Coolier - 新生・東方創想話

楽園の不敵な……(中)

2010/04/18 02:20:47
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 迷いの竹林の奥に、朗らかな合唱が響き渡る。

「はっぴぱーすでー、れーせん」
「はっぴばーすでー、れーせん」
「はっぴばーすでー、でぃあ、れーせんうどんげいんいなばー」

 月の姫と賢者、さらに多くの兎たちが囲んで作る車座の中心には、幸福感フルスロットルな泣き笑いを浮かべた鈴仙が居る。
 今日は、年に一度の誕生日。
 みっともなく月面から逃亡し、以後ずっと罪の意識に悩み続けてきた彼女であったが、それも最近では薄らぎつつある。
 この余りにも平和すぎる地で、永遠亭の擬似家族たちと穏和な暮らしを続けるうち、いつのまにか「昔は昔、今は今」という心の割り切りが完成していたのだ。


「はっぴばーすでー、つーゆー!」

 一同、拍手。
 わがまま放題の姫も、少しでも薬の調合を間違えれば冷え切った視線を突き刺してくる師匠も、悪質な詐術で翻弄してくる長老兎も、この日だけは、ひたすら純粋な好意を鈴仙に捧げてくれる。
 刹那、鈴仙は自分の境遇が余りにも恵まれすぎていることにいささかの恐怖を覚えた。
 しかし目の前に置かれた特大バースデーケーキと、その中心に屹立するロウソクの炎を眺めていれば、一切の不安が消し飛ぶ。
 
 自分の居場所は、その名の通り「永遠」のもの。
 いくら歳月を重ねようと、この平穏が打ち破られることは決してないのだ……

 確信と共に、鈴仙は肺一杯に空気を吸い込む。
 つられて、永遠亭の一同も息を飲む。
 「ロウソク吹き消し」のセレモニーは、誕生パーティにおけるクライマックスだ。

 そして鈴仙は、力の限り唇を突き出し、台風でも起こすつもりかよ!と疑いたくなるぐらいの勢いで、息を吹きかけ……

 ようとして、失敗した。

 なぜなら、全く予想外のことに、後頭部に何か硬くて丸いものが激突したからだ。
 その衝撃で前のめりに突っ伏した鈴仙は、顔面をケーキの表面に深々と埋める羽目に陥った。
 さらに、ロウソクの炎が自慢のロングヘアーに移り、事態の悲劇性を加速させる。

「むぐー! あっちー!」

 急転直下、極楽から地獄。
 毛先を焦がす熱に耐えかね、白面の鈴仙は畳の上を転げ回る。
 兎たちも、一緒になって騒ぎ出す。

 その混乱の中、ひとり冷静な永琳は、膝元に転がってきた球体を手に取る。
 目を凝らして確認するまでもなく、博麗神社謹製の陰陽玉だった。

「また来たのね」

 心底うんざりした声で、永琳が愚痴る。

「ええ、また来たのよ。嬉しいでしょ?」

 襖を蹴り飛ばして闖入してきたのは、お馴染の横暴巫女。
 彼女の顔に刻まれた皺の数は、そのまま経験してきた修羅場の数でもある。
 兎たちの中に、この無礼者を取り押さえる勇気を持つ者はいない。

「老いてなお盛ん……なのは喜ばしいけど、もうちょっとTPOってものを弁えてくれないかしら」

 輝夜が、憎々しげに霊夢を睨む。
 しかし当然、その程度でひるむ彼女ではない。

「私は、自分の仕事をしに来ただけよ。つまり『異変』の解決という仕事を、ね」
「な、な、何が『異変』よ! こんなに和気藹々とした宴席の、いったいどこが……うわちゃー!」

 絶叫しつつ、鈴仙が大きく飛び跳ねる。
 妖怪兎のひとりが火を消そうとして、手元にあった液体を鈴仙にぶっかけたのだが、気の毒なことにそれは飲用アルコールの類だったため、かえって逆効果となってしまった。

 場の混乱が、続く。
 輝夜を守るように、永琳が立ちはだかる。

「宇宙人と兎風情が、お誕生会ですって? 身の程を弁えず、人間様の真似事? あはは何それ、あまりにもおかしすぎるわ。私がおかしく感じるってことは、つまり『異変』ってことじゃない。アンダスタン?」
「黙りなさい」
「お、やる気? いいねいいね、いよいよ本格的に『異変』っぽくなってきたわ」
「では、お望み通りに」

 どこから取り出したのか、永琳は弓に矢をつがえ、躊躇うことなく弦を鳴らした。
 だが霊夢は、自らを狙う矢の先を瞬きすることなく見据え、手にした玉串を軽く薙いだ。
 叩き落された矢が、ぽたりと落ちる。

「笑わせるわね。この程度で私を追い払えるとでも?」
「今のは、ほんの威嚇。私が本気になれば」

 霊夢が左手の先に提げ持っていた玉串が、かつん、という小気味いい音と共に折れた。
 「つがえ、撃つ」という動作すら視認できぬほどの神速で放たれた矢が、その軸を破壊したのだ。

「次はどこを狙ってほしい? 眉間? 心臓?」
「こちらからも問うわ。右半身と左半身、どちらから先に破壊されたい?」

 身を包む重圧に気づき、永琳は視線を左右に振る。
 大量の霊符が、彼女の周囲をふよふよと待っている。
 霊夢が軽く意識を集中するだけで、それらは一斉に永琳の体に張り付き、大爆発を起こすだろう。

「く……腐れ巫女め! 何故、そうやって勝ち目のない喧嘩ばかり吹っかける!」

 てゐが、震えながらも蔑むように言い放つ。
 永遠亭の日常に似つかわしくない殺伐さは、彼女にとっても歓迎できるものではない。

「お前の命はひとつしか無いけれど、お師匠様は何度殺されようと蘇る。あんたの目の前に居るのが蓬莱人だってこと、忘れたのかい?」
「はあ? 忘れるわけないじゃない! そうよそうよそうだとも、あんたたちは永遠不滅の存在だ。だからこそ、私はこうやって何度も足労を踏んでるんじゃない」
「無駄すぎる苦労ね。千回来ようが万回来ようが、『蓬莱の薬』は渡せない」

 霊夢のまとう鬼気が、いっそう凄絶に膨れ上がる。

「いいえ、今日こそ渡してもらう。さもなくば……」
「聞きなさい。渡さない、のではなくて、渡せないのよ。その辺りの事情は、もう何度も説明したでしょうに」
「作るための『能力』があっても、『材料』が足りないんだっけ?」
「穢れ満つる地上には、たかだか百とちょっとの元素しか存在し得ない。あの禁薬の製造は、月面上でのみ可能」
「じゃあさ、ひとっ走り月まで行って来てよ」
「残念ながら、私も輝夜も、ついでにそこで右往左往している馬鹿弟子も……おいそれと帰郷できる立場じゃないの」
「知ったことか。この私が、そうしてくれと頼んでいる」
「長き流浪の末に、ようやく落ち着くことができた安住の空間。それを犠牲にしてまで、あなたに奉じる義理はない」

 霊夢は舌打ちする。
 同時に符の滝が、天井を突き破って大部屋に降り注いだ。

「その空間とやらを守ってやってるのは……誰だったっけ?」
「ふん……ほんと、色々な意味で恐ろしい年寄りね」
「相討ち上等。ただし、あんたの大事な家族たちも一匹残らず道連れにしてやる」

 奥歯を噛む永琳。
 前歯を剥き出して嗤う霊夢。

「さあバケモノども。私の慈悲を乞いなさい。まとめて退治されたくなければ、今すぐ『薬』を造るのよ!」

 符の一枚一枚が、まるで己の意思を持つかのように、逃げ惑う兎たちをしつこく追尾する。
 その恐慌の中、しずしずと輝夜が立ち上がる。

「永琳」
「是非もなし。お願いしますわ、姫様」

 輝夜の袖から、五色に輝く枝が抜き放たれる。
 その圧倒的な光量に、霊夢は反射的に双瞼を降ろした。


 そして次に眼を見開いた時。
 彼女は薄暗い竹藪の中で、孤独に立ちつくしていた。

「くそっ!」

 苛立ち紛れに、拳を地面に打ち付ける。
 逃げられた。
 輝夜は、お得意のインチキ技を使って、永遠亭の歴史を幻想郷から切り離した。
 死すべき定めのを背負った、ちっぽけな人間には決して認識することのできない『永遠』の世界に、あいつらは再び閉じこもってしまったのだ。

「なんでよっ! どいつもこいつも、私を……わた、し、を……だれだと、思って……」

 動悸。
 頭の中は燃え盛るように熱いのに、体の芯が冷えていく感覚。
 霊夢は力なく地に倒れ伏し、そのまま発作が治まるまで、月を見上げていた。





























「こんなはずじゃなかった」

 『内』と『外』の境界に存在する、八雲の屋敷。
 その客間で、魔理沙は和机に顔を押し付け、さらに両手で頭を抱えていた。
 彼女らしからぬ萎縮ぶりを、招かれた客たちは皆、同情と非難の入り混じる複雑な表情で見つめている。

「私は、ずっとあいつの傍に居た。あいつがどんな人間だか、誰よりも良く知っているつもりで……」
「だが」
 
 搾り出すような弁明に、萃香が割って入る。

「現実の問題として、霊夢は虚しい大暴れを繰り返している。お前が私たちの側に立った、あの日から」
「だってさぁ!」

 魔理沙は、顔を上げた。
 そして視界を涙にぼやけさせたまま、集った実力者たちを眺めまわす。

「相手は、あの霊夢だぞ! それがまさか、こんな風に変わってしまうなんて……誰が予想できたよ、え? 誰でもいい、お前らの中に、霊夢の往生際がこんなにも醜いものだって、分かってる奴が居たか? いたなら元気に返事してみろっ!」

 もちろん、誰一人として名乗り出ることはできない。
 重い沈黙が続く。

「そうですね。魔理沙さんばかりを責めるわけには、いかないでしょう」

 ふと、文が口を開く。

「恥ずかしながら、この私ですら……ここまで大事になるとは、思ってもみなかった。魔理沙さんの果たした快挙は、確かに驚くべきものでしたよ。しかし霊夢さんなら、それすら動じることなく受け止め、そのまま受け流すものだとばかり」
「山の古株らしからぬ浅慮だったな、鴉」

 萃香が、恨みがましくつぶやく。
 それでも文は、涼しい顔で、

「まあ、これはこれで面白い状況ですけどね。ブン屋としては」
「面白い……だと?」
「待て」

 いきり立つ萃香を、魔理沙がなだめる。

「殴るなら、まず私を殴ってくれ。そもそも……この姿を最初に見せ付けたのは、他ならぬ私自身だ」

 魔理沙が、そそくさと萃香ににじり寄る。

「あいつの、呆気にとられる顔が見てみたかった。あいつが、淡々としてここから消える前に……ただの一度でいい、ほんの一瞬でいい! 本当の『驚き』ってものを、味あわせてやりたかったんだよ……」
 
 魔理沙は思い出す。
 幼き日に見上げた、あの流星飛び交う星空を。

 黒き天空は、非日常の感動に満ちている。
 しかし、真横に視線を転じてみると……
 これだけ驚異的な現象を前にしてなお、霊夢はいつもと何ら変わることのない顔つきをしていた。
 そして、あくびまじりにこう言ったのだ。


(ま、こういう日もあるわよね。ねえ霖之助さん、私もう飽きちゃった。帰ってもいい?)


 流星群の美しさと同じくらい、その時の霊夢の態度は、印象に残るものだった。
 そして霊夢は、いくら体が成長しようと、その性根だけは全く不動であった。
 もしかしたら、彼女が「無くならない」思い出として残したくなるような事物など、この世には存在しないのかもしれない。


 それを重々承知の上で、魔理沙は、黄昏の霊夢に精一杯の贈り物をあげたいと思ったのだ。


「ごめん、みんな。ごめん、萃香。悪いのは、私だ。憎いなら、気が済むまで嬲れ。覚悟はできてる」
「……今さら、だよ。気持ちだけ受け取っておくさ」

 魔理沙の伸ばした手をそっと払いのけ、萃香は下唇を噛んだ。
 霊夢豹変の犠牲者となった第一号は、彼女だ。
 かつて都を守護する武士たちに騙まし討ちされた過去すら上回る、実に哀しくも忌まわしい記憶が、今の彼女を扼腕させている。














(今すぐ、私を若返らせて。頼りにしてるわ伊吹萃香。ほらこの通り、頭を下げてお願いするから……)


 ごめん。
 それだけは無理だ。


(え?)


 下らない魔法使いのつまらない手品なんて、うらやましがることはない。
 そんな真似しなくても、霊夢は十分強くてかわいいんだからさ。


(あれ? 萃香らしくないなあ。どうして、そんな意地悪を言うの?)


 できるんだったら、そうしてあげたいよ。
 でも、今の霊夢じゃ、術に耐え切れない。


(え? え? え?)


 こんなこと、本当は言いたくないけど。
 お前はさ、もういつ死んでもおかしくない年なんだよ?
 いわば、ボロボロに擦り切れた布袋みたいなものだ。
 そこに無理矢理、大量の荷物を突っ込んでみろ。
 重さに耐えかねて……


(底が抜ける?)


 だな。
 かえって寿命を縮めるぞ、間違いなく。


(そんなの……やってみなくちゃ分からないじゃない!)


 分かるよ!
 私はこの道の専門家だし、だいたいそれ以前に……お前は、巫女じゃないか!


(関係ない! いいから、とっとと若さを萃めてよ!)

 
 この私に……自殺の手伝いをしろってのか?
 

(違うわよ馬鹿! 長生きさせろっつってんの!)


 無理!
 諦めろ!


(さっきはできるって言ったくせに! 嘘つき!)


 くっ……



(退治してやる) 


 やだよ。
 どうしちゃったんだよ、霊夢。
 そんな目で、私を見ないで……


(あんたはしょせん、妖怪だ。私みたいに、いつかは『無くならなきゃいけない』モノとは違うんだ。ちくしょう)


 あ、ほら、せっかくの鍋が冷めちゃうよ?
 いいか霊夢、お前は腹が減ってイライラしているだけなんだ。
 だから、一緒にご飯を食べれば……


(あんたらは、昔からそうだ。人の気も知らず、気安くベタベタと……口を開けば小ざかしいことばかりほざいて……)


 箸を持て、霊夢っ!
 そして落ち着いて話をしよう!


(問答無用! お前なんか、私より先に『無くなって』しまえ!)













「辛かったわね。魔理沙も、あなたも」
 
 小刻みに震える萃香の肩に、今度は八雲紫の手が置かれる。

「……あいつ、本気で私を殺そうとしていた。あれは、『弾幕』なんて生易しいものじゃない。ただの『弾』だった。私は、逃げるだけで精一杯で……」
「だろうね。この私ですら、今の霊夢には手を焼いてるもの」

 腕を組み深々と頷いたのは、八坂神奈子。
 その隣では、口を「へ」に字に結んだ諏訪子が座している。

「人でありながら、神の力を借りて人以上の力を発揮する者……それが、巫女よ。で、対する神とは、すなわち大自然の化身。それに仕える以上、全ての巫女は自然の法則に縛られて生き、そして死ぬ。如何なる奇跡を可能とする巫女であろうと、己の生命が尽きる瞬間を先延ばしにすることだけは、できない」
「あーうー。だけど霊夢は、その宿命に抗おうとしている。あれだけ長年に渡って神の力を借りてきた以上、かの身が自然のサイクルに組み込まれるのはどうあっても避けられないのに」
「それを、よりによって私たちの所に詰め寄ってくるとは……ねぇ?」
「天狗や河童に命じて、自分のことを神の如く崇めさせろ! だなんて……無茶苦茶もいいところ!」
「たったそれだけのことで本当の神となり、死なずに済むのであれば……早苗だって……」

 暗くなる二柱。
 あの子が大事に整備し、守り続けてくれた御柱の群れも、今ではほとんどが破壊されてしまった。
 ……駄々っ子じみた八つ当たりのせいで。

「とにかく、まあ。そこの神様が説明してくれた通り」

 頬杖をついていた幽々子が、眠たそうな口調で喋り始める。

「種族とか職業とかの壁がある以上、お手上げなのよね色々と」

 幽々子は、両手を頭の上でひらひらと舞わせた。

「いくら脅されようと、あいつを生きたまま半人半霊にするアイデアなんて、浮かんでこないわ。そうよね妖夢?」
「はい」

 間近に控えた従者が、やや強張った面持ちで答える。
 自慢の庭園は、もはや復旧不可能なほど荒らされた。

「ならば西洋魔法や運命操作の威力を借りようとも、一応は考えたのですが……遺憾にも、彼女は生まれつき、極東の神々と固い契約を交わしている。そういう人間とは、とことん反りの合わない方法です。ですよね幽々子様?」
「上出来。あなたも立派になったものねえ」

 魔理沙とレミリアは憮然とするものの、何も言い返せない。
 もしここで反論できるような方法があれば、それぞれの住み家の半壊だって止められたはずだ。

「ここにお集まりの方々は、いずれも人智を越えた恐るべき『能力』の持ち主ばかり。されど……」

 ゆっくり、妖夢が場を見渡す。
 皆、悔しげに俯くだけだ。
 妖夢もつられて、力なく肩を落とす。

「やはり……無理なものは無理、なんでしょうかねえ……」
「が。もし、それでもなお彼女の願いを適えたいというなら」

 八雲藍が、すがるように己の主へ視線を送る。
 それを受け、開いていた扇子をぴしゃりと閉じた。

「ええ。切り札だって、ないことはない」

 ざわめきが起こる。
 最初に食いついたのは、魔理沙だ。

「おいっ! そんなこと、本当にできるのか?」
「できますとも。月の頭脳の傑作、『蓬莱の薬』をもってすれば」
「……なんだ、期待して損したわ」

 腕を枕に寝転がっている妹紅が、呆れたように苦笑する。

「あいつらなら、さっさと逃げ隠れてしまったよ。きっと、霊夢が暴れ疲れてくたばるまで高みの見物を決め込むつもりなんだろうね。おかげで、こちとら喧嘩相手に不足して困る」
「ご愁傷様」

 紫は、何を考えたかにっこりと微笑む。

「では、その代わりに凶暴な巫女と戯れてみては如何? ……ついでにわざと負けて生き胆をふるまってあげれば、万事解決なんですけど」
「よしてよ。それが単なる迷信に過ぎないってこと、知ってるくせに」
「そ、それじゃあ!」

 魔理沙が、和机を強く叩く。

「結局、駄目じゃんか! 完璧に!」
「いいえ。100パーセント確実とは言えずとも、かなり可能性の高い奥の手が、まだひとつだけ残っています」

 紫の顔が、真剣味を帯びる。
 その静かな覚悟に満ちた佇まいを見て、魔理沙は紫の思惑に大体の見当をつけた。
 いや、魔理沙だけではない。
 かつて霊夢によって叩きのめされ、そのために救われた人外たちが、一斉に固唾を飲む。

「操るつもりか。生と死の境界を」
「それは……言うに易くとも、行うに難い。三千世界を統べる『法』に逆らう所業、か弱き私ひとりのみでは絶対に為しえないことです」
「だが、今ここに集合しているのは。暇も力も、笑っちゃうぐらい持て余した奴らばかりだ」
「左様。全幻想郷の魔力と妖力、それに知識とか意地とか希望とかを余さず私に貸していただければ、あるいは……」 

 先ほどより大きく、場がどよめく。
 だが、それは歓声と呼ぶにはほど遠い。
 皆、かえって困惑しているようだった。


 なるほど、それは妙案。
 どうせ駄目でもともと、試してみる価値はあるやも。

 我らは彼女に大きな借りがある。
 それを返済することなく、このまま寂しい末期を迎えさせてもよいものか。

 いやしかし、かの狼藉は日に日に凶悪化する一方ぞ。
 あんな見下げ果てた人間、今さら延命させて何になる。
 下手に生き永らさせてやったが最後、ますます増長し、より一層の脅威に育つのではあるまいか。


 ああ、悩ましい。
 果たして、どうするのが最も良いのだろうか。

 どうすれば。
 どうすれば。
 どうすれば……



「なにを迷うか!」

 突如として、一喝。
 それと同時に、客間と廊下を隔てる襖が勢いよく開き、何者かが、ずかずかと乗り込んできた。

「先ほどからしばし、論議の様を傍聴していましたが……やれやれ、これだけの面子が揃いも揃って情けないことです。答えは、すでに出ているはず。本当は……もう、それに気づいているのではありませんか? え、ご一同?」

 透明感あふれる声に、場の騒擾はぴたりと止む。

「閻魔様……唐突な登場ですわね」

 苦々しげに、紫が呻く。
 こいつ、どれだけ私のことをにがてにしてるんだよ……と、映姫は苦笑する。

「水臭いですよ八雲紫。こんなに大事なことを話し合うのに、どうして私を招待してくれなかったのです?」
「失礼、年をとると忘れっぽくなるものでして……で、今頃になって、何をしに来られたのでしょうか?」
「決まっています。白黒、はっきり付けるためです」
 
 映姫もまた、穏やかながらも怒気をはらむ口調で答えた。

「繰り返します。どのような方策が最良かなど、言うまでもないこと。その真っ白な模範解答を、下手な小細工でまだら模様に塗り替えるのはやめていただきたい」

 悔悟の棒の先端が、まっすぐ紫の顔へと突きつけられる。

「じゃあ、優等生のお答えとやらをお聞かせ下さいな」
「もちろん。結論から言って、博麗霊夢は死ぬべきです。いや……絶対に死なねばなりません」
「それは、あなたの極めて個人的な判断ではなくて?」
「是非曲直庁の総意でもあります。厳正なる十王会議によって、彼女が世を去る期日は、すでに決定しました」
「なんだと! いつだよそれは!」

 魔理沙が色をなすも、映姫は至って事務的に言葉を継ぐ。

「彼岸の機密を、此岸で漏洩するわけにはいきません。でも近々に、彼女の魂が肉体を離れることだけは、確実なのです」

 そして、呆然としている一座に向けて、閻魔の説教が開始される。


「この世には、古今と未来を通じて決して曲げることあたわざる『法』が存在します。
 悠久を呼吸するはずのあなたたちが、それを忘れて勝手な特例をでっち上げようとは……思い上がりもはなはだしい!
 蟻の穴から堤も崩れる、という例えをご存じないのですか?
 たったひとつの例外が、取り返しのつかない破局の幕開けに繋がることも有り得るのですよ?
  
 巫女は、人間側の代表者です。
 不老でも不死でもないという、実に脆い肉体でありながら、それでもなお我ら人外の側を圧倒してやまない。
 そういう「虚構」が実現するからこそ、この地を囲む大結界は安泰なのです。

 同時に、巫女とは自然の力の代行者でもある。
 ゆえに巫女は、四季の移り変わりを己の身にも反映させなければなりません。
 春に萌え出で、夏に枝を伸ばし、秋に葉を落とし、そして冬になれば枯れ果てる。
 その辺りの事情については、そこなる古き神々が先ほど説明してくれた通り。

 あなたたちが現在の平穏を得られたのは、『在りし日』の霊夢が強かったおかげです。
 だから皆、彼女を惜しむ情を捨てきれない。
 ……そこまでは、私にも理解できます。
 しかし、どうして彼女が強く『在る』ことができたのかと言えば……それは、彼女が『博麗の巫女』だからです。
 具象化した大結界そのものであり、また、いつかは土へと還るべき人間だったからこそ、です。

 ほら、どうですか?
 あれこれ悩む必要なんて、最初からなかったでしょう?
 あなたたちは、霊夢に感謝する以上に、彼女を彼女たらしめた『法』に敬意を表する必要があるのですよ。
 彼女がこれ以上、道を誤らぬよう……また、各自の胸裏に秘められた美しき記憶が、これ以上汚されぬよう……潔く、断を下しなさい。
 人外は人外らしく、非情に徹しなさい。
 それが、彼女のために積める唯一の善行です」

  
 映姫は一度言葉を切り、長々と嘆息した。

「と、いうわけで……よろしいですね、皆さん?」
「エクセレント」

 レミリアが立ち上がり、まばらな拍手を送る。

「ああ、全くあんたの言う通りだ。ようやく目が覚めたよ。あれはもう、私たちの知る霊夢じゃない。ただの小汚い強欲ババアだわ。そんな奴に、どうしてこれ以上の親切を施してやる必要がある?」

 レミリアの言葉を契機に、拍手を打つ音が、次第に大きなものになっていく。

 そうだ。
 そうだ。
 それしかない。
 霊夢を見捨てよう。
 霊夢を死なせよう。

 ひとり、またひとりと立ち上がっては、残酷な決意を口にする。

 博麗霊夢に、死を!
 誇りを失った巫女に、報いを!


「ちょ……ちょっと待って下さいな、皆さん」
「いいから座っていなよ、スキマ」

 わなわなと肩を震えさせる紫に、レミリアは悪びれぬ愁眉を送った。


(やはり、こうするのが一番なんだって)
(なるほど、結局そうするしかないみたいね……)

 
 ふたりの間で、目に見えぬ何かが通じ合った。
 紫はふらりと、妖怪たちの輪から抜ける。


 レミリアは、ついでに魔理沙を探した。
 しかし、どこを見回しても、人をやめた魔女の姿は見当たらなかった。



「物分りが良くて、助かります」

 映姫が右手を差し出してきたので、レミリアはためらうことなく握手を交わした。

「正直、意外ですね。スペルカードルールの魅力にいち早く気づいた者が、まさか今回も真っ先に意を決してくれるとは」

 霊夢を愛さなかった者など、ひとりも居ないはずの空間に乗り込んだのだ。
 いざとなったら実力行使もやむなし、と考えていた映姫にとって、一同の素直さはいささか拍子抜けであった。

「それに私の説教を、皆がこうもすんなり受け入れるなんて……前代未聞の椿事です」
「なぁに、それだけババアの悪行は度外れているってことだよ」
「同感です。これ以上、黙して見過ごすわけにはいかない」
「うん。そこで私が思うに……このまま一方的にやられっ放しってのは、精神衛生上よくないよねぇ?」

 レミリアの顔に、じわじわ、悪魔の笑みが広がる。

「そろそろ逆襲に転じても、いい頃だ! おーいみんな、何か楽しい嫌がらせのアイデアはないかい?」
「なっ」

 映姫が目を丸くする。
 しかしレミリアは、握った手を放そうとしない。

「ほほう、いいですねえ! ならば不肖射命丸めが、あの女の悔しがる様を毎日皆様のもとへ配信いたしましょう。迅速確実に」
「あ、あなたまで!」
 
 閻魔に睨まれるも、文はさっさと顔をそらして口笛を吹く。

「レミリア・スカーレット! どういうつもりですかっ!」
「あいつの死ぬ日は、お偉いさん方が勝手に決めてしまったんでしょ? 逆に言えば、その日が来るまで霊夢が死ぬことはない。やりたい放題よね、うん」
「まったく……お子様が!」
 
 吸血鬼の握力を、映姫は強引に振りほどいた。

「弱い立場の者を無闇にいたぶるのは、褒められたことではありませんよ!」
「まあ聞きねぇ。罪には、罰が必要だ。だから、このままあいつが死ねば、まず地獄行きは免れない。そうでしょ?」
「……かもしれませんね」
「だからさ。現世の罪を、現世で少しでも贖ってもらおうってわけ」
「しかし、相手は人間で……」
「何も、首を切ったりとか臓物を抉り出したりとか、そういうスプラッタに走ろうってわけじゃない。ちょいとばかり、精神的にクるような悪戯を仕掛けて面白がろうってだけの話さ。そうすりゃ、私たちは腹に溜まっていた物を吐き出してスッキリできるし、あなたたち彼岸の勢力だって、仕事が減って助かるんじゃないかな」
「むう」

 映姫は、思わず唸った。

「一理、ある」
「つまり、文句はないってことね?」
「……霊夢にはいささか残酷な話ではありますが。それも身から出た錆かと」
「よーし、閻魔様のお墨付きが出たぞ! 野郎ども、準備はいいかあ!」

 歓声。
 場の総意が、まとまりつつある。

 それでもまだ、いかにも不服そうな面持ちが、少しだけ残っている。



「ふう……なんとも、残念ですわ」

 部屋の隅で膝を抱え、皆に背を向けて嘆く紫。
 その傍で、藍はあたふたすることしかできない。

「しかし、これは私の責任。あいつを巫女として選定し、手塩にかけて育ててきたのは、他でもない私自身なんですものね」
「大賢者のお前でさえも、人の行く末は計算できなかった……ってわけか」

 同じく日陰に追いやられた萃香が、手持ちの瓢箪を紫に押し付けに来た。

「何物にも囚われることなく生きてきた巫女は、土壇場において、その『囚われない』という原則にすら囚われなくなってしまった。いやはや、とんだパラドックスですこと!」
「……自分を責めるな、紫」
「後に残ったのは、ただの逆恨みと野放図のみ。この程度の初歩的なバグさえ、予測できなかったなんて……ふふふ、なーにが『妖怪の賢者』よ。ばっかみたい。看板倒れもいいところだわ。おお、やだやだやだ!」
「あーもー! いいから呑め! 吐くまで呑め!」
「ええ! 呑むわ! 呑まなきゃやってらんないわー! うわーん!」

 伊吹箪をラッパに持ちかえ、その中身を際限なく喉の奥に流し始める紫。
 主の荒れっぷりに、藍は己の目元をそっと袖で覆う。




「ふむ」

 映姫は、己の思惑に沿って事態が進んでいることに、至極満足していた。
 何せ、「同性愛的な意図が介在しているんじゃないか?」と疑いたくなるほど霊夢に入れ込んでいた紫ですら、斯様にあっけなく己の過失を認めたのだ。
 法の番人として、これほど胸のすく展開はない。

「どうやら、私の役目は終わったようですね。後は、任せます」

 ああしてやろう、こうしてやろうと陰湿な案を出し合うレミリアたちに軽く会釈をして、映姫は八雲邸を辞した。
 そして玄関先に開く、幻想郷への転送用スキマに飛び込もうとした時。

「おい、待てよ」

 ああ、諦めの悪い奴がまだ残っていたな。
 映姫はさも面倒そうに、振り向く。

「どこに隠れていたのです」
「別に。ただ、悪ガキどもの悪知恵比べになんて混ざりたくなかっただけさ」

 魔理沙は、大袈裟に肩をすくめた。
 それから、急に表情を引き締めて、

「なあ閻魔様。あいつを救う方法は、もう本当に何も残っちゃいないのか?」
「救われるための資格を、彼女は自ら放棄しました。最早、打つ手は皆無」
「本当の本当か?」
「くどいわね。閻魔の誠意を疑うの?」
「……そうか、悪かったな。気をつけて帰れよ」
「あ、あれ?」
「ん、どうした」
「なんと言うか……こう……もっと食い下がってくるかと思ったのですが」
「見た目は若くても、中身は老女なんだぜ? 昔とは違うよ。何事も、あっさり風味を好むようになったんだ」
「ほほう。それは重畳」
「ああ……レミリアたちのやろうとしていることを、私は止めない。だから……」

 それは、これまで映姫が聞いた魔理沙の声の中で、最も憐憫の情を刺激されるものだった。

「あなたも、できるだけ霊夢のためになる判決を下してください。頼みます……」


 ああ。
 みんな、変わってしまったのだなあ。


「……善処します」

 反射的にお役所の決め台詞を吐いてしまった自分を、映姫は少しだけ憎んだ。



















 黒き雲の層を抜け、霊夢は地上めがけて急降下する。

「使えねえ。天人、マジ使えねえわ」

 先ほどから、毒に満ちた独り言が泊まらない。
 今回訪れたのは、比那名居の屋敷。
 しかし顔見知りの総領娘は、霊夢の天界入りを「うん、無理」の一言で拒否した。

「ま、だいたい予想できていたけどね。あんな不良娘に、そんな権限はないってこと」

 でも例えば、とりあえず上層部に掛け合ってみるとか……そのぐらいの骨折りは、進んでやってくれても良かろうに。
 逆に、ミニ要石を飛ばして地上に追い返すとは、本当にクズすぎる女だ。
 恩知らずもここまで極まると、むかつくを通り越して笑えてくる。


 ふわり、神社の境内に降り立つ。
 そこはもう、とうてい「東の地の聖なる空間」などと呼べる場ではない。
 猪や山犬など、獣の生臭い死骸がそこかしこに投げ込まれ、鮮やかな朱塗りだったはずの鳥居は、「バカ巫女さっさと死ね」「幻想郷から出て行け」といった罵倒落書きがびっしり書き込まれているせいで、遠めには漆黒に見える始末。

「かはっ! あふふっ!」

 霊夢は、ただでさえ皺に歪んでいる顔を、いっそうくしゃくしゃにして、笑う。
 出発する前、確かに綺麗さっぱり掃除しておいたはずの境内が、ちょっと目を離した隙にこのざまだ。

 自慢の桜並木は一本も残っていないし、大事な賽銭箱に投げ込まれているのは呪符だの藁人形だの物騒なアイテムばかりだ。

 心当たりが多すぎて下手人の絞れぬ、この種の「報復」は、何日も前から続いている。
 恐らく霊夢の命が「在る」うちは、これからも毎日繰り返されることだろう。
 
「ちょっと留守しただけで……これなんだから! なっはははは、あーモテすぎるのも辛いわー!」
「先ほどから、一体誰とお話してるんでしょう?」

 黒い鳥居の上に、黒い翼が降り立つ。

「とうとうボケちゃったわけ? あーいや、あなたの頭の中がお花畑なのは、生まれつきでしたかね」

 凍てつきそうなほど寒々しい、侮蔑の眼差し。
 それを、霊夢は満面の笑顔で受け止める。

「ああらドブ鴉! また、私の大活躍を取材しに来てくれたのね?」
「いえ、取材ならとっくに済んでます。天人に情けなく追い散らされる姿、大変に滑稽かつ痛快でしたよ。新手のドタバタ・コメディーかと錯覚するぐらい」

「あんたは、私のことを愛してくれているって……そんな未確認情報を、どっかで聞いた覚えがあるんだけどなあ」
「ええ、最高のネタ元として、大いに愛しておりますとも。ほら、これがその証拠です」

 目前に舞い降りてくきた一枚の紙切れを、霊夢は手に取る。

「良く書けているし、良く撮れているでしょう?」
「ほうほう。相変わらず、主観と妄想ばっかりの記事ねえ。うっかり緋光を避けそこなって火傷した瞬間だけを撮影し、大きく一面に張り出す。それで私の完全敗北だと決め付けるなんて……」

 不意に、文の視界から霊夢の姿が消えた。

(亜空穴……!)

 天狗の反射神経。
 文は、鳥居を蹴って高く飛び上がる。
 果たして、ほんの一瞬前に文が立っていた位置を、霊夢の蹴撃が襲った。

「ほんと、あんたはマスコミの鏡だよっ! お陰で、私は人里でも笑いものだ! 責任をとれっ!」
「おおっと、こりゃまたナイス・スクープ!」

 これ見よがしに取り出したカメラで、憤怒に滾る表情を捉える。

「神をも恐れぬ暴挙! 乱心の巫女、血迷って鳥居を蹴り壊す! 明日の朝刊のネタまで提供していただき、ありがとうございます!」

 霊夢は無言で、懐から大量の針が取り出して見せた。
 しかし文は取り合うことなく、ただ小馬鹿にした嗤い声のみを残して、飛び去っていった。

「はあはあ、はあはあ……くうっ。無事に若返った暁には、はあはあ、あいつから八つ裂きにしてやる……」

 怒りに任せて博麗伝統の技を使った後は、決まって心臓が軋む。
 全体にひびが走り、ぐらぐらと今にも倒れそうな鳥居から降りると、霊夢は地に膝をついた。

 落ちていた号外が目に入る。
 霊夢の記事以外にも、もうひとつ、『紅魔館からの大切なお知らせ』なる欄があった。

「ん……?」

 なんでも明日の夕刻に、紅魔館では大規模なパーティを開催するらしい。
 また、その場では当主レミリアから「衝撃の重大発表」があるとも。

 そういや、ずっと前にもこんなことがあったっけ。
 あの時は確か……月面への旅行に引っ張り出されたんだっけな。

 が、今回はちょっと事情が違うようだ。

「ただし参加資格を有するのは、先日お配りした招待状を持つ方だけです……か」

 もちろん、そんなものを霊夢は受け取っていない。
 あいつらは、霊夢だけを除け者にして、また何か面白い騒動を企てるに違いないのだ。

「ずるい。どうして、私ばっかりが」

 絶望に満ちた呟きは、崩れる鳥居の轟音にかき消され、誰の耳にも届かない。





















 この世で最も尊いのは、「法」だ。
 だから映姫は、自らの判断を後悔などしていない。
 それでも、無邪気だった頃の霊夢の勇姿が、時折ちらちらと脳裏に浮かんでくることだけは、如何ともし難かった。

 是非曲直庁の深部、執務室の椅子に深々と腰掛けて、映姫はぼんやりと物思いに耽る。


(もしかしたら私は……この私でさえ! 彼女に、憧れていたのかもしれない)


 法廷に臨む裁判官は、「法の下の平等」を徹底させんがために、一切の私情を殺す。
 だが、感情を持つ生き物であれば、それを完全に果たすのは至難の業だ。
 映姫ほどの閻魔であっても、木槌を振り下ろす瞬間、「これでよかったのだろうか」という迷いに駆られることは珍しくない。

 なのに、あの巫女は。
 私情むき出しのまま……自然体のままに、「平等」であった。


(惜しい人物でした。本当に)


 ひたすら純粋で、無色で、透明な巫女だった。
 だから我々は、あの暢気な笑顔の向こう側に、己の求める世界がそのまま突き抜けて見えてしまったのだろう。

 楽園の巫女は、なぜあんなにも素敵だったのか。
 その掴みどころのない魅力の正体を、同じ楽園を見守る裁判官は、今に及んでようやく悟ることができたような気がした。


「されど、時すでにおそし」

 嘆息し、空白の目立つ原稿用紙を改めて睨みつける。
 定められた博麗霊夢の命は、明日の深夜をもっていよいよ尽きる。
 それまでに、判決文と戒告文の両方を完成させなければならない。

 彼女が幻想郷のために果たした業績は、多大だ。
 また彼女を慕っていた者の数だって、計り知れない。
 ……最近の失態さえなければ、あるいは神霊候補として天界在住権を申請することも可能だったかもしれない。


(いや。昔のままの霊夢だったら、そもそも他者の厚情で生き永らえる末路など望まなかっただろうな。でも今の霊夢には、永遠となる資格など劫もない……ああ、あちら立てればこちらが立たず! 本当に、何もかもが惜しすぎる!)


 映姫は、熱を帯びた額に掌を押し付けた。
 それとほぼ同時に、ドアのノック音が響く。

「どうぞ。開いてますよ」
「ちわーす」

 入ってきたのは、小町だった。

「なんだ、あなたですか……」
「むう。可愛い部下を捕まえて、『なんだ』とはなんですか」
「はいはい失礼。で、何の用事でしょう?」
「ずいぶんと不機嫌ですね四季様。何か嫌なことでもありました?」
「この多忙時に、ヒマそうな面を見せられたら誰でもシャクに触ります。用件なら、手短にどうぞ」
「へいへいすいませんね。私ゃ、この手紙を預かってきただけですよっと」
 
 そう言って小町が手渡したのは、金文字で「R.Scarlet」の署名が打たれた真紅の封筒だ。

「はてな、招待状? 幻想郷の新時代を開く大パーティ?」
「岸辺で舟を漕いでいたら……お、おっと仕事的な意味ですよ……瀟洒なメイドが、これを持って来まして」
「この私に、わざわざ……ですか」
「日頃のご苦労を労いたく存じますので、是非ご参加下さいませニッコリ、だそうで」
「わざわざ、擬音を口で言わなくてもよろしい」

 映姫は封筒を突き返すと、再度ペンを弄び始めた。

「行きたいのは山々ですが、私は片付けなければならない姿が山ほど残っています」
「はあ、ヤマヤマ。そしてヤマほど……ねえ。流石偉い人はユーモアのセンスがあるニヤニヤ」
「……何が言いたいのか判然としませんが、とにかく擬音を発音するなっての」
「それはさておき、結論として四季様は不参加ってことですね。もったいないなあ……」
「ええ。そういうわけで、このパーティとやらには、あなたが代理参加しなさい」
「えっ! いいんですか!」
「あくまで仕事として、です。あなたの役目は、吸血鬼たちが何を企んでいるのかしっかり見極め、私に報告すること」

 運命を見通すと言われる吸血鬼が主催者である以上、それが霊夢の命日とぶつかっているのも、偶然ではあるまい。
 先日の八雲邸での様子から見て、まさかこの期に及び「法」への反旗を翻すとも思えないが……監視の目は、必要だ。

「呑み過ぎず、食べ過ぎず、はしゃぎ過ぎず。起こった出来事を、そのまま知らせて下さい」
「了解です!」

 背筋を伸ばし、敬礼する小町。
 彼女は三途界隈でこそ怠惰な死神ではあるが、此岸で「法」を脅かすような事態に遇えば、几帳面に働く。
 彼女の性根は、決して手持ちの鎌の形状に似ないことを、映姫は知っている。
 いつだったか、命じても居ないのに魔理沙の持ち去った地蔵を取り戻して、元の場所に置いてくれた時など、己の眼に狂いがなかった喜びで胸がはち切れそうになったぐらいだ。
 また、幻想郷の「局地法」たる弾幕の手腕にも長けているのも強みだと言える。

 どのような人材も、使いよう。
 高潔をもって知られる映姫が、わざわざ「サボりの小町」を懐に抱えているのは、そういう理由による。

「では、良い働きを期待……」
「ところで。死人が出ているわけでもないのに、何をそんなにお忙しくしてるんで?」

 小町がいきなり机上の書類を覗き込んできたので、映姫は慌てて腕を交差させ、それを隠した。

「ト、トップシークレットです。あなたには関わりのない話ですよ」
「ははーん。ラブレターなら、あたいが代筆しましょうか? こう見えてもあたい、死神専門学校時代に落として食った男の数は……」
「んなこた聞いちゃいねえんですよ。さっさと行きなさい」
「……あいあいさー」

 投げつけられたインク壷のせいで真っ黒に染まった顔をぶら下げ、小町は足早に消えた。


「……さて」

 作文が終わったら、次は転生先の確保に奔走しなければならない。
 それに、万一誰かが霊夢の魂を奪い返しに来た場合に備えて、厚い警備網を組む必要もある。

「疲れるなあ」

 それでも。
 自分は、自分にできる善行を積むだけだ。

 映姫は引き出しを開け、中にしのばせていた栄養ドリンク剤を取り出した。



(続く)
この妄想文章のテーマは、「逆転」であります。



(追記)
 指摘された誤字を訂正しました。
すこぶる
http://sukoburutuki.hp.infoseek.co.jp/index.html
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コメント



0.1030簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
ああもうなんだか、いたたまれない辛さ悲しさにはちきれそうだ。
彼女たちがどんな気持ちで霊夢に対して”嫌がらせ”しているか考えるだけで、もうね・・・

生への執着、それは何より強い衝動だが、また何より醜くも変貌させうる。
それはたとえ、あんなにも素敵に無頓着で透明な巫女でさえも。
加速度的に荒みゆく霊夢を救う手段は、もはや安らかな死しかないのか、あるいは・・・
5.50コチドリ削除
この後書き……とにかく完結を読むまでは感想は控えます。

>死なずに済むであれば→済むのであれば
>映姫は到って事務的に→至って事務的に
11.100名前が無い程度の能力削除
生存フラグ折りすぎで、僕の心も折れそうです。
14.100名前が無い程度の能力削除
心にクる物があった。
20.80ずわいがに削除
…なんだこれは
24.100名前が無い程度の能力削除
テーマが逆転ってことは希望はあるのか……?
霊夢を若返らせるなんて簡単だと思ったけど博霊の巫女であるが故の障害があったとはなあ
若返らせるのが無理なら、代案として霊夢のここ最近の記憶を消す事を提案しry