小町の様子がおかしい。
仕事中だというのに昼寝をする、キセルをふかす、地獄まで足を運んで鬼相手に将棋をさし、宴会と聞けばどこそこ顔を出し酒を嘗める。私が叱り付けてようやく職務に戻ったかと思えば無言の魂相手に無駄話をし、挙句行き先を間違える。そこで焦るのならまだ救いがいもあるのだが、しょうがねぇやの一言であっさりと諦め、また昼寝をし、キセルをふかす。
いつもどおりの行動だ。
悲しいほどに小町だ。
けれど何か様子がおかしい。
先日の事だ。その日小町は魂を職務時間中ひっきりなしに運んできた。それは死神としては極当たり前で、小町としては異常に珍しい事だった。何気なく見た、窓の外の晴れた空をよく覚えている。いつかの時の様にどこぞの紅白巫女が飛んでこまいか、ふと心配になったのだ。
「四季様」と小町が遠慮がちに話しかけてきた。私が説教をしているときはあんなに堂々としているのに、何故こうまじめに働いたときはこんな謙虚になるのだろう。「あの、四季様が裁いた魂は、あたいが運んだやつだけですよね?」
質問の意味がよく分からなかった。
幻想郷の魂の運搬は、全て小町の管轄になっている。だからこそ、小町がサボると私の仕事が溜まっていくのだ。
「えぇ、そうですが、どうかしたのですか?」
小町はいえ別に何にも、と愛想笑いを浮かべながら首をぶんぶん横に振り、たわわな、そう、まことにたわわなその胸を揺らして、部屋から出て行ってしまった。窓からは、三途の川を渡る小町の姿が見え、瞬きした次の瞬間には『距離を操る程度の能力』ですぐに見えなくなってしまった。
その日、小町は働き続けた。
次の日には、いつもどおりサボり始めた。
:::
最近昔の夢ばかり見る。それは、私がまだ下界にいた頃の夢。その時私は今のようにヤマザナドゥの屋号も無い、ただ道端に佇む地蔵菩薩でしかなかった。
夢に出てくるのは、いつも同じ少女。
つぎはぎだらけの着物を纏い、ぼさぼさした髪の毛を不器用に二つ結びにしていた。
その子は毎日毎日私の所に来て、手を合わし祈ってくれていた。いつも供えてくれるのは、道端に咲いている菜の花。根っこごと引き抜いてくるものだから、私の足元はしょっちゅう泥まみれになっていた。
「はやく、おかあさんが、げんきになりますように」
無垢な笑みと、ほっぺについた痛々しい擦り傷がひどく印象的な子だった。
:::
証言1、地獄の鬼。
「あぁ、あの赤毛の死神さんですか? いえ、最近はトンと見ませんねぇ。少し前までは将棋やろうと言ってよく来てたんですけど――。いや、違いますよ、それは断ってもしつこくまとわりついて来るからですね、決して自分から楽しんでやったりとかは。ホントですって本当。だからそうにらみつけないでください。」
証言2、三途の死神たち。
「小町がどこに行ったかですか? さぁ、そういえば見ませんねぇ。この間まではよく川の真ん中に船浮かべてうたた寝してたんですが、それも見かけなくなりました。そういや小町の代わり、って訳ではないですけど、こないだ火車なら見ましたよ。はい、あの旧地獄の。何の用だったんですかねぇ? え? 最近の小町の様子? そうですねぇ、付き合いも悪くなった感じですかね。前は無理やり飲みに付き合わされてたりしたんですが、それもここんとこはてんで。――あ、もしかしてあれじゃないですか、男が出来たとか。いや、だって小町仕事態度はあれですけど、結構人気あるんですよ。魂とか、他の管轄の死神とか、あと地獄の連中とか。そうそう前聞いた話じゃ天人からも求愛されたとかされてないとか。なんかすごいマゾ気質な天人がいて、あの鎌見るたびにゾクゾクするとか、そんな理由。なんて名前だったけなぁ、引田天功みたいなそんな感じだったような――」
証言3、紅白巫女。
「不機嫌そうね、なにかやな事でもあったの? 別になんでもない? そう。ていうか何の用? 神社に閻魔様って色々しゃれにならない気がするんだけど。まさか直々お迎えなんて言わないでしょうね。え? そんな事はどうでもいい? ……あ、そう。で用件は? 小町? あぁ、あのサボり死神ね。見てないわよ、前は宴会開くといつの間にか顔出して鬼と飲みくらべしてたけど、最近は全然。そういえば霖之助さんとこ顔出した時、なんか人里でたまに死神を見るって言ってた気がするけど、もしかしたらアレ本当なのかしら。どう考えてもギャグにしか聞こえなかったから軽く聞き流したんだけど。それであいつがどうかしたの? ちょ、ちょっと、もう帰るの? せめてお賽銭くらい入れていきなさいよ、あんたいっぱい稼いでるでしょう? ねぇ!」
証言4、香霖堂店主。
「だから違うと言ってるだろう、これは外の世界の着物でな『セーラー服』と言うものだ。なんでも水兵が着る服で、発祥はイギリスという、歴史的な紳士の国らしい。だから一度着てみて紳士とは何たるものかを体感していたところだ。だからそんな目で僕を見るな。いや、そりゃサイズはちょっと小さいし足がスースーするのは感じているがまぁ紳士の国発祥だしそんなものなんじゃないだろうか。それで、地獄の閻魔様がこんなとこまで何の用かね? 街で見た死神? あぁ、あの巨乳の。だからそんな目で僕を見るなって。確かに見たぞ、うん。なんか空とんでたな。瞬きした次の瞬間には消えてたが。いやな、丁度その時人里で人殺しがあったから、その魂を迎えにきたのかと思ったが。――なんでも、どっかの民家に強盗が押し入ったらしく、その時家にいた男の子ともみ合って、殺してしまったらしい。その強盗も、自分の持っていたナイフで自分自身をさして死んじまったようだがな、まったくむごい話だ。え? そんな格好で言われても説得力が無い? ――だからそんな目で僕を見るな」
証言5、私
一仕事を終え、背伸びがてら窓の外を眺めたときだった。眼下を流れる三途の川に、見慣れた赤毛が目に入った。小町だ。支給品の船にのって、川をわたっている。あたりを気にするように、右へ左へ顔を向けている。
「小町!」と私は窓枠に手を置き、声を張り上げる。「何をしているのですか」小町はふと上を見上げ、明らかにしまったという顔を浮かべた。「魂の運搬はどうしたのです? 今日はまだ一つも運ばれていませんよ」
小町はぐっと親指を立てた。へばりついたような笑顔を見せている。「そんな日もあります」
「ちょっとこっちに来なさい。色々とお話があります」
「すぐ済みますか?」
「すぐ済むと思いますか?」
小町は首を横に振る。
私は深々と頷く。
「さぁ、早くこちらへ来なさい、小町」
少しの間があった。
小町は胸の前で両手を合わせ、深々とお辞儀をした。そして、すいません、と言い残し、その場から消え去ってしまった。
「小町!!」
私の声が、むなしく川面に響いた。
:::
ありがとうございます、おじぞうさま!
その日、少女はいつもより何倍も多い花を持って、私の足元に捧げた。
「おかげで、おかあさん、げんきになりました!」
それはそれは、と私は思う。私は何もしていないのだ。少女の母親が元気になったのなら、それは少女の看病のお陰だ。私はただ花を手向けられ、少女の話を聞き、ひっそりと佇む事しかできなかった。
そんな事も知らず、少女は何度も何度も私にありがとうを言う。心のそこから嬉しいそうな笑顔で。
ほころぶ頬に浮かぶ傷は、いつの間にか大きくなっていた。
:::
いや違うんですよ四季様、あたいはこうなんていいますか、自分のペースで仕事をしているだけなんですよ。勿論一日のノルマとかあるの分かってるんですけど、それでもやっぱ時間に追われるとですよ、なんか大事なものが霞んでいくような気がするんです。だから別あたいサボってるわけじゃないですよ。――え? 何も隠してなんか無いですて。ほら、あたいの目をしっかり見てください、これが隠し事をしてる奴の目に見えますか?
黒だ。
「小町、私にそんな口先三寸の言い訳は通用しませんよ?」
小町はあははははははははははははとわざとらしく笑い、ぽりぽりと頬をかいて、ですよねーと小さな声をだす。
「四季様には敵いません」
「私もあなたには敵いませんよ」
「ややや、それはまた光栄な話で」
「褒めていません。そう、小町、あなた最近様子がおかしいですよ? 以前はサボるならサボるで決まって同じ場所に顔を出していたというのに、最近はどこにも行ってないらしいじゃないですか? 一体、仕事中何をしているのですか?」
小町は首を傾げ、真っ直ぐすぎる阿呆面を見せる。ぽかんと開けた口から「四季様詳しいですね」と鼻くそでも弾き飛ばすように、言葉を吐き出した。
違いますこれは一上司として部下の勤務態度を観察しなければいけないだけであって別にあなた自身について調べたわけではなくまぁ結果としてはあなた自身の事について色々とそう本当に色々と知ることになったわけですけれどそういえば小町あなたやたら人気があるとか無いとかそれに天人からきゅ求婚されたとかそれについて私は一切の報告を受けていないのですがどうなっているのですかいや別にあなた個人のことに関してですから報告する義務なんて当然無いのですけれどけれどそれにしたって一言相談くらいあってもいいような気がするのですほら一応私はあなたの上司でそれでそれでえっと上司でそれ以前に私としてはそうごく個人的意見になると思うのですけれど私としてはあなたとはこう上司部下以上の関係になってなくも無いのかなと思うわけでありましてとにかく私が言いたいことはですね
こんこん。
頭の内側を揺さぶるようノックが、部屋中に響き渡る。
小町は体を捻って振り向き、私も口を止めドアの方を振り向く。胸の中で心臓が指差して笑うように、バクバクと動いていた。
扉が開き、受付を担当している鬼が姿を現した。
「閻魔様」と鬼は言う。「お客様が参られていますが」
「客?」と言った私の声は、ひどく裏返ってしまった。口を止めたと同時に体中が熱くなり、意味も無く目頭が熱くなる。「どなたですか?」
「古明地さとり様、という方ですが」
地霊殿の主?
「そう、申し訳ないですが、今は取り込み中だということでお引取りを――」と私が言い、
いつの間にか、小町の姿がいなくなっていることに気付く。
「小野塚さんなら、今しがた消えましたけど。おそらく能力を使ったんじゃないでしょうか」
……
「すみません、お客様をお通ししてください」
「はい」
「そう、それと、小町を見つけたら確実にここまでつれてきてください。口さえ動く状態なら、どんな手段を使っても構いません」
善処します、と鬼は言い残し、扉を閉める。一人になった部屋の中で、私はお辞儀するように顔をうつ伏せて、大きくため息を吐く。机の冷たさが、頬に気持ちがいい。私は一体何を言っていたんだろう。自分でも、よく覚えていない。
こんこん、と二度目のノック。私は体勢を立て、大きく深呼吸をする。大丈夫大丈夫、いつもの調子で。軽く咳払いをし、ついでにもう一度深呼吸。
「どうぞ、入ってください」
扉が開き、そこから久しく見る、端整で無表情な顔つきの少女が現れる。地霊殿の主は深々と頭を下げ、
「お久しぶりです、山田様」
「閻魔です」
「すいません、とんだ失礼を」
「えぇ、本当に」
黒か。私の心を見るように、第三の目が私の顔をぎょろりと見つめる。実際に、読んでいるのだろう。
「それで、今日はどうされたのですか?」
「えぇ、私のペットが粗相をした件で、一つ謝罪をと思いまして」
ペットの粗相?
地霊殿の主は眉を微かに動かし、ご存知ないようですね、と独り言のように呟いた。「お燐、いえ、火車についてですが、何も伺ってないでしょうか? なんでも、赤毛で長身の死神さんに話をつけたと言っていたのですが」
小町だ。
そうそう小町さんという方でした、地霊殿の主は一人話を続ける。私はまだ返答していないというのに。
「どうも、地上で罪人の死体を運んでいる時に、まだ年端も行かない子供の死体まで一緒に運んでしまったらしいのです。すぐにこちらの死神さんへ返しに行ったということだったのですが、主として、一つ侘びを入れておこうかと思い、こちらまで足を運んだ次第です」地霊殿の主は頭を下げ、申し訳ありませんと言った。
どういう事だろう。
ここ数日子供の霊を裁いた記憶は無い。今の話が本当なら、小町がその霊をここに運ばず、どこかへ置き去りにしているのだろう。
何のため?
「いえ」と私は言う。「お気になさらず」正直、謝罪の言葉など右から左に流れ去ってしまっていた。
地霊殿の主は顔を上げ、私の顔をじっと見つめる。
そして
「ところで、お詫びというわけではないのですか、先ほど部屋から出て行った死神さんがどこに行ったか、興味ありませんか?」
:::
少女が来る頻度は、『おかあさん』が治ったという日を境に、少なくなっていた。
来るたびに、少女の頬にある傷は大きくなっていた。頬だけでなく、足や腕にも、同様にすりむいたような跡が見て取れた。しゃがんだ際に着物から覗かせた太ももに、あかあかと膨らんだみみず腫れが出来ていた。まるで火鉢を押し付けられたような、私はそう思った。思うだけで、口に出すことも少女の話に答えることもかなわなかった。
来るたびに話をする少女は、いつも笑っていた。
昨日は藪の中でほおずきを見つけからからと音を鳴らした、おとといはこんなでっかい笹の葉で船を作り川に浮かべ見えなくなるまで追いかけていった、一昨昨日はつがいの狸をこっそり後ろから追いかけていったなど。
少女が笑顔で話す中に、少女以外の人はいなかった。
そして、その日も、少女は根っこごと引き抜いた菜の花を片手に、私の元へとやってきた。
:::
賽の河原で子供が石を積むなんて昔の話だ。いちいち積んだ石を崩しに行くほど鬼達は暇ではないし、そもそも賽の河原で石を積まして得になることはない。人が増えて始終死人が出る今、さっさと私の元につれてきて天国なり地獄なり霊界なりに連れて行くのがずっと建設的でマシと言う事だ。
勿論そのことは死神も知っている。
小町も知っているはずである。
ねぇ、
「そうでしょう、小町?」
「いや、まぁ、そう、でしたっけ? 何分頭が弱いもんですから、どうも記憶が曖昧で」
「小町」と私は頭一つ背の高い小町をにらみつける。愛想笑いを浮かべていた小町は、やがてふっと視線を流し、
「あたいの負けです」
ため息一つ。
小町の視線の先、あちこちで石が積み上げられている賽の河原の真ん中。
一つの魂、いや、一人の男の子と言ったほうがいいのだろう。年のころは数えで五つか六つ、継ぎはぎだらけの甚平を着て、私をサルでも見るようにじっと眺めている。その手には川原の石が握られ、目の前に積んだ石塔の、そのまた上に乗せようとしていた。
「説明してください小町」
「怒らないって約束してくれますか?」
「聞いてから考えます」
「聞く前に考えてもらうってのは」小町は私を見下ろし、そのまま恐らくかゆくも無いだろう頭をぼりぼりかいて「無理ですよね」と言った。
男の子は木の枝を突き刺した粘土人形のように、変わらない姿勢のまま顔だけをこちらに向けている。魂は言葉をしゃべれないが、その視線から何が言いたいか大体に想像がつく。『赤毛の姉ちゃんをいじめるなチビ』
小町はもう一度ため息を吐き出し、この間火車が来たんです、と語り始める。「人里で殺しがあったの知ってますか? まぁ、あたいも聞いた話なんですけど、空き巣が留守番中の子供刺して、そんでバカな事に自分も間違って刺しちまったて話です」小町は親指で、男の子を指し示す。「あの子が、その刺された子供です。どうも旧地獄の火車、その罪人とあの子を間違って一緒に運んじまったようで、そんで何の罪も無いあの子の魂はこっちに返しに来たって訳です」
「そう、どうしてすぐ私の所へ運ばなかったのですか?」
「それは」と小町は口ごもる。石を積み上げる男の子に目をやり、そしてふと、物憂げに目を伏せる。「あの子の母親、もうちょっとでこっちに来そうなんですよね」
「――?」
「子を思う親の気持ち、て奴ですかね。この子が死んでから、ずっと伏せたままらしくて。一度下に行って様子見てきたんですが、ひどいもんですよ。飯も食わず水も飲まず夜ごとすすり泣いてはあの子の服を握り締め、目が覚めて懐かしい匂いが服だと分かればまた泣いて。もうそんなに日は無いはずです。――そん時まで石を積ませながら待たせて、そんで出来るんなら会わせてやろうかと、まぁこんな腹積もりだったんですが」
いやぁ参った参った、と小町は男の子の対面に座り込み、近くにあった石をそっと積み上げる。恐々手を離すと石塔はグラグラ揺れ、それでも崩れることは無く、石塔は石一つ分その背を大きくする。不安げに石塔を見つめていた小町は、にっ、と笑い、
男の子も、それに釣られるようににっと笑った。
「まさか旧地獄の親玉が来るとは、あたいも思ってませんでした。いやね、廊下ですれ違った時いやぁな予感がしたんですよ。だってあの胸んとこにぶら下げてる目、ぜっーたいあたい見て笑いましたもん。ありゃ近所の悪がき見る目でしたね」
参った参った、小町は何度も呟きながら膝を叩き、徐々に頭を下げていく。参った参った、私は小町から目を背け、男の子に目を向ける。男の視線が語る言葉は、微妙に変わっていた。『あっちいけチビ』こんなところだろう。
と、不意に小町の声が止む。太ももを叩くぱんぱんという音も無くなり、下げていた顔を持ち上げる。小町の顔はいつに無く真剣で、私の頬をなでるような、そんな視線を私に向けた。
「四季様、どうかその日までこの子の裁きを待っちゃもらえないでしょうか? そう遠い日じゃないはずです。あたいの頭じゃなんの足しにもならんと思いますが、この通りです」
小町は膝に手を置き、地面すれすれまで頭を下げる。男の子の持っていた石が、そのか細い手から滑り落ちる。積み重ねた石塔に当たり、音を立てて崩れ落ちる。
「聞き入れられません」私が声を上げたのは、丁度男の子の取りこぼした石と、小町が積み上げた石が当たり、カツン、と音を立てたときだった。「小町、例外は認められないのです。それがたとえどんな場合であっても。それでなくても、仕事は溜まっているのです」
小町は頭を上げない。崩れた石塔の残骸が、深々と下げている小町の頭を横殴りに叩く。男の子は私と小町を2、3度見比べて、結局心配気に小町を見つめた。もう顔も見たく無いということだろうか。
「どうしても、ですかね?」細々とした小町の声が、隙間風のように聞こえてきた。
「どうしてもです」と私は言う。
続けて、
「けれど」私は小町の前まで近づき、しゃがみこむ。小町の肩がぴくんと震える。私は男の子を見つめ、その前に横たわる石塔の残骸に目を向ける。その中の一つ、恐らくは土台になっていた平な石を拾い上げ、また一つから積み始める。「賽の河原の子を救うのは、昔から地蔵菩薩の仕事と決まっています」
:::
どうしても思い出せない言葉がある。
あの少女の言葉。
その日いつものように少女は私の元へやってきて、泥だらけの菜の花を手向けた。いつもどおりに手を合わせ、いつもどおりに私に向かって語りかけた。
いつもとは違う、大人の影が少女と私を覆った。
少女は振り向き、影を見上げた。その影から腕が伸び、少女の頬をはたいた。地に伏せた少女が、頬に手をやりながら起き上がると、またはたいた。影は少女の髪を雑草を抜き取るようにつかみ、無理やり顔を持ち上げた。
影は、大人の女だった。
どこと無く、少女に面影が似ていた。
あんたこんな所で何油売ってるの? 女の声はいやに低く、首筋を嘗められたような薄気味悪さがあった。掃除は? 洗濯は? あんた誰のおかげで生きていけてるか分かってるの?
少女は問いの数だけごめんなさいを繰り返した。少女が言葉を出すたびに、元気とか明るさとか言うものが口から抜け出しているようだった。やがて女は少女の髪から手を離し、そして、ふと私の事に視線を投げた。
「役立たずの石像が」
そう言って女は、おもむろに脚を振り上げる。女の履いていた雪駄が私の顔目掛けて振り下ろされ、
その脚に少女は絡みつき、脚は動きを止める。
女は言う。あんた私に立てつく気? 私よりこんな石くれといたほうが楽しいてこと?
その時少女が返した言葉を、私は思い出すことが出来ない。
記憶にあるのは、目を見開いた女の顔。怒号。少女の真っ黒な髪。女が脚を振り上げ、少女がそれに蹴飛ばされ私の元へ文字通り飛んでくる。
私の体に張り付いた血。
項垂れる少女。
逃げる女。
地面に広がる赤。
無能で、
無力で、
身動き一つ出来ない私。
体中に張り付いた血は、すっと私の中に溶けて、消えることの無い染みを残した。
ずっと昔の話だ。ヤマザナドゥの屋号も無い、ただ道端に佇む地蔵菩薩でしかなかった頃の話。
夢は、いつもここで途切れる。
:::
あまり時間はあげられません、そう言って四季様が提示した時間を聞き、あたいは一言答える。
「十分です」
お飾りの鎌を置いていくか迷ったが、結局持っていくことにした。聖人君子を気取るつもりも無い、あたいは死神としてこの子を連れて行く。
男の子に手を差し伸べる。男の子はあたいの手を掴み、ぎゅっと握り締める。あたいが頷くと、同じように、頷き返してくれた。よし、あたいは声をかける。
「行くか」
景色が変わる。
賽の河原が、床の間へと姿を変える。到着、とあたいは一人呟く。となりの男の子はいきなり見ていた風景が変わり、ひどくうろたえているようだった。泳ぐ視線は、すぐに目の前の光景へと釘付けになる。
古びた畳の上で、一人の女が寝ていた。布団に包まり、その胸にはボロボロの甚平を抱きしめている。
じっと見つめる男の子の頭をくしゃくしゃなで、ぽんと背中を押す。男の子はたたらを踏み、そして不安げにあたいを振り返る。言葉を投げる代わりに、取って置きの笑顔を見せてやる。男の子は前を見て、もう一度あたいを見てから、また顔を前に戻す。一歩踏み出し、しゃがみこみ、透ける腕を女の頬へと当てる。
女が目を覚ます。
赤くはれた瞼を開け、虚ろな目を男の子へと向けている。ぱちぱちと瞬き。目を擦り、頭を振り、瞳をこれでもかというくらいに大きくあけ広げる。女は体を起こし、両手を口に当てる。
両目から、枯れていたはずの涙を落とす。
声にならない声をあげ、男の子を強く抱きしめる。男の子も女の背中に腕を回し、ぎゅっと痩せこけた体を掴む。女が何か言葉を話す。けれど、それは言葉として全然なっちゃいなかった。腹のそこから溢れる嗚咽が、女の言葉を邪魔していた。それでも男の子は、女の女の言葉一つ一つに頷き、そして耳元で何かを囁いている。魂は言葉を話せないはずなんだが、四季様がチチンプイプイとやってくれたのかも入れない。やれやれと、何だかんだ言って気の回るお方だ。やっぱりあの人にゃ、なんど生まれ変わっても勝てる気がしない。
できる事ならいつまでもこのままにしてやりたいが、そうもしちゃられない。
あたいは抱き合う親子に近づき、そして鎌をひょいと持ち上げてみせる。女は場違いな位に穏やかな顔を見せ、あたいを見上げる。
「感動の対面中に、悪いね」とあたいは言う。「何分、仕事なもんで。そろそろ締めの挨拶としちゃくれないだろうか」
男の子が、再び女へ耳打ちをする。女は頷き、抱き寄せていた腕を解く。男の子は立ち上がり、あたいの手を握る。あたいが口を開く前に、深く、男の子は顔を頷かせて見せる。
「ありがとうございます」ふと、かすれた声が部屋に響いた。それが目の前の女の声だと気付くのに、少しばかり時間がかかった。「息子から話は聞きました。冥府で、色々お世話になったと。深く、御礼申し上げます」女は三つ指立てて、額を畳にこすり付けるほどに頭を下げる。
「頭を上げちゃもらえんだろうか。あたいは、特に何にもしちゃいないよ。礼なら、うちのボスに言ってくれ」
「ボス、ですか?」
「地獄の閻魔様さ。この子も、今からそこへ連れて行く。あんたは、まぁ出来たらもうちょっと後になってから、顔合わせとしてもらいたいもんだが」
女はふと顔色を曇らせる。「息子は、極楽浄土へといけるのでしょうか?」
「――さぁ、そればっかしはあたいの一存じゃどうにもならんからね」まぁでも、あたいは女に向け、出来るだけの笑顔を振りまく。「心配はいらんと思うよ。うちのボスは、色々おっかないとこもあるが、なんだかんだで優しいお方だ」
女は安心したように、顔を緩ませる。よろしくおねがいします、と言ってまた頭を下げた。あいよ、あたいは男の子を手を引いて、そっとその場を立ち去る。
最後に見た女の顔は、どう考えても死神なんかに向けるような顔じゃなかった。
ケース23、優しい語りかけ。小町こんなところで何をしているのです。振り向く小町。私は隣に腰掛ける。仕事の話は飽くまで無しで、小町こんなとこにいると風邪をひいてしまいますよ。――四季様。艶っぽい頬、いつもとは違う真剣な顔。四季様、実はあたい前から四季様のことが。近づく唇。いや、ダメです小町、私はあなたの上司で、楽園の最高裁判長で。透き通る瞳に何もかもが奪われる。そんなの関係ありません四季様、それともあたいじゃ不満ですか? いえ決して不満とかじゃ、むしろその逆で、あ、ちょっと小町、そんな所を触ってはダメです、あ、あっ、だめ。
私は首を振る。今回はひどい、開始十秒で何もかもが崩れている。
いっそのこと、これまでとは違う方向はどうだろう。ケース24、キャラ崩壊甘えん坊作戦。顔の傾きと上目遣いが重要。自転と同じ23、4度を維持すべし。第一声はきゃはぁやっと見つけたぁ、
「あ、四季様じゃないですか、そんなとこで何してるんですか?」
不意に投げかけられた声に、私の肩はビクンと震える。木陰から顔を半分だけ覗かすと、川原の斜面に後ろ手をついて胡坐をかいている小町が、こちらを見つめていた。私はごほんごほんと渇いたせきをひねり出す。気付かれないように深呼吸。ケース7、通りすがりにたまたま小町を発見、世間話。小町、こんなところで何を? 仕事の話は表に出さない。
「小町、何を油を売ってるのです、まだ仕事は残ってますよ」
変更、ケース15。触れやすい仕事の話から徐々に私生活へと。小町に謝罪の言葉を言わせないのが重要。
「いやぁ申し訳ありません。分かっちゃいるんですが、どうもこう、体が勝手に」
ケース20、小町の隣に自然に座る。ふとすれば肩が触れ合う位置がベスト。
「どうですか四季様もこちらへ、ほらたまには三途のせせらぎでも聞きましょう」
よし、これは成功。次、視線で小町に訴える。目が合わない程度に小町をちらちら目配せ。心の中でカウントダウン、3、2、1、今だ。
目が合った。
ばっちり合った。
「どうかしました? あたいの顔になんかついてますか?」
だめだだめだ、こうなったらケース1、直球勝負。小町に自分の気持ちを正直に伝える、小町、私実は前から。
「四季様、あの子はどうなりやしたかね?」
「ひゃい!」
「ひゃい?」
……ケース25、聞き手に回り、機会を伺う。
「いえ、なんでもありません、話を続けてください」
「えっと、ほらあの男の子ですよ。裁きの末は極楽ですかね? それとも、地獄でしょうか?」
「――あの子は、霊界へと送りました。いずれは輪廻の輪へと入り、他のものへと転生するでしょう」
「他のもの、ていうと人か獣か、てことですかい?」
「もしくは、妖怪か精霊か、神か。幼いながらに、なかなか見所のある力を持っていたので、果たして何として生まれるか、私にも分かりません」なにせ閻魔相手にガン飛ばすような子だから。
「へぇ、力ねぇ。それじゃ、博麗の巫女さんがこっちに来た日にゃ一体何に化けるんですかねぇ。末は邪神か破壊神か」
「貧乏神かもしれませんね」
小町は膝を叩いて笑い声を上げる。「違いねぇ」
そういえば、小町の笑い声が納まった頃に私は胸に抱いていた疑問をぶつける。「小町、あの子を賽の河原で待たしていたのは分かるのですが、それにあなたが付き合う必要はあったのですか?」
「それは、まぁ、そうなんですがね」小町は眩しそうに瞼を細め、頬をぽりぽりとかく。「いやね、ガキん時の一人の時間て言うのは、長いもんですから」私は小町の言葉に答えず、ただずっとその横顔を眺める。「さっきの話じゃありませんが、あたいも人から死神に転生した身でして。ふつーは下界にいた頃の記憶なんざ覚えてないんですけど、あたい、ちーとばかし頭の片隅に残ってるんですよ。こう暗くてじめじめした家で母親が横になってる、てのを覚えてるだけなんですがね。その時の時間の経つのが遅いのなんのって」だからですね、小町は続ける。「あの男の子も一人よりかは、あたいみたいなのでも一緒にいてやれたらいいかなぁ、なんて」
「――仕事もそれくらい親身になって取り組んでくれればいいんですけどね」
あっはっはっは、小町は大口あけて笑う。笑って、それだけ。まったく、と私は胸のうちで呟く。呟いて、それだけ。心地いい風が吹いてきて、三途の川の水面を、優しく揺らした。小町の二つ結びの髪の毛が宙を流れ、私が燻らせていた考えを全部飲み込んでしまった。
「そういや四季様も元は下界で地蔵菩薩でしたよね? 何でまた地獄の閻魔様なんてやろうと思ったんですか?」
「それは」私は小町の黒い瞳を見て、すぐに唇へと視線を落とす。「無能な自分が、嫌でしたから」
「四季様が無能? そんなこと無いですよ」
「それは今ではヤマザナドゥとしてそれなりの力がありますが、昔は道端に佇むただの地蔵菩薩でしか――」
「いやいや、そういうことじゃなくてですね。なんていうかな」小町は膝を立て、腕を乗せ、遠く空を見つめる。私もつられて見つめると、雲ひとつ無い晴天が広がっていた。「四季様と一緒にいると、嫌なこととかが全部どうでもいいことに思えてくるんです。だからあたい四季様と一緒にいると楽しいですし」それに、小町はそう続けて、反則的なまでの笑顔を浮かべて
「四季様のこと大好きですよ」
一瞬、記憶が飛んだ。
死ぬかと思った。
小町は変わらず純粋すぎる笑みを浮かべていた。
私は転がるように立ち上がり、小町に背を向けて早足に歩く。四季様? と後ろから小町の声が聞こえた。けれど振り返るわけにはいかない。今小町の顔なんか見たら、それこそ今度こそ本気で死んでしまう。しかも死んだらその魂は小町が運ぶのだ。
もう休憩は終わりです早く仕事に戻ってください。飛び出た言葉は自分でも驚くくらいに早口でつっかえつっかえで、余計に顔が熱くなるのを感じた。あはは、小町が笑う。もうそんな時間ですかね? 立ち上がり、私の隣に並ぶ。そして
「それじゃ、行きましょうか」
私は小町の顔を見ず、一つだけ、頷いた。
火照った頭の中、記憶の少女がなんと言ったか、思い出したような気がした。
ただ、行の一文一文が繋がりすぎて個人的には見難いです…
ご指摘ありがとう御座います。修正しました。
次はにとりで書いてみてはいかがでしょうか。
雰囲気を楽しんでもらえて、幸いです。
文については、今後短めを意識していきたいと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
>>7
香霖の一人称 私→僕
以上で修正しました。ご指摘ありがとうございます。他は大丈夫だと思うのですが・・・
>>10
やはり文の長さがネックになってますね・・・
にとりの話は書いてみたいのですが、何分ちっとも話が浮かびません。今考えてるのは香霖と魔理沙の話なんで、よければ目に付いたらまたお目通しください。
お読みいただき、ありがとうございました。
きれいな文章で長さは感じませんでしたが、改行をもう少し上手く使ってはどうでしょうか。一文一文が長くて読みづらかったのでこの点数で
幻想郷?
面白かったです!
森近さん→霖之助さん
以上で修正しました。ご指摘、ありがとう御座います。後から後からぼろぼろと、お恥ずかしい限りです
>>14
お読みいただき、ありがとう御座います。
きれいな文とは、もったいないお言葉です。やはり一文をキリのいいところで区切るという事を心がけねば、ですね
>>15
幻想卿→幻想郷
以上で修正しました。ご指摘ありがとう御座います。
どうにも『もう大丈夫』と断言できそうにないです。それでも、楽しんでいただけたなら何よりも光栄な話です。
文章が少し読みにくかったので少し点数を引きました。
小説書くために四季様を調べていたら地蔵にたどり着き、同時に賽の河原の話にも地蔵が出てくるのを知ったのが、これの始まりでした。評価いただき、嬉しい限りです。
長さ的には、自分にとってはちょうどいいです
今後の成長に期待しています。
ご指摘ありがとう御座います。場合を見ながら、改行の形式は変えていこうかと思います。
ご期待に添えられるよう、頑張ります。
にしても人情溢れすぎだろこの閻魔様と死神は。ほどほどに……て、言うまでもなくちゃんとある程度の線はわきまえてるんでしょうね。
まぁそういうことでしょうねヘヘヘ
小町は案外人情キャラだと思うのですが、映姫様はどうにも違和感がありますね。
話は好きです。