※これを読む前に前作「大好きなもの」を読んでおかないと、多分意味がわからない…というか滅茶苦茶な設定で理解できないと思われます。なのでこれを読む前に前作、「大好きなもの」を読んでおくことをお勧めします。
…あ、時間があったらさらにその前の作品「大切なもの」を読んでおくと作者が喜びます。(ぉ
アリスは去年までは考えられなかったことを今、実現させている。
――そう。霊夢の隣に座る、という偉業を。
霊夢の隣に座るようになってから、かれこれ三日か四日は経っている。
始めのうちこそ「用もないのに来るなんて珍しいわね」とか「お茶は出さないわよ」とか「どうせそこにいるなら掃除を手伝いなさい」などあまり歓迎モードではなかった霊夢。
だがアリスが顔を真っ赤にさせながら俯き、「今月の占いで好きな人の隣に居ると吉って出たの」と言われ、さらには今にも消えてしまいそうな声…しかも瞳に涙を溜めながら「私…ここにいたら迷惑、かな?」なんて追い討ちをかけられてしまい、あえなく沈没。
…いや、でもアリスにそんなこと言われたら誰も断れないと思う。
誰にともなく呟く言い訳。
これがアリスの策略だったのなら恐ろしいことだが…あれに限ってそれはないだろう。
あれは策略などではなく、間違いなく地だ。…というか、そうじゃなかったらこっちの身が持たない。
お茶を飲む手を止め、はぁっとため息をつく。
そりゃたしかに、去年あんなことがあってからは以前よりもさらにアリスのことを待ち惚ける時間も増えた。
なかなか来てくれないアリスに憤りを感じたりしたこともあった。
でも、だからといって…
再び深く、ため息をつく。
アリスは自分の気持ちに気がついていない。
だから自分はまだ今まで通りに接しなければならない。
アリスに不信感を与えないように。
そして何よりも自分のプライドのために。
だが、このままでは蛇の生殺しもいいところだ。
――きっかけ。
そう、どんな些細なものでもいい。きっかけさえあれば…
再びお茶を啜りながら、アリスのほうをちらりと見る。
アリスは相変わらず微笑しながら、そして真剣な眼差しで魔道書を読み耽っている。
ふわっと一月の冷たい風が舞い、アリスの髪がなびく。
その姿がまるで永遠の美を約束された人形か何かのように思えて、一瞬息を飲む。
その姿に、見惚れてしまう。
永遠を思わせる一瞬の美。それがどれだけ続いただろうか。
アリスが魔道書を閉じて、すっと立ち上がる。
持ってきていた愛用のバスケットの中をがさごそと整理し、魔道書を仕舞う。
その音を聞いて、霊夢はようやく我に返る。
「アリス?いきなり立ち上がったりなんかして、どうしたの?」
「ん…この魔道書も読み終わったし、次はそれを実践してみようと思ってね」
そう言ったアリスはぱちんと指を鳴らし、人形を召喚する。
ぽんっとかるい音を立てて現れたのは、五体の霊夢人形。
朝から連れてきていたセイラを合わせると、相当な戦力だ。
「…そんなに人形を連れてどこに行く気なの?」
「白玉楼よ。でも、本当はあそこに行くと泊まりになっちゃうから嫌なのよねぇ…。ねぇ、霊夢も一緒に行かない?」
そうしたら明日も霊夢の子と起こしてあげられるし。
そう屈託なく笑うアリスに、霊夢の心は揺り動かされる。
だが仮にも自分はここ、博麗神社の巫女だ。そんな誘惑に負けるほど――
「あ、そうだ。白玉楼のお風呂って広いのよ?一緒に入らない?」
アリスのその一言が、博麗神社の巫女として残っている最後の理性すら飛ばしかける。
もう、何もかもを捨ててでも頷いてしまいたくなる。
そんな霊夢の葛藤を知ってかしらずか、アリスは悪びれる様子もなく、楽しげに笑う。
「なんて、冗談。それじゃあ、行ってくるわね。…霊夢?私がいなくなって寂しくなったからって魔理沙に浮気しちゃダメだからね?」
去年の暮れのあの爆弾発言以来、途端に大胆になったアリス。
人差し指を立てて忠告するようにそう言うと、ふわりと浮かび上がり、霊夢が何かを言う前に飛び去ってしまう。
…実はかなり危険な発言を連発しているということに、本人は気付いてないんだろうか?
思わずそう突っ込みたくなってしまう。
「でも……はぁ。もったいないことしたかも」
あそこで悩まずすぐに頷いていたなら、もしかしたらきっかけが作れたかもしれないのに。
そもそもこんな変化のない神社ではきっかけを作ることすら無茶というもの。
……やっぱり、一緒に行けばよかったなぁ。
そんなことを考えながらアリスが飛び去っていった方角を見つめる。
「うわぁ、未練がまし~」
死界から突然聞こえてきた声にびくりと反応する。
声のした方へ振り返ってみれば、そこにいたのはリリカとメルラン。
いつものように何かを企んでいそうなリリカの笑顔と、いつも以上に虚ろな瞳のメルランに、少し違和感を覚える。
虚ろな瞳の、メルラン…?
まさかこれが噂のメルラン暴走かの前兆だろうか?
無意識のうちに身構えてしまう。
「あ、安心していいよ。これはただ、消滅しかけてた霊を姉さんの中に押し込んだだけだから」
警戒した霊夢を安心させようと、リリカがそう言う。
なんだ、そういうことか。それなら…
「て、あんたたちだって霊でしょ?そんなことしたら危険じゃないの?」
「だから姉さんの中に押し込んだんじゃん」
さすがは狡猾な三女。他の二人とはやることが違う。
「んで、どうやらこの霊、迷い霊らしいんだよねぇ。私たちが白玉楼に連れて行ってもいいんだけど…そんなに長時間姉さんに憑けてたらさすがに姉さんも危険だし、霊夢に任せようと思ってやってきたの」
あとはどうするかは自由に決めていいよ、とメルランの頭を叩き霊を追い出すリリカ。
行き場を失ってふよふよと漂う霊は、消滅しかけていたというだけあって、弱々しい。
霊夢はその霊に近づき、一枚の符を取り出してそれを霊の依代とする。
この符ではよくて現状維持しか出来ないだろうが、白玉楼に行くまでならこれで十分だろう。
というわけで霊の方はこれで解決。
むしろ問題なのは、リリカ達の方だ。
アリスが白玉楼へ向かい、それに合わせたようにやってきた二人。
そして迷い霊を白玉楼まで連れて行って欲しいという依頼。
あまりにもタイミングがよすぎる。
リリカのほうへと向き直り、問い詰める。
「ねぇ、リリカ?これってさ、あまりにも都合のいい展開だと思わない?」
きっ、と睨みつけるもリリカはただ笑うだけ。
そしてとっておきの秘密をばらすかのように、ゆっくりと口を開く。
「私たちは騒霊。招かれれば駆けつけるのはもちろんのこと、招かれなくっても騒ぎに駆けつける陽気な騒霊。その情報網を舐めてもらっちゃあ困るわね」
「ちょっと待った。いくら情報網がすごいって言っても、アリスはそんなこと人に話すような子じゃないわ。話さなければ、その情報網に引っ掛かることなんて――」
ないんじゃない?
そう言おうとした霊夢の口を、メルランがやさしく閉じる。
いつのまに側に来ていたのか。
そんな驚きさえ抱かせることのなかった、メルランの流れるような動作。
その動作の続きであるように、メルランが言う。
「あの子の行動パターンなんて大体わかるわよ。もちろん、さっきまでここに居ただろうこともね。…今あの子とことを一番理解しているのは、きっと私たちですもの」
「そうそう。…それに、実は昨日アリスの家で夜行演奏会をやったの。そこでちらっとそういう話を聞いたからね」
「いいこと、霊夢?私たちはあの子に幸せになってもらいたいのよ。…独りぼっちだったあの子を、助けてあげたい」
「だから私たちが霊夢にきっかけを与えてあげる」
「それがあの子にとっての一番の幸せだろうから」
「このきっかけをどう利用するか…あとは、霊夢次第だよ?」
いつもの、何かを企んでいそうなリリカの笑顔と、メルランの静かな微笑み。
そんな二人の表情を見て、霊夢はそういえば…と、あることを思い出した。
この騒霊たちは賑やかなのが好きなのではなく賑やかにしている者を見るのが好きなのだ。
賑やかだということは楽しめているということ。そして楽しんでいるということは、嫌なことも全部忘れて…幸せな気分だということ。
「…その表情。霊夢は多分、少しだけ勘違いをしているわね。アリスは、私たちにとっても特別よ。なんていうか…妹。そう、妹みたいな感覚ね」
「私的には、少し頼りないお姉さんってところかな。ま、大切で大好きって気持ちはメルラン姉さんと同じだけど」
「さ、そろそろ行かないと日がくれてしまうわ。あなたは鳥目なんだから、急いだ方がいいわよ」
息の合ったメルランとリリカの言葉に促され、たいした反論も出来ないまま自然の流れで神社を追い出されてしまう。
はっと気がついて振り返ったときには、すでに神社は見えなくなっていた。
…これは一種の洗脳か何かだろうか。
そうは思ったが、でも…まぁ、あの二人のおかげで白玉楼へ行くための口実も作れたわけだし、感謝だけはしておこう。
でもあとで鳥目だというところだけは訂正させておかないとな。
そんなことを考えながら、アリスの後を追って白玉楼へと向かう。
早くしないと日が暮れてしまう。
だけどもう少しだけゆっくりと進むことにしよう。
――少なくとも、この弛みきった顔が元に戻るまでは。
☆★☆★
亡霊の住まう場所、白玉楼。
アリスに遅れること小一時間。
アリスが倒していったのだろう。道中は思ったよりも楽で、その反面ほとんど動かなかったためひたすらに寒い。
もう少し厚着をしてくればよかったかな、と少しだけ後悔しながら長い長い白玉楼へと続く階段を上っていく。
冥界独特の、季節を感じさせない冷たさにはどうにも慣れる気がしない。
そんなことを考えながら進んでいると、前方に見慣れた人物の姿が見えてきた。
全体的にまだ幼い風貌の半人前庭師、魂魄妖夢だ。
妖夢は腰を低くしてこちらを見据えている。
なにやら物騒な構えだなと思いつつ…
そして思い出す。あの格好が何を意味するのかを。
あれは二百由旬の一閃かっ!
理解するのと同時に、風の一閃が迫り来る。
どうやら向こうはやる気満々らしい。
――面白い。
お払い棒を一振りして風の一閃を打ち消し、にやりと笑う。
そっちがその気ならこっちもその気。
「ならあなたには私の準備運動の相手になってもらうわっ!」
速度を上げ、ぐんっと接近する。
霊夢の突然の行動。
まさか巫女たる霊夢が剣を持つ自分に接近戦を挑んでくるとは思わなかったのか、妖夢の瞳は少しだけ驚いたように見開かれる。
だが妖夢とて一介の剣士。その程度の驚きで遅れを取るわけはない。
自らも霊夢に突撃。そして、剣を振るう。
狙いは完璧。妖夢の一撃は霊夢のお払い棒を切り捨て、霊夢の方から腰にかけてを二つに分ける――はずだった。
「……いない、だと?」
妖夢は信じられないものを見た目つきで呟く。
霊夢はたしかにそこにいたはずなのだ。霊夢に突撃される前に気配だって確認した。あれが分身の類でないことは確証済みだった。
だというのに忽然と自分の前から姿を消しただと?
「ふっふっふ。空飛ぶ巫女さんを舐めたら痛い目見るわよ?」
霊夢の声が背後から聞こえる。
それと同時に、右肩に鈍い打撃痛が走る。
「勝負あり。…ふっ。他愛もない」
妖夢が振り向くと、そこにはたしかに霊夢の姿があった。
「なっ…瞬間、移動?」
「は?何言ってるの?幽々子に変なことばっかされてついに狂っちゃった?」
驚く妖夢を、まるで既知外でも見るような目で霊夢が見る。
片手を腰に当て、お払い棒を肩に乗せる霊夢。
こういう卑怯な手はあまり使いたくないが…今ならこの無防備な巫女をやっつけられるかも――
「やめなさい、妖夢。あなたじゃどっちみちその巫女は倒せないわ」
そんな邪な考えが走ってしまった妖夢の思考を遮るかのように、階段の上から幽々子が現れる。
それを見て、またやっかいなのが来たなとため息をつく霊夢。
「んで、今度はあんたとやらなきゃいけないのかしら?」
霊夢が幽々子の方へ向き直る。
だけど幽々子はただ扇子で口元を隠し微笑むだけ。
「あら、今日はその迷い霊を連れてきてくれたんじゃないのかしら?こちらとしては霊夢とやる必要性を感じないのだけど」
どうやら幽々子は霊夢が符に押し込めてきた霊の存在に気がついていたようだ。
霊夢は構えたお払い棒を降ろし、呆れたように妖夢の方を指差す。
「気付いてたんならこの半人前にも言っておきなさいよ。少し手間がかかっちゃったじゃない」
「いやいや、霊夢。妖夢ったら今日は客人として迎えに行ってあげなさいって言う前に出て行ってしまったのよ」
「じゃあ罰として半分幽霊の方を色々いじくっちゃいなさい」
「そりゃもう、言われずとも」
幽々子が片手でひょいひょいっとやると、それに釣られるように妖夢の幽体の方が幽々子のほうへと寄っていく。
「ゆ…ゆゆ幽々子様?何をなさるおつもりですか?」
いきなり話の流れが変な方向に向かってきてしまい、慌てて幽々子の方へと向かおうとして…
「妖夢、あなたはそこで立って見ていなさい」
幽々子の珍しく鋭い言葉に思わず動きが止まってしまう。
その間に辿り着いた幽体を、幽々子は迷わず掴み――
「あむっ」
口にした。
「あぁっ!?ははは半身~!?」
「はみはみ…あぁ、そうそう。霊夢、その子大分弱ってるみたいでねぇ。悪いけどそっちの妖夢と一緒に庭の池の水を飲ませてあげてくれるかしら」
「え?それくらいなら別にいいけど…まぁ、いたずらも程ほどにしておきなさいね」
さっきといっていることが逆だが、そう思わずにはいられないほど、なんだが妖夢のことが可哀相に思えてきた。
……いつもこんなのの相手をしてるのか。妖夢も大変なんだな。
だけど自分だけでは池の場所もわからないし、ちゃっちゃとこっちの方の妖夢に道案内してもらうとしよう。
「というわけでほら、さっさと行くわよ」
「うっうっ…半身っ!どうか…どうか私が帰ってくるまで無事でいてくれよーっ!」
それは多分、無理。
そうは思ったがあえて口には出さなかった。
口は災いの元、である。
「そういえば話は変わるけど…私の前にアリスがこなかった?」
「あぁ?アリス殿なら少し前に来たけど、それがどうしたの?」
「いや、アリスがきた後にしては二人とも元気だなぁっと思って」
「……アリス殿はあんたや黒白とは違って礼儀正しいからね。前日にそういった手紙をきちんともらっているし…それにそんなものがなくても、彼女はフリーパスでここを通れるよ」
「へぇ?私たちとは随分扱いが違うのね?」
「当然だ。アリス殿には少し前に世話になったからね」
「…ふぅん。アリスとあんたって接点なんてあんまりないと思ってたら、そうでもないのね」
池のある方角を目指しながら、世話になったという時の話を妖夢から聞きだす。
なんでも少し前に悪霊が大量発生したらしく、一人では抑えきれないと判断した妖夢がアリスに対悪霊用の人形を作って欲しいと依頼したそうだ。
それで作られたのが、霊夢人形。
だからあんな数の霊夢人形を持っていたのかと、納得する。
「でも結局一人じゃ守りきれなかったわけだし…庭師失格ね」
「それを言われると返す言葉もないんだけど…この巫女失格にだけは言われたくなかったな」
とりあえず失礼なことを言われたのでお払い棒で殴っておく。
ぼこっといい音がして、前につんのめる妖夢。だが剣士としての意地か、膝をつくことはなかった。
「…さっきといい今といい、このお払い棒ってただの幽霊が喰らったらそれだけで消滅させられる威力があるはずなんだけどなぁ。おかしいな、腕が鈍ったかしら?」
「だから私は半分生きてるんだってば。っていうかそんな危険なもので叩かないでよっ!」
妖夢の当たり前な抗議は当たり前のように無視される。
やっぱり妖夢はからかうと面白いな。
そんなことを考えていた霊夢は、ふと辺りに漂い始めた水の匂いに気がつく。
ひくひくと鼻を利かせると、容易に方角を特定することができる。
結構簡単に見つかったなと思いながら、その匂いのもとへと飛んでいく。
「……水の匂いが結構濃いと思ったら。こりゃ濃いはずよねぇ」
池に辿り着いた霊夢の感想は、それだった。
なんというか、池と表現するにはあまりにも広すぎる池。
自称二百由旬もある庭。そう自称するだけの事はある。
「先がかすんで見えるわ…」
湖と呼ばれても不思議じゃないほどの池。
「でも庭にある池だし…やっぱり人工物なのよね。うひゃあ、圧巻だわ」
「白玉楼の自慢の一つだからね。私もここは好きなの」
後からゆっくりとやってきた妖夢が誇らしげに胸を張る。
本当は言い返してやりたいところだが、自分もそう思ってしまったので言い返せない。
悔しいなぁっと思いながらも、それを誤魔化すように懐から霊の依代となっていた符を取り出し、池の上に無造作に落とす。
冥界の力を蓄えた水を符から少しづつ吸収して、この霊もやがて符から抜け出せるようになるだろう。
これで任務完了、と。
割とあっけなく終わって少し拍子抜ける。
もう少し、悪霊とのいざこざなんかを覚悟していたんだが…。
「まぁ、楽に終わるに越したことはないわ。さ、帰りましょうかよう、む…?」
妖夢の方へと振り返り、帰ろうとして…妖夢の様子がおかしいことに気がつく。
表情が虚ろで、目も焦点が合っていない。
普段の妖夢からはありえない、あきらかに異常な光景だった。
もしかして、何者かによって意識を奪われたのか?
だが、いくら平常時で戦闘時よりも油断していたとはいえ…妖夢ほどの者をあっさりと落としてしまうなんて。
やはり冥界という場所は一筋縄ではいかないらしい。
幸い相手はこの近くにいないのか、妖夢はその場で動かなくなるだけだった。
しかしこれだけの者が術にかかったのだ。相手はいずれここへやってくるだろう。そうなれば、今の妖夢を庇いながら戦うしかない自分は不利になる。
ならばこちらから攻め入るしかない。
そう決めた後の霊夢の行動は迅速だった。
まず相手が何を触媒に妖夢に接触しているのかを探る。
霊波?匂い?…いや、違う。
全身の感覚を研ぎ澄ませばすぐにわかった。
相手の触媒は、声だ。
かすかに聞こえる声に、魔力を感じる。
場所は…霞んで見える、池の反対側か。
ぎゅっとお払い棒を握り締め、そこへ向かって一直線に飛んでいく。
「くっ…生身の人間が聞いてもきついなんて、どんな声してんのよ…!」
近づけば近づくほど、声に乗せられた魔力の強さに驚かされる。
聞いているだけで、気を抜くとすぐに力が抜けてしまいそうになる。
生きてる者にさえこの影響力。
なるほど、半分死んでいる妖夢がああなるのも頷ける。
「っていうかそもそもあっちは半分生きてる方で、半分死んでるほうは幽々子が持っていったほうじゃないのかしら?」
ふとそんな考えもよぎったが、そこはあまり気にしないことにした。
以前、全体的に半分死んでいるんだと言っていたし、きっとそういうことだろう。
池の反対側がはっきりと見えてくる。
速度を上げ、急接近。
そのままの速度を維持して、お払い棒を振り上げる。
先手必勝。この一撃に全てを賭ける。
敵影の後ろ姿を確認。
そのまま振り下ろそうとして――
「え…うそ、霊夢?」
振り返った者の声を聞いて、霊夢の動きは完全に固まってしまった。
「……アリす?」
あまりにも予想外な人物との遭遇に、思わず声が裏返る。
「うん、そうだけど…お払い棒なんて構えちゃってどうしたの?あとここって白玉楼…よね?なんで霊夢がここにいるの?」
博麗神社を出発したときと同じアリスの出で立ち。それとアリスの周囲には五体の霊夢人形が待機しており、少し離れた場所でセイラが歌を歌っている。
どうやら正真正銘のアリスのようだ。
「う…あ、その……」
だが、まさかこんな所で会うなんて誰が予想していただろう。
そもそも彼女は客人じゃないのか?それが何故一人でこんな所にいるのだ?妖夢ほどの者を落とす呪歌を、まさかセイラが歌っているとでもいうのか?
「私は…そ、そう!弱った霊をここまで連れてきたのよ」
様々な疑問はあったが、不思議そうな顔で困っているアリすのため、まずは向こうの質問に答えてやる。
霊夢がそう言うと、疑問がしっかりと解けたのか、アリスはにっこりと笑う。
「霊夢の意外な一面発見。霊夢って案外やさしいのね」
「うっ…」
言葉に詰まってしまう。
言えない。言えるわけがない。まさかその本当の理由は下心に満ちたものだなんて。
アリスの屈託のない笑顔に、曖昧に笑って答える。
「そ、それでアリスは?なんでこんな所にいるの?」
「え、私?私は白玉楼に来た目的を果たそうと思ってここにいるんだけど…」
そう言ってほらっ、とバスケットの中を見せてくる。
そこにあったのは、色とりどりの薔薇だった。
向けられた数々の薔薇の匂いが、霊夢の鼻腔をくすぐる。
「私が白玉楼へやってきたのは、『枯れた薔薇』を手に入れるため」
「枯れた…?」
「そう、枯れてしまった薔薇。忘れた?白玉楼は死者の国よ。当然そこにあるものは、死んでしまったもの…。この薔薇も、現世で枯れて、ここへやってきた。そして一度死んでしまったものに次の死は訪れないわ。もしあるとすれば、それは真の消滅。だからこの冥界にある限り、枯れた薔薇は永遠に咲き続けるの」
アリスに丁寧に説明されて、そんなものなのかと理解する。
「んで、さっきからセイラが歌ってるのは、呪歌かしら?」
「あら、よくわかったわね。生身の人間にはあまり効果がないはずなのに…あぁ、そうか。ここにいるってこと自体本来は死んでるってことだものね。いつもよりも生者に対しても効果があるのかも」
「まぁ、そんなことはどうでもいいんだけど…この歌のせいだと思うんだけど、池の反対にいる妖夢の様子がさっきからおかしいの。どうにかなんない?」
霊夢がそう言うと、アリスは少しだけ驚いた表情になる。
それも当然の反応かな、と霊夢は思う。
この池の反対側といったら相当な距離がある。
そして呪歌というものは声という媒体の性質上、遠くにいけばいくほどその効力が薄くなる。
だというのに、妖夢ほどの実力を持つ者が引っ掛かるなんて…。
それは、その呪歌の完成度の高さを意味している。
「安心していいわよ、霊夢。この歌はただ相手を放心させる程度の効果しかないから」
体に害はない。そう聞いて、ほっとする。
「ふふ。妖夢のこと、心配だったんだ?いいなぁ、妖夢。霊夢に心配してもらえて」
そんな霊夢の様子を見て、からかうようにアリスが微笑む。
その瞳には、少しだけ妖夢を妬くような色。
「別にそんな心配してないって。でも私と一緒のときに妖夢に変になられたら幽々子になんて言っていいかわからないでしょ?ただそれだけよ」
アリスにそう言われ、急に照れくさくなってぷいっと顔を背ける。
「じゃあ、妖夢のところまで行ったら呪歌の精度を少し落としましょうか」
「あれ?薔薇を集めただけで何もしないの?」
「えぇ、何かするのは今日の夜。せっかくだから霊夢の見てみる?」
アリスから霊夢への誘い。
それは、きっかけを作るまたとない機会。
「そうね。せっかくだから覗かせてもらうわ。どんな魔法なのか気になるし」
ここは戒律を守らなくてはいけない博麗神社じゃない。
だからいくらでも、誘いを受けてあげられる。
霊夢が頷くと、その答えがよっぽど意外だったのか、アリスが面白いくらいびっくりした。
失礼だな。
そう思い、アリスにかるくでこピンを喰らわす。
涙目になるアリスを見て笑い、それを見たアリスも笑いだす。
やはりこの冥界も、幻想郷の一部らしい。
だってこんなにも――
平和、なのだから。
★☆★☆
草木も眠る丑三つ時。
広大な庭を縁側から眺める一人の少女。
少女は連れている人形の奏でる歌声に合わせて口ずさむ。
見上げる月は、鋭利な三日月。
満月とはまた違った美しさに、しばし見惚れる。
少女が口ずさむのをやめるのと同時に、人形も歌をやめる。
しばし静寂が訪れる。
その静寂を破るようにして、誰かの足音が聞こえる。
振り向けば、そこにはいつもの巫女服を着た少女。
「少し遅いわよ、霊夢。待ちくたびれちゃったわ」
「…アリスが時間を指定しなかったのがいけないんでしょう?私が悪いんじゃないわ」
「あら、魔法使いの儀式は丑三つ時にやるのが定番よ?巫女なんだから、それくらい察しなきゃ」
まぁ、今回のは儀式っていうほど仰々しくないけど。
そう苦笑するアリスの隣に霊夢が座る。
霊夢がちらりとアリスの方を覗くと、どうやらすでに準備は整っているらしく、少し大きめのすり鉢の中にいくつかの材料が入れられていた。
その中には、数時間前に摘んだ薔薇も数種類含まれていた。
だが摘んだ薔薇はアリスの望みにより、幽々子によって究極に消滅に近い形にさせられていた。
摘んだときの色彩を失い、一色の色に染まった薔薇。
だけど枯れ果ててなお誇らしげに咲き誇るその姿に、一種の感動を覚える。
「それで、結局聞きそびれてたんだけど、どんな儀式なわけ?そもそも薔薇を使うことに意味があるの?」
「ふふ。霊夢、それは少し違うわ。むしろ薔薇が大事なのよ」
普段とは違い、アリスが主導権を握っているこの状況。
少し嬉しそうな表情で、アリスがたずねる。
「ねぇ、霊夢?この世で一番美しいものってなんだと思う?」
「え?……う~ん、そうねぇ。一番美しいもの…私はそんなものに興味はないけど、あえて挙げるとすれば『永遠人』かしら」
美しいということは、欠けることなく、変わることなく、人を魅了してやまない、ただそこにあるだけで存在感を放つものであるということ。
ならばその形容は、永遠人にこそ相応しい。
「さすがは霊夢。物の見方をよく知ってるわね。…でも、真に美しいものの前では、それすらも見劣りしてしまうのよ」
「真に、美しいもの…?」
「そう。そしてそれは、永遠人は決して持てないもの」
そう言って、アリスはゆっくりと目を閉じた。
しばしの時間、二人の間に沈黙が訪れる。
霊夢は、その時間こそが美しいものであるような錯覚に見舞われる。
「それは、思い出という名の花。咲き続ける花は、所詮追憶の花の美しさに及ばないわ。そして永遠人は今を生きる存在。追憶の花という存在に気がつくことは、きっとないのでしょうね」
少しだけ。
本当に少しだけ、アリスの瞳に憐れみの色が見えた気がした。
だけど次の瞬間には真剣な表情になり、すり鉢に向かい合う。
すり棒でやさしく潰し、すり始める。
枯れ果てて水気を失った薔薇は、それでもなお己の存在を主張するように、強い芳香を放つ。
まるで最後の灯火を燃焼させるかのように、薔薇の強い香りが縁側に広がる。
何種類もの薔薇を合わせたその香りは、互いに自己主張することなくやさしく霊夢とアリスを包み込む。
ゆっくりと、念じるようにすり潰すアリス。
それに合わせるように、セイラがゆっくりと歌い始める。
それは今に相応しい夜の歌。
どこか懐かしさを感じさせる、不思議な歌。
ほどよく薔薇を潰し終わった後、さらに複数の材料を混ぜ込み粉末状にしていく。
「…………」
作業が終わったのだろうか。ぴたりと腕を休めるアリス。
だけどセイラは歌を止めない。
呪歌ではないはずの、ただの変哲もないはずの歌。なのにまるでこの歌の聞こえる範囲に結界を張り巡らされているような感覚になる。
完全に粉末状になったものを小さな小瓶の中に詰め込み、ぼそりと何かを呟く。
そのまま小瓶を持って立ち上がり、アリスが数歩前に進む。
「――風よ」
再びアリスが呟くと、セイラの歌声を逃がすまいとするように風が渦巻く。
「これじゃあまるで本当に結界のようね」
思わず霊夢が漏らすと、そうかもね、とアリスは苦笑する。
「今から、新しい呪歌を作るわ。だから結果的にこの風は、そのための結界といっても間違いじゃない」
さらさらと。小瓶の中の粉末が、風に舞い始める。
――昔、ある偉大なる詩人がいた。
ゆったりと歌いだすアリス。
意識していたわけではないのだろう。
だが自然とセイラの声と、重なる。
艶やかで、そしてどこか憐憫を含んだ歌声。
歌はやがて物語となり周囲に溶け込む。
――詩人は愛しき女性にこう問われる。
この世界で一番美しきは何か、と。
詩人は答える。
それは枯れてしまった花の美しさ。
それは追憶という名の幻影。
それは朽ちることなく永遠に咲き誇れる美しき楽園。
たとえ気高く美しく、誇らしい薔薇でさえ…その楽園には及ばない、と。
詩人はそう言って笑った。
病に侵され、体を動かすことさえ辛いはずの詩人は、だけど最後に愛しき女性の手を取る。
そう。この世で最も美しいものは、枯れてしまった薔薇だよ。
だけど愛しき君よ、どうか枯れてしまった薔薇を愛さないでおくれ。
そう言って、詩人はゆっくりと枯れていく。
愛しき女性は再び問い掛ける。
枯れてしまった薔薇を愛さないためには、どうすればいいのかと。
だが枯れ果てた詩人がその問い掛けに答えることは、ついになかった。
後にはただ、枯れ果てた愛しき人を潤すための哀しい涙だけが残ったという。
それは今は昔、遠い遠い昔の出来事――。
どこか懐かしい曲風に、物悲しい歌詞。
それは美しきバラード。
曲に、歌に。戯れるように粉は舞う。
アリスの周りを。セイラの周りを。そして風に乗ってどこまでも。
やがて小瓶の中に粉はなくなり、曲は終息へと向かっていく。
…風が集まってくる。
それもアリスに向かってではなく、セイラに向かって集束していく。
舞い散った粉は風に乗って戻ってくる。
先ほどよりも強い魔力を帯び、淡く発光している。
――そよ風程度だった風が、一際強く渦巻く。
淡く光る粉はやがてセイラ自身を光らせ、そして――弾けた。
「……っ!」
目を開けていられないほどの突風。
セイラを中心に、外へ外へと逃げるように風は吹き荒れる。
やがて風も収まる頃、ようやく霊夢は目を開いた。
そこにはいまだ歌い続けるセイラの姿と、満足げなアリスの姿があった。
「これで完成、かな」
頷くアリス。曲はいつのまにか最初にループしていた。
「完成って…何にも変わってないように見えるんだけど?」
「霊夢にとってはそれでいいのよ。呪歌っていうのはもともと、一つの効果に特化したものだしね。…でも、何にも変わってないってのはちょっと鈍いかな。ほら、よく聴くとなんだかセイラの声が艶っぽくなった気がしない?」
そう言われても変わらないものは変わらない。
う~ん、と首を捻る霊夢にアリスは苦笑する。
「うん、でもそれでこそ霊夢よね」
「…それ、ひょっとして私のこと馬鹿にしてる?」
「そんなことないわよ。私は、褒めてるつもりなのよ?」
でも当人が褒められてるように思えないのだからそんなことを言われても嬉しくも何ともない。
…よし、それならば少しは変わったことをして見返してやろう。
くすりと意地の悪い笑みを浮かべ、霊夢が立ち上がる。
「アリスにそういう風に思われてたなんてちょっと心外ね。私はこう見えても、繊細なのよ?」
アリスの方へと歩いていき、その手を取る。
そしてそのままくいっと自分の方へ引き寄せる。
「えっ、あの、その…れれれ霊夢っ!?」
突然のことに顔を真っ赤にして動揺するアリス。
「れ、霊夢ぅ…いきなりどうしちゃったのよぉ……」
先ほどまでの雰囲気はどこへいったのか、急にしおらしくなるアリス。
やはり、アリスは主導権を握られると途端に弱くなってしまうらしい。
…でも、こっちの方がやっぱりアリスらしいよな。
そんなことを考えながら、ゆっくりとステップを踏んでいく。
「こんなに綺麗な月夜の下で、さらにセイラが歌ってるのよ?踊らなきゃ損じゃない」
「で、でもいきなりなんて卑怯よ。それに…そういったものにはそれ相応の手順ってものがあるでしょう?」
いきなりのことに戸惑いながら、それでも霊夢の踏んでいるステップに気がつき、必死に調子を合わせるアリス。
「あら、私としてはそれ相応の手順を踏んだつもりなんだけど?」
「どんな手順よ、それ」
「まずは踊りたいと思った動機があって、それを実行した。ほら、ちゃんとした手順」
「う~、めちゃくちゃよ」
「そのおかげでアリスの恥ずかしがってる顔も見れたし、私としてはいいことずくめだけどね」
にやりと笑ってみせると、アリスは赤い顔のまま俯いてしまう。
「お~お~、照れちゃって。可愛いわねぇ、アリス?」
「う、うるさいわね。す…好きな人にそんなこと言われたら誰だってこうなるわよっ」
相変わらずこっちまで顔が赤くなるような発言を連発する子だ。
霊夢は少しだけ自分の顔が赤くなっていることを自覚しながら、苦笑する。
「私のことが好き、か。……そうね、そういえばもう一つだけ手順を忘れてたかもしれないわ」
そうだ。アリスのこんな表情が見たいがために、一つだけ抜かしてしまった手順があった。
ぴたりとステップを止め、少しだけアリスと距離を取る。
そして一度だけ深呼吸をして、じっとアリスの瞳を見つめる。
「アリス。私の愛しいアリス。どうか私とダンスを踊ってはくれませんか」
月明かりの下。他に誰もいない二人だけの小さな小さなステージで。
アリスに聞こえるように、はっきりと。
一片の迷いもない笑顔で。
そう言った。
「…えっ?」
一瞬惚けたアリス。
だが次の瞬間にはその意味を理解して、顔を耳まで赤くする。
――私の愛しいアリス。
我ながら少し恥ずかしい言葉だ。
だけど、きっとアリスは今の自分の何倍も勇気を出して、私に好きだと告白したはずだ。
アリスは強がりだから、そんなことは口が裂けても言わないだろうけど。
だから私も、私らしくないかもしれないけど、その気持ちに精一杯応えてあげよう。
手を差し出して、アリスをダンスに誘う。
アリスの腕が、逡巡しながら伸びてくる。
この誘いが断られることはないだろう。そうわかってはいても、やはりこの瞬間は緊張してしまう。
あと数センチ。あと数ミリ。
そして――
「……はい。喜んで、お受けいたします」
アリスが微笑む。
さぁ、ダンスを始めよう。
――さぁ、恋を始めよう。
指を絡めて。
この先、何があっても決して離すことはないと誓うように。
ステップを。
これからの二人の道のりが、軽やかであれるように祈りながら。
愛の口付けを。
二人が枯れ果てぬように、唇を潤わせて。
「ねぇ、霊夢?」
「ん…何、アリス」
「私、今とっても幸せなの」
「私もきっと幸せよ」
「ふふ…だから、幸せなのよ」
「…どういう意味かしら?」
「霊夢が幸せだから、私も幸せなの」
「そんなものかしら。よく、わからないわね」
「そんなものなのよ。あなたにも、いつかわかるわよきっと」
霊夢は思う。
アリスの言う通りになればいいな、と。
「ねぇ、霊夢?」
「ん…何、アリス」
「――大好きよ」
「……私もきっと、大好きよ」
「ふふ、ありがとう」
霊夢は思う。
いつかアリスが自分を好きでいてくれるのと同じくらい好きになって、胸を張って好きだと言えるようになれるように、アリスだけを想い続けたい、と――。
グ○ン○ートのEDですか・・・。
前回同様楽しく読ませていただきました。
次回作は誰が出てくるのやら。楽しみです。
次回も期待します!
次回作も期待してます。楽しみです。
霊夢の思いに気付かずに突っ走っていくアリスがもう可愛くて可愛くてどうしようもありません。
霊夢は霊夢でアリスに思いの丈をぶつけられつつも、己の葛藤と意地やプライドの狭間で悶えている姿もまた愛しいのです。
それとリリカとメルランの確信犯(用法違、いや、あってるのか?w)振りもステキでした。
何はともあれ、最高の霊夢×アリス、どうもありがとうございました。
とても楽しませて頂きましたよ。
実に面白かった。
もう誰もみてないとは思うけど、コメントせずにはいられなかったw
永夜以降レイアリは衰退の一途を辿るばかりだぜ
もう誰も見ないと思うけど書かずにはいられませんでした!
もう本当に神!!!!