頬に塗られたファンデーションは厚ぼったく、
瞼に躍るアイシャドウの青は瞳を押しつぶし、
唇に引かれた赤色は滴る血を思わせた。
魔理沙は傍らのテーブルに腕を伸ばし、小指に一すくい、口紅の赤をその指先に付け、更に唇に上塗りする。
紅花から抽出した口紅は、シャーレの上で指の形だけへこんでいる。油紙の上には粉末状のアイシャドウが飛び散り、木製のパレットには肌色のファンデーションがへばりついていた。
魔理沙は顔を右へ左へ傾け、鏡の中にいる自分の顔を見つめる。見つめて、ため息をつく。
「あら魔理沙、これからカニバリズム? いいわねぇ、魔女らしくて」
不意に聞こえた言葉が、魔理沙の体をビクンと揺らす。震えた足がテーブルをけり、その上に広げられていた化粧道具一式を床へと落とした。受け止めようと半端に動いた腕は宙を掴み、そのせいで魔理沙自身もバランスを崩し、椅子の上から体が浮く。
しりもちをついた途端に家がきしみ、古びた床が悲鳴をあげた。今日の日付に二重丸が付けられたカレンダーが、まるで指差して笑いこげるように、壁からこぼれ落ちた。
魔理沙はお尻を摩りながら、声のしたほうに顔を向ける。
「紫、なんでここにいるんだよ」
スキマから体半分だけのぞかせている紫は、あら、と言って笑顔をうかべる。
「幻想郷に異変の種が無いか、巡回中なのよ」
「ここは私の家なんだけど」
「あなたの家だろうと何だろうと幻想郷には変わらないわよ?」
やれやれ、と魔理沙はため息をつき、倒れた椅子を起こして、座りなおす。床に散らばった化粧道具を見下ろし、頬杖ついて目の前の鏡を睨み付ける。不機嫌そうで、ひどく悲しげな顔がこちらを睨み返してきた。
「それで」紫をスキマの境界に腕を突き、体を乗り出してくる。「お化粧して、一体何のご予定かしら? もっともそれじゃ、化粧と言うより仮装という感じだけど」
「お城のダンスパーティーにお呼ばれされてましてね」魔理沙は、へん、とひねくれた鼻息を飛ばす。「12時で魔法が解けるのはいやだから、早目早目の準備をしてんだよ」
「ふぅん」紫はすっと目を細め、部屋の中のベッドへ視線を走らせた。鏡越しにそれを見ていた魔理沙も、釣られて紫と同じ方向に目を配らせる。
視線の先にはベッドがあり、昨日の夜から出しっぱなしの服が、山となってうずくまっていた。何を着て行こうか散々迷った挙句、結局いつもと同じ白黒の服にしてしまった。
その隣には、葦で作られたバスケットが置かれていた。中にはパチュリーの本相手に四苦八苦して作ったクッキーと、スズランの花束が入れられている。ふた代わりのかけられたクロスを押しのけ、スズランの白い花弁が顔をのぞかせていた。花束には二つ折りのカードが挟まれており、表に書かれた『happy』という筆記体が見て取れた。
しまった、と思ったときには、遅かった。紫は再び、ふぅん、と喉をうならせ、
「なるほど」
と、魔理沙の方に向きなおった。魔理沙は鏡をテーブルに伏せ、気付かない振りをする。好奇の目で見られるのは、好きではない。
「魔理沙、ちょっとこっち向いてみなさい」
はぁ、と何度目かも分からないため息をついて、椅子をゴトゴトやり後ろを振り返る。
同時に、柔らかな感触が顔に当たる。「ぅわ」といって仰け反ろうとするが、瞬時に伸びてきた紫の手が、魔理沙の頭を押さえつける。
「ほら動かないの、じっとしてなさい。それと目をつぶって、瞼のが取れないじゃない」
顔中をごしごしやるのは、紫が持つ、目の細かいハンカチの感触だった。初めのうちこそどうにか抵抗しようとしていたが、次第にそれも億劫になり、なされるがままとなっていく。
顔中を無駄なく動き回る絹は、紫の繊細で大胆な力加減と相まって、くやしながら、どこか心地のいいものだった。
やがてそれも終わり、ハンカチが顔から離れる。頬に残った感触が、名残惜しいものとなっていた。魔理沙はぎゅっと握り締めていた瞼を開ける。
一体どこから取り出したのか、紫の手には細長いルージュが握られていた。
「化粧てのはね、塗ればいい、てもんじゃないのよ」
円筒のルージュの下部をくるくる回すと、唇の形に添って削られた、桃色の塊が姿を現した。ほら口閉じて、紫の言葉のままに唇を合わせ、口を閉じる。白い手袋に包まれた腕が、雨上がりの虹のように、すっと魔理沙の唇まで伸びてくる。
「特にあなたは若いんだから、何も塗る必要なんて無いのよ。これで十分」
唇に押し当てられたルージュは、ずっと昔に嗅いだきりの、母親の香りがした。上唇を右から左に線を引き、帰りは下唇を通ってもとの位置に戻ってくる。と、同時に唇からルージュが離れる。
「はい、お終い」
魔理沙は無言のまま、後ろ手に鏡を取る。自分の顔を映し出し、その唇を彩るピンクの輝きを見つめる。
「どうかしら?」と紫は訊く。
「いい、と思う」魔理沙は答える。人差し指を伸ばし、軽く唇に触れる。いつもとは違う、つやつやとした感触が指先に伝わった。
「それは、良かったわ」紫は器用にスキマの境界に頬杖ついて、微笑を浮かべたまま、魔理沙を見つめていた。
魔理沙は鏡を持った手をひざの上に置き、唇を撫でた人差し指を見つめる。その指先には、きらきらと耀くピンク色の魔法が耀いていた。
「なぁ、紫」
「何かしら」
「――化粧で人は変われるもんなのかな? 大人になるとか、そういう意味で」
変われるわけ無いじゃない、意外なほどあっさり出てきた答えに、魔理沙は思わず肩をがくんと滑らせる。本日二度目の落下をすんでの所で食い止め、はぁ?、と大口開けた顔で紫を見つめた。
「化粧したって、その人はその人のままよ。そんなの当たり前じゃない」
はぁ、と今度は落胆の意。途端に、人差し指の魔法が安っぽい手品に見えるのだから、いい加減なものだと、魔理沙は思う。
けどね、紫はそう言葉を続ける。魔理沙は顔を上げる。紫の変わらない微笑が、そこにはあった。
「化粧したい、という気持ちは女の魅力をひき立てるわ。あなたは、一体誰の事を考えながら綺麗になりたいと思ってたのかしら?」
一瞬、魔理沙の意識が記憶の中へと飛んだ。
そこには幼い頃の魔理沙がいて、目の前には今も昔も寸分変わらない大きな背中があった。その白い髪に触れたくて、そのぶっきらぼうな肩に並びたくて、心の中ではいつだって足の裏一つ分、背を高くしていた。
あれから何年たったのだろう。今では足を突っ張らなくても、ちょっと腕を伸ばせば、幼い頃思い描いていた場所に触れる事が出来る。けれど、世の中を吸い取って大きくなった心が、いつだって邪魔をしていた。
「別に」魔理沙はそう、答える。火照った頬が誰にも見つからないように、顔を伏せ、被った帽子をずり下げる。
「あら、そう」紫は手で口元を隠し、それでも隠し切れな笑い声がクスクスと伝ってきた。
「それじゃいい事教えてあげる。魔理沙、男なんて簡単よ。とびっきりの笑顔と、さりげないボディタッチ。これでイチコロよ。はい、復唱。自分の口で言ってみなさい」
とびっきりの笑顔とさりげないボディタッチ。魔理沙はぼそぼそと、口の中でかみ締めるように、紫の言葉を繰り返す。
紫は満足げに頷いた後、
「それで落ちなかったら、パンチラくらいサービスよ。どうせ早いか遅いかの問題だわ。見られるくらいなら見せ付けてやりなさい」
パンチラくらいサービス。どうせ早いか遅いかの違い。見られるくらいなら見せ付けてやれ。
「分かった?」という紫の言葉と、魔理沙の右手から炸裂したマスタースパークは、ほとんど同じタイミングではなたれた。紫は目前にスキマを広げて、いつもより5割り増しに太い光の筋を飲み込む。
光が過ぎ去った後、そこには目をうずまきにし、顔をこれでもかと言うほどに真っ赤に染め、荒く息をしながら仁王立ちになる魔理沙の姿があった。
「なななななにいい言わせっせててんだだよ。ばっかじゃねぇの」
「あらあら、興奮するにはまだ早いんじゃない? ほら窓の外を見なさい、まだお日様が見下ろしてるわよ。それとも、そっちの方がお好きなのかしら?」
「帰れ!! 今すぐ帰れ!! 帰って寝ろ!!」
うふふ、と紫は悪戯な笑みを残し、水中に沈むように、スキマの中へ、その身を潜らせていく。アーモンド形に開いたスキマが徐々に閉じていき、やがて一本と線となり、虚空へと消えた。
どこかで鳥が鳴いていた。風に窓ガラスがぴしぴしとゆれ、カーテンが何かを飲み込んだかのように大きく膨れた。誰もいない、いつも通りの家の中、魔理沙はようやく息を落ち着かせ、
「そういえば一つ言い忘れたわ」
また大きく肩を震わす。
今度は顔だけをのぞかした紫が、魔理沙を見つめている。そして、先ほどとは違う、純粋な笑顔を浮かべながら
「頑張りなさい」
それだけを言い残し、今度こそ本当に、紫はその姿を消した。
魔理沙はたっぷり何分も同じ体勢で、紫が消えた空間をにらみつけ、ふと、糸が切れたようにベッドに倒れこんだ。ベッドがきしみ、衣服の山が崩れ、顔に覆いかぶさった。バスケットが倒れ、クロスが舞い、花束にはさんでいたカードが零れ落ちた。
カードの表紙、「happy」の後ろには続きがあった。さり気無くも丁寧というコンセプトの元、たかが数文字に何時間もかけてつづった言葉が、そこには刻まれていた。
『happy birthday korin』
魔理沙は目を瞑る。瞼の裏に、幸せな想像を映し出す。いつかそれが明日の記憶になることを願い、すっと、息を吐き出した。
名前を呼ぶのが恥ずかしいのか
何ともかわいい照れ隠し
恋する乙女は綺麗さ、とは有名な話ですが。
紫も素敵でなんと素晴らしいSS・・・恐れ入りました
散々何時間も悩んだ末に結局こーりんにしてしまったんだな。
明日から霖之助と書けるようになれればいいですね。
なんとなく、魔理沙は照れ屋なイメージがあります。
努力を隠している辺りとか。
>>5
お褒めの言葉、嬉しく思います。
やっぱ化粧は目的でなく手段であってほしいと思っております。
>>11,12
それでお落ちなかったら→それで落ちなかったら
次第になされるがままと→なされるがままと
以上で修正しました。ご指摘ありがとう御座います
恋する乙女は基本、無敵です。色々と
お読みいただき、ありがとう御座いました。
なんだか仲の良い姉妹のようでした。
そうですねぇ
紫は、なんとなく歳若いお母さんという気もします
>>21
ありがとなぁもう