「スペルカードが無いのよ」
「はぁ?」
霊夢が狼狽している姿は珍しいなと思いながら、霧雨魔理沙は気のない返事を返した。
「それが私を拉致って思わず陽の下に引きずり出しかけた理由か?」
チリチリ煙を上げる翼にフーと息を吹きかけながらレミリア。
見るからに機嫌が悪そうである。
主人の機嫌が悪いので、傍らに立つ咲夜も無表情である。
「それは私たちとはあまり関係のない話の気が……」
顔を見合わせるのはウドンゲと妖夢。
アリスはあくびを隠そうともしない。
この節操のない顔ぶれに共通しているのは、人里に居るところを霊夢に大事件だと叫んで引きずり出された事くらいだろう。
軒先に番傘と長椅子を据えた古風な団子屋を占領し、この異様な集団が人里の繁華街に居座っているものだから、里の人間はとかく迷惑そうである。
霊夢は注文を取りに来た団子屋の主人に、
「お酒」
「ありません」
「じゃあ、みたらし。三十本ほど」
霊夢テンパってるなぁ、と魔理沙に思わせるに十分であった。
「スペルカードがないって言ったってなあ。確かに困るっちゃ困るけど、宣言ができないだけだろ?」
周知の通り、スペルルールは幻想郷を壊さないために『力をセーブするもの』である。
カードなど無くとも魔理沙はマスタースパークが使えるし、咲夜も時を止め放題である。
むしろカード宣言すると時限を切ったり、避けられるように弾幕に隙間を残したりと本来のパワーより弱くなる事も多々である。
霊夢がカードを無くしたからといって、あらゆる能力を無くして無防備、などという状態にはならないし、誰かに拾われても悪用のしようがない。
どうしてこうも慌てるのかと周囲がいぶかしむのも当然の事である。
「で? 何を無くしたの? 夢想封印? 二重結界?」
「あるわよ、そのくらい」
「じゃあ、封魔陣とか……。あ、八方鬼縛陣あたり使わな過ぎてどこに仕舞ったか忘れたとか」
「魔理沙じゃあるまいし」
霊夢は袖の内から四枚のスペルカードを抜いて見せた。
「あるじゃないか」
「じゃあ、何を無くしたのよ?」
「私のは無くしてない」
「はて?」
運ばれてきたみたらし団子をもしゃもしゃ食べながら皆が首をかしげる。
「みんなのスペカよ」
「?」
レミリアが咲夜から差し出されてスターオブダビデを手に取る。
ウドンゲが狂視調律を、妖夢が迷津慈航斬を、アリスがアーティクルサクリファイスを。
そして魔理沙はお約束のマスタースパークのカードを取り出してみせる。
遠巻きに見ていた里の人間たちが悲鳴を上げて逃げていく。
「誰もなくしてないみたいだが?」
「ここの所ずっと暖かかったから、本格的にダメになったのかもね」
とうとう巫女の頭に問題が集約されそうになった所で、霊夢は「違う!」と一喝。
「だから、みんなの新しいスペカが届かないのよ!」
「…………」
しん、と静まりかえり、一同が顔を見合わせる。
どの顔にも同じ事が書いてある。
「「ええええぇぇぇぇ~~~~~~~~ッ!!!!?」」
やっと霊夢以外の連中がテンパり始めた。
「白紙台帳!?」
「そう」
「ブランクシート!?」
「英訳しても同じよ」
周りが慌て始めたので、やっと霊夢は冷静になってきたらしい。
「スペルカード用の用紙ってあれですよね。時々配られる……」
スペルカードは契約書である。
妖怪同士が使う契約の紙を、博麗神社の神主がお清めし、認め印をつけ、B6版に切り抜いて完成する。
人妖双方の手で作られることによって人間と妖怪に通用する契約と為し、ついでに使用者は自分の名前とスペル名を書き込むだけという親切設計である。
「カードを作り終わったから送るって連絡があったのに」
「配達が遅れてるだけって事はないのか?」
「もう四日も待ってるのに届かないのよ」
レミリアはお茶をぐいっと飲み干し、がんと長椅子に叩き付ける。
「つまり、スペカが無事に届くか、無事に届かない理由を私らがどうにかしないと新しいスペルが使えない、と」
「そうなりますね」
妖夢はそこまで気乗りはしなさそうに、
「とはいえ、私は手持ちで十分ですし、皆さんもけっこう持ってるのでは?」
ここの顔ぶれは全員が二十枚以上のスペルカードを所持している。
無いなら無いでやり繰りできる。
ウドンゲもそれに同意しようとした所で、レミリアは吼えた。
「いや! 絶対に取り返すぞ! 見つけ出して新しいスペルを手に入れるぞ!」
「お嬢様は喉から手が出るほど欲しいでしょうね」
咲夜が横でぼそっと呟く。
「お嬢様、前回配られたときには意気揚々と「全世界ナイトメア」だの「不夜城レッド」だの書き込んじゃって、さんざんからかわれましたしね」
「それ以上言うな」
己の従者をも殺しかねない顔で凄むレミリア。
魔理沙とアリスは顔を見合わせてやれやれと肩をすくめた。
「私も、ゴリアテ用に少しカードが欲しかった所だし。探すのに協力はするわよ」
「ま、珍しく霊夢も熱心だし、いつも通りやればすぐ見つかるさ」
水を向けられた霊夢は、そうね、と答える。
「予備を切らしてるから、こんな時に異変があったら困るもの」
「予備?」
「博麗の巫女は持っておくものよ。命蓮寺の連中の件で使っちゃったの」
そう、霊夢は不測の事態のために白紙のスペルカードを一応所持している。
ただ前回の異変ではその不測の事態が起こってしまった。
魔界に封印されていた聖白蓮との弾幕ごっこ。
当然、スペルルール制定前から封印されている白蓮がカードを所持しているはずもなく、霊夢は予備に持っていた白カード四枚を渡し、スペルルールを説明しての弾幕勝負と相成ったわけである。
「今もしカードを持ってない妖怪が異変でも起こしたら、仕事に差し支えるじゃない」
「その時はもう力で叩き潰しちゃえばいいんじゃないでしょうか」
「巫女がルール破っちゃマズいだろ。あくまで遊びにしとかないとな」
そうこう話しているうちに団子もなくなってきた。
店主も逃げてしまったので代金は皿の横に置き、一行は調査に乗り出すことにした。
「といっても、アテがないのよねえ」
「神主さんに連絡を取ってみては?」
「こっちから連絡取る方法なんて知らないわよ」
「使えない巫女ね」
「そう言う吸血鬼が使えればいいんだけどね」
三人寄れば文殊の知恵。
まして霊夢、魔理沙、咲夜、レミリア、妖夢、アリス、ウドンゲと7人も居るのである。
何かいいアイディアでも出てくるのではないかと思うのだが……。
「正直、お手上げではないでしょうか」
おずおずとウドンゲが口を出す。
「届くはずの荷物が行方不明、送り主と連絡は取れない。……この状態で何かこちらからできる事ありますか?」
「配達ルートを予想して辿って、荷車が事故ってないか探すとか。誰かが盗んだと仮定して犯人を推理するか」
「推理の方が面白そうだ。足も動かさなくて済むし」
面白さは何にもまして優先されるべきである。
「盗まれたとして、スペカを盗むような輩とはどんなものでしょうね」
「そりゃ決まってるでしょ」
アリスは帽子を被るようなジェスチャアをしつつ、
「カード枚数はパワーだぜ! ……みたいな奴」
一斉に視線が魔理沙に集中する。
「待て、最近は早苗もそんな感じだぜ。あとは萃香とかお空とか」
「なるほど。魔理沙、早苗、萃香、空のなかで盗みを働きそうなヤツと言えば……」
一拍置き。
一斉に視線が魔理沙に集中する。
「……ああ、うん、日頃の行いって大事だよな」
魔理沙はふっと遠くを見た後、空元気とばかりにこぶしを振り上げた。
「さあ! 下らない犯人捜しなんぞしてないで、足を使って探すべきだと思うぜ」
「もう魔理沙が犯人って事でいい?」
「異議なし」
「異議なしです」
「大アリだ!」
魔理沙の抗議の声も青空に吸い込まれていく。
「足で探すと言いましても」
「飛んでもいいぜ」
「飛んだって同じですよ」
妖夢はどうも2割の法則のやる気のない側に行ってしまっているらしい。
「カードの配達ルートも分からない、どこで問題があったかも分からないんじゃ、結局花の異変みたいに幻想郷中を飛び回ることになるじゃない」
「飛び回ればいいじゃないか」
「私は里に買い物に来ていたんですけど」
妖夢の手に持った麻袋からは、大根の葉っぱが飛び出している。
早く帰って夕餉の支度をしないと、主人が家の柱を食いかねない。
「いっそ犯人歩いてこないかなあ」
「それ、楽でいいわね」
異変ではなく事件への取り組みなどこの程度である。
もう次に路地を曲がって出てきた奴を犯人に仕立て上げればいいじゃないかと半数くらいが思い始めた所で、路地を曲がって出くわしたのが彼女だった。
「あら、皆さんお揃いで」
おっとりした挨拶。
妖夢が露骨に警戒して身構える。幽霊にとって最大の天敵、『坊さん』である。
「なんだ、白蓮か」
尼僧にして大魔法使いでもある聖白蓮は、最近人里で寺を開いた新参である。
今のところ周囲の評価は『底抜けにいい人』、スペルカードを盗んだ犯人に仕立て上げるのはちょっと難しい。
はずなのだが。
「おい、白蓮の持ってるやつ……」
魔理沙の指摘に、一同の視線が白蓮の手元に集中する。
持っているのはスペルカードだった。それも真新しい。
白蓮はカードを手にしてから日が浅い。
前回の異変で手にしたカードが新しくても別に違和感はないのだが、これは違う。
新しいというより新品である。未使用である。透明防護シールもはがしてない。
一同は顔を見合わせて頷き合った。
「犯人!」
「とうとう正体を現したな」
「神妙にお縄につけい」
「……何やらひどい言われようをしているのは気のせいでしょうか?」
「言い訳を聞くよりも、犯人を捕まえる方が先だぜ」
魔理沙はすらりとカードを抜き放ち、白蓮の鼻先に突き付けた。
「弾幕勝負だ。私が勝ったら大人しくお縄につけ」
「よくは分かりませんが……」
白蓮は三枚のうち二枚を懐に収めると、一、二語の呪文を口にした。
虚空に次々と梵語が浮き上がり、一巻の巻物となって彼女を取り巻く。
「弾幕ごっこなら構いませんよ。ちょうど新しいスペルを作ってみたので試してみたかったところですし」
「そうこなくっちゃな」
魔理沙は不敵に笑って数メートルほど間合いを取る。
他の面々は安全圏に退避完了である。
「始めて構いませんか?」
「いつでもいいぜ!」
白蓮のスペルを避け、スターダストレヴァリエ一発で撃墜する。
そう目論んで魔理沙は先手を譲った。
白蓮はうなずき、スペルを発動させる。
「遊行聖」
「ピチューン!」
四秒耐えた。それだけでも賞賛に値する。
完膚無きまでに叩き潰され、ばったり倒れる魔理沙。
弾幕、弾雨などという言葉が生ぬるい。
弾雨なら避けられても、本物の雨は避けられない。白蓮が放った弾幕はまさにそういうものだった。
間断なく放たれる、広域に放散する、『避ける隙間』どころか『隙間』そのものがない弾幕。
空中に放射された弾が他の弾にぶつかってガチガチガチガチとスズメバチの威嚇音みたいな音を立てて突っ込んでくる。
「なんだありゃ」
「弾が八分に空が二分だ」
ひどいスペルもあったもんである。
「弾幕ごっこが分かってない。避ける隙間くらいは用意しておくのが礼儀ってものだぜ」
けほ、と煙を噴いて魔理沙。
「ありますよ?」
「一応ありましたね」
目の良いウドンゲがしぶしぶ同意する。
「弾幕の壁は白蓮さんの背後から撃たれたものなので、白蓮さんの手前だけはわずかに隙間が」
えっへん、と胸を張る白蓮。
「私に抱きついて着いてくれば安全地帯なんです」
尼公の遊行を表現したスペルカード。
しかし『帰依したら安全』というよりも『帰依しなかったら皆殺し☆』みたいになっているのはいかがなものか。
「前々から思ってたけど、アンタめっっちゃ性格悪いでしょ?」
「いえいえ」
じと目のレミリアにも、ほわほわとした笑顔を向ける白蓮。
いい人である。多分。
「で? そのカードはどこで手に入れたわけ?」
「はい?」
霊夢が尋ねると、白蓮は首をかしげた。
「新品のカードが届かなくて、私たちが探してる所だったんだけど」
「そうなのですか? 普通に配られましたけれど」
「配ってた?」
「はい」
「誰が?」
「天狗さんがお寺まで来て配っていきましたけど」
白蓮は何事もないように答え、霊夢たちはうんざりとした顔で頭を抱える事になった。
***
「射命丸文ッ!」
「何事ですか、博麗霊夢さん。往来で人のフルネームを叫ぶなんて」
普通にそこらを出歩いている射命丸を見つけたのは数分後のことである。
やや迷惑そうに振り返った射命丸は霊夢の肩越しに一同の姿を認め、
「や、どうも皆さん! 清く正しい射命丸です」
「それはいいから事情を説明しなさい」
「事情、ですか?」
射命丸は何のことか分からない、と眉をよせた。
「アンタがなんで新品のスペルカードを持ってるのかって話よ」
「ああ、そのことですか」
射命丸はおっほんと咳払いし、話し始めた。
「話せば長くなりますが、あれは一昨日の晩でしたか。私が夜の森を飛んでいるとですね」
「長くならなくていい。オチの一行を先にしてくれ」
「めでたしめでたし」
「全然めでたくない!」
人間は気が短いな、と射命丸は肩をすくめる。
「なんの事はありません。私が神主さんに出会って、新しいスペルカードを預かったんですよ」
「そんなオチだろうとは思ったよ」
「オチから話させるからですよ。起承転のあたりに野を越え山越え手に汗握る冒険が」
「なくていい」
「つれない人間だ」
妖怪側のレミリア・アリス・ウドンゲも興味はなさそうである。
興味があるのは『ブツ』だけだ。
「それで、新しいスペカは?」
「ああ、あらかた配っちゃいました」
「は?」
「神主さんから適当に配ってくれと言われたので、主に山と地底の妖怪に重点的に」
ピシッ、と空気が固まる音が聞こえる。
それに気付かない射命丸は、いやいや参りました、と頭をかいた。
「108枚もあるから大変だったんですよ。取材ついでに配り歩いてたら二晩も掛かっちゃいました」
レミリアは恨めしそうに射命丸を睨み付け、咲夜はため息、アリスは肩をすくめる。
妖夢は大根を、ウドンゲは薬籠を背負い直して帰り支度。
いわゆる「撤収!」である。
「……あ、そういえば4枚だけ残ってますからどうぞ」
射命丸は思い出したように霊夢に残ったスペルカードを手渡した。
受け取った白紙のスペルカードを呆然と見つめる霊夢。
「…………」
「ありゃ、どうしました?」
霊夢は防護シートをペリペリ剥がした。
「霊夢、ほら筆」
「ありがと」
さらさらと名前とスペルを書き込み、憂さ晴らしとばかりに射命丸に突き付ける。
高らかにスペルを宣言する。
「お札――『新聞拡張団調伏』っっ!!!!」
「お、新スペカ撮影チャンスッ!」
顔の真ん前でスペル発動されたにも関わらず、とっさに飛び退いて撮影モードに入る射命丸。
そのままの勢いで二枚目にもノリで名前を書き込んでしまう。
笑いながら天狗が飛び去った後、地に手をついてうなだれる巫女と、おそらく二度と使われないであろうスペルカードだけが残された。
せっかくの新スペカのうち二枚に変な名前を付ける羽目になった霊夢の顛末である。
<了>
それで!幽香りんは?みすちーは?プリズムリバーは?なんで出てないの!?
ようやっとLV7に辿り着いたばかりですがね……。
文は責任をとって白紙カードを増刷すべきですな。
誤字報告
>ここの所ずっと温かかったから
暖かかったから、かと。
…って誰も神主の行方が気にならないのか?w
「初めて構いませんか?」
→『始めて』
面白かったです!
しかしカードが配給制と言う発想には正直素直に感心する他なかった
あんた天才だよ!
って、スペルカードのネーミングが妙だということは自覚してたのかww
でも結構筋が通ってますね