満月の夜、萃香と紫は酒を酌み交わすような習慣をもっていた。
萃香は単に酔う楽しさのために、
紫は思い出をなぞるために
だが、今回は新月の夜、
照らすものがいない日に酒を飲む事になった。
新月の夜、
月のない夜の闇は深かった。
その闇の中をボウっとした頼りない光が一つ浮かんでいるのが見える。
そこに二人はいた。
二人は縁側で両手を着いており、闇の向こう側 ―決して辿りつかない果てを― を見るようにして人一人分の空間を空けて並んで腰かけている。
風は思いつたように吹いては闇から二人の頬を叩いていた。
そして頼りない光の正体は二人の手の間 ― レースに包まれた手と少し握りしめた小さい手 ― にある短い一本の蝋燭であった。
その蝋燭の火が放つ光は闇に飲まれないように忙しく闇を追い払っている。
迫り続ける闇には勝てないと知りながら無力と知りながら
その様はただどこか弱々しく、どこか必死であった。
またその火が揺らめく度に、その火が映し出す二人の影は揺らめいた。
二人の中身を映すようだ。
二人は何も言わずお互いに持ち寄った酒を縁側に並べ始めた。
萃香はいつもの瓢箪にはいっている酒を
紫はウィスキー数本を
二人はいつもその夜の自分に適したと思われる酒を自分で用意して飲む。
だから相手が持って来た酒には手をつけない。
こうして並べるのは自分の夜にあっているのかを確認するために。
酒を選んでいるときは当然のように悩む。
悩んでいるときの自分の飲みたい酒はもちろん分かる。それは今、飲みたいからである。
でも夜に面すると心というのは少しぶれる。
そしてぶれた心は二度と同じ位置には戻らない。
だから想像するのだ。
夜に面した自分の心境を。そこから自分に合った酒を探す。
そして実際に夜に面して酒を並べるときになって、自分が欲しいと思う酒をありありと自覚するのだ。
もし並べている中にそれがあれば決まってその夜は素晴らしいものになる。
だが、たいてい無い。
そいういものだ。
そうしてどこかズレている自分の酒を口にするのだ。
それも悪くはない。
だが今夜は違った。
「ねぇ、酒を交換してみない?」
「唐突にどうしたのかしら?」
「いや、だから酒を交換してみようって話だよ、それ以上でもそれ以下でもないよ」
「あなたのお酒と? 強すぎて私には合わないわよ。それに常に持ち歩いているお酒となんて不公平じゃないかしら?」
「水で割ればいいよ、それに 私の ということで付加価値はあるはずだよ」
紫は肩をすくめた。
そして蝋燭の火に目を向け、その火をつかむように、また逃がさないように、そっと右の手の平を被せた。
紫の綺麗な細い指 ― その指はレースの上からでも綺麗なこと思わせるほど気品が溢れて整っている。 ― その影が辺りを裂くように伸びた。
伸びた先は闇だった。
手の平の内にある蝋燭の火を眺めながら紫は答えた。
「……そう、でもあなた『酒を水で割るなんて邪道だ』って言ってなかったかしら?」
「今夜は特別、月も誰も見ていない、それに私が割るわけではないし」
「でも私が見ている」
「知っての通り私の器はでかいんだよ、紫 一人くらいは見逃してあげるよ」
「あら 鬼のあなたに気を遣わせたかしら」
「いや、もう一度言うけど、単に私の器がでかいだけの話だよそこは」
「全くどっちが頼んだ側なのかしら」くすりと笑ってから紫は火を放してやり
「まぁ、別にいいけどね」
そう言葉を続けた。
二人は酒を交換した。
瓢箪に入っている酒がちゃぷんと鳴る音
ウィスキーの瓶がカチャカチャの鳴る音
その音は割と高く響いて二人の耳に届いたようだ。
闇から風が吹いた。
それは短い蝋燭の頼りない火を大きく煽らせ、酒を交換している二人の影を揺らめかせた。
身長の小さい萃香の影は弾むように揺らめき、
身長の大きい紫の影は大きく不安定に形を変えながら揺らめいた。
萃香は紫がゆったりとした動きで盃に酒を注いで水で割ったのを眺めていたが“やっぱり何か”を言いたげであった。
それに気付いている紫は言いたいことがあればどうぞといった感じの視線を投げたが、
決まりの悪い萃香はウィスキーを片手に見せて、さっさと飲もうよと急かした。
紫は盃を持ち上げた。
互いに一口、酒を口に含んでから顔を見合わせた。
萃香は何かを誇るように
紫は何かを処理するように
そんな表情を持ち合わせていた。
「うん」
「どうかしら?」
「悪くはないよ、紫のイメージとは違うけどね。
“こうなんだよ”っていうこの割りきった感じはいいね」
「そう」
「あれ? 私の酒の批評はどこにいったの?」
「割っても強い、けど意外に素直ね。こちらもまた悪くないわ」
「それは良かった。でももっと褒めていいんだよ。
なんせあたしの酒なんだから」
「褒めすぎは毒よ」
「それはそうだね」
そうしてまた闇から先程より少し強い風が吹いた。
二人は前髪を押さえて闇を見た。
そこには何もない。
蝋燭の頼りない火はまた大きく煽られた。
相変わらず身長の小さい萃香の影は弾むように揺らめき、
相変わらず身長の大きい紫の影は大きく不安定に形を変えながら揺らめいた。
闇に何も見いだせなかった二人は頼りない蝋燭の火に焦点を合わせた。
その頼りない短い蝋燭は依然、弱々しく必死に闇を払っていた。
ただその蝋の短さには“避けられない結末”
弱々しく必死な様は“一生を終えるにはあまりに脆い様”
それらを二人に思わせ、感傷的にさせた。
だが二人は黙って飲み続けた。
萃香は紫の様子を見ながら
その紫はまた蝋燭の火を右の手の平で覆い、僅かばかりの暖かさを得ながら、
ほくそ笑んでいた。
闇を目の前にしているためか時間の経過が曖昧だ。
きっと二人は時間をかけて酒を飲んだと思われる。黙って。
萃香はまだウィスキーの瓶を片手に持ちながら口の中でウィスキーを転がしている。
一方、紫は先に飲み終わると火をまた放した。
だが頼りない光の空間には間が生まれていた。
無言で飲み続けていくうちにこびり付いたのだろう。
会話を開始させるには気分の入れ替えが必要な間であり
短い蝋の明かりですら頼もしく思えるほどの間であった。
二人はそのやりきれない間を崩すために少し大げさに息を吐いてからお互いを見た。
目で確認をとっている。
萃香は唇を少しきゅっと閉めてからゆっくり開いた。
紫は耳に意識を置いた。
「ねぇ……紫は疲れているよね?」
「急に どうしたのかしら?」
「ハッキリ言うよ」
「“アイツ”はもうどこにもいない」
「……そうね」
「紫はさぁ、こういうのが初めてなんだよ」
「人間の死に直面するのが?」
「身近なね」
「大妖怪たる私が一介の人間の死に気を病むのかしら?」
その言葉には脆いハリがあった。
萃香は目を閉じて
「でも妖怪が人間のために涙を流すことは悪いことではないよ」
紫は訴えるように
「あなたは理解している。精神的なものに依存する妖怪という
存在が流す涙に含まれる意味を」
「知っているさ、でもね紫 涙を流して進むこともあるんだ」
「それは経験論なのかしら?」
「一度だけの経験論」
「あなたはその一度の経験、そこからどうしたの?」
萃香は腕をさすった。
そこには深く染み込んだような大きな古傷が何本も走っており、
肌色の表面に混ざっている傷の濁った白さは見る者にその深さを訴えた。
蝋燭は優しく傷を照らし、また別の部分も照らしているようだ。
「誇りに代えるんだよ、そいつの死を、そいつと何度も戦ってついた傷と共に」
「今回も?」
「そう、これが私にあった生き方だから」
そう言って“アイツ”がつけたであろう傷を撫でた。懐かしむ様にそして誇る様に。
「だけどさ」
また風である。
闇からの風は蝋燭の火を揺らし、二人の影を揺らした。
萃香の影にはあの弾む感じは失せて、細く歪んでいる。
紫の影には形を整えようという意志のようなものがあった。
だが依然と大きく不安定に揺らめく。
「どれだけ多くの時を共有して
語り合い、笑い、戦い、そして唯一私を泣かした奴でも
肉体がないと……
肉体がないとね。あんなに明確だった奴の顔の輪郭がぼやけてくるんだ。
時が経つと、しっかりと思い出せないんだよ。
泣いている時、私の記憶に染み込むように思い出させてくれたのに。
初めて、そして最後であろう私を泣かした奴だというのにだよ……」
言葉はそこで切られた。
頼りない光の中、蝋燭の燃える音がよく目立つ。
だがすぐに言葉は続いた。
「紫にもしっかりと顔を思い出せるうちに“アイツ”のための涙を流して欲しいんだ。
私は不安なんだ。
遠い未来、紫がふと“アイツ”を思い出して、
突然のことで涙が止まらず
“アイツ”のための涙を流しているのに顔を思い出せない。
苦しすぎるじゃないか。
だから。
だから泣いてほしいんだ。
泣かない生き方は泣いたあとで見つければいい。
それは泣かないと身に着かないものなんだから」
そのとき不自然な強い風が吹いた。
萃香は風の方を向き
紫は風から顔を逸らした。
風は蝋燭の火を躊躇なく消した。
それはどこか印象的であり、二人を包んでいた頼りない光はなくなり、代わりに闇が包んだ。
闇は視覚の全てを奪った。
何も見えない。
だが音と声は伝わってくる。
それは歩く音
それは抱きしめる音
そして
「ありがとう」
東から日が昇った。
太陽は一直線に伸びるその圧倒的な強い光で闇を一掃して世界を包んでいる。
縁側にいる二人は色と影が広がるのを眺めつつ、自信の影に視線を送った。
そこにある影は大きく揺らぐことはなく、どこか芯があるように感じられる。
それを確認して二人はそれぞれ帰路についた。
あとに残ったのは火の点いていない小さい蝋燭一本だけであった。
……霊夢の事だよね!?
フッ、甘いな!
幻想郷で一番指がキレイなのは、リリカだ~~!。
なんか説得力ありますね!
まあ従者つきの6ボスらへんはみんな綺麗なイメージが。
萃香と紫の酌み交わす酒、とても雰囲気があってよかったです。
達観した萃香の友人を思いやる姿には、これまた哀愁を感じますねぇ。