――――それは、角というには
……あまりにも、大きすぎた。
おおきく ぶっとく するどく
かたく ながく
そして
…禍々しすぎた。
――――それは、まさに
ロングホーンだった。
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吸血鬼夜紅 第二幕 狂骨のゆめ
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プロローグ.白と黒の祭のあと
ザザザザザザ…………
夜風に吹かれ、竹林の葉擦れの声が寂しげにざわめいていた。
―――寒い夜であった。
緑色の鉄格子に囲まれた空から、清浄な月光が漏れる。その何処と無く優しさを含んだ光は、身を寄せ合うよう
にして家路を急ぐ二人の人影を――檻の中の鉄鼠のように浮かび上がらせている。
暗い夜空に浮かび、下界を煌々と照らす白い水銀灯に監視されてるのは、髪の長い、小柄な少女たちである。
白ずくめの憔悴しきった少女は、先刻までの空元気を使いきり、今はぐったりともう一人の少女の背に身を預け
ている。
疲れ切った彼女を、壊れ物を扱うかのように大事に背負う、紺色のドレスを着た少女が、白い少女に囁いた。
「妹紅、起きてる? ――もうすぐ私の家に着くから、それまでの辛抱よ」
気だるげに背の少女が返事をした。
「………慧音。いつもすまないね…。私にもっと力が有れば、あなたにこんな苦労かけずに済むのに」
「そんな、苦労だなんて。これは私が…好きでやってることよ。だから気にしないで。
むしろ、妹紅にはもっともっと……甘えて欲しい。
先刻の戦いでは、碌な役にも立たなかった…不甲斐ないこの背中でよければ、だけど」
「いや、慧音。あれは――私と輝夜の、一騎打ちだったんだから。…もとより他者の介入は望んでなかったし。
それより、最後まで手を出さずに見守ってくれて……嬉しかった。
私のことを…信じて待っていてくれるひとが居る。すべてが終わって帰るべき場所が有る、ということ…。
だからね、慧音? ただ、それだけのことで私は――――――救われたんだから」
少し照れながら、妹紅は慧音に礼を言った。『ありがと、慧音』と。耳元で囁かれた吐息を受け、慧音のな
かで抑えきれぬ衝動が…暴風の如く巻き起こる。
「………妹紅、私は―――
不意に――ビクリ、と身を強張らせ言葉を切る慧音。
………――――
……――
…――
(なんだ、この気配は……!? 上空……近いな。)
唐突に禍々しい妖怪の気配を感じ、視線を彷徨わせる慧音。
満月で鋭敏になっている感覚を更に研ぎ澄ませ、妖気の発生位置を探る。
場所は――――
む、自分たちの進行方向……このペースだと、後五分もかからず遭遇してしまうな。
さて、どうするべきか。
今のところ、妹紅はまだ気づいていないようだし、相手の正体も判らぬうちは無闇に刺激せず、大きく迂回す
るべきか…?
いや、それでは回り道することを訝しく思った妹紅に感づかれる恐れが有る。
妹紅の負けず嫌いな性格であれば、たとえ力が枯渇している現状でも、立ち塞がる妖怪を前にして引くとも思
えない。
ならば、私が先行して………速やかに排除すべきであろう。
幸い、相手の妖気は禍々しさの割りにそれほど大きくも無い。しかも、今宵は…満月。
――いざとなったら、私の奥の手を出せば……。
「ねぇ、どうしたの? 慧音。いきなり押し黙っちゃって。私は―――なに?」
眠そうな目を瞬かせながら、妹紅が問うてきた。
「いや、なんでもない。ああ、そうだ。私は―――妹紅が生きて帰ってきてくれて、とても残念だよ」
「……え? なん、で」
「なぜなら………私のとっておきの牛肉が、餓鬼のように腹をすかせた可愛いお嬢さんに一切れ残さず喰らい尽
くされてしまうからさ。――こんなことなら、出し惜しみせずに独り占めしておけばよかったな」
彼女の吃驚した顔が、次第に笑みに変わる。そう、やはり彼女には………笑顔が似合うのだ。
「ふぅん、そういうこと言うんだぁ……慧音は。随分と食いしん坊なのね、そんなに食い意地が張ってると……
本当に牛になっちゃうわよ? その馬鹿でかい胸だけじゃなくて……お腹まで」
うしし、と意地悪そうに皮肉を言う妹紅。
「ははは、これ以上大きくなったら、さすがに妹紅や輝夜に悪いな。――うん、じゃあ……私の分までたくさん
たくさん食べて、頑張らないとね。も・こ・う」
「むむむ……生意気な。いつからあなたはそんなに傲慢になっちゃったのー。わたしは……悲しいよ?
それに、輝夜の洗濯板なんかと一緒にしないでよ。なんなら帰った後、お風呂で確かめてみる? 慧音」
な、なんんてことを……言うの、妹紅。普段ならいざ知らず、今夜のような満月の時にそんな冗談……
「ふふ、そうね……それもいいかな。覚悟は………いい? 妹紅」
容赦しないわよ? と含み笑いで切り返す。いや、実際それが本音なのだが…。
でも、今は―――
「それはそうと、妹紅。悪いんだけど……ちょっとばかり、此処で待っててくれる?」
「なに? どうしたの」
「いや……恥ずかしいんだが、その…………小用を、ね」
皆まで言わすな、と妹紅の追及をかわし、私は妹紅を地面に降ろし、あの気配の主の元へと駆け出した。
「3分…遅くとも5分で戻るわ。それまでそこで休んでいて」
「あっ、ちょっと……」
突然のことに唖然とする彼女を置いて、私の頭は既に戦闘の展開を予測する。
この妖気…否、魔力量ならば、出会い頭に強力なスペルの一撃で鎧釉一触、さほど時間を掛けずに始末するこ
とが可能だろう。
あまり妹紅を待たせて無用な心配を掛けたくは無い。……一気に、決める。
知らず知らずに、慧音の口元には……修羅の笑みが。
今宵の満月に加え、彼女の本性が――幻想郷に満ちるキの影響を受けているせいであろうか。
こんな恐ろしい鬼女と出くわした相手の妖怪こそ、いい面の皮であろう。
そう――
あくまでも、相手が普通の妖怪であれば…だが。
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Stage EX
聖魔の鬼退治
Crazy Long horn
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2.
彼女は―――魔法の森に向かった筈であった。
なのに、此処は人里に程なく離れた竹林の上空。眼下には満月の夜空を支配する、強大な紅の王者である自分
を突き落とそうと、無駄で無意味な抵抗を続ける竹槍の群れ。力が有り余ってる状態ならば、そのような不遜な下衆ども
は腕の一振りで灰燼に帰してやるのが、せめてもの慈悲というものである。だが……生憎先程の冥界での馬鹿騒
ぎで、体内の魔力は一時的に枯渇している。残念だが、それはまたの機会に取って置くとしよう。
それよりも、だ―――
「………まさか、ここまで魔力を消耗するとは…ふん、多少計算外だったわね」
人知れず慙愧の念に駆られいてる魔王がひとり。
彼女こそは、永遠に幼き紅い月―――レミリア・スカーレットである。
「魔法の森であの魔法使いどものどちらかから、栄養補給するつもりだったのに……こんな半端な所で転移の魔
力が尽きてしまうとは。せめて人里近くであれば、面倒が無くてよかったのだけど」
――やはりあの庭師から少しでも栄養補給しておくべきであったか。レミリアは取りとめも無く過ぎたことを
考えた。けれど、他の浅ましい吸血鬼どもと違い、素晴しく高い矜持を持つ彼女に後悔は似合わない。すぐにフ
ッと苦笑し、くだらない思考を地に投げ捨てて、これからのことを思う。
何はともあれ、栄養補給―――即ち、吸血が必要だ。
こうなったら、背に腹は代えられない。こんな寂れた場所に人がいるとも思えないが、これから出逢った幸運
な人間に、この高貴なる夜の王に血を吸われる栄誉を与えてやろう。ああ、ちょうどいい塩梅に、ノコノコと獲
物が来たようだ。私の赤い歴史の一部になる民草の血が。
レミリアの鋭敏な感覚――むしろ第六感は、余さず周囲の気配を感知している。
―――しかし……あれで隠れてるつもりなのか? もしかして……私、舐められてるのかな?
「さぁ、おとなしく出てきな。不意を衝こうとしても無駄だよ、尻尾が丸見えだから」
ガサガサガサ……
レミリアの言葉を受け、竹林の藪から一人の人間が現われた。
その人間は複雑な形の丈の長いスカートを履き、弁当箱のような奇怪な帽子を被っていた。
この私、レミリア・スカーレットを見てもなんら脅える事無く憮然とした口調で言葉を返す。
「………しっぽなど、出してない。変な言いがかりは止してくれないか。大して妖気も感じない程度の三下の分
際で」
な、なんですってー。よりにもよって、この紅魔レミリア・スカーレットに出会って、最初に掛ける言葉がそ
れ!?
「―――死にたいみたいね、人間……この私が誰だか知っての無礼かしら」
むむむ、余裕っぽく「フッ…」なんて哀れみの目なんかしてるし! く~~っ! ムカつく女だわっ。いくら
魔力が枯渇している現状では私の真のちからが判らないとはいえ、この優美な姿にそこはかとなく溢れるカリス
マ、気品、格が理解できないのかしら。これは、少々お仕置きが必要なようね……。楽には仕留めないよ、せい
ぜい後悔しながら死になさ
「終符「幻想天皇」―――いいからくたばれ、悪魔」
レミリアの思考を分断するかのように、先制されたスペルが発動し、彼女を襲う。
完全に不意を衝かれた形になった。へ? と見やると目前にはあの女から放たれた幾条もの光線が。
「ちょっ…まだ名乗ってないのにー! どうして人間はこうもせっかちなのかしら、死に急ぐのは良くないよ」
「ふん、生憎人間なのは半分程度なんでね。それほど知りたければ冥土の土産に聞くがいいさ、妖怪。
――私の名は慧音。人間と歴史の守護者、上白沢慧音だ!」
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知識と歴史の半獣
上白沢 慧音
Keine Kamishirasawa
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3.
白熱した光条が直進する。
慧音の取り出した符から、彼女のまわりに具現化した幾つかの使い魔。そのエネルギーの結晶からは防禦と攻
撃、まさしく攻防一体となった破邪のレーザーが景気良くぶっ放された。
大気を焼き焦しながら、空気中にも拘らずいささかも減衰することもなく、眩い死の投網は紅魔の嬢へと投げ
かけられた。
ジャッ…
不意をつかれ、背中の蝙蝠の羽をピン! と伸ばしながら、それでも彼女は冷静に迫り来る脅威を分析する。
「――光線系のスペルか。成る程、威力は申し分ない。もろに直撃されたら、今の私の防禦陣では防ぎきれない
かもね。ふふ……なんやかや言って、判ってるんじゃないの。この私が日光に弱い―――吸血鬼であることを」
優雅に身を躍らせぞくりとくる表情で微笑みながら、レミリアは直進するすべてのレーザーをかわし切った。
最小限の動きで、最大限の効果を。直撃する光条だけを瞬時に見極め、僅かに上体を逸らし身に纏う防禦陣を
ガリガリと削るスリルに、彼女は恍惚の笑みを浮かべる。
「アハハハハ、いい弾幕だわ。こんなに掠らせてもらっていいのかしら。実に爽快な光のシャワーねぇ」
愉快そうに小刻みにリズムを取りながら優美に踊る紅魔に、焦りの表情は無い。
むしろスペルを放ち、攻撃している側の慧音にこそ焦りが見え始める。
「………くっ(吸血鬼だと? 確かに悪魔系の妖怪だと思い、破邪の術式を展開させたが…当らないのでは意味
が無い。――いや、待て。吸血鬼? ……まさかな。もしアレがあの、幻想郷最悪の悪魔だとしたら、こんな程
度の対処ではありえない。噂に聞くアイツのやり方ならば、圧倒的魔力でスペルごと押し潰される筈だ。だとす
れば……次は)」
そろそろ終符の効力も切れる頃合であった。慧音は役立たずのスペルに早々に見切りをつけ、次なるスペルの準
備にかかる。
(馬鹿正直な軌道では、またいいようにあしらわれるのは目に見えている。ならば、変則的な――使用者本人に
も予測できぬ、この術式はどうか。一撃必殺、とはいかないまでも、とにかく弾幕を喰らわせて動きを封じ、一
気に高威力の切り札で防禦陣ごと刺し貫いてくれよう。)
不穏な笑みが慧音の口元に浮かぶ。
折りしも今宵は満月、ワーハクタクの真価が発揮される夜である。機を見て変身し、あの少女を……
「どうしたの、もう終わりかしら? まだまだ掠り足りないわよ。せめて2000グレイズ位は欲しいのに」
真顔で無茶なことをいうレミリア。グレイズとは弾幕に掠ることで防禦陣に溜まる、強者の証。無様な直撃で
は決して得られぬ甘美なひとときである。とくに増えたからどうこうなるものではないが、自らの格を高める効
果にグレイズが一役買うのも確かであろう。
「ハッ! 冗談じゃない。そんなに掠らされて堪るものか。名も知れぬ悪魔よ、お前の歴史ごと預けたグレイズ
を返してもらうぞ」
「……だぁからー、私の名は……」
「問答無用! これでも喰らえッ」
「うー、少しは人の話聞きなさいよぅ」
ヤバげな輝きを宿しつつある目。もはや…頭に血が昇った慧音に届く言葉なぞ、無い。もう妹紅のことも忘れ
てるっぽい。
「始符「エフェメラリティ137」――爆炎よ、踊り狂え!!」
叫びながらレミリアの前方から間合いを置いて、明日の方角へと駆け出す慧音。ハハハハハ、と笑いながら残
像をひく程度の速度で往復を繰り返す。駆け抜けた後からは、ぽこぽこと爆弾のような使い魔が残されていた。
――いくつも、いくつも。
「あらら、かなり逝っちゃってるねぇ…まぁ、咲夜ほどじゃあないけど」
暢気にその様を見て、どう料理しようか思案するレミリア。と――――ふよふよと漂う使い魔が、弾けた。
ばふん ばふん
ばふん ばふん
次々に時間差を置き弾ける使い魔。弾けた後にはぎゅうぎゅうに押し込められていた赤やら青の弾幕が。
ランダムに飛散する自爆使い魔は、まるで外の世界の紛争でよく使用される指向性地雷「クレイモア」のよう
な有様であった。クレイモアとは、内部に微細なベアリング状の鉄球をしこたま仕込んだ残虐極まりない兵器で
ある。爆発すると中の鉄球が飛び散り、柔らかい人間の体をズタボロに挽肉にする。人の歴史を知り尽くした慧
音のアレンジでそこまでの残虐性は鳴りを潜めてるが、無差別にバラバラと弾幕を撒き散らす迷惑極まりないス
ペルであることには変わり無い。
無軌道にレミリアを襲う悪意の塊。
「もう、いい加減にしなさいよ。いったい私がなにをしたっての」
これからするつもりだったけど、と皮肉げに呟きながら、レミリアは弾幕の嵐に逆らう事無く、木の葉のよう
に華麗に舞う。押してくる弾には押してきた分だけ退がり、引いて行く弾には引いて行く分だけ詰める。力押し
だけが私のやり方ではないのよ、といわんばかりの美しい動作。まさに貴族――高貴な姫君のダンスのよう。
(ぐはぁ、なんで全部避けるのよ。……おかしいわね、予定では弾幕で動きを封じられたあいつに駄目押しの
スペル喰らわせて、とどめに私の「 」で刺し貫く筈だったのに。うむむ……兎に角、次よ!)
「まだまだぁ! 国体「三種の神器 郷」――剣、勾玉、鏡よ! 我が愛国心に報いたまえ!」
幻想郷の人間を愛する慧音。その行き過ぎた過保護っぷりが遺憾なく発揮された。
「ふん、おとなしく今のでやられてれば良かったものを。お前なぞに人間――妹紅は好きにはさせん!」
思い出したかのように正気に戻る慧音。満月の彼女は少々情緒不安定な所があるらしい。
「愛国心…ねぇ。戯言を。自らに絶対の誇り、矜持を持てない平民や下賎な貴族どもの言い訳……虫唾が走るよ」
なにか嫌なことでも思い出したのか、レミリアは不機嫌に呟く。ふと彼女は手の平に満ちる紅き波動を感じる。
「ほう……少しは回復してきたようね。だが、まだこの程度では全然足りんな。
…ふふ、まぁいいや。とりあえず――」
迫り来る三種の神器を模した弾幕。弧を描くように敵を押し潰さんとする大玉、楔状の無数の暗剣、その合間
を踊るように使い魔が更なる弾幕を吐き出す。
「つまらん芸だね、慧音とやら。いい加減ウンザリしてきたよ。このままその剣舞の中心にある死角に飛び込ん
で、グレイズを稼ぐのもいいけど……飽きてきちゃったな。そうね……一撃よ、無駄の多い貴方の弾幕を破るに
は、この一撃で充分」
不敵に呟きながら、レミリアはふわりと片手を掲げ、悪戯っぽい微笑みを浮かべた。
片目を瞑り、慧音を視界に納め、僅かな魔力を練り上げつつ掲げた片手を後方に振りかぶる。
――そうこうしているうちに、レミリアのもとへと様々な属性を宿した弾幕が殺到しつつある。が、彼女は微
塵も恐れず動作を続けた。
「真に貴きは、雑多な色ではなく……シンプルな色よ。生命の色、死人の色、原初の色、最果ての色」
ウインクするように閉じられた目蓋の裡には、彼女の象徴たる色が根源の渦より湧き上がる。
そう、それは、即ち―――
「我が紅き魔力の欠片よ、千の鏃となりて集結し、眼前の愚か者に下す断罪の槍となれ」
振りかざす手の内に長く、鋭い幻想が具現する。
「紅魔レミリア・スカーレットが命ずる。真紅の槍よ、目の前の雑種を討ち果たせ」
尋常ではないプレッシャーを感じ、悪寒に身を震わす慧音。
(紅魔……な、なんだってー! まさかあの、スカーレットデビルなのか!? まずい、拙いぞ、早く真の姿に
戻らねば! 力を温存したままやられてしまっては、いい面の皮だわ。妹紅を守ることも出来ないじゃない!)
慧音は焦りながら、精神を頭上――ありえざる器官に集中する。いかに相手が強大であろうとも、この「 」に粉
砕出来ぬものなど―――
「死にな。『上白沢慧音』―――魔槍「スピア・ザ・ゲイボルグ」
――紅き雷閃。
もの凄まじい速度でその槍は放たれた後、狙った獲物を刺し穿つ。
一切の逃げ道は無く、確実に。
血のような紅は、赤光を撒き散らしながら、レミリアの手から解き放たれた。
……
……
ゲイボルグ。アイルランドの英雄クー・フーリンの愛槍、影の国の女王スカアハより賜りしそれは、ひとたび放
たれると穂先より無数の鏃を撒き散らし、戦場を紅く染め上げたという。その伝承を基にして編み出された、運
命を操る程度の能力を持つレミリアが放つ真紅のスペル――魔槍ゲイボルグ。
それは「少ない魔力で最大限の効果を」とのコンセプトであり、普段は使用することもない。これは、いざとい
うときの為に備えて温存している魔のスペルである。
その効果は―――
……
……
「く……鏡よ! 勾玉よ! 剣よ! その槍を、打ち払え!!」
慧音の号令を受け、レミリアに向かっていた弾幕群は、一斉に疾駆する魔槍の元へと向かう。
鏡はその身を盾にして。
勾玉は連なる本体ごと取り付き、槍の軌道を妨害する。
剣はざぁぁああ…と嵐のような剣舞を舞い、穂先ごと槍を叩き落とさんとする。
だが
槍の形は見せかけに過ぎず、その本質は――実体の無い呪いに近い魔槍「スピア・ザ・ゲイボルグ」
その呪いは狙った相手の本質を示す『名前』に導かれ、確実に心臓を貫く。
紅き運命の糸から、逃れる術は――――――皆無。
あらゆる妨害を紅霧となってすり抜け、槍は慧音の元へと差し迫る。
慧音の運命は風前の灯火。
―――頭上にて白く輝く満月は、ただ静かに戦いの行く末を見守っていた。