はい、と渡されたものは小振りな包み物だった。細い長方形の菓子折りが朱色の風呂敷にくるまれていて、見た目に反しずっしりと重かった。
何が入っているのかと聞くと、菓子が入ってるのだと言われた。餡をねりこんだ餅だ。紫様はそう言った。
「食べちゃだめよ。それを命蓮寺まで届けなさい。食べちゃ、だめよ」
命蓮寺。
ははあ、あの宝船が地面に根付いたあれか。
紫様はいつの間にあそこと交流なさっていたのだろう。それともまだ交流らしい交流はなく、この包みが挨拶がわりなのだろうか。
委細を聞きはしなかった。我が主人の頭からあふれる無限にちかい発想のうち、他者と交流などは、朝もやから生まれる一露に過ぎない。一露を好き好んで調べあげるのは、モノ好きしかいない。
とにかく私は包みの中身以外を聞くことはなかった。
分かりましたと一言、あとは飛び上がり命蓮寺に向かうだけだった。
人間の里の近くに命蓮寺はある。妖怪保護が目的のようだが、どこがありがたいのか知らないが人間からも評判は良いらしい。たしかに妖怪や幽霊だらけの寂れた神社や、登山しなければ拝めない神社よりは、近場の方が足にありがたいことだろう。
私が命蓮寺の前に降り立ったときも人間が数名いた。
私を見るなり、とうとう九尾の狐まで聖様の説法を拝聴しにきたか、としきりに騒ぎ立てた。耳障りだったので札をいくらか飛ばしてやると、彼ら思惑どおり私から離れてくれた。
その騒ぎを聞きつけてか、寺の門から虎の妖怪が出てきた。おかげで門を叩く手間がはぶけた。
何を言われるよりも早く私は包みを突き出して、紫様の使いであること、この包みを届けにきたことを伝えた。しかし彼女は包みよりも私を見た。
「それはそれとして、あなた、人間に手を出しましたね」
「手は出していないわよ」
「うそ。ほら、あそこの木にあなたの飛ばした札が刺さっている。いけませんねえ」
彼女はどうやら、私が一方的に人間へ危害をくわえたように思っているらしい。
厄介は困る。
私は彼女に包みを押し付けて、そそくさと逃げることにした。もし言い返していたら、そのままいつもの眩しい喧嘩に発展するか、彼女あるいは聖とやらの説法を聞かされるハメになるかもしれなかったからだ。
彼女が虎丸星という名前だとは、あとで知った。
帰路の途中で魔理沙に出くわしたのはよくなかった。
ここで会ったが百年目とのたまいながら、嬉しそうに、逃げる私を追いかけ回してきた。おかげで服を一つダメにした。
なぜ紫様は自ら包みを渡しにいかないのだろうか。隙間ごしに送りつければ一秒とかからないだろう、わざわざ私を使う理由が分からない。やはり挨拶のつもりだったのかな、だとすれば私は粗相をやらかしてしまったなあ。ファーストインプレッションで、とんだ化け狐だと思わせてしまった。紫様の印象も一緒に引きずって悪くさせたかもしれない。
もっとも、紫様は印象の良し悪しを気にする方ではないが。
だいたい、私の中でそういった悔いが残ったままだった。
命蓮寺にはそう頻繁に訪れることはないだろうと決めつけていた。だから翌日、紫様から風呂敷を回収しに命蓮寺へ行けといわれたときは、ひそかに意気込んだものだ。
私の粗悪な印象を、不自然なく覆すことができるかもしれなかった。それはまた、主人のためでもあった。
元々いいかげんな風がある紫様の印象を、これ以上いいかげんにさせてしまう訳にはいかなかった。
昨日とはちがって手ぶらで飛びながら命蓮寺へ向かい門の前に着地した。やはり昨日のように数人の人間がいた。
今日は人間へ札を投げつけにきたのではなく、風呂敷を返しにもらいにきた。なので彼らは無視させてもらった。
門を叩くと星が出てきて少し意外そうな顔をした。私は気さくに振舞うべくやあと挨拶し昨日はいや失礼をと続けようとしたところ、星が寺の中へ引っこんでいった。ふうむ。私はどうやら相当な無礼者と認められてしまったようだ。自分がまいた種ではあるが腹が立つ。
だが風呂敷は返してもらわねばならない。
寺へ乗りこんでやろうかとさえ思っていた矢先、星が再び現れた。私は体裁のうえで笑顔をつくり迎えた。
「これを」
星がそう言って渡してきたものは、返してもらおうとしていた風呂敷、それに包まれた菓子折りだった。持ってみたときの感触は軽かった。
「これは餅のお礼だと聖様が。中には煎餅が入っていますよ。ぬられた醤油が実に舌を満足させてくれます」
星の笑顔には無邪気な様子がある。私はなんだか拍子抜けした。
印象に関してはとやかく言うほどでなかったらしい。ただ、せっかくなので謝っておくと、私は数倍ほど謙虚に謝り返された。
私が帰ろうとして飛び上がる直前に星が、中は決して見ないようにと言ってきた。言われずとも見るつもりなどありません。どうせ中の煎餅は、すべて紫様の腹におさまる運命だ。
帰り道は誰にも会わなかった。
目的がはっきりしないお使いだった。
これは、自分の中でとうに完結したものだと思った。実際、その後何日かはこのような命令を受けることもなかった。
というのも、何日後かの正午のとき突然、紫様が私へ包み物をよこし命蓮寺まで届けろと言ったのだ。二度あることは三度あるものだなあと、内心で妙に驚いた。
ずっしりとはいかないまでも、手になじむ程度の重たさはなんだろうか。餅ではなさそうだ。
さすがに三回目となると、聞くのも手間だ。
そうして私は飛び立ち、命蓮寺の前に降り立つと門を叩いて、応対として出てきた星と適当な挨拶を交わし包みを渡す。あとはさっさと帰るだけだ。
そのつもりだったが、近く里のほうからおいしそうな匂いがしたのでつい向かってみた。
匂いのもとは扉が開けっ放しにされている酒屋からだった。近づいてみるとはっきり嗅ぎ分けることができる、これは天ぷらをやっているな。私は思わずつばを飲みこんだ。
長居はできないので注文した天ぷらは三つにとどめておいた。さつまいも、なす、練り物を揚げたものをいただいた。
紫様は見ているかな、あとで叱られはしないだろうか。
三度と往復するくらいならまだいいが、定期的に往復させられては嫌にもなる。
だが私の偏屈な主人は、私が少しでも駄々をこねようものなら、すぐさま暴力をふるってくる。傘の柄で殴りつけられるなどは日常茶飯事だと思っていただきたい。
往復とは、例の包みの話だよ。
あれから懲りることもなくだいたい四、五日おきに私が包みを持っていき、私が包みを取りにいくようになった。いったい菓子の渡しあいのどこら辺に、紫様と聖のつぼを突く因子があったのか私は分からない。
それに私ばかりがこき使われている、ちっとも楽しくない。
いずれ飽きてくれるだろうが、私にはその前に一つ、気になっていることがあった。
紫様から包みを渡される際、絶対に開けるなと注意される。
また、星を介して聖からの包みを受け取る際も、中を見ないようにと、必ず釘を刺される。
はて。
たかだか菓子折りに、どうしてそこまで敏感になるのだろうか。菓子とはそれほどまでに、他人に見せてはならないものだったか。
ふと、そんな疑問が沸いて出た。いったん沸いて出ると中々引っこんでくれず、行ったり来たりしている間は、ずっとそれについて頭を悩ますようになった。
命蓮寺へ向かっているときのことだ。
魔が差したと言うよりは、こらえていたものがついに限界をむかえたと言うべきだ。
私は人間の里から少し離れた林道に降りると、腰を下ろせる手頃な場所を探した。ちょうどよい岩を見つけたので、出来る限り慎重に座った。九尾もあると、座るにも一苦労だ。
いくら紫様だって常に監視の目をはべらせているわけはないが、だからと言って油断してはいけない。
私は恐る恐るチョウチョ結びの風呂敷をほどき、菓子折りの箱をしっかり確認するとふたを開けた。このとき私は、紫様にばれはしまいかと怯える他、どんな菓子が入っているのだろうとわずかに期待していた。
ここで意表をつかれた。
ふたを開けてまず現れたものは餅でもなければ煎餅でもない。紙だった。言っておくが菓子と箱との接触を防ぐためにあるような紙ではない。少々ざつに折りたたまれた紙があった。
まったくこのときの私は野生狐ほどな純粋さで首をかしげていた。
そして大した考えもなく紙を取ると、はらりと開いてしまったのだ。
さすがに、いやあさすがに、細々と綴られた紫様の字を見たときにはちょっと戦慄を覚えた。だって完全なプライベートじゃないか。今すぐそっくり折り直して箱に戻すべきだ。
私は周囲を見回した。
もちろん、誰もいない。ここには私一人だけだ。
改めて紙に目を落とし、文面を読み進めてみた。
そこには紫様が聖へあてているらしい言葉があり、節々に友好的な雰囲気が感じられた。いや、むしろ、慣れ慣れしくさえある。まるで友人に向けての手紙だ。ああ、私には必要最低限の言葉しか伝えてくれない紫様が、こんなにも生活感にあふれた私情をまさか聖に伝えている。私にある、紫様の式神としての誇りが、あっさりと風に巻かれてしまった気がした。
私は手紙を読みきる前に、元のままに戻すと菓子折りのふたをしめ、風呂敷を包み直した。
その後、何事もなかったかのように命蓮寺へ向かい、何事もなかったかのように帰路についた。
ただ、私の思考はひどくかたまっていた。
これは実に衝撃的な出来事だ。彼女たち二人は菓子折りを交換しあう裏で文通にいそしんでいたのだ。私はそれを盗み見てしまった。紫様には日ごろから手痛いお仕置きを受けているので、私が手紙を見た事実を知られたときにどんな罰が下るか、たやすく想像できた。
けっきょく翌日になっても、紫様からあのことについて聞かれはしなかった。
バレていないのか、単に泳がされているだけなのか。
できるなら、包みを届ける仕事なんてやめたい。断れば許してもらえそうな気もある。しかし、例えばそこでもう私を使わんで下さいと言ったら、それが元に疑られるやもしれない。さらにあの人なら、疑う行為を飛び越えてすぐさまお仕置きに走りかねない。
私はそうやって何も言い出せずにいて、そうしているうちに包みを取りにいけと言われた。
言うとおりにした。
命蓮寺に行き包みをいただく。きっとこれにも例の手紙が入っているに違いない。聖が紫様へあてた手紙だ。
私は何も考えず一直線に帰るべきだった。恐らくその方が私にとってしごく安全な道のはずだ。しかし、手紙をほんの少しでも見てみたい欲求は私の心に絡みついてはなれようとせず、耐えかねた私は前と同じ林道へ向かい、岩へ座るとさっそく包みを開いた。
ふたを開けてみると、あったあった。手紙だ。
これは紫様のではない、聖の手紙だぞ。いくらなんでも、顔も見たことない人の手紙をみるのはまずい。
そんな抑制は効きそうもなかった。
読んでみてまず感じたのは、ずいぶん柔らかい言葉遣いだということ。もう一つ具体的に言うなら乱れ気味である。ハートマークが使われているのを見つけたときには思わず苦笑した。だが、紫様とは比べ物にならないほど、瑞々しく日々の生活を書き表していた。
今更ながら、他人の手紙を盗み見るというのは刺激的だ。二度目ゆえに前回のような緊張はなく、またあらかじめ手紙の存在を知っていたので、すらすらと読み進めることができた。
私は読み終わってから一息ついて、自分の顔がにやけているのに気づき袖で隠した。
いや、なんというか、面白い。だが、この一通だけだと物足りない。
私は包み直すと飛び上がった。
紫様は目ざといので、もしかしたら風呂敷が開けれていること、ふたが開けられていることに気づくかもしれなかった。もしここでほんのちょっとでも疑われた場合には、私はすぐさまこの不届きな行いを改める。疑われなければ、しばらくの間は盗み見ていきたいと思う。
紫様へ包みを渡したときだ。
「ねえ、これ結びが甘くなってない。これじゃすぐにほどけちゃうわよ」
紫様は確信に近いことを私に言ってきた。もちろん私はぎくりとなったが、それを表に出さなかったのは褒めてほしいものだ。
「木の枝に引っかかってしまいましてね、あやうく落とすところでしたよ。いや、注意が足りなかった」
「木の枝に引っかかるほど低い位置を飛んでいたの」
私はまたしても、ぎくりとさせられた。
「ああ、確かにまずかったですね。前に、木の枝に服を引っかけて破けてしまったこともありました。それをすっかり忘れて低空を飛んで、散歩気分でした」
「そうよ、低空は危ないのよ。これに懲りたら木が届かない上のあたりを飛ぶことね」
どうにかごまかしたようだ、我ながら冷や汗がたれる。
疑われたらやめると言ったが、紫様がこれについて案外甘いということが分かったので、私はまだ盗み見を続けていた。
何度となく二人の手紙を読んで知ったのは、双方に日常の一端を伝えていることだった。ようは愚痴であったり、愉快に感じたできごとだったり。
紫様の場合には、私について書かれているときもあった。私というのは文面の中であっても淡白で、なんの味付けもない様子だった。私がもう少し情にうるさい者だったなら、悔しくて涙をこぼしていたかもしれない。しかもそれについて聖があてた手紙には、いい式神さんじゃないですかとか、それこそハートマークなんかもアクセントに加えながら私を賞賛してくれていた。
どちらにしろ、私は手紙をこっそりと読んで、意味もなく二人の動向を探るのが楽しみとなっていた。
私が一度開けた包み、紫様がそれを不信がることはほとんどなかった。指摘されれば、口から出まかせを言って逃れてしまう。これでうまくいっている。私がついつい、おごるようになっていた。
その日もやはり、私はあの林道に降り岩に座って包みを開けていた。前回は紫様がこう伝えていたから聖はこう返しているだろうなあ、と想像しながら手紙を開いているときだ。
「おおい、何してるんだ」
突然、背後からそう言われたものだから私は尻尾の先まで硬直させた。振り返ってみると、いい玩具を見つけたと言わんばかりな顔の魔理沙が立っていた。
たいそう嫌な相手に見られてしまった。
「なにって、手紙を見ているだけよ」
ヘタな言い訳をすると勘ぐられてしまう。そう感じた私は今の状況を素直に告げた。これで帰ってくれればいいものだが、最悪、力で追い払うのも覚悟しておかなければ。
「おや。それってお菓子じゃないのか。どれちょっと味見させろよ」
魔理沙、私の膝の上に開かれている菓子折りへ興味がいってしまったか。
「なりません。これは紫様へ渡す菓子。あなたが食べていいいものじゃない」
「一つくらい」
「だめ」
「じゃあ手紙を読ませろよ。ちょっとだけ、いいだろ」
ここで断って、無理やり菓子を食われたら面倒だ。手紙を見せて満足してくれるのならそっちを選ぶべきだろうか。ただ、魔理沙に見せるとろくなことがないように思う。背に腹は変えられないか。
私は魔理沙に、誰にも言うなと念をおした。楽しげな魔理沙が私の肩ごしに手紙を覗きこんだ。彼女に持たすと手紙にシワがよったり、もしか持っていかれるかもしれないので、間接的に読ませてやる。
魔理沙は手紙を読むと、ほほおやら、ははあやら漏らしていた。何がははあで、どこがほほおなのか。
「ああ、これは、内緒にしとくぜ。うん。……なあ、次あったら読ましてくれないか」
この頼みはさすがに断るべきだったのだ。だが前述した通り私はおごっていた。悩む素振りだけ見せてから構わないと言ってしまった。
魔理沙が側にいたことにすら気付かなかったほど注意を怠っていた私は、ほどなく自分を後悔することとなる。
その日。
命蓮寺へ包みを届ける日であり、この前の約束どおり魔理沙も手紙を読みにきていた。
私より早く道沿いの岩に陣取っていた魔理沙は、私を見るなり包みを開けろ手紙を見せろと催促してきた。まるでエサを前にした犬だ。
まあ、秘密を共有しているというのも悦なものだ。
魔理沙が急かしてくると、私も読みたくてうずうずしてきた。
「一体いつから続けてるんだ」
「なに、つい最近よ。一ヶ月ほど前だったかな」
風呂敷のチョウチョ結びをほどく。いつもよりゆるめに結ばれている気がした。
「あんたの飼い主にはバレなかったのか」
「飼い主って。まあバレませんでしたね。今もバレていない」
ふたを開けると、そこにはいつも通り折りたたまれた手紙がある。
「おお、きたきた」
「きましたね」
そして、手紙を開いたところ、ぺりっと何かが剥がれる音がした。私も魔理沙もその音を認識する間はなかった。
巨大な光に目をくらませ、瞬間に身体中を強かな衝撃が襲った。
ははあ、さすが我が主人だ。何の力も感じさせず手紙にスペルカードを仕込ませておくとは。
これだけの仕打ちなら、まだ安いものだ。
どうやらこの一部始終は、あの鴉天狗に撮影されていたらしい。
紫様から新聞を突きつけられて意味深な微笑を投げかけられたときは背筋が凍った。新聞には爆発の瞬間、私と魔理沙が宙へと吹き飛んでいる姿を写した写真が載っていた。しかも記事のほうには私と魔理沙がいかがわしい密会をしていたとか何とか書かれている。
「あなた、魔理沙と面白いことしてたようねえ」
紫様。
いくらなんでもこれはひどい。酷な仕打ちです。何も天狗まで使って、私の捏造記事を、幻想郷にばらまいて。もしや、ずいぶんはじめの頃からお気づきなさっていて、それでも野放しにしていたのか。そうやって、今回は魔理沙だったが、誰かが私と一緒になり手紙を開く場面を待っていたとか。
傘で叩かれて済むならいくらでも受けましょう。弾幕を浴びせられて済むならどうぞ今すぐにでも。こんな、私と魔理沙が蜜月の仲であるかのような。
私は、とうぶん外を出歩けそうにない。
何が入っているのかと聞くと、菓子が入ってるのだと言われた。餡をねりこんだ餅だ。紫様はそう言った。
「食べちゃだめよ。それを命蓮寺まで届けなさい。食べちゃ、だめよ」
命蓮寺。
ははあ、あの宝船が地面に根付いたあれか。
紫様はいつの間にあそこと交流なさっていたのだろう。それともまだ交流らしい交流はなく、この包みが挨拶がわりなのだろうか。
委細を聞きはしなかった。我が主人の頭からあふれる無限にちかい発想のうち、他者と交流などは、朝もやから生まれる一露に過ぎない。一露を好き好んで調べあげるのは、モノ好きしかいない。
とにかく私は包みの中身以外を聞くことはなかった。
分かりましたと一言、あとは飛び上がり命蓮寺に向かうだけだった。
人間の里の近くに命蓮寺はある。妖怪保護が目的のようだが、どこがありがたいのか知らないが人間からも評判は良いらしい。たしかに妖怪や幽霊だらけの寂れた神社や、登山しなければ拝めない神社よりは、近場の方が足にありがたいことだろう。
私が命蓮寺の前に降り立ったときも人間が数名いた。
私を見るなり、とうとう九尾の狐まで聖様の説法を拝聴しにきたか、としきりに騒ぎ立てた。耳障りだったので札をいくらか飛ばしてやると、彼ら思惑どおり私から離れてくれた。
その騒ぎを聞きつけてか、寺の門から虎の妖怪が出てきた。おかげで門を叩く手間がはぶけた。
何を言われるよりも早く私は包みを突き出して、紫様の使いであること、この包みを届けにきたことを伝えた。しかし彼女は包みよりも私を見た。
「それはそれとして、あなた、人間に手を出しましたね」
「手は出していないわよ」
「うそ。ほら、あそこの木にあなたの飛ばした札が刺さっている。いけませんねえ」
彼女はどうやら、私が一方的に人間へ危害をくわえたように思っているらしい。
厄介は困る。
私は彼女に包みを押し付けて、そそくさと逃げることにした。もし言い返していたら、そのままいつもの眩しい喧嘩に発展するか、彼女あるいは聖とやらの説法を聞かされるハメになるかもしれなかったからだ。
彼女が虎丸星という名前だとは、あとで知った。
帰路の途中で魔理沙に出くわしたのはよくなかった。
ここで会ったが百年目とのたまいながら、嬉しそうに、逃げる私を追いかけ回してきた。おかげで服を一つダメにした。
なぜ紫様は自ら包みを渡しにいかないのだろうか。隙間ごしに送りつければ一秒とかからないだろう、わざわざ私を使う理由が分からない。やはり挨拶のつもりだったのかな、だとすれば私は粗相をやらかしてしまったなあ。ファーストインプレッションで、とんだ化け狐だと思わせてしまった。紫様の印象も一緒に引きずって悪くさせたかもしれない。
もっとも、紫様は印象の良し悪しを気にする方ではないが。
だいたい、私の中でそういった悔いが残ったままだった。
命蓮寺にはそう頻繁に訪れることはないだろうと決めつけていた。だから翌日、紫様から風呂敷を回収しに命蓮寺へ行けといわれたときは、ひそかに意気込んだものだ。
私の粗悪な印象を、不自然なく覆すことができるかもしれなかった。それはまた、主人のためでもあった。
元々いいかげんな風がある紫様の印象を、これ以上いいかげんにさせてしまう訳にはいかなかった。
昨日とはちがって手ぶらで飛びながら命蓮寺へ向かい門の前に着地した。やはり昨日のように数人の人間がいた。
今日は人間へ札を投げつけにきたのではなく、風呂敷を返しにもらいにきた。なので彼らは無視させてもらった。
門を叩くと星が出てきて少し意外そうな顔をした。私は気さくに振舞うべくやあと挨拶し昨日はいや失礼をと続けようとしたところ、星が寺の中へ引っこんでいった。ふうむ。私はどうやら相当な無礼者と認められてしまったようだ。自分がまいた種ではあるが腹が立つ。
だが風呂敷は返してもらわねばならない。
寺へ乗りこんでやろうかとさえ思っていた矢先、星が再び現れた。私は体裁のうえで笑顔をつくり迎えた。
「これを」
星がそう言って渡してきたものは、返してもらおうとしていた風呂敷、それに包まれた菓子折りだった。持ってみたときの感触は軽かった。
「これは餅のお礼だと聖様が。中には煎餅が入っていますよ。ぬられた醤油が実に舌を満足させてくれます」
星の笑顔には無邪気な様子がある。私はなんだか拍子抜けした。
印象に関してはとやかく言うほどでなかったらしい。ただ、せっかくなので謝っておくと、私は数倍ほど謙虚に謝り返された。
私が帰ろうとして飛び上がる直前に星が、中は決して見ないようにと言ってきた。言われずとも見るつもりなどありません。どうせ中の煎餅は、すべて紫様の腹におさまる運命だ。
帰り道は誰にも会わなかった。
目的がはっきりしないお使いだった。
これは、自分の中でとうに完結したものだと思った。実際、その後何日かはこのような命令を受けることもなかった。
というのも、何日後かの正午のとき突然、紫様が私へ包み物をよこし命蓮寺まで届けろと言ったのだ。二度あることは三度あるものだなあと、内心で妙に驚いた。
ずっしりとはいかないまでも、手になじむ程度の重たさはなんだろうか。餅ではなさそうだ。
さすがに三回目となると、聞くのも手間だ。
そうして私は飛び立ち、命蓮寺の前に降り立つと門を叩いて、応対として出てきた星と適当な挨拶を交わし包みを渡す。あとはさっさと帰るだけだ。
そのつもりだったが、近く里のほうからおいしそうな匂いがしたのでつい向かってみた。
匂いのもとは扉が開けっ放しにされている酒屋からだった。近づいてみるとはっきり嗅ぎ分けることができる、これは天ぷらをやっているな。私は思わずつばを飲みこんだ。
長居はできないので注文した天ぷらは三つにとどめておいた。さつまいも、なす、練り物を揚げたものをいただいた。
紫様は見ているかな、あとで叱られはしないだろうか。
三度と往復するくらいならまだいいが、定期的に往復させられては嫌にもなる。
だが私の偏屈な主人は、私が少しでも駄々をこねようものなら、すぐさま暴力をふるってくる。傘の柄で殴りつけられるなどは日常茶飯事だと思っていただきたい。
往復とは、例の包みの話だよ。
あれから懲りることもなくだいたい四、五日おきに私が包みを持っていき、私が包みを取りにいくようになった。いったい菓子の渡しあいのどこら辺に、紫様と聖のつぼを突く因子があったのか私は分からない。
それに私ばかりがこき使われている、ちっとも楽しくない。
いずれ飽きてくれるだろうが、私にはその前に一つ、気になっていることがあった。
紫様から包みを渡される際、絶対に開けるなと注意される。
また、星を介して聖からの包みを受け取る際も、中を見ないようにと、必ず釘を刺される。
はて。
たかだか菓子折りに、どうしてそこまで敏感になるのだろうか。菓子とはそれほどまでに、他人に見せてはならないものだったか。
ふと、そんな疑問が沸いて出た。いったん沸いて出ると中々引っこんでくれず、行ったり来たりしている間は、ずっとそれについて頭を悩ますようになった。
命蓮寺へ向かっているときのことだ。
魔が差したと言うよりは、こらえていたものがついに限界をむかえたと言うべきだ。
私は人間の里から少し離れた林道に降りると、腰を下ろせる手頃な場所を探した。ちょうどよい岩を見つけたので、出来る限り慎重に座った。九尾もあると、座るにも一苦労だ。
いくら紫様だって常に監視の目をはべらせているわけはないが、だからと言って油断してはいけない。
私は恐る恐るチョウチョ結びの風呂敷をほどき、菓子折りの箱をしっかり確認するとふたを開けた。このとき私は、紫様にばれはしまいかと怯える他、どんな菓子が入っているのだろうとわずかに期待していた。
ここで意表をつかれた。
ふたを開けてまず現れたものは餅でもなければ煎餅でもない。紙だった。言っておくが菓子と箱との接触を防ぐためにあるような紙ではない。少々ざつに折りたたまれた紙があった。
まったくこのときの私は野生狐ほどな純粋さで首をかしげていた。
そして大した考えもなく紙を取ると、はらりと開いてしまったのだ。
さすがに、いやあさすがに、細々と綴られた紫様の字を見たときにはちょっと戦慄を覚えた。だって完全なプライベートじゃないか。今すぐそっくり折り直して箱に戻すべきだ。
私は周囲を見回した。
もちろん、誰もいない。ここには私一人だけだ。
改めて紙に目を落とし、文面を読み進めてみた。
そこには紫様が聖へあてているらしい言葉があり、節々に友好的な雰囲気が感じられた。いや、むしろ、慣れ慣れしくさえある。まるで友人に向けての手紙だ。ああ、私には必要最低限の言葉しか伝えてくれない紫様が、こんなにも生活感にあふれた私情をまさか聖に伝えている。私にある、紫様の式神としての誇りが、あっさりと風に巻かれてしまった気がした。
私は手紙を読みきる前に、元のままに戻すと菓子折りのふたをしめ、風呂敷を包み直した。
その後、何事もなかったかのように命蓮寺へ向かい、何事もなかったかのように帰路についた。
ただ、私の思考はひどくかたまっていた。
これは実に衝撃的な出来事だ。彼女たち二人は菓子折りを交換しあう裏で文通にいそしんでいたのだ。私はそれを盗み見てしまった。紫様には日ごろから手痛いお仕置きを受けているので、私が手紙を見た事実を知られたときにどんな罰が下るか、たやすく想像できた。
けっきょく翌日になっても、紫様からあのことについて聞かれはしなかった。
バレていないのか、単に泳がされているだけなのか。
できるなら、包みを届ける仕事なんてやめたい。断れば許してもらえそうな気もある。しかし、例えばそこでもう私を使わんで下さいと言ったら、それが元に疑られるやもしれない。さらにあの人なら、疑う行為を飛び越えてすぐさまお仕置きに走りかねない。
私はそうやって何も言い出せずにいて、そうしているうちに包みを取りにいけと言われた。
言うとおりにした。
命蓮寺に行き包みをいただく。きっとこれにも例の手紙が入っているに違いない。聖が紫様へあてた手紙だ。
私は何も考えず一直線に帰るべきだった。恐らくその方が私にとってしごく安全な道のはずだ。しかし、手紙をほんの少しでも見てみたい欲求は私の心に絡みついてはなれようとせず、耐えかねた私は前と同じ林道へ向かい、岩へ座るとさっそく包みを開いた。
ふたを開けてみると、あったあった。手紙だ。
これは紫様のではない、聖の手紙だぞ。いくらなんでも、顔も見たことない人の手紙をみるのはまずい。
そんな抑制は効きそうもなかった。
読んでみてまず感じたのは、ずいぶん柔らかい言葉遣いだということ。もう一つ具体的に言うなら乱れ気味である。ハートマークが使われているのを見つけたときには思わず苦笑した。だが、紫様とは比べ物にならないほど、瑞々しく日々の生活を書き表していた。
今更ながら、他人の手紙を盗み見るというのは刺激的だ。二度目ゆえに前回のような緊張はなく、またあらかじめ手紙の存在を知っていたので、すらすらと読み進めることができた。
私は読み終わってから一息ついて、自分の顔がにやけているのに気づき袖で隠した。
いや、なんというか、面白い。だが、この一通だけだと物足りない。
私は包み直すと飛び上がった。
紫様は目ざといので、もしかしたら風呂敷が開けれていること、ふたが開けられていることに気づくかもしれなかった。もしここでほんのちょっとでも疑われた場合には、私はすぐさまこの不届きな行いを改める。疑われなければ、しばらくの間は盗み見ていきたいと思う。
紫様へ包みを渡したときだ。
「ねえ、これ結びが甘くなってない。これじゃすぐにほどけちゃうわよ」
紫様は確信に近いことを私に言ってきた。もちろん私はぎくりとなったが、それを表に出さなかったのは褒めてほしいものだ。
「木の枝に引っかかってしまいましてね、あやうく落とすところでしたよ。いや、注意が足りなかった」
「木の枝に引っかかるほど低い位置を飛んでいたの」
私はまたしても、ぎくりとさせられた。
「ああ、確かにまずかったですね。前に、木の枝に服を引っかけて破けてしまったこともありました。それをすっかり忘れて低空を飛んで、散歩気分でした」
「そうよ、低空は危ないのよ。これに懲りたら木が届かない上のあたりを飛ぶことね」
どうにかごまかしたようだ、我ながら冷や汗がたれる。
疑われたらやめると言ったが、紫様がこれについて案外甘いということが分かったので、私はまだ盗み見を続けていた。
何度となく二人の手紙を読んで知ったのは、双方に日常の一端を伝えていることだった。ようは愚痴であったり、愉快に感じたできごとだったり。
紫様の場合には、私について書かれているときもあった。私というのは文面の中であっても淡白で、なんの味付けもない様子だった。私がもう少し情にうるさい者だったなら、悔しくて涙をこぼしていたかもしれない。しかもそれについて聖があてた手紙には、いい式神さんじゃないですかとか、それこそハートマークなんかもアクセントに加えながら私を賞賛してくれていた。
どちらにしろ、私は手紙をこっそりと読んで、意味もなく二人の動向を探るのが楽しみとなっていた。
私が一度開けた包み、紫様がそれを不信がることはほとんどなかった。指摘されれば、口から出まかせを言って逃れてしまう。これでうまくいっている。私がついつい、おごるようになっていた。
その日もやはり、私はあの林道に降り岩に座って包みを開けていた。前回は紫様がこう伝えていたから聖はこう返しているだろうなあ、と想像しながら手紙を開いているときだ。
「おおい、何してるんだ」
突然、背後からそう言われたものだから私は尻尾の先まで硬直させた。振り返ってみると、いい玩具を見つけたと言わんばかりな顔の魔理沙が立っていた。
たいそう嫌な相手に見られてしまった。
「なにって、手紙を見ているだけよ」
ヘタな言い訳をすると勘ぐられてしまう。そう感じた私は今の状況を素直に告げた。これで帰ってくれればいいものだが、最悪、力で追い払うのも覚悟しておかなければ。
「おや。それってお菓子じゃないのか。どれちょっと味見させろよ」
魔理沙、私の膝の上に開かれている菓子折りへ興味がいってしまったか。
「なりません。これは紫様へ渡す菓子。あなたが食べていいいものじゃない」
「一つくらい」
「だめ」
「じゃあ手紙を読ませろよ。ちょっとだけ、いいだろ」
ここで断って、無理やり菓子を食われたら面倒だ。手紙を見せて満足してくれるのならそっちを選ぶべきだろうか。ただ、魔理沙に見せるとろくなことがないように思う。背に腹は変えられないか。
私は魔理沙に、誰にも言うなと念をおした。楽しげな魔理沙が私の肩ごしに手紙を覗きこんだ。彼女に持たすと手紙にシワがよったり、もしか持っていかれるかもしれないので、間接的に読ませてやる。
魔理沙は手紙を読むと、ほほおやら、ははあやら漏らしていた。何がははあで、どこがほほおなのか。
「ああ、これは、内緒にしとくぜ。うん。……なあ、次あったら読ましてくれないか」
この頼みはさすがに断るべきだったのだ。だが前述した通り私はおごっていた。悩む素振りだけ見せてから構わないと言ってしまった。
魔理沙が側にいたことにすら気付かなかったほど注意を怠っていた私は、ほどなく自分を後悔することとなる。
その日。
命蓮寺へ包みを届ける日であり、この前の約束どおり魔理沙も手紙を読みにきていた。
私より早く道沿いの岩に陣取っていた魔理沙は、私を見るなり包みを開けろ手紙を見せろと催促してきた。まるでエサを前にした犬だ。
まあ、秘密を共有しているというのも悦なものだ。
魔理沙が急かしてくると、私も読みたくてうずうずしてきた。
「一体いつから続けてるんだ」
「なに、つい最近よ。一ヶ月ほど前だったかな」
風呂敷のチョウチョ結びをほどく。いつもよりゆるめに結ばれている気がした。
「あんたの飼い主にはバレなかったのか」
「飼い主って。まあバレませんでしたね。今もバレていない」
ふたを開けると、そこにはいつも通り折りたたまれた手紙がある。
「おお、きたきた」
「きましたね」
そして、手紙を開いたところ、ぺりっと何かが剥がれる音がした。私も魔理沙もその音を認識する間はなかった。
巨大な光に目をくらませ、瞬間に身体中を強かな衝撃が襲った。
ははあ、さすが我が主人だ。何の力も感じさせず手紙にスペルカードを仕込ませておくとは。
これだけの仕打ちなら、まだ安いものだ。
どうやらこの一部始終は、あの鴉天狗に撮影されていたらしい。
紫様から新聞を突きつけられて意味深な微笑を投げかけられたときは背筋が凍った。新聞には爆発の瞬間、私と魔理沙が宙へと吹き飛んでいる姿を写した写真が載っていた。しかも記事のほうには私と魔理沙がいかがわしい密会をしていたとか何とか書かれている。
「あなた、魔理沙と面白いことしてたようねえ」
紫様。
いくらなんでもこれはひどい。酷な仕打ちです。何も天狗まで使って、私の捏造記事を、幻想郷にばらまいて。もしや、ずいぶんはじめの頃からお気づきなさっていて、それでも野放しにしていたのか。そうやって、今回は魔理沙だったが、誰かが私と一緒になり手紙を開く場面を待っていたとか。
傘で叩かれて済むならいくらでも受けましょう。弾幕を浴びせられて済むならどうぞ今すぐにでも。こんな、私と魔理沙が蜜月の仲であるかのような。
私は、とうぶん外を出歩けそうにない。
スキマでやり取りしなかったのは、文通の雰囲気を味わいたかったからだろうなぁw
藍しゃま乙
なんというか、自分の中に湧きあがった好奇心を抑えきれずに手紙を見ちゃうって可愛げがありますよねv