「おかえりなさい、霊夢。御飯にしますか? お風呂にしますか? それとも」
「お茶」
「あ、ハイ」
開口一番、と言う表現がぴたりと当てはまるだろう。
自宅の前で霊夢を出迎えた文を待っていたのは、『お茶』と言う酷くつれない一言であった。
別に甘い回答を期待していた訳ではないが、もう少しノッてくれてもいいではないか。
心の中で小さくごちりながら、文は部屋の奥へとお茶を淹れに向かう。
ここは妖怪の山、射命丸文の住処。
先日の不良天人との一悶着により住処を奪われた霊夢は、修繕の間の仮住まいとしてこの場所に住まわせてもらう事になっていた。
所謂、居候と言う奴である。
……居候としては、致命的なまでに図々しいが。
「しかし光栄です。霊夢が他の方の家では無く、この清く正しい射命丸ハウスを選んで下さるとは」
「魔理沙の家は散らかっててとても住めないわ。紫は……最終的にアイツのせいで神社が潰れたんだし、しばらく顔も見たくない。それなら紅魔館と思ったけど、危うくメイドにされそうだったから逃げてきたわ」
一つ一つ指を立て、それらの可能性を否定していく霊夢。
「消去法でアンタ」
「ワーウレシイナー……」
悪びれる様子も無くハッキリと口にする霊夢に文は苦笑するが、この程度でめげる彼女では無い。
しぶとさとしつこさこそが、ジャーナリストである彼女の売り。
何とか目の前の少女の気を惹こうと、艶めかしい視線を送る。
「しかしいいのですか、霊夢? 貴女が選んだのは他ならぬ野獣の……」
「文、この部屋借りていいー?」
「……くすん」
流石に完全無視にはめげた。
鴉は寂しいと死んでしまうのだ。
部屋を貸してあげるのだ、もう少し構ってくれてもいいではないか。
そんな良くわからない理屈を脳内で繰り広げながら、地面に『の』の字を量産していく。
……まぁ、仕方ないか。
文は自分自身を納得させるように溜息を吐く。
神社が潰れてからここ数日、彼女は心身ともに休まる時間はなかったのだろう。
それこそその日暮らしのように住処を転々として、今頃は疲労もピークに達しているのかもしれない。
このつれない態度も単に、冗談に反応している余裕が無かっただけなのである。
そう、断じて自分が嫌われている訳ではない、と自分自身を慰める。
「ふぁ」
納得した所で思わず小さく欠伸。
かく言う文も、昨日は部屋の整理だなんだでほとんど寝ていない。
疲れていない、などとはとても言えない状態であった。
折角の霊夢がやって来る日、ささやかでももてなしをするべきだと思っていたのだが。
今日はむしろ余計な事をせずにこのまま休むのが、二人にとって一番いい選択なのかもしれない。
文はそんな事を考えながら、今まさに襖に手を掛けようとしている霊夢をぼうっと眺める。
ってあれ?
確かあの部屋って―――――――
「っ! 霊夢、その部屋は駄目です!」
「へ?」
時既に遅し。
何も知らずに襖を開いた霊夢の前に現れたのは、パチュリーもビックリな本の山脈。
絶妙なバランスを保っていたそれが、襖を開いた拍子にバランスを崩し、雪崩となって霊夢の頭上に降り注ぐ。
「むぎゅう」
哀れ、本のビッグウエーブの前に、霊夢は為す術も無く呑みこまれてしまった。
上半身が全て埋もれ、足だけがじたばたと動くその姿は不気味の一言。
目の前で繰り広げられる何ともシュールな光景に、文は頭を抱える。
しまった。
昨日家を片付ける際に、散乱していた物を全てあの部屋に押し込んだのだった。
後悔先に立たずと言うべきか、今更過ぎる回想に深く溜息を吐きながら被害者を本の山から引っ張り出してやる。
「いやはやあやや、申し訳ない。大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないー」
「痛い痛いー。大丈夫じゃない人はスネ蹴りなんてしませんー」
引き摺られながらも、上手く身をよじって文の足元にキックを繰り出す霊夢。
無駄に器用である。
「それで……何なのよ、この大量の本は」
「アルバムですよ」
「あるばむ?」
聞き覚えのない単語に、霊夢は首を捻る。
幻想郷にアルバムが存在しない訳ではないのだが、写真に疎い霊夢にとっては馴染みの無い物だった。
何だろう、魔道書の一種か何かだろうか。
そんな見当違いな事を考える霊夢に向けて、文は手に取った一つのアルバムを開く。
「ほら、こうやって写真をしまっておくんです。整理にも便利ですし、何より見たいと思った時にすぐ見れますからね」
そこに並んでいたのは、文の仲間であろうか、カメラに向かって様々なポーズを取る天狗達であった。
彼女がいつも求めているようなスクープ写真とはまるで違う、ちょっとした日常の1ページ。
面白みがあるかと言われればそれ程だが、見ていてほんの少し暖かな気分になれるような光景が、霊夢の瞳に映し出される。
「ふーん、アンタこう言う普通の写真も撮るのね」
「失礼な、私にどんなイメージを持っていたんですか」
「二言目には『スクープ』のパパラッチ」
「……まぁ、否定はしません。ただしパパラッチでは無く、ジャーナリストです」
何が違うと言うのだ。
心の中で苦言を呈しながら、霊夢は手近にあったアルバムをパラパラと開く。
そこにしまわれていた物は先程と同じ。
妖怪の山、人里、魔法の森。
場所こそ様々だが、いずれもあるがままの幻想郷を映し出した写真達である。
手元のアルバムを閉じ、自分の上に覆いかぶさったアルバムの山脈を仰ぎ見る。
恐らくこれらのアルバムにも、記事には使われないような……幻想郷の日常が山ほどしまわれているのだろう。
だとするとこのアルバムと言う物は、まるで小さな世界の様ではないか。
そんならしくないロマンチックな考えを浮かべてしまった事実に、霊夢は苦笑する。
全く、普段からこう言う無害な写真ばかり撮っておけばいい物を。
口に出そうと思った霊夢だが、自分の横でアルバムを読みふける文の姿にその口を噤む。
何となく、この雰囲気を壊す事が憚られたのだ。
たまには、鴉天狗と二人でゆったりとした時間を過ごすのも悪くは無い。
普段は騒がしい彼女も、静かにしていれば全くもって無害な物である。
「霊夢霊夢、れーいむ」
……静かにしてろよ。
せっかくのくつろぎムードに水を差され、霊夢は文を睨みつける。
対して文はそんな霊夢の狼狽など気にも留めて居ないのか、単に気付いていないのか。
にやにやと悪戯をする前の子供のような笑顔を浮かべながら、霊夢の横に座りこみ、お互いに見えるようにアルバムを開く。
「じゃーん、先代博麗の巫女―」
「おぉー……ってアンタ先代と交流あったんだ」
「そりゃあ、博麗の巫女はネタの宝庫ですから」
流石は突撃特攻無鉄砲記者、博麗の巫女本人を目の前にして大した度胸である。
ジロリと睨みつけてやるネタの宝庫こと霊夢だが、文は気にしていないのか、それともやはり気付いていないのか。
何事も無かったかのように笑顔を浮かべながら、先代巫女の名が記されたアルバムのページをめくっていく。
「うーん、いつ見ても見事なボンッキュッボン」
そしてこの発言である。
この天狗、博麗の巫女を何だと思っているのか。
……。
……でも確かにこれは、ないすばでーかもしれない。
一体どんな野草を食べればこんな育ち方をするというのだ。
自分と同じ服装で、けれどもまるで違う体型の先代の姿に、霊夢は眉をひそめてむぅと唸る。
そんな彼女の様子に、果たして文は何を思ったのか。
アルバムに落としていた視線を霊夢へと向けると、何処までも生温い笑顔を浮かべて見せる。
「キュッキュッキュッ」
「殴るぞ、こら」
「痛い痛いー。もう殴ってるじゃないですかー」
ぽかぽかと頭を叩く霊夢だが、文はまるで気持ちの籠っていない声で「痛い―」などと繰り返すだけ。
霊夢としては割と力を入れて居るつもりなのだが、仮にも天狗、丈夫である。
いっその事、退魔符でも貼り付けてやれば懲りるだろうか。
そう懐から御札を撮りだした所で、不意に霊夢の動きがぴたりと止まる。
「いやぁ、それにしても懐かしいです。誰かさんと違って真面目な巫女さんでしたねー、彼女」
彼女の視線の先、写真を見つめていた文の表情がとても優しげだったから。
恐らく今彼女の瞳には、過ぎ去ってしまった先代博麗の巫女との日々が映し出されているのだろう。
普段は決して見せないような鴉天狗の物憂げな表情に、霊夢はほんの少しどきりとさせられてしまう。
……いや、させられてない、させられてない。
頭に浮かんだふざけた事実を否定するかのように、ぶんぶんと首を横に振る。
「霊夢?」
「……何よ」
「ひょっとして妬いてます?」
「阿呆」
取り敢えずもう少し力をこめて殴っておいた。
「少し意外に思っただけよ」
「私が先代さんを知っている事ですか?」
「それもあるけど……昔を懐かしむアンタなんて想像できなかったから」
いつも忙しく飛びまわる彼女が、後ろを振り返るなんて考えた事も無かった。
ただひたすらに前を向いて、過去を置き去りに邁進していく姿を漠然と想像していた。
それは根拠も何も無い、霊夢の勝手極まりないイメージ。
……果たして、本当の文はどうなのだろうか。
詮無き事を思いながら下を向く霊夢に向けて。
「……これでも結構、出会い別れを繰り返している物で」
文はふっと薄く、そして儚げに笑う。
こんな姿でも彼女は齢千を下らぬ、長寿妖怪。
まだ二十も年を重ねていない霊夢には想像もつかない程多くの、人生のベクトル達と交わって来たのだろう。
そんな邂逅と別離を繰り返す妖怪は今、過ぎ去った日々を想い静かに笑みを浮かべている。
「懐かしみたいとはいつも思うのですが、駄目ですね。毎日毎日『今日』が私の中に入ってきて、すぐに過去を追い出していってしまいます」
「文……」
「その点、写真はいいです。記憶と言う不確かな物を、こうやって形として残しておけるんですから」
写真を見つめる文、そしてアルバムの山に視線を送りながら、霊夢はふと思う。
今天狗が口にした言葉こそ、彼女が写真を撮り続ける理由の一端なのかもしれない、と。
邁進し続ける天狗は、過去を写真と言う形にして、今に残し続けているのかもしれない、と。
そんな事を考えながら、文が大事そうに手にしているアルバムへと目を落とす。
先代巫女の顔など霊夢は知らないが――――――その背後に映っている建物には強く馴染みがあった。
先日潰れてしまった彼女の住処、博麗神社だ。
霊夢にとって生まれてこの方一番長くの時を過ごした、大事な大事な我が家だ。
こうやって写真として眺めるていると、胸が痛んで涙が出そうになってしまうが……それでも、何処か暖かい気持ちになれるのもまた事実で。
ひょっとしたら文は、自分の撮った写真を眺めながらいつもこんな気持ちになっているのだろうか。
そう考えると、写真を撮ると言う行為がほんの少しだけ身近に感じられるような気がした。
「あー、何かしんみりしちゃいましたね。過去なんてどうでもいんです。大事なのは今ですよ、今」
「さっきと言ってる事違うじゃない」
「人も妖怪も矛盾を抱えて生きていく者なんですっ。ほら、こっちの最新の写真でも見ていて下さいっ」
普段は表に出さない自分の姿を見せてしまった事が恥ずかしかったのか。
気まずそうに頬を掻きながら、勢いよくアルバムを押しつける文。
いちいち面倒くさい天狗である。
そうごちりながらも、霊夢は文から渡された一つのアルバムを覗いてみる。
……ミニスカートのスキマババァが居たのですぐに閉じた。
よりによって今一番見たくない奴の顔を、一番見たくない姿で見てしまった。
『八雲家』と書かれたアルバムを放り投げ、取り敢えず近場に在った物を手に取ってみる。
(重っ)
そこにあったは先程までのアルバムの約二倍の厚さを持つアルバム。
仰々しい装丁をした本のずしりとした重みが、霊夢の手に圧し掛かる。
さて、果たしてここに収められているのは何の写真なのだろう。
『紅魔館』や『白玉楼』と書かれた物……先代巫女のアルバムと比べてみても明らかにでかい。
つまり、それだけ収められている写真も多いと言う事で……。
つまり、それだけこのパパラッチに多く付きまとわれていると言う事で……
いやぁ、これはまた不幸な奴もいたものね、ご愁傷様。
とばかりに霊夢は小さく苦笑しながらその腋丸出しの巫女の写真を――――――
「……私じゃん」
目にした瞬間、その場に崩れ落ちた。
「やぁ、やっぱり博麗の巫女は絵になるので」
「……既に先代の写真より多いんだけど」
「所謂一つの愛ですよ、愛」
はっきり言って愛が重い。
やたらと重いアルバム右手に、深い深い溜息を吐く霊夢。
全く、こんな能面みたいな顔した自分の写真を撮って何が楽しいと言うのだろうか。
それなら魔理沙でも撮っていた方が余程表情に変化があって面白いだろうに。
……と言うか、何だこの仏頂面だらけの写真集は。
ここまで愛想の無い女だったのか、私は。
軽くヘコむ霊夢の肩を、文がぽんぽんと叩く。
「それ、ぶっきらぼう集なんで」
「……ぶっきらぼう集って何よ」
「そのままの意味ですよ。はい、こっちは笑顔集です」
そう言って文は、先程と同じくらいの重さのアルバムを霊夢に渡す。
……表情ごとにアルバムがあると言うのか、しかもこのサイズで。
一体何種類あるのか聞こうと思った霊夢だが、やっぱり怖いのでやめておいた。
知らぬが仏とはよく言った物、ともかく霊夢は文に渡された自分の笑顔集とやらを開いてみる。
ぴしっ。
刹那、霊夢の時が止まる。
彼女の開いたページ、そこでは他ならぬ自分自身が何処までも無防備に笑っていた。
緩みきった頬を隠そうとしないのは勿論、酔っていたのか、カメラに向かって良くわからないポーズを取っている物まである。
自分の無防備な姿が、まさかここまで恥ずかしい物だとは思いもよらなかった。
羞恥心に駆られ慌ててページをめくる霊夢だが、何処を開いても笑顔笑顔笑顔。
しかもこの笑顔、もれなく写真を撮っている文に向けられている訳で。
うわぁああああ……何これ、滅茶苦茶恥ずかしい……。
「破く。全部破く。痕跡すら残さず破く」
「そんな事したら、いくら霊夢でも追い出しますよー」
「うぐっ」
写真を引き抜こうとした所で、霊夢の手がぴたりと止まる。
居候は立場が弱いのである。
自分に逆らえない、彼女の様子に機嫌を良くしたのだろうか。
意地悪げに笑みを浮かべた文は、胸元から一つのカメラを取りだし、霊夢に向けてシャッターを切る。
「はい、今日の思い出にもう一枚」
「撮るな! カメラごと捨てろ!」
「嫌ですよ、ちょっと待っていて下さいねー」
ぎゃーぎゃーと喚く霊夢を右手で抑え、カメラから白い紙を引き出す文。
そのまま一分程待ってから、薄い紙を剥離させると……。
「なっ!?」
「インスタントカメラって奴です。便利ですよね」
文の手にした紙には、早くも霊夢の間抜けな表情が映し出されていた。
成程、一瞬の内に撮ったにしては構図も良く、ブレも無い。
流石は普段からカメラ片手に飛び回っているだけの事はある。
自分でもいい出来だと思ったのだろう、文は今撮れたばかりの写真に向けて満足げに頷いていた。
この写真もまた、コレクション……『呆然顔集』行き決定である。
対して、現像の速さにしばし呆気に取られていた霊夢だが、正気を取り戻すとすぐさま文の手からその写真をかっさらう。
乱暴に扱わないで下さいよー、などと言う文の言葉が聞こえるが、霊夢としてはすぐさまこの間抜け顔の写真を八つ裂きにしてしまいたいくらいである。
とは言え今の彼女はそんな事をすれば一瞬で見捨てられる居候の立場な訳で。
顔を真っ赤にしながら、ワナワナと震えるのが霊夢に出来る精一杯であった。
コイツ、いつもああやって私の恥ずかしい写真を眺めているのだろうか。
いや、それどころかアルバムなんぞに保存して、人の恥を後世まで残しておくつもりなのだろうか。
それこそ、私だけでは無くて幻想郷の全ての住民を――――――
ん、全て……?
そこまで考えて、霊夢ははたと気付く。
先程からたくさんの写真を見て来たが、ただの一枚たりとも文が映っている写真が無い。
見落としたかと思い、最新と言って渡されたアルバム群をいくつも開いてみるが、やはりその姿は何処にもなし。
幻想郷の全住民……かはわからないが、少なくとも自分の知人全員がいずれかのアルバムに収められている中、たった一人『射命丸文』と言う存在が抜け落ちている。
誰よりも写真に近い場所に居た筈の文が、である。
「アンタの写真は無いの?」
「はい?」
「いや、さっきからアンタが映ってる写真、一枚も無いなーって」
「そりゃ、ある筈ないじゃないですか。私はあくまで撮る側なんですから」
「一枚も?」
「ええ、一枚も」
さも当たり前、とばかりに文は言ってのける。
「あやや、ひょっとして見たかったですか? 昔の私の写真」
「調子に乗るな」
本日何度目かもわからない殴打。
相変わらず一言も二言も多い天狗である。
こんな奴の事を気に掛けて損した、と霊夢は鼻息荒く背を向ける。
そんな巫女の背中に向けて。
「……いいんですよ」
送られるのは、何処までも静かで優しげな声。
「これは言わば私が懐かしむ為の写真達ですから。だから、その中に私は居なくていいんです」
「……」
「それに、自分の写真を残しておくのは恥ずかしいですしね。形として残らず、潔く消え去りたいんですよ、私は」
「むしろ私がそうしたいくらいなんだけど」
「霊夢の意見は聞いてませーん」
霊夢の背中に、文のへらへらとした笑い声が圧し掛かる。
嗚呼、何て傲慢な奴なんだ。
背を向けたまま、苛立ちを抑えるかのように霊夢は眉をひそめたままにその双眸を閉じる。
この天狗はいつもそうだ。
新聞も写真も、そこに居るのは常に他人他人他人。
決して自分自身をその対象にしようとはしない。
幻想郷を、そこに在る光景を、そこに生きとし生ける人妖達を形として残しておこうとする癖に。
その中に『射命丸文』と言う存在を含めようとしない。
これからも末長く続いてく幻想郷、その果てしない時の中で。
たった一人、まるで始めから存在しなかったように綺麗さっぱりと消えていこうとする。
それは酷く不愉快だ……と霊夢は思った。
勝手に人の恥を後世まで残しておいて、自分だけは潔く消えていくなど、自分勝手にも程があるではないか。
自分は散々懐かしんで、自分だけは誰にも懐かしがられたくないなどと、許される筈が無いではないか。
……道連れにしてやる。
霊夢の心の中に、小さな火が灯る。
否が応でも私の写真を残しておくつもりならば、彼女の写真もまた同様に残させてやる。
綺麗さっぱり消えていこうとする彼女を、後世まで写真と言う形にして伝えてやる。
それが霊夢の考える、文に対する最大級の嫌がらせであった。
とは言え、自分の写真を残したくないと言う以上、そう簡単に撮らせてくれる筈が無い訳で。
やはり眠っている間など、相手が気付かない内にこっそりと撮るのが得策だろう。
よーし、寝ろ―寝ろ―寝ろー。
「ふぁ……あー、私そろそろ寝ますね。昨日徹夜だった物で……」
ワオ。
寝ろとは言ったが、まさか本当に寝てくれるとは。
まるで自分が呪術を掛けたようなタイミングに、霊夢はほんの少しだけ気味の悪い気分になった。
何はともあれ、これは明らかなチャンス到来である。
幸いカメラの使い方は以前文に習った事があるし、肝心の道具も、使った事の無いインスタントカメラとは言え目の前に置かれている。
被写体が動かなければ、という条件付きでならば何とか写真に収める事は可能だろう。
そう、ターゲットが静止している……まんまと眠っている内にこっそりと……。
「言っておきますけど」
まるで霊夢の悪だくみを遮るかのように。
自室へと向かおうとしていた文は、突然くるりと霊夢の方向へと向き直る。
「寝ている間に私の写真を撮っても、すぐ捨てちゃいますからねー」
「うっ」
完全にお見通しでした、ちゃんちゃん。
自室へと消えていく文を見送りながら、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる霊夢。
このままこっそりと隠し撮りした所で、文はフィルムの減りなどですぐに見抜き、霊夢へと詰め寄って来るに違いない。
無論、天狗ハウスからの退去をちらつかせて……である。
今の霊夢にはそれを突っぱねるだけの生活的余裕も無ければ、写真を撮った痕跡を消す技術も無い。
つまりは仕掛けた所で完全な負け戦。
この場にカメラを置きっぱなしにしている事実こそが、文の余裕を表している。
大層面白くなかった。
自分一人消えていこうとする彼女も、そんな奴の思い通りになる事も気にいらなかった。
何としてもあの天狗をギャフンと言わせてやりたい、霊夢はこれ見よがしに置かれたカメラに手を伸ばす。
しかし、どうやって?
どうすればあの天狗に、自分の写真を残させる事が出来る?
写真を隠しておく事が実質不可能な現状、その写真を文に捨てられないようにするしか―――――――
「……あ」
その時、霊夢の脳裏に一つのアイデアが浮かぶ。
それはまさに起死回生と成り得る一手。
確実とはとても言えないが、今の霊夢に思い付く唯一の写真を捨てさせない可能性であった。
即ち文をギャフンと言わせられるかもしれない、たった一つの冴えたやり方という奴である。
「むむむむ……」
……にもかかわらず、霊夢はまるでその手を使うのを躊躇うように頭を掻く。
手にしたカメラに視線を落としながら、その頬をほのかに染める。
どうやらその手段は、霊夢にとって羞恥を感じずにはいられない物らしい。
果たしてあのパパラッチ天狗の為に、ここまでする事に意味があるのだろうか。
理屈と感情の狭間で、頭を抱えながら自問自答を繰り返し続ける。
そんな永遠とも一瞬とも思える逡巡の後。
果たして彼女はどのような答えに辿り着いたのか。
霊夢は覚悟を決めたように一つ小さく息を吐くと、カメラ片手にその場に立ちあがった。
差し込む光が明と暗のコントラストを描く明朝。
布団から上半身のみを起こした文は、うーんと大きく一つ伸びをする。
鴉天狗の朝は早い……と言う訳でもないが、昨晩はかなり早い時間に床についた。
お陰様で早朝にもかかわらず、少女の頭はすっきりと冴えている。
「霊夢は……と、まだ寝てますか」
隣に敷いた布団に寝転がる少女の姿に、文は薄く笑みを浮かべる。
彼女もまた疲れていたのだろう、文の声にもまるで反応する様子は無い。
反対側を向いている為表情は見えないが、きっと安らかな寝顔を浮かべているに違いない。
そうだ、今の内に寝顔でも一枚撮っておこう。
そんな何とも彼女らしい思考を浮かべ、カメラを取りに行こうとその場に立ちあがる。
「うん?」
その時、文の足元に一枚の紙が落ちる。
落ち方からして身体の上に乗せられていたようだが、これは一体……。
訝しみながら紙を拾おうとした所で、文は何かに気付いたように「ああ」と頷いた。
これはインスタントカメラ用の写真の形である。
よく見るとカメラは霊夢の枕元に在るし、恐らくこれは霊夢が撮った写真と考えて間違いは無いだろう。
下向きの為、写真に映っているのが何かは見えないが……文にはそこに何が映っているのかは既に予想が付いていた。
「やれやれ、霊夢にも困った物ですね」
溜息を吐きながら、頭をぽりぽりと掻く。
撮っても捨てると言ったのに、難儀な物である。
文は苦笑しながら写真を拾い、ゴミ箱の方向へと歩いて行く。
無論、霊夢の撮った写真を処分する為である。
……とは言え、せっかくの霊夢が撮った写真、捨てる前に一目見ておいても損は無いだろう。
文はそんな軽い気持ちで、手元の写真を裏返す。
「……はい?」
瞬時に硬直。
まるで石になってしまったかのように、写真を見つめながらぴくりとも動かない。
静寂に包まれた部屋の中、時計の針だけが規則正しい音を刻んで行く。
「わ、わぁああああっ」
そして我に返ったと思えば、今度はこの奇声である。
先程まで余裕の笑みを浮かべていたその顔が、見る見るうちに朱に染まっていく。
……なんて恐ろしい事をするのだ、この巫女は。
働かない頭でそんな事を思う天狗は、大層恨めしそうに布団の中の巫女を睨みつける。
「ひ、酷いですよ、霊夢……」
文の右手でぷるぷると小さく揺れる一枚の写真。
そこに映っているのは勿論、安らかに寝息を立てる射命丸文自身。
――――――そして、もう一人。
文の寝顔の横、まるで抱きついて居るかのように寄り添いながら、カメラを見つめている少女。
不機嫌そうに眉をひそめ、頬を真っ赤に染めながら、小さく小さくVサインを出している、一人の少女が写っている。
無理やり自分に向けてシャッターを切ったのだろう、ピントのずれた腕が写り込んでいるのが何とも愛らしい。
嗚呼、何と言う事だ。
文は自分の頭を抱えて、唇をかみしめる。
果たしてこんないじらしい彼女の姿など、これまで写真に収めた事があっただろうか。
ある筈が無い、あればすぐにでも写真たてにでも入れてよく見える所に展示している。
勿論、あの巫女に見せびらかしながら、である。
そう考えると、一点、たった一点、文自身が映り込んでいるという点を除けば……否、除かなくともこの写真は魅力的過ぎた。
切り離そうにも身体が密着している為難しい。
何より、この写真を切り刻むなど、文には出来そうも無かった。
そう、彼女には最早、この『二人』の写真を捨てる事など出来る筈が無かったのだ。
例え自分のポリシーを曲げてでも、この写真を残しておく以外の選択肢など、選べるはずが無かったのだ。
だから天狗は負け犬のように、小さく震えながら犯人に向けて吠える。
「こんなの、捨てられる筈ないじゃないですかぁ……!」
果たしてその顔が真っ赤なのは、拒絶していた自分の写真を後世に残す事になってしまった事への、怒りや羞恥のせいなのだろうか。
そんな事は、錯乱した天狗の頭ではわかる筈も無い。
ただ一つ、今の彼女自身でもわかる事、それは。
彼女の感情の向けられた先、布団をかぶりながらそっぽを向いている霊夢の顔もまた、耳たぶまで真っ赤に染まっていたと言う事――――――
あやれいむ!あやれいむ!
この後文はたくさんの競争相手から一斉に攻撃されるのですね、分かります。
ともあれ、素晴らしい2828をありがとうございました。
アタタカイハナシダナ-
この部分に(激しく)反応した人が通りますよ。マジでビックリしましたw
ニヤニヤしてたらラストの後書きでwwwwww
あやれいむもアリだよね!
そのとき文の胸にはいったいどんな想いが浮かんで、どんな顔で写真を見返すんでしょうかね。
猪突猛進なようで過去を撮っておく文、素敵です
良質なあやれいむ有難うございました!
あぁ、これは良い。実に素晴らしいじゃないですか!
面白いし甘いし可愛いし……うぅ、癒されました。
良い作品をありがとうございます!
しかし霊夢よ、紫様のミニスカ写真を見たくないだと? うーむ、この一点に関しては死ぬまで
君と分かり合えないようだ。
>仮住まいとしてこの場所に住ませて→住まわせて
>けれどもまるで違う体系の→体型の
>一瞬の内に取ったにしては→撮ったにしては
>訝しげながら紙を拾おうと→訝しみながら、又は訝しげに、の方がしっくりくるかと。
俺も頭の一部分だけでいいから一緒に・・・!!!
そしたら、そしたらだな。イイハナシダッタナー!!
それより早くそのババァ写真集を…ぬ?だっ…誰だ!!う…うわ…………
このほのかに漂うラブい感じがたまらん。
実に見事な解決法でした。
実に見事な解決法でした。
他の何でもダメなんだろうな、Vサインじゃないと
文さん文さん。寝顔集とかありませんかね?
ありましたら言い値で買取をさせていただきますよ?
なんだこの、こっちが照れてしまう展開は――!
朝っぱらから幸せになりました。ありがとうございます。
たしかにこれは捨てられないわw
あとがきのレミリアwww
そのアルバム集の中にババ……じゃなかった、お姉さん集はありますか?
あったら見せて下さいよぉぉぉぉぉ!!
ところで顔芸集はありませぬかな?
最近なんかpixivにも創想話にも、
あやれいむは急増しているようだね、
幸せ嬉しいです!
きてるぞッ・・・!
あやれいむのビッグウェーブがッ・・・!
後書きまでニヤニヤさせてもらいましたw
何か目覚めたような気がする。
お姉さん写真集見たいんですが。
自分の写真を取らない文…
そのまま時を過ごしてしまうのは寂しかったな
他人に無関心な霊夢が羞恥に悶えてまで頑張るとは
手負いさんの描く文と霊夢はかわいいな(真理)
ああ、でも幻想郷の嫉妬指数がこれで279パルから1457パルパルまで一気に跳ね上がってしまいましたね…まあ仕方ないっか
誰か、文の寝顔と霊夢が写った写真を現像してくれ!!
素晴らしい作品をありがとう、いやマジで
文と霊夢の距離感の表現が見事です。
まず一般的な生活という可能性はないのかww
霊夢も文もかわいいですなあ。
あやれいむ、いいものだなぁ。
素晴らしい
ご馳走様でした。ええ! ご馳走様でしたとも!
霊夢がかわいい、文もかわいい! 悶え死ぬ!
読んだ人を暖かい気持ちにさせてくれる、いい話でした。
そして紫はしまっちゃうおじさんならぬしまっちゃうおばs(スキマ
ツン霊夢がたまにデレるこの破壊力……。
素でのたうちまわったじゃないか!あまりの可愛さに!
大変面白かったです!!
霊夢の愛らしい面が前面に出ていて最高でした。
対抗しようとして恥ずかしがる霊夢も良きかな。とても読んでいて面白かったです。