Coolier - 新生・東方創想話

中有に少女達のアルカディア (7)

2005/02/05 07:01:50
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  -13-

 重苦しい沈黙に支配されていた広間の静寂を破ったのは、重厚な扉の開く音によってだった。

 パチュリーの小柄な姿が戸口に現れると、
「どうだった?フランドール様のご様子は。」
 と、咲夜は開口一番に尋ねる。
 パチュリーは即答せずに広間を見渡し、小悪魔の姿を確認すると、安堵の息をついてやっと口を開いた。咲夜の剣幕から、今頃は酷い目に合っているのではと心配だったのだろう。
「…外傷は無いわ、気を失っているだけよ。暫くすればお気付きになるでしょう。」
「そう、それは何よりだわ。でも──。」
 咲夜はパチュリーの報告を事務的にを聞き流すと、
「これは明確な反逆よ!!」
 と、怒気をはらんだ強い口調でそう言い、手の平を机に叩き付ける。
 咲夜の後ろには、ソファーの上で胡坐を組んで座り、頬杖を突いて興味なさそうな眼差しを向けるレミリアの姿があった。
 椅子に座らせられていた小悪魔は、やや顎を引いて憮然とした表情で咲夜を睨み返す。
 逆に、脇の机に座らせられているメイドの少女二人は、肩を竦ませて自分たちのリーダーと小悪魔の姿を交互に見やった。図書館に居合わせた二人は、当事者としてこの場にも引っ張り出されていたのである。
 壁際には、腕組みをして壁に寄り掛かっている観月が、無表情で一同を見守っている。
「お言葉ですが、咲夜さん!私は反逆などとは思っていません!」
 小悪魔が毅然とした態度でそう言うと、咲夜はより一層表情を険しくした。
「お嬢様の妹、フランドール様に刃を向けた行為が、反逆でなくて何だというの!」
「図書館の秩序と安全を守るためには、館内での交戦は私に認められている権限の筈です!」
「権限?秩序?──はっ!…そんなものは、この館の主であるレミリアお嬢様、妹君のフランドール様にはまったく意味をなさないわ。」
「例外があったのでは秩序は守れません!!」
 その言葉に、咲夜は目を細めて冷笑じみた視線を投げかける。
「…邸内での権限とは、お二人によって与えられるもの。秩序とは、お二人の価値基準と判断に基づくべきものと知りなさい。」
 小悪魔の奥歯が鳴る。

「私はパチュリー様に召喚された身です!レミリア様、フランドール様にお仕えしているわけではありません!!」

 小悪魔が決定的な一言を宣言すると、勢い良く立ち上がった拍子に椅子が倒れた。
 パチュリーが頭を抱える。
 二人のメイドは”あちゃ~””あーあ、言っちゃった…”といった表情。
 観月は口を手で押さえて含み笑い。
 レミリアは、その言葉にも全く興味なさそうに、眠そうな視線を送るばかり。
 そして咲夜は、頬を引きつらせると、身も竦むような殺意の漲った視線で小悪魔を睨み付けた。
 まさか本当に言ってしまうとは、誰もが思っていなかったに違いない。
「…それ以上言うと、この場でその素っ首を叩き落してやるわ。」
 咲夜が腕を振り上げ、その手に何時の間にか収まっていた銀の刃が煌く。流石の小悪魔も、その威嚇には言葉を発することができずに押し黙った。

「…で、私は何のためにここに呼ばれたわけ?」
 張り詰めた空気を破ったのは、場の雰囲気に全く合わない、レミリアのつまらなさそうな一言だった。咲夜が振り向くと、ちょうど欠伸を噛み殺して眠そうな眼差しを向けるレミリアと目が合う。
「反逆者への処罰について、ご裁可を。」
「…そんな事言われても、反逆者への罰なんて今まで決めたことがないから分からないわ。」
 全然興味なさそうなレミリア。咲夜はそれに構わず続ける。
「それは当然です。邸内のメイド達ははお嬢様に血肉を捧げた身。反逆など前例がありません。」
 咲夜の厳しい表情から逃げるように視線を逸らすと、レミリアはソファーの上で足を組み直す。
「そうは言うけど──咲夜、あなたは私が拾った。観月も拾った。そこのメイド二人は私が人間から貰ったもの。だから、私の所有物。」
 至極単純明快に、自分とメイド達との関係を示した図式を口にすると、レミリアは再び膝に頬杖を突き、小悪魔に視線を向ける。
「…でも、その子はパチェが呼び出したんだから、私のものじゃないわ。反逆は当てはまらないんじゃないのかしら?」
 唖然としてレミリアを見やる咲夜。
 興味を引く対象と、そうでない者への態度の差が激しいのは何時ものことだったが、今日のレミリアはいつにもまして無興味な態度である。ほとんど突き放したと言っても過言ではない。
 反対に小悪魔は顔を輝かせる。
 レミリアの一言は、間接的に小悪魔が彼女の従者ではないという意味合いを持っている。これで咲夜の言葉はその拠り所を失い、小悪魔の主張はたった今、ここ紅魔館における公式な立場として認められたのである。
 脱力して、椅子にへなへなと崩れ落ちるパチュリー。
 観月はというと、今度は口を押さえて押し殺した笑いを漏らしていた。
「…それに、私は当事者じゃないんだから、聞いた話だけで決めろって言われてもね。」
 笑っている観月を横目で見ながら、頬を掻いてもっともな言い分をそう付け加えたレミリアは、それに面倒臭いし、という部分だけ飲み込んだ。
 今の言葉がレミリアの本音で、先ほどの言葉は小悪魔の主張や言い分を吟味した上で出した結論ではない。
 いや、本音という点では間違ってはいないかもしれない。何気なく言ったように聞こえたが、結局のところ、そこまで深く考えて明確化しなければならない問題だとは、レミリア自身には思えなかったのである。

 それは冷淡な態度と取ってもいいかもしれないが、多くの者には──特に、館のメイド達は全員──そうは映らないだろう。
 その無関心ぶりは、今この場を支配していた刺々しい雰囲気を和らげ、その子供じみた投げやりで興味なさそうな態度は、姿を変えて誰かに優しく届く。
 彼女だけが、その事に永遠に気が付かない。
 レミリア自身にその気はなくとも、咲夜の面子を潰さずに小悪魔を助ける、誰にとっても最良の選択と結論が下されたのだ。

 ──いや、もうひとつ問題が残っていたか。

「それならば、当事者のフランドール様に御裁可を仰ぐ、ということでいかがですか。──レミリア様。」
 ずっと黙っていた観月がそう言いながら歩み寄ると、レミリアは一瞥し、ちょっと考え込んだがすぐに笑顔で答えた。
「ああ、そうね。観月の言う通りだわ。…あの子に決めさせなさい、咲夜。」
 面倒臭い事から逃げられてこれ幸い、という思惑が手に取るように分かりそうなものだが、もちろん誰もそんなことは口に出さない。
「ちょっとお待ち下さい、お嬢様!」
「…裁可はフランドール様に委ねるとのレミリア様の上意だぞ、咲夜殿。」
 そうたしなめる観月と、咲夜との目が合う。観月の口許に張り付いた不敵な笑いには、もうそれ以上言っても無駄だという思いが読み取れた。
 それは当然の事だ。他でもない、レミリアの決定である。
 ふん、と鼻を鳴らし、小悪魔から顔を背ける咲夜。

 その時だった。
 広間の扉が蹴破られたような凄い勢いで開く。
 一斉に皆の視線が集中すると、その先には真っ赤なドレスの少女が怒ったような表情で立っていた。

「フランドール様!──お身体の方はよろしいのですか?!」
 そう問い掛けた咲夜を完膚なきまでに無視すると、フランドールは大股で小悪魔に歩み寄る。
 思わず後退りする小悪魔。
 図書館での件もさることながら、この少女は他人の諫言など聞く耳持たないのは先刻承知である。レミリアが小悪魔の立場を公に認めたとはいえ、裁可はフランドール自身に委ねられたのだ。
 図書館での一件の再現になれば、部屋の中の者はただでは済むまい。
 パチュリーが思わず立ち上がり、ドレスのポケットに忍ばせているスペルカードに手を掛ける。
 小悪魔の側まで来ると、そこで立ち止まるフランドール。
 恐ろしく不機嫌そうな表情だ。
 小悪魔も、思わず身構えようとする。

 だが、次の瞬間、フランドールは満面の笑顔になると、小悪魔に飛びつくようにその身体を抱きしめた。

「あははーっ!すごい!すごいよー!!」
 笑いながら小悪魔の胸に顔を埋めて頬擦りするフランドール。
 唖然として見守る一同。
 そして、当の小悪魔はといえば、もう目を点にして呆然とするばかりで、真意の掴めないフランドールの奇行に、どういうリアクションを取ったらいいのか皆目見当がつかない。 
「スペルカード使えたんだね!それにすっごく強いし!ね、ね、もっと遊ぼうよ!!」
 そう言って後ろに一歩跳ぶと、フランドールが手首を翻す。
 咲夜のお株を奪う手品のように、その手に現れる真紅のスペルカード。華麗な手つきで指を振ると、七枚のカードが広がった。
「ね?お気に入りを全部持ってきたよ!もっと遊ぼうよ!!」
 はにかんだように、僅かに首を傾げて極上の笑顔を向けるフランドールは、この上なく楽しそうだ。
 反対に、血の気を失って今にも倒れそうな小悪魔。微かに頭を左右にふるふると振り、唇を震わせて何か言おうとしているのだが、言葉らしい言葉が出てこない。
 あれほどの苛烈な魔法を生むカードが七枚あれば、七層の地獄の底まで旅立てるに違いない。

 さて、途方に暮れた時にはどうするか。そういう時に取るべき行動は二つに一つ。
 一つは、寝る。
 そしてもう一つは──走る。

 ここで、彼女はその驚異的な身体能力を限界近くまで存分に発揮した。
「わ、私は用事が残っていますので、これで失礼させて頂きますっ!!」
 一瞬で、フランドールの前からその姿が消え失せると、開けっ放しの扉まで僅かに二完歩で到達。回廊の床を鳴らして九十度方向転換し、全速力で回廊を疾駆する小悪魔。

「ああ!ちょっと待ってよ~!もっと遊ぼうってば~!!」

 心の底から残念そうな非難の声を上げながら、フランドールがその後を追って飛んで行った。

  -14-

 ソファーの上で胡坐を組んで座り、その膝の上で頬杖を突いていたレミリアは、大きく嘆息してから立ち上がる。
 赤い絨毯の上に歩を進めると、四人のメイドが直立して一斉に畏まって一礼した。ここまでの経緯を考えると、レミリアの意図を汲んだにしては、それはいかにも不自然な行動だ。
 それを一瞥し、さらにほとんど放心状態に近いパチュリーに憐れんだような眼差しを向けるレミリア。予想外の出来事と、さらにそれを超える予想外の顛末に、さしものパチュリーも精神的に耐えられなかったのだろう。
「…どちらに行ったか、賭けましょうか。」
 おもむろに、意外な言葉を口にするレミリア。人を見下したかのような表情だったが、そこに悪意めいたものが感じられないのは不思議である。むしろ、何かの謎かけのような、言葉遊びめいた思惑が感じ取られた。
「それは面白いですね。では私は西回廊に、飛び切りの紅茶を賭けますわ。」
 咲夜が目を細めながら応える。
「些か変わった趣向ではありますが…。では、私は東回廊に、今年の新酒を。」
 さして興味の無さそうな口振りながら、不敵に笑いを浮かべて観月もそう応えた。
「…それじゃ、私は中央回廊に。」
 そうレミリアが口にした途端、遠くから爆音のような響きが微かに聞こえて来る。
「…中央回廊のようです。お嬢様の勝ちですね。」
 にっこりと笑う咲夜だったが、レミリアはそれに何ら反応を示さなかった。有能な従者たちとの間で、言葉を介さない意思の疎通があった事は間違いない。
 物憂げなレミリアの横顔には、肯定とも否定とも取れない、あるいはその両方とも取れそうな表情が浮かんでいた。
 そして、やおら黒い翼を翻すと、
「──ふん。…とんだ茶番だったわ。お酒はいらないから、紅茶だけ部屋に持って来て頂戴。」
 とだけ言い捨てるように呟き、二、三度手を振って、館の支配者は広間を出て行った。


「さて…。咲夜殿としては、筋書き通りといったところかな。どうだ?」
 観月が笑いながら咲夜の肩を叩くと、振り向いた彼女は穏やかな笑みを浮かべ、もういつもの咲夜に戻っていた。
「まあ、この辺りで良しとしましょうか。いつから気付いていたの?」
「そりゃ気付くさ、これでも貴女の補佐の任に就いているわけだしな。図書館での殺気は本物だったが──外れたのではなく、外したのだからな。その証拠に、次は全部綺麗に外した。」
 観月は、最初に咲夜が見せた、フェイントからの移動攻撃の事を言っているのだ。それを、小悪魔が避けたのではなく、咲夜がわざと外したのだと。
 それは裏を返すと、本気だったら全部当てることもできた筈だ、という意味である。
「ふふ、レミリア様も人が悪い。──わざとだな、咲夜殿?あの子が図書館に戻るなら、西回廊より中央回廊の方が早かろう。」
「──そういうあなたこそ、東回廊より中央回廊の方が、天井が高い分だけフランドール様がお遊びに興じるには向いているのではなくて?」
 腕組みをしながら不敵に笑う観月に、片手を腰に当てて曖昧な笑みで応える咲夜。
「ちょっと待って!まさか、わざとだったの?!」
 慌ててパチュリーが駆け寄ると、二人を交互に見やった。身長差があり過ぎるので、二人を見上げる格好になってしまうのは仕方がない。
 そのおかげで、二人は子供に諭しているかのようにも見えてしまうも仕方のないところだ。
「私よりずっと年上なのに、勘が鈍いのね。」
 咲夜が皮肉混じりにそう言うと、傍らの二人のメイドの少女がくすくす笑うのが聞こえた。
 それは、小悪魔を殺すつもりなど最初から無かったと言っているのも同然だ。
 小悪魔とフランドールがどっちに行ったのか賭けたのは、レミリアは自らの忠実な従者たちが本気で小悪魔を断罪するつもりだったのかどうか、それを確かめたのだ。
 いや、今にして思えば、レミリアがまったく興味なさそうだったのは、最初から気付いていたのかもしれない。最後に言い残した『茶番だった』という言葉が、それを示しているのではないか。
 要するに、咲夜の行動は全部が全部芝居だった上、フランドールが怒るどころか喜ぶことも計算ずくだったのである。
 気付いていなかったのは、パチュリーだけのようだった。
「…だからって、どうしてそんな真似したの?!」
 パチュリーが詰問口調になる。
「…さて、どうかしら。頭に血が上って思わず強くやりすぎたけど──。」
 僅かな沈黙。
 言葉を選んでいるのか、咲夜の眼差しはどこか遠くの景色を眺めているように見えた。
 やがて、呟くような言葉がその口から漏れ出でる。
「…お嬢様が──好きだから、かしら。」
 臆面もなくそう言った咲夜だったが、その真意を掴み切れずにパチュリーは眉をひそめる。
「偏愛と呼ばれても構わない──。私は、あの子にもそれを望んでいたのだけど…。でも、駄目ね。」
 咲夜はそこで言葉を区切って苦笑した。
「あの子は──パチュリー、あなたのことが大好きですもの。きっと、あなたの為に命を投げ出すわ。」
「な、何を──。」
 パチュリーは言い淀み、らしくもなく顔を赤らめる。
 それを否定する材料が見つからない。小悪魔が、レミリアにも、フランドールにも、面と向かって楯突く度に出した名前はパチュリーだったのだから。
「…私は、お嬢様の為に死ぬわ。そして、観月──。」
「…ああ、私はフランドール様の為に死ぬだろう。」
 二人は笑い合った。
 それは、図書館で小悪魔と会った少女が見せたように、晴れやかな笑顔だった。 

 咲夜は、小悪魔の少女にも咲夜自身と同じような絶対の服従を望んでいたのだろうか。
 図書館での一件は、正当な理由があったにせよ、フランドールに攻撃を仕掛けた小悪魔に対する制裁としては度が過ぎていた。
 それを踏み台にして、立場的に曖昧な小悪魔にレミリア・フランドールの両名に対する服従を強いるのが本来の目的だったとするならば、咲夜の弁は些か矛盾している。
 結局、フランドール自身がその程度では怒らないことは前もって予測していた範囲内だったのだから。
 レミリアが好きだから、という理由はもっともらしく聞こえるが、咲夜が口にしたからこそ説得力を持っているのではないのか──。
 それに、咲夜には考える時間がいくらでもある。瞬きする程度の時間でも、彼女にとっての時間は永久そのものだ。
 例えば、気を失って墜落するフランドールを抱き留めた時も、周囲の者にはすぐにその体を横たえたように映ったが、実際には容態を調べて無事を確認していたのかもしれない。

 咲夜は最初から、小悪魔はパチュリー自身の部下であり、レミリアに仕えているわけではないと明白にしたかったのではないか?

 少し俯いて、自分の唯一の部下である少女の笑顔を思い浮かべるパチュリー。
 それは、死をも厭わない、紅い悪魔の忠実な従者たちによく似ていた。
 でも──。
 でも、咲夜を始めとするメイド達は、どうして死を恐れないのか。どうして、あんな微笑みを浮かべながら死という単語を口にできるのか、パチュリーには理解できない。
 それに、死を知らないが故に生死の概念そのものが希薄なレミリアに、限りある生を捧げてまで仕えるメイド達は、ひどく悲しげな生き物のように、パチュリーには思えて仕方が無いのだ。
 だから──。
 だから、パチュリーはどうしても小悪魔に他人行儀な接し方しかできないのである。
 ただ雑用を手伝わせる為に、異世界から召喚した小悪魔が、そこまでパチュリーに献身的に仕える理由がよく分からない。
 それは、メイド達と同じく、なぜかひどく悲しげに映るのだ。


「理解できないわ。──レミィとあなた達では、住む世界が違いすぎる。いつか死を迎えるあなたたちと違って、レミィにとっての死は滅びを意味していないもの。」
 二人っきりの時にしか使わない筈の愛称で、館の主の名前を呼んだパチュリー。住む世界が違うという点を強調するために、あえてそう言ったように聞こえる。
 だが、咲夜は軽く嘲るように笑い飛ばした。
「…馬鹿ね、お嬢様が私達のことを気にかけてどうするの。私たちの誰かが死んだら、お嬢様は悲しむかしら?──だとしたら、お嬢様の時間は悲しみで満ちてしまうわ。」
 当然、レミリアの尺度で捉えるとするならば、人間の一生など取るに足らない時間だろう。これまでの五百年もそうだったし、そしてこれからも、彼女の眼前には永遠とも思える時がずっと続いているのだから。
「お嬢様はお優しい方だから、私達の事なんて気にも留めないわ。ただ、少しばかりの退屈凌ぎになっていると良いのだけど。」
 居心地悪そうにパチュリーは顔を背けた。
 この館に世話になって随分経つが、どうもここのメイド達とは相容れない事が多い。
 自分達のかけがえの無い一生を、レミリアの感覚に置き換えて比較対象にし、そんな軽い捉え方をしてしまうあたりが理解できないのだ。
「…パチュリー殿には分かるまい。我らは生きてもいないし、かといって死んでもいない。──もう過去は捨ててきたんだ。」
 観月の笑顔が目に入る。
「私たちはお嬢様に名前を頂いた時に、新しい命を貰ったの。だから──もともとは、お嬢様のものですもの。」
 咲夜が子供に言い聞かせるようににっこりと笑う。
 レミリアに拾い上げられた命。
 自分の所有物だと言い放ったレミリアの言は、彼女のずれた感覚がもたらした偏った捉え方ではなく、メイド達の胸中を汲んだ上で双方の立場を最も正確に表した言葉だったのだ。
 どのような形であれ、これまでの生き様の全てを捨て、さらに誰かに命を預けている感覚とはどのようなものなのか。
 咲夜も、他のメイドも本心でそう言っているだろうが──いずれにしても、理解しようとする努力は徒労に終わることが明白なようだった。
「…まあいいわ、これ以上話しても無駄ね。」
 パチュリーは二人の顔を交互に見て溜息をつくと、苦笑する。理解できないものは、無理に理解しようと努力するのではなく、それを受け入れる事も時には必要なのだ。
「でも…私と、あの子もそれと似ているのかもしれないわね。」
 そう呟き、小悪魔の事を考えるパチュリー。過去は穿鑿しないでおくべきなのだろうが、彼女にも捨てたかった過去があったのかもしれない。

「それなら、あの子に名前を考えてあげたらどう?きっと喜ぶわよ。」
 意外な提案に、パチュリーは驚いて咲夜を見返した。だが、すぐに目を逸らす。
 確かに、もともと位階の低い悪魔なので名前を持っていない彼女だったが、先程のやり取りの後で名前を考えろと言われても、躊躇するなというのが無理だ。
 たった今、館のメイド達と小悪魔の少女とが似ていると思いを巡らせたばかりなのだから。
「それは──できないわ。」
 できないのではなく、本心を言うと怖いのである。小悪魔がメイド達と同じような考え方でいるのだとしたら、名前を与えることは彼女に大きな枷を与えるような気がしてならないのだ。
「そんな事言わないで、あの子にもっと優しくしてあげてもいいんじゃないの?」
「私は、あなた達のように誰かの命を握ることなんてできないわ。──あの子も、時が満ちれば元の世界に帰るかもしれないし。」
「それは考えすぎよ──。でももし、その時が来るとしたら、それは多分生まれ変わる時でしょうね。」
 パチュリーは顔を上げ、急に笑い出した。
「…どうも、この館は人里離れた場所に建っているせいか、そういう風にこの館が世界そのものから切り離されていると思う人が多いようね。」
「というと?」
「…あなたのずっと前のメイド長も同じ事を言っていたわ。自分はもう死んで、次に生まれ変わるまでの間、この場所で世話になっているって。」
 異世界の宗教観に、そういう考え方がある。
 死後、転生するまでには移行期間のようなものがあるというのだが、それに照らし合わせると、ここ紅魔館は白玉楼とよく似ているかもしれない。白玉楼も、本当に死んで眠りについた者が行くべき場所ではないのだから、正確には冥府と現世の中間のような場所なのだ。
「…現世と幽冥との間の事を中有と呼ぶけれど──。」
 宗教とは、外の世界の知識のひとつとしてしか知らないが、価値観の解釈としては興味深い点も多い。
 死んだ筈なのに、白玉楼の住人は何故か陽気で明るい者が多いのだが──意外に、自分の生死の観念のほうがここでは相容れないのかと、パチュリーは目を伏せ、今度は皮肉っぽく笑った。
「…そうね、あの子にも名前くらい考えてあげようかしら。」
 小悪魔も、かつてのメイド長が言い残したように、別な世界で別の新しい生を受けたと思っているのかもしれない。

「まーた小難しいこと考えていたんでしょ?そうじゃなくて、私は名前が無いっていうのはいくらなんでも可哀想だって言いたいの!!」
「パチュリー殿とあの子とは、同じ時間を共有できる筈だぞ。もう少しお互いに理解し合う事が肝要ではないのか?」
「副長!なんか言い方がいやらしいです!」
「パチュリーはお嬢様にお仕えしているのではなく、当館のゲストですからね。」
「…私は、我々とレミリア様のような間柄ではないと言いたいんだ。言い方が悪いが──二人とも我々人間とは違うのだし、年の取り方も違うだろう。」
「まあ、小悪魔さんもひょっとして私たちより年上ですか?」
「うーん、パチュリーが召喚した時からちっとも変わっていないから分からないわ。もともといた世界の時間の流れ方が、こちらと同じとは限らないし。」
「見た目と精神年齢とは相応の筈だが…。しかし、レミリア様、フランドール様と同様、実年齢と釣り合っているとは限らないしな。」
「副長!なんか物凄く失礼なこと言ってませんか?!」

 何時の間にか勝手に盛り上がっているメイド達。
 主と違う時間の流れの中に生きていながら、それを共有しようとする彼女達は、時の流れに取り残されたようにも思える。

 パチュリーはもう一度、今度は優しく微笑を浮かべた。

  -15-

「しかし…悪かったな。本来なら私の役目なのだが、結局のところ貴女ひとりが悪者になってしまって。」
 他愛の無い話が一段落したところで、観月がそう言いながら肩を竦める。当事者──つまり、今この部屋にいる者以外には、事の顛末がそういう風に映るであろう事は想像に難くない。
「別に構わないわ。フランドール様の筆頭侍従であるあなたが泥をかぶるようだと、立場的にギクシャクするしね。──それに、綱紀粛正にも丁度良かったし。」
 先日のように、メイド達に軽んじられている雰囲気を、やっぱり咲夜自身は快くは思っていなかったらしい。
「綱紀粛正?…ふふ、右翼部隊にそんな言葉が出るようでは、左翼部隊はたまらんな。こちらの連中は、フランドール様に立場を弁えない接し方をするからな。」
「左翼部隊はそれ位でいいのよ。…フランドール様に必要なのは、忠実な従者ではなく、頭を撫でてくれる人ですもの。」
 その言葉に、観月が傍らのメイドの少女二人に目をやると、揃って苦笑しているのが目に入った。
 観月が言っている者たちにはその二人も当然含まれているのだが、メイド長である咲夜に公然と認められたのである。
「しかし──どうかな、咲夜殿。」
 意味深な言葉と笑いを浮かべると、観月は音もなく壁際に歩み寄る。
 その先には、控えの間へと続く扉。
 気配を断って、正面に立たないように扉に近寄ると、観月はノブに手をかけて開けると同時に飛び退るように離れた。
「わああっ!!」
「きゃあっ!」
「あー!痛い痛い!」
 途端、いきなり扉を開けられたので、反対側にいた三人のメイドの少女が折り重なるように広間へと倒れこんで来る。
 どうやら、揃って盗み聞きしていたようだ。
 そしてその後ろには、首筋に二枚の絆創膏を貼った少女が、途方にくれたような表情で立ち尽くしている。
 いや、そればかりか、控えの間には夜勤のメイド達がほぼ全員集まっていた。

「──で、綱紀粛正がどうしたって?咲夜殿。」
 観月が意地悪く笑いながら皮肉ると、咲夜は盛大な溜息をつき、誤魔化すように曖昧な笑いを浮かべる三人のメイド達を見下ろした。
 その顔は別段怒っているという風ではなく、どちらかというと呆れ顔だ。
 どれほど息を殺して潜んでいたところで、咲夜ほどの者が隣の部屋にこれだけの人数がいて気が付かないわけがないのだから。
「…聞いていたなら話は早いわ。至急、内勤の警備部隊を中央回廊に集めなさい。回廊の両側を封鎖して、蟻の子一匹通さないように。」
 隣室で盗み聞きしていたことを追及することもなく、咲夜は事務的に指示を出す。最初からそれも予定の内であったかのように。
 三人はぱっと跳ね起きると、観月の真似をしたのか、二本指を額に当てて敬礼のような仕草でそれに応じた。
「ら~じゃ!警備部隊、完全装備で中央回廊に向かいます!!」
 変わり身の早さと調子の良さ、そして無茶苦茶な言葉遣いと態度に、咲夜はまたしても盛大に溜息をついて苦笑する。綱紀粛正などと言っても、それが無駄に終わるというのも予定の内だったのかもしれない。
「馬鹿ね、軽装で構わないわ。別に邀撃戦をやるわけじゃないのよ──フランドール様のお遊びを邪魔するなと言っているの。」
 その言葉に、三人の少女はちょっと驚いたような表情を浮かべる。
 と、そこへやや年配のメイドが後ろから割って入ってきた。
「ごめんなさい、メイド長。──実はシフトの変更があって、警備部隊は清掃班の支援に加わることになったんです。」
「あら、そうなの?それは聞かされていなかったわね。」
「部隊長殿が急に非番になったものでね──。咲夜殿には報告が遅れたが、構わないだろう?どちらにせよ、隊長が不在では朝の教練は中止するしかないから、手持ち無沙汰だしな。」
 年配のメイドの後に続けて、今度は観月が肩を竦める。
「そう。──では、食事当番の者は定刻通りに朝食の準備。それ以上の予定変更は無しよ。警備部隊には清掃班の支援を頼むわ、掃除道具フル装備でね。」
「らじゃー!」
 咲夜が微笑を浮かべながら片手を上げて指示を下すと、一斉に威勢の良い返事が返り、メイド達は走り出て行った。

「…呆れたわね、これも全部予定の内なのかしら?」
 メイド達を見送りながら、パチュリーが苦笑しつつそう訊ねると、
「流石に予定外だけど、修正可能の範囲内よ。別に問題視する程じゃないわ。」
 と、咲夜は目を伏せて軽く笑うように答えた。
 どうだか、とパチュリーはもう一度苦笑する。この館に勤めるメイド達の鮮やかな連携は、もうずっと長い間、伝統のように少しも変わっていない。時に、パチュリー自身にも、最初からそういう結果になることが予定されていたように思える事があるのだ。


「さてと…。私はお風呂を沸かしに行ってくるわ。」
 不意の咲夜の言葉に、観月が怪訝そうな眼差しを向ける。
「こんな時間にか?それなら、誰かにやらせればいいだろう。何もメイド長がやらなくても。」
 お風呂を沸かす、と簡単に言うが、実際にはかなりの重労働だ。それに、間もなく日の出という時間である。
「──フランドール様のお遊びのお相手よ。ボロボロで戻ってきたら可哀想じゃない?あれでも女の子なのよ。」
 そう言って、片目を瞑ってみせる咲夜。
「…成程な。そういうことなら、私も手伝うとしようか。ついでに、救急箱でも持って来たほうがいいか?」
「それより、裁縫道具の方がいいんじゃないの?」
「残念ながら、そっちは苦手だ。怪我の手当てなら慣れたものなんだが、咲夜殿のように何事も完璧というには程遠くてな。」
 メイドの癖に、と、自嘲するようにわざとおどけてみせる観月。
「…はあ、参ったわね。仲直りする方法まで考えていたってわけなの?──戻ってきたら、メイド長と副長がお風呂を沸かして待っていてくれたなんて、あの子が泣いて喜ぶ所が目に浮かぶようだわ。」
 嘆息しながら、それでもどこか嬉しそうにパチュリーは呟いた。

 結局、何から何まで予定調和、といったところか。
 これが運命なのだとしたら、咲夜にはレミリア同様に運命を操作する能力まで持っているのかもしれない。

「…それで、パチュリーがあの子に何か優しい言葉をかけてくれると、私としては予定通りなんだけどな。」
 悪戯っぽく小首を傾げて訊ねる咲夜に、軽い笑いで応えると、パチュリーは踵を返す。
 この館のメイド達は、その未来を館の主に捧げている。
 未来とは、運命という言葉で表現されるような、特定の事象へと向かう限定的な道筋なのだとしたら、その未来を捨て去った彼女達が運命を自在に操れるという理屈も、解釈としては面白い。
 もしくは、運命を変えるのではなく、そこへ至る道筋を自分で選べるのかもしれない。
「…図書館で待ってるわ。」
 返答は素っ気無いものだったが、咲夜の言を否定するようなニュアンスは感じられない。むしろ、それを面白がっているような印象を受けさせる。
 咲夜は笑顔でパチュリーの後姿を見送った。


 東の空が白く、明るく輝いている。
 夜と朝とが入れ替わり、そろそろこの紅魔館にも忙しい時間が訪れる。
 今日の朝食の当番なのだろう、野菜の入った籠を手にした少女が廊下を駆けて行く。
 別の角を曲がって、今度は眠そうな顔の少女。帯刀しているところを見ると、夜の警備部隊が仕事を終えて引き上げてきたようだ。
 挨拶する少女達に応えながら、回廊を並んで歩いていく咲夜と観月。

 夜の間はいろいろな出来事があったが、結局、朝はいつもと変わらない。
 何もかも予定通り。
 今日も一日、平穏無事に過ぎて行くことだろう。

「…私も、貴女のように空が飛べるといいんだがな。」
「ああ、そのことだけど、ひょっとすると空を飛べる道具を作ってもらえるかもしれないわ。ほら、お嬢様の部屋に魔法のチャイムがあるでしょう?あれを作ってくれた人に頼んでみようかなって。」
「何、本当か。そんな魔法の品を作り出せる者と知己なのか、咲夜殿?」
「それが、あれを作ってくれたのは魔理沙のお兄さんのような人でね──」

 地平から顔を覗かせた朝日が、長い回廊を輝きで満たして行く。

 二人は話しながら、白い光の中を歩いて行った。


 湖の孤島に建つ洋館──紅魔館は、いつ建てられたのかは誰も知らない。
 緑の中にあって、何故か違和感を感じさせない紅い館は、まるでそこに建っているのが当たり前であるかのように思わせる。
 そして、これからもずっと、変わらずにそこに建っているのだろう。

 過去も未来も無い、永遠とも思える長久の歳月を退屈に過ごす館の主のお嬢様には、過去を捨て、未来を捧げた大勢のメイド達が仕えている。
 故に、館に滞在していると時が止まっているように感じるのだ。
 過去からも、未来からも取り残され、現世でも、幽冥でもないその場所には、少女達に満ち足りた平穏な日々と、自分の居るべき場所をもたらしてくれる。

 人と、人でない者が仲良く平和に暮らしている紅魔館は、幻想郷において異質な場所であると言える。
 人間と人外の者との境界が不明瞭な上、過去と未来の境界も不明瞭だからだ。

 だが、それと同時に、そこは理想の場所と言えるのかもしれない。


 そこは、望んでも手に入らないものが手に入る場所。


 ささやかだけれども、幸せを見つけられる場所。


 ──そこは、少女達のアルカディア。


(-了-)
間が空いてしまって申し訳なかったのですが、最終話を投稿させて頂きます。
東方シリーズのテキスト類を改めて読み直すと、例えば紅魔郷や妖々夢での霊夢と魔理沙の活躍も、彼女達にとっては日常のちょっとした出来事に過ぎないらしいのですね。
私がこの話に明確な主役を決めずに書いたのは、実のところ紅魔館の日常を書きたかったからなのです。
レミリアは悪魔で咲夜は人間だという現実に対する捉え方や、紅魔館は白玉楼に似ているという私の解釈は作中に書いたので割愛しますが、結局この話も前作同様に私の希望的妄想です。
その辺り、勝手気ままに書き連ねる格好になってしまいましたが、ここまで書かせて頂けたことと、大勢の方にお読み頂けたことを感謝いたします。
本当にありがとうございました。

で、萌えどころなんですが。
今回は機会がありませんでしたが、個人的に魔理沙×パチュリーは支持します。しかし、むしろ横恋慕と分かっていつつも、犬のように健気な小悪魔を想像すると激萌え(笑)。パチュリーはベタベタするのが嫌い(苦手)、という気がするので、作中の最後でもそんな感じで書きました。
むしろ、ストレートにパチュリー×小悪魔は面白くない!(笑)

…すいません、またしてもこんな後書きで。
重ねて、ありがとうございました。本当に。
MUI
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コメント



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2.90てーる削除
なんか何もかも咲夜さんの手のひらの上!?

パチュリーの狼狽ぶりと小悪魔の凛々しい姿になんとも感動。
13.80七死削除
ひっさしぶりにカッコよいメイド長を見たぜ聞いたぜ堪能したぜ!

パチュリーの一枚上手を行く咲夜さんカコイイ!
小悪魔のエッセンスもしかりフランドールのエッセンスもしかり、
そして何よりカリスマたっぷりのレミ様の采配が採光です!

それにしても観月さん、この話だけで終わらせるにはもったいない。
良いキャラしてました~。
16.100名前が無い程度の能力削除
GJ!
32.100紫音削除
今最萌始まって以来の大接戦、何とか咲夜さんが制しましたね。恐るべし上海人形。

それはさておき。
間食された新米ちゃんに、元気一杯の三人娘。落ち着いた年配のメイドさん。そして観月さん。どのキャラも個性的で、魅力的に描かれていましたね。
この紅魔館はとても素敵で、正にアルカディアの名に相応しい場所だと思いました。読んでいて、とても楽しくなりましたね。
次回作も期待しております。


・・・そして不幸同盟の紅髪コンビ、小悪魔と美鈴に合掌(笑)
37.100名前が無い程度の能力削除
かっこいいメイド長は素敵だ・・・