「おくーう!」
彼女の慌てた声が聞こえた。
「おーい、おくうー? いるんだろー?」
声と足音が近づいてくる。
駆け足でやって来た彼女は、私の前で足を止めた。
「あ、いたいた。まったく、何やってんのさこんなところで」
呆れ顔で尋ねられる。
「何って……日向ぼっこ?」
と言っても地底に日向なんてないから、程よい温度の場所で灼熱地獄の熱気にあたるだけなんだけど。
この友人も本当の日向ぼっこがしてみたいもんだねぇ、とかよく愚痴ってる。
「や、疑問系にされてもあたいも困るんだけど……ってそうじゃなくて」
頭を掻いて困ったような顔をする彼女。
「何かあったの? 慌ててたみたいだけど」
「いや、何かあったのって……あんた、仕事は」
「……うにゅ?」
仕事、仕事……仕事?そんなのあったっけ。
「……本気で分からないって顔してるね。はぁ、またか」
二度目の呆れ顔。
「また?」
「灼熱地獄の見回り! この前も忘れてたでしょあんたはー!」
鬼のような剣幕でまくし立ててくる……ちょっと怖い。
「うぅ、そういえばそんなのあったかも」
「はぁ。本っ当あんたはー……」
ガリガリと再び頭を掻く。そんなの続けてるとハゲちゃうよ?
「ああ、もういいや。とりあえずさとり様に謝りに行くよ。焼却されるはずだった怨霊の一部が外に出て行っちゃったんだから」
「えっ!? それってもしかしなくても」
こちらをギロリと睨んで、
「ああ。あんたが悪い」
「うにゅ……」
うー、またやっちゃった。こういう時のさとりさまって怖いんだよね。
どうしようどうしよう……。
「ああもう、そんな心配そうな顔しなさんな。あたいも一緒に謝ってあげるから、ね?」
仕方ないなぁ、という表情で笑いながら言う。
「うん! ありがとうお燐! それと……」
「? それと?」
「その、ごめんね?」
彼女はふっ、と笑い、
「いーってことさ。いつものことだよ」
そう言って先に歩き出す。
いつものこと。
そう、彼女はいつも私にこんなにも良くしてくれる。
私が仕事を忘れていた時、見つからない私に代わってやっておいてくれたことも沢山ある。
私が持ち前の記憶力の無さから仕事を失敗してしまった時、そんな時も仕方ないなぁ、と笑っていつも一緒に謝ってくれた。
そんな、そんな彼女を私は……。
「おーい? 何やってんのさおくうー! ポカした当人のあんたがいなくてどうすんのさー!」
遠くで手招きをしている彼女。
「ごめん、今行くー!」
私は彼女に追いつくため羽を広げ、その場から飛び立った。
なんと無しに飛び立った場所を振り返り、自らの羽ばたきで舞わせた砂埃を見てふと思う。
はて、私は今何を考えていたんだっけ。
――――――――――――――――――――――――――――――
「おりーん? おりんー?」
私は彼女の名を呼ぶ。
今日は一緒に灼熱地獄の大掃除をするはずなのに、彼女がどこにも見当たらないのだ。
せっかく、今日こそは忘れないで一緒に頑張る! そう思ってメモまで書いて常に持ち歩いてたのに……。
「おりんってばー! もう、いつもは私が探される側なのに。どうしちゃったのかな」
誰に言うでもなく呟く。
もう一度彼女の仕事場である一帯を見渡しても、目に入るのは荒涼とした風景と自由に飛び回る怨霊達だけ。
本当、どこいっちゃったんだろう……。姿を見せぬ友人に軽い不安を覚える。
そうだ、さとりさまなら何か知ってるかも! 思い立ったらすぐ行動、これって大事だよね。
そう思った私はすぐさま主の下へと飛び始めた。
「お燐? あら。もう持ち場に向かったようだったけれど」
「えっ? で、でも確か今日はお燐と一緒に仕事するはずで……でも全然来てくれなくて!」
どうしたんだろう。まさか本当に彼女に何かあったんじゃ。
「うーん……いえ、それは多分大丈夫だと思うわ。ここのところ灼熱地獄の様子も安定しているし、まして彼女が怨霊にどうこうされるはずがないもの」
「で、ですよね……」
ちょっと安心。でもそれなら彼女はどこに?
「ふむ。もしかしたらすれ違ってしまったのかもしれないわね。戻ってもう一度探してみたらどうかしら」
そっか、そうだよね! もしかしたら向こうでお燐も私を探してるかも!
また仕方ない奴だなあ、って思われちゃってるかなぁ。
「ふふ。仕方ない奴と思われないか心配そうに思っているくせに、顔は面白いくらい嬉しそうね」
「え、そ、そうですか?」
自覚は無いのだけれど、どうやら私の顔は相当愉快なものになってるみたい。
「ええ、私まで嬉しくなってしまうくらい。
さ、早く戻ってあげなさい。お燐も貴方を心配しているかもしれないわ」
「はい!」
元気よく返事をして、私は来た道を全速力で戻っていった。
戻った先。そこに彼女はいた。
「おりんー! 探したよー、何処行ってたのさー?」
彼女が見つかって安心した私は明るく尋ねる。
「……ああ、お空。遅かったね」
なんだろう。ちょっと様子がおかしい。暗いと言うか……。
「えっと、その、あのね? 私も待ってたんだけど、お燐が全然来ないから探しに行って、それでね?」
「あ、そう……」
「ど、どうかしたの? なんか元気なさそうだけど」
本当に何かあったのかと心配になる。もしかして私がちゃんと待ってなかったのを怒っているのかな……。
「いや、別に。ただちょっと……ね」
「お燐……?」
「ごめん。あたいの持ち場はもう終わらせて置いたから。後はお空一人でできるよね?」
「そんな!だって今日は一緒にやるって!」
「……なぁ」
「え?」
「うるっさいなぁ!」
親の仇でも見るかのような目でこちらを睨んでくる。
「お、お燐……?」
怖い。彼女のこんな顔を私は初めて見た。
「いつもいつもいつも! あんたが自由にそこらへんうろついてる間にこっちはその尻拭い! いいよねあんたは大事な事も忘れて適当に飛び回っててもいいんだから!」
「何、言って……」
何これ。
やだ。やだやだ。
涙腺が、涙が……。
「はっ。泣きたいのはこっちだよ。あんたの尻拭いに後始末。全部あたいがやってきた」
「ご、ごめ――」
「でもそれも今日で終わり。もういいかげん面倒になったんだよね。あんたの面倒見るのも、あんたと一緒にいるのも」
……え? 今、なんて言ったの?
「じゃあね。もう合う事も無いだろうけど、さとり様にあんまり迷惑かけないようにね」
こちらを一睨みし、背を向けて歩き出す彼女。
「ごめっ、ごめん!
本当に、本当に今度からちゃんとするから、だから! ねえ! 待って! お燐!」
止まらぬ涙もそのままに声が枯れんばかりに叫んだ。泣き喚いた。
でも届かなかった。
彼女の足音が私から遠ざかる。
視界が黒に染まる。
私は何も出来ないで、ずっと彼女に焦がれているだけ。
私はクソッタレのダメ烏。
だから彼女はいなくなったんだ。
だから彼女はいなくなったんだ……。
――――――――――――――――――――――――――――――
そこで目を覚ました。
枕には顔を伝った液体で染みが出来ていた。
「あ……ゆ、め?」
あれが、あれがただの悪夢であった事に私は心の底から安心した。
同時に急に恐ろしくなって自分の体を抱く。
嫌だ、いやだ、いやだいやだいやだ……。
あんなの、いやだ。
もしかしたらと考えると怯えずにはいられなかった。
私は絶対にこの夢がありえない事だと言い切れるのだろうか?
もし、夢の通りになってしまったら?
そう考えると体の震えは一層酷くなった。
私は、さらにきつく体を抱いた。
――――――――――――――――――――――――――――――
「さとり様ー?お空を見かけませんでしたか?」
そうご主人様に尋ねる。
今日も今日とてあいつの姿が見つからない。
まあ今に始まった事ではないのだけれど、今日はいつもいる場所を探してもどうにも見つからないのだ。
「お空? あら、そういえば今日は一度も見てないわね」
「そう、ですか……」
「その様子だと、貴女も見ていないのかしら?」
「ええ、怨霊達に聞いてもみんな知らないって」
「それは……おかしいわね」
そう。おかしい。
お空は仕事を忘れている時は大体あっちこっちに飛び回っている。
つまりは人目につきやすいのだ。まして地獄いっぱいにいる怨霊の目に留まらないわけが無い。
今までだって怨霊に聞けばすぐさま居所は分かった。それも大体同じ場所。
帰巣本能とでもいうのだろうか。あちらへこちらへと飛んでいっても、結局羽を休める場所は同じなのだ。
ともあれ、そんなわけで見つからない事など一度も無かったのである。
それが今日は誰も見ていないなどと、何かあったとしか思えない。
「お空の部屋は? ちゃんと調べてみた?」
「あ……」
そうだ。
地獄一帯で見つからず、今日まだ誰も見かけていないという事は部屋から出ていないのかもしれない。
まったく。ついにはお寝坊までするようになったか。
「ふふ」
いきなり笑い出すさとり様。
「? 何がおかしいんです?」
「いえ、仕方ない奴だなぁと思いながらも、笑みが浮かんでいる顔が面白くてつい、ね」
「……笑み、ですか?」
自分の顔を指差しながら言う。
「どちらかと言うと苦笑とか呆れ顔しているつもりなんですが、笑ってます? あたい」
「ええ、こちらが嬉しくなってしまうような笑みを。お空が好きなのね。ペット同士が仲良くて私も幸せよ」
「そ、そんな事はないですって! あんな手間のかかる奴――」
「ふふ。はいはい、そういう事にしといてあげるわ」
両目を瞑るさとり様。
でも、もう一つの目は私をじっと見ていた。
敵わないなぁ。
今度こそ苦笑して、
「それじゃ、お空の部屋に行ってみますね」
「ええ。具合が優れないようだったら今日はお仕事休んでもいいと伝えておいて」
「はい、分かりましたー」
「まあ、言わなくてもお空の具合が悪かったら貴女が勝手にやってくれるでしょうけども」
ニヤリと笑ってこちらを見る。
「もう! さとり様!」
「クスクス……ごめんなさいね。もう止めておくわ。いってらっしゃい」
「もう……」
主人の悪戯に半ば呆れながら部屋を後にし、長い廊下を歩きお空の部屋を目指した。
「おくうー? いるんでしょー? もう朝だよーいいかげん起きなー」
お空の部屋の前に着いた私は扉をノックしながら中にいるであろうお空に呼びかける。
しかし一向に返事がこない。
「? おくうー? 入るよー?」
ガチャ。
ドアに鍵は掛かってなかった。
「おくうー?」
彼女の名を呼びながら部屋を見回す。
どこかから拾ってきたのであろう光物の山、脱ぎ捨てたままにしてある衣服、殆ど使われていないのか埃を被った化粧台。相変わらずの汚い部屋だった。
見たところお空の姿は見えない。ここにも居ないのだろうか?
いや、いた。ベットにかかった布団が少し盛り上がっている。
「おくうー? だから朝だって言ってるでしょー。ほら起きた起きた」
そう言ってお空がいるであろうその盛り上がりに掛かった布団を引っぺがす。
「……ありゃ?」
果たしてそこにいたのは、ただの枕だった。
その枕を掴んで二三度腕の中で遊ばせてから、
「もう、ややこしいなぁ」
そうひとりごちてベットに放り投げた。触った枕は、ほんのり湿っていた気がした。
……昨日、そんなに寝苦しかったかね?
ガチャとドアを後ろ手に閉めて、さて後はどこを探したものかと考える。
隣にある自分の部屋のドアをちらりと見てみる。ここにはいないよねぇ。
一応確認しておくかとドアノブを回すと、ガチャリと鍵の掛かっている音。
今朝部屋を出る時は鍵をかけてきたはずだから、ここには居ないという事になる。
まあ半ば分かっていた事ではあるが、それでも探していない最後の場所がこことなるとため息も漏れる。
「うーん、ふりだしに戻ってみるかぁ」
数回頭を掻き、あたいは元来た道を戻っていった。
本日2度目のお空の仕事場。
旧灼熱地獄の熱の大元となるその炉の扉は今は固く閉ざされているが、それでも近くにいる時の熱さといったら無い。これでも火焔猫なんて名を頂いている身だ、熱さにはそこそこの自信があるが、それでも少し堪える程度には熱い。
こんなところで、あいつはいつも働いているんだよねぇ。
ここを仕事場としている友人の事を思うと、ちょっと胸が切なくなった。
「と、そうだそうだ。そのお空を探さないと」
とは言っても、見渡してもあるのは突き出た岩盤、荒れた大地、時折どこぞからか吹いてくる熱風にあおられる枯れた草木。いつもどおりの荒涼とした風景だった。
「……ん?」
確かに殺風景さはいつもどおりだったが、何かが足りない。静か過ぎると言うか……。
そこで気付く。怨霊達の姿が見えない。
あたいは確かに怨霊を操るが、要事の時以外まで怨霊をつれて歩く必要もないので基本ここら一帯に放してある。そのためこの辺りではあちこちに怨霊が飛び回っているのが常なのだが……その怨霊達の姿が、ひとつも見えないのだ。
いったいどういう事なんだろう。お空だけじゃなくて怨霊までどこかに行ってしまうなんて。流れてきた汗を手で拭いながら考える。
とりあえず別の階層にいる怨霊でも呼び出して何かあったのか聞いてみようか。それともさとり様にこの異常事態を伝えたほうがいいのかな……。再び流れる汗を手で拭う。
えっと……それとも、それとも……。ダメだ。熱い。熱くて考えが纏まらない。
なんだろう、何かがおかしい。何かが。なのに熱すぎて何も……。熱い……。
その存在に気付き、あたいは反射的に視線をそこにある「それ」に向けた。
灼熱地獄の、炉。
炉の管理をしているお空。炉の燃料となる怨霊達。そして温度の異様な上昇。
考えは一瞬だった。気がつけばあたいは炉の前に立っていて、その扉に手を掛けて……。
彼女は、そこにいた。
ただ彼女は私の知っている彼女の姿をしていなかった。
いつも手を繋いでいたその右手は、六角の筒のような物体に覆われていて。
いつも一緒に歩いた足は、右足はゴツゴツした岩のようなもので覆われ、左足の周囲には小さな球体が廻っていて。
そして何よりも……胸の、赤い赤い、目。
ギョロリという音が聞こえてきそうなその大きな目が、まっすぐこちらを見ていた。
「おくう……だよ、ね?」
炉の内部からくる熱風に肌を焼かれながら、あたいは恐る恐る尋ねる。
「おり……ん?」
うつろな目をしていた彼女の瞳に光がともり、こちらを見つめた。
そこでようやく私に気付いた様子で続ける。
「あれ?お燐、なんでこんな所に?炉の中は危ないよ?」
よかった、いつもどおりのお空だ。
「なんで、じゃないよまた勝手にいなくなったりして……。どれだけ心配したと思ってるのさ」
「えへへ、ごめんね」
どうにもあまり反省の色が見えない笑みを浮かべて言うお空。
「で、その姿はどうしたんだい? それとこの異常な温度は何なのさ?」
現状を説明してもらおうとそう尋ねると、お空はとても嬉しそうな笑顔で、
「そう、そうなの!聞いてお燐、私力を手に入れたんだよ!誰にも負けない、絶対の力を!」
そう言ったのだ。
「絶対の、力?」
意味が分からず、オウム返しの言葉しか出す事が出来なかった。
「そう、絶対の力! この力があれば、地上を征服することができる! 私の夢が叶う!」
目を爛々と輝かせて言うお空。
「は!? 何言ってるのさお空! 正気かい!?」
突然の言葉に自分の耳を疑う。語気も荒くなる。
「やだなぁお燐、そんな大きい声出しちゃって。大丈夫だよ、今の私なら」
私が話に乗ってこなくて意外に思ったのか、声のトーンが幾分落ちた。
だがこちらはクールダウンできそうにない。
「大丈夫なもんか! 地底と地上の条約を忘れたのかい!? そんな事したらタダじゃすまないよ!?」
「うーん、そんなに心配?」
「当然でしょ!」
むう、と少し困ったような顔をして考え込んだ後、ふっと空を見て、
「そっか。じゃあ、やめとくね」
と、いつものように言うお空。
「……そう」
ふう、とため息をついて続ける。
「よかったよ、あんたが聞き分けのいい子で」
そう言ったけれども、分かっていた。だってお空は変わっていなかったから。
姿は変わっても、いつもどおりのお空だったから。
「えへへ。でしょ?」
そう言って笑う。
そう、いつもどおりのお空だったから。
その仕草から笑い方から、それが嘘だという事は、よく分かっていた。
――――――――――――――――――――――――――――――
さて、どうしたもんかねぇ。
それじゃあんたも見つかったし、仕事に戻るから。
そう言ってお空と別れ自室にきたはいいものの、考えれば考えるほどとんでもない事態であると実感させられた。
自分のベットに体を投げ出し、赤い天井を見ながら思考にふける。
まず、あの様子からしてお空はいつか必ず地上侵略をしようとする。お空は説得にも応じないだろう。
ああ見えて一度決めた事は忘れなければ曲げない、一生懸命、一直線な子なのだ。
悪く言えば融通が利かない。今回は引いた「ふり」で済んだけれど、無理にでも止めようとすれば無理にでも通ろうとするだろう。
そしてそれを止める力は多分、あたいには無い。あいつの胸の目から感じたあの雰囲気と畏怖の感情、あれは……。
自分の考えが恐ろしくなり、ぶんぶんと首を振り思考を止める。ともあれ、自分では敵わないのは間違いない。
ではどうしよう? さとり様に相談してみようか?
いや、さとり様でも出来る事はお空を説得するか、無理矢理止めることぐらいだろう。
つまりあたいと大差ない。むしろ主人に危険が及び、かつ主人の友人に対する心象が悪くなるかもしれない分一層都合が悪い。
さとり様に報告、またはさとり様にばれるのはなんとしても避けたいところだね……。
さてまた振り出しだ。そもそも、どうやったらお空は地上侵略を諦めてくれるのか。
まず説得がダメとなると、やはり実力行使しかないだろう。
お空の話を聞いた限りだと、どうにもあの力に絶対的な自信を持っているらしい。
だからこそ地上征服なんて突拍子も無い話をし始めたのだろう。
となれば、やはり誰かがお空にお灸を据えてくれるのが一番望ましい。
自分の力で敵わない者がいると分かればお空も考えを改めるかもしれないし、そうでなくともあたいが説得しやすくなる。
うん。やっぱりお空の力の過信をどうにかするのが一番みたいだ。
そうなると誰にお空を倒してもらうかだけれど……。
まず力のありそうな妖怪といえば、ここ地下ではもちろん旧都にいる鬼達だろう。
ただ、できる事ならそれは避けたい。この地下の妖怪にさえ「嫌われ者」として避けられているさとり様が、これ以上旧都の連中に迷惑をかけたとなってはさらに立場が悪くなる。
今まで以上に主人が悪く言われたり、悲しんだり、傷つく姿は見たくない。
地下がダメとなると、地上しかないか。
地上ならば元々不可侵条約があるのだから、恥も掻き捨て迷惑もかけ捨てだ。
また怨霊達に聞いた話では、どうやら地上には異変を解決する専門家という者がいるらしい。
その専門家というのがまた凄腕らしく、吸血鬼や亡霊の姫、果てには宇宙人や神さえ倒したとまで聞く。
しかも、その異変解決において死者は異変の黒幕含め一人も出ていないという。
これだね。その異変解決の専門家ってのに、地下に来てもらえばいい。
ただしお空が地上侵略しようとしてからでは遅いから、何かしら別に異変を起こさないといけない。
……って、地下深くのこんな場所からどうやって地上に伝わるほどの異変を起こせってのさ。
結局手詰まりという結論になってしまった。
はあ、とため息をついて寝返りを打つ。すると反対側の壁にかけてある時計が目に入った。
……やば、もう仕事に行かないと!
あまりいつまでも部屋にいるというわけにはいかない。あたいの様子がおかしいと思われて、さとり様に心配されたらアウトだ。
幸いさとり様は放任主義だから、あちらからこちらに来てくださることは少ない。
とはいえ、仕事が行われていなくて様子がおかしいと思ったら様子を見に来るのは確実。
あたいはベットから跳ね起きて、壁に立てかけてあった猫車を持ち、部屋から勢いよく飛び出していった。
――――――――――――――――――――――――――――――
ゴロゴロゴロ。
あたいの仕事場とお空の仕事場を繋ぐ、いつもと変わらぬ殺風景な道。
唯一いつもと違うのは、お空のいる炉に近づくにつれてそこらを漂う怨霊の数が減っていっていく事だ。
お空が勝手に炉にくべているのだろう。ともすれば今運んでいるこの怨霊や死体は必要ないどころか過剰な燃料だ。しかし仕事は仕事。運ばなければ結局さとり様に怪しまれてしまう。
燃料でいっぱいになった猫車を押しながら、さて何かいい案はないかと考える。
地上に伝わるような異変ねぇ……一応地上に通じる洞窟はあるのだから、そこに怨霊を送ってみてはどうだろう。普段地上には存在しないはずの怨霊が湧いて出てきたとなればこれは異変のはずだ。
……いや、ダメか。
その洞窟へ送るためには地霊殿の中庭を通らないといけない。そしてそんなところを通ったならば、さとり様の目に留まるのは間違いない。
ゴロゴロゴロ。
いっそあたい自身が地上に出るのはどうか。
そうだ。別に異変でなくとも、その専門家が動いてくれればいいのだ。
猫の姿になっていれば見つかる可能性は低いし、少なくとも怨霊達に任せるよりかはマシかもしれない。
……希望的観測がすぎるか。そもそもあたいがいなくなったらさとり様が気付かないわけがない。お空にあたいの居場所を聞きに行って最悪の事態になるのがオチだ。
ゴロゴロゴロ。
うーん、困った。何一つ良い考えが思い浮かばない。
誰かに相談できればまだ何か良いアイディアが浮かぶかもしれないが、こんな事を相談できるわけがない。
うーむ……。
ゴロゴロゴロ。ドン。
「あいたっ」
押していた猫車が何かに当たった。
気付けば、既に灼熱地獄の炉の前まで来ていた。
「あっつ……」
炉の前の温度は、灼熱地獄で働く自分でさえ耐え難いものになっていた。
先刻姿の変わったお空と対面したあの炉の中よりもさらに熱い。
「お空……あんた、なにやってんのさ」
そう呟いて、炉の扉を開けた。
文字通り肌を焼く熱風が、閉じ込められた炉から逃げ場を求めてこちらに吹いてくる。
そしてその風の中、平然とたたずむお空がこちらに気付く。
「あら、お燐。新しい燃料?」
「ああ、そうだよ。……でも、これはどうにも必要なさそうだねぇ」
炉の内部の様子をぐるりと見渡して言う。
灼熱地獄。まさしくその言葉の通り、そこは熱気に満ちた地獄だった。
「へへー、凄いでしょ凄いでしょ? 私の手に入れたこの力、こんなにも凄い事ができちゃうんだよ?」
なんだろう、お空がどこかおかしい。
さっきはまだ普段どおりのお空だったが、今は雰囲気まで違ってしまっている。
こんなふうに自分の力を見せびらかしたりする奴だったろうか。
「見ててねー、ほらっ!」
そう言って右手の棒を炉の中心部に向ける。
「!?」
棒の先が光ったかと思った瞬間、炉の熱量が暴力的なまでに増大し、あたいは耐え切れなくなって炉から飛びのいた。
「ああ、ごめんごめん。ちょっと強くしすぎちゃったね」
お空も炉から出てきて、あたいの前に立って言う。
炉の放つ異常な熱量により、辺り一帯から間欠泉が噴出していた。
「……お空、その力は危険だ。もうちょっと抑えたほうがいい」
「え? 何言ってるのお燐。こんな素敵な力、使わないともったいないじゃない」
いつものようにこちらに笑いかけるお空。でも、その瞳はいつもの純真で透き通ったものではなく、どこか濁って見えた。
胸の赤い赤い瞳が、こちらをギロリと見ていた。
「……ともかく、燃料は届けたからね。あたいは怨霊の管理に戻るよ」
「分かった。私ももっともっと凄いの見せられるように頑張るね!」
そんなお空の気迫に影響されたのか、炉はさらに温度を上げる。
「はは、ほどほどにしといておくれよ」
……確信した。お空はそんなにも時間を待たずに地上侵略を始めようとする。
そして多分、今度は説得しても引くふりすらしないだろう。
力に溺れたのか取り込まれたのか。変わってしまった友人をちらりと見て、再び炉を後にした。
急がなければならない。急いで異変を解決してもらわなくては。
「うわ、これは凄いね……」
自分の持ち場に帰ってきたあたいは、間欠泉がここまで吹き上げている事に驚いた。
上を見てもどこまでも続いているようにさえ見えた。
どこまでも……?
そうだ、この間欠泉ならいけるかもしれない。少なくとも、さとり様の目に付く中庭を通る必要はなくなりそうだ。
どうか、どうかこの異変に気付いてくれますように……。
そう祈りながら、怨霊達を間欠泉に送り込んでいく。
ただ、一つ心配事があった。
それは、地下と地上の不可侵条約を決めた大妖怪の存在と、妖怪を退治して回るという博麗の巫女の存在。もしこの怨霊が大妖怪の目に着いたならば、不可侵条約を破ったあたいや、どころかその主人にまでどんな罰が下されるのか。そして博麗の巫女に見つかった時、あたいやお空は退治されずにいられるのか。
ただそれだけが心配だった。
どうか、どうか。大妖怪にも巫女にも見つからず、異変解決の専門家にだけ届きますよう。
――――――――――――――――――――――――――――――
果たして、願いは天に届いた。
「お見事! あたいが人間に負けるとは思わなかったわ」
目の前にいるのは見た感じただの人間、妖気も感じない。
服装は……少し巫女っぽい。もしかしたら博麗の?とも考えたが、それにしてはその巫女装束はおかしな気がした。
脇の部分の布が無いのだ。そんな奇抜な服装をしている人間が、あの博麗の巫女であるなんてことは、多分無いだろう。
……それに万一真っ当な巫女だったとしても、博麗の巫女だったら噂どおりあたいは退治されてるはずだもんね。
そう。今しがたこの人間にお空を倒せるだけの実力があるか試したばかりなのだ。
結果、あたいは惨敗。この人間は恐ろしいほど強かった。
「あー、暑くてやってらんないわ。さっさと終わらせよう」
「お姉さんならきっとあいつもやってくれるわね! 期待して待ってるわ」
なんて軽口をたたいてみたはいいものの、御札や針にやられた体のあちこちが痛い。このまま寝ちゃいたいねぇ……。
でもまあ、そういうわけにもいかない。お空を止めてくれるのを見届けないと。
それにもしこの人が死んじゃったら、強い死体が手に入るしね。その時はその死体を使ってあたいがお空を止めなければ。
「変な感じねぇ」
人間がそう言って去ってゆく。
「……ふう」
ズキリズキリと体のあちこちが痛む。針山だの食人怨霊だのけしかけたあたいが言うのもなんだけど、針は痛いってば。お札もやたらと霊力込められてたし。
あー……しんどい、やっぱり少しだけ寝てしまおうか。
うん、きっとあのおねーさんなら大丈夫。本当怖いほど強かったし。半分くらい死ぬかと思ったよ。
そう自分を納得させて大地に体を預けた時、恐ろしい単語が耳に入ってきた。
「まったく。紫、あんたはいいわよね、この暑さを感じなくてすむんだから」
「あら、そんな事は無いわよ霊夢。こちらも凄く暑いわ」
「ああそうかい。ならコタツの温度を下げればいいんじゃないかしらね」
体の痛みも無視し、上体を跳ね起こして二人が去っていった方角を睨みつける。
飛んでいったあの二人はもう見えないほどに小さくなっていた。
……参ったね、とんでもないババを引いちまったみたいだ。
紫という名を持つ者など、この幻想郷には一人しかいない。十中八九間違いなくあの大妖怪、八雲紫だろう。
霊夢という名にも聞き覚えがある。怨霊達が語っていた今代の博麗の巫女の名が、確か霊夢ではなかっただろうか。
頭をガシガシと掻いて立ち上がる。
「……っ」
針に貫かれた足や腕が痛みを伝える。御札の霊気にやられ妖気も残り少ない。
「でもま、そんな事言ってる場合じゃないよね」
ともかく、あの二人をお空の下に行かせたら危険だ。
不可侵条約を破ろうとしているばかりか地上侵略まで企んでいる地下の危険な妖怪を、あの大妖怪がただで済ますはずがない。
下手をしたら大事な大事な友人を亡くしてしまうかもしれない。
変わってしまったお空といえども、それでもあの子は私のかけがえの無い親友だから。
止めないと。
すぐそばに投げ出してあった猫車を拾い上げる。
二人が飛んでいった方角をもう一度睨み、先回りするべく全力で飛び立った。
――――――――――――――――――――――――――――――
「はあ、はあ、はあ。どうにか間に合ったみたいだね」
灼熱地獄の中腹、お空のいる炉まであともう少しという所。
二人を発見したあたいは息を整えて間欠泉の影から飛び出す。
「そうそう、ひとつ忘れてたよ」
「?」
巫女が不思議そうな顔をしてこちらを見る。
この先に行かせてはならないという考えに気付かれぬよう、勤めて軽口でいう。
「地獄の底で死ぬとみんな焼けて灰すら残らない。死体が欲しけりゃ、やっぱりあたいがお姉さんを仕留めないとね!」
「はあ……『あいつ』を倒せと言ってきたかと思えば今度は邪魔してみたり。地底の妖怪の考える事は分からないわ」
「そうかしら。私にはなんとなく彼女の想いが分かるけれど」
「どういうことよ?」
「ふふ、唐変木の霊夢には分からないかもしれないわね」
「そうは言うけどねぇ。あんたの考えについていけそうな奴なんて幽々子か、よくて藍ぐらいでしょうよ」
「ちょっとちょっとお姉さん達、無視しないで欲しいなぁ。もう用意は良いんだね? それじゃ、いくよ!」
恐らく大妖怪と通じているのであろう謎の玉を睨みつけながら言う。
「ほら、やっぱり」
「なにが『ほら、』なのかさっぱりだわ……」
そう言いながらも御札と針を構える巫女。
本日三度目となる弾幕勝負が、始まった。
――――――――――――――――――――――――――――――
「……う、ん……はっ!」
目を覚まし上体を勢いよく跳ね上げるが、
「!? いったぁ……」
体中が痛い辛い動かないでと、疲れたよもう休ませてよと訴えかけてくる。
うう、あたいはなんでこんな怪我を……。
そこで半分ほど眠っていた脳が急速に働き始め、何があったのかを思い出す。
巫女は博麗の巫女で、あの八雲紫も加担してて、それであたいは巫女に再戦を挑んで……。
「そうだ、お空は!?」
急いで辺りを見回すが、周囲には誰もいない。あたいを倒した彼女らはお空の下に向かったに違いない。
お空……っ!
追わないと。あの二人を止めないと。
飛ぶ事は……もう出来そうにない。最後の力を振り絞ってしまったため、妖気はとうにからっぽだ。
猫車も車輪が外れたばかりか柄も片方折れてしまっている。
歩いていくしかないか……。
もう半ば動かなくなった足を引きずり、親友の元へと歩を進めた。
お空の炉の前まで来た時、丁度炉から巫女が出てきた。
「あら、起きたのね」
のんきに言う巫女。
「お空は!? あいつは無事なの!?」
痛みも忘れて目の前の巫女に掴みかかる。
「安心なさい。ちょっとばかり強めのお灸をすえてあげたけれど、命に別状はないわ」
巫女の周囲を廻っている玉が言う。
「よ、よかったぁ……」
安心して腰が抜けてしまい、ペタンと地面に座り込んでしまった。
「もしかしたら殺されちゃうんじゃないかって……もしそんな事になったらあたい、あたい……」
気が緩みすぎたのか、涙がとめどなく溢れてきた。
そっか、お空生きてるんだ。良かった……良かったよ……。
「あらあら。泣かせちゃったわね霊夢。動物虐待は良くないわよ?」
「あんたがそれを言うか。っていうか、こいつが恐れてるのはあんただって自分でさっき言ってたじゃないの」
「そうだったかしら?」
「そうよ。人のことを唐変木とか言うから何かと思ったら。あんなの説明されないと分かるわけないじゃない」
「ふふ。だから、唐変木だって言っているのよ」
「はあ?」
再び玉と会話を始めた巫女。あの全ての妖怪に恐れられる博麗の巫女と妖怪の大賢者八雲紫が馬鹿を言い合っている。その様子がおかしくて、つい笑ってしまった。
「あははっ、おねーさん達面白いね」
涙を腕で拭いながらそう言って笑う。
「あ、そうそう。あんた怪我は大丈夫? いくら弾幕ごっことは言え3回も同じ奴とやったのは初めてだから、加減できてたかちょっと心配だったのよ」
そう言ってこちらに手を差し伸べる巫女。
「ああ、おかげさまで。ここまで痛めつけて殺さないってある意味凄いよ。
おねーさん拷問官に向いてる。あたいが保障する」
言いつつ差し伸べられた手をとる。
「そんなの保障されてもねぇ」
苦笑を浮かべながら引っ張り上げてくれた。
「っ!」
その時また全身が痛んで、つい声が出てしまった。
「ちょっと、あんた本当に大丈夫なの?」
「巫女が妖怪に優しいなんて、なんか変な感じだねぇ」
「いやほら、そりゃ一応人に似た形した奴に目の前で死なれたらさすがに後味悪いわよ」
「はは、そういうもんかね。まああっちこっちがものすっごく痛いけど、なんとか大丈夫だよ」
言いつつ思う。この巫女ならお空の命の心配は、最初から必要なかったのかもね。
とは言え八雲紫がどう出るか分からなかった以上、そう考えるのも楽観的過ぎるか。
「ふむ、そうね。霊夢、ちょっと玉をその子に近づけてみて」
「え? こ、こう?」
ためらいがちにこちらに玉が近づけられると、突然玉が紫色に発光し始めた。
「ちょ、ちょっと紫、何よこれ」
巫女が慌てた様子で玉に問いかける。
「ちょっと妖力を分けてあげるだけよ。多少は歩けるようになるでしょう」
「え、本当かい?」
光が収まったのを確認し、全身を動かしてみる。
「おぉっ、本当だ! まだちょいと痛みは残るけれど、さっきとは比べ物にならないほど楽になったよ!」
「それは何より。
ただ、空を飛ぼうとはしないほうがいいわ。妖力は全部回復に回さないとまた痛みが酷いわよ」
あたいは先ほどから疑問に思っていた事を聞いてみる。
「……ねえ、なんでこんなに良くしてくれるんだい?
仮にもあたいは不可侵条約を犯したし、お空だって地上侵略を企んでた奴だよ?」
「あらあら。そんな血も涙もない妖怪だと思われていただなんて、ショックだわ」
おどけるように言う大妖怪。
「でも、そうね。もちろん優しさから、なんてことはないわ。少しはあるけれど、それが全部という事はない」
「じゃあ、なんで……?」
「一番の理由は、罪悪感かしらね。罪滅ぼしと言うか。
幻想郷の安寧のためとは言え、貴女たちを地底という日も届かぬ所へ押しやって、その上不可侵条約なんてものまで作った負い目が、ちょっとあったのよ。それから……」
「それから?」
「本当の黒幕は、貴女達ではない様ですし」
玉はあたいたちの上でくるくると廻りながらそう言った。上になにかある、という事なのだろうか。
「あの烏は過ぎた力を与えられて、暴走しただけ。彼女に非はない……とまでは言えないけれど、本当に糾弾すべきは扱いきれない力を与えたどこぞの黒幕よ。
それに、あの烏が地上侵略を企む事も、力に溺れる事ももうないもの」
「え?」
もしかして自分達は罪に問われないのかと安堵しながら聞いていると、聞き逃す事の出来ない言葉が聞こえた。
「今、なんて?」
玉があたいの目の前に下りてきて言う。
「だから、あの烏が今回のようになる事はないって言っているのよ。
彼女の力の暴走は八汰烏の力を制御しきれず、彼女自身が八汰烏に飲み込まれかけていたのが原因。つまり彼女の意思と八汰烏の意思が交じり合っていたの。
今は私の力でその混在した意思に境界を作り彼女の比重を大きくしたから、ほぼ以前どおりの彼女に戻っているはずよ。少なくとも力に溺れることはないはずだわ」
「ほ、本当かい?」
いつものお空が戻ってくる。よく仕事を忘れてしまって、それをあたいに申し訳なく思っていて。いいよ、って言ってやると素敵な笑顔を返してくれるあの子が、戻ってくる。
「ふふ。自分に益の無い嘘はつきませんわ」
「ありがとう、本当にありがとう……」
宙を浮いていた玉を抱きしめて、何度もそう呟いた。
「あらあら。こんなにも感謝されちゃうなら、たまにはいい妖怪になってみるのも悪くないかもしれないわね」
「また面白くも無い冗談ね」
言葉と裏腹にかすかな笑みを浮かべた巫女が言った。
「さってと。それじゃ異変も解決したし、地上に戻りましょうか。温泉が私を待っているわ」
「そうね。早く地上に戻って黒幕を懲らしめなければね」
「うええ、本気?」
「もちろん」
「はあ……後で良いお酒か何かよこしなさいよ?
あー、そんなわけだから私達はもう行くわね」
「あ、うん。今回は本当にありがとう。おねーさんたちがいなかったら今頃どうなっていたか……」
抱いていた玉を放して、巫女に向かって頭を下げる。
「いいわよ。これが仕事だしね。
まあ、恩を感じてるなら今度お酒でも持って宴会に来てくれればそれでいいわ」
「あら、それはいいわね。遊びに来た時に地下の様子を報告してくれると凄く助かるわ。
あと、こちらに来る時はついでにあの烏も連れてきなさい。大丈夫だとは思うけれど、一応力が安定しているか確認したいの」
「そんな事でよければお安いご用さ。本物の日向ぼっこってやつもしてみたかったしね。これからはちょくちょくお空と一緒に地上に遊びに行かせてもらうよ」
「ええ、そうして頂戴。他の力ある妖怪たちにも話はつけておくわ」
「それじゃ、今度こそさよならね。次は宴会で会いましょ」
「あいよ、とびっきりのお酒を持っていくからね!」
「期待してるわ」
そう言って、巫女はこちらに背を向け飛んでいった。
うーん、本当にいいおねーさんたちだったねぇ。
まさかお咎め無しで済んだばかりか、地上への出入りも許されるとは思ってもいなかった。
あと心配なのは……さとり様が今回のお空の行動にどう出るか。
こればかりは考えても仕方ないか。悪いほうに転ばない事を祈るしかないね。
さて、そろそろお空を迎えに行かないと。
たったの数日だが見なくなってしまったまぶしいあの笑顔。
それを思い出すと、あいつの元へ向かう足は自然と軽くなった。
――――――――――――――――――――――――――――――
懐かしい香りがした。
体が上下に揺れている。なんだろう、とってもあったかい……。
「……うにゅ?」
目を開いてみると、私は彼女の背中におぶられていた。
「お、ようやくお目覚めかい」
「あれ、お燐? 私、なん……痛っ!」
身をよじると何故か体のあちこちが痛んだ。
「ああ、あんまり動かないほうがいいよ。あのおねーさん、加減してくれてるのかそうでないのか良く分からないほどボコボコにしてくれるもんねぇ」
「あのおねーさん?」
覚醒しきっていない頭でオウム返しをする。
「巫女のおねーさんのことだよ。死ぬかと思ったろ?」
その言葉で頭の中がクリアになる。
そうだ。私は、私はあの神様に力を貰って、それで……。
「あーあ、負けちゃったかぁ」
半ば八汰烏に意識を奪われてしまってはいたが、それでも事の顛末は覚えていた。
「仕方ないだろうね。あの人馬鹿みたいに強いもの。
ま、これに懲りたら地上侵略なんて考えは捨てるんだね」
「えー、でも……」
「えー、じゃない」
彼女が少し語気を強めて言う。
「わかっておくれよお空。あたいは、あんたに無茶して欲しくないんだ。
万が一にでも親友を失うような事を、して欲しくないのさ」
う、その言葉は卑怯だ。そんな事を言われたら、何も言えなくなっちゃうじゃない。
「前みたいにあたいと一緒に仕事をして、馬鹿やったりして、さとり様に呆れられて、謝って許してもらって、頭をなでてもらって……そんな事の繰り返しじゃ、物足りないかい?」
「そんな事無い! そんな事は、ないんだけど……」
今度は私の語気が荒くなるが、続く言葉は尻すぼみになってしまった。
「はあ。まだ納得できないって感じだね。
いったい何がそれほどまでにあんたを地上侵略に駆り立てるんだい?」
「それ、は……」
言われてあの夢の事を思い出す。あの夢の話を彼女にするのは気が引けた。
話してしまえば、それが現実になってしまいそうで。
「……だんまりかい? まあそれでも良いけど、結局さとり様にはバレちゃうんだよ?
そしてあたいもそれをさとり様に聞こうとするだろうね。なあお空、自分の口で言うのと、人に自分の気持ちを語られるの。どっちがいい?」
何だろう、少し彼女の言葉に棘があるような気がする。もしかして、怒ってる?
というか――と彼女が続けて言う。
「それは、あたいにも話せないようなことなのかい?
それを話したらあたいがあんたに何かをしてしまったり、変わったりしてしまうようなことなのかい?
そんなにも、あたいは信用できないかい?」
うう、また卑怯な言い方だ。でも……。
今自分をおぶってくれている彼女の温かさは、夢への恐怖心を吹き飛ばしてくれるには十分なものだったから。
「夢をね、みたんだよ」
「夢?」
「そう、夢。とてもとても怖い、夢」
「ふうん。そりゃまたどんな夢を? 地上侵略を考えるほどに物凄い夢だったのかい?」
「うん。私には十分その理由になりえる夢だったよ。
お燐がね、いなくなっちゃうんだ。私の隣から。
もうお前の面倒を見るのは嫌だ、って。尻拭いなんてもうしてられない、って。
私がダメだから。いつも失敗ばかりしているから、お燐がいなくなっちゃう。そんな夢」
あの悪夢を思い出し、体が小さく震えだした。
「それはまた、夢の中のあたいはずいぶんと薄情だねぇ。
それで? まさかそんな事で地上侵略を考えたわけじゃないだろ?」
「そん……っ!」
彼女の言葉に私の頭は沸騰しそうになる。
「『そんな事』じゃない! 私には、私にとっては!
お燐が私が死んじゃうのを心配するのと同じくらい怖い事だったんだから!」
心からの叫びだった。彼女が私を失うのを恐れる気持ちと、私が彼女を失うのを恐れる気持ち。そこに何の違いがあるのか。
口に出した事により恐怖感が増したのか、それとも怒りによってか。自分でも分からないが、いつの間にか体の震えは大きくなっていた。
彼女はしばらく絶句していたが、しばらくして震えるこちらの体に気付いたのか震えを落ち着かせるよう、よりしっかりと背負ってくれた。
そんな彼女の温かさに安心してしまったのだろう、ふいに涙がこぼれてきた。
「本当に、本当に怖かったんだから……」
その温かさに甘えるよう、その温かさを放さないよう、より強く彼女を抱く。
「悪かったよ。あたいが無神経だった」
とてもすまなそうに彼女が言う。
「しかしまさか泣き出しちゃうとはねぇ……まったく、体はいつのまにかあたいより大きくなったってのにまだまだ子供だね、お空は」
そう言って彼女は小さな笑みを浮かべる。その言葉が恥ずかしくて、頬が熱くなった。
「あとね、お空。さっきのはそういうつもりじゃなかったんだよ。
あたいがいなくなる事と、地上侵略の関係がよく分からなかったのさ。
なんで地上を侵略すればあたいがいなくならないと思ったんだい?」
さらに勘違いまで指摘されてしまい、頬がさらに熱くなる。きっと今私のほっぺたはりんごみたいな色になっているのだろう。
「えっと、それは……」
「うん、それは?」
「お燐が、本物の日向ぼっこをしてみたい、って言ってたから」
「……へ?」
「だから、その、お燐がそう言ってたから、させてあげたいなって。
それで、私一人でもこんな事が出来るんだよ、お燐に迷惑かけないよ、お燐の役にも立てるよ、って見せてあげたかったの」
ほっぺたって、どこまで熱くなるのかな。
むしろ顔全体が熱くなっているんじゃないのかと思っていると、彼女が突然笑い出した。
「あっはっは! ああもう、本当にあんたは馬鹿だねぇ」
「ば、馬鹿とは何よー!」
自分でもおつむはあまりよろしくない方だとは自覚しているが、それでも面と向かって言われるとさすがに傷つく。
「これでも無い知恵絞って必死に考えたんだからね!」
「あはは、自分で無い知恵って言うかね。もう、あんまり笑わせないでおくれよ、傷に響くじゃないか」
そう笑いをこらえながらいう彼女。……傷?
「……でもまあ、ありがとね。その気持ちは、本当すっごい嬉しい」
少し耳を赤くしながら彼女はそう続けた。
しかし私にはその前の言葉が気になっていた。
そこで彼女の全身を見ようとしてみると、服のところどころが破けている事に気付いた。
「お燐、その傷、もしかして……」
「ん? ああ。まああのおねーさんたちとちょっと、ね」
そこで急にあの巫女の言葉を思い出した
『止めるのは間欠泉と一緒に出てくる怨霊だけで、温泉は残してくれても良いんだけれど』
思えば、巫女は何故不可侵条約を破ってまでこんな地下深くまできたのか。
恥ずかしさで火照っていた顔から、急に血の気が引いていった。
「もしかして、私のせいで……? 私が無茶な事考えたから?」
だから彼女はあの巫女を呼ぶために条約を破って、どころかこんな怪我までして……。
そんな恐ろしい事を考えていると、私をおぶっている彼女の右手がぴくりと動いた。
「ああ、違う違う。あのおねーさんがやって来たのは偶然だよ。なんでも間欠泉が急に噴出したのを怪しく思ったんだとさ。
で、あたいの怪我は単純に強い巫女さんの死体を手に入れようとして、失敗しただけ」
なんて笑いながら言う。
でも、私にはそれが嘘だという事は分かっていた。だって彼女の右手が上に動こうとしていたから。何か困った時、彼女は頭を掻こうとするから。
だから、私は……。
「そっか。でもお燐も私に無茶するなとか言えないね、あんな危ない巫女に手を出そうとするんだもん」
「仕方ないじゃないか。まさかあんなみょうちくりんな格好した巫女があそこまで強いだなんて普通思わないだろ?」
本当のことを言わないのは、きっと私に落ち込んでほしくないから。
だから、私はそれに答えるべく気付かない振りをした。だけど……。
「ねえ、お燐」
巫女との対決を笑い話のように語る彼女に呼びかける。
「ん? どうした? どっか痛むかい?」
その言葉に、ううん、と首を振って言う。
「ごめんね。それと……ありがとう」
「……」
一瞬言葉に詰まる彼女。
しかし私の言葉の意味が伝わったのか、彼女はふっ、と空を見上げこう言った。
「いーってことさ。いつものことだよ」
――――――――――――――――――――――――――――――
私は彼女のようになりたかった。
だからその力を貰えると聞いたとき、喜んでその話にのった。
いつも私に厳しいけど優しい彼女。
物覚えが悪くて仕事もロクにこなせないダメな私に、仕方ない奴だなぁと言いながら、それでもいつも一緒にいてくれて、いつも一緒に笑ってくれる彼女。
そんな、そんな彼女を私は……太陽のように思っていたから。
とまあ冗談はさておき 素晴らしかったです。
この二匹にはずっと仲良しでいてほしいです、って願うまでもないことですが。
真っ直ぐっていいですよね。魔理沙もしかりチルノもしかりお空もしかり
きっと彼女達は一番輝ける少女達です
ご自身で読みづらいと感じられるのでしたら、改行や書式を工夫してみることをおすすめしますよ。
この二匹にはリザレクションがあって、本当に良かった。
とてもおもしろかったです。
例えば会話文と地の文を区切るときに改行すると、より見やすくなると思います。
また、改行の際には段落を意識してみるといいかもしれません。
お話のほうは、お空とお燐の絆に心が温まりました。確かにありがちな話かもしれませんが、
真っ直ぐは決して悪いことじゃないのです。この作品のお空を見ればそれがよくわかる。
いいお話をありがとうございました。
ご評価ありがとう御座います。素晴らしいなんて言われてしまうとお空に負けじと私の顔も赤くなってしまいます。
まっすぐは良いですよね。気持ちがストレートに響くので大好きです。私自身お空のそういった同人誌に何度心打たれた事か。
>2 >16
ご評価ともったいないお言葉、真にありがとう御座います。励みになります!
>9 >15
ご評価ご忠告ありがとう御座います。
やはり読みづらいですよね。自分でもそうなのだろうな、とは思いつつ改行の使い方がよく理解できずにおり、そのまま投稿してしまいました。勉強不足でお恥ずかしい。
会話分と地の分の区切り、段落を意識した改行、次回に活かしたいと思います。
その技術を手に入れた後に時間があればこの作品も編集しなおしたいものです。
>11
おお、元の曲を知っておられる方からそのような言葉を頂けるとは……有頂天になるというのはこういう事をいうのでしょうね。
No resurrectionは彼女達には似合いませぬよー。
もっと親友を信じるべきだったのよお空は。
ご評価とコメントありがとう御座います。
私の中のお空は良くも悪くも純粋一直線だったりします。
そのため、親友であるはずなのに自分だけがいつも助けられていて、対等ではない事に何か思うところがあったのかもしれません。