「やっほ、お嬢様」
「やっほってあんた」
暢気に挨拶をしてきたのは私の元従者である十六夜咲夜が現在肉体を借りている紅美鈴である。
え?
何を言っているのか分からないって?
つまり、
「いやあ、一回こういう挨拶してみたかったんですよ。お嬢様に」
「そうかい、そりゃ願いが叶ったようで何よりだ」
「えへ。生前お仕えしていた頃にはなかなかできませんでしたからね。立場的に」
「……私の記憶が確かならば、あんたは結構普通にフランクな口を利いていた気がするけど」
「え、そうでしたか?」
あはは、ととぼけて頭を掻く私の元従者である十六夜咲夜が現在肉体を借りている紅美鈴。
うん、いい加減長いな。
「……つーか、天人ってのはそんなに暇なのか? お前、死んでからすごい頻度でこっち来てる気がするけど」
「それはもう暇で暇で死にそうですわ。なんにもやることがないんですもの。霊夢や魔理沙は、飽きもせずに弾幕ごっこに興じてますけど」
「……相変わらずだな、なんというか」
天界でド派手に魔法やらお札やらをぶつけ合っているのであろう今は亡き二人の友人に思いを馳せる。
なんでだろう、悲壮感が微塵もない。
……とまあ、こんな具合だ。
大体お分かり頂けただろうか。
私に仕えていた完全で瀟洒な従者・十六夜咲夜は齢八十八でこの世を去り、めでたく成仏して天人となった。
それからというもの、こうしてちょくちょく誰かの肉体(大抵の場合は美鈴だが、たまにパチェやフランのときもある)を借りては、地上に遊びに来ているというわけだ。
なんでも死後天人となった者は、自身の肉体を持たないため、こうやって地上に降りる際には誰かの肉体を借りなければならないからだとかなんとか。
そんなわけで、今の紅美鈴の肉体には十六夜咲夜の精神というか、魂的なものが入っているのであった。
そこらへんの詳しい原理は私も知らない。
知りたい人はどっかの不良天人にでも訊ねてみてほしい。
ちゃんと教えてくれるかどうかは保証しかねるが。
「……それにしても」
「ん?」
私の元従者である十六夜咲夜が現在肉体を……あー、もう咲夜でいいや。中身咲夜だし。
咲夜は、少し不満そうな声で言った。
「美鈴ったら、ちょっと怠け癖がついているみたいですわね。前に身体を借りたときに比べて、明らかに筋肉量が落ちてる」
「あー、多分うるさく言う上司がいなくなったからじゃないのかな」
「む。それは誰のことですか」
「さー、誰かしらね」
「むぅ……」
咲夜はじとっとした眼差しで私を睨みつける。
こういう子供っぽい仕草は、生きてても死んでてもてんで変わらない。
私はやれやれと息を吐き、咲夜の機嫌を戻すべく別の話題に水を向けた。
「そういや、咲夜さ」
「はい」
「お前、死んでから何回もこっち来てるけど、未だに私の身体だけは借りたことがないよね」
「えっ」
咲夜がなぜか虚を突かれたような表情になった。
私はそれを訝しく思いながらも続ける。
「いや、美鈴にパチェにフランに……確か小悪魔の身体も借りてただろ」
「あ……はい」
「なのに、私の身体だけは未だに借りていない。元主だからって遠慮してるのか?」
「や、べ、別にそういうわけでは」
先ほどまで歯切れよく話していた咲夜が、急につっかえつっかえの調子になった。
何かまずい話題だったのだろうか。
「そりゃまあ、いきなり乗り移られるのは勘弁だが、前もって言っておいてくれれば、別に私だって身体を一時貸すことくらい―――」
「あ、あの、お嬢様。そうではなくてですね」
「うん?」
咲夜の頬は僅かに紅潮していた。
そして、消え入りそうな声で言う。
「お、お嬢様のお身体を借りてしまっては、その、私が地上に来る意味がなくなってしまうというか……」
「へ?」
「で、ですから、その」
咲夜は軽く咳払いをして、少しだけ声の調子を強くして言う。
「わ、私が、こうやって、地上に来ているのは」
「……うん」
「お、お嬢様とお話がしたいから、なんです……」
「…………」
あれ、どうしたことだろう。
急に部屋の温度が上がった気がする。
「……だから、その、お嬢様以外の身体を借りなければ、目的を達することができないと言いますか……」
「あー…………」
いや、ちがう。
上がったのは部屋の温度じゃなくて私の体温だ。
正直、めっちゃ熱い。
主に顔の辺りが。
「だ、だから、その、お嬢様のお身体を借りることだけは、その、したくないと言いますか……ああいえ、もちろん、お嬢様のお身体に不満があるとかそういうことでは決してなく」
「あ、あー、もういい、もういいよ咲夜。よくわかった。よくわかったから」
お願いだからもうやめて。
それが私の偽らざる本音だった。
ああ、あかん顔めっちゃ熱い。
ちょうこっぱずかしい。
見れば、咲夜もいつしか顔を真っ赤にしていた。
それが余計に私の体温を上昇させる。
くそ。
大体、考えてみれば分かりそうなものだ。
こうやって誰かの肉体を借りて地上に降りてきた咲夜は、館の住人に一通り挨拶を済ませた後、残りの時間の許す限り、今みたいに私の部屋に来てはぐだぐだと取り留めのない話をするのが常だったのだから。
そこに、それ以上の目的も意味もあろうはずがなかった。
「…………」
「…………」
暫し無言で見つめあう私と咲夜。
いや、なんだろうね、このむずがゆい気持ち。
それはどうやら咲夜も同じだったらしく、少しわざとらしい口調で切り出した。
「あ、ああ、そ、それではお嬢様。少し早いですが、今日はこのへんで失礼しますわ」
「え、ええ、うん。そう。分かったわ」
正直、安堵した。
いや、もちろん決して心地悪かったわけではないのだけれど、今は咲夜とこうして顔を突き合わせているだけで頭がどうにかなりそうだった。
「……そ、それではお嬢様。またの機会に」
「え、ええ。そうね」
咲夜が美鈴の肉体から離れようとする。
が、そのとき私は思い立った。
「あ、待って」
「えっ」
タッチの差で、美鈴はまだ咲夜のままだった。
これでもし既に美鈴に戻っていたならば、私は直ちに人事会議を開いて門番の更迭を検討せざるをえなかっただろう。
「……私も」
「…………」
「私も、咲夜とこうして話せて、すごく嬉しい」
「……お嬢様……」
咲夜の目元が潤んでいる。
咲夜は六十を過ぎた頃から涙脆くなった。
「だから、その……また、会いに来なさいよ。これは主としての命令じゃなく、お前の友人としてのお願い」
「……はい。……必ず」
咲夜はそう言って微笑んだ。
在りし日と何ら変わらない、あの頃のままの笑顔。
―――やがて、すぅっと、咲夜の気配が消えたのが分かった。
「………ん」
そしてぱちりと目を開けたのは、今度こそ正真正銘の紅美鈴である。
コキコキと首や肩を鳴らして、軽く伸びをする。
「……咲夜さん、もう帰っちゃったんですか。今日は早かったですね」
「……まあ、そういう日もあるわよ」
できるだけそっけなく私は言った。
流石に今日のやりとりだけはあまり詮索してほしくない。
しかし、どうにも微妙に意地悪な性格をしているらしい私の部下は、妙ににやにやとしながら私を見ている。
私はむっと睨み返す。
「……何よ」
「いや、たいしたことじゃないんですけどね」
「言いたいことがあるなら、さっさと言いなさい」
「……咲夜さんがこっち来たときって、いつも最後はお嬢様と一緒なんですね」
「なっ」
一度は下がったはずの体温がまた上昇していくのを感じる。
私はそれを気取られぬように必死に言い繕った。
「あ、当たり前でしょう? 仮にも私は咲夜の主人だったのだから。最後に挨拶をしていくのは当然のことだわ」
何を馬鹿なことを、とでも言うように私はずずっと紅茶を一気飲みした。
って、あつっ!
舌ヤケドした。
「ふーん、まあ、そうですよねえ」
「ひょ、ひょうよ。ふぇつにおかひいことなんてないわ」
「ふんふん、なるほどなるほど」
ひりひりする舌を冷ましながら呂律の回らない口調で言う私。
しかし美鈴は、いまだにやにやした笑みを浮かべたまま私を見ている。
この主をからかうような雰囲気は、間違いなく咲夜の残した負の遺産だ。
ちくしょう。
「ところで、お嬢様」
「な、なによ。まだなんかあんの?」
「……私、なんか泣いていたみたいなんですけど」
「なっ……」
目尻を指で拭いながら、にやにや笑いのまま訊ねてくる美鈴。
「これは一体どういう―――」
「い・い・か・ら! あんたはとっとと持ち場にもどりなさいっ!」
「あうっ」
私は顔面が再び紅潮するよりも早く、無礼な部下を部屋の外へと蹴り出した。
なんか変な体勢で廊下にもんどり打って倒れていたような気もするが、知るものか。
私はすぐに扉を内側から施錠し、そこでようやく安堵の息を吐いた。
「……やれやれ」
従者のいない部屋は広く、そこに一抹の寂しさを感じないといえば嘘になる。
でも、私の心は、不思議なほどに幸福だった。
「……次は、いつ会えるのかしらね」
誰に言うともなしに呟いて、私は一人くっくっと笑った。
了
本当に死後もこんな風に会えたらいいですよね。
というか、さりげなくあの二人はあっちでも弾幕ごっこしてるんですねww
あなたぐらいなんじゃないでしょうか…。
なんだか泣きそうだぜ
だから、寂しくなんか、ないのに、あれ?霞んで 文字が打てない
というかなんでこんなにも綺麗に話をまとめられるのですかあなたは!
悲壮感が無いのに何故か目から汗が出てくる
一体なんなのぜ?