この話は、下の方にある『キスメの花と冒険とヤマメの話』の続編になっています。
少しだけ読んでいると良いと思います。
告白をして、愛という名の『花』をお互いにプレゼントしました。
これが恋愛小説なら、私はいいなぁって憧れと満足感を胸に、読後感を味わいながら、ぱたんと本を閉じるだけでよかった。
でもこれは現実で。勿論それで終わらない。
頬の肉をむぎっ、と抓ってみたら痛かった。
力いっぱい本気で抓ったから当然だけど、あまりの痛みに涙が浮かんで、ほっぺの伸び具合と鈍い痛みに眉を寄せる。
当たり前だけど痛い。その痛みがおかしくて、疑問を多大に感じながら頬をさする。
「……おかしい。痛い」
そりゃもう痛い。
どうしてか、痛いのである。
何で?
「これ、夢の筈なのに……」
痛覚のある夢なんて存在するのだろうか?
だってこれ夢でしかないのに。
現実な訳がないのに。
「……やまめ?」
ふにっと首を傾げて、桶から目元まで出して、不思議そうに声をかけてくれる、私が現在絶賛片思い中の少女、キスメ。
桶の中をこよなく愛し、たどたどしい話し方と鈴の音の如く耳を蕩けさせる声が凶器で、引っ込み思案で人見知りでもち肌で全身ふにふにと柔らかくて傍によると良い匂いがして、とにかくその存在自体が私の致命傷であり生きる意味とさえ言える、私の最愛の友達である。
そう。
友達。
私たちは友達。仲が良くて親友レベルの絆で結ばれている、ベストなコンビである。
だから。
「……?」
「な、何でもないよ。キスメ」
だ、から。
この、全身がカタカタ震えて処理が追いつかない現在の不可解すぎる状況。
今すぐに土下座して素敵な夢をありがとうございますと感謝したい心境。
いっそ殺せと言いたいプレッシャー。
そう。
そうだありえないだろう?
わ、私が、もう全身の毛穴から血が滲む様な勇気を振り絞って、一世一代の告白をして、そしてキスメにオーケーを貰えてしまえたという、そんな、一生一度の奇跡みたいなこの現状は。
夢に、き、ききき、決まっている……!
ど、どどもりすぎだと自分でも思うけど、頭の中の言葉すら震えて脂汗が止まらない。
ど、ドッキリ。ドッキリなんだ! そうに決まっている!
ならもう大成功だとっとと誰でもいいから出て来い捕食してやる!
わ、私のキスメに関してはノミ以下のハートはもう崩壊寸前だ馬鹿やろう!
だからお願いですもう許してあげて下さい! こういう冗談は残酷でもう本気で死にそ―――
「やまめ、ぽんぽん、いたい?」
こつん。
冷たい感触がおでこにして、ふえ? と情けなさすぎる声を出しながら視線を上げると、キスメのドアップ。
心配そうに伏せられる瞳と、静かな呼吸。
私より少し小さい手が、ふにっと私の肩と頬に触れていて、その薄い桃色の唇に視線が釘付けに―――
どぴゅ。
私は、あぁ、って。
むしろその音に、安堵さえ持って微笑んだ。
弧を描いて飛び出て、つうっと流れる液体。
鼻の奥が強烈に痛い。つーんとして、この痛みは流石に夢じゃないわぁって。
そういう意味で、ちょっと安心できた。
「や、やまめ…?!」
驚いたキスメの体に、一滴もこの汚い血液をかけなかったことを誰か褒めてほしい。
いや、友人に対して興奮して鼻血とか、駄目すぎだけど、ってあれ、でも私ってば今はキスメとお付き合い中で、キスメの恋人?
どぴゅぴゅ。
「やまめ?!」
キスメの珍しい大きな声に、両手で鼻を押さえながら、いやだからそれは夢じゃないのか?!
って、私がキスメとお付き合いできるなんてありえないから!
と思考が無限ループを繰り返しかける。
待て。落ち着いて。
落ち着けるか馬鹿! って自分に突っ込んでいる場合か、いいからクールになるのよ!
そんな私の重大な事情よりも、キスメが不安そうにしている事の方がもっと大変じゃない。ほら、キスメが弱々しく私の心配なんてしてくれて、その大きな瞳を潤ませているじゃない!
「だっ、大丈夫。ごめん。これはむしろ元気な証拠だから、そんなに心配しないでいいの……!」
「……でも」
「本当に平気。わっ、私ってば少し疲れてたのかなーって、あはは」
誤魔化す様に馬鹿みたいに明るく笑って、鼻の奥が切れてしまったのか、全然止まらない血液をハンカチで押さえる。
いきなり格好悪すぎて、私はつーんという痛みも相まってちょっと泣きたくなる。
「……それ」
と、キスメは私にどうしてか切ないような喜ばしいような、そんな表情を見せる。「?」ってその不思議な魅力を感じる笑顔に見惚れると、キスメが桶の中に隠れて、声色を喜色に覆って、ことんと桶を揺らす。
「……きのう、わたし、いなくて……しんぱいした、から?」
「―――え?」
笑顔のまま固まる。
予想外の切り返しで、咄嗟に反応できなかった。
ただ、何かよく分からないんだけど、心の奥がむずむずっとして耳まで勝手に熱くて、喉がからからに渇く。
「……そう、なの?」
「…………。は、はい」
頷いてしまって、ハッとして馬鹿か私は! ってまた狼狽しまくる。
わざわざ、昨日はキスメがいなくて泣きまくって探しまくって、パルスィや勇儀に迷惑掛けて、地霊殿にさらわれたのではって乗り込もうとして押さえ込まれたとか、そんな恥ずかしい事を話す時は一生来ないけれど、だからって、わざわざ貴方のせいで疲れています。なんて白状するとかもう際限なく馬鹿すぎるんじゃないか私!?
「あ、あの、キスメ、今のは」
「……やまめ」
「だから、ね? 今のはその、手違いというか」
「……ありがとう」
「へ?」
「……だいすき、だよ?」
はい?
だいすき?
だいすきって大好き?
え、まっさかー。いやでも、ええっ?!
「き、キスメ?」
「………!」
ことこと、っと揺れる桶。
恥ずかしがっているのか、キスメは引っ込んだまま出てこなくて、でも声から多大に照れているのだと、付き合いが長いからこそ分かって。
私は桃色のハンカチが真っ赤に染まっていく過程を見つめながら、あれー? って首を傾げる。
何だこれ? 何だこれ?!
あれれ? おかしいようん。私がこんなに幸せなんておかしい! 絶対におかしい!
だって昨日まで捨てられてたって思い込んでたんだよ?!
探さないで下さいって書き置きに、その場で二時間以上真っ白になったんだよ?! なのに、急にこんな幸せ気分になるなんて、そんな下げて上げるなんて、私もうっ、もう死にそうだよ?!
「はわ、はわわわわわわ?!」
駄目。
処理が追いつかない。
っていうかさっきからぐらぐらと煮え立つ鍋の如く、吹き零れているのに熱湯が追加されてて何がしたいのか分からないっていうか、もう私が訳分かんないよ! だ、誰かぁ。
パルスィ、勇儀ぃ、って。駄目だあいつら。
そういえば、パルスィは地上に妬みを探しについでにキスメを探しとくから、とか言って昨日出て行って、勇儀は、まあキスメはすぐに帰ってくるだろうけど、パルスィが心配だから付いて行く! って元気に荷物持ちになってた。
キスメをちょっと出汁にして、実はデートだよね? ちくしょう。
帰ってくるのは多分、早くても明日になる筈だ。
つまり、現在まったく頼れない!
ああああぁ。
駄目じゃん!
こ、この嬉し恥ずかし空気を、な、何とかしてくれないと、出血がとま、止まらな……のに。
き、きすめのせいで『可愛さ死』なんて死因、悔いはないけど阿呆すぎるじゃないか!
だから、お願い。他に、誰か―――
「遊びに来たよー」
「やっほー、二人ともいるー?」
神の光臨!
「ッ!!」
信じてた。きっとだって信じてた。
神はいるって私知ってた!
「あ、良かった。キスメはちゃんと帰って来てたんだね」
「へー。てっきり迷子にでもなって今も外を彷徨っているかと思ったわ」
「……ぬえ、その不吉な予想は外れたからともかくとして、当たってたらどうしてたわけ?」
「はあ? そんなのムラサが探しに行くに決まってるじゃん」
「……あぁ、うん。そうだよね」
神は友だった!
足音を立てながら歩いてくる彼女たちは、前の地底絡みの異変の時から姿を消して、昨日キスメを助けてくれたというキャプテンと正体不明だった!
村紗水蜜と封獣ぬえ。その二人の中でも、ぬえは特に親しい友人だった!
「うわぁぁあぁあん! ぬーえー」
「はっ?! ちょぐえっ!」
「ゴフッ?!」
この現状を打破するきっかけ。絶対に逃がさない!
という意味と感動を籠めて、過去に片思い同盟を組んでいたぬえに鼻血が止まらないまま飛びつくと、ぬえに首に纏わりつかれていたムラサの首がぐきっと絞まって一緒に巻き込まれて三人一緒に盛大に転がった。
ゴッチン!
って痛そうな音がしたけど、私とぬえは無事なので、後頭部をしたたかに打ったムラサは、私たちの下敷きになって、きゅうっと目を回していた。
「ってムラサー?! ヤマメ、あんた何すんのよ!?」
「うええぇえぇえん!」
「えっ?! あ、うん。別にいいんだけどね? む、ムラサなんてどうなっても、っていうか、頑丈だし幽霊だし、ほ、ほらだから鼻血拭こう? そしてそんな顔で泣かないでよ!」
「ぬーえー!」
えぐえぐと、もう朝からすでに破裂寸前だった私は、ようやく出会えた友を前に泣き出した。
キスメが「?」って不思議そうに私を見つめてから、目を回すムラサの額をよしよしと撫でている。
そんなキスメが傍にいるだけで、出血が止まらないぐらい幸せすぎて。
もうやだ!
幸せが幸せか分かんなくて怖くておかしくて。
自分なんか信じられなくて、不安で苦しい。
だから、吐き出すみたいに存分に泣いた。
ぬえが、慣れないながら必死に泣き止ませようとしてくれるのが嬉しくて、もっと泣いた。
泣き声が響いて、恥ずかしくて泣いて。
もうぐちゃぐちゃだった。
ぽつん、と。
膝を抱えて座りながらぼーっとしていると、隣に座って待っていてくれたぬえは頬杖をついて「……で?」と睨む。
「なんだったわけ、さっきのは?」
「……うん」
恥ずかしい。もう酷すぎるわ。本当。
ようやく落ち着きを取り戻した私は、気づいたらぬえじゃなくてムラサに抱き上げられていて、キスメもムラサの頭にしがみついて私の頭を撫でてくれていて、それは凄く嬉しいんだけど、何故かぬえは怒られていた。
『ぬえ、何をしたの?』
『なっ、何もしてないわよ!』
『……ぬえ』
『そんな目で見ないでよ! してないったらしてなーいー!』
ムラサがぬえに怒っているという、とても珍しいものを見てしまって、私もようやくそれで自分を取り戻して、慌ててフォローしたのだけど、ぬえの機嫌がそれで治る訳もなかった。
「……あんたのせいで、ムラサにあらぬ疑いをかけられて、責められる目で見られたじゃない」
「うん。ごめん」
「ちょっとドキドキしたけど、やっぱりムラサは優しくないとヤだし」
「うん。ごめ……ん?」
首を傾げて、まあいいやと聞かなかった事にした。
それよりも、私には重大な悩みがあるのだから。
「……ぬえ、あのさ」
「あによ?」
「そ、相談に乗って下さい!」
土下座する勢いで頭を下げると、ぬえが驚いて「ちょっと?」と身を引いて眉を寄せる。
「何よ気持ち悪いわね。本当に今日はどうしたわけ?」
「……じ、実は」
「うん」
「……き、キスメとお付き合いをする事になったの」
「…………おめでとう?」
ドキン、として、でも戸惑う。
うん。
普通は、そう返すよね。
ほんの少し前までは、私がキスメを、ぬえがムラサに、一方的な恋愛感情を向けていて。片思い同盟なんて設立して、一緒にこの想いを実らせようって頑張ってきたもの。
ぬえとムラサの様子を見れば、久しぶりに会ったばかりだけど、彼女たちの関係が良好で、上手くいったのだと分かる。
それに『おめでとう』をまだ言えない私は、駄目すぎるけど、今は自分の事で精一杯で、彼女を思いやれない。
「……ぅう」
「って、だから、どうしてそういう顔してるのよ?」
「……らって」
ぐすっと鼻をすする。
狭い心も、優しいぬえも、あっちの方にいるキスメも、キスメと話をしているムラサも、もう本当に分からない。
ぷつん、って。何かの表面が切れて、
ぬえの顔を見ていたら、どろりとした心が流れ出してしまう。
「らって、さあ」
「……何よ、言いなさいよ」
「おかしい、よね?」
「だから、何が?!」
「わたっ……私がキスメと付き合えるのがおかしい!」
叫んだ。
急に感情が爆発して、気づいたら声が爆発していた。
でも、ぬえは眉を寄せただけで、私から目を逸らさない。
「だって、だって、私何もしてないもん! こ、告白したけど、頑張ったけど、血を吐きそうなぐらいだったけど、でも! キスメは私の事、友達としか、思ってなかった筈で、私はキスメといつか友達から脱したいとか思いながらも友達で! 全然、そういうアプローチしてこなくて、なのに、告白したら付き合えましたって、おかしいじゃん!」
頭痛い。
喉痛い。
そんで、心がギリギリと痛い。
「幸せで変じゃん! 二日前まで普通で、昨日はいなくなって、今日起きたらプレゼントを貰えて付き合えましたって、お、おお、おかしすぎて……ぐす、……なんか、もう、混乱して。う、うう嬉しいよ? こうやって泣いちゃうぐらいで、鼻血でて、溶けそうでスライムでもなりそうで、めちゃくちゃ全力疾走したくなるぐらいだよ? でも、でも、やっぱりおかし―――」
「歯ぁ食い縛れ」
バチンッ!
て、混乱した頭を叩かれた。パーで。
「?!」って、痛い、というよりも叩かれたショックの方が大きくて、ぽかん、とぬえの顔を見てしまう。
それだけで、ぷしゅうと空気が抜ける風船みたいな私は、きっと脆くて弱いのだろう。
「ばっかじゃないの?」
「あ…う?」
「あんた、どれだけ自分に自信がないのよ? 目の前にある幸せを素直に享受する事も出来ないわけ?!」
「ら……でも」
ぬえの言いたい事が、なまじ分かるからこそ、目を逸らす。
怖い、としか、今は分からない。
「それとも何? キスメって、あんたに告白されたら特に何も考えないでオーケーする様な子だったっけ?」
「なっ、ち、違うよッ!! キスメは嫌な事は嫌って、ちゃんと言える子だよ! で、でも、相手が私だったら、もしか、したら、遠慮しちゃう、かもで」
「ああもう馬鹿!」
げしっと顎を蹴り上げられる。
それは流石に強すぎて、痛みと反動でみっともなく転がる私を、立ち上がって見下すぬえの顔は、怒っていた。
私の本音を、不安を、聞いて尚くだらないと見下していた。
「あんた蜘蛛でしょう?! べったべたな糸で獲物を捕まえて放置プレイの挙句最後には鬼畜に獲物を生きたまま溶かして食い荒らす気色悪い蜘蛛でしょう?! しかも病原菌を撒き散らす最悪の毒蜘蛛が貴方でしょうが!」
「ま、間違ってないけど酷いッ?! 泣くよ?!」
「うっさいのよこのへたれ! だから、もっと強気になりなさいよ!」
げしげしと蹴られる。
っていうか、私はキスメと友達してから、嫌われるのが怖くて、もうそういう事はしてないのに、相談とは別事で責められて、やっぱ気持ち悪いって思われてたんだって、不安な心が更に叩かれて、心が折られそうだった。
た、たまに、そりゃあ本能のままに食欲に身をまかせてそういう事をしたくなるけど、ちゃんと我慢してるよ!
キスメの為に自炊を覚えて、今はおかんレベルだって皆言ってくれたもの! だからしてないから、だ、大丈夫。
き、キスメに嫌われたり、なんて。
「……ぅう」
「ああもう、まだ分からないわけ?」
ぐりぐりと踏みにじられる。
ぬえは背中の奇怪な羽をびしっと私に突き刺す。痛かった。
涙がぼろぼろと出た。
「キスメは、ちゃんとあんたが好きなんでしょうが!」
まさか?!
「ちょっ?! そこで『まさか?!』って顔してんじゃないわよ! どんだけ自己評価が低いのよ! あんたもムラサと同じで面倒臭いわね! どうして相手が好きって言ってくれるのを信じないのよ!」
「っ」
ビクンと震えて、ぎゅっと拳を血が滲むぐらい強く握った。
し、信じてる、けど。
でも、キスメの『好き』って友情の方だって、そうに、決まってるし。
大体、ムラサと同じって言うけど、ぬえの馬鹿! そんな訳ないじゃん! ムラサと私は全然違う。
ムラサは力が強くて、船長で、可愛い顔なのにキリッとした顔をすると、ずるいぐらい頼もしく感じて。
今だって、叫んで一方的に暴力を受けていて、傍目には喧嘩している様にも見える私たちを、キスメは見ている筈なのに、むこうで安堵して笑っているのは、ムラサがフォローしてくれて、話し上手で、雰囲気が柔らかいからで、ぜ、全然私に足りないものばかりで。
悔しくて。
「……ちっ、今度はライバル意識? ほんっとうに面倒で勝手だわ」
うっ。
私の顔から何を考えているのか読み取って、ぬえがイライラと私を強く踏みつける。折れそうなぐらい、遠慮なく痛めつける。
「ヤマメさぁ、そんなんじゃあ、明日には別れを切り出されるわね」
「ぐはぁ!?」
「……と、吐血するぐらい嫌なら、頑張りなさいよ」
ぽたぽたと、今度は口から出血して、私は目が覚める想いだった。
「あ、ぁあ」
わ、『別れ』……?
身を引いて「うわあ」って顔をするぬえに、私は考えもしなかった終焉への予想に、だらだらと血を流しながら頭を抱える。
そうだ。そうだそうなのよ!?
何やってんだ私は!?
今のショックで内臓が傷ついている。私は本来頑丈な妖怪なんだけど、キスメが絡むとどうしても不安でぼろぼろになってしまう。
で、でも。
別れ?
別れって、あれだよね。
『やまめ、きらい』
って言われるって事で、そ、そそそ、そんなぁ。
「ふわぁああぁあんッ!!」
「泣くなー!? あんたどんだけメンタル弱いのよ?! もっと強く生きてよ!」
「キスメー捨てちゃやだー! わ、わたしがんばるからぁ」
「そ、そうよ。その意気よ」
「きーすーめー!」
ドン引きされてるけど、もう涙が止まらない。
残念な子を見る目を向けるぬえが心に痛いけど、でも。しょうがないじゃんか!
「やまめ…!」
「ふえ、キスメぇ」
「……ぬえ?」
「む、ムラサ?! ちが、だから泣かしたわけじゃないってば!」
泣き声に驚いて、でもそれ以上に心配そうに手を伸ばしてくれたキスメの桶に縋りつく。
どうしよう。馬鹿だった。
信じる信じない以前に、私に選択権なんて最初からなくて、私はキスメに嫌われたらそれで駄目になっちゃう弱い子なのだ。
だというのに、あんなくだらない事で悩んで。
キスメと付き合えているのは夢で、何かの間違いで、本当はキスメは、私に流されて仕方なく、とか。
そんなの考えている場合じゃなかった……!
本当は、私はキスメに嫌われないように、好きになって貰える様に、この関係を続けるための努力とか、そういうのを考えたり、行動すべきだったんだ……!
それに、こんな形だけど気づけた。
答えが、出た。
ありがとう……! ぬえ。
「だ、だから、違うってば」
「ぬえ、私にならいくら意地悪してもいいけど、友達を泣かすまで虐げるのは、流石に見逃せない……!」
「ぐっ、そ、そんなに私が信じられないの!?」
「うん!」
「?! ぅ、ぐ。む、ムラサの馬鹿ー! うわぁぁああん!」
って、あれ。
恩人ぬえが泣き出した。
この場に泣き虫が増えて、ムラサは僅かに狼狽したけど、ぶんぶんと首を振ってぬえの腕を掴む。
私はキスメによしよしされながら、答えが出た安堵感に冷静になり、その光景にポカンと見入ってしまう。
あ、勿論キスメの手を握るのは忘れてない。
「じ、自分の普段の行動を省みてよ! そうすれば私の心情も分かるから!」
「ふえぇ、むら、しゃがぁ」
「……だ、から。その」
「ばかぁぁ、ふえぇん」
ムラサは、駄々っ子になったぬえに困りきって緊張しきった顔で固まる。
これは、本当にムラサの誤解だから、私は口を出そうとして、でも今割り込むのはいけない気がしてキスメと一緒にオロオロと様子見をしてしまう。
どうしよう。
どう考えても二人の喧嘩? の原因は私で、安心したと思ったらまた別の問題で、あわあわと焦りが込み上げる。
「……あ、あのさ、ぬえ?」
「むらさのあほぉぉ!」
「……でも」
「もぉ、きらいぃ!」
「ッ……」
きつっ!
あ、あれはきつい!
キスメに言われたら私なら死ねるレベルの言霊に、ムラサは肩をぎくりと強張らせて、きっと本意じゃないのだろうけど、今はそう言ってしまうぬえを見る。
その頬は、少し膨れていた。
でも、ムラサの頬は、むうっともっと膨れていた。
「……あ、そーですか」
「っ、ふぇ」
「いいですよ、別に」
「……ぐす」
「私は、ぬえに好かれなくても全然、平気ですし、そりゃあもう、ちっとも平気です」
「………」
ぬえの瞳が丸くなって、明らかに強がっているムラサを見る。ムラサはぬえを掴んでいた手を離して、腕を組み、口角を右だけ上げて笑おうとしている。
「……むらさ」
「いえ、いいんです。別に、違うのなら、疑った私が悪いのは明らかですし。……でも、ぬえだって普段が普段で」
「……しゃべり方が船長モードになってる」
「えっ」
「そんなに、ショックだった?」
顔を寄せるぬえに、ずいっと顔を下げるムラサ。
ぬえの赤い瞳が期待に輝き、ムラサの緑の瞳が失敗に慄いた。
さっきまで泣いていたのに、今はきらきらと輝いていた。
「……あ、あー、いや? ちょっと口調が変わっただけだから、別にショックとかそういうのは」
「ムラサ」
「いやもう。そういうのは本当にさっぱりで」
「……好き、って言ったら許したげる」
「……だっ、から、えと」
だらだらと汗をかいて一歩下がるムラサに、一歩近づいてそのまま腕を取るぬえ。
さっきと立場が逆転して、私とキスメはちょっとどきどきしていた。
「ぬ、ぬえ? いや、そういうのは、二人きりの時で」
「駄目、今。じゃないと許さない」
「……」
ちらっと私たちを見て、弱りきった顔で情けなく呻くムラサ。
少し考えて、この押し問答は自分が折れない限りどうしようもないと悟っているのだろう。帽子をそっと脱いだ。
「ぬえ」
「……ん」
そのまま、私たちから帽子で寄せていく顔を隠して、そっと囁く。
淡い、小さな響き。
だけれどその音は、狭い洞窟内だからこそ、優しく反響して、私たちの耳に届く。
「――好き」
っていう、少し低音の、甘くコーティングされた愛おしそうな声が。
「ッ!」
ドキンっ! て、私が言われた訳でもないのに、鼓動が大きく高鳴った。
そしてテンションも大変なことになった。
もう、あの。
たったそれだけなのに。
口元を隠して、囁いただけなのに、それが凄かった。
うひゃああっ! って悲鳴をあげたくて、顔から火が出そうで、キスメと顔を見せ合ってぱくぱくと口を開いたり閉じたりと、興奮した。
な、なに今の?
す、凄いというか、見ていてどぎまぎしてきて、キスメと手を握り合いながら目が離せなくて、何度も悲鳴をあげたくなる。
と、とにかく凄い。
それで、ぬえが腰砕けにぺたんって座り込んで、ムラサが慌てている。
「……む、ムラサ」
「は、はい」
「……声が、ずるいのよぉ」
両手で覆う様に顔を隠して、耳まで赤面するぬえに、ムラサはよく分かっていないのか、首を傾げて、でも、ちょっと嬉しそうに「…うん」って笑った。
幼い子供みたいな笑顔だった。
それから、ぬえをすっと流れる様な動作で抱き上げる。
ぬえよりちょっと背が高いだけなのに、軽々とお姫様抱っこをするムラサは、船長っていうより王子様に見えて、さっきから見ているこっちのハートが危機だった。
「えーと。それじゃあ、帰るね」
「う、うん」
照れた顔で気まずげに私たちから目を逸らすムラサは、この後ぬえと何をどうするのか聞きたくなったけど、ぐっと我慢した。
私とキスメは当てられて真っ赤で、これ以上は毒だと本能的に理解していたからだ。
「……う~」
ぬえが顔を隠したまま、ぎゅうっとムラサの服を掴んでいるのがまた、叫びたくなるぐらいどきどきする。
もう、見ていて恥ずかしい!
なのに変に高ぶって、もじもじが止まらない。
何だろう、この気持ち?
「……あ! そ、それと、今見たのは、内緒ね?」
「!」
こくこくっ! とムラサの言葉にすぐに頷く私とキスメ。
ムラサは、そんな私たちにほっとした顔をして、てれっとした顔で「ありがとう」って笑った。
それが、とても女の子の顔で可愛くて、ぬえもつい見ちゃったみたいで、更に「くぅぅ……!」って湯だって。
とにかくドキドキが収まらない。
熱い空気を撒き散らす二人に、視線を逸らしていながらも、でも「あ!」ってハッとして顔を上げる。
背を向けたムラサの背中に、抱き上げられたぬえに向けて。
私は赤い顔のまま叫ぶ。
「お、おめでとう二人とも!」
って。
さっきは言えなかった。
遅すぎる祝福の言葉を。
「え?」
「っ!」
二人は同時に此方を見て、驚いてから、数秒後に照れた顔で一緒に笑った。
はにかんで、恥ずかしそうで、嬉しそうで。幸せそうな顔だった。
「ありがとう」
重なった声が、ふわりと春風みたいに清らかに、私とキスメの耳に届いて。
私とキスメは、気づいたら手を握り合って。二人を見送っていた。
どうして、かな?
此方の方が『ありがとう』と言いたくなるぐらい、お裾分けを貰ってしまって。
頬が緩む。
つい笑いが零れるぐらいに。
ふんわり嬉しかった。
幸せなカップルって、最強だぁって。
凄い事を教えられてしまった。
「行っちゃったね」
「……うん」
二人の背中が消えてから、少しの寂しさを覚えながら呟く。
手を握り合いながらだから、キスメが少し強く握り返してくれたのが照れくさくて、そういえば今は二人きりだ、なんて。何だかギクリとして、動揺して、もじもじしながら頬を掻く。
なんだか、二人きりを変に意識してしまう。
おかしいな? 今までこんな事はなかったのに。
隣のキスメを意識しすぎて、ごくりと喉がなる。
「……えと」
さっきの二人が運んだ春風が、まだふわりと前髪を揺らして、キスメを持ち上げているからなのか、キスメの声が頭上から聞こえてくるそれすら新鮮で困る。
っていうか、アレ?
むしろ、凄く居心地が、悪いっていうか、落ち着かないって、いうか。
もやもやする……?
体が緊張に動こうとしない。
隣にいるのはキスメなのに、大好きなキスメなのに、どくどくと嫌な鼓動が高鳴っていく。
……っ。
二人きりになって、すぐに。
私は、息苦しさを感じている。
なんで、こんな……っ。
不安?
馬鹿。ぬえと話して、そんなのは気にしないって事に、したのに!
「いやぁ、今日は晴天でしたよ」
「……ん」
「ええ、綺麗な花が咲いていました。今度持ってきますねって、いらない? ……はぁ、ヤマメさんからしか受け取らないと」
ああ、もう。
落ち着いてよ私。
どうかしている。
キスメが「……文」なんて、私以外の女の名前を呼ぶのにさえ、反応してしまうぐらい、苦しくて……
不安が治まらなくて、
って。
「………は?」
春風?
頭上から声?
花?
「いやぁ、それにしても凄い威力でしたねぇ。私ってば恥ずかしくて恥ずかしくて、あの二人がいなくなるまで隠れて、そこの岩陰で砂を吐いてましたよ」
「………が」
顎が外れそうになった。
予想外の奴が、当たり前の様にそこにいた。
混じってた。
キスメが、そいつの手に僅かの抵抗もせずに、桶を持ち上げられて心地良さそうに頬を緩ませている。
その状態で私と手を繋いでいるから、どうりで急に背伸びしなくちゃいけなくて、少し体勢が苦しいと思った。
そして、それを面白そうに、ふてぶてしく笑って見ている脅威のロリコン天狗!
さっきまで感じていた不安が、吹き飛ぶぐらいのショックだった。
「ペド天狗ー!?」
「あはは。ご挨拶ですねぇ、ぶっ飛ばしますよ?」
「キスメを離せ!」
「嫌ですよぉ。今日は彼女に用があってわざわざ出向いたのですから」
新鮮な風。
こいつが来るとそれを特に感じて、キスメはその香りを気に入っているのか、大人しい。
私以外だともぞりと嫌そうにするのに、何故かこいつの手を素直に受け入れている。
……何? 昨日助けて貰ったとか言ってたけど、でも投げられて意地悪だったとか言ってたのに、どうしてそんなに普通なの?
沸きあがる新たな不安の種に、頬が震える。
「だ、駄目だよキスメ!」
「……?」
「こっ、こんなの好きになったら駄目だよ! こいつはきっと、キスメが大きくなって成長したら飽きてぽいって外道な真似するに決まってふぎゅ」
「だーかーらー、どーして貴方の私への評価はそう最底辺なんですかねー?」
桶で顔を潰された。
問題ない。むしろ幸せだけど、慌ててキスメの桶を奪い取る。
キスメは不思議そうにしていたけど、少しにこっと笑ってくれた。眩暈がしそうなぐらい、それだけで悩殺されそうになる。
やっぱり、私はキスメが、凄く好きなんだって、たったそれだけで再確認させられる。
……うわあ、恥ずかしいな。
「……はぁ、また一人、素敵なお姉さん候補が」
「?」
「はっ!」
天狗はぼそりと呟いてから、首をぽきっとならして私を見下ろす。いや、正確にはキスメを。
私は一瞬でも天狗から気を逸らしてしまったのを恥じて、慌てて睨む。
でも、天狗は私の視線なんて気にもしなかった。
「キスメさん。昨日会った、幽香さんからの伝言です」
「…え?」
「こほんっ。ええ『昨日の事は即座に忘れなさい。私とリグルの思い出を他で吹聴したら咲かすわよ』だそうです」
「……」
キスメが微妙な顔をする。
幽香って、あれだよね? 花を撒き散らしてイチャイチャしてたっていう。
「それから、リグルさんから『すいません本当に忘れて下さい! その、あれはあれなんです。自分のテリトリー内だと、普段より積極的になっちゃうっていうか、つい君の目を忘れて大胆になったりしちゃったんです! ふ、普段からあんな訳じゅないから、いつでも遊びに来て下さい!』だそうです」
「……うん」
今度は少し嬉しそうに笑うキスメに、チクンとして、ああもう本当に心が狭いと反省する。
というか天狗の声真似が異常に上手くて、表情まで高圧的になったり情けなくなったりするのがちょっと面白くて、やきもちすら中途半端。
……私って、本当に駄目な蜘蛛だわ。
「じゃあ、伝えましたよ」
「……あ」
「? あぁ、実はですねぇ、貴方を二人の逢瀬の場に投げこんだ事を根にもたれて、お使いを強要されたんですよ」
「……う」
「大丈夫です。ただ貴方が元気だという事と、お礼を言っていたと伝えれば、それでこのお使いは終わりですから。お気になさらずに」
……やきもち勃発。
落ち込んでいる間に、いつの間にかキスメの表情や唇の動きからキスメの静かな訴えに正確な受け答えする天狗は、本当に油断がならない。
ちょっと才能が多すぎないか?
「って、ちょっと。歯軋りしながら睨まないで下さいよ」
「……ぎりぎり」
「わざわざ口にまで出しますか」
嫌われたものですねぇ、なんて軽く言って、にっこりとした顔を寄せられた。
な、何よって狼狽すれば、人差し指がつんっと鼻先に置かれる。
「もっと余裕を持たないと、恋人が苦労しますよ?」
っ。
耳元で囁く声は楽しげに鼓膜に響いて、真っ赤になって大げさにのけぞった。
腰に手を当ててにやにやしている癖に、それが凄く似合っていて、悔しくてくそぉって、小さく悪態をつく。
お見通しなのが、凄く不愉快だった。
「おやおや」
天狗は更に強く睨む私を軽く流して、苦笑しながら肩をすくめる。「怖いですねぇ」なんてうそぶく。
下手な事を言って記事にされてはたまらないから、無言で睨みあげると。文は「ふむ?」と僅かに眉を上げる。
「…………あぁ、はいはい」
一人で勝手に納得している。
もしや、とか。そーいう事ですかぁ、とか呟いて、いきなり面倒そうに溜息。
「何よ…?」
「いえいえ、あーもう。青いなと思いまして」
「はあ?!」
「ところでヤマメさん」
キスメの頭をぽんっと撫でて、私の肩を押す。
「あちらで、人生の先輩とお話をしましょうか。…………キスメさんの事で」
え?
ぐいぐいっと肩を押されて歩かされて、力を入れてもびくともしないその手に、力の差を歴然と突きつけられて慌てると、キスメが不安そうにこちらを見ていた。
でも、大人しく桶をことりと揺らしただけで、それはつまり。いってらっしゃいって事で。
「さあさあ、行きますよー」
「うっさい! 押さないでよ! 変質者!」
「……ヤマメさんって、キスメさんと他に対する態度の違いが露骨ですよね」
「失礼ね! あんただけよ!」
「いいええ、無意識って奴ですか? 露骨すぎるんですよ」
ぎゅうっと、肩を強く掴まれて、キスメからこちらの声が聞こえないぎりぎりで、私と向き合う。
そしてふっと笑って。
「このエッチ♪」
ふにっと頬を指先で押された。
…………。
「はあっ?!」
エッチ?! エッチって何よちょっと!?
「まあ落ち着いて下さい。説明してあげますから。この私がわざわざ時間を割いて、親切に丁寧にからかいを含めて、今の貴方がどういう状況なのかをしっとりと教えてあげましょう」
「どっ、なっ」
「貴方の心が荒れ狂い、どろどろな原因を、ね」
「…っ」
ごくり、と唾を飲み込む。
私は天狗の、そのふざけた態度に、だけど飲み込まれて。
ずっとおかしい、私の心が。本人の意思を無視して荒れ狂うコレの原因が分かるのかと、心の動きすら読まれているのかと、戦慄して、その瞳に射すくめられてしまう。
天狗は笑う。
私を楽しげに観察して。
そうして、天狗は唇を開いた。
死にたい。
いや、もう本当に死にたい。
天狗のふざけた言葉を胸に、私は頭を抱えてそのまま自らの毒で死にたくて仕方ない。
だって。
「貴方はつまり。死ぬほど大好きな人気アイドルに駄目もとで勢いのままに告白したらオーケーを貰えてしまい、ぎーやーな男子中学生、なんですよ!」
「―――はあ?」
「そりゃあもう、期待と不安にドキドキでびくびくでびんびんで、どうして俺なんかが?! これドリームか?! と現実を受け入れられず、きっとからかわれているんだ。遊ばれているんだ。という悪い想像が振り払えずに、清楚で可憐なアイドルを前に、どぎまぎしまくって、気の効いた言葉も言えずに、付き合っているのに気まずく、友人に相談したくともアイドルと付き合っているんだ、なんて正気を疑われそうな事は言えずに塞ぎこみ、食事に誘っても都合があわず、メールのやり取りすら一ヶ月に二、三度。初めてはほぼ無理矢理。そして最終的にはすれ違ったままにさよならしちゃうという傷だらけの思春期を迎えて」
「ストップ! ストップだ馬鹿!」
「……おや? いい所でしたのに」
天狗の首を絞めて止めると、唇を尖らせて拗ねられた。馬鹿だろあんた?! 馬鹿なんだろあんた!!
「おや、二回も馬鹿とか失礼な」
「心を読まないでよ!」
「…な、何も泣かなくても」
天狗のふざけた言葉に泣きながら怒ると、天狗は「やれやれ」と言った顔をする。それはこっちの心境だ!
っていうか男子中学生って何だよ?! 妖怪か?!
大体、どうして急にそんな意味不明な妄想話なんかを、楽しそうに披露してからかってくるかなこいつは!
「分かりませんか?」
「何が?!」
「違いませんでしょう?」
「違いすぎるでしょうが!」
「……ったく」
でこぴん。
ビシッと勢いがあって痛かった。
「あいたっ?!」
「そう間違ってないじゃないですか。貴方にとって、キスメさんはそういう存在だったのでしょう?」
「ち、ちょっと」
「そういう、絶対に自分の恋人になってくれる筈がない、高根の花。一生『片思い』の筈の相手だったんですよね?」
なっ。
全身が凍る。
目を限界まで見開いて、舌が固まった。
な、んだこいつ……!
「ええ、貴方の気持ちが本物だろうと偽物だろうと。それは関係ないんですよ。貴方は最初から諦めていた。友達で終わるつもりだった。一生。だから、急に目の前に喉から手が出る程に欲しかったキスメさんが、望んでいた彼女が現れて、苦しいんでしょう?」
ち、
ちがう、と。
叫べなかった。
文の唇を馬鹿みたいに睨んで、目が、見られない。
「そうですよねぇ、そんなの、信じられませんよね?」
信じられないから、怖くて。居心地悪いですよねぇって。
天狗は目を細めて、呟き、私の首を、そっと絞める。
動けない私を気にせずに、親指を顎の下に添える。
「無理ですよね? 信じるなんて。誰よりも知っている筈の、一番に信用しているキスメさんを、どうしても疑っちゃいますよ。……同情されているのではないか、って。だからオーケーしてくれたんだって。ずっと」
喉が、ゆっくりと絞められて。
呼吸がひゅー、っと内側で大きく聞こえてしまう。
違うと、この手を振り払えない。
文は笑う。
「甘えんなよガキが。……って事です」
そして、ぱっと、唐突に離された。絞まっていた首が、開放された。
きぃん、と頭が痛くて、視界がくらくらした。呼吸はすでに止まって、指先は氷の様に冷たい。
目の前の天狗から。文から、目が離せない。
「貴方の都合なんて知らない。貴方の理想なんて知らない。貴方の不安なんて知らない。……ただ、どうしてキスメさんは『花』をプレゼントしようなんて、急に思い立ったのでしょう? どうして、その相手は貴方だったのでしょう? どうして、貴方はキスメさんに告白したのでしょう? どうして今、お二人は付き合っているのでしょう? どうして、貴方はそんなにキスメさんを信じられないのでしょう?」
どうして、でしょうねぇ、と。
本当に面倒臭そうに、文は言う。
私は泣きたくなる。
悔しさと、どうしようもない、できない。何かに対して。苦しくて。
「どうして、ガキっていうのは、こうも見ていてイライラするのでしょう。視野が狭いんですよ。自分勝手で、貴方もキスメさんも自分の事ばかりで、相手の事を好きって、それしかない」
ぐしぐしと、頭を撫でられる。涙を拭われる。セットした髪が乱れる。指先が冷たい。
でも、嫌じゃなくて、嗚咽が漏れた。
文の言葉は、鋭くて、意地悪で、変に優しかった。
私は、あやの言葉を半分も理解できていないのに、彼女が何を言いたいのかを、本能で、じわりと溶け込むように受け入れて、ぎゅっと目を瞑る。
「そう。貴方はただ、急に変わった関係にびくついているだけの、青臭いガキです。何の覚悟もなしに、そういう事をするからこうなるんです」
冷たくて、暖かい。
矛盾に瞳を開く。
「……でも、一歩進んだからには責任を負いなさい。ちゃんと、キスメさんを笑わせてあげなさい」
馬鹿を見る顔で、瞳を優しく細める文が、私を覗きこんでいた。
ぎゅっと唇を強く噛んだ。
「ったく、私をあんな顔で睨んで、独占欲をちらつかせて、キスメさんが不安そうでしたよ? キスメさんもキスメさんで、貴方ばかりをちらちらと見て、空気で惚気るのやめて下さい。そーいうのは食べすぎで胃もたれ中なんです」
最後に、ぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜて、文はよいしょっと。背筋を伸ばして「んー」と、肩の荷がおりた、みたいな顔をする。
「ああ、そうそう。そこにいるキスメさんも、私の言葉が身に染みたら同じぐらい反省して下さい。子供同士の恋愛なんて、自分勝手が原因で八割がた破局です」
「え?」って反射で顔を上げると、キスメの桶が、岩陰からそっと覗いていた。「あ」と声が漏れて、逸らす。
気まずい。
なのに、文はそんな私たちの間を歩いていってしまう。
あーしゃべりすぎました。とか、適当なことを言って。
「……最後に一つ」
文は、背中を向けたまま頭の後ろで手を組んで、楽しげに言う。
お節介です、と。
キスメの桶に手をいれて、多分キスメの頭を撫でている。
「大人には大人の。子供には子供の、恋愛の仕方がある。……手探りで進んで楽しみさない。今しか味わえない青い恋愛を、贅沢にね」
バサリ、と。
黒い羽と風を残して、悔しいぐらいにあっさりと。
「頑張れ」
って。
言って、くれた。
あいつは、私の心情を、キスメの心情を、今の関係を、私の壊れかけの心を、当てまくって。
まるで、上手く纏めたみたいに、満足げに去っていった。
悔しかった。
ありがとう、なんて。
言いたくても、言えないじゃないかって、私は両手で顔を覆って、頬に強く爪を立てる。
恥ずかしさに、死にたくなった。
私は、男子中学生、という名誉なんだか不名誉なんだか、そんな。
青いガキらしい。や。
説教が効いたみたいで、その後は、不思議なくらい心の内が穏やかだった。
こうやって、キスメと静かに向き合える事が、少し居心地悪くて、でも嬉しかった。
朝から感じていた、荒れ狂う心にようやく訪れた凪に、安堵の溜息がでるぐらいに落ち着けた。
……私は、知らずに疲れていたみたいだ。
「……やまめ」
「ん。分かってる」
頬を掻いて、キスメの桶をぎゅっとする。
「ごめんね。ちょっと、今日の私は変だったね」
「……んーん」
ふるふると小さく首を振るキスメが、愛しいなぁって目を細めて。こつんと額を桶にぶつける。
何だかなぁ。
「焦ってたね」
「……うん」
「私たちは、私たちで。ぬえたちみたいには、いかないよね」
「……うん」
あんな風に、すぐに素敵にはなれないねって。俯く。
結局、そういう、しょうがない事なんだろうって。少し分かった。
キスメに、一歩進む事を止めていた私。
諦めて、このままの関係に幸せと、少しの空しさを同時に抱いていた私。
友達のままも、悪くないとか、そうやって逃げていたから。
こうやって、キスメと恋人になってからも、逃げてしまった。逃げ癖がついていた。
自分の事ばかりで。
格好悪かった。
「……やまめ」
キスメの小さな手が、もう解いてしまった髪を撫でる。
さらりとした感触が心地よかった。
涙がでるぐらい。
お互い、色々と聞きたい事も言いたい事もある。
でも、それを口にする勇気がなくて。その勇気は少しずつ、お互いに歩み寄り、経験し、その過程で手に入っていくもので。
背伸びはできても、階段を省略はできない。
私たちは、子供だった。
もしも、今日。ムラサとぬえが来てくれなかったら。
文に、会っていなかったら。
子供の私たちは、どうなっていたのだろう?
築き上げた関係すらどうしようもできないぐらい、馬鹿をやって、溝が出来ていたのかもしれない。
壁が出来てしまったかも。
友達にすら、戻れずに。
先にすら、進めずに。
最悪の形で終わっていたかもしれない。
……そんな、怖い想像で小さく体が震える。
どれだけ、自分たちが小さく無知なのか、嫌というほどに思い知った。
関係が変わるというのは、とても勇気のいる。怖い、大変な事なのだと。
その怖さを知らなかったからこそ、ガキなのだと。
「ね、ねえ、キスメ」
「……」
怖くて、沈黙すら痛くなる。
だから話す。
何かを話さなくちゃと思った。
「わた、し、頑張るから」
「……」
「ぜったい、に」
「……やまめ」
声が、情けないぐらい震えている。
でも、格好悪いと分かっていても、続ける。
止めるなんて、出来ない。
「なっ、何を、頑張ればいいのかも、分からないけど、でも、私なりに、キスメを、その……」
顔を、震えながら上げる。
言葉が続かなくて、不安で、押しつぶされそうで、苦しかった。
キスメは、静かに瞳を伏せて、私を見つめてくれていた。
頷いて「…はい」って、頬を染めてくれた。
微笑んで、くれた。
その顔は「うん」って「いいよ」って「大丈夫」って「待っている」って、私が欲しい言葉を全部含んでいて。
我慢できずに、くしゃりと泣いた。
ぽろぽろと涙が零れる。
幸せな筈なのに、痛くて、もどかしくて、力不足で、どうにかしたくて、できなくて。
もう、潰れそうなぐらい一杯だった。
「きすめ。きすめ、きすめきすめ……っ!!」
「……うん」
キスメだって、きっと同じで、だから何度も何度も、目元を擦って、擦りきれなかった涙を零す。
ぽたり、ぽたり、と。
「ぐす、が、頑張るからね」
「……ん」
「あ、あんな天狗に、負けないんだ」
「……ん」
「ぬえ、にだって、負けないから」
「……ん」
「もう、訳わかんないけど、キスメじゃなきゃ駄目だから……!」
「………!」
ぽろぽろ。
って。
上から降ってくる暖かな水に、気づかない振りをして。
私も鼻をすすって、ぐすっと、声を押し殺す。
たくさん泣こう。
「キスメぇ」
「…やま、め」
枯れるぐらい、泣いてしまおう。
今だけは、泣いたっていい。
そして、泣き止んだら笑おう。
キスメから贈られて贈った、花の香りを忘れていない。ずっとずっと忘れない。
そして。
こんな、悔しい気持ちを私は一生忘れない。
早く、大人になりたいと、渇望する、子供の気持ちを。
絶対に。
おまけ。
「初々しかったね。あの二人」
「そーね」
「なんだか、懐かしくなったかも」
「ふーん?」
「最初の頃は、何をするにしても、失敗ばかりで、よくぬえを泣かしちゃったしね」
「……って、ちょっとムラサ。その事はいい加減に忘れなさいよ」
「んー、嫌かな」
「この……っ!」
「だって」
「……?」
「この恥ずかしい思い出のおかげで、私は、少しは前進しているんだなって、ぬえと歩んでいけてるんだなって、分かるから」
「ッ」
「だから、忘れない。勿体無いもの」
「ばっ! は、恥ずかしいのよ馬鹿! きもい!」
「き…きもい?」
「な、何より、さっきの台詞を言った時のムラサの顔が格好良すぎたから最悪なのよ馬鹿!」
「……あ、りがとう?」
「恥ずかしくて死にそうでした」
「……ご苦労様」
「あ、あの。文さん? キスメって子の様子を教えてくれってお願いしたけど、何もそんな所まで話さなくても……」
「いいんですよ。……はぁ、どうしてあの青臭い場面にいたのが、他ならぬ私だったのでしょう? タイミング悪すぎです」
「そうね、貴方ってタイミングが良いわよね。火に油的な意味で」
「あ、あはは。否定は出来ないけど、ご苦労様でした」
「……くぅ、幽香さんもリグルさんも人事ですね」
「当たり前よ。他人の恋愛事に首を突っ込むなんて、馬に蹴られるだけですもの。ましてや、感謝されこそすれ、恨まれるだけの大人の説教役なんて、ね」
「……ぐぅ」
「……ま、評価するとするなら、あの子の様子を本当に見に行って、馬に蹴られる覚悟で首を突っ込んで、わざわざ泥を被る事を選んだ、貴方の素晴らしいロリコン魂にかしら?」
「幽香……」
「ちょっ、もう! 何度言えばいいのか分かりませんが幽香さん!」
「何よ?」
「いいですか?! 素敵なお姉さんという理想の存在になる為には、その過程に『健全な幼女時代』という布石が必要なのです! ならばこそ、非行に走ったり不幸になりそうな幼女がいたのなら、未来のボインなお姉さんの為にもハーレムの為にも、救いの手を差し出し、守り、導くのは、お姉さん好きとしてまさに当然の行動でふぎゅあっ?!」
「……死になさい」
「……文さん。幽香は珍しく、褒めてたんだよ?」
「キスメ、す、すす、すすす」
「……っ」
「すー、すすっ、すすすすッ」
「……っ」
「しゅ、しゅっき、だからね!」
「……ん!」
必死の空気。
ごくり、と唾を飲む音と、何度も首を振る音が、同時に聞こえる。
彼女たちはとりあえず。
お互いの目を見て『好き』を伝える事から、始めようと。
二人で一生懸命、真っ赤な顔を見合わせる。
何から始めればいいのか分からないから、せめて伝えようと。
恋人だから。
まずは、お互いの気持ちをきちんと確かめ合おうと。
疑う隙もないぐらいに、強く強く、私たちは強くなろうと。
ヤマメとキスメは、全身で震えながら、真っ赤になって一歩を進む。
いつか、歩んで行く先で、今日の事を振り返り、そんな事も会ったねと、笑い合える日が来るのは、どれだけ先なのかは分からないけど。
彼女たちの輝かしい青い恋愛は、まだまだ始まったばかり。
だけどすごく気分がいい。最高に(ry
単純に好き好きだけで終わらない恋愛のややこしさとか複雑さとかをしっかりと感じ取れました。地底のカップル達に永遠の幸あれ!
甘いぜ甘酸っぱいぜやっぱり甘いぜ甘くて死ぬぜ
ヤマキスは永遠だッ!!
もう溶ける
……ふう、やっと戻ってこれた。
とんでもなく甘い事態になるんだろうな…
ところで、この世界の文に対する評価は、ヤマメに限った事じゃないと思う。
あれ? シリーズが違う? あれ?
可愛いなぁこいつら
よし、思いの丈をお伝え出来ましたので、砂糖の柱になって来まs(突風に吹かれて消えました
独り身にはキツすぎるっつーの
バーカバーカwww
糖分過度摂取のため、明日の仕事は休むことにしますw
青い、青すぎるぞヤマメ!自分のことだけで精一杯。あっぷあっぷな感じが……うへへへへv
とりあえずリアルに鼻血出しました。
ごちそうさま
糖分、糖分、糖分だ!
なんかそんな感じwwwww