蓬莱山輝夜は何時ものように湯あみを済ませ、寝床にもぐりこむところだった。
彼女の寝所は永遠亭の中でもかなり奥まった部屋にある。
兎たちの乱痴気騒ぎが届かないようにという八意永琳の配慮である。
実際のところ輝夜は決して静かでなければ眠れないというわけではない――姫ではあっても箱入りではないのだから。
むしろ誰かの気配が感じられる場所のほうが彼女にとってはよかった。
「どうにも溝は埋まらないわね…」
八意永琳と蓬莱山輝夜の付き合いは千年や二千年程度のものではない。
人間の想像を超えた時間をかけて構築されたものである。
しかしだからといって、すべてを分かりあっているなんてことは決してないのだ。
八意永琳は輝夜に対して大きな罪の意識を持っている。これは疑いようもないことだった。
隔意となって厳然と二人の間に存在した。
はたから見れば信頼し合っているようにも見えるだろう。
人間の尺度で二人を観察したとき、二人は誰よりも互いを信頼し合っているように見えるし、確かにそこに間違いはなかった。
それは蓬莱人として遥かな時代を超えて連れ添ってきたお互いにだけわかる引け目なのだ。
「そういう意味ではアイツのほうが近いのかしらね」
そんなことを呟いて暫し沈思した彼女は、行燈の明かりを消して布団をかぶりなおした。
今日は新月だからその闇を照らしだすものは何もなくなった。
「今日も盆栽の世話しかしなかったわねえ…」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
スッ…
それは誰かが障子をあける音。
やわらかな星の光が逆行となって、侵入者の姿は不明瞭だった。
輝夜が異変に気付いたのは風の流れが変わったからだ。
それでも覚醒に至るには遅すぎる反応だったといえる。
今の幻想郷では障子の音一つに飛び起きる奴なんてむしろ少数派だった。
「ぅぐっ!!!?」
輝夜が眼を開けるのとほぼ同時に彼女のたおやかに細い首筋は何者かによって絞め上げられた。
馬乗りになった状況、夜中にやってきた事実、永遠亭の間取りを把握している計画性。
そういった物事を考慮するまでもなく、首にかかる強力な力が『殺人』を目的とした行動であることを彼女に理解させるには十分すぎた。
「か…はっ…!!」
彼女にとって最悪だったことは単に寝込みを襲われたということではなく、掛け布団の上から馬乗りにされたことであろう。
手足を使った抵抗の一切が封じられていた。
蓬莱人としての彼女の経験からいえば、絞殺への対処は最初が肝心だといえる。
足を使って素早く距離をとるのだ。
時間をかければかけるほど思考力が奪われるし、酸素の供給が断たれた体中の器官は徐々に機能を低下させていく。。
まさに今の輝夜のように。
「…、……!」
下手人が誰なのかなんてちょっと考えれば分かることだ。
しかし今の輝夜にはその一瞬の思考が許されない。
(もう…、ダメ…)
そして輝夜は絶命した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「はあ…はあ…、っは、はっ」
・・・・
荒い息を吐く下手人はそこで屍となった彼女から手を離さない。
蓬莱山輝夜にとって死と終わりは同義ではないと知っているから。
下手人――藤原妹紅は瞳孔を開かせたまま、さらに腕に力を込めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
意識が回復して体に力が戻ると同時に、苦しみも復活した。
それは地獄だった。
絶叫することもできなければ相手を詰ることもできない。
ただひたすらに殺されているだけだ。
「ぁ……はっ…!」
涙も涎も止まらなかった。
苦痛に満ちた表情を浮かべる彼女を妹紅は黙々と殺す。
「ぃぎい!!」
ベキリという音を聞いた気がした。
意識は再びブラックアウトする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
輝夜は都合二百回ほど殺された。
藤原妹紅はときに無表情に、ときに激昂して、ときに号泣した。
ある時は許しを請い、ある時は呪詛を吐きかけ、ある時は愛を囁いた。
首を絞める力はその間一度たりと弱まることは無かった。
妹紅が殺し疲れて息絶えるその時まで殺戮は続いた。。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
輝夜の寝室に広がる光景はそこだけ切り取ってみればそれ程に不可思議ではなかった。
布団の中で眠る一人の少女がいて、その上に覆いかぶさるようにもう一人の少女が眠っていた。
二人とも死体だとはよもや思うまい。
おまけにその死体が生き返るとはもっと思わないだろう。
「・・・ぅ」
先に目を覚ましたのは輝夜だった。
「ん、んぅう」
ほぼ時を同じくして妹紅も復活した。
「えほっ!げぇほっ!!うぐ…おぇっ、げほっ」
輝夜は激しく噎せこみながら上に乗る妹紅を突き飛ばすように横に転がした。
輝夜の首には既に痣は無い。折れた頸骨も治癒している。
リザレクションによって復活した肉体は完全に健康体である。
しかしその精神はここ数世紀なかったほどに疲弊していた。
「あ…あんたねえ、……ば、馬鹿じゃないの?」
言いたいことも言うべきことも他に幾らもあるはずだったが、出てきた一言はそれだけだった。
それで充分だという気もしていた。
「…。」
妹紅もまたそれを感じ取った。
暫しの沈黙が部屋を支配した。
真夜中の寝室で二人の少女が横たわっているだけだ。
人も妖も寝静まるこの時間に横やりを入れるものなどありはしない。
二人ぼっちの時間だった。
「なんなのよ、いきなり」
輝夜にはただ不可思議だった。
別に、妹紅に殺されたことそのものに特別な感情は無い。
それは世間一般に見て異常なことであっても、二人にとって何ら疑問を感じるものではなかった。
事実、数週間前にも一度殺しあっている。
夜討ちを掛けたことも別に初めてではない。
しかし何故今になって。
どうしてこれほどまでに唐突に寝込みを襲われたのか、輝夜には分からなかった。
「あんまりぶっちゃけたこと言うのもあれだけどさ」
「…?」
「あんたの恨みってもうほとんど枯渇してるでしょ」
ここまで核心を突くような話をするのは初めてかもしれないなと輝夜は思った。
妹紅は輝夜に向き直らないまま、つまり二人して天井を見上げた状態で返答した。
「ああ。ああ、そうだよ。」
妹紅は噛みしめるようにそう言った。
「じゃあ…」
どうして、という言葉を輝夜は呑み込んだ。
教えてもらうだけではいたくない、自分で理解したい。輝夜は彼女に対してだけはそうありたかった。
だから取り敢えず自分の考えだけ述べることにしたのだ。
「私たちってさ、おかしな関係よね?」
「…。」
「殺し合いすぎて、もう何で殺し合ってるのか分からなかった。でも私はそれでいいと思っていたの。そういうなあなあの関係も悪くは無いと思ってた。スペルカードルールができて、決闘するようになって。私はそれを楽しいと感じることが多くなっていたし、それは妹紅、あなたもそうでしょう?馬鹿みたいに競い合って、飽きたらまた殺し合って。私たちはそうやって生きていくんだって、そういう風につながっていくんだって、私は思っていたわ。でも…」
輝夜は隣に横たわる妹紅を向きながら問うた。
「あなたにとっては、そうじゃなかったの?」
輝夜の表情は優しげで、そして寂しげだった。
妹紅はそのまましばらく黙っていたが、やがて意を決したように話し始めた。
「お前がそういう風に思っていたことは分かってたし、私もなんとなくだけどそう思った。それは何時からだっただろうか。それはそれとして今を…ある意味では楽しんでいる自分と、違和感を抱き続けている自分とがここのところずっと同居していたんだ。お前は私の敵で鼻持ちならない傲慢な女、私は復讐に我を忘れて道を誤った愚かな女。そうだったはずなんだ。昔はそうだった。何時から変わっていったんだろう。最早私にはお前に対する形ある恨みなんて何にもない」
そこで初めて妹紅は輝夜のほうに顔を向けた。
「ねえ輝夜、私とあなたはいったい何なんだろうね」
妹紅の瞳には涙が浮かんでいるように見えた。
「今日はそれを確かめに来たんだ、きっと。ここ数年の私はちょっとおかしかった。突然余りの寂しさで胸が張り裂けそうになることがあった。悩み続けて気付いたら朝だったなんてこともざらだった。お前はそんなことなかったんだろうね」
妹紅のそうした独白に対して、輝夜は素直な驚きをもって返答した。
「そうね、なーんにも悩みなんてなかったわ」
皆無と言っては言いすぎだが、永夜異変以降輝夜は心穏やかに過ごせていた。
「あなたもそうだと思ってた」
詰まる所そういうことだった。
幻想郷に来て以来のなあなあの関係に対して、輝夜はそういうものだと納得していたし、それは暗黙の了解だと思っていた。
対して妹紅はそこに疑問を抱き、悩み、蓄積していたのだ。
そして爆発した。
「私たちお互いのことだれよりも知ってると思ってたけど」
「全然わかりあえてなかったみたいね」
問題はなくなっていないけど、もう解決したも同然だった。
どこでボタンを掛け違えたのかさえ分かったのなら、やり直すことは容易いことだから。
永遠を生きる彼女たちにとっては特にそうだった。
二人は互いをひとしきり笑いあって、それから晴れやかに微笑みあった。
互いのことを誰よりも分かっていると思ったのも当然の成り行きだったのかもしれない。
なぜなら普通の人間は、相手が他人を殺す時どういう表情をするのか知らない。
彼女たちは知っていた。
どんな言葉で人を傷つけるのか知らないし、どんな苦しみを持っているのか分からない。
彼女たちは知っている。
ついでに言えば相手の内臓がどんな色をしてるのか、心臓の拍動する様子は、頭蓋の裏はどうなっているのか。
そんなことを知っている知り合いなんているはずがない。
でも彼女たちは知っているのだ。
あるべきまともな交流をすっ飛ばして、相手の体の隅から隅まで把握して、記憶している。
相手のことをすべてわかった気がしていたのだ――そしてある面では確かに正しく理解し合っていた。
だからこの夜、近づきすぎた二人の体にやっと心が追いついたのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「って、そのまま終わるわけないでしょオイコラ、帰ろうとしてんじゃないわよ?!」
よいしょと起き上がって何食わぬ顔で永遠亭を後にしようとした妹紅の着物を、布団からぬっと突き出た輝夜の手がはっしと掴んだ。
「あ、あれ?そういう空気じゃなかった今?」
「人のこと散々殺しといて…よく言うわねえぇ?」
輝夜は疲れからか立ち上がれない様子である。
だから妹紅はさっさと捨て置いて帰ることもできたが、輝夜の様子になおさら帰りづらくなってしまった。
彼女の律儀さに加え、今夜のそれが純然たる殺し合いではなく一方的殺人だったということが大きな要因だった。
「こっちは数刻で二百回もリザレクションして疲れて動けないの。あんなに楽しそうに絞殺してたんだからやることあるでしょ?」
輝夜はそれがわかっているから妹紅に対して遠慮はしない――まあ、そもそも妹紅相手に遠慮すること自体稀ではあるが。
「はぁ…、分かった分かりました」
妹紅は渋々といった表情で持ってきた上着を羽織って庭に直接出る。
「ちょっと待ってて、井戸借りるよ」
「あ、だれにも見つからないようにね」
ひょいひょいと出ていく彼女に慌てて忠告をする。
輝夜が妹紅の安全を心配する必要は一切ないのだが、今夜のことは誰にも知られたくなかったのである。たとえ永琳にであってもだ。
「分かってる」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
輝夜の言う”やること”というのは具体的にちょっとひと様には見せられない、あんなことやこんなことである。
要するに布団をきれいにすることと、
輝夜の体をきれいにすることだ。
人が絞殺されるといろいろと汚れるのである。
それは手を汚すとか心が云々とかそういう表現上のことではなく、もっと直截的に。
単純に涙や唾液もそうだ。
また、絞殺の場合筋肉の緊張や弛緩の関係で尿が漏れることが多い。
その他もろもろ、いろいろ大変なのだ。
それが人が死ぬということでもある。
小説や活動写真のような美しい死なんてものはない、それは蓬莱人であり殺人者である二人が誰よりも分かっていることだった。
妹紅が水を入れた桶と手ぬぐいを持って戻ってきた。
「それじゃちょっと失礼するよ」
「気持ち悪いからさっさと済ませてよね」
二人の間に羞恥や忌避は無かった。
別に暗闇だからというだけではなく、こんなこと最近でこそあまりなかったけれど昔は珍しくもなかったからだ。
死体は放置しておくことも多いが、いろいろと後処理しなければならなかったこともある。
血をかぶるのは日常茶飯事、内臓を素手でつかむこともあるのだから排泄物くらいで動じることはない。
二人に自覚はないが、そこにはお互いの体から出たものだからという意識も少なからず加味されているが。
「ほら、脱いだ脱いだ。これは私が持って帰って洗濯しとくからな」
「いいわよ捨てても、替えはあるんだし」
「貴族育ちはすぐものを粗末にする。ああ、ホラ動くな、拭きにくいだろうが」
妹紅は内心ではこの不可思議なやり取りは他人から見たらちょっとどうかなあというものだろうと思っていた。
何故か月夜に光る鋭い二本の角の幻覚を見た気がしたが、忘れようと努めた。
「ちょ、手つきがヤラシイのよコラ」
「そんな、ことは、断じて、ない!」
「乱暴にしないでよ、もう」
幻覚についてはひたすら忘れようと努めた。
「あ、おまえ途中気持ち良くなってただろう」
妹紅が意地悪そうに告げた。
ちょっと描写しかねる痕跡に気付いたからだ。
「し、仕方ないでしょ!!最初は気道を圧迫してたのに途中から頸動脈ばっかり絞めるから!そりゃ気持ち良くもなるわよ!!五、六十回気ィ失ったわよ悪い!!?あんたがやったんでしょう、あんたがああ!」
「ちょ、ば、蹴るなって!」
まあ、そんなこんなあって、二人は無事取り替えた寝具に横になった。
夜明けまでもう二時間ほどしか残っていない。
「なによ、泊ってくの?」
「そういう気分なの」
「永琳に見つかんないように帰りなさいよ」
一人用の布団に二人は少々手狭だが、彼女たちにとっては大した問題ではなかった。
「でもさあ」
「なに?」
「あんたがそんなに悩んでたとは思わなかったわ」
「輝夜が能天気すぎるんだよ」
「妹紅が気まじめすぎるのよ。私たちの関係なんてそうそう定義づけられるものじゃないわ」
「確かにそうだね、前例もないだろうし?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
不死身の少女が不死身の少女を殺して、そして生き返っただけ。
何にも変わらない。
汚れた着物と布団が出ただけで何も生まない非生産的な行為だ。
それでも、意味はあった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
終わらない
ガバッ!!
「え、輝夜?!」
「油断大敵ぃ!!」
今度は逆に一瞬にして輝夜が妹紅に馬乗りになった。
「このまま終わったんじゃ、あんたのやった事がただの殺人になっちゃうでしょ」
「え、そんなこだわりどうでも…」
「『殺し合い』が私たちの原点でしょ?それに、貸し借りはしたくないの、よっ!!」
「待って、ま、かはっ!!」
彼女の寝所は永遠亭の中でもかなり奥まった部屋にある。
兎たちの乱痴気騒ぎが届かないようにという八意永琳の配慮である。
実際のところ輝夜は決して静かでなければ眠れないというわけではない――姫ではあっても箱入りではないのだから。
むしろ誰かの気配が感じられる場所のほうが彼女にとってはよかった。
「どうにも溝は埋まらないわね…」
八意永琳と蓬莱山輝夜の付き合いは千年や二千年程度のものではない。
人間の想像を超えた時間をかけて構築されたものである。
しかしだからといって、すべてを分かりあっているなんてことは決してないのだ。
八意永琳は輝夜に対して大きな罪の意識を持っている。これは疑いようもないことだった。
隔意となって厳然と二人の間に存在した。
はたから見れば信頼し合っているようにも見えるだろう。
人間の尺度で二人を観察したとき、二人は誰よりも互いを信頼し合っているように見えるし、確かにそこに間違いはなかった。
それは蓬莱人として遥かな時代を超えて連れ添ってきたお互いにだけわかる引け目なのだ。
「そういう意味ではアイツのほうが近いのかしらね」
そんなことを呟いて暫し沈思した彼女は、行燈の明かりを消して布団をかぶりなおした。
今日は新月だからその闇を照らしだすものは何もなくなった。
「今日も盆栽の世話しかしなかったわねえ…」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
スッ…
それは誰かが障子をあける音。
やわらかな星の光が逆行となって、侵入者の姿は不明瞭だった。
輝夜が異変に気付いたのは風の流れが変わったからだ。
それでも覚醒に至るには遅すぎる反応だったといえる。
今の幻想郷では障子の音一つに飛び起きる奴なんてむしろ少数派だった。
「ぅぐっ!!!?」
輝夜が眼を開けるのとほぼ同時に彼女のたおやかに細い首筋は何者かによって絞め上げられた。
馬乗りになった状況、夜中にやってきた事実、永遠亭の間取りを把握している計画性。
そういった物事を考慮するまでもなく、首にかかる強力な力が『殺人』を目的とした行動であることを彼女に理解させるには十分すぎた。
「か…はっ…!!」
彼女にとって最悪だったことは単に寝込みを襲われたということではなく、掛け布団の上から馬乗りにされたことであろう。
手足を使った抵抗の一切が封じられていた。
蓬莱人としての彼女の経験からいえば、絞殺への対処は最初が肝心だといえる。
足を使って素早く距離をとるのだ。
時間をかければかけるほど思考力が奪われるし、酸素の供給が断たれた体中の器官は徐々に機能を低下させていく。。
まさに今の輝夜のように。
「…、……!」
下手人が誰なのかなんてちょっと考えれば分かることだ。
しかし今の輝夜にはその一瞬の思考が許されない。
(もう…、ダメ…)
そして輝夜は絶命した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「はあ…はあ…、っは、はっ」
・・・・
荒い息を吐く下手人はそこで屍となった彼女から手を離さない。
蓬莱山輝夜にとって死と終わりは同義ではないと知っているから。
下手人――藤原妹紅は瞳孔を開かせたまま、さらに腕に力を込めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
意識が回復して体に力が戻ると同時に、苦しみも復活した。
それは地獄だった。
絶叫することもできなければ相手を詰ることもできない。
ただひたすらに殺されているだけだ。
「ぁ……はっ…!」
涙も涎も止まらなかった。
苦痛に満ちた表情を浮かべる彼女を妹紅は黙々と殺す。
「ぃぎい!!」
ベキリという音を聞いた気がした。
意識は再びブラックアウトする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
輝夜は都合二百回ほど殺された。
藤原妹紅はときに無表情に、ときに激昂して、ときに号泣した。
ある時は許しを請い、ある時は呪詛を吐きかけ、ある時は愛を囁いた。
首を絞める力はその間一度たりと弱まることは無かった。
妹紅が殺し疲れて息絶えるその時まで殺戮は続いた。。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
輝夜の寝室に広がる光景はそこだけ切り取ってみればそれ程に不可思議ではなかった。
布団の中で眠る一人の少女がいて、その上に覆いかぶさるようにもう一人の少女が眠っていた。
二人とも死体だとはよもや思うまい。
おまけにその死体が生き返るとはもっと思わないだろう。
「・・・ぅ」
先に目を覚ましたのは輝夜だった。
「ん、んぅう」
ほぼ時を同じくして妹紅も復活した。
「えほっ!げぇほっ!!うぐ…おぇっ、げほっ」
輝夜は激しく噎せこみながら上に乗る妹紅を突き飛ばすように横に転がした。
輝夜の首には既に痣は無い。折れた頸骨も治癒している。
リザレクションによって復活した肉体は完全に健康体である。
しかしその精神はここ数世紀なかったほどに疲弊していた。
「あ…あんたねえ、……ば、馬鹿じゃないの?」
言いたいことも言うべきことも他に幾らもあるはずだったが、出てきた一言はそれだけだった。
それで充分だという気もしていた。
「…。」
妹紅もまたそれを感じ取った。
暫しの沈黙が部屋を支配した。
真夜中の寝室で二人の少女が横たわっているだけだ。
人も妖も寝静まるこの時間に横やりを入れるものなどありはしない。
二人ぼっちの時間だった。
「なんなのよ、いきなり」
輝夜にはただ不可思議だった。
別に、妹紅に殺されたことそのものに特別な感情は無い。
それは世間一般に見て異常なことであっても、二人にとって何ら疑問を感じるものではなかった。
事実、数週間前にも一度殺しあっている。
夜討ちを掛けたことも別に初めてではない。
しかし何故今になって。
どうしてこれほどまでに唐突に寝込みを襲われたのか、輝夜には分からなかった。
「あんまりぶっちゃけたこと言うのもあれだけどさ」
「…?」
「あんたの恨みってもうほとんど枯渇してるでしょ」
ここまで核心を突くような話をするのは初めてかもしれないなと輝夜は思った。
妹紅は輝夜に向き直らないまま、つまり二人して天井を見上げた状態で返答した。
「ああ。ああ、そうだよ。」
妹紅は噛みしめるようにそう言った。
「じゃあ…」
どうして、という言葉を輝夜は呑み込んだ。
教えてもらうだけではいたくない、自分で理解したい。輝夜は彼女に対してだけはそうありたかった。
だから取り敢えず自分の考えだけ述べることにしたのだ。
「私たちってさ、おかしな関係よね?」
「…。」
「殺し合いすぎて、もう何で殺し合ってるのか分からなかった。でも私はそれでいいと思っていたの。そういうなあなあの関係も悪くは無いと思ってた。スペルカードルールができて、決闘するようになって。私はそれを楽しいと感じることが多くなっていたし、それは妹紅、あなたもそうでしょう?馬鹿みたいに競い合って、飽きたらまた殺し合って。私たちはそうやって生きていくんだって、そういう風につながっていくんだって、私は思っていたわ。でも…」
輝夜は隣に横たわる妹紅を向きながら問うた。
「あなたにとっては、そうじゃなかったの?」
輝夜の表情は優しげで、そして寂しげだった。
妹紅はそのまましばらく黙っていたが、やがて意を決したように話し始めた。
「お前がそういう風に思っていたことは分かってたし、私もなんとなくだけどそう思った。それは何時からだっただろうか。それはそれとして今を…ある意味では楽しんでいる自分と、違和感を抱き続けている自分とがここのところずっと同居していたんだ。お前は私の敵で鼻持ちならない傲慢な女、私は復讐に我を忘れて道を誤った愚かな女。そうだったはずなんだ。昔はそうだった。何時から変わっていったんだろう。最早私にはお前に対する形ある恨みなんて何にもない」
そこで初めて妹紅は輝夜のほうに顔を向けた。
「ねえ輝夜、私とあなたはいったい何なんだろうね」
妹紅の瞳には涙が浮かんでいるように見えた。
「今日はそれを確かめに来たんだ、きっと。ここ数年の私はちょっとおかしかった。突然余りの寂しさで胸が張り裂けそうになることがあった。悩み続けて気付いたら朝だったなんてこともざらだった。お前はそんなことなかったんだろうね」
妹紅のそうした独白に対して、輝夜は素直な驚きをもって返答した。
「そうね、なーんにも悩みなんてなかったわ」
皆無と言っては言いすぎだが、永夜異変以降輝夜は心穏やかに過ごせていた。
「あなたもそうだと思ってた」
詰まる所そういうことだった。
幻想郷に来て以来のなあなあの関係に対して、輝夜はそういうものだと納得していたし、それは暗黙の了解だと思っていた。
対して妹紅はそこに疑問を抱き、悩み、蓄積していたのだ。
そして爆発した。
「私たちお互いのことだれよりも知ってると思ってたけど」
「全然わかりあえてなかったみたいね」
問題はなくなっていないけど、もう解決したも同然だった。
どこでボタンを掛け違えたのかさえ分かったのなら、やり直すことは容易いことだから。
永遠を生きる彼女たちにとっては特にそうだった。
二人は互いをひとしきり笑いあって、それから晴れやかに微笑みあった。
互いのことを誰よりも分かっていると思ったのも当然の成り行きだったのかもしれない。
なぜなら普通の人間は、相手が他人を殺す時どういう表情をするのか知らない。
彼女たちは知っていた。
どんな言葉で人を傷つけるのか知らないし、どんな苦しみを持っているのか分からない。
彼女たちは知っている。
ついでに言えば相手の内臓がどんな色をしてるのか、心臓の拍動する様子は、頭蓋の裏はどうなっているのか。
そんなことを知っている知り合いなんているはずがない。
でも彼女たちは知っているのだ。
あるべきまともな交流をすっ飛ばして、相手の体の隅から隅まで把握して、記憶している。
相手のことをすべてわかった気がしていたのだ――そしてある面では確かに正しく理解し合っていた。
だからこの夜、近づきすぎた二人の体にやっと心が追いついたのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「って、そのまま終わるわけないでしょオイコラ、帰ろうとしてんじゃないわよ?!」
よいしょと起き上がって何食わぬ顔で永遠亭を後にしようとした妹紅の着物を、布団からぬっと突き出た輝夜の手がはっしと掴んだ。
「あ、あれ?そういう空気じゃなかった今?」
「人のこと散々殺しといて…よく言うわねえぇ?」
輝夜は疲れからか立ち上がれない様子である。
だから妹紅はさっさと捨て置いて帰ることもできたが、輝夜の様子になおさら帰りづらくなってしまった。
彼女の律儀さに加え、今夜のそれが純然たる殺し合いではなく一方的殺人だったということが大きな要因だった。
「こっちは数刻で二百回もリザレクションして疲れて動けないの。あんなに楽しそうに絞殺してたんだからやることあるでしょ?」
輝夜はそれがわかっているから妹紅に対して遠慮はしない――まあ、そもそも妹紅相手に遠慮すること自体稀ではあるが。
「はぁ…、分かった分かりました」
妹紅は渋々といった表情で持ってきた上着を羽織って庭に直接出る。
「ちょっと待ってて、井戸借りるよ」
「あ、だれにも見つからないようにね」
ひょいひょいと出ていく彼女に慌てて忠告をする。
輝夜が妹紅の安全を心配する必要は一切ないのだが、今夜のことは誰にも知られたくなかったのである。たとえ永琳にであってもだ。
「分かってる」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
輝夜の言う”やること”というのは具体的にちょっとひと様には見せられない、あんなことやこんなことである。
要するに布団をきれいにすることと、
輝夜の体をきれいにすることだ。
人が絞殺されるといろいろと汚れるのである。
それは手を汚すとか心が云々とかそういう表現上のことではなく、もっと直截的に。
単純に涙や唾液もそうだ。
また、絞殺の場合筋肉の緊張や弛緩の関係で尿が漏れることが多い。
その他もろもろ、いろいろ大変なのだ。
それが人が死ぬということでもある。
小説や活動写真のような美しい死なんてものはない、それは蓬莱人であり殺人者である二人が誰よりも分かっていることだった。
妹紅が水を入れた桶と手ぬぐいを持って戻ってきた。
「それじゃちょっと失礼するよ」
「気持ち悪いからさっさと済ませてよね」
二人の間に羞恥や忌避は無かった。
別に暗闇だからというだけではなく、こんなこと最近でこそあまりなかったけれど昔は珍しくもなかったからだ。
死体は放置しておくことも多いが、いろいろと後処理しなければならなかったこともある。
血をかぶるのは日常茶飯事、内臓を素手でつかむこともあるのだから排泄物くらいで動じることはない。
二人に自覚はないが、そこにはお互いの体から出たものだからという意識も少なからず加味されているが。
「ほら、脱いだ脱いだ。これは私が持って帰って洗濯しとくからな」
「いいわよ捨てても、替えはあるんだし」
「貴族育ちはすぐものを粗末にする。ああ、ホラ動くな、拭きにくいだろうが」
妹紅は内心ではこの不可思議なやり取りは他人から見たらちょっとどうかなあというものだろうと思っていた。
何故か月夜に光る鋭い二本の角の幻覚を見た気がしたが、忘れようと努めた。
「ちょ、手つきがヤラシイのよコラ」
「そんな、ことは、断じて、ない!」
「乱暴にしないでよ、もう」
幻覚についてはひたすら忘れようと努めた。
「あ、おまえ途中気持ち良くなってただろう」
妹紅が意地悪そうに告げた。
ちょっと描写しかねる痕跡に気付いたからだ。
「し、仕方ないでしょ!!最初は気道を圧迫してたのに途中から頸動脈ばっかり絞めるから!そりゃ気持ち良くもなるわよ!!五、六十回気ィ失ったわよ悪い!!?あんたがやったんでしょう、あんたがああ!」
「ちょ、ば、蹴るなって!」
まあ、そんなこんなあって、二人は無事取り替えた寝具に横になった。
夜明けまでもう二時間ほどしか残っていない。
「なによ、泊ってくの?」
「そういう気分なの」
「永琳に見つかんないように帰りなさいよ」
一人用の布団に二人は少々手狭だが、彼女たちにとっては大した問題ではなかった。
「でもさあ」
「なに?」
「あんたがそんなに悩んでたとは思わなかったわ」
「輝夜が能天気すぎるんだよ」
「妹紅が気まじめすぎるのよ。私たちの関係なんてそうそう定義づけられるものじゃないわ」
「確かにそうだね、前例もないだろうし?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
不死身の少女が不死身の少女を殺して、そして生き返っただけ。
何にも変わらない。
汚れた着物と布団が出ただけで何も生まない非生産的な行為だ。
それでも、意味はあった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
終わらない
ガバッ!!
「え、輝夜?!」
「油断大敵ぃ!!」
今度は逆に一瞬にして輝夜が妹紅に馬乗りになった。
「このまま終わったんじゃ、あんたのやった事がただの殺人になっちゃうでしょ」
「え、そんなこだわりどうでも…」
「『殺し合い』が私たちの原点でしょ?それに、貸し借りはしたくないの、よっ!!」
「待って、ま、かはっ!!」
あと、掃除した意味無い
もどってきてくれてありがとうまたよろしくお願いします
ですよねー(汗
ぶっちゃけ忘れていたわけではないのですが、魂が飛んでって体を生成する様子がどうにもイメージできなくてスルーしました。
いずれはもっと考察を深めたいと思います。
>ずわいがに氏
マジレスしますと頸動脈圧迫は一時的快感を生ずることがあります。
柔道における 落ちる というものが近いようですが。
実際小説「ハンニバル」の下巻ではそれを利用したいかがわしい器機が登場しています。
どっちにしろ狂気の沙汰であることは確かですが。
>Gobou氏
人数の多寡にかかわらず覚えてくださっている読者さんがいらっしゃることがどれだけ励みになることか・・。
本当にありがとうございます。
これからも精進いたしますのでこちらこそよろしくお願いいたします。
いいねこういう2人の関係はスキだ
続き待ってますっ