――1――
「お姉ちゃん。いっしょにお風呂入ろうか?」
「いっしょにお風呂ですか。唐突ですね」
「いつものことでしょ。私が唐突なのは」
「それはそのとおりですね。いいでしょう。しばらく待っていなさい」
「早く早く! 恋は待っていてはくれないわ!」
「何をそんなに急いでいるのです」
「別に何も?」
「私にはあなたの心が読めないのですから、説明してもらわなければ困ります」
「うーん。ただの気まぐれかな。今はそういう気分だったの」
「意味不明ですね」
「そう。意味不明。どうしてお姉ちゃんにしろ他のみんなにしろ、そんなに意味を与えようとするのかなぁ」
「リアリストなのよ。みんな」
「いやロマンティストだね。みんな」
「そういう気がするだけでしょう」
「そういう気がするだけだよう」
こいしは空虚な笑いを浮かべる。
こいしは、自分というものがない。というか、そもそも意味というものがない。世界にはどんなものにも意味というものが付着しているのに、こいしには無い。
世界を見渡してみよう。
どこもかしこも意味に汚染されている。意味とは愛のことだ。したがって、世界は愛で汚染されている。汚らしい愛で。
こいしが気づいたのは幼少のころ。
それからのこいしは空を飛んでいる。だから愛という呪縛から解放されている。たぶん半分くらいは愛から自由だ。
いや、もしかすると正常人のほうが空を飛んでいるのだろうか?
こいしの方こそが現実という名の地上に縛られているのではないだろうか。
実はこれらの思考過程もこいしというキャラクターによってなされているものであり、つまりは一人称であるが、こいしは自分というものがないので三人称的なスタイルになる。
ここに記されている言葉は三人称的記述のように見えるが、実際はこいしの一人称なのである。
言葉のない思考。言葉の前駆的な段階による曖昧模糊とした言葉。重ねられている無意味な言葉。
こいしの思考過程を表現するのに適切な言葉というものは存在しない。
こいしが他者との会話のなかで私という言語を用いているのは、世界との折り合い、あるいは妥協であって、本当のところはこいしは自分のことをこいしというキャラクターとして規定している。自分というものがないのだから、そういう定義づけも嘘であり偽りだ。だからここに書かれている言葉は正常人たちへのサービスみたいなものということになる。
わかりにくい?
もっとわかりやすく説明すれば――
「私には言葉というものがないの。言葉っていうのは相互連関するものでしょう。『私がいてあなたがいる』というような魔術的な要素が必要となってくるわけでしょう。私は言葉を棄却している。私は私を定義するツールがない。だから、世界から浮揚している。みたいな?」
「誰に向かって話しているのですか。ほら、こいし……、脱ぐのを手伝ってあげますから後ろを向きなさい」
「わ、やった! お姉ちゃんに洋服ひんむかれちゃうんだ。興奮しちゃう!」
「あいかわらずテンション高いですね。少し、こいしが羨ましいです」
「お姉ちゃんがダウナーすぎるからだよ」
「そうかもしれませんけれどね……」
知ってのとおり、覚り妖怪というものは身体の一部にサードアイが付属品のようにくっついていて、しかも細長い線がのびている。そのため服の脱ぎ着がとても難しい。誰かに手伝ってもらわなければ何十分もかかってしまう。
さとりはこいしの服を丁寧に脱がせた。
お返しとばかりに、こいしはさとりの服を脱がせた。
「ありがとうございます。こいし」
「お姉ちゃんのお肌すべすべしてるね」
こいしが、ぴとっとくっついてきたので、さとりは少しばかり身をひいた。
やはり心が見えない相手は、暗闇からスナイパーに狙われるようなもので、本能的に怖いのだろう。
「いいから早く入りますよ」
お空のおかげで地底にはいくらでも温泉が湧いている。ちょうどよい温度に調節しているのも、お空の力のおかげだ。
今はペットも入っておらず、どうやらふたりきりのようである。
タオルを額に当てて、さとりは汗をぬぐっている。ふぅという小さな声が聞こえた。
こいしはニヤっと笑い、さとりを見つめている。こいしの視線に気づき、さとりは怪訝そうに眉に力をいれた。
「なんです?」
「ん。風流かなとおもって」
「そうですか? 季節感があるものはどこにもないようですが」
「お姉ちゃんの『ふぅ』という吐息が最高に風流だったよ」
「……」しばし沈黙するさとり。「そうですか」
「ノリが悪いなぁ」
「そもそもノリが良い覚り妖怪というのも、それはそれで不気味ですが……」
「いいや。お姉ちゃんは自分で自分に限界を作ってるだけだよ」
「限界? そうかしら」
「そうだよ。覚り妖怪がこうならなければならないとか、そんなの考える必要ないじゃない」
「私はこうあるべくしてこうあるのですから、いまさら自分を変えることなんてできませんよ」
「まあその通りだね。私が今サードアイを閉じているのもそうあるようにしてそうある結果だし、人のことは言えないよね」
「ですが――」さとりは少し考えるように口調を整える。「ですが、できることなら……いえ、なんでもありません」
こいしにだってわかっている。
さとりが何を望んでいるのかぐらい、心を覗くまでもなくわかる。さとりはこいしにサードアイを再び開眼してほしいのだ。こいしに覚り妖怪としての本分を思い出してほしいのだ。そうすることが良いことだと思っている。種族的な本能か。あるいは自分がそうであるから、妹にもそうであってほしいという共感の強制なのか。こいしにはそれらの区別はつかないが、いずれにしろ緩やかに強制されていることは知っている。有形力を伴わない洗脳行為のようなものだ。
吐き気がするほどに愛は自我を汚染する。
そもそも覚り妖怪はその傾向が強い。種族間の連帯感が強く、共感が常に強制される。
こいしが覚えている同種族なんてほとんど数えるぐらいしかないが、それでも昔はもっと多かった。世界に愛は満ちていた。
――想起『鳥殺し』
薄暗くて狭い小屋の中だった。
日の光は一切届かず、天井のほうにわずかに空気を入れ替えるための窓が開いている。草のつぶれた臭いがあたりにたちこめていて、思わず鼻をつまみそうになる。踏みしだかれた藁がそこらじゅうで変色している。土と同化してそんな臭いがするのだろうか。いや、それだけではないだろう。生き物の臭いだ。
養鶏場である。
ひよこになれない鶏たちが首だけを突き出して自動的に運ばれるエサを喰らっている。
どうしてとか、なぜそうするのか、といった意図はない。鶏にそこまで考える力はない。だから運ばれてくるエサに本能のまま口をつけるだけだ。
これはこいしの心象風景だった。
幼いこいしの心に、他者の心が強烈なイメージとなって焼きつけられる。そのトラウマ的な現象が想起という形で再生されたものだった。
こいしは義務として、ドサ袋に入れたエサを鈍色をした小皿で掬い、等間隔になるように巻いていく。
鶏の鳴き声が一層激しくなる。
早くこっちにも投下してくれ! おまえはエサを放る係だろう。俺たちは食べる係だろう。さっさと義務を果たせよ!
こいしはエサそのものだった。エサを撒いているときに、こいしは自分の身を削って撒いている気分になった。
ますます辺りは騒がしくなる。言葉にならない声が騒乱となってこいしの幼い心に侵入してくる。耳を塞いだところでその声は留まることを知らない。
こいしは思う。
こいつらは、ひよこのふりをした鶏なんだ。なんて醜悪な存在なんだろう。自分もそんなふうになってしまうのだろうか。成長とは、こいつらのようになることなんだろうか。
嘔吐。嘔吐。嘔吐。
発作的に激情が襲い、こいしはナタを倉庫から持ち出してくる。
こいしには不釣合いな巨大なナタ。
けれど、金属質のそれは、こいしにはとても綺麗に思えた。なまものは汚い。それに比べて、無機物はなんて綺麗なんだろう。余計な想念が付着しておらず、生きようともしておらず、愛されようともしていない。
静謐な生き様に憧れた。孤高になりたかった。だから養鶏場から自分を脱出させたかった。
こいしはナタを振り上げて、鶏の頭を切り落とし始める。
思いのまま振り上げて、思いのまま振り下ろす。清々しい。とても清々しい気持ち。浮揚のカンカク。死ね。死ね。死ね。醜いものは全部消えてなくなれ。そうじゃないと自分も醜い鶏になっちゃう。頭の無くなった首筋からは、血しぶきがいくつも空へと散乱し、辺りを薔薇色に変えた。
そういうふうにして――
さとりとこいしを除いて、覚り妖怪はことごとく地上から消え去ることになった。
――2――
「とか――こいし様が笑いながら言ってたんです」
お空が不安げに口を開いていた。少しだけ脅えている。背は高いが、心は子どもに近い。
こいしの冗談のような想起話は、まるで自分が殺されるかのように感じたのだろう。お空の心は幼いのである。想像力が単純で、世界の理と自分の身のまわりのできごとが短絡する。お空がそう感じるであろうことは、こいしも薄々わかってはいた。だから鳥殺しはまごうことなき鳥殺しなのである。
さとりは少しだけ首を傾けた。しばらく考えているふうである。
地霊殿の巨大なホールにはさとりが長椅子に座り、紅茶のカップに口をつけている。
白くて、瑕ひとつなくて、綺麗なカップ。
そして思ったよりも明るい空間だ。お空の力で地底は太陽の力を手に入れた。
地底妖怪には似合わない明るすぎる部屋に、絵本のなかのイラストのように、ふたりは寄り添っている。
こいしは当然のことながらその様子を観察していた。この記述は前にも述べたとおりこいしの心象風景を三人称的記述に置きかえたものだから、こいしが知覚したものか、あるいは思い描いたものしか記述されないことになる。ただこいしの存在は無意識のなかに溶かされて今は誰にも認識できない状態にある。
ようやく、さとりが紅茶のカップから口を離した。
「嘘ですよ。こいしは同族殺しなんてやっていませんし、気づいたら私とこいしのふたりきりだっただけです。そもそも同族殺しはたとえ妖怪であっても最大の禁忌です。妖怪が人間を殺すのは食物を補給する行為だから宿命として許容されるところですが、同族を殺すのは許されるものではないでしょう。それなのにこいしをここ地霊殿に置いておけば、私も犯人蔵匿ということで閻魔様に叱られてしまいますよ」
「そうですか。ほっとしたぁ~。ただの嘘だったんですね。こいし様も人が悪いなぁ」
「ただの嘘とも違うのかもしれませんがね」
「うにゅ、どういうことです?」
お空が甘えるようにさとりの膝元にすがりつく。
「こいしは覚り妖怪であることが嫌いだったのかもしれません。知ってのとおり覚り妖怪は心を読む妖怪です。そのため、いつも他人に合わせることを強いられてしまう。こいしはそのことがたまらなく嫌だったのかもしれない。集団性の中で愛情という名の言語を取り交わすことは、人間もやっていることですが、覚り妖怪の場合はダイレクトな通信です。なにしろテレパスどうしの会話は心の交信なのですからね。だから幼い心には、その負荷は耐えられなかったのかもしれません」
「もしかして、さとり様はこいし様がサードアイを閉じたのは、自分のせいだと思っているの?」
「こいしに一番近かったのは私です。だから、こいしがサードアイを閉じたのは私のせいでしょう」
「本当に、そうなのかな」
お空の声は消え入るように小さかった。
「わかりません……。こいしの心は読めませんからね。それに私が聞いて良いことでも無いでしょうし」
「姉妹なのに!」
「私が原因だというのに、心を閉じたのは何故なのかを聞くなんて……、とても滑稽ですよ。そして解決策もない」
「きっかけみたいなのがあるんじゃないかな。きっかけがあれば元に戻るのかも」
「きっかけですか? 特にそれらしいことはありません。わかりやすいマークなんてものはないのです」
さとりはチェス盤のような床を見つめた。よく磨かれた床にはさとりの消沈した顔が映っている。
お空は言葉に詰まり、さとりの膝のうえに頭をあずけた。さとりは優しく、お空の頭を撫でつける。それもまた愛の言語だ。けれど、こいしの中には、あの養鶏場のような嘔吐感は生じなかった。もしかすると、こいしは愛を求めているのだろうか。誰だって孤独にはなりたくないという言葉は、愛という概念に汚染された者がよく使う言い回しであるが、しかしこいしも心のどこかでは孤独になりたくないと願っているのかもしれない。愛に溺れたい。ハート型の弾幕をこいしは地底のあちこちに向かって飛ばす。
私を愛して、とでも主張するかのように。
客観的な行動に着目すると、こいしはシジジィのように見える。
シジジィというのは、一匹ひよこのことを言う。
ひよこのくせに、かわいいくせに、だれもそばにいないから、ひよこはぴよぴよ鳴いたりしない。そのくせ自由に空を飛びまわったりする。一匹ひよこだからなんだってできる。不可能なことなんて何ひとつなく、神様のように世界のすべてを所有している。
シジジィとはそんな存在のことを指す。
確かに、こいしは独自の世界を持っている。そして空を飛んでいるかのように夢想のなかに身を浸している。暗闇に似た無意識の世界かもしれないが――、いずれにしろ自己完結しているように思える節はある。
だが、こいしはシジジィなのかといわれると、正直こいしにとってもそれは微妙なところである。
こいしがシジジィだとすれば、どうして地霊殿に帰ってくるのかわからないし、さとりのことをお姉ちゃんと呼ぶ必要もない。シジジィにとっては他人なんて不要な存在だから、自分で気ままに生きていけばよいのだ。
だから、たぶんこいしはシジジィに憧れているのだろう。それでシジジィになろうとしているのだろう。こいしはシジジィではないという結論で問題はないといえる。
だがそうすると、どうして――という疑問が再びのぼってくることになる。
どうして、こいしはさとりの妹であろうとしているのだろうか。
換言すれば、どうしてこいしはさとりの妹として愛されようとしているのだろうか。
あれだけ愛は不要であったのに。愛から浮揚しようとしていたのに。だって愛は汚いものでしょう?
――想起『猫殺し』
その村では、猫が神様のように祭られていました。
猫、かわいいですもんね。
まるっこくて、小さくて、愛くるしい動きで私たちの目を楽しませてくれます。
実に戦略的なかわいさ。
戦術的な愛らしさ。
戦闘的なにゃんこです。
ところで、その村では、猫嫌いの男がいました。
年は二十も半ば。そろそろ落ち着いてきてもよい年頃ですが、成熟が動物に比べればずいぶんと遅い人間のこと、寿命の四分の一程度を経過してもまだ子どもっぽい荒っぽさを残していることは、ままあることです。
「ああも、毎晩毎晩鳴かれるとうるさくてしょうがねぇ」
ほらこのとおり。
ご存知のとおり、猫には発情期というものが存在します。
年がら年中発情中の人間と違い、ごく短い時期ですが、発情し子どもを残そうという本能が高まる期間があるのです。
その時期は、ちょうど猫の発情期。
猫の住み家がどこか近くにあるのか、夜ともなると、それはもうにゃんにゃかにゃんにゃかとうるさく騒ぐ。
しかし、猫を遠くへ追い出すわけにもいかない。その村では猫は神様であり、とても大事にされていたからです。
もしも男が猫に狼藉を働けば、村の人間たちに何をされるかわかったものではない。
村社会というものは恐ろしいものです。
そこには独自の文化や歴史や慣わしがあって、そこに暮らす構成員は、それらに拘束されます。言わば一つのセクトを形成しているのです。もちろん、ここ幻想郷も一種のセクトを形成しているといってもよいでしょう。
たとえば弾幕ごっこにより決闘方法が制限されていたり、巫女殺しが禁忌になっていることも、一種のセクト化を肯定する要素足りえます。人間が集まって暮らす。それだけで人間はもう自由ではないのです。そしてその拘束力は人間にとっては時々いのちよりも重い場合があります。
男の苦悩は言葉にすれば簡単なことでした。猫がうるさくてかなわない。しかし猫をどうすることもできない。猫は神様ですから当然のことです。
男は決断しました。夜のうちにこっそりと殺してしまおう。誰にもバレなければ問題ないさ。
月のない夜のことでした。男はマタタビを焼いて猫を集めることにしました。猫の動きは俊敏ですし、人間というものはノロマなものですから、そういう道具に頼らなければ猫一匹殺すことはできないのです。煙が立つことになりますが、なぁに問題ない。夜闇に煙は見えにくいし、もし見えたとしても夜食でも作ってると思うさ。
そして、男はマタタビで酔った猫を袋に詰めて、ぎゅっと縄で縛り、山の中まで持ち歩いていきます。もしも妖怪に見つかれば男の命はなかったでしょう。しかし男は妖怪よりもむしろ人里の住人に会うことを恐れていました。袋に入った猫の数は十数匹で、かなりの重さです。山仕事に慣れている男も、息を荒げながらようやく人里から離れたところまでやってきました。
そこで袋を下ろし、そのままカマを何度も何度も振るいました。
真っ白だった袋は、もぎたてのイチゴのように綺麗な鮮血に染まっていきます。男が袋から猫を出さなかった理由は単純です。第一に返り血を浴びたくなかったこと。第二に猫が起き出しても逃げ出せないようにしたかったこと。それと最も大きな欺瞞的な理由ですが、自分が猫を殺しているという事実から目を背けたかったからです。
そういった次第で、男は猫を殺しおえて満足して家に帰ったのです。
さてさて、このあと男が因果応報的に村人にひどい目にあわされるとすると、ただの教訓話となってしまいますよね。
でも、物語というものはそもそもは現実のカリカチュアとして存在するわけですから、本来的にはもっと残酷なものなのです。
実をいうと、男が猫を嫌悪する理由は自己完結的な理由だけではありませんでした。
男には奥さんがいて、その人は心をわずらっていたのでした。たかが猫の鳴き声ひとつで心が死にそうなくらいに疵を負ってしまったのです。だから男が猫を殺すのはけっして自己の欲望を充足するためだけではなく、彼の配偶者のためでもあったのでした。
もちろん村人にとっては、上記の事情は所詮他人事でしたから、神様である猫のほうを優先するということは彼らのイデオロギーに照らしてみれば当然のことですよね。
男が家に帰ってみると、村人の手によって無残にも妻は殺されていました。村人の一人が袋をかついで歩く男の様子を変だと思い、こっそりと後をつけ、そして男が猫殺しをする現場を目撃していたのです。それで急いで村にとって返し、そのことを伝えまわったのでした。村人たちは男が帰ってくる前にさっそく報復にでたのでした。
男はすべてを悟り、観念します。次は自分の番であることはわかりきっていたからです。それに妻のために猫を殺したのに、その妻が死んでしまっては無意味だとも思ったのかもしれません。
村人たちが男を殺した理由は、猫が人間にとって害獣であるというごく当たり前のことを忘れていたためです。
そもそも、この村において猫を神様のように祭り上げた理由はたいしたものではありませんでした。あるところに猫がかわいくてしかたない人がいました。その人はお金をもっていて、猫をつれてきてくれれば、その褒美として金一封を与えていたのです。そういったことが由来となって、猫を神様として祭り上げる風習ができたのです。
もちろん猫の容姿の愛くるしさも、その一助となったことでしょう。誰だってかわいいものが嫌いな人はいないわけですし、猫は大方の人間にとってはかわいい存在なのです。なにより愛するという行為は全的に肯定されるようにプログラムされているからです。愛する行為は善なる行為であるという妄想が共同体を包みこんでいるのです。その愛のイデオロギーによって一組の夫婦が殺されるという事態を招いたわけですが、なぁにたいしたことじゃありません。集団のなかではたった一組の夫婦が猫を殺したことなど、ちょっとしたノイズのようなものですから。
要するに男は異常者だったということで、片はつくというわけです。
――3――
「こいし様は私に何か怨みでもあるんでしょうか……」
陰鬱な顔色を見せたのは、お燐である。
さとりはいつものように大ホールの長椅子に座り、足を組んで本を読んでいた。
「なにかあったのですか」
「こいし様が私にいい話を聞かせてくれるっておっしゃいまして……」
お燐が伝えた内容は先ほどの『猫殺し』の話である。愛のイデオロギーに対する痛烈な批判であるお話も、猫型の妖怪であるお燐にとっては痛烈な猫嫌悪な話にしか読み取れなかったのかもしれない。よくて不気味なお伽話だろう。
お燐はさとりの足に手をからめるようにして、ちょっとだけ涙目になっていた。
さとりは軽くお燐の頭を撫でた。
「こいしがあなたのことを怨んでいるというわけではないのですよ。おそらくは絵本の話を少しばかり……ほんのちょっとだけこいしのカラーで染めたのでしょう。童話というものは本質的には残酷な話を内包していることが多いわけですからね。赤ずきんちゃんを考えてごらんなさい。あの物語の裏側にはとても昏いひずみが見えるわ」
「でも、あたい怖くて」
「お燐は心配性ですね」
「だって、お空は馬鹿だし、さとり様はなんだか超然としているから、あたいがなんとかしないとって、思ってしまうんです」
「あなたらしいですね」
さとりはお燐の頭を撫で続ける。少しずつお燐の顔から硬さが取れてきた。
「にゃぁ。でも、あたいはこいし様のことがちょっとだけ怖いです」
「怖い……ですか。私たち覚り妖怪は人々に恐れられてきました。怨霊にも恐れられるぐらいですからね」
「でもあたいは――」
「わかっていますよ。私のことを恐れてはいないと思ってくれてるのですね」
さとりはお燐の頭を抱えこんだ。
当然のことながら、こいしはその様子を見ていたわけだが、まったくといっていいほど心は揺れ動かなかった。羨ましいということを口にすることはあってもそれは本心からの言葉ではない。そもそも本心による言葉なんてものはこいしには存在しない。こいしは自我を無意識の中に埋没させているわけだから、こいしが心を動かすということは字義からして矛盾している。
だってそうでしょう?
こいしは心を閉ざしてしまった女の子。
誰が何をしようと関係ない。
だから――、
こいしは、いつもと同じようにうっすらと微笑を浮かべながら、さとりの前に姿を現した。
――想起『人殺し』
覚りの王国は城壁で囲まれている。
城壁の中にはたくさんの覚り妖怪がひしめいている。
人口密度は恐ろしく高く、まるで独居房の中に詰めこんだようだ。けれど覚り妖怪たちは誰一人窮屈さを感じていなかった。
なぜかわかるだろうか。
覚り妖怪は、複数の個体で構成されているが、心的構成としては一つであったからだ。
人間が社会という共同体を構成するように、覚り妖怪たちはテレパスにより一種の心的空間を形成する。つまり、覚り妖怪は身体は分かたれているが、心は一つに溶かされていた。そういった集団の液状と化した心の中にぽつりぽつりと小さな自我が浮かんでいる状態だったのである。
自然と姉妹や親といった概念も緩やかなものになる。社会生活を営む上での便宜としてそういった単位が使われていたに過ぎず、人間ほど強い血縁関係はなかった。
そんな自我の王国のなかで、こいしは両親と、大好きな姉と、生まれたばかりの弟とともに楽しく暮らしていた。
今となっては本当に血のつながりがあったのかは誰にもわからない。
けれど、こいしの幼い心には、彼らは家族として認識されていたし、おそらくは客観的に見てもそうであったのだろう。珍しいことに。
こいしはまだ生まれたばかりの弟のことが大好きだった。鴉みたいに甲高く鳴いて、猫みたいにかわいらしい容姿をしていて、姉のように優しそうな瞳をしていた。
まだ。よちよち歩きすらできずに、言葉すら話せなかったが、こいしのことを好きだという感情は伝わってくる。
その言葉の前駆状態は、なんとも頼りない通信で、覚り妖怪にとっては不安感を覚えるものであったが、両親が彼に限りない愛情を注いでることを確認すると、子どもが親に従うように、こいしも例に漏れずそうしたのだった。いずれは、弟も覚り妖怪として、心の世界に参入してくるだろう。それまでの辛抱だとこいしは思っていた。べつに彼のことは嫌いではない。かわいいし、愛することは善いことだから。こいしはそのときはそう信じていた。まだ四つの頃のことであった。
しかし、そうはならなかった。
ある静かな夜のことである。その日、こいしの両親はなにかの都合でふたりとも出かけていた。姉とふたりきりの留守番。それと赤ん坊の弟が家のなかにいたが、もちろん彼には自分の身を護る術などないし、誰かが護ってやらねばならない。
こいしもさとりも、もちろん万難を排して、事にあたった。
彼女たちに課せられた使命は二つ。
自分の身を護ること、そして弟の命を護ることだ。
不安だらけではあった。しかし、彼女たちはよく使命をまっとうしたといえるだろう。日が高いうちに洗濯をして、掃除もして、朝ご飯も昼ご飯もつくって、赤ん坊にはミルクを与えた。それで安心して姉妹は眠りに落ちた。
かすかなノイズのようなものを聴いて、こいしが目を覚ましたのは真夜中のことだ。
こいしは眠たげな瞳をこすって、ついでにサードアイもごしごしこすって、赤ん坊の寝ている部屋に近づく。姉は寝ているようだったから起こさなかった。
赤ん坊は苦しそうに泣いていた。
顔が紅く、なんとなく息苦しそう。
風邪かな、と思った。
風邪だから、おでこを冷やさなきゃ。
夜闇のなかを探索すると、台所でいつもお母さんが使ってる布巾が置いてあって、
それでいいやと思った。
こいしは布巾を水で濡らして赤ん坊の顔にかけた。
ビチャリ。
子どもの力だ。布巾をしぼる力もたかが知れている。それに風邪を引いたときにどうして濡らすのかもよくわかっていない。こいしは赤ん坊の泣き声がやんだのを確認して、ほっとして、また姉の寝ている布団のそばにもぐりこんだ。
だから故意ではなかった。故意の死ではなかった。こいしは弟を殺害するつもりなんかこれっぽっちもなかったのだ。
殺人の主観的構成要件として殺意が必要とされるのは論を待たないところである。こいしの行為はその主観的意図に欠けるため殺人ではない。したがって、こいしの行為を客観的に評価するなら、せいぜいが過失致死。普通は事故となるだろう。
そして、覚り妖怪にとっては、あたりまえのことながらこいしの思考が読めるのだから、こいしが弟を憎んでないどころか、むしろ愛情をそそいだ結果の不幸な出来事として、弟が死んだのだということは、両親にも姉にも痛いほどわかった。
こいしにも両親と姉の苦悩は伝わった。そして自分が弟を殺したことも理解した。
微妙に……、押しつぶされたようなカンカク。
この場合は、意図なんてなんの意味もなかった。大事なことは、重要なことは、こいしが弟を殺したという事実だ。両親は自制していた。悲しみの感情をこいしにできる限り向けないようにした。けれど、どうしても思ってしまう。こいしが悪くないと理性的には理解しえても、少しでも殺意がなかったのかという疑義を捨て去ることができない。
こいしは泣きながら、何度も何度も心の中で抗弁する。
ころすつもりなんてありませんでした。ころすつもりななんてありませんでした。殺すつもりなんてありませんでした。殺すつもりなんてありませんでした。殺すつもりなんてありませんでした。殺すつもりなんてありませんでした。殺すつもりなんてありませんでした。殺すつもりなんてありませんでした。殺すつもりなんてありませんでした。殺すつもりなんてありませんでした。殺すつもりなんてありませんでした。殺すつもりなんてありませんでした。ただ少しだけ苦しそうだったから、風邪のときはお母さんがいつもしてくれるから。そうしただけなの。信じてください。
家族が壊れ始めたのは弟が死んでから一ヶ月が経過したころ。
母親が狂った。
覚り妖怪にとって、狂人は、移動する毒ガスのようなものだ。心を閉ざしているタイプの狂人とは違い、母親の場合は悪意と呪いを周囲に向けた。近くで必死にこいしをかばったのは、さとりだった。父親は母親の狂気に抵抗することもできずに事態を傍観しているだけだった。
そのままずっと毒気にあてられていたら、おそらくこいしのほうが先に死んだだろう。だが、母親は自殺した。
次に父親が直截的ではないものの、こいしの心に対して暴力を振るい始めた。トゲトゲしい悪意と呪い。おまえさえいなければという言葉を、飽きることなく何度も何度も繰り返す。
人殺し。
そう、こいしは人殺しであることを受け入れた。
だから、いっそ殺してください。お願いします。父親が刃物をとりだしてきたのは、こいしがそう願ったからかもしれない。ようやく罪から解放されると、こいしがほっとしていたのも事実だ。ああ、これで楽になれる――そんなふうに考えて目をつぶった一瞬。
パシャ。
と、妙に生暖かい液体を顔に浴びた。自分の血かと思ったがそうではなかった。父親だった人の胸のあたりからは、銀色の綺麗な刃物が生えていて、「あは」とこいしは無意識的に笑いをこぼしていた。だって、とても綺麗なんですもの。
さとりが父親を殺したことで、結果的にこいしの命は救われたのだった。
そうして、人殺しの姉妹として、ふたりは仲良く暮らしましたとさ。めでたし。めでたし。
「どこがめでたいのか、さっぱり理解できないのですが……」
さとりは色っぽく『ふぅ』という溜息をつく。お姉ちゃんのそういう仕草、かわいいからとても好き。
さとりはお燐に下がるように命じた。
こいしとさとりは一対一で広いホールのなかに対峙している。対存在的で、シジジィを思わせる構図だ。
「んー。あー。そうか……。私とお姉ちゃんはふたりでようやく完全なのかなぁ」
「ん? それはそうと、ああいうふうな残酷な話を人に聞かせてはいけませんよ」
「残酷かな。そうでもないんじゃないかな。あの話の肝は愛情との折り合いだよ。私が世界と妥協するってお話。とてもステキに寛容的じゃない」
「説明してもらえますか」
「どうやら私は覚り妖怪が嫌いみたい」
「なんとなく想像はつきますよ。私のことが嫌いなのですね。残念です」
さとりは顔を地面のほうへ向けて、あまり抑揚のない声をだした。そんなだと伝わらないと思うんだけどな。
「お姉ちゃんのこと嫌いじゃないし」
「嫌いじゃなければ、どうしてあんな後味の悪い物語を話すわけです?」
「だから覚りっていう種族が嫌いだからで……」
こいしはやきもきした気持ちになる。やきもきやきもき。なんだろう。この感覚は。心が少し冷えてくるみたい。
「覚り妖怪なんて私たち以外にはいないじゃないですか」
「だから問題なんだと思う。もしも私がサードアイを開いたらどうなると思う?」
「心が通じ合える、でしょうか」
「そうはならないと思うんだけど」
「そうでしょうか?」
「あ、でも。お姉ちゃんのことが嫌いだからそうなるってわけじゃなくて、むしろ逆だよ? お姉ちゃんのことが大好きだからまずいことが起こっちゃうんじゃないかと思うんだ」
「そうですか?」
なんとなくお姉ちゃんの顔が嬉しそうに見える。
でも、なんだか戸惑っているみたい。
こいしは、自分の中の気持ちがハート型弾幕になって飛びまわらないように慎重にコントロールしなければならなかった。
「人は誰だって孤独になりたいとは思わない」
こいしはそんなふうに言葉を切り出した。
「そうですね。こいしの言葉は正しいでしょう。一見すると孤独を愛してるように見えて、本当にひとりきりが好きだという人は数えるぐらいしかいませんでした」
「サードアイで心を読むと嫌われちゃうよね」
「まあ大方の場合はそうでしょうね」
「だから孤独になっちゃうよね」
「しかし、それは矛盾していませんか? あなたは孤独になりたくないからサードアイを閉じたと言ってるように思えますが、サードアイを閉じるということは自分の殻のなかに閉じこもることでしょう。よっぽど孤独になってしまうじゃないですか」
「みんなに嫌われるのが嫌だっていうのは本当だよ。だからサードアイを閉じたのはしかたのないことだったの」
「ふむ……、ですがそれはやはりナンセンスです。我々が心を読むことで必ずしも嫌われるわけではないのですよ。あなたは……」
さとりは物憂げにこいしを見た。
「あなたは……、逃げているだけだと思います」
「お姉ちゃんも私から逃げていたくせに」
お姉ちゃんが絶句するのがわかった!
嬉しい!
まるで心の中をナイフで突きあってるみたい。
いま、私とお姉ちゃんは殺し愛してる。
どうしよう! ドキドキが止まらないよ!
「べつに逃げていたわけではないですよ。ただあなたの心が壊れるかもしれないと思うと怖かっただけです」
「そっか。でも、私もそんなふうに考えてるのよね」
こいしはさとりの座っている椅子の後ろにまわりこみ、後ろからさとりの体を抱きしめた。
お姉ちゃんの体、やわらかい。
心が読めない存在に抱かれるのが怖いのか、一瞬だけビクってなったのが、かわいい。
「お姉ちゃん。こう考えることはできないかしら。覚り妖怪が心を読みあうと、心が液状になっちゃう。肉体という壁を通り越えてダイレクトに通信すると、それはもうふたりではなくてひとり。ひとりになるってことは結局孤独になるってこと」
「自分というものが弱ければそうなるでしょうね」
「だから私はお姉ちゃんとそうなりたくなかったの。それが一番の理由だよ」
こいしは、さとりの顔を大きな二つの瞳で覗きこんだ。
まっすぐで、純真で、恐れを知らない瞳。サードアイを開く必要なんてまったく無いじゃない。こいしには、さとりが動揺しているのがありありと見て取れた。「あは」笑いたくなるほどかわいらしい。かわいい。お姉ちゃん。この不安定な心のままでサードアイなんて開いたら私は本当に壊れちゃう。だからもう少しだけ時間をちょうだい。ね、いいでしょう。
無意識の中から私のエゴが爆発した。
「私はお姉ちゃんに恋していたいの!」
お姉ちゃんに恋してる時だけこいしちゃんは自己を形作るの?
殺しをするには相手がいる。
それだけだよ、共通点なんて、それだけ。
あれ、違うの? 教えてこいしちゃん。
醸し出る雰囲気がまたなんとも言えない。
互いに関連性の薄いぐろぐろは多分関連が薄い事自体がその意味なんだろうけれど
なんだか夢のなかで場面が転換していくみたい。
「世にも奇妙な物語」というか「世は奇妙な物語」って。作品自体の雰囲気もそんな感じでしたねぇ。さとりがタモリの代わりのストーリーテラー。
それでいてハートフル。
なにこれこわい。
うん、雰囲気は好きです。
と思っていたら、まんまの意味でしたね。本当にどす黒い色したハートフルでした。
人が無意識下に押し込め、普段出てこないようにしている筈のどろどろしたものを、まざまざと見せつけられた気分。背筋が凍るとは、まさにこのこと。
孤独だとか愛だとか、そして覚り妖怪だとかといったものの考え方が、また深いですねえ。
のめり込んで読んでしまった。
めでたし、めでたし。
僕も、テレパシーなんて出来たら他人と自分の境界線が崩れて頭が狂ってしまう! とか考えていたので、
うんうんと唸りながらうなづいてしまいました。
それにしてもタイトルの言葉遊びが秀逸!
さとり妖怪の描写が上手いですね。第三の眼を開いていると結局孤独になる、と言う解釈は新鮮でした。
結論としてはさとこいということですね、わかります。