突き詰めれば。
殺人鬼に動機など存在しない。理由など存在しない。
そこに動機や理由があるのならばそれは殺人「鬼」ではなく殺人犯であるからだ。
人間が人間として理解し得るもので人間が人間を殺すのならばそれは犯罪としての殺人である。
殺人犯は人間の範疇に居る。人間が理解できる動機や理由や目的がある。
殺人「鬼」と呼ぶものは――埒の外の存在である鬼と呼ばれるものは――とどのつまり人間ではない。
人間的な動機や理由は存在せず、あるとするなら目的ですらない――衝動。
突発的感情ではなく、恒常的衝動。
長い人類史が培ってきたものの真逆。
神聖視し続けてきた理性の真逆。
ルールから激しく逸脱するもの。
故に許容できず埒の外としてしまうもの。
動機も理由もなく最大禁忌である殺人を行うモノ。
つまりは、人間外のなにか、である。
だから殺人鬼は殺人犯と呼ばれず殺人鬼と、化物のように称される。
19世紀末、ロンドン――から幾分か離れた人も通わぬ森の中。
そんな辺鄙な場所に建つ目に痛い真赤なお屋敷の中で女は以上ですと終わりを告げた。
「つまり、おまえは殺人鬼だと?」
「私の個人的な見解に当て嵌めるのなら、ですが」
最初に私は殺人鬼ですと伝え、なんだそりゃと訊き返され、答えとして告げた講釈。
それを聞き終えた少女がまずしたことは再確認であった。
察しが悪いのか頭が悪いのか女にはさっぱりわからない。
元より少女を崇拝している女には詮無いことではあった。
察しが悪かろうが頭が悪かろうが女にとって少女は神聖で忠誠を誓う以外あり得ない存在だった。
だから包み隠さず話したのだ。
そんな神聖な少女に隠し事をしたまま己を雇わせようなんていうのは、女にとって耐え難き背信だった。
そう、殺人鬼だなんだと物騒な言葉が飛び交うシチュエーションには相応しくなく、これは面接である。
少女が館の主で雇用主。
女が身一つで雇ってもらおうと訪ねた使用人志願。
二人の関係はそれだけであり、女の熱狂的な盲信さえ無ければ穏やかに話されていた筈の席。
だがそれはあり得る筈のない面接であった。
少女が女を訪ねることはあり得る。常識に照らし合わせてもおかしなところは見つからない。
しかし逆はあり得ない。幾重もの常識を打ち破らねば成し得ない。
女が殺人鬼であろうが何か常識を打ち破るスキルを持ち得なければ生じない筈の面接だった。
この館は異界にある。
文字通りの異界。
文字通りの魔窟。
物語の中にしか存在しない悪魔の館である。
大英帝国の領土に幾つも残る妖精郷の伝承。
その残骸の一つがこの館を包む森である。
もっとも、少女が棲みつかねば、この紅い館を持ちこまねば、残骸ですらいられなかったものではあるが。
だからこそ殺人鬼とはいえただの人間に到達できる場所ではないのだが――
少女はそのことについては興味すら持たなかった。
鉄壁とは言い難い門番と戦いすらせず悪魔の館に侵入を果たした初めての人間に興味は持たなかった。
多感な少女の興味はこの場においてただ一点に注がれている。
女がこちらの雇用条件に見合うか否か。
使えない者を雇う程酔狂ではなければ娯楽に飢えてもいない。
必要なのは館のパーツとして足り得る人物である。
少女は少女でありながら貴族であり雇用主であり館の主であった。
「ふぅん――殺人鬼ねぇ」
まじまじと女を見る。珍しいものを見る目で見る。珍獣を見る目ですらある。
気に障ったか、嫌悪されたかと女は背筋を伸ばす。
少しでも良く見てもらおうという、殺人鬼の割には人間らしい見栄だった。
「おまえは本当に殺人鬼なのか?」
「私は何故人を殺すのか、未だにわからないのです。動機も理由も見つかりません」
「殺したいと思って殺すのか?」
「いいえ。気付けば殺してしまっているのです。殺すつもりはありませんでした」
子供の言い訳のようだった。
それで殺人鬼なんてものを名乗るとは片腹痛いと――少女は思えない。
知っているからだ。この女が常識外れの、それこそ人外の殺害技能を持っていることを。
ロンドンを散歩しているところを襲われて撃退した。
その際少女が負った手傷は死んでもおかしくないものだった。
なるほど、人間の分際で人間ではないというのも頷ける人外っぷりだった。
人間ではない少女が認めるのだから確かである。
「おまえ、殺したいと思ったことは?」
気付けば殺しているなんていう危なっかしい人間も面白いと言えば面白い。
女の心配をよそに、少女の中では採用が本決まりになりつつあった。
だからそれは確認というより雑談。どのような答えが返ってきても構わない。
「一度だけ」
ほんの少しだけ、少女は驚いた。
「ふん」
まあいい。
少女は笑みさえ浮かべて狂人の戯言を呑み込んだ。
狂った身内ならもう居る。狂った従者が増えても同じことだ。
それらを御してこその王の器だと愉快にさえ思っていた。
しかし、
「今後おまえの殺人行為は禁ずる」
器に収めたものを自由に弄ぶのもまた王だった。
それは雇用が決定されたも同然の文言だったが、女は敢えて問い返す。
殺人鬼に殺すなという命令を下す理不尽さに、悦びに体を震わせながら。
「理由をお聞かせ願ってもよろしいでしょうか」
「許可する。汚くて臭いからだ。この私に仕えるのなら、常に美しくあれ。常に芳しくあれ。
不完全の分際で完全を目指せ。努力しない人間なんて要らないよ」
「かしこまりました」
「それにだ」
続けられた言葉にこそ――女は震え上がった。
「殺人鬼なんてありふれている。珍しくもないよ。そんな普通なのは要らない」
普通と、誰からも忌み嫌われる殺人鬼をたった一言で。
マイナスでしかない害悪をたったの一言でこの少女はゼロにした。
プラスでもマイナスでもない、ゼロ。無価値。
そうと知られればロンドンがひっくり返るような殺人鬼を無価値にした。
なんて、恐ろしい。
なんて――素晴らしい。
女はそんな価値観を知らない。そんな傲慢さを知らない。
それを戯言ではなく一つの言葉に出来る程の力を持つこの少女に、改めて惚れ直す。
殺人鬼など足元にも及ばない埒外。真実の人外。
「かしこまりました」
女の体は震え頬は紅潮し口の端は緩んでいた。
頭を垂れたままの姿勢でそれらを隠す。隠さねば完全を目指す不完全ですらいられない。
なのに今はそれさえも難しい。それ程に、この少女に仕えられるのが嬉しかった。
「そういえば特技は? メイドとしての仕事はどの程度出来るのかしら。そこ聞くの忘れてたわ」
館のパーツを鑑定していた筈の少女は、それをすっかり忘れていた。
少女は貴族であり雇用主であり館の主であるが……まだ、少女である。
「炊事掃除洗濯は一通り。お嬢様のお眼鏡に適いますかはわかりませんが」
「わからないばっかだなおまえ。まぁいいや。じゃあお茶ちょうだい」
かしこまりました。
部屋を辞そうとする女に声が掛かる。
待て。臭いなおまえ。
「血の臭いがする。ここに来る前になにかを殺したな」
「はい。なにかを殺しました」
なにか、と。誰か、とすら言わなかった紅い少女の言葉に銀髪の女は追従する。
その物言いに何も感じないわけではなかったが、主の言葉は絶対である。
今の女に――少なくとも一介の使用人でしかない今の女に物申す資格は無い。
「血の臭いがする。恐れを含まない不味い血の臭いだ」
「はい。彼女は事切れたその後も私を恐れは致しませんでした」
言って、殺人鬼は再び説明と言う名の講釈を開始した。
洒落た、とはお世辞にも言えない雑多なカフェで二人の殺人鬼は向かい合っていた。
イーストエンドから然程遠くない地区にあるカフェである。
客の柄も悪く、ともすれば酒保と言った方が正しい雰囲気。
そんな中に――掃き溜めに鶴の格言通りに、この場に似つかわしくない女性が二人。
上流階級のお嬢様だと言われれば誰もが信じる程に整った顔立ちに、洗練された佇まい。
安物の紅茶がひどく似合っていなかった。
こんな場所に居れば、しかも二人で居れば目立ってしょうがない。
その筈なのに、誰もが彼女たちに目を向けない。
まるで最初から存在していないのだと言わんばかりに気付いていない。
それは当然。
二人は、何百人と殺していながら一度もヤードに捕まっていない殺人鬼なのだから。
人ごみの中で己を消すスキルくらいは――持ち合わせていた。
鏡合わせのように――反対ではあったが、よく似た二人だった。
金髪と銀髪。青い眼は同じ。顔立ちも同系統。しかし笑顔と無表情。
似ているようで、どこか決定的に違う二人である。
姉妹と言われればああそうかと頷く者も居るかもしれない。だが大多数は首を傾げるだろう。
似てはいても――似ているからこそ、その異質感は際立っている。
そんな風に、悪目立ちするとさえ言える二人は殺人鬼としてのスキルを以って、目立っていない。
目立たず、日常の中に溶け込んでいた。殺人鬼が、日常を過ごしていた。
不吉でおぞましいことに、それはよくある風景であった。
言ってしまえば殺人鬼であろうと一般的な生活は送れる。
不可能ではない。無理でもない。成そうと思えば成せる程度のことである。
殺人鬼にとって――この場に居る二人の殺人鬼にとって、殺人とは我慢できる衝動である。
殺したいと、手段の為の目的すら見つけられない衝動に襲われても――我慢は出来る。
例えば、殺しの道具を持ち合わせていなかったり。
例えば、空腹という生理現象に屈したり。
そんなどうでもいい理由で回避できる程度と言っても差し支えない衝動。
されど我慢し切らないのが殺人鬼である。
目的などなく殺したいから、わけもわからず気付いたら、殺している。
故に彼女らは正しく殺人鬼であり、著しく非人間であった。
34人の人間と9人の魔物を殺した銀髪の殺人鬼。
56人の人間と1人の魔物を殺した金髪の殺人鬼。
どちらもロンドンに来てから。
たった一年と三ヶ月で成した数。
それ以前にどれだけの数を積み重ねてきたのかは誰にもわからない。
本人たちも、憶えていないのかもしれない。
この魔都ロンドンには、人間も魔物も――溢れかえっている。
科学と魔法が溢れかえっている。
それさえも利用して、殺人鬼たちは我慢をしなかった。
銀髪の殺人鬼は魔術で精錬された純銀のナイフで殺しに殺したし。
金髪の殺人鬼は大量生産品の安物のナイフで死体を大量生産した。
そういうところは――そっくりだった。同じだった。
魔都ロンドンを利用して殺人鬼として生きているのは。
「何故人を殺すのか」
その疑問に片方は、
「殺したいから殺す」
と答えもう片方は、
「わからないから殺す」
と答えるほどには――違っていたが。
結局彼女たちは――似ているだけで、違っていたのだが。
それはこの後10分にも満たない近未来、二人の殺人鬼が始める凄惨で刹那的な殺し合いが証明していた。
にこにこととある人物の素晴らしさ、なんていうどうでもいいことを金髪の殺人鬼は喋り続けていた。
銀髪の殺人鬼としては、どうでもいいを通り越して不快ですらある。
つまりは、そいつが、金髪の殺人鬼が変わってしまった原因であるからだ。
「――という風に、あの方は何もかも超越されてるんですよ。ふふ、俄かには信じ難いですか?」
それこそ――上流階級のお嬢様のような上品さで、金髪の殺人鬼は微笑する。
無理をしてそういう人格を作り上げていることが察せる。
元々は顔に似合わず粗野な性格をした女だった。銀髪の殺人鬼はそこを嫌っていた。
銀髪の殺人鬼は応えず、紅茶を飲んで聞き流すに留める。たまらなく、不快だった。
(それは私のパーソナリティだ)
出会った時から変わらない個性。上品さは銀髪の殺人鬼の個性だった。
それを、まるで――コピーしようとしてるかのような、ぎこちない金髪の殺人鬼の微笑。
今まさにコピーされている銀髪の殺人鬼としては、不快感しか返せない。
あのお方とやらに合わせようとしているのだろうが、パーソナリティが歪んでいる。
それは数ヶ月前からだった。
数ヶ月前から、金髪の殺人鬼は銀髪の殺人鬼をコピーし始めた。
それに気付き――銀髪の殺人鬼は不快であり、どうしようもなく調子の狂う数ヶ月を過ごしていた。
この数ヶ月、不調だった。殺人が、不調だった。
明らかにペースダウンし、衝動があるのに殺さずに、衝動がないようなのに殺してしまい。
全く同じ手口で5件の殺人。
ヤードに関連性を疑われてしまい、誰が出したのか挑発的な偽の犯行声明まで報じられ……
銀髪の殺人鬼は、疑いようもなく不調で、おかしくなってしまった。
殺人鬼ではなく、連続殺人犯のように、なってしまった。
まるで、なにか無自覚に目的を設定していて、手段として殺人を行ったかのような。
(だとしたら)
殺人鬼としてではなく、殺人犯として殺していたのだとしたら。
(――――私は許されない)
それこそ悪魔に魂を渡しでもしなければ――堕ちる地獄が浅すぎる。
銀髪の殺人鬼は、己の殺人を食事のような生理現象として折り合いをつけていた。
したいしたくないではなく、しなければならないものとして、生きてきた。殺してきた。
だから、これが単純に己の欲求なのだとしたら――決して許されない、大罪である。
「仕えるべき主を見つけた。そう言いましょうか」
銀髪の殺人鬼の懊悩に気付いていないように、金髪の殺人鬼は喋り続ける。
大半の言葉は聞き流してもいくらかはどうしても耳に入った。
あの方だか、仕えるべき主だかは、悪魔だという。
金髪の殺人鬼が心酔したのは、悪魔だという。
銀髪の殺人鬼はいずれ、その悪魔とやらに会ってみるのもいいかもしれないと思う。
もし一目で全てを奪う程の悪魔なら、確実に魂を奪い地獄に落としてくれるだろうから。
「名を授かりました」
そうして気付く。
「完膚なきまでに叩きのめされ踏み躙られ屈服させられました。
私の尊厳矜持名誉面目自尊心。軒並み全て打ち砕かれました。
私に与えられたのは豚のように餌となる権利だけ。
私に残されたのはちっぽけな恋心」
壊れている。
こいつはもう、どんな目に遭っても怖いとさえ思わないのだろう。
もう何も――恐れはしないのだろう。
仮令今この場で殺されても、笑顔のまま死んでいくのだろう。
それ程に、人間として、壊れていた。
人間のふりをする殺人鬼ですらなくなって、いた。
「私はこれからも殺し続けます」
出会った頃は人間のふりをしていたのに。
人間であり続けようと努力していたのに。
二人は、同じ――だったのに。
「これからは、あの方の為だけに殺して解体して下拵えをして調理して飾ってお出しします」
ああ、こいつはもう駄目だ。
銀髪の殺人鬼は嘆くように目を伏せる。
二人の殺人鬼に共通していたことが消えてしまった。
彼女たちは、殺人を好んではいなかった。忌避さえしていた。
殺したくてもわからなくても、それがいけないことだと、罪悪だと十分理解していた。
ただ衝動があるだけ。
我慢しない衝動があるだけ。
たったそれだけのことで彼女らは殺人鬼であり、だからこそ友人だった。
それもまた罪と知りながら、友人以上にさえ想って――いた。
銀髪の殺人鬼は嘆く。
たった一度の敗北で取り返しがつかない程に壊れてしまった金髪の殺人鬼を憐れむ。
嬉々として人を殺すと語るようになってしまうなんて哀れ過ぎる。
罪を罪とも思えなくなるなんて、鬼以下じゃないか。
ならばせめてこの手で、人間として殺してやろう。
不調で関連性を見出されてしまった5人のようにセンセーショナルに殺してやろう。
微塵も衝動は疼かないけれど。
欠片も殺したいとは思えないけれど。
殺人鬼ではなく友人として。あるいはそれ以上として。
幕を引いてやる為にやりたくない殺人を犯してみせよう。
両手に持った四本の銀のナイフ。
抜群の切れ味を誇るこれで、苦しいとか痛いとか思う間もなく殺してやる。
殺した後に私も悪魔に会いに行こう。そして人生を終わらせよう。
(6度目の大罪で私は裁かれる)
罪を犯す前に己の罰を決定する。
(私は――あなたを殺して地獄に堕ちる)
金髪の殺人鬼がまだ何か言おうとするのを遮るように、銀髪の殺人鬼は腕を振るった。
彼女の声が耳に届くのは一瞬後。
それは新聞社につけられた、銀髪の殺人鬼の仇名だった。
「お別れです『切り裂きジャック』」
両肩にナイフが二本ずつ刺さっていた。
的確に腕の筋を断ち切ったそのナイフは、未だ痛みさえ覚らせない。
ただだらりと両腕がテーブルから落ち――そこでようやく傷口から血が滲み始めた。
驚きに声さえ出ない。見えているのに何をされたのかわからない。
意識の間断を、意識の欠落を縫って刺し込まれた四本のナイフ。
鉄製の、どこにでも売っているような、大した切れ味もない金髪の殺人鬼の殺人道具。
呆然とする銀髪の殺人鬼とは対照的に金髪の殺人鬼は微笑みながら告げる。
「それは差し上げます」
これは頂きます。
金髪の殺人鬼は振るい切れずテーブルの上に落ちてしまった四本の銀のナイフを拾い上げる。
一本一本、丁寧に拾い上げ鞄にしまった。
「あなたが魔術で鍛えられた純銀のナイフを使うように、私もちょっとした魔法が使えるのです」
ぞわりと、女の金髪が、眉が、睫さえも、銀色に褪色していった。
まるで――そこだけ時間が何百倍も早く流れたかのように。
「さようなら切り裂きジャック。あなたの魔物殺しとしての属性は頂いて行きます。
私の大好きなあのお方に万が一にも針先程の傷すら付けられないようあなたの全てを殺して頂きます」
ああ、なんて、勘違い。
銀髪の殺人鬼は――切り裂きジャックと呼ばれる殺人鬼は、笑ってしまった。
己の夢見がちな嘆きに。清廉な乙女のような妄想に。
彼女は、銀髪となった殺人鬼は、壊されたのでも壊れてしまったのでもなかった。
自分の意思で、悪魔に魂を捧げたのだ。
誰にも彼女を憐れむ資格などありはしない。
彼女は鬼以下に堕ちた己を誇ってさえいるのだから。
だから、だから――
(哀れなのは、憐れなのは、私だ)
口に出せば三秒で言える言葉。
それだけを思い浮かべ切り裂きジャックは己の命を諦めた。
「私の為に殺されて頂きます」
殺人鬼らしく。
人以下の鬼らしく。
夢も希望もない絶望の中で殺されよう。
誰かを恨まず。
神をも憎まず。
ふられた女は独り地獄に堕ちていこう。
切り裂きジャックは目を瞑り――穏やかな顔で心臓にナイフが突き刺さるのを受け入れた。
「私の時間はこれで止めます。一切合財変わらぬ私のまま未来永劫あのお方に仕えます」
死体に語り掛ける。
心臓を貫かれた切り裂きジャックは穏やかな顔のまま、息絶えていた。
「私が私の為に殺すのはこれが最後」
誰もその惨劇に気付かない。
殺人鬼としてのスキルを有したままの彼女たちは目立たない。誰の目にも留まらない。
銀髪となった殺人鬼は優しい笑顔のまま席を立つ。
誰も知らないロンドンを騒がせた殺人鬼、切り裂きジャックの死体を残して去っていく。
「これからは――恋の為に殺しましょう」
そうしてロンドンを騒がせすらしなかった殺人鬼は、夜霧の中に消えていった。
以上です。
銀髪となった殺人鬼は語り終えた。
ふうむと唸り、殺人鬼の主である少女は問い掛ける。
「わからないな。なんで切り裂きジャックはおまえを殺そうとしたのよ?」
「彼女は私が好きだったのでしょう」
「ふぅん」
好きだから殺す。
妙な方程式だ。
悪魔も殺人鬼の理論を理解しなかった。
「それでおまえはどうなのさ?」
「どうとは?」
「おまえはそいつをどう思ってた?」
「好きでした」
そこになんの後悔も無く、もし鬼に心なんてものがあるのなら、心からの笑みで女は答える。
「殺したいくらいに」
わからないと、理由も動機もないと言った女がはっきりと。
たった一度だけの殺したいを今はもういない殺人鬼に向けた。
わかる筈がない。
それは言葉に、人間の言葉に出来るものじゃない。
この女には理性など初めから存在せず、狂気がその役目を担っていた。
人間性を司る理性が存在しないのだから、人間の言葉で言い表せるものじゃない。
愉快だ。
少女は笑う。
この女は正真正銘の狂人だ。
狂気が理性のふりをしていた狂人だ。
悪魔の館に――相応しい人間だ。
「私のことは好きか?」
「大好きです」
「私のことは殺したいか?」
「絶対に殺したくありません」
「かつて殺人鬼にそう思ったように?」
「かつて殺人鬼にそう想ったように」
つまるところ、切り裂きジャックを殺した女は心の底から切り裂きジャックを殺したいと欲した。
女にとって殺したいと殺したくないは裏表だった。
ほんの少し殺したくないが上なだけ。表なだけ。
その裏には必ず殺したいがある。
理由なんてないけれど。
動機なんてないけれど。
衝動ではなく欲求として、殺したいはあった。
手段ではなく目的として――例外的に殺したいがあった。
殺したくない表。殺したい裏。裏はずっと空席だった。一年と三ヶ月前から空席だった。
表と裏が揃ってしまったから、表と裏が反転してしまったから、殺してしまった。
殺人鬼から降りた時点で殺したくなった女。
殺人鬼のままで殺したくないと思えた女。
恋に狂って目的を得て殺し続けることを誓った女。
狂い切れないまま最後まで目的なんて得られずに殺し続けた女。
二人の殺人鬼は最初から最後まで噛み合わないままだった。
擦れ違うどころか噛み合わないままだったけれど。
共通点さえ失って奪って奪われて。
しかし互いを確かに想っていた。
だからつまり、それは――
恋物語だったのだろう。
何故なら。
銀髪となり殺人を禁じられた殺人鬼が明確に殺したくないと想い殺したくないと口にしたのは少女だけ。
明確に殺したいと想い殺したいと口にして殺したのは――
切り裂きジャックと呼ばれ誰もがその正体に気付かなかった生まれながらの銀髪の殺人鬼。
後にも先にも彼女ただ一人なのだから。
随分奇妙で、知らぬ内に始まり知らぬ内に終わった三角関係だったなと少女は嘆息する。
結果的に簒奪者となった吸血鬼は己の知らぬ内に挙げられた勝利に独り、嗤った。
殺人鬼に動機など存在しない。理由など存在しない。
そこに動機や理由があるのならばそれは殺人「鬼」ではなく殺人犯であるからだ。
人間が人間として理解し得るもので人間が人間を殺すのならばそれは犯罪としての殺人である。
殺人犯は人間の範疇に居る。人間が理解できる動機や理由や目的がある。
殺人「鬼」と呼ぶものは――埒の外の存在である鬼と呼ばれるものは――とどのつまり人間ではない。
人間的な動機や理由は存在せず、あるとするなら目的ですらない――衝動。
突発的感情ではなく、恒常的衝動。
長い人類史が培ってきたものの真逆。
神聖視し続けてきた理性の真逆。
ルールから激しく逸脱するもの。
故に許容できず埒の外としてしまうもの。
動機も理由もなく最大禁忌である殺人を行うモノ。
つまりは、人間外のなにか、である。
だから殺人鬼は殺人犯と呼ばれず殺人鬼と、化物のように称される。
19世紀末、ロンドン――から幾分か離れた人も通わぬ森の中。
そんな辺鄙な場所に建つ目に痛い真赤なお屋敷の中で女は以上ですと終わりを告げた。
「つまり、おまえは殺人鬼だと?」
「私の個人的な見解に当て嵌めるのなら、ですが」
最初に私は殺人鬼ですと伝え、なんだそりゃと訊き返され、答えとして告げた講釈。
それを聞き終えた少女がまずしたことは再確認であった。
察しが悪いのか頭が悪いのか女にはさっぱりわからない。
元より少女を崇拝している女には詮無いことではあった。
察しが悪かろうが頭が悪かろうが女にとって少女は神聖で忠誠を誓う以外あり得ない存在だった。
だから包み隠さず話したのだ。
そんな神聖な少女に隠し事をしたまま己を雇わせようなんていうのは、女にとって耐え難き背信だった。
そう、殺人鬼だなんだと物騒な言葉が飛び交うシチュエーションには相応しくなく、これは面接である。
少女が館の主で雇用主。
女が身一つで雇ってもらおうと訪ねた使用人志願。
二人の関係はそれだけであり、女の熱狂的な盲信さえ無ければ穏やかに話されていた筈の席。
だがそれはあり得る筈のない面接であった。
少女が女を訪ねることはあり得る。常識に照らし合わせてもおかしなところは見つからない。
しかし逆はあり得ない。幾重もの常識を打ち破らねば成し得ない。
女が殺人鬼であろうが何か常識を打ち破るスキルを持ち得なければ生じない筈の面接だった。
この館は異界にある。
文字通りの異界。
文字通りの魔窟。
物語の中にしか存在しない悪魔の館である。
大英帝国の領土に幾つも残る妖精郷の伝承。
その残骸の一つがこの館を包む森である。
もっとも、少女が棲みつかねば、この紅い館を持ちこまねば、残骸ですらいられなかったものではあるが。
だからこそ殺人鬼とはいえただの人間に到達できる場所ではないのだが――
少女はそのことについては興味すら持たなかった。
鉄壁とは言い難い門番と戦いすらせず悪魔の館に侵入を果たした初めての人間に興味は持たなかった。
多感な少女の興味はこの場においてただ一点に注がれている。
女がこちらの雇用条件に見合うか否か。
使えない者を雇う程酔狂ではなければ娯楽に飢えてもいない。
必要なのは館のパーツとして足り得る人物である。
少女は少女でありながら貴族であり雇用主であり館の主であった。
「ふぅん――殺人鬼ねぇ」
まじまじと女を見る。珍しいものを見る目で見る。珍獣を見る目ですらある。
気に障ったか、嫌悪されたかと女は背筋を伸ばす。
少しでも良く見てもらおうという、殺人鬼の割には人間らしい見栄だった。
「おまえは本当に殺人鬼なのか?」
「私は何故人を殺すのか、未だにわからないのです。動機も理由も見つかりません」
「殺したいと思って殺すのか?」
「いいえ。気付けば殺してしまっているのです。殺すつもりはありませんでした」
子供の言い訳のようだった。
それで殺人鬼なんてものを名乗るとは片腹痛いと――少女は思えない。
知っているからだ。この女が常識外れの、それこそ人外の殺害技能を持っていることを。
ロンドンを散歩しているところを襲われて撃退した。
その際少女が負った手傷は死んでもおかしくないものだった。
なるほど、人間の分際で人間ではないというのも頷ける人外っぷりだった。
人間ではない少女が認めるのだから確かである。
「おまえ、殺したいと思ったことは?」
気付けば殺しているなんていう危なっかしい人間も面白いと言えば面白い。
女の心配をよそに、少女の中では採用が本決まりになりつつあった。
だからそれは確認というより雑談。どのような答えが返ってきても構わない。
「一度だけ」
ほんの少しだけ、少女は驚いた。
「ふん」
まあいい。
少女は笑みさえ浮かべて狂人の戯言を呑み込んだ。
狂った身内ならもう居る。狂った従者が増えても同じことだ。
それらを御してこその王の器だと愉快にさえ思っていた。
しかし、
「今後おまえの殺人行為は禁ずる」
器に収めたものを自由に弄ぶのもまた王だった。
それは雇用が決定されたも同然の文言だったが、女は敢えて問い返す。
殺人鬼に殺すなという命令を下す理不尽さに、悦びに体を震わせながら。
「理由をお聞かせ願ってもよろしいでしょうか」
「許可する。汚くて臭いからだ。この私に仕えるのなら、常に美しくあれ。常に芳しくあれ。
不完全の分際で完全を目指せ。努力しない人間なんて要らないよ」
「かしこまりました」
「それにだ」
続けられた言葉にこそ――女は震え上がった。
「殺人鬼なんてありふれている。珍しくもないよ。そんな普通なのは要らない」
普通と、誰からも忌み嫌われる殺人鬼をたった一言で。
マイナスでしかない害悪をたったの一言でこの少女はゼロにした。
プラスでもマイナスでもない、ゼロ。無価値。
そうと知られればロンドンがひっくり返るような殺人鬼を無価値にした。
なんて、恐ろしい。
なんて――素晴らしい。
女はそんな価値観を知らない。そんな傲慢さを知らない。
それを戯言ではなく一つの言葉に出来る程の力を持つこの少女に、改めて惚れ直す。
殺人鬼など足元にも及ばない埒外。真実の人外。
「かしこまりました」
女の体は震え頬は紅潮し口の端は緩んでいた。
頭を垂れたままの姿勢でそれらを隠す。隠さねば完全を目指す不完全ですらいられない。
なのに今はそれさえも難しい。それ程に、この少女に仕えられるのが嬉しかった。
「そういえば特技は? メイドとしての仕事はどの程度出来るのかしら。そこ聞くの忘れてたわ」
館のパーツを鑑定していた筈の少女は、それをすっかり忘れていた。
少女は貴族であり雇用主であり館の主であるが……まだ、少女である。
「炊事掃除洗濯は一通り。お嬢様のお眼鏡に適いますかはわかりませんが」
「わからないばっかだなおまえ。まぁいいや。じゃあお茶ちょうだい」
かしこまりました。
部屋を辞そうとする女に声が掛かる。
待て。臭いなおまえ。
「血の臭いがする。ここに来る前になにかを殺したな」
「はい。なにかを殺しました」
なにか、と。誰か、とすら言わなかった紅い少女の言葉に銀髪の女は追従する。
その物言いに何も感じないわけではなかったが、主の言葉は絶対である。
今の女に――少なくとも一介の使用人でしかない今の女に物申す資格は無い。
「血の臭いがする。恐れを含まない不味い血の臭いだ」
「はい。彼女は事切れたその後も私を恐れは致しませんでした」
言って、殺人鬼は再び説明と言う名の講釈を開始した。
洒落た、とはお世辞にも言えない雑多なカフェで二人の殺人鬼は向かい合っていた。
イーストエンドから然程遠くない地区にあるカフェである。
客の柄も悪く、ともすれば酒保と言った方が正しい雰囲気。
そんな中に――掃き溜めに鶴の格言通りに、この場に似つかわしくない女性が二人。
上流階級のお嬢様だと言われれば誰もが信じる程に整った顔立ちに、洗練された佇まい。
安物の紅茶がひどく似合っていなかった。
こんな場所に居れば、しかも二人で居れば目立ってしょうがない。
その筈なのに、誰もが彼女たちに目を向けない。
まるで最初から存在していないのだと言わんばかりに気付いていない。
それは当然。
二人は、何百人と殺していながら一度もヤードに捕まっていない殺人鬼なのだから。
人ごみの中で己を消すスキルくらいは――持ち合わせていた。
鏡合わせのように――反対ではあったが、よく似た二人だった。
金髪と銀髪。青い眼は同じ。顔立ちも同系統。しかし笑顔と無表情。
似ているようで、どこか決定的に違う二人である。
姉妹と言われればああそうかと頷く者も居るかもしれない。だが大多数は首を傾げるだろう。
似てはいても――似ているからこそ、その異質感は際立っている。
そんな風に、悪目立ちするとさえ言える二人は殺人鬼としてのスキルを以って、目立っていない。
目立たず、日常の中に溶け込んでいた。殺人鬼が、日常を過ごしていた。
不吉でおぞましいことに、それはよくある風景であった。
言ってしまえば殺人鬼であろうと一般的な生活は送れる。
不可能ではない。無理でもない。成そうと思えば成せる程度のことである。
殺人鬼にとって――この場に居る二人の殺人鬼にとって、殺人とは我慢できる衝動である。
殺したいと、手段の為の目的すら見つけられない衝動に襲われても――我慢は出来る。
例えば、殺しの道具を持ち合わせていなかったり。
例えば、空腹という生理現象に屈したり。
そんなどうでもいい理由で回避できる程度と言っても差し支えない衝動。
されど我慢し切らないのが殺人鬼である。
目的などなく殺したいから、わけもわからず気付いたら、殺している。
故に彼女らは正しく殺人鬼であり、著しく非人間であった。
34人の人間と9人の魔物を殺した銀髪の殺人鬼。
56人の人間と1人の魔物を殺した金髪の殺人鬼。
どちらもロンドンに来てから。
たった一年と三ヶ月で成した数。
それ以前にどれだけの数を積み重ねてきたのかは誰にもわからない。
本人たちも、憶えていないのかもしれない。
この魔都ロンドンには、人間も魔物も――溢れかえっている。
科学と魔法が溢れかえっている。
それさえも利用して、殺人鬼たちは我慢をしなかった。
銀髪の殺人鬼は魔術で精錬された純銀のナイフで殺しに殺したし。
金髪の殺人鬼は大量生産品の安物のナイフで死体を大量生産した。
そういうところは――そっくりだった。同じだった。
魔都ロンドンを利用して殺人鬼として生きているのは。
「何故人を殺すのか」
その疑問に片方は、
「殺したいから殺す」
と答えもう片方は、
「わからないから殺す」
と答えるほどには――違っていたが。
結局彼女たちは――似ているだけで、違っていたのだが。
それはこの後10分にも満たない近未来、二人の殺人鬼が始める凄惨で刹那的な殺し合いが証明していた。
にこにこととある人物の素晴らしさ、なんていうどうでもいいことを金髪の殺人鬼は喋り続けていた。
銀髪の殺人鬼としては、どうでもいいを通り越して不快ですらある。
つまりは、そいつが、金髪の殺人鬼が変わってしまった原因であるからだ。
「――という風に、あの方は何もかも超越されてるんですよ。ふふ、俄かには信じ難いですか?」
それこそ――上流階級のお嬢様のような上品さで、金髪の殺人鬼は微笑する。
無理をしてそういう人格を作り上げていることが察せる。
元々は顔に似合わず粗野な性格をした女だった。銀髪の殺人鬼はそこを嫌っていた。
銀髪の殺人鬼は応えず、紅茶を飲んで聞き流すに留める。たまらなく、不快だった。
(それは私のパーソナリティだ)
出会った時から変わらない個性。上品さは銀髪の殺人鬼の個性だった。
それを、まるで――コピーしようとしてるかのような、ぎこちない金髪の殺人鬼の微笑。
今まさにコピーされている銀髪の殺人鬼としては、不快感しか返せない。
あのお方とやらに合わせようとしているのだろうが、パーソナリティが歪んでいる。
それは数ヶ月前からだった。
数ヶ月前から、金髪の殺人鬼は銀髪の殺人鬼をコピーし始めた。
それに気付き――銀髪の殺人鬼は不快であり、どうしようもなく調子の狂う数ヶ月を過ごしていた。
この数ヶ月、不調だった。殺人が、不調だった。
明らかにペースダウンし、衝動があるのに殺さずに、衝動がないようなのに殺してしまい。
全く同じ手口で5件の殺人。
ヤードに関連性を疑われてしまい、誰が出したのか挑発的な偽の犯行声明まで報じられ……
銀髪の殺人鬼は、疑いようもなく不調で、おかしくなってしまった。
殺人鬼ではなく、連続殺人犯のように、なってしまった。
まるで、なにか無自覚に目的を設定していて、手段として殺人を行ったかのような。
(だとしたら)
殺人鬼としてではなく、殺人犯として殺していたのだとしたら。
(――――私は許されない)
それこそ悪魔に魂を渡しでもしなければ――堕ちる地獄が浅すぎる。
銀髪の殺人鬼は、己の殺人を食事のような生理現象として折り合いをつけていた。
したいしたくないではなく、しなければならないものとして、生きてきた。殺してきた。
だから、これが単純に己の欲求なのだとしたら――決して許されない、大罪である。
「仕えるべき主を見つけた。そう言いましょうか」
銀髪の殺人鬼の懊悩に気付いていないように、金髪の殺人鬼は喋り続ける。
大半の言葉は聞き流してもいくらかはどうしても耳に入った。
あの方だか、仕えるべき主だかは、悪魔だという。
金髪の殺人鬼が心酔したのは、悪魔だという。
銀髪の殺人鬼はいずれ、その悪魔とやらに会ってみるのもいいかもしれないと思う。
もし一目で全てを奪う程の悪魔なら、確実に魂を奪い地獄に落としてくれるだろうから。
「名を授かりました」
そうして気付く。
「完膚なきまでに叩きのめされ踏み躙られ屈服させられました。
私の尊厳矜持名誉面目自尊心。軒並み全て打ち砕かれました。
私に与えられたのは豚のように餌となる権利だけ。
私に残されたのはちっぽけな恋心」
壊れている。
こいつはもう、どんな目に遭っても怖いとさえ思わないのだろう。
もう何も――恐れはしないのだろう。
仮令今この場で殺されても、笑顔のまま死んでいくのだろう。
それ程に、人間として、壊れていた。
人間のふりをする殺人鬼ですらなくなって、いた。
「私はこれからも殺し続けます」
出会った頃は人間のふりをしていたのに。
人間であり続けようと努力していたのに。
二人は、同じ――だったのに。
「これからは、あの方の為だけに殺して解体して下拵えをして調理して飾ってお出しします」
ああ、こいつはもう駄目だ。
銀髪の殺人鬼は嘆くように目を伏せる。
二人の殺人鬼に共通していたことが消えてしまった。
彼女たちは、殺人を好んではいなかった。忌避さえしていた。
殺したくてもわからなくても、それがいけないことだと、罪悪だと十分理解していた。
ただ衝動があるだけ。
我慢しない衝動があるだけ。
たったそれだけのことで彼女らは殺人鬼であり、だからこそ友人だった。
それもまた罪と知りながら、友人以上にさえ想って――いた。
銀髪の殺人鬼は嘆く。
たった一度の敗北で取り返しがつかない程に壊れてしまった金髪の殺人鬼を憐れむ。
嬉々として人を殺すと語るようになってしまうなんて哀れ過ぎる。
罪を罪とも思えなくなるなんて、鬼以下じゃないか。
ならばせめてこの手で、人間として殺してやろう。
不調で関連性を見出されてしまった5人のようにセンセーショナルに殺してやろう。
微塵も衝動は疼かないけれど。
欠片も殺したいとは思えないけれど。
殺人鬼ではなく友人として。あるいはそれ以上として。
幕を引いてやる為にやりたくない殺人を犯してみせよう。
両手に持った四本の銀のナイフ。
抜群の切れ味を誇るこれで、苦しいとか痛いとか思う間もなく殺してやる。
殺した後に私も悪魔に会いに行こう。そして人生を終わらせよう。
(6度目の大罪で私は裁かれる)
罪を犯す前に己の罰を決定する。
(私は――あなたを殺して地獄に堕ちる)
金髪の殺人鬼がまだ何か言おうとするのを遮るように、銀髪の殺人鬼は腕を振るった。
彼女の声が耳に届くのは一瞬後。
それは新聞社につけられた、銀髪の殺人鬼の仇名だった。
「お別れです『切り裂きジャック』」
両肩にナイフが二本ずつ刺さっていた。
的確に腕の筋を断ち切ったそのナイフは、未だ痛みさえ覚らせない。
ただだらりと両腕がテーブルから落ち――そこでようやく傷口から血が滲み始めた。
驚きに声さえ出ない。見えているのに何をされたのかわからない。
意識の間断を、意識の欠落を縫って刺し込まれた四本のナイフ。
鉄製の、どこにでも売っているような、大した切れ味もない金髪の殺人鬼の殺人道具。
呆然とする銀髪の殺人鬼とは対照的に金髪の殺人鬼は微笑みながら告げる。
「それは差し上げます」
これは頂きます。
金髪の殺人鬼は振るい切れずテーブルの上に落ちてしまった四本の銀のナイフを拾い上げる。
一本一本、丁寧に拾い上げ鞄にしまった。
「あなたが魔術で鍛えられた純銀のナイフを使うように、私もちょっとした魔法が使えるのです」
ぞわりと、女の金髪が、眉が、睫さえも、銀色に褪色していった。
まるで――そこだけ時間が何百倍も早く流れたかのように。
「さようなら切り裂きジャック。あなたの魔物殺しとしての属性は頂いて行きます。
私の大好きなあのお方に万が一にも針先程の傷すら付けられないようあなたの全てを殺して頂きます」
ああ、なんて、勘違い。
銀髪の殺人鬼は――切り裂きジャックと呼ばれる殺人鬼は、笑ってしまった。
己の夢見がちな嘆きに。清廉な乙女のような妄想に。
彼女は、銀髪となった殺人鬼は、壊されたのでも壊れてしまったのでもなかった。
自分の意思で、悪魔に魂を捧げたのだ。
誰にも彼女を憐れむ資格などありはしない。
彼女は鬼以下に堕ちた己を誇ってさえいるのだから。
だから、だから――
(哀れなのは、憐れなのは、私だ)
口に出せば三秒で言える言葉。
それだけを思い浮かべ切り裂きジャックは己の命を諦めた。
「私の為に殺されて頂きます」
殺人鬼らしく。
人以下の鬼らしく。
夢も希望もない絶望の中で殺されよう。
誰かを恨まず。
神をも憎まず。
ふられた女は独り地獄に堕ちていこう。
切り裂きジャックは目を瞑り――穏やかな顔で心臓にナイフが突き刺さるのを受け入れた。
「私の時間はこれで止めます。一切合財変わらぬ私のまま未来永劫あのお方に仕えます」
死体に語り掛ける。
心臓を貫かれた切り裂きジャックは穏やかな顔のまま、息絶えていた。
「私が私の為に殺すのはこれが最後」
誰もその惨劇に気付かない。
殺人鬼としてのスキルを有したままの彼女たちは目立たない。誰の目にも留まらない。
銀髪となった殺人鬼は優しい笑顔のまま席を立つ。
誰も知らないロンドンを騒がせた殺人鬼、切り裂きジャックの死体を残して去っていく。
「これからは――恋の為に殺しましょう」
そうしてロンドンを騒がせすらしなかった殺人鬼は、夜霧の中に消えていった。
以上です。
銀髪となった殺人鬼は語り終えた。
ふうむと唸り、殺人鬼の主である少女は問い掛ける。
「わからないな。なんで切り裂きジャックはおまえを殺そうとしたのよ?」
「彼女は私が好きだったのでしょう」
「ふぅん」
好きだから殺す。
妙な方程式だ。
悪魔も殺人鬼の理論を理解しなかった。
「それでおまえはどうなのさ?」
「どうとは?」
「おまえはそいつをどう思ってた?」
「好きでした」
そこになんの後悔も無く、もし鬼に心なんてものがあるのなら、心からの笑みで女は答える。
「殺したいくらいに」
わからないと、理由も動機もないと言った女がはっきりと。
たった一度だけの殺したいを今はもういない殺人鬼に向けた。
わかる筈がない。
それは言葉に、人間の言葉に出来るものじゃない。
この女には理性など初めから存在せず、狂気がその役目を担っていた。
人間性を司る理性が存在しないのだから、人間の言葉で言い表せるものじゃない。
愉快だ。
少女は笑う。
この女は正真正銘の狂人だ。
狂気が理性のふりをしていた狂人だ。
悪魔の館に――相応しい人間だ。
「私のことは好きか?」
「大好きです」
「私のことは殺したいか?」
「絶対に殺したくありません」
「かつて殺人鬼にそう思ったように?」
「かつて殺人鬼にそう想ったように」
つまるところ、切り裂きジャックを殺した女は心の底から切り裂きジャックを殺したいと欲した。
女にとって殺したいと殺したくないは裏表だった。
ほんの少し殺したくないが上なだけ。表なだけ。
その裏には必ず殺したいがある。
理由なんてないけれど。
動機なんてないけれど。
衝動ではなく欲求として、殺したいはあった。
手段ではなく目的として――例外的に殺したいがあった。
殺したくない表。殺したい裏。裏はずっと空席だった。一年と三ヶ月前から空席だった。
表と裏が揃ってしまったから、表と裏が反転してしまったから、殺してしまった。
殺人鬼から降りた時点で殺したくなった女。
殺人鬼のままで殺したくないと思えた女。
恋に狂って目的を得て殺し続けることを誓った女。
狂い切れないまま最後まで目的なんて得られずに殺し続けた女。
二人の殺人鬼は最初から最後まで噛み合わないままだった。
擦れ違うどころか噛み合わないままだったけれど。
共通点さえ失って奪って奪われて。
しかし互いを確かに想っていた。
だからつまり、それは――
恋物語だったのだろう。
何故なら。
銀髪となり殺人を禁じられた殺人鬼が明確に殺したくないと想い殺したくないと口にしたのは少女だけ。
明確に殺したいと想い殺したいと口にして殺したのは――
切り裂きジャックと呼ばれ誰もがその正体に気付かなかった生まれながらの銀髪の殺人鬼。
後にも先にも彼女ただ一人なのだから。
随分奇妙で、知らぬ内に始まり知らぬ内に終わった三角関係だったなと少女は嘆息する。
結果的に簒奪者となった吸血鬼は己の知らぬ内に挙げられた勝利に独り、嗤った。
わからないなぁ、理解がおっつかないなぁ。
しかもタグによるとこれは百合でありレミ咲であるらしい。マジかよ。
この書き口……なんだろう、詩的とでもいうのか? 何か違う気もするけれども。それが狙うところの雰囲気としてなら、雰囲気としてなら確かに完成している。何も手を触れられない気もする。
ただお話としては、もう少し深く読みたかったなと思う。
二人の殺人鬼の物語とか、金髪の殺人鬼と悪魔の出会いとか、あれだけの説明で終わらせてしまうにはもったいないように感じた。
あと読むのに描写や代名詞が装飾も含めややこしいのですげえ頭フル回転して読んだんでちょっと疲れた……。
んなわけねえだろ。
ここまで鋭くて危険な咲夜さんには、めったにお目にかかれないですよ。
完全に話に引き込まれました。
とても面白くて話に引き込まれました
オリジナルの創作を読んだ気分でした。
この話であえて咲夜の名前が伏せられていたのは承知ですが
永夜抄で自分は人間だと言った咲夜さんとは結び付かないと言うか。
咲夜さんの演技なんだか天然なんだかわからない、のほほんとした雰囲気も
単なるキチガイと一般人の考え方の差になってしまいそうなのが残念です
語彙も詩的なセンスも高いレベルなのは感じますが、東方の二次創作らしさに欠けている気がします
一度、原点回帰をしてみても良いのでは
殺意に言葉を添えてしまうと陳腐に見える。何を言ってるんだろうね俺は
面白かったです
的な哀しみが
っていうツッコミはなしですか、なしですね。
真面目に考え出したら
永琳輝夜の位置付けだけじゃなく、赤目と兎、左利き、東方幻想郷に繰り返し現れる月時計変奏、
西方の咲夜似、咲夜年齢、他のメイド衆との関わり、ついでに事件詳細と大英英国時代考証etc
兎説や人形説もあって、とても全部は拾えないですし、
説明できない事をとりあえずこぁに投げたらこぁ過労死のレベル
それにしても見事に騙されました。無だった少女の心が紅に魅入られ、銀を奪ったのには、心底ゾクリと興奮しました。
金髪さんを夢子さんだと思ったのは私だけじゃないはず。
西尾維新が好きなので、嬉しいやらなにやらですが。