Coolier - 新生・東方創想話

朽ち果てたεと廃線No,XXX.

2010/04/15 22:38:04
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 破滅の象徴のような建物が、東風谷早苗の目の前には建っていた。幻想郷では結局一度も目にすることのなかった、無機質な灰色。所々が蔦に冒され、壁に吹きかけられた落書きさえもその彩度を失いつつある。

 ――原子力発電所。

 そりゃあ、朽ち果てるのも無理ないですねと、自然に還ろうとしている石の塊を見上げながら早苗は口を歪めた。もっと安全で効率的なエネルギーを彼女は知っていたからだ。自分の崇拝する神が始めたという大がかりな事業で、正直に言うなら先行きは心配なのだが。

「だって、効率化を目指したらやがては……、」

 この世界のように、と。
 かつて自分の住んでいた、通称『外の世界』と呼ばれるようになった世界で、早苗は誰にも聞こえないように――誰も居ないことを確認してから――ため息を吐いた。

 幻想郷に逃げ出してから数年。それだけの時間でここまで廃れてしまったのか、あるいは最初からこうだったのか……早苗には分かるはずもなかった。それを知る為には他にいくつも知らなければならないことがある。それは例えばこの世界が本当に早苗が消えてから数年後の世界なのかとか、早苗の見ていただけの狭い世界とは別の場所、別の県だったりするのか、とか、自分の記憶は正しいものなのか、とか……。とにかく、今は分からないことが多すぎた。
 あの時と、真逆の状態。
 幻想郷なんてよく分からない世界で、自分は特別でも何でもなかったことを知るまでのあの感覚と、今のそれは同じだ。とても気持ち悪くて、ほんの少しだけ心地良い。

「……海かしら」

 潮の香りがした。灰色の建造物の奥の方からだろうか、早苗は口を閉じてそちらへと歩いていった。幻想郷に海なんてないのに、記憶はなかなか消えないものだ。否、消えないのは事実、忘れたというのは、思い出せないだけの状態のことを言うらしい。これも、昔テレビで見たという記憶の一部だ。

 自分が住んでいた場所には、海はなかった。内陸の県だったし、何より山の中だ。モミの木の香りはいつだって思い出すことが出来るほどに吸い続けた。幻想郷でも、ことあるごとに吸うことが出来る。土の香りや、川のせせらぎ、虫の鳴く声。
 後は……人の香りと、神様の香り。
 どちらも、今でも身近に在り続けるそれだ。けれど、……だからこそ忘れてしまいそうな香りが同時に無数に存在しているのだ。
 早苗がもう二度と逢うことの出来ない人、幻想にすらなれなかった神様、そういうものが居るという事実を、早く忘れてしまいたかったのに、こんなところに迷い込んでしまっては……それも叶わない。

 視界が急に開ける。広大な海が広がっているのが視界いっぱいに飛び込んできて、早苗は思わずその碧に微笑みを向けた。目なんてついているわけではないから、これは、そう、なんとなくだ。

 原子力発電所は海の近くに造られるというのはどうやら事実のようで、自分が持っていた曖昧な知識が裏付けられたような気がして少しだけ嬉しい。もちろんここ一つだけの例でそうと決めつけるのは早計過ぎるけれど、誰も居ないからそれでも良い気がした。

「はぁ……朝日が気持ち良い……」

 すとん、と草の上に座り込む。小学校で習った体育座りというものを一人で披露しながら、ぼぅ、っと海を眺める。遙かな昔、誰かと一緒にこんなことをしたような既視感に襲われた。

 このままずっと此処で座っていて、夕日が沈む様を見れたらさぞかし綺麗なことだろう。そうして写真でも撮って帰ったらみんな驚くに違いない。
 もちろんカメラなんて手元にないけれど、無性にこの景色……現実の世界の姿を形に残したいという欲求が湧いてきた。とても、そうしたいのに、決して出来ないというある種の悔しさが胸の中に渦巻くのを感じながら、海を眺める視線はいつしか睨みつけるときのそれに変わっていった。

「……そういえば、」

 ふと思い出したように、バッグに手を突っ込む。中にはこっちの世界で使い続けていた革製の財布が入っていた。
 そう、今日はバッグを持ち歩いているのだ。さらに言うなら、服装も普段の――幻想郷での、普段だ――巫女装束のようなあれではない。もうどういう言い方をしたのかほとんど思い出せないけれど、確か、カジュアルだったりビジュアルだったり、とにかくそんな感じのもう使わない言い方をする類の服装だ。巫女装束に比べれば遙かに短いスカートで、すーすー感じるのが新鮮だ。

 月に一度くらい、早苗はこういう服装をして、バッグに財布やら携帯電話やら制汗スプレーやらを突っ込んだままの状態で一日を過ごす。外の世界を忘れたいと思うのは事実だけれど、どうじに絶対に忘れてはいけないというある種の強迫観念のようなものが働いた結果の行動だ。神奈子や諏訪子……二柱は可愛いと言って喜んでくれるし、その日になるとどこで嗅ぎ付けたのか天狗が取材に来ることもあった。麓の人たちも何故か笑顔になるし、東方の巫女は意外にも興味深そうに服を調べようと――何故か脱がせようとしてくることもある。
 その度に複雑な気持ちが心をよぎるのはしょうがないとして、さんざん繰り返してきたことだから問題はそれではない。
 そもそも、原子力発電所を見て、いや、ここが幻想郷ではなく外の世界だと気づいた辺りで疑問に思っておくべきだった。

 どうして、ここにいるのか。
 自分は。

 何故――、今日に限って、こんなことが起きてしまったのか。

 正直に言うなら、今の自分は楽しんでいる、と早苗は思う。未知への期待というものはだいたい幻想郷で磨いてきたというのもあるし、おそらくもともと自分はそういうものが好きだったような記憶がある。
 だから、どうして良いか分からない状況もある程度なら楽しむことが出来るし、解決策をのんびり探そうという心の余裕だって出来る。ただ、違和感を覚えるのは、それを考えている自分がいまいち内側のものとして認識できないということ、だ。

「うぅん、よく、分からないですね……。記憶みたいなものかしら? 霧がかかっているみたいで、知っていたはずの人の顔も、もう分からない」

 独り言は宙に吸い込まれていき、やがて消えた。廃墟たるコンクリートが吸い込んでいったのか。

 ……とにかく、と早苗は取り出したばかりの財布を開いた。当然幻想郷では使いようがないから、あの時のまま残してある。二度と帰ってこないと分かっていたらお金なんて全部使ってしまうはずなのに、財布の中は意外と裕福だった。神奈子や諏訪子には二度と戻れないと思いなさいと言われていたのに、自分は戻れる気で居たのかもしれない。

「あーもぅ、ここは何処なのかしら! 自分のいる場所が分かる能力でもあればいいのに!」

 誰も聞いていないからか、段々と言葉が乱暴になっていく自分をそっと認識しながら早苗は財布をひらひらと揺すった。小銭の音が切ない。
 情報一、海辺。
 情報二、原子力発電所跡。
 頭の中でそれだけ整理して、

「……東海村、とか?」

 それしか浮かばなかった。地理の授業に真面目に取り組んでいれば良かったかもしれない。
 学校では何やってたっけ……と早苗は記憶を探ろうとした。勉強はある程度出来たけれど、別に優等生ではなかった気がする。少なくとも自分が頭が良いと思ったことは一度もなかったはずだ。そしてその分、奇跡を起こす風祝としての自分には自信を持って生きていた。だからこそ、幻想郷に来て一度打ちのめされたのだけれど。
 曖昧すぎる記憶に、思わず溜息。何か特別嫌なことがあったとも思えないし、幻想郷での生活が充実しすぎているのだろう。だから、平坦だった部分は忘れていく。自然と、刺激の多い日常を求めてしまうのだ。

「お金あるし、どっか行ってみようかなぁ……。ちょっと内側に戻れば、何かしら看板がありそうなものよね」

 くあぁ、と変な欠伸をしながら早苗は立ち上がった。神奈子様が見たら「はしたない」と軽く小突かれそうだな、と小さく苦笑を漏らす。
 それから一挙動で身体を海から反対へと向ける。緑の芝生に、他にも見える数多の灰色。発電所跡としてのこの場所が、早苗の中で廃墟という認識だけに変わろうとしていた。

 そういえば、気づいたらこの場所にいたのだった。だから何処から来たとか、何処へ行けば良いとか、そういうことがまったく分からない。基準が必要……そういう考えが一瞬頭をよぎったが、それがすぐに無意味なものだと分かって、考えるのをやめた。
 実際のところ、幻想郷に帰ろうと思えばすぐにでも帰ることが出来る。来たときと同じように、奇跡を起こせば良いだけのことだ。それも、今度は大規模である必要はない。一人だけ、自分だけが幻想となる淡い奇跡を起こせば良い。独り、忘れられる……そんな忘却の祭儀なら、早苗は完全に身につけている。

「あ、でも、」早苗は顎に手を当てた。「そうするとやはり、私がここにいる理由が曖昧になってきますね……。幻想の存在でも、こちら側にいることは出来るのかしら?」

 そうでないなら、こちら側で早苗のことを思いだしたものがいるというあり得ない自称が生じていることになる。
 ある意味で、矛盾だと思った。けれど、幻想郷はイレギュラーの塊。そういうものにいちいち考えを巡らせていると、結局後で無意味だったと知ることになってしまう。経験上、そういうものなのだと諦めるのが一番手っとり早くて楽だった。

 ふわり、と宙に浮かび上がる。こっちにいる頃は、その術を使うだけで一苦労だったというのに、今では呼吸をするように扱うことが出来る。こういうことをきっと、成長というのだろう。あるいは、慣れか。
 だいたい五十メートルほど浮かび上がったところで、早苗は辺りを、というか世界を見回す。緑に覆われた世界はある一点で途切れていて、その先は様々な景色を見せている。ある方角では荒れ地と化し、またある方角には壊れかけた都市が見える。
 あぁ、ここは東京なんじゃないかしら――、そう思って、都市を目指そうかと思った。実は、生まれてこの方東京には一度も行ったことがない。神亀の還都が行われて東京が廃れたのはもちろん知っているけれど、それでもあそこは都会なのだ。少なくとも早苗の住んでいた場所からは東京に行く方が近いということもあって、東京行きは大勢の夢でもあって、幾度かそこへいったという子たちも居たのを覚えている。

 親は、神様は、ついに連れていってくれることはなかった。
 こんな表現を使ったら、まるで恨んでいるかのようだけれど、正直、あの頃は東京には特に興味は湧いていなかった。クラスメイトが話題にするからうんうんと頷いていただけで、大した知識もない。興味がないことの知識なんて、そんなものだ。逆の論理で、幻想郷にはすっかりなじむことが出来たと思っている。

「さて、行きますかね」

 すぅ、と小さく息を吸う。
 一瞬だけ、風が凪いで、
 ふっ、と同じように小さく吐き出すと同時に、早苗の身体は一陣の風にさらわれていった。





     †





 すとん、と誰にも見つからないように都会のはずれへと降り立つ。最近は見つかることを恐れる必要が無くなっていたからうっかり堂々と飛び降りようとしていたけれど、この世界ではもう奇跡なんて存在しないのだ。ミスをすれば何が起きるか分かったものじゃない。
 けれど、身体に染みついた行動というのはすぐに再現できるもので、早苗は案外易々と、所々ひびの入ったアスファルトに足をつけることが出来た。久しぶり過ぎる固い地面の上で数回跳ねてから、早苗はのんびりと喧噪の中へと歩きだした。

 東京は予想以上に栄えていた。きっと京都はもっと栄えているのだろうけれど、少なくとも早苗が見てきた世界よりは数倍も、いや数十倍も栄えていると言って間違いないだろう。簡単な話にすれば、人口密度が違う。人が多い場所は基本的に栄えているものなのだ。

「はぁ……ここが東京ですか……」

 思わず感嘆の息が漏れ、慌てて口を押さえる。田舎者、とかそういうコンプレックスが無意識に働いたのか、一瞬だけ、本当に一瞬だけ周りの視線が気になった。それはすぐに収束して消え、普段の感覚が戻ってくる。もちろん誰も早苗に興味を示さずに自分の目的へと歩いていて、一瞬のそれも杞憂に終わったようだった。

「栄えている……、栄えているけれど、何かが足りないのよね」

 何が足りない?
 堂々と建つビル群、けばけばしいネオンのゲームセンター、アミューズメントパークのような何か、イヤらしい風俗店……どれも早苗の知る世界にはなかったもので、それでも同時に何かが東京には足りないのだった。

「私の世界にあって、ここにないもの……幻想かなぁ」

 足りないと言えば、思いつくのはそれしかない。住んでいた場所には、僅かにあった。幻想郷は、それの塊のようなものだった。そして、東京にはそれが何一つない。そういうことなのだろう。
 もちろんだからといってどうというわけでもなく、ただ非常に違和感を感じるだけだ。それが面白いというのもあるけれど……、とそこまで考えてこれがループしていることに気づく。延々と続きそうで、早苗は強制的に思考を中断した。

 都会の喧噪――、そういうものを感じたのは初めてだった。未知の世界では、何もかもが初めて。幻想郷でももちろんそれは同じで、そういうことが楽しいから早苗は小さい頃から冒険をするのが好きだった。その所為で危ない目に遭うこともしばしばあって、よく怒られたりもした。
 誰に怒られたんだっけ……、疑問は一瞬、すぐに頭のどこかが拒否反応を示して、早苗の思考は再び中断させられた。強引に……やはり、何かがおかしかった。忘却の祭儀、忘れているのは自分の方なのかもしれない。

「気分が悪いわ」

 はっきりと自分の感情を口にして、早苗は顔をしかめた。都会は外観は綺麗だけれど、どうも自分には合わないらしい。どこか拒絶しなくてはならないものが自然と胸の中に生まれて、それが喉を通って口までこみ上げてきそうになるのだ。吐き出してしまわないのは、我慢しているからと、何よりそれの正体を知らないから。
 先ほどまであった楽しかったり、興味深かった気持ちは何処へ消えてしまったのか、早苗は町中を歩くのではなく近くにたまたま見えた荒れ果てた広い公園へとふらふらと近づいていく。

「ちょっと、お嬢さん」そこへ向かう途中で、けばけばしい店の前に立っていた男が声をかけてきた。すっかり気持ちの沈んでしまっていた早苗は胡乱な目で彼を見る。「君、綺麗だね。もっと綺麗になりたくない?」
「なりたいですね」
「だろう?」男は勝ち誇ったように白い歯を煌めかせた。「そんな君に、もっと綺麗になれる薬を」
「それ、他の人を不細工にする薬作った方が売れると思いますよ」
「…………は?」彼は虚を突かれたように阿呆な表情を浮かべた。
「常識に囚われてはいけないのです」

 早苗はぶつぶつと呟きながら、立ち尽くす男の前を通り過ぎる。司会に大きく入ってきた公園は予想以上に広く、それでいてなお何もなかった。空き地と言っても差し支えはない。地面のアスファルトは砕け散り、草は伸び放題……、先ほどの廃墟群を彷彿とさせた。

「公園って、もっと楽しいところのイメージがあったんですが」

 ぼそりと、誰にも気づかれないように言う。公園の中で談笑している不良っぽい服装をした少年少女が、ちらりと早苗の方を見やった。それからすぐに興味なさそうに視線を逸らす。どうにも、息苦しい空間だった。

「あれ……?」

 ――気づいてしまった。

 その少年少女の中に、彼女の知っている顔が、あったことを。
 仲が良かったわけでもないのに、小学校と中学校で一緒だった少年が二人……その中で座って話していたのだ。名前はもう、覚えていない。けれど数回、いや数十回は話したことのある程度の仲ではあった。
 彼らがそこにいること自体は問題ではない。そういうことはあってもおかしくないし、素直に夢を叶えたと喜ぶべきだろう。

 でも……。
 しかし、

 ……私が、逢ってしまって良いの?

 話してしまって良いのか。こんな場所で生きていることを――迷っていることを、彼らに知られて良いのか?
 既に忘れられたはずの自分を……、

 自分が、逢いたいのかどうかすら分からない。
 つまりはそういうことで、ただ……何というか、苦しいのだ。合わせる顔がないというのは少し違う。彼らはもう早苗のことを覚えていないからそういう議論に意味はない。
 だから一言でいうなら、苦しい。
 彼らに顔を合わせるということ自体が、彼らと視線を交わすこと自体が、自分の中にある弱い部分を目覚めさせてしまいそうで。

「…………、」

 きっと、正直に言うのであれば逢いたいのだと思う。はっきりとは分からないけれど、こういう思考をする時点でその気持ちがあることを否定は出来ない。
 そして同時に早苗の足がそれと反対方向を向いたのも、また自然な出来事だった。

 逢いたいから。
 話したいから。

 逢いたくないから。
 視線を合わせたくないから。

 どう考えても矛盾した思考が当たり前のようにそこには存在していて、求めているものが何であれ、結果的に自分が損をしない方を自然と選択してしまった。
 逢ってしまえば自分は壊れてしまう。
 幻想郷で頑張れるはずの自分が、弱く脆い部分を抉られてしまう。
 逆に逢わなければ、自分が壊れることはないだろう。
 一生、後悔するかもしれないけれど。
 相反する気持ちが導き出す答えは当然のごとく後者で、

「………………は、」

 掠れた声が、口から漏れる。いや、もはやそれは声ですらない、呼吸音のようなものだった。


 ――そうそう、昨日さぁ、あいつが家に来たんだけど……。
 ――それあれじゃねぇ? そこでお菓子ぶちまけたっていう。それならもう聞いたよ。
 ――あ、まじで? ……おっと、あいつ来た。噂をすれば何とやらってなぁ。


 ――――嫌だ!

 そう、早苗は叫んだ。
 口から漏れてしまったかどうかは分からない。
 ただ、彼らがそこに居て。
 自分はそこには決して居なくて。
 それだけが、叫びたくなるほど嫌だった。

 今度こそ決心をして――、半ば無意識的に早苗はそこから逃げ出した。スカートがはためくのも気にせず、都会の喧噪の中を疾走する。先ほどの営業マン風の男を突き飛ばし、キャバ嬢の脇をすり抜け、不良少年グループらしき輪の中を一瞬で突破した。一陣の風のように、その場から消え去ろうと走り抜ける。

 すれ違う人、突き飛ばしてしまう人……、すべてが自分の知っている人物のように見えてきて、早苗は今にも気が狂いそうだった。
 学校のクラスメイトだった人が、近所で魚屋をしていた人が、農家をしていて、時折美味しい野菜をくれた人が、そんな優しい記憶が、東京のすべての人々にオーバーラップして、まるで幻想だ。
 失ったはずなのに、
 思い出さないはずなのに、

 ちゃんと、
 綺麗に、
 そこにあって。

「うう…………うあああああああ、あああああああっ!」

 だからその慟哭は、抑えられるものではなかった。
 都会のはずれに座り込んで、
 頭を地面に擦りつけて、
 アスファルトを舐めるように、
 早苗はそこで泣き続けた。

 誰も来ないことを知っているから、
 日が、沈むまで。





     †





 幻想の象徴のような線路が、東風谷早苗の目の前には横たわっていた。幻想郷では結局一度も目にすることのなかった、無機質な錆色。何処を見ても雑草に冒されていて、脇に退けられた古の機械群さえも、その身に錆を纏っていた。

「はぁ……、」

 もう夜になったな、と空を見上げながら早苗は独り溜息を吐いた。苦し紛れの逃走からいったい何時間経過しただろうか、すっかり枯れてしまった涙を都会の隅に置いてきて、結局泣いていた理由も忘れようとしている。
 けれど、もう忘れることは出来ないだろう。これから、早苗は死ぬまで今日のことを後悔し続けていかなければならないのだろうと思っている。奇跡を起こせばこちらに再び来ることが出来るかもしれない。出来ないかもしれない。

 ただ、こういった出来事が起こった時点で確信しているのは、もう自分は二度とこちら側へと来ることはないだろうということだ。

「神奈子様とか居なくても、幻想郷に行くだけの奇跡は起こせるのかしら? 私だけならまぁ平気よね」

 無意味な心配を早苗はしてみた。実際、心配が無用なことも分かっている。二柱と自分との関係は空間的なもので左右されることはない。必要なのはただ、信じる心。神様は元々概念から生まれたものだったから、自然とそういう関係にならざるを得なかったのだ。

 線路は何処までも続いている。途中で途切れながら、それでもその先にはまた途切れた先の部分があって、そしてまた途切れてを繰り返し、早苗の視界に入らない場所まで平然と続いているのだ。


 ――――――――、


 線路の上で立ち尽くす早苗を、光が照らした。
 遠くから……、廃線の上を走ってくる電車を見て、早苗は驚愕に目を見開く。あり得ない、と口の中で呟いた。

「嘘……、ここは使われていないってちゃんと書いてあったはずなのに……?」

 す、と早苗は線路の上から脇に逃げ、列車の陰に姿が隠れる。
 長野電鉄木島線3500系。そんな電車が、どうしてここに?
 ついに声に出されることのなかった疑問は金属の蛇に吸い込まれて、消えてしまって、

 ――そうしてそのまま、早苗は奇跡を発動した。









     ‡





 夜の中を、電車が去っていく。

 そこに立っていたはずの少女の姿は、既にない。

 後に残されたのは、どこか悲しげな、奇跡の残響だけだった。
ぜろしきです。

最近暖かくなってきましたねとか書こうとしたら今日すごく寒かったです。
都会は暖かいのか分かりませんが、廃墟には行きたいですね。

昔からの友人に逢うことがほとんどなくなってきましたが、偶に逢うとどう話せばいいのかが分からなくなっていたりして新鮮です。自分は相手の知っている自分ではないのだろうし、不思議な気分になります。

読んで下さって、ありがとうございました。
ぜろしき
ergo.region000@gmail.com
http://ergoregion.web.fc2.com/
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コメント



0.730簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
この雰囲気が最高です、いい早苗さんだ。
タイトルを見るに……ここ数作はやっぱりシリーズなんでしょうか
8.100名前が無い程度の能力削除
昔と同じではいられないのは当たり前なわけで。
ただ早苗さんは違いすぎたね。昔を振り返ることも難しいくらいに。
14.100名前が無い程度の能力削除
ぶらり廃線長野の旅
16.90コチドリ削除
あれ?紫様の電車じゃないの?
21.90ずわいがに削除
意識すれば早苗さんのような思考にはまってしまうでしょう。
だから俺はあえてそんなことを意識しないように意識しています。それが俺の無意識。