Coolier - 新生・東方創想話

幻想郷動乱 其の弐

2010/04/05 03:10:20
最終更新
サイズ
26.33KB
ページ数
1
閲覧数
1535
評価数
8/50
POINT
2770
Rate
10.96

分類タグ

 ――第一二七季、長月。
 紅魔館当主レミリア・スカーレット、妖怪の山へと宣戦布告。

   【幻想郷動乱記 第弐章より抜粋】


 ――我らはかつてこの幻想郷の住人と不戦の協定を結んだ。この地の律に従い、ともがらとして共に歩むことを誓約した。
 レミリア・スカーレットは紅魔館に仕える妖精や小悪魔たちにそう語ったと伝えられる。
「しかしそれは、常に和を請うことと同義ではない」
 長を殺害されて以来、妖怪の山の天狗たちが明白な暴走を始めていたことは、確かな事実であった。
 目に映る者はすべて容疑者とばかりに立ち入り調査を強いて、往々にして私事にまで踏み込む。不審な動きをしていると判断すれば無理やり山へ連れ込んで尋問を行う。ちょっとした諍いは日常茶飯事で、しばしばそれが暴力沙汰にまで進展する。
 人格者であることには論議の余地がない聖白蓮まで容疑者の一人に数えあげ、訊問まがいの質問をぶつけたことには、幻想郷きっての穏健派である命蓮寺の面々ですら不快感をあらわにしていた(当の白蓮自身は、長を失った山の妖怪たちを気遣い、多少の無礼は気にも留めていなかったが)。
 一応、弁護しておくならば、山の妖怪たちすべてが暴走し、無礼を働いていたわけではない。
 大天狗たちよりなる指導部は軽挙妄動を慎むよう幾度も通達を出していたし、一部の理性派はむしろ外部の勢力に協調を働きかける方向へ動いていた。後に〈御山の千年鴉〉として山の長に君臨する射命丸文も、この当時、先走る同僚たちを度々制止し、そこかしこで生じたトラブルの火消しに飛び回っている。
 紅魔館の宣戦布告は、それら山の理性派の努力が実を結ぶ直前に行われた。
 幻想郷の住人の多くはしかし、楽観していた。
 山の妖怪たちの無礼に、小さな吸血鬼が怒り狂って喧嘩を仕掛けた。それだけのことだ。そう誰もが解釈していた。
 長くて半月もすれば、適当なところで手打ちになるだろう――
 しかしそうした楽観論が囁かれたのは、紅魔館が数百の西洋悪魔からなる軍勢を編成し、妖怪の山に襲撃をかけるまでのことであった。
 スペルカード・ルールではない、本物の戦争。
 紅魔館が宣言し、仕掛けたのはまさにそれであることに、幻想郷の住人は実際に事が起こってからようやくに気づいたのである。
「此は異変にあらず。戦である」
 軍勢の陣頭に立ったレミリア・スカーレットは、迎撃に出た山の妖怪たちに堂々と告げた。
「我らは紅魔館。我こそは誇り高き夜の血族。我らにとり誇りこそ何物にも代えがたきもの。その定めのままに、我らは戦を求める」
 まさに強烈な宣戦布告、欧州の闇に君臨した名門スカーレット家の矜持であった。
 戦闘開始から半日で、妖怪の山は五十名を超える死者を出した。対する紅魔館は妖精に十数人の被害が出た程度。消滅しても復活する妖精の特性を考慮するならばほぼ無傷といえよう。
 この幻想郷において、直近の過去に本物の大戦争を引き起こした勢力――それこそがまさに紅魔館であった事実に、幻想郷の住人たちは遅まきながら気づいた。
 多くの者は、かつてスペルカードが制定される直接の原因となった吸血鬼事変を思い起こした。
 そして今、幻想郷の異変を鎮めるべき博麗の巫女は失われ、妖怪の賢者と呼ばれる面々のことごとくを山は容疑者扱いし、潜在的な敵に回していた。
 かくて戦争の歯車は回り始める。








参の頭 〈猛る紅き月〉


 永遠亭を辞したとき、すでに陽は西に傾きかけていた。
 人里までの所要時間を考えると、一人歩きには心許ない時刻だ。ここは幻想郷。百数十年前に比べればはるかに安全になったとはいえ、それでも夜に野を歩く人間は勇敢ではなく無謀と評される。
 送って行きましょう、といったのは鈴仙だった。
 戦闘指揮官としては今や幻想郷全土にその名を知られる〈戦兎〉が護衛につくというならば、例え道理をわきまえぬ野良妖怪でも近寄る者はいまい。
 かえって阿求の方が恐縮し、今ならまだ空も明るいですから、と辞退しかけたほどだが、これについては意外な救いの手が横合いから差し伸べられた。
 たまたま阿求とほぼ同時刻に永遠亭を訪れていたふたりの妖怪が、「ついでだから」と里に送っていくことを申し出てくれたのである。
 彼女は永遠亭に何がしかの相談を持ちかけに来た妖怪だった。用事を済ませ、ついでに輝夜に一言挨拶を、と(つまりは時間差こそあれ阿求と同じ経緯をたどって)顔を出した時、阿求とはち合わせた。
 今、阿求はそのふたりの妖怪と焼け落ちた竹林を歩いている。
 表面は平静を装っていたが、内心はその対極にあった。
 一体どうしてこうなったのだろう。その疑問が内に溢れている。
 こんなことなら鈴仙に送ってもらった方がまだ気楽だった、と。
「顔色が悪いね、大丈夫?」
 護衛を買って出た親切極まる妖怪は、しかし実に無邪気な表情で語りかけてくる。
「ああ、いえ。顔色が悪いのはもとからで」
 貴方のせいです、とはさすがにいえない。病弱故に引きこもり同然の生活を続けていたとはいえ、二十代を半ばも過ぎれば多少の処世術は身につける。
「何ならちょっと休んでく? 私たちは別にかまわないよ」
「お嬢様。お人が悪いですよ」
 もうひとりの同行者が苦笑交じりに口をはさんだ。大陸風の衣装に身を包んだ妙齢の女だ。しかし、その引き締った四肢にはそこらの妖怪の群れを単独で一蹴するだけの膂力が秘められていることを、先の大戦を見聞きした者なら誰でも知っている。徒手空拳であろうと、否、徒手空拳の状態でこそ、この女は幻想郷屈指の戦闘力を発揮する。
 紅美鈴。かつては紅魔館の門番として人里にも親しまれ、しかし先の大戦においては紅魔館勢の主戦力のひとりとして数多の戦場を戦い抜いた妖怪。体力・知力・筋力・速度・反射神経・妖力などのすべての分野において高いレベルで均衡が取れた能力。そして、人間をはるかに凌駕する時間で練られた武の技法。たかが門番と侮った妖怪たちはことごとくその拳足の前に倒れ伏した。
 純然たる努力の果てに身につけたその武芸、そして堂々たる戦いぶりはまさに本物の武人の名に相応しく、敵対した山の妖怪たちですらその実力には敬意を払った。
 その彼女からたしなめられた少女は、悪戯っぽくからからと笑い、
「ごめんごめん」
 と、存外素直に頭を下げた。
「でも、そんなに硬くなることないんだよ? 私たちだって、別に誰かれ構わず噛みつくわけじゃない。それこそ我が名にかけて誓ってもいい」
 七色の光沢を持つ歪な形の翼を羽ばたかせ、少女は笑う。
 それはたしかに事実ではあるのだろう。今の彼女は、かつてのような有り余る力を有り余る狂気のままに振るっていたかつてとは違う。
 そのことは阿求も聞き知っている。
 しかし、どうにも落ち着かない現実とはあるものだ。
 異形の翼の少女。
 幻想郷七頭が一、〈猛る紅き月〉フランドール・スカーレット。
 先の大戦の直接の引き金を引いた紅魔館、その現当主であった。




「フランドール様は」
「フランでいいよ。呼び捨てでもいいし、何なら『ちゃん』付けも許容してあげる」
 美鈴のおかげで幾分気を取り直した阿求は、世間話のつもりで話しかけた。
 それでもさすがに、幻想郷最強の一角にして七頭が一を呼び捨て、ましてや「ちゃん」付けする気にはなれず、
「フランドールさんは」
 と、言い直す。
「永遠亭にはどのような御用向きで?」
「んー? 用があったのは鈴仙とてゐに、なんだけどね。今度、うちと永遠亭で和洋折衷の宴会を開く予定があるの。その打ち合わせ」
 是非参加してちょうだい、とフランはいい、無邪気な表情を幾分大人びたものに変えて付け加えた。紅魔館と永遠亭は、結構派手に殺し合ったからね。それを水に流した事実を内外にアピールする場でもあるの。
「……意外に、といっては失礼ですが、政というものを考えておられるのですね」
「ほんとーに失礼な意見だけど、事実だわ。性に合わないのは自覚してるんだけどなぁ」
「お嬢様は立派な紅魔館の当主ですよ」
 美鈴がフォローするように口をはさんだ。彼女は現在、紅魔館の門番の任を外れ、フランドール個人の護衛兼補佐、つまりは紅魔館の副将的な地位にある。
「やめてよ、まったく。本当、柄じゃないのに」
 フランドールは嘆息交じりに肩をすくめる。
 その仕草には、かつて狂気の破壊者と恐れられた頃の面影はない。紅魔館の現当主に相応しい落ち着きと明快さがあった。
 彼女もまた先の戦で多くを失ったひとりだ。姉と、その腹心であったメイド長を。
 気ままに狂気を振るう子供でいられた幸福な時期は、彼女の上を通り過ぎていた。いや、本来ならばずっと以前に失われていたはずだったのだ。あの、我が侭で気まぐれで、けれどもたしかに妹を愛していた優しい姉がいなければ。
〈紅い悪魔〉レミリア・スカーレット。そして、〈悪魔の狗〉十六夜咲夜。
 第一三○季に行われた無名の丘の会戦――紅魔館、妖怪の山、天界、守矢神社、地霊殿、人間の里、白玉楼、永遠亭、命蓮寺などなど、幻想郷のほぼすべての勢力が参加した史上最大の会戦において、ふたりともに壮絶な戦死を遂げている。
 主とその腹心を失った紅魔館の被害は、甚大を通り越して衝撃そのものであったが、一方の東軍もこのとき補いようのない損失を被っていた。
 妖怪の山どころか人間の里にも属さず、にも関わらずその両派各勢力から圧倒的な人望を集めていた事実上の総大将――霧雨魔理沙が、戦死したのである。
 記録によれば、霧雨魔理沙はレミリア・スカーレットに堂々たる一騎打ちを申し込み、そして両者ともに刺し違えたといわれている。
 大将同士の一騎打ちなど、兵理からすれば下策というべきだが、魔理沙もそれは承知していたらしい。いや、自分とレミリアが刺し違えるという結果それ自体が悲壮な計算の上であったともいわれている。事実上の西軍の首魁であったレミリアと、東軍の精神的主柱であった霧雨魔理沙がともに消えれば、各勢力の連帯に基づく大会戦など行われる余裕がなくなり、必然的に停戦が早まる。一歩間違えれば統制を失った各勢力が泥沼の長期戦に陥る危険性もあったが、魔理沙は幻想郷の人妖がそこまでは馬鹿ではないと信じた。
 事実とすればまことに霧雨魔理沙らしい、まことに甘い楽観的推測というべきであったが、結論からいえば彼女はその賭けに勝っていたとはいえる。
 この会戦によってもたらされた被害と衝撃が、大規模な会戦への忌避をもたらし、翌年の少数精鋭のみによる最終決戦、そして停戦へとつながったのはたしかな事実だったからだ。魂魄妖夢、水橋パルスィ、霊烏寺空、永江衣玖、秋静葉などなど、名のある妖怪・神霊の多くを失った各勢力には、無名の丘の会戦をもう一度行うような余裕は実際残っていなかった。
 大将を失った両軍は、一時大混乱に陥り、そこかしこで乱戦が多発した。
 十六夜咲夜が戦死したのは、この乱戦の渦中であった。半壊しかけた紅魔館勢を立て直し、戦線を再構築した後、後事の一切をフランドール及び紅美鈴に委ねた上で、単独で敵軍の只中に突撃したと伝えられる。悪魔の狗はその最期まで主に殉じた。
 無名の丘の会戦は、結果として両陣営にとっては痛み分けに終わった。
 被害は大きく、しかし致命的というほどでもなく。誰が何を得たわけでもなく、ただ失われたものは多かった。
 中でもレミリアと咲夜を失った紅魔館は、早晩瓦解するとも思われていたが、事実はそれを裏切った。
 紅魔館新当主、フランドール・スカーレット。
 紅美鈴を補佐役として従えた彼女は、それまでを知る誰もが驚くほどに強固なリーダーシップを発揮し、姉亡き後の紅魔館を束ねた。
 故にこそ彼女は、幻想郷七頭の一、〈猛る紅き月〉の異名を奉られている。


「そういえば、聞いてるよ」
「何でしょう」
「先の大戦のことを、書にしているんだって? 幻想郷動乱記、とか何とか」
「……お耳が早いですね」
「うちには人里と昵懇の補佐役がいるからね」
 横眼でからかうように視線を向けられて、美鈴が苦笑した。
「まあ、好きなように書いてよ。出来れば紅魔館のことは、悪辣で残酷で好戦的な連中だと悪し様に書いてくれればなお嬉しい」
 慧音あたりが聞けば頭を抱えそうな申し出ではあった。
 歴史は常に勝者の側から紡がれる。しかし、明白な勝者のいなかった先の大戦においては、どうあるべきだろうか。
 しかし、と阿求は思う。
「出来れば、一度紅魔館の方々にもゆっくりお話を伺いたいんですけどね」
「へえ?」
 フランドールは面白そうに眼を瞬かせる。
「例えば、レミリア・スカーレットが戦争を開始した真意について、などを」
「……へえ?」
 フランドールはさらに面白そうに、眼を細めた。
 阿求の口にしたことは、当時、一定以上の識見を持つほぼすべての者が思い浮かべた疑問の一つだった。
 たしかに当時、山の妖怪たちの下手人探しは、暴走といっていい段階に達していた。
 プライドが高く短気でも知られたレミリア・スカーレットが堪忍袋の緒を切らせたのも無理はないと、多くの人妖が納得している。
 しかし、スペルカード・ルールを放棄し、血で血を洗う本物の戦争を決断するにいたった理由については、明白な説明はない。
 巷間伝えられた噂話によれば、紅魔館に仕える妖精メイドが山の妖怪に因縁をつけられて負傷したからともいうし、彼女の元を捜査のために訪れた天狗のひとりが種の誇りに関わる侮辱を口にしたからともいう。しかし、どれも確たる証拠はなく、説得力にも乏しい。
 レミリアは短気ではあったが愚かではなく、並いる大妖の中ではむしろ穏健な部類に入ると見られていたからだ。吸血鬼事変という前例はあったが、それを引き起こしたのは当時の当主であった姉妹の父親であり、レミリア自身は事変に興味を示さず参加してもいない。
 妖怪の賢者との盟約により血液の供給を受けていた上、小食故に人を殺すほど血を吸った試しのないレミリアは、世のイメージとは裏腹に穏健な支配者といえた。実際彼女は紅霧異変に際して率先してスペルカード・ルールに従ったし、以後の異変においてもしばしば博麗霊夢と共同戦線を張っている。
 だからこそ、レミリアが本物の戦争を妖怪の山に仕掛けたときは、道理を知る者ほど仰天したのだった。
「別に、それほど不思議なことでもないと思うけどなぁ」
 フランドールはわざとらしく腕を組みながら答える。
「お姉様は閉鎖的な山の連中が前々から気に食わなかった。天狗たちの発行する新聞に好き勝手に書かれてもいた。容疑者扱いされたことに怒ってもいた。だから売られた喧嘩を買った。これ以上ないほど派手に、本格的に。事実っていうのは、案外そういう呆気ないものじゃないの?」
 聖書の記述を暗唱するような口調で(キリスト教においては悪魔と同一視される吸血鬼が、である)、フランドールはいった。
 阿求を眺める視線には、どこまでも楽しげなものがある。
 底の知れない、その眼。
「……そうかも知れませんね」
 背筋に冷たいものを感じながら、阿求はかろうじて相槌を打つ。
 過去においてその狂気を恐れられ、現在においてその実力を讃えられるフランドール・スカーレット。姉に勝るとも劣らぬと称されるそのカリスマを、至近に感じていた。
 これが本当にあのフランドール・スカーレットなのか。そう思った。
 フランドールはくすりと笑い、くい、と顎で前方を示した。
 いつの間にか竹林跡を抜け、人里が見えていた。
「でも、一つだけ教えてあげる」
〈猛る紅き月〉はいった。
「お姉様は、本当に莫迦で、物好きで、一途で、酔狂で、そして素晴らしい吸血鬼だった」
 だから。
 だから、フランドール・スカーレットは。
「私はお姉様の愛した紅魔館を、この幻想郷を受け継いでいく。柄にもない道化を演じながら、ね」









 ――第一二七季、霜月。
 伊吹萃香、風見幽香。紅魔館方について参戦。
 戦争は長期化の様相を呈し始める。

   【幻想郷動乱記 第弐章より抜粋】

 レミリア・スカーレットの衝撃的な宣戦布告により幕を開けた戦争は、二ヶ月を経ても終息の兆しを見せなかった。
 それでも、幻想郷の住人たちには、年内には事は終わるだろうという推測があった。
 紅魔館はたしかに強大だ。レミリア・スカーレットを筆頭とする蒼々たる面々が揃ってもいる。
 しかし、戦争は結局のところ、物量がものをいう。
 山には幻想郷でも指折りの実力を誇る天狗族があり、さらに多くの妖怪たちがいる。名だたる神々がおわし、山頂の守矢神社には中央神話に語られる軍神と土着神の頂点、さらにそれに仕える現人神もいる。
 レミリアたち紅魔館の主戦力は幻想郷でも屈指の実力者だが、中堅以下の兵力の数と質が違い過ぎた。たしかに緒戦では、平和馴れし過ぎた山の陣営は一方的な敗北を被ったが、仕切り直せば勝敗は明らかだった。
 事実、山はたしかに態勢の立て直しに成功しており、本格的な戦争に備えた部隊の再編を行ってもいた。苦い敗戦を教訓として、妖怪の本分に立ち返り、以後の小競り合いにおいては互角かそれ以上の戦いを繰り広げていた。
 レミリアは幾度か西洋悪魔を率いて襲撃をかけたが、その都度頑強な防衛線に阻まれ兵を引いている。
 山の上層部はさらに本格的な攻勢を計画し、それに準じて総力戦体制に移行。紅魔館へ逆襲をかけ、一気に勝利を得ようとしていた。
 このとき、山の指導部は自分たちの優位を確信していたし、それは事実でもあった。
 何も紅魔館を灰燼に帰さしめ、スカーレット一族を鏖殺するつもりもない(というより、「鬼の筋力に天狗の速度を備える」と称せられる吸血鬼を数で打倒できると考えるほどおめでたい者は、山の指導部にはいなかった)。紅魔館の一般兵というべき西洋悪魔や妖精たちに決定的な打撃を加え、戦争遂行能力を奪ってしまえばよい。その後は、たしかに山の妖怪たちの振る舞いに問題があったことでもあるし、適当なところで折り合いをつけた和睦を結べばそれで終わる。
 久しくなかったこの物騒な騒ぎも、師走の下旬には――外の世界でいうクリスマスの頃には終わっているだろう。
 まったく妥当な結末、まったく無理のない見通し。そう、誰もが思っていた。
 外の世界の歴史に詳しい者ならば、「クリスマスには」終わると予測された戦争が、その通りになった試しのないことを思い起こしたかも知れない。
 幻想郷は外の世界とは違うという者もおろう。しかし、事実はまさにその通りになってしまったのである。
 年の瀬を一ヶ月後に控えた霜月の末。
 伊吹萃香と風見幽香、両名の参戦が、その悪夢を幻想郷において現実化させた。
 ともに幻想郷最強に数えられる大妖。ひとりで一軍に匹敵すると恐れられる実力者。
 そのふたりが、揃って紅魔館陣営に身を投じたのである。
 特に、かつて山の四天王に数えられた伊吹萃香が紅魔館に味方したことは、深刻な衝撃となった。
 天狗たちはあくまで山を「留守にしている」鬼たちの代理ということで支配権を行使していたし、何よりも鬼の実力という者を骨の髄までよく知っている。
 大義名分と戦力。
 その双方が、紅魔館に行ってしまったのだ。
 かろうじて山が内部崩壊を起こさずに済んだのは、百年以上にわたり続いていた天狗たちの統制が功を奏したのもあったが、萃香自身が内外にこう表明したからである。
 ――我は鬼としてではなく、友誼と約定により紅魔館に味方する。山の天狗には正々堂々たる戦を望む。
 あくまで個として紅魔館に協力する。山の支配者であった過去はこの際関係がない。だから派手に喧嘩しようじゃないか。
 意訳するならばそういうことになろう。
 過去の栄光よりも現在の友誼を取り、約定を何よりも遵守する。そして、力の競い合いを好む。ある意味で何とも鬼らしい表明とも言えた。
 鬼を畏れる者、慕う者も山には少なくなかったが、そういう者ほど「是非もなし」と覚悟を決めた。
 こうして、かろうじて山は戦時体制を維持したが、それでも優位で進んでいたはずの戦局が一気に覆ってしまった事実はどうしようもなかった。
 ひとまず落ち着きを取り戻したとはいえ、末端には動揺も残っている。
 ここにおいて、年内の決着は絶望的となった。







肆の頭 〈御山の千年鴉〉


 七頭会からの正式な使者が訪れたのは、永遠亭を訪れて一週間も経たない日のことだった。
 否、使者というには語弊があろう。
 何せ、七頭の中の一角、それも最大級の勢力を束ねる頭が自ら訪れたのだから。
「突然のご無礼をお許し下さい」
 と、その大妖は恭しく一礼した。
「稗田家当主、阿求殿。我々は、貴方を必要としております。この幻想郷の創成より今に至るまで、この愛しくも歪な故郷を見つめ続けていた貴方を。どうか我らにご助力願いたい」
 深々と平伏す彼女の装いは、昔と同じ飾り気のない白いシャツに黒のスカート。
 山の長として姿を現す際は今少し華美な装いをすることもあるが、七頭のひとりとして活動するときの彼女は常にこの服装だ。つまり、新聞記者として幻想郷中を飛び回っていた頃と同じ姿。
〈御山の千年鴉〉射命丸文。
 今や幻想郷においてすら絶滅危惧種となってしまった天狗族、その頂点に立つ娘。
 もっとも、娘とはいってもそれは外見だけのことで、千年鴉の異名の示す通り彼女はもともと山でも最古参の大妖だ。実力と閲歴からいえば、かの大戦の起こるはるか昔に大天狗へ昇進していてもおかしくはなかった。自由気ままな一介の新聞記者としてありたいという、千年を生きた大妖としてはひどく純朴な、ある意味で青臭い志望があったからこそ、彼女は自ら末端に甘んじていた。
「顔をお上げ下さい、射命丸様」
 阿求は平静を取り繕いながら、内心で頭を抱えていた。
 慧音の何気ない(と、少なくとも思えた)お誘いを、もとより彼女は受けるつもりではいた。
 しかしそれが、まさか七頭の一角御自らが出向いて頭を下げてくる事態になるなどとは、実年齢以上に聡明で年寄りた御阿礼の子にとっても予想外の極みであった。
 そもそも、慧音の口ぶりからすると、会合の場に顔を出せというていどの事柄ではなかったのか。他の七頭の動向を探る一種の諜報的な役回りを期待されているのではないかとも勘繰りはしたが、それはあくまで自分が考えただけだ。よくいって観客か、それとも慧音個人の臨時アドバイザー的な、表現を変えれば客人としての扱いに留まるものだと、そう思っていた。
 それがどうして、〈御山の千年鴉〉が出張って来るというのだ。
 これではまるきり、正式な招聘ではないか。
「慧音様にも申し上げましたが、稗田はあくまで書文をしたためるだけの家です。私も御阿礼の子として九度の転生を経た身ではありますが、前世までの記憶は大して鮮明ではありません。祖である稗田阿礼より求聞耳の力を受け継ぐのみ」
 とりあえず、事実を並べて逃げ道を探ってみる。
「いわばこの身はただの知識の墓場。七頭の方々の会合に出たとしても、有益な発言ができるとは思いません」
「ご謙遜を。御阿礼の子の智の深淵がどれほどのものかは、不肖、山の妖怪の端くれとして、この身に染みて知っております」
 応じる文の眼に、鋭いものが混じる。
 阿求は内心で冷や汗を流した。
 人里で随一の名家として知られる稗田家、人身を超越した――幻想の境界を踏破した智者として知られる御阿礼の子だが、実のところその令名は古参妖怪の間でこそより高い。
 この幻想郷の黎明期より、対妖戦闘術の基礎として幻想郷縁起をしたためてきたのが御阿礼の子である。
 秘していたはずの弱点を公にされ、巧みにそれを突く戦術により痛手を受けた妖怪は、百やそこらでは利かない。
 特に稗田阿夢の時代、人間の里は妖怪の山と本格的な戦争状態にあり、御阿礼の子の智謀は歴史に名を残すほどの重きをなした。
 どうやら稗田阿夢は、歴代の中でもかなり積極的な性格であったらしく、しばしば人間と妖怪の戦の場に出向いて智謀を駆使した。
 実戦指揮は当時の里長が担ったが、それ以外のすべて――情報収集・部隊運営・兵站・作戦立案等々は阿夢の掌握するところだった。つまり、外の世界でいうところの参謀が為すほぼすべてを一人でこなしたらしい。
 名軍師、謀将、知将、策士、賢者。後代に伝わる稗田阿夢の異称は数多い。
 最終的に、妖怪の山が大幅に譲歩する形で人里と和議を結んだ理由は、稗田阿夢の存在によるところが大きい。この点に関する限り、妖怪の山に残る公式記録ですらはっきりとそう認めている。
 人の上に立つことを厭う御阿礼の子としてはかなり珍しい事例だが、それでも政治嫌いであることには阿夢も例外ではなかったようで、争いが収まった後は次代の里長にという話を固辞し、さっさと転生の準備に入っている(余談ながら稗田阿夢の名は、一般には人里の救い主として記憶されている半面、以後の御阿礼の子たちにとっては「あれはあくまで例外」としてさほど思い入れのあるものではない。実戦に参加していた期間が長かったため、稗田家の本業というべき幻想郷縁起の編纂について、際立った業績を残していないためだった)。
 彼女ほど極端ではないにせよ、とにかくも歴代の御阿礼の子の知識と、その著わした書が、妖怪たちにとって一つの脅威であり続けたのは確かな事実であった。
「評価いただけるのはまことに身に余る光栄なのですが……」
 今、歴代の事績と栄光を一身に背負いながら、稗田阿求は引きつった笑みを浮かべていた。
 七頭たちはどうやら本気だ、と今更に悟る。
 よりにもよって射命丸文を使者とするという一事のみで、それを証明している。
 御阿礼の子の事績を誰よりも知る妖怪たちの代表格。疲弊し荒れ果てた幻想郷にあって、今なお最大級の勢力を誇る山の長。かつては人里にもっとも近いといわれた鴉天狗。
 まったく、稗田阿求を招聘するにあたり、これ以上の人選はない。
 しかし、阿求はそれでも問わずにはいられなかった。
「……正直に申し上げて、困惑しています。現状でも七頭会による統治は十分にうまく機能しているではありませんか。それをわざわざ、先の短い私を加えてどうなるというのです」
「それこそ過大評価というものですよ。我々とて、いうほど大したことはしておりません」
「政の頂点に立たれる方が自己卑下などするものではありません」
 阿求は手厳しく言った。稗田家当主というより、かつて宮に仕える舎人として政の辛酸を知った御阿礼の記憶がいわせたものだったかも知れない。
〈御山の千年鴉〉は笑ったようだ。
「嬉しいですね。長などと呼ばれ始めて数年、その種の直截的な言葉を聞いたのは久方ぶりです」
「……お気を悪くされたならば申し訳ありません。しかし、これは本音です。何より、意見を求めるのならば適任者は他にもおりましょう。知恵ということならば永淋さんがいますし、統治者としての識見ならば幽々子様や八坂様、洩矢様もおられます。人格者ということならば白蓮様もおられましょう。それに」
 この際だからいってしまうべきだろう。阿求は腹を割ることにした。
「ありていに申し上げるならば、稗田は政には興味がないのです。いえ、もっというならば、幻想郷の行く末にもさほどの興味はない」
 言い過ぎか、と思ったが、たしかに事実ではあった。
 まぁいい。
 この際だからいいたいことはすべていってしまうべきだ。
 よりにもよってこの自分を七頭会に招聘するなどとんでもない人選ミスであることは知ってもらわねば。
「祖たる阿礼は現し世の政に幻滅し、この幻想郷に流れ着きました。そして、神妙不可思議なあやかしと、それに近しい技と術を伝えるヒトの営みにいたく惹きつけられ、その後の生涯、いえ、死後のすべてを費やしてでも彼らを観察することに本懐を見出しました。極論してしまえば、幻想郷縁起が対妖戦術指南としての性格を帯びていたのは単なる結果です。阿礼は単純に、見たことも聞いたこともなかった妖の生態を好奇心の赴くままに見聞し、書に残したのみ。まあ、周囲の付き合いも考えて、多少はそれらしく書き記したというのもありますがね」
 それは冷厳で、残酷な事実だった。
 代々の御阿礼の子たちは、ヒトのためによかれと思って短命の生涯と閻魔の下働きを受け入れていたわけではない。
 ただ知りたかったから。面白かったから。見つめ続けていたかったから。
 人身の限界を超えた記憶力・知覚力で、不可思議極まる妖怪とそれに準じるだけの力を持つ人間、そしてそれらの織り成す世界を眺めていたかったから。
 だからこそ稗田阿礼は幻想郷に流れ着き、転生などという所業に手を染めた。
 常軌を逸した知への探求。いや、より明け透けに好奇心と表現すべきだろう。飽くなき知識欲こそが御阿礼の子の本質。呼吸するように知識を求め、百年の長寿よりも千年の観察を求める。
 その生き様は人よりも妖怪の方にこそより近い。
 幻想郷縁起を著わしたのも、命儚い人間に妖怪に抗する術を与えるなどという目的は微塵もなかった。御阿礼の子たちはただ単に自分の聞き知ったことを欲求の赴くままに書き連ねただけのこと。乱暴な表現をするなら幼児の殴り書きと大差はない。
 だが、妖怪たちの生態を事細かに記した幻想郷縁起、それが実戦に役立つのならば、必然的に人間たちは御阿礼の子を保護してくれる。せざるを得ない。
 好奇心の怪物、人としては全くの破綻者であった御阿礼の子の、それは唯一といってよい社会性にして処世術であり、趣味と実益の完全な一致であった。そうでもなければ、転生の代償として与えられた脆弱な体で幻想郷を生き抜くことなどできはしないことを、御阿礼の子たちは承知していた。
「私はこの幻想郷を愛しています。何よりも興味深い観察の対象として。仮に幻想郷が滅びれば――それはそれは悲しいことだとも思いますが――、私はその時においてすら好奇心をもってその滅ぶ様を眺めるでしょう」
 さぁどうだ、という気分で阿求は文を見やった。
 幻想郷最強最大を謳われる七頭、その一角にして山の長たる〈御山の千年鴉〉の不興を買うやも知れぬ、という危惧は頭から吹き飛んでいた。
 それよりも何よりも、知識欲のままに転生を重ねた御阿礼の子の本質、それを侵そうとする相手に対する怒りが彼女を突き動かしていた。あるいは、生まれ落ちて二十余年、これほどの激情に駆られたのは初めてのことかも知れない。
 何とも妖怪的な、つまりは不条理とすら言える身も蓋もない結論を突きつけられた〈御山の千年鴉〉は――しかし、心底嬉しそうな表情で笑った。
「よろしい。実によろしい。貴方はやはり、私たちが見込んだ通りの方だ」
 その笑みを何と表現すべきだろう。肉食の獣が牙を剥き出しにするにも似ていたし、あるいは病弱な童が親に向けるそれにも似ていた。
 しかし稗田阿求がとっさに連想したのは、最期に会ったときの八雲紫の表情だ。
 周囲を見渡せる高台ということで、よりにもよって主なき博麗神社に本拠を定めた紅魔館・地霊殿などの西軍。そこに最終決戦を仕掛ける前夜、八雲紫は人里の稗田家に立ち寄り、阿求と面会したのだった。
 そのとき、八雲紫は特に気負った表情ではなかった。ただ、いつも通りの掴み所のない表情でいつも通りの世間話をして、そして帰って行った。
 求聞持の能力故、阿求はそのときのやり取りを一言一句すべて記憶しているが、何より印象深く記憶しているのは去り際に紫が口にした言葉だ。
 この戦争はもう終わります。私が終わらせます。あるいはこの戦こそ、私の愛し育んだ幻想郷が求めたものやも知れません。しかし私はあくまで私のやり方で、この郷を愛します。
 紫はそう言って笑い、翌日に最終決戦へと赴いて――
 そして、帰って来なかった。
 声を失った阿求をどう解釈したのか、射命丸文はゆっくりと頭を垂れた。
「稗田家当主、御阿礼の子、阿求殿。七頭と呼ばれし我らの総意として、伏して願い奉ります」
 千年鴉の表情には、すがるような響きすら込められていた。
「我らの内に加わり、その眼ですべてを見定めていただきたい。この残酷な理想郷の行く末を」


 翌日、稗田阿求は七頭に連なる大妖たちにあて、書状を発する。
 内容は、簡潔に一言。
 御阿礼の子として七頭の方々を観させていただきたい。
 政を嫌いぬいてきた御阿礼の子が、幻想郷最強最大と謳われる七妖に送った返礼であり、招聘への答えである。
 かくして役者は出揃いつつあった。
















   幻想郷動乱 其の弐 終
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.2060簡易評価
5.100名前が無い程度の能力削除
さて、どうなるか……
6.70名前が無い程度の能力削除
知りたい説明が無かった
このまま説明されないのか……
9.90名前が無い程度の能力削除
モデルはやっぱり第一次世界大戦っぽいですね。
11.100名前が無い程度の能力削除
これは…次を期待せざるを得ない
15.90名前が無い程度の能力削除
は、早く続きを読まねば・・・
22.90名前が無い程度の能力削除
「クリスマスまで」ってあたりWWIがモチーフだとよく分かる
24.90名前が無い程度の能力削除
誤字がありました

霊烏寺ではなく霊鳥路です
33.80ずわいがに削除
へぇ、ほぅ……あぁ、やるせない。

しかし立派になったフランドールと、それを支える美鈴の姿は救いだった。