面白過ぎて、最早サイコロに目を向けず、ひたすら二人の悶える様を鑑賞して喜んでいた。霊夢もアリスも、これはこれで面白いなぁ、と思いながらぼけっとしていた。
「ただいまー」
「……あ、魔理沙。ただいまは玄関から来るときに使うのよ。境内の恨みとともにくたばれ」
「ぎゃあああああ馬鹿お前何しやがるちょっまっいやいや股が! 股が! ぎゃあああ」
やれやれと縁側から帰還した魔理沙に、霊夢は鬼の形相で淑やかに迎え、存分に汚された境内の仇をとった。何をしたかは、可愛らしい、乙女の秘密、である。
十分間、秘密は続いた。その間炬燵に入った四匹は、いささか恥かしげにその様子を見ていた。ただしその顔から血の気は引いている。これもやはり、乙女の秘密、である。
「あー満足。はいおかえり。どうだった?」
「さ、さいあく……うう、なんて奴だ。推定無罪って言葉をしらないのか、お前」
「知らないわねぇ」
「――妖夢?」
呟いたのは亡霊だ。
「ん……ほら。二人乗りはしんどいぜ」
言って、魔理沙は脇に抱えていた妖夢をおろした。落としたと言う方が正しいか。どすんという穏やかではない音と共に、気絶していた妖夢は目を覚ます。
「……ぬ」
「よお、お前軽いな。ゆゆこに食われてんじゃないのか?」
「失礼ね。貴女、私を食の権化にしたいの? ひ、酷い。ゆゆこショック」
「それで」
霊夢は再び問う。他の三人は一応話には聞いていたので、黙っていた。
「ああ――それは」
「――私の負けだ」
座り込んでいた妖夢が、ぽつりと呟いた。呟き、今度は身を正し、
「申し訳ありません、幽々子様。――敗北しました」
深々と頭を下げた。霊夢は無愛想な顔でそれを聞き、アリスと鈴仙は神妙な振りをして聞いた。橙は忙しそうに妖夢と幽々子を交互に見た。
魔理沙は――妙な顔をしていた。
「――そう」
とだけ幽々子は言って、それじゃあ宴会場所はどうしましょう、とあまり困った風ではなく言った。
「――宴会場所、あの、ちょといいか」
言ったのは、月兎だ。
「そういえばあんた何しに来たの」
「言ってなかったか? 今晩は良い感じの満月だから、輝夜様が皆で月見酒でも空けながら歌会でもしようかと言ってな。せっかくだから、暇そうにしている連中も連れてこようという話になって」
「それでなんでうちに来るのよ」
「暇だろ」
「暇だけど」
「暇な奴らしか来ないだろ」
「来ないけど」
まあつまりは、宴会のお誘いなのだ。わざわざ神社でやらなくても良い。しかも、主催は永遠亭なので、こっちは手土産程度を持っていけば好きなだけ飲める。歌など詠めずとも、適当に話を合わせておけば気にすまい。
幽々子は利休と茶を飲み交わしたかの如く厳かな表情を作り、
「――素晴らしいわ。行く行く私行く。速く行った方がいいかしら。いいわよね、うん。さあこうしちゃ居られないわ、ずんずん行くわよ。ほら妖夢何時まで畳と愛し合ってるのぺしぺし」
何処からともなく取り出した扇で、妖夢の頭を叩く。ぺしぺしぺし。
「――ってあいたたた、や、止めて下さいゆゆこ様行きます行きます」
声をかける暇も有らばこそ、亡霊と半人半妖はいそいそと竹林に向けて飛び出していった。なんともまあ、地に足の着かぬ亡霊である。
「――歌会は夜からなんだが……まあ、良いか。私の用件はそれだけ。暇なら来てくれ」
「暇なら行くわ」
「暇で霊夢が行くなら行くわ」
「暇じゃなくても行くぜ」
「え、えーとね、橙はね、藍さまと紫さまに行きたいなぁー」
「さよか。それじゃ、一足その辺を回ってくるよ」
そう言って鈴仙は立ち上がった。寒そうね生足、と霊夢達は言い、生足言うなと鈴仙は返した。
「それじゃ、お邪魔した。……ああそうだ。橙、今度は私のほうが先に当てるからな」
「絶対無理だよ」
「言い切るんじゃない傷付くだろうが……では」
とんと兎のように跳ねて、鈴仙は飛んでいった。本当に用件はそれだけだったらしい。
まずい事に彼女の服装は下から見ると幾分か恥じらいが足らず、思わず魔理沙はしゃがんで覗き込んでしまった。それが礼儀というものである。つまり、そんな彼女の行為をカメムシでも見るかのように見る三人は、全く礼儀がなっておらず、嘆かわしい事だ、反省しろ、と魔理沙はざっくらばんに言った。殴られた。何でだよおい。
「……行くの? 霊夢」
暫くして、アリスが問うた。一々霊夢に聞いているところがいじらしいが、それは霊夢がどうだからでは無く、決して言いはしないが一人で行くのが心細いからである。そもそも神社まで一人で来るといういうのがアリスにしては偉業なのだ。何時も連れて歩いている上海人形だか蓬莱人形だかを今日に限って連れてきていないのは、呪的な何か、あるいははじめてのおつかい的なそれだろうか。
「暇だったらって言ったじゃない」
「行くのね……よし、じゃあ準備してこなきゃ」
「なんのじゅんびー?」
「色々よ。都会派少女は洒落者だと相場は決まってるの」
「そーなのかー」
「ちょっと橙あんたそれどこで覚えたの――いやいいわ言わなくて」
「良いのかよ霊夢、こいつはあれだ、情操教育が悪いぜ」
「私のせいじゃないわ。これで一匹頭の柔らかい式が育っても、それはそれ、悲しきすれ違いによって起きた不幸にして必然の結果なのよ。聖者が十字架に磔になってしまった事実は覆しようがないわ……」
「なんという女だ……私は今、世界の悪意の前に居る」
「ところで橙」
アリスは妙に良い笑顔を猫又に向けた。今までの会話から良く判らないながらも馬鹿にされていると感じていた橙は、
「なによつーん」
そっぽを向いた。アリスの眉毛が急速降下する。そもそもアリスは橙に何も言ってないため、とんだとばっちりである。好き勝手言っていた二人は、片方は無愛想な顔をより顰めて、もう片方は喉も裂けよばかりにげらげらと笑っていた。アリスの表情がツボだったらしい。
橙はアリスの落ち込み具合にかなり動揺し、両手をぶんぶんと振り回しながら、
「す、すこしならお話聞いてあげる! すこしだけ!」
とかなり譲歩した。アリスは見るからに嬉しそうになり、しかしむずむずと綻びそうになる口元を押さえようとしている。魔理沙は窒息寸前だ。
お話は霊夢と魔理沙には予想通りの内容で、もうすぐ帰らないと主人が心配するだろう、丁度良い事に私は途中まで道が一緒だから付いていってあげる、ああそうだあなたお人形欲しくない? 私の館まで来てくれたら一体だけあげるわよ、と、つまりは一人じゃ寂しいので一緒に帰らないかという話だった。婉曲に見えてあからさまな誘いに、純粋というか考えの足りない化け猫はひょっこり機嫌を直して嬉しそうにお人形欲しい一緒に帰るーとはしゃいでいた。魔理沙は笑いすぎて咽ている。霊夢はその背中を力いっぱいぶん殴った。
「うんうん。それじゃあ、しょうがないけど……しょうがないけど! 一緒に帰りましょ」
「うん! 白黒紅白ばいばいー!」
化け猫は元気よく犬のように飛び出る。ぐるぐるとその辺りを跳ね周って、はやくいくよー、とアリスに言った。
「結局あの子は何しに来たのかしら……」
「少なくとも、霊夢がにっこり笑顔で万々歳な用事じゃなかったでしょうね」
アリスは炬燵から抜け出し、お人形のような空色のスカートを整えて、それじゃあまた今晩、と言ってえっちらおっちらと雪の積もりだした境内を去っていった。その周りを犬のように猫又が纏わり付く。後ろから見ても嬉しそうだった。二人とも。
「私、アリスってあれで居て子守の才能が有るんじゃないかと思う」
「なんだか寝かしつける対象に振り回されそうだけどね」
「お前は完全放置をしそうだなぁ」
「あんたは高い高いで雲の上まで飛ばすでしょ」
「私はそこまで優しくないぜ?」
「へえ。――外道」
「お前の脳内設定ではいま私が何をした。結界張って人払いするよりかはまともなんだろうな」
「人払いじゃないわ。単なる結界よ」
「ま、お前がそこまで気にする話でも無かろうに。私と妖夢の弾幕ごっこなんて」
「――お茶、飲む?」
言って霊夢は蒸気を噴出している薬缶を手に取り、急須に入れて魔理沙の湯飲みに注いだ。湯飲みの数は朝から変わっていない。霊夢はどうやら台所に行く事すら放棄して、回し飲みさせていたらしい。自分のではなく、魔理沙ので、と言うのがポイントである。やはりこの女は邪悪だ。
しばらく出涸らしを啜る音が響いた。はしたない事この上ないが、どうせ見ているのは勝って知ったる腐れ縁、もはや恥じらいも感じないらしい。
暫くどころか、一刻近くもぼんやりとした時間が流れた。
* * *
「――幽々子様」
ふよふよと目の前を飛ぶ主君の背中に、遠慮がちに声をかける。えらくダッシュで出て行ったと思ったら、今度はえらくのったりと飛ぶ。このままでは竹林に着く前に日が沈むのではないか。
――お怒りになられているのか、失望されているのか。
それも致し方あるまいと、妖夢は思う。春の事もあわせれば、二度にわたって主君の期待に応えられなかったのだ。全く以って――従者失格である。
「妖夢」
ふらふらと飛ぶ幽々子が振り向きもせずに声をかける。
「――はい」
「そんなに畏まらないで頂戴。別に勝った負けたはどうでもいいから。宴会できるんだから、結果オォライよ。久しぶりに歌合だって出来るし」
妖夢はちいとも雅を解さないからねぇ――と呟いた。妖夢にはわびさびとか風流とかがからきし理解できない。物心付いた時から剣を振るっていた記憶しかないし、そもそもたった数行の中に月や花のなんやらを篭めるのはいかにも妖夢の気質に合わない。師匠もそうであったようだから、きっと剣士と言うものはたいがいそうなのであろうと妖夢は思っていた。
幽々子は少しだけ言葉を止めて、ぼんやりと浮かんだ。妖夢に位置から幽々子の表情は判別できない。
ふう、と息をついて、亡霊は言う。
「でもね……貴女、さっきの弾幕ごっこで、剣の奥義をなんと感じた?」
――奇怪な事を問われる。私が太極合一の境地に至ったことを、感じ取られているのか。
「――斬るか、斬らぬか。で、ございますれば」
悟った事を、そのまま伝えた。主君に秘する事なぞ不敬だし、もとより隠すべき事でもない。
「――そう」
言うと幽々子はくるりと振り返り、
妖夢の頬を叩いた。
「―――」
突然の事に妖夢は反応できない。さほど力を入れて叩かれたわけではなく、むしろぺちりといった可愛げのある軽いものであった。いや、そんなことよりも――
――幽々子様に殴られた。
「な――何を」
呆然と呟く。
幽々子は――寂しそうな顔をしていた。
「――人界は人々が住まう場所。地界は餓鬼の住まう場所。天界は仏の住まう場所。六道は人の巡りを指し、世界はその姿を整える。――それは冥界や亡霊にとっても同じ」
「……」
言い募る主君の本意を妖夢は汲み取れない。いまだ呆然とするそんな従者に、幽々子はいっそう寂しそうな表情を深めた。
「全てになるということは――全てを斬る事だと。すなわちそれは『既に斬っている』のよ。
世界を斬ったならば、森羅万象を斬ったと言うならば。
――どうして私を斬っておらぬと言えるの?」
――言えまい。
どの口が言えるのか。この口か。一切を斬ると感じた己のこの口がか。
この口が言うのか。
主君を、幽々子様を斬ったと。
「わ、私は――そのような」
「剣は手段よ」
一言で妖夢の言葉を斬り捨てた。
「しょせん剣とは戦いの道具。それを操る技も、それを統べる肉体も。いかに達人の境地に立とうと、いかに奥義を修得しようとも、殴って倒した方が勝ちのそれと本質は変わらないわ。
そんな、児戯にも劣るようなものが、三千大世界と合一するなど。おこがましいにも程がある。
――恥を知りなさい、魂魄妖夢!」
妖夢は己の全てが突き崩される音を聞いた。剣しか知らず剣を伴侶とし剣と共にあった彼女は――剣こそ己となっていた。それを真っ向から否定されたのである。
誰でもない――己の全てを剣と共に捧げる、主君に。
――剣は、無意味なのか。ならば、剣である私は、無意味なのか。
消えてしまいそうだった。いや、事実もう魂魄妖夢は消えていた。そう、――私なぞ、初めから居ないのだ。私は私の全てに否定されたのだ。
幽々子は前を向き、止めていた足を進めた。ふらふらと飛ぶ主を、妖夢は呆と眺めた。
――もはやこれまで。魂魄の務めを果たせなんだのは心残りだが、私はここで、
「何をぼんやりとしているの妖夢。そんなだから皆に抜けているとか言われちゃうのよぺしぺし」
「あいた」
ふよふよと進んでいた幽々子が、付いてこない妖夢の元にふらふらと近づいて扇でしばいた。骨のところで叩かれたので割と痛い。しかも間抜けな音とは裏腹に随分力がこもっている。
ぺしぺしぺしぺし「んもう、まったく」ぺしぺしぺしぺし。
「あいたたたたたいやゆゆこさまマジ痛い止めて止めて」
「だめよこれくらいしないと妖夢のうっかり癖は直らないわ」ぺぺぺしぺしぺぺぺしぺし。
「音頭なんかとらなくていいですからいやほんともう十分ですってへこむへこむ頭がへこむむむむ」
五分近く続いた。その間に幽々子は良い音をする頭に味を占めたのか、袖からもう一つ扇を取り出して16ビートを刻みだした。唯でさえ低い背がこれ以上縮んではたまらぬしかもこの音頭はまさか水戸黄門か。なんで知ってるんだ。
「うーっかーりはーちべーぇーずんずんどこどこずんどこどこ」
歌まで作りだした。
妖夢はなんとか幽々子の手首を掴み、じたばたするその両手の持ち主をしばこうとして思いとどまった。いかんいかん。
「なにすんですか貴女は。死んでも生きてても痛いものは痛いんですよッ」
「何を言っているの。貴女が間の抜けた顔で鼻水たらしてたから、主として赤面する思いで起こしてあげたんじゃないの。ああもう、私の爆発する愛を受け止めてくれないなんて、ゆゆこ・大・ショック」
よよよと嘘泣きした。妖夢はいい加減学習すれば良いものを、今回も真に受けてフォローしていた。
「っていや違う。こうじゃなくてですね、根本から違うのですよ」
「何が?」
「何がって、幽々子様、さっき仰ったじゃありませんか!」
妖夢は真剣に言った。幽々子は右から左に流したが、バレた。
「んもう、面倒くさい事ばっかり覚えているのね……」
「面倒だとか、そういう問題ではありません」
糞真面目に迫る妖夢を扇で遠ざけながら、幽々子はおっとりとした笑みを浮かべた。なんだか妖夢には久しく見ていない顔に思えた。
「――剣士は無用と。貴女はそう仰られたのではございませんか?!」
「貴女の肩書きは剣士だけではないでしょう」
さらりと幽々子は言った。極自然に――事実、自然な事を。
妖夢の表情が、憑き物が落ちたようにぽかんとなった。
「ほらまた呆けてるぺしぃーん」
兎の首を折るような生々しい音が響く。
「ひでブッ……ってあああんた人の剣の鞘でフルスイングとは血も涙も無いですね!?」
「何を言っているの、これが、そう、いわゆるLOVE表現じゃない」
えるおーぶいいーって何だとか呟いている妖夢が可笑しくて、幽々子は
「うふふふ」
と笑った。そうしてくるくると蓮のようにその場で回り、
「――さあ、お間抜けな顔をしてないで、しゃんとなさい。一人で往くには少しばかり遠い距離、旅は道連れ世は情け。行きはよいよい、帰りはこわい――」
こわいながらも――と口ずさみながら、今度こそ竹林へふよふよと飛び始めた。
――剣士であると言う事に拘るのなら、彼女の言葉は笑止の一言。剣が無意味であると言うなら、学であろうと、舞であろうと、歌であろうと、須らく無意味。現世幽世ひとまとめ、胡蝶の夢でしかないものに、そもそも意味なぞあるはずもない。あるか、ないか、二者択一。ならば――剣を極めれば、胡蝶は己自身になると、言えるのだ。
――だがしかし。
それは最早、剣士ではない。求道するのが剣士ならば、極みに至ったものは剣士ではない。その極みを何と呼ぶのか、八百万か、仏か、妖夢には解らない。解る筈もない。極みに至ったものに名は要らず、主観を客観とするそれは己自身すら無用とする。
だが、魂魄二刀とは、そうなることを目的としているのではない。初代・魂魄妖忌はそもそも流浪の剣客。放浪の旅路の途中にあった彼に、剣の奥義なぞ必要ない。そんな彼が弟子に受け継がせようとしているのは、極論すれば剣ではない。
――お嬢を。
巌の如き様相で、しかし柳のように掴み所の無い師匠の声が、記憶の置くから妖夢に語りかけた。
――お嬢を御助けせよ。
それは、物心付いた時に聞かされ、そしてふらりと白玉楼より居なくなる前の晩、二刀を授けられた時に聞かされた言葉。
――あのお方は雲だ。近くにありながら決して届かぬ高みより我等を見下ろし、風の如く去り往くお方だ。
西行寺幽々子は、不幸な娘だった。そして、自らの逝く先を選べる娘だった。だからこそ音に聞く大妖怪でさえ助力を申し出、冥界で老桜とともに死に続けることができたのだ。それは、なんともしなやかに剛く、そして危険な事であった。
――雲は人を気にせぬ。高みにある雲は地を這う人の機微を解さぬ。そもそも人と雲は決して交わる事のないのが道理。ならば人を知らず雲を知らずで結構であろう。
――だが、人が雲になったのなら。
――人は人のまま高みより見下ろす事になるのか。否。人は人を捨て雲になるのだ。雲は無形であれば、人がその姿を保てぬのも道理。
人で無くなるということ。それは恐らく、不幸ではない。人という器に囚われぬのならば、寧ろ人なぞ止めてしまえばよい。しかし。
――雲は、全てをまつろわせる。人も妖も鬼も、一切が一つとなり、また全てになる。雲に境界は無いのだ。これは――八雲殿とて、弄れぬ。
――それで良いとなさるのなら、何も申し上げる事は無い。だが、お嬢にはそれが本当に良いのか判断できん。
不幸であったがゆえに、と妖忌は続け、妖夢はその時、自分の師が、爺が、初めて人の股から生まれた者であると感じた。
それは――期待であろうか。
――ならば御教えすれば良い。世の幸福を過ごし、悠々自適を過ごし、そして堪能した後、雲と境界を無くすと言うのであれば、その時は生涯一の笑みで見送るが良い。
――故に。
――故に、妖夢よ、御助けせよ。お嬢が幸福に過ごせるよう、雲となるか否か選ぶ事の出来るよう、その半人半妖を粉として、お嬢を御助けせよ。
それが。それこそが。
――魂魄の唯一の務めであるならば。
「それが、魂魄二刀の」
剣士も要らぬ。庭師も要らぬ。妖夢は魂魄なれば、その本懐とは西行寺幽々子と供にあると言う、それだけで良いのだ。
――そして、まぁ、お嬢の友であるがよい。これは魂魄としてではなく、爺としての頼みじゃの。
「私の」
見れば、ふらふらと飛ぶ後姿は空の蒼さに溶け込んで、そのままふらふらと風のままに何処かへ行ってしまいそうな雰囲気がする。銀雪は大地を覆い、地面一体が輝く雲のようだった。
――では達者でな。縁が重なればまた会うこともあろうて。
――はい、師匠。その時まで、おさらばです。
かつての魂魄二刀は巌の如き様相を破顔させ、記憶の中に去っていった。
「――幽々子様!」
妖夢も、笑った。幽々子が思わず笑みを返すような、そんな笑顔だった。
「――そっちは方向が違います!」
* * *
妙に人妖密度の高かった博麗神社が再び霊夢と魔理沙の二人になってから、一刻半が流れた。その間霊夢は昼飯の冷や飯と鯖漬けと菜っ葉を用意し、魔理沙は寝っ転がってスペルカードを弄り、食事の用意は一切しなかった。そのため鯖漬けが一匹しか配給さず、講義をすると菜っ葉まで引っ込められてしまい、しぶしぶ、不本意ながら、謝罪をした。しかし誠意が足りない、ごめんなさいで牛鍋を出してみろと高圧的な態度で返され、ふざけんなこの冷血山椒魚巫女うるさい黙れ鳥頭ゴキんだとお、と、炬燵の上では口論、炬燵の下では高度な足技戦が、淑やかに繰り広げられた。結局隙を突いた魔理沙の箸が霊夢の鯖漬けをペリカンのように確保、丸呑みしてしまい、少しだけ怒った霊夢が大結界を怒気で震わせながら炬燵の中で魔理沙の両足を捉え、足と足の間に自分の足を差し入れ、振動を与えながら全力で引っ張るという、大げさに言っても、はしたない程度のスキンシップが行われた。
昼食も過ぎ、蜜柑は幽々子に完食されたので干し芋を引っ張り出してきた二人は、朝から取り替えていない出涸らしの三杯目に取り掛かった。
「あー」
と鼻から噴出すように霊夢は言い、顰め面をさらに顰め、
「で、どうだったの」
「ああ? ああ。んあ」
魔理沙は適当に答えたが、暫くして思い直したのか喰いかけていた干し芋を火鉢の網に置いた。単に硬過ぎたからである。
「ありゃあ、控えめに言って相打ちだな」
魔理沙は少し考えるようにして言う。霊夢はぴくりと眉を上げ、視線で続きを促した。
「――妖夢が最後に使った技、技って言うのかな。私のファイナルマスタースパークを鯉みたいに遡って来やがった。鮭かっつーの。ありゃあ多分、敵が放出したエネルギーをそのまんま自分に溜めて加速と斬撃に使うっつー技なんだろうけど。ありゃあいけねぇ」
「いけないの?」
「いけないね。特に特化型の魔法使い、事に私にとってはカモだなカモ。相手のエネルギーを反射するって言えば格好が良いが、それは結局相手の最大耐性と真っ向からぶつかり合うってことなんだ。だいたい得意な技ってのは、自分には耐性があるだろ? お前で言うなら呪いとか」
「私は霊気、しかも神聖な奴よ。呪いってアンタ主観で言ってんじゃないわよ」
「無視して続けるが、奴さんはその辺が判ってなかったな。吸血鬼やら不死人やらはどうかしらんが、魔法使いは大概属性耐性がある。これがパチェなら日月火水木金土の七曜根源元素、アリスなら人形遣いとしての超ウルトラ精細な魔力制御法」
「ちょっと待ってよ。それって種類が違わない?」
「違うよ。違うけどいいんだ。言っただろ反射するって。あいつにとってエネルギーなら何でもいいのさ。魔力妖気霊気に陰気陽気神通力、気合気迫死気生気。しまいにゃ龍脈やら自然現象まで跳ね返しちまうだろうよ。だからもう、気配とかそんなのでいい。そう言うのを反射する……唯反射するんじゃ駄目だな、吸い取って循環させてから反射するのか。そういう割と非常識な技だ。私が言うのもなんだが。
私の場合で選択肢に上がるのは星と恋と魔力だな。今回跳ね返されたのはファイナルマスタースパークだから、全部っつーか魔砲そのものか」
言って魔理沙は茶を啜る。面倒くさげに話しだした割にはえらく口が回る。喋りながら考えをまとめているようだった。
霊夢は不機嫌そうな顔でじっと聞く。
「……私の魔砲は、自慢だが反射しますよハイそうですかと行く代物じゃあない。霊夢、古今東西のあらゆる中で最も単純で効果的なものは何かわかるか?」
「美人」
「そう、力、パワー、威力だ」
「流すんかい」
「気持ちよく喋ってんだ邪魔するな。出力二十三億六千万ギガワット超、マスタースパーク五発分の魔力を共振効果で五乗にまで伸ばした素敵で本気な魔理沙さんの最終兵器ファイナルマスタースパーク。月に撃てば月が割れるぜこいつはよ。そんなべらぼうふざけた魔砲を、あの剣士はあっさり真っ二つに割ってくれやがったどころか、身体に巡らせて見事綺麗に反射してくれやがった。こいつは――ちょっとばかり、ありえねぇ」
「なんでよ。月が割れるだのめがわっとだのよく判らないけど、斬って反射させるぐらいならできるんじゃないの? 剣士なら」
「出来る出来ない技術の問題じゃなくて、不可能なんだよ。最初の条件からして無理なんだ。
いいか? さっきも言ったように、この世界は力がメインだ。理論論理伝承輪廻とか言うのは力があって初めて成立するもんなんだよ。なんでって、ロジックじゃ腹は膨れねぇし星はうごかねぇ。それと一緒だ。現界ありき。少なくとも私の立つ場ではそういう原理に基づいてるんだから深く突っ込むな。そんでまあ話を移すが、私ら一人一人にが持つエネルギーには当然限界量がある。これはお前にだってわかるだろ」
「まあね」
「自分の限界以上のエネルギーを持ちたいなら、簡単なこった、別のものに移しときゃ良い。妖怪やら吸血鬼やらはこの限界量がアホみたいに多いから貯蓄っつー目的では作らないが、だいたい因り代とかそんなのにエネルギーを注入して持ち歩く。ちょと弄れば使い魔とかにもなってこりゃ便利だ。逆に言えば、だ。限界以上のエネルギーを持った場合、急いで因り代にエネルギーを流すか、体外に放出するかしなきゃならない。そうでもしなくちゃ内部のエネルギーが破裂する。
さて、話を戻す。妖夢が行ったエネルギーの反射による攻撃、あれは普通に見れば、割に合わないが筋の通った、だけどアホ臭い攻撃だ。ぶっちゃけていうと私もなんでアイツがあんな技つかったのか理解に困るぐらいだ。ま、普通の奴なら一発だろうけど。普通って結構難しいんだよな。
奴の反射攻撃が私にとって致命的ってのは、ほんと単純な話だ。どんなに限界量が高かろうが因り代を用意しようが、私の魔砲を受けたら一瞬でトぶ」
「トぶの」
「トぶね。そもそも私でさえ冗談で作った魔砲だぜ。地面に向けて撃ったら五十億年前に逆戻りなモン何に使うんだよ。使うとしてもずっと先だ。そんなの喰らったら剣士も亡霊も妖怪も神も悪魔も関係ねぇ、皆仲良くエーテル核だ」
「でも妖夢は生きてるじゃない。つかそんなの撃つなよ」
「その場のノリだ。大丈夫仰角は付けといたから多分地面には影響ない。あっても文句言いにくる奴は蒸発してる。……いや、来るな。多分だれも蒸発してねぇ」
「なんでよ。二転三転しないでよ」
「アイツは魔砲を斬ったんだ。だったら斬られた魔砲はどうなる。反射されたんだ。じゃあ被害なんて出るわけない、全部私のところに帰ってきたんだからな。
さて問題はやはり妖夢がどうやって魔砲を受け止めたかだが……」
ふうむ――とここで魔理沙は考え込んだ。実のところこの答えが見つからないために今の今まで喋り続けていた、つまり、今までのは単なる暇つぶし、無駄話、なのである。しかし霊夢は寧ろ当然のような自然の風袋で居る。
「――耐性の話はどうなったの?」
「ん? ああ――今回に限って言うなら、あんまり関係ないな。耐性が有ろうが無かろうが殆ど変わらん。せいぜい分子が電離するかとか塩素基盤が残るかどうかとかの違いだろ。これが普通のマスタースパークなら、そうだな、私なら頭部と脊髄と心臓が残る程度か」
「つまり話の枕だったわけか」
「いいや、霊夢。言葉のキャッチボールの基本は、相互理解から、だぜ」
「魔理沙、貴女にはいろはの国語辞書が必要なようね」
「お前には優しさと慈しみと慎みが必要だな」
「ふん。ま、あんたの良くわかんない話はあっちにおいといて」
「置くなよ非道え」
「非道くないわよ」
「まあいい。そんでちょっと聞きたいんだが、お前博麗大結界の強度がどれくらいかわかるか?」
「――結界の? 押しても引いても割れない程度じゃない?」
「押して引いて割れたらそら愉快だな。そうだな、具体的に言うなら、マスタースパーク何発分ぐらいなら耐えられる?」
「それはまた、具体的な話ね。結界を越えるつもり?」
「必要と有らば私は止まらないぜ」
「ふうん。たぶん何発撃っても無駄よ。あの結界は誰にも解けない」
「お前以外じゃ、だろ、霊夢。空を飛ぶ巫女。解く必要なんてないさ。ぶっこわしゃいいんだ。
フムン、やっぱそうかな」
「何よ」
「妖夢さ。あいつは結界に繋がったんだ」
「博麗大結界? 馬鹿馬鹿しい」
「馬鹿馬鹿しいな。事実はもっと馬鹿馬鹿しい。あいつは自分の中にもう一つの幻想郷を創り出したんだ」
「――沼矛なんか持ってたかしら、あの子。世界創造ですって? 天高原から苦情が来るわよ」
「魂魄妖夢の剣の異界、世界の根元を自らの内に創り出す訳だ。そんなもんビッグ・バンだって飲み込んじまうぜ。けれどそれは当然なんだな。半人半妖で魂魄なんて名だったら、世界の一つは創り出せる」
「それで――剣術を使う程度の能力。呆れるほどの馬鹿馬鹿しさね。誰よあんなの生んだの」
「知るか。そう言う訳で奴はファイナルマスタースパークを返す事が出来たわけだが、そこは天下の魔理沙さん。抜かりはないぜ」
魔理沙はひょいと片手を上げる。微風を起こしながらしゅるりと箒がその手に収まり、よしよしと魔理沙は箒を撫でる。
「――私の切り札中の切り札、何時かの為に編み続けてきた非弾幕必殺技。そいつで馬鹿正直に突っ込んでくる妖夢の顔面に拳骨ぶちこんでやった。ま、最後はスマァトで気合のある方が勝つという美談でした、ちゃんちゃん」
「なにが、ちゃんちゃん、よ。よくもまあそんな状態の妖夢に斬られなかったわね」
「斬られたさ」
「斬られたの?」
「斬られた。全く以って完全無欠な一閃だった。私は――半分斬られた」
「――半分?」
「半分さ。きれいさっぱり、半分斬られた」
と言って、魔理沙は箒を両手で縦に持ち、
「ほうら」
唐竹に真っ二つとなった箒を見せた。
「……流し素麺が出来そうね」
霊夢は唖然として、なんとかそれだけを紡ぎ出した。
それほどまでに、美しく斬られていた。
「――竹じゃないんだけどな。見ろよ、あんまりに綺麗過ぎて――『斬られた事に気付いていない』」
再びぴたりと付けた。あまりに見事な切れ味に、箒の繊維は全く乱れていない。繊維だけではない、と魔理沙は続けた。魔術的にも、まるでそれが自然であるかのように斬られている。
「――妖夢の世界に取り込まれちまった。暫く乗る分には問題無いだろうが、それでも気分良いもんじゃないわな」
「そりゃそうだ」
霊夢は知っている。魔理沙がその箒をどれほど愛していたのか、どれほど頼りにしていたのか。聞きはしないが恐らく生まれた時から共にあったのだろう。だったらそれはもう、自分自身だ。彼女は半身を斬られたのだ。
――これほどの屈辱があるだろうか。
違う、と霊夢は思い直した。彼女は屈辱をただ屈辱として捕えない。新たなる目標として邁進し出す。まるでそれが己の生きる道とばかりに。
霊夢には解らぬ感情だった。けれどもそれは当然の事だと、彼女自身は判っていた。霊夢には霊夢のことしか解らない。
今も――魔理沙の心情を思いはするが、共感する事は出来ない。
けれども、魔理沙は気にすまい。だから、霊夢も気にしない。
「そうさ。お前はお前以外の何にもなれない。博麗神社の不思議な巫女、お前が今本当に考えている事は――大結界を斬る事が出来る奴が現れたことだ」
霊夢の心情を見抜いたかのように、魔理沙は箒の点検をしながら呟いた。
その通りだと霊夢は思い、干し芋を飲み込んだ。
「お前がお前であるために、博麗大結界は保たれなくちゃならない。それが巫女としての務め、だろ」
「そうね。だけどそれがどうしたの」
「はん。結論を聴きたいかい?」
にやりと魔理沙は笑い、箒を置いた。そうして湯飲みを捧げるように持ち、瞑目する。
世は並べて事もなし。
「――いい加減に茶葉代えろ。これはもう出涸らしでもなんでもない、ただの湯だ」
そういって急須を投げつけた。
* * *
――その後、度重なる宴会に不信感を抱いた各々が、余計な気を利かして幻想郷を駆けずり回ったり、博麗霊夢が久しく気合を入れたり、と、比較的穏やかな日々が続いた。
博麗大結界が消滅する、遥か昔の出来事だった。
作者様の幻想郷考察には目を見張るものがあります。
加えてするりするりと流れ落ちるかのような流麗な文。
魔理沙と妖夢の戦いは手に汗握ってぐっしょりです。
軽くて激しくておかしくて強くて厳かで可愛い。
妖夢以外にも、己の中に幻想郷を抱え込んでる凄い方がいらっしゃいました。
ああこれだから二次創作の世界を読むのがやめられない。
最大限の敬意を謝意を込めて。
良いお仕事でした。
これほどの作品に出会えたことに最大級の感謝を。
随所に見受けられるように、自身の東方観を見事に織り込んでいる辺り、どこから入っても東方らしさを感じます。
戯曲を思わせる筆致が、華麗に躍動する魔理沙と妖夢を鮮やかに描き出しており、そして華麗な幕切れと、素晴らしい作品でした。
やはり、殺伐とした戦いは東方世界の住人に似合わないなと自分を省みつつ…。
衝撃的なんてヒネた言い方をする必要も無く衝撃。
圧倒感に顎が外れる思いです。
格差とはこういったものか、とまともに物を考えられない頭で不覚にも納得してしまいました。
鮮度密度温度速度精度、全てに於いて歯が立ちません。誉め言葉もろくに書けない自分に腹ばかりが立つ。
余りにも面白くて、途方も無く悔しい。
自分の未熟を理解していても、羨みが止まらない。敬語すらままならなく。
感想になっておりませんで、申し訳ございません。
一人の馬鹿が、斯様に取乱すほどの面白さでした。
勝手に読んでおいて勝手に狂っているわけですので、どうかお気を悪くされませんようお願いしたく。
では、螺子の外れるような作品の再来を願いつつ。
本当にありがとうございました。
客分が言うことでは無いのですけれども、またのお越しをお待ちしております
。
こいつはきっと凄い金剛石になるだろう。
だがどうした事か刃が入れられぬ。 磨きがかけられぬ。
輝かぬ部分に切れ目をいれ、無用と思える部分に磨きをかければ、そのとたん至極当たり前の石になってしまう。
惜しい、だがその惜しさを崩せない。
オイラ如きじゃ手も足もだせない。 それでも頭が考える事を諦めない。
さてはてどうしたもんか、ああそうか。 ああ、成程そうか、そうか。
これはどうやって磨こうかそれを考える、その考える事のが楽しい石じゃないか。 斬った貼ったのその結果は、己の中でその後の姿をあーでもないこーでもないとやるのが楽しいのじゃないか。 これだと決めてしまうにゃ惜しすぎる。
それでも負け惜しみにこの作品に対し、何か一つ言わんとすれば。
作者殿の恩名に掛けさて頂きまして、イッパイアッテナとでも言わせてもらいましょうかw
す げ ぇ
戦闘描写といい理論といいギャグといい言い回しといい多分私が見た文章でも確実に最高峰の描写力でした。SSでここまで書けるとはマジ驚愕としか言い様がありません。美しく壮絶で緻密且つ大胆な文章構成。あんた最高はだ!!!
素直にありがとう。
勝つとか負けるとか、凄いとか酷いとか、そういう問題じゃ無いなぁ。
成程、次元が違うというのだろうか。
本屋の小説コーナーを切り崩してコレを並べたい気分だ。
そんな権利は無いが。
マシンスペックが桁違い。
惜しむべくはマシンを完全に制御しきれてない事かと。
まぁ、そんな事はどうでも良い。
それを差し引いても十分バケモノだ。
あと何と言っても魔理沙・霊夢の喋り方が凄い。
凄いとしか言えない。
管理人さん、100点以上ってつけられないんですか? そうですか。
この、創想話という場に存在する数々の神様方にがんばって追従しようともがいている自分にとっては
また一人新しい神様が舞い降りてきたような気がします。
長めの文章であるにもかかわらずそれをまったく感じさせないような話の展開、
そして、まるでその場を実際に見てきたかのような生き生きとした登場人物の会話。
いや、こんな若輩者のSS書きが批評じみたことをするのはおこがましいですね…
まさにそれほどの作品でした。
管理人さん、100点以上ってつけられないんですか?なら自分が勝手に。
後で私の自室に(120点)
物語で織り成される幻想郷と東方の姿。
そして、あふれ出す東方への愛。
一つの境地を見ました。
導入は随分と軽いものだと感じていましたが、その後に続く密度と速度で果てしなく打ち上げられ、最後にさらりと落とされ、ああもう凄いや。
これだけの作品を拝見できたことに、これ以上ない感謝を。
…終わりまで最高。
量的に読むのは大変でしたが、楽しませて頂きました。
もうシリアスとかギャグとかバトルとかてんこ盛りで、なおかつまとまっている。
霊夢と魔理沙はかみ合ってるようでかみ合ってない会話してるし。
妖夢は真面目一直線だし。
幽々嬢はさりげなく16ビート刻んでるし。
まとめると さ い こ う だ 。
だから小説は嫌いなんだ。
特にこの小説ときたらなんなんだ。
現実世界の時間感覚が全く無いじゃないか。
私は現実世界の住人だ。その住人を幻想世界なぞに連れ込みやがって。
時間を操るなんて醜いぜ。
シリアス、ギャグ、バトル、ほのぼのがいい感じに引き立て合っていました。
ここまで素直に「面白い!」と思った作品は久しぶりです。
>よく言うわ小太り、と霊夢は呟いた。炬燵の中で足を蹴られた。痛い何すんだこいつ。
この部分がやたらと気に入ってしまいました。
何故これほどの作品に今の今までの目を通さなかったのかと、自分の愚かさに猛省すると同時に、此方を境地を定め精進していきたい次第であります。
セラエノまでか・・・それは速い。
魔理沙の魔術理論に隙が無く、上遠野浩平氏の書く物理理論を読むようでした。
SS書きの一人としていつか傑作と呼ばれるものを書きたいと
思っていたけど、これを超える事はできねぇ。
俺が見たかったもの全てが詰まってる。敗北感とかそれ以前の
問題だ。参りました。
なんでこの作品読み逃してたんだって後悔してます。
やや読みにくいかなぁ、という所はありましたが、なぜか全く苦にならず気が付けば終わっていました。
嗚呼、世にはこうも素敵な幻想をお持ちの御仁が居られるのか……
脱帽です。
脱 帽
さて問題は、箒が真っ二つになった事と茶がただの湯になった事、どちらに嘆くかだ。
意味不明なところが多かったとおもいます。
もう少しまとめてみたほうがいいです。
表現はなかなかいいとおもいますよ。
確かに、自分でも読みにくいとは思います。
でも、それを越える迫力があるのは事実。
そして、どこを直せば良いかわからないというのが正直な所。
この迫力を出すには、この文でしか味わえないと思います。
何にせよ、すばらしい作品をありがとうございます。
コミカルな部分もシリアスな部分もバトル部分も総じてレベルが高くて…
しかもそれらが調和してるというのがすごかったです。
これだけのものを書ける何かこう…知性みたいなのが欲しい…!