――宝塔をなくしちゃいましたぁ。
最初にそれを聞いた時、ナズーリンは一体何の聞き違えかと思った。
私も耳が遠くなったのかね、と思ったので、念のためもう一度聞き返してみた。
それでも、やっぱり同じ答えが返ってきた。
――今度は何の冗談かと思って、ナズーリンはやっぱりもう一度聞き返してみた。
「ですから、あの宝塔を、なくしちゃったんですってばぁ!」
三度目の正直、とでも言うのだろうか。三回とも同じ答えが返ってきた。
やっぱり聞き間違えでも、冗談でもなかったらしい。
もしこれが只の冗談だったら、いくら自分の主人とは言え、この場で一、二発張り倒していたところだった。
いくら何回も聞き返したからって、耳元であんな大声で叫ぶことは無いだろうに。
まだ耳の奥で、やたら甲高い主人の声が共鳴している。
「はぁ……。で、私に探して来いってことですか?」
「うぅ、すみません……。でもでも、私が探すよりは、ナズーリンが探してくれた方が絶対早いと思うので……」
なるほど、その辺は流石に理解しているらしい、とナズーリンは皮肉ってみる。
そしたら、ただでさえ涙目の星の目に更に涙が盛り上がってきたので、泣かれるのも面倒と思い、その辺でナズーリンは皮肉るのを止めておいた。
――全く。後で何か見返りでもふんだくってやろうかね。
そう心に決めて、ナズーリンは星に背を向け、歩みだした。
「はぁ……。まぁ、あれが無いとどうしようもないのは間違いないですしね。ちょっと探してきます。ご主人はもう、何も落とさないように気をつけて下さいよ?」
背後からお願いします、と今にも消え入りそうな声を受けて、ナズーリンは一路、船から飛び立った。
この時ほど、自分のダウザーとしての能力に安心した事は無かった。
◇ ◇ ◇
ふよふよ、と自前のダウジングロッドの示す先に向かいながら飛んでいくと、目の前には大きな森が広がっていた。
ナズーリンには知る由も無いが、この幻想郷では『魔法の森』と呼ばれている、広大な森である。
途端、ナズーリンは思わず顔を顰めた。
自分のダウザーとしての能力に自信がないとは言わないが、流石にこれだけ広大な森の何処かにあの小さな宝塔が落っこちている、と考えると、それだけで探す気が失せてくる。
「全く、ご主人もとんでもない所で落し物をしたもんだね。……次からは、落としそうなものには紐でもくくって身につけてもらった方がいいのかもしれないな」
一人ごちながら、まだ飛行を続ける。
ダウジングロッドは、まだこの先を示している。
一体どこまで深く行けばいいのか、と、考えるだけでも更にやる気が削がれてくる。
――そしてそのまま、更に一時間ほど飛行を続けただろうか。
結局、ナズーリンは魔法の森をほぼ横断しかけていた。さっきまでは進めど進めど眼下一面全てが緑溢れる木々であったが、今はその端が向こうの方に見えてきている。
しかし、ダウジングロッドの示す先は、まだ真っ直ぐのままである。
「……森の中じゃないのかねぇ」
この辺の地理には詳しくないのでよく分からないが、この森の中でないとしたらどこにあるのだろうか。
そんな事を考えながら、あれだけ広大だった森をそのまま横断しようとしていた時。
「……ん?」
ふと、今まで真っ直ぐだけを指し示していたダウジングロッドの向きが、微妙に変わり始めた。
それは魔法の森の端に近づくにつれ顕著になっていった。
だんだんと下向きになっていくロッドの先を見やると、どうやら森の外れに一軒の建物があるようであった。
よく見れば、ロッドの先はあの建物を指し示しているように見える。
「……ふむ」
一つ頷き、ナズーリンは高度を下げていく。
そしてその建物のすぐ近くに降り立った。ロッドの先は、間違いなくその建物の方を指していた。
その建物に歩み寄り、外観を確かめる。
何の変哲も無いその建物には屋号なのだろう、『香霖堂』と墨字で書かれた看板がかけられていた。
「……」
正直、余り良い予感がしなかった。
いや、その点で言えば、ロッドが指し示す先がどう見ても人家であった時点で既にその兆候はあった。
人に拾われている可能性、というものをナズーリンは考えていなかった訳ではなかったが、出来ればそうでない方向が一番好ましかった。落ちている物を探し出す事の方が、拾った相手から譲ってもらう事よりも精神的な意味で楽であるからだ。
しかも今回のその拾い主は、どうやら店舗を構えている商売人であるようだ。
どう考えても、一般人を相手にするよりかは面倒になる事を考えずにはいられなかった。
「……はぁ。ご主人も、ほとほと面倒な事をしてくれる……」
本日何度目になるか分からない溜息を、ナズーリンは吐いた。
溜息の数だけ幸せが逃げると言うが、これが溜息を吐かずにいられるだろうか、と文句の一つでもつけたくなってくる。
――とは言え、捨て置くわけにはいかない代物であることは確実である。
あの宝塔がなければ、今後の行動の殆ど全てと言ってもいい部分に障害が出てくる。
それも回避不能なほどの、とんでもない障害である。
腹を括り、ナズーリンはその店の扉に手をかけた。
◇ ◇ ◇
ぱら、と本を捲る音だけが、静かな店内に響き渡った。
定期的に響くその音と、時折思い出したかのようにお茶を啜る音だけが、この香霖堂の中で時間が進んでいることを対外的に示していた。
「――ふぅ」
暫くまた本を捲る音が続いた後、この香霖堂の店主である森近霖之助は、一つ溜息を吐き、栞を挟んだ本を閉じた。
ぱたん、とカウンターに閉じた本を置き、またお茶を啜って、いつもよりも格段に静かな店内に視線を巡らせた。
――今日は随分と静かだな。いや、今日も、と言ったほうがある意味適切か……。
霖之助が思った静かには二つの意味がある。
一つは、今日も順調に来客が無いと言う事。
順調に、とはとても商売人の思うようなことではないかもしれないが、この香霖堂は立地条件がまず人里から遠く離れた魔法の森の入り口にあると言うことに加え、店主自体が営業というものに関心が無い。
霖之助自身は人間の道具だけでなく、魔法関係の小道具や妖怪達の道具、魔界の魔道具や外の世界の品物など、とにかく雑多な道具を扱う道具屋であるが、『道具とは然るべき人物の手に、然るべき時期に渡るものである』という理念の元に店舗を構えているため、自分から客を呼び込むと言うことは殆ど無い。
何故ならそれは、『然るべき人物の手に、然るべき時期に道具を渡らせる』事が出来ない恐れがあるからである。
然るべきでない人物の手に渡った道具の辿る末路など悲惨なものである。出来るなら、自分の扱う道具達にはそういう末路を辿らせたくは無い。
そういう確固とした理念があるのだが、如何せん店主自体の愛想の無い接客態度から、この店を訪れる殆どの客からは『香霖堂店主は営業する気が全く無い』と認識されている。
――全く失礼なものだ。確かに余り愛想の良い方ではない事くらい分かっているのだが、それは優先的に比重を置くのが客か道具かの違いだけだと言うのに。
霖之助は一人思考するが、客商売をする以上は本末転倒であるような気も段々としてくる。だが、其処はあえて考えない。
どう頑張っても、自分が愛想を良くすることなど出来ないのだから。
霧雨の店で修行していたときも、よく霧雨の親父さんに『もっと笑え霖之助』と言われていた気がする。
――そして二つ目の意味とは、いつも用も無く店に来ては嵐のように去っていく、黒白と紅白が今日は来ていないことだ。
霊夢はまぁともかくとして、魔理沙は本当に良く来る。
『生きてるかどうか確かめに来たぜ』とか、『あんまりにも暇すぎてたまたま来てやったぜ』とかのたまいながら、『客に茶くらいは出すものだぜ』と言い放つわ、勝手に店の品物を持っていくわで、最早手のつけようが無い。
自分が霊夢や魔理沙に強く出れないのも、一つの要因だろうと霖之助は分析する。
何だかんだで甘いのかもしれないが、なんだかんだでツケ帳にはしっかりと記録しているあたり、霖之助もやはり商人であった。
「……」
一人思考を巡らせていると、ふと誰かが入り口の扉の向こうにいるような気配を感じた。
自分ひとりだから気付いたのであろう、その小さな気配は、しばしその場を動くような感じはしなかったが、ややあって、軽い足音が霖之助の耳朶を叩く。
そして、今日初めての来客が、香霖堂を訪れた。
「やぁ、こんにちは。君が店主かい?」
からんからん、とベルを鳴らして入ってきたのは、ぱっと見た目は霊夢や魔理沙とそんなに変わらないくらいの少女だった。
だが、その頭のてっぺんには、二つのネズミの耳があり、スカートの裾からは同じようにネズミの尻尾が出ている。
人間の特徴ではないそれと、今まで見たことがない顔を見て、霖之助はおや、と心に思った。
「ああ。僕がこの香霖堂の店主、森近霖之助と言う。君は……初めて見る顔だね」
「そうだね。私はナズーリン。呼び捨てで構わないよ。まぁ見ての通り、何てこと無いネズミ妖怪さ」
ドアを後ろ手で閉めると、そのナズーリンと名乗った少女はとことことカウンターの傍までやってくる。
ややもすればカウンターに隠れてしまうくらい小さい。霊夢や魔理沙たちよりも小さいだろう。
だが、口ぶりや発している雰囲気から考えて、とても『何てことの無い』ネズミ妖怪のようには、霖之助は思えなかった。
先ほどから自分を値踏みしているかのような、内面を見透かそうとしてくるような目は、霊夢や魔理沙、紅魔館にいる咲夜のような若年の人間にはまだ出来そうにない目であった。
――ふむ、と霖之助は胸中で一つ頷く。
これは久々に油断ならない――逆に言えば、上手く渡り合えば売り上げを期待できそうな――客が来たようだ。
「そうかい。それではナズーリン、君は何かお探しかい? ここは見ての通り、人間の里の物から魔法商品、魔界の道具から外の世界の品物まで扱っているところだ」
「あぁ、別に飾ってある物には興味が無いんだ。……なぁ店主。君の店で、手に乗るくらいの、そうだね、これくらいの塔の置物を最近扱ったりしたかい?」
これくらい、とナズーリンが示したのは、彼女の小さな手のひらに乗るくらいの大きさのものであるらしかった。
――そのくらいの大きさの塔の置物と言えば、確かに最近一つだけ、霖之助の所に渡ってきたものがある。
名前を『毘沙門天の宝塔』、使用用途は『封印を解く』。
使用用途もそうだが、財宝神の名を冠するその名前からして相当な代物だ。
正直、霖之助の手に負えるようなものでないような気も薄々していたので、非売品にしようとは思っていなかったが、かと言って誰にでも売ろうと思えるような物でもなかった。
魔界の道具や外の世界の物には、下手な人物に渡せば悪用されかねないものも少なくは無い数がある。件の宝塔を店先にではなく、奥の倉庫に置いてあるのも、霊夢や魔理沙に勝手に持っていかれないようにするためだ。
然るべき人物の手に道具を渡らせる、ということは、つまりこういう事も兼ねている。
その人物を見極める必要が時にはある。
――とは思っていたものの、実際やるのはこれが初めてだったりするのだが。
「塔の置物かい? ……そう言えば、ここ最近、そんなようなものを一つ仕入れたかな」
「ああ、やっぱりかい。じゃあそれを見せてくれないかい?」
――やっぱり?
何やら腑に落ちない言葉遣いをするナズーリンに、霖之助は警戒の色を強める。
やっぱりとはどういうことなのか。
ナズーリンはこの店に来るのは初めてである。それは仕入れの時以外は店を開けることのない霖之助が見たことのない顔であるし、第一ナズーリン自身も初めて来たことを言っていた。
と言うことは、店に宝塔があることを初めから知っていたこととなる。
これはどういうことのなのだろうか。
可能性としては、あの宝塔は自分に拾われる前に誰かの物であり、その誰かから話を聞いていたか。
しかし、それでは『この店にあることを知っている』理由にはならない。それだけでは宝塔の存在を知っているだけに留まる。
考えられるもう一つの可能性は、何らかの能力でこの店にあることを突き止めたか。
こちらの方が大分現実的だ。
恐らく、ナズーリンが持つ、妙な形をしたあの二本の金属製の棒がその道具だろう。触ってみないとあの道具が何をするためのものか分からないが、いつか読んだ本の中で二本の金属棒を用いて探し物をするダウジングという技術があった。
きっとその類なのだろう。
――それで調べてまで、あの宝塔を探している理由を探る必要がありそうだ、と霖之助は思った。
「? どうしたんだい、店主。あるならそれを――」
「ああ、すまない。少しぼうっとしていた。……結論から言おう。確かに君が言う特徴に合致するものはある。しかし、あれは僕が最近拾得したものの中でも結構な代物でね。おいそれと出すわけにはいかない。もしよければ、少し話を聞かせてもらってもいいかい?」
「――ふぅ」
霖之助がそう告げると、ナズーリンはやれやれ、とでも言いたそうに溜息を吐いた。
もしかしたら、こうなることもある程度は予想済みだったのかもしれない。
「……まぁ、本来なら説明する義理は無いが、私としても君がどうして結構な代物と判断したのかも気になるところだね。一つ、情報交換といこうか」
「話が分かる子で助かるよ。立ちっぱなしもなんだろう。この椅子に座るといい」
「ああ、ありがとう」
霖之助は手近にあった椅子を勧める。
ナズーリンも勧めを断ることなくそれに腰掛け、座った状態で二人は改めて向き合った。
「改めて自己紹介をしよう。僕は森近霖之助と言う。この香霖堂の店主をしている」
「ああ、丁寧にありがとう。改めて、私はナズーリン。しがないネズミ妖怪さ。……さて、いきなりだが店主。君は君が拾った置物について、どこまで知っている?」
「おや、本当にいきなりだね。こういったやり取りでは、そういう探りは現在の所有者が先に尋ねるものだよ」
ふむ、と霖之助の言葉にナズーリンは頷く。
霖之助の言葉はあながち間違いでもない。普通なら、自分が持っていない品物の事をその所有者より知っている、ということはあまり考えられないからである。
しかし、どうやら今回のケースは、そういった一般の事柄には当てはまらなかったようだ。
「その意見には賛同だが、生憎とその置物は元は私の主人の物かもしれなくてね。そうだったなら、ただ拾った君よりは、私の方がその置物の事を知っているのは自明だろう?」
「ほう、なるほど。どうもただ商品を見に来たような感じはしなかったが、そういうことだったのか。納得したよ」
どうもそんなような気はしていたが、まさか持ち主であるかもしれないとは。
「それに、君がそう見定めたように、あれは少しばかり特殊なものでね。君がどれくらいあの置物について知っているかによって、私もどこまで話していいか判断しないといけない。場合によっては……いや、何でもないよ」
何が何でもないのだか。
そこまで言ってしまえば、後に続くセリフが血の匂いがしないものでないことくらい、誰にでも分かるだろう。
全く、これもまた、面倒そうなことに巻き込まれたらしいな、と霖之助は自分の不幸体質を呪った。
「なるほど、とりあえず君が僕との話し合いに応じてくれた理由は分かった。それと、今更ながら応じてくれたことに礼を言おう」
「……何のことだい?」
「どうも僕の周りは、人の話を聞きたがらない子が多くてね。すぐ実力行使に出たがるんだが、君は違う。君みたいに落ち着いて話ができる子は好きだよ」
「……そうかい」
ふい、と何だか慌てたように、ナズーリンはそっぽを向く。
若干頬に赤味が差しているが、照れているのだろうと判断し、霖之助は話を進める。
「さて。それじゃあ話を進めるが、僕が拾ったその置物は、これくらいの大きさの、妙に光を発する赤色の宝玉が中心にある塔の形をした置物だった。…まず、この特徴は君の知っているものと合致するかい?」
「ああ。大体同じだ。…いや、一つだけ違うな。中心の宝玉は確かに光を発するが、色はどちらかと言えば透明度のある水色に近いものだったが…」
その置物は違うのかな、とナズーリンは得心がいかない表情を浮かべて小首を傾げる。
が、実際のところ、霖之助が語った宝塔の特徴は、彼が拾ったものとは異なっていた。
彼の拾った宝塔は、ナズーリンの言うように宝玉の色は透明な水色であった。
つまり、真実の中に一つだけ嘘を混ぜ、ナズーリンの様子を探ったのだが、それは見事に看破されたのだ。
「……ふむ、なるほど。すまない、今のは君が本当にあの置物のことを知っているのか試させてもらった。確かにあの置物の宝玉は透明な水色だった」
「……君も意地が悪いね」
「なに、こういったやりとりはふとした時にやらないと信用できる結果が得られないものさ。逆にこういったやりとりで結果が得られれば、それは揺るぎない信用になる」
意地が悪い、とやや細い目で睨んでくるナズーリンだが、霖之助はそんな視線を軽く受け流す。
そして今度は真正面から、真っ直ぐに質問を投げ掛けた。
「それじゃあ僕からは次が最後だ。これが僕と一致すれば、僕は君をあの置物の事を知っていることを認めよう」
「おや、次はやけに堂々と尋ねてくるね。さっきみたいな手は使わないのかい?」
「言ったろう、揺るぎない信用になる、と。僕は君がさっきの問いで正しく答えたことで、もう九割がた君を信用している。最後の問いは、残りの一割を確実に埋めるためのものさ。……それにナズーリン。君にとっても、僕がどの程度あの置物について知っているかを知る事ができる」
「へえ。……正直、さっきから主導権を握られて飽きてきたところだったんだけど、そう言われたら吝かじゃないね。どんな問いだい?」
なるほど、ナズーリンはそう思っていたのか。
道理で見える尻尾がつまらなそうにくたーっとなっていると思っていたが、そういうわけだったのか、と霖之助は納得する。
さて、それはさておき、どういう風に尋ねるか。
九割ほどは、彼女があの宝塔のことを本当に知っていると信用しているものの、毘沙門天の名を出すのはまずいだろう。
もしかしたら、殆ど同じ外見の、全く別のただの置物を探している可能性がまだ残っている。
……となると、と考えると、こう尋ねるのが一番妥当か。
霖之助はやや置いた間で思考をまとめ、それを口にした。
「……僕の見解では、あの置物はとある縁起のいい、結構な身分の人物の持ち物だ。そしてその使用用途は、何かを解くものであるらしい。……君が探しているものとこれが同じなら、僕があえて暈した部分が分かっているはずだ。……それに」
「君がどこまであの置物について知っているかも確認出来る、か……。なるほど、確かにその通りだよ」
霖之助が言わんとしていた事を先に告げ、ナズーリンはくく、と身を震わせる。
何だか嫌な予感がする、と霖之助が思うのと、ナズーリンが持っていた二本の金属棒の先端が自分の喉に押し当てられるのは、殆ど同時だった。
「……君がどんな能力を持ってるのかは知らないけど……ちょっと知り過ぎたんじゃないのかい?」
「……結局こうなるのか。まぁ、出来れば争い事は勘弁してくれ。こう見えても自己防衛出来るほどの腕前はなくてね。こちらとしては抵抗する気もないんだが」
両手を上げ、霖之助は無抵抗をポーズする。
そんな霖之助をナズーリンは暫くじっと見ていたが、本当に抵抗する気がなさそうな様子を見て、ふぅ、と溜息を吐いた。
「……なんだ。こんな辺鄙なところに店を構えているから、大層な腕利きかと思ったんだけど……こうまで無抵抗だと、何だか気が殺がれるね」
「ふむ、分かってくれて助かるよ」
「……しかし、なるほどね。そこまで分かってたから、こうして用心深く必要としている客を見定めていた、という訳かな」
「ああ。誰にでも出せる代物ではないことは分かっていたからね。逆に下手な客に売らなかったことを感謝して欲しいくらいだね」
「……それについては君には一理あるね。まぁ、こんな寂れた店に、わざわざ奥にしまってある塔の置物を買いに来る客がいるかどうかは謎だがね」
「それがいるんだよ。尤も、そいつは目新しいものと分かると何でも関係なく持って行ってしまうような奴だけどね」
誰とは言わずもがな。
「む、そ、そうか。……まぁ、今まで宝塔が持っていかれなかっただけ良かった。……さて、そろそろいいだろう? 宝塔を見せてくれないかい?」
「おっと、そうだったね。つい久し振りに対等に話せる相手だったから、思わず脱線してしまったね。今持ってこよう」
霖之助は少し席を外す旨を告げ、倉庫へと向かう。
すぐ見つかる場所に置くと、いくら倉庫でも持っていかれない保証はなかったため、少し奥の方に隠してあったのだ
宝塔を見つけると、霖之助は真っ直ぐには店に戻らず、台所へと向かった。
そこで二人分のお茶を入れる。ずっと話し詰めだったから、喉が既にカラカラだった。きっとナズーリンも喉が渇いているだろう。
いつもならまだ何か買ってくれるわけでもない人に茶など出さないが、今日は久し振りに対等に話すことが出来る子が来て、久し振りに真面目なやり取りをすることが出来たのだ。
これくらいのサービスはあって然るべきだろう。
霖之助は右手に二人分の湯呑みを載せたお盆、左手に件の宝塔を持つと、店の方へと足早に戻った。
あまり客を長く待たせてはいけない。
「はい、お茶だ。ずっと話しっぱなしだったから喉が渇いたろう?」
「ああ、ありがとう。助かるよ」
そう言って、 ナズーリンは霖之助から湯呑みを受け取ると、やはり喉が渇いていたのだろう、すぐにお茶を一口含んだ。
――きっと気のせいではあるのだろうが、霖之助は随分と久しぶりに、お茶を入れて礼を言われたような気がした。
無論、それほど多く来るわけではないが、香霖堂の貴重な客である咲夜や永遠亭の鈴仙は、お茶やお茶請けを出せばきちんと礼を言ってくれる。
しかし、それを補って余りあるほどやってくる霊夢と魔理沙が、勝手に茶を淹れたり、淹れてもらっても『さも当然』と言わんばかりなのだ。
別に自分は彼女らの保護者というわけではないが、やはり最低限の礼儀というものは教えねばならないか、と霖之助もお茶を飲みながら思った。
「……で? 宝塔を見せてくれるんじゃなかったのかい?」
そんな事を上の空で考えていると、ナズーリンが半目で霖之助を見ていた。おっと、 そうだった。
「ああ。これがその宝塔だよ。君の探していたものと相違ないかい?」
ことり、霖之助はカウンターに件の宝塔を置いた。
ナズーリンはそれをカウンターごしに受け取ると、様々な角度から眺め始めた。
たっぷり五分ほどは眺めただろうか、ふぅ、と一つ、安堵したかのような溜息を吐いた。
「……ああ、私が探していたものに間違いないね。よく他の誰かに売ったりしないでおいてくれたよ。それじゃあ――」
「さて、それが君の探していたものであるなら、次は本格的な商談といこうか」
ナズーリンが、その宝塔を自分が探していたものだと認めてすぐ、霖之助は機先を制してそう持ちかけた。
ナズーリンが続けようとした言葉は、容易に想像出来る。
恐らくは、元は自分の主人の物であるのだから、本来の所有権は自分にある、とでも続くのだろう。
それを先に言わせてしまえば、主導権をまずは向こうに持たれてしまうことになる。
霖之助としては、たとえそうなったとしても主導権を取り返せる自信はあったが、わざわざ面倒な方を選ぶ理由はどこにもないだろう。
久し振りに大きな取引ができそうなのだから。
そんな霖之助の気持ちを感じ取ったのか、ナズーリンは隠そうともせずに表情を面倒そうに歪めた。
「……最初に言ったが、これは元は私の主人の物だ。そんな物に勝手に価格をつけるなんて、君はよっぽど面の皮が厚いんだな」
「確かに元は君の主人の物だったかもしれないが、現在の所有者は紛れもなく僕だ。その宝塔のどこかに君の主人の名前でも書いてあるなら別だが、そんなものは見当たらなかったしね」
「ぐ……それはそうかもしれないが、だからと言って拾い物に勝手に値段をつけて、あまつさえそれを引き取りに来た相手に吹っかけるなんて、普通に考えてちょっとどうなんだい?」
「僕は元々、外の世界から紛れ込んできた品物を拾って店舗に並べているものでね。つまり、ここにある商品は元は全て拾い物ということになる。普通に考えたら意地汚いのかもしれないが、僕にとっては当たり前の事なんでね。まぁ、拾われた相手が悪かったと思ってくれ」
「……はぁ。全く、こうなるから迂闊に物を落とさないで欲しい、と言っているのに……」
彼女が呟いた独り言は、香霖堂店内の静かな空気に消えた。
あのような独り言を呟くということは、こういう経験は何度かあるのか、と霖之助は思った。
もしそうなら、彼女も毎度毎度とんだ避雷針になっているものだ、とも。
まぁ同情はすれども、宝塔をタダで渡す気は更々無いのが、この香霖堂の店主なのだが。
「それで、どうするんだい?」
「……」
宝塔を持ったまま、ナズーリンはずっと俯いている。
迷っているのか、それとも他の打開策を考えているのか、それは霖之助にはうかがい知る事が出来ない。
だが、伊達に一軒の店舗を構えているわけではない。
いつもは魔理沙や霊夢に好き勝手にされているが、あれはあくまで霖之助が『好き勝手にさせている』のである。
霖之助はそれなりに話が通じる相手ならば、霧雨道具店での修行時代から交渉自体にはそれなりの自信があった。
人里で最も大きい店の旦那である魔理沙の父親からも、それだけは褒められたことがある。まぁ、愛想だけはいつもケチョンケチョンの評価だったのだが、それは今は置いておく。
――価格を聞いてくるならこれ、更にごり押してくるならこっち……。
霖之助の頭の中では、ナズーリンの出方によって対応が既にパターン化されつつある。
普通ならごり押してくる可能性が一番高いので、少々面倒な対応になりそうではあるが、それはそれ、何とでもなろう。
――そう思っていると、ふと俯いていたナズーリンの顔が上がった。
「……一応、値段だけ聞いておこうか」
「おや」
「? 何だい?」
「いや、君の反応がちょっと意外だったものでね。普通だったらもうちょっとごり押してくると思ったからね。まあ、結局どんな風に来られてもいいようにはしてたんだけどね」
「……君はもう少し、思った事を黙っているという訓練が必要だと思うんだがね。で、これを売るとしたらいくらなんだい?」
「ああ、そうだね……これくらいかな」
ぱちぱち、と軽快な音を鳴らしながら算盤を弾き、値段を提示する。
それを見たナズーリンは、先程までの気怠そうな目を一転させ、驚き――それと多分、怒りも含めて――で目を見開いていた。
「な、何だいこの値段は! いくら何でも足元を見すぎじゃないのか!?」
落ち着いた雰囲気のあるナズーリンがここまで大きな声を出したのを少し意外に思った霖之助だったが、まあこうなるだろう、というのは予期していた。
値段を提示した霖之助本人ですら、これはやりすぎだろうと思っているくらいなのだから。
「ふむ。ナズーリン、君は需要と供給、という言葉を知っているかい?」
「そりゃ知ってはいるさ。君が言わんとしていることも分かっているつもりだ。だが、それを考慮してもこれは暴利というものだろう!」
ふむ、と霖之助は胸中で唸る。
いつも売っている物より桁を二つ多くしてみたのだが、やはり少しやりすぎだったか。
だが、こちらとしても香霖堂開店以来初めてかもしれないほど、需要の強い客が来たのだ。
ここは多少ごり押し気味でも、何とかなるだろう。
ならなかったら……その時は、ナズーリンの言う主人とやらに直接商談を持ちかけてみてもいい話だ。
「すまないが、こちらとしては余り値引きをするつもりはない。見ての通り、ここは普段閑古鳥が五月蝿いような店でね。君くらいに需要が強くて売上を期待出来そうな客は久し振りどころか初めてかもしれないんだ。売上を期待出来る人からお代を頂くのは、商人としての基本だと教わったものでね」
「ほとほと呆れるね。君にはもし私が買わなかったら、という選択肢は無いのかい?」
「それは勿論あるさ。だがそれを差し引いても、この宝塔は君にとっても、君の主人にとってもとても重要なものに違いはないはずだ。ここで捨ておく、という事は余り考えられないものだからね」
「く……」
図星だったのか、ナズーリンは悔しそうに霖之助を睨めつけるが、反論はしない。
――これは陥落まで時間の問題か。
その反応を見て、霖之助はそう思った。
簡単な話、気に食わないのなら霖之助から宝塔を奪えばいいだけの話なのだ。
実際、魔理沙や霊夢なんかはそういう輩なのは違いない。
だがあれは互いに気心が知れているから出来ることである。
ナズーリンと霖之助は今日が初対面である。そういう間柄ではない。
それに加え、もし彼女の言う主人が宝塔の持ち主であるのなら、彼女は立場で言えばかの毘沙門天の部下あたりにあたるのだろう。
とある国では、ネズミは毘沙門天の使いであると言うあたり、きっと大きくは間違っていない。
仮にも四天王の眷属が、一介の半妖から物を奪取するとは考えにくい。
――長々と語ったが、つまりはナズーリンが霖之助から宝塔を奪う可能性は決して高くない、ということだ。
不幸にも彼女は頭が良い。
これが妖精や知能の低い相手だったらもうとっくに奪われているだろうが、きちんと分別がつき、かつ自分の立場を弁えた行動を取れるであろう彼女相手ならそれも無いだろう。
――そしてもう少し時間が経った頃。
そういった霖之助の推論は正しかったことが証明された。
「――はぁ。分かった、君には負けたよ……」
「ふむ」
「第一、これを落としたご主人が悪いんだからな……。探せ、と言ったのもご主人だし、後で代金は請求すればいいか。領収書を切ってもらえるかい?」
なんだ、そういう事か。
自分が損をしないから折れる、つまりはそういう事らしい。
霖之助からすれば、売れれば誰が支払おうが霖之助の知った事では無いので、別にどっちでも良かったのだが。
「君は話が早くて本当に助かる。それでは、晴れてこの宝塔は君の物だ。領収書は……これだ」
ナズーリンが霖之助の提示した代金を支払い、霖之助が領収書を渡し、代金を受け取る。売買はこれで確かに成立した。
「君が言うと何だか白々しいね。法外な値段をふっかけられた方からしたら、皮肉にしか聞こえないよ」
宝塔を片手に、ナズーリンは三白眼で霖之助を睨む。
「いや、流石に買ってくれた客に皮肉を言う程、僕は冷血でも冷酷でも無いんだが……気を悪くしたなら謝ろう」
ここは素直に謝罪の気持ちを霖之助は見せる。
払いを見る以上、ナズーリンは間違いなく紅魔館レベルの上客だ。
機嫌を損ねられ、せっかくの機会を自分で潰すのは余りにも馬鹿馬鹿し過ぎる。
急に態度が変わったように見える霖之助を、ナズーリンはどこか呆れたように見つめた。
「その謙虚さを、さっきの値段にも表現して欲しかったものだけどね」
「商人である以上、金銭については細かくなっているつもりでね。そこだけは謙虚になる方法を良く知らないんだ」
「……気前が良過ぎる商人と言うのも、逆に何か裏がありそうで怖いからねぇ。却って君みたいな人の方が良いのかもね。案外商人に合ってるんじゃないのかい? 愛想は無いみたいだがね」
「……それは重々自覚しているよ」
ナズーリンの言葉に、霖之助は苦笑を浮かべながらも少し驚いていた。
愛想が無いのはそれこそ分かり切ったことだったが、商人に合っていると言われたのは初めてかもしれなかったからだ。
稗田家の史記には、霖之助の欄に堂々と『商人に向いていない』と書かれているのだが、今のを言質として改訂を求めてもいいかもしれないな、と霖之助は考えを巡らせる。
そんな霖之助を横目に、ナズーリンは座っていた椅子から腰を上げた。
「……さて、それじゃあ私はそろそろ――」
「あぁ、ちょっと待ってくれ」
暇を告げようとするナズーリンを、霖之助は制止する。
このまま彼女を帰らせてしまうのは、何だか余りにも無愛想に思えたからだ。
別に何かする必要は全く無いのだが、ナズーリンが支払った金額は今年の取引の中でも――いや、これまでの香霖堂の取引の中でも間違いなく上位から三番目以内にランクインするほど大きいものだったのだ。
出来ればこれ以降も、彼女には客として香霖堂を贔屓にしてもらいたい。
それは商人であるならば、誰だって考えることだ。
無論それは、商人に合っていないと散々言われている霖之助だって例外ではなかった。
――確か前、物珍しさで仕入れたアレが残ってたはずだったな。
たまたま気まぐれで仕入れた物が、こんな時に役に立つとは思わなかった。
やはり道具を大切にする、と言うことは、こういう機会にも自然と恵まれると言うことだろう。
「……まだ何かあるのかい?」
何かこれ以上面倒なことがあるのか。
そう言いたげなナズーリンの表情に、霖之助は苦笑を浮かべる。
「あぁ、別にこれ以上何かを請求しようとか、そういうわけじゃないよ。――ナズーリン、君はネズミ妖怪だって言ってたね?」
「まあね。耳と尻尾を見れば分かるだろう。何なら私の部下のネズミ達を呼ぼうか? 人の肉が好物で食い意地が張ったネズミなら、この店くらいならすぐ埋まるほどいるよ」
「いや。それは是非とも遠慮しておこう。ここはペット入室禁止だ。……ではなくてだな。君もネズミ妖怪なら、『醍醐』というものを知っているかい?」
「……醍醐だって?」
ぴく、と分かりやすいほど、ナズーリンはその単語に反応した。
やはりネズミというだけあって、醗酵乳製品には目が無いのだろう。
ああ、と霖之助は頷く。
「その様子だと知ってるようだね。牛乳を煮詰めて熟成させた、古来の乳製品のことだ」
「あぁ、勿論知っているさ。『醍醐味』の語源となるほどの貴重で高価な代物だ。醍醐になる前の段階である『蘇』ですら、大昔は税として徴収されたとも聞く。……だがアレは、今となってはより簡便に作成できるチーズにとって代わられたはずだ。しかも今となっては、その醍醐そのものどころか製造法も失われたと聞くが……」
「税として徴収されていた事は、確か『延喜式』に書かれている内容だったかな。いずれにせよ、外の世界では既に絶滅してしまったものなのかもしれないな。ここ幻想郷は、外の世界で忘れ去られたものが迷い込んでくるからね。それでも、醍醐クラスの代物になってくるとこの世界でも貴重だ。……だが、僕はつい先日、たまたまそれを入手してね。ここで君に会ったのも何かの縁だ。それをオマケとしてつけよう」
「な……。店主、君は今度は何を企んでいるんだい? 随分気前が良すぎるんじゃないのか」
霖之助を訝しそうに見るナズーリンだが、それも致し方ないだろう。
先ほど自分から結構な額を吹っかけてきた相手が、この幻想郷でも貴重なものをオマケとして譲る、と言っているのだ。
怪しまない方がおかしい。
が、それとは別の意思で動いているかのように、ナズーリンの尻尾は期待に満ち溢れたようにせわしなく動いている。
――そう言えば、よく新聞を届けに来る烏天狗や、紅魔館の主である悪魔も、獣である部分の翼は本人の意思とは無関係に感情を表していたような気がする。
霖之助自身、実際に統計を取ったわけではないが、妖怪が持つ獣の部分は、理性に縛られていないのかもしれない。
そう考えると、何だかんだ言いながら少しは期待しているナズーリンが、何だか可愛らしかった。
「いや、今は何も企んでなんか無いさ。君との今回の取引額は、この香霖堂始まってから上から三番目には確実に入る額でね。そんな大きな買い物をしてくれた客に、手ぶらで帰らせるのは僕の理念に反するだけさ」
「……どうだかね」
「それに、僕は商売をする上で、『然るべき相手に、然るべき時期で』道具を売ることを旨としている。その宝塔も、君が然るべき相手だから君に譲った。醍醐も然り、だ。たまたま偶然入手した時に、それを好物とする君と会えたわけだからね。醍醐を譲ったくらいでは釣り合わない対価を貰ったことも、然るべき時期なのだろうと僕は思う」
「……ふぅむ……」
まだ怪しんでいるのか、ナズーリンは半目で霖之助の様子を伺っている。
警戒するのも分かるが、今の霖之助の言葉だけは、随分と嘘偽りの無い本音だったのだ。
それはまぁ、再度の来店への布石、と言う下心があるにはあるが、それはあくまで布石であって、それを渡すことによって今すぐ何かを得ようと言うものではない。
真っ当に話すことができるナズーリンには、それを分かって欲しかったのだが。
「……ま、くれると言うなら断る理由は無いね。有難く頂いていこう」
「ああ。ちょっと待っててくれ。包んでこよう」
ようやっと信じてくれたのか――それとも、単に考えるのが面倒になったのか、どっちなのかは霖之助には分からないが――、ナズーリンは頷いてくれた。
霖之助は足早に醍醐を保管してある台所へ向かう。
醍醐は醗酵させた蘇を更に熟成させたものであるため、ちょっとやそっとでは形が崩れたりはしないが、持ち運びがしやすいようにそれを包装紙に包む。
きっと彼女も他の妖怪と同じように、飛んで移動するのだろう。
なら、風呂敷のようなものに包むより、手提げ袋のような物に入れた方が引っ掛かりがあっていいか。
「――あぁ。何だか随分と久しぶりに、商人らしいことをしている気がする」
ふと、手提げ袋に包んだ醍醐を入れながら、霖之助は呟いた。
これくらいの事は、霧雨道具店にいた頃は日常のようにやっていたことだ。
相手がどのような手段で持ち帰るかを考え、最も持ち運びやすいような包装をする。
基本中の基本だが、それを香霖堂を開いてから果たして何度実行してきたか。
何だか懐かしい、初心を思い返すような心持ちになってくる。
これと言うのも、ナズーリンのような客らしい客に久々に会えたからか。
だとしたら、感謝しなくてはいけないのかもしれない。
こういう事を思い出して懐かしむと言う事は、自分はどこか惰性で店を開いていたのかもしれない。
それに気付いたというだけでも、この取引は随分と霖之助にとって実になるものであったことに違いは無い。
そんな少し新鮮な気持ちで店舗の方に戻ると、やっぱり何だかんだ言って期待していたのだろう、目を輝かせたナズーリンとばっちり目が合った。
「ほら、これが醍醐だ。持ち運びやすいように手提げ袋に入れておいたから、帰ってから開けるといい」
「あ、ああ、助かるよ。……この濃厚で芳醇な香り……たまらないね」
霖之助の中のナズーリンのイメージと言うのは、やや斜に構えた、見た目と不釣合いなくらい冷静な少女、と言うイメージだったのだが、今の彼女は好物を目の前にしたせいか、どことなく食い意地が張った見た目相応の少女に見えた。
それが何故か可笑しくて、霖之助はふ、と笑った。
「また、何か入用な物があったら来るといい。そのついでに、今度はもう少しじっくりと君と色々な話をしてみたい。互いの持つ知識を語り合うと言う機会はあまり無いものだからね。きっと退屈しないだろう」
ぽんぽん、と霖之助は自分の胸より下にあるナズーリンの頭を撫でる。
ぴこ、とナズーリンの耳が揺れた。
「……ふん。こちらとしては、買い物に来るのは是非とも遠慮しておきたいものだがね。また吹っかけられたら堪ったもんじゃない」
ぷい、とそっぽを向いて、ナズーリンはそんな口を叩く。
だが耳と尻尾はやはり正直だ。不快そうに動いているわけではなく、何だか落ち着かない感じでぴこぴこ動いている。
霖之助は少し安心した。
いつも魔理沙にやるような感じで撫でてしまったものの、それほど親しくも無い相手に触れられて不快に思っていないかと思っていたからだ。
やはり無意識と言うものは恐ろしい。
今度から気をつけよう、と思う霖之助だった。
「ふむ。今度からもう少し、値段のつけ方でも勉強しておこう」
「ぜひともそうしてくれ。君は少々、客相手の配慮が無い所があるからね。……まぁ、何かの手違いで必要な物があれば、ね」
手をひらひらさせながら、ナズーリンは出口へ向かう。
からんからん、と来た時と同じ音をベルは奏でる。
「それじゃあね、店主」
「ああ。――ありがとうございました。またのご来店を」
危うくいつも通りの返事をしそうになって、慌てて霖之助は言葉を改める。
先ほど初心を懐かしんだばかりだと言うのに、少し油断するといつも通りのやり取りをしてしまう。
――霧雨の親父さんに今の自分を見られたら、あの頃みたいにどやされるかもしれないな。
そんな事を想像し、苦笑いしながら、霖之助はいつものポジションへと戻る。
香霖堂の店内はもう、いつも通りの静けさを保っていた。
◇ ◇ ◇
宝船に戻ると、今までナズーリンの帰りを心待ちにしていたのだろう、星が真っ先に飛んできた。
「お帰りなさい、ナズーリン! ……それでその、宝塔は……」
「ああ、見つけて――いや、買い取ってきましたよ。ほら、これです」
ずい、とナズーリンは毘沙門天の宝塔を星へ手渡す。
「あ、ありがとうございます! ……でも、買い取ってきたって……?」
「言葉通りですよ。宝塔を先に拾った商人がいましてね、そいつから買い取って来たんです。ああ、買取にかかった代金は後で頂きますから、よろしくお願いしますよ」
「え……? い、いくらかかったんですか……?」
ずい、と星に領収書を突き出す。
それを受け取り、眺めた星の目が、みるみるうちに白黒し始めた。
「え、え? ちょ、これ……」
「まぁ、今回の事はいい勉強になったんじゃないんでしょうか? ご主人」
にやり、と意地悪そうにナズーリンは笑う。
これに懲りて落し物も減らしてくれると助かるのだが……まあそうは上手くいかないだろうな、と言うのがナズーリンの本音だった。
星の能力は『財宝を集める』事なので、確かに今回の出費は痛手だろうが、そのうちきっと他の宝物などで補填され、結局は忘れてしまうのだろう。
それが長きに渡って続く、自分の主の欠点であるのだから。
「うぅ……。あ、ナズーリン、何ですかその袋。まさかそれもついでに買ったんじゃ……」
そんな風に落ち込んでいたと思えば、ナズーリンが持っている袋に星は目敏く目をつけた。
「これは違いますよ。宝塔を譲ってもらった店の店主にオマケしてもらったんです。言っておきますけど、あげませんからね。今回の報酬として受け取らせてもらいます」
「あ、ずるいです! ナズーリンだけずるい!」
「何もずるくなんてないですよ。あれだけの値段を吹っかけてくるような性悪店主を相手にして来たんです。そこはほら、当然の報酬だと思いますけどね。……全く、大変だったんだんですからね。ご主人が宝塔を落としさえしなければ、あんな面倒な男とやり取りしなくても済んだのに」
「そ、それはすみません……。でも、その割にどうして――」
――妙に楽しそうな顔をしてるんですか?
文章回しといい表現といい、素晴らしいです
天下が取れる。長命な妖怪の力を軽視と豪語しているんだから。
文章構成としては良かったけど、終盤ごたついたのがちょと駄目
まさしく裏話はこんな感じだと思います!
頭なでなでして尻尾と耳をぴこぴこさせたい!!
しかし星ちゃん相変わらず駄目だなww
内容自体は面白かった
醍醐のくだりはなかなか
でも文章がしっかりしていて読んでいて楽しめました。
>>44さん
原作の方で実際になくしてましたよ。(キャラ設定を参照)
思えば妖怪にふっかけようとするのは霖之助くらいだと思うし。
実際に支払う段も面白そう
上の方と被りますが、醍醐の下りや、霖之助の商売に望む姿勢など、面白い発想だと思いました。
さて後日談はまだかな←
この組み合わせはなかなか。
もっとナズー霖を普及させてくれ!!
な、なにをいっているかわからないと思うが(ry
ナズー霖流行れ、超流行れ