「慧音先生! さようならー!」
「気をつけて帰るんだぞ」
寺子屋での授業を終え、白上沢慧音は生徒達を見送る。
今日の仕事は終わった。とはいえ、妖怪たちから里を守るという仕事に終わりも休憩もない。
普通の妖怪、とはいっても力のあまり強くない妖怪達に対しては里の人たちの歴史を食べることで姿を隠しているが、力は弱くとも特殊な妖怪や、強大な力をもった妖怪には通用しない。そんなときは直接妖怪と戦い、退けるしか方法はない。
―――博麗の巫女が動いてくれればいいのだがな……。
何度もそう考え、何度も無理だろうなと慧音は思った。
あの怠惰な巫女が毎回動いてくれるのならば、私は戦うことなど一回もしなくてもよかっただろう。
しかも慧音が彼女の存在を知ったのはかなり最近のことだった。夜が明けない異変。あの夜、私は初めて博麗の巫女と顔を合わせた。村にはかなり長い間住んでいたが、博麗の巫女を見たのは初めてのことだった。
―――何も知らなかった私は彼女に戦いを挑み、負けたのだがな。
つくづく慧音には理解できないものだった。彼女は強い。では何故その強さを普段から使わないのか。それによってどれだけの里の人たちが命を落とさずにすむことか。
―――私にアレだけの力があれば……。
無いものねだりだということは自分がよくわかっている。無論自分を生んでくれた両親を恨むなどというお門違いなことは決してしないが……。
「ねぇ、あれ……」
「やぁねー。あの妖怪またいるわよ」
「本当。こわいわよねー」
通りかかった人たちからヒソヒソとした声が耳に入った。
もしかして私のことだろうか、とも思ったがそうではなかった。
周りの視線を集めるそれは、日傘をくるくると回し、セミロングで緑色の髪を風に靡かせている。
風見幽香。
求聞史紀にて人間友好度最悪。危険度極高と記されたただ一人の人物。
博麗神社へ赴いた帰りだろうか。空を飛ぶこともできるだろうが、人里を歩いているのはおそらく気まぐれだろう。
「ねぇ知ってるかしら? あの妖怪が現れると、必ず危険な妖怪が現れるんですって」
「なにそれ。彼女が他の妖怪を呼んでるってこと?」
「そこまではわからないわ。彼女が妖怪に命を狙われてるっていう話もあるし」
「なんにしてもやめて欲しいわよね。人里を歩くなんて」
慧音にとっては聞き捨てならないことを聞いてしまった。
「風見幽香が現れると他の危険な妖怪が現れる」それはつまり里に彼女以外の妖怪が現れるということ。
噂は所詮噂であるが、火の無いところには煙はたたない。
―――これは一応真相を問いたださなければ。
慧音は足を踏み出し彼女の傍へ寄ろうとしたが、彼女は突然背を向けて走り出した。
「あ、おい!」
あわてて慧音は幽香の後を追う。
―――誰だ彼女の足が遅いとかいったやつは。普通に速いじゃないか。
引き離されないように必死に走った先に慧音が見たものは、今まさに妖怪に襲われんとしている少女と、妖怪の姿だった。
カブトムシの上半身にミミズの下半身を混ぜたような、嫌悪感たっぷりな形の妖怪。慧音の能力を退けて村へ侵入した妖怪だ。かなりの力を持っているのは明白。
「あ、けーね先生ー!」
笑顔で手を振る少女は、妖怪の存在に気がついていない。
「危ない! 逃げろー!」
間に合わない。そう思った刹那だった。
少女が高速移動し、妖怪の頭蓋がかち割られた。緑色の液体があふれ出て、嫌なにおいを撒き散らし、その残骸は慧音の足元にも届いていた。
「大事な子供なんでしょう? ちゃんと守ってあげなさないな」
少女は幽香の左腕に抱きかかえられ、その右手に握られる日傘は妖怪の体液で緑色に染まっていた。
そうしてようやく状況を理解したのか、少女は声を上げて泣き出し、幽香は少女を地面に降ろす。あわてて駆け寄り怪我の確認をするが、どこも怪我をしていないようだった。
「すまない。貴方のおかげで助かった」
「勘違いしないで頂戴。ちょっと強い妖怪の気配を感じたから倒しただけ。それだけよ」
彼女は汚れた日傘を放り投げ、立ち去っていく。
残された慧音と少女の周りに、次第に人が集まってきた。
「慧音様! ご無事ですか!?」
「あの妖怪め、ついには慧音様にまで被害を及ぼすようになったか」
「大丈夫かい!? お嬢ちゃんあの妖怪に怪我を負わされなかったかい!?」
「待てみんな。あの妖怪とは、もしかして風見幽香のことか?」
「慧音様。そうに決まってるじゃありませんか!?」
「あの妖怪が現れると他の妖怪が現れるというのは本当だったのね」
「博麗の巫女様は彼女を退治しようとはしないし、それどころか彼女の来訪を受け入れているそうな」
「なんとおいたわしや巫女様……。きっとあの妖怪にたぶらかされたに違いない」
何故里の人たちが彼女の悪口を言っているのか慧音には理解できなかった。彼女は、風見幽香は間違いなく一人の少女の命を救ったのだ。
そして慧音の考えが正しいのなら、幽香は妖怪が現れるのを知っていて里に現れた。妖怪を倒し、人を助けるために動いたのだ。
先ほどの妖怪は幽香のことなど気にしてもいなかった。目の前の少女を食らおうとしていただけ。それはつまり、幽香の命を狙っていたわけではないことになる。さりとて、あの妖怪が幽香の仲間というのも考えられない。仲間ならば何故殺す必要がある?
そして慧音はある考えにたどり着く。
―――彼女は本当に恐れるべき妖怪なのだろうか……。
先ほどの騒動からややしばらくして、慧音は幽香に会いに行くことにした。
彼女は色々と否定していたが、どうしても慧音はその真意が知りたいのだ。
「相も変わらずすごい場所だ……」
その地上に咲き乱れる太陽の花は、見渡す限りに続いている。幽香の住んでいるらしい家は見えるのだが、向日葵を傷つけずに移動するのなら、少々迂回する必要があるようだ。
下手に向日葵を傷つければ命にかかわる。結局慎重に移動した結果、二刻くらいは経ったのではないかと思われる。無駄に神経質にもなっていたせいか、かなり疲れが溜まっている。
「む、まずいな。めまいか……」
視界がぼやけ、暗転する。
しばらく寝ていたかのようにも思える。しかし慧音が目を開ければ、立っていることがわかる。
―――これは、何だ!?
自分は先ほどまで太陽の畑にいたはずだ。それが今、形は少々異なるがまるで人里のような場所にいる。
「すまない。ここはどこだろうか?」
通りすがりの男に声をかけるが無視された。
挨拶をしない者は嫌いである。その根性叩き直してやろうと、慧音は頭を振りかざし男をつかもうとした。
が、慧音の両手は男をすり抜けてしまい、触れることすらできなかった。
―――なんだこれは……夢でも見ているのか?
「あ、幽香様だ!」
「幽香様こんにちわ!」
「幽香様!」
「幽香様!」
―――幽香?
突然里の人たちが集まり始めた。
慧音の位置からはその中心を覗くことはできないが、幸いにも体はすり抜けることができる。容易に輪の中心へ向かうことができた。
そこで見た光景は、余りにも現実とかけ離れたもののように思えた。
「みんな元気そうで何よりだわ」
人々に囲まれ、悪意のない笑顔を振りまくその女性こそ、まさに太陽の畑の主、里の人妖から恐れられる花の大妖怪―――風見幽香その人だった。
―――何なのだこれは……。
夢でも見ているのだろうか。あの風見幽香が人から慕われている。
「先日も幽香様が居なければ私達は死んでいるところでした」
「本当に幽香様は里の守護者様ですわ」
「私が好きでやっていることよ。それに何よ守護者様って。変な名前をつけないの!」
ゴヅン! と音が響き、女性が頭を抱えて悶絶する。
―――まるで私の頭突きのようだな……。
しかしますます慧音は理解できなかった。風見幽香が里の守護者。
―――何なのだここは……。
『これは幻想郷の過去。私達と幽香様がすごしていた記憶』
「誰だ!?」
どこからとも無く、声が聞こえた。それは全方位から、といっていい。声のした方向が全くわからないのだ。
「これが幻想郷の過去……?」
風見幽香が里の守護者として存在しているこれが、幻想郷の過去。にわかに信じがたいことではある。
慧音が思案に暮れていると、いつの間にか幽香は人々に囲まれながら移動していた。
「あ、おい! ちょっとまて!」
「この家は確か……」
幽香の周囲の人が全て居なくなるころには、もう夕日が傾き、幽香はとある家の前で立ち止まっていた。
―――ずいぶん真新しいが、これは幽香の家と同じ。
「あら、また来ていたのね」
「……うん」
―――ん? この声どこかで……。
ふとした疑問に慧音はとらわれたが、答えは出なかったのですぐに頭の片隅へおいやった。
「また誰かにいじめられた?」
「うん……」
「明日一緒に行ってあげるから、今日はおうちへ帰りなさいな」
「やだ」
「わがままは駄目よ?」
幽香は人差し指を立てて「めっ!」などと言った。
「ぶふっ!」
思わず慧音は噴出さずにはいられなかった。
―――あの風見幽香が……めっ! って……く、くくくく。
余りにも似合わない行動に、慧音は腹を抱えて笑い始める。
「私は幽香様みたいに強くなりたい……」
「あら、どうして?」
「だって、そうすれば誰にもいじめられないもの」
「んー……こればっかりはなんとも言えないことね」
「何でですか?」
「持ってる者には持ってる者にしかわからない悩みがあるのよ。勿論、持ってない者には持ってない者にしかわからない悩みもあるのだけれど」
「……そんなものですか?」
「そんなものよ」
どこにでもああいう子はいるなぁ、と慧音は頷く。
特によく言われるのが「先生みたいに胸が大きくなりたい」だ。
次からは幽香のようにたしなめよう。
―――本当に多いんだよな……確かに大きいほうが良いという殿方もいるが、大きいと無駄に疲れるんだぞ。
これぞまさに持つものの悩みだな、と一人頷いていると、突然景色が変わり始めた。
―――なんだ!? 何が起きている!?
幽香の家から、どこか違う家の中へと景色が変わった。
囲炉裏を中心に、老若男女問わずが輪を作っていた。
その表情はどこか重い。
「幽香様の傷の具合は、どうだ……」
「現在右腕を失った状態です。包帯で固定していれば数日で直るとおっしゃっていましたが……片腕を失っている今、妖怪退治は危険行為と思われます」
「ふむ……」
「幽香様は我々には無くてはならないお方。完治するまでは妖怪退治は避けていただくように進言したほうがよろしいかと」
「しかし、そうなれば妖怪は我々の手で退治しなければならぬ……」
「幽香様を失うのと、我々が多少犠牲を出すのと。どちらを取るかと言われれば答えはおのずと出るものじゃて」
「それもそうだな」
「幽香様は日々妖怪退治にとどまらず、その知識から労力まで我々に惜しみなく与え、我々に安寧を与えてくださっている。時には我々が体を張り、幽香様に安寧を送るのもいいことじゃろう」
「うむ。ならばそれで決まりだな」
幽香はどうやら右腕を失った状態らしい。おそらく少し前に妖怪退治で負った怪我だと思われる。
しかしこの里の者達は、妖怪の恐ろしさを知らないのだろうか。人間が立ち向かうのなら、本当に強いものがいない限り妖怪を倒すなど不可能に近い。ましてや、スペルカードルールのないほど古い時代ではなおさらだ。
再び、景色が変わる。
そこは真っ赤だ。
里が、燃えている。
あちらこちらで叫び声や怒声が響き、阿鼻叫喚というにふさわしい状況下だった。
すぐ傍では、十数匹の妖怪の骸と、両足と右腕のない幽香の姿があった。この妖怪達を倒すのに、かなり苦労したことが見て取れる。
「北からまた一人向かってきてるぞ!」
「まだ、いたのね……すぐ体を再生して向かわないと―――」
「幽香様! そのお体では危険です。ここは我々に任せてください!」
「一秒でも多く時間を稼ぎます。幽香様はゆっくりと体を再生させてください」
「貴方達……」
幽香の周囲にいる男も女も、老人も子供も関係なく。皆手に武器を携え、意気揚々と戦う姿勢を見せている。
「私なんか放っておいて大丈夫だから! お願い、逃げて!」
「行くぞみんなー!」
「「「「おおおおぉぉぉぉ!!」」」」
行ってしまう。愛した人たちが、皆、みな。敵わない敵だと知りながら、妖怪へと突撃する里の人たち。
「早く、早く再生しなさいよ私!!」
腕を生やし、足をくっ付け、全身の傷を再生していく。
―――後の傷は、移動しながら!
立ち上がった幽香は走り出す。
全員が無事というわけには行かないだろう。だが、助けなければならない。愛するものたちを失うことなどできないのだから。
「あ、ああ……」
だが、現実は非常だった。
所詮人は妖怪の足元にも及ばなかった。
「ご機嫌いかがかしら? 妖怪さん」
幽香の目の前にいる人型の妖怪。慧音は思わず「あっ」と声をもらした。
そこに居たのは―――。
「どうしたの? この人間達がそんなに大事だったの?」
「何故殺したのよ……貴方の食料になるわけじゃないのでしょう……」
「当然よ。誰が人間なんて。ま、しいて言うなれば”暇つぶし”というところですわ」
「ふざけるな!!」
幽香が妖怪へと急接近する。風を切り、繰り出された拳は妖怪の頭を貫通した。
「……」
「そんなわかりきった攻撃は、私には通じなくてよ?」
妖怪の頭と幽香の拳の間に、小さな裂け目がある。そのなかに幽香の拳は入り込み、妖怪へ触れることは叶わなかった。
拳を引き抜こうとした幽香の体に、妖怪の日傘が叩き込まれた。
「ぐっ……」
内臓破裂はしていない。が、腹部を強打され胃液が逆流してくる。それをこらえて幽香は拳を振るう。
結果は同じだった。
「何度も言いますけど、わかりきった攻撃は私に通用しませんわよ?」
「だまれ!!」
フック、正拳突き、裏拳。幽香はあたらないとわかっていても、攻撃をやめなかった。
「いい加減面倒ですこと」
思い切り振り下ろされた日傘。幽香がそれを左腕でガードすると、左腕は、空を舞った。
「貴方は地面に這い蹲るのが一番お似合いですわね」
続いて両足を吹き飛ばされた。体を支えるものを失くした幽香は力なくうつぶせに倒れこんだ。
「てんで期待はずれでしたわ。もっと楽しめる方と思っていましたのに」
妖怪は背を向けて歩き……出せないことに気がついた。
「?」
その足には、茨が絡みついていた。それも深く強く。
しかしそれしきの痛み、妖怪にはどうということは無かった。
「こんな悪あがき、痛くもなんともありませんわよ」
振り返れば、残った右手の指を土に深く抉らせ、妖怪を睨み付けている。
「貴方に……人の心は無いのかしら」
「人の心? 笑わせますわ。私は妖怪ですのよ?」
「そこに倒れ付す人たちを見て、貴方は何も感じないの……?」
「感じないからこういうことができるのではなくて?」
「そう……」
まるで諦めたかのような表情。慧音にはそう見えた。
「私だって痛くもなんともないわよ。腕が無くなろうが足が吹き飛ぼうが、彼らを失ったことで痛む胸の痛みに比べればこんなもの屁でもない……!」
地面から生えた植物が、幽香の手を足を運び、体と腕に巻きつき包帯のように固定する。
そして妖怪に殴りかかり、また四肢を吹き飛ばされる。再生する……。
風見幽香の戦い方にしては、余りにも不器用だった。
手段など、いくらでもあるだろう。肉体に頼らずとも、光弾でも、収束された高密度の光線でもいくらでも彼女なら扱うことが出来るだろう。
だが、彼女はやらない。
きっとその拳には、彼女の全てのプライドが乗っているのだと慧音は思った。
幾度と無く妖怪を退け、馬鹿をする子供や大人達をお仕置きした拳。
あの拳には、彼女の全てが詰め込まれているのだ。
どれだけそんなことを繰り返しただろうか。
幽香の顔は涙でくしゃくしゃだ。慧音も、妖怪も、それが痛みによるものではないことを重々承知していた。
先に折れたのは、妖怪だった。
「参ったわ……。私の負けよ……私が悪かったわ」
「貴方に負けを認められても! 私はちっとも嬉しくないのよ!」
初めて幽香の拳が、妖怪の顔面を捉えた。妖怪は吹き飛び、折れたであろう鼻を押さえている。
「返してよみんなを!」
幽香は妖怪の胸倉をつかみ、再び拳を振るう。
「返してよ私の大切な人たちを!」
一撃
「返してよ私の里を!」
一撃
「返してよ私の居場所を!」
一撃
「返してよ! 返してよ……」
拳はもう繰り出されなかった。
妖怪から手を離し、地に倒れ付して泣き崩れる幽香。
完全に隙だらけになった幽香を見下ろし、妖怪は口を開いた。
「貴方のような妖怪は初めてだわ……」
妖怪は汚れた服を払い、立ち上がる。
「罪悪感……か。私は取り返しのつかないことをしてしまったのね……」
「貴方が悔やんでも私は嬉しくもなんともない! 消えなさい! 二度と私に姿を見せないで!」
「……それが貴方に対する唯一の懺悔になるのなら、私は未来永劫、貴方の前に姿を現さないことを約束するわ……」
妖怪は裂け目に―――スキマの中に入り、姿を消した。
残ったのは幽香と、骸となった村人達だけ。
「……幽香様」
幽香も慧音も、声のしたほうを思い切り振り返った。
「幽香様……」
「貴方……まだ生きて……!」
それはあの少女だった。
「気をしっかり持ちなさい! すぐに手当てをするから!」
「いいんです幽香様……私はもう、助かりません……」
「弱気になっては駄目!」
「ねぇ幽香様……私を、私達を花にしてもらえませんか……」
「こんなときに何を言ってるのよ!」
「お願いです幽香様……私達は幽香様が大好きです……永遠に、貴方の……お傍に、いられるように……」
「目を閉じないで! もっと気を強く持ちなさい! 貴方は私のように強くなりたいのでしょう!?」
「私……幽香様にあえて……本当に、しあ……わ、せ……で…………」
目を開いたまま、彼女は永遠の眠りについてしまった。
「何でなのよ……。何で貴方達が私を守ろうとするのよ! か弱いくせに! 何もできないくせに! もう嫌よ人間なんて……か弱い存在なんて……」
何と救われないことだろうか。
助けたい者。守りたい者。大切な存在であった者。それに守られ、一人残されてしまった彼女。
―――弱いやつに興味は無いのよ。
ふと幽香がそんなことを言ってたのを思い出す。
「そうか。幽香、貴方は人間が好きだったのだな」
好きで好きでたまらないからこそ、触れることができなくなる。近づくことができなくなる。
「だから貴方は、人里から離れて暮らしているのだな。だから貴方は、強者しか相手にしたくないと言うのだな……」
それでも貴方は、妖怪から人を守ろうとしていた。人からどれだけ蔑まれても、拒絶されても、その好意が伝わらなくても。
貴方は、人を守り続ける。
誰よりも、人というものを愛しているから。
景色が、変わる。
平らで何もない土地。そこで幽香は土を掘り起こしていた。
否、そこは里があった場所だ。幽香の家以外は、全て撤去したらしい。
人一人入れる位に掘ると、幽香は少女の遺体を抱えあげた。
慧音は、理解した。あの少女を、少女を含めた里の人たちを埋葬するのだろうと。そして少女の最後の願いを叶えるのだろう。
また、景色が変わる。
先ほどの土地には、見事なまでの向日葵が咲き乱れていた。
幽香は、一本の向日葵の前で立ち尽くしている。
「貴方の願いは叶えたわ。年に一度の季節、貴方達は私のところへ戻ってくる。私に会いにくる。
私は絶対に忘れない……貴方達を、貴方達に……守られたことを」
凛とした気丈な声。しかし涙をこらえるその声は振るえ、彼女の頬を幾筋もの涙が伝う。
『泣かないで幽香様』
『幽香様!』
『幽香様!!』
うつむき、つられて涙を流していた慧音は、ハッと顔を上げた。
そこには透けた体で、必死に幽香へ声を投げかける者たちがいた。他でもない。亡くなった里の人たちだ。
だが、周りから沸き起こる声に、幽香は反応しない。いや、その声は届かないのだろう。
「お前達は……」
『!? 貴方には私達の声が聞こえるの?』
「ああ……。聞こえている」
『聞こえるなら幽香様に伝えて欲しい』
『私達はもう三途の川を渡りに行かなければならない』
『幽香様と一緒にいることはできない』
『でも私達は閻魔と交渉し、永遠にこの向日葵に転生することを約束する!』
『たとえ閻魔が首を振っても、私達は一丸となって戦う!』
『凶悪な妖怪にすら立ち向かった我々じゃき。いまさら恐れるものなど、幽香様の拳骨ぐらいなものじゃて』
『はっ、違いねぇや!』
『すぐには無理でも、遠い未来、私達は幽香様の傍へ戻ってくる!』
『私達は永遠に幽香様のお傍にいる!』
『頼む! このことを幽香様に伝えてくれ!』
「ああ、しかと聞き届けた……!」
『幽香様! 我々は行ってきますぞ!』
『必ず戻ります! それまで、どうかお元気で!』
次々と里の人たちが消えていく。感極まって泣くものもいれば、笑顔で消えていく者たちもいる。
『ここへ来てくれてありがとう。お姉ちゃん』
全員が消えたかと思えば、いつの間にか目の前にはあの少女が立っていた。
『貴方が来てくれたおかげで、私達の本当に最後の言葉を幽香様に伝えることができる』
「まさか君が……私をここへ呼んだのか?」
『そう。私の記憶、私が見せた幽夢。私の最後のお願いは叶えてもらったけど、みんなの最後の言葉は届かなかった』
「君達は、戻ってきたのだな」
『ええ。永遠に向日葵として転生しているわ。毎年の夏、私達は幽香様と一緒にいる』
「いつごろ戻ってこれたんだ?」
『結構近年よ。私達は頑張ったわ。閻魔の処断に異を唱え、厳しい処罰に何度も科せられた。それでもみんな笑って耐えたわ。『幽香様の拳骨のほうが何倍もいてぇや!』 ってね』
「……あきれた連中だな」
本当に戻ってきたのだ、この里の人たちは。
人でありながら地獄の責め苦に耐え、閻魔に喧嘩を売り、そして彼女の元へ戻ってきた。
『私の幽夢もそろそろ終わり。約束だよお姉ちゃん。私達の最後の言葉、幽香様に絶対伝えてね!』
「ああ。約束する」
『じゃあね! もう人の姿は失ってしまったけど、私達はここに”居る”んだからね!』
慧音の視界が揺らぐ。
終わったのだ。彼女の見せてくれた夢が。
目を覚ませば、夕焼けの赤色が周囲を染めていた。
「ようやく起きたのね。ついでに体も起こしてもらえるかしら?」
「ん?」
後頭部に柔らかい感触。見上げた先には幽香の顔。
それはつまり―――。
「何で私がお前の膝を枕に寝ているんだ!?」
「いきなり貴方が倒れたから介抱してあげたのよ。感謝しなさい」
勢いよく慧音が起き上がると、幽香はスカートの土を払って向日葵の元へ歩き出した。
「幽香」
「何?」
「その、なんというか……」
「なにどぎまぎしてるのよ。告白でもするつもりかしら?」
「……」
「もしかして図星だったの?」
「……里の人たちと、とある少女から伝言がある」
「ああ、昼間の子からお礼?」
「違う!」
「何よ急に大きな声を出して……」
「違うんだ……。ずっと昔の、お前のことを心から愛していた人たちと、とある少女から伝言がある」
「貴方は、何を言っているの……」
驚愕に見開かれる瞳。彼女から笑顔は無くなっていた。
「ふざけたこというと、命の保障はしないわよ?」
「気に食わなければ殺せ。だが、私は彼らと約束をしたんだ。貴方に伝えてくれと頼まれた言葉がある。それだけは、言わせてくれ……」
自然と涙がこぼれてきてしまう。
あの時代はどれだけ昔の幻想郷の姿だったのだろうか。
慧音が思うに、途方もなく昔のことだろう。
途方も無く大人数の、途方の無く昔の思いが、途方もない時間をかけてようやくその言葉を伝えられる日が来たのだ。
「彼らは死してなお貴方と共にいることを望み、永遠に向日葵に転生することを約束すると言っていた。そしてそれを拒否する閻魔に喧嘩を売り、地獄の責め苦にも耐え、彼らは戻ってきたんだ。向日葵として永遠に転生することが認められたんだ」
「……」
「彼らは、言っていた。永遠に貴方の傍にいる、と」
「もういい。もういいわ……」
幽香は慧音に背を向け、肩を震わせて泣き始めた。
「彼らは……ずっと貴方のことを……」
「もういい! やめて……お願い……」
「人の姿は失ってしまったけど、ここに居る……と」
幽香が泣き崩れる。慧音はうつむき、涙をこらえることなく流し続けた。
その二人を、遠からず見つめる一人のカラス天狗。
「新聞に載せても絶対に信じてはもらえないでしょうねぇ……」
たまたまこの場所に居合わせた彼女は、慧音と一緒に幽夢へ紛れ込み、事の次第を見届けた一人だった。
「まぁ、記事にする気はありませんけどね。清く正しい私は、彼らの一途な思いを汚すような真似はしたくありませんから」
彼女の手帳”文花帖”にはしっかりと先ほどまでの出来事が記されている。
―――これは私と慧音さん。そして幽香さんとかつての里の彼らが知っていればいいこと。この出来事は、墓場までもっていきましょう。
「とはいっても、慧音さんと幽香さんの泣き顔なんてめったにみれたものじゃありませんからね。写真は撮らせていただきますよ!」
カメラを構え、鼻水と涙を流しながら、彼女はシャッターを切った。
本当は人間が好きなのに過去の出来事を繰り返したくないために自ら距離を置いた幽香さん。
求聞史紀には人間が近寄ってこないように阿求に頼んでわざとあの表記にしてもらったんでしょうか。
これなら大事な向日葵を傷つけたら命が無いと言われるのにも納得です。
死んでなお益荒男な里の人達に惚れました。
ただ、いくら昔の事とはいえ、紫が人間を虐殺してるってのがちょっと引っ掛ってました。
ルナ茶マジでお願いします……
>脱字について
この誤字の数は一体……。ちゃんと見直したはず、な……の……に……。
修正いたしました。
>ルナ茶
が……頑張りまふ……
泣けるお話でした。
素敵な作品をありがとう。
私の個人的感覚では紫は凶悪な妖怪というか……過去に紆余曲折あって現在の賢者がいるものかな、と思いまして……。
ゆかりーん! 大好きだよー!
>>13様
そういっていただけるとありがたい限りです。
素晴らしい作品をありがとうございます。
幽香が(もっと)強くなる前、紫が胡散臭くなる前の話か・・・
最後の慧音と幽香の会話がものすごく切なかったです。
できれば天狗に視点が切り替わる前に、もう少し余韻に浸っていたかったかも・・
私には持ったいないお言葉……こちらこそありがとうございます。
>>18様
今後の参考にさせていただきます!
誤字
「大丈夫かい!? お譲ちゃんあの妖怪に怪我を負わされなかったかい!?」
嬢ですかね
幽慧にしようとしたら私はできませんでした……。だれか書いてください……。
>>21様
まさかまだ誤字があったとは……。
修正しました。
……本当に素晴らしかったです。以上。
慧音に目標が出来ましたね。風見幽香という最高の目標が。