.
「妹紅。お前、阿求と結婚しろ」
上白沢慧音はそんなことを言ってきた。
「……は?」
「だから阿求と結婚しろと」
「よし、少し待とうか」
うん、訳が分からない。
それは慧音が死ぬ、どれくらい前の事だっただろうか。後で日記を読み返してみよう。
「妹紅ー。居ないー?よっしゃー家の中荒らしましょー」
「アンタも待とうか」
「も、って何よ?」
他に誰か居るわけ?、と蓬莱山輝夜は訊いてきた。
勿論そんな訳ではない。慧音が居なくなったから、この家に入ってくるのはコイツか道に迷った旅人か、人生に迷った自殺志願者くらいになってしまった。
「まあ良いわ。お茶頂戴」
「白湯ならあげるけど」
「ちょっと。この私が来訪したっていうのにお茶の一杯も出せないってどういうことよ」
「茶葉が無いのさ」
「そこら辺の雑草でも何でも突っ込んで、形だけでもお茶にしなさい」
「それで良いの?」
言葉通りにそこら辺に生えてた草花を引っこ抜いて、一応水で洗ってから札を使って急速乾燥。そして熱湯に突っ込んでみる。
「出来た」
湯飲みを渡す。アイツは気味が悪いほど綺麗な長い指でそれを受け取って、口元に運んだ。
「……不味い」
「だろうね」
「けど死にはしないわ」
「そりゃそうでしょうよ」
軽口を叩き合う。まるで仲が良い友人同士の様だが、実際はそうでもない。今でも私はコイツを恨んでいるし、コイツは私を疎ましく思っていることだろう。しかしこれだけ時間が有り余っていると、常に気を張っているのが難しくなる。
「倦怠期、なのかね」
「何かが違う気がするけど、妙に合っているからそれで良いわ。で、何してんのよ」
「ん、……日記」
読み返してる、と。輝夜が後ろから覗き込んでくるので、その眼前に冊子の束を見せてやる。日記。
「へえ……貴女、そんなマメなことしてたのね」
「慧音の影響さ」
私は何でもないことの様に答える。
「成る程。忘却は不可避だからって、そういえば言ってたわね、生前。歴史喰いだからかしら?」
アイツも何でもないことの様に話す。
「まあ、慧音自身はよっぽど細かい事でない限り歴史から読めたんだけどね。いやむしろ、そうだからなのかな」
私はそう言って、ぱらぱらと冊子を捲る。
「そう言えば、アンタとあの歴史喰いって、かなり昔から一緒に居たのよね?」
「ん。幻想になる前から、だからね。ちなみに私の方が年上さ」
「精神年齢はとてもそうは思えないけどね」
「アンタに言われたくない」
軽い言葉を投げ合って、受け取って、その緩さに慣れたところで、
「――寂しいのね?」
ああ、だからコイツは嫌いなんだよ。
私と、慧音と、阿求。三人で、私の家に集まった。
「で、妹紅と阿求の結婚の話だが」
「いやだから待ってって。訳が分からないから」
「そうですよ。婚礼の祝儀って結構面倒くさいんですよ?」
「お前も待とうね、阿求。お願いだから私をこれ以上混乱させないでくれ」
私の突っ込みに対し慧音は湯飲みをとん、とちゃぶ台の上に置き、
「そうだな……まあ確かに、疑問に思うのも無理は無い。いきなり結婚とすると面倒があるだろうしな」
「ゴメンその前に突っ込ませて。私ら女同士だよ?結婚できる訳無いでしょうが」
「ふ……甘いな妹紅。外の世界では、女性同士の恋愛を百合と言って尊ぶらしいぞ?近年には、女性同士でも子を成せる技術をわざわざ作り出したそうだ」
「私等が消えてから一体何があったんだ、外の世界……って、いや論点そこじゃなくて。まず結婚する理由が見つからないし意義が見つからないし」
「第一、歳の差が離れすぎています」
阿求はこの時、多分二十の前半かそこら。対して私は千を余裕で突破している。そのことを脳内で描いていると、阿求がこちらを見つめて、
「……ロリコン」
「ごめん、ちょっと叩いても良い?」
「こら、そこ夫婦漫才するな。安心しろ、直ぐにとは言っていない」
「はい?」
これに対し疑問符を浮かべたのは阿求。
「っちょ、一寸待ってください。言っておきますけど私、多分あと十年と生きられませんよ?」
この面子だから軽い調子で言えるのだろうが、さらりと恐ろしい発言をする阿求。稗田の、求聞持の御子の九代目である阿求は、そう長くは生きられない運命を負っている。長くて、三十を超えうるかどうか。こうしている今も、もう体はボロボロの筈だ。
そのことを知らない筈がないのに慧音はふっ、と笑って、
「甘いな……転生後も結婚し続ければ良いだろう。永世結婚だ」
「あ、成る程」
「いや本気で待とうよ!?」
もう突っ込み所しか無い。
「っ、第一、阿求!お前転生後って人格変わるんじゃないのか!?」
「そうですけど、まあ私は私ですし。あ、場合によっては、というか二分の一の確率で次は男ですよ。良かったじゃないですか、女同士じゃないから問題無くなって。大手を振って結婚できますよ」
「そういう問題じゃ……って何か他人事みたいな言い方だね!?」
「まあ、ぶっちゃけ大分人格変わりますし。私とは言っても他人みたいなものです」
「五秒前と言ってる事違うよ!?」
阿求はあははは、と誤魔化すように笑っていて、慧音は愉快極まりないという風に笑っている。いつから慧音はこんなに性格が悪くなってしまったんだろう……私の教育が悪かったのか?
「ああそうだ、転生で思い出した。阿求、お前に是非聞きたいことがあったんだが」
「え?何ですか、先生」
「お前が次に転生した時、名前ってどうなるんだ」
慧音の言葉にぴく、と硬直する阿求。そしてバツが悪そうに頭を掻く。
「それなんですよね、今代の幻想郷縁記も書きあがっちゃった私の、唯一の悩みは」
「どゆこと?」
私は話に付いてゆけずに戸惑う。阿求はえーと、と指で空を指しながら、
「私の名前が、阿礼から始まって阿一、阿爾から阿求と続いているのは知っていますね?」
「うん」
「それで、次は十一人目ですから、順当に行くと……」
「……あじゅう」
ね、と頷いて、
「間抜けでしょう?」
確かに。
「それに、上手くこれを切り抜けられたからと言っても、その次があります。『あじゅういち』とか、どう考えてもダメすぎますよう」
「そういう訳で、私も気になっていたんだ。何だ、まだ決まっていなかったのか」
「あとう、とか言う手もあるんですけどね。未だに決めあぐねているんです」
よし、と慧音は手を打って、
「ここは未来のワイフに決めてもらおう。いや、ハズバンドか?」
「どう考えてもワイフでしょうがッてそこじゃ無くて!何で私が将来結婚することが確定なのよ!?」
「些細な事だ――まあ良いじゃないか。お前だって次代の稗田を『あじゅう』なんて哀しい名前で呼びたくないだろう?」
「そりゃ……そうだけどさぁ」
それとこれとは話が違うと思うのは私だけなのか、そうか。私の常識は何処に行ってしまったんだろうと思って、何処かに逝ってしまったのはこいつらの常識だと気づいた。まあ二人とも、もうあの世へ逝ってしまったことを思えば不謹慎なことかもしれないけど。
……いや、これに限って言えば、今思っても全然全くどう足掻いたって後悔しようがない。
「あーもう、面倒くさいなあ。もう初代から千年も経ってるんでしょ?もう一回阿礼に戻れば良いじゃない」
そう言った途端、二人の四つの瞳がじとっ、とこちらを向く。もの凄く何かを言いたそうな目で。
「な……何」
「妹紅」「妹紅さん」
「ハイッ?」
「この外道」「このロリコン」
「阿求それ関係ないでしょ!?そして何よ、二人して人を鬼畜みたいに……」
「いや、今この瞬間、お前は全国の歴史家を敵に回した」
「ええ。全世界の歴史編纂家に土下座すべきです」
「そこまで!?」
私は必死で抗議するが、二人の摂氏-273度の視線は全く緩まない。
「歴史において、同姓同名の人物が出てくることの面倒臭さを知らないと見えるな」
「数少ない文献を読み解く時、そこに同名の人物が居ることよって難易度が格段に跳ね上がるのですよ」
「で……でも、もう千年くらい経ってるんだし……」
「たかが千年、とも言えるぞ。これから先、それこそ一万年先から見れば、現在も千年前も変わりあるまい」
「それだけ時が経ってしまえば、文献も大分数を減らしているでしょうしね。そうなればこの文に記された稗田阿礼が初代なのか十一人目なのか、見分けがつかなくなってしまうでしょう。未来の同業者に多大な苦労を強いることなど、私には出来ません」
この時点で、私の心は折れた。
「っああ分かったから!分かったからさ、その視線止めてくださいお願いします!」
床に激突死しそうな勢いで頭を下げると、二人とも目尻をふ、と下げて、
「ああ、分かった。しかし今度そんなこと言ったらこんなもんじゃ済まさないからな」
「ええ、再起不能なまでに言葉責めしてあげます」
「怖ッ!」
冷や汗が背中を伝う。どうしよう、本気で怖い。
そしてもう一つ、ぽっと出て思いついた案を言おうとして、恐怖して一旦止めて、しかし言わないと進まない為仕方なく口を開いた。
「じゃ……じゃあ阿礼の前に「二代目」とか着けたらいいんじゃ無いの……?」
その言葉に慧音はまた目尻を吊り上げて、反対に阿求は何かを考え込む様なアクションをとる。
「だから、お前はっ」
「いや、意外といけるかもしれませんよ?」
「阿求?お前だって分かっているだろう。そんな二代目だのなんだの、文献じゃどうせ省略されるのがオチだ」
「ええ、ですから省略されない様な、インパクトが強いものを」
「インパクトが強い?例えば?」
「そうですね。アドバンス、とか」
「「………」」
私は天を仰ぎたくなって、
「……良いじゃないか」
一瞬後の慧音の言葉に、本当に天を仰いだ。しかし見えるのは、薄汚れた天井だけだった。あ、何故だろう、視界が歪む。涙とか久々に流したよ。
「しかしアドバンスでも少々長いかもしれないな。ここは幻想郷な訳だし、『改』だとか、『弐式』とかはどうだろう」
「いえ、それも良いですが、しかしインパクトがありません。ここはあえて、『Mk-2』などといった形にしてはどうでしょう。これなら二十一代目を数えても、『Mk-3』で対応出来ます」
「ああそうだ、それなら『A1』を付けるのはどうだ?アドバンス1、一次改良型という意味だが。こっちの方が十代目、二十代目の数に合っていて分かりやすいだろう」
「確かに。それだと書く時もそれ程手間になりませんから、省略される危険も少ないでしょう」
私はもう突っ込む気力が何処にも無かった。何だそれ、『稗田阿礼A1』って。いやむしろイニシャルを取って、『HA-0-A1』か?HAは永世固定で、一代ずつ真ん中の数字が変わっていって、何十代目かでA1だとかA3だとかになるんだな?
「ねえ、慧音、阿求」
「ん。何だ、妹紅?」
「私もう寝ちゃって良い?」
「もう疲れちゃったんですか?別に良いですけど、布団は自分で敷いてくださいね」
此処、私の家だから。最初からそのつもりだったよ。
ああ、この、話についてゆけずに振り払われるように布団に横になる感覚。
「………A1よりも………………単純にA、B、Cって付けていけば………………いややっぱ甲、乙、丙って………」
人、それを不貞寝と言う。
それは慧音が死ぬ、どれくらい前のことだっただろうか。一年か、十年か、一日か、六十年か、百年か。それが独りで思い出せないのに、その存在だけはどうしたって忘れないんだから、人間と言うのはどうしようもなく巫山戯ている。
「あれ?死ねない人間さんじゃん」
背後の竹林を掻き分けて、因幡てゐは焚き火をする私に声を掛けてきた。「どうも、永遠てゐの方から来ました」と挨拶代わりの台詞を言ってから、
「何してんのさ。何時もは殺し合いの後、直ぐ帰っちゃうのに」
「見て分かんない?」
「……天ぷら?」
「そう」
背中から覗き込んできた声に、答を返す。
私の目の前には鉄製の鍋。その中には油と一緒に、適当な食材も入っている。じゅあああ、と独特の効果音を響かせて、鍋の中で踊っている。
「まあ良いけど、何でこんなところでするかねえ。家に帰って食えば良いのに」
「そんな気分だったのさ」
ふうん、と気のない返事をして、詐欺ウサギは私の横に座り込んだ。
「今日の殺し合いはどっちが勝ったの?」
私は鍋の面倒を見ながら返す。
「どっち……とも言えないんだけどね、正確な所。少なくとも殺した数は私のほうが多かったから、私の勝ちなんじゃないかな」
私と輝夜の殺し合いにおいて、勝ち負けなんて概念は、もうとっくに擦り切れていたけれど。
「そっか。……姫様はもう、家に帰った頃かねぇ」
てゐはそんなことを言って、彼女達の家――永遠亭の方向を気遣わしげに見た。何してんの、と聞いたら姫様の心配してる、と帰ってきた。嘘だと思う。こいつが心底他人を心配しているなんて幻想を、私は百年以上前に捨て去った。どうせ夕飯の献立でも心配しているんだろう。
「失礼なこと考えてるでしょ」
「別に」
追求をかわして、鍋に箸を突っ込む。よし。
「そろそろ良いかな。食べる?」
「ん、良いの?もら――ちょっと待った」
「何よ?」
「それ、何」
訝しげに、あるいは慄きと危機感と呆れを伴った表情で、てゐは私に訊いてきた。隠すことも無いので素直に言う。
「竹の花」
「………」
てゐは理解できない、と首を振って、
「迷いの竹林の超絶希少種を、食べる?普通。金取るよ?」
「仕方が無いだろう、六十年に一度しか咲かないんだから」
そう、だって、
「今年が『六十年目』じゃなければ、食べられないんだから」
その時のてゐの表情は、少しの絶望と多大の諦観が混じったもので。
とてつもなく、彼女らしくなかった。
「も……こう」
「ねえ、てゐ」
それでも私も、何だか泣きたい気分だったから、軽く空を向いて、てゐの方を見ないようにして、
「上白沢慧音って、覚えてる?」
八つ当たりとも、攻撃とも言えない言葉の矢を、放っていた。
これでてゐが、「覚えている」と言ってくれる幻想を、私は抱いていたんだけど。
「長生きするには、捨てるしかないんだよっ」
涙を浮かべて背を向けたてゐに対して、だから私は、何も出来なかった。
.
「妹紅。お前、阿求と結婚しろ」
上白沢慧音はそんなことを言ってきた。
「……は?」
「だから阿求と結婚しろと」
「よし、少し待とうか」
うん、訳が分からない。
それは慧音が死ぬ、どれくらい前の事だっただろうか。後で日記を読み返してみよう。
「妹紅ー。居ないー?よっしゃー家の中荒らしましょー」
「アンタも待とうか」
「も、って何よ?」
他に誰か居るわけ?、と蓬莱山輝夜は訊いてきた。
勿論そんな訳ではない。慧音が居なくなったから、この家に入ってくるのはコイツか道に迷った旅人か、人生に迷った自殺志願者くらいになってしまった。
「まあ良いわ。お茶頂戴」
「白湯ならあげるけど」
「ちょっと。この私が来訪したっていうのにお茶の一杯も出せないってどういうことよ」
「茶葉が無いのさ」
「そこら辺の雑草でも何でも突っ込んで、形だけでもお茶にしなさい」
「それで良いの?」
言葉通りにそこら辺に生えてた草花を引っこ抜いて、一応水で洗ってから札を使って急速乾燥。そして熱湯に突っ込んでみる。
「出来た」
湯飲みを渡す。アイツは気味が悪いほど綺麗な長い指でそれを受け取って、口元に運んだ。
「……不味い」
「だろうね」
「けど死にはしないわ」
「そりゃそうでしょうよ」
軽口を叩き合う。まるで仲が良い友人同士の様だが、実際はそうでもない。今でも私はコイツを恨んでいるし、コイツは私を疎ましく思っていることだろう。しかしこれだけ時間が有り余っていると、常に気を張っているのが難しくなる。
「倦怠期、なのかね」
「何かが違う気がするけど、妙に合っているからそれで良いわ。で、何してんのよ」
「ん、……日記」
読み返してる、と。輝夜が後ろから覗き込んでくるので、その眼前に冊子の束を見せてやる。日記。
「へえ……貴女、そんなマメなことしてたのね」
「慧音の影響さ」
私は何でもないことの様に答える。
「成る程。忘却は不可避だからって、そういえば言ってたわね、生前。歴史喰いだからかしら?」
アイツも何でもないことの様に話す。
「まあ、慧音自身はよっぽど細かい事でない限り歴史から読めたんだけどね。いやむしろ、そうだからなのかな」
私はそう言って、ぱらぱらと冊子を捲る。
「そう言えば、アンタとあの歴史喰いって、かなり昔から一緒に居たのよね?」
「ん。幻想になる前から、だからね。ちなみに私の方が年上さ」
「精神年齢はとてもそうは思えないけどね」
「アンタに言われたくない」
軽い言葉を投げ合って、受け取って、その緩さに慣れたところで、
「――寂しいのね?」
ああ、だからコイツは嫌いなんだよ。
私と、慧音と、阿求。三人で、私の家に集まった。
「で、妹紅と阿求の結婚の話だが」
「いやだから待ってって。訳が分からないから」
「そうですよ。婚礼の祝儀って結構面倒くさいんですよ?」
「お前も待とうね、阿求。お願いだから私をこれ以上混乱させないでくれ」
私の突っ込みに対し慧音は湯飲みをとん、とちゃぶ台の上に置き、
「そうだな……まあ確かに、疑問に思うのも無理は無い。いきなり結婚とすると面倒があるだろうしな」
「ゴメンその前に突っ込ませて。私ら女同士だよ?結婚できる訳無いでしょうが」
「ふ……甘いな妹紅。外の世界では、女性同士の恋愛を百合と言って尊ぶらしいぞ?近年には、女性同士でも子を成せる技術をわざわざ作り出したそうだ」
「私等が消えてから一体何があったんだ、外の世界……って、いや論点そこじゃなくて。まず結婚する理由が見つからないし意義が見つからないし」
「第一、歳の差が離れすぎています」
阿求はこの時、多分二十の前半かそこら。対して私は千を余裕で突破している。そのことを脳内で描いていると、阿求がこちらを見つめて、
「……ロリコン」
「ごめん、ちょっと叩いても良い?」
「こら、そこ夫婦漫才するな。安心しろ、直ぐにとは言っていない」
「はい?」
これに対し疑問符を浮かべたのは阿求。
「っちょ、一寸待ってください。言っておきますけど私、多分あと十年と生きられませんよ?」
この面子だから軽い調子で言えるのだろうが、さらりと恐ろしい発言をする阿求。稗田の、求聞持の御子の九代目である阿求は、そう長くは生きられない運命を負っている。長くて、三十を超えうるかどうか。こうしている今も、もう体はボロボロの筈だ。
そのことを知らない筈がないのに慧音はふっ、と笑って、
「甘いな……転生後も結婚し続ければ良いだろう。永世結婚だ」
「あ、成る程」
「いや本気で待とうよ!?」
もう突っ込み所しか無い。
「っ、第一、阿求!お前転生後って人格変わるんじゃないのか!?」
「そうですけど、まあ私は私ですし。あ、場合によっては、というか二分の一の確率で次は男ですよ。良かったじゃないですか、女同士じゃないから問題無くなって。大手を振って結婚できますよ」
「そういう問題じゃ……って何か他人事みたいな言い方だね!?」
「まあ、ぶっちゃけ大分人格変わりますし。私とは言っても他人みたいなものです」
「五秒前と言ってる事違うよ!?」
阿求はあははは、と誤魔化すように笑っていて、慧音は愉快極まりないという風に笑っている。いつから慧音はこんなに性格が悪くなってしまったんだろう……私の教育が悪かったのか?
「ああそうだ、転生で思い出した。阿求、お前に是非聞きたいことがあったんだが」
「え?何ですか、先生」
「お前が次に転生した時、名前ってどうなるんだ」
慧音の言葉にぴく、と硬直する阿求。そしてバツが悪そうに頭を掻く。
「それなんですよね、今代の幻想郷縁記も書きあがっちゃった私の、唯一の悩みは」
「どゆこと?」
私は話に付いてゆけずに戸惑う。阿求はえーと、と指で空を指しながら、
「私の名前が、阿礼から始まって阿一、阿爾から阿求と続いているのは知っていますね?」
「うん」
「それで、次は十一人目ですから、順当に行くと……」
「……あじゅう」
ね、と頷いて、
「間抜けでしょう?」
確かに。
「それに、上手くこれを切り抜けられたからと言っても、その次があります。『あじゅういち』とか、どう考えてもダメすぎますよう」
「そういう訳で、私も気になっていたんだ。何だ、まだ決まっていなかったのか」
「あとう、とか言う手もあるんですけどね。未だに決めあぐねているんです」
よし、と慧音は手を打って、
「ここは未来のワイフに決めてもらおう。いや、ハズバンドか?」
「どう考えてもワイフでしょうがッてそこじゃ無くて!何で私が将来結婚することが確定なのよ!?」
「些細な事だ――まあ良いじゃないか。お前だって次代の稗田を『あじゅう』なんて哀しい名前で呼びたくないだろう?」
「そりゃ……そうだけどさぁ」
それとこれとは話が違うと思うのは私だけなのか、そうか。私の常識は何処に行ってしまったんだろうと思って、何処かに逝ってしまったのはこいつらの常識だと気づいた。まあ二人とも、もうあの世へ逝ってしまったことを思えば不謹慎なことかもしれないけど。
……いや、これに限って言えば、今思っても全然全くどう足掻いたって後悔しようがない。
「あーもう、面倒くさいなあ。もう初代から千年も経ってるんでしょ?もう一回阿礼に戻れば良いじゃない」
そう言った途端、二人の四つの瞳がじとっ、とこちらを向く。もの凄く何かを言いたそうな目で。
「な……何」
「妹紅」「妹紅さん」
「ハイッ?」
「この外道」「このロリコン」
「阿求それ関係ないでしょ!?そして何よ、二人して人を鬼畜みたいに……」
「いや、今この瞬間、お前は全国の歴史家を敵に回した」
「ええ。全世界の歴史編纂家に土下座すべきです」
「そこまで!?」
私は必死で抗議するが、二人の摂氏-273度の視線は全く緩まない。
「歴史において、同姓同名の人物が出てくることの面倒臭さを知らないと見えるな」
「数少ない文献を読み解く時、そこに同名の人物が居ることよって難易度が格段に跳ね上がるのですよ」
「で……でも、もう千年くらい経ってるんだし……」
「たかが千年、とも言えるぞ。これから先、それこそ一万年先から見れば、現在も千年前も変わりあるまい」
「それだけ時が経ってしまえば、文献も大分数を減らしているでしょうしね。そうなればこの文に記された稗田阿礼が初代なのか十一人目なのか、見分けがつかなくなってしまうでしょう。未来の同業者に多大な苦労を強いることなど、私には出来ません」
この時点で、私の心は折れた。
「っああ分かったから!分かったからさ、その視線止めてくださいお願いします!」
床に激突死しそうな勢いで頭を下げると、二人とも目尻をふ、と下げて、
「ああ、分かった。しかし今度そんなこと言ったらこんなもんじゃ済まさないからな」
「ええ、再起不能なまでに言葉責めしてあげます」
「怖ッ!」
冷や汗が背中を伝う。どうしよう、本気で怖い。
そしてもう一つ、ぽっと出て思いついた案を言おうとして、恐怖して一旦止めて、しかし言わないと進まない為仕方なく口を開いた。
「じゃ……じゃあ阿礼の前に「二代目」とか着けたらいいんじゃ無いの……?」
その言葉に慧音はまた目尻を吊り上げて、反対に阿求は何かを考え込む様なアクションをとる。
「だから、お前はっ」
「いや、意外といけるかもしれませんよ?」
「阿求?お前だって分かっているだろう。そんな二代目だのなんだの、文献じゃどうせ省略されるのがオチだ」
「ええ、ですから省略されない様な、インパクトが強いものを」
「インパクトが強い?例えば?」
「そうですね。アドバンス、とか」
「「………」」
私は天を仰ぎたくなって、
「……良いじゃないか」
一瞬後の慧音の言葉に、本当に天を仰いだ。しかし見えるのは、薄汚れた天井だけだった。あ、何故だろう、視界が歪む。涙とか久々に流したよ。
「しかしアドバンスでも少々長いかもしれないな。ここは幻想郷な訳だし、『改』だとか、『弐式』とかはどうだろう」
「いえ、それも良いですが、しかしインパクトがありません。ここはあえて、『Mk-2』などといった形にしてはどうでしょう。これなら二十一代目を数えても、『Mk-3』で対応出来ます」
「ああそうだ、それなら『A1』を付けるのはどうだ?アドバンス1、一次改良型という意味だが。こっちの方が十代目、二十代目の数に合っていて分かりやすいだろう」
「確かに。それだと書く時もそれ程手間になりませんから、省略される危険も少ないでしょう」
私はもう突っ込む気力が何処にも無かった。何だそれ、『稗田阿礼A1』って。いやむしろイニシャルを取って、『HA-0-A1』か?HAは永世固定で、一代ずつ真ん中の数字が変わっていって、何十代目かでA1だとかA3だとかになるんだな?
「ねえ、慧音、阿求」
「ん。何だ、妹紅?」
「私もう寝ちゃって良い?」
「もう疲れちゃったんですか?別に良いですけど、布団は自分で敷いてくださいね」
此処、私の家だから。最初からそのつもりだったよ。
ああ、この、話についてゆけずに振り払われるように布団に横になる感覚。
「………A1よりも………………単純にA、B、Cって付けていけば………………いややっぱ甲、乙、丙って………」
人、それを不貞寝と言う。
それは慧音が死ぬ、どれくらい前のことだっただろうか。一年か、十年か、一日か、六十年か、百年か。それが独りで思い出せないのに、その存在だけはどうしたって忘れないんだから、人間と言うのはどうしようもなく巫山戯ている。
「あれ?死ねない人間さんじゃん」
背後の竹林を掻き分けて、因幡てゐは焚き火をする私に声を掛けてきた。「どうも、永遠てゐの方から来ました」と挨拶代わりの台詞を言ってから、
「何してんのさ。何時もは殺し合いの後、直ぐ帰っちゃうのに」
「見て分かんない?」
「……天ぷら?」
「そう」
背中から覗き込んできた声に、答を返す。
私の目の前には鉄製の鍋。その中には油と一緒に、適当な食材も入っている。じゅあああ、と独特の効果音を響かせて、鍋の中で踊っている。
「まあ良いけど、何でこんなところでするかねえ。家に帰って食えば良いのに」
「そんな気分だったのさ」
ふうん、と気のない返事をして、詐欺ウサギは私の横に座り込んだ。
「今日の殺し合いはどっちが勝ったの?」
私は鍋の面倒を見ながら返す。
「どっち……とも言えないんだけどね、正確な所。少なくとも殺した数は私のほうが多かったから、私の勝ちなんじゃないかな」
私と輝夜の殺し合いにおいて、勝ち負けなんて概念は、もうとっくに擦り切れていたけれど。
「そっか。……姫様はもう、家に帰った頃かねぇ」
てゐはそんなことを言って、彼女達の家――永遠亭の方向を気遣わしげに見た。何してんの、と聞いたら姫様の心配してる、と帰ってきた。嘘だと思う。こいつが心底他人を心配しているなんて幻想を、私は百年以上前に捨て去った。どうせ夕飯の献立でも心配しているんだろう。
「失礼なこと考えてるでしょ」
「別に」
追求をかわして、鍋に箸を突っ込む。よし。
「そろそろ良いかな。食べる?」
「ん、良いの?もら――ちょっと待った」
「何よ?」
「それ、何」
訝しげに、あるいは慄きと危機感と呆れを伴った表情で、てゐは私に訊いてきた。隠すことも無いので素直に言う。
「竹の花」
「………」
てゐは理解できない、と首を振って、
「迷いの竹林の超絶希少種を、食べる?普通。金取るよ?」
「仕方が無いだろう、六十年に一度しか咲かないんだから」
そう、だって、
「今年が『六十年目』じゃなければ、食べられないんだから」
その時のてゐの表情は、少しの絶望と多大の諦観が混じったもので。
とてつもなく、彼女らしくなかった。
「も……こう」
「ねえ、てゐ」
それでも私も、何だか泣きたい気分だったから、軽く空を向いて、てゐの方を見ないようにして、
「上白沢慧音って、覚えてる?」
八つ当たりとも、攻撃とも言えない言葉の矢を、放っていた。
これでてゐが、「覚えている」と言ってくれる幻想を、私は抱いていたんだけど。
「長生きするには、捨てるしかないんだよっ」
涙を浮かべて背を向けたてゐに対して、だから私は、何も出来なかった。
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あと『読み返してる、と。輝夜が後ろから』の部分は『読み返している。と、輝夜が後ろから』かな? もしそうなら『読み返していると、後ろから輝夜が』でいいかと。ちょいと伝わり辛かったです。
内容は謎が多すぎて会話がよく分からなくなってる気がします。できたら前後篇に分けず一編にした方が、作品としては良かったかも。
いろいろ書きましたが、とにかく頑張ってください。ということでこれくらいの点数で。
ですが、上白沢慧音の死去が与えたのだろう喪失感、「長生きするには、捨てるしかない」という残酷な処世術、日記を読み返す藤原妹紅、これらを通して僅かに感じられる失われたモノの痕がいかに大きな打撃となるか、それを埋め合わせるそれぞれの努力。そういった話題を取り扱おうという努力が端々に伺え、非常に興味を引かれました。
点数は、話が完結していないのもあわせて50点とさせて頂きます。まずは後編を待たせていただきます。頑張って下さい、そしてありがとうございました。では。
これは続き次第、ですかねぇ。