注意
この作品は作者の過去作品「想いはただ縛られて」の設定を引き継いでいます。
実質続きのようなものになるのでご注意ください。
満天の空に星々が瞬いている。
昼はどんよりと曇っていたとは思えぬ程に空は澄み渡っていた。
ただ名残は残り、三月だと言うのに未だ寒い。
寝巻を一枚身に纏っただけでは流石に堪えると妖夢は思った。
主人の部屋に続く廊下を踏みしめながらその顔に浮かぶのは覚悟を決めた者の其れであった。
これから死地にでも赴くような、どこか鬼気迫った様子が妖夢からは伺える。
幽々子から想いを告げられて、それを妖夢が受け入れたのは昼の事。
あの後、落ち着きを取り戻した妖夢に幽々子はこう告げたのだ。
「今夜、私の部屋に来てほしいの」
其れが何を意味するのか分からぬほど妖夢は子供では無い。
むしろ当然だと妖夢は思っていた。
好きあう者同士が夜に部屋で行うと言えば一つである。
念入りに体を洗い、自室で何度も自問自答の上で覚悟も決めた。
後は受け入れるのみと妖夢はただ歩を進めている。
やがて、主人の部屋へと妖夢はたどり着いた。
昔はよくこの部屋で幽々子に甘えていた事を思い出す。
いまは掃除をする時くらいでしか訪れぬ、まさかこのような用件で来る事になるとは思いもしなかった。
一度落ち着く様に大きく息を吐いてから部屋の主に呼びかける。
「幽々子様、参りました」
「入りなさい」
返事はすぐに返ってきた。
了承を得て、妖夢は部屋へと入る。
ただ蝋燭の灯がゆらゆらと揺れて、不安定な灯りが部屋を照らしていた。
布団が一枚だけ敷かれていて並べられた二つの枕を確認し妖夢はなぜか覚悟が揺らぎそうになる。
誤魔化す様に視線を逸らして、妖夢は幽々子へと視線を向けた。
幽々子は静かな笑みを浮かべていた。
自身も薄い布の寝巻一枚だけを纏って、ただ正座のまま妖夢を見つめている。
「よく来てくれたわね」
「はい!」
応じる声が存外大きく響き、なぜか気恥しくなって妖夢が俯く。
くすくすと幽々子が微笑ましそうに笑んだ。
緊張した面持ちで妖夢がその対面へと座る。
三つ指ついて一礼。
「よろしくお願いいたします」
対する幽々子は大袈裟ねと微笑を漏らす。
妖夢は顔をあげて、俯き加減で二人は向き合う。
しばしの静寂が過ぎて、揺れる明かりだけが二人を照らしていた。
「布団に入りましょうか」
やがて、幽々子が促す様に言葉を紡いだ。
固い声で妖夢が了承の旨を告げて、窺うようにしかし動かぬ主人に視線を向ける。
幽々子が一度だけ布団に視線をやり、理解した妖夢が緩慢な動作で先に布団へと入る。
無意識に羞恥からか、主人に背を向ける様に身を横たえた。
ふぅっと小さな吐息と共に蝋燭の火が吹き消されて、部屋に暗闇が満ちる。
布団が捲られて僅かな冷えた空気が侵入するのを背中に妖夢は感じた。
同時に幽々子の存在も感じ、自身の横へと身を横たえたのを確認する。
背後に聞こえる息遣いはあまりにも近くて、無意識に手を強く握る。
早鐘の様な鼓動の音がうるさいくらいに聞こえて、訳の分らぬ強い衝動が妖夢を支配していた。
これから何をするのか。
経験こそ無いものの、だからといってその知識が無いわけではない。
普段は思考から遠ざけているものの、妖夢とて年頃の乙女。
いつぞや手に入れた春画本や、おせっかいな友人を介して知識は得ている。
ごくりと唾を呑む音がはっきりと聞こえ、其れを恥じるかのように身を縮こませた。
そんな妖夢に腕が伸びる。脇腹から腹を抱く様に、肩口から胸を抱く様に。
幽々子は妖夢の体に手を回して優しく抱きしめた。
妖夢の口から怯えた様な声が漏れたが、幽々子は構わずにその首元へと顔を埋める。
鼓動が聞こえると、幽々子は思った。
懸命に命を紡ぐ命の鼓動。亡霊である自身が無くしてしまったもの。
とても愛おしくて、抱きしめた今とても安堵して……
湧いた疼きに逆らわずに幽々子は強張った妖夢の体に指を這わす。
腹を撫でるように、鎖骨から胸へと、味わうかのようにその細い首元を。
押し殺した呻き声が聞こえる。
だが、其れは今や幽々子を制止足り得るものではなかった。
体を強張らせ、それでも懸命に耐える妖夢の様子はいじましく、余計に疼きを増大させる。
「妖夢」
背後から一通り体を撫で終え、堪能した幽々子がどこか満足気な様子で声をかけた。
「此方を向いて欲しいの」
「……はい」
途切れ途切れに短い息を吐きながら妖夢が体を反転させる。
二人は向き合う形になり、そのまま幽々子が妖夢の頭を胸に抱いた。
「さて……」
幽々子が呟いて。
妖夢が覚悟を決めたようにきゅっと唇を噛んだ。
「おやすみなさい~」
「はい……え?」
満足したような間延びした声に思わず返事をして、それから弾かれた様に妖夢は伏せていた顔をあげた。
暗闇の中なれど視線の先の主人は確かに瞳を閉じているのが確認できる。
「え、えと、あのぉ、それだけ……」
戸惑った声が響き、対照的にすぅすぅと安らかな吐息が妖夢をくすぐった。
「ゆ、幽々子様……」
呼びかける声は今にも消えいりそうにか細く尻すぼみで、だが主人の反応はない。
困惑の表情のまま妖夢は幽々子をただ見つめた。
「う、あの………おやすみで……」
溜息を吐いて、妖夢がそう言いかけて、そのときに再び幽々子の目が開いた。
「妖夢~?」
「……!」
至近距離で瞳を覗かれて再び妖夢が硬直する。
「何がそれだけなのかしらぁ?」
にたりと意地悪な笑みを浮かべて幽々子が問う。
「妖夢は何をされる事を期待していたのかしらね?」
ふぁぁぁっと、何やら妖夢から声が漏れて。
俯こうとするその顎を、幽々子の指が押えて止める。
口を真一文字に結んで、逃れるように視線をせわしなく動かして……
妖夢と急かされるように名前を呼ばれて、何度か口を開いて閉じて……
そして、最後に流れたのは涙だった。
妖夢の両目から、ぽろぽろと滴が流れ落ちる。
幽々子は妖夢の目元に顔を寄せて、その滴を数度吸う。
それから再び妖夢を胸に抱いた。
幽々子の胸の中で、くぐもった声が聞こえる。
ただされるがままに抱き寄せられて、その胸でしばし声を殺して妖夢は泣く。
「幽々子様は……」
やがて妖夢は言った。
「いじわるです……」
拗ねた様な責めるような響きに、言葉に幽々子はごめんなさいと呟く。
「今夜は……」
妖夢を抱いたまま、幽々子が紡ぐ。
「妖夢が考えていた通りに、抱くつもりだったわ」
「………はい」
「でもね、妖夢ったら酷いじゃない。
貴方がこの部屋に入って来た時にどんな顔をしていたか分かる?」
「……いいえ」
「これから戦場にでも向かうような、覚悟を決めた顔していたのよ。
どうしてかしらね。好きな人に会うのに、逢瀬を重ねるはずなのにそんな顔されたら……」
「………」
「抱くに抱けなくなってしまうわ。緊張するのも少しならばわかる、でもね……
私との関係は妖夢にとって、それほどに覚悟を決めねばならぬものなのかしら?」
幽々子は吐息。
「ねえ、妖夢。貴方は私を受け入れてくれた。
でもそれは、魂魄妖夢としてなの? それとも西行寺の従者としてかしら?」
少しだけ寂しそうな吐息。
「妖夢。きっと貴方はまだ私をどう見てよいのか分かっていないのね。
主人として見続けるのか、愛しい人として見ていいのか。だからその両方がごっちゃになってしまっている」
「……幽々子様、私は」
「だから、覚悟を決めねば駄目だったのね。其れであれば命令としても、己の意志としても誤魔化せるから」
「そ、そのようなつもりは……」
幽々子の妖夢を抱く腕に力がこもる。
その腕が少しだけ、震えている事に気が付いて妖夢は何も言えなくなってしまう。
「怖いの。望めば、ここで貴方を抱く事は出来るでしょう。
でもそうしてしまったら、それきりで心が止まってしまうような気がしてならないの」
沈黙が降りた。
幽々子は妖夢の、妖夢は幽々子のぬくもりを感じて、瞳を閉じる。
ただ何も言わぬ。縋る様に幽々子は妖夢を抱いて。
「幽々子様……」
幽々子からの返事はない。
「正直に……未だ迷っております。貴方様の想いを受け入れた事に後悔はありません。
ですが、私も怖いのです。体を開いて己の全てをさらすという事は相手の全ても知ると言う事」
だが、構わずにただ続ける。
「受け入れると決めたはずなのに、もう後戻りができないと分かっているはずなのに、この期に及んで私は迷っている。
従者としての忠誠であれば貴方を傷つけずに、いいえ、自分もそうやって納得させる事が出来る。ですが……
妖夢として愛するのであればいずれ貴方も私も傷付く事が決まっていて……それで迷っていて、抱かれてさえしまえばと……」
遠慮がちに妖夢の腕が幽々子に回される。
「そのような不遜で弱い覚悟。貴方に対して一番失礼であったというのに……
幽々子様、お助けいただけませんか?この迷いを断ち切るために……貴方と添い遂げる為に。
弱い私をお助けください、幽々子様。情けないと、未熟だと、いつもの様に導いて欲しいのです……」
「妖夢……弱いのは私も同じよ。
こんなに近くに貴方が居るのに、未だ怖くて震えているの。でも、妖夢も同じだったのね」
「同じ……」
「そうね、その弱さは、これから二人で埋めていきましょう。
それでいつか、お互いが納得して、そして心から貴方が……妖夢が幽々子を求めてくれた時は」
見上げた妖夢と、幽々子の視線が交わる。
「その時こそは私も貴方を遠慮なく求めさせてもらうわ」
「はい」
笑いあって、お互いに腕を回してしばし瞳を閉じる。
穏やかな静寂。心地よい静寂。
どんなに寒い夜でも、二人でいれば暖かかい。
小さな手を握って、その体を抱いてぬくもりを感じて。
「ねえ、妖夢、明日一緒に出かけましょうか」
「はい……何かご用がおありで?」
そこには確かな命を感じる事が出来る。
懸命に紡ぐ、命と成長の鼓動。幽々子には無くて、でも妖夢が与える事が出来るもの。
お互いのぬくもりが、愛おしくて、抱きしめ合うとと安堵して……それは……
「未熟ね、好きあうも同士が共に出かけると言ったら一つじゃないの」
「あ、其れはつまり………その……」
それはもう居なくならないのだ。
「この魂魄妖夢、明日は精一杯お相手させていただきます!」
「……本当に妖夢は大袈裟なのだから」
顔を赤くする妖夢に幽々子はくすくすと笑みを漏らした。
「本当に……妖夢ったら……」
未だに胸は苦しいと幽々子は思う。
胸は乾くし、息も詰まる。
体中が疼いて、どうしようもなくて。
されど体を突き破ってしまいそうな想いは落ち着いて。
穏やかで甘い疼きだけがいま体を満たしている。
今日は久方ぶりに安らかに眠れそうだと。
寄り添うように抱き合って幽々子は瞳を閉じた。
-終-
二人の関係はまだ始まったばかりなのさ!
いつまでもお幸せにーーー!