Coolier - 新生・東方創想話

天女様が見た冬の空

2010/03/29 02:31:14
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『おや貴方は……龍宮の使いの……えーっとなんだっけ?』
『お初に御目にかかります。永江の衣玖と、申します』
『永江衣玖……衣玖?』
『お名前を伺っても、宜しゅうございましょうか?』
『ああ……ちょっと前までは地子、でもこっち来てからは天子よ。天の子と書いて、比那名居天子』
『天子様……天の子……なるほど』
『あれ、おかしい?』
『いえ? 天に愛された娘に相応しい、良き名でいらっしゃいますね……』







視界を囲う広い草むら。
その中を唯一つ、忘れられたように伸びる一本道が続いている。
空を見上げれば灰色の雲。
天上は雪が舞っていたが、こちらではまだ降っていないか。

「……ん」

重苦しい空に凍て付いた空気。
踏み締めたる大地は乾き、命の痕跡は半枯れした草にしか読み取れない。
人の手が全く入っていない、自然の中の冬景色。
一つ身を震わせて、私は独り道を行く。
景色に目には見えた変化がない。
吐く息は白く濁り、肌を刺す空気は痛みすら覚える。
華やかさの欠片すら存在しない。
美しくも優しくもない世界。
そんな閉塞感が、しかし私にはとても心地よい。
それは私が生きてきた、雲の世界に似ているから。
時の流れから隔離されたような無変化領域。
その中で緩慢に生きてゆく事こそ、私の望みでありました。
惰性と怠情こそ、永江衣玖の本分だから。
そんな私でも、時にはお勤めをしなければならない。
龍宮の使いは天にあり、龍神の声を聞く存在。
そして重要と思われる事象のみ、外界に伝えて回るのだ。
主に、大規模な天災である。
此処最近の出動は我侭娘が起こした人災事件のおりのみ。
それ以来龍神様は、しきりに私達使いに訴えるのだ。
あまりにうるさいその声に、私も遂に重い腰を上げてきた。
休日出勤というのも、私の主義に反するのだが……これだけは他人任せに出来なかった。

「はぁ……」

疲れた。
歩き続けた私の視界に、一つの山が見えてくる。
此処へは以前も来た事があるが、あの時は空から飛んできた。
地を歩くのとはまた違った景色に、私の足が自然と止まる。
顎に手をやり黙考し、思い立った私はその身を風の泳がせる。
枯葉のように舞い上がった私は、周囲の地形を確認して目的の位置を推し量る。
半年前に崩壊した古の神社。
総領娘様が、我侭で破壊した神の家。
大空から全体を見渡せば、地形的な変化は殆どない。
ただ、夏の暑さが身を切る冬の寒さに変わり、生き物の気配が減っただけ。
さて、どうするか?
歩いていたのは唯の気まぐれ。
特に高尚な哲学があったわけでもない。
こうして飛んでしまった以上、降りなおすのも面倒か。
羽衣を広げて風を受け、私の身体が流される。
非常に都合の良い事に、風は神社に向いていた。

「ご一緒させていただけますか?」

風の流れに語りかけ、空を泳ぐ魚のように私の身体が流れてゆく。
中空で仰向けになってみれば、視界いっぱいに広がる雲。
先程よりも近くにいる筈なのに、見えるものは変わらない。
下を見れば、先程歩いた小道が見える。
ほんの少し浮かんだだけで、見える景色が全く違う。
見上げたときは全く変わらなかった視界が、見下ろす事で全く違うものが見えるのだ。
天人はこうやって地上を見下ろしていたのだろうか?
自分達を特別に扱う、無意識に鼻持ちならない天上人。
地上では彼らを俗世から解脱した超越者との呼び声があるそうだが……
私は思う。
どちらを見ているかの違いであり、両者の間には変わりはない。
唯、私の主観的な意見としては見下ろして笑う天人より、見上げて笑う人間の方が好きだというだけである。
結局のところ、見る人によって評価、価値が変動する不完全な存在。
どうせなら、叶うなら……
わたくしも役を勤め上げたら、地上の喧騒の中で彼らの声を聞いていたい。
旅行かばん一つを道連れに世界を旅して回るのも、老後の生き方の一つで――

「あれ……衣玖じゃねぇ? 永江の」
「はい?」

突如背後から掛けられた声。
振り向く前に私の頭は、該当者の顔を導き出した。
金毛九尾の大妖怪。
美しい金髪を短く纏め、以前出会った時に来ていた導師服は、割烹着に変わっていた。
その背後からは極上のビロードすら安物に変えてしまう至高の毛皮。
本体よりも質感の在る九尾が、風の形を象っていた。

「これは……天狐様におきましては、ご機嫌麗しゅうございます」
「ああ。元気そうで何よりだ。衣玖さん」

常に皮肉な雰囲気を纏った九尾。
慇懃な私の礼に、砕けた口調で返してくる。
硬く返したのは私の探り。
彼女の口調はその答え。
以前お会いしたときと、敢えて変える必要は無いらしい。

「このような時間にお使いですか? 貴女様、御自身で」

妖怪……八雲藍様は半年前、総領娘様の我侭に振り回された一人である。
緋色の雲と総領娘様との関連までは突き止めたようだが、途中で出会った私との遊びに興が乗りすぎた。
結果として先行した巫女に、黒幕を攫われた形になった藍様。
私の見立てでは、彼女が先に上っても我侭娘は痛い目を見たと思っている。
それほどの使い手が、今は割烹着に両手に手提げ袋を引っさげて、中にはお肉と野菜に少々のお米そして……蟹。
更には調味料やら一式を持って後ろから声をかけてきたのは、かなりシュールな現実だった。
藍様は肩をすくめると、
苦笑して私に返してくれる。

「買出しは、急遽必要になったんだ。自分でやっているのは、まぁ趣味さ」
「あまり家庭的なお仕事をなさるようには見えませんでしたが?」
「意外性は魅力になるの。認識を改めてもらいましょうか」

彼女は笑みを深くして、私の横に並びかけた。

「龍宮の使いが、いらっしゃるか。また、地震でも来るのかね?」
「今回は私用ですよ」

幻想郷に地震はなく、私達は開店休業の有様だった。
この世界は現在、要石によって地震を押さえ込まれている。
これは今でこそ絶対の守りとなりえるが、一度抜かれたが最後、壊滅的な地震が確実にやってくる鍵でもある。
何時か、この世界は滅ぶ。
それは今の平和と引き換えに、既になされた取り決めである。
……龍神様もわたくし共も、それが非常に気に入らない。

「久しぶりに、巫女様の顔でも見たくなりましたので」
「神社かい?」
「はい」
「へぇ。珍しいこともあるものだね」

藍様の呟きに苦笑する私。
私はあまり地上に来ない。
以前お会いしたのは、巫女様が総領娘様を打倒し、私達の遊戯が中断された時で……
その後私達四人は神社に集まり、誰も来なかったため四人だけで朝まで飲み明かしたのだ。
あれは、楽しかった。
良質の記憶である。

「衣玖さん、今暇かい?」
「はい。とりあえず」
「そうか、それじゃちょっと手を貸してくれないかね?」
「悪事に加担はいたしませんよ」
「ばっかお前、れっきとした人助けだと……」

悪事だろうと人助けだろうと、面倒な事である点では全く変わりがないのである。

「天狐様も、神社ですか?」
「藍で良いよ。 因みに神社だね」
「よろしいのですか……? 主様を放り出して」
「紫様は冬眠中。今は浮気し放題さ」
「しがらみを多く持ちますと、後が面倒になりますよ?」
「其処はまぁ、ちゃんと相手を見て選ぶのさ。面倒にならないお相手を」
「ご主人様、怒るんじゃないですか?」
「知ってるかい衣玖? 事件っていうのは発覚した時点で事件になる」
「……ばれなければ、問題ない?」
「その通り、まぁ、式神にプライベート等あってないようなもんだがね」

不穏な台詞を穏当な声音で呟く藍様。
まぁ、良いのですけれど。
彼女に取っては一夜妻でも、彼女に本気になる者は多そうである。
そうなったら、面倒じゃないのかな……?
いずれにしても彼女達は、痴話喧嘩で世界を滅ぼせる化け物共。
私も内心で自重を望む事、切なるモノがありました。

「はい」
「悪いね」

私は片手を差し出すと、彼女の袋を一つ受け取る。
軽い方を渡してくれる気遣いが心地良い。

「それじゃ行くよ」
「お供しますか」

藍様は一つ笑みを浮かべ、神社へ向けて飛び立った。
一つ間をおいて続く私。
先程より速い飛翔は、彼女に感化されたためではない。
高速で飛ぶ彼女の後ろは、空気抵抗が少なく楽に飛べる。
本当に、ただそれだけだった。







以前総領娘様を、あの天人をも叩きのめした人間がいた。
彼女の名は博麗霊夢。
人でありながら、或いは人であるからこそ、人以外には無敵な存在。
かつてお会いした彼女は、やや痩せ気味ではあるが少女特有の強い生気に満ちていた。
そして半年後、再び彼女の元を訪れた私が見たものは……

「あら、衣玖じゃない? 永江の」
「はい、永江の衣玖でございます」

白かった頬を朱に染め、病身を布団に横たえた霊夢様の姿。
おでこに乗せた氷枕は、既にぬるま湯になっている。
なるほど……藍様の目的は彼女の保護か。
一人暮らしが体調を崩せば、それは悲惨なことになる。

「疫病という奴ですか?」
「そんなたいそうなもんじゃないわ。流行病って事じゃ同じだけど」
「ふむ。それはそうと、この神社は来客にお茶も……」
「鬼か」
「ふふ」

左の手を軽く握り、口元を隠して笑む私。
もちろん言ってみただけですが?
そもそも招かれたわけでもない。
それにしても彼女は風邪か……此れは予想していなかった。
私は彼女の布団の脇へ寄り、足を折って正座する。
霊夢様の首元へ右手を沿え、発汗と体熱、それから脈を勘定する。
抵抗も拒否も全く見せず、目を閉じて首を預ける霊夢様。
って、ちょっと……私妖怪……

「……もう少し警戒した方がよろしいのでは?」
「あんた相手にしても無駄でしょ? 妖精くらいなら足掻いてみようとしたかもね」
「あらあら……随分買って下さったようで……」
「いやもう、何もかも面倒くさいってだけ」
「それは残念」

熱感が多少、発汗が少ないのは脱水を起こしかけているからか?
脈はそれなりに速いが、病身を考えれば正常だろう。
肺に手を置いてみても、今のところおかしな振動は感じない。
本当にただの風邪らしい。
なんとなく、つまらない。

「あ、今不満そうな顔した」
「……お水と、何か胃に入れておきなさい。出来ればお薬も」
「……動きたくない。面倒だから」

このガキ。
ご自由にと残して帰りたい衝動を、このとき私は自制した。
せっかく霊夢様を尋ねてきたのに、彼女が此れでは……
いや違う、これは好機というものだろう。

「ねぇ衣玖」
「はい?」
「……何か悪い事考えてる?」
「……」

藍様は厨に篭り、霊夢様の夕食など用意している。
しばらくは、私達二人で話せるだろう。
私は自身の目的を、彼女に今、話してよいものか迷う。
決して悪事など企むつもりは無い。
しかし霊夢様はおそらく、私を許さない。

「お許しください、霊夢様」
「あん?」

……話すか。
引き伸ばしても、彼女の了承が得られないことは知れている。
最終的に争いは避けられないだろう。
ならば今、彼女が私に抵抗できない今こそ、遇機にして好機である。
卑怯な行為であることは、重々承知の上ですが……
しばしの逡巡の後、ついに私は切り出した。

「今一度、衣玖はこの神の家を破壊しに参りました」
「おい……」

もともと私は正座であるが、霊夢様へ深く頭をたれた。
土下座である。
神の家としての神社を壊すことには、あまり痛痒を感じない。
しかし、年端も行かない少女の拠り所を破壊すると言う行為は、私の倫理に照らしても……悪である。
自覚はある。
それでも、不退転の決意を持って頭を下げる。
申し訳ございません霊夢様。
真に、申し訳ございません。
しかも私は、霊夢様に最終的に拒否権が無いことを知っています。
だって双方折れず、諍いにまでなった場合……
今、身体を壊した霊夢様に私を止める術が無い。
そのことを全て承知した上で、私は上の台詞を吐きました。
罪悪感で自己嫌悪すら覚える。
ごめんなさい。
ごめんなさい霊夢様。

「……で?」
「……」
「なんで、私は家を壊されないといけないの?」

当然の問いだろう。
頭ごなしに怒鳴りつけられることも、殴られることも覚悟があった。
しかし今の彼女にそれが難しいこともやはり理解していた。
吐き気がする。
覚悟が不徹底な自分が、このとき本当に憎らしかった。
私は顔を上げることが出来ぬまま、霊夢様に答えていた。

「今、この幻想郷は天人の手により、要石を指された状態でございます」
「それは知ってる」
「では、その石がこの神社の中心に打ち込まれていることは、ご存知で?」
「それも、聞いたわね」

そうですか……
誰から聞いたか存じませんが、其処まで知っているなら話は早い。

「それが埋まっている限り、この世界は金輪際地震が起こることはありません」
「……それは便利なことじゃないの?」
「地震とは、そもそも大地の歪みを自然に矯正するために起こるのです」
「うん?」
「それが起きないということは、地面の歪は際限なく増殖してゆくことでしょう」
「……ふむ」

私は垂れていた頭を上げ、声に相応しく思案している霊夢様の横顔を見る。
年相応の幼さは影を潜め、鋭さが童顔から透けて見える。
年端も行かぬうちから、こんな神社で一人きり。
思春期の少女の生きる環境としては、今一つ以上に不足があろう。
そんな少女から、私は住処を奪うのか……

「地震は、起きません。例え何処が捩れて、何処が引き裂かれようとも、決して大地は揺れません。揺れる事が出来ません」
「極限まで放置した場合、どうなるか教えてくれる?」
「地面はデコボコになるでしょう。ある時突然人里の中の一角が隆起し、別の一角が陥没したり」
「……おい」
「最終的には地面の表層と最下層が、其処彼処で入れ替わるようになるでしょうね」
「それでも、地面は揺れないのね?」
「其処まで歪めば、軋むくらいはあるやも知れませんが……」
「あんまり穏当には済みそうも無いわね」

その通りです。
まぁ、今日明日にそうなるというわけでもない。
数万年、数十万年という時間の果てに起こる破滅である。
遠い先という事無かれ。
この世界が閲して来た時間は数十億。
その生命が、ほんの数万年後に破滅することが決まったのである。
少なくとも、私には一笑に付すことは出来ない時間である。

「問題の要石、引き抜くと大地震が起きるのよね?」
「その通りです。そのまま抜けば、幻想郷は揺れによって滅ぶかと予想されます」
「……っち、あんの馬鹿天人洒落にならないことしてくれて」

総領娘様の事を言われ、私の心に漣が走る。
あの子が世界を滅ぼしたら、あの子がいっぱい殺してしまう。
あの子がたくさん恨まれる、憎まれる。
だから、私は……どうして私は……

――あの時殺しておかなかったのだろう?

「……で? なんであんたが神社を潰すことになんのよ?」
「え?」

あ、すいません。
今聞いていませんでした。

「いや、だから。何であんたは私の神社を潰さないといけないのよ?」
「……この敷地に埋まった要石は、わたくしが引き抜きます」
「……」
「そしてその代償に、わたくしが地中へ埋まります。そこで、私が地震を緩和して見せましょう」
「……ふーん」

感情を写さぬ、霊夢様の暗い瞳。
虚無の漆黒が、私の緋眼を貫いた。
全身に嫌な汗が滲んでいる。
病身を床へ横たえた細身の小娘が、このとき私には非常に恐ろしいものに感じたのだ。
しばし交錯する私達の視線。
やがて霊夢様は私から視線をはずし、つらそうに上体を起こした。

「ご無理をなさらず……」
「あんたに地震を完全に抑えることは、出来ないのね?」
「……恐れ多くも天人様のなしたる奇跡。わたくし如きに凌ぎきれるものではありません」
「結局あんたには無理って事じゃない」
「被害は中心たるこの神社と、周囲の山間まで……其処で他に累が及ぶ事を、絶対に食い止めてご覧に入れます」
「何を根拠にそう言ってるの?」
「根拠は……ございません」

霊夢様のご指摘に、私は自然と目線が下がる。
私の中では、おそらく成功する目算と自信がある。
しかしそれを、他人に納得させる材料が私には無い。
霊夢様にとっては、唯々諾々と納得して了承することは出来ないだろう。
そこも、わかってはいるのだが……

「あんたのことだからさ、きっと限界まで頑張って……それでも、被害は出てしまうのね」
「……無能非才の身でございます。どうぞ、衣玖をお攻めください」
「やーい、馬鹿。役立たず」

額に手を当て、眩暈を耐えるように目元を隠した霊夢様。
私を罵倒するその口元は、しかし微笑が浮いていた。

「で? 土中に埋まって頑張るあんたは、いったいどうなってしまうのよ?」
「目算ですが……外界で古代竜が全滅した規模の地震になりましょう。存命できる可能性は、極めて低いものと見積もっております」
「死にたいの?」
「断じて違うと主張します」

本日の夕飯のリクエストを聞く……
それくらいの気軽さで、死にたいのかと問うた霊夢様。
ギャップに堪えきれず噴出す私は、笑いの衝動を宥めるのに苦労した。
ツボに入った、って言うやつかしら。
決して死にたいわけじゃない。
でも私の手で落とし前を着けたい事ではある。
私には、この破滅を回避できる選択肢が確かにあった。
それを行使することは出来なかったが……
だからこそ、その責任を果たしたい。
これは、子供のつまらない意地である。

「話は解った……お腹空いたわ」
「何か、用意してまいりましょう。厨をお借りしますね」

言って、私は立ち上がる。
藍様がくる気配は、まだ無い。
相当に話し込んでしまったはずなのだが……
知覚領域を広げてみても、この神社一体で動く殆ど動くものを感じない。
あの天狐様は、一体何をしているのか?
実は家事が出来ませんというオチなら、指を刺して笑ってやろう。

「明朝に、刺抜きを行うつもりです。どうか……」

振り返らず、足も止めず、私は寝室から逃げ出した。
一番対応に苦心すると思っていた相手は、既に自滅していた。
好機のはずなのに、私の心は重く沈んだまま。
意志薄弱な自分に嫌気が挿す。
一つ首を振り、今やるべきことを思い出した。
とりあえず白湯でも用意して、藍様を手伝って夕食の準備。
私はそれなりに長い廊下を歩き……

「およ?」

慣れぬ間取りに迷子になった。


*   *   *


「霊夢はどうした?」
「休まれましたよ」

夜の帳が落ちてすぐ、早々に就寝した博麗の巫女。

「早いねぇ」
「御疲れのご様子でしたから」

苦笑して肩を竦めた九尾の天狐。
対する私も肩を竦め、同じ苦笑で返してみる。
居間に残ったのは妖し二人。
藍様は一つ息をつき、手酌で酒を……いや違う。
彼女の手にある瓢箪には、安物の茶が満たされていた。
傍により、彼女の隣に座る私。

「藍様は、何ゆえ都合よく神社にいらしていたので?」
「あー……ごく普通に、冬って暇なんだよ」

帽子を取り、狐の耳を撫で付けながら藍は苦笑して続けてくれた。

「紫様は寝てるし、橙……私の式も一人暮らしだし」
「人恋しかったんですか?」
「誰かの声が聞きたくなったのかもしれないね……で、まぁ来てみると……」
「あぁ、なんとなく解りました」

苦笑した藍様は一息にお茶を煽る。
そのまま手酌で徳利を満たそうとしたとき、私の右手が割り込んだ。
茶の満たされた器を取り上げ、藍様の徳利に注いでやる。

「此れはどうも」

彼女は一度酒器を傾け、中の液体を飲み干した。

「何故お茶?」
「酒気で濁したく無いんだよ」

何がと問う暇は無かった。
藍様の左手にはいつの間にか一つの徳利が握られ、私に向けて押し出される。
反射的に受け取る私。
首を傾げる間もなく、酒器には安茶が満たされた。
とりあえず受けた杯である。
形だけ口をつけた時、隣から聞こえた笑い声。

「っふ……ククッ」

突如滑り込んできた忍び笑いに、私は視線を投げてみる。
案の定八雲の式が、口元を押さえて吹き出していた

「なんでしょう?」
「いや、可愛かったなと思ってさ」

藍様の言葉の意味が解らず、首を傾げて見せた。
無言の質問と、間を持たす為に酒器の茶を一口啜る。

「ほら、厨探して迷ってるお前さん」
「む」
「傍から見たら、厠が間に合わなくなりそうで、泣きそうな小娘みたいだったもの」
「っぶ!」

思わず吹きそうになったが、全ては口の中だけで押さえ込む。
反射的に嚥下機能が誤作動し、吹きかけたお茶が逆流する。
そのうち幾らかが肺に向かい、小さな誤嚥が私の呼吸を、咳となって荒らしつくす。

「っぐふ……ごほっご……んぐ!」
「帽子を抱きしめて不安げに周囲を見渡すその仕草! 後ろから抱きしめてやりたかったね」
「っはぁ……その節は、大変お世話になりました」

本当に抱きしめた御仁が何をおっしゃいますやら……
顔が赤らんだのは致し方ない。
別に迷った事に気恥ずかしさを覚えたわけではない。
ただ少し、小娘扱いされたのが新鮮だった。
いまだ含み笑いを止めぬ藍様。
こうまで笑われては面白くない。
私は徐に頭を上げると、意識して人の悪い笑みを向ける。

「天狐様こそ……」
「あん?」
「粥と雑炊の区別もご存知でいらっしゃらなかったではありませんか」

藍様が作っていたのはなんと蟹鍋。
身体の弱っている人間に、決して優しい料理ではない。
何故鍋なのかと問いただし、その目的を聞いて驚いた。
彼女は鍋の煮汁で作った雑炊を、『お粥』だと信じていたらしい。
誰に騙されたかは知らないが、俗世から多少ずれたお狐様でいらっしゃる。

「……っふ、霊夢は喜んで食べていたわ」
「ええ、大変お優しい巫女様です」
「うぐっ」

もっとも、風邪を引いた人間の看病などを妖怪にさせるのが、そもそもの間違いな気がしないでもない。
病人に対してお粥を用意しようとしただけ、彼女はましな方だろう。
それに、彼女の鍋は非常に美味であった。
煮汁になるまで待っていろと、飢えた巫女の目の前で鍋の中身を片付けた私達。
人が持ちえる限界の、いやそれ以上の殺気に曝されながら突く蟹の足は、大変美味しゅうございました。

「感極まって泣いてたしね。霊夢の奴」
「……あのお預けは、気の毒でしたね」

私は、お狐様が態とやっているのだと思っていた。
霊夢様は相互認識の違いに気づいたようだが、その段階で誤解を訂正するのは不可能だったのだろう。
熱に病んだ身体であらん限りの肺活量を駆使し、藍様の横暴を罵った。
そんな巫女様を涼風の如く受け流し、『お粥』まで待てを命じた天狐様。
何処か滑稽なすれ違いは、非常に笑える見世物だった。
本当に、この神社では良き記憶が紡げる。
それは心地よい不思議だった。

「……クック」
「……うふふ」

互いに思い出し笑いを堪える作業に苦心した。
やがて先に口を開いたのは藍様だった。
目じりに浮かんだ涙を拭い、一つ息を吐いて笑いを納める。

「それにしても意外だったよ」
「なにがです?」

ふと藍様の顔を見れば、にやけた笑みが張り付いている。
嫌な予感を覚えつつ、私は続きを促した。

「お前さん。随分世話に慣れてんなぁ……ってさ」
「……」
「そういうの、面倒くさいって放り出しそうだと思ったんだがね」
「……意外性は」
「ん?」
「意外性は魅力になるのですよ。認識を改めていただきましょう」

思わず黙り込みかける私だが、二度目は何とか反応できた。
以前彼女に聞いた台詞を、そのまま言ったに過ぎないが。
酒が、欲しいな……あ

「どうしたね?」
「いえ、何でも」

其処まで思い、気がついた。

『酒気で濁したく無いんだよ』

そう言ったのは藍様だった。
濁したくないのは私の昔語りか。
藍様の瞳は好奇に満ち、逃がしてくれそうに無い。
雌狐である。
意識と無意識の間で、私の目が細められる。
対する狐の瞳は、意地が悪そうに笑んでいた。
一つ息を吐き、毒気を抜いた。
語ることは吝かではない。
隣に寄り添った天狐様の横顔を見る。
私が、これほどに近しく感じる他人である。
言ってしまっても、いいかなって思った。

「……ん」
「……」

帽子を取って胸に抱き、藍様の肩に額を落とす。
俯いた私は、これで彼女の視線から自分の顔を隠した。
酒の勢いを借りられないから、理性と対話して思いを紡がないといけない。
本当に厳しいお狐様。

「昔、衝動に駆られた事があるのですよ」
「一目惚れ……って言うやつかい?」
「アレは、危険な情緒でした」

永江衣玖という自我が吹き飛び、相手への欲望だけで視界の全てが満たされてしまうあの感覚。
自滅への急斜面を転がるために登っていると、解っていても止めがたかった。
脆弱になった理性は最大級の危険を訴えたが、その内なる声は私の中にむなしく響くだけ。
それくらい、心地よい暴走だった。

「昔、顕界に降りたときです。警告は地震。龍神様は空前の規模で、破滅を予期したものでした」
「……そんな中、お前さんはどこぞの『野郎』に懸想してたわけかい?」
「その『小娘』は疫病でして、広い屋敷の一室で、従者も居らず唯々寝かされておりましたよ」
「……綺麗だった?」
「……いいえ。これが全然」

肩をすくめて苦笑する。
その娘には美しさの欠片もなかった。
髪は伸び、手入れもしていないそれはボロボロで、酷い有様だったのを覚えてる。
肌は腐った土の色であり、水も食事も碌に与えられていなかった事が予想された。
その身の幾らかは、生きたまま既に朽ちていたのかもしれない。
彼女の吐いた息は明らかに腐臭が混じっていた。
死んでないだけの肉の塊。

「醜女でしたね。今までもこれからも、あそこまで見てくれの悪いモノも稀でしょう」
「あはは、酷い言い草じゃない?」
「ふふ……だって事実ですからね。もっとも、醜美の区別は人それぞれでしょうけど」
「でも、そんな娘に惚れたわけかぁ」
「はい」

其処まで答え、私はあの娘の容姿を明確に記憶していない事に気がついた。
覚えているのは姿ではない。
虚ろな瞳の中に、明確に存在した生への渇望。
当時から惰性で生きていた私は、まるで自分が領域を侵した贄と化したような気すらしたものだ。
生きたいと、純粋に渇望していたあの瞳。
私はその時知ったのだ。
人はその生が潰える瞬間まで強く輝く事ができる。
少なくとも、この娘はまだ何も諦めていなかった。

「心の強い娘でありました。本当にあの時は危なかった」
「襲っちゃえば良かったのに」
「えぇ。本当に、あの時食べてしまえば良かった」

龍宮の使いは滅多に人前に姿を見せず、此方から人を襲うことなど殆ど無い。
殆ど無いが……絶無というわけでもないのだ。
あの時私が感じた衝動。
自制出来たのは運が良かった。
虚ろな瞳を向ける彼女に、その眼光に射抜かれたくて……私はふらふらと歩み出した。
一瞬毎の膨れ上がる劣情が、私に囁きかけてきた。
妖怪の本能だろう。
すなわち、『大好き。だから、食べたい』
つくりだけ立派な布団の脇で、崩れ落ちるように座り込んだ私。
最早立っていられないほどに昂っていた。
娘が歯を食いしばる。
そんな彼女の首筋に、私はゆっくり手をかけた。
その手に娘の手が重なる。
空虚な光に彩られた、娘の瞳は濡れていて……

「あの時のチコは、本当に愛おしかった」
「チコ?」
「比那名居地子。あの総領娘様の幼名で、人だったときの呼び名ですよ」
「……マジ?」
「えぇ。真に、不本意な事ですが」

藍様が息を呑むのが解る。
私は明らかに冷めた口調で初恋の相手を切り捨てた。

「嫌そうね?」
「百年の恋など、とっくの昔に冷めておりますよ」
「今も近くに居るのにねぇ」
「それこそ、私が望んだわけでもありません」
「ふーん……」

藍様はそう呟いたきり、しばし徳利の茶を啜る。
これ以上どう語ったものか……
手持ち無沙汰な私は、藍様の腕を胸に抱える。
語るというのも存外に面倒くさいものである。
事実と真実。
双方を可能な限り理解させようとすると本当に気を使う。
それでも、完全に理解を得る事など不可能なのだが。

「昔のあの子は、可愛かった……今は違う……」
「そんなに変わり果てたかね?」
「私の知っているあの子は、命をとても大切にする子でした」

そんな優しい娘は、何処か遠くへ行ってしまった。
自己の快楽と引き換えに、この世界の終焉を約束した総領娘様。
あの時私と重ねた手で、その約定が創られた。
それは苦い認識だった。

「過ごした時は短かったし、彼女は殆ど熱に浮かされておりましたが……」
「ふむ」
「地子は優しい娘でしたよ」

私が地子と過ごしたのは一日だけ。
地震を伝え、すぐに立ち去る予定をその期間だけ留まった。
もとより比那名居の家は地震と縁の深い一族。
龍宮の使いの事も知っており、しかも疫病の娘を任せろという私。
向こうにすれば渡りに船であったろう。
一思いに殺す事もできず、かと言って近づく事も出来ない娘。
そんな娘を人外の化け物がみてやるというのだから……

「一日だけ、私は屋敷に滞在して地子と一緒に過ごしました」
「……助けなかったのかい?」
「助けようとしました。して……しまいました。あらゆる限りの癒しを試み、地子の延命を望みました」
「そっか。頑張ったんだな」
「頑張ったと思います。しかし、私に出来たことは稚拙なものでございました……」
「何事も、初めては上手く行かないもんだしねぇ」

そう呟いた藍様は、徳利の干して机に置く。
片手を私が抱えているため、置かないと注げないのである。
しかし、彼女はそれ以上は身動きせずに私の語りをただ待った。

「私が地子の元を離れた翌日、名居の一族が天界に召されることが決まりました」
「……」
「その傘下にありました比那名居の家も、まとめて召されることになりました」
「……」
「予言の破滅は、その翌日のことでした。地獄になった地上を尻目に、彼らは天人に成り上がりました」

多くの者が死んだろう。
自然の力に対して人はあまりにも弱い。
龍宮の使いが地震を伝えて回っても、止める術など無いのだから。
だからこそ、私は本当に嬉しかった。
天の計らいに心の其処から感謝した。
地子を生かしてくれてありがとうございます。
あの子に未来をお与えくださり、ありがとうございます。
私は地子の歩む道がすばらしいものであると、無条件に信じていたのである……

「これが私と総領娘様の顛末でございます。それ以来……」
「ふむ」
「手の空いたときには、何とはなしに人の医学書や介護書などを、読むようになっておりました」
「そっか……いや、今日は本当に、君がいてくれて助かったよ」

そう言って藍様は黙り込み、どこかを一心に見つめている。
彼女の視線を追いかけると、一枚の障子に向いている。
正座にも調度、飽きてきた所。
藍様に預けた身体を離し、私は静と立ち上がる。
人肌を離れると、冬の夜であることを実感する寒さが身を包む。
白い息を吐きながら、藍様の見つめる障子を開けた。
月は無い。
漆黒の雲に支配され、星一つない雲海がある。
空が広く、しかし低い。
藍様が舌打ちするのが解る。
私も、せめて月が見たかった。

「あまり良き夜ではありませんね」
「そうだね。月でも見ながら聞きたかったな」

障子を開け放った私は、閉めぬまま今度は藍様の向き合って正座する。

「足崩せば良いのに」
「この姿勢が楽なのですよ」

昔を語るのは此処まで。
此処からは未来の話をいたしましょう。

「昨今、私達龍宮の使いの中に体調不良者が続出しておりまして」
「ちょっとまって? 一つ聞きたいのだけれども」
「はい?」
「龍宮の使いってそもそも、何? 妖怪のカテゴリー?」

ふむ……
何処から説明したものか。

「では、先ず……龍神様などという神は、存在しないことをご存知で?」
「いや、それも知らなかった」
「龍神とは、あらゆる森羅万象にして世界そのもの。それに仕える私達は、そんな……世界の声を聴くものなのです」
「ほぅ……それは何か、特殊な力を持った一族のことなのかしら?」
「いいえ……種族としての『龍宮の使い』という名はありません。私達、龍宮の使いは……」

語りっぱなしで喉がかすれた。
空気を読んだか、藍様が私の徳利に茶を注ぐ。
唇を濡らし、口の中を濡らし、最後に喉を湿らせる。
味気ない。
お酒が欲しい。

「世界の声を聴けるという、その一点が出来るもの同士が、自らの意思で集まった……組の様なものでしょうか」
「すると、中身は千差万別なんだ?」
「はい。現在は居りませんが、使いの中には人間がいたこともあったりしたものです」
「ふむ……」
「龍神の声とは、天人様にとって非常に有益なもの。それ故、私達は彼らの管理下にあるのですよ」
「強制力は?」
「全くございません。管理下と申しましても、ただ金銭や物品、また情報の流通があるだけです」
「ふむ……」
「何より私達、龍宮の使いは天界に住むことを許されております。これは破格の待遇でしょう」

使いの中には、楽土での暮らしを望むものは多い。
私個人は天人等と……
あんな自己愛と排他と優越意識に視野を強奪された生き物と暮らすのは、ご勘弁なのだけれど。
まぁ、人それぞれの価値観である。

「なんとなく解った。話の腰を折って悪かったね」
「いいえ、予め語っておくべき予備知識でした。わたくしの手落ちでございます」

私達は互いに頭を下げる。
次いで同時に苦笑した所で私は本題を切り出した。

「昨今、私達龍宮の使いの中に過労で倒れる者が続出しております」
「君は、無事なの?」
「はい、お蔭様で」

気遣いが心地よく、私は社交辞令以上の笑みを自然に乗せることができた。

「原因は夏の騒動なのですよ。あの時地震がなかったので」
「あれ……お陰で暇になったんだろ?」
「はい……確かに仕事は減りましたが」
「……何があった?」
「悲鳴が聞こえるのですよ。龍神の。世界が軋む声……いや、音か」

龍宮の使いは龍神の声を聞く。
私たちはその中で、大事と判断したときにその声を皆に伝えるのだ。
その行動に義務はない。
伝えなかったとて誰かに咎められるわけではないのだ。
にもかかわらず、龍宮の使いは殆どの者がこの役割を全うする。
それは何故か?
そうしないと耳につく悲鳴が長引くからだ。
世界の一部、命の悲鳴が。
聴きたくもない音を少しでも早く、小さく収めるために。
私達は私達の為に協力している。

「大地の歪みを放置したまま、この世界は要石に拠って安定を強制されています」
「抜かなければいい……ということではないの?」
「地震は大地の歪みの矯正です。無ければ歪みは留まる所を知らずに、世界を蝕むことでしょう」
「まさか……この半年……」
「はい。私達は龍神様の、幻想郷の苦鳴を聞きながら過ごしてきました」
「それで過労か」
「ええ」

苦虫を噛み潰した表情で、私は耳を押さえていた。
今この瞬間も、私は声を聞いている。
言葉では表記すら出来ない、感情すらない轟音。
声に当てられた若い使いの面々は、本格的に倒れるものが出始める始末。
私を含め、慣れたものは苦笑しているに過ぎないが、近頃の若者は本当に体が弱い。

「ですから……私は世界の異物、要石を抜きに参ったのです」
「ああ、それは助かるよ。紫様も、あれには頭を悩ませていた」
「……地子の暴挙、真に申し訳ございません」
「君のせいじゃないよ?」

藍様は目を細め、私の頭を撫でてくれる。
前されたのが何時だか、全く思い出せない類の行為である。
頬が赤らむのは、いたし方あるまい。

「引き抜いたとき、大地震が起きるよね?」
「引き抜くと同時に私が土中へ赴き、被害を最小限に食い止めます」
「君自身は?」
「相手は天人様の成した奇跡、阻止するには、わたくしの不肖な命の一つは、賭ける事になりましょう」
「……なんでお前が、それをするの?」

最後の質問だけ、霊夢様と違ったな……
永江衣玖に随分と踏み込んだ問いになった。
この天狐様には気を許し過ぎたかもしれない。
しかし今更、この距離感を解消する意思は無い。
おそらく彼女自身で思い至っている回答に、私は正解を保証する。

「私にはこの破滅を、回避する機会を与えられておりました」
「……ああ、君があの馬鹿を殺しておけば、こんなことにはならなかったな」

藍様は突き放したように吐き捨てる。
地子は私がいなければ、翌朝の日の目を見ることは出来なかったろう。
ほんの一日の延命が、、私の熱病が、全て繋がってこの破滅を創った。
悪しき完璧主義だろう。
責任の所在をすり替えているのは、私自身承知の上です。

「奴を殺す機会は、君以外の多くに平等にあったはず。それでも自分が許せないのかい?」
「私は、地子を好いておりましたから」

だから、私の手で落とし前をつけたい。
他の誰にも譲りたくない。
その想いで此処に来た。

「出来れば、紫様にもお伺いを立てたい事象だねぇ」
「申し訳ございません。明朝には、刺抜きを行う所存です」
「霊夢は知っているのかい?」
「はい。お話申し上げました」
「あいつは、何か言っていたか?」
「明確なお返事は、何も……」

そうか、と呟き、藍様はそれ以上何も語らず……
私の隣にいらっしゃる。
胡坐で座った彼女は、私の頭をご自分の胸の抱き寄せる。
そして、はっきりとおっしゃった。

「なぁ衣玖よ」
「はい」
「止めておけ。私は、君に死んで欲しくない」
「……そのお言葉だけで、衣玖は十分報われております」
「翻意しちゃくれんかねぇ……」
「……」

苦い笑みを浮かべつつ、私は彼女の背に腕を回す。
彼女の熱は、冬の寒さにこの上なく心地よかった。
一夜でも、この熱に狂えるのなら幸福だろうと想う

「はい……出来ません」
「駄目か」
「はい」
「それじゃあ明日は、勝負だね」
「見送っては……いただけませんか?」
「ああ。要石は幻想に住まう皆で、力と知恵を出し合えばいい。君一人いなくなってお終いじゃあ……」
「……」
「それじゃ、私達に甲斐性が無さ過ぎるというものさ」

私達は其々の想いを埋められぬまま、語るときを終える。
明日……死合うか……
藍様は私の切り札を知っている。
勝ち得ない事を承知のはず。
それでも、来るか……
霊夢様のように、成功を懸念する心情もあるだろう。
それでも、私を止めてくださる心情も真であろう。
果報者め……
自分の胸中に吐き捨て、私は一つ目を閉じた。


*  *  *


早朝に目を覚ましたとき、隣に天狐様の姿はなかった。
腕時計を着けつつ針を見る。
短い針が、六と七の間。
長い針が、四に掛かっている。
ふと机の上に目が行った時、昨日はなかったモノに気づく。
置手紙……

―――ちょっと悪あがきしてくるね

丁寧に書いた時刻まで記入されている。
藍様がこれをしたためたのは、今から大体二時間前か……
元気なことで。
殆ど寝ていないじゃないか。
苦笑しつつ衣服を整え、私は社務所を抜け出した。
目指すは手水舎。
台所でも良いのだが、なんとなく外で待ちたかった。
藍様は、どんな手段を用いてくるか。
彼女との勝負は、半年前に中断したまま。
あれは、本当に楽しい遊戯でございました。
なればこそ決着は、しかと着けておきたいものです。

「んー……」

まだ眠い。
薄暗い冬の境内を歩き、ふら付きながら手水舎へ着いた。
水は凍っていなかった。
来てしまってから言うのもなんだが、普通は凍る気がする。
博麗神社の七不思議として納得すると、柄杓を借りて水を汲む。
最初は左手を漱ぎ、次いで右手を漱ぐ。
そうしたら、左手に水を溜めて口の中を漱ぐ。
その後今一度左手を漱ぎ、柄杓を洗って清めは終わり。
此処からはマナーと違うが、身嗜みは大事なこと。
両手に水を救うと、ゆっくりと顔を浸す。
洗顔を済まし、ハンカチで手と顔を拭く。
ある程度、昨日の時点で覚悟していたのだろう。
だから、背後から掛けられた声を聴いても、私の心は折れなかった。

「あら、貴女はたしか……」
「衣玖です。永江の」

もう、何度と無く繰り返されてきた問いと答え。
彼女は私に出会う都度、二度に一度は問うて来る。
私には意味も掴めない、彼女にしか意味のないやり取りである。
付き合っている私も、相当人が良いと思うのだが……
非常に不満そうな彼女の顔。
いつもそう。
この人は私が、問いに答えると落胆する。
いささか、気分が悪くなる。

「おはようございます、総領娘様」
「おはよう衣玖。いい朝ね」

緋想の剣を右手に握り、私に声を掛けてきたのは、比那名居の総領娘様。
武装をしている所を見ると、藍様から事情は聞いているのだろう。
この程度の障害は、ちゃんと覚悟していた。

「衣玖が自殺しようとしてるって、狐から聞いたんだけどさ」
「そうですか」
「あー……うん。最初にこれだけ言っておくね。悪かったわ」

……今、私の聴覚は狂ったのだろうか?
龍の声さえ聞き分ける私の耳は。
今、地子は、謝ったのか?

「御気になさっていらしたので?」
「いや、話を聞くまで悪気も反省も、これっぽっちもなかったんだけどさ」
「ふむ」
「衣玖が嫌がることするつもりは、無かったんだよ? そうなるって解ってたらやらなかったなーって」

私にだけか……
もう少し広範囲に謝罪をしていただきたい。
むしろ、私にはいらないから。

「悪かったとおっしゃるのでしたら、私の同僚に謝罪ください。私にはいりませんので」
「何で? なんで私が衣玖の同僚にあやまんないといけないの?」
「貴女の為した出来事で、身体を壊しているからですよ」
「それが何よ? 私はそいつらに何の義理も無い。私の謝罪は衣玖だけの物。貴女に悪かったと思ったから謝ったの」

其処だけは間違うなと、地子の雰囲気が鋭くなる。
以前から思っていたことだが……
私と地子は同じ言語を介していないのではないだろうか?
だから私の意図することが、彼女には伝わらないのだろうか?
疲労を感じて息を吐き、私は彼女を一瞥する。
半年前、地子が暴れまわったときと同じ服を着ている。
そして、緋想の剣も持っている。
要するに、彼女はそれをしに此処に来たのだろう。

「藍様は、いかがなさいました?」
「あいつは、なんか一回帰るって。秘密兵器取りに行くらしいから」
「そうですか」

確かに私の知覚領域には彼女の気配は無い。
しばらくは、二人で話せるかな。

「衣玖ってさ、青いよね」
「青い?」

私はよく、羽衣の色を用いて緋色と称されることがある。
青いといわれたのは、これが初めてかもしれない。
発言の意図が読み取れず、私は聞きの姿勢になった。

「衣玖はさ、よく緋色って言われてるじゃん? 美しき緋の衣」
「はっきりと申し上げておきますが、わたくしが殊更そう名乗っているわけではございませんので」
「知ってる。だって言いふらしてるのは私だもん」
「……迷惑です」

それも知っている。
若いころ特有の病気に、ありがちな呼称である。
首を傾げている地子を見ると、私が何故嫌がっているのかわかっていない様子。
勘弁してください本当に。
誰もが皆、貴女の感性についていける訳ではないのです……

「だけどさ、私はもっと、綺麗な緋色を見たことがあるのよ」
「ほぅ……自分で言うのもなんですが、良き羽衣であると自負しておりましたが……」
「うん。それも綺麗。もしかしたら世界で二番目かもしれない。でも、私の緋色には敵わない」

胸を反らし、誇らしげに宣言する。
子供が、大切に仕舞っている宝物を自慢する顔である。
私はあまり子供が好きではないが、こういう顔を見るのは嫌いではない。

「もうね、何処でその色を見たのかは覚えていないの」
「……」
「下界で人間だったときに見たのかも知れない。天人になってからの事なら、忘れないと思うんだけどさ」

地子は子供の顔から一転し、何処か遠くを見る様にそう語った。
長く生きれば、いろいろな事があるだろう。
忘れもの、忘れたいもの、忘れたくなかったもの、忘れてはいけなかったもの……
そんな大切なものの一つが、地子には『緋色』だったのかもしれない。

「私はね、ずっと……その緋色を探してきたの。見つかんないんだけどさぁ」
「……」
「でもね、この想いだけで私は死神を蹴散らしてきた。 親父以外の身内が全員ぽっくり死んでるんだから、私の緋色は絶対に、間違いなくあったのよ」

本物なのだと、地子が言う。
そう語り、まっすぐに私を見つめてきた。
そして左の手を差し出してくれる。

「だから、帰ろう? 衣玖」
「……」

私は羽衣を一度見、苦笑と共に折りたたむ。
そうして彼女に歩み寄り、その左手に羽衣を握らせた。

「差し上げます。形見というのも、趣味じゃありませんが」
「私は衣玖に、帰ろうと言っているの。聞こえないの?」
「それは、お断りします。貴女の緋色がいずれ見つかる日まで、二番目で我慢してくださいな」
「……衣玖は……本当に青いのね」

吐き捨てるように彼女は言い、私の羽衣をつき返す。
そのまま私に抱きつくと、背骨が軋むほどに締められた。
天人の膂力は尋常ではない。
やや息苦しさを覚える私は、身じろぎしつつ地子を見下ろす。
目線の高さは揃えたいのだが、この状態では適わない。

「衣玖の声は、惰性と怠情で真っ青。私を前にしてもそれって、本当に無礼な女だわ」
「総領娘様?」
「狐の声は、結構好きよ。穏やかに暖かい橙色。安定した人格と包容力で、色が揺らぐことが少ない」
「え……?」

この子は何を言っているの?

「霊夢の声は、『視た』事がない。私の視力で拾える、可視光線の領域外なんだろうね。最初会った時は、驚いたわ」
「……貴女は、まさか……」
「内緒ね? 親父には絶対、誰にも言うなと言われてるから」

至近距離で見上げられる
言ってしまった……と、はにかむ地子。
しかしその腕はますます力強く私を締める。
逃がさないし、離さない。
万言よりも雄弁にその事実を体現している。

「昔ね。最初の一度だけ、貴女の中に緋色を見たの。緋色の声、綺麗な声。こいつしかないって想った、私の原初を持った奴」
「……」
「今ではもう、見間違えたんじゃないかって位遠くなっちゃったけどさ、私達の最初って」

私達が出会い、別れ、再開し……
それなりの月日が流れている。
それは私が天子の中に地子を見出しえず、磨耗していく時間であった。
半年前に、決定的な止めが刺されたあの事件まで、それは毎日続いていた。
ああでも、今の話が本当ならこの子もずっと、私を見てくれていたんだろうな……

「でもね、間違いだったって思いそうになるたびに、夢に見るのよ……あんたの緋色を」

そう言って、地子は私を解放する。
羽衣は私の手に戻されている。
彼女の求めているものは、こんな布で代替が利く物ではなかった。
しかしどれほど求められても、私にはもう、提供することが出来なくなったものだった。
二歩、三歩と身を離し、地子は私に微笑んでいる。
わたくしはと言えば、呼吸を求めて必死にあえぐだけ。
今更ながら、殆ど息が出来なかったことに気がついていた。

「おや貴方は……龍宮の使いの……えーっとなんだっけ?」
「……」
「おや貴方は……龍宮の使いの……えーっとなんだっけ?」
「……」
「おや貴方は……龍宮の使いの……えーっとなんだっけ?」

三度繰り返される問いかけに、私は始めて答える事が出来なかった。
初めて彼女と天界でまみえた時、私はどんな想いで応えただろう。
もう、思い出せなかった。
居心地が悪く、この場から走り出したい衝動にとらわれる。
今間違いなく、私は追い詰められていた。
それでも、目だけは決して反らすまいと、意識して視線を上げ続ける。
地子の瞳は微笑したまま、私の答えを待っていた。

「衣玖の馬鹿。そんなの本当の衣玖じゃない」

微笑が侮蔑になり、容赦なく罵る言葉が放たれる。
今の私に、何が言えるというのだろう?
当の昔に熱を失った妖女が、今の私の正体である。
ああ、だけど……それでも……
私の熱を削いでくれたのは、貴女自身でもあるだろうが?
貴女が私を否定すると言うのなら、同じ台詞を私にも使う資格がありはすまいか?
私の趣味ではないから、そんな言葉は使わないけれど。
釈然としない苛立ちを飲み込み、両目には力を込めて言い返す。

「それで……その馬鹿な女が翻意しない場合、総領娘様はいかがなさるおつもりで?」
「ぶっ飛ばして首根っこ引き摺って連れ帰るわよ。戻ったら首輪でもつけてやる」
「あまり出来ない大口を叩きますと、失敗したとき惨めですよ」

衣服の一部が、電気で跳ねる。
地子も、緋想の剣を構えている。
双方の気圧が急速に下がった時……
その空気が臨界に達する寸前、声を掛けてきた影があった

「ちょっとあんたら……人の神社で何してんのよ」
「あ、霊夢。ちょっと借りてるよ」

社務所から出ていらしたのは、この土地の所有主。
視線をめぐらし確認すると、霊夢様は常の改造巫女服に、札や針を完全に整えていらっしゃる。
つまり戦うことに決めたのだろう。
あまり無理はしてほしくないのだけど……
少し、手加減が難しくなった。

「ねぇ天子。そいつ私の神社を壊すって言うのよ」
「えー? そんな事言ってるの衣玖ってば。悪い奴だったのね」

どの口がおっしゃいますやら。
霊夢様の額に青筋が浮かぶ。
私も貴女に言われたくない。
しかし彼女は寛大にもお怒りを沈め、地子の横に並んだ。

「そう、悪者退治よ。私にもちょっと手伝わせなさい」
「霊夢の手なんか借りなくたって、衣玖に負けるとかありえないけど……」
「……ま、そういうなって」

最後の声は、私の本当の待ち人の声。
空が歪み、私と地子達の間に出現した金毛九尾の大妖怪。
八雲の藍様。
私に背を向けたまま、地子の元に歩み寄る。

「私も混ぜてよ。そもそもお前には、私が此処を教えてやったんだから」
「ん……まぁ、そうね。人手は多いほうがいいわ。でも邪魔はしないでよー?」
「ああ。そのつもりだよ」

軽口に乗らず、振り向いた藍様は私から目を離さない。
地子が協力者等を受け入れたのは、確実に私に勝利するためだろう。
まともな勝負など、する必要は無い。
その選択は正しいと認めましょう。
認めますが……

「さぁ、衣玖。三対一になっちゃったわよ? 大人しく負けを認めなさい」
「数の暴力に訴えて、良心に軋むものはございませんか?」
「勝てばいいのよ」
「ふむ……まぁ、勝っている間はそう思うものなのでしょうね」

ふと、私は藍様に視線をやる。
神妙な顔つきで私と目が合い、諦めた様に頷いた。
彼女だけは知っている。
私が追い詰められた時、どういうことをするのかを。

「では、確認させてくださいな」
「なに?」
「私の相手は、総領娘様、博麗霊夢様、八雲藍様……この三人と言うことで、よろしゅうございましょうか?」
「うん、いいんじゃない? 衣玖一人に対してって事なら、破格な戦力でしょう?」
「……ご冗談を」

地子の勘違いがおかしくて、私は自然と笑みが浮かぶ。
馬鹿にするつもりなど無いが、本当に……
自分が有利だと、信じきって疑うことの無い幼子がいる。
本当に、可愛らしい。
藍様は常の皮肉な雰囲気がなりを潜め、私の動作の全てを知覚すべく身構えている。
霊夢様は……今だ体調が優れないのだろう。
不自然な呼吸に咳を隠し、しかし油断無く私を見つめている。

「それでは、私も数の不利を覆すべく……一つ悪あがきをさせていただきましょう」
「降伏する?」
「いいえ、忠告を」

訝しげな視線を向ける地子。
私は微笑をあえて消し、地子の瞳をまっすぐ射抜く。

「緋想の剣を離しなさい。其処で死ぬなら、別ですが」

左手を腰に置き、右手で真っ直ぐ天を指す。
決めポーズを取った私に、八雲藍様が即応する。
身を翻し、地子の右手にはやや大きい、剣の柄を蹴り上げた。
私が意識して緩やかに動作をしたことで、彼女の行動は間に合った。

――降りてきなさい

落雷と、極光と、爆発。
それは全て同時だった。
落雷は、私に向けて天から降り注いだ金色の稲光。
極光は、それを受けた私から溢れる漆黒の波動。
爆発は、今の私から溢れる気質を、緋想の剣が吸い切れずに起こした暴発。

「……え?」

永江はこの時、衣玖の自我を持った何かに化けた。
個人に処理できる限界を超えた情報が私に流れ、意図的に無視する数秒の間に激しい眩暈を覚える。
瞳を閉じ、ゆっくり三つ数えてから目を開く。
視界に写ったのは人妖三人。
比那名居天子様、八雲藍様、博麗霊夢様……
其々の表情で私を見つめる御三方。
誰も何も語らぬ中、蹴り上げられ、爆発を起こした緋想の剣が落下してくる。
地子の足元に突き立つそれを、彼女は拾わない。
ただ、呆然と私を見つめているのみだった。

「……」

ふと気を抜くと、余計な情報が怒涛のごとく私に押し寄せてくる。
頭痛に近い感覚を覚え、私は今一度目を瞑る。
そんな私に霊夢様の声が聞こえてくる。

「ああ……あんた龍の巫女なのね」
「……はい。龍宮の使いとは、こういうものを言うのです」
「……皆がそんな事出来るわけ?」
「いえ……私が知る限り、降ろせる者は他に居ないと記憶しております」

龍宮の使いとは、龍神様の声を聴く存在。
この国には神の声を聴き、その内容を伝える役割を持つ者の呼称に事欠かない。
馴染み深いのは巫女だろう。
そして特に能力のある巫女は、自身の仕える神を一時的に降ろし、その口を借りることが出来るもの。
龍の口寄せ。
この身に龍神を降ろし、その力を行使する事。

「龍神様とは、森羅万象にして世界そのもの」
「今のあんたは、世界なのね?」
「私如きが世界など、おこがましい事は申しませんよ」

ただ、私の力の供給源がほぼ無限になるだけである。
私の様な木っ端妖怪の稚拙な術でも、無尽蔵の増幅によって少しばかり強くなるだけだ。
閉じていた目を開いたとき、先ほどと変わらぬ光景が一つ。
知覚領域を極限まで狭め、この境内だけに集中する。
あ、違う。
先ほどとの違いは一つ。
地子は石に突き立った緋想の剣を抜き放ち、私に突きつけて笑っている。

「良いね、良いねそういうの! 悪役の親玉っぽくて最高よ」
「嬉しそうでございますね……」
「うん、おもしろそう。異変を起こして、黒幕って言うのは前に一回やったけどさ」
「……」
「そういう相手に、崖を背にした精神状態で挑むって初めての事だもの」

少し意図的に緋想の剣に、私の気質を吸わせて見る。
一瞬だけ、剣から燐光があふれ出したがそれだけ。
私を認識し、剣を制御している地子の手綱を放れることは無いようだ。
これは地子の優秀さというより、あの剣の器が桁違いなのだろう。
あの武器だけが、私は怖い。
扱えるのは天人たる地子だけなので、出来るだけ早く気絶していただきたい。
敵として一番厄介なのが藍様。
地子を巻き込み、その足でご自宅に飛んだ彼女は何を用意して私に臨むのか?
今の私との実力差がどれほどあろうと、油断すれば喰われる。
八雲藍様とはそういう存在だろう。
そして……霊夢様。
おそらく熱に浮かされているであろう身体を支え、肩で息をしながら私を睨む人間の少女。
雷で一撫ですれば絶息しそうな彼女を、しかし私は不気味に思う。
戦力として以外の要素で、私に敗北の因を作り出すかもしれない。
ああ、なんだ……

「結局、油断など出来ぬということですね」
「何か言った? 衣玖」
「いいえ、何でもありませんよ。それでは……」

始める事にいたしましょうか?
地子から受け取っていた羽衣を腕に絡め、何時もの配置に纏いなおす。
緩い風を受け広がった羽衣に、高圧の電流が迸る。
其処彼処で弾ける緋の衣を着込み、私は右の手首……
お気に入りの時計に目を落とす。
短い針が、七と八の間。
長い針が、丁度六の所。
そして秒針が十二を巡った瞬間、地子の足が地を蹴った……



後編へ
後編で語らせていただきます。
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コメント



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3.90名前が無い程度の能力削除
おかえりなさい
6.100名前が無い程度の能力削除
なんという文学
9.100名前が無い程度の能力削除
天子可愛いよ!
相手はかなり洒落になら無いお姉様だけど頑張って!
それにしても……深夜、イクさんと藍様がどうすごしたか、これはもう少し詳しく……ねぇ?w
11.100名前が無い程度の能力削除
おかえりなさいです!
藍様の語りの時とくらべてやはりテンポが緩やかな感じがしますね
後編今から読みます、楽しみです
14.100名前が無い程度の能力削除
もう我慢出来ねぇ!後編だ!
15.90名前が無い程度の能力削除
おお、ひさしぶりですね!!
おやつさんのSS好きとしては嬉しいかぎりです。
18.90名前が無い程度の能力削除
衣玖さんと藍様、衣玖さんと霊夢、衣玖さんと天子。
どれもいいなあ。
後編に行ってきます。