Coolier - 新生・東方創想話

妖夢の災男・誰かの幸福(五)

2005/02/05 02:52:25
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咲夜と妖夢の戦いは空中戦という形で展開していく。それは弾幕ごっこではありえない、如何にして相手に食い付くかという、ドッグファイト。

咲夜の四方八方に展開されたナイフは彼女を中心にゆっくりと回転してはいるが、攻撃する様子は無い。時間を操作することによって相対的な速度を高めるのが咲夜の本来の戦法であるが、妖夢のように驚異的な瞬発力を備えた相手では、そのようなことをしている暇など無い。ではどうすれば良いか。簡単だ。速度を高めることによって擬似的に時間を操作すれば良い。咲夜が速度を増せば増すほど、彼女の周囲のナイフの動きが、止まっていく。その全てが停止したとき、時間操作の能力は待った無しに開放されることになる。

「時針停止。あとは秒針!」
「させるかぁ!」

妖夢が咲夜に食いつかんと加速していく。しばらくは追いつけ追い越せの大勢が崩れることは無かったが、そのまま加速し続ければ勝てるというのに、咲夜が仕掛けた。二人の軌道はお互いのそれで螺旋を描くように変化したと思うと、今度は湖面へと向かって急降下していく。先を行く咲夜は湖面ぎりぎりで曲線の頂点を向かえ、徐々に角度を上に向けていく。一方、妖夢はというと、ほぼ一直線に湖面へと突撃した。

「あの速度で突っ込むなんて、イカれてるんじゃないの!?」
「ぜぁあああああっ!」

湖面に衝突する瞬間、妖夢が足を踏ん張った。機雷が爆発したかのように水が立ち登り、そこから妖夢が飛び出す。亜音速に近い速度であるから、湖面は既にコンクリートと同等の硬さにまでなっていた。そこを土台にし、反動すらも利用して、妖夢は加速したのだ。相対速度はこの時点で妖夢が上回った。後は追いつき、斬り伏せるのみ!

「あの庭師、ぶち切れてるぜ!」
「ふっ、私ならぶつけずに曲がるさ」

一部の観衆は何か違うものを見ているような気がしないでもない。

妖夢は渾身の一撃のために両手で楼観剣を横に構える。それはまるで、獲物を狙うサメの背びれにも見えた。舞い上がった水気によって、剣から雲が流れる。

「すげぇ! 冥界のが雲を引いた!」
「こんな空中戦、二度と見られないよ!」
「私、感動しちゃった」

湖を臨める場所で先ほどまで目を血走らせて戦闘を行なっていた者たち全員が思い思いの位置で咲夜と妖夢の戦いを注視している。ちなみに霊夢と魔理沙はというと。

「おい、あんまり近くに寄るなよ、知らない奴が見たら仲が良いと勘違いされるだろう」
「ああ、そうだわね」

くだらないやり取りで忙しかった。

妖夢が必殺のための間合いに入るまでに、五秒とかからない。しかし、咲夜も秒針停止まであとわずか。いくら加速したとはいえ、そのために時間がかかったのもたしかである。間合いに入る前に時間を停められれば、それまでだ。

妖夢が咲夜に追いつき、横薙ぎの体勢になった瞬間、観戦していた者たちのほぼ全員が勝敗は決したものと思った。しかし、咲夜はうろたえるどころか妖夢の前方、彼女より上の位置で停止し、彼女を見据えていた。

「観念したかっ!?」
「馬鹿ね。空中戦の基本を忘れたの?」

妖夢はその言葉の意味を即座に理解した。最初から上を取るために自分を誘っていたのか。だがしかし、それがどうしたというのか。既に咲夜は妖夢の間合いに入り、その妖夢は後は刀を咲夜のわき腹に目掛けて振り抜けば、彼女の胴体は真っ二つというところにまで来ているのだ。

「あっま~~~い!」

咲夜がナイフを楼観剣の握り手に向けてピンポイントでナイフを投擲した。それは正確に妖夢の振りを見切ったからこその攻撃。だが、そんなことが本当に可能だというのかっ!?

「大リーグボール1号をナメんじゃないわよっ!」

あんた、いつ野球選手になったんだ。とはいえ、それはブラフではない。妖夢は咄嗟に振りの軌道を変えてナイフを手先から逸らしたものの、ナイフは刀身に当たり、無茶な構え方が災いして、手から刀がこぼれ落ちる。

「もらったわ」

咲夜がその言葉と共に、時間を停止させた。時針さえ停止していれば、秒針を止めるのに加速は必要無かった。ましてや、相手は既に得物を持たないただの女。その顔めがけて、無数のナイフの切っ先を向けた。全ては相手にこの致命的な隙を生じさせるための布石。

「ふふふ、良い顔をしているわ。負けるとわかっていながらも勝利を諦めない、素敵な顔。それを今からズタズタにしてあげる」

そのとき、咲夜は重大な点を見逃していた。彼女が時間の流れを正常な状態に戻したとき、彼女はそのことに気づく。あのスカート、あんなに短かったかしら。

「私の勝ちだっ、十六夜咲夜ぁああああああっ!」

叫んだ妖夢の周囲をナイフが取り囲み、彼女はその全てを体に受けた。顔には腕の防御が間に合い、他のナイフはほとんどが気鋼闘衣によって霧散する。それでも、幾つかのナイフは露出した部分に突き刺さり、強かにダメージを与えていた。本来ならその隙を突き、咲夜が手に持っている大振りのナイフによって妖夢はとどめをさされていたのだが、咲夜はそれどころではない。時間が正常に戻ったと同時に、後方に僅かな殺気を感じ取ったからだ。その殺気の正体は白楼剣である。彼女は手元に残したナイフによって、なんとか殺気を振り払った。そして、彼女のナイフもまた手元から零れ落ち、先ほどの楼観剣、そして白楼剣と同じように、湖面へと落下していった。

咲夜が勝利を確信したそのときこそが、両者にとっての必殺への白線が引かれた交差点であった。咲夜は最後のとどめを正しい時の流れの中で行おうとしてナイフを手元に残した。そうしなければ、妖夢を殺してしまうからだ。妖夢は全てのナイフが自分に飛び、死ぬと思った。だからこそ、腰鞘に収めた白楼剣を霊体によってコントロールし、咲夜の後方に咄嗟ながらも飛ばしたのだ。

これで二人に得物は無くなった。こうなったら、殺し合い以外で決着をつけなくては。二人は紅魔館の前、観衆が集まっている場所へと向かった。

「あー、帰ってきた~」

二人が浅瀬に着水すると、五歩ほどの間隔を空けて対峙した。最初こそ、誰もがこれから何が起ころうとしているのかわからなかったのだが、妖夢と咲夜がそれぞれの両拳を握りそれを顎の横に構えたとき、観衆は理解した。二人は素手の決闘でケリをつける気なのだ。

「気鋼闘衣に素手で挑もうとは、愚かな」
「それは拳を交えてから言った方が良いわ」

先に足を動かしたのは咲夜だ。低姿勢のまま一足飛びで妖夢の懐に自分の頭を持っていく。誰もが妖夢が攻撃すらさせまいと拳を繰り出してくると思ったが、彼女はそうはしなかった。気鋼闘衣に絶対の自信があるからだろうか。咲夜の拳が妖夢の腹に向かって突き出される。

「が――っは!?」
「通った!!」

妖夢が腹を抑えながら後ずさる。痛みのあまり、足で水に浸かった部分が重たく感じる。その表情は驚愕の色に塗り潰されていた。咲夜は追撃をしない。今の攻撃を妖夢は何故防げなかったか、それを本人に理解させる余裕を与えることによって、絶望させようという魂胆だ。

妖夢はじきに理解した。咲夜は自身の拳だけに限定的に自分の能力を使用し、気鋼闘衣を無視して、空間越しに打撃を与えたのだ。いくら強力な気鋼闘衣とはいえ、厚さ自体は一般的な衣服と変わらない。この女、正に天敵というやつではないか!

だが、それだけじゃない。自分は何故、拳を合わせなかった。相手は奇術を事も無げに使うような相手だ。その相手に対して油断など全く無かったはずだ。それだというのに、気づいたときには咲夜は懐にいて、腹に一撃を叩き込んでいた。何故、そんな油断が生じてしまったのか。

「休んでいる暇は無いわよ?」

咲夜の言葉と共に、先ほどと同じように彼女が頭から突っ込んでくる。今度こそ。妖夢が態勢を整え、咲夜の動きを見逃すまいと、彼女を凝視する。と、その咲夜が視界から消えた。いや違う、『目が付いて行かない』……!!

再び妖夢の腹に咲夜の拳が突き刺さる。今度は完全に間合いを見切ったのか、先ほどよりも数段重い、腰の入った拳だ。妖夢は腸が千切れてしまったような錯覚と痛みに苛まれながらも、必死で意識を手放さないよう、そして、どうしてこうなったのかを、考えた。考えなければ、一方的に殴られるだけだ。

「あなた、小さいままの方が強かったのにね」
「ど、どういう意味だ……!?」

三度、咲夜が踏み込む。結果は同じだ。妖夢は腹の中どころか、頭の中まで痛みでかきまわされる。その瞬間、痛みで視線が下に落ちた。そこで妖夢は、ようやく気づいた。『自分が下を見たのは今のが初めてではないのか』ということに。

「そう、あなたは、一度に成長し過ぎたのよ。目線が高くなったことにも気づかずに……。その感覚のずれ、そう簡単に直るものじゃないわよ?」
「くっ……」

妖夢は踏ん張る。考えなければ、勝つための、いや、どうすれば自分の拳を相手に当てられるか、考えなければ――倒されるのは自分だ。

自分が相手に勝っている部分はどこだ。この気鋼闘衣か。違う。そんなものではない。

咲夜は言った。自分は成長しすぎたのだ、と。

成長する前から自分が誇れるものはなんだったか。なんだ、それはなんだ。そして、成長した今こそ最大限に活用できるものは、なんだ!?

「これだっ!!」

そして、驚愕したのは咲夜であった。三発目の拳を放った後、再び間合いを元の状態にまで離したというのに、相手の攻撃が届いたからだ。必死で腕を上げるが、衝撃が貫通し、咲夜の体が横によろめく。

妖夢の放った攻撃は、彼女が庭師として庭を駆け回り、日々において意識せずとも鍛えられたもの、そして、成長によって攻撃が可能な範囲が広がったもの。――それこそが、足だった。

「馬鹿ね、そんなの見かけ倒しよ。足を攻撃に使えば、フットワークが犠牲になる。私の拳の的になるが良いわ!」
「ならば、近づけさせなければ良いこと!」

先に動くのはやはり咲夜。だが、妖夢の左足による回し蹴りは正確に咲夜を迎え撃つかのような軌道で繰り出される。それを迎え撃つは、咲夜の右腕。絶妙なタイミングで相手の蹴りに合わせ、妖夢の蹴りの威力を殺す。そこで妖夢には隙が生まれるはずであるが、彼女はその反動を利用し、左足を勢い良く戻し、そのまま体を捻りながら宙に浮かせた。右足が跳ね上がり、咲夜の左頬を狙って繰り出される。咲夜はそれを頭を低くすることで避け、そのまま足を前に出す。妖夢は背中を向けた状態だ。このまま、肩甲骨の間にある急所に拳を叩き込めば、それで勝敗が決する。――

ミシッ

嫌な音が辺りに響いた。やれやれやっちまえ、と双方を焚き付けていた観衆の声が止まる。妖夢が後ろに繰り出した足の踵が、咲夜の顔にめり込んでいる。それを見て思わず鼻を押さえた者は一人や二人ではない。

「――っ痛~~~~~、や、やったわねぇ!」
「ふん、丈夫な鼻だわ。鼻が高いのは伊達じゃないのね」
「もう怒った、もう手加減しない、口から腸をひねり出してやる!」
「ならばこちらは、貴様の胃をこの手で抉り出してくれる!」

お互い、水に濡れていない部分は無い。なんせ冬場の水は冷たい。それだけで思考能力が奪われていく。二人とも、もう相手を倒すとか以前に、殴ることしか考えていなかった。観衆が声を取り戻すと同時に、二人はもう、何が有効だか考えもせず、ただ相手に突っ込んでいった。


――少女、闘魂中――


「ゴング、ゴング!」

魔理沙がどこから持ってきたのか知らないが、ゴングを鳴らす。咲夜のセコンドは小悪魔が引き受け、妖夢のそれは霊夢が引き受けた。お互い、メチャクチャ嫌そうな顔をしながら、引きずるようにして咲夜と妖夢を急遽用意された椅子にまで連れて行く。

周囲では、あーゴングに救われたなー、とか、次ラウンドで終わると思う奴賭けろ賭けろ~! といった声があがっている。こいつらの頭にゃもう、さっき死んでいった仲間のことなんてこれっぽっちも無いらしい。もしかしたら、意図的に忘れようとしているのかもしれない。

「ちょっとあんた、いい加減にギブアップしなさいよ!」
「とっつぁん、タオルなんて投げたら、私があんたを殴るぜ……」
「とっつぁんって誰よ!?」
「へへへ……力ルロスやカ石はこんなもんじゃなかったさ……そうだろ、とっつぁんよぉ……」
「うわぁ、もう駄目だわこりゃ……」

「咲夜様、これ以上は無意味なのでは……」
「あの胸が気に食わない……私に匹敵するのは美鈴だけで十分よ……」
「はあ、そうですか」
「あんたはそういう悩みが無さそうで良いわねぇ……」
「余計なお世話です」
「それはそれで」
「いいから、とっととやっちゃってくださいよ!」

お互い、殴られ過ぎた所為なのかどうなのかはわからないが、思考があっちにいったりこっちにいったりしつつ、子供のような理屈で闘志を燃え上がらせていた。子供が明日のヅョーを知っていたり、胸のことを気にするわけはないのだが。

「おっしゃ、ショットガン出せ、ショットガン!」
「いや、フリッカースタイルよ!」
「馬鹿いってんじゃないわよ! クロスよ、クロスカウンターこそロマンよ!」
「ボーンクラッシュ、ボーンクラッシュ♪」
「二重の極みだー!」
「すげぇ、鉄菱やりやがったっ!」
「百一烈拳だとぉ!?」
「金ちゃんハァハァ」
「ジャン拳ってなに気にえげつない技よね!?」
「そこで狼牙風々拳ですよ」
「スナイパー空手は世界一ぃいいいっ!」
「いや、アクマイト光線こそ最強だろ」
「当たらなければどうということはないさ」

観衆はもう好き勝手言い放題であり、発作がおさまったパチュリーはその様にうんざりしつつ、哀れな小悪魔を見遣っていた。

とはいえ、哀れなのは闘っている二人である。思考能力が落ちている所為か、観衆が云う技を繰り出してしまう。できるわけねぇだろというような技の目白押しなのだが、それを可能にしてしまう二人はいったい何者なのだろうか。

そんなこんなで八ラウンドまでが終了し、お互いがダメージとずぶ濡れによる疲労で足はふらつく始末であったが、再びゴングが鳴らされると、ゆらりゆらりと二人は立ち上がり、拳を交える。

二人とももう限界である。次にラッシュを決めた方が勝者であることは明白だった。実のところ、もう咲夜は能力すら行使できないまでに疲労していて、根性だけで殴っている状態である。おかげで拳はずたぼろ。殴るお母さんの手も痛いのよ! という理不尽な台詞さえ聞こえてきそうだ。

咲夜だけでなく、妖夢も一杯一杯だった。既に気鋼闘衣を維持している余力もほとんど無い。一度でも固化することができれば半永久的に装着可能ではあるが、全く力を使わないというわけでもないのである。

そして、事故は起こった。――妖夢がすっぽんぽんになったのだ。

「きゃああっ!?」

妖夢が胸と股を両手で隠す。ここは「ドキ! 女だらけのパラダイス!!」であり、ポロリで喜ぶ輩も『あまり』いないとはいえ、そこはそれ、妖夢も女であるからして、必死である。

だが、咲夜がそれを見逃すはずはなかった。

「幽々子はねぇ……」

ゆらりと一歩を踏み出すと同時に、拳を振り上げる。既に構えとかそういう概念は無い。

「あんたが帰ってくるのを……」

妖夢の横っ面に一撃が入る。だが、妖夢は倒れない。まだ倒れない。

「今も庭で……」

ワンツーが決まった。妖夢が大きくよろめく。おおおお! という同性愛者の者たちの歓声が上がるが、誰も気にしちゃいない。

「待ってんのよぉっ!」

これが決定打だった。車○正見の漫画よろしく咲夜のアッパーが華麗に決まり、真っ裸の妖夢が上空へと大げさなぐらいに吹き飛ぶ。そんな状態ではあったが、妖夢は咲夜の言葉をしっかりと心に留めていた。

ばしゃん、という空しい音が響くと、水柱が上がった。妖夢はもう立ち上がっては来ず、体も元に戻っていた。その上で元の姿に戻った霊体がくるくると旋廻している。咲夜はそれを確認すると、自分も力尽き、前のめりに倒れこんだ。

「はいはい、お遊びはお終い。そろそろレミィが起きちゃうわ」

出番が無かったパチュリーがお開き宣言をすると同時に、観衆が大急ぎで撤収を開始する。霊夢と小悪魔は倒れた二人を抱え上げようとしたが、なんと二人は自力で立ち上がった。小悪魔はすかさず自分の着ていた上着を妖夢に着せてあげると、小悪魔と霊夢は二人から離れた。

妖夢は小悪魔に一礼だけすると、最後の力を振り絞り、白玉楼へと飛び立とうとする。それを咲夜が呼び止めた。

「妖夢!」

妖夢が咲夜に振り返ると、咲夜は笑っていた。既に、語るべきことも、闘うべき理由も、何も無い。ただ、相手に対する敬意だけが二人の心を満たしていた。

「あなた、随分、優秀になったわ。少なくとも、私の見た中では、一番優秀な従者よ」
「ありがとう。でもあなたは、私以上に従者らしい」
「それが、良いメイドってものよ」

二人が満面の笑顔を見せる。その間に、観衆が拾い集めておいた二人の武装がそれぞれに渡された。彼女らは大儀そうにそれらを受け取ると、然るべき場所に収めた。

山並みにかかった陽射しが、湖面を、そしてそこにいる者たちを照らす中、妖夢がふらふらと飛び去っていくのを、誰も止めようとはしなかった。二人を立ち上がらせたものとは何だったのだろうか。


******


紅魔館の最奥部隅に位置する部屋へ咲夜が歩く。二度の戦いにより、体に傷のない部分など無い彼女であったが、包帯などはどこにも巻かれていない。背筋は伸び、歩調も一定。代えのメイド服を着る以外に、彼女が妖夢との戦いの後にしたことは無かった。

黄昏時は紅魔館において最も忙しく、緊張感に満ちた時間である。主人が起きてくる時間帯であることもそうだが、その妹であるフランドールに対する警戒も必要だからだ。そのため、館内の其処彼処でメイドたちが昼間の間に行った作業の最終確認を行い、彼女たちは傍らを通り過ぎるメイド長に対し、いつにも増して深く頭を垂れる。

咲夜は主人の寝室の前で足を止める。誰に見られることもない一礼を済ませると、部屋のドアをノックする。返事は無い。それはいつものことである。主人の部屋に入るべきときとそうでないときを見極められないようでは、メイドとしては失格であった。

「来たわね」
「おはようございます、お嬢様」

いつも通りのやり取りが終わると、咲夜が懐中時計を確認してから、窓際へと向かった。窓の内側には厚手のカーテンが引かれ、外側には空飛ぶ巫女などが体当たりしても破れない頑丈な雨戸が置かれている。窓とその二つを開け放つと、咲夜は満足げに夜闇の向こうを見遣った。

「冬は良いわね。日が落ちるのが早いもの」
「いつ、お目覚めになられましたか?」
「あなたが出て行ってすぐよ」
「左様でございますか」

咲夜はそのときに主人の傍にいなかったことを詫びようとはしない。主人の言葉を受けて昼過ぎから出ていたのであるから、それに対してまで言葉を多くするようでは、主人の尊厳すら傷つけかねない。

レミリアは咲夜が今日一日をどう言い表すか、楽しみだった。だからこそ、とうに目覚めていたというのにベッドの中に体を収め、咲夜が傍らに来るまでを、心待ちにしていたのだった。

咲夜はベッドの腰掛けると、レミリアの髪を、持ち歩いている専用の櫛で梳き始める。それが六割方済んだところで、咲夜は口を動かした。

「お喜びください、お嬢様。今日は素晴らしい一日です。私の予想より二分も早くお嬢様の下に来ることができました」
「恐ろしい子ね、咲夜は」

レミリアは今日あったことの大概について、近衛の者の報告により知っていた。咲夜もそれに気づいていないわけもない。だが、主人は積極的に騒ぎに関わろうとは思わなかったし、従者もそれをよく心得ていた。

「どう、ここらで年貢を収めてみては」
「年貢ですか?」
「とぼけないで。私の眷属にしてあげようかって言ってるのよ。そうすれば、あなたが何をしようと逆らう者はいないわ」

そんな傷だらけになることもない。そんな意味を込めて、咲夜の腕や首筋を見遣る。血こそ出てはいないが、食い破られたような痕もある。もしメイドの中に咲夜に対して不信を募らせている者がいたら、今頃彼女は廊下で息絶えていたことだろう。今回の一件で、その危険性は増したと云える。それでも、咲夜は首を振った。

「あいにく、私にはお嬢様や妹様のような寝巻き姿は似合いませんわ。この服が調度良いのです」

そう語りつつ、愛おしそうにレミリアの背中を服越しに擦る。レミリアはこういうときに感じる咲夜の手の温度が好きだった。直接触れるようなことは決して無いながらも、それと意識させてくれる温かさが、好きだった。彼女を同族にしてしまえば、その温かさは永遠に失われる。自分と同じように、冷たい化け物になるだけだ。だから、レミリアは強引に噛み付くことができない。そして今回もまた、そうだった。

「咲夜」
「なんでございましょう」
「あなた、いつから気づいていたの? 私が……」
「それ以上は仰らなくても結構です。そうだ、今日はお話をしてさしあげようかと存じます」

今頃は炊事班などが遅れに遅れたレミリアの『朝食』を用意している頃である。先ほどまでの状況下においては、館内とはいえ満足に動くこともできなかったであろう。

咲夜が話をしようと思ったのはそんな彼女たちにたいする気遣いもあったが、何より、今語らなければ、自分の記憶からもそのことが失われてしまうような気がしたのだった。咲夜は用を終えた櫛を懐にしまってある白い布で拭い、それに包んで再び懐に収めると、ベッドの横にある木製の椅子に腰掛けた。レミリアは咲夜が話し始めるのを、窓から吹き込んでくる夜風の中で待ち望んだ。今日は風に血の香りが多分に混ざっている。朝食を終えたら、咲夜と散歩にでも行こうかと思うほど、彼女の気分は良好だった。

「私が外の世界にいた頃、私はありとあらゆる名門と謳われた者たちを倒してきました。噂は広がり、私は誰にも相手にされないようになりましたが、それを誇りにすら思っておりました」

咲夜が何時の時代にこちら側に来たのか、レミリアは関心が無い。その代わり、咲夜が倒した名門とは、名ばかりの者たちか、はたまた、自分のように実力も備えた者たちだったろうかと、答えが返ってこないことを頭の中で想像するだけだ。

「しかし、こんな噂も耳にするようになったのです。私を狙う者たちがいる、と。いわゆる、係累による敵討ちですわね。私は、夜闇に紛れて襲ってきたある人間を殺しました」

それまで、話の間としてはあった静寂が、一際長く続いた。咲夜は窓を見遣っている。襲われたのは野宿のときだろうか、一泊だけの宿に身を寄せていたときだろうか。

「その人間、どんな者だったか、おわかりになりますか?」

気づけば、咲夜はレミリアの瞳を覗き込むように、しかと彼女の顔を見据えていた。レミリアはさあとだけ返して目を逸らす。

「子供です。まだ十を越えたか越えないかといった歳の頃です。最初は何も感じませんでした。しかし、二人、三人、十人……そうやって時が経つにつれ次々に返り討ちにしていくと、不思議とあることを思ったのです。――私は好きで殺しているが、この子たちはどうなのだろうか」

レミリアは再び咲夜の顔に目線を戻したが、そのときには咲夜は再び窓へと目を向けていた。

「そしてこうも思いました。それは私がどんな人間も殺せるだけの強さと能力を持っているからこそ浮かぶ疑問なのではないか」
「そう。それで、私みたいな化け物にまで手を出したわけだ。殺される側になれば、答えが見つかると思って」
「左様にございます」

そこで話は終わった。咲夜はレミリアが何事か口にしなければ、そのまま部屋を去っていったことだろう。レミリアは、それがどうにも気に食わなかった。

「その答えは見つかったの?」
「どうでしょう。ただ今回、色々と好き勝手に行動してみて、収穫はありました」
「それは何?」
「強かろうと弱かろうと、人は、生き物は、生きていけるということがわかりました」
「生きているから生き物と云うんですもの。当然だわ」
「はい、その通りです。しかし、私のような者には、当然のことほど理解し難いのです。ですから、それが理解《わか》っただけで、私は満足なのです」

咲夜は気づいているのだろうか。レミリアは考える。彼女は根本的には何も理解できてはいない。何も変わってはいない。どのような理屈を付けてみようと、人の死を当然だと受け止めるようでは、それは何の解決にもならないのである。当然の死など、この世には存在していないのである。だが、一方でレミリアはこうも思う。それは自分が運命を当然のように操れるからこそ抱く想いなのではないか。

彼女らの繰り言が堂々巡りなのはたしかだ。生き物が生きるのに、そもそも当然という概念は入り込む余地が無い。当然ではない、という概念も然り。生きるということと思い考えるということがイコールである生物だけが、そのようなことを考え、無意味だと気づく。だが、この場においては、それは無意味ではなかったのかもしれない。

たっぷり四分ほどはあったであろう間を、二人は過ごした。レミリアは思考を保留すると、気になったことを咲夜に述べた。この返答次第では、咲夜のメイド長という立場も考えなくてはならないものになる。

「……今回、犠牲になったメイドたちについてはどう思ってるの?」
「残酷かもしれませんが、彼女たちは幻想郷に、紅魔館に来て、既に答えは見つけました。であれば、私のために死ぬのもまた道理かと。四有という思想がありますが、それによりますと、死すこともまた、生きることなのです」
「あまりあなたのために死なれたり生きられたりすると困るのよね。私の分が無くなるから」
「努力はしてみます」

いったい、幸せなのは死んだメイドか、こうして彼女らを笑う自分たちであろうか。その考えをレミリアはすぐに破棄した。その疑問は、抱いてはいけないことである。咲夜はどうだろうか。その疑問を抱えてなお、メイドたちに、子供たちに接することができるのだろうか。レミリアは、それを見届けたいと思った。

「咲夜」
「はい」
「あの子たちのこと、あなたに任せるわ」
「かしこまりました。お勤め、たしかに承ります」
「食事が出来たら呼んでね」
「はい」

そうして、咲夜は寝室から去っていった。散歩に誘うのはいつにしようか。レミリアはそんなことを考えながら、二度寝に入る。血の香りの漂う中で、健やかな寝顔を浮かべて。


一人のメイドと一人の庭師が、戦場の狭間を光となって流れた
一瞬のその光の中に人々が見たものは、愛、戦い、運命

いま、全てが終わり、駆け抜ける悲しみ
いま、全てが始まり、きらめきの中に望みが生まれる

最終回「HANABI」

遙かな時に、全てをかけて。
次回で終わりです。テンションを調整するのが一番辛い作業であり、泣く泣く削ったネタは十を越えたという今回、一番の難関は前回に書いた通り、大雪でした。来週頭には最終回を投稿させていただけるかと思います。
司馬漬け
[email protected]
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コメント



0.1610簡易評価
1.70名前が無い程度の能力削除
ここで紅の豚がくるとは・・・
アンタ最高ダヨ!!
2.80名前が無い程度の能力削除
豚は良いものだ
9.50MSC削除
懐かしいな~、豚ですかw
吹いてしまった。
次回が非常に楽しみです。
11.80四分の一だけ名無し削除
豚の自体、パロディだけど。
オモリ!
14.90SETH削除
ナイトキッズっぽい霊夢と魔理沙がw