「小町。私脱サラして農業やります」
やるそうです。
四季映姫が閻魔王の職を辞してから半年。小野塚小町の許に映姫から手紙が届いた。
わら半紙に鉛筆書きという貧乏臭い手紙だった。
なんとか農業も軌道に乗ったというようなことが書かれていた。
初収穫がよほど嬉しかったらしく、便箋の隅に干しけた沢庵がセロテープで貼りつけてあった。あのこれ凄く臭いんですが。
大したもてなしは出来ないが是非様子を見に来てくれというので、小町は映姫がひっそり移り住んだ隠れ家とやらに行ってみる事にした。
もちろん仕事はサボることになるけれど、大した問題ではない。
「この丘を越えると……おっ、あったあった」
ポリポリたくあんを齧りながら便箋の地図の通りに丘を登ると、野原の松の林の影の小さな茅葺の掘っ立て小屋に『映姫の秘密のお部屋』というなんともなぁな表札が掲げてあった。
「めっちゃカラス止まってる……」
見上げた屋根の上で二、三羽のカラスがギャアギャアと不吉な声で鳴いていた。
この不吉なバラックのどこをどう気に入ったものか。
映姫がなけなしの退職金で買い取ったとは聞いていたが。
「四季様、いますかー?」
ギギギ……ギギィーとワイルドな音を立てつつ引き戸を開けると、今まさに映姫が首を吊ろうとしているところだった。
「ははは早まるなァー!!」
今まさに輪に首を通した映姫の足に取り付き、小町は無我夢中で真下に引っ張った。
「死んで花見が咲くものか! うわぁぁぁ四季様あたいを置いて死ぬなァー!!」
ボキリ、という音と共に縄をかけた梁が折れた途端だった。文字通り屋台骨を失ったバラックはあっけなく倒壊した。
映姫は瓦礫の中で89%ぐらい死んだ表情で呆けていたが、しばらくして我に返ったようだった。
「こっ、小町!? なななななんてことをしてくれるのです!」
「なななななんてことをしてるのは四季様でしょう!? 一体何があって首吊りなんか!!」
「そこじゃありません!」
「どこですかっ!」
「あぁ……わ、私の夢の城が……。一瞬でゴミに……!」
元からゴミじゃん。小町がそう呟く前に、映姫は全壊した退職金の残骸の山をアワアワと見つめ、それからまた気絶した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そして今。映姫は小町の膝の上で眠ったように死んでいる。
そろそろぶっ生き返すとするか。そう思って小町は映姫の鼻をつまんだ。
十秒もすると映姫は飛び起きた。
「関脇級の力士二人に挟撃されて窒息する夢を見ました」
「関脇ですか。微妙ですね」
「それでも関取です」
「それで四季様、なんで首吊りなんかを?」
「おおぅ、そうだった」
映姫は本当に思い出したように言った。
「私の家に泥棒が入ったようなのです」
あんなワイルドハウスに金目のモノがあると踏んだ泥棒はなかなか想像力逞しいヤツだと思う。
「そんな馬鹿な」と言ったら怒られた。
「下の畑から帰ってきたら、家中足形だらけだったのです。幸いにも金目のモノは持ち歩いていたので無事でしたが、奥座敷から命より大切なものを盗まれてしまいました」
「なけなしの乳の脂肪を奥座敷に置いてたんで?」
「この乳か? この乳が言わせるのか」
映姫がムンズとばかりに乳を捕んでくる。「冗談ですよ」とフォローも忘れない。
「ジョークはさておき、一体何を盗まれたんで?」
映姫は全身が萎むようなため息をついた。
「せっかくいい塩梅になりかけていた糠床を奪われてしまったのです」
「そんな。マジなんですか」
「マジです」
なんとも気の毒な話だった。飯のときに漬物がないということは、すなわメシ時にオカズがないということ。
オカズがないと米が食えない。米が食えないのは大事件だ。
魚から水を奪ったら死んでしまうように、農民が糠床を奪われたら三日と生きてゆけない。糠床を奥座敷に安置するのもどうかと思うけれど。
映姫は瓦礫の上にへたり込むと、握った拳をぶるぶると震えさせた。
「何日も何日も手を糠臭くしてかき回した私の糠タンが、今はどこぞの馬の骨の野菜を受け入れていると思うと……クッ」
咄嗟に俯けた顔から雫が滴り落ちて、ボロボロになった映姫の手の甲に落ちた。
「それにしても、犯人は何で糠床を?」
「それはこっちが聞きたいですよ……。小町、私はもうおしまいです。何卒お許し下され」
「だから早まるなって言ってるじゃないですか」
「もういいのです。私はもう十分生きました。糠床を盗まれたドン百姓と謗られて生き恥を晒すぐらいなら、一思いに死にますえ」
「四季様のバカッ!」
パァン! と乾いた音を立て、小町は映姫の頬を打った。
打たれた頬に手をやった映姫が「小町……?」と呆気に取られた表情で小町を見上げた。
「あんたは閻魔を辞めて正義も失くしてしまったのですか。あたいの上司の四季映姫はそんな人じゃありませんでした。たとえ肥臭くなろうが全身が緑色になろうが、悪人は必ずや正義を以て裁く、それが四季映姫という人でしたよっ」
それを聞いた映姫の目から大粒の涙が溢れた。
「負けた」
「負けましたか」
「完敗です、小町。あなたは乳だけじゃないんですね」
「そうです。もっといろいろ詰まってます。夢とか」
「夢、ですか」
「夢です」
「希望も詰まっているのですか?」
「そりゃもうたくさん詰まってます」
「愛は?」
「愛はちょっと少ないです」
映姫の顔に闘志が戻った。
「小町、必ずや糠床泥棒を見つけ出してちぎっては投げちぎっては投げしてやりましょう!」
「やりましょう!」
ウオオオォーと響いた二人の慟哭は、その日の夜七時くらいまで絶えることなく聞こえ続けたという。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
次の日。二人はとりあえず武装する事にした。
コソ泥ならともかく、犯人がプロの窃盗団だったならば派手なドンパチも有り得る。
銃の間合いと爆弾の破壊力を兼ね備える武器が必要だった。
アレコレ吟味した結果、小町と四季映姫はバラックの残骸から引っ張り出した角材を持ってゆく事にした。
「それで、四季様」
「おぅおぅ」
「犯人の目星は?」
「ありません」
「ないんですか」
「ないのです」
じゃあダメじゃん。
小町は角材をほっぽり出してその場に寝転んだ。
「なんですか小町! 早速だらしないですねっ!」
「だらしないもなにも、手がかりがないなら探しようがないじゃないですか」
「だからそれがだらしないのです! まるでコンクリの上で塩をかけられたナメクジみたいにヌメヌメとだらしないです!」
「はいはい。あたいはどうせナメクジですよ。ヌメヌメですよ。塩かけてみます?」
「キィー」
映姫は首に巻いた手ぬぐいを噛んで地団太を踏んだ。
うるさい元上司だなぁ、と思った小町はそれから逃げるように寝返りを打った。
そのときだった。小町は「あ」と声を上げた。
「四季様、これは……」
小町が見つけたのは足跡だった。
それも自分のものではない。
小町と映姫がその行く先を見ると、それはずっとずっと先まで続いていた。
「犯人のですかね」
「そうに決まってます」
「なんでわかるんです」
「ここ半年間、あなた以外に我が家を訪ねてきた者はいませんから」
「胸に刺さるような事実ですね」
「刺さるほどの乳がないです」
小町は立ち上がった。映姫と顔を見合わせると、映姫も頷いた。
「行きますよ四季様! 糠タンを助け出しましょう!」
「行きましょう小町!」
ウオオオォーと二人は雄叫びを上げ、角材を持って走り出した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
足跡は数十メートルで途切れていた。
「ちくしょう! 空を飛んで逃げるとはなんて極悪な奴!」
「空を飛んで逃げるなんて! 極悪にも程がありますよ!」
二人は最後の足跡の前に頽れ、地面を拳で叩いていた。
拳からは血が出ていた。
「あな口惜しや……! 七生を持ってこの恨みに報いてやります!」
映姫は角材にガリガリと歯を立てて噛みついた。
あっという間に角材から小さな木彫りの熊が出来た。
「四季様すげぇ! なんですかソレ!」
「私は怒りが有頂天になるとこんなことも出来るようになるのです!」
「すげぇ! めっちゃすげぇ!」
「もっとホメなさい!」
「すげぇ!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ぺっぺと口の中からおがくずを吐き出した映姫は、冗談はさておき、と言って立ち上がった。
「これはもう……出すしかないですね。隠し技的なアレを」
映姫が低く言ったときだった。ゴゴゴ……という音と共に風が吹き、重い雲が垂れ込め、雷鳴が四方数里に轟いた。
「し、四季様……何を……!?」
「退職したとはいえ元閻魔王……この就職難の日ノ本で二度の就職戦線をかいくぐって来た実力――それを今こそ発揮するときのようです」
これは……。小町は目を剥き、大昔に耳にした伝説を思い出した。
かつて幻想郷において、超難関、略してチョナンカンを謳われる閻魔王登用試験をかいくぐった転職者がいたという。
地蔵から閻魔王へ。奇跡の転職を果たした彼女につけられた渾名は『縁故入社』――。
かつて幻想郷中にその名を轟かせた伝説のリクルーターは、実に数百年ぶりにその実力を現そうとしているのだ。
映姫は目を閉じると、前に向かってスッと人差し指を立てた。同時に雷鳴はますます大きくなる。
小町が見ている前で映姫の人差し指が左右に揺れる。
真剣そのものの表情で振られる映姫の指が――右で止まった。
「あっちです! ウオオオォー!」
小町は走り出そうとした映姫の乳を背後から鷲掴みに掴んだ。
「なんですか! 離してください小町! あまりにもデカすぎて掴みやすかろうですがこういうときは肩を……!」
「あんたにはもうついていけません!」
小町が怒鳴ると、映姫はぎょっとして小町を見た。
「小町……?」
「なんですか今のは! あれ『どれにしようかな』でしょ! ぬぁーにが“二度の就職戦線をかいくぐってきた力”ですか! その力って要するに運ってことですよね! 普通の人ならともかく白黒はっきりつける閻魔にそれやられたら大分イヤですよ!」
ぐぬぬ……と映姫の顔が歪んだ。っていうかそうやって白黒つけてたんか今まで。
道理で裁判のときに指をチラチラ動かしてると思った。
「犯人が逃げた方向が運だけでわかるわけないじゃないですか! どうせ閻魔王の就職試験のときもエンピツ転がして偶然通ったんでしょ! こんなのが元上司だったとか恥ずかしくて涙が出ますよ!」
「違います! 面接の結果がよかったんです!」
「結局筆記はダメだったんじゃないですか!」
「うるさい! 燃やしますよ!」
「埋めちゃいますよ!」
それは言葉の応酬と、ちょっとした心の行き違いであった。
いつしか二人は手にした角材で殴り合っていた。
サンは地平線の向こうに沈みかけていた――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夜。二人は野原に仰向けで倒れ込んでいた。
「――意外に強いんですね、小町」
「――あんたこそ、四季様」
口を動かすとボコボコになった顔がひりひり痛んだ。
殴り殴られ、突き突かれた。判刻に渡る殴り合いの結果、結局決着はつかなかったのだ。
「……思えば、こうやって喧嘩するのって初めてですね」
「……そうですね」
「四季様が閻魔だった頃にやっておけばよかった……」
「いやぁ今だって遅くはなかったですよ……」
小町はむっくりと起き上がると、目の周りがパンダメイク状態になっている映姫に手を差し伸べた。
「小町……?」
「行きましょう、四季様。糠床を取り戻すんでしょう?」
歯が欠けた映姫の目に困惑の色が浮かんだ。
「しかし、私は閻魔王にエンピツを転がして受かったダメ上司なのに……」
「やっぱりエンピツなんじゃないですか。それでも、あたいの上司は四季様しかいませんから……」
そんな言葉が自然に出でてきた。映姫の顔が俯けられ、「ありがとう、こまちん……」という涙で濡れた呟きが漏れた。
小町は百万ルクスの笑顔で言った。
こまちんって呼ぶな、と――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ぐっ、強い……! 戦闘しながら糠床をかき回すその姿はさながら戦場を駆る戦の女神……!!」
「何て奴……! 弾幕勝負をしながら糠床をかき回しているなんて……!」
「あら、もう終わりなの? 農民になってから勘を忘れてるんじゃなくて?」
片膝をついて荒い息をつく映姫に笑いかけたのは、幻想郷最強を謳われるスキマ妖怪――八雲紫だった。
紫は映姫から奪った糠床のツボに手を突っ込みつつ、余裕の笑みを浮かべて見せた。
あの殴り合いから二日。いくつも谷を越え、いくつも山を越えた果てに、二人はついに紫が糠床泥棒であることを突き止めていた。
が、相手が悪かった。
紫の圧倒的な力の前には角材も無力で、すぐ折れた。
奥の手の弾幕戦ですらまったく歯が立たず、二人は屠られるままになっていた。
「くっ、八雲紫! なぜあなたは私の糠床を盗んだのですか!」
「あぁ、ちょっと霊夢んとこの夕餉のオカズが足りなかったのよ。ゆかりんそれでドロボーしちゃった」
「たったそれだけの理由で……!?」
「他に理由があって?」
憤怒に歪んだ小町の顔を見て、紫はさも可笑しそうに唇を曲げて見せた。
「それにしても……閻魔王さん。あなたのところの糠床、とってもよかったわ……」
「クッ、貴様……!」
「誰が動いていいと言ったのかしら?」
踏み出そうとした一歩に鋭い叱責が飛び、小町はそれ以上の挙動を封じられた。
「ここでこのあなたの糠タンが犯され、嬲られるのを見ているがいいわ」
「あぁっ……や、やめろ! 私の糠タンが……!」
抗議の声にも耳を貸さず、紫はツボから手を引き抜き、指の先に付着した糠を妖艶な所作で舐めた。
「ふふ……生真面目が身上のなあなたからは想像できないほどの出来ね。化学調味料を一切使っていないために妙な雑味もなく、大根本来が持つ自然な甘さが引き立っている……。大根のパリパリとした食感が耳にも心地いいし、霊夢もお茶請けには最適だと太鼓判を押していたわ」
「盗人の身分を忘れて長々と漬物の評価ですか……!」
「ちょっと嬉しいんでしょ?」
「嬉しいです!」
「正直ね……」
満足そうに頷いた紫の周囲にいくつもの光球が出現した。
ジジジ……と周囲の大気を焦がすような音を立てて、その数はあっという間に数十まで増えていった。
「この糠たんは気に入ったから私が霊夢とチャイチャイしながら共同で使わせてもらうわ……。あなたは帰って畑でも耕してなさいな」
これでとどめ――そう宣言する声と挙動だった。
映姫は咄嗟に立ち上がろうとしたが、故障に故障を重ねた身体がそれを許さない。
瞬間。紫の嗜虐的な笑みの中に嘲りの色が浮かんだ。
「馬鹿な閻魔様ね……農業などしないでそのまま閻魔であったならば、私と戦う愚は避けられたかもしれないのに……」
紫がそう言った瞬間だった。
紫の周囲に浮かんでいた光球が映姫に殺到し、視界が白い光に染まった。
終わりだ。映姫はぐっと目を閉じた。
しかし、いつまで経ってもなにも起こらなかった。
映姫はおそるおそる薄目を開け、そして瞠目した。
「こっ、こまちん……?!」
「こまちんって呼ぶな……!」
小町だった。
小町は映姫の前に立ちはだかるように仁王立ちし、全身から黒煙を立ち上らせていた。
映姫が目を瞑っている間に何が起こったかは明らかだった。
「……まさかあれを全部喰らって立っていられるなんて……死神というものはやたらと頑丈ね」
紫は言葉こそ嘲っていたが、少しだけ青ざめた顔にははっきりとした恐怖が滲んでいた。
「見上げた忠誠心の賜物かしら。たかが糠床程度で自分の身を危険に……」
「……この人を、馬鹿にするな」
小町の低い声が紫の言葉を遮った。
総身に弾幕を受け止めたはずの小町の身体は、そよりとも揺らがない。
「なんですって……」
「この人を馬鹿にするな、と言ったのさ」
小町に気圧されたように、紫が後ずさりを始める。
「あたいらは確かに馬鹿かもしれない。お前さんの言うとおり、たかが糠床程度でここまで必死になるこの人はどうしようもない馬鹿さ。頭はカタいし貧乳だし、いいところなんてひとつもないさ。けどな……」
小町の傷だらけの顔に、笑みが浮かんだ。
「それでも、そういうダメなところまで、あたいは大好きなんだよ」
紫の目がはっきりとした動揺に揺れ動いた瞬間だった。
小町は紫の腰に取りつき、しっかりと抱きしめた。「んなっ……!?」と紫が目を剥いたのと同時に、小町は容赦なく紫の細身を持ち上げ、そのまま上半身を後ろに逸らした。
「あっ、やっ、やめ……いやあああぁぁぁぁぁぁ!!」
「うおおおおおおおおおおおおらぁぁぁぁぁぁ!!」
刹那、裂帛の怒声と共に紫の体が円を描き――綺麗なバックドロップが決まった。
交錯する怒号と悲鳴が、「グチョ」という音と共に止まった。
映姫が見ると、紫の頭が糠壷にめり込んでいた。
紫はいわゆるスケキヨ状態で足だけがビクッビクッと痙攣しており、糠床の糠はあちこち飛び散って台無しになっていた。
「……勝負あっ……た……」
そう言った瞬間だった。
小町はがっくりと膝をつき、その場に倒れ伏した。
「こっ、こまちん……! 大丈夫……!?」
「こまちんって……いや、こまちんでいいですよ、もう……」
小町、否、こまちんの顔に薄い笑みが浮かんだ。映姫はこまちんの手を取った。
「すみません、四季様……。せっかく奪い返した糠床、台無しに……」
「そんなのどうでもいいもん!」
「いきなりなんですかその口調……」
「いや……! 寝ちゃダメこまちん! 寝たら死んじゃうよぉ……!」
「泣かないでくださいよ……全く、困った元上司だ、あなたは……」
こまちんの傷だらけの指が映姫の目じりに触れ、滲み出た滴を拭い取った。
「いやぁ……こまちん、退職したら一緒に農業するって約束したじゃない……!」
「してませんけど……っていうか死にませんけど」
「そういう事にしておいてよ……!」
「イヤです……よ……私、退職したら、他にやりたいことがあるんですから……」
「やりたいこと……?」
映姫が問うと、こまちんは薄く開けていた目を閉じ、深く息を吸い込んで、答えた。
「……FXトレーダー……」
それが、最後の言葉だった。こまちんの目から光が消え、落ちてきた瞼がその鳶色の瞳を永遠に隠した。
「いやぁ……最後の最後まで働かないのが夢なんて……こぉぉぉぉぉぉぉまちぃぃぃぃぃぃぃん!!」
映姫の悲鳴が夜の闇を切り裂いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
誰かに名前を呼ばれ、映姫は田んぼとにらめっこしていた顔を上げた。
自分の五メートルほど背後。田んぼのあぜ道にしゃがみこんだ彼女は、こちらに向かって大きく手を振って見せた。
すっかり凝り固まった腰を伸ばしつつ、映姫もその人影に手を振り返した。
向こうで手を振る彼女が手を口に当て、「しーきーさーまー」と声を張り上げた。
「なーんーでーしょーう?」
負けじと映姫も両手を口に当てて叫ぶと、また声が返ってきた。
「このお米、なんて品種なんですかー!?」
その問いに、映姫は一面緑になった田んぼを見てから、笑った。
もう春だった。朝五時から始めた田植えはすでに田んぼの半分を緑に変え、心地よい疲労感を体に残している。
閻魔だったときには味わえなかった陶酔感、農家だからこそ味わえる収穫の喜びが、そこにはあった。
この快感は何にも変えがたい。
格式ばった役人の世界。
人を裁くやるせなさ。
もう閻魔だった頃に戻りたいとは思わない。
――けれど、いまだに昔が懐かしくなることがある。
そんな理不尽に疲れた自分の背中をがむしゃらに支え続け、ついてきてくれていた部下の存在が。
ぼさぼさの髪、憎らしいデカチチ、そして真夏の太陽のような、明け透けな笑顔。
今はそのすべてが懐かしかった。
この稲の苗も、いつかは彼女のように素敵な米に育つだろう。
元部下であり、無二の親友でもある彼女に向かって、映姫は笑顔と共に答えた。
「あきたこまちんですぅー!!」
完
とりあえず小町がツッコミ役ってところに突っ込ませてもらいたいw
糠タンに劣情するとは俺はもうダメかもしれんなww
前作の感動を返せwwwいや……もしかして前作のえーき様と同一人物なのか……!
感動を返せwww
ちょっと誤字報告なぞ。
「干しけた沢庵」干した沢庵?
「家中足型だらけだったのです。」足跡
「化学調味料を一切使っていないために妙な雑見もなく」雑味
言い訳がましいですが上のヤツは盛岡弁です。田舎っぽいので使ってみました。
実はえーき様のセリフ全部盛岡弁で書こうと思ったんですが挫折しましたのでどうかこの一個だけはキープさしてください。他の誤字は修正しておきますのでどうかどうか。
さておき、この映姫さまは新鮮だなぁ。小町との掛け合いも軽妙で心地よかった。
あんまり糠床にこだわるから、いつ床上手なる単語が飛び出すかとヒヤヒヤしたぞい。
これからも二人して、ときどきケンカしながら仲良く農業に勤しんで欲しいね。
でもなぜか胸が熱くなりました。
コレは逆にツッコミしかないww
「あきたこまちん」から、もう農業に飽きた小町ってオチを予想してたけど、そうじゃなくて良かった。
小町のキャラもいいなぁ
え、ちょ、か、鏡石さん、本当にこれからスポポビッチさんになっちゃうんですか?;えっ
「きょうせき」です。遠野物語の作者の人です。日本のグリムです。
いくらなんでも彼と同じ号を名乗るわけにはいかんでしょうということで改名します。