時刻は日没の少し前。
場所は河童の集落にて。
河童のエンジニア・河城にとりは悩んでいる最中だった。
悩むと言うよりは、嘆くとでも言うべきだろうか。
事実、にとりは追い詰められていたのだから。
両手に握ったのは愛用のスパナとレンチ。
目元を覆うのは防護用のゴーグル。
手には指先を保護する為のグローブをはめながら、にとりは泣き言を漏らしていた。
ここ暫くの間発明のスランプに陥ってしまい良いアイデアが出せない――等ではなく、むしろその逆の理由のせいでだ。
アイデアが無尽蔵に湧き出してしまい、どれから手を付ければ良いのかが判らなくて、にとりは悩んでいた。
「あーもう。どれから作れば良いんだよー……」
四方の壁と天井に張り出した多数のアイデアの走り書きを前に、にとりは唸り声を上げる。
遠心分離機の機能を利用した自動ゴミ分別掃除機から手を付けるべきか、はたまたは魔力の波を使う小型通信機を作るべきか。
持ち主にレシピを教えてくれる万能調理包丁も作りたいし、瞬間湯沸し機ならぬ瞬間茶沸かし機だって作りたい。
それよりも酒の温度を自動で調節してくれる徳利を作るべきだろうか。それとも、花壇の自動水遣り機か。
目移りしてしまうとは、まさにこの状態の事だ。
だが哀しいかな。にとりの腕は右と左の二本だけなのだ。全てのアイデアを片っ端から実現するのは無理な事。
誰かの依頼等、優先順位の高い物から手を付ければ良いのかもしれないが、これらは全て依頼ではなくにとりが思いついたアイデア達。
それ故に、優先順位も特に決まってはいないのだ。
だから、にとりは悩んでいた。
一体、どれから手を付ければ良いのだろうか――と。
にとりは、とりあえず設計図が比較的出来上がっている万能調理包丁を作る事にした。
愛用のリュックの中からペンチとニッパーを取り出し、材料棚から薄い鉄板を一枚引っ張り出す。
材料の鉄板を曲げて型を取り、持ち手の部分に機械を組み込むのだ。
コンピュータなる道具を魔法の森の道具屋で安く売ってもらえたので、組み込む機械はそれの部品を使えば良い。
と言う事で、早速にとりは万能調理包丁の作成に取り掛かる事にした。
のだが、
「んーっと、ここをこう……あー……ヤバい。またアイデアが浮かんじゃった……」
少し手を動かしたと思えば、すぐにその手の動きが止まってしまう。
包丁に機械を組み込むと言うアイデアを別の事に使えばもっと凄い物が出来るのではないか――その様な事を考えてしまったのだ。
例えば箒はどうだろうか。
機械が自動で葉っぱや紙くずを分類し、持ち主が頭を使わずとも燃えるゴミと燃えないゴミを分類して掃除をしてくれる箒だ。
これさえあれば宴会の後片付けで余計な作業が増える事も無いだろう。きっと、霊夢や魔理沙も喜んでくれるはずだ。
「んーっと、ホウキの内部に電子頭脳を組み込んで……分別には、ゴミの構成物質を自動で判別するセンサがあれば良いよなあ。
となれば後はどうやって箒がゴミを分別するかだけど、これは箒が振られるのが縦方向か横方向かで分類が出来るから……えーっと、つまり……」
万能調理包丁の製作を一旦止めると、にとりはノートと鉛筆を引き出しから出していた。
早速設計図を書こう。その後は、具体的な発明品の仕様を決めなければならない。
もはや、にとりの頭の中からは万能調理包丁の事はすっかり消え失せていて、今の頭の中を支配しているのは自動ゴミ分類箒の事ばかりである。
だが、自動ゴミ分類箒の設計図を描いていたのも束の間。
にとりの頭脳は、次から次へと噴水の様にアイデアを生み出してしまう。
そして、根っからの発明家であるにとりはそれらを全て作りたいと考えてしまうのだ。
その結果、どう言う事になるかと言えば、
「……ふむふむ。と言う事はつまり……えーっと、あれ? って事は、このコイルを使えば自動で時間を設定する掛け時計も作れるし……
って事は、えーっと、こっちの振り子が…………待てよぉ。この振り子の振れ幅と室内の気温を同期させれば、温度と湿度を自動調整する空調システムだって……
ふむ。と言う事は……えーっと……待てよぉ? このシステムの検索アルゴリズムを使えば、調味料のさしすせそを適切に……あー、って事はこの回路を鍋に仕込めば凄い料理だって作れるんだよなあ。
って事はつまりだ。えーっと……ふむふむ……成程! やっぱり無線で……」
一向に発明は進まず、発明品のアイデアだけが無尽蔵に湧き出してしまう。
結果、一日を通して自室に引き篭もったと言うのに、発明品は一つも仕上がらず、仕上げたい発明品のアイデアだけが増えてしまう。
こんな事がここ数週間の間繰り返されていたのだ。
エンジニアなのに発明もせず、ただひたすらにアイデアを書き留めるだけでそれ以上手を動かせない。
このままではいけない――にとりの脳裏に危機感がちらつき、しかしそれも五秒程で新しい発明品のアイデアに押し潰されてしまう。
結局、にとりがアイデアの記録作業を終えたのは日付が変わる頃。
一つとして発明品は完成しておらず、設計図とアイデアの走り書きだけが部屋のあちこちに散らばっている。
「……はぁ。ダメだよなあ……こんなのじゃ……」
寝る前に漏らした声は、半ばヤケが混じった自己嫌悪の言葉だった。
◆ ◇ ◆
翌日の事。
にとりがベッドから起き上がると、枕元に奇妙な機械が置かれていた。
最初は誰かの忘れ物だろうかと考えたのだが、どうやら違うらしい。
その機械の台座に"河城にとり"と名前が刻印されていたのだから間違いない。
その刻印が決め手となって、無意識の間かはたまたは寝ている間に寝ぼけて作ってしまった発明品なのかもしれないなと、にとりは自分を納得させる事にした。
にとりの眼前、机の上に置かれたその機械は一見するとミキサーの様な外見をしている。
その機械を構成するのは、大きな筒状の本体と幾つかの計器と紙の読み取り口の付いた台座。
その他、色鮮やかな多数のスイッチやらケーブルやらが幾つか。
側面に書かれた説明によると、この機械の名前は"万能発明機"
中身もまた精密なので、細心の注意を持って取り扱わなければならないらしい。
「えっと、まずはここに材料を入れてっと……」
早速、にとりは説明に従って万能発明機を動かす事にした。
万能発明機のフタを開けると、にとりはその中に幾つかの材料を放り込む。
台座の読み取り口に新発明の設計図を入れてスイッチを幾つか押し、計器を見守る事十数分。
あっけなく、万能発明機はその初回起動を成功させていた。
製作者である、にとりの予想を遥かに超える成果を残しながら。
「……これ、夢じゃないよね?」
煙を立てる円筒の中、フタを開けたにとりの視界に入ったのは一本の包丁だった。
設計段階で作業が止まり、どうしても完成に漕ぎ着けられなかった発明品。
あの、設計段階で作業が中断されていた、万能調理包丁がそこには存在していた。
◆ ◇ ◆
それからと言う物の、にとりの発明生活は一変していた。
万能発明機のおかげで、にとりの脳内に湧き上がるアイデアを次から次へと実現する事が可能になったからだ。
次から次へと浮かび上がるアイデアを設計図に書き記し、それと材料を万能発明機に放り込めばものの数分~十数分でそれが完成してしまう。
わずらわしい地味な作業や手の汚れる作業、危険を伴う作業は万能発明機が代わってくれるのだから、その発明生活は実に快適だと言えた。
自動ゴミ分類箒も、自動ゴミ分別掃除機も、その他の発明品も、何もかもがいとも簡単に完成した。
そして、それらの発明品は博麗神社や紅魔館をはじめとするあちこちで役に立っている。
自分の作った発明品が誰かの役に立てるのだから、エンジニアであるにとりとしてもこれ以上ない程に嬉しい日々だった。
「うーん……んーっと……こっちの回路を…………あ、これをこうすれば……火打石でココアが沸かせるんだ。
じゃあこっちの機能をこっちに入れて、前に作ったトランジスタを……えーっと……」
今日もまた、にとりは机に向かいながら発明に勤しんでいる。
誰かの喜びの声を聞けるのが楽しみだから。
完成した発明品の姿を見るのが楽しみだから。
そして何よりも、無尽蔵に湧き出すアイデアが実現すると言う事の素晴しさに酔いしれていたいから。
けれども、何故だろうか。
夢中になりながら万能発明機を起動している時や完成した発明品を眺めている時、オイルや塗料の汚れがすっかり落ちた指を見る時に、一瞬だけにとりは不安を感じてしまうのだ。
この発明は、誰の物なのだろうか――その様な、不安を。
アイデアを出したのは自分だ。
設計をしたのは自分だ。
万能発明機もまた、自分の作品だ。
材料も自分が用意した物だ。
ならば、紛れも無くこれら発明品は自分の作品に違いない――そう、信じたくなる。
けれども、どうしても、にとりにはそれが納得出来なくて、どうしようもない苛立ちや不安を感じてしまう瞬間が時々訪れるのだ。
果たして、この発明品が誰かを喜ばせたとしても、その喜びや感謝の声は自分が受け取るべきなのだろうか――と、その様な事も考えてしまう。
だから、にとりは時々万能発明機にハンマーを振り下ろしたい衝動に駆り立てられてしまう。
精密な機械だ。
力いっぱい叩けば、きっと取り返しのつかない程に壊れてしまう。
どうやって作ったのかも分からないのだから、修理をする事もきっと不可能だ。
一振り。
ほんの一振りで、昔に戻る事が出来る。
けれども、にとりには万能発明機を破壊する事は出来ない。
その便利さを知ってしまったから。
その便利さを失う事が、恐いから。
昔の泥臭い、オイルに汚れた手の発明家になんて、もう戻りたいとは思わないから。
そして何よりも――湧き上がるアイデアを書き留めるのが忙し過ぎて、にとりにはハンマーを振り下ろしている時間なんて存在しないのだから。
様々なことが便利になった世の中ですが、相応に大切な何かが消えてしまっている気がしますね
何を望み何をするのかさえ自分の物ではなくなって
いつしかそこに残ったのは“自動アイデア創出機”
完全なエンジニアやプログラマの成れの果てですかね
ただ壊れるまで動き続けるんですよね
エンジニアと職人とは違うので、にとりがエンジニアならコレでいいのです(キリッ!)
>思いついたネタを寝ている間に小人がテキストにしてくれる
もの書きはエンジニアと職人とを兼ねたような存在なので、やはり自分で一言一句推敲していくプロセスは必要なのでしょうね。
何か上手い感じにサクッと纏めてたらもっと良かったと思います。
これはこれで不安を掻き立てる終幕でとても良い。
なんとも表現できないけれど。
いくつか考えてるうちに最初の頃のを忘れちゃうんだよな。
本当に脳内想像してるのを書き出す機械がほしい。
無尽蔵にネタが湧き出てくる人は羨ましいなと思っていたのですが、果たして。
>湧き上がるアイデアを書き留めるのが忙し過ぎて、にとりにはハンマーを振り下ろしている時間なんて存在しないのだから。
この一文は好きですけどね。個人的には
なんとなく、親近感を覚えました
いやぁ、俺も「脳内のアイデアを自動で絵や文に出来たら」って考えますけど、実際あったらこうなっちゃうんですかねぇ