――晴れることを知らなかった、幻想郷を包み込んだ霧の異変を解決してから数日が経った。
今日も博麗神社には赤い悪魔と黒い少女が訪れていた。
赤い悪魔は傘を差し、縁側でのんびりとお茶を飲んでいる。
黒い少女は縁側で寝そべり、ぼりぼりと煎餅を食べている。
最近ではおなじみになったいつもの光景。
特に何をするでもなくそこにいる二人に、箒を片手に庭を掃除していた霊夢はため息をつく。
せめてそこにいるなら手伝いくらいしてくれてもいいのに。
そう思いながらも庭掃きを終了させ、箒を蔵の中にしまってくる。
「さて、私もお茶を飲もうかしら。レミリア、私にもお茶をちょうだい」
「あら、いつから霊夢は客に命令できるほど偉くなったのかしら」
「いいからやれっ」
難癖をつけようとするレミリアの頭を叩く。
「いたぁい!うぅ、わかったわよぅ。やればいいんでしょ、やれば。…霊夢のいけず」
ぶつぶつと文句を言いながら、急須の中にお湯を注ぎ、霊夢の湯呑みに注ぐ。
「んもぅ、霊夢ってば加減を知らないんだから。たんこぶができてたらどうするつもりよ」
「そしたらメイド長にでも慰めてもらいなさい」
「あ、それいいわね。帰ったら早速慰めてもらおうっと」
「どうでもいいけど暑くて暑くて死ぬぜ~」
夕焼けも近づく頃。そんな三人の会話をを邪魔するように、雷鳴が轟いた。
「夕立ね」
「この時期に、珍しいな」
「私、雨の中、歩けないんだよねぇ」
三人はそんなことを言いながらすごすごと家の中に逃げ込む。
だがしばらく様子を見てみても、雨は降ってこない。
不思議に思って外を見れば、あきらかに不自然な空模様。
幻想郷の奥の一部…さらに言ってしまえば、紅魔館の辺りにだけ豪雨と雷が落ちていた。
「…困ったわ。あれじゃ帰れないじゃない」
あまり困った風ではなくレミリアがぼやく。
「あんたを帰さないようにしたんじゃない?」
ここ数日で、レミリアの性格を嫌というほど思い知らされた霊夢がお茶を啜りながら呟く。
「いよいよ追い出されたな」
魔理沙は魔理沙で面白いものを見たとばかりに笑っている。
少しだけむっとした表情になりながら、レミリアは反論しようとする。
「あれは私を帰らせないようにしたというよりも、きっと――」
「おっと、そこから先は言わなくていいぜ。面白そうだから私が直々に紅魔館の様子を見に行ってやろう」
レミリアの言葉を遮り、魔理沙はじゃあな、と愛用の箒にまたがり飛び去ってしまう。
思い立ったが吉日。人の言うことなんて聞く耳持たないのは魔理沙のいいところでもあり、悪いところでもある。
まぁ、いいか。と呆れるように息をつき、レミリアはちゃぶ台の前に座って再びお茶を飲み始める。
「…ところで、さっきは何を言おうとしたの?」
魔理沙に先を越され、行くタイミングを逸してしまった霊夢がレミリアの向かいになるように座り、先ほどの続きを促す。
「あぁ、別になんでもないわ。私の家の周りだけ雨なのは、ただあいつが暴れてるからってだけでしょ」
「あいつ?」
レミリアの意味深な言葉に、霊夢は眉をひそめる。
なんだか雲行きの怪しい展開になりそうだ。
レミリアはお茶を飲み終えるまでは話す気はないらしく、目を閉じて味わうように飲んでいた。
霊夢も悪い話なら聞きたくないかなぁとか考えながら、お茶を啜る。
目を開き、湯呑みを置くレミリア。
「妹よ。私の」
「ぶっ」
しれっと答えるレミリアに、霊夢は口に含んでいたお茶を吹きだしそうになる。
「…汚いわね。服が汚れちゃうじゃない」
「冗談でしょ?」
「冗談じゃないわよ。ほら、ここに霊夢の唾液のついたお茶が…」
「じゃなくてっ!妹がいるってほうよ!」
「それも本当よ。あいつの名はフランドール・スカーレット。正真正銘私の妹よ」
霊夢の質問に、レミリアは淀みなく答える。
霊夢の険しい視線を受けてなお毅然とするレミリアに、霊夢は深くため息をつく。
怠けてはいるが、霊夢だって巫女だ。事の本質が見抜けないほど愚かじゃない。
レミリアは、本当のことを言っている。
「あんたは落ち着いてるけど…魔理沙は大丈夫なんでしょうね?」
運命を操る吸血姫の妹だ。その力も能力も桁外れに違いない。
魔理沙が一人で勝手に行くのはいつものことだからほうっておいたが、もしかしたらはやまった行動だったかもしれない。
「まぁ、大丈夫なんじゃないかしら。あいつの能力なんて別にたいしたことないし」
「あんたにたいしたことないって言われてもなぁ…」
「ただありとあらゆるものを破壊する程度の能力だもの、全然たいしたことないわっ(はぁと)」
「なんだ、その程度か…ておいっ!」
「ちなみに数日前、運命を操るはずの私が負けたのもあれのせいよ。どうやらあいつったら私たちの弾幕ごっこを見ていたらしくてね。手に汗握る弾幕ごっこについ力が入っちゃって、無意識のうちに「私が勝つ」という運命を壊しちゃったみたいなの」
「…ふん。その口ぶり、あんたはあんたで私に再戦を申し込む気かしら?」
霊夢とレミリアの間の空気が張り詰める。
魔理沙が危険だということで、霊夢にもだいぶ余裕がなくなっているみたいだ。とレミリアは苦笑する。
「そんなことないわ。私は、私自身の負けを認めているの。…だってあいつにできることは壊すことだけで、創り出すことはできないもの。それはつまり、私があなたに負けるということは一つの運命としてたしかにあったということ。私が勝つはずだったのに負けたということは、すなわちそういう運命だったから。私にすら計りきれなかった運命の元、私はここにいるのよ。……だから安心しなさい」
レミリアがそう言った瞬間に、霊夢から殺気が消える。
この順応こそ、彼女が博麗の巫女たる所以だな、とレミリアは思う。
「さて、と。長話がすぎたわね。そろそろ魔理沙があいつと対面する頃かしら」
「て、やばいじゃないのっ!あんたとくだらない話してたからあぁ、もうっ!」
「だから安心しなさいって。…魔理沙は私に傷をつけてなお生きている四人の内の一人よ。あんなやつに殺させたりはしないわよ」
慌てる霊夢と反比例するように落ち着き払っているレミリア。
わずかに唇を吊り上げながら、ぱちんと指を鳴らす。
霊夢が何事かとレミリアの方を見る。
「…お呼びでしょうか、お嬢様」
「おぅっ!?めめメイド長!?いつからそこにいたのよ」
自分の後ろから聞こえる聞きなれた声に、霊夢は驚いて振り返る。
そこには瀟洒に礼をしているメイド長、十六夜咲夜の姿があった。
「私が指を鳴らした瞬間から、よ」
「それまでは空間と空間のすきまに隠れていましたわ」
といっても隠れ始めたのはついさっきですけど、と咲夜。
「咲夜、館の状況を教えなさい」
「はい。今回は発見が早かったため、犠牲になったメイドは二桁を越えません。その隙にパチュリー様が魔法で雨を降らし、先ほどまで妹様の相手をしておりました」
「先ほどまで…ということは、もう魔理沙は着いたのね」
「はい。現在魔理沙は妹様と交戦中ですわ」
呆然とする霊夢をのけ者に、二人は会話を進めていく。
「ちょ、ちょっとちょっと!わけわかんないわよ。なんでメイド長がここにいるのよ!ていうかレミリア、あんた何企んでるの?」
「何も企んでないわよ、失礼ね。…それじゃあ咲夜、館の周囲の時間をあいつにばれないようにゆっくりと切り離しなさい」
「思いっきり何かやってるじゃないのよ…」
「まぁまぁ、霊夢。お嬢様にもお嬢様なりの考えがあるんですから、少しは黙ってみてなさい。…と、完了しましたわ」
いつのまにかレミリアの隣に移動していた咲夜が、霊夢を宥めながら作業の完了をレミリアに告げる。
「咲夜、立っていると気が散るわ。とりあえず座ってなさい。それから館の周囲の空間の時間を出来る限り静かに、遅く進ませなさい」
すっと座る咲夜。
手には懐中時計を持っており、大事そうに胸で抱えている。
目を閉じて、数秒。
それから何事もなかったかのように目を開いて懐中時計をしまい、霊夢に向かってにっこりと微笑む。
「ところで霊夢。私も一応客人なんだけど、お茶はでないのかしら」
「…………はぁ、もうなんかどうでもいいわ。待ってなさい。今持ってくるから」
深く深く、当てつけのように深くため息をしてから湯呑みを取りに部屋を出る霊夢。
その後姿が見えなくなるのを待ってから、咲夜はレミリアに向かって呟く。
「霊夢は何も理解してないみたいですが、このままでいいんですか?」
「いいわよ、別に。恩を着せるわけじゃなくて、私はただあいつにも負けるということを思い知らせてやりたいだけなんだから」
「そうですか。それで、私が呼ばれたわけですね」
「そういうこと。私はこれからあいつの運命に侵入して気付かれないように操らなきゃいけないからね。霊夢の相手をしてる余裕は、正直ないわ。後は適当に誤魔化してはぐらかして霊夢の詮索する気をちりぢりになくさせちゃいなさい」
「かしこまりました。ならばこの咲夜、出来る限りご要望に応えてみせましょう」
「ふふ。そういうの得意だものね、咲夜」
笑うレミリアに、咲夜は苦笑する。
「お嬢様、それは褒め言葉になっておりませんわ」
「でもそんな咲夜が、私は好きよ?」
「はいはい、わかりましたよっ」
笑いあう二人。
霊夢が戻ってくる音がして、それで会話は終わる。
「あぁ…そういえば咲夜」
最後にぽつりと呟くレミリア。
「さっき本気で霊夢に頭を殴られちゃって、たんごぶが出来てるみたいなの。…これがうまくいったら、館に帰ってからでいいから膝枕をしてくれないかしら」
「………魔理沙を助けられたら、ですよ?」
「わかってるわよ。…ふふ、これで絶対に負けられない戦いになったわね」
霊夢が戻ってきて、これで完全に会話が終わる。
さて、霊夢のことは咲夜に任せて、自分もはやくあいつの運命に入り込むとしようか。
――フラン。あなたにも味わあせてあげるわ。
誰かに負けるという悔しさを。
・・・・・・そして、ふれあいというあたたかさを。