Coolier - 新生・東方創想話

君がくれたものは強さと――

2010/04/19 19:49:32
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 俺は今日も女の子を探している。
 ずっと前からだ。もうかれこれ三年前から。
 俺が捜している女の子は、東風谷早苗といった。
 俺は、早苗という女の子の、きっと壮絶であろう人生に少しだけ関わった男だ。










 今日で、この学校を辞めなければいけなくなりました。
 そんなことを彼女が教室で発表した時の騒然具合ったらなかったよ。早苗さんは顔よし性格よし、四字熟語で仰々しく表すなら容姿端麗で品行方正な聖人君子だったからな。ちょっと冗談が通じにくいところもあったけど、なんていうかそこがまた抜けてて魅力だったんだよ。人望もあったし、いつも周りには人垣が出来てた。凄いよな、今考えてみると。
 なぜ辞めるのか、誰も彼もが彼女に質問したし、悲しくて泣き出す子もいたっけな。もうあれだ、日本の首相が射殺されてもこんなに騒がないだろうなってくらい騒いでた。誰もが。
 でも彼女の返答は歯切れが悪くて、教師の答えなんてもう歯切れが悪すぎて殴りたくなるくらいだった。俺なんかは、マジで肩掴んで揺すって尋ねたからね。なんで早苗さんが辞めんのか教えろクソ教師がオラ、ってな具合にさ。断っておくが俺はヤンキーじゃない。ただあの時はそれほど興奮してたってわけだ。
 朝のホームルーム時にその衝撃宣言があったわけで、今日で辞めるって事は今日の授業は受けんのかなと思ったら、ホームルーム後にすぐ帰るって言う。お別れの時間は五分。いや、短すぎるから。せめて五日はくれよ。
 ホームルーム中であることなど全く気にせず、隣の席であるという地の利を生かし俺は早苗さんに質問しまくった。必死だったぜ?俺は顔の悪い方じゃないけれども、多分この時の形相はキモかっただろうね。なんせ必死だから。必ず死ぬと書いて必死さ、もう追い込まれたネズミどころの騒ぎじゃないんだ本当に。
 早苗さんは、俺のそして皆のどんな質問にも哀しげに寂しげに、ごめんね、というばかりだった。いやごめんねじゃなくてさ、どこに引っ越すんだ?あるいは、引っ越すんじゃないならどうして辞めるんだ?やっぱり、答えてくれなかった。俺涙目とかそれどころの騒ぎじゃねえ。あんまりだ。
 ホームルームが終わると、早苗さんは物理的にクラスメイトの中心になった。
 早苗さんが磁石になったみたいに、クラスメイト全員がすぐ彼女の周りに来た。傍から見たら異様な光景だったろうな。まあ俺は早苗さんのすぐ横でなんとか早苗さんを帰らせまいと必死になっていたわけだけど。
 クラスメイト四十人の防壁をどう破ったのか分からないが、早苗さんはいつの間にか教室の外へ出ていた。廊下へ出ると、付いて来る奴らの人数は激減して、取り巻きの女子が四、五人着いて行くだけになった。さしもの俺も女子の輪に入ってまで早苗さんを質問責めには出来なくて、少し離れて着いて行った。誰だ今、ストーカーとかキモいとか言った奴。俺は顔も体形もキモくない。女子受けは悪くないんだぞ。まあ確かに、あの時女子の輪にこそこそ着いて行ったのはちょっとアレな光景だったかも知れないが。
 下駄箱まで来ると、早苗さんは取り巻き連中に手を振って、校門へと歩いて行った。取り巻き連中は泣いていた。泣いている女子数人の後ろに立って小さくなっていく早苗さんを見つめる俺は、ちょっと変な人に見えたかも知れない。
 校門を出る少し前、早苗さんが振り向いて校舎を見上げたのは、きっと俺たち二年A組の教室を見ていたんだろう。これは後で友人に訊いた話だが、窓を開けて早苗さんに手を振るって発想は、クラスの中に無かったらしい。正気か?
 そう、俺は前から思っていたことだけども、早苗さんは人気があるのに、親しい友人というのがいないようだった。取り巻き連中はなんだか、連中が一方的に押しかけてる感じで友達っぽくなかった。たまに早苗さんが、連中と話しながら寂しそうにしているのを見たことがあるけど、あれは見てらんなかったね。今思い出してもなんか心苦しい。
 そんなこんなで早苗さんは、一人で校門を出て、道を右に折れた。取り巻き連中はすでに教室に戻っている。薄情な野郎どもだ。って野郎じゃなかった、まあいいや。
 俺は上靴のまま全力で走り出した。もちろん早苗さんを追うためだ。
 バカだと笑うか?俺は彼女に惚れてたんだ、仕方ないだろ。





「早苗さん!」
 
 どことなく寂しそうに歩いている背中に、すぐ追いついた。まあ俺は全力疾走で早苗さんは徒歩だからね。そりゃすぐ追いつくさ。
 彼女はびくっとして振り返った。俺は、不審者を見るような目をされなかったんで安堵している。なんだ、俺のこの思考のわびしさは?

「どうしたんですか、そんなに息を切らして……追いかけてくれたんですか?」
「そう、さすが東風谷さん、察しがいいな」

 早苗さんと呼ぶのは心の中でだけだ。オイ笑うな。俺はチキンなんじゃない、紳士なんだよ。なんだ、俺のこの思考のわびしさは?二度目じゃねえかしかも。
 ん?
 なんか呼びかける時早苗って呼んだような。……気のせいか?気のせいであれ。名前で呼んだりしたら恥ずかしくて死んでしまうからな。俺が。
 早苗さんはどことなく嬉しそうだった。早苗さんの横顔を毎日観察していた俺が言うんだから間違いない。
 なおも息を切らしている俺を見かねてか、早苗さんが口を開いた。

「授業始まっちゃいますよ?もう」
「授業なんか、別に、どうでも、いいんだって」

 だって、俺には君が何より大切なんだ!
 そんな台詞を吐いて、イイ雰囲気で終わる映画とかあるけどありえないよな。男の臭い台詞で女を落とせるなら、有史上、男に不幸など存在するはずがない。
 とりあえず息は落ち着いてきた。紳士はクールに呼吸しないとな。ところで、本物の紳士ってのはこういうこと考えて行動してんだろうか?俺紳士だからこう行動するみたいな。まあ、死ぬほどどうでもいいことだけど。
 俺は膝に手をついた姿勢から直り、真面目な顔で早苗さんを見つめる。俺はそこそこの身長があるので、ちょっとだけ見下ろす格好になった。

「……なんで、急に?……あ、返答にごめんねは無し」
「……ずるいですよ、そう答えようと思ってたのに……」

 困ったように彼女は笑う。素直に、そういう顔もやっぱ可愛いなと思ってしまった。だが今はそんなことを考えている場合じゃない。早苗さんと喋っているために現実感が失せているけど、彼女は今からいなくなろうとしているのだ。それはちょっと、かなり、非常に、嫌だ。
 彼女は困ったような顔のままで、俺を見つめた。そして言う。
 
「家の都合……です」
「家……っていうと、神社関係の都合か」
「うん、そうです」

 ちくしょう、いきなり訊き辛い方面に話が流れてしまった。なんかさ、自営業とか工場とか、親がそういうことやってる人に、家の都合って言葉使われると突っ込み辛いよな。俺今まさにその状況。誰かこんな俺に、神のトーク力を。今まさにこの瞬間俺の舌に!
 
「神社を、遷すとかそういうことなのか?」

 お、無難だけど結構悪くない感じの訊き方じゃないか?

「……えっと……」
「あ、いやすまない、答え辛いならいいんだ」

 悪い感じの訊き方だった。死ね俺。
 ここから俺が口火を切るのは辛い。沈黙。早苗さんなんか言ってくれ。そうすれば俺だって色々言えるからさ。
 握り締めた手は汗だくだ。俺は今、人生で一番一生懸命だろうな。
 すると、空気の読めない、イマドキの言い方で言うとKYな電子ベルの音が響いた。俺の通う高校にして、早苗さんがさっきまで通っていた高校の電子ベルだ。

「……えっと、学校に、戻らなくても……」
「いいんだ。構わない、そんなものは」

 なんで俺倒置法で喋ってんだよ。いいよそんな技法使わなくて。この技法を生んだ奴前に出ろ、で、この技法をテンパり会話法って名前にしやがれ。理由はテンパると自然に出るからだ。異論は認めない。
 ていうかまた会話終わっちまったか、と思ったが、電子音が終わると同時に、早苗さんのほうから口を開いた。

「少し、歩きませんか?」

 断る理由はない。上靴だし授業始まってるけど。
 大切な人のために何もかも犠牲にするのが男ってもんさ。多分ね。

「分かった。歩こう」
「……ありがとう……」
 
 何に対してなのか分からない感謝の言葉を向けられながら、俺は早苗さんと並んで歩き出す。
 早苗さんに絶賛片思い中の俺は、彼女に一緒に帰らないかと声をかけたことが三回ある。そのうち二回は一緒に帰ったので、並んで歩くことぐらいで緊張はしない。ただ、連れ立って下校する時間帯は普通夕方だし、似たような男女が他にも道を歩いているものだ。朝っぱらから、誰もいない通学路を二人で通るというのは少し、異世界に来たようで不思議な気分だ。

「……なんか、不思議な気分ですね」

 うお、同じこと考えてた。これって運命?

「もう、この学校来ないんだって思うと……」

 違った。

「本当に……もう来ないんだなあ」

 精神的なダメージから立ち直り、俺は寂しそうな早苗さんにかけるべき言葉を脳内検索。検索結果は0件。大事なことはいつだって分からない。使えねえネット社会、そして人間の脳だちくしょう。

「どうしたっていうんだ?突然……転校でもなく辞めるなんて」
「……家の都合っていうのは本当です。神社の関係っていうのも、本当です」

 俺の予想はそれなりにいいところを突いていたらしい。それがいいことかどうかは別だが。
 早苗さんは手提げ鞄を後ろ手に持って、俺の方を見て言った。

「でも、無理矢理連れてかれるわけじゃないんですよ?自分で……」
 
 一瞬、早苗さんは俺のほうを見る目を伏せた。だがすぐに、いつもの気丈そうな笑みを作って言った。無理を、している表情かどうかは分からなかった。

「自分で決めたことですから」

 なんだよ、もう。
 そんなこと言われたら、行くなって言えないだろ。

「……そんなこと言われたら、行くなって、言えないだろ」
「……え」
「俺は行って欲しくない、けど引き留めたら……東風谷さんの邪魔になる。だったら……行くなって言えない」

 よくもまあ、こんな浮ついた台詞がすらすらと出て来たもんだ。気持ち悪いが自分を尊敬する。でもふざけた台詞ではないってことだけ、分かってもらえないもんかなと自嘲ぎみに心中で思った。
 気付くと、歩みが止まっていた。俺の臭い台詞あたりから止まっていたのかと思ったが、違う。俺は歩きながら言ったはずだ。
 つまり早苗さんが歩みを止めているのだ。見れば、早苗さんは俯いている。
 分かるか、男性諸君。惚れた女の子がね、自分の言葉で俯いてしまった時のこのやっちまった感。この罪悪感!女を悲しませる男は死ね。これは俺の親父の遺言だ。

「あの……」
「ん、なに?」

 俯いたままで、早苗さんが何か言いかけた。俺は先を促す。
 早苗さんが顔を上げた。懇願するような、あるいは堪えるような、そんな表情だった。どんな表情でも早苗さんは美人で、全く魔性の女だった。でもやっぱり笑顔が一番だね。女の武器を涙だという人がいるけども、女の武器って笑顔だよ。
 そんな表情のまま、早苗さんは俺を見つめて言った。
 
「なんで私がいなくなるのか、言っても意味が分からないと思います。でも……」
 
 思い迷うように、早苗さんは目を逸らした。
 思わず何か言おうとしたが、彼女の迷う視線はすぐにまた俺を捉えた。

「聞いてくれますか……?」
「もちろんだ」

 この時の返答は、理屈抜きですぐに言えた。だってそうだ、いきなり辞めますなんて、それだけでいなくなられた日にゃ、俺は世を儚んで自殺する。いや、本気で。
 すると、早苗さんが微笑んでくれた。ああやっぱりこの方が可愛いって。
 照れくさそうな微笑のまま、早苗さんは言った。

「じゃ、えっと……歩きますか?」
「歩くか」
 
 ちなみに、どこへ向かうのだろう?まあ普通に考えれば家なんだろう、でも俺がいるぞ。横に男を連れて家に帰るのか?そんなことになればご家族に何を言われるか分からないぞ、俺も彼女も。だって俺、上靴だぜオイ?すると道中での別れか。うえ、なんかそれも嫌だな。
 ここまで考えれば俺にも、幸福な形での、つまり心の悲しみの無い別れなんかありっこねえなと理解できた。別れることの悲しくない相手なら、そもそも別れだと思わないに決まっている。
 
「なあ、東風谷さん」
「あ、ごめんなさい、話すって言ったのに、ちょっとややこしい話なのでまとめてて……」
「ああいや、それはゆっくり話してくれたらいい。ただ、どこへ向けた足なのかと思って」

 ああそういうことですね、と得心したとばかりに早苗さんが表情を明るくした。

「私の家、神社ですね」
「そうか、家……まで、着いて行っていい、わけじゃないよね?」
「あ……ご迷惑でしたか」
「いや、全然迷惑じゃない。喜んで」

 不安げに早苗さんがこちらを見つめて、俺の返答に微笑んだ。ぐ、さっきから色んな表情で見つめられすぎてやばい。そういえばやばいって言葉を嫌う人いるけど、なんでだろう。便利だけどな。ニュアンスが色々あるのが問題なんだとしたら、結構ですとかそういう言葉も俺は欠陥だと思うね。
 現実逃避の無駄思考はここまでだ。困ったな。
 どうする、この格好で早苗さんのご両親に挨拶するのか?この、ネクタイの緩んだ制服、染めてはいないけど若者風な髪、そして上靴で。さっきから上靴お前俺の邪魔ばっかだな。かかと踏まれるからって俺に当たるなよちくしょう。
 そこで根本的なことに思い至り、口を開く。

「また無神経なこと訊いてたらごめん。そういえば東風谷さんのご両親って……」

 少し前、教室で早苗さんと喋るという俺にとっては至福の時間、俺の親の話題が出たことがあった。まあ、俺の親父が下らん失敗をして面白いというそれだけの話だったが、早苗さんは随分楽しそうに聞いてくれた。
 俺のトーク力で笑ってくれたんだなと思うほど俺は自信家ではないので、そのことを早苗さんに訊いてみたのだ。お父さんは?と。確か、仕事何してるの?とかそういう振り方だったと思う。
 すると、遠くで宮司をしているという返答が来たんだった。思い出した。あの時教師が入ってきたんで、中断されたんだな、話が。
 遠くで、ということはきっと、一緒に住んでいないのか。母親のほうは分からないが。
 早苗さんは少しだけ思案顔になって、答えてくれた。

「はい、父は遠くの神社で宮司をしてて、母もそこにいます。だから、私は両親と一緒には住んでないんです」
「そうか……すると一人なのか?しっかりしてるとはいえ高校生なのにな、まだ」
「あっ、それなんですけど……」

 ん、今の早苗さんの「それ」ってどれだ?
 思考する前に、早苗さんから言ってくれた。

「確かに私は一人暮らしです、ですが……一人ではないんです」

 えっと、どういう謎かけだ?分かる奴がいたらここに来い、そして俺に説明しろ。
 
「それは、どういうこと?」
「今、ご説明しますね……あ、ちょっとだけここで……」

 早苗さんはそう言うと、ふと足を止めて振り返った。当然、今まで歩いていた道を見ることになる。
 少しの間、まあ一分も立ってないんだろうけど、早苗さんはそうしていた。懐かしむように愛しむように、これまでほぼ毎日通っていたであろう通学路を眺めていた。
 初夏の微風に揺れる髪を片手で押さえ、道に転がる過去を見ているその横顔がなんだかとても絵になっていて、俺はずっとその横顔に見惚れていた。見惚れていたけれども、考えていた。
 早苗さん、いなくなっちまうのか。
 信じらんねえよな……。
 何かを吹っ切ったのか、満足したのか、お待たせしました、と彼女ははにかんで笑った。そしてくるりとスカートの裾を翻すと、道を先へ進もうとする。
 未練がましい男は嫌われる。分かっちゃいるんだぜ?でも言わずにはいられないのさ。男性諸君は俺から反面教師的に学んで、同じ過ちをしないようにしてほしい。うん。

「東風谷さん……」
「ん、なんですか?」
「本当に行っちゃうんだな」
「……はい、本当に。遠いところへ」
「……そっか」

 ほら見ろ。
 すでに決定済みの運命が強調されて、雰囲気は暗くなって、なんにもいいことねえから。分かってたよ、こうなるってのは!でも言っちゃったものはしょうがない。そうやって納得し、少年は大人になる。
 なんていう風に文学的に終われるなら、人生ってもっといいものになるだろうけど、そうもいかない。実は人間の心というのは複雑だ。言語や理性なんて、さっぱり追いつかないぐらいにな。つまり俺はこう思っていた。
 早苗さんと別れたくねえなあ。
 いや付き合ってるわけではないから、別れたくないではなくて離れたくないか?どっちでもいいよそんなの。同じだ。
 とにかく、早苗さんは帰らなきゃならないんだから、こう言おう。
 
「悪い。行こうぜ」
「はい……そうですね」

 無言で、田舎臭のする道を二人で歩いていく。蝉がうるさい、ってほどでもないか、そういや先週くらいからこいつらは鳴き始めた。
 はっきり言って、一歩進むたびに別れに近付いている気がして、俺はかなり泣きそうだった。泣かないのは単にカッコ悪いからだ。カッコつけているだけだ。だがカッコつけることも出来ない男っていうのは無能の別名だと俺は思っている。
 すると唐突に、早苗さんが言った。

「私は一人で家に住んでいるのでなくて……二柱の神様と一緒に住んでいます」

 反応出来ねえよ。
 ひとまず、俺が「二柱」って言葉の意味を理解出来たってだけでも褒められてしかるべきだと思う。神様を数える単位だよな確か。
 二柱の神様と一緒に住んでいます。
 いや、全然難しい日本語じゃないし、理解出来るけど、でも納得は出来ない。アレなのか?神社では神様と生活するのが普通なのだろうか。凄すぎるぜ日本の八百万の神々たちよ、そこまでフレンドリーなのか。バカな。ありえん。
 しかし俺は大の東風谷早苗ファンだ。早苗さんが変な宗教の話してるわけでも冗談言ってるわけでもないなんて一瞬で分かる。早苗さんは横顔に不安そうな色を浮かべているが、きっと気味悪がられるのではないかと懸念しているのだろう。どうだい、俺の洞察力は?将来は心理学者になれるんじゃないか。まあ、まず調べる対象に本気で惚れるというプロセスが必要な学者とかって、使い道ないと思うけども。
 無駄思考は終わりにして、俺は口を開く。

「変な宗教の話でも冗談でもないのは分かるぜ、でも待ってくれ、神様と住んでるって?」
「あっ、はい。えっとですね、姿形は普通の人間と変わりません。お一柱は八坂様、もうお一柱は洩矢様といいまして、天地の……私もよく理解してはいないのですが、神様なんです」

 俺が先に断ったからか、早苗さんは幾分喋りやすそうだった。
 しかしまだ、現実感のない会話だ。普通の人間と変わらない姿の神様。ううむ、イエスの絵画みたいなのしか浮かばねえぞ。でも多分あんなんじゃないだろ。

「悪い、想像が出来ない……」
「いえ、いいんですよ。……聞いてくれてありがとう」
「こっちこそ、言ってくれて嬉しいぜ」

 なんだか、彼女の笑顔が少し自然になった。よく分からないが嬉しい。
 話の流れからして、多分その神様関連で、ここを離れることになるってことなのか?神様の都合って、そりゃ人間は敵わないかも知れないが。
 疑問を見透かしたように、彼女はゆっくり歩きながら続けた。
 
「神様の力というのは、いかに人々から信仰されているかによって決まります」
「信仰……どれぐらい、手を合わせられているかってことか」
「それもあります。ですが、ただその神様の名前を覚えているだけでも信仰と言えるので、どれだけ広く知られているかということですね」

 いきなり超次元な話をされているが、不思議と理解できる。嫌な感じはない。
 古来より日本には一神教がなく、道ばたにも神は存在すると言われて敬われてきた。風なんかも、神の仕業かあるいはそれそのものが神だと言われてきたらしい。神に溢れる世界に生きてきた日本人の血が、神の存在を理解させているのかも知れない。あくまで想像ではあるが。
 早苗さんは続ける。凛とした横顔だった。もしかしたら、神様の話は巫女としての本領なのかも知れない。
 
「今、この科学が発達した世界で、神を信じている人は稀です。……一神教の信者にすら、心から信じているという人は少ない。大体の信者は、家柄がそうだったからいつの間にか入信していました、という人たちなんです」
「ああ……まあそうだろうな」

 俺は一呼吸だけ置いて、言葉を続ける。

「天気に病気に災害に、あらゆることの原因が解明された。人智の及ばないものたちを司る存在たる神様の入り込む余地は、どこにも無くなってしまった。……信仰は薄れるだろうな」

 早苗さんは少しだけ驚いたように俺に目を向けた。どうしたんだ?なんだか、尊敬の眼差しも少し含まれているような気がする。

「凄いです。神様のことをちゃんと考えてくださってるなんて……」
「いや、知ったかぶりの意見だ。笑ってくれ」
「そんなこと……ないです」

 また、微風が吹いた。絹糸のような早苗さんの髪が揺れる。陽光に照らされた髪と早苗さんの瞳が、透き通るように輝く。ああ、この瞬間の早苗さんが神様だと言われても何の違和感も無いな。むしろ頷ける。人間が、こんな風に美しく存在できるわけがない。
 そういえば、と俺は早苗さんに惹かれ始めた頃を思い出していた。あれはクラス替え、始業式のすぐ次の日だった。
 俺は席の近くなった連中とは誰とでも喋りたいタイプの人間なので、前の席の奴、後ろの女子と声をかけ、自然なタメ語で喋れるようになったところで隣の早苗さんに話しかけたんだった。あの時は、単にうわあすげえ美人の隣だやっほいとか思ってたな。
 それで話しかけてみたら、なんか他の女子とは違うなあって一発で分かった。そらそうだ。上品だし、なんか超然としてさえいるからな。
 気になってはいた。でもその時あたりまではまだ、惚れてはいなかったな。俺は誰とでも仲良くなるけど、深く付き合う人間はしっかり選ぶ。選んでいると思い込んでいるだけかも知れないが。
 決定的だったのは、四月の下旬だ。
 その日、早苗さんは朝から眠そうだった。家で何かあったんだろう。巫女の仕事が長引いたとかさ。
 で、眠いなら普通の奴は学校で寝ればいいけど、その頃からもう、早苗さんの周りには取り巻きがいて、寝かせないわけだ。連中が好き勝手喋るからな。
 俺は見てらんなくなって、取り巻き連中の話に混ざって、それとなく「東風谷さん疲れてるみたいだから寝かせてやれ」みたいなことを言った。もちろん、誰に対しての棘にもならないようにオブラート三重装備で言った。別にこの時、恩を売ろうとかそういう魂胆はなかった。見てらんなかったから、自然と声が出たって感じだな。
 そしたら連中も納得したらしくて、各々散っていったんだよな。今思い出してみても不思議だ、何であいつらは早苗さんから離れたんだろう。俺はどんな魔法の言葉を使ったんだ。思い出せない。
 すると早苗さんは「あっ、ありがとう……」と俺に礼を言うと倒れるように机に片頬をつけて寝てしまった。その寝顔の天使なことといったらもう筆舌に尽くしがたかったね。
 で、俺がまんまと彼女に惚れることになったのは次の日だ。
 やたらと寒い日だった。四月下旬とは思えない寒さだったよ。
 俺は生憎テレビを見ない体質の珍しい高校生で、天気予報や気温なんか見てない。春の軽装で来たよ学校に。必然的にクソ寒い。家出た時に気付けばよかったんだが、風も強かったからそれで寒いんだと勘違いしたんだよな。そしたら単に気温が低い日でしたとさ。ちゃんちゃん。
 間抜けな俺は友人に、メディアを使え活用しろと散々笑われ、どいつもこいつも温かそうなカーディガンとか制服の下に着てんじゃねえぞと世界を呪いつつ、気温が理由なく上がる怪現象もしくは何らかの上着を欲していたわけだ。
 すると、寒さに震えながら朝のホームルームが始まるのを待っていた俺の前に、天使が現れた。違った。早苗さんだった。いや、ある意味では間違っていないけども。
 彼女は手にカーディガンを持っていた。黒いオーソドックスな奴。その分温かそうだった。

「おはよう」
「ああ東風谷さん、おはよう。ところで寒いな、隣の席で凍死している男がいたら俺だから気にせず授業を受けてくれ」

 彼女は鈴を転がすように綺麗な音で笑った。この時からやっぱ惹かれてはいたんだな。克明に覚えてるぜ。ところで克明って読み辛いよな。こくめいかかつめいかでいつも一瞬迷う。
 
「うんと、……これ、良かったら」

 彼女のカーディガンが差し出された。
 沈黙。多分五秒くらい。
 それが、「カーディガン貸してあげるよ」という意思表示だと気付くまで五秒かかった。我ながら、女の子と一対一で会話すると男は弱いと思う。俺だけか? 
 
「ぅお、良いのか……?」
「うん。昨日、色々助けてもらったので、そのお礼です」

 この頃から、早苗さんが使うタメ語は「うん」だけだなあと意識し始めた。今もそう。そうでない場合があったとしたら、早苗さんの心をちょっと動かせたってことかも知れない。
 で、その時の俺はというと。

「貸してください。本当、寒さに殺されると思っていたからすごくありがたい。助かる、ありがとう」

 彼女は俺の拝むような姿勢に小さく笑って、どうぞ、と貸してくれた。
 で、俺は揚々とそれを着たわけだけど、ここらへんでさすがの俺も気付いたね。
 普通、女子って男子にカーディガン貸さない。しかもなんか着た時温かったぞ。殿、草履を温めておきましたっていうどこぞの猿じゃないけども、脱いだばっかのものじゃないか?ってことにね。
 俺は音速で首を捻って早苗さんを見た。どこを見たかというと取り巻きに囲まれた彼女の胸元。別にやらしくない。重ねて言うがやらしー気持ちはない。ないったらない。
 俺がそこを見たのは理由があって、カーディガンを彼女が着てるかどうかの確認だ。カーディガンを二枚持ってきて、一枚着て、もう一枚は寒い時に膝掛けにしている策士な女子はたまにいるからな。きっと早苗さんもそうに違いないと思って、見た。
 着てませんでした。
 この時惚れたね。すっかり惚れました。だって惚れるしかねえよ。それ以外に何がある?後から訊いた話だけど、やっぱりカーディガンは彼女が着てたものだったみたいだ。なんて優しい女子なんだ。恋人になれなくとも親友になりたいタイプだね。情に篤いっていうのか?まあ俺は付き合いたかったが。だって異性だし。惚れたし。
 そこまで一気に思い出して、俺は現在に思考を戻す。
 微風で踊る髪を片手で押さえながら、早苗さんと俺は歩いていく。
 ええと、どこまで話したんだ?会話の主導権は俺には無いから、早苗さんの言葉を待つしかないが。
 すると、彼女は口を開く。やはり、凛として言った。

「神様の力は、信仰の集まりによって決まります。ですが現在、私がともに生活させていただいている二柱の神、お二柱にはすでに信仰はほぼ集まっていません。これはさっき、あなたが言ったような理由です。ですから……」
「……です、から?」
「八坂様は、この地を捨てて、新たな世界に自身と洩矢様、神社と湖、そして巫女である私を連れて行くおつもりなのです」

 何だって?とうとう別の世界ってフレーズが出て来たぞ。
 反応できないでいる俺をちらりと見ると、早苗さんは前を見て、遠く空へと視線をやった。

「ここにもかつては、八坂様の王国があったといいます。ですが今は、欠片も……ですから、過去の栄光でなく、未来の可能性を掴みに行くということになりますね」
「ちょっと、待って、くれないか」

 スケールのデカさに呑まれるなよ俺。
 俺にとって大事なことは早苗さんがどうなるかということだけなのだ。神様はひとまずとして、早苗さんを気にすればいい。
 何となく、今の話を聞く限りでは。

「無理矢理、連れて行かれるのと大差なく感じるんだが……違うのか」

 早苗さんは不意を突かれたらしく、こちらに向き直って歩みを止めた。そして言い放つ。

「それは違います!」
「……声が大きい」
「あっ……ごめんなさい」

 うるさいってほどじゃないが、早苗さんにしては大きい声だった。失言というか、自分でも自分の声量に驚いたらしく、ばつが悪そうに視線を迷わせている。
 きっと、それは違う、自分の意思十割、百パーセントだ……とは言い切れない心がどこかにあるのだろう。
 で、さらにそう言い切れない自分を殺しているのだ。多分神様のためだろう。
 
「……神様のために、自分を犠牲に、か?」
「ちが……違います。決めたんです、そうするって」
「選ばされたんじゃないのか?選んだんじゃなく」
「違います!……っ」
 
 また彼女の声が大きくなった。自分で気付いたらしく、俯いてしまった。
 どうすればいいんだ?
 きっと、俺ごときが首を突っ込んでいい問題ではないんだろう。理解している。ただ、納得はしない。出来ない。
 俯いてしまった早苗さんの身体は、改めて見るとやっぱり華奢だ。細い。こんな身体のどこに、神様だの巫女だの違う世界だの、重苦しくて陰気な言葉を詰め込んでいるのか不思議だ。よく、折れないよな。
 きっと、これは想像だが、小さなときからその神様と親しく接してきたのだろう。それが当然だと思って生きてきたのだろう。
 だが物心つけば、自分の境遇が普通ではないと知る。だが、神様と暮らしているなどといえばただの電波少女だ。そう思われるのを避けて生きるうち、超然とした雰囲気を身につけた。
 そういうことなんだろうな、と内心で勝手に合点がいった。同時に、寂しいよな、とも思ってしまう。そんな真実を話せないから、他人と微妙に距離を取って生活してきたのだろうということを考えれば、思わずにはいられない。
 ああ。
 俺が、距離を取らなくていい人になれればな。そう考えた。
 でも、いなくなってしまうのだ。彼女からすれば俺が、俺からすれば彼女が。   
 神様の勝手を責めて、ここに残れと言うのは簡単だ。だが彼女が、神様の命とはいえ言われたことをそのまま受け入れているわけではないはずだ。悩んだ末に決めたことなのだろう。ならば、俺にそれが責められるのか?
 そんなことは出来ない。それは彼女の意思に対する冒涜だ。
 つまり俺に出来ることは。

「もう少し、話を聞かせてくれないか?……頼む」

 話を聞くことくらいだ。

「……お願いします。聞いて、ください」
 
 少し、彼女の声が震えていたのは気のせいだろうか。
 見渡せば、一日に二本しか来ないバスの停留所。造りの雑な日除け屋根の下には、人が三人座れそうなベンチがあった。
 俺は彼女を誘って、そこに並んで座った。俺の経験上、誰かと真剣に話す時は顔を突き合わせず、こうやって並んで座るのが一番いい。
 初夏の日差しが屋根に遮られ、幾分か涼しくなった。蒸し暑いと騒ぐ季節ではまだないが、日差しを浴び続ければやはり暑い。

 俺は冷静になろうと努めて深呼吸する。そして、口を開いた。 

「本当に、自分で……?」

 彼女の方を見過ぎれば詰問のようになってしまうだろうから、ちらりと伺えば、彼女は俯いている。だが、口を開いてくれた。

「本当です。一ヶ月以上前に、八坂様にその話を出されて……早苗はどうしたいかって訊かれたんです。……それからずっと考えて」
「ああ……」

 そういえば、一ヶ月前あたりからかも知れない。たまに早苗さんが心ここにあらずというような表情をしているのを見るようになったのは。
 人間だしそういうこともあるかと軽く見ていた。悩みがあったのだ。それも、かなり重大な。

「一昨日決めたんです。行こうって……」
「……ちなみに、違う世界ってのは……比喩ではなくて?」

 はい、と彼女は返事をして、顔を上げて前を見据えた。悲壮な決意が滲む横顔だった。

「幻想郷というところらしいです。この世界の一部を切り取って、作られた……ということでした」
「信じられるのか?そんな世界を……」
「八坂様が実際に存在すると、私は知っていますから」

 そこまで言って、彼女は急に何かに気付いたように小さく吹き出した。やはり笑っていたほうがいいな。こちらの、俺の心が軽くなるからね。

「おかしいですね、こんな話して……私、かなり変な人に見えるでしょう?」
「いや。変な人だって知ってるから驚かない」

 その返事は若干、彼女にショックを与えたらしい。彼女は明らかに狼狽して、俺に食いついてきた。

「ど、どういうことですか!?私、変でしたか?」

 その反応がどうにも面白くて、この時間が永遠に続かないかなと本気で思った。
 だがそうもいかないと、俺は知っている。
 俺は前に広がるアスファルトを見つめ、次第に視線を上げ、青い空を見た。

「俺が人を好きになるなんて珍しい。ここまで十七年生きてきて初めてだ」
「え……」
「その事実だけで、変な人だって分かる」

 なんとなく、緊張しない告白だった。
 実ろうが実るまいが、どうせ離れることになるのだと分かっているからかもしれない。清々しくすらあった。一世一代の大告白だったけど、なんか、神様の話の後だとちょっと俗っぽかったかも知れないな。
 そんな風に自嘲して、彼女の顔を見ようかと首を捻ると、彼女は耳まで真っ赤にして固まっていた。え、そういう反応してくれるの?すげえ嬉しい。言って良かった。
 刹那的な幸福を噛み締める俺に、赤い顔の早苗さんが再び噛み付いてきた。

「な、にを言ってるんですか!からかわないでください、もう、帰っちゃいますよ!」
「いや、本気だが?」
「……だから……その」

 また、彼女は朱色の顔を下に向けてしまった。今の顔、可愛かったからずっと眺めてたいんだけどな。そう言ったら多分、グーで殴られるから言わない。
 ああ、本当にそうだぜ。
 ずっと眺めてたいよ。
 あと少しで、別世界へ行っちゃうってさ、彼女。冗談ではなくて本当なんだってよ。
 ふざけんな。
 
「……行くんだろう、だから返事とかいらないし言わないでくれると助かる。綺麗な思い出だけ残せれば最高なんだ」

 その台詞は俺の言葉だが、多分に卑屈さを含んでいただろう。
 だってそりゃ、俺も本当は返事聞きたいからね。私も好きでしたとか言って欲しいもん。男ってそういう生き物。いつだって言葉は虚勢、行動と内心は反しているんだから。
 俺がこんな台詞を吐いたのは、単に怖いからだ。早苗さんに拒絶されたら俺は、間違いなく死ぬ自信がある。吊って。
 何というか、大袈裟な話でなく、早苗さんは俺の惚れた人にして、憧れだった。超然とした雰囲気、頭脳に人望。俺の理想。俺自身の理想に近い人だった。
 いい加減、俺もこの世界に疲れていた。何をやっても上手くいかない、と言いながら実は何もやっていないのだという事実に対しても、俺はただ無力だ。はっきり言ってゴミみたいなもんだ。ゴミ。何も出来ず気力も無く、考えてもいない。
 そんな俺の目標だったのは早苗さんだ。自然な優しさに惹かれて、超然とした雰囲気に惚れこんだ。毎日、目で追っていた。今にして思えばね。
 そんな人に、急に消えられた上、拒絶されたらそりゃ悲しすぎるだろ。

「……本当に、そうですか?」
「……どういうこと?」
「……綺麗な思い出だけで、幸せですか?」

 早苗さんは、いつの間にか顔の赤みも引き、凛とした声で、俺の顔を覗き込んでいた。驚いて動けなくなった。うわなんてダサい格好だ。
 すると、彼女は小さく微笑んだ。

「不思議です……」
「何、が?」
「それについて考えて、私も、向こうに行くって決めたんです」

 彼女は前を見た。そして、言葉を続ける。
 
「この世界に残って生きるのも、考えました。そうしたいならそれも出来ます。……綺麗な思い出を残す、と言ってましたよね」
「……ああ」
「それはつまり、聞きたい答えと、聞きたくない答えがあって、二分の一で賭けをするなら、賽を振らない、つまりそんなことをせず答えを保留するのが幸せってことでしょう?」

 よく、俺の短く卑屈な言葉からそれだけの意味を汲み取ったものだ。完全正解、百点だ。
 つまり俺の台詞は、臆病者の戯言だった。綺麗な桜が咲いていたとして、枯れる姿を見たくないからと目を閉じる、弱者の論理だった。

「でも、それは悲しいことだと思うんです」
「……悲しい、か」
「はい。確かにこの世界に残れば、不安はありません。信仰が薄れても、神社に人は来ます。お賽銭も入れてくれますから……私は困らない」

 そこで彼女は言葉を区切った。私は、を強調した言葉だったから、今彼女は、自分が世話になっている、あるいはしているのか、とにかく神様二柱の顔を思い浮かべたのだろう。

「でも、私の幸福を考えた時、隣に、お二人……あ、お二柱がいなかったらと思うと……すごく寂しいんです。ずっと、小さいときから、特に八坂様は一緒でしたから。だから」

 ああ、やはり彼女は強い。
 そうだ。
 俺は彼女の中に、この強さを見ていた。
 俺にはないこの強さに、憧れていたのだ。
 この小さく強く美しい少女に、惚れていたのだ。

「だから、たとえ不安でも……ついて行くって決めました。決めたんです。もしその世界に行って、信仰が増えたら……もっともっと、私は幸せです。八坂様と洩矢様へ、少しでも、恩を返せるから……皆で笑いながら、ご飯を食べれたら、本当に……」

 彼女は俺を見つめて、涙ぐんでいた。涙を堪えていた。
 そのまま、彼女は清冽に笑った。俺が見た中で最高の笑顔だった。一生俺は忘れないだろう。
 この気高き少女、東風谷早苗のことを。
 
「……分かった」

 次の一言は決まっている。ただ、言い出せない。
 気付けば俺は泣いていた。涙が頬を伝っている。泣いたのなんて、えらく久しぶりだ。中一で両親が事故で死んで、その時以来か。
 でも言わなければ。
 ここで縋らない。彼女の優しさに縋らない。それが俺の、最後の意地だ。
 最初の恋人に対する、最後のカッコつけだ。

「さよならだ」

 泣きながら、笑って、言えた。
 悪くなかったんじゃないか?幕切れの微笑としては。

「はい。さよならです……」
「ああ……」

 俺はそれ以上顔を上げていられなかった。涙でぐしゃぐしゃの顔を、見られたくなかったからだ。
 彼女が、ベンチから立ち上がる気配を感じた。ああ、顔を上げたい。最後に彼女の顔を。
 だが、俺は彼女に頭を押さえられてしまった。
 何が起きたか分からずそのままにしていると、彼女の声が、耳に近いところで聴こえた。

「私は、本当に迷いなんかありませんでした。何も言わずに、消えるつもりでした……」

 彼女の震える声が続く。

「でも、私があなたの、迷いはないのかという質問に答えられなかったのは、……あなたのせいです……追いかけて来られるなんて……私のことを、そんなに真剣に想ってくれてた人がいるなんて……思わなかった、だから……」

 嬉しいこと言ってくれるじゃん。
 最後の最後まで凄いぜ。この子は。
 惚れてよかった。そう思える。心から。

「ありがとう。……私のこと、好きになってくれて、それから……」

 ありがとうだって?こっちこそ。
 好きにならせてくれてありがとう。

「私は、まだ人を好きになるって分からないけど……あなたになら、なんだか、色々話しても、いいかなって思えた……今までになかったから、こんなこと、自分でもよく分からないけど……」

 本当に凄いな。
 俺が喜ぶこと全部言って帰るつもりだぜ、この子。
 魔性の女め。
 彼女の両手がすっと緩んで、俺の肩に触れた。抱きしめられている格好になった。俺が、彼女に。
 彼女の声はまだ震えていた。泣きながらそんなに喋るなよと言えば紳士なんだろう。だが俺は実のところ紳士じゃない。ただの一高校生で、卑怯者さ。
 俺がこの場で、彼女に告白したのには思惑があった。
 彼女は優しい。ここで好きだと打ち明ければ、もしかしたら、神様たちについて行くのを辞めてくれるかもしれない。そう思った。だからここで告白した。
 そしてこのバス停には、あと五分で、都市部行きの高速バスが来る。まあ都市といっても地方の中枢都市だが。
 なんでもいいから引き留めて、そのバスに乗せて都市へ行く。そうすれば、彼女と少しでも長くいられると思ったのだ。ダサい考えだ。
 だが彼女は、その手には乗らなかった。しっかりと、自分の意思を告げてきた。
 そうだ。
 それでこそ、俺の惚れた、愛した、東風谷早苗だよ。
 
「私もきっと……あなたのこと、好きでした……」
 
 数秒間だけ、彼女の手に力が込められた。温かい抱擁だった。
 だが、幸せは終わる。彼女の手は離れ、俺は顔を上げた。彼女は目を真っ赤に腫らしてまだ泣いていたが、俺も人のことなど言えない。同じだったからだ。

「……さよならです」
「ああ、さよならだ……」

 別れの託宣。
 彼女はそのまま、こちらを見つめて三歩下がった。
 そして、踵を返すと、先ほど歩いてきた道の続きへと歩いていく。
 彼女は最後に振り返り、手を振った。

「忘れないでくださいね」

 そう言ったようだった。涙声だから、聞き取り辛かった。でも理解できた。
 俺は、大の東風谷早苗ファンだから。

「ああ!」

 大きくはっきりと返事をしてやった。カッコいいだろう、それなりに。
 彼女は最後に、こちらへ向かって一礼した。
 そして、初夏の日差しを浴びながら、彼女は小さくなっていき、見えなくなった。
 これで終いだ。
 バス停には、振られた男が一人残された。俺だ。ダサすぎる。
 俺は全身の力が抜けて、ベンチに座り込んだ。なんとか制服の上着を脱いで、地面に放り投げる。露になったシャツを見ると、水を浴びたように濡れていた。全部俺の汗だ。
 溜息をついて、背もたれに両腕をかけ、倒れるようにもたれた。
 強烈な虚脱感だった。何もかも、身体から出て行ったのではないか?汗と一緒に。得意の無駄思考も浮かばない。もう力がない。
 すると、面白いことにバスが来た。遅えよ。
 バス亭に人がいると半ばまで気付かなかったたらしく、運転手は慌ててバスを止めたようだ。バスが本来止まるべき場所からかなり行き過ぎて止まったから丸分かりだ。
 バスのドアが開いた。言葉はなくとも、早く乗れと言っているようだった。うだつの上がらぬお前を、楽しいトコへ連れてってやるよと。そう言っているのかも知れなかった。
 だから俺は、渾身の力で言った。

「俺はここに残る!だから行け!」

 その声を聞き届けたのか、バスのドアが閉まっていった。おお言うじゃねえか、ならてめえは一人で、ここで頑張りやがれ。そう言ったように見えた。
 バスが遠ざかる。
 俺は一つだけ考えていた。
 さっき、彼女に言ったさよならが、彼女に対してのカッコつけなら、プライドなら。
 今の宣言は、誰に対してのカッコつけなのだろう?
 きっとそれは、ここにいるただ一人の人間へのカッコつけだ。
 振られたダサい俺への、俺からの意地っ張りなカッコつけなのだろう。









 

「やるじゃない。今のはカッコよかったよ?」

 驚愕。目を閉じようとしたら、急に声をかけられた。
 目を開けて見ると、そこにいたのはまだ年端もいかない女の子だった。座っている俺と頭の高さが一緒だ。ただ表現し辛い形の、珍しいデザインの帽子を被っていて身長を大きく見せており、紫の装束を着ている。なんだか怪しげな雰囲気が漂っていた。
 
「私、早苗から紹介されたかな?諏訪子だよ。洩矢諏訪子」
「洩矢……ってまさか、あの、早苗……さんの」
「おお、よく知ってるね。そうそう。その神様さ」

 目の前の女の子、いや神様はにんまりと底意地の悪そうな笑みを愉快気に浮かべた。

「君かい?ウチの可愛い早苗に手を出したのは……」

 大きな瞳で、顔を覗き込まれた。なるほど確かに神様なのか、威圧感がある。単に顔が近いからかもしれないが。
 こんな状況になったら、いつもなら何かしらリアクションだって取るだろう。
 だが今の俺は沈んでいる。神の視線か少女の視線か知らないが、そんなものでは取り乱さない。

「振られましたよ。何もしてません。さあ、惨めな男のことなどほっぽって、何でしたっけ……幻想郷?へ行ったらいいですよ」
「あ、早苗そこまで喋ったんだね。すごいじゃん君、早苗がそこまで心を許したんだ?」
「俺は卑怯者ですからね。卑怯者の戦法で、上手く誘導して喋ってもらいました。では、どうぞお帰りください。早苗さんが、いくらでも俺の間抜けっぷりを話してくれますよ」

 俺はもう、神とのふてぶてしい会話に愉しささえ感じていた。
 それほど、俺の感じている喪失感は大きかった。
 卑屈な笑みを浮かべて、目の前の神を見た。すると、性別はあるのかどうか分からないがたぶん女だろう、彼女が言った。

「それは違うよ。あの子はこの世界から出る前に、君に本心を言えて嬉しかったと思う。顔見りゃ分かるよ。こっちは早苗の家族だよ?それぐらい楽勝で分かるのよ」
「そう……ですか」

 彼女が真剣な表情をするものだから、俺も、おちゃらけた気分が失せてしまった。おちゃらけなければふざけなければ、この空虚感に潰されてしまいそうだというのに。
 すると、洩矢神たる彼女は言った。口の端には、優しげな微笑を湛えて。

「君にお願いがあるの」
「なん……ですか」

 彼女はくるりと俺に背を向けた。そして、唐突に語り出した。

「私たちはここから、この世界から出て行く。そうしなきゃ消えちゃうからね。で、私たち、私と神奈子は早苗について来て欲しかった。やっぱり巫女って神様に必要だし、何より、彼女は大切な家族だから」
「そうでしょうね。でも、早苗さんはあなた達の役に立ちたいと」
「そこが問題だったんだよ。君、なかなか察しがいいね」

 俺は力なく、どうも、とだけ言った。
 話しながら振り向いていた彼女は、また言葉を紡いだ。
 
「どうにも早苗は、私たちを優先しすぎなんだよね。巫女だから当然ですとか言って、なんでもしてくれる。もっと、自分を大事にしていいのに……」
「……そういう子ですよ。だから惚れたんです」

 俺の軽口、けれど本心からの言葉に、神様はふふふ、と笑った。

「でも、あなたと早苗が話すの見てたら、心配なくなっちゃった。もしかしたら、早苗は私たちの優先しすぎで、人としての幸せをすっかり忘れてしまうんじゃないかと思ってたから。でも……」

 彼女はこちらを見て、意味ありげに微笑んだ。先を続けろということなのだろう。

「……本心は、分からないです。でも彼女は、好きだったと言ってくれましたよ」
「うん、あれはどう見ても本心からだ、安心しなよ青年。早苗はただ、自分の気持ちの正体がよく分かってなかっただけ」
「そっスか、ねえ」
「そっスよ」

 軽口の応酬。相手は神様だというのに。
 たまらず、俺は笑った。また涙が出そうになった。だがさすがに、見た目十代前半の神様に、泣き顔は見られたくなかったので堪える。

「だからお礼。君にね。早苗を好きになって、ならびに私たちを安心させてくれたで賞」
「寒いですね、夏なのに。負の地球温暖化の影響ですね」

 無言で頭に手刀を入れられた。痛え。

「私たちはこれから、幻想の世界に行く。どういうことか分かる?」
「……幻想になる?」
「すごいね!察しのよさは神奈子の遥か上だね、あいつ、察しが絶望的に悪いから」

 にやにやしながら、おそらくもう一柱であろう名前を呟き悪口を言う姿には、長年連れ添ってきた相棒へ向ける言葉のような、洗練された響きがあった。

「つまり君は、早苗のことを綺麗さっぱり忘れます!」

 は?
 何を言っているこの小学生は。

「なんだと?」
「だってそうだよ、幻想郷は私たちみたいに、誰からも忘れられた人外の集う郷さ。そこに早苗が入るってことは、この世界に、早苗はいなかったことになる」
「ふざけるなよ」

 渾身の力で俺は右手を伸ばす。その手で何を掴むつもりなのか、それは分からなかったが、とにかく、目の前の神へと、その手を伸ばした。
 軽く払われてしまった。やはり、気の違った小学生じゃないらしい。
 聞き分けのない子供を宥めるような目で、彼女はこう言う。

「だから聞きなさいって。言ったでしょ、お礼だって」
「忘れさせることが礼だと?それが神の間での礼儀か、お笑い種だな?」
「全く人間はせっかちだな。ま、それだけ早苗に真剣だったんだね。許してあげよう」

 演技の台詞を読み上げる調子で言い終え、彼女は俺に向き直り、両手をゆらりと掲げた。手品でも始めるかのようだった。

「選ばせてあげる。忘れるか、忘れないか。さあどっちがいい?」

 そういうことか。
 ようやく理解した。
 幻想の存在になる早苗を忘れないという権利を、上げてやってもいいぞ、とそういうことか。
 忘れるを選べば、この心に開いた穴をなかったことに出来る。
 忘れないを選べば、穴はそのままで、早苗のことを覚えていることが出来る。
 どちらを、俺は選べばいい?

「さあ、時間ないよ?早苗にも神奈子にも言わず、内緒で身体を透明にして早苗の後つけてたんだから、ばれたらあいつに怒られちゃう。早く、さも最初からいたみたいに、早苗を迎えないといけないんだから」

 どうすればいいか?
 愚かな悩みだ。
 そんなもの簡単だ。
 当然の生き方に従えばいい。
 彼女との思い出に従えばいい。
 俺は彼女の何に惚れた?
 俺が惚れたのは、そう、彼女の。
 
「忘れない。忘れさせないでくれ」

 小さな神様が掲げた両腕、その右手を俺は示した。
 神の少女は愉しそうに、左腕を下げた。

「どうして?」

 さあ、答えよう。
 早苗から教えてもらったことを、しっかり理解したと示そう。

「忘れたほうが楽に違いない。だが忘れない。彼女の、早苗の選択と同じだ」

 彼女は、幻想郷とやらに行くことを選択したのだ。賽を投げる決心をした。
 痛みを伴おうとも、最高の幸福を手に入れようとした。

「安易な希望に逃げない。痛みを負ってでも、最高の幸福を探すのが、早苗の生き方で、俺の生き方だ」

 神は静かに微笑んだ。
 俺の解答は、神の目にはどう映っただろうか。
 だが後悔はない。
 自分に胸を張れる返答で選択なら、結果はどうあれ、上出来だ。

「分かった。君の記憶をそのままにして、行くから」
「ああ。……すんません、なんか、無礼な若者で」

 この言葉の何が気に入ったのか、少女は笑った。

「いいよいいよ!楽しかった。幻想郷は全てを受け入れる箱庭なんだって。だからさ、常識に囚われないで生きるといいよ。君も来れるかも。幻想郷」
「考えておきます。犯罪にならない非常識を」

 もう一度、少女の姿をした神は楽しそうに笑った。俺もつられて笑った。

「ん、君も笑ったほうがいい男だね。いつも笑っているといいよ」
「そうスか……あ」
「なに?」

 いいことを思い付いた。
 最後の別れ際、泣いていた俺はまるでまともな言葉を言えなかった。
 だから、この神様に頼もう。

「伝言です。……早苗さんに。いいですか?」
「お、呼び捨てにしないの?」
「……さっきまでは興奮してたもんで。でどうですか、いいですか」
「もちろん。いいよ」
 
 伝えたいことはたくさんある。
 だがさっきのやりとりで、俺に決定的に欠けていた言葉がある。
 それを託そう。

「こう伝えてください。――――と」
「分かった。確かに受け取ったよ、その言葉」

 そう言うと、神様は一瞬で十歩先まで移動していた。
 車の滅多に来ない道路のど真ん中に立って、手を振った。

「じゃあね!ありがと!」
 
 言うが早いか、またそこから消え、遠くの歩道に現れ、また消え、完全に見えなくなった。
 今度こそ、俺は一人になった。

「あッ忘れてた!最後に一つ!」

 まだ洩矢さんがいた。ていうか戻って来たんだろう。
 苦笑しながら尋ねる。
 彼女は楽しそうに、だが真剣そうに言った。いわゆる、先人の忠告の顔だった。

「女の子口説くなら、君は顔もスタイルもいいからやっぱりあとはファッションだよ!」

 何を言いたいんだ?このちびっ子は。
 今世紀最高に怪訝な顔をする俺に、彼女はこう言った。

「制服はいいとして、その靴!ダサいってば、そこだけ極端に!ってことで、じゃあね!」

 また、何の手品か瞬間移動で、彼女は俺の前からいなくなった。
 お前か、オチは?

「なあ、上靴よ?」

 履いたのも脱がなかったのもてめえだろ。俺は悪くねえぞ。
 ベンチに座ったまま足だけ上げ、そいつを見ると、神にもダサいと見られた上靴は俺に対してそう言ったように見えた。
 俺は溜息をついて、立ち上がった。大丈夫だ。早苗さんはいなくなってしまったが、覚えていられるだけで十分だ。

「行くか」

 そう呟いて、俺は早苗さんが去って行ったのとは逆方向に歩き出す。
 溢れる甘美な思い出に背を向け、俺は未来の溢れる世界へと歩き出した。
















「ただいま帰りました、神奈子様、諏訪子様」
「おお、お帰り早苗!」

 愛娘、のような存在の早苗が帰って来たようだ。私は大声で返事をした。
 居間に早苗が入って来て、学校の鞄を適当に置いた。
 お茶飲むかい?
 そう尋ねようとして、私は思わず吹き出した。驚きで。
 早苗の目が真っ赤。
 
「どどどどどうしたの早苗!?やっぱり行きたくない!?なら私も諏訪子も別にいいんだよ?どうせもう何万、いや何年も生きたんだし!早苗はこれから未来ある身だから!」

 そう私がまくし立てると早苗は困ったように、でも幸せそうに言った。

「いえ、神奈子様、これは……幸せで、泣いたんです」
「え……?」

 早苗は私の前に急に正座したかと思うと、思い切り私に抱きついてきた。
 
「ささささ早苗!?ほんとにどうし……」
「言ってくれたんです」
「え?」

 私の胸の間から目を出して、早苗は涙を流していた。
 でも、泣きながら笑って、こう言った。

「好きだって……私のこと、好きだって……」
「早苗……」

 私も、伊達に長く生きてないし神様をやっていない。なんとなく、理解出来たよ。察しはいいからね。
 多分あれだ。好きだった人に、最後の日だからと告白して、オッケーもらったとかそういうことだ。そうか……早苗もそんな年頃か。
 でもそれならなおのこと、ここを離れたくないんじゃ……。

「……いいのかい?ここを離れて。本当に……」
「はい。もちろんです……」
「やっほい早苗はいるかい……って、お取り込み中か」

 うわ、折角早苗を抱きしめていい気分だったってのに。しかも今からカリスマ溢れる八坂の神の実力を見せられるような雰囲気だったのに、このカエルめ空気読め。
 
「あっ、諏訪子様!先に戻っていました」

 ぱっと早苗は私から身を離した。なんだ?この寂しさは。

「うん、いいのいいの。ところで早苗、ちょいちょい」

 カエル娘諏訪子が、にやにやしながら、手をこうくいくいとやって、手招きしていた。早苗を呼んでいるのだろう。

「なんですか?」

 素直な子の早苗は招かれるままに諏訪子の方へ向かう。気を付けなさい早苗、カエルだと思って油断してると食われるわよ。
 すると諏訪子は早苗の耳元で、何やら耳打ちした。ほう、内緒話ですか。このバカエル。
 すると諏訪子は何を言ったのか、早苗は顔を真っ赤にした。何を言ったんだよ。気になる。
 なにやら続きのある話らしく、早苗はもう一度、焦ったように諏訪子に口元に耳を近付けた。
 私は八坂神奈子。乾(けん)を創造する程度の能力を持つ神。
 その力を持ってすれば、聞き耳をこの距離から立てるなど容易い。ということで私は聞き耳をそっと立てた。
 諏訪子はこう言った。



「『ありがとう。君のおかげで、俺は強さを知ることが出来た』」


 
 私の耳元で、諏訪子様は確かにそう言った。これは彼からの伝言だという。
 嬉しくて、また涙が溢れた。自分でも呆れるほど、今日は泣きっぱなしだ。
 本当は感謝すべきは私だ。人を好きになるという、大きなことを教えてもらった。
 そのくせ私は幻想郷に今日引っ越さねばならない。本当に、申し訳ないことをした。
 でも、「ありがとう」と、言ってもらえた。
 やっぱり、私の初恋の人は素晴らしい。きっと、この世界最高の男性なんだろう。
 気付くと、しゃがみ込む私の傍らで、神奈子様と諏訪子様は言い争いをまた始めていた。私は苦笑して涙を拭い、お二人を止めに入る。
 やっぱり、生意気な意見かもしれないけど、この神様二人には、私が必要なんだろう。必要とされているというのは、とても幸福なことだ。
 彼と離れなければならないのは辛い。だけども、君のおかげで強さを知ることが出来たとまで言われては、強く生きないわけにはいかない。
 泣き顔の私は、笑ってこう言った。
 
「さあ、幻想郷へ、幸せを探しに行きましょう!」

 この顔ぶれでなら、どこででも幸せになれるだろうから、この宣言は決意の表明だ。
 私の突然の行動に呆気に取られつつ、どちらからともなく神奈子様と諏訪子様は笑顔になった。
 彼は、私が幻想になることで、私を忘れてしまうだろう。でも構わない。
 彼に記憶は残らなくとも、私の中に、幸福はいつまでも残るから。





















 そしてこの後、俺は地方中枢都市の大学に入り、地方の伝承や伝説なんかを調べるという謎の勉学生活を送っていた。これは、早苗の仕事である巫女について調べているからだ。
 あの日、洩矢の神様が言った通り、俺は早苗を忘れないで済んだ。あ、さすがにもう心の中では早苗と呼び捨てにしている。キモいって言うなよ。一途なだけだ。ちなみに俺以外のみんなは、全く彼女を覚えていなかった。
 で、俺はあの日から今日まで、洩矢さんに言われた通りに行動している。即ち常識に囚われない。具体的に何をしているのかというと。
 おっと、道行く若い美人発見。俺はキメ顔で、あの日からレベルアップしたいいスーツに身を包み革靴を鳴らして美人に近付く。

「すいません、幻想郷をご存知で?」
「は……?あの、失礼します」

 ご存じないらしい。
 完全に、美女はこちらをキャッチセールスか何かと勘違いしている。当然だが。
 
「ああ失敬。では」

 手を小さく振って、俺はすごすごと引き下がった。美女は不思議そうにこちらを一瞥すると、歩いて行った。
 そう、こうやって俺は道行く美女に声をかけ、幻想郷知ってる?と尋ねるのを日課にしていた。
 早苗と洩矢さんが行くようなところだ。どうせ美人ばかりに違いないと踏み、俺は美人に声をかけまくって幻想郷の尻尾を掴もうと躍起になっていた。笑わないでくれよ?俺は真剣だ。
 あの神様に言われた、常識に囚われなければ幻想郷に来れるかもよ、という言葉を信じて、俺は生きている。うん。本気も本気。もちろん、幻想郷などという眉唾の世界が本当に存在して、さらにこの街にその関係者が来るなんて確率は、砂漠で一粒の砂を探すのに似た、超低確率だとは分かっている。
 でも、実際俺は早苗がこの世界から消えたと知っている。だから、そんな超現実を信じて、生きることが出来ていた。
 早苗は今頃どうしているかなと思いながら、俺は目を疑った。
 なんだアレ?
 意味不明なほどの美人が歩いていた。この国のものでなさそうな、過剰に丸みのある日傘、その柄を握るのは、白い更紗の手袋に包まれた両の手。そこから腕から肩は健康的な程度に細く、肩から下は紫の、ワンピースに似た不思議な服に覆われ、女性的なスタイルでありつつ締めるべきところはきちんと締まっている。
 が何より目を引くのはブロンドの長い髪。その金の絹糸の帯から覗く横顔は、白磁のように白く、ギリシャの彫刻よりさらに美しかった。
 まとめると、超然とした容貌。
 考えるより先に身体が動いた。不審でない程度に、と思ったが気がはやり、もう噛み付くように声をかけてしまった。

「失礼!幻想郷をご存知で?」

 美女は一瞬呆気に取られたようだった。が、今まで見てきた美女とは違い、その後で胡散臭い笑みを浮かべると、こう言った。

「よく知ってるわ。来る?」

 これは、大学での勉強中に分かったことだが、早苗は「風祝」と呼ばれる存在だったらしい。平たく言えば、神の力で奇跡、即ち風を鎮め雨を降らしたり、そういうことをする巫女だったという。
 ここでこの美人に出逢ったのは、早苗の奇跡かな?俺はそう考えて、



 いつか見た笑顔のように、清冽に笑った。
現代から来た早苗さんとなら「俺」の、こういう話があってもいいかと思って書きました。
内川恭一
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コメント



0.950簡易評価
3.80名前が無い程度の能力削除
話もきれいにまとまっており、文章も独特の魅力があってでかったです。
作者様の言う通り「こういう話」があってもいいかなと思いました。
4.80名前が無い程度の能力削除
これはいい「俺」
だが早苗さんは俺の嫁だからして、こっちくんなw
5.100玖爾削除
すげえ。
ほんとにこういう話が書きたい。



ところで「俺」の親父が生き返ってませんか?
6.10名前が無い程度の能力削除
うん、行動も台詞回しも鼻に付いて気持ち悪かったです。
7.40名前が無い程度の能力削除
有り得る話しではあるんですが「俺」のキャラが有り得ない感じ
ラノベ?
10.10名前が無い程度の能力削除
なにカッコつけてんだ、この男w
ありえん……
14.100コチドリ削除
「俺」よ、お前は自分がちょっとはイケてて、タメ年よりは少しは大人で、若干だが周りの奴らとは
違う人種だと思ってるだろうが、それは全て勘違いだ、妄想だ。
お前はどこにでも居る、空回り気味の17歳のガキンチョだ。
だがお前は一つだけ誰にも、神様にだって出来ないことをやってのけた。それは誇っていい。
なにを誇るかだって? 教えるか馬鹿野郎。

>まあ一分も立ってないんだろうけど→経って、これは微妙、本当におせっかいかもです。
>来を付けなさい早苗→気を付けなさい
>関係者が来るなんて確立は~超低確立→確率、ですね。
15.無評価内川恭一削除
コチドリさん、指摘ありがとうございます。修正させていただきます。
21.90名前が無い程度の能力削除
中々に面白かったです。


こういうのもアリですね
22.80ずわいがに削除
この作品に出てくる「俺」だが、これ実は俺のことなんだ!
28.100名前が無い程度の能力削除
こういう自己投影がしやすくかつ他者だと思い知らされる作品は人によって評価が分かれますね。早苗さんが好きな人なら尚更。
それだけ人物の心情描写が巧で、特に「俺」の今時の若者らしい青臭さに感情移入しやすかったです。
素晴らしい作品でした。
29.100名前が無い程度の能力削除
本来あまり感情移入がしにくオリキャラで主人公という物語でしたが、
主人公「俺」の内面描写が独特の若者らしさも含めて丁寧に描写されていて、すんなり入り込めました。
早苗さんの幻想郷に行く前の葛藤も見事に描いてくれました。

初恋は実らないのが相場ですが、早苗さんの初恋の人が彼みたいな強さをお互いに分け与えられるような素敵な人だというのも良いですね。
良い二次創作でした。
30.100名前が無い程度の能力削除
あまりそそわにない文体で、新鮮な感じで楽しく読めました。

良かったです。
35.100名前が無い程度の能力削除
いい男といい女でした。恋の至極は忍ぶ恋にあり、とか思い出した。