*注意*
初めにお断りしますが、本SSは東方Project作品の二次創作のショートストーリーです。
本編の記述に原作と違う点、二次設定が多々あるかもしれませんが、ご了承ください。
また、一部原作の内容を露呈した部分(つまりネタバレ)、キャラ崩壊などに不快感を感じる場合、
下にスクロールせずにブラウザの戻るを推奨します。
それでもいいよ、という方はどうぞお読みください。
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今年も、春が来た。
幻想郷の春は、少なくとも外の世界より、生命力に満ち溢れていた。
それは、木々や空、湖に、それを象徴するかのように力を与える存在が、幻想郷に棲むため、なのか。
自然に溶け込み、そして成長を促す存在。
それらは、妖精と呼ばれていた。
春は特別な季節だと誰かが言う。
四季の折々に垣間見える曖昧な境。
春は季節そのものが曖昧であるかのように、始まりと終わりを内包している。
そうでなくても、春は冬を越した生命が顔を出し、景色を彩っていく。
春が好き、という人は、それら命の息吹をより身近に感じる事が出来るからなのだろうか。
そして、春を代表するような、生き物の目覚めを伝える、そんな妖精も幻想郷には棲んでいた。
リリーホワイト。
純白のドレスに身を包んだ彼女が通れば、春に気付き目覚め、花は咲き、冬眠から目を覚ました動物が顔を出す。
彼女自身、春は大好きな季節だった。
四季は、春を迎える為だけに他の季節があると感じ、そうして春を伝える彼女は、笑顔に満ち満ちている。
「あの妖精が通っただけで其処らが満開になるのよ。きっと強い力を持ってるに違いないわ!」
「あれは芽吹きのきっかけを与えるだけで、そこらの妖精と大して変わらないわ」
「捕まえて花の種を渡すとね、あっと言う間に芽をだすんだー」
「あれを手にする者が、一番早く春を手に入れる事が出来るのよ」
その評価は、彼女の耳に届く事は無い。
良くも悪くも彼女は一方通行で、春を伝える。
「春ですよー」と一言、弾幕に喜びのかけらを乗せて。
その年の幻想郷は、いつもと違う春を迎えた。
春に咲く花も、それ以外の季節に咲くはずの花も、まるで競うように幻想郷中に咲き誇っていた。
そして、異様だと言える霊の数。
ある人間や妖怪は、異変だと感じ、原因解明に、または騒ぐために、いつもより慌ただしい様相をかもし出していた。
そんな事は、彼女にとってどうでもいい事だった。
彼女は、いつもより沢山の種類の花を見て綺麗だと感じ、あちこちで起こる弾幕ごっこに割り込んでは、一緒に騒いでいた。
何となく変だなとは思いつつ、楽しいな、とだけ感じていた。
「あいたた……」
ちょっと前に出来た傷を押えて、外れそうな帽子を片手で抑える。
彼女の胸中は痛みによる悔しさや悲しみなどは微塵も無く、さっぱりとした気分で空を漂っている。
誰かの前に乱入しないと春の伝えがいが無いから、それが彼女の他者の弾幕ごっこに参加する理由だった。
ただ、浮かれた気風が漂う今は、誰かが騒いでいればふらりと立ち寄りたくなる、それが本音である。
日も暮れかかったため、リリーホワイトは帰ろうかな、と考えていた。
その前にあそこに寄ろう、と幻想郷を見渡せる場所へと身体を進める。
季節に彩られた幻想郷の地は美しいと思い、特に春の風景は絶景だと感じていた。
普段空を飛ぶ妖精も、妖怪も、幽霊もあまり訪れないであろう、彼女にとって特別な、自分だけのスポット。
そう信じていたリリーホワイトにとって、そこでの出会いは、より彼女にとって特別なものに見えたのだろう。
それは、花が咲き乱れる異変の中、彼女だけが体験した、記録に残らない程度の、小さな異変だった。
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リリーホワイトは、自分が春告妖精という名前で呼ばれている事を、なんとなく知っていた。
初めて聞いた時、その呼び名は自分にもったいないくらい、なんて良い名前だろうと感じた。
そして、春を教えて回る自分の存在が、他の誰かに認められている事もなんとなく嬉しかった。
――わたしの他には春を告げる妖精なんていない、だからそれはわたしを指す。だからうれしい――
もし、自分と同じ様な、春を告げる存在がいたらどうしようか、とも思う。
数秒考え、解らない、と結論を導く。
ただ、いたら楽しいだろうな、と何となく感じていた。
そんな些細な考えが、現実に自分の前に現れる事など露知らずに。
空の上。雲と天上の空以外は、何も無い。
その場所を漂い、舞う風にほのかな新芽の匂いを感じ、うれしくて両手を広げ、満面の笑顔で応える。
「春ですよー」
答える相手はいるはずもなく、声は虚空に消えて行く。
少し前には、この空に桜の花びらのような物が舞っていた事を思い出す。
長い冬でちょっと寒かったけど、あの花びらの中を飛んでいた時は、とてもいい気分だったなぁ、
と思い出し、いつか同じような事が起きないかなとも思っていた。
変化に富んだ日々を望んだわけでは無い。
彼女は、この季節を全身で感じる事が出来れば、それだけで十分だった。
――幸せとか、充実感とか、そんな言葉がちょうどいいのかな?――
退屈を感じないリリーホワイトは、”それ”を見つけるまで、そのような事を考えていた。
雲と天上の空以外は、何も無い。
そこは、彼女だけが知る、とっておきの場所。
少し高度を下げれば幻想郷の地を一望でき、何よりもここには彼女自身捉えどころの無い心地よさがあった。
空の上はいつもと変わらないはずなのに、何かの影が目に映る。
黒くて、羽根のついたヒトのような、どこかで見た事のあるようなシルエット。
不思議に思いながら、その影に接近する。
輪郭がはっきりした影の姿に、リリーホワイトは意図せず言葉を漏らしていた。
「あれは……わたし?」
十分にお互いが解る程度の距離で漏れた言葉は、相手に届いた。
そして、リリーホワイトの呟きに、それは小さな声で答える。
「あなたは、私では無いわ……それも解らないの?」
黒夜のような色の服を纏い、黒い羽根を背に宿すその姿は、色という点を除いては彼女に酷似した姿だった。
ブロンドの長髪も、卵型の目も、目鼻立ちすらそっくりの、少女の姿がそこにある。
「初めまして、かしら? 白い妖精さん」
感情を込めないような抑揚の少ない声色で、黒い少女は笑んで見せた。
その笑みも、作り物のような、嘘っぽさを感じる。
「えと、あなたは、誰ですか?」
数秒の沈黙ののち、黒い少女は小さく呟いた。
「――さあ。私も知らない」
「え?」
「気がついたらここにいたの。逆にここがどこで、あなたは誰で、今はどんな状況なのか聞きたいのだけど」
「え? ええ?? あの、その」
詰問するような口調だが無表情な表情の黒い少女と対照的に、リリーホワイトは大層慌てる。
「私は何も解らないのよ……自分の名前だって。それなのに、なぜあなたはそんなに慌てているの」
「や、だって、わたしとそっくりだったから」
「そっくり、なの?」
自身の服装を見るように辺りを見回して、黒い少女は意外そうな表情を覗かせる。
「はい。それはもう! えと、もしかして生き別れのお姉さん、とかですか?」
そんな存在は無いと自分でも解っていたが、疑問は吟味する前に口から出ていた。
「……そんな事聞かれても、私には答えられないわ」
「あ、そうですね。その、ええと……」
目の前の相手にどう接していいか迷うリリーホワイト。
何となく、黒い少女が不安そうにしているように感じる。
はぐれて一人ぼっちになった人間のような、精一杯の取繕いも、ほつれているような。
そう感じただけで、彼女は行動を起こす。
黒い少女はあきらめたように、
「いいわ。分からない事を聞いても仕方がないもの。ごめんなさいね」
と謝り、かぶりを振った。
「は」
背後から、詰まったような、少女の声に、黒い少女は振り返る。
「は?」
「春ですよー!!」
「……」
「…………」
「……………え?」
「だから、今は春なんですよー。私はその春を伝える妖精です。それで、ここは私の好きな場所で、景色が綺麗なんですよ」
先程の問いに対する、あまり要領の得ない内容で答えに、黒い少女は呟くように確認した。
「……ああ、そうなの」
「はい! とっても綺麗なんですよ。あ、それと、わたしはリリーホワイトっていいます」
両手を広げて、満面の笑みで自己紹介をする姿に対し、黒い少女はどう対応して良いか、困ったような曖昧な表情を見せていた。
「そう、なの」
「あなたは黒い服を着ているから……リリーブラックさんって呼んでいい?」
少し怖じ気づいて、リリーホワイトは黒い少女に名を付けようとする。
――名前を付けられるなんて、嫌な気分になるかもしれないし、変に思われたらどうしよう――
とも思ったが、彼女は考える前に相手に問うていた。
少し考えるそぶりを見せてから、黒い少女は目を伏せて、答えた。
「……名前が無いのだから、そう呼んでくれても構わないわ」
少なくとも好意を感じている印象を与えない様子だったが、自分が提案した名を認めてくれた事に、リリーホワイトは大きく首肯した。
「よかったー。それでは、よろしく、リリーブラックさん」
天真爛漫に黒い少女――リリーブラックに近づく。
そんな姿を見ても、相変わらず彼女の表情は固い印象を与える。
お構いなしに愛嬌を振りまく相手の様子に、リリーブラックは諦めたかのようにほほ笑んだ。
「ま、よろしくね、リリーホワイト」
投げやりな感情を隠そうとはせずに、リリーブラックは片手を上げて答えた。
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「えと、つまりリリーブラックさんは気がついたらここにいたんですか?」
森のそばの草の原っぱに腰を下ろし、同じく腰を下ろした自分と瓜二つの少女、リリーブラックを見て言う。
空の上は夜に近づいて肌寒く感じてきたため、リリーホワイトはとりあえず降りましょう、と提案をし、現在に至る。
「そうね。他に聞きたい事はある?」
剣呑な態度で、彼女は問いに答えた。
自己紹介を済ませてからの彼女の態度は、他者を寄せ付けないような印象をリリーホワイトに与えた。
ちょっと怖いな、とも感じるが、興味の方が彼女の心に占める割合は多い。
「……しかし、嫌なものね」
夜空を見上げ、リリーブラックは呟く。
「何がですか?」
「私とあんたがそっくりだって事」
ためらいは無く、リリーブラックははっきりと口にした。
ああ、不満そうなのはその為かな――とリリーホワイトは考える。
そう考えに至るまで、数秒、思考が停止し、ショックを受けていた。
夜にそよぐ風は優しく、肌で感じる気温は涼しくて心地よい。
それを忘れる程に、面と向かって自分を否定された事に、切ない気分がこみ上げる。
「そう、ですか」
「……なんであんたがへこんでるのよ」
泣きたいのはこっちの方なのに、とでも言いたそうなその表情は、理解できないという心情も表していた。
「え、そ、そんな事、無いですよー?」
たどたどしい言葉と笑顔で取り繕うのはリリーホワイトで、明らかな虚勢に彼女は嘆息する。
「あのね、あんたみたいな性格の子と、私の姿がそっくりだって事はね、」
近づいて、白い帽子の少女の額に人差し指をつける。
「私にふさわしい姿じゃない、て思ったの」
指で額を押されたリリーホワイトは、あう、と小さく声を漏らす。
「私はあんたみたいに春だ春だなんて騒ぐ趣味は無いから」
どことなく笑っているような、目を細めた表情を、額を抑えたリリーホワイトはぼんやり見つめる。
――初めは、わたしみたいな妖精と瓜二つの姿をしているのが嫌なのかなって思ったけど、そうじゃなくて、リリーブラックさんはわたしの格好とそっくりなのが自分に似合わない、と思っている?――
それなら何で笑っているのだろう、とも思ったが、答えを出すより早く、口に出る。
つまりは深く考えないで喋る癖が、彼女にはあった。
そこから出た言葉だとは、受取る相手にとっては知るよしも無い。
「えと、わたしは素敵だと思いますよ。リリーブラックさんの姿」
驚き、目を見開いたかと思うと、リリーブラックの頬に紅が指す。
「な、なな何言ってるの」
「だって、黒くて格好いいなって。わたしなんかと違って、凛々しくて素敵ですよー?」
予想外に、唐突に褒められた形に。
新鮮な感覚を受ける黒い少女にとって、何故だかは解らないが、恥かしい気持ちが膨れ上がる。
「ば、バカ! それは自分を褒めてるようなもんじゃない! そんなに自分の事好きなの!?」
慌てた様子と、彼女の問い、共にその意味が理解できないリリーホワイトは、小首を傾げた。
「わたしがわたしを好きかですか?……うぅん……」
「真剣に考える必要無い! 全くもう……あんたと一緒だと疲れるわ」
肩を落として俯いたリリーブラックを、片割れの白い少女は心配そうにのぞきこむ。
大丈夫ですかと声を掛ける前に、黒い服に身を包んだ少女は立ち上がった。
彼女は地べたに座るリリーホワイトを一瞥して、羽根を広げる。
「……少しは気が楽になった。だから、礼は言っとくわ」
「――え?」
「さようなら。リリーホワイト」
黒い羽根を羽ばたかせ、リリーブラックは夜空に吸い込まれるように飛び去った。
見れば、月は満月で、遠く離れていくそのシルエットを、月の光が淡く映していた。
思わず、リリーホワイトの口から感嘆の声が漏れる。
「――素敵」
――リリーブラックさんは、わたしじゃない。あんなに夜の空が似合うのは、わたしじゃない。
だったら、なんで彼女はわたしとそっくりなんだろう?――
見とれるように、リリーホワイトは夜空をぼうっと見つめ続けていた。
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もう一人の自分とも言える存在と出会っても、リリーホワイトの日々はいつもと変わらなかった。
何となく期待を抱いて彼女と出会った場所に立ち寄っても、再会する事は有り得なかった。
その日は迷いの竹林と呼ばれる竹に覆われた雑木林にふらりと立ち寄った。
竹の花を見つけ、珍しいと感じる。
見たり、触ったり、匂いを嗅いだりと一通り愛でた後、何やら周囲が騒がしいな、と音の方向へ体を向ける。
物がはぜる独特の音は、聞き慣れた弾幕ごっこの音である事がリリーホワイトには解った。
楽しそうだ、と感じ、いつもの通り混ぜてもらう事にする。
試合をしているのはどうやら妖怪のようで、頭に生えた耳が大きい、妖怪兎のようだった。
相手が誰であるかは彼女にとって関係は無い。
弾の合間を縫うように飛行し、ただ一言声をあげて、弾幕を展開する。
「春ですよー」
割りかし苦もなさそうに自分の放った弾は避けられ、お返しに二つの方向からしこたま弾を撃ち込まれ、堪え切れずにリリーホワイトは退散した。
「あいたー、でも、やっぱり楽しいな」
ホコリと泥のついた服を軽く手ではたいて、晴れやかな笑みで空を見上げる。
竹林の夜から見上げる夜空は、風情があっていいな、と彼女は思う。
満足そうな姿に、声をかける相手はそうそういない。
それゆえ、ひとりごとを聞く相手もほとんどいない。
リリーホワイトにとって意外だったのは、自分の言葉に応える者がそこにいた事だった。
「そんなにボロボロにやられて、何が楽しいっていうのよ」
驚いて、リリーホワイトは振り返る。
そこには、少し前に出会って、もう一度会おうと捜してみたけれど、結局見つからなかった、自分に瓜二つな存在がいた。
再会の喜びを隠さず、こぼれそうな笑顔で、リリーホワイトは彼女の名を呼んだ。
「リリーブラックさんっ!」
竹に背中を預け、ひそめた眉が不機嫌そうな印象を与えるリリーブラックは、小さく息を吐いた。
「相変わらず元気と言うか、能天気な事。何でそんなに明るいのかねぇ」
「だって、お久しぶりですよー? リリーブラックさんはわたしに会ってうれしくないんですか?」
上機嫌な、無邪気に問いかけに、少し意外そうに目を開いて、リリーブラックは答える。
「嬉しいとは思わないわ。――……別に嫌では無いわよ」
はっきりと言った言葉を聞い落ち込む様子に気付き、彼女は一応の訂正を加える。
『別に嫌じゃない』という言葉を聞いて、リリーホワイトはほっとする。
どうしてここにいるのか等の疑問が湧く以前に、色々なお話をしたいと感じる。
だが、先に問いかけてきたのはリリーブラックの方からだった。
「……で、なんであんな事してたの?」
「あんな事?」
「自分から弾に当たりに乱入してるような物じゃない。自殺行為よ」
心底不可解そうに、リリーブラックは眉をひそめた。
呆気にとられた様に、リリーホワイトは目をしばたたかせる。
恐る恐る、怒られるんじゃないかという不安を抱きながら、口を開く。
「ええと、あれは一緒に遊んでるだけですよ? 自殺行為なんて、そんな」
「……遊んでる? あれが?」
「はい。わたしは混ぜてもらってるだけで、弾幕ごっこをしている方たちも相手を殺すつもりなんてありませんよー」
もめ事の解決法や、戯れる目的で弾幕ごっこが行われている事は、リリーホワイトは理解していた。
さらなる補足説明で、リリーブラックは弾幕ごっこがルール上の決闘である事を理解した。
「なるほどね。暢気な事」
「暢気なんですか?」
「争いすら遊びであるんだから、平和ボケしているとしか思えないわ」
呆れた口調のリリーブラックの言葉を、白い少女は理解出来ないでいた。
――平和、ぼけ?――
考え込むその様子を見て、リリーブラックは少し得意げに話す。
「頭の中が春なあんたには解らないわ。むしろ知らなくていい」
「そんな、いきなり褒められましても……」
頬を紅く染めたリリーホワイトは、彼女の皮肉に気付く事はなかった。
「褒めてないわよ、馬鹿」
「え? あ、そうなんですかー」
照れ笑いを浮かべるその頬は、まだ紅潮したままで、リリーブラックは思わず笑みが漏れた。
花を見て笑いかけるような、さりげない笑みに、リリーホワイトはつられて満面の笑顔を浮かべた。
「……弾幕ってさ」
「はい?」
「あんたに出せるぐらいだから、私にも出来るんでしょうね」
唐突に出た話題にリリーホワイトは一瞬驚く。
「えと、わたしが出せるんだから、大丈夫だと思います」
ほぼおうむ返しの答えに、リリーブラックは表情を変えないように努める。
「……そうね。それなら、弾の出し方を教えてくれる?」
「はい! といってもそんなに難しい事じゃないんですよー」
そう言って、リリーホワイトは飛び、両手を広げた。
いつの間にか、彼女の服の汚れは目立たなくなっていた。
先程の弾幕ごっこの乱入で大分傷や汚れが付いていたはずなのに、とリリーブラックは一瞬疑問に感じた。
それも妖精ならば別に大した問題じゃないのだろうと、すぐに彼女は思考を切り替えた。
正しくは、次の相手の行動で、考えを中断せざるを得なかった。
「こうやって――――春ですよー!」
宣言と共に、リリーホワイトの周囲に赤や青色の、球状の物体が出現したかと思うと、その弾がばらまかれた。
弾の進行方向には、当然向き合ったリリーブラックがいる。
唐突な状況にも、彼女はそれなりに対応ができた。
「ちょ、ちょっと! 危ない!」
不慣れな様子で、発生した弾を避けるリリーブラック。
見えているのか解らないが、リリーホワイトは制する声を気にせずに弾を放し続ける。
どこまで続くかきりがない弾幕の雨に、抵抗するように声を張りあげ、力を込めた。
「いい加減に――しなさいって!」
ポン、と小さな音が鳴り、青色の弾がリリーブラックの許から出現した。
放った本人が呆気にとられていると、その弾は相殺される事もなく、目標に衝突した。
「あう!」
鼻頭をぶつけられたリリーホワイトは、痛みに顔を押える。
じんじんする箇所を押え、涙を僅かに浮かべる彼女から、もう弾幕が発生する事はなかった。
「あ、あんたが調子に乗って危ない目にあわせたからよ」
痛がる様子に、、少し淀んだ口調でリリーブラックは言う。
声に気付いて、リリーホワイトは顔が半分隠れた状態で、上目づかいに視線をよこした。
「あいたた……すいません」
視線を外して、リリーブラックは呟くように言う。
「原理はよく解らないけど、とにかく私も弾は出せるみたいね。しかし、あんたは多くの弾を出してたけど、どうやったの?」
「へ? えと、春の陽気とかをぱーっと出して、やー、って」
腕を広げてジェスチャーを行うリリーホワイトの鼻頭はまだ少し紅かった。
『ぱーっ』で腕を上に上げ、『や―っ』で両手を横に広げて、弾幕の原理を教えようと試みるが、
リリーブラックの表情は明らかに理解できない、という表情を隠さない。
「……ごめん、さっぱり解らない」
思わずリリーブラックが謝ってしまうほど、リリーホワイトの説明は的を得てなかった。
そもそも、自分が無我夢中で出した弾も、どうやって出来たのか、その原理を把握していない。
「えと、でもわたしは、春じゃないと一杯弾が出ませんから、春の力をきっと借りているんですよー」
当たり前にやっている事を考えてみると、意味は理解していないままやっていたんだな、
とリリーホワイトは実感する。
ゆえに、説明し、相手に理解してもらう事の難しさも、今知る事となった。
「弾の多くは、あんたの力じゃなくて、春の力だって言う事?」
「はい。春が素敵だから、わたしが春が大好きだから、きっと力を貸してくれるんですよー」
考えなしにくるりと回転して、リリーホワイトは笑う。
どんな事でも絶えないような、優しさや無邪気さ、純粋さを感じさせる笑顔。
まるで花が咲くような、笑顔。
どんな者もそこに嬉しさを感じそうなその表情に、黒い少女は。
「……馬鹿じゃないの?」
険しい表情で、自らの生き写しのような、白い服の少女を見つめる。
「生物の瘴気が沸いている今が、素敵? 誰もかも騒ぐやかましい季節が、大好き?――笑わせるわ」
はき捨てるような、嫌悪感をむき出しにして放った言葉は、相手を傷つける前に、驚きを与えた。
「え? え――?」
うろたえる白い少女を無視して、リリーブラックは続ける。
「くだらない。本当にくだらないわ。こんな生温かい風。吐き気がするわ」
次々に口にする春を侮辱するようなリリーブラックの言葉が、リリーホワイトの胸に響く。
鋭い刃物で刺されたような、鋭い胸の痛みは、錯覚じゃないんだろうかと彼女は思わず胸を押えた。
「なんで、ですか……? なんで、リリーブラックさんはそんなに……」
苦しい呼吸であえぎあえぎ、彼女は問う。
敵意をむき出しにした目つきで、リリーブラックは声を張りあげた。
「誰も彼も、春が好きだなんて思ってんじゃないわよっ! こんな季節が無ければ、私だって、こんな――!」
そこには、確かにリリーブラックの感情が乗せられていた。
憎しみをこめた、罵倒する言葉。
それと対照的に、リリーホワイトは目を伏せ、静かにうなだれている。
自分が何ものなのか解らないという事は、きっとリリーブラックの心を多く占めていたのだろう、
と、リリーホワイトは何故か冷静に判断していた。
そした、自分の事のように、相手の心を理解しているような気がした。
不安で、寂しくて、それでも自分が解らないからどうしようも無い。
もやもやとして、地に足が付かないような、そんな気持ちなのだろう。
心が落ち着く、誰もいない場所を教えれば、少しは春を好きになってくれるかな、という希望を言葉に乗せ、
「大丈夫です」
と優しい眼差しでリリーブラックを見つめる。
「生き物が好まない、とても静かな処があります。そこに、リリーブラックさん、行きませんか?」
その場所に、彼女は苦手意識を持ってほとんど立ち寄らない。
生よりも死を想起させるその場所は、だから目の前の春を嫌う黒い少女は、気に入るかもしれない。
そうリリーホワイトは何処か冷えた頭で考える。
考えるより前に口にする自分が、何故ここまで冷静に言葉を選べるのか、不思議な剥離感をも感じて。
「――そんな場所、あるわけ無いじゃない。どこだって、花が咲いてやかましい所ばっか」
「大丈夫です」
再度、強い気持ちで念を押す。
それが自信たっぷりな態度に見えたのか、リリーブラックは眉をひそめる。
いつもの彼女らしい、作られたような表情を見て、リリーホワイトは内心ほっとした。
僅かな胸の痛みを感じながら。
「だから、今から行きましょう!」
両手を胸に当て、強い口調で彼女は言う。
まっすぐで、向こう見ずな一所懸命さに、黒い少女はささくれ立った感情がほんの少し和らぐ気がした。
リリーブラックは観念したように、空へ体を預け始めた。
「……そこが私の望む場所でも、私が春を気に入るとは限らないわ」
「――でもそこは、わたしの好きな所ではないんです」
小さく呟いて、空に流れた言葉は、相手に届いたか解らない。
――だから、きっと気に入るはず。わたしと好みが正反対なら――
リリーブラックは、ふん、と鼻を鳴らし、正面の白い少女から目を反らした。
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今日も、夜が降りてくる。
夜に弾幕を見るのは、光がより強調してきれいだとリリーホワイトは感じていた。
自分の放つ弾もそれなりではあるけど、弾そのものが発光したり、面白い軌道で動く他者の弾幕を見て、関心と感動を覚えていた。
ふと、どこからともなく落ちてきた花弁が目にとまった。
それを手でつかみ、広げてみる。
手の平に乗ったそれは、桜の花びらだった。
桜色と響きのいい名で彩られた小さな花びらを見て、リリーホワイトは行き先を決める。
そこは、まるで光が逃げ出すように、なぜかいつも暗い印象を与える。
そこは、生き物が寄る事はほとんど無い、生と死が合席しているような、曖昧な空間だった。
そこは、春でも咲き誇る桜がいやに不気味に感じる。
リリーホワイトが訪れたその場所は――無縁塚。
僅かな木には紫の桜が咲き誇る、厳かな雰囲気の、彼女の苦手な場所。
理由がなければ、訪れる事は無いだろう。
だから、彼女には理由があった。
目的は、彼女に会う事。
自分にそっくりだけど、性格や思考はまるで正反対の、あの子に。
地の上に、停滞する少女がいる。
手には何も持たず、前に差し出した手は落ちていくものを受け止めるような姿勢。
落ち着いたような、悲しいような表情で、はるか先を見つめるような、虚ろにも見える目は、桜の木へと向けられている。
自分が動なら、彼女は静。
自分が朝日なら、彼女は月明かり。
自分がやかましさなら、彼女は静かさ。
黒い少女、リリーブラックは、何かを待っているかのように、その場を動かない。
私が話しかけたら、嫌そうな顔をするんだろうな――とリリーホワイトは感じる。
それでも、彼女は話さずにはいられない。
興味本意では無い、一種の強迫観念に追われて。
少し前にリリーブラックから向けられた言葉は、彼女に大きなショックを与えていた。
春という季節は、誰もが待ち望んで、訪れを喜びと共にみんなが迎えるものだと思っていた。
そうではなくて、まるで憎むように、春は嫌いだと言った彼女。
一体何が彼女をそうさせたのか、想像が出来なかった。
もしかしたら、リリーブラックは自分とはまったくの正反対の存在なのかもと思いつく。
だから、自分より物静かで、春は嫌いで、落ち着いた雰囲気をかもしだしているのかも、と。
本人の意思とは関係なく、まるで引き寄せられるかのように、リリーホワイトは、彼女へ近づく。
「こんにちは、リリーブラックさん」
声に反応し、リリーブラックは髪をひるがえして振り返る。
少しの驚きの表情を湛えて、リリーブラックは白い少女の名を呟いた。
「――久しぶりね」
「はい。といっても最後に出会ってから少ししか経っていませんね」
「そうね。……どこも行かないと、時間はゆっくり過ぎていくものだわ」
「退屈じゃ、ないですか?」
「心を落ち着けるのに、退屈なんて事は無いわよ」
「そうですか。私には、ちょっとマネ出来なさそうです」
そう言って、曖昧な笑顔に、リリーブラックは目を伏せた。
気まずい妙な空気感を、リリーホワイトは不思議に感じる。
実際に疑問は声となり、相手へと向けられた。
「何か、あったんですか?」
「……あんたに非は無いわ。悪いのは、全て私」
「え?」
「こないだの事。私、少し言いすぎたわ。私の気持ちをぶつけたところで、あんたがどうこう出来る訳じゃ無いのに」
「そんな。別に気にしてませんよー?」
確かに少し影響はあったが、彼女自身、それに対する気持ちの整理ははっきりと済ませてあった。
むしろ、その事を気にしているリリーブラックへの心配のほうが、今の彼女には強い印象があった。
「そう……なら、みっともない姿を見せてしまったわね]
リリーブラックは自嘲的に笑み呟き、相手から視線を外し、桜の花へ目を向ける。
つられるように、リリーホワイトも桜を見る。
無縁塚で見られる桜の花は、他の桜とは違う。
桜色とは言い難い、紫の花びらを彼女はあまり好きではなかった。
他の桜と違って、咲く姿を見ると、何か嫌な感触を得るからである。
まるで、許されない存在が形になって表れてるような、そんな錯覚さえ彼女には感じる時もあった。
「……わたし、この桜、あまり好きでは無いんです」
「……そう。なんで?」
「よくわからないんですけど、紫の桜は、こんなに綺麗に咲いてはいけない気が、何となく」
「変な事を言うわね。綺麗だと感じはするのに、嫌いなの」
確認をするように桜を見つめ、リリーホワイトは振り返る。
「はい。確かに、綺麗です。でも、ここの桜だけは、早く散って欲しいなって思うんです……変ですよね。えへへ」
少し気まずそうに、曖昧に笑う。
風が吹いても、ここの桜の花びらが落ちてくる事は、殆ど無い。
それを、リリーホワイトは知っていた。
「……桜は散る事こそ美しい。余り花びらが落ちないこの桜は、確かに妙な印象は受けるわ」
「え? 桜は咲いてるときが一番素敵ですよ?」
「何言ってんの。たくさんの花びらがひらひらと地面に落ちていく、その散り際こそ桜じゃないの」
呆気にとられ、リリーホワイトはただ話を熱心に聞く。
「そもそも桜っていうのは、春を代表する花でもあるわ。あらゆる植物の中でも桜は、短い間に咲き誇り、潔く散る。その姿に見る人は風情を感じているんじゃないの」
「ええと、良くわからないんですが」
「あんたは所かまわず飛び回ってるから解らないのよ。人間は弱い生き物だから、実物よりも想像して物を見る。すぐに散る桜を儚い物と感じ、儚さに自分と照らし合わせる。そう思うから桜の花は美しいのよ」
「え、ええとー?」
「つまり、人間、死ぬ時は桜みたいに潔く散って死にたいって思ってるのよ。それを綺麗に思うのは、何も不思議じゃない」
説明するのも面倒そうに、リリーブラックは乱暴に話をまとめた。
尚不思議そうに、首を傾げる相手を見て、彼女は軽く溜息をついた。
「その、良くわからないですが、」
「何?」
「まるで、リリーブラックさんが人間みたいに物事を考えているって事は何となくわかりました」
そう言われて、リリーブラックは内心驚いていた。
自分が何者であるかなんて、はっきりと知っているものは少ない。
ただ漠然と、他者と比較して自分の形を見ようとするだけである。
彼女は姿形を他者と見比べ、自分は妖精のようだと結論付けていた。
そして、自分の考え方が人間のようだと無邪気に言われ、それは彼女に不快に似た動揺を与える。
あるいは、リリーブラックは確実に、自分がどんな存在かという問いに、答えを求めていた。
その言葉のきっかけがなければ、彼女が自分を問う事はもう無かったのかもしれない。
複雑な心境を表には出さ無いよう、リリーブラックは平静を装う。
「――ふん。それはあんたより考え事をする機会が多いからよ」
照れ笑いのような表情を見せ、リリーホワイトは肯いた。
「でも、そうかも知れません。散るとき、桜の花は一生懸命頑張った事をみんなに教えるんですね。それを見て、自分たちも頑張ろうって思う、ですか。そんな事、わたしいままで考えた事無かったですよー」
「……あんたは、無駄に何でも褒めるのね」
「えと、わたしはただすごいなーって思って」
「全部を肯定する、っていうのなら、まるで私と正反対だわ」
「え?」
「私は何でも否定的に見る癖があるみたい。ここ数日で出た結論よ」
「何でも否定してから、ですか? ええっと……」
頭の中でイメージしてみても、リリーホワイトは具体的な実感がつかめない。
「あ、でも、わたしはなんでも好きだっていう訳じゃないです」
「嘘臭いわ」
「嘘じゃないですってー。現にわたしにとってここは――」
言いかけて、口を手でふさぐ。
次に出ようとした言葉は、少なからず相手を不快な気分にさせるだろうと思いつく。
『長くはいたくない、苦手な場所ですもん』
気軽にそんな事を口にしようとした自分に、驚きよりも呆れの感情が湧いた。
そこまで遠慮も思慮も無いのか、と。
口にはしていないが、様子を見る限りリリーブラックにとって無縁塚の居心地はいいものらしい。
それどころか、そこを離れないという事は、心が落ち着く、好みの場所だと感じているのかもしれない。
この場所を否定する事は、自分に正反対の、瓜二つ彼女の好みを否定する事と同じだ、と感じる。
「……何、言いたい事があるならはっきり言いなさい」
いぶかしげに見つめ、リリーブラックはそよぐ風に踊る髪を軽く押えた。
「あ、あの」
「あんたね、私に気を使ってるつもりなの? そんなの、気付かれてる時点で無駄」
腕を組み、心底呆れたような表情で、リリーブラックは溜息をついた。
その姿は、リリーホワイトに少しの安心感を与える。
よくまとまらない思考のまま、彼女はぽつりと言葉を漏らす。
「その、ええと、リリーブラックさんは優しいですね」
「は? 何言ってるの?」
「だって、自分の事をおいて、わたしの事を思って、いろいろと気を使ってくれま――え?」
気付くと、彼女の目の前にリリーブラックの顔があった。
それなりに距離をあけていたはずのお互いの体が、くっつかんばかりに今は近づいている。
驚き、思考と共に言葉が止まったリリーホワイトに、痛覚が突然襲う。
強すぎるほどでは無いが、目の前に花火が走ったような錯覚を感じた。
「何言ってんのあんたはっ!」
「あいたっ!!」
リリーホワイトの額の近くには、はじき出した後の形を保ったままの、リリーブラックの指がある。
後方に飛ばされるように頭をはじかれた形になったリリーホワイトは、無意識に声を出していた。
「あうぅ……痛いですよー……」
姿勢を戻し、紅くなった額を押えて、白い少女は呻くように呟く。
「……あんたが馬鹿な事言わなきゃいいの」
頬の辺りが薄く紅いリリーブラックは、気まずそうに眼をそらした。
ふたりの妖精は、そんな可愛いやり取りで、なんだか自分の考えている事が似合っていないな、と感じ、しばらくしてからどちらからとも無く忍び笑いが漏れ出した。
「――なんだか変な気分です」
「……まったく、あんたがいなかったらこんな事になっていないわよ」
少なからず、自分は好意を感じている、とリリーブラックは感じる。
これから先の付き合いは、お互い気兼ねなく話せるだろう、そんな根拠の無い実感も合わせて。
「そろそろ、わたし帰りますね」
「ええ」
帰り道へ体を向け、リリーホワイトは振り返った。
「……また、ここに来てもいいですか?」
「私に許可を得る必要ないでしょ」
「あ、えーと、それじゃ……あなたに会いに来てもいいですか? リリーブラックさん」
はにかんだ笑顔に、リリーブラックは少し胸が高鳴る。
嬉しさだけでは無い、寂しさに胸がふさがるような感覚も合わせた、彼女自身捉えられない胸の鼓動。
かぶりを振って、彼女は答えた。
「……いつも私がいるとは限らないわ。だから、会いたいのなら勝手に来なさい」
否定では無いその言葉に、リリーホワイトは満面の笑顔と、大きな声で答えた。
「はい! 勝手に会いに来ます!」
手を勢いよく振り、別れの気持ちを伝える姿に、リリーブラックは小さく手を振って応えた。
リリーホワイトの姿が完全に見えなくなった後、ふと紫の桜を見上げる。
――この出会いは、許されたもの?――
それは、彼女が自分を理解するまでに与えられた、短い猶予。
それは、彼女にとって幸福だったのかもしれない。
■■■■■■■
待ちに待った、夜がきた。
そう言うのは大げさかな、とリリーホワイトは考えるが、それでも楽しみである事には変わらない。
何も彼女に気持ちを変えさせるものが無くとも、まっすぐ進路を取る。
それが最近の彼女の日課であり、それを行う事に切迫した心境は起きない。
入り口の前で、リリーホワイトは躊躇する。
――毎度の事だけど、やっぱりここは苦手だな――
動悸が落ち着くまでほんの少し待って、リリーホワイトは無縁塚へと足を踏み入れた。
「あんた、また来たの」
「はい。今日も。迷惑ですか?」
「……ノーコメント」
「ええーそんなー」
軽口をたたき、お互いの様子をうかがう。
元気でいつもどおりである事を、確認する。
そう感じる前に、リリーホワイトは、あ、と小さな驚きの声をあげた。
「リリーブラックさん、その、どうしたんですか?」
「え? ああ、これの事」
リリーブラックは自身の服を軽くはたいて、背を向ける。
ほつれて破れたようには見えない、数か所開いた服の穴に、二つの瞳は釘づけになる。
「ちょっとしたキズよ。気にする必要は無いわ」
「いや、でもその破れ方って、多分弾幕ごっこで出来た傷ですよね?」
「……ええ。そうだけど。服だけで、体のほうは何ともないから」
いささか不機嫌そうに状況を述べ、その言葉に安堵したリリーホワイトは、思いつく疑問を口にする。
「ええと、という事はリリーブラックさんは弾幕ごっこをしたんですよね?」
「ええ。正しくは昨日、初めてね」
「楽しかったですか?」
無邪気に尋ねるリリーホワイトを見、リリーブラックは回想する。
この無縁塚に訪れ、互いに争う他者を見つけ、リリーブラックは最初ただ静観していた。
何のためにこんな事をあいつらはしているのだろう、と冷めた気分で、色とりどりの弾幕を見る。
綺麗だと感じ、そしてそれらの弾は何かの法則に沿っているのでは、と彼女は気付く。
ただの弾の羅列ではなく、何か意味をお互いに持っていて、さながら意思の疎通を行うような、そんな錯覚も覚える。
どこからともなく現れては一緒に騒ぐ妖精たちと一緒に、気付けば弾幕の真っただ中にその身を置いていた。
彼女は意識もせずに放った弾に、見慣れないものが混ざっている事に疑問を感じた瞬間、自分に向けられたものに被弾し、無縁塚の地へとゆっくり落ちて行った。
「……あいつら、遠慮なく私に当てて。一瞬死ぬかと思ったわよ」
「それじゃあ、あまり楽しくは無かったんですか?」
「ん? 悪くは無い、とは思ったわ」
深刻そうでない様子に、再度安堵の表情を覗かせ、リリーホワイトは両手を広げた。
この子はころころ表情が変わるな――とリリーブラックは白い少女の反応を見る。
「でも良かったです。ここの弾幕ごっこはわたしはそんなに参加しないから、これからはリリーブラックさんに任せられますね」
「は? 別にあんたの代わりにやってるわけじゃ無いわよ」
相手を指さし、リリーブラックは眉を寄せる。
「私は私のためだけに、行動をしてるのよ。それをあんたの役割の肩代わりをするなんてまっぴらごめんだわ」
「えと、そうですね。リリーブラックさんがやりたくないときはやる必要は無いですよね」
あわてた口調で肯く姿に、リリーブラックは嘆息する。
舌っ足らずな彼女の言葉は、当てが外れているのだが、だからこそ予想がつかない。
表立って考えてはいなかったが、リリーブラックは自分と対照的な白い少女との会話を楽しんでいた。
吹いた風に、花は揺れる。
それでも、ここの紫の桜はあまりに花びらを落とさない。
不自然なぐらいに、まるで耐えるように。
桜を見上げ、リリーブラックは考える。
何となくまとまりそうな、膨大な考えについての思考は、リリーホワイトの声にかき消される。
「そうだ、リリーブラックさん、まずはその服を直さないと」
「別にこのままでもいいわよ」
「駄目ですよー。これから、弾幕ごっこは激しくなる筈ですから、そのうち服が無くなっちゃいますよ?」
脅すわけでもなく、自然な口調でリリーホワイトは答える。
「激しくなる? なんであんたにそれが解るの」
「だって、季節の変わり目は、それだけみんな活発になりますから」
そう言って、リリーホワイトはああ、そうか、と思う。
――もうすぐ、春も終わるんだ――
幻想響は、少しずつ季節の変わり目を表し始めていた。
例年通りなら、春の季節は、後数えるほどの朝と夜しか無い。
時期が来れば、自分は山の方角へ帰って、また来年の春まで身を休める事になる。
本来、春を告げる事ができれば、リリーホワイトの春告妖精としての役目は済んでいる。
残りは、ただ他の者と一緒に、幻想郷の春を楽しむだけである。
それだけの事で、彼女は次の季節を迎える必要は無い。
役目を終われば、僅かな瞬間、今年の春を思い返して、また眠るだけ。
いつも当たり前にしている事が、何故か今、嫌だと感じる。
それは目の前の少女――リリーブラックと一緒にいたいからなんだろう、そう感じていた。
「――で?」
「……え?」
「え? じゃないわよ。勝手に話を切ってぼーっとして」
憮然として、睨むような表情に、リリーホワイトは面食らう。
同時に、しばらく呆けていた自分を恥ずかしく思った。
「それで、服がどうしたって? あんたは、普段補修しているんでしょう?」
「あ、はい。ちょっと布地を見せてもらえます?」
近づき、袖の辺りをつまもうと手を伸ばすリリーホワイト。
特に抵抗する事も無く、彼女は手を差し出した。
指で揉んで質感を確かめ、破れた部分を重点的に見てから、快く結論を述べた。
「うん――これだったら、わたしの持ってる生地でまかなえます。よかったー」
「それは、この服と同じ色?」
「え゛――あ、いや、た多分探せばありますよー」
「……あんたの服が白なのに、どうして黒い生地を持ってる必要があるのよ」
図星だったと、様子を見れば解るリリーブラックは、大きく息を吐いた。
「いや! 多分あります! ありますから!」
「別に期待はしていないから。まずは確認してから言いなさい」
「はい……すみません。とにかく、探してみますね」
捜し回ればきっと見つけられるだろう、と漠然と感じながら、リリーブラックと別れた。
リリーホワイトが見えなくなってから、彼女は考える。
身体に鈍く響く傷の痛みは、一晩を過ぎても治る事は無かった。
弾幕によって出来た傷は、妖精ならすぐに完治してしまう程度の物なのに。
それを当たり前かどうか怪しいと考える自分は、本当に妖精なのだろうか、と。
様々な仮定を浮かべ、結局彼女は答えを見つけられない。
仮定であったとしても、何かを自分の中で決めてしまう事を、リリーブラックは嫌っていた。
存在の不確かな自分がそんな事をする資格は無いと思いながら。
■■■■■■■
自分の棲み処に帰ったリリーホワイトは、真っ先に捜索を始めた。
他の妖精と同じように、自然の中に溶け込んで生活するリリーホワイトは、
普段は誰にもそこに彼女の棲み処がある事を、知る者はほとんどいない。
実際に来客が存在しない事が、それを雄弁に物語っている。
住居の中をくまなく探して、リリーホワイトは目的の物を探す。
案の定、自分の服と同じ白い生地は見つかった。
でも、今必要なのはこれじゃないな、と手に持った生地を放り投げる。
他を探しても、特に役に立ちそうなものは見つからない。
実際彼女の棲み処にあるものと言えば、必要性も無い、道端で拾ったガラクタが数点飾ってある程度で、何かを作るような道具の類いは何ひとつなかった。
全てを探し終わった後で、リリーホワイトは大きく肩を落とした。
「あぁ……やっぱり何も無いなー……」
突然。
リリーホワイトの後方でカタリ、と物が動く音がした。
音の方向に振りかえると、壁にぶつかって少しずつ転がるビー玉を見つけた。
それはいつかは忘れたが、以前道端で拾って持って帰ってきた、彼女のお気に入りの宝物だった。
床に落ちたビー玉を拾い、しゃがんだままの姿勢でふと見上げる。
木で出来た衣装入れ。そういえばここは調べていなかったな、とぼんやりとした気分で戸を開ける。
衣装入れには替えの服と帽子が数点あるはずだが、春の目覚めの際は寝ぼけたような心地でこの戸を開け、服を着ている。
それだからなのか、彼女はこの衣装入れの中を詳しく調べた事はあまりない。
何も期待しているわけでは無かったため、その発見は、リリーホワイトを驚かせる。
「……あれ?」
首を傾げても、答えは出ない。
その衣装入れの中には、自分が着ている服と同じ意匠の、黒に彩られた衣装がしっかりと掛けられていた。
■■■■■■■
私の家に遊びに来ませんか、と彼女に言われた時、初めはどうしてか意味が理解できなかった。
それも一瞬の事で、リリーブラックは何故、と問う。
「なんであんたの家に行かなきゃならないのよ」
多分、理由はそんなに無いのだろう、そうリリーブラックは思っていた。
「それは、その、秘密ですよー」
満面の笑顔で答えた表情を気恥ずかしさから直視できず、リリーブラックは顔を背ける。
断る理由も無ければ、従う道理も無い。
リリーブラックは腰に片手を当て、小さく息を吐く。
「あんたが秘密にしてたって私には興味が無いんだけど」
「え? ――あ、えと、でもリリーブラックさんにとってお得な事ですよ?」
そんな答えは予想していなかった、と彼女の体の動作は雄弁に語っていた。
解りやすい態度だ、と感じ、相手に見えない角度でリリーブラックは小さく笑んだ。
「いいわ。どうせやる事は無いから。それに、どうせこのあいだの事なんでしょ」
「えと、はい。その通りです」
数日前、リリーホワイトが決めた『リリーブラックの服の補修をする』を、
外では手間がかかるために自分を家に呼ぼうとしているんだろう、とリリーブラックは察していた。
図星だった白い少女は恥ずかしそうに頬をかいた。
「それでは、さっそく。ついてきてくださいねー」
空を飛び始めた相手を追う形で、リリーブラックは羽を広げた。
一度高くまで上昇し、その後進路を取る。
小さな丘を越え、河の上を渡り、ツグミ等とすれ違う。
その中で、少し前の記憶よりも春の匂いが薄れている事を感じていた。
それでも春はまだ終わる事は無い。
ふと思いついた考えは、何故か確信を持って彼女の心に留まった。
「……へぇ、なかなかのものね」
リリーホワイトが普段棲むその場所は、リリーブラックにも容易に発見、侵入する事が出来た。
通常、妖精の棲み処は同族以外に見つける事は困難である為、簡単に見つけられた事に彼女は内心安堵していた。
客人を迎え、リリーホワイトは自然と笑顔をこぼす。
「ちょっと散らかってますけれど、くつろいでくださいね」
「ええ」
言われなくてもそうするわ、と言いたげな表情で、そばのベッドに腰を下ろす。
それなりに整然とした部屋は、どれも自然に出来たもののように、時に歪に、時に綺麗にそれぞれが家具の役割を有していた。
足の太さがばらばらでも、しっかりと地面と座る部分が平行になっている椅子や机。
木目が粗く覗いているが、眠る部分はしっかりと毛布に包まれたベッド。
壁に溶け込むようにさりげなく配置されたクローゼットの扉。
不思議と緊張感を感じない、まるで何度も来た事のある場所のように、どこかくつろいだ気持ちを与えていた。
「それで、さっそくですが」
「……ああ、服を脱げって事?」
帽子を外す様子に、リリーホワイトは少し慌てた様子を見せた。
「や、そうじゃないんです。リリーブラックさんに見て欲しいものが」
そう言って、クローゼットの扉を開け、中からハンガーに掛けられた洋服を取りだす。
それはリリーホワイトが昨日見つけた、目の前の黒い少女が纏うそれと同じ意匠の、服と帽子だった。
「なんであんたがそれを?」
予想外の物を目の当たりにして、黒い少女は無防備にもとれる表情で尋ねる。
「わたしにもよくわからないんですが、何故かありまして。でも、これで安心ですよね!」
替えの、新品同様の服を渡せると思い、白い少女は嬉しそうに笑みを浮かべた。
渡された服を見つめ、リリーブラックは少し残念そうに笑う、そんな表情をのぞかせた。
何故かは解らないが、彼女はこの時、自分への問いに一つの答えを導き出そうとしていた。
「……いいわ。私は、この服を着なくても」
「――え? なんで、ですか?」
「これは、あんたが持ち物だから、私が着てはいけない物だと思う。きっと、この服はあんたにとって必要な時が来るわ」
「え、で、でもわたしの服は――白い、いつもの服しか」
「……どうかしらね。私はただ今の服でいいと思っているだけ」
まっすぐな瞳で彼女を見つめ、黒い服を差し出す。
リリーブラックは、そうして白い少女の提案を断った。
「……その代わりに」
「……え?」
立ち上がり、リリーブラックは両手を広げる。
その仕草は普段リリーホワイトがよく行う動作に似ていた。
「服の破れた部分を、白い生地で直してくれる?」
呆気にとられている相手に、リリーブラックはゆっくり近づく。
何となく、彼女の身体に触れる事に躊躇いを感じ、白い帽子を優しく叩く。
「どうしたの? 直してくれるんじゃなかったの?」
「あ、えと、」
何故か既視感を感じたが、それが何か、リリーホワイトには解らない。
「別に約束したわけじゃ無いから、面倒ならやらなくても。私は何も言わないわ」
それでも、目の前にいる少女は、やはり自分に良く似ている。
彼女が持つ黒い衣装を纏えば、自分と全く同じ姿になるだろう。
それならば、彼女がそれを持つ意味、私が今ここに居て、欲する事――それを、伝えよう。
リリーブラックは、白い服の少女に初めて自分の願いを伝えた。
「は、はい。それじゃあ、直します」
考える間もなく、リリーホワイトは答えた。
彼女から服を受け取り、補修を始める。
縫い合わせの最初は、黒い服に白の汚れを付けるような錯覚を感じ、いくばくかの抵抗こそあったが、
彼女達の時間は順当に過ぎて行く。
リリーホワイトは椅子に腰かけ、黒い服の補修を。
リリーブラックはベットに持たれてどことなく視線をさまよわせる。
お互い、会話する事なく静かに時間は流れていく。
裁縫に意識を集中しながら、リリーホワイトは別の事を考えていた。
それは、もう一緒にいられる時間が少ないという事。
リリーホワイトは春の終わりを感じると、眠りにつき、次の春までただ待ち続ける事を常としてきた。
少なくとも、夏が訪れる頃にはもう外を出歩く事は無いだろう。
一体いつごろまで今のようにいられるかどうかは彼女自身解らなかったが、ちょっとは無理してみようかな、ともリリーホワイトは考える。
それでも、事情は伝えた方がいいだろう。そう決心した時。
「あんたに言わなきゃいけない事があるの」
口を開いたのはリリーブラックだった。
作業を止めて、彼女へ視線を向ける。
「なんですか?」
「あんたも何となく解ってたと思うけど、私が動く時が来たような気がしてね」
「動く――?」
下着姿のまま立ち上がり、リリーブラックは外へ目を向ける。
彼女の身体の一部には、汚れたような傷が見え、リリーホワイトは息を呑んだ。
窓の外は、相変わらず季節外れの花が咲き誇る、美しくも異常な景色が広がっている。
「何となく感じていたけど、今年の春は少し変なんでしょう?」
例年通りでは無い、とは感じていたが、それを表だって口にする事は無い。
何も解らないと言ったリリーブラックを、不安に思わせない為にである。
「だから、なのかね、私がこうしてあんたの目の前にいるのは」
「それは――どういう意味ですか?」
「深い意味は無いわ。でも、あんたと私は良く似ている。姿かたちだけだけど、それでも瓜二つと言ってもいいほどに」
何を彼女が言いたいのか、何となくは解るような気がした。
次の言葉を待ち、リリーホワイトはじっと彼女を見つめる。
「それって、変でしょう? あんたが二ついても意味が無いし、私もそれは同じ。だから、きっと理由があって、私はここにいる」
胸元に片手を当てる仕草は、自分が不安な時に良くやる動作だな、とリリーホワイトは彼女の動作を見て思う。
「だから、私は何かをしないといけない――どうしたらいいか、あんたを見てたら解ったような気がしたわ」
その言葉を、リリーホワイトは望んでいたのかもしれない。
もう遊びは終わり、と親に諭される子のように。
そうすれば、あきらめる事が出来るから。
「あなたが始まりを告げるなら。私は春の終わりを皆に伝えましょう。もう春は終わりですよ、とね」
あまりにも形式的な、嘘のような誓いの言葉。
作り物の、中身の無いような仕草や表情の中で、リリーブラックはほほ笑んでいた。
それは、自分が誰か解らない少女が決めた、一つの答え。
ずっとひとり、紫の桜が咲く場所で、自分に問い続けた。
恰好も顔もそっくりな、性格は対照的な妖精と触れ合って、感じた。
決闘という名の遊びに巻き込まれるように入って、痛みもその身に受けた。
その全てを、見て、聞いて、感じて。
そして、リリーブラックと名付けられた少女は、自分が求めた答えを今、見出した。
――おそらくもう不安を抱く事は無いだろう。
ひとりの寂しさも、宙に浮いてもやもやした気持ちも。なぜなら、答えを見つけたから。――
リリーブラックの表情に、いつも見えていた陰りは、リリーホワイトの目に殆ど映らない。
決意した彼女の表情を見て、白い少女は笑んで答えた。
「はい。春が終わってしまうのは悲しいけど、リリーブラックさんが伝えてくれれば、わたしは安心して眠る事が出来ます」
一言も嘘の無い、本当の気持ちが、その言葉には表れている。
春が終わってしまう。それはやはり悲しい事である。
でも、枯れない花が無いように、散らない桜が無いように。
例年通りの春も、このいつもと違う春も、終わりを迎えなければいけない。
それはただ季節が流れるだけでなく、次の季節を待つ者に、伝えていくように。
その役をリリーブラックが行う、という事は、とても素敵だな、と彼女は感じていた。
「頑張ってくださいね、リリーブラックさん。わたし、応援します。でも――」
――わたしが応援しても何か変わるわけではないですよね。
そう言葉をつなげようとして、喉が詰まる。
ただ物理的にそうなった訳では無い。去来した感情に戸惑ったからで。
一度気付いてしまえば、リリーホワイトに止める術は見つからなかった。
言ってしまえば、きっと相手は困る。そう解っていながら。
気付けば、その感情は、言葉に出始めていた。
「でも――もっと、一緒にいたいです……」
絞り出すような彼女の言葉に、リリーブラックは内心戸惑う。
白い少女は、あふれていく感情と一緒に、言葉を続ける。
「一緒に、お話したり、色んな所に遊びに行ったり、もっと、もっと――わたし、リリーブラックさんと、いっしょ、に……」
お互いに、春の終わりが何を意味するか、特に今年の春の終わりの意味する所を十分に解っていた。
花が咲き乱れる、異変の最中に現れ、出会ったふたり。
その終わりは、別れを意味する。
“もし”今回の異変が始まりだとしても、異変の終わりが彼女の終わりで無いのなら。
“もし”次の春も当たり前のように存在しているなら。
そんなもしもの事は、起こるはずが無いとふたりは理解していた。
異変より生まれた関係は、異変の終わりと共に消えていく。
理屈ではなく、感覚として。あるべき所へ、元へ戻る必要を。
だから、今年の春の終わりは、リリーホワイトにとって一層切ない。
二度と再会出来ないかもしれない、永遠の別れのイメージを、どうしても拭う事が出来ない。
その終わりは、もうすぐそこまで来ている。
だから、リリーホワイトは悲しい。
ただ、悲しい。
「――それでも」
うつむいていたリリーホワイトの頭上で、声が響く。
声色さえもそっくりだな、とリリーホワイトは感じていた。
「私は、あんたほど別れがつらくは無いわ」
「……そうですか」
「勘違いしないで。あんたとくだらない時間を過ごすのも悪くは無いと思うわよ。でも、私は私のやるべき事がある。あるはずだから――悲しんでる暇は無いの」
そして、ふたりの間に静寂が訪れる。
しばらくして、受け取った服の僅かな部分が濡れている事を、リリーブラックは口にしなかった。
「わたし、そんなに縫い物が得意じゃないんですけど、けっこう綺麗に出来たと思います……えへへ」
僅かに紅い目をこすって、リリーホワイトは笑顔で答えた。
補修部分には、白い布が当てられ、パッチワークとなったリリーブラックの服は、服としての機能を取り戻していた。
着て、一通り感触を確かめた後、直してくれた、泣き虫の少女に礼を言った。
つぎはぎになった服は、ふたりが一緒に過ごした時間を主張するように、ぎこちない色彩を得ていた。
■■■■■■■
既に彼女の中には戸惑いも、ためらいも無かった。
そこに訪れたものに、この季節の終わりを告げに飛ぶ。
幻想郷らしい、争いですら遊びで、くだらないと評価した、弾幕ごっこの中で。
弾幕の形に思いを込めて、リリーブラックは連日伝え続けた。
「春はもうおしまいよ」
思いのかけら込めた弾幕を、彼女は出し続けた。
何度倒されても、あきらめる事無く、ずっと――
リリーホワイトは何も言わなかった。
身を削るようなその行為に、釘を刺すような真似だけは絶対にしたくなかったからである。
ただ、破れた彼女の服を補修に、無縁塚へと訪れていた。
会話は僅かなものになっていた。
前のように色々な事を話さなくても、それで充分だとお互いに感じていた。
そして、未だ花が咲き続けるある日。
リリーブラックと呼ばれた少女は、ゆっくりとその身を地面に下ろし、そのまま起き上がる事は無かった。
紫の桜散る中に、ふたりの少女。
片方は綺麗な白いドレス、片割れはぼろぼろの黒い服をその身に纏っている。
「……ここの桜、散り始めましたね」
畳んだ足にリリーブラックの頭を載せ、その頭に手を優しく置いて、リリーホワイトは呟いた。
「ええ。私の言ったとおりでしょう? 桜は、散る時こそ美しいのよ」
静かに、リリーブラックは語る。
羽はほとんどが千切れ、手足を力無く横たえた姿は、これから死にゆく生き物を彷彿とさせた。
自然の一部である妖精は、たとえ体がバラバラにされるような傷も、すぐに治ってしまう。
あるいは修復に時間がかかるだけで、その死は生物に比べて多少意味が違っていた。
だが、彼女の様子は、妖精のそれと違って、人のように、ゆっくりと“終わりのとき”を迎えようとしていた。
たとえどんなに深手を負っても、ひるむ事なく弾幕の中へその身を預けたリリーブラック。
その姿勢は、決闘をしていた人間、妖怪、妖精、他の種族、当人同士に届いたのだろうか。
「――そうですね。こんなに綺麗だとは思いませんでした」
ふたりの会話の調子は、彼女が瀕死である事を気にも留めないように、普段と変わらなかった。
強いて言うならば、いつもと違う点は、幾分声が静かである事ぐらいである。
リリーブラックは、せき込んでから、呟く。
「私、一生懸命やれたわよね――?」
「…………」
「ここには色んな奴が訪れたわ。人間にも、妖怪にも、他のも、きっともうこの春は終わるって、わかってくれたはずよ」
本当の意味で、相手に向けた思いが届く事は殆ど無い。
リリーブラックはそれを理解していた。
「はい。絶対に、皆さんわかってくれましたよー」
慰めの為に掛けた言葉では無い。
心から、リリーホワイトはそう信じて、その言葉を伝えた。
悪戯っぽく大げさに眉をひそめて、リリーブラックは呟いた。
「嘘ばっかり」
「嘘じゃありませんって」
そうして、ふたりして空を見上げる。
日差しが強くなり始めた空は、きっと次の季節へと向かって行っているのだろう。
リリーホワイトは吹く風が運んできた匂いを嗅いで、そう感じていた。
「……こないだ、解った事なんだけど」
「はい」
「ここの桜は、死んだ人間の霊が宿っているらしいわ。しかも、罪を犯した」
「そう、なんですか」
「あんたが不気味がっていたのも、それのせいじゃないかしら」
「あまり好きじゃないってだけで、怖がったりなんかしてませんよー」
からかわれたと感じ、リリーホワイトは頬をふくらます。
「もう、ホントあんたは単純ね」
楽しそうに笑むリリーブラックの顔は、屈託の無い、まるでリリーホワイトが発するような、そんな表情だった。
「だからね、もしかしたら、私もそんな霊のうちの一つなのかもね」
「そうじゃありません」
きっぱりと、いつもの彼女らしくない断定の口調で、リリーホワイトは答えた。
一瞬驚きもしたが、ますますおかしい気分になって、リリーブラックは声を立てて笑った。
「リリーブラックさんは、わたしと同じ、春告妖精です。ただ花に憑いていただけの霊なんかと一緒じゃないです」
「解ったわかった――ふふ」
その笑みをきっかけとするように。
別れの時は、訪れた。
少しずつ、確実に、“彼女”の存在が薄くなっていく。
“終わりのとき”を感じ取ったリリーホワイトは驚き、そして表情が曇る。
「――そんな顔しないで」
すぐに拡散してしまうような、か弱い声で、“彼女”は言う。
「あんたは、やっぱり笑顔が一番似合うわ。馬鹿みたいにね」
「でも、でも――! わたし、別れたく無いです! 離れたく――無い――!」
ぽろぽろ、大粒の涙がリリーホワイトの目からこぼれ落ちる。
理解はしていたつもりだった。
別れがどんなものか、“彼女”がもう元気な姿で自分の前に現れない事も。
そして、本当のお別れが来たら、笑顔で送ってあげようと、リリーホワイトは決心もしていた。
それが強がりだと、リリーホワイトは実際にその場面に出くわすまで、解らなかった。
ずっとこらえていた思いが、消えゆく“彼女”の顔を濡らす。
「――大丈夫よ。私のこの身体が消えたら――」
徐々に、“彼女”の身体が透明に近づいていく。
凪いだ風に、その存在を溶かしていくように。
「――私、あなたの傍に、ずっといるから」
「え――?」
「出来ればあなたの一部になれれば、いいんだけど。もしだめだったら――」
リリーホワイトの感じていた“彼女”の重みが、今は殆ど感じられない。
重さは、存在に比例するように、消えていく。
「――でも、あなたはわたし、だから――きっと」
「――きっと」
何も考えずに、リリーホワイトは繰り返す。
そして、次の言葉は、示し合わせた訳でもなく、重なる。
『ずっと、いっしょに――』
ひときわ、大きな風が吹く。
思わず目を瞑ったリリーホワイトは、すぐに目を開けた。
そこに“彼女”はもういない。
ただ、“彼女”が着ていた服と、舞い上がった紫の桜の花びらが、視界に入るだけだった。
白と黒の、傷んだ服を、リリーホワイトは、強く抱きしめた。
何度も、何度も、幾らやっても、彼女の心は満たされなかった。
それどころか、胸に穴があいたように、寂しさが心を覆い。
周りの景色が解らなくなるほどに、感情を吐露する。
他の全てを、忘れんばかりの勢いで。
――こうして、もうひとつの春告妖精は、幻想郷から去っていった。
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――この出会いは、許されたもの?――
リリーホワイトは自分の棲み処で、服を見つめながら考えていた。
その服は、自分の所持品である筈の、普段とは正反対の色調の、黒い服。
初めて見つけた時と違い、今は何故この服がここにあるのか解るような気がしていた。
――春を告げるのは、わたし。だったら、春の終わりを告げるのも、私?――
この黒い服を纏う事で、自分は本当に『リリーブラック』として幻想郷を飛び回っていたのかもしれない。
そして、幻想郷に春の終わりを告げる。
春の始まりとは違った、どこか諦めた思いを胸に抱きながら。
ここにその服があるのが何よりの証拠ではないのか、とリリーホワイトは考えていた。
“もし”――
『リリーブラック』が自分の中にいるのなら、“彼女”は真の意味で自分と同じ存在だったのだろう。
もう一人の自分と出会い、話し、共に時を過ごした。
それは、余りに不自然で、無意味な関係。
いくら考えてみても、リリーホワイトは結論を出せないでいた。
その分、“彼女”と違って優柔不断だな、と情けなくて笑ってしまう。
視界がにじんでしまいそうになるのを、彼女は気を紛らわして誤魔化そうとする。
ふと外を見ると、まだ桜の花は散り、舞っていた。
それは、まだ春が終わっていない、という事。
自然と、彼女は自分が何をすべきかを、理解していた。
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今年は無縁塚に訪れる者が多かった。
もし無縁塚にある紫の桜が声を持っているのなら、そんな感想を漏らしていた事だろう。
死者の魂に満たされたその空間に、ひとつ、妖精が宙に浮く。
黒い翼、漆黒の衣装。まるで、喪服のように全身を黒く染めて。
今年の春は、もう終わりを迎えていた。
花が咲き誇る異変も、数日で元に戻る事だろう。
それを妖精は感じ取っていた。
そして、誰かがまた、無縁塚で決闘を始める。
どんないきさつで始まったのかは、当人同士にしか解らないであろうその争いの中に、妖精は自ら進んで入って行く。
弾の雨にさらされた空間に出現し、妖精は、声を、想いを、放つ。
「春は、おわりですよ」
夢のかけらを、弾幕に込めて。
―fin―
リリーブラックも異変の一部だったのか。それにしても、ぽやぽやした感じのリリーにこのようなエピソードがあったとは。
春の到来を告げるリリーホワイト。そして春の終わりを告げるリリーブラック。彼女らはまるで正反対の存在で、しかしどこまでも同じだったんですねぇ。
切ないけれども良い話でした。
「春の終わりを告げるために生み出された」という発想は面白いし説得力がありました。
ラストのリリーホワイトの、
「春は、おわりですよ」
のセリフがなんとも切ない。