星を眺めて楽しむのに、それはそれはふさわしい夜だった。
見渡す限り、きらきらした宝石みたいな輝きが広がっている。
邪魔してくれる群雲は無い。
外の世界じゃあるまいに、幻想郷の町明かりは慎ましい。
なにより、自己主張の激しすぎるお月様がいない。
「そもそも月は、地上に一つあれば十分ですよね。お嬢様」
私……紅美鈴は、ゴマすり混じりにそう言った。
「へつらい台詞のセンスが古いわね」
案の定と言うべきか、冷たい返事が返ってくる。
声の主は、羽の生えた小柄な少女だ。私の主……名をレミリア・スカーレットと言う。
称して曰く“永遠に紅い幼き月”。
運命を操る程度の能力を持つ吸血鬼。
地上に居るお月様。
「貸してあげるから、漫画でも読みな」
「それはどうも……って何処で手に入れたんです? そんな物」
「ん? 天狗からせしめた」
「あらまあ」
なんとなく、妖怪の山方向に敬礼する。心の中で。
実際に? 目の前で、そんな事出来るわけが無いのは言うまでも無いじゃありませんか。
と言うか、あちらが嬉々として渡したと言う可能性もある。
むしろそっちの可能性の方が高いか?
幻想郷の常識は中々に量り難いし、とか思う。めんどうくさい。
ので、話題を変える。
「それで、お出かけですか?」
今の所在は、紅魔館の門前である。
右の門柱前に私。まあ私は門番だから当然だ。
そして、左の門柱を背もたれにして、レミリアお嬢様が居る。
その構図の時点で、すぐに離れる気は無いと、なんとなく分かるんだけど、まあ念の為である。
「いいや」
あっさり否定する吸血鬼。
おそるおそるを装って、尋ねてみる。
「もしかして、私の勤務態度の点検ですか?」
「それもある」
「…………」
「…………」
「前、後、右、左。異常なーし!」
「わざとらしい!」
怒られた。お気に召さなかったらしい。
やれやれ。
しょうがないので、真面目に仕事をすることにする。
普段? 夜は手抜き気味である。何処の馬鹿が、夜中に吸血鬼の住まう館を強襲するというのでしょうか? 居たとしたら、それは不真面目にやってても気がつかざるを得ない手合いか、真面目にやっても気がつけない手合いだから問題は無い。大問題は、門番の問題では無い!
そんなわけで、門番職の休み時間も、基本は夜にある。
昼はしっかり仕事をし、夜はゆっくり休息する。
ああ、なんと人間的な生活だろうか。
私、妖怪だけど。
「あっはっはっはっは。上手いこと言った」
自分でも、わけがわからない事を言ってしまったと思った。
なんだか、左手側からやってくる視線が、冷たいのを通り越して、不安げなものに変わってきたような気がする。
駄目だこの門番。早く何とかしないと、とか思われちゃってるような。
不味い。
大いに不味い。
何とかしないと。
何とか。
まあ頃合か。
私は、軽く溜息をついた。
おもむろに口を開く。
「それで、何かあったんですか? お嬢様」
言って、左手側に眼を向けた。
白い顔の中の、紅い瞳がこちらを向いている。
「本当は、何かの相談でいらしたんでしょ? 分かりますよ。それくらい」
眼を逸らさずに、言を継ぐ。
お嬢様の表情は、むしろ静かだ。落ち着いていると言って良い。こうして見れば、可愛いより、綺麗と言う形容が似合うわね、とか思う。
それだけに、敢えて言うなら、普段と違う。
そもそも、普段なら、こんな何も無い……まあ私こと紅美鈴には別の意見があるのだが……門前に、退屈を持て余しているお嬢様が居座るわけが無い。
何かがあったのだ。
それが何かは、分からないが。
見つめ合うことしばし。
やがて眼を逸らしたのはレミリアお嬢様だった。
星空を見ながら、口を開く。
「この前、咲夜に袖にされてね」
「へ?」
失礼千万ではあるが、そんな声が口から漏れた。
十六夜咲夜。紅魔館のメイド長……もとい完全で瀟洒なメイド長。悪魔の館に住まう唯一の人間にして、どこからどこをどう見ても、心の底から完璧に、レミリア・スカーレットお嬢様に忠誠を誓った従者の鑑。誰が言ったか悪魔の狗。
その彼女がお嬢様を袖?
馬鹿な。
ありえない。
あるはずがないわ。そんなこと。
知らず疑問が声になる。
「どんな無理難題を申し付けられたんですか?」
うん、それこそ失礼な事を言った。
私は、即刻怒鳴られることを予想した。
鉄拳の一つも飛んでくることを覚悟した。
吸血鬼に殴られるのって痛いのよね。
さあ来るか? もう来るか?
待つことしばし。
しかし、鉄拳は来なかった。怒鳴り声すら来なかった。
来たのは静かな告白だけ。
「無理難題かは分からないね。咲夜も不老不死になってみない? って聞いただけ」
へ?
瞬間、空気の重さが数倍に、跳ね上がった。
ような感じがした。
ついでに胃の中のものの重みもだ。
告白はつづく。
「私は一生死ぬ人間ですよ……だって。ああ残念」
私は、視線を逸らした。湖の方へ眼を向けた。
星明かりだけではささやか過ぎて、そこに見えるのは闇しかない。
帽子を外して、頭をかく。
さて、今の自分のご面相は……あまり想像したくは無い。さぞや間抜けな顔をしていることだろう。
だって、不意打ちが過ぎるわよ。
能力、忠誠ともに鉄板なのが十六夜咲夜と言う人間だ。主の覚えもめでたくて、近い将来に紅魔館三人目の吸血鬼になると……すぐに、でないのは、まずはお嬢様に少食を直していただかないといけないから……思っていた。信じていた。疑いもしなかった。
なんと言う阿呆。
すぐには思考がまとまらない。
なんたる不覚。
追い討ちの言葉がやってくる。
「ねえ、美鈴」
返事を返す。
「は、はい。お嬢様」
「あなたは分かる? 咲夜の気持ち」
うん。こんなに頭をつかったのは、えーと百年ぶりくらい?
その割りに、返した返事はアレである。
「……面目ありません。分かりません」
「やっぱりそうよね」
普通の人間の気持ちだったら概ね分かるんですけどね、と心の中で続ける。
なにしろ、私……紅美鈴と言う妖怪は、素の力が弱すぎて、まるで人間みたいだから。だから、普通の人間が、何を欲し、何を願い、何を恐れるかなら、ごくごくあっさり理解できる。誰よりも理解している妖怪だと自信がある。
しかし、十六夜咲夜と言う人間は、どの点から評しても普通ではない。
だから、紅美鈴では理解は出来ない。出来ないままに、ただその普通で無い点を尊び、敬い続けてきた。
理解しようとしないままに。
そのツケが、回ってきたと言う事だろうか?
まったく理由が分からない。
主の憂いに手も足も出ないとは。
だがしかし……
「……分かりません。分かりませんが、それでも……」
思ったことを口にする。
「……それでも、私が同じ事を聞かれたら……」
してしまう。
「……同じ返事をするかもしれません」
してしまった。
空気の重さが倍増した。
重い。重すぎる。当たり前だと思うけれど。
ええい。こうなったら毒を食らわば皿までだわ。
今宵に限って、虫の声一つ、吹き抜ける風の音一つ無い沈黙の中を待つ。
待つ。
待ち続ける。
やがて……
「理由」
……平板過ぎる声がした。
「聞かせてくれるんでしょ? 紅美鈴」
そこでフルネームですか? お嬢様。
ああ、これは真面目に怒っている。照れ隠しや癇癪ではなく怒っている。まったく当然だと思うけれど。
でもこれは、嘘や繕いで凌ぐことではないと思うのだ。
「……あらかじめ言っておきますが、これは私の理由で、咲夜さんの理由とは多分、別物ですよ」
「かまわない。今はお前に聞いているんだ。我が門番」
声に、圧倒的な威が篭る。
知らず私の背筋が伸びる。
「重要なのは長さでは無く密度だと思うからですよ」
私はこれでも武道家だ。
そして、武道家と言う者は、ただ会心の一撃のために、何年も何十年も時間を蕩尽して悔いを持たない生き物だ。
逆に言うなら、その会心の一戦を演じた一時は、何年何十年に等しい価値があると考える生き物である。
時に刹那は、永遠を容れることが出来る。
長さでは無く密度と言うのはその点に拠る。
時間に区切りが無いとしたら、意思を濃くして当たれるだろうか? 当たれないとしたら、その時間の価値はどれほどだろうか?
「祖国に、朝に道を知らば、夕べに死すとも可なり、と言う言葉がありましてね、つまり一日一日、一瞬一瞬を、有意義に使えれば、時間の長さはそれ程の問題では無いかもしれないわけで……」
「なら死ぬか?」
自分で言うのもなんだが、それほど油断していたわけではない。
怒っている事は分かっていた。一言一言が、気分を逆撫でしていると感じていた。
要は、それほど圧倒的だと言うことだ。半端な警戒など役に立たないほど強大と言うことだ。
吸血鬼……レミリア・スカーレットとは。
「…………」
気がつけば、私の首はお嬢様の手で掴まれて、私の足は地面と生き別れ。
そこに宙吊りになっている自分を発見する。
吹雪のように吹き付ける殺気。
爛々と輝く紅い瞳に、戯言の気配は無い。
「それで構わないんだろ? 断るかもと言うことは。道を知った? 一日一日とやらを充足させた? 結構。なら死んでも良いんだな?」
「…………」
うん。これは死ねるわね。
私は、瞬きの、半分ほどの時間で考えた。
死ぬ。抵抗しても確実に死ぬ。手持ちの札をどうつかっても死ぬ。
理解する。
「…………」
瞬き一つに必要な時間がもう半分。
その間に、走馬灯を巡らせる。
黄砂舞う故郷。下手すれば、普通の人間にも負けかねなかった当時の自分。
省みて、いくらなんでも普通の人間には負けそうに無い今の自分。
うん、思えば、強くなったものだわ。鍛錬は、無意味でなかった。
彷徨う昔の私。誇るに足る主を戴く今の自分。
うんうん。申し分無い。
まあ出来れば、英雄的な死に方が希望なわけだけど、贅沢を言えば限が無いなんて分かりすぎるほど分かっている。汝、足ることを知れ。そう言う事だ。諫死か……悪くない。諌めてない? 細かいことは気にするな。
さらに言えば、そもそもの話、欠片ほどでも己が命が惜しいなら、悪魔の館の臣になど、なるはずが無い。
結論。
「ご随意に。お嬢様。門前を預かってからこの方、命は既に無きものと思っておりましたが故に、改めて覚悟を問われることこそ心外にございます」
瞬間、天地が一転する。
おお? 放り投げられた?
理解したのは、次の一瞬。ただちに、四肢を振り回し、上下を整え着地する。
同時に、胸に手を当て一礼する。冗談めかして礼を言う。
「ご寛恕、感謝の言葉もございません」
「代わりの門番探すのが面倒なだけよ」
素っ気の無い返事。ただし、先刻までの平板さは、もはや何処にも残っていない。感情が垣間見えている。
ええ、そうであってください。お嬢様。そう、それでこそ紅い悪魔。無感情など天使の業です。
悪い従者の私は、そんなことを思うのだ。
あ、一応、フォローしておくか。
「でもお嬢様、私の場合職責上、いつ死んでも構わないと言う気構えを固めているわけですけど、それって別に早死にしたいって意味じゃないんですよね」
「…………」
いや、そこで説得力がねえ……と言う眼しないでください。本気ですってば。
「ですから、死なないために鍛えるし、戦術だって考える。健康にだって気を使いますし、口舌だって弄します。早い話一面では、長生きの努力は惜しまない。ですので、咲夜さんの心中は、先程も言ったとおり本当に分かりません」
仮説はいくらでもたてれますけどね……ってこりゃ言わない方が良いな。
素直に謝罪を口にする。
「不甲斐ない仕儀にて、お役に立てず申し訳なく……」
「……じゃあ代わりに聞くけれど……」
またまた気がつけば……武道家の面目丸潰れだわ……目の前にいるお嬢様。
のぞき込むように見上げるのは反則だと思う。
次の言葉も反則だ。
「ずっと一緒に居てくれと、命令したら居てくれる?」
「…………」
三歩下がる。両手を胸の前で組み合わせ、頭を下げる。
拱手と言う奴だ。
そして言う。
「畏れながら、申し上げます。君臣の別を曖昧にするは乱れの素。僭越ではありますが、ソレは、妹様かパチュリー様にお求めになるべきかと。なにとぞこの私には、一事あれば、先ず死ね、と御命じになってください」
頭の先で溜息が聞こえた。
続けて、飛び立つ音がする。
間もなく着地の音。それは門柱の上からした。
私は拱手を崩さない。
上から下へ、どうにも苦笑混じりの声がする。
「うちの使用人どもは、どうしてこう我侭な奴ばっかりなんだろうね」
「畏れながら、再び申し上げます。上の成すところ、下これ倣うと申しまして……」
「ああ。諫言うるさい」
また飛び立つ音がした。
今度こそ、辺りから気配が消えて失せた。
思うに、主君と言う存在は、近くに在っても手が届く存在ではいけないと思うのですよ。さながら、水面に写る月の様に。
私は思った。
昔、読んだ本に書いてあったから間違いありません。
拱手を崩す。門前に戻る。
門柱を背に夜空を見上げる。
星を眺めて楽しむのに、それはそれはふさわしい夜だった。
まあそう言う気分でなくなってはいたけれど。
見渡す限り、きらきらした宝石みたいな輝きが広がっている。
邪魔してくれる群雲は無い。
外の世界じゃあるまいに、幻想郷の町明かりは慎ましい。
なにより、自己主張の激しすぎるお月様がいない。
「そもそも月は、地上に一つあれば十分ですよね。お嬢様」
私……紅美鈴は、ゴマすり混じりにそう言った。
「へつらい台詞のセンスが古いわね」
案の定と言うべきか、冷たい返事が返ってくる。
声の主は、羽の生えた小柄な少女だ。私の主……名をレミリア・スカーレットと言う。
称して曰く“永遠に紅い幼き月”。
運命を操る程度の能力を持つ吸血鬼。
地上に居るお月様。
「貸してあげるから、漫画でも読みな」
「それはどうも……って何処で手に入れたんです? そんな物」
「ん? 天狗からせしめた」
「あらまあ」
なんとなく、妖怪の山方向に敬礼する。心の中で。
実際に? 目の前で、そんな事出来るわけが無いのは言うまでも無いじゃありませんか。
と言うか、あちらが嬉々として渡したと言う可能性もある。
むしろそっちの可能性の方が高いか?
幻想郷の常識は中々に量り難いし、とか思う。めんどうくさい。
ので、話題を変える。
「それで、お出かけですか?」
今の所在は、紅魔館の門前である。
右の門柱前に私。まあ私は門番だから当然だ。
そして、左の門柱を背もたれにして、レミリアお嬢様が居る。
その構図の時点で、すぐに離れる気は無いと、なんとなく分かるんだけど、まあ念の為である。
「いいや」
あっさり否定する吸血鬼。
おそるおそるを装って、尋ねてみる。
「もしかして、私の勤務態度の点検ですか?」
「それもある」
「…………」
「…………」
「前、後、右、左。異常なーし!」
「わざとらしい!」
怒られた。お気に召さなかったらしい。
やれやれ。
しょうがないので、真面目に仕事をすることにする。
普段? 夜は手抜き気味である。何処の馬鹿が、夜中に吸血鬼の住まう館を強襲するというのでしょうか? 居たとしたら、それは不真面目にやってても気がつかざるを得ない手合いか、真面目にやっても気がつけない手合いだから問題は無い。大問題は、門番の問題では無い!
そんなわけで、門番職の休み時間も、基本は夜にある。
昼はしっかり仕事をし、夜はゆっくり休息する。
ああ、なんと人間的な生活だろうか。
私、妖怪だけど。
「あっはっはっはっは。上手いこと言った」
自分でも、わけがわからない事を言ってしまったと思った。
なんだか、左手側からやってくる視線が、冷たいのを通り越して、不安げなものに変わってきたような気がする。
駄目だこの門番。早く何とかしないと、とか思われちゃってるような。
不味い。
大いに不味い。
何とかしないと。
何とか。
まあ頃合か。
私は、軽く溜息をついた。
おもむろに口を開く。
「それで、何かあったんですか? お嬢様」
言って、左手側に眼を向けた。
白い顔の中の、紅い瞳がこちらを向いている。
「本当は、何かの相談でいらしたんでしょ? 分かりますよ。それくらい」
眼を逸らさずに、言を継ぐ。
お嬢様の表情は、むしろ静かだ。落ち着いていると言って良い。こうして見れば、可愛いより、綺麗と言う形容が似合うわね、とか思う。
それだけに、敢えて言うなら、普段と違う。
そもそも、普段なら、こんな何も無い……まあ私こと紅美鈴には別の意見があるのだが……門前に、退屈を持て余しているお嬢様が居座るわけが無い。
何かがあったのだ。
それが何かは、分からないが。
見つめ合うことしばし。
やがて眼を逸らしたのはレミリアお嬢様だった。
星空を見ながら、口を開く。
「この前、咲夜に袖にされてね」
「へ?」
失礼千万ではあるが、そんな声が口から漏れた。
十六夜咲夜。紅魔館のメイド長……もとい完全で瀟洒なメイド長。悪魔の館に住まう唯一の人間にして、どこからどこをどう見ても、心の底から完璧に、レミリア・スカーレットお嬢様に忠誠を誓った従者の鑑。誰が言ったか悪魔の狗。
その彼女がお嬢様を袖?
馬鹿な。
ありえない。
あるはずがないわ。そんなこと。
知らず疑問が声になる。
「どんな無理難題を申し付けられたんですか?」
うん、それこそ失礼な事を言った。
私は、即刻怒鳴られることを予想した。
鉄拳の一つも飛んでくることを覚悟した。
吸血鬼に殴られるのって痛いのよね。
さあ来るか? もう来るか?
待つことしばし。
しかし、鉄拳は来なかった。怒鳴り声すら来なかった。
来たのは静かな告白だけ。
「無理難題かは分からないね。咲夜も不老不死になってみない? って聞いただけ」
へ?
瞬間、空気の重さが数倍に、跳ね上がった。
ような感じがした。
ついでに胃の中のものの重みもだ。
告白はつづく。
「私は一生死ぬ人間ですよ……だって。ああ残念」
私は、視線を逸らした。湖の方へ眼を向けた。
星明かりだけではささやか過ぎて、そこに見えるのは闇しかない。
帽子を外して、頭をかく。
さて、今の自分のご面相は……あまり想像したくは無い。さぞや間抜けな顔をしていることだろう。
だって、不意打ちが過ぎるわよ。
能力、忠誠ともに鉄板なのが十六夜咲夜と言う人間だ。主の覚えもめでたくて、近い将来に紅魔館三人目の吸血鬼になると……すぐに、でないのは、まずはお嬢様に少食を直していただかないといけないから……思っていた。信じていた。疑いもしなかった。
なんと言う阿呆。
すぐには思考がまとまらない。
なんたる不覚。
追い討ちの言葉がやってくる。
「ねえ、美鈴」
返事を返す。
「は、はい。お嬢様」
「あなたは分かる? 咲夜の気持ち」
うん。こんなに頭をつかったのは、えーと百年ぶりくらい?
その割りに、返した返事はアレである。
「……面目ありません。分かりません」
「やっぱりそうよね」
普通の人間の気持ちだったら概ね分かるんですけどね、と心の中で続ける。
なにしろ、私……紅美鈴と言う妖怪は、素の力が弱すぎて、まるで人間みたいだから。だから、普通の人間が、何を欲し、何を願い、何を恐れるかなら、ごくごくあっさり理解できる。誰よりも理解している妖怪だと自信がある。
しかし、十六夜咲夜と言う人間は、どの点から評しても普通ではない。
だから、紅美鈴では理解は出来ない。出来ないままに、ただその普通で無い点を尊び、敬い続けてきた。
理解しようとしないままに。
そのツケが、回ってきたと言う事だろうか?
まったく理由が分からない。
主の憂いに手も足も出ないとは。
だがしかし……
「……分かりません。分かりませんが、それでも……」
思ったことを口にする。
「……それでも、私が同じ事を聞かれたら……」
してしまう。
「……同じ返事をするかもしれません」
してしまった。
空気の重さが倍増した。
重い。重すぎる。当たり前だと思うけれど。
ええい。こうなったら毒を食らわば皿までだわ。
今宵に限って、虫の声一つ、吹き抜ける風の音一つ無い沈黙の中を待つ。
待つ。
待ち続ける。
やがて……
「理由」
……平板過ぎる声がした。
「聞かせてくれるんでしょ? 紅美鈴」
そこでフルネームですか? お嬢様。
ああ、これは真面目に怒っている。照れ隠しや癇癪ではなく怒っている。まったく当然だと思うけれど。
でもこれは、嘘や繕いで凌ぐことではないと思うのだ。
「……あらかじめ言っておきますが、これは私の理由で、咲夜さんの理由とは多分、別物ですよ」
「かまわない。今はお前に聞いているんだ。我が門番」
声に、圧倒的な威が篭る。
知らず私の背筋が伸びる。
「重要なのは長さでは無く密度だと思うからですよ」
私はこれでも武道家だ。
そして、武道家と言う者は、ただ会心の一撃のために、何年も何十年も時間を蕩尽して悔いを持たない生き物だ。
逆に言うなら、その会心の一戦を演じた一時は、何年何十年に等しい価値があると考える生き物である。
時に刹那は、永遠を容れることが出来る。
長さでは無く密度と言うのはその点に拠る。
時間に区切りが無いとしたら、意思を濃くして当たれるだろうか? 当たれないとしたら、その時間の価値はどれほどだろうか?
「祖国に、朝に道を知らば、夕べに死すとも可なり、と言う言葉がありましてね、つまり一日一日、一瞬一瞬を、有意義に使えれば、時間の長さはそれ程の問題では無いかもしれないわけで……」
「なら死ぬか?」
自分で言うのもなんだが、それほど油断していたわけではない。
怒っている事は分かっていた。一言一言が、気分を逆撫でしていると感じていた。
要は、それほど圧倒的だと言うことだ。半端な警戒など役に立たないほど強大と言うことだ。
吸血鬼……レミリア・スカーレットとは。
「…………」
気がつけば、私の首はお嬢様の手で掴まれて、私の足は地面と生き別れ。
そこに宙吊りになっている自分を発見する。
吹雪のように吹き付ける殺気。
爛々と輝く紅い瞳に、戯言の気配は無い。
「それで構わないんだろ? 断るかもと言うことは。道を知った? 一日一日とやらを充足させた? 結構。なら死んでも良いんだな?」
「…………」
うん。これは死ねるわね。
私は、瞬きの、半分ほどの時間で考えた。
死ぬ。抵抗しても確実に死ぬ。手持ちの札をどうつかっても死ぬ。
理解する。
「…………」
瞬き一つに必要な時間がもう半分。
その間に、走馬灯を巡らせる。
黄砂舞う故郷。下手すれば、普通の人間にも負けかねなかった当時の自分。
省みて、いくらなんでも普通の人間には負けそうに無い今の自分。
うん、思えば、強くなったものだわ。鍛錬は、無意味でなかった。
彷徨う昔の私。誇るに足る主を戴く今の自分。
うんうん。申し分無い。
まあ出来れば、英雄的な死に方が希望なわけだけど、贅沢を言えば限が無いなんて分かりすぎるほど分かっている。汝、足ることを知れ。そう言う事だ。諫死か……悪くない。諌めてない? 細かいことは気にするな。
さらに言えば、そもそもの話、欠片ほどでも己が命が惜しいなら、悪魔の館の臣になど、なるはずが無い。
結論。
「ご随意に。お嬢様。門前を預かってからこの方、命は既に無きものと思っておりましたが故に、改めて覚悟を問われることこそ心外にございます」
瞬間、天地が一転する。
おお? 放り投げられた?
理解したのは、次の一瞬。ただちに、四肢を振り回し、上下を整え着地する。
同時に、胸に手を当て一礼する。冗談めかして礼を言う。
「ご寛恕、感謝の言葉もございません」
「代わりの門番探すのが面倒なだけよ」
素っ気の無い返事。ただし、先刻までの平板さは、もはや何処にも残っていない。感情が垣間見えている。
ええ、そうであってください。お嬢様。そう、それでこそ紅い悪魔。無感情など天使の業です。
悪い従者の私は、そんなことを思うのだ。
あ、一応、フォローしておくか。
「でもお嬢様、私の場合職責上、いつ死んでも構わないと言う気構えを固めているわけですけど、それって別に早死にしたいって意味じゃないんですよね」
「…………」
いや、そこで説得力がねえ……と言う眼しないでください。本気ですってば。
「ですから、死なないために鍛えるし、戦術だって考える。健康にだって気を使いますし、口舌だって弄します。早い話一面では、長生きの努力は惜しまない。ですので、咲夜さんの心中は、先程も言ったとおり本当に分かりません」
仮説はいくらでもたてれますけどね……ってこりゃ言わない方が良いな。
素直に謝罪を口にする。
「不甲斐ない仕儀にて、お役に立てず申し訳なく……」
「……じゃあ代わりに聞くけれど……」
またまた気がつけば……武道家の面目丸潰れだわ……目の前にいるお嬢様。
のぞき込むように見上げるのは反則だと思う。
次の言葉も反則だ。
「ずっと一緒に居てくれと、命令したら居てくれる?」
「…………」
三歩下がる。両手を胸の前で組み合わせ、頭を下げる。
拱手と言う奴だ。
そして言う。
「畏れながら、申し上げます。君臣の別を曖昧にするは乱れの素。僭越ではありますが、ソレは、妹様かパチュリー様にお求めになるべきかと。なにとぞこの私には、一事あれば、先ず死ね、と御命じになってください」
頭の先で溜息が聞こえた。
続けて、飛び立つ音がする。
間もなく着地の音。それは門柱の上からした。
私は拱手を崩さない。
上から下へ、どうにも苦笑混じりの声がする。
「うちの使用人どもは、どうしてこう我侭な奴ばっかりなんだろうね」
「畏れながら、再び申し上げます。上の成すところ、下これ倣うと申しまして……」
「ああ。諫言うるさい」
また飛び立つ音がした。
今度こそ、辺りから気配が消えて失せた。
思うに、主君と言う存在は、近くに在っても手が届く存在ではいけないと思うのですよ。さながら、水面に写る月の様に。
私は思った。
昔、読んだ本に書いてあったから間違いありません。
拱手を崩す。門前に戻る。
門柱を背に夜空を見上げる。
星を眺めて楽しむのに、それはそれはふさわしい夜だった。
まあそう言う気分でなくなってはいたけれど。
でも、美鈴ってそんな弱くないんじゃ?俺、彼女相手に何回もピチュったんだけどw
やさしい美鈴でもなければ、実は強い美鈴でもない、受けるポイントを外した美鈴なんで、非難轟々を覚悟していたのですが、好意的なご意見いただけて恐縮です。
いや美鈴強いとは思うんです。ただ、お嬢様強過ぎ、と(マテ
後、先天的に強い美鈴さんよりも、努力と根性で強くなった美鈴さんが好きです(マテマテ
主を慕いつつも、自己の身分をわきまえてますね。レミさんはそれが嬉しくもあり、寂しくもあるでしょうけどね。
いいお話でした。