本日の幻想郷は快晴。
先日降った春雨で、しっとりと地は濡れている。
故に、今日の温かな日差しからか、遠くにはうっすらと陽炎すら見えた。
まだ少し、冬の名残の薫り含む風が、春の花の香りを運ぶ。
黄色の菜の花は小さく風に揺られている。
その下では、小さなたんぽぽ達が小さく揺れる。
桜の木も開花を始め、美しい桃色の花弁が笑うように揺れている。
色とりどりの花に囲まれて、花の妖怪、風見幽香は一人立つ。
春の風を全身に受けるようにして、幽香はそっと目を閉じる。
花のほのかに甘い香りが鼻腔を擽る。
そっと耳を澄ませば、春の訪れを告げる鳥たちの囀りさえ聞こえてくる。
今、幻想郷は春の真っただ中だった。
一度、春が訪れないという異変があったものの、それ以降は毎年のように、春が訪れている。
人間も妖怪も、春の陽気さに当てられてか、日々宴会を繰り広げている。
時折それに彼女も参加しており、宴の喧騒の中、静かに花を眺めては酒を飲むことを楽しんでいた。
その宴は今日も開かれるらしい。
昨日は春雨のせいもあって出来なかった為、人間の魔法使いはうずうずしているらしい。
「変わらないわねぇ」
幽香は一人呟く。
その言葉は、人間の魔法使いに対しての言葉か、それとも今眺めている景色に対しての言葉か。
その表情はどこか柔らかく、とても優しかった。
緑豊かな春の野に座り込むと、視線を風に揺れる菜の花の方へと飛ばした。
みつばち達が風に揺られる花の蜜をため込んでいる。
小さな生き物の営みに、どこか小さな笑いがこみあげてくる。
なぜかしら、幽香の心の中は今は満たされていた。
春がこうしてまた訪れたことへの喜び、長い冬を越え、また花を咲かせてくれたことへの感謝。
それが今、幽香の心を豊かにしていた。
「ご機嫌そうだね」
「えぇ、ご機嫌ね」
春の風と共に、流れ着いたのは鬼の萃香。
漂うように、誘われるようにしてこちらへと流れ着いた。
いつものように瓢箪を抱え、陽気な笑顔で萃香は言う。
斯く言う萃香もご機嫌なのは言うまでも無い、宴があるからだ。
鬼というのはどうやら騒ぐ事が好きらしい。
「で、何の用かしら?」
「花を見てると、何故か知らないけどお前さんが思い浮かぶのは何故だろうね」
答えになっていないその発言に、幽香は疑問符を浮かべる。
萃香は幽香の隣に寝転がると、目を閉じる。
沈黙の中、聞こえるのは春の声。
風の音、鳥の囀り、妖精達の無邪気な笑い声。
そして、その春の声を静かに聞き入った後、萃香は続けた。
「お前さんほど花を愛している妖怪がいないからだろうかね?」
「…そうかしら」
曖昧に答える幽香。
幽香は能力として、花を自在に操る事が出来る。
戦う際にほとんどと言ってもいいほど役が立たない能力を彼女は身につけている。
花が好きだという性格だけではない。
きっと花に選ばれた妖怪なんだろう、そう萃香は思った。
「じゃあ、何故花が好きなのに、自分で咲かそうとはせず、自然に咲くのを待つんだい?」
「はぁ、わかってないわねぇ」
幽香は溜息を浮かべる。
表情も少しばかりうんざりしているように見える。
「自然に花が咲くからいいんでしょう。自分の能力で瞬間的に咲かせた花に何の意味があるのかしら?種から芽が出て、育っていく過程を見るのがいいのよ。そうして咲かせた花だから美しいのよ」
「そういうもんなの?」
「そういうものなのよ」
萃香からしてみれば難しい話だった。
もし私がその能力を持っていたんなら、桜をずっと咲かせて宴会とかして楽しむのになぁ、と思っていた。
「時にあなたは、花について考えたことがあるかしら?」
急な問いかけに萃香は答えることが出来なかった。
しばらく考えてみたけれど、絞り出した答えは
「ないね」
「でしょうね。酒ばかり飲んでるあなたじゃ考える事をしないでしょう」
「それはいいすぎだよ幽香」
苦笑いを浮かべる萃香に対し、幽香も小さく笑う。
「花はね、暗い土の中から太陽を求めて伸びて、精一杯努力して、やっとの思いで花を咲かせるの。そして、一杯の太陽の光と水を浴びて、元気いっぱい咲いて、そして最後には種を残して地に還る。わかるわね?」
「それくらいわかるさ」
「今私が話したのは自然の中で最後まで生きた例。他にも色んな花の生き方があるわ」
萃香は、聞き入るようにして幽香の方を見る。
「花屋は、やっとの思いで咲いた花を切り、それを売る。まぁ、花屋は一番美しい時の姿を選んで切って切れるからいいわね。で、それを大切な人にプレゼントする。美しい姿で成長を止められてしまうけど、成長している時に切られるのよりはマシね。これも一つの例」
「まぁ、綺麗な花を貰うと嬉しいらしいね」
「子供たちは生き物の大切さをまだ知らない。故に何も思わず無意識に虫や花を殺す。だけどそれは無意味じゃないわ。次第に大人になっていけば小さい頃にしたことは悪いことだったって思い起こす事ができる。花や虫としてはあまりにも儚い命の終わりだけど、決して無駄な死ではないのよ」
「へぇ…。確かに言われてみればそうかもしれないねぇ」
萃香は、命の大切さについていきなり説教させられた感じがしていたが、それも悪くないかと思った。
しかし、人間や妖怪たちが生物界の主役とは言えない。
花からしてみれば、人間の行動に振り回され、花としての生を終える。
なんと命は儚いものか。
「…命って儚いもんだね」
「えぇ。私たちは自然の中の一部であり、主人公じゃない。自然そのものが主人公で、私たちはそれを彩る脇役に過ぎないのよ」
萃香にとって、今の幽香の言葉は凄く心に響いた。
長く生き続ける中で見失っていた物を思い出した気がした。
そうして見るこの花畑の景色は、とても美しく見えた。
そして、萃香の隣に座る幽香が、とても大きな存在に見えた。
それなのに、なぜ彼女は花畑にずっといるのだろうか。
もっと前面に出てくればいいのにと、そう思い質問した。
「ねぇ、幽香。一つ聞いていいかい」
「何?」
「お前さんは、いつまで花に埋もれて隠れたままの幽花でいるんだい?」
「私はいつだって幽花のままよ」
「どうしてだい?」
幽花…人目につかず咲く花、目立たない花の事を指している。
それにかけて風見幽香と名乗ったのではないかと、萃香は思っていた。
幽香は普段、用事がなければ花畑から出ることも無い。
人間との友好度は最悪とされている。
普通に話す事が出来るのに、まるで人を避けるように、目立たなようにしているのは何故なのか。
「簡単よ。私は自然の主役じゃなくて脇役。あくまで私の中の主役は、ここに咲き誇る花たちだから。私はそれを見つめるだけの、目立たない花でしかないのよ」
「…そうかねぇ」
お前さんはもっと目立ってもいいと思うのになぁ…
萃香は心の中で呟くも、口にはせず、そっと心の奥にしまいこんだ。
萃香は幽香の顔をまじまじと見つめる。
美しく、少しパーマのかかったショートカットの緑の髪。
キリっとした赤い瞳と、綺麗に整った顔立ち。
優しい表情の中にも、どこか威厳を感じさせる雰囲気を漂わせている。
(うむぅ…。これで脇役だなんてもったいない)
萃香は自分の小さな顎に手をやり、ただただ幽香を見つめる。
「ちょっと、さっきから何見てんのよ」
「え、あぁ、すまないね。脇役にしてはもったいないなぁ~なんて」
「な、何言ってんのよ馬鹿」
少しばかり幽香の頬が紅く染まるのを見逃さなかった萃香は、大声を出して笑う。
幽香の普段なかなか見せない、照れるような仕草は、いつも大人っぽい幽香の女の子らしさを強調しているようだった。
萃香は、花たちも笑うようにして揺られているように思えた。
同時に、なんて平和なんだろうかとも思った。
一方幽香は、萃香に笑われてなお一層恥ずかしい思いに駆られていた。
「全く、冗談もほどほどにしなさいな」
「鬼は冗談なんて言わないさ。本当の事しか言わないよ」
「…もう」
そして、少しばかりの沈黙。
この花畑は時の流れさえを忘れさせる。
時計なんてものはないし、ずっと同じような風景が流れるこの場所は、映像の一コマをずっと再生しているような、そんな感じだった。
風の音も、鳥の囀りも、妖精達の笑い声も。
どれも、幻想のように思えてしまうのが不思議だった。
太陽の光をたくさん浴びることができるこの花畑が、幽香にとっての理想郷だ。
花たちが何にも、誰にも邪魔されずに太陽の光を一身に浴びて育てる場所。
四季折々の表情をずっと見ることが出来るのは、幽香にとって至福なことだ。
そして、時折来る人が見せる、その花たちの美しさに圧巻される様を見るのも好きだった。
そんな幽香は、気まぐれで聞いてみる事がある。
「ねぇ、萃香。あなたはなんの花が好きかしら?」
「え?好きな花かい?そうだねぇ…」
それによってその人の内心がわかるものである。
その花の言葉が、その人物に適しているのだから。
「そうだねぇ。私は花よりも、花を育てる土がいいかなぁ」
「…え?」
予想外の答えだった。
幽香は、萃香がもっと華やかな花とか、凄い華美な花を選ぶと思っていたのに、まさかそれを育てる土と答えるなんて思ってもいなかった。
第一、花でも何でもないのに。
「何故そう思うのかしら?」
「…そうだねぇ。土なら、最初から最後までみんなと一緒にいられるし、みんなを支えると言うか、土台になる事ができる。これ以上幸せな事はないさ」
幽香は幾度となく同じ事を問いかけたことがあったが、こんな答えは初めてだった。
裏を取られたような、そんな気持ち。
騒ぐことや笑うことばかりと思っていた幽香にとって、驚くべき答え。
人の事を思いやる心、そして優しい思い。
それが萃香にはつまっていた。
「花っていっても、必ずしも花畑に咲いているわけじゃない。どこか遠く、ぽつんと一輪咲いているんじゃ寂しいだろう?だから私は、色んな生命を育てる土になりたいね」
「…そう」
萃香は、あの時に起こした異変の頃から感じていた。
みんなで一緒に盛り上がった方が楽しいことに。
鬼は嘘が嫌いだ。
故に、鬼は嘘を付くこともないし、嘘をつかれることを嫌う。
しかし、嘘を平気で口にする人間に鬼は愛想を尽かし、一時は人間から離れた。
それでもやっぱり、萃香は人間が好きだった。
短い命の中で、一生懸命に生きる姿が好きだった。
妖怪と違って、力のない彼らだからこそできる、喋るという事で他の者と通じ合えるコミュニケーション。
それが、萃香にとってとても羨ましくて、素敵に思えた。
故に人との交わりがやめられなかった。
また、人も妖怪も関係なく、みんなで楽しむことが好きだった。
幻想郷に生きるのは人間だけじゃなく、妖怪だってたくさんいる。
種族が違う中で、それぞれが別々の営みを育んでいけることに感動を覚えた。
萃香にとっても、幻想郷こそが理想郷だったのだ。
だから、自然と口にしたのは、”土”という答えだったのだろう。
「あ、土じゃ花じゃないね。そうだなぁ…。花ならやっぱり桜かな」
「心の美…ねぇ」
「何だって?」
「何でも無いわ」
(変わった鬼ねぇ…)
そう思いながら、幽香は萃香の方をちらっと見ると、不思議そうにこちらを眺めていた。
「さてと、そろそろ宴会じゃないの?」
「え?…あ!そんな時間なの!?」
もう空の色は焼けるような緋色に染まっていた。
さっきまで聞こえていた妖精達の笑い声も、気が付けば無くなっている。
宴の始まる夕暮れ時が訪れようとしていた。
「こりゃうっかりしてた。ここじゃ時間の流れもあっという間だね」
「そのようね。あなたの慌てようを見れば良く分かるわ」
ぐーっと萃香は背伸びをして立ちあがると、幽香に手を差し伸べる。
「一足早く宴会場へ行こうか」
萃香の純粋な笑顔に、幽香も笑顔で返す。
「えぇ、行きましょうか」
幽香は萃香の手を取ると、宴会場たる白玉楼へと向かった。
春の暖かい風が、二人の髪を優しく撫でた。
花畑にも温かい風が吹く。
花たちは、二人に別れを告げるように頭を揺らしていた。
先日降った春雨で、しっとりと地は濡れている。
故に、今日の温かな日差しからか、遠くにはうっすらと陽炎すら見えた。
まだ少し、冬の名残の薫り含む風が、春の花の香りを運ぶ。
黄色の菜の花は小さく風に揺られている。
その下では、小さなたんぽぽ達が小さく揺れる。
桜の木も開花を始め、美しい桃色の花弁が笑うように揺れている。
色とりどりの花に囲まれて、花の妖怪、風見幽香は一人立つ。
春の風を全身に受けるようにして、幽香はそっと目を閉じる。
花のほのかに甘い香りが鼻腔を擽る。
そっと耳を澄ませば、春の訪れを告げる鳥たちの囀りさえ聞こえてくる。
今、幻想郷は春の真っただ中だった。
一度、春が訪れないという異変があったものの、それ以降は毎年のように、春が訪れている。
人間も妖怪も、春の陽気さに当てられてか、日々宴会を繰り広げている。
時折それに彼女も参加しており、宴の喧騒の中、静かに花を眺めては酒を飲むことを楽しんでいた。
その宴は今日も開かれるらしい。
昨日は春雨のせいもあって出来なかった為、人間の魔法使いはうずうずしているらしい。
「変わらないわねぇ」
幽香は一人呟く。
その言葉は、人間の魔法使いに対しての言葉か、それとも今眺めている景色に対しての言葉か。
その表情はどこか柔らかく、とても優しかった。
緑豊かな春の野に座り込むと、視線を風に揺れる菜の花の方へと飛ばした。
みつばち達が風に揺られる花の蜜をため込んでいる。
小さな生き物の営みに、どこか小さな笑いがこみあげてくる。
なぜかしら、幽香の心の中は今は満たされていた。
春がこうしてまた訪れたことへの喜び、長い冬を越え、また花を咲かせてくれたことへの感謝。
それが今、幽香の心を豊かにしていた。
「ご機嫌そうだね」
「えぇ、ご機嫌ね」
春の風と共に、流れ着いたのは鬼の萃香。
漂うように、誘われるようにしてこちらへと流れ着いた。
いつものように瓢箪を抱え、陽気な笑顔で萃香は言う。
斯く言う萃香もご機嫌なのは言うまでも無い、宴があるからだ。
鬼というのはどうやら騒ぐ事が好きらしい。
「で、何の用かしら?」
「花を見てると、何故か知らないけどお前さんが思い浮かぶのは何故だろうね」
答えになっていないその発言に、幽香は疑問符を浮かべる。
萃香は幽香の隣に寝転がると、目を閉じる。
沈黙の中、聞こえるのは春の声。
風の音、鳥の囀り、妖精達の無邪気な笑い声。
そして、その春の声を静かに聞き入った後、萃香は続けた。
「お前さんほど花を愛している妖怪がいないからだろうかね?」
「…そうかしら」
曖昧に答える幽香。
幽香は能力として、花を自在に操る事が出来る。
戦う際にほとんどと言ってもいいほど役が立たない能力を彼女は身につけている。
花が好きだという性格だけではない。
きっと花に選ばれた妖怪なんだろう、そう萃香は思った。
「じゃあ、何故花が好きなのに、自分で咲かそうとはせず、自然に咲くのを待つんだい?」
「はぁ、わかってないわねぇ」
幽香は溜息を浮かべる。
表情も少しばかりうんざりしているように見える。
「自然に花が咲くからいいんでしょう。自分の能力で瞬間的に咲かせた花に何の意味があるのかしら?種から芽が出て、育っていく過程を見るのがいいのよ。そうして咲かせた花だから美しいのよ」
「そういうもんなの?」
「そういうものなのよ」
萃香からしてみれば難しい話だった。
もし私がその能力を持っていたんなら、桜をずっと咲かせて宴会とかして楽しむのになぁ、と思っていた。
「時にあなたは、花について考えたことがあるかしら?」
急な問いかけに萃香は答えることが出来なかった。
しばらく考えてみたけれど、絞り出した答えは
「ないね」
「でしょうね。酒ばかり飲んでるあなたじゃ考える事をしないでしょう」
「それはいいすぎだよ幽香」
苦笑いを浮かべる萃香に対し、幽香も小さく笑う。
「花はね、暗い土の中から太陽を求めて伸びて、精一杯努力して、やっとの思いで花を咲かせるの。そして、一杯の太陽の光と水を浴びて、元気いっぱい咲いて、そして最後には種を残して地に還る。わかるわね?」
「それくらいわかるさ」
「今私が話したのは自然の中で最後まで生きた例。他にも色んな花の生き方があるわ」
萃香は、聞き入るようにして幽香の方を見る。
「花屋は、やっとの思いで咲いた花を切り、それを売る。まぁ、花屋は一番美しい時の姿を選んで切って切れるからいいわね。で、それを大切な人にプレゼントする。美しい姿で成長を止められてしまうけど、成長している時に切られるのよりはマシね。これも一つの例」
「まぁ、綺麗な花を貰うと嬉しいらしいね」
「子供たちは生き物の大切さをまだ知らない。故に何も思わず無意識に虫や花を殺す。だけどそれは無意味じゃないわ。次第に大人になっていけば小さい頃にしたことは悪いことだったって思い起こす事ができる。花や虫としてはあまりにも儚い命の終わりだけど、決して無駄な死ではないのよ」
「へぇ…。確かに言われてみればそうかもしれないねぇ」
萃香は、命の大切さについていきなり説教させられた感じがしていたが、それも悪くないかと思った。
しかし、人間や妖怪たちが生物界の主役とは言えない。
花からしてみれば、人間の行動に振り回され、花としての生を終える。
なんと命は儚いものか。
「…命って儚いもんだね」
「えぇ。私たちは自然の中の一部であり、主人公じゃない。自然そのものが主人公で、私たちはそれを彩る脇役に過ぎないのよ」
萃香にとって、今の幽香の言葉は凄く心に響いた。
長く生き続ける中で見失っていた物を思い出した気がした。
そうして見るこの花畑の景色は、とても美しく見えた。
そして、萃香の隣に座る幽香が、とても大きな存在に見えた。
それなのに、なぜ彼女は花畑にずっといるのだろうか。
もっと前面に出てくればいいのにと、そう思い質問した。
「ねぇ、幽香。一つ聞いていいかい」
「何?」
「お前さんは、いつまで花に埋もれて隠れたままの幽花でいるんだい?」
「私はいつだって幽花のままよ」
「どうしてだい?」
幽花…人目につかず咲く花、目立たない花の事を指している。
それにかけて風見幽香と名乗ったのではないかと、萃香は思っていた。
幽香は普段、用事がなければ花畑から出ることも無い。
人間との友好度は最悪とされている。
普通に話す事が出来るのに、まるで人を避けるように、目立たなようにしているのは何故なのか。
「簡単よ。私は自然の主役じゃなくて脇役。あくまで私の中の主役は、ここに咲き誇る花たちだから。私はそれを見つめるだけの、目立たない花でしかないのよ」
「…そうかねぇ」
お前さんはもっと目立ってもいいと思うのになぁ…
萃香は心の中で呟くも、口にはせず、そっと心の奥にしまいこんだ。
萃香は幽香の顔をまじまじと見つめる。
美しく、少しパーマのかかったショートカットの緑の髪。
キリっとした赤い瞳と、綺麗に整った顔立ち。
優しい表情の中にも、どこか威厳を感じさせる雰囲気を漂わせている。
(うむぅ…。これで脇役だなんてもったいない)
萃香は自分の小さな顎に手をやり、ただただ幽香を見つめる。
「ちょっと、さっきから何見てんのよ」
「え、あぁ、すまないね。脇役にしてはもったいないなぁ~なんて」
「な、何言ってんのよ馬鹿」
少しばかり幽香の頬が紅く染まるのを見逃さなかった萃香は、大声を出して笑う。
幽香の普段なかなか見せない、照れるような仕草は、いつも大人っぽい幽香の女の子らしさを強調しているようだった。
萃香は、花たちも笑うようにして揺られているように思えた。
同時に、なんて平和なんだろうかとも思った。
一方幽香は、萃香に笑われてなお一層恥ずかしい思いに駆られていた。
「全く、冗談もほどほどにしなさいな」
「鬼は冗談なんて言わないさ。本当の事しか言わないよ」
「…もう」
そして、少しばかりの沈黙。
この花畑は時の流れさえを忘れさせる。
時計なんてものはないし、ずっと同じような風景が流れるこの場所は、映像の一コマをずっと再生しているような、そんな感じだった。
風の音も、鳥の囀りも、妖精達の笑い声も。
どれも、幻想のように思えてしまうのが不思議だった。
太陽の光をたくさん浴びることができるこの花畑が、幽香にとっての理想郷だ。
花たちが何にも、誰にも邪魔されずに太陽の光を一身に浴びて育てる場所。
四季折々の表情をずっと見ることが出来るのは、幽香にとって至福なことだ。
そして、時折来る人が見せる、その花たちの美しさに圧巻される様を見るのも好きだった。
そんな幽香は、気まぐれで聞いてみる事がある。
「ねぇ、萃香。あなたはなんの花が好きかしら?」
「え?好きな花かい?そうだねぇ…」
それによってその人の内心がわかるものである。
その花の言葉が、その人物に適しているのだから。
「そうだねぇ。私は花よりも、花を育てる土がいいかなぁ」
「…え?」
予想外の答えだった。
幽香は、萃香がもっと華やかな花とか、凄い華美な花を選ぶと思っていたのに、まさかそれを育てる土と答えるなんて思ってもいなかった。
第一、花でも何でもないのに。
「何故そう思うのかしら?」
「…そうだねぇ。土なら、最初から最後までみんなと一緒にいられるし、みんなを支えると言うか、土台になる事ができる。これ以上幸せな事はないさ」
幽香は幾度となく同じ事を問いかけたことがあったが、こんな答えは初めてだった。
裏を取られたような、そんな気持ち。
騒ぐことや笑うことばかりと思っていた幽香にとって、驚くべき答え。
人の事を思いやる心、そして優しい思い。
それが萃香にはつまっていた。
「花っていっても、必ずしも花畑に咲いているわけじゃない。どこか遠く、ぽつんと一輪咲いているんじゃ寂しいだろう?だから私は、色んな生命を育てる土になりたいね」
「…そう」
萃香は、あの時に起こした異変の頃から感じていた。
みんなで一緒に盛り上がった方が楽しいことに。
鬼は嘘が嫌いだ。
故に、鬼は嘘を付くこともないし、嘘をつかれることを嫌う。
しかし、嘘を平気で口にする人間に鬼は愛想を尽かし、一時は人間から離れた。
それでもやっぱり、萃香は人間が好きだった。
短い命の中で、一生懸命に生きる姿が好きだった。
妖怪と違って、力のない彼らだからこそできる、喋るという事で他の者と通じ合えるコミュニケーション。
それが、萃香にとってとても羨ましくて、素敵に思えた。
故に人との交わりがやめられなかった。
また、人も妖怪も関係なく、みんなで楽しむことが好きだった。
幻想郷に生きるのは人間だけじゃなく、妖怪だってたくさんいる。
種族が違う中で、それぞれが別々の営みを育んでいけることに感動を覚えた。
萃香にとっても、幻想郷こそが理想郷だったのだ。
だから、自然と口にしたのは、”土”という答えだったのだろう。
「あ、土じゃ花じゃないね。そうだなぁ…。花ならやっぱり桜かな」
「心の美…ねぇ」
「何だって?」
「何でも無いわ」
(変わった鬼ねぇ…)
そう思いながら、幽香は萃香の方をちらっと見ると、不思議そうにこちらを眺めていた。
「さてと、そろそろ宴会じゃないの?」
「え?…あ!そんな時間なの!?」
もう空の色は焼けるような緋色に染まっていた。
さっきまで聞こえていた妖精達の笑い声も、気が付けば無くなっている。
宴の始まる夕暮れ時が訪れようとしていた。
「こりゃうっかりしてた。ここじゃ時間の流れもあっという間だね」
「そのようね。あなたの慌てようを見れば良く分かるわ」
ぐーっと萃香は背伸びをして立ちあがると、幽香に手を差し伸べる。
「一足早く宴会場へ行こうか」
萃香の純粋な笑顔に、幽香も笑顔で返す。
「えぇ、行きましょうか」
幽香は萃香の手を取ると、宴会場たる白玉楼へと向かった。
春の暖かい風が、二人の髪を優しく撫でた。
花畑にも温かい風が吹く。
花たちは、二人に別れを告げるように頭を揺らしていた。
鬼畜風味の幽香さんよりも、穏やかなお姉さん的な幽香さんの方が好きなので嬉しい。
評価ありがとうございます。
幽香好きとしてはやはり鬼畜風味より、隠れた優しさのあるお姉さんっぽいのが好きですね~
評価ありがとうございます。
まさにその通りですねぇ。
鬼の力なら、きっと十分すぎる縁の下の力持ちになれるでしょうね。
評価ありがとうございます。
意外な答えだけど、萃香らしい答えですよね。
評価ありがとうございます。
うれしいお言葉です。
心が洗われるとは正にこのことですね
評価ありがとうございます。
優しい、穏やかな作風を目指して頑張っております。
嬉しいお言葉ですわ。