※作品集103の『エリー&メリーのワンダースペース』の設定を引き継いでいます。
「……あら?」
エリーは、自らが守る屋敷に気配を感じた。
また、あの子なのだろうか。
「メリーさんはまた突っ走ったのかしら……?」
脅かしてやるべきかどうか、考えない内に気配の正体が目の前に現れた。
「随分、小さいわね」
「……ふぅ、まさに三大と言ったところかしら」
今日も相変わらず我が大学の大図書館は大盛況。
あらゆるものがデータ化されゆく社会において、いい現象なんじゃないかとか、老人じみたことを考える午後四時。
古いカビの匂いが昔は嫌いだったけれど、今になってはなんとなく芳香剤に匹敵するように感じてしまう。
歴史の積み重ね、それがカビの正体なのだから。
「そして珍しいことに、メリーが遅い」
サークル活動のための下調べをやろう、と待ち合わせ場所をここに指定したのがつい四時間前。
早めに全講義を消化できた私は二時間前から、そして今日最後のコマが休講のメリーは一時間前からここにいられるはずだったのに。
入口を見ても、特徴的なあの子の金髪の『き』すら見えない。
メリーが遅刻するのは本当に珍しい。
たまにギリギリに着くことがあっても、私が大幅に遅れるので実質彼女は無遅刻の優等生だ。
「探してみますかっ」
また告白でもされているのか。
モテる友人がいるというのは誇らしいけれど、同時に女として複雑な気分にもなる。
メリーは器量よしだし、頭もいい。
それでいて天然なのが可愛いところなのだけど、そこが心配なのだ。
調子の良い男にコロッと騙されて泣かされたりしないか、とか。
そんなことを考えつつやってきたのは、メリーが最後に受けていたはずの『歴史哲学』が行われる50番教室。
「……がらんどう」
暖房もだいぶ前に切られたようで少々肌寒く、私と見えないもの以外は人っ子一人いやしない。
まさか、あの子約束を忘れたのでは、などと疑念を抱き始めたころ。
教室内に響き渡ったのは、ホルストの『木星』のアレンジ。
重厚な曲のはずが妙にノリが軽い、マイケータイの着信音だ。
発信相手は、ずっと探していた相手だった。
『あ、もしもし蓮子?』
「メリー!?」
『ごめんなさいね、連絡しようかと思ったんだけど……』
メリーがいる場所は、何やら騒がしい。
放送もたまになるし、子どもの声も聞こえる。
どこかの大きい店なのだろうか。
「メリー? あなた一体どこにいるのよ?」
『えっと……産婦人科』
「……つまり?」
「いや、まあそのメリーさんが泣かされたり……」
「それで? お医者様を殴ったと?」
「グーで……」
「グーでね」
「……申し訳ありませんでした」
「友人がすいませんでした、河村先生」
色々と勘違いしたままこの辺りには一つしかない産婦人科に突入した私に殴られた先生は、大したことないから気にしないで、などと言いながら去って行った。
紳士、いいひとだ。
「私を心配してくれるのは、嬉しかったけれどね」
「うう、だって……」
「あーもうしょうがない子ね」
ぐしぐしと頭を撫でられる。
周りの人に奇異の目で見られるが、女の子はそういうもんだと知らないのだろうか。
ハアハア!
という声も聞こえるが気にしないことにする。
「二人とも相変わらず仲が良いんだね……」
「あ、河原崎さん」
奥から出てきた優しそうな女性は、河原崎唯さん。
メリーと同じゼミの人で、何度か私も話をしたことがある。
ちなみに私たちより一つ年上……まあ、そういうことらしい。
急に痩せたように見えるけれど、大丈夫なのだろうか。
「久しぶりだし、ゆっくりお話ししたいけれど……」
「いえ……体調悪そうですし」
「今度のゼミコンパでまた蓮子連れてきますから」
「そう……じゃあ、メリーちゃん今日はありがとうね」
「いえ、また何かあったら連絡くださいね」
「ありがと、それじゃ……」
フラフラと、足元がおぼつかないようようだが大丈夫なのだろうか。
そんな私の想いを察知したのか、メリーが口を開く。
「仕事が外せなくて今になっちゃったけど、彼氏さん迎えに来てるっていうから」
「なるほどね……」
ロビーの大きめの窓から外を見れば、高そうな車に河原崎さんが乗り込むところが見えた。
外車って……どんな彼氏なんだろう。
「さて、蓮子。 今日は遅刻した埋め合わせに晩御飯奢ってあげる」
滅多にそんなことをしてくれない友人は、言外に話を聞いて、と言っているようだった。
改めて河村先生とやらに謝ってから産婦人科を出て、メリーについていく。
メリーのアパートからそう離れていない場所に、その店はあった。
「コンビニかぁ」
「わがまま言わないの」
普通奢ってもらえるなんて聞いたら、色々と期待しても罪じゃないと思うの。
とりあえず以前から目をつけていたそれなりに高いお弁当をカゴに入れる。
「……ストマックカスタム弁当?」
「なんでも胃の直径が増すとか」
「自分が太りにくい体質だからって……妬ましいわ」
なぜだか、メリーの瞳が緑色に見えたが気にしない。
飲み物くらいは買ってあげることにしようかな。
などとご機嫌とりをするのに、ズラリと並んだペットボトルに目を移す。
「それにしても河原崎さん大丈夫なのかな」
「うーん……」
サンドイッチを手に取りながら、メリーは一瞬考えて、首を振った。
「わかんない。 お医者様から聞いたところでは、彼女次第みたいだから……」
病は気から、ということなのだろうか。
自分のカゴに飲み物を入れて、もう一つ、気になったことを思い出した。
「あのさ、河原崎さん、なんでお腹に手を当ててたの?」
河原崎さんの右腕はずっと、お腹を抑えていた。
産婦人科なのだから、おめでたということなのかもしれないけれど。
だとしても、あそこまで痩せるものなのだろうか。
「そこが問題、話の中心なのよ」
「一年前、河原崎さん通り魔に刺されたんだって」
メリーの部屋でお弁当を食べ終わった後、話を聞き始めた。
ご飯がおいしくなる話ではなさそうだ。
「その時に、実は妊娠してたことがわかったんだけど……」
「つまり、刺されたのは……」
お腹の辺りか。
その問いに、メリーは頷いた。
「一応、まだどうなるかわからないってことでね。 しばらく様子を見たんだけど……」
そこで、一端彼女は話を切った。
真面目な彼女のことだから、言葉を選び選び話しているのだろう。
胎児は基本、羊水によって守られているらしいが、耐えられる限度だってあるわけで。
「このまま大きくなって、お腹から出ても、生きられないってわかって……」
そして人工妊娠中絶を行ったのが、刺されてから三ヶ月後のこと。
早期に手術を行ったのが幸いし、その時には母体の健康にはなんの影響もなかったようだ。
「しばらくは落ち込んで、大学も休学して……」
周囲の人も励ましもあって、復学。
私やメリーと出会うまでに、それだけのことがあったのか。
ちなみに彼氏とは二年前からの付き合いらしい。
ラブラブで羨ましいことだが、河原崎さんをここまで支えるのも大変なことだっただろうに。
「でも、ここでスタッフロール、というわけじゃないんだよね」
「そうね」
神様とやらがいるのなら、意地悪なものだ。
いい加減放っておいてあげてほしい。
「ちょうど、二週間前が刺された日だったんだけどね」
その後のメリーの話を要約すると、こうだ。
通り魔に刺された場所は、大学から河原崎さんの家までの近道だった。
河原崎さんはずっとそこを避けて帰宅してきた。
しかし一年も経って、トラウマと向き合おうとしたのか。
二週間前のその日、彼氏を伴って久しぶりに近道を通ったらしい。
そして、その日の夜にそれは起こった。
「寝ていたら急に体が、特に下腹部に重みを感じたんだって」
まるで、高校の時の妊婦体験にそっくりだったそうだ。
異変はそれに止まらない。
妙な声が聞こえてきたんだそうだ。
「おかあさん、って子どもの声が聞こえてきて……二週間前からそれで眠れない日が続いてるそうよ」
「お腹の重みと、子どもの声……?」
どこかで聞いたような。
「どこだっけ」
「これのこと?」
メリーが取りだしたのは、私がこの部屋に忘れていった雑誌。
そう、それだ。
「それに載ってた水子の話とそっくりなのよね」
「みずこ?」
「そ、本当は水の子と書いて"スイジ"って読む戒名だったらしいんだけどね」
昔、ちょっとした霊感商法とも言われた水子供養。
それに関連して流布していた、水子の祟りの話とそっくりなのだ。
適当にめくったページに、水子のイメージ図が載っていた。
全裸の赤ん坊が、二つの足で立っているように見えるが、細部に邪悪なものに見えるような付け加えがなされている。
「妊娠中絶で亡くなった子どもは、きちんと供養してあげないと母親のところに行くって言う話なんだけどね」
「なにそれ、ひどい話じゃない」
「私もそう思う」
供養してあげる大切さはともかくとして、祟るっていうのはどうだろう。
まあ、それだけ恐れてたってことなのかもしれないけれどね。
現に水子供養のサービスが始まって以降、水子の意味は、本来の意味からかけ離れた方向で定着してしまったのだから。
「まあ、なんにせよこの話は河原崎さんにしないほうがいいわね」
「そうね……追い詰めちゃうもの」
今でも彼女は充分に苦しんでいる。
これ以上追い詰めて、なんになるというのだろう。
「ただ……河原崎さんね、水子の祟りと似たようなものだと思っているかもしれない」
「似たようなもの?」
「今日、初めて相談されたんだけどね。 もしかしたら通り魔を捕まえてほしくて、赤ちゃんが私に訴えてるのかも……って言ってたの」
メリーはそれを否定せず、でも肯定もせずに産婦人科までうまく連れて行ったようだ。
「大分精神的に参ってたから、心配だったし……もしかするとよくあることなのかな、って思ったんだけどね」
そしてメリーの予想通り、医者曰く精神的なもの"かもしれない"と診断したらしい。
かもしれない、というのがなんとも気にかかるところだが。
メリーからの泊りのお誘いを丁重に断って、私は帰路についた。
別に何かあったわけでもなかったけれど、ただ。
「なんかね……」
色々と一人で考えたい気分だった。
河原崎さんに赤ちゃんの供養を勧めるべきか、どうか。
霊感商法だと、判決が出て水子供養の大々的な宣伝を禁じられたのが、十五年前。
女性を追い詰めかねないという理由もあったからだ。
「もしも河原崎さんが、水子のようなものだと気づいているなら……」
供養することで、多少精神的に楽になれるかもしれない。
しかし、リスクが大きすぎるし、何よりもこんな解決方法はよくないかもしれない。
河原崎さんにとってはせっかく授かった、可愛い命だったはずだ。
そんな赤ちゃんが自分に祟りを引き起こした、なんて思いたくないだろう。
「どうしよっかなぁ」
メリーも水子の民間信仰にはいい顔をしていなかった。
彼女の悪役には、私だってなりたくない。
でも、河原崎さんの為なら、という気もする。
「うああああああ……」
頭を抱えるふりをしながら、歩調を早めた。
さて、メリーから聞いた話によると、女性というのは非常に敏感なものらしい。
寝ていても邪な気配を感じ取ることはできるとか。
特に、視線には。
「うーむ、どうしよう」
悩んでいるのは、半分本気で半分フリだ。
先ほどから、妙な視線を感じる。
こう、全身をねっぷりと舐めまわされているような、品定めをされているようなイヤらしい視線だ。
交番へ、急ぐべきか。
それとも大声を出すべきか。
考えている内に、視線がどんどん近づいてくるような、気がした。
「ねえ、お嬢ちゃん」
ああ、確かこの辺りには。
「……たいやつがいるから、鎌を貸してほしい?」
あれ、私眠ってる間にまた結界に入り込んだのかしら。
「……いいけど、重いですよ?」
しかも、またここ……。
夢幻館、だっけ。
「おや、今度こそメリーさんですね」
「どうも……」
相変わらず赤いドレスを着て、大きな帽子を被ったエリー。
ただ一点、以前と違ったのは、獲物。
「あの、その握ってるのって……」
「ああ、これ?」
エリーが開いて見せた掌にあったのは、何か干物のようなものだった。
いつか、蓮子のお母さんに見せてもらったことがある。
確か、これは……。
「へその緒ですよ。 あの子の唯一の宝物なんだって」
「あの子?」
「ほら、あの子」
そこにいたのは、河原崎さんにそっくりな女の子だった。
「ありがとう、エリーさん」
「帰ってこれないときは、無理しなくてもいいですからね」
「ううん、絶対に返すよ」
まさか、彼女は。
「ああ、それとメリー。 こんなところで呆けている場合じゃないかも」
「……え?」
もしかして、今度こそエリーに連れて行かれるのだろうか。
「早く、外に出ないと後悔しますよ」
置いて逝かれても知りませんよ、と言ってエリーは私を突き飛ばした。
そして、再び視界が白く染まって行った。
「いつだって、誰かが置いてかれて、誰かが先に行く」
そう言うエリーは、珍しく笑顔じゃなかった。
「私は、置いてかれた側だから、あなたにそうなってほしくないんですよ」
「お姉さんは、お母さんみたいな人を作らないでね」
「……!?」
逃げようとした結果、足をもつれさせて道路の上に倒れてしまうが、コンクリートの固さよりも、追いかけてくる人物への恐怖心の方が大きかった。
「俺の気配に気づいたのはすごかったけれど、残念だったね」
「アンタが噂の……」
町内会の回覧板にあった、警告。
述べ十五人の被害者を出した通り魔。
服装は、黒っぽい上下のジャージ。
痩せていて、顔にはサングラスとマスク。
あらゆる情報がコイツと合致する。
「そういうこと」
男のナイフが、私の胸ボタンを器用に取り去った。
冷たい空気に晒された肌から、鳥肌が立っていく。
逃げようとしても、恐怖で体が動かない。
「さて、キミはどんな声で鳴くのかな?」
助けて、と叫ぼうとしても、声が出ない。
男の手が私に触れようとして。
止まった。
男は何やら肩越しに何かを見つめている。
「あ?」
それはゼラチン質のような、小さな手だった。
「何を……!?」
男の体がどんどん私から引き離されて行き、そして。
「アアアアアアアア!?」
男の体が沈み、消えて。
緊張から解放された私は、意識を失ってしまった。
体を揺さぶられるような感触で、目が覚めた。
「……子!? 蓮子!?」
「……メリー?」
なんで、彼女がここにいるんだろう。
「ああ、よかった……」
メリーが着ていたんだろう、温かい上着を着せられていることに気づいて、思い出す。
「あ、アイツは……」
「……あれのこと?」
顔をしかめたメリーが指で示した先に、あの男が倒れていた。
「……あ……ぁ?」
泡を吹いて、あちらも気絶しているようだ。
一体、何を見たのか。
それ以前に、私が見たのは一体。
「ねえ、メリー」
「うん?」
情けない醜態を晒した男を見つめながら、聞いてみた。
「どうしてアイツはああなったんだろう」
「さあ……多分」
メリーは携帯電話を取り出しながら、答える。
「河原崎さんや、他の女の子を泣かせた罰じゃないかしらね」
「え?」
どうしてだ!?
どうしてここから出られない!?
お前は誰だ!?
それはなんだ!?
おい、答えろ!
答えろ!
やめろ、やめろ!
・警察病院に入院した男の監視記録より抜粋
「……一年前からずっとアイツは野放し状態だったわけね」
「そういうこと。 警察の責任を追及しようとしてる人もいるみたい」
まあ、税金泥棒もいいところだってことなんだろう。
あれから、男を警察に突き出して、一応私も病院で見てもらっていたらいつの間にか朝になっていた。
理由が理由なので講義を欠席してもよかったのだけれど、寝るような気分でもなかった。
なので、こうして昨晩のコンビニで買ったサンドイッチをパクつきながら、人が少ない早朝の大学にいるわけだ。
「でも、精神病院行きってことでもしかしたら裁判にはかけられないかもしれない、と」
「まあ、一生立ち直れそうにないからいいんじゃないの?」
メリーは、あの男がどうしてああなったのか、知っているような節がある。
そう思った理由は色々あるけれど、一番なのは。
「ねえ、どうしてアイツが河原崎さんを襲った奴だって知ってたの?」
初対面だったはずだし、河原崎さんも相手の顔を覚えていなかったはずだ。
「うーん……」
メリーは最後のサンドイッチを飲み込んでから、なぜか掌を覗きこんでからこう答えた。
「ま、誰かを置いてくようなことをする奴を許さない友人がいたからね」
「……ん? よくわかんない」
「蓮子はわかんなくていいのよ。 わかったら」
蓮子を縛っちゃうからね。
そう言ったメリーの掌には、干からびたへその緒が載っていた。