そこには、たった一色しかなかった。
閉鎖された空間の中で、その紫色はただ色の変化も見せようとしない。
世界は様々な色に溢れているというのに、そこには塗りつぶされた世界しかない。
それでも紫色は良いと思っていた。
単色で表現された世界で、ときおり薄い黒色と会話を交わし。また机に向かって本を開く。それだけで良いと、思っていた。
色を変える必要なんてない。
変わる必要性がない。
知識の探求さえできれば、それでいい。それが魔女の本質なのだから、と。
寿命を捨て。
肉体の変化を捨て。
ただ本に向かい続けることだけが全てだと、自らに言い聞かせ。
ずっと、変わらない生活を続ける。
そんなはずだったのに。
そんな日が続くはずだと思っていたのに。
世界は唐突に変わる。
紫色の世界は変わる。
閉じられていたはずの空間が、無理やりこじ開けられ。
別の色に侵食され始めた。
紫色が忘れていた、眩しいくらいの純粋な探究心を持ち。
紫色が忘れていた、醜い、妬みという闇の感情を思い出させた。
光と闇。
白と黒。
二つの要素を持つ色が、づかづかと土足で紫色の領域を侵食する。
紫色は何度もその無礼な色の進入を拒否した。
鍵を掛け、閉じこもり、魔法で結界すら張った。
なのに、その色は無遠慮に入り込む。
力づくで、真正面から突破してくる。
紫色の中に白と黒の足跡を残し。
大事な知識の欠片たちを奪っていく。
紫色が長年かけて作り上げたテリトリーを、汚していく。
そして、一言残すのだ。
死ぬまで借りる、と。
普通なら怒り、喚き散らすはずのその言葉を聞いて。
紫色は妨害を止めた。
返すなら良いと、白黒の進入を許した。
白黒は紫色と違う。
朽ち果てるのがどちらが先かなど語るまでもない。
故に、紫色は彼女を隣に置いた。
立場の違う、同じ物を求める仲間として。
高みを目指す同士として受け入れた。
そうやってわずかながらに心を許した直後。
世界が変わり始めた。
白と黒が混ざり合った紫色の世界に。活き活きとした明暗が生まれる。
いや、コントラスト、と表現するべきか。
同じことを繰り返していただけの毎日だったのに。
明日を期待するようになっていた。
そんな頃、白黒が言う。
お前、笑ったりするんだな、と。
失礼なことをあっさりと言う。
紫色は怒りながらも、驚いていた。
自分の変化に、戸惑っていた。
白黒と共にいることの安らぎ、喜び。
白黒が居ないときの、悲しみ、憤り。
忘れていた感情を毎日思い出しているようで、まるで己という死者が生き返るような錯覚すら覚える。
それも全て、白黒がここに足を込んでから始まったこと。
混ざり合ってしまった色は、もう元の単色には戻れない。
けれど紫色はそれ以上のことをしない。
一緒に読書をする以外の、特別な行為を行わない。
だってその侵食はあくまでも一方通行で。
白黒はきっと紫色には染まらないと思っていたから。
独り占めしたいと思っても、白黒はすぐその手の中から消えてしまうような気がして。
束縛するのが怖かった。
そんなとき、また新しい色が加わった。
誰が見ても一目で心奪われそうな、あまりに鮮やか過ぎる七色が。
空に掛かる虹のような、七色は。
白黒と打ち解け、紫色にも友好関係を結ぼうとする。
しかし、そう簡単に心を許さない紫色は七色を警戒し、距離を取った。
そのせいだろうか。
白黒はいつしか、七色と特別な関係になっているように見えた。
距離を置いた紫色にとっては、それがどれほど眩しく映ったか。
そして……
どれほど黒い感情を抱かせたか。
そう思ってしまったせいで、七色と紫色はどうしても知り合い以上の関係になることができず。
紫色に至っては影で敵視すらしていた。
そんな中にあっても、白黒は七色と紫色の両者と友好的な関係を結び続け。
紫色は我慢できなくなった。
孤独という、単色の世界から自分を連れ出しておいて。
心を掻き乱すだけの愛しく、憎い存在。
紫色は真意を確かめようと、白黒がやってきたときに尋ねてみようと決心する。
しかし、そう思っていたのは紫色だけではなかった。
七色もまた、孤独だったから。
一人で何でもこなし、他者との関係を結ばずにいた。
そんな七色が手に入れた、心許せる友人。
故に強い独占欲が、芽生えた。
七色にだけは――
紫色にだけは――
渡したくない。
お互いに思い。
お互いにぶつかり。
お互いに迷う。
そのとき――迷える紫色の前に。
紅い姉妹が現れた。
紅い姉は言う。
そんなに邪魔だというのなら、私の手の中に収めてしまいましょうか、と。
紅い妹は言う。
お姉様のお友達のお手伝いなら、なんでも壊してあげる、と。
普段なら、そんな悪魔の誘いなど乗らない。
強い意志をもった少女であった。
けれど、彼女は狂わされていた。
激情に踊らされ。
欲望に駆られ。
渇望する。
故に、紫色は言う。
禁じられた言葉を口にする。
本当に、七色を白黒の前から消してくれるのか、と。
笑う、紅い姉が、大声で笑う。
滑稽で。
愚かで。
愛に飢えた魔女を笑う。
蔑んだ笑みを残して、二人の紅い姉妹はその場から姿を消し。
七色を探し出した紅い姉は、その白い体に唇を付け。
尖った歯を、触れさせた。
その後。
紅い姉が再び姿を見せた、
紫色の希望どおり、七色を啜り。その手の中に収めて。
生気を感じさせない、空になった器を片手に持ち上げ。
興味を失ったように、床へと無造作に置く。
美味しかった。
そう、紫色に笑顔を向けて。
紫色はこのとき、初めて後悔した。
自分が願ったのは、なんて恐ろしいことなのかと。
ほんの気の迷いであったとしても、口にしてはいけなかった。
紫色は落胆し、目を細め。
恐怖した。
力なく、器だけになった七色を見下ろし。
歓喜の感情を生む。
自分の感情に、心から怯えた。
ああ、いつから自分はここまで狂ってしまったのだろうと。
恐れながら、笑う。
これで、白黒と一緒にいられると。
心から笑う。
だが、このとき。まだ紫色は気が付いていなかった。
紅い妹が姉と離れて何をしていたか。
それを知ることができなかったことが、すべての誤算。
ただいま、と。
行方不明だった、紅い妹が。
何かを抱えて、やってくる。
これを、私のおもちゃにしたいから。お姉様、噛んで。
小首を傾げた可愛らしい仕草で、姉にねだる。
その腕の中に抱かれていたのは。
間違いなく、白黒。
紫色が、狂うほど愛するモノ。
それが気を失い、力なく抱えられていた。
紫色は、懇願した。
やめて、と。
それだけはやめて欲しい、と。
私ならいくらでも犠牲になるから白黒は助けて欲しい、と。
紅い姉の足に、すがり付いて願う。
だから、紅い姉は。
その愚かな魔女に微笑を向けながら……
その華奢な身体を持ち上げ、牙を立てる。
紫色は何の抵抗もできず。
ただ、小さな音を残して、彼女の一部と成り果てた。
これも、なかなか。
甘くて美味しいじゃないか。
紅い姉は、魂が失われた器を二つ床に並べ。
ぱちんっと。
指を鳴らして白黒を起こす。
すると、白黒は。
器だけになった彼女たちの体に触れて泣き崩れる。
どうしてこんなことになったのかと。
仁王立ちする、紅い姉妹へと尋ねた。
けれど、紅い姉は、冷たい声音でこう答えるだけ。
だってすべては紫色が望んだことだと。
紫色の、黒い感情がこの結果を呼び込んだだけ。
たったそれだけだと。
白黒は、知り。
天を見上げた。
天井しか見えない、その閉鎖された空間で。
何かを決意するように、瞳を閉じる。
瞳に何も映さないまま、彼女は言う。
じゃあ、私も食えよ。
こうなったのは、私にも責任がある。
二人だけで逝かせられないと。
紅い妹は、その発言に満面の笑みを浮かべ。
紅い姉は、その笑みを見て何故か心を痛める。
けれど、愛する妹のためなら仕方ないかと。
瞳を閉じ、無防備に肌を晒す白黒に、その手を差し伸べた。
そして、また世界は一色になった。
紫色ではない。
紅い、紅い。
姉妹だけの世界。
白い背景の上に、二つの紅のみだけが存在感をはなっていた
そんな中、紅い妹は楽しそうに笑う。
心を失なった白黒。
悪魔の使徒に成り下がった存在に、じっと瞳を向け。
紅い妹は再び微笑みかけた。
素敵なお人形をありがとう、お姉様。
人間の抜け殻を抱き。感謝の言葉を口にする。
そんな嬉しそうな妹を見て、姉は。
苛立ちを覚えた。
何故そんな、汚らわしい人間を抱いて微笑むのか、と。
夜の王たる一族が、そうやって威厳のない姿を晒すことに。
心の中で軽蔑する。
姉は、思う。
妹はこんな、人間に笑顔を見せるような者ではなかった。
愛する妹は、姉にだけあの笑みを向ければいい。
甘えた声で、話し掛ければいい。
そんなことは決まりきっているのに。
それでも妹は、人形で遊ぶのを止めない。
意思のない器を楽しそうに抱く。
頬擦りをして、甘えた声を上げる。
そんな妹の姿を間近で見せられた姉は。
おね……え、……さ……ま?
噛んでいた。
その柔らかい、薄紅色の果実に。
牙を突き立てていた。
黙れ、と。
そう言いたかっただけなのかもしれない。
人間なんて捨てて、私を見ろ、と。
そう思っていただけなのかもしれない。
けれど、世界は動く。
吸血鬼が、吸血鬼に血を吸われるということは。
その存在を喰われることに等しい。
その事実に例外はなく。
……あぁ……ぁぁ……
姉の手の中から、妹は消えて無くなった。
跡形も残らず。
ただ、姉の口内に甘美な心地を残し。
その心に、『悔い』だけを残し。
目の前から、居なくなる。
そうやって、『紅い姉』は。
単なる『紅』となり。
そっと、自らの腕に、牙を突き刺した。
◇ ◇ ◇
<ティータイムのお品書き>
1.ブルーベリーとストロベリーのタルト、カスタードクリーム添え(小)
2.季節のカラフルパフェ(小)
3.甘さ控えめ、しっとりティラミス(小)
4.メイド長お勧め、ブラッディカステラ(小)
5.お嬢様ご用達、ブラッディプリン(小)
「ふふ、ふふふふふ……」
レミリアは笑う。
テーブルの上に置かれた、五つの皿を前に。
満足そうに笑い、頬に残ったブラッディプリンの欠片を指で拭い。
名残惜しそうに舐めた。
外見は、幼い少女だというのに。
その目つき、その仕草の実に妖艶なことか。
麗しき少女が指を口から離すと、一本の曲線が指先と口の間に残り。
扇情的な雰囲気を醸し出す。
そして、指先をナプキンで拭き取ると、テーブルの上に置いてあったベルを掴む。これを鳴らせば咲夜が皿を下げに来てくれるはず――
「あの、お嬢様……」
だが、ベルを鳴らすより早く。
いつのまにか咲夜が後ろに控えていた。
たったそれだけのことなのに。
「さ、咲夜っ!?」
声が裏返り、羽がぴんっと伸びる。
そして何故かあたふたと、手を動かし。テーブルの上の皿を綺麗に整えた。
「い、いつから……見ていたのかしら?」
「……正直に、答えて構いませんか?」
「べ、別に構わない。私には何のやましいこともないのだから!」
音程の修正が不可能になった声質からして、やましいことだらけに聞こえるのは気のせいだろうか。
そんな意地っ張りな主を見て、咲夜は申し訳なさそうに一礼してから。
「あの、ストロベリーとブルーベリーのタルトが、パチュリー様になったときくらいから……」
「はぁぅっ!」
白木の杭が心臓に刺さったような、そんな致命傷を受け。
レミリアはテーブルの上に上体を預け、ガクガクと震え始める。
「あの……お嬢様。いくらパチュリー様と一緒にティータイムを楽しめないからといって。寂しさを紛らわすために……私が部屋から出て行ったと確認をしてから、まさかそのようなことをしていたなんて……戻ってきて正解でしたわ……」
「咲夜……あの、わかったからもう許し――」
「いいえ、はっきりと言わせていただきます。お嬢様ともあろう方が、そのお年で! おやつを使って『おままごと』のようなことをなさるなんて……」
「やめてぇぇぇぇぇ、もう言わないでぇぇぇぇっ!」
丁寧な口調で追い討ちをかけ。
急所を抉って止めを刺そうとする。
そんな咲夜の恐ろしさを再確認したレミリアなのだった。
そこ、自業自得とか言わない。
<ネタバレ的配役>
ブルーベリーとストロベリーのタルト、カスタードクリーム添え(小)
→ 青 + 赤 → パチュリー
季節のカラフルパフェ(小)
→ いろんないろ → 七色の人形使い → アリス
甘さ控えめ、しっとりティラミス(小)
→ 白い部分と黒い部分 → 魔理沙
メイド長お勧め、ブラッディカステラ(小)
→ うす紅色 + 血 → フランドール
お嬢様ご用達、ブラッディプリン(小)
→ うす紅色 + 血 → レミリア
面白かったです
でもホッとしてる自分がいるのだよ…!;
関係ないですが、子供の想像力に驚かされることってありますよね。うん
関係ないですが。
しかし、レミリアはこういう役まわりが似合うなあ
マリアリパチュの三角関係の行く末に感じていたドキドキがラストに一気に吹き飛びましたw
色の修飾だけで、話を続けるのは、正直うまいと思った
おぜうさま可愛いよおぜうさま
でも、他のキャラの色に合わせたお菓子を考えるのも楽しそう。。。
とてもおもしろかったです。
うわーすげー
こんな書き方もあるんですねぇ
そしてとっても楽しめるどんでんがえしでした!