青い花の残骸が、風に流されてやってきた。
そのくたびれた残骸を拾って、指先で摘んで見つめると、それでもとても綺麗な色をしていると気づいた。
だから、それをそっと桶の中に招く。
鼻を近づけると、微かに良い香りがして、いいなぁって大切に桶の片隅に置いた。
だから、きっかけはこれだと思う。
その日、私は花を贈ろうと思った。
どうして、自分でもそんな事を考えたのかは分からない。
けれど、彼女が色とりどりの花の中で楽しそうに笑っていたら、それはとても絵になって、すごく暖かいと思ったのだ。
胸の奥がぽかぽかして、お日様の下にいるみたいに良い香りがする光景なのだと、根拠なく信じられた。
「……」
でも、ここは地底の国。
岩だらけの日の光も差さないこの場所に、花なんてある訳もない。
私自身、花なんてもうずっと見ていない。
桶から少しだけ顔を出して、少しだけ辺りを窺ってみたけど、やっぱり無駄だった。苔ぐらいしか見つからない。
私は分かっていたのに、それでもがっかりして、だけど旧都にだって造花じゃない本物の花なんて滅多に無いって事も分かっていて、また桶の中に沈み込む。
「……はな」
花を贈りたい。
花が、とても欲しい。
どうしてそうしたいのかは、分からない。ただ、不意に香りを感じるからだと思う。
外から来る様になった地上の人妖たちは、甘いそれらを微かにだけど纏っているから。
気づいたら、欲しくてしょうがなくなった。
「……ん」
でも、ここではどうしたって手に入らない。
地上には、きっとたくさん咲いているのだろう。
今は春だから、たんぽぽやチューリップや菫とか、きっとある。
「……」
ことり、と音を立てて桶を揺らす。
想像の中の彼女が、花を受け取ってくれる所を想像したら、何だか我慢が出来なくなって、どうしよう? どうしようかなって、頬をむにむにと引っ張りながら考える。
考えている時には、柔らかいものを触っていると、何だか落ち着いて考えがまとまるような気がしてくるから、頬や耳たぶ、二の腕をさすりながら丸くなってうんうんと呻いた。
「……やまめ」
呟いて、
花を贈りたい彼女を思う。
明るくて可愛くて眩しくて。隠れる私をいつも見つけて遊んでくれる、大切な彼女の事を思い返す。
頭の中の彼女は、いつも私の中できらきらと笑っている。
お日様みたいな髪が綺麗で、笑顔も素敵で、いつも楽しい話を聞かせてくれる、私の一番のお友達。
糸にぶらぶらとぶら下がって遊んだり、私を捕まえる時にネバネバでベタベタな糸で巻きつけて、つい自分の巣にくっつけてハッとして『ごめん本能的に!?』って、拘束されて、食べられちゃうのかなって、つい怖がって泣いて桶に閉じこもったら、お歌をたくさん声が枯れちゃう位ずっと傍で歌ってくれた。
ようやく私が許したら、本当に嬉しそうに万歳して、一緒に鬼ごっこをして、また糸で捕まえられて巣にくっつけられた。
ちょっとドジで、一生懸命で、頑張り屋さん。
「……やまめは」
お花が、好きだといいなぁ。
彼女の事を考えたら、体がぽかぽかしてくる。いつもにこにこな彼女に、きっと花は似合う。
ヤマメが花に包まれて笑っている所を想像したら、それだけでいつの間にか顔が笑っていて、花を贈りたいなってまた思った。
「……そと」
外に出れば、きっと。
でも、地上は怖い。
でもでも、花が欲しい。
怖いより、ヤマメの方が強くなって、私は桶から顔を出す。
誰もいない洞窟の隙間。前にヤマメが『閉所恐怖症の人が見たら発狂する様な所に入るよね』なんて意地悪を言われた場所からもぞりと出て、まだ見ぬ花を求めて拳を強く握る。
どきどきしているけど、わくわくもしていた。
だから今日は地上に出る。
またヤマメに『ねえ、キスメってどうしてこう無駄な所で行動力があるの? お願いだから何かする前に私に相談しようよ。ね? いくらパルスィの耳を無性に触りたくなったからって、突然寝込みを襲って降ってこられたら、そりゃあ、パルスィじゃなくても怒るから』って、この前みたいに長い小言を言われてしまうだろうけど、もう決めてしまった。
「……ん」
でも、心配させたいわけじゃないから、書き置きをする事にする。
簡単なひらがなはヤマメと練習したので大丈夫だ。さらさらと貰った紙と木炭で書く。
『やまめへ。さがさないでください きすめ』
これでよし。
私は頷いて、地上への道を、ゆっくりと飛び始めた。
「…だいじょうぶ」
書置きは、ヤマメが私の周りに縄張りみたいにべたべた張る糸に貼り付けたから、きっと気づくだろう。
緊張に呼吸が難しくなるけれど、花がたくさん見つけられるといいなと。もしも見つからなかったら、その時はその時だと。
楽観的な考えばかりをしていてはいけないから、駄目な時の事も考えて、ぐっと奥歯を噛んだ。
駄目じゃなくならない様に、頑張ろうって、前向きに考えた。
地上までは、まだ遠い。多分もうすぐ遊びに来てくれる筈だろうヤマメに、心の中で「いってきます」って言った。
少し勇気が出た。
いきなりだけど、失敗した。
ぱあって、通路の先に光が見えた瞬間。
そこから、少し計画が狂ってしまった。
「ぁう!」
まず、最初に少しだけ調子に乗ってしまい、のろまな癖にスピードを出したのがいけなかった。
更に、そのまま怖くなってつい目を閉じてしまい、桶の中に顔を隠してしまったのがもっといけなかった。
気づいたら、狭い洞窟の天井付近のでっぱった岩にぶつかり、地面に鈍い音を立てて落ちてしまった。
「…いたッ?!」
眩しい。
太陽と広がる青空がきつくて、咄嗟に目を閉じてしまい、それすらも更に更にいけなかった。
もともと明るいのは好きじゃなくて、でも明るいヤマメの笑顔は好きだけどそういう事じゃなくて、私は目を回してしまい、だからやっと外に出した顔を、また桶の中にひっこめて光から逃げてしまった。
その動作で、転がっていた桶がころり、と動いてしまったのだ。
「……あ」
ころころ。
ころころころころころ。
慌てて止めようとしたけど、やっぱり太陽が眩しくて引っ込んでしまう。
転がる事それ事態には慣れっこだったけど、いつの間にかころころがごろごろごろごろごろ! と勢いがついてしまって、こうなった桶はすでに凶器だって、ヤマメやパルスィがたんこぶ作って怒りながら言っていたし。
こうなったらもう、私でも止められない。
あちゃあって、失敗しちゃったって反省するけど、でも桶はどうしたって止まらない。
ごろごろごろごろごろごろごろごろ!!
更に勢いがついて、桶はどこかへと転がっていく。でこぼこした地面や石に一杯あたっているみたいで、ガンガン! って衝撃が凄く響いてお腹がぎゅってなった。
こんな状態で顔なんて出したら怪我するからヤで、何処に向かっているのか分からなくて一杯不安になる。
もしも、もしもこのまま川に落ちたらどうしよう?
嫌な想像に、ぎゅっと体を丸めた。
それで、そのまま溺れちゃったらどうしよう?
溺れなくても、流されたらどうしよう?
それで、桃太郎みたいに拾われて桶太郎って名前を付けられて、鬼退治を強要されたらどう、しよう……
怖い。ヤマメ……!
バキバキッて何かが壊れる音がする。
坂道を転がる私自慢の頑丈な桶は、きっと傷一つ付かずに回転している。
このままだと、大木にでも当たらない限り止らないかもしれない。でも、もしそれで止まっても、それだと中にいる私は無事ではすまない。
……ヤマメ。
もう一度呟いて、恐怖にぎゅって目を閉じた。
「うわ、危ないな、あれ」
声?
バキバキッて壊れる音に紛れて、誰かの声が、した。
「何よあれ、落石かって……桶? 桶だよムラサ」
「って、ちょっとぬえ。しかもあれ見覚えがあるしって、おもいっきりあるよこれ?! キスメじゃないの?!」
「はあ?!」
ぴくん!
として名前を呼ばれたショックで閉じていた目を開ける。涙が零れたけど、それは怖いからじゃ無かった。
外で、騒がしい会話の応酬があって、それからガクンッ! って全体が大きく揺れて、桶の中でガツンッと強く体を打った。
「…いっ!」
でも、私は強い子だから、痛くても歯を食いしばって我慢した。
視界がくらくらする。
それよりも、怖くて泣きそうだった桶の勢いが、急にだけど止まってくれた事の方が嬉しい。
さっき、少しだけ聞こえた声が、とても懐かしい感じがして、しゅううって音がするけど、桶の中で体をひっくり返して、びくびくしながら顔を出した。
「あ」
やっぱり、だった。
とっても知っている人だった。
そこにいたのは、お友達だった。
「ぬえ……むらさ……」
今は地底からいなくなったお友達。
私やヤマメを大きなお船に招待してくれて、お泊りをさせてくれたムラサと、そんなムラサの事が好きで、いつも押しかけていたぬえだ。
二人は揃って、私の泣きそうな顔を見て、無事だったって、ほっと安堵していた。
「……ど、して?」
ここにいるの? って聞こうとして、ムラサが疲れた顔で苦笑して、右手をハンカチで器用にくるんでいた。
ぬえも、私をムラサと同じぐらい疲れた顔で見て「相変わらずだわ」って、呆れた顔で私の頭を撫でてくれた。
「何よ、泣いてたの? 鼻水でてるよ」
「…ぐす」
「よしよし。泣かなくてもいいんだよ、キスメ」
桶ごと抱き上げて「うん?」って笑顔でおでこにおでこでこつんとするムラサ。
それでさっきの怖いの残りが消えて、ほっとした。
「うん怖かったね。よしよし」
「…ん」
猫みたいにその手に擦り寄ると、そのムラサの肩に飛びついて、おんぶされたみたいになりながら、ぬえが私を心配して覗き込んでくれる。
そんな二人が、とっても懐かしくて、彼女たちがいなくなって少ししか経っていないけど、視界がじわりと曇った。
「……ぅ」
「うん、大丈夫。ゆっくりでいいからね」
「おぉ、相変わらず女の扱いは上手いわね。キャプテン・ムラサは」
むぎぎっ、と頬の肉をこれでもかと掴んで引っ張るぬえに、ムラサは奥歯まで見えるぐらい抓られて痛そうに「ふがが?!」ってよろめいた。
本当に懐かしいやりとりで、でも、ここには一輪や雲山がいないなって思った。
「あれ、そういえば、ヤマメはいないの?」
「そうよ。ヤマメはどうしたのよ? あんたがいないと半狂乱で探し回るでしょうが」
私と同じように、二人も私の隣にいない彼女を気にしだす。
でも、ヤマメは私と違って弱虫じゃないから、大丈夫だと思い、ふるふると首を振る。
二人の顔が驚いた様に見詰め合って「あちゃあ」って顔をした。
「つまり、一人でここにいると」
「あぁ、そりゃあ、ヤマメの精神崩壊レベルの試みね」
「?」
気の毒そうな二人に首を傾げて、じっとムラサを見る。
ムラサは私の目を見て、少し首を傾げてから、ぱくぱくとうまく説明できずに動く唇から読んで「ああ」と頷いてくれた。
「一輪たちが気になった?」
「……!」
頷く。
一輪は、とても優しいお姉さんで、よくお菓子をくれる。
ムラサとは違うタイプの、しっかりして真面目で綺麗なお姉さん。
ムラサはどちらかというとイケメン? で可愛い系? ってヤマメが教えてくれた。
「うん。大丈夫、一輪と雲山なら今頃一緒に命蓮寺をしっかり守ってくれてるよ。まあ、一輪がしっかり守っているのは聖の方だろうけどね」
「?」
誰?
見上げると、ムラサがぬえに頬をつつかれながら笑っていた。
「うん。ごめんね、分からないよね。……挨拶にいかなくちゃとは思っていたんだけど、今度お土産を持って地底に遊びにいくから」
にこりと笑うムラサに、頭をくりくりって撫でられる。
久しぶりで、それは嬉しい行為なのに、さっきの『遊びにいく』という台詞がひっかかって、とても寂しくなる。
「……」
ムラサは、無意識に言った『遊びにいく』は、それはもう、地底がお家じゃなくなったって事で。
ムラサもぬえも一輪も雲山も、私みたいなつまらなくて分からなくて無口だって言われる子に、優しくしてくれる、遊んでくれる、構ってくれる、数少ない地底の妖怪たちだったから、本当に寂しかった。
桶の中で、ぎゅって服を掴んだ。
「なんて顔してんのよキスメ。ムラサが遊びに行くって言ってるんだから、あんただって遊びに来なくちゃいけないのよ!」
「……ぅ」
「そ、そんな顔をするな! ああもうムラサ、ほら早くあやしなさい!」
「えっ、ちょっ?! ……む、うぅ?!」
ぬえも、ムラサが行くなら何処にでも付いていっちゃうから、もうあんまり会えないんだなって、寂しい。
ヤマメは、きっとずっと傍にいてくれるだろうけど、でも二人や一輪や雲山とお別れは辛い。
「ええっと、キスメ?」
ムラサは、相変わらずぬえのいつもの無茶振りに咄嗟に答えようとして、難しい顔で私を見てる。
そんなところはちっとも変わってないから。
寂しいを、頑張って飲み込んだ。
ヤマメは、きっといてくれるから。
頑張れるって、そう嗚咽を飲み込んだ。
「……ん」
ムラサたちはもう地底には帰ってこないけど、でも。変わらないなら、少しだけいいよって唇を噛んだ。
「……キスメ」
「……」
「あ、飴があるんだけど、舐めますか?」
「買収じゃん!」
「他にどうしろと?!」
言い合いが、
ほんとに、全然変わってないやり取りで。
地底の頃とおんなじだって。
二回目だけど、いいよって、大人しく飴を受け取った。
「あれ?」
ムラサが不思議そうにさっそく飴を舐め始めた私を見て、でも私がもう泣きそうじゃないって分かってほっとした顔をする。
まるでヤマメみたいに。
ぬえがそれを見て「まあまあね」ってムラサに意地悪な口調でいって、ムラサが「はいはい」って肩をすくめて。
二人の視線がそっと合わさって、そこに二人だけの、暖かいものがあったから、私までぽかぽかした。
……この二人を見てたら、
私も早くヤマメに会いたくなった。
「……むらさ」
「ん?」
「……いく」
「え? どちらに?」
「わたし、よぶばしょへ」
「何処ッ?!」
花が私を呼んでいる。
ヤマメにプレゼントして、私もムラサやぬえみたいに、触れあいたい。
二人を見て『寂しい』が『会いたい』に変化して、頑張ろうって思えた。
だって、隣が冷たいのだ。
さっきから、ずっとムラサのお腹に腕を回すぬえと、そのぬえの腰に手を当てているムラサを見て、とても強く思った。
「えい!」
格好よく掛け声をあげて、うりゃあって転がった。
もっと二人と話したかったけど、遊びに来てくれるって言ってくれたから、ヤマメと待っていればいい。
「ぁ」
……。
で、でも、転がった後に飛べば良かったって、当たり前の事を思い出して凄く後悔した。
あわあわって焦る。
気づけば桶はすでに勢いをつけて、坂道をごろごろと転がっていってしまう。
「……わあ、転がるんだ。さっき助けたのって、もしかして邪魔だったのかな」
「そうなんじゃないの? それよりムラサ、さっきキスメを受け止めた手を見せてみなさいよ。……うわ酷っ」
「ん、実はけっこう痛い」
「たく、ドジ。」
「……うんって、ちょっ……ぬ、ぬえ?」
「こら動かさない! ちゃんと治療してあげるから……ん」
「……な、舐めるのは、治療かなぁ」
「治療だよ、ばぁか……♪」
ごろごろごろごろごろごろ。
……。
ずっと暗い地底にいたおかげでよく聞こえる様になった耳が拾った音から察するに、私は助けて貰えそうにないという現実。
そういえば、どうして二人はあんな人里から離れてそうな所にいたんだろうって、今更思って、実はデートだったんじゃないか、という結論にいきつき「ぶー」と頬を膨らませる。
そんな事してる暇あったら、ちゃんと遊びにきてよ。って拗ねる。
ごろごろごろごろごろごろごろ!
勢いがついてきて、でもさっきとは違ってあんまり怖くなくて、ぷりぷりしながらムラサとぬえの事を一輪に言って怒って貰おうって決めたら、ちょっとだけすっきりした。
転がり具合から、二人から相当に離れてしまった事が分かり、少し心細くなる。
がつんっ! と岩か何かにあたったのか、桶が宙に浮いた浮遊感を体全体で感じて、お腹の中がぐるんってひっくり返りそうになる。口を押さえながら、桶がぐるぐる回転して空を舞っている光景を、中から見る。
あ、崖だ。
ごろごろがくるくるって、華麗に舞っていて、これは中からじゃなくて外から見たら綺麗なんだろうなぁって思った。
そして、私はもしかしなくても、とてもピンチなんじゃないかなって、悲しくなった。
こんな暢気な事を考えている暇も、ちっともないぐらい大変に。
……あぁ、落ちたら、桶は無事でも私はトマトみたいにぐっちゃりと潰れてしまうのかもしれない。
最悪の想像に、ようやく恐怖心が追いついて、全身鳥肌を立てながらぎゅって目を閉じた。
「―――はい、セーフッ!」
っと。
ぱしって、浮遊感がぐんっと重力に逆らい、けふってげっぷがでそうになった。「?!」ってトマトになってないって、慌てて顔を出したら、知っている妖怪さんがいた。
良い香りに風が、ぶわって顔にかかる。
「いやいや、貴方の転がりっぷりは遠目から見ていて大変楽しかったですが、清く正しい私としては、貴方みたいな子供が事故を起こすなんて、そんな受けの悪そうな不幸記事を書く気はないんですよ」
「……!」
天狗の、お姉さんだ。
文だ。
私を空中でキャッチして、相当に頑張って飛んできてくれたんだろう、綺麗な羽がぱらぱら散っている。
へらりとしているけど、首筋に僅かに汗が浮いていて、さっき、ぐるぐる回っている時に、文の影なんて無かったから、文はきっと凄く頑張ってくれたんだ、と思う。
「ぁ」
取材って、私にも声をかけてくれて、私が上手く話せ無くて落ち込んだり、聞こえない振りをして無視しても、何度も声をかけてくれる。ヤマメに『消え去れロリコン天狗ー!』って言われて『私はお姉さん系が好きだっつってんでしょーが!?』って、仲良く遊んでた天狗さん。
「……あや」
「はい、射命丸文ですよー。今日は珍しい所でお会いしますねー」
「……」
「はいはい。そんなにぎゅって掴まなくても、お姉さんはキスメさんを落としたりしまんよっと」
持ちやすい様に私を抱えて「やれやれ」ってふうっと大きく息を吐く文に、今更ながらトマトにならなくて良かったってひんやりしながらドキドキしてきて、ありがとうって言いたいのに、上手く言えなくてもじもじする。
「うん? 何をまごついているのです?」
「……」
「むむっ、相変わらずキスメさんは無口ですねぇ」
「……ぉ」
「?」
「ぁ、いがとぉ」
転がったショックで固まり、痺れた舌のせいで、やっぱり上手く言えなかった。
もう一回伝えた方がいいかな? って文を見ると、文は不思議そうにぱちくりと瞬きする。
「……はぁ、こんなに素直にお礼を言われるのなんて、いつぶりでしょうかねぇ」
「…う?」
「いえいえ、こっちの話です。しかし、うん。キスメさんの将来が楽しみになってきました。是非に、妖艶でむっちむちのお姉さんになって下さいね。口説きますから」
「…?」
にっこりと親指を立てる文は、どうやらちゃんと私の言葉を聞き取ってくれたみたいだ。笑いながらゆっくりと降下してくれる。
「んで、本題なんですが」
「……う?」
「キスメさんは、内向的な性格で、正直にこんな明るい太陽の下で愉快に転がるなんてほぼ有り得ない方じゃないですか。……今日は一体どうしたんです?」
「……」
少しだけ鋭くなる視線に、あれ、こうして見ると文って格好良いんだって気づいた。
ヤマメやムラサだって格好良いだけど、二人と違う感じの、きらきらした顔つき。
……。
そう気づいたら、また無性にヤマメに会いたくなって、文が命の恩人であんまり怖くなくなったので、少しだけ話す事にする。
「…はな」
「?」
「やまめに、あげたい」
「……ふむ?」
「さがし、てる」
文は、私の目をじっと長く見て「……なるほどねぇ」と目を細めた。
短い言葉を、文はちゃんと理解してくれたみたいで。少し嬉しかった。
「だから、ヤマメさんが隣にいないと」
ムラサたちと同じ事を言われて、こくんと頷く。
文は「花ねぇ」と少し考えて、ひょいっと私の桶の中を覗くようにした。
「!?」
「はいはい、あぁ、例えばこういう花ですか?」
ひょいっと取り出したのは、いつか洞窟の中にまで流れ込んできた花の残骸。「ぁ」って、むしろ入っている事を忘れていた私の方が驚いて、文がくんくんとその、もう枯れてしわしわの、元の色すら分からない様なそれの匂いをかぐ。
「……まあ、どうしてかキスメさんから、不意に地上の匂いを感じたり途切れたりで、気になってはいましたが、ふぅむ」
「?」
「……こんなのがあるから、そういう発想になりましたかねぇ」
残骸を、さっと風に流して幻想郷のどこかへ飛ばしてしまう。
びっくりして、でも文の顔は平然としていた。
手を伸ばしても、それは目に見えないぐらいあっさりと、すぐにぱらぱらと壊れてしまった。
「っ」
「では、枯れた花は地面の養分にするとして、貴方は瑞々しい花を手に入れるとしますか」
「…え?」
あの残骸が惜しくて、心がぐにぐにしてたら、文がそう言った。
でも文を恨む気持ちは不思議なぐらい湧かなくて、どうして捨てるの? なんて聞く気すら起きなくて、ただ悲しい。
でも、文の言葉に驚いて見上げると、文は遠くを見る目で、瞳孔をきゅってしながら、独り言。
「そうですねー、好意あっての行動はとても素敵なものです。思いやりというのは時と共に徐々に失われがちですし、出せる時に出せばいいと思います」
ぽんぽんって急に桶を揺らされて、怖くてしがみつく。
行動が、少し乱暴で、彼女が僅かに怒っているのだと気づいて、きゅっと訳もわからず不安になり、唇を噛む。
「ですが、好意というのは使い方を間違えればただのうざい押し付けです。崖の上に咲いた花が綺麗だから贈ろうと、そして危ない岩山に挑み、そのまま落ちて死んだとあっては、ただただ悲劇の迷惑です。……こんな言い方は自分でもどうかと思いますが、貴方はついさっき、花の為に死ぬかもしれなかった。ヤマメさんを泣かせる所だった。……深く反省してください」
きつい声色。
ぐぅって、抉るみたいな言葉に、膝を強く抱える。
考えもしなかった。想像もしなかった。その言葉。
今更ながら、体が震えた。
……そう、だ。
さっきも、ムラサたちがいてくれて助かったのに、また自分で危なくなった。考え無しだった。
私は、いけない子だと、駄目な子だと、甘えん坊だと、叱られてやっと気づいた。
「……っ、ご、ごめん、なさい」
「うむ。正直で真に結構ですよ」
桶に引っ込ませた顔を出して、文を見る。
文は笑って「周りを見ましょうね」って注意をする。
私は、閉じこもっていたら危ないのだと。甘えていた自分を叱咤して、泣きそうなまま、眩しいけど頑張って顔をそのままに、空を見る。
眩しい、ちかちかする。でも、だからって目を閉じたら危ないんだ。
最低限の注意すら、私は出来ていなかった。
唇を噛んで、危ないものがないかをちゃんと確認して、もう一度文を見上げる。文は「よろしい」って笑ってた。
「うんうん。本当、キスメさんは素直ですねぇ。怒る方が罪悪感ですが、まあそのかいもありました。……目的の物をくれる方も見つけましたしね」
「?」
ふっと笑う文は、そのままくいっと私を振りかぶった。
視界がぐんっと上がり、青空は綺麗だけどやっぱり眩しすぎると思い、体が固まった。
……って、え?
「さて、さっきは良い事を言った気もしますが」
文の声色が、また変わる。
今度はちょっと、面白そうに。
「キスメさん。私は思うのですが、やはり欲しいものを手に入れんとするならば、やはりそれ相応のリスクといいますか、危険な目にあうのもまた素晴らしい経験だと思ったりします」
「…あの」
「さらに言うならば、私は正直に言って彼の人らに会いたくない。そしてもうキスメさんの目的が分かったので好奇心は失せて、他の面白そうな所に行きたい、という二つの欲望を同時に叶える方法を思いついています」
「……」
果てしなく嫌な予感。
文は、そっと瞳の涙を拭う降りをして、さっきまで怒ってくれた時の感じが消えていて、なんとなく私は、さっき周りを見渡していた時に、面白そうなネタというのを見つけたんじゃないかなーって思った。
嫌な汗が、背中を伝う。
「という訳で、大きく振りかぶってー」
「…?!」
「あ、気絶してた方がいいですよ♪」
顔を青くして、私は、文は多分いい天狗さんなんだろうけど、面倒見もいいんだろうけど、でも。
ちょっと、優しくないかもしれないって気づいた。
怒ってくれて、注意してくれて、でも急に放置するのはどうかなって、勝手だけど思う。
「あ、そっれー」
軽い、軽すぎる掛け声と、風を切る凶悪な振りかぶり。
視界の先に広がる幻想郷の広大な自然。
……。
ちょっと泣く。
文に、優しく投げてねって、祈るしかできそうに無かった。
そして、プツンっと私の意識は切り取られた。
お腹の奥に響いて、舌を噛みそうな衝撃。
ぐえって、
気がついたら、私は見知らぬ場所にいた。
「……うぅ」
本当に気絶していた様で、勇儀に『極限まで鍛えたぜ!』って作ってもらった桶は無事だけど、私はひっくり返って足が外に飛び出してしまっていた。
……。
文に次にあったら、ありがとうと馬鹿を一緒に贈ろうって頬を膨らませながら決めた。乱暴すぎる。
ズキズキと、ぶつけた意味で頭が痛い。
よいしょって桶の中で体を反転させて顔を出すと、ふわりと『色』が泳いだ。
「――え」
目を見開く。
息が詰まる。
色、色、色。
信じられない。
心の準備なんて、無い。
それは、地底じゃ見られない、幻想の光景だった。
さらさらと風に泳いで、明るい色がくるくると踊っている。
「あ、ああ」
驚きに声が掠れる。
心がぎゅって絞られる。
見惚れる。
凄い。
たくさんの、識別する暇もないぐらいの色彩が泳いで、ぱらぱらと降ってくる。
雨みたいに、雨よりもゆっくりと。
「は、な」
そう。これは花。
花だった。
ぱらぱらと降ってる。私の顔にも当たった。柔らかくていい香り。
ドキドキして、そっと指先で摘んだら、それはさっき見た干からびた花よりもずっと瑞々しくて、香りも強かった。
「ど、して」
ドキドキが終わらない。
文が投げてくれた先には、私が探していたものが溢れていた。
宝物で眩しかった。
ずっとずっと、見ていたくて呼吸すら止まるぐらい、素敵な光景だった。
「――あら、楽しそうね」
さくりと足音。
そして声がかかる。
ハッとして、花の踊りに見惚れていて気づかなかった私は、人見知りで「ひ」って反射的に桶に引っ込んでしまい、でも、桶の中にも入り込んだ花弁の香りに、ふわりと落ち着いてくる。
「…あ」
指先を興奮で震わせたまま、おそるおそる顔を出すと、そこには傘をくるくると回して、この花より鮮やかに笑うお姉さんがいた。
びっくりするくらい綺麗で、ヤマメも、将来あんな風になるのかな? 無理かな? でも好きだしいいや、なんて一瞬で考えちゃって、慌ててまた顔を引っ込めた。
顔が、何だか熱かった。
「あらあら、随分とシャイなお客様ね」
「……う」
「そう、貴方に悪気がないのは分かったわ」
「……?」
さくさくと、お姉さんが近づいてくる。びくってして更に身をぎゅっとすると、ひょいっと桶ごと持ち上げられた。
「本来ならざっくりと咲かせてあげるところだけど、私の王様が可愛いので特別に許してあげるわ」
「…?」
「あら、気づいていないの? 貴方、私の王様を下敷きにしながらこの花々に見惚れていたのよ?」
えっ。
一瞬、何を言われたのか分からず呆けながら、慌てて顔を出して下を見ると。見知らぬマントの誰かが目を回して「ふぁ~」と倒れていた。
「っ?!」
「……ふふっ、リグルったら、あんなに可愛く気絶して」
ほうっ、と熱い息を吐いて頬に手を当てるお姉さんに、何故かぞくりと怖いものを感じつつも、潰してしまった誰かが気になり、あわあわとお姉さんの手を離れて近づいた。
「……だ、だいじょうぶ?」
「きゅ~」
「……!」
駄目みたいだった。
おろおろして周りを見回して、もう一回落ちればいいかなって考えて、でもそれをしたらこのお姉さんが危なくなる予感がして、おろおろおろおろって、お姉さんに助けを求める。
知らない誰かの上に落ちるのは実は好きだけど、無意識で怪我をさせるのは嫌だった。
お姉さんは、泣きそうな私の顔を暫くしっとりと見つめてからにこり、と花開くみたいに微笑んでくれた。
「そうね。起こすにはね、こうすればいいのよ」
「…う?」
「さあリグル、起きなさい。……私の王様」
ちゅ。
……。
え? ちゅう?
驚いた。
お姉さんは、どうしてか嬉しそうにマントの誰かに乗りかかる様に、原っぱに膝をついて顔を寄せると、そのまま頭を抱き寄せて、その唇を塞いでしまった。
鼻を、ぎゅっと塞ぎながら。
「……」
く、苦しくないのかな。
頬が熱くてそわそわしながら、そんな違う事を考えた。
マントの子の手が、次第にぴくぴくしだして、触覚みたいなのがびくびくしだす。
「―――ぶはぁ?!」
「あら、目覚めてくれたのね。おはよう、私の王様」
「く、苦しいし、舌噛まれてる!? うわ血が」
「あらやだ。そんな目で見られたら、もう一度したくなるわ」
「怖いから! そんな白い歯を見せながら迫ってこないで! げほごほっ!」
起き抜けにテンションが高い子だな、って思う。
呼吸困難という命の危機で目覚めた、王様? は咳き込んでから、お姉さんをぐいっと引き寄せた。
血で少し濡れた口元をぐいっと拭って、触れるだけのキス。
あまりに自然で、びくんと私は見ていて肩が跳ねてしまった。
「……あぁ、もう苦しかった。幽香さぁ、その起こし方は本当に止めようよ。幽香がすると全然優しくないから」
「噛み切らなかったのに酷い言い草だわ」
「……やめて、背筋が凍りそうだから」
しおしおーって顔で、心臓に悪いと言わんげに、お姉さんを抱き寄せながら顔を上げて、もう一度口付け様として、私と目が合う王様。
目が点になって、笑顔のまま固まる王様を見て、お姉さんが「♪」と楽しげに、その耳を食んでいた。
「ち、ちちちょっと待ったー!」
「? どうしたのよ」
「だ、だだだ誰?! あの子はどこの子?!」
「さあ? あの子は貴方の上に降って来たシャイな女の子よ。住所は不明」
「そ、そんな子の前で何をしようとしているんだよ君は!」
ていっとお姉さんを押しのけ、シャツのボタンに手をかけ始めたお姉さんから、ずざっと後退。
そのまましゅぱぱ! っと身だしなみを整えて、ごほんと咳払いする。
とても素早い動きに、お姉さんは「ちっ」とつまらなそうに肩をすくめた。
「こ、こんにちは!」
「……」
「ええと、私はリグル・ナイトバグです。そんで、こっちが風見幽香」
「……」
「いえ、本当、お見苦しいものをお見せしました。……あ、でも幽香は見苦しくなくて可愛いからね!」
「!」
さっと慌てて自分の言葉をフォローするように私からお姉さん、幽香? を見る王様、じゃなくてリグル。
幽香は、ちょっと目を見張ってから楽しげにくすくすと笑う。
「もう、ふふっ、……もう」
「わわ?」
それから、ぐしゃぐしゃっと頭を撫でられたリグルは「な、何だよぉ」って少し拗ねて、お姉さんに髪の毛をわさわさにされて、つむじの方に、ふうっと息をかけられて「うひゃあ」って悲鳴をあげる。
「……」
私はいきなり忘れられていた。
こういうのは初めてで、声をかけるべきなのかどうか迷った。
花がまたふわふわと降ってくる。
「ぁ」
あれ?
そういえば花の雨がまた、一段と一杯に降ってきて、桶の中にちらほらと溜まっていた。
溺れそうなぐらいの香りと花と、目の前のいちゃいちゃしてる二人。
もしかして、と私の中で確信みたいなものができる。
この花々は、二人の能力なのかもしれないって、そういう結論が。
「…わあ」
青々として草原から咲いて散って舞っていく、幻想の草原の中、それしか考えられない。
あぁ、そっか。
だから文は、ここに私を投げたんだ。
「わっ、もう! ちょっと止めてよぉ」
「あら、いいじゃない」
「だめ! 幽香もぐしゃぐしゃにしてやる!」
「きゃ」
「…あ」
どさり……。
って、咄嗟にリグルは幽香を押し倒してしまって、乱れた髪の毛のまま、幽香の腕を押さえて乗り上げてしまう。
幽香は、そんなリグルに微笑んで、優艶と「なぁに?」って指先をのばして、乱れた髪を手櫛で直してあげている。
「……えと」
リグルは目線を泳がせて、頬を赤らめたままおずおずと手を伸ばして、幽香の前髪に人差し指を通して、そっとあげる。
そのまま、露になった額に、身を乗り出して口付けを落とした。
濡れた、ちゅって音がする。
「……あら、それだけ?」
拍子抜け、と言わんげに、でも瞳は愛しさで溢れていて、リグルは唇を尖らせて、気まずげにそっぽを向いた。
「当たり前です」
「どうして?」
「……だって」
「ええ、言って?」
もじもじして、リグルは少し泣きそうな目で幽香を見る。触角がへにゃりとしているのが可愛いと思った。
「もっと身長が伸びて」
「ええ」
「もっと手も大きくなって」
「ええ」
「もっと格好良くなって」
「ええ、ええ」
「幽香を抱き上げられるぐらい力も強くなって」
「ええ、それで?」
また、額に口付け。
今度は長く、軽く吸い付くみたいな。ゆったりとしたキス。
「……幽香の王様って皆が認めてくれるぐらいになってから、その、私から、幽香にしたいな、って」
「あらあら」
長い腕が伸びて、リグルを包み込む。リグルは抵抗せずに体を預けて、幽香の胸に顔を埋めた。
「どんな理由かと思ったらまったく、貴方は本当に蟲ね。そんな事で、いつも私から誘わせていたの?」
「……ぶう」
「しょうがないわねぇ」
「……むう」
「しょうがないから、これからも、私から求めてあげる」
リグルから見えない幽香の顔は、酷く満足げに微笑んでいて。
幽香の顔が見えないリグルは、怒らせてしまったかとしょんぼりしていて。
ふわふわと花と蝶が舞う。
「だからこそ、いつかは貴方から立派に私を求めなくちゃ駄目よ? 女を待たせるなんて最低だわ」
「ぅ。はい、頑張ります……」
それで、仲直りのキス。
……。
もしかして、わざとかなって思っていたけど。
二人にはどうやら私が本気で見えていないみたいだった。
「……はぁ」
私は存在感が無いってよく言われているけど、ここまで視界から消え去ったのは初めてで、複雑だけど、花が尋常じゃないぐらい降って、桶から溢れる位だから、まあ、ずっと求めていた物が手に入ったから、いいかなって溜息を吐いた。
「幽香……」
「リグル……」
そういえば、ここは何処だろう?
花はたくさん手に入っても、帰れないと困る。
文に投げられた瞬間に気絶したから、どっちに飛ばされたかも分からないし、もしかして、私は本格的に迷子になってしまったのだろうか?
「ん、幽香」
「リグル、私の王様」
「幽香は、私のお姫様」
「好きよ、一応」
「もう、最後のはいらないって、いつも言ってるのに」
でも、話を聞けそうな彼女たちは現在二人の世界を構成中で、さっきから花が綺麗だけど痛いぐらいばちばち当たってくるし、声をかけたら命が危ない気もして、ううんと悩む。
とりあえず、花が零れない様に気をつけて、誰かに地底の入り口を教えて貰うしかないみたいだ。
「幽香が、好きだよ」
「知っているわ」
「じゃあ、愛しているわ?」
「勿論、知ってる」
「んー、じゃあ、大嫌い」
「ええ、それが嘘だと見抜いているわよ」
「……じゃあ、幽香の瞳が好き」
「知ってる」
「髪も、声も、私に触れてくれる指も、君の一つ一つのパーツが、とにかく愛しくてたまらない」
「馬鹿ね。知っているに決まっているわ」
「……幽香」
「……リグル」
「……幽香」
「……リグル、私だって」
うん、さっさと離れよう。
あの二人を見ていたら、もやもやして、一刻も早くヤマメの顔が見たくなった。
何だろう、この、二人の頭に全力で落ちていきたくなる衝動は……。強張った頬に触れると、怒っている顔で固まっていたので、快い気持ちではないのだと気づく。
なら、ここにいては心身に悪影響だと、お花をありがとうって言うのはまた今度、ゆっくりと伝えようって、ふよふよと空を飛ぶ。
「貴方の全てを愛しているわよ。……一応」
「もう、だから、最後は余計だよ幽香」
「いいのよ。貴方にはちゃんと伝わっているもの」
「……それは、もう。たっぷりとね」
「……ばか」
耳が良い事を少し煩わしく思いながら、私は花を零さないように、細心の注意をして、ふよふよと飛んで行く。
花弁だけの花の山だけど、でも、それを掬い、ヤマメの頭にえいって撒いて飛ばせば、それはきっととても綺麗。
ヤマメは花の雨の中で、明るく笑うんだ。
それは、すぐにでも見たい、この花たちに似合う在り方だと思った。
一つ一つが、何の花なのか分からない、明るい色彩の赤も黄色も青も、たくさん。とにかくたくさん。
「……ん」
これらの山を早く渡したくて、でも早く飛んだら危ないくて、ゆっくりと時間をかける。
こうやって、焦れる気持ちは、とても苦しいけど、でも。
ご褒美があると思えば、頑張れる。
ふわりと、いつの間にか、彼女たちが降らす花が進む先を示すみたいに、風にのって流れていった。
背中を押す風。
振り向いたら、遠くの空に、ぽつんと小さな、ゴミみたいに黒い点がある。
文だって気づいて、彼女の風が示す先が、出口なのだと分かった。
優しいねって、良い香りがする花と風に、嬉しくなる。
あぁ、そうか。
私はきっと、こんな気持ちを、ヤマメにあげたかったんだって、遠く回ってようやく気づいた。
日も沈んで、でも地底では関係ない。
ようやく帰り着くと、そこには私の書いた書き置きを胸に、ぐったりと泣き疲れた様子で、冷たい岩の上で眠るヤマメがいた。
「……ぅ、きすめぇ」
暗い中でも目立つ綺麗な髪がぼさぼさで、目元が赤く腫れている。
私は静かにその場に降り立って、こつんと固い音を立てる。
丸くなって眠る姿が可愛いなぁって暢気に感じて、私はぱらぱらと花を彼女にかけた。
ぱらぱら。
ぱらぱら。
両手で掬って撒いて、撒いて、撒いて。
それでも無くならないたくさんの花。
香りが広がってキスメの顔を少し埋めていく。
「……ごめんね」
心配かけちゃったね。
花を贈りたかったのは、そんな風に目を腫らさせる為じゃなかったのに。
結果はこの通り。
頭の中で文の台詞が蘇る。
『……こんなのがあるから、そういう発想になりましたかねぇ』
こんなの。
今頃は地面の養分になってる、昔に拾った花の残骸。欠片。
ムラサの言葉とぬえの言葉。
『あれ、そういえば、ヤマメはいないの?』
『そうよ。ヤマメはどうしたのよ? あんたがいないと半狂乱で探し回るでしょうが』
そうなんだ。
私は、一人で花を探すべきじゃなかったんだよね。
ゆっくりと、今日の事を振り返って、私はヤマメの隣に桶ごと寝転んで、目を閉じる。
彼女へのプレゼントを、こっそりしようなんて、考えたらいけなかった。
私は、それを行える程に、まだ独り立ちなんて出来ていなかった。
だから、ムラサとぬえは心配して、文は怒った。
「……」
今日一日、ヤマメに会いたかった。幸せそうにしている幽香とリグルが妬ましかった。
それぐらい、私はヤマメが大切なのに、泣かせてしまった。
これが、私の駄目な証拠。
突きつけられて、悲しいぐらい厳しい現実。
花が、欲しかった。
それはただ。
花を贈れる『私』という、そういうのが欲しかった。
気づけば、とても酷い。
ずるかった。
指を、ヤマメの目元に当てて、少し熱を孕んだそこを優しく擦る。
起きたら言うね。
ごめんねって。
それから。
ありがとうって。
ぐすぐすと、泣き声がする。
ぽたりと頬にかかる。
「キスメぇ! キスメがいたぁ! 心配したんだよ馬鹿ー!」
「むにゅ…」
「もう、もう! 勇儀もパルスィも知らないっていうし、まるで実家に帰らんとばかりの書き置きに、ごめん! 私が何かしたなら謝るから捨てないでー!」
……眠い。
目を開けると、花を頭に散らして、うるうるしてる可愛いヤマメがいる。
夢かなぁって思って、いい夢だなぁって目を擦りながら思う。
「……やまめ」
「うんうん!」
「……はい」
夢で予行練習。
両手で掬った花を、少し萎びれてしまったけど、まだ綺麗なそれらを彼女に差し出す。
「…え? あれ、そういえば、この花どうしたの?」
「……あげる」
「?」
受け取るヤマメの手の平からふわりと零れる花と、不思議そうに首を傾げている表情。
なんか違うなぁって、もっとたくさん、両手じゃなくて両腕で掬うぐらいにして、桶から少し身を乗り出して、頭からぶわって撒き散らす。
「うわわっ?!」
驚くヤマメの顔が、それでも綺麗な光景に輝いていく。
きらきらしてる。私が大好きな笑顔になる。
見惚れて、足がもつれて転んだ。
「っと、キスメ?」
「…ん」
久しぶりに、全部外に出てしまった。反射でぎゅって怖くなるけど、ヤマメが抱きしめてくれるから平気。
気持ち悪いぐらい白い足がヤマメの頬に擦れて、ヤマメがちょっと顔を赤くした。
「だ…だいじょうぶ?」
「…うん」
ころりと転がる桶を追いかけようとしたら、ヤマメにぎゅって抱きしめられる。
驚いてヤマメの顔を見ると、ヤマメは花を全身に浴びながら、そっと地面に落ちた花を掬って、ぱらりと私にかけた。
きょとんとすると、ヤマメの顔がますます赤くなる。
「……やまめ?」
「あー」
くりんと首を曲げて、それからそわそわして、またくりんと戻す。
ふかふかのスカートの上は居心地がいいけど、どうして私を捕まえたまま離してくれないのか不思議だった。
「き、キスメ」
「……?」
「その、いろいろ聞きたい事はあるんだけど。それより、さ」
「……なに?」
ヤマメの顔が、そっと近づいて、耳元に柔らかそうな唇が寄せられる。
彼女の声は、からからと緊張でひび割れてた。
「か、帰って来てくれて、ありがとう……嬉しい」
体が、強張る。
あぁ。
その言葉に、どう返せば良いのか。
夢では絶対に味わえない、広がる感情、温もりと鼓動の高鳴り。
私は、ヤマメに強く抱きつきながら目を閉じる。
頭が痛くて、でもそれは辛い痛みではない。
やっぱり、私は馬鹿だった。
それで、やっぱりヤマメに花はとても似合った。
馬鹿だけど、満足だった。
「ぷれぜん、と」
「?」
「やまめに、はな、あげたかった」
一瞬遅れて、えぇ?! って真っ赤になって狼狽するヤマメに、私は笑う。
だから、ちょっとだけ長い話をする。
花に包まれながら、私が何をして何を思って、何に気づいたのか。
私は口下手で、とても話下手だけど、彼女に心を籠めて伝える。
全部話そう。
そして、全てを語り終えたら。
今度は、ヤマメと一緒に外に出よう。花を見つけて贈ろう。笑って貰おう。
……きっと、今度は大丈夫。
笑いながらヤマメに縋る様に抱きつくと、ヤマメは困惑しているみたいに頬を赤くしたまま、私をぎゅって、こわごわしながら強く抱きしめた。
私は、もう、ヤマメを泣かせない事から始めようって。
大人になりたいって、なろうって、初めて決意した。
素敵な大人になって、ヤマメに笑顔をずっとあげたい。失敗したくない。
だって私は、ヤマメが世界で一番大好きだから。
おまけ。
「貴方って、本当に子供には甘いわよね」
「放っておいて下さい。この幻想郷に置いて、年を喰うほどに性格が歪んでいく傾向にある昨今。彼女の様に清楚で可憐という理想のお姉さんになりそうな人材を導くのは当然の事です」
「……へえ、言うわね?」
「ぐえええ?! くっ、見た目だけなら私の好みなのに、性格死亡中の貴方に、この気持ちは分からない!」
「存分にお死になさい」
「ふぎょおおおぉ?!」
「……幽香、多分文さん死んじゃうから、これ以上は駄目だよ。それに、幽香の性格が天使なのは、私がよく知ってる」
「……リグル」
「……幽香」
「ケッ! このバカップルめ!」
「キスメ、大丈夫かなぁ」
「そうだね、心配だね」
「一応、大丈夫だって分かってはいるんだけど、どうなったか気になるわぁ」
「まあ、いざとなったらヤマメが助けにいくだろうし平気だよ」
「あ、そうだムラサ」
「うん?」
「キスメが心配だから、今から地底に行こう!」
「……え? 昨日の今日で? 流石に、そんなに寺を空けるのは……」
「いいの! 今度は別のとこにデートよデート!」
「……デ」
「いーっぱい、私を甘やかしなさい!」
「……ん、ぇと。……よ、よろこんで」
「キスメ、もう、もう可愛すぎるよ、ありがとうー!」
「やまめ、くるしい」
「嬉しい、やばい、皆聞いて! 私のキスメは世界一のお嫁さんなんだよー!」
「……およめさん?」
「はっ! ごめん、イヤだった?! えと、じゃあ清いお付き合いからでどうかな?! 私はキスメならいつまででも待つから!」
「……やまめ」
「はい?!」
「……じゃあね」
「うん!」
「……はなを、くれたら、いいよ」
ヤマメの手にある、キスメから貰ったばかりの大切な花を集めた、真新しいダンボールの中のたくさんの花々。
それを見てキスメは笑い、ヤマメは意図を理解して、咄嗟に全身を真っ赤にさせてばっさばっさと集めた花を撒き散らす。
ぶわぶわと舞い、まれに蜘蛛の糸にひっかかったそれらは、彩り豊かに、彼女たちを際だたせる。
「じゃあ、わたし、およめさん」
桶に隠れて小さく言う彼女に、ヤマメは暫し停止して、すぐに真っ赤な顔でだばーっと、格好悪く泣いて必死に、精一杯の愛の告白を彼女に贈った。
ヤマメはようやく、ずっとずっと見ていた、この引きこもりがちで口下手で、静かな少女に。
心という『花』を貰って贈れた。
今日が、彼女の一生に一度の記念日になった。
だから、これはただそれだけの話だった。
一文に含まれる糖分が尋常じゃないぜ……ぐはぁ
いい仕事してくれるじゃないか。
最高だ!!!
更にムラぬえと幽リグまで大サービスとは!素晴らしい!!
ヤマキス増加祈願については全力で同意致します
何という甘さ...こいつは化け物かっ!!
私もヤマキスはもっと増えるべきだと思います。
最高によかったです
全力で納得した。
純粋郷宝のキスメに! 甘くて優しい住人たちに、心からの拍手を!!
幽香とリグルのラブラブっぷりもヤバイなw
やっぱヤマキスはいいですよねぇ…初々しいって言うか…
唯一お相手が居なかったのにねえ?
ヤマキスご夫妻、どうかお幸せに!
幽香とリグルはしばらく見ない内に本人たちも関係も大きく変わったんですね
この文なら好きになれそうだw
そして期待通りの幽リグ…ごちそうさまです
だから俺は甘さで殺される 犯人はこの人です責任とってください。
えー、100点じゃ足りません。
幽リグの甘さとかヤマメとキスメの会話に頬が緩みますね。 面白いお話でした。
しかもヤマキス!
これだけでも凶悪なレベルなのに・・・
最新だったムラぬえに最初の幽リグまで・・・!これは贅沢にもほどがある!
ごちそうさm(糖死
あまあま、ごちそうさまです。
ヤマキス増えろっ
猟奇的犯行ととれますよ!
キスメさんが居なくてハートがボロボロなヤマメさんもこれまたお可愛らしくて、大変お腹いっぱいで御座いました。
素敵な作品を有り難う御座います。
ですので幽リグ&むらぬえ+文ちゃんのフルコースはやめて止めて待たれて口から糖分がリバースッ!
キスメさんが居なくてハートがボロボロなヤマメさんもこれまたお可愛らしくて、大変お腹いっぱいで御座いました。
素敵な作品を有り難う御座います。
ですので幽リグ&むらぬえ+文ちゃんのフルコースはやめて止めて待たれて口から糖分がリバースしますからっ!
こんな素晴しい作品なら10000点上げるのに!!
ごちそうさまでした。
胸が熱くなるな
この一語に含まれる破壊力が尋常ではない
>>これで良し
全然良しじゃねぇww
色々言いたいことはあるけど一言だけ。
素晴らしい!!
素晴らしいです。
それはそうと俺のお気に入りのエスプレッソが甘すぎるのだがw
と、思うくらい素晴らしかった。
いちいちカプがマイジャスティスだなんて…殺す気か!?
いいねぇ